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論説 1 はじめに

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【論 説】

北極地域ガバナンス

─バレンツ・ユーロ北極評議会を事例に─

上 村  信 幸

1 はじめに  本論は,主権国家相互の間で生起する地域協力関係のうち,生態学的広が りを基盤として広がってきた地域協力が生み出す秩序形成のダイナミズムに よって,自律的な主権国家が並存する分権型国家間関係のなかに共通利益を 実現しようとするガバナンスがどのように発展してきてきるのかを分析す る。具体的には,冷戦構造の影響で満たされることのなった国境の内側にお ける実際的な意味での自己充足性をそれぞれが相互補完的におぎなうことを 目指した北極地域におけるリージョナリズム,すなわちバレンツ地域協力の 果たす機能と役割に焦点を当てることで,国際公共空間における多国間主義 に基づく秩序形成の可能性について考察することを目的とする。  近年,北極をめぐる国際政治は「協調的オリンピック」1)の様相を呈して いるといわれ,多様な問題領域で多角的な地域協力が進行している。脆弱な 北極圏環境とその生態系保護の問題2),気候変動による氷床溶解の進行にと もなって,地下資源の開発や年間を通じて商業的利用可能性の高い北西航路    目  次 1 はじめに 2 バレンツ地域協力の生成とその諸段階 3 バレンツ地域協力の生成とそのメカニズム 4 バレンツ・ユーロ北極評議会のアクティビティ 5 むすびにかえて─今後の動向と展望

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や北極海(北東)航路に対する主権的権利の取得,あるいは北極海域におけ る大陸棚の帰属問題など,地理的近似性(geographical proximity)を有する 関係国間で交渉が進められつつあるものもあれば,国際法の諸原則に即した 問題解決の枠組みすらいまだ明確ではないものもある。いま北極地域では, 地政学的な重要性の高まり3)を背景にしてグローバル・ガバナンスに象徴さ れる多国間の協調力学とアナキカルな国際政治のリアリズムとが絡み合う複 雑な政治空間が生み出されつつある4)。  冷戦崩壊以後,バレンツ海域とそれに隣接した北極地域に位置する北欧諸 国とロシアとの相互の間で多元的な越境型国際協力を促進することを目的と して設立されたフォーラム型多国間組織5),バレンツ・ユーロ北極評議会

(Barents Euro─Arctic Council: BEAC)6)を事例に,関係諸国間の相互の信頼 醸成や経済・資源・環境・先住民等の各領域における国際協力の実態につい て考察を加え,バレンツ地域に有意な政治的結節点として形成・発展してき たリージョナリズムの役割と意義について検討する。  なお,本稿では,国際法制度あるいはグローバル・ガバナンス論など7), 多岐にわたる北極地域に関する研究をトータルに考察することは別の機会に 譲ることにして,あくまでの焦点を北極地域における地域協力の事例研究の うちバレンツ地域協力の生成過程に焦点を当てた考察になることをあらかじ めお断りしておきたい。 2 バレンツ地域協力の生成とその諸段階  バレンツ海(Barents Sea)は,北極海の一部で,北西はスバールバル諸 島,東はノバヤゼムリヤに囲まれた海域で,オランダの探検家バレンツにち なんで命名された。バレンツ海ならびにその沿岸部からなるひとつの地域を 基盤に派生してきたリージョナリズム,すなわちバレンツ地域協力は,冷戦 崩壊後ソ連・東欧地域を安定化させることを目指し,欧州統合という上位の 動きとパラレルに生起してきた地域協力8)のひとつと位置づけられる。しか

