中 国 朝 鮮 族 お よ び そ の 研 究
e中国朝鮮族について
中国の東北三省︑つまり黒龍江省︑吉林
省︑遼寧省には約二百万人(二〇〇〇年
に行なわれた国勢調査の統計による)の朝
鮮族が居住している︒そのうち約半分近
くは吉林省東北に位置し︑中国︑ロシア︑
北朝鮮の三か国が国境を接する地である﹁延辺朝鮮族自治州﹂に集中している︒延
辺朝鮮族自治州には﹁延吉市﹂﹁図門市﹂﹁龍井市﹂﹁敦化市﹂の他に︑﹁和龍県﹂﹁安
図県﹂などの行政区画がある︒
また︑吉林省南部の﹁長白朝鮮族自治
県﹂は︑一九五八年九月一五日に設けら
れたもう一つ朝鮮族の集中居住地であり︑
自治県には東北随一の高峰である長白山
(別名白頭山︑海抜は約二七〇〇メート
ル)があり︑朝鮮族のもっとも古い定着
の地とされている︒それ以外に︑他の地
域で異なる民族と一緒に混じって住む朝
鮮族のところにも四二の民族郷をそれぞ
れ設けている︒
朝鮮族の起源については︑中央アジア
書 評 佐 々 木 衛 ・方 鎮 珠 編 中 国 朝 鮮 族 の 移 住 ・ 家 族 ・ エ ス ニ シ テ ィ
z73の ア ル タ イ 山 脈 地 方 に 住 む ア ル タ イ 系 の
住 民 が 東 へ 移 動 し て 中 国 東 北 地 域 に 留 ま
り ︑ 古 代 中 国 で は ﹁東 夷 ﹂ の 名 で 知 ら れ
る よ う に な っ て ︑ さ ら に そ の 一 部 が 東 進
し て 朝 鮮 半 島 に 入 り 古 代 朝 鮮 族 を 形 成 し
た と 推 定 さ れ る ︒ 中 国 東 北 地 域 と 朝 鮮 半
島 は 陸 続 き で あ る の で ︑ 古 代 か ら 朝 鮮 族
が 東 北 地 域 で さ ま ざ ま な 機 会 に 活 動 し て
い た と い う の も 事 実 で あ る ︒
中 国 領 内 に 定 着 し て い る 朝 鮮 族 の 由 来
を 大 別 す る と ︑ 三 つ の ケ ー ス に 分 け ら れ
る ︒ ① 明 末 清 初 期 の 一 七 世 紀 頃 ︑ 半 島 北
部 か ら や っ て き た 少 数 の 移 民 ︑ ② 一 九 世
紀 半 ば か ら 二 〇 世 紀 初 期 ま で に 移 住 し て
き た 移 民 ︑ ③ 一 九 三 〇 年 代 初 期 か ら 四 〇
年 代 半 ば ま で の 移 民 ︒ こ の よ う な ル ー ツ
に よ っ て 東 北 地 域 に 移 住 し て き た 朝 鮮 人
移 民 は ︑ 朝 鮮 半 島 と 中 国 を 結 び つ け る 存
在 で あ っ て ︑ 現 在 中 国 東 北 の 朝 鮮 族 社 会
を 形 成 し た の で あ る ︒
一 九 四 九 年 中 華 人 民 共 和 国 の 設 立 後 ︑
一 九 五 二 年 九 月 三 日 に ﹁延 辺 朝 鮮 族 自 治
区 ﹂ が ス タ ー ト し ︑ 後 に 五 五 年 ﹁自 治 州 ﹂
に 改 め ら れ ︑ 現 在 ま で 至 っ て い る ︒ 中 国 政 府 は 一 九 五 三 年 か ら 領 内 に 住 む 少 数 民
族 集 団 に 対 し て ﹁言 語 ︑ 経 済 ︑ 文 化 ︑ 心
理 素 質 に よ る 民 族 帰 属 の 弁 明 ﹂ と い う 民
族 識 別 の 作 業 を 行 な っ た が ︑ 東 北 地 域 に
住 む 朝 鮮 族 に 対 し て は 大 規 模 な 識 別 の 作
業 を 行 な わ ず に ︑ ﹁朝 鮮 族 ﹂ の ま ま で 中 国
の 構 成 員 と し て 中 華 人 民 共 和 国 の 枠 組 に
組 み 込 ん だ ︒ そ れ 以 来 ︑ 中 国 東 北 地 域 に
位 置 す る 朝 鮮 族 社 会 は ︑ 東 北 地 域 で 一 九
四 七 年 末 よ り 行 な わ れ た 土 地 改 革 ︑ 一 九
五 六 年 か ら の 人 民 公 社 化 運 動 ︑ 一 九 六 六
年 か ら の 文 化 大 革 命 ︑ 一 九 八 〇 年 代 の 生
産 請 負 ︑ 一 九 九 〇 年 か ら 始 ま っ た 市 場 改
革 な ど ︑ 現 代 中 国 社 会 が 経 験 す る 道 を 歩
ん で き て い る ︒
口 日 本 に お け る
中 国 朝 鮮 族 研 究 に つ い て
日 本 に お け る 朝 鮮 半 島 の 歴 史 的 ・ 形 態
的 理 解 を め ぐ る 諸 問 題 へ の 研 究 に つ い て
は ︑ こ の 小 稿 で 論 じ る 余 裕 は な い ︒ 一 九
四 〇 年 代 半 ば ま で ︑ 中 国 東 北 地 域 に 住 む
朝 鮮 族 に 関 す る 記 録 の ほ と ん ど は ︑ 当 時
の 満 州 調 査 の 一 部 と し て な さ れ ︑ し か も
系 統 的 な 調 査 と し て は 行 な わ れ な か っ た
と言えよう︒一九五〇年代から一九八〇年代まで︑
中国朝鮮族に関する研究︑特に社会学的
なアンケート調査︑および社会人類学的
な綿密な参与調査は︑中国が外国人研究
者の調査を厳しく制限していたこともあ
り︑皆無に近かった︒一九八〇年代に入っ
