悲 劇
に 関 す る覚
書 rllmgicPerceptionに就 い て佐 多 真 徳
1 LucasのTragedy(1928)は AristotleのThePoeめ(360‑322B.C)を再 検討 し、現代に於け るその意義を解 明 しよ うとす るものであるが 、その第 四章 plotを論 じてい るところでは、 Aristotleの悲劇 の plotに関す る所論 を次 の様 に要略 してい る。
Aristotleの悲劇 のplotの理論 の本質は次 の様 である。最 も優れた悲劇は 人間はその盲 目性 のために努力す るに もか ゝあ らず却っ て 自分 の努力 を行詰 らせて しも うと云 う、人間の盲 目性 の物語であ る。即 ち過失の悲劇(Tragedy ofError)である.hamartia(過失)は悲劇的過失であ り、peripeteia (負 転)は意図 した結果 と反対 の結果へ の、 その過失の宿命的 、破滅的 な作用で あ り、anagrwrisis(発見)はか ゝる真実 の認識 であ る.
Aristotleの plotに関す る考察を明快 な plot論 に まとめ上げた感が あ る。
Lucasは悲劇 の plotを論ず るのに、各語 の概 念に 於 て Aristotleの The jもetieに於け る考え方を忠実 に祖述 しよ うと努めなが ら、その各概 念の間の働
きに更に明確 な関連づけを試みて、最高の悲劇 形式 を打出そ うと してい る。 こ れ は Aristotleの ThePoeticを批判検討す ることに よっ て悲劇 の普遍的本蛮 性 を把握 しよ うとす る彼 の態度に於 て当然 の事 で あ る. Aristotleの 7滋 poeiわに於 ては あ くまで科学的記述的態度で あるが 、 Lucasに於 ては価値 を 論 じてい るりであ り、価値 を求めてい るのだ と云え よ う.
自然科学 に於 ては現 象 の忠実 な観察 と記述が最初であ り最後の ものであ るけ れ ども、芸術 を対象 とす る場合には 、現象その もの と して作 品を追究す るだけ で
は満足 出来 ないで あろ う。 いや 、む しろ優劣 を見 別け る価値 判断 の問題が 、意 識 的 にせ よ無 意識 的 にせ よ、 いつ も問題 とされ てい るのだ と思 う。芸術 に於 け る本 質性 の把握 は又 た ゞこの面 に於 け る優れ た 洞察 に よっ て可能 で あ る よ うに 思われ る。 た ゞ価値 は BertrandRussell(Religiの OrZdjh'eT7ee1935)と共 に主観 的 な もので あ り、個 人 の唾好 、慾 望 に板拠 を置 くもの と考 え るな らば 、 価値 と云 う問題は具体的 に極 め て微妙 、困 難 な問題 とな る。 尤 も噂好 、慾 望 に 於 て も共通的 基磐 を持っ てい る故 に価値 の問題が存す るわ けだが 、価値 の問題 ̲ を論 ず る場 合 、性 急 に一般 性 や普遍 性 を要 求す る時 には混乱 が起 る事 に注意 し なけれ ば な らない で あろ う。
Lucasは Tragedyの plot論 に於 て Aristotleのplotの所 論 に 於 け る hamnrlゐ (過 失) を強調 して 、人間 の15‑目性 を悲劇 の背 景的世 界 とす る悲劇論 を示 した と云 え よ う。 こ ゝで特 に問題 と した い のは Lucasが 真実 の認 識 と云 っ た alZagnOrisisに就 いて で あ る。
a17agnOrisistまギ リシア劇 に於 て極 めて重 視 され た技巧 で あ り、ThePoetieに 於 ては 、悲劇 の筋 に於 て人 の,むを強 く魅す るのほ peripeteia とaT7agT70risisで
I
