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天台山の詩歌(其六)―盛唐(中の上)―

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(1)

天台山の詩歌︵其六︶

︱盛唐︵中の上︶︱

薄井俊二

埼玉 大学 教育 学部 国語 教育 講座

キーワード:天台山︑天台集︑漢詩︑仏教文学︑道教文

(2)

はじ めに

本稿は︑天台山に関わる詩歌について検討を加えることを通し

︑当時の人々の天台山に対するイメージとその変遷を考察し

とするものである︒今回は︑盛唐期の詩として李白の作品十二

︵天台山に関わらない詩二点を含む︶を取り上げる ︵1

●凡

李白の 詩は 内容 から

﹁李 白自 身が天 台山 を訪れ たこ とを 契機 とす もの

﹁李 以外 の人 間が 天台山を訪

れることに関わるもの

﹁神 しての天台

山を詠う

岳を描 く絵画 に関わる

もの﹂に

分け

る︒本稿では︑紙幅の関係から︑A全一部を取り上げる︒

・凡例は︑以下以外はこれまでと同じ︒

・韻は︑平水韻で示す

台山の詩︵其六︶︱︱盛唐︵中の上︶

李白自身が天台山を訪れたことを契機とするもの

︼同友人舟行遊台越作

35

人と同に舟行して台越に遊ぶの作

李白

☆天集︵以下﹁前集︶巻上

全唐詩巻一今図書集成︵以巻一二五本巻一

注本巻二 ■本文と訓訳

楚臣 江楓

いた

謝客海月を拾

沙を懷にし瀟湘を去

溟渤 かかうか

前跡

ああわれおとな

獨り往き

髮に らんと

いた

古人攀づべからず

去る こと 浮雲 の没 する がご とし

願はくは倒景を弄 ここ

此より眞骨を錬らんこと

華頂 に絶 溟を 窺ひ

蓬壺 に超 忽を 望ま

知ら

わた

但だ怪し

緑芳 の歇

むを

空し く釣 鼇の 心を 持ち

此よ り魏 闕に 謝せ

■文字の異同と

題を︑王注本は﹁同友人﹂とする︒

■語注

○友 人⁝

不詳︒

台越⁝今

浙江省

あた り︒

○楚臣 傷江 楓⁝﹁

辞﹂招

﹁湛湛 江水 兮上 有楓︑

極千里兮

春心﹂

とあ る︒

○謝客

拾海 月⁝謝 運﹁

遊赤 石進

文選﹂

二二︑拙稿﹁其二﹂

に﹁揚帆采石華︑

(3)