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し近年,気候変動の影響から海氷に覆われていた北極海面積が年々減少する ことで,豊富な地下資源開発の潜在可能性9)と北極海航路利用への需要の高 まり10)が世界的にひろがるなか,北極地域協力のひとつである BEAC の存 在に注目が集まるようになってきている11)  歴史的には,ノルウェー北部との間の海上交易であるポモール貿易が活発 におこなわれていた地域である。ロシアの穀物とノルウェーの魚を主要な取 引する交易は,ロシア側のアルハンゲリスクとノルウェー側のトロムソなど の主要都市間で活発な交流がおこなわれてきた伝統が存在してきた。ポモー ル交易は 19 世紀にその最盛期を迎えたが,20 世紀初頭,ソ連が成立すると 民間貿易への規制が及ぶに至り,急速に衰退した歴史がある12)  その意味では,ポモール交易の時代は越境型交易を媒体に政治社会的な繋 がりが広がったのが前史とするならば,冷戦期を経てバレンツ地域協力が形 成され,社会システムとして制度化された冷戦崩壊から 1990 年代までは形 成期として位置づけることが可能であろう。もちろん冷戦構造の軍事的な最 前線であったバレンツ地域(Barents Euro─Arctic Region: BEAR)を含む北 極地域では,激しい東西対立の時代にも同地域の漁業資源をめぐるレジー ム13)や地域協力構想14)が存在していた。こうした機能主義的な協力関係が BEAC設立に象徴されるバレンツ地域協力の生成にとって重要な要素になっ たことは論を待たない15)。  バレンツ地域が注目を集めるようになった契機は,東西冷戦崩壊前後の構 造変化であった。ベルリンの壁崩壊とソ連解体に伴って,欧州における秩序 再編の影響が波及していった地中海,黒海,バルト海における地域協力とと もに,冷戦以後の秩序再編の過程で海とその周辺沿岸部をめぐる協力として 発展してきた。具体的な課題としては,交易ルートとしての交通インフラス や,そこから生じる経済問題,環境問題などが挙げられる。安全保障や高度 に政治的な領域問題と比較して,より実際的な諸問題を契機とした沿岸各国 に共通するロー・ポリティクスに対する切実な期待とニーズがあったことが 推察される。

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 そもそも冷戦期においては米ソ対立の激化とともに,バレンツ地域を含む 北極地域は戦略上高度に緊張した軍事的対立の前線地域となってきた。当時 のソ連にとって国防および安全保障政策上,北方艦隊の拠点であるムルマン スクが位置するコラ半島周辺は極めて重要な位置を占めてきた16)。そのバレ ンツ地域を含む北極地域に大きな変化が生まれたのである。その契機となっ たのが,バレンツ海を含む北極地域全体の緊張を著しく緩和した,1997 年 に行われたゴルバチョフ(当時,ソ連共産党書記長)によるムルマンスク演 説であった。その主な内容は,欧州北部の非核地帯化,具体的には,ソ連の バルト海艦隊から弾道核ミサイル搭載潜水艦の撤退用意のあること,バルト 海,北海,ノルウェー海及びグリーンランド海での軍事演習縮小に関する協 議,相互に合意した海域での軍事活動の全面的禁止,並びに対潜水艦兵器開 発競争の制限措置の検討,海洋天然資源の共同開発,北極地域の学術調査実 施のための北極地域諸国会議の開催と北極科学評議会の設置,北極地域の環 境保全のための共同計画の策定,「北東航路(Northern Sea Route: NSR)」開 放の可能性などを骨子としたものであった17)。  この演説の趣旨は,環境保全や資源開発などの非軍事的分野での協力関係 を促進することで同地域における信頼醸成をはかる一方で,海洋戦略の点で グレーゾーン化18)していた北極地域ならびに周辺海域で軍縮・軍備管理を 進めることで軍事的緊張を緩和し,もって同地域を平和地域帯へと転換する ことを提案することであった。当時の西側の反応の中には,旧ソ連は単に自 国にとって一方的に有利な状況を作り出そうとしているなどの批判もあった が19),このムルマンスク・イニシアティブ20)は,北極圏に関して極めで控 えめな姿勢に終始し,包括的機構よりも機能的領域での協力関係に限定され た取り極めを好む従来の旧ソ連の方針とはかなり異質なものであり,その意 味で大きな政策転換を示すものであった21)。こうした地政学的な変化は,構 成主義の観点からすると,冷戦期のバレンツ地域では戦略上の軍事的価値が 優 先 さ れ て い た 社 会 的 事 実 が 構 築 さ れ る こ と で 生 じ た「 安 全 保 障 化 (securitization)」 と は ま っ た く 異 質 の 変 化, す な わ ち「 非 安 全 保 障 化