あ る と云っ て 、か な り詳 細 に記 され てい る。日章 には定義 を 、 「anagnwisis (発 見)は 、そ の名 の意味 してい る様 に 、知 らなかっ た こ とか ら知 る こ とへ の変 化 で あ る。」云 々 と してお り、16章 に於 ては anagT70risisの種類 に就 いて 、印 に よる発 見、記 憶 を通 して の発 見 、推論 に よる発 見 らを例示 しなが ら記述 して い る。今具体 例 を挙げ てそ の何た るか を示 した い。
Agamemnon壬(まTroyか ら凱旋す るや い なや 、彼 の留守 中不義 の仲 となっ た妃 Clytemnestraと従 兄弟 の Aegisthusのた めに 、殺 され 王 位を奪われ て しま う。 娘 Electraは父 の仇 を討 つ為 に弟 Orestesの帰 国 を待 ちわ び て い る。幼児 の時 に他 国にや られ た Orestesが 神託 を受け て父 の仇 を討 つ 為 に密 に帰 国す る。この時 、お互 に成長 した姉Electraと弟Orestesが どの様 に して 相識 る よ うに な るか 、 そ の技巧 が anagnorisisと呼 ばれ る もので あ る。
Aeschylus,Sophocles,Euripidesの ギ リシ アの三大 悲劇 詩 人が 共 に この 逸
‑37
■●JTi.
/●一ヽ予∵ ●り′..¶J,・‑・㌧JI‑3Li・E「
遠 を砺扱った悲劇 を書いてい るが 、夫 々の=夫 を こら してい る。Aeschylusの The Choephoriの場合に就いて簡単に述べてみ ると、故 国に密 に帰ったOres‑ tesは父 の墓 に詣でて、二房 の髪 の毛 を切って捧げ る。 す ると、黒服 を着け た 女た ちが現われ るので、身 を隠 して様子を うかがっ てい る。 彼女達は墓へ供養 のために来た のであ り、その中に Electraもま じっ てい る。Electraは 自分 と 同 じ色の髪 の毛が あ り、且 、同 じ形の足跡を発見 して、若 しや Orestesが帰 国 してい るのでは ないか と心の動揺を押 え難 い。 この様子 を見ていたOrestesは もの陰か ら飛び 出 して、お互に名乗 り合 うのであ る。 そ して二人は父 の仇を協 力 して討 と うと励 ま し合 うのであ る。
ThePDelicか らanagnorisisに関 して plot論 を まとめてみ ると、
筋には単一 と複 雑 との二種類が ある(10章)。 最 もす ぐれた筋は単一 でな く複雑でなければ ならない (13章)。 複雑 な も の と は aTiaglWrisis或 は peripeleia或は二つ の ものを伴って、主人公 の運命が移 り変ってゆ く場合を
云 う。peripeteぬ 及び anagnorisisは筋の結構その ものか ら生れ 、前の出来 事 の必然的 もし くは蓋然的 の結果でなければ ならない (lo草 )0ar)agnorisis は OedipustheKingに於け る如 くに7)eripeEeiaを伴 う場合最 も美 しい (日 章)0
これ らはあ くまで もAristotleの悲劇に於 け る経験的事実 を記述 した もので あろ うが、Lucusの plot論へ道を開いてい る。
Lucasは anagれOrisisの言及に於 て.per勿eteia と云 うものは、LCの結果を 生ず るよ うに意図 された行為が ガとは逆の結果を生ず る時に起 るもので、人間 を敗北 に導び く盲 目性 に存す る働 きで あ り、an7,g犯0risisは この真実 を認識す る ことであ り、開眼であ り、闇中に突如 と して閃め く電光 の輝 きであ る。 Aris‑ totleも指摘 してい るごと く、 この真実を顕わす 閃光は遅す ぎない 中に或 は 遅 す ぎるよ うになってあらわれ るのであ り、事 前にあらわれ た 時 に は happy endingを導 き、後になってあらわれた時は catastropheを顕わ し、それ を完
Iや
^一,.Jr...き1才tt■い牛t.T・J.2...ヽ一、y一[・.tJ;<一V・.t.1.も「,iZ.