てから︑中国華南や西南地域における少
数民族社会・文化に関する研究調査が盛
んに行なわれたのに対し︑北方や東北地
域における少数民族に対するファースト・
ハンドな研究は未開発︑あるいは開発途
中の状態にあったと言えよう︒
こうした未開発や開発途中の状態が改
善されつつある兆徴は︑一九九〇年代に
入ってから明らかになった︒本書にも取
り上げられたり︑引用されたりしている
ように︑例えば︑高崎宗司の﹃中国朝鮮
族‑歴史・生活・文化・民族教育﹄(明
石 書 店 ︑ 一 九 九 六 年 ) ︑ 中 国 東 北 部 朝 鮮 民
族 民 俗 文 化 調 査 団 (代 表 竹 田 旦 ) 編 ﹃ 中
国 東 北 部 朝 鮮 族 の 民 俗 文 化 ﹄ (第 一 書 房 ︑
一 九 九 九 年 ) ︑ お よ び 在 日 中 国 朝 鮮 族 青 年
会 に よ る 研 究 や 中 国 朝 鮮 族 出 身 の 研 究 者
である韓景旭氏の一連の研究等々(紙面
の制限で︑その他の成果は一々あげない)
のほとんどは︑一九九〇年代以後の研究
業績であって︑しかも高く評価できるよ
うな成果である︒
本書に取り上げている研究蓄積以外に︑
次の研究も重要である︒例えば︑鄭雅英
氏 の ﹁民 族 教 育 に み る 中 国 朝 鮮 族 i 揺
れ動くアイデンティティの記録﹂(﹃アジ
ア・アフリカ研究﹄一九九八年第三八巻
第一号︹通巻三四七号︺︑アジア.アフリ
カ研究所)︑および同氏の﹃中国朝鮮族の
民族関係﹄(アジア政経学会︑二〇〇〇年)
も優れた研究と評価されている︒また︑
権哲男氏による図門江地域開発に関する
一連の研究︑例えば︑﹁図門江地域開発の
現状と問題点﹂(﹃現代中国﹄第七四号︑
日本現代中国学会︑二〇〇〇年)なども注
目されている︒
朝鮮戦争勃発五十周年の二〇〇〇年に︑
南北朝鮮首脳会談が開かれた︒朝鮮民族
全体が︑今後︑どのような動きで︑どの
ような方向に向かって行くのかが︑課題
となっている︒一九九二年中韓の国交樹 立以前︑すなわち︑一九八〇年代半ばか
ら東北の朝鮮族の積極的な呼応により︑
韓国企業の中国進出はすでに盛んに行な
われていた︒さらに︑かつて中国の改革
に否定的な態度を持っていた金正日北朝
鮮総書記も中国訪問の結果︑中国の改革
の評価を改めることになった︒こうして︑
南北両朝鮮とも国交を持つ中国︑それに
朝鮮半島と陸で接する中国国内に抱えて
いる独自の朝鮮族社会では︑どのような
社会構造のもとに朝鮮民族としてのアイ
デンティティを顕著にしているのか︑ど
のように朝鮮半島情勢の変容を受け止め
ているのか︑意味深い課題となっている︒
﹃中国朝鮮族の移住・家族・エスニシティ﹄
は︑まさにこのようなタイミングに合わ
せて︑読者の前に提示された︒
二 本 書 の 構 成
編者佐々木衛氏は︑本研究について﹁中
国朝鮮族︑北朝鮮︑韓国の三者関係を︑
お互いに双方的に向かうベクトルで理解
するようになっているのではないだろう
かと推測する︒このようなアイデンティ ティが見られる中で︑中国朝鮮族が韓国︑
北朝鮮と朝鮮族という同じ起点を共有し
ながらも︑中国朝鮮族としての自律性を
どのように形成しているのかという問題
が︑大きな関心を持って問われるであろ
う︒我々の研究も︑ここから出発してい
る﹂と序文で述べている︒これに基づい
て出来上がった成果は︑以下の目次に表
れるものである︒
序 文 中 国 朝 鮮 族 研 究 の 課 題 と
本 研 究 の 概 要
‑ 延 辺 朝 鮮 族 の 社 会 的 性 格
H 本 調 査 研 究 の 関 心 と 調 査 概 要
m 本 書 の 構 成 と 謝 辞
第 一 部 現 代 中 国 朝 鮮 族 の 移 住 と エ ス ニ
シ テ ィ
延 辺 朝 鮮 族 に お け る 周 縁 性 と エ ス ニ
一シ テ ィ
ー は じ め に
H 歴 史 的 経 緯
周 縁 性 m
調 査 村 落 で の 知 見
延 辺 朝 鮮 族 に お け る エ ス ニ シ テ イ 7
書 評 佐 々 木 衛 ・方 鎮 珠 編 中 国 朝 鮮 族 の移 住 ・ 家 族 ・ エ ス ニ シ テ ィ
275二 現 代 中 国 の 社 会 発 展 の 中 の 中 国 朝 鮮
族
1 ﹁延 辺 隊 ﹂ 勝 ち の 意 味
n 朝 鮮 族 の 知 識 人 が 語 っ た 中 国 朝 鮮
族
m 激 動 し た 中 国 近 代 史 を 背 景 に
W 朝 鮮 族 と 漢 族 の 間
V む す び
三 移 動 社 会 と し て の 太 陽 鎮
ー 一 〇 〇 戸 調 査 の 分 析 結 果 か ら
ni
は じ め に
地 域 移 動 か ら 見 た 太 陽 鎮
社 会 的 再 生 産 の パ タ ー ン か ら 見 た
太 陽 鎮
要 約 と 議 論
四 延 辺 朝 鮮 族 の 移 住 と 家 族 ネ ッ ト ワ ー ク
ui
7
は じ め に
太 陽 鎮 と L 村 の 社 会 概 況
L 村 に お け る 朝 鮮 族 家 族 の 移 住 と
定 着
朝 鮮 族 家 族 の 親 族 ネ ッ ト ワ ー ク の
広 が り と 形 態
家 族 ・ 親 族 の つ き 合 い
ま と め 五
VNIIIIII
