〈資料紹介〉 実相院蔵 『源氏供養草子』
著者 廣田 收
雑誌名 人文學
号 176
ページ 84‑173
発行年 2004‑12‑20
権利 同志社大学人文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000007630
︿資料紹介﹀
実 相 院 蔵 ﹃ 源 氏 供 養 草 子 ﹄
廣 田 收
京都岩倉にある門跡寺院実相院には︑古典籍に限っても︑仏教教理・教学関係の文献や歴史文書︑歴代御門主の日
記などの膨大な資料の他に︑文学に関係して和歌︑連歌︑物語などの写本も伝わっている︒これら未紹介の写本の中
から﹃源氏供養草子﹄を取り上げ︑その書誌的解題を記すとともに︑小考を添えて紹介することにしたい
盧︒
︵ 1 ︶ 書 誌
分類番号︑二六箱一五二番︒
縦二二︑五センチ︑横一八︑九センチ︒
表紙裏︑白紙︒
一冊︑一面十行書き︒墨付き八丁︒
綴葉装︒仮綴じ︒
― 84 ―
奥書なし︒書写年代︑書写者ともに不明︒
題簽なし︒題字なし︒内題なし︒
なお︑表紙左端中央に︑小文字で﹁源氏﹂と記されている︒このような書名の書き入れは︑実相院蔵﹃源氏物語﹄
橋姫巻の写本にも﹁はしひめ﹂と小書きされていることにも見える︒本文を書写した字体とは異なるので︑いずれか
の時期に心覚えのため仮りに書き付けたものと推測される︒
書写年代について付言すると︑実相院蔵の古典籍の中で︑﹃源氏供養草子﹄は︑筆跡や紙質︑体裁などが﹃朝忠中
納言集﹄﹃頼基集﹄や﹃源氏物語﹄橋姫巻︑﹃新続古今和歌集﹄などと極めて類似している︒このうち︑﹃新続古今和
歌集﹄は奥書から長禄四︵一四六〇︶年︑室町期の書写であることが知られる︒また︑﹃朝忠中納言集﹄は諸伝本の関
係から室町後期から江戸初期の書写と推測される︵﹃実相院蔵古典籍調査報告資料集第二輯﹄各書解題︑参照︶︒このよう
な事例を基準とすると︑実相院蔵本﹃源氏供養草子﹄もほぼ同時代の書写かと推測される︒
また︑虫食いによる損傷がいくらか認められるが︑保存状態は良好である︒
なお︑本書は﹃天台宗寺門派実相院古文書目録﹄︵京都府教育委員会︑一九八二年発行︶には﹁源氏物語﹂として登
録されている︒本書は従来から知られている書名によって﹃源氏供養草子﹄と呼ぶのが適切である︒
︵ 2 ︶ 諸 本
﹃源氏供養﹄という名をもつ文献は︑︵一︶謡曲﹃源氏供養﹄︑︵二︶﹃源氏表白﹄あるいは﹃源氏供養表白﹄などと
― 85 ―
実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
呼ばれる願文︑︵三︶これをもとに物語として作られた﹃源氏供養草子﹄と︑三件がある︒本書は︑この︵三︶﹃源氏
供養草子﹄の写本である︒
﹃国書総目録﹄の掲げる伝本に︑﹃室町時代物語大成﹄の﹁解説﹂︵横山重・松本隆信編﹃室町時代物語大成第四﹄角川
書店︑一九七六年︶の掲げる伝本を加え︑﹃未刊国文資料第三期第一一冊未刊御伽草子集と研究四﹄︵未刊国文資
料刊行会︑一九六七年︶の藤井隆蔵の写本一本を加えると︑現在にまで知られている﹃源氏供養草子﹄の伝本は六本に
なる︒
両書の解題や︑﹃源氏供養草子﹄に関する先行研究を踏まえ︑簡単な書誌事項をまとめて付記すると︑現存﹃源氏
供養草子﹄の諸本の概要は次のようである︒
1赤木文庫蔵﹃源氏供養草子﹄
外題なし︒内題﹁源氏供養﹂︒巻子本︒もとは絵巻︒極札に後崇光院の筆という︒後崇光院は康正二︵一四五六︶
年に薨じた︒鎌倉末から南北朝期の成立かとされている︒︵﹃室町時代物語大成﹄に翻刻︶
2赤木文庫蔵﹃源氏供養物語﹄
題簽﹁源氏供養物語﹂︒内題なし︒絵巻︒箱書によると︑伝尊鎮法親王筆という︒横山重氏は︑室町末期から江
戸初期の書写かという︒︵同書に翻刻︶
3宮内庁書陵部蔵﹃源氏物語表白﹄
﹁源氏物語表白﹂︒題簽に霊元天皇筆という︵﹃室町時代物語大成﹄︶︒ 実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
― 86 ―
4宮内庁書陵部蔵﹃源氏供養草子﹄
桂宮本︒外題﹁源氏供養草子﹂︑内題﹁源氏くやうのさうし﹂︒
︵伊井春樹﹃源氏物語の伝説﹄に他本と校合した本文を載せる︶
5天理図書館蔵﹃源氏供養双紙﹄
縦一二・〇センチ×横九・二センチの超小型本︒題簽﹁源氏供養双紙﹂︒内題なし︒奥書なし︒国籍類書本︒天
理大学図書館蔵印と松平家蔵書印が押されている︒藤井氏は﹁元和寛永頃の写本である﹂という︵﹃未刊御伽草子
集と研究﹄一二五頁︶︒すなわち︑一六一五年頃から一六四三年頃︵江戸初期︶の書写か︒
︵徳江元正﹁源氏供養譚の系譜﹂に一部分翻刻︶
6藤井隆蔵﹃源氏供養さうし﹄
外題﹁源氏供養のさうし﹂︑内題﹁源氏表白﹂︒書誌の詳細は﹃未刊御伽草子集と研究﹄︵一二四頁︶にあり︒奥書
に﹁承応二歳癸巳十一月日﹂︵一六五三年︑江戸初期︶︒源氏表白を付載︒︵﹃未刊御伽草子集と研究﹄に翻刻︶
なお︑以下の考察においては︑右の伝本に仮に付した番号を識別のために便宜的に用いることにする︒
諸本について早く徳江元正氏は︑
1赤木文庫蔵﹃源氏供養草子﹄
2赤木文庫蔵﹃源氏供養物語﹄
5天理図書館蔵﹃源氏供養双紙﹄
― 87 ―
実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
の三本について︑﹁それぞれ独自性を持ち︑弁別するのが難しい﹂とされ︑5の天理図書館蔵﹃源氏供養双紙﹄には
﹁︿お伽化﹀された傾向が認められ﹂るとする一方︑後崇光院筆と伝える1赤木文庫蔵﹃源氏供養草子﹄に﹁古態性﹂
を見ておられる︒そして﹁古態性﹂と見る根拠として︑﹁狂言綺語の戯れが讃仏乗の因となるという考え方﹂は﹃本
朝文粋﹄以来﹃沙石集﹄﹃雑談集﹄や仮名本﹃曽我物語﹄などにみられる﹁一般的な風潮であった﹂ことを挙げてお
られる︵徳江元正﹁源氏供養譚の系譜﹂︶︒
改めて詳細に検討すると︑この六本の間には少なからず異同が認められ︑いずれの伝本が古態であるかはなお慎重
に検討する必要がある︒
近年︑安藤亨子氏はこの六本を次のような三系統に分類されている︵安藤亨子﹁源氏供養草子﹂︶︒
A系統
1赤木文庫蔵﹃源氏供養草子﹄
6藤井隆蔵﹃源氏供養さうし﹄
3宮内庁書陵部蔵﹃源氏供養表白﹄
4宮内庁書陵部蔵﹃源氏供養草子﹄
B系統
2赤木文庫蔵﹃源氏供養物語﹄
C系統 実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
― 88 ―
5天理図書館蔵﹃源氏供養双紙﹄
安藤氏はこのうちC系統の5天理図書館蔵﹃源氏供養双紙﹄は﹁成立の時が遅く︑他の伝本を参酌しつつ改作した﹂
ものであると見ている︒
卒忽の間に知りえた管見の範囲でのことであるから︑他の伝本の存在や︑先行研究について遺漏もあるに違いない
が︑徳江氏︑安藤氏の解題においてもなお︑現在知られる伝本はこの範囲に限られている︒従って﹃源氏供養草子﹄
の伝本の全望を見渡すには︑さらに他の伝本の発見が俟たれる︒その意味でも︑既知の諸本に新たな一本を加えうる
のみならず︑書写年代の知られている6藤井隆蔵﹃源氏供養さうし﹄に最も近く︑従来から知られている1赤木文庫
蔵﹃源氏供養草子﹄とは大きな異同が認められるゆえに︑実相院蔵本の存在の意義は誠に大きいといわなければなら
ない︒
︵ 3 ︶ 翻 刻