了せ しめ るにカ添をす る. ときわめて簡潔に坂扱っ てい るが 、penlpeleia との 結びつ きを緊密に し、上 に述 べた様 に TragedyofErrorを構成 してい る も のである事を強調 す るのであ る。
Lucasは人間の盲 目性 を悲劇 の背後的世界 と して横たわ るものであることを 説いたが 、悲劇許 りでな く喜劇 に於 て も、 この盲 目性 に根 ざす人間の生活や諸 経験 の不調和 、不合理性 の追究 をめ ざ してい ると云 え よ う。た ゞ、喜劇がむ し ろ人間を社会的存在 として、社会的諸現象 を問題 に しよ うとす るに対 して、悲 劇 は 、個 別者 と して、 孤独 な存在 として 、 日常性 を剥奪せ しめ られた人 間 の 姿を、 人間の運命の問題を真剣 な関心を持って乗 り上げ よ うとす る も の で あ る。人間の実存 を問題に し追究 してい る実存主義の人 々がか ゝる悲劇に関心を 示 し、庵 めて優れた洞察 を示 してい る ことは当然であろ う。
Jaspersは VonderWahrheit(1947)の中で悲劇 を論 じてい るが 、その英訳 2
が Gollanczか ら TragedyiSNotEnmL‑lhの名で出てい る (1953)。 そ こで JasfだrSは TragiCKnowledge(悲劇的認識 )を基調 に置 いて悲劇 を 論 じ て い る。
TragiCkn owlegeは唯 見 ると云 うことだけに興味が あっ て、加担 し心を 煩 す ことのない観客には問題 とな らないoTragicknowledgeと云 うのはむ しろ 知 の獲得 、そ こで私の 自我 (めざめた 内面 の活動力)が 、物事 の理解 の仕方 、 見方 、感 じ方を通 して成長す るところの知 の獲得 である。 Tragickn owledge において 、それ に よっ て人は全体的に生れ変 るのである 。(72頁)
Tragicknowiedgeは悲劇 の主人公の人格 内に於 て成就 す る。主人公は悲惨 、 没落 、破滅を経験す るだけでな く、 これ らの本質を知 るのである。知 る許・りで な く、その過程 に於 て主人公 の魂は分裂す る。 そ して運命の極 まるところに於 て生れ変 るのである。 (75頁)
Aristotleで さえ catharsisと云 うものが どんな ものであるか吾 々に明に L
‑ 39‑
,推㌔.・.、千一、シ.T.
/
てないのであ るが 、確かに、人間の内奥 の存在にふれ ると云 う経験 であ る。そ れは人に単に見物人 として許 りでな く、自らまきこまれた者 と して 、更に実体 を受け入れ させ るのであ り、 日常経験 に於け る、煩項 な区 々た る劣等 な ものす べてを、吾 々をせばめ 、盲 目にす るすべての ものか ら吾 々を耗化 し、吾 々の一 部 を真た ら しめ るものである。 (36頁)
Lucasが 「黄実 の認識 realisationofthetruth.」と云った 、悲劇 に於け る この認識作用に更に鋭い洞察を示 し、深い意味 を附与 しよ うとしてい るOギ 1) yァ悲劇に於 ては技巧 として重んぜ られ 、Aristotleに於 てほ denmLementを 導 く、人や事物 の発見であった。Lucasは人間の 盲目性に よる悲劇的過 失の認 識 である として、悲劇 の筋に於 て更に内面的意味 を持った働 きであ るとしたo JasTXrSに於 てほ Aristotleが悲劇の 目的 と して説いた kalharsis的 ものへ導 く、つ ま り悲劇 を真に悲 劇た ら しめ る、悲劇に於け る本質的 な認識作用 と考え られ て来てい る。