中 国 に お け る 朝 鮮 族 の 文 化 と 教 育 の
発 展 概 況
第 二 部
一 吉 林 省 延 辺 朝 鮮 族 自 治 州 の 社 会 概 況
‑ 歴 史 と 地 勢 の 概 況
n 民 族 の 移 動 と 人 口 の 構 成
m 現 在 の 流 動 人 口
W 文 化 ・ 教 育
二 龍 井 市 太 陽 鎮 と L 村 の 社 会 概 況
‑ 太 陽 鎮 の 社 会 概 況
n L 村 の 社 会 概 況
三 共 同 調 査 龍 井 市 L 村 の 生 活 と 家 族
ネ ッ ト ワ ー ク
四 ︻共 同 調 査 ︼ 延 吉 市 民 の 家 族 と 生 活
五 ︻共 同 調 査 ︼ 北 京 の 朝 鮮 族 市 民
ー 資 料 3
結語llこれからの研究課題
‑家族のネットワーク
H都市に住む朝鮮族
解 放 以 前
日 本 の 敗 戦 か ら 中 国 の 建 国 ま で
建 国 か ら 文 革 が 始 ま る ま で ﹁文 化 大 革 命 ﹂ の 期 間
改 革 開 放 の 時 代
朝 鮮 族 家 族 の 生 活 と ネ ッ ト ワ ー ク
皿中国朝鮮族のエスニシティ目次に表われているように︑第一部﹁現
代中国朝鮮族の移住とエスニシティ﹂は︑
各章の執筆者が各自の分野と視点に基づ
き︑本研究から得られた知見と資料を分
析する作業のもとに︑中国朝鮮族の社会
的性格︑アイデンティティの構成︑文化
的自律性と変容︑移住と親族ネットワー
クを考察したものである︒また︑中国朝
鮮族の文化教育状況に関する基礎資料も
第一部には収録されている︒
第二部の﹁朝鮮族家族の生活とネット
ワーク﹂は︑本調査の資料編であるが︑
読者が広く利用できるような形態で整理
がなされている︒L村︑延吉市︑北京市
での訪問による聞き取り調査から︑家族
の生活史︑親族のネットワーク︑家族の
行事をはじめとする朝鮮族の生活の具体
的な事実の記録がある︒それで︑調査記
録の内容をできるだけ損なわないような
形式で整理されている︒この小文では︑
紙数の制限によって︑主に第一部につい
て管見を述べておきたい︒
三 第 一 部 構 成 内 容 の 所 見
e 第 一 章 ﹁延 辺 朝 鮮 族 に お け る 周 縁
性 と エ ス ニ シ テ ィ ﹂ に つ い て
執 筆 者 伊 藤 亜 人 氏 が ︑ ま ず ︑ 中 国 朝 鮮
族 は 中 国 の そ の 他 の 少 数 民 族 と 違 っ て ︑
﹁ 一 貫 し て 自 民 族 王 朝 国 家 を 維 持 し て き た
点 で 特 異 な 存 在 で あ る ︒ ま た ︑ 明 清 以 後
の 今 日 に い た る ま で ︑ 域 外 か ら の 移 住 に
よ っ て 新 た な 少 数 民 族 と し て 地 位 を 獲 得
し て き た 点 で も 朝 鮮 族 が 特 異 で あ る ﹂ と
中 国 朝 鮮 族 の 特 異 性 を 強 調 し て い る ︒
氏 は 第 二 節 ﹁歴 史 的 経 緯 ﹂ に お い て ︑
朝 鮮 族 の 移 住 の 歴 史 を ︑ 一 七 世 紀 の 清 ‑
朝 関 係 か ら は じ め ︑ 一 九 世 紀 以 降 ・ 日 清
戦 争 と 大 韓 帝 国 の 独 立 後 ・ 第 二 次 大 戦 終
戦 後 ま で ︑ と い う 流 れ に 沿 っ て ︑ 朝 鮮 族
の 東 北 地 域 移 住 ︑ 開 拓 の 歴 史 的 背 景 や 経
緯 な ど を 概 観 的 に 紹 介 し た ︒
第 三 節 ﹁ 周 縁 性 ﹂ で は ︑ 氏 は 歴 史 的 ・
地 理 的 な 側 面 で 延 辺 地 区 の 周 縁 性 的 な 性
格 を 取 り 上 げ た ︒ 氏 が ︑ 清 国 が 朝 鮮 半 島
か ら の 移 民 に 対 し て 打 ち 出 し た 政 策 か ら
は じ め ︑ そ の 政 策 の 変 化 に よ っ て 起 っ た 清 国 と 朝 鮮 側 と の 国 境 問 題 ︑ 当 時 の ロ シ
ア 側 の 関 与 ︑ そ の 後 の 日 本 に よ る 韓 国 支
配 に 伴 う 韓 国 人 保 護 の 名 目 の も と で の 間
島 (延 辺 地 域 ) を 韓 国 領 土 と 見 な し た 支
配 ︑ と い う 歴 史 時 代 の 流 れ を 通 し て ︑ 氏
が 延 辺 の 地 が も つ ﹁東 北 ア ジ ア の 王 朝 や
国 家 の 周 縁 部 に 位 置 し て き た ﹂ と い う 歴
史 的 な 性 格 を 論 じ た ︒
そ し て ︑ 延 辺 地 域 が 持 つ ﹁周 縁 性 ﹂ の
地 理 的 な 性 格 に つ い て は ︑ 氏 が ﹁こ の 地
方 は 地 理 的 に 見 て も 国 家 ・ 王 朝 の 周 縁 部
に 位 置 し て い る ︒ 住 民 の 多 く は ︑ 空 白 地
帯 へ 移 住 し 開 墾 の 担 い 手 と な っ た 人 々 で
あ り ︑ ま た 清 朝 の 軍 兵 に 編 入 さ れ た り ︑
後 は 抗 日 ゲ リ ラ や い わ ゆ る 匪 賊 に 合 流 す
る 者 な ど も あ っ て ︑ そ の 周 縁 的 状 況 は 明