実相院蔵﹃源氏供養草子﹄の翻刻は次のとおり︒
ただし︑虫食いなどの欠損による判読不能の文字は□で示し︑字形の推定しうるものは︵︶で示した︒
1あこ院のせいかく法印の房はにし東二ところにあり
― 89 ―
実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
2ひかしの坊はしつかにて常に人なし心をしつめて
3せつ経なとあんする所なりせめんといふ承仕法師そひ
4とり住けるにしの房は弟子ともあつまりて常に学
5問し客人なとにあふ所なり又おくの坊とて女房たち
6ゐてうち
!"聖比中月三時る也あ所るすもと事の覚
7大僧都といひし時せつ経あむしてひんかしの坊に素
8絹の衣のはた袖もなきに布けさかけしりきれはき
9てゑむ行道しける程に東のかたより東の音しけり
10
ひかしはとう
!"ウ1︵﹂とむらなかいにぬはよかとな車てゝにたの︶
1あやしくおほえて耳をたてゝ聞程に此門の前に
2車をとゝめてこと
!"しく敲くいかなる人にかと驚
3きせめんといふ承仕に門をたゝくはきかぬかといへは
4居眠けるかねをひれてしさいをとはすさうなくあは
5つ僧都車寄のつま戸へにけ入てのそきけれは大へ
6えうの車け色なるにそめきたれる下簾なかやかに
7かけてしらすつのなる牛のひたいしろなるをきよけな 実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
― 90 ―
8る牛かひゆくゑたちたり真垂きたる中間五六人
9はかりともにあめり門をゝしあけてはやらかにやり
10
入ぬ僧都は誰ならんとおもへともせめむはにけ入ぬ又︵と︶は﹂︵2オ︶
1すへき人もなけれはめもあやにのそきゐたるかけ︵は︶つ
2してやかて此妻戸へよす女房なめりとおもひてみ
3つから車寄のむしろをさしいつれは中間妻戸の
4とひらをたてよせつおりたる人をみれは廿二三はかり
5なる女房紅のはかまにうすきぬきたるをりたり僧都
6のそきゐたる程に又おるゝをみれは廿四五はかりなる
7あま御前いろしろくこまやかなるかはたに薄かき
8の小袖おりすみ染の二小袖白きはかまをきてやゝ
9ら立たる僧都中の障子をあけてにけ入いかなる人
10
にかとおほつかなさにこはつくろへは此女房物申候はんと﹂︵2ウ︶
1いふ何事かはとこたふるに東山のほとりより申へき事候て
2人のいたり候といふこれは誰もとゝておほしめしたちて
― 91 ―
実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
3御わたり候やらむといへは女房すこしあやまりたる気色
4にてこれはせつきやうせさせ給僧都御房のもとかとて御
5とものものとも御車いれまいらせて候ひかことゝやらんといふ
6時に僧都説経なと時
!"よりとほの山も東とれつまかつり
7たれこそ御いたり有へしともおほえすといふ女房うる
8はしき人なとこそひかし山のたれといふことは候へふしき
9の谷のそこなる人なれは申ともしり給はし又名なとある
10
ほとのものにてもさふらはすけ︵さ︶んして申候ゝやといふそ﹂︵3オ︶
1の時僧都ちとよきとおほしき衣にきぬのけさかけて
2障子のそへにゐよりたる気色なりこれは物はちなと
3すへきものにても候はす唯障子をあけて申候はんといふ女房
4たにもはちさらむに法師の物はちすへきやうなけれは
5ひろらかにあけつあま御前対面とおほしくて北むきに
6ゐたるが西むきにちとゐなをりたるかほことからみるにたゝ
7人ともおほへす物いはむとするに耳のかた次第にかほ
8のかたへあかみてつゝましけなる物から申につけてはゝ 実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
― 92 ―
9かりあることなれともおさなくより源氏と申さうし 10
をふかく心にそめておもしろくおもひしか去年の春の﹂︵3ウ︶
1比よりおもひしたる事候てかゝる身になりていまはお
2もひまする事なく後の世のことを︵心︶にかくへきに見馴
3し事のわすれす心にかゝりてその巻にはとあることのあり
4しなとおもはれて念佛のまきれとなりぬへきかつみふか
5き事とおもひしられ侍てそのさんけのために此品をみつ
6からもかき人にもかゝせてあまたさふらひしをことさらや
7りて経の料紙になしてみつから法花経一部かきて
8候我身人数ならは案内をも申てこそあくへきにかゝる
9身のありさまなれは御わたりあらんこともかたし御
10
布施なともかなふへくもなけれはさりとていふかひな﹂︵4オ︶
1き山てら法師なとに申あけさせむもいたはしくて結
2縁なとはさのみこそあれとおもひて参て候かたはかり鐘うち
3ならしたひさふらひなむにやといふ僧都いふやう生覚
― 93 ―
実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
4説法なとをもつて世をわたることみな人しろしめし
5たることにてさふらへとも佛を供養し経をさむた
6むし候やうはかねておほせをかうふりてこそ表白一筆
7も案してつかまつる事にて候へたゝ今御前にて申
8あけよといふおほせことなむきに仰候と申あま御前何
9かとこと
!"あ申にれそゝたす候はもうやきへ有くしけ 10
させ給て候とたにもおもひ候はゝ信をおこしてこそ候はんつ﹂︵4ウ︶
1れちと鐘うちならしてたひ候へといふ誠にこれ程の御心
2さしにて候へは御かへり候はんこと又は邪けんなるやうに候さらは
3こゝにてかたのやうにもつかまつり候はめといふよろこひて
4女房中間をめして御経箱をとりよせたりをり物の
5ふくろのなへてのさまにもにぬこゝちするに名香のにほひ
6みちたる御経箱とりいてたるをみれはいかけちに蒔絵て
7はちすのちり花を貝にすりてかうけむしやうに銀の
8ふくりんかけたるなともなへての様には見えすあけて御経
9を見れは紺地の表紙に水しやうの軸こと
!"しくきとく 氏子草養供院源﹃蔵相実﹄
― 94 ―
10
なり僧都せめんをめして経机︵け︶むたいとりよす此女房御﹂︵5オ︶
1経しき紙なからをかんつら︵む︶□︹虫損︺みるに一の巻より次第に
2とり出してならへ置たりすきれんしの経机みしり
3たる程も女房なといかてかくはあるへきといよ
!"きも
4つふれ心にくし香ろなといたつらにあれともわさとし
5からんためにしきみ一枝とりよせて鐘うちならし何
6となきやうに三度礼拝してしのひやかに当座に源
7氏の目録をむすふ
8桐つほの夕のけふりすみやかに法性の空にのほりはゝ
9きゝのよるのことのははつゐにかくゆの花をひらかむ
10
空蝉のむなしき此世をいとひて夕皃の露の命を﹂︵5ウ︶
1観しわか紫の雲のむかへをえて末摘花の臺に座せし
2めむ紅葉の賀の秋の夕には落葉をのそみうゐをかなし
3ひ花の宴の春の朝には飛花を観して無常をさとり
4てたま
!"やしてしさの葉り榊なひふあに性仏う
― 95 ―
実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
5せつをねかふへし花ちる里に心をとゝむといへとも
6愛別離苦のことはりまぬかれかたしたゝすへからくは
7生死流らうのすまのうらを出てしゆちゑんみやうの明石
8の浦にいたらんかためなりみをつくしせきやの行
9あふ道をのかれて般若のきよきみきりにおもむき
10
蓬生のふかき草村を分て菩提のまことをねか︵は︶む﹂︵6オ︶