ー不如意 な悲惨 な事件を通 して、人間の現実存在 の本 質 的 意 味 (Jaspersの 言葉 をか りれ ば、表面的には成功 し、安全であ ると思ってい る最後の、一番奥 の砦に於 て さえ も、・人間は無尿性 に対 して見捨 られ 、見放 されてい るO 吾 々は
「成功か失敗か」 と云 う二者択一 に於 て悲 劇を考え る時には理解す る ことは出 来 ない。吾 々が最高度に成功 してい る時にまさ しく、吾 々ほ全 く本 当に失敗 し てい るのだ と云 う認識に よってのみ悲劇 を把握す ることが出来 る。96頁。)を 認識 し、その不条理 な運命 を ̀Icbhannnichtanders'と云 う覚悟 を 持 っ て 引受けてゆ こ うとす る悲劇的態度 こそ、悲劇本来の面 目であろ う。 そ して運 命 の きあ まるところに於 て、人は生れ変 るのであ る.つ ま り現実存在に於け る本 来 の 自己認識 こそ、悲劇的認識 であろ う。
悲劇に於け るこの面 の認識 と強調は、人間存在 の危機 とその悲劇意識が叫ば れ てい る、現代の歴 史的 況位 よ り、叉促進 され てい ことは当然 であろ うと思 う が 、今 この点に就いて論 及す る必要 はない と思 う。た ゞ、文学者に よる悲劇論 に於 て もこの様 な悲劇 に於け る認識作用が特 に注 目され て来てい ると云 うこと
‑
を附け加えねば ならない。HertxrtJ.Mullerはその著 TheSpirit
o
f Tragedy (1956)に於 て次 の様 に述べてい る。Kem ethBurkeが持ち出 した言い方 をすれば 、悲劇的行為 の基本的 リズ ムは 目的 (Purpse)と受難 (Passion)と認知 (Perception)である。主人 公の 目的は敗北 し、その受難は悲惨 に終 るが 、最後 の認知 に よって、主人公 は運命 と和解す る。彼がそ うしなければ 、観 客が そ うす るのだ。 (19頁)
悲劇的 リズムに よっ て、主人公は運命の 「認知 」が可能 であ ることが分 る ばか りでな く、 この認知に よって よ りよき人間 とな るのである。 遂 に己の運 命 に優越す るのであ る。 (21頁)
3 Burkeが云い出 した と云 う、3Pの表現は極 めて優れた卓見であると思 う。
TragicPerceptim は耳馴れ ない言葉であ り、恐 ら く一般的用語 になっ ていな い と思 う。 私は この書か ら、悲劇に於け るか ゝる認識作用をTragicPercep‑
tionと呼 んで、論 題 と したわけであ る。
私は最後 に Ⅰ.ucasが ̀humanblindness'と呼び 、Jaspersが ̀Manis forsakenandabandonedtothebottomless'と述 べてい る悲劇に於 け る人間
の現実存在 の在 り方、及び認識作 用に就いて、更に私見 を述べて批判 を仰 ぎた い と思 う。
悲劇 を運命悲劇 とか性格悲劇 とかに分類す る場合があ る。 つ ま り、主人公 の 破滅が人力 を超えた運命に よるか 、或 は主人公の性格的 な不調和に よる、 とす るのであ る。 運命 であれ 、性格であれ 、 これ らは主人公が如何 とも為 し難い 、 自己支配の出来 ない主人公 の人格に内在的 な ものであ ると考えて も無理はない と思 う。 今、仮 りに これ を 「私を他在的 に動かす無意識 な 自己内在的力」 と呼 び 、 「認識 の主体を為す意識的 自己」に対立せ しめて考えたい。 そ うす ると悲 劇 の主人公 の行為 の在 り方、存在 の仕方 と云 うものは 、意識的 自己が この無意
‑ 41‑
)
...I.I..⁚・.二.・・.'.I.‑I+.I..:I‑'L..1‑'・'i.‑・J..jT..・・.Y二、(:.∵..、j..‑.tt.:I・.、:.・‑L・.・・'.J,::I.:.,..∫.i,.・・'B;..;I.'・.tf'...:i.....