ら か で あ る ︒ 朝 鮮 か ら 南 部 沿 海 州 方 面 へ
の 移 住 者 は ︑ 農 業 ば か り で な く ロ シ ア の
港 湾 を 介 し た 商 業 活 動 に も 携 わ っ て い た ︒
清 国 ︑ ロ シ ア ︑ 日 本 の 三 つ の 勢 力 の 間 の
緩 衝 地 帯 に お け る 朝 鮮 人 の こ う し た 周 縁
的 性 格 は ︑ 朝 鮮 王 朝 お よ び 日 本 統 治 体 制
か ら の 離 脱 と 流 出 に 起 因 す る そ の 流 動 性
に 注 目 す る と 一 層 明 ら か と な る ﹂ と 指 摘 し た ︒
第 四 節 ﹁調 査 村 落 で の 知 見 ﹂ は ︑ 氏 に
よ る 延 辺 朝 鮮 族 の ﹁流 動 的 ﹂ 性 格 に 関 す
る 考 察 で あ る ︒ 氏 が ︑ 半 島 部 に お け る 朝
鮮 社 会 の 流 動 性 の 高 さ を 指 摘 し な が ら ︑
そ れ と 比 べ る 方 法 で ︑ 延 辺 朝 鮮 族 社 会 の
流 動 性 の 性 格 が 時 代 変 遷 に よ っ て 異 な る
こ と を は っ き り と 示 し た ︒ 評 者 の 理 解 と
し て は ︑ そ の 流 動 性 の 性 格 は 次 の よ う な
も の で あ ろ う ︒
か つ て 流 民 と し て 移 動 し て き た 朝 鮮 人
は ︑ 山 地 が 多 く て 農 地 に 恵 ま れ な か っ た
朝 鮮 北 部 と 比 べ れ ば ︑ 延 辺 地 区 は 平 野 に
恵 ま れ 農 業 に 適 す る こ と ︑ ま た 社 会 主 義
体 制 の も と で は 農 民 の 集 団 化 に よ る 生 産
手 段 と し て の 土 地 利 用 が 保 障 さ れ て き た
こ と に よ り ︑ 定 着 化 を 高 め て き た の で あ
る ︒ し か し ︑ 改 革 開 放 の 体 制 の も と で ︑
延 辺 朝 鮮 族 ︑ 特 に 女 性 に よ る 買 い 出 し が
盛 ん に 行 な わ れ て い る の は 他 民 族 に は あ
ま り 例 が な く ︑ さ ら に 中 国 と 韓 国 と の 国
交 正 常 化 以 後 に お け る 韓 国 系 企 業 の 中 国
進 出 に 伴 い ︑ 延 辺 朝 鮮 族 の 流 動 性 は 全 国
的 に み て も ︑ ま た ︑ ど の 民 族 と 比 べ て み
277‑一 書 評 佐 々 木 衛 ・方 鎮珠 編 中 国 朝 鮮 族 の 移 住 ・ 家 族 ・ エ ス ニ シ テ ィ
ても目を見張るものがあるのは特殊な
ケースである︒
第五節﹁延辺朝鮮族におけるエスニシ
ティ﹂においても︑氏は︑歴史時代の変
遷によって︑延辺朝鮮族の民族的アイデ
ンティティに対する考察を行なった︒一
九世紀後半から一二世紀半ばまでの朝鮮
族のアイデンティティそのものについて︑
氏は︑﹁現地での中国系住民との関係に
よって顕在化したというよりも︑半島に
おける日本支配下によって顕在化したも
のであったが︑一方では︑延辺における
朝鮮人の政治的・経済的地位は日本の勢
力を拠り所としていたという点で︑両義
的なものであったといえよう﹂と指摘し
ている︒
その後の延辺朝鮮族は﹁移民社会であ
るにもかかわらず︑故郷や母国との関係
を避けたまま︑どこまでも中国内部での
少数民族としての﹃朝鮮族﹄のアイデン
ティティを優先してきたといえる﹂とし
た︒しかし︑中韓国交が開けてからは︑
延辺朝鮮族が韓国側より世界範囲の朝鮮
族社会に対して行なっている汎民族主義 的な動きの影響を受けることもあれば︑
一方︑韓国人企業家や商売人たちから差
別や詐欺などの被害を受けることもある︒
こうして︑氏は︑﹁延辺朝鮮族が﹃在日﹄
の場合と同様に﹃中国朝鮮族﹄というア
イデンティティがこれまでとは異なる新
たな現実味を帯びるようになってきてい
るようだ︒その結果︑一方では歴史的な
概念である民族意識が高揚して︑中国に
おける公式の社会地位や威信から離脱す
る動きが見られるが︑他方では︑地域の
朝鮮社会から離脱して中国語の学校での
教育を通して︑従来の中華人民共和国に
おける成功と評価をめざす人々もおり︑
両者の間に乖離が見られるようだ﹂と指
摘するのである︒
最後に︑氏は︑延辺朝鮮族社会の研究
について︑踏まえるべき背景と考察すべ
き課題そして今後の展望︑例えば︑各地
韓国人・朝鮮人同士を比較する研究の必
要性︑人類学における移民研究(a四鑑8studies)やエスニシティ研究が参考にな
ること︑冷戦中の国際的状況が延辺地区
に及ぼした影響︑国交に伴う半島との関 係などを取り上げた︒
以上のような構成を通して︑伊藤亜人
氏は︑延辺朝鮮族社会を時代の背景に置
き︑時代背景を柱として立てて︑それを
めぐって延辺朝鮮社会の﹁周縁性﹂と﹁移
動性﹂を同時的︑動態的に考察にしたの
ではないかと思う︒延辺朝鮮族の民族的
アイデンティティの形成︑時代に伴うア
イデンティティの変容そのものは︑あく
までも時代の変容というマクロ的な背景
と緊密に関わっているという印象を評者
は深く受けた︒
口第二章﹁現代中国の社会発展の中