1︵な︶んそ弥陀の尊容をうつして絵合とし松風に業
2障の薄雲をはらはさらん生老病死の朝皃の日影を
3またむ程なり老少不定のさかひ乙女か玉かつらかけて
4も頼かたし谷うち出る鶯のはつ音も何かめつらし
5からむふけん鴛鴦のさえつりにはしかし籬にたはふる
6る胡蝶もたゝしはらくのたのしみなり天人聖衆の
7あそひをおもひやれ澤の蛍のくゆるおもひたちまちに智
8恵のかゝり火にひるかへし野分の風に消ることなく如来
9覚王の御幸にともなひて慈悲忍辱の蘭を上品蓮
10
臺に心をかけ七寶荘厳の真木はしらのもとにいたらむ﹂︵6ウ︶ 実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
― 96 ―
1梅かえの匂ひに心をとむることなく浄土の藤のうらはをも
2てあそふへしかのせんとうせむれむのきうしには若菜
3をつみて仙人供養せしかは成佛得度の因となり
4にき夏衣たちゐにいかにしてか一枝の柏木をひろ
5ひて妙法のたきゝとなして聖衆の音楽のよこ
6笛をきかんうらめしきかなや佛法の世むまれなから家
7をいて名をすつるみきりには鈴虫の聲ふりたてか
8たらふ道にかさりをとく所に夕霧はれかたしかな
9しきかなや人間に生をうけなから御法の道をしら
10
すして苦海に沈みまほろしの世をとはすして﹂︵7オ︶
1せいろをいとなむことしかしたゝかほる大将の香をあら
2ためてしやうれむのはなふさにおもひをそめ匂ふ兵
3部
鑄てほそよの烟の香つしのへかるひをひほにひ
4となり竹川の水を結ひては煩悩の身をすゝき紅
5梅の色をうつして愛著の心さしをうしなふへし
6待霄のふけしをなけきけん宇治の橋姫にいたる
― 97 ―
実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
7まてうはそくかおこなふ道をしるへにて椎もと
8にとゝまることなく北はうの露と消なん夕には
9解脱のあけまきを給ひほたいの早蕨の烟との
10
ほらん朝にはせん檀の陰にやとりきとならん﹂︵7ウ︶
1司位を四阿のうちにのかれてたのしひさかへを浮舩に
2たとふへしこれも蜻蛉の世なりあるかなきかの手習
3に往生極楽の文をかくへしかれも夢のうきはしの
4世なり朝な夕なに来迎引接をねかひわたるへし
5南無西方極楽教主弥陀如来せんせいねかはくは狂
6言竒語のあやまりをひるかへして紫式部か六趣の
7苦患を救給へとはかりにて鐘うちならし机をしの
8けつ尼御前袖をしほることのなのめならす女房も
9ふしめになりまほりより白きうすやうにつゝみたる
10
砂金百両とりいたしさしをく僧都これをみるに﹂︵8オ︶
1たゝ人にはおはせしと思けり女房車よせて出たまふ 実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
― 98 ―
2僧都さふらひ法師よひて車のいたらむ所を見□︹虫損︺た
3めてかへれといへは見かくし
!"に行程に一條おもてへ
4出て白河のかたへやる法性寺北を東さまに花園へや
5る程に日も暮ぬくさかはのひんかしの辻南むきに
6家門とおほしくてもろおり戸のあるうちにからもん
7たちたる御所へ見いれぬその邊の人これを准后の
8御所と申さふらひほうしかへりて此よしを申に
9こそ中の関白の御むすめなれはことはりとおもへとも
10
おもひの外なる事もあるそかし始よりたゝ人とおほ﹂︵8ウ︶
1えさりつるなといひけり准后の宮もせいかく説法よく
2し給といふこと今にはしめぬことなれとも凡夫のし
3わさともおほえす当座にて源氏をおほえてす
4こしもとゝこほることなく次第の巻を一巻も落
5さすめいくついくを引合てとりあへすする事たゝ
6人のわさともおほしめさす不思議のことにおほしけり
7御佛事のたひ毎にめされて法印も参り給ける
― 99 ―
実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
8とそ聞ゆる也﹂︵9オ︶
︵ 4 ︶ 実 相 院 蔵 本 と 6 藤 井 隆 蔵 承 応 二 年 写 本 と の 異 同
実相院蔵本﹃源氏供養草子﹄の内容は︑およそ次のようである︒
安居院の法師聖覚が︑僧坊で説経を案じ縁行道していると︑大八葉の車で二四︑五歳の尼御前が尋ねて来て︑次の
ように語った︒去年の暮︑思うところあって出家したけれども︑長年愛読してきた﹃源氏物語﹄のことが気になり念
仏の障りとなって︑罪深く思うので︑懺悔のため物語を料紙にして法華経を書写した︒普通ならば案内の後お願いす
るものだが︑出家の身ゆえにかなわず︑自ら尋ねて来た︒ついては供養をしてほしいというと︑聖覚は︑表白は予め
一筆を案じて作成するもので︑即座には無理だと答えたが︑尼御前は重ねて依頼した︒経箱や経巻を見ると立派なも
のであった︒聖覚はただちに﹃源氏物語﹄の目録を結び︑願文として表白を作成した︒表白は︑﹃源氏物語﹄の巻名
をみごとに読み込んだものであった︒尼御前は砂金を布施して帰った︒尼御前の後を追わせた聖覚は︑尼御前の家が
准后の御所であるという報告を受けた︒准后も聖覚が説経の名人であることは知っていたが︑名句や対句を駆使して
表白を誦したことに感激し︑後は仏事に聖覚を召したという︒
そこで︑まず実相院蔵本の翻刻と︑知られる限りで最も表現の近似している藤井隆蔵本︵﹃未刊国文資料未刊御伽
草子集と研究﹄︵未刊国文資料刊行会︑一九六七年に翻刻︶の本文を比較すると︑次のような異同を得る︒
なお︑対照表を作成するにあたっては︑次のような原則を立てた︒ 実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
― 100 ―
1かな︑漢字の表記上の異同は除外する︒
2送りかなの要不要についての異同は除外する︒
3︵︶は︑虫損はあるが文字の推定できる事例を示す︒
4下欄は︑実相院蔵本の丁数と表裏を示す︒
実相院蔵本藤井隆蔵本承応二年写本丁
漓又おくの坊とて女房たちゐてうち
!"の事ともする所也1ウ 滷東の音車の音1ウ 澆う2つけあくなささつはあくなうオ 潺大へえうの車大八えうの車2オ 潸しらすのなかしら川のなる2オ 澁此妻戸妻戸2ウ 澀東3りよ辺の山り東よりとほの山オ 潯東3りよ辺の山り東よりとほの山オ 潛此品を此ほんを4オ 濳︶5んらす見をらかな紙む紙︵らつんかをんらかなウ 潭る5は葉とこのよよははのとこのるウ 澂じ5んからひを花のゆくかかむからひを花のゆくウ 潼生6村草きるふの蓬蓬村草きかふの生オ 潘ふけん鴛鴦鳬鴈鴛鴦6ウ 澎い6にちまちたもどへとたりなつなことにちまちウ
― 101 ―
実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
以上の異同について︑簡単な評を加えれば次のようである︒ 漓る︑いささか説明的であがお︑かといって承応二年りては文︑実相院蔵本の独自異︒え僧房について説明を加写
本とどちらが古態であるかは不明である︒
滷写をなさない︒承応二年本意のように﹁車の音﹂と味はは相︑文脈から考えて︑実院で蔵本の表現﹁東の音﹂あ
るべきか︒
澆﹁応二年写本のようにあ︒けつ﹂とあるべきか承いも﹁︑実相院蔵本の表現あなはつ﹂は意味をなさ︒ 潺方に﹁大八葉の車﹂のがよ意味上合理的であるうのもを︑このままでは意味と本りにくい︒承応二年写︒ 濳意二年写本の方が味承上合理的である応︒は表︑実相院蔵本の現いは意味をなさな︒ 澎格これは表白本来の性かるら見て脱落と見られる︒いはの︑実相院蔵本が源氏﹁て常夏﹂巻の名前を欠い︒