r iiF
識的 自己内在的 な力に よっ て翻弄 され ると云 うアイ ロニカルな姿 である。 そ し て悲劇的認識 とは、あ る悲劇的 な出来事を通 して、意識的 自己が無意識的 自己 内在的力にふれ 、一度は錯乱す るが 、その転 に於 て、生れかわって、私の存在 の仕方 の認識 に至 り、これ を 自ら潔 よ く引受け よ うとす る態度に至 る働 きであ る。 この様 な悲劇 の主人公 の存在 の仕方に就いての二元論的 考え方は enlre‑ deuxprincipleに於 て も主張 され るところであ り、参考に されたい。
Sophoclesの Oedipw theKingは正に TragicPerceptionを主題 に して 書かれた よ うな作品である.Oedipusが ス フィ ン クスの謎を解いて国 王 に な った Thet光Sに疾病が流行 してい る。 神託 を仰 ぐと、先王を殺 した罪 人 が 末 だ この国にい るので、死刑にす るか 、追放 しなければならない と云 う の で あ る。 その罪人を追求 してい る中に 、それは誰 あろ う、Oedipus壬 白身 であ り、
曾てのATX)lloの、父親を殺 し母親 と結噂 し子供 を も うけ る、 と云った 恐 ろ し い神託を逃れ よ うと努力 しなが ら、おのずか らその神託が実現 してい るのを 知 ると(u‑nagnorisis)、 自ら眼球 を くりぬ く(peripeteicL)、 と云 うのが荒筋である。
Aplloの神託は超 自然的に宿命的に Oedipusの中にあ り、 Oedipusを動 か していた力 の、古代的表現 であ り、まさ しく 「私を他在的 に動か してい る無意 識 な 自己内在的力」であ る。 ス フィ ンクスの謎 を解いた明敏 な知性 を誇 る Oedipus に於 て も尚、blindnessな人生にた ゞよってい るのであ り、 自己存在 の仕方には全 く盲 目であった のだ。 Odipusが眼球 を くりぬ くと云 う行 為 は TragicPerceptionの消息を示 して、極 めて妙味を持ってい る。Sophoclesの OedipLS17w Kingは本来 の 自己認識 に至 る Oedipusの姿を卓絶 した 技 法 に
よっ て塩 めて感動的 に描 き出 してい る。
ShakesI治areの悲劇 の中での Olhelloはその筋の結構に於 て最 も優 れ た も のの一つであると思 う。武人の典型 と自負 してい る Othello(意識的 自己)が Iagoにた きつけ られた奔活 の よ うな嫉妬 (無意識的 自己内在的力)のた め に 襖悩 の調 にた ゝきこまれ るOその狂乱 のあげ くは 、愛 してや まぬ妻 伽sde・ monaをその床で圧零 して しま うのある。 それが Iagoの好計 に よってたはか
‑42‑
..4.'、‑.・.・.(、tJ.I../4'.I.・・̲・一L.・.J・■.・・..<.Y.7dh.∴V.trト..・ト.jbill..̲.f▲/.ト.,J...LI.一[....・P....T.=LA.r...L・.rトl卜・TL.CT.