の中国朝鮮族﹂について
第一節﹁延辺隊勝ちの意味﹂では︑執
筆者最莉莉氏は︑まず調査時点の一九九
九年に開催されていた中国プロサッカー
全国一部リーグ戦で︑延辺朝鮮族自治州
のチーム﹁延辺隊﹂と中国最強のチーム
である﹁大連隊﹂との試合が引き分けで
終わった結果をもとに︑﹁延辺隊﹂勝ちの
意味を考えることから︑サッカーと延辺
朝鮮族の民族意識の関連︑および延辺朝
鮮族の民族意識に占める韓国の位置につ
いて述べている︒
サッカーと延辺朝鮮族の民族意識の関
連について︑氏は︑第一に︑﹁延辺朝鮮族
の話を借りて言えば︑サッカーによって
延辺の名︑朝鮮族の力が国中に知られた︒
現在︑サッカーは延辺朝鮮族のシンボル
と求心力の一つとなった﹂という︒第二
に︑﹁自治州政府がサッカーが社会生活に
おいて重要な役割を果たしているのに気
づき︑サッカーを民族の向上心や地域の
連帯感を育成する手段として利用するこ
とになった﹂︒第三に︑﹁延辺でのサッカー
はスポーツの領域にとどまらないで︑民
族的意識の高揚︑地域の振興︑経済の活
性化などとも深く関わっているのである﹂
とまとめている︒
氏は︑﹁延辺隊﹂(あるいは延辺自治州)
が韓国より監督を招いたことに関連して︑
延辺朝鮮族の民族意識における韓国の位
置について関心を払っている︒氏による
と︑﹁延辺隊﹂が韓国の監督を招聰したこ
とは︑一種の﹁援用的﹂関係があると思
われる︒つまり︑﹁延辺が韓国から投資や
寄付︑援助などを受けているという経済 的な意味もあるが︑祖先との系譜の繋が
りがあり︑民族文化の発祥地からさまざ
まな文化的要素を導入するという文化的
な意味も含まれている﹂︒氏は︑また﹁た
だし︑中国朝鮮族にとって韓国が﹃援用
的﹄であるというのは︑韓国文化の影響
がただ一方的に伝わってくるのではなく︑﹃為我所用﹄︑すなわち﹃われ﹄という中
国朝鮮族の主体があり︑﹃われ﹄を補強し
役立てるという目的で︑﹃われ﹄がその影
響を受け入れたり拒否したりして︑韓国
文化を取捨選択しているという自覚をも
表している﹂︑﹁延辺朝鮮族は︑朝鮮族と
いう共同体の中の韓国人・北朝鮮人と連
帯を有しながら︑なおかつそれぞれ独自
性を持つ集団であり︑中国という多民族
国家の中の朝鮮族であるという自己認識
を強調しているのである﹂と︑延辺朝鮮
族と韓国との関係について議論している︒
氏は︑政府から許可された出版物や中
国朝鮮族の知識人との個人的な意見交換︑
および中国朝鮮族が独自に編集した﹃朝
鮮語辞典﹄や﹁朝鮮語事業委員会﹂の活
動などの考察を通した上で︑﹁中国朝鮮族 は二重性を持つ︒つまり︑一方では︑朝
鮮半島の朝鮮民族と共同性があり︑共に
朝鮮民族共同体に属し︑中国朝鮮族はそ
の中の一﹃分支﹄(部分)である︒また︑
一方では︑中国朝鮮族︑朝鮮民族共同体
の中における中国的な特色をもつきわめ
て特殊な部分である﹂という朝鮮族出身
の研究者の話を引用して︑中国朝鮮族が
﹁二重性﹂を持つと示している︒
第三節﹁激動した中国近代史を背景に﹂
は︑中国朝鮮族の﹁二重性﹂が形成させ
た社会的背景に関する考察である︒氏が︑
民族的アイデンティティの自覚について︑
﹁中国朝鮮族の場合︑民族の悠遠的な歴史
より︑むしろ近代史︑特に中国に移住し
てきた近い先祖︑または自分たちが自ら
過ごした生活史そのものが重視され︑人々
によって語られる対象となっていること
である﹂と主張している︒氏は︑下記の
ような三つの理由を取り上げて︑その主
張を展開している︒
まず第一に︑﹁朝鮮から移民のほとんど
は︑元来貧しい農民だったので︑歴史へ
の関心や教養をそれほど持っていなかっ
27g‑一 書 評 佐 々 木 衛 ・方 鎮 珠 編 中 国 朝 鮮 族 の 移 住 ・ 家 族 ・ エ ス ニ シ テ ィ
たことがあげられよう︒⁝⁝多くの人が
流民的な性格︑つまり移住先をたびたび
変えているので︑族譜を持つ余裕がなかっ
たり︑先祖の来歴や国に登場する先祖の
事績をとおして朝鮮王朝の歴史を知る手
がかりを失ったり︑朝鮮半島に在住する
一族との血統と系譜を確認することも
まったく不可能となった﹂︑と指摘してい
る︒第二には﹁革命以後︑中国政府の国
民国家統合の理念や民族政策の影響︑階
級闘争理論などの国家的イデオロギーの
支配︑および文学・芸術・史学などへの
政治の浸透が強かったことがあげられ
る﹂︒第三には﹁民族史を語る際に︑民族
文化の側面より︑むしろ政治的側面が強
調される傾向があげられよう﹂︒
第四節﹁朝鮮族と漢族の間﹂では︑中
国の朝鮮族は︑漢族との歴史体験を持ち
ながら︑しかし︑他方では﹁朝鮮族﹂と
いう民族的アイデンテイテイも強固に
持っていること︑および︑中国朝鮮族が﹁中国で生活してきた結果︑彼らは社会主
義中国の持つ文化的要素を内面化したの
であろう﹂と指摘されている︒ 中国朝鮮族アイデンティティは︑民族
の出自や神話︑伝説などより継続的に受
け継いだものだけではなく︑歴史の流れ
において自らの社会生活の実践から絶え
間なく創り出されたものでもある︒また
は︑朝鮮族は︑時代・国家の政治制度に
編成されながらも︑自らのアイデンティ
ティを自覚し︑比較的強く表現している︒
さらに︑北朝鮮にも韓国にも無条件に回