澑を7はりぎみるつす名名はにりきみるちすをオ 濂香7ひほそよの烟の沈つひほそよの烟の香ウ 潦た7烟の蕨早のい東ほ烟の蕨早のいたウ 澳の8ずへかさびしたたをへかさひしのオ 澣見かくし
!"に見かへし
!"に8ウ 澡門8てくしぼおと惣家てくしほおと門ウ 澤れ8申と所御の后准はここ申と所御の后准をれウ 澹一巻も落さす一品も落さず9オ
濆議オ9りたえぼお不とこのに思と不議のこ思にほしけりお 氏子草養供蔵源﹃院相実﹄
― 102 ―
澑すいなさなを味意は﹂るちをは名﹁現表の本蔵院相実︑︒ 澣へ承応二年写本の﹁見かしいくに﹂の方が意味上合︒なは見︑実相院蔵本の表現﹁かさくしくに﹂は意味をな理
的である︒
澡惣写本の表現﹁門二﹂の方がよいか年応はの︑実相院蔵本﹁承家門﹂でも可︒︒
このように見てくると︑右に見る範囲では︑どちらかというと承応二年写本の方が合理的で文脈上の整合性をもつ
が︑そのことをもって直ちにこれが古態を示すものであるかどうかは分からない︒文脈上意味不明の箇所を含む本文
の方が古態的であり︑合理的な本文の方が新しいという関係がありうることも︑古写本の場合には経験的に知られる
ところである︒すなわち︑両伝本の異文がそれぞれに文脈上成り立ちうる事例を含み持っているから︑この範囲内で
は︑伝本として承応二年写本と実相院蔵本との間で︑表現上の優劣をつけることはできない︒
この異同のありかたからみると︑実相院蔵本は︑親本を書写するときに文脈を辿ることなくあまり意味を考えずに
書写したものか︑あるいは親本がすでに
!傷
"たの上以れそ︑がるあも性能可しを写書ままのそをれそりおてっも経
緯の推測は不明といわなければならない︒
︵ 5 ︶ 実 相 院 蔵 本 と 4 宮 内 庁 書 陵 部 蔵 ﹃ 源 氏 供 養 草 子 ﹄ と の 比 較
同様に実相院蔵本と近似している4宮内庁書陵部蔵﹃源氏供養草子﹄との比較を試みると︑その異同は次のとおり
― 103 ―
実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
である︒ただし︑書陵部蔵本の本文は︑伊井春樹氏の翻刻を用いたが︑内部の供養表白については他本をもって校合
された本文であるとされる︵﹃源氏物語の伝説﹄二一四頁︶ので︑対照表からは排除した︒その他の凡例については
︵4︶の項に同じ︒
実相院蔵本4宮内庁書陵部蔵本丁
漓ふ1師法児小ふいとんせせ師法仕承ふいとんめウ 滷いひし時言つし時1ウ 澆東の音車の音1ウ 潺いかならむといかなるらんと1ウ 潸ふ2に止笑ふ言んせせに仕承ふいとんめオ 澁右2つけあくな左さつはあくなうオ 澀八2にるな色毛鹿車の葉大大にるな色け車のうえへオ 潯ら2ゐたひのしこるなのつししひたひの牛るなのつすらオ 潛け2ひかしこるなよききひか牛るなけよオ 濳真垂きたる直垂着たる2オ 潭やり入ぬ屋にいりぬ2オ 澂こ2とんらな誰は都僧僧とんらな誰は都オ 潼ん2ぬりいけ逃はふせせぬ入けにはむめオ 潘のそきゐたるのそきゐたり2ウ 澎やゝら立たるやはら立ちたる2ウ
澑山オ3東よ辺のり東よりとほの山り 氏子草養供院源﹃蔵相実﹄
― 104 ―
濂の3ふ候りたわ御人人ふいと候りたいのオ 潦誰もとゝて誰かもととて3オ 澳こ3てにきしけるたりか怪しすすてに色気るたりまやあしこオ 澣の3てとかともの房御都僧僧てとかともの房御都オ 澡事3んらふ候やにかひひんらやゝとこかオ 澤な3とな経説ま都僧僧とな経説都オ 澹東3りよ辺の山り東よりとほの山オ 濆渡3しへるあり御御しへ有りたいオ 澪のよりしたひに顔かかたへあり見て3たの耳ほのかた次第にかの耳かたへあかみてウ 濟此品をこの本を4オ 濕た4をしひらふさもまああをしひらふさたまオ 濬あくへきにあるへきに4オ 濔に4ふ候えほお儀な難候仰にきむウ 濘か4ぬは候りつまつつめは候りつまかウ 濱蒔絵
てはちす
のちり花
を貝 にすり
てかうけ
むし やう に銀 のす5の銀白に証顕唐てりに蒔貝を花る散すら貼てきオ 濮ふ5てし召をんせせてしめをんめウ 濛経5す寄り取るた卑下机す経よりといたむ︶け︵机ウ 瀉ん紙なから置かすにらんと見るに5敷るしをき紙なからんかみんつら︵む︶□ウ 瀋さ5にめたんえかちとわわにめたんらかしとさウ
︵供養表白︶︵供養表白︶5ウ
濺車8れ帰てめ定見を所んら入のれ車へかてめた□見を所むらたいのウ
― 105 ―
実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
漓 潼濮
実相院蔵本は︑承仕法師の名を﹁せめん﹂とし︑書陵部蔵本が名を﹁せふん﹂とするが︑いずれも成り立
つ︒ちなみに実相院蔵本は︑承仕法師とするのに対して︑書陵部蔵本が﹁小児法師﹂とすることは︑稚児法師という
ことか︒いずれも可としなければならない︒
滷
実相院蔵本は︑﹁いひし時﹂であるが︑書陵部蔵本の﹁言つし時﹂は意味をなさない︒
澆
この件︑藤井隆蔵承応二年写本と同じ問題で︑書陵部蔵本の方が合理的である︒
潺
実相院蔵本は︑聖覚が承仕法師に﹁門を叩くは聞かぬか﹂と尋ねたことになるが︑書陵部蔵本は︑小児法師が
さらに下人に尋ねたことになる︒いずれも可としなければならない︒
潸 澁澀 濳
これらの件も︑藤井隆蔵承応二年写本と同じ問題で︑書陵部蔵本の方が合理的である︒
潯 潛潘 澪
これらの件は︑実相院蔵本の方が書陵部蔵本よりも合理的である︒
潭 澂澳 澡澤 濟濛 瀏濾 瀛
これらの件は︑実相院蔵本︑書陵部蔵本ともにいずれも可としなければならない︒
澎 濂澳 濆濬 濔濱 瀋
これらの件は︑書陵部蔵本の方が合理的である︒
濕
書陵部蔵本﹁あまたも﹂とあるが︑﹁も﹂があるのはいささか座りの悪い表現とみえる︒
瀑門8てくしほおと宗家てくしほおと門ウ 瀁高8るたちた門るかたちたんもらウ 瀏れ8と所御の后准はここと所御の后准をれウ 濾侍8そこにす申由のこてひ思師法にさかふらひほうしへ申りて此よしをウ
瀛議オ9りけえほお不とこのに思と不議のこ思にほしけりお 氏子草養供蔵源﹃院相実﹄
― 106 ―
濘
書陵部蔵本の﹁候はぬ﹂は文脈上無理で︑実相院蔵本の﹁候はめ﹂の方が合理的である︒
瀑
書陵部蔵本の﹁宗門﹂は﹁惣門﹂の音を借りたものか︒実相院蔵本︑書陵部蔵本ともにいずれも可としなけれ
ばならない︒
瀁
書陵部蔵本の﹁高門﹂は語彙として無理か︒実相院蔵本の﹁からもん︵唐門︶﹂の方が合理的である︒
以上のように︑実相院蔵本と書陵部蔵本との間の異同は︑文脈上の整合性の有無という点では事例数において相半
ばするので︑両本の優劣を判断することはできない︒と同時に︑実相院蔵本と藤井隆蔵承応二年写本との間の異同
と︑実相院蔵本と書陵部蔵本との間の異同を比較すると︑後者の異同の事例が遥かに多い︒したがって︑実相院蔵本
は承応二年写本︑書陵部蔵本と同一の系統に入れることができるとともに︑親縁性は強いが︑承応二年写本との距離
よりも書陵部蔵本との距離の方が隔たっているといえる︒
この比較の限りでは︑書陵部蔵本よりも︑承応二年写本︑実相院蔵本の方が善本であるとみられる︒
︵ 6 ︶ 実 相 院 蔵 本 と 1 赤 木 文 庫 蔵 ﹃ 源 氏 供 養 草 子 ﹄ と の 比 較