られた ことを知 る と、怒号 し苦悩す るが 、最後 にLodovi00 に向い、 「只だ御 書面 で手前の不仕合せ の一条を本 国‑お申 し送 りの際 、顧 は くほ、覗か もお庇 ひ下 さることな く、又聯か も誕告せ られ るや うな こともな く、 ど うか 、有 の ま ゝにお伝へ下 されたい。‑‑ (遣違訳)」と云い 、短剣を胸に突刺す時 のOthello は一切 を明らめ、 自らを引受けてゆ こ うとす る高潔 な人格を成就 してい る。 こ れは外見の敗北 にか ゝあ らず 、本当 の意味 の勝利 である。 いや 、勝敗を超えた 新 しい価値が掲げ られた のであ り、生れ変 りなのである。
KingLearや Maebelhに於 て も、Le arの専王的浅慮 、MactRthの暗 示 さ れた野心 らが主人公を破滅 に追い込み 、その きあ まるところに於 て Tragic Perceptionが行われ る姿をみ ることが 出来 るであろ う。
現代劇に於 け る優れた例 と して Eugene O'Neill の MmLrningBeecmes Eld ra をあげてお こ う。 この作品は、先 に an191ZOrisisの例 と してあげた ギ
リシアの伝説 や悲劇にみ られ るElectraOrestesthemeを Lincoln時代 のア メ リカに移 し、 も う一 度人間を語 り直 そ うとした ものであ る。即ち、0'Neill白 身 も云っ てい るよ うに、現代心理学 を用い る事に よっ て、 ギ リシア悲劇 では外 在的超 自然的 な ものであ った Fateや Furiesを人間の内面 に内在的 な もの と して見出す事 に よ り、 この神話的原型的 悲劇 を現代 人に理解 させ よ うと した も のである。 「私を他在的に動かす無意識 な 自己内在的力」を、 ギ リシアの運命 のかあ りに、精神分析学 の無意識 の世界 の働 きを もっ て してい る。 しか し、 こ の作品は単な る無意識 の心理学に肉をつけた と云 うものでは な くて、実 に巧妙 にその理論 を駆使 し尽 してい て、優れた芸術品 となっ てい る。 殊 に、 最 後 の TragicPerceptionに於 てほ、Freudの ̀MistakeinSpeech'の理論が実に 巧み に且悲劇的 アイ ロニ ‑の効果を持っ て駆使 され て、 この戯 曲の結末 を緊張 に導い てい る。主人公 Lavinia (Electraにあた る)は父が殺 され 、母 を死に 退つめ、弟が 自殺 し果 て、今迄 自分を縛っ ていた マ ノン家 の人 々が皆死 んで し まった ので、恋人 Peterと結増 して新 しい生活を始め よ うとす る。 とこ ろ が 恋 人の胸にいだかれ てい る時に "Adam''と呼んで しま う。聖書以外では闘 い
11.‑:! ー′ 一■
FTーT一一1 .f
た事のない名前だ と不思議がっ てみせ るが 、実は、祖父の弟の子であ り、母の 恋人であった Adam Brantである事に気づいてお どろ くである。Adamが母 との間をカムプラジュす る為 に、Lavhia を散歩な どに誘った事があった のだ が 、Adamが母 の思い者 だ と分 ると、Adam に対す る気持は無意識 の 世 界に お しこめ られ て、自分では忘却 して しま ってい るのである。無意識の世界に抑 圧 された ものは生 き続け、更にひ こぼえをつ くって、いつか意識の世界に躍 り 出 よ うとしてい るのである。 今、 この事情を認識 し得た、Lavhiaは 「何時 も 死 人達が 自分達 の間Kはい るのた. これ以上何を して も無駄だ。」 「愛は私に は許 されていないのだ。死人達は余 りに も強す ぎる。」 と云っ て、過去の重荷 を負っ て、堪 えて ゆ く決心をす るに至 るのである。 このLaviniaに就いて 0'Neill自身 ̀̀SheisbrokenandTIOtbroken.Byherwayofyieldingto
、 4
theMa‑ ‑ fatesheovercomesit・わと云ってい る。
この様 に、無意識 な 自己内在的力 と云 うのは 、時代に よ り、作者に よ り、又 作品に よって色 々の ものであ り得 るが、最 もす ぐれた悲劇に於ては、 「私を他 在的に動かす無意識 な自己内在的力」が 「認識 の主体である意識的 自己」を翻 弄 してい るアイロニカ/レな存在の仕方が 、悲劇 の主人公の姿であ り、主人公は その無意識な力に よっ て駆 り立てられ過失をおか し、悲惨 な運命に落ちい るが 其 の事件を通 して、その存在 の仕方 の認識 、即ち 自己認識 (Self‑kn owledge, Self‑undestanding.)にいた るのがTragicPerception (TragicKnowledge) である。然 し、この様 な図式を もっ て直ちに悲劇の価値を判断す ることは勿論 骨稽な仕業であっ て、悲劇に於ては、その主人公達は皆、個別者であ り、例外 者であ り一回限 りの自己の存在を生 きた のであ り、大切 な事は、具体的 な主人 公の肝銘であることは云 うまで もない。