帰しようとはしなかった︒朝鮮半島の同
一民族の同胞に連帯感・親近感を持ちな
がら︑あくまでも中国朝鮮族としての存
在を主張しようとする︒また︑朝鮮族の
韓国人への失望感・反感は︑彼らに﹁中
国が祖国だ﹂ということをさらに意識さ
せ︑﹁中国朝鮮族﹂というアイデンティ
ティにますます固執させたのではないだ
ろうか︒以上が本章のむすびとして示さ
れている︒
本章のポイントは︑中国朝鮮族の民族
意識の﹁二重性﹂およびその形成を︑現
代中国全体の発展の中に置くところにあ
るではないか︑と評者は考えている︒こ
のような視点は評者に大きな啓示を与え てくれた︒ただし︑本章における部分内
容について︑評者の限られた視点からは︑
いくつかの異論がある︒
まず︑全体構成について︒もし︑延辺
朝鮮族自治州のような少数民族地域社会
の発展・変容を︑現代中国全体の発展・
変容というマクロ的な枠組に入れ込んで︑
より実証的な考察を行なうとすれば︑例
えば︑文化大革命中に起った﹁朝鮮スパ
イ﹂の事件︑すなわち﹁スパイ﹂とされ
ても︑中国という﹁祖国﹂を裏切らない
ケースが存在したことなどを︑中国朝鮮
族の民族意識の﹁二重性﹂ともっと関連
付けて考察すれば︑より客観的な議論を
あげられたのではないか︒
氏は︑﹁援用的﹂や﹁為我所用﹂という
用語を用いて︑延辺朝鮮族社会と韓国・
北朝鮮との関係について議論したが︑も
し︑事例に基づき︑あるいは地元朝鮮族
の用語を引用し︑つまり︑四八頁で朝鮮
族の知識人の話を引用しているように︑
朝鮮族自らの言葉で朝鮮族社会と韓国両
者の﹁援用的﹂や﹁為我所用﹂という関
係を示すことができれば︑読者により感
性 的 な 認 識 を 与 え た で あ ろ う ︒
ま た ︑ 第 二 節 ﹁朝 鮮 族 の 知 識 人 が 語 っ
た 中 国 朝 鮮 族 ﹂ で は ︑ ﹁ か つ て 延 辺 自 治 州
政 府 は 韓 国 と 北 朝 鮮 か ら 共 同 で ﹃朝 鮮 語
辞 典 ﹄ を 編 集 し て ︑ 用 語 を 統 一 す る よ う
に と い う 提 案 を 拒 否 し た ︒ そ し て ︑ 中 国
朝 鮮 族 が 独 自 に 編 集 し た ﹃ 朝 鮮 語 辞 典 ﹄
や ﹃ 朝 鮮 語 ﹄ と い う 雑 誌 を 出 版 し て い る ﹂
と 指 摘 し ︑ さ ら に ﹁中 国 朝 鮮 族 は 中 国 語
を 参 考 に し て 編 集 し た 朝 鮮 語 辞 典 を 自 言
語 の 正 統 と し ︑ そ の 存 在 の 独 自 性 を 押 し
通 そ う と し て い る ︒ こ れ を 見 る と ︑ 南 ・
北 朝 鮮 に 対 抗 す る 意 識 は ︑ ト ラ ブ ル と い っ
た 消 極 的 な か た ち で 現 れ て い る だ け で は
な く ︑ 朝 鮮 民 族 と い う 民 族 共 同 体 の 中 に
無 条 件 に 同 化 す る こ と を 拒 否 し ︑ 個 性 的
な 存 在 を 保 持 す る こ と に 積 極 的 に 行 動 し
て い る と 見 ら れ る ﹂ と 結 論 づ け て い る ︒
評 者 が 知 り 得 て い る 範 囲 で 言 う と ︑ 一
九 九 〇 年 代 半 ば ま で の 韓 国 の 朝 鮮 文 字 は ︑
大 量 の 漢 字 を 交 え て 使 っ て い た こ と と ︑
中 国 朝 鮮 族 が 用 い る 朝 鮮 文 字 は 注 釈 や 固
有 名 詞 以 外 に ︑ 基 本 的 に 漢 字 を 使 わ な い
と い う 事 実 が あ る ︒ 民 族 文 字 の 使 用 ︑ お
よび使用の形そのものには︑かなり複雑な様相が組み込まれている︑と考えてい
る︒つまり︑延辺自治州が﹃朝鮮語辞典﹄
の編集活動によって︑半島に対抗するだ
けではなく︑漢文化を主体とする中国と
いう枠組の中で独自の存在をも表した
がっているのではないかと考える︒民族
文字二言語と抽象化された民族意識とい
う定義の関連は︑かなりの複雑・多重な
要因を呈しているため︑これも評者自身
の研究課題の一つである︒
また︑前述の﹁激動した中国近代史を
背景に﹂の節で︑民族的アイデンティティ
の自覚について︑氏が取り上げた三つの
理由の第一番目は︑読者に教養をもつ人
こそかえって自分史︑系譜に基づき︑自
家族史︑自民族を関連付けるのではない
かという印象を与える︒これについて︑
評者は︑半島朝鮮のような高層的・王朝
的正統朝鮮文化に対して︑延辺朝鮮族社
会がもつ文化そのものは︑むしろ平民的・
非正統的性格を示していると考える︒し
かも︑社会人類学の視点からみても︑平
民層文化こそ︑その民族の伝統を強く維
持 し ︑ 変 化 し 難 い 存 在 で は な い だ ろ う か ︒
国 家 ・民 族 の 王 朝 に よ る 正 統 的 な 記 憶 と ︑
平 民 的 ・ 非 正 統 レ ベ ル に お け る 記 憶 と の
関 連 は ︑ 歴 史 観 や 民 族 観 と 関 わ る 意 味 深
い 問 題 で あ る と 思 う が ︑ 紙 面 の 制 限 で ︑
こ こ で は 問 題 点 の 指 摘 に 止 め る ︒