右に見たように実相院蔵本は︑すでに知られている他の伝本に比べて︑藤井隆蔵承応二年写本と構成や筋の一致の
みならず︑表現上の一致まで認められるほど近似していることがわかる︒諸本において︑両者は同じ系統に括られる
ものであろう︒
― 107 ―
実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
これに対して︑実相院蔵本は1赤木文庫蔵本﹃源氏供養草子﹄との間に︑大きな異同を見出すことができる︒両者
は系統を異にするものであろう︒両者の対照表を作成すると︑次のようになる︒なお︑上段欄外に付けた番号は︑異
同のまとまりを見る上で︑あくまでも目安としての段落を示したものである︒また︑
濳として両者に共有されている
﹁源氏表白﹂については︑別途比較を試みたので︑本表では省略した︒
実相院蔵﹃源氏供養草子﹄1赤木文庫蔵﹃源氏供養草子﹄
漓
安居院法印ときこえしは入道少納言通憲か孫子なり南家の儒門をいてゝ北嶺の禅室に入しよりこのかた蛍雪のつとめおこたらす智徳のほまれならひなかりしかは程なく三会の已講をへて論議たんきのくらゐにいたりにけりことに能説のかたいみしく弁舌のたくみなること富楼那のことくになんありけれは聴聞のやからも耳をおとろかし心をいたましむる事おほく侍りける中になへての佛経の讃嘆なとにはあらていとめつらかなる説草の残りとゝまりて侍をいさゝかまなこにふれはへる事ありまことに権化のしはさにやとふしきに侍れは︑これを後素にうつして上下二まきにせりこれすなはち誑言綺語のたくひしかしなからさん佛乗のことはりにかなひ煩悩即菩提なれは破戒もおなしく出離解脱のえんとなりぬる事をしめさんと也
滷
あこ院のせいかく法印の房はにし東二ところにありひかしの坊はしつかにて常に人なし心をしつめてせつ経なとあんする所なりせめんといふ承仕法師そひとり住けるにしの房は弟子ともあつまりて常に学問し客人なとにあふ所なり又おくの坊とて女房たちゐてうち
"!の事ともする所也 つの房はるねにゐたに所し也 は三安居院の坊はあたりひかしりなうん
おくのはうは女房なとすむところなり 実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
― 108 ―
澆
ある時三月中比聖覚大僧都といひし時せつ経あむしてひんかしの坊に素絹の衣のはた袖もなきに布けさかけしりきれはきてゑむ行道しける程に
東のかたより東の音しけりひかしはとう
と車此の前に門をゝめてこと たて耳を程てゝ聞にほえおしくやあ "!むとのたにゝて車なからよはとにいかなぬ
"!しく敲く やにうたの東のに事旬中月三て
そけんの衣のはた袖もなきに布けさかけてしりきれはきてえん行たうし説経あんして心をすましたる所にひむかしの方より車のをとはやらかにてとをるなにとなくたちとまりてきけは
この門のまへにとゝめてかとをたゝく
潺 いかなる人にかと驚きせめんといふ承仕に門をたゝくはきかぬかといへは居眠けるかねをひれてしさいをとはすさうなくあはつ いとあやしくてこの所にはまれ人のくる所にてもなしたれならんと子細をたつねんとするにせんもんといふ承仕法師のほかおりふしひとなしやゝひさしくたゝく程にいかにせんもんきかぬかとあらゝかにいふおとろきてしさいをたつねすしてやかて門をあけぬ 潸
僧都車寄のつま戸へにけ入てのそきけれは大へえうの車け色なるにそめきたれる下簾なかやかにかけてしらすつのなる牛のひたいしろなるをきよけなる牛かひゆくゑたちたり
真垂きたる中間五六人はかりともにあめり門をゝしあけてはやらかにやり入ぬ
僧都は誰ならんとおもへともせめむはにけ入ぬ又︵と︶はすへき人もなけれはめもあやにのそきゐたるかけ︵は︶つしてやかて此妻戸へよす女房なめりとおもひてみつから車寄のむしろをさしいつれは中間妻戸のとひらをたてよせつ 法印これをみるに八葉の車の五緒なるかかけ色なるに下すたたれかけてひたいしろき牛の白角なるにとくさ色のかりきぬきたるわらはの卅あまりはかりあるうしをゆらへたり法印つまとのまにわけ入てみれはあさきのひたゝれきたる中間五六人あり二人はしりよりてかとのとひらをあくうしかいそてにたちまちりてむなかひをはつしてくるまをさしよす法印めもあやに覚てのそきゐたり
― 109 ―
実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
澁
おりたる人をみれは廿二三はかりなる女房紅のはかまにうすきぬきたるをりたり
僧都のそきゐたる程に又おるゝをみれは廿四五はかりなるあま御前いろしろくこまやかなるかはたに
薄かきの小袖おりすみ染の二小袖白きはかまをきてやゝら立たる僧都中の障子をあけてにけ入
いかなる人にかとおほつかなさにこはつくろへは此女房物申候はんといふ
何事かはとこたふるに東山のほとりより申へき事候て人のいたり候といふこれは誰もとゝておほしめしたちて御わたり候やらむといへは女房すこしあやまりたる気色にてこれはせつきやうせさせ給僧都御房のもとかとて御とものものとも御車いれまいらせて候ひかことゝやらんといふ時に僧都説経なと時くつかまつれとも東山のほとりよりたれこそ御いたり有へしともおほえすといふ すてにおるゝをみれは廿二三はかりなる女房のきはめてかみのかゝりよきかかほなとはさたかにみえすくれなゐのはかまにうすきぬきたりなをひとあるていにふるまひゐたり法印いよ
時とな経つせまな印法 に候はひか事かて候といふ て印の御房と申入御をやりて車 たきしけるおきろと房女てにここ給れ法の院あせさを経説は や御わたり候たらんとこふ れほうゐんこもはかたとゝて せ人のまいらて給候といふ 山ひんかしたのよりか て となふのい候んは申房女事にとに申か候きへ事ふたこんら候 くつかなさにこはつけろひをしたりるにこおほのまあ印法り つり房あま君車よりおとてまのくちにゐたり女 子障うのちへにけいる りかいはこぬたきるききなひとそとむねうちさはきて か袖小にきのすうにたはにうへを二ろに袖小しのそみすりめ ねてきつとかはにもといなめかしきけしきなりま しけかるなんけういくかたかをらとははくあくこの薩菩蔵地 る五はかりなくあまの色しろ廿四 "!又にるみきその
ふによりはたか御事ての候やらんとこた辺山かし "!ひ候てにのんる侍りつまうかつも 澀
女房うるはしき人なとこそひかし山のたれといふことは候へふしきの谷のそこなる人なれは申ともしり給はし又名なとあるほとのものにてもさふらはすけ︵さ︶んして申候ゝやといふその時僧都ちとよきとおほしき衣にきぬのけさかけて障子のそへにゐよりたる気色なりこれは物はちなとすへきものにても候はす唯障子をあけて申候はんといふ女房たにもはちさらむに法師の物はちすへきやうなけれはひろらかにあけつあま御前対面とおほしくて北むきにゐたるが西むきにちとゐなをりたるかほことからみるにたゝ人ともお 女房のいふやううるはしきひとなとこそたれか御わたりなとは申候へいふかひなき人なれは申ともしらせたまはし御しやうしをあけられ候へ見参に申候はんといふ法印思ふやう女房たにはゝからさらんに法師の身にはつへきにあらすとおもひて障子をあけつあま御前かとのかたにむきて北むきなりつるかたいめんとおほしくてにしむきにゐなをる 実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
― 110 ―