挂席拾

﹂とある

︒○溟渤⁝

暗い海

﹁荘子

﹂逍遙 遊に﹁窮

髮之北有

冥海

︑天 池也

﹂とあ る冥 海に 同じ︒

窮髪⁝

前注

︒世界 の果 て︒

○倒景

遊天 台山賦

﹂に

﹁天台 山⁝

⁝或 倒景於

溟﹂とあ

︒○緑 芳⁝

不詳

諸注 に見 えず

︒大 野は黒 髪︒

若さや

生命 力を 表すか

○釣鼇⁝

列子﹂

に︑大 海の 中の 神山 を支 える大 鼈が いたが

︑あ る大 人がそ を一度に

釣り 上げ てしま った ため

︑神山 漂流し

てし まった とい う話 がある

贈薛校書

本巻八︶

に﹁未誇

觀濤作︑

空鬱釣 鼇心

高丘而 望遠

﹂︵宋本巻﹁六鼈骨已霜︑三山流安在﹂ある魏闕⁝王の宮殿

荘子﹂

譲王 に﹁

中山 公子 牟謂瞻 子曰

︑身在 江海 之上

︑心居 魏闕之

如何﹂とある︒

■口語訳

楚の臣下であった屈原は︑江のほとりの楓を見て心を傷ませ

謝霊運は海月を拾いに行こうとし

その 後︑

屈原 は砂 礫を 懐に 入れ て瀟 へ入 水し

霊運は蓆を帆としてかかげ︑大海に浮かん

ああ︑私は前人の足跡をたどり

船でひとり行き︑世界の果てまで行こうとしている

しか し︑

古人 の跡 はた どる こと がで

雲が消えてしまったように︑遠く去ってしまっ

こと は︑船 を浮 かべて

︑水 に逆 さまに 写っ ている 天台 山の 姿

を弄

真の 骨相 を鍛 錬す るこ とだ

頂峯から遠い海原を眺め

蓬莱山から遙か彼方を遠望しよう 春の日々がいつまで続くかは分からないし

緑芳が尽きてしまうかと怪むしかないのだ

おお さに も︑大 海の 中で 神山を 支え ている 鼈を 釣り 上げよ うな どと いっ た志 を抱

王には別れの挨拶をして︑江海に浮かぼう

■解説

字は

月・

渤・髪・没・骨・忽・

歇・闕﹂で︑入声六月の

韻︒五言古詩

大野・安注とも天宝六年︵七四七︶の作とする︒

題名 及び 本文に 華頂 峯の 語が見 える ことか ら︑

天台 山を訪 れた を契 機と する 作だと 見て よく︑

彼が ここ に至っ たこ とを示

証左の一つであろう︒

俗を離 れて 天台 山を含 む台 州へ向 かお うと してい る︒

それは 屈原や謝霊運をなぞる旅だが

願言弄倒景︑從此錬眞骨︒華頂 窺絶溟︑蓬壺望超忽﹂の句が注目される

倒景﹂は注に見える

が天台山を指華頂峯から深い海を窺うというこれらの語は

がこ れか ら向 かうの が確 かに天 台山 であ ること を示 してい る︒

﹁錬眞 骨﹂

とは

︑彼の 地で 道士と して の修 養に励 むこ とが

問の目標であることを表後に蓬莱山に至っていること

の成 果とし て仙 境に登 るこ とが あるこ とを 示して いる

︒天 を訪 ねる 旅は

︑名山 遊行 を目的 とし たが

︑更に 仙道 修行が その 先に 見据 えら れて いる ので ある

︼天台曉望︵題桐柏觀︶

天台曉望︵桐柏觀に題す︶

36

(4)