日 第 三 章 ﹁移 動 社 会 と し て の 太 陽 鎮
1 一 〇 〇 戸 調 査 の 分 析 結 果 か ら ﹂
執筆者園田茂人氏による社会学的な分
析作業である︒執筆者はまず︑延辺朝鮮
族自治州が持っている︑朝鮮族が集中し
ているという少数民族の地としての﹁顔﹂︑
歴史的な紛争地としての﹁顔﹂︑対外開放
の地としての﹁顔﹂︑という﹁三つの顔﹂
と主張し︑さらに︑本章で調査対象とし
た﹁太陽鎮﹂も特にこうした﹁三つの顔﹂
を持つ地であると説明している︒
園田氏は大量の調査データを統計化す
る作業を通して︑﹁地域移動から見た太陽
鎮﹂と﹁社会的再生産のパターンから見
た太陽鎮﹂という二つの側面に基づき︑
三つの顔を持っている﹁太陽鎮﹂に住む
朝鮮族の移動︑および社会的再生産の性
格を考察していった︒
書 評 佐 々 木衛 ・方 鎮 珠 編 中 国 朝 鮮 族 の 移 住 ・ 家 族 ・ エ ス ニ シ テ ィ
281﹁地域移動から見た太陽鎮﹂では︑太陽
鎮の朝鮮族における半島の出自・越境時
期・最初の居住地・定着時期・両親の兄
弟の居住地に関して︑歴史的な様相を資
料的に詳細に明らかにした︒一方︑それ
と対比的に﹁社会的再生産のパターンか
ら見た太陽鎮﹂では︑配偶者選択の方法・
妻の出身地・職業の世代間移動・こども
の居住地など再生産の様相を客観的に分
析している︒
最後に︑園田氏は﹁要約と議論﹂の形
で二つの側面に対する分析作業を展開し︑
太陽鎮の持つ移動社会の性格︑およびそ
の性格が持つ特徴について︑第一に︑個
人ベースでの地域的・社会的な移動が頻
繁に行なわれている︑第二に︑みずから
の民族的アイデンティティを強く意識し
ながらも︑移動中でその要素をうまく現
地状況に適応させている︑また︑朝鮮族
のジェンダーが興味深い変容を見せてい
る︑と総括した︒
四第四章﹁延辺朝鮮族の移住と家族
ネットワーク﹂について
この章は﹁中国の朝鮮族の家族形態を 韓国の家族と比較的に考察し︑中国の朝
鮮族としての文化の自律的変容を検討す
ることを目的している﹂と︑執筆者の佐々
木氏は明らかにしている︒こうした主旨
に基づき︑氏は実証的な研究方法で︑伊
藤亜人氏をはじめとする︑従来の半島朝
鮮人家族の研究蓄積を踏まえた上で︑中
国朝鮮族における家族・親族の絆の形態
を実態的に検証する作業を行なった︒
検証作業に入る前︑氏は︑まず延辺朝
鮮族における家族ネットワークを検討す
る際︑次のような歴史的事実を考慮に入
れる必要があると強調している︒﹁まず第
一は︑中国の外に朝鮮族による国家が存
続している事実︒第二に︑中国朝鮮族の
移住・流動的性格である︒第三に︑中国
の朝鮮族は︑いうまでもなく少数民族と
しての社会的位置を免れない︒中国の文
化は多くの民族的文化の融合にその豊か
さの根元を認めることができるが︑少数
民族と認知される民族は︑朝鮮族もむろ
ん漢民族からは周辺的な存在と見なされ
ていることも事実である﹂︒
さらに︑﹁これら三点はそれぞれ関連し ながら︑中国朝鮮族の文化の自律的展開
の方向性を規定しているように思われる﹂
と氏は述べた上︑﹁本章では︑朝鮮族とし
ての自覚を高めている彼らが︑家族・親
族の絆をどのような形態で展開している
のか︑まず実態的に把握することを目指
したい︒その上で︑韓国で報告されてい
るモノグラフとの構造的な検討をしてみ
よう︒中国の朝鮮族という自律的な文化
の成熟の可能性をこうした方面から理解
することができるかもしれないと考える
からである﹂と本章の問題意識・考察の
焦点を明らかにしている︒
氏はまず﹁太陽鎮と﹂村の社会概況﹂
から始め︑次に﹁﹂村における朝鮮族家
族の移住と定着﹂という背景を説明し︑
そして﹁朝鮮族家族の親族ネットワーク
の広がりと形態﹂や﹁家族・親族のつき
合い﹂︑という流れで実証作業を行なっ
た︒こうした作業を通して︑まとめの部
では︑韓国のモノグラフと対比的に中国
朝鮮族の移住と家族のネットワークを検
証して行く︒その結果を︑評者より次の
ようにまとめている︒
z8z
第一に︑中国朝鮮族家族の多くは︑一
九三〇・四〇年代の朝鮮半島から生活の
糧を求める流民度の移住を経験している︒
本村の場合も︑村の最初に定住した祖先
は︑家族形態から推測して祖父母の代ま
でさかのぼれるに過ぎないであろう︒定
着の深度の浅さという特徴は︑中国朝鮮
族の家族・親族のネットワークの形成を
考察する上で︑まず第一にあげられなけ
ればならない条件である︒
第二に︑L村に関係を持つ親族の構造
は︑比較的単純な形態を特徴としている︒
韓国のモノグラフで強調される直系的な
構造は薄れているが︑その反面︑現に生
きている人間を中心にした兄弟姉妹間的
な構造が強く表現されているのではない
かと氏は考える︒
第三に︑直系的な構造が希薄という特
徴は︑親の扶養︑同居が長男に偏ってい
ないという事実にも表れている︒次男・
三男との同居も多く見られ︑年長者から
外に出ていくある種の﹁末子相続﹂的な
姿をうかがうことができた︒
第四に︑L村朝鮮族における非直系的 な姿は︑男系親ばかりに限定されないで︑
母方︑妻方の親族にも広がる共系的(̀cognaticCohen,Myron:19766̀概念に
よる)な構造を推測させる︒中国朝鮮族