ほへす物いはむとするに耳のかた次第にかほのかたへあかみてつゝましけなる物から 物いはんと覚しくてかほうちあかめたたるけしきいはんかたなくいうけんなり 潯
申につけてはゝかりあることなれともおさなくより源氏と申さうしをふかく心にそめておもしろくおもひしか
去年の春の比よりおもひしたる事候てかゝる身になりていまはおもひまする事なく後の世のことを︵心︶にかくへきに見馴し事のわすれす心にかゝりて
その巻にはとあることのありしなとおもはれて念佛のまきれとなりぬへきかつみふかき事とおもひしられ侍てそのさんけのために此品をみつからもかき人にもかゝせてあまたさふらひしをことさらやりて経の料紙になしてみつから法花経一部かきて候
我身人数ならは案内をも申てこそあくへきにかゝる身のありさまなれは御わたりあらんこともかたし御布施なともかなふへくもなけれはさりとていふかひなき山てら法師なとに申あけさせむもいたはしくて結縁なとはさのみこそあれとおもひて参て候かたはかり鐘うちならしたひさふらひなむにやといふ 尼御前おほせらるゝやう
わかゝかりしより源氏と申すさうしをおもしろきことのみおもひてまなこをさらしてありしほとにこその春の比おもひをしたることありてさまをかへかゝる身になりてのちはひたすらにのちの世のことをこそおもふへきことにて候に心をしつめて念佛を申せは源氏の事か心にかゝりてあはれその巻にはなにといふ事のありし物をなとおもふことのふとうかみて心のみたれ候へはつみふかさもあまりにあさましくてこの本も我もかき人にもかゝせてもちたりしをくたきて経のれうしになして手つから法華経を一部かきまいらせてもちて候を我身のかすならねはとて
いふかひなき山寺法師にくやうせさせんもほいなき様にてみなさのみこそ候へ御けちえんなとも候なんやとてもちてまいりて候かねうちならしてたまはり候なむやといふ
潛
僧都いふやう生覚説法なとをもつて世をわたることみな人しろしめしたることにてさふらへとも佛を供養し経をさむたむし候やうはかねておほせをかうふりてこそ表白一筆も案してつかまつる事にて候へ
たゝ今御前にて申あけよといふおほせことなむきに仰候と申あま御前何かとこと
もひと候て給せさけあ申もお候にはゝ信をおこしてこそ候た "!にうれく有へきしやも候はすたゝそ 供養し経を讃たこんする事やうを佛をそ へ給もと候はてに事るたせらし 説覚聖様ふい身印法のやう世経なとにてを人なみ事るたわか
一ふてもあんしてつかうまつる事にて候へたゝいまのくやうはいかゝあるへく候らんと申す
あま御せんおほせられけるはくやうなと申てこと
そはこ房御の印法す候もてにきへ "!るかし
― 111 ―
実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
はんつれちと鐘うちならしてたひ候へといふ
誠にこれ程の御心さしにて候へは御かへり候はんこと又は邪けんなるやうに候さらはこゝにてかたのやうにもつかまつり候はめといふよろこひて女房中間をめして御経箱をとりよせたりをり物のふくろのなへてのさまにもにぬこゝちするに名香のにほひみちたる御経箱とりいてたるをみれはいかけちに蒔絵てはちすのちり花を貝にすりてかうけむしやうに銀のふくりんかけたるなともなへての様には見えすあけて御経を見れは紺地の表紙に水しやうの軸こと
よいときへ 机たりしみんのし程れきする経もて女るあくかはかいとな房 一との巻より次第にへり出してなら置たり るにみ紙を此女房御経しきなからかんつら︵む︶□︹虫損︺ んしめをりめせ都僧経てす机︵け︶むたいとよ きりなくと "!くし
!"きもつふれ心にくし
香ろなといたつらにあれともわさとしからんためにしきみ一枝とりよせて鐘うちならし何となきやうに三度礼拝してしのひやかに当座に源氏の目録をむすふ かねうちならしてたひて候へとしんをおこし候はんするかためにてこそ候へとおほせらる法印さ様の御こゝろさしにてこれまて御渡候はん御事をむなしく御帰候なはかへりて邪見なるやうに候へはかねをこそうちならし候はめと申せはよろこひて御経とりよせさせけり女房中けんをめして御経はこをめしよすくやう香のかなつかしくにほひ出ていとゝむねうちさはきけり経箱はいかけ地にまきてれんさにふくりん白かねにてをきたりふたをあけたるをみれはたみかへしたるへう帋に水精の軸をしたりなかもかゝやくはかりなり
この女房経をとりいたしてしき紙をせすしてならへをくこれをみるにいとゝ心にくゝそおほえける持佛堂へと申
見もなか
!"こと
う申三礼以下つねの事なはれすちやすたにいうすはよお とすうやくてりを枝のみきし はれな爾卒もとな爐香 "!せよりとをりかは瑩磐はれけして 濳︵﹂白表氏源﹁︶︵﹂白表氏源﹁︶ 潭 とはかりにて鐘うちならし机をしのけつ尼御前袖をしほることのなのめならす女房もふしめになりまほりより白きうすやうにつゝみたる砂金百両とりいたしさしをく僧都これをみるにたゝ人にはおはせしと思けり女房車よせて出たまふ 供養おはりぬれはかねうちつくへとりのけぬさて尼御せん袖をしほりつゝ砂金十両とりいたして布施にしつ
女房御車よせよとといふ二人のりてかへりにけり
澂
僧都さふらひ法師よひて車のいたらむ所を見□︹虫損︺ためてかへれといへは見かくし
!"てよ所白て出へくもに程行おに一條 くしをえけれはさふらひし一人めほよせてこの車のゆかんお かゆかさて法印さるにてもいなてるひとならんと心にゝりか
!"くに程くゆてつにしきかすはかつてとよ入みみ 氏子草養供実源﹃蔵院相﹄
― 112 ―
この対照表に基いて︑実相院蔵本と赤木文庫蔵﹃源氏供養草子﹄と比べ︑どのような相違点︑あるいは共通点があ
るか︑例えば列挙すると次のようである︒
1
漓ては実相院蔵本と比べ︑蔵安居院法印の出自と経本庫の応条︑実相院蔵本や承二文年写本にはない︒赤木歴
を示すとともに︑智徳を備え能読の高僧であったという冒頭の人物紹介が詳しい︒
2さらに
漓ざとは﹁権化のしは﹂たであり﹁誑言綺語﹂こいの︑条︑赤木文庫蔵本は法て印の﹁説草﹂に優れと
いいながら﹁解脱の縁﹂となりうることを物語をもって示すものであると︑この物語を仏教の側から意味付けしてい 河のかたへやる法性寺北を東さまに花園へやる程に日も暮ぬくさかはのひんかしの辻南むきに家門とおほしくてもろおり戸のあるうちにからもんたちたる御所へ見いれぬ 暮かゝるほとの事なれは夜中はかりに法勝寺の東うらにくさかはといふ所にそいりにけり
潼 その邊の人これを准后の御所と申さふらひほうしかへりて此よしを申にこそ中の関白の御むすめなれはことはりとおもへともおもひの外なる事もあるそかし始よりたゝ人とおほえさりつるなといひけり こまかにひとにとひきゝて帰りて法印にかたりけれはさる事ありやむことなき上臈にておはしませはことはりとはおもひなからいうけんなりつる御けしきかなと心にかゝりてそおほえける 潘
准后の宮もせいかく説法よくし給といふこと今にはしめぬことなれとも凡夫のしわさともおほえす当座にて源氏をおほえてすこしもとゝこほることなく次第の巻を一巻も落さすめいくついくを引合てとりあへすする事たゝ人のわさともおほしめさす不思議のことにおほしけり御佛事のたひ毎にめされて法印も参り給けるとそ聞ゆる也 せいかく説経よくすといふことはものすそにおちたることなれといかなる事にか
人のしわさとこそおほえねとおほしめしけれは御佛事ありけるにめさるほうゐんも□心にかゝる事なれは他事をわすれてまいりけり