李白

☆前集巻上︑天台勝蹟録︵以下﹁勝蹟録︶巻三︑周本︑許本巻

★天台山方外志︵以下﹁方外︶巻二八︑全唐詩巻一八○︑

一二五

︑馬大品

等撰﹃中

国仏道詩

歌総彙

︵以下

﹁仏道 詩歌

宋本巻一九︑王注本巻二一

■本文と訓

天台四明に隣

華頂 百越 に高

門は

赤城 の霞

しる

樓は滄島の月 やど

高き に憑 りて 遠く りて 覽れ

直下に溟渤を見る

雲垂れて大鵬 ひるがえ

波動 きて

巨鼇没せん

風潮 爭ひ て洶 湧し

神怪

何ぞ 翕忽

奇を 觀て

はて

道を 好み

歇ま

條に攀じ

珠實 を摘

藥を服し金骨を錬

安ん ぞ得

羽翰を生

千春 蓬闕 に臥 せん こと

■文字の異同と校勘

題を︑

前集

﹁題 桐柏

︑勝蹟

録・方外志は﹁桐柏観

︑宋本

は﹁

天台暁

︹呉中︺王注本天台曉望する︒﹇高百蹟録作不可越︒﹇

方外志

﹇憑高遠登

覽﹈勝蹟

録・方外志作憑

危一登覽

︑古今 作憑高一

﹇波 動﹈

勝蹟 録作

﹇鼇﹈勝蹟録

・方外志・全唐詩・

・王注本

風潮

﹈方外 志・古今

作風濤

爭﹈勝 蹟録・方

外志・

古今作常

奇跡無 倪﹈勝蹟

方外志・

古今作恰情

觀斯

﹇珠

﹈宋本・

全唐詩・

王注

本作朱宋本・勝蹟録・方外志・全唐詩・古今・王注本作千春

勝蹟録・方外志・古今作千秋

■語

○題⁝宋代

明代の文献

では﹁桐

柏観にて

李白の 詩文集で

は﹁天 台での暁 望﹂

と題 されて た︒孟 浩然 に﹁

舟中暁

望﹂

と題す る詩 があ り︑

李白 それ を意 識して いた のかも れない

︒孟 には また﹁

宿天 台桐柏 観﹂

と題 詩もあ る︒

○四 明⁝四 明山 は天台

に隣接 する 名山 だが︑

孫綽

﹁遊天 賦﹂に

登陸則 有天 台四 明﹂と ある ように

天台山 と併 称さ れる︒

赤城

⁝孫綽﹁

天台山 賦﹂

に﹁

赤城霞

起而 建標﹂

とあ る︒

実際 に赤 山は

︑天 台県城 ら天台山

入る入

り口 にあ たり︑

あた かも門

︑あ るい 識をな して いる かの如 である︒

樓⁝も ちろ ん人 工建造

物を 意味す

︑天 台山 には瓊 台と いう 自然が 造っ た楼閣 される とこ ろも ある︒

を意 したも のと 解した

︒○

滄島

⁝仙境

であ る滄州 同じだ ろう

︒孟

﹁宿天台桐柏観﹂詩に尋滄洲の句があ︵拙稿﹂︻

29

見溟渤

⁝天 台山 の華頂 は︑望海

とも呼 ばれ

︑そ こから

海が 見渡せ 伝え る︒

雲に覆 われ がち な華頂 からは雲

を見下 ろす こと もあっ

(5)