の場合︑母方や妻方の墓を父方の墳墓と
同じ墓地で祭祀することはない︒しかし︑
祖先の祭祀は父母か祖父母の範囲に限ら
れるので︑祭祀に男系の系譜的な観念は
生じにくく︑共系的な傾向が強くなるの
を推測することができる︒
以上のような実証研究から︑評者が特
に刺激を受けたのは︑下記の二点である︒
まず︑中国朝鮮族家族の実態などを通
して︑﹁東アジアに共通すると考えられて
いる儒教的父系秩序が︑近世的な国家・
社会秩序の形成の過程で規範化されたの
であれば︑現代の社会変容の中で再び大
きな変化が兆しているのを指摘すること
に無理はないであろう﹂という氏の問題
提起である︒
次に︑﹁中国の朝鮮族は︑半島から流民
として移住したという歴史的経験から︑
両班階層に強調された父系の規範的モデ
ルから遠いところに生きざるをえなかっ
た ︒ 現 実 に 柔 軟 に 適 応 し て 生 き て い く ﹁状
況 論 理 ﹂ と も 言 う べ き も の が あ る の で あ
ろ う ︒ 儒 教 的 規 範 が 根 付 く 以 前 の 原 初 的
な 論 理 が 出 現 す る 可 能 性 も 高 か っ た の で
は な い か と 推 測 す る こ と も で き よ う ﹂ と
い う 点 で あ る ︒
氏 が 提 示 さ れ た よ う な ︑ 中 国 の 少 数 民
族 と 位 置 づ け ら れ て い る 周 辺 社 会 の 構 造 ・
文 化 の 構 成 を 検 討 す る 際 ︑ こ れ ら 原 初 的
国 や 国 な き 社 会 な ど が 持 つ 原 初 的 な 部 分
を 明 ら か に し た 上 で ︑ 原 初 的 な 部 分 を 近
世 的 な 国 家 ・ 社 会 秩 序 の 枠 組 に 組 み 込 ん
で ゆ く 過 程 ︑ ど の よ う に 状 況 論 理 に よ っ
て 現 実 に 適 応 し て い く の か に つ い て ︑ 私
た ち は 今 後 ︑ 多 様 な 視 点 か ら 考 察 し て い
く べ き で あ る と 考 え る ︒
価 第 五 章 ﹁中 国 に お け る 朝 鮮 族 の 文
化 と 教 育 の 発 展 概 況 ﹂ に つ い て
こ の 章 は 朝 鮮 族 の 出 身 者 廉 光 虎 氏 が 執
筆 し た 部 分 で あ る ︒ 氏 は ︑ ﹁中 国 朝 鮮 族 が
独 自 の 文 化 を 継 承 す る 活 動 は ︑ 曲 折 と 困
難 を 経 な が ら も ︑ 拡 大 発 展 し て き た ﹂ と
い う 主 旨 に 基 づ き ︑ 延 辺 朝 鮮 族 に お け る
文 化 と 教 育 の 歩 み を 目 次 通 り に 紹 介 し ︑
書 評 佐 々 木 衛 ・方 鎮 珠 編 中 国 朝 鮮 族 の移 住 ・ 家 族 ・ エ スニ シ テ ィ
z83朝 鮮 研 究 者 に 系 統 的 な 資 料 を 提 供 し た ︒
こ の 章 は ︑ 資 料 の 構 成 だ け に 留 ま ら ず ︑
伝 統 文 化 と 教 育 を 強 く 維 持 し 発 展 さ せ る
な か で ︑ 延 辺 朝 鮮 族 が 自 民 族 の ア イ デ ン
テ ィ テ ィ を 持 つ に い た っ た 過 程 を 示 し た ︒
以上のように︑本研究に参与した各執
筆者は︑各自の分野や視点によって本研
究の研究起点を踏まえて︑移住による中
国延辺朝鮮族社会の形成史・家族構成の
実態およびネットワーク・エスニシティ
について明らかにしている︒さらに︑最
後の﹁結語lIこれからの研究課題﹂の
部分では︑本研究で明らかになったこと
をふまえて︑中国朝鮮族の社会人類学的
研究としてさらに展開すべき問題を提出
した︒
四 最 後 に
本 書 の 成 果 は ︑ 研 究 に 参 加 し た 日 中 の
研 究 者 が 問 題 意 識 を 共 有 し た と こ ろ に な
り た っ て い る ︒ こ う し た 合 作 方 法 に 対 し
て 特 に 評 価 し た い ︒ そ れ は ︑ 調 査 対 象 の
背 景 を 十 分 に 理 解 し ︑ 言 語 上 ・ 心 理 上 の
障害もなく︑調査対象と同一民族の出身者という利点と︑感情を越えてより冷静
的・客観な考察ができる点を上手く結び
付けたからである︒このような合作によっ
て︑少なくとも第一に︑調査データの確
実性が確保できるし︑それに基づいての
分析も客観的になるし︑第二に︑中国東
北部の少数民族社会に対する社会学的︑
人類学的な調査研究が不十分である空白
を埋め︑ファースト・ハンドな研究が促
進できるであろう︒
また︑調査対象の選定と関連する本研
究の調査データについても評価したい︒
延辺朝鮮族自治州全体の民族構成の比率
は︑朝鮮族が三九・三三%︑漢民族が五
七・八一%である︒つまり︑民族自治地域
でありながらも︑少数に留まっているの
が現実で︑州全体の統計だけでは︑朝鮮
族の実態を理解するのは難しい︒それに
対して︑州内の﹁龍井市﹂や﹁延吉市﹂﹁図門市﹂などに住む朝鮮族は依然六〇%
前後の人口を占めている︒本書に所収さ
れた事例は︑いずれも﹁龍井市﹂﹁延吉
市﹂﹁図門市﹂などで行なわれた調査結果