澎
そののちいかなることかありけむおほつかなし
― 113 ―
実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
る︒赤木文庫蔵本の唱導資料としての性格に対して︑実相院蔵本や承応二年写本などは読み物としての性格に傾斜し
ているといえる︒しかしながら︑唱導資料としての性格が本書の原態であるかどうかは不明である︒
3赤木文庫蔵本は︑物語全般を通じて法印を動作主として叙述する形式が一貫している︒赤木文庫蔵本や︑2赤
木文庫蔵﹃源氏供養物語﹄はともに
!僧伝
"とは本写年二応承や本蔵院相実︑るとべ比にれこ︒つもを格性のてしど
ちらかというと︑尼御前の物語としての性格が強く︑特に実相院蔵本は
!准后の物語
"としての性格をもつところに
特徴がある︒
4
滷べるあで細詳が明説の部内房僧て比の本条︑実相院蔵はに赤木文庫蔵本︒
5
澆いの音がしたことにつて牛︑東側が東塔の谷であ車にの木条︑実相院蔵本は赤文前庫蔵本に比べて︑門のる
のに不審であるという説明が加わっている︒赤木文庫蔵本は
潺るとだ審不で味意ういとあので稀が人るれ訪︑で条す
る点が異なる︒
6
潸接狽し僧が尼御前に直対が面せざるをえなくなっ狼師の木条︑実相院蔵本は赤文法庫蔵本に比べて︑承仕た
と説明している点が強調されている︒
7
澁尼称讃するとともに︑御舞前の﹁幽玄﹂なることを振の︑条︑赤木文庫蔵本は尼や御前付きの女房の容貌地
蔵菩薩の如くであると称讃している︒このような表現は赤木文庫蔵本だけに見られる︒﹁幽玄﹂という語を用いた︑
尼御前の人となりを表現する叙述は︑
澀や 潼の条にも用いられている︒
・物いはんと覚しくてかほうちあかめたたるけしきいはんかたなくいうけんなり︵
澀の条︶
・やむことなき上臈にておはしませはことはりとはおもひなからいうけんなりつる御けしきかなと心にかゝりて 実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
― 114 ―
そおほえける︵
潼の条︶
この﹁幽玄﹂という言葉は中世語彙であり︑実相院蔵本や承応二年写本には認められない︒その事実は逆に︑実相院
蔵本や承応二年写本が平安朝物語の伝統に立っていることを示している︒
8
潯すが僧都に供養を依頼る御にあたって色々と悩ん前尼の本条の後半︑実相院蔵は︑赤木文庫蔵本に比べてだ
ことが説明される点が詳細である︒
9
潛蔵させるが︑赤木文庫本用は持仏堂に移ろうと声意をの本条の後半︑実相院蔵は机︑僧都が承仕法師に経を
かけている点が異なる︒
10
赤木文庫蔵本と実相院蔵本との間には︑表白にも若干の異同がある︒この件について︑詳細は後述する︒
11 澂本する条は︑実相院蔵と追比べて︑簡略である︒跡をの︑条︑赤木文庫蔵本は法前印の遣わした侍が尼御例
えば法性寺から草河に至る経路について︑実相院蔵本には花園という地名があるが︑赤木文庫蔵本にはない︒また︑
侍は尼御前が法勝寺の裏︑草河に戻ったと報告するが︑実相院蔵本は尼御前の邸第のさまについて赤木文庫蔵本より
も詳しく説明している︒また
潼な前が﹁やむごとき尼上臈﹂であった御︑のつ条︑侍の報告にいはて赤木文庫蔵本と
いうが︑実相院蔵本は具体的に﹁准后の御所﹂であり﹁中の関白の御娘﹂であったことをいう︒
12 潘こび表白を作り出したとをを称讃している点が︑結録の都条︑実相院蔵本は僧が目即座に﹃源氏物語﹄の赤
木文庫蔵本よりも強調されている︒
13 澎庫しているが︑赤木文蔵共本は︑法印の後日の消通にの事条︑後日︑法印が仏に者招かれたという点は両息
についても言及している︒
― 115 ―
実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
以上のことから︑1赤木文庫蔵本の僧伝としての唱導性に対して︑実相院蔵本は准后の物語として遊戯性を強くも
つ伝本であると認められる︒
︵ 7 ︶ 実 相 院 蔵 本 と 2 赤 木 文 庫 蔵 ﹃ 源 氏 供 養 物 語 ﹄ と の 比 較
さらに︑2赤木文庫蔵﹃源氏供養物語﹄は︑1赤木文庫蔵﹃源氏供養草子﹄と骨格を同じくするが︑実相院蔵本と
比べて次のような相違点が見られる︒次の段落も比較の上で便宜的に付けたものである︒
実相院蔵﹃源氏供養草子﹄2赤木文庫蔵﹃源氏供養物語﹄
漓
あこ院のせいかく法印の房はにし東二ところにありひかしの坊はしつかにて常に人なし心をしつめてせつ経なとあんする所なりせめんといふ承仕法師そひとり住けるにしの房は弟子ともあつまりて常に学問し客人なとにあふ所なり又おくの坊とて女房たちゐてうちくの事ともする所也
滷
ある時三月中比聖覚大僧都といひし時せつ経あむしてひんかしの坊に素絹の衣のはた袖もなきに布けさかけしりきれはきてゑむ行道しける程に東のかたより東の音しけりひかしはとう
と車此の前に門をゝめてこと たて耳を程てゝ聞にほえおしくやあ "!むとのたにゝて車なからよはとにいかなぬ
!"しく敲く りの前にや門いれてをたゝ坊く り東てし音の車よ方の んのきんはしに諸ゑるましくけあに経 のぬき衣ののはた袖きなきに布もけなさはしてらうけか 印めしはのひよやは比法 澆
いかなる人にかと驚きせめんといふ承仕に門をたゝくはきかぬかといへは居眠けるかねをひれてしさいをとはすさうなく あやしや誰人なるらんたつねはやと思ひて承仕をよひぬされ共 実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
― 116 ―
あはつさうなく門の内へくるまをしいるゝほとに 潺 僧都車寄のつま戸へにけ入てのそきけれは大へえうの車け色なるにそめきたれる下簾なかやかにかけてしらすつのなる牛のひたいしろなるをきよけなる牛かひゆくゑたちたり真垂きたる中間五六人はかりともにあめり門をゝしあけてはやらかにやり入ぬ 法印これをみれは八葉の車の尋常なるにしたすたれかけてひたひしろなる牛にひかせてとくさ色のかりきぬきたる牛飼この車をやりいれて 潸
僧都は誰ならんとおもへともせめむはにけ入ぬ又︵と︶はすへき人もなけれはめもあやにのそきゐたるかけ︵は︶つしてやかて此妻戸へよす女房なめりとおもひてみつから車寄のむしろをさしいつれは中間妻戸のとひらをたてよせつ
澁
おりたる人をみれは廿二三はかりなる女房紅のはかまにうすきぬきたるをりたり僧都のそきゐたる程に又おるゝをみれは廿四五はかりなるあま御前いろしろくこまやかなるかはたに
薄かきの小袖おりすみ染の二小袖白きはかまをきてやゝら立たる 車よりおるゝをみれは年廿二三ほとの女房紅の裳はかまきたりさて人をかしつきおろすをみれはとし卅四五はかりの尼御前おりてくるまよせにいりたまふをみれはけたかくあいきやうつきたるありさま誠に桃顔くるゝ春をおしみて匂ひすくなく楊柳風になひきたる風情なりたゝ大方の人とはみえすはたにはうすすみそめの二つ小袖にしろきはかまおなしきぬきたりはもとかねくろにして口のうちにほやかに霞の花のほころひたるにことならす 澀
僧都中の障子をあけてにけ入いかなる人にかとおほつかなさにこはつくろへは此女房物申候はんといふ何事かはとこたふるに東山のほとりより申へき事候て人のいたり候といふこれは誰もとゝておほしめしたちて御わたり候やらむといへは女房すこしあやまりたる気色にてこれはせつきやうせさせ給僧都御房のもとかとて御とものものとも御車いれまいらせて候ひかことゝやらんといふ 女房物申さんといふなにことにかとのたまへは申へきこと候て