で︑眼 下に 広が る雲の を︑実 際の 海と重 ね合 わせ て捉え られ たので

ろう○大鵬荘子逍遙遊の大鵬説話を踏まえていよう○巨鼇⁝

湯問に大海に巨鼇がとの説話がある︒︻既出○翕忽⁝早い様

35

■口語

天台山は四明山の隣りにあり

その最高峯の華頂峯は越の国々の中に高く聳えている

城山にまとわる霞は天台山の門標のごとく

高殿のごとき聳える峯には︑仙境を照らす月が宿ってい

高いところに登って遠くを眺めれ

真下 に大 海原 が見 せる

垂れ込めた雲は大鵬が羽翼を翻しているのであろう

波の中には巨大なスッポンが潜んでい

風と 潮が 争っ て沸 き立

訶不思議な変化が次々と起こっていく

こうした奇景を見ていては思いは果てなく

道を 求め る心 がや むこ とは ない

境の玉樹に手を掛けて登攀し︑その珠の実を摘んで食べ

仙薬を服用し︑身体を霊的に堅牢にす

どうにかして体に空を自由に飛べる羽翼を生や

千年 もの 長い 間︑

仙人 の館 で眠 たい

■解説

字は

﹁越

・月・

渤・

没・

歇・骨

・闕

﹂で

︑入声 六月 の韻︒

言古詩︒青木に訳注あり︒

大野は天宝元年

七四二

の作とし︑加

藤はそ れに従う

︒そう あれば︑

玄宗に召

し出され

た頃とな

る︒安注

天宝六年

︵七四 七︶

の作 とする

︒そう であれば

︑朝廷 から放 逐さ れ︑新たなつて

を求めて遍歴していた頃の作となる︒

初め の四 句は 天台山 を概 説する

︒門 と楼 につい て︑

本稿で は天 にあ る自 然物 の︑赤 城山 と瓊台 など の巌 と取っ た︒

しかし

らを 李白が 宿泊 して いる桐 柏観 という 建造 物の

︑門と 楼閣 ことも でき よう︒

中間 部分 の六句 では

︑天台 山か らの 眺めを 述べ

︒大 野は︑

ここ は想像 であ り︑

実際の 眺め ではな いと する

藤は実体験を踏まえたものと取る綽の賦や︑﹁荘子﹂﹁

の説 話を踏 まえ た表 現を織 り込 んでは いる が︑

題から 見て が実際 に天 台山を 訪れ て滞 在し︑

そこ でなに がし かの 実体験

それを 踏ま えて 作られ たも のと 見る方 が妥 当であ ろう

︒そ

︑天 台山 を訪れ

︑華 頂峰 などの 高所 から遠 くや 下界 を眺め は︑

眼下に ひろ がる雲 海を 見て いるう ちに

︑あた かも 大空 大海 を見 下ろ す鳳凰 にな った気 持ち にな ってい く︒

そして その 仙世界 へと 昇っ ていく こと を夢想 する のが

︑最後 の六 句︒

の詩 にお ける 天台山 は︑

詩人が 実際 に訪 れた場 所で

︑下界 ろす 高山で あり

︑仙界

・天 界へ の入り 口で ある︒

眼下 に広 雄大 な光 景を 眺めて いる 作者は

︑や がて 自らが そこ から神 仙世 至るこ とを思う

實﹂

﹂は天台

山におけ 道修 養を 表し︑

その 目的は

﹁錬 金骨

﹂して 昇仙 する ことに

るわけである

(6)

︼早望海霞邊

霞の邊を望 つと

37

李白

前集巻

★全唐詩巻一八○︑宋本巻一九︑王注本巻二一

■本文と訓

四明三千

赤城の つと

出で

紅光 散じ

輝を分か

雪崖 を照 らす

一餐

瓊液を嚥めば

五内 に金 沙發

首を舉ぐるはの待つ所ぞ

青龍

白虎 の車

■文字の異同と校勘

宋本・全唐文・王注本作朝︒﹇紅底本作倣全唐文・王注本改

嚥﹈

王注 作咽

首﹈

宋本

・全唐詩・王

作手︒

作得︒倣

全唐詩・王注本改待

■語注

○首⁝諸本では﹁手を挙げる﹂ことになる︒

■口語 明山は三千里にもわたり

朝早々に赤城山から立ち上る霞におおわれ

やがて太陽が昇ると︑その光が霞に映えて紅の光が発

かれ散っては︑雪の積もった崖を照らし出していく

とたびでもその輝く霞をくらい︑玉の液を飲むならば

五体内部に黄金の砂もできるだろ

頭をあげて待ち望んでいるの

れに 乗っ て仙 界を自 由に 飛び回 れる

︶青 龍と白 虎の 牽く車

ある

■解

韻字は﹁霞・沙・車﹂で︑下平六麻の韻と

﹁崖﹂で︑上平九

佳の韻︒五言古詩

大野は天宝元

︵七

の作と

︑加藤 もそれ に同じ

︒安注 天宝六年

︵七四七︶

作とする︒

ずれに せよ︑

用語の 類似性 から

︼と 同じ 時の もので はな いかとされる

︼同様︑李 36

36

白が実際に山岳を訪れての体験を踏まえた作品であろう

の詩で は四 明山を 歌う が︑

この山 が︑

赤城 山から 立ち 上る霞 われた 姿が 描か れてい る︒

早朝に 霞む 海の あたり を望 む︑

う題 から

︑四明 山を 遠く から眺 めた 実景と して 設定 されて

ると考えられる︒

を蔽う きら きらと 輝く 霞は

︑神仙 へと 昇華す る仙 薬と されて おり

ここ でも 天台 山は︑

仙界

・天 界へ 至る 入り 口と され いる︒

そしてその﹁瓊液﹂を﹁嚥﹂むことで

五内﹂に﹁金沙﹂が生

昇仙することができるのであるこの詩でも天台山︑︻

35

(7)