註 (1) Aristolleの詩論はThe R x;ticsと訳されるのが普通 で あ るが、こ ゝで は、
Barrettll.CLark編 Euro2m n Theoriesof Dl・a71的 (1947) に収録されている TheodoreBurkleyの訳に拠 ったので、それに倣 ってTheJh ltcとした.固E]
‑44‑
..■,.;/.・・J.J、̲YI.;ill.崩し.J5.いI..JL#Tf,〜;・;I.Jr.I.・♪A
蛋端
〜ヽ li,l 哲
本訳、松浦嘉一氏の 「詩学」 を参照 した。
(Zj T,.agalyisNotEw tLghと云 う奇妙な書名に就いて一言 して置 く必 要があ る だ ろ う。Jaspersは悲劇 は決 して超越世界や存在一般の基底の上にあるのでは!な く、あ くまで も、感覚 と時間の現象世界、歴史性を持つ人間の現実存在に於 て 起 る ものであ り、悲劇的認識 を悲劇的世界観 、存在一般 の様式 とす る汎悲劇論
\ 的幌向を嘗めてい るのであ り、同書の緒言の中でKarlW ・Deutschは次の様 に解説 してい る。
Tragedy,though rich illtruth,isnotenough forKarlJaspers.IL isabasicaspectofreality,and wecan neitherdeIlynorescape it.
ButtheexperienceoftragedyisollIy 07‑eStageillman'sprocess of learning. Taken as all absolute, tragic knowledge turIIS into idolatry,whetheritbeidolatry ofimagesoridolatry ofself.Rather, Jaspersseemstosay,meI一and women mustremain ope n to the voiceoftheworld‑widemi serywi thoutgrandeurthat cries outfor help,andthey mustseekI(‑transcend the limits that bound their sensltlVltyandlheirabi)ilylo help today.Allofus,he seem8 tO suggest,mustSeek thehard waythatcontinuesbeyond tragedy‑the way ofwhich pe rhapstheBiblespeakswhen ilGal)s upon men to overcometheirlimitsbybeing"born agalll,"while yet remzlining
Hmembersofoneanother."
(3)Kenneth Burkeの所論は末だ知 る機会 を得ないが、FrancisFergussonはそ の著書 TheLdeaof A Theater(1949)の中で Burkeは f九iEosophyof Lite1.aYy Fo'm とA (あ・ammarof Motit・esの中で本文にあげた様に悲劇的行為の 基 本 的
リズ ムであ る三要素は便宜的に Purpose,Passjoll (OrSuffering). Perception と呼んで もよいが、h 'ema,Rxthema,Mathema の伝統的意匠を 与えてい ると述べ てい るO ちなみに、 L]'ddleとScottのGreek‑English LeXicollを引いてみ ると、
pの em LX :arlythillgmadeordolle,WOrk tnlhM :thatwhich befallsolle,SufferiIlg.
mathema;thatwhich islearnt,kllOWledge.
と出てい る。
(4)詳 し くは論者の 「EllgeneO'Neillの悲劇 "Moum inlt・BecomesELectra"
試論」(弘前大学 「人文社会」八号所載) を参考に されれば幸であ る。
‑45‑
‑ 11 kl r・/J1A‑′