― 117 ―
実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
時に僧都説経なと時くつかまつれとも東山のほとりよりたれこそ御いたり有へしともおほえすといふ ひかし山の辺より人のまいらせ給ひて候といふ 潯 女房うるはしき人なとこそひかし山のたれといふことは候へふしきの谷のそこなる人なれは申ともしり給はし又名なとあるほとのものにてもさふらはすけ︵さ︶んして申候ゝやといふ これはたれかしの坊とて御わたり候やらんといふに説経せさせ給ふ法印の御坊とて尋ね入せ給ひ侍るよしこたふ 潛 その時僧都ちとよきとおほしき衣にきぬのけさかけて障子のそへにゐよりたる気色なりこれは物はちなとすへきものにても候はす唯障子をあけて申候はんといふ女房たにもはちさらむに法師の物はちすへきやうなけれはひろらかにあけつあま御前対面とおほしくて北むきにゐたるが西むきにちとゐなをりたるかほことからみるにたゝ人ともおほへす物いはむとするに耳のかた次第にかほのかたへあかみてつゝましけなる物から 扨もいかなる御かたそとのたまへはいふかひなきさまなれは申ともよもしらせ給ふへからすとて 濳
申につけてはゝかりあることなれともおさなくより源氏と申さうしをふかく心にそめておもしろくおもひしか
去年の春の比よりおもひしたる事候てかゝる身になりていまはおもひまする事なく後の世のことを︵心︶にかくへきに見馴し事のわすれす心にかゝりて
その巻にはとあることのありしなとおもはれて念佛のまきれとなりぬへきかつみふかき事とおもひしられ侍てそのさんけのために此品をみつからもかき人にもかゝせてあまたさふらひしをことさらやりて経の料紙になしてみつから法花経一部かきて候我身人数ならは案内をも申てこそあくへきにかゝる身のありさまなれは御わたりあらんこともかたし御布施なともかなふへくもなけれはさりとていふかひなき山てら法師なとに申あけさせむもいたはしくて結縁なとはさの 尼御前のたまひけるは思ひより侍らぬ事にて候へ共われわかくありし時より源氏物語に心をいれおもしろき事にしてあけくれみたりしにこその春の比思ひをしたる事ありてさまをかへし後は一すちに後の世のことをのみかなしく思ひてひとへに弥陀の名号をとなへ侍れとも源氏の事か心にかゝりてあはれ其巻にはいかなる事かありし物を此まきにはかはかりの事をみし物をと思ひまことにまうしうともなり侍れはいとゝつみふかくおほえて手なれし本をみなやふり経のれうしにしてわれと法花経一部かきまいらせたりねかはくは供養してたひたまへとのたまひけり 実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
― 118 ―
みこそあれとおもひて参て候かたはかり鐘うちならしたひさふらひなむにやといふ 潭
僧都いふやう生覚説法なとをもつて世をわたることみな人しろしめしたることにてさふらへとも佛を供養し経をさむたむし候やうはかねておほせをかうふりてこそ表白
一筆も案してつかまつる事にて候へたゝ今御前にて申あけよといふおほせことなむきに仰候と申あま御前何かとことくしく有へきやうも候はすたゝそれに申あけさせ給て候とたにもおもひ候はゝ信をおこしてこそ候はんつれちと鐘うちならしてたひ候へといふ誠にこれ程の御心さしにて候へは御かへり候はんこと又は邪けんなるやうに候さらはこゝにてかたのやうにもつかまつり候はめといふよろこひて女房中間をめして御経箱をとりよせたりをり物のふくろのなへてのさまにもにぬこゝちするに名香のにほひみちたる御経箱とりいてたるをみれはいかけちに蒔絵てはちすのちり花を貝にすりてかうけむしやうに銀のふくりんかけたるなともなへての様には見えすあけて御経を見れは紺地の表紙に水しやうの軸ことくしくきとくなり僧都せめんをめして経机︵け︶むたいとりよす 法印申されけるは
佛又は御経なとくやうさむたむ申ことはよのつねの事にて候へ共源氏なとを此御きやうになすらへてくやうしまいらせむ事こそ有かたけれと申されけれはさまてのことまては思ひもより侍らすたゝ結縁のためなれは一磐をならしてたひ給へとのたまひけれは
澂
此女房御経しき紙なからをかんつら
︵む︶□︹虫損︺みるに一の巻より次第にとり出してならへ置たりすきれんしの経机みしりたる程も女房なといかてかくはあるへきといよ
てにさとしからんためしもきみ一き御のこ印わと法やきをにむた佛をう香れろなといたつらにあ "!やしかゝくはかりりなくに心れふつもき 帋かくしたる表へにすひしやうたみのりあたしをたりちも にの香したはなはひほ明 へ見たはま いたりとうやきし をけ女こつてりいま御ちも房うきやうしたるはこより御はこ
― 119 ―
実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
枝とりよせて鐘うちならし何となきやうに三度礼拝してしのひやかに当座に源氏の目録をむすふ しきみのはなひとえたとりもち三礼してけひうちならして 潼︵﹂白表氏源﹁︶︵﹂白表氏源﹁︶ 潘
とはかりにて鐘うちならし机をしのけつ尼御前袖をしほることのなのめならす
女房もふしめになりまほりより白きうすやうにつゝみたる砂金百両とりいたしさしをく僧都これをみるにたゝ人にはおはせしと思けり女房車よせて出たまふ と廻向し給へは尼御前感涙にたへかね御袖をしほらせ給ふちやうもんしたてまつる人々も涙をおさへかねけり御布施とおほしくて砂金十両銀の台にすへて法印の御前に置
御車よせよとて出さへ給ひけり
澎
僧都さふらひ法師よひて車のいたらむ所を見□︹虫損︺ためてかへれといへは見かくし
にたか戸のあるうらもんちちぬる御所へ見いれた きむ南ん辻のしかにお門とおほしくてもろのりひ家はさくか に法性寺北を東さま花に園暮もぬ程るやへ日 るやへたかの河 !"條白に程に一行おててへ出も もいかなにる人てまにてめるさはるけししほお印法し
ぬ人ひて承仕一ま車に付てゆき尻 みころをよくれてかへとのたんとらつのまるく此てけを人い 心にえ御とゝかれりておほけるはそ "!け
日もくれかた法勝寺の東草川といふ所に入ぬ
澑 その邊の人これを准后の御所と申さふらひほうしかへりて此よしを申にこそ中の関白の御むすめなれはことはりとおもへともおもひの外なる事もあるそかし始よりたゝ人とおほえさりつるなといひけり くはしくたつぬれは准后宮と申てやんことなき人にてわたらせたまふといふこのよしかくと申せは法印きゝたまひてさる事あり中の関白とのゝ御むすめにてましますよしきゝしそかしさこそと申なからまことにゆふけむにこそ有つれと御こゝろにかゝりておほえけり 濂
准后の宮もせいかく説法よくし給といふこと今にはしめぬことなれとも凡夫のしわさともおほえす当座にて源氏をおほえてすこしもとゝこほることなく次第の巻を一巻も落さすめいくついくを引合てとりあへすする事たゝ人のわさともおほしめさす不思議のことにおほしけり 准后宮も又聖覚諸経のことは世にもたくひなしときゝつるに扨も世法にもわたり当座にかくすこしのとゝこほりなく巻の次第おとす事なく敬白しつる物かなたゝ人のわさともおほえすとつねにのたまひいたされて供養の時の面影ひしと御身にそみておほしめされけれは 実相院蔵﹃源氏供養草子﹄
― 120 ―