︼同 様︑

仙境へ 昇る ための 仙道 修養 の場と 捉え られて いる 36

いえよう

︼贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊

38

判官に贈る

時に 歸隱 し︑

廬山 屏風 疊に

李白

☆前集等収録せず

全唐詩巻一七○︑宋本巻九︑王注本巻一○

■本文と訓訳

別る

黄鶴

たり

淮海の秋

倶に 飄る 零落 の葉

各おの散じて庭に流

中年

相ひ見え

蹭蹬 とし

呉越に遊

何れの處

君を 思ふ

天台緑蘿の月

會稽 風月 好し 却っ溪を遶りて迴

雲山海上より出で

人物

鏡中より來

たび浙江をて北 わた

十年

楚臺に醉へ

荊門

屈宋を倒

梁苑

鄒枚 を傾

だ我が 誇誕 を笑

はなは

知音 安く にか 在る

大盜鴻溝を割

風の秋葉を掃ふが如

吾は 代を 濟ふ の人 に非 ざれ

屏風疊に隱れん しば

中夜

天中を望

君を 憶ひ 君に 見は んこ とを 思ふ

明朝

衣を 拂ひ て去

永へ

と群 せん

■文字の異同と校勘

宋本をとす﹇中夜本作中望︒倣全唐詩・王注本改中夜︒

■語

王判 官⁝

不詳︒

○黄 鶴樓

⁝湖北 省武 昌郊外 ある︒

○淮 海⁝

今の江 州一

︒○屈 宋⁝

屈原と 宋玉

︒○

梁苑⁝

漢の 梁王が った庭 苑で

︑鄒

・枚 乗らの文士

を集めた

知音⁝心

の通い合

った友

﹁列 子﹂湯問

に載 る︑伯 牙の 弾く 琴の音 聞いただ

で︑鍾 子期 が伯 牙の気

持ち を理解 話に 基づ く︒○

大盗

⁝安 禄山を すという

が諸注 の一 致し た意見

(8)

溝⁝﹁

史記

﹂に よれば

秦を倒 した 項羽と 劉邦 は︑

鴻溝と いう 場所を 中国 を二 分して 統治 した という

○拂衣

⁝帰 隠する こと

︒謝 霊運﹁

徳詩

文選﹂

巻一

︶に

﹁高 揖七 外︑拂衣五湖

﹂と ある︒○海

﹁列 子﹂

黄帝 に︑

無心に 海浜 でカモ

メと 遊ん でいる がいた︒

る時彼 親に命 じら れ︑

カモ メを 捉えよ うと いう意 図を 以て 海浜に ると︑カ

メは近寄って来なくなったという話を載せる︒

■口語訳

昔︑黄鶴楼で君と別れ

うだつの上がらぬまま蘇州あたりをさまよった秋の日々

落ち葉とともにひるがえ

におちては洞庭湖へ流されていっ

その後お会いすることもなく

あて もな く呉 越を さま よっ

んな中︑どこで君のことを思い出していたかといえ

緑の蔦が絡まる天台山の上の月を眺めていたときだった

会稽 の地 は風 月が よい と聞 再び

溪を溯ってそちらへ向かった

そこでは雲や山が海から浮かび上がっているようであり

人も物も︑映っている鏡の中から出てきたようであった

更に ひと たび 銭塘 江を 渡っ て北 行き

れから十年︑楚の地で酔い痴れていた

楚の荊門山あたりでは屈原や宋玉を圧倒する詩を作 苑のあたりでは鄒陽や枚乗を凌ぐほどの才能を示した

しかしそうした私をホラ吹きだと笑うものばか

私の才能を理解してくれる人はどこに行ってしまったのか

んな中︑大泥棒が国家を二つに引き裂いてしまい

秋風が落ち葉を払うように世界は無秩序に陥ってしまっ

しかし私は世の中を救えるような人材ではないの

取り あえ ず廬 山の 屏風 に隠 棲し よう

夜半に天の真ん中を望めば

君のことを思い出し︑会いたいと思っ

しかしそれもかなわぬ︒明朝︑衣を払ってこの世から立ち去り

末永 く海

と戯れよう

■解説

韻字は﹁

樓・秋・

流﹂で

︑下平一

一尤の韻︒

﹁越

・月

で︑

六月の

廻・來・

臺・

枚・哉

﹂で

︑上平一○灰の韻

﹁葉・

疊﹂で︑入声一六葉の韻

君・群﹂で︑上平一二文の韻︒五言

古詩︒筧に訳注あり

野・安注とも至

徳元年

五六︶

の作と する︒

七五五 年に勃 た安 録山 の乱の 最中

︑廬 山に隠 棲し ている 時の 作と される

某に 遠くか ら贈 った 詩で︑

世に 入れら れぬ こと を知己 であ に寄 せて 吐露 するも のと なって いる

︒そ して︑

別離 の間に

︑お よき理 解者 であ ると想 定さ れてい る王 某を 思い出 す所 とし

天台 山が 登場し てい る︒李 白自 身が この山 を訪 れた ことを のだが

︑先 の詩 に見た よう な遊仙 的な 雰囲 気はな い︒

ただ︑

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