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(desecuritization)」22)と呼ばれる現象へと通底するものであるともいえよ う。  翌 88 年にスウェーデンとノルウェーを訪問していた当時のルイシコフソ 連首相(当時)が先のムルマンスク演説を発展させた形で,その年の旧ソビ エト海軍の軍事演習への北欧の視察団招待,先のムルマンスク・イニシアテ ィブで言及された「信頼醸成措置(CBM)地帯」にバレンツ海を含めるこ となどを言明した。こうしたソ連の政策転換に対して,北欧諸国は北極地域 の安全保障問題について対話の気運が生まれてきたことを歓迎しつつも,当 初は慎重な態度を崩さなかった。しかし,同 88 年,近海でのソ連の原子力 潜水艦事故による放射能汚染に極めて強い関心を持つノルウェーは,ソ連と の間に環境保護及びバレンツ海での海難救助活動及び原子力発電所の放射能 事故の速やかな通告,北極地域での学術・技術協力の 4 点にわたる二国間合 意を実現した23)。また,1988 年にはレニングラード(現サンクトペテルブ ルグ)に北極地域に位置する 8ヶ国(北欧 5 ケ国,ソ連,カナダ,アメリ カ)代表が集まり,北極地域の学術調査の調整と推進を目的とした国際北極 科学委員会(International Arctic Science Committee: IASC)を設立。さらに, 翌 89 年になると,フィンランドの提唱による「北極環境保護戦略(Arctic Environmental Protection Strategy: AEPS)」を目的とした政府間交渉が,他 の北極地域 7 ケ国(カナダ,デンマーク,アイスランド,ノルウェー,スウ ェーデン,ロシア,米国)参加のもとで開催されるに至った。この取り組み はその後に北極評議会へと引き継がれることになった24)。緩やかながら徐々 に地域協力が進行する事態は,第二次大戦以後,多国間の地域協力の枠組み が全くといっていいほど存在しなかったバレンツ海周辺の北極地域にとって 新たな展開の可能性を予想させるものであった。  その後 1990 年初頭,冷戦崩壊によって同地域をめぐる国際政治上の構造 変動が生じると,バレンツ地域に北欧諸国とロシアとの間に本格的な協力の 機運が生まれた。ソ連崩壊の後,ノルウェー,スウェーデンおよびフィンラ ンドはそれぞれ政策を大きく転換し,同 91 年 11 月にスウェーデンが,翌年

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一月にはフィンランドが,それぞれ欧州統合への参加を表明。他方,ノルウ ェーは,欧州統合に対する積極的な姿勢を対口外交と結びつける独自の外交 を展開。当時ノルウェー外相であったストルテンベルグが,1992 年 3 月に このバレンツ地域協力構想について,当時のロシア外相コズイレフに打診し たことを直接の契機として,翌年の 1993 年 1 月 11 日に,ノルウェーのヒル ケネネス25)において,バレンツ地域協力に関する第一回外相会合(ヒルケ ネス外相会議)が開催され,ここにバレンツ・ユーロ北極評議会(BEAC) が設立されるに至った26)  もともと BEAC の設立構想はストルテンベルグ主導のものと進められた。 彼の「未来を守るためにかくのごとき機会をつかむことはわれわれの責務で ある」との言葉にある通り,バレンツ地域を舞台とした地域協力が恐怖と緊 張の支配する鉄のカーテンによる分断から安定と繁栄の広がる地域へと転換 することが意図されていた27)。この点についてヨエンニエミ(Joenniemi) は,その政策上の中心概念が冷戦の東西対立の最前線にあった欧州北部を軍 事戦略環境上の制約から解放することで国内に根強く存在する冷戦型思考か らの「切り離し(detachment)」を促進することにあり,その実現を意図し た地域協力の形成こそバレンツ協力のねらいであったことを述べている28)。 こ の よ う な 概 念 に 関 連 し て, ヨ エ ン ニ エ ミ は さ ら に「 非 安 全 保 障 化 (desecuritization)」がその BEAC 設立をめぐる戦略の構成要素であること を指摘している29)。その意味では,BEAC という多国間組織の設立を通じて 創出されたバレンツ・リージョナリズムの生成プロセスにおいて,とりわけ 安全保障議論のなかで,単なるアクター間の相互作用もしくは構造的なアプ ローチだけでは捉えきれない構成主義的な社会変化プロセスを射程に入れた 分析30)が重要になってくるように思われる。 3.バレンツ地域協力の生成とそのメカニズム  バレンツ・ユーロ北極評議会(BEAC)の特色を端的に表現するならば,

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バレンツ海及びその周辺部で構成される地域において,北欧協力の伝統を基 盤とした緩やかなバレンツ地域を基盤とした多国間フォーラム型国際組織で ある。その活動は,1992 年に開催された「環境と開発に関する国連会議」 で決議された諸原則と勧告を考慮しつつ,現存する地域協力関係を活性化さ せ,且つ新たなイニシアティブと提言を提供することで,バレンツ地域の環 境保護と持続可能な開発を推進することなどを目的として展開されてきた。  近年,バレンツ地域を取り巻く国際環境が北極地域での地政学的変化の影 響を受けることで大きな変化が生じているが,冷戦崩壊直後において, BEACに最も期待されていたことは,東西対立構造の変容を安定化させるた め下位地域レベルでの受け皿,すなわち「協調的な橋渡し機能(cooperative bridge─binding function)」31)となることであった 。それは同地域に緩やかな フォーラム型の国際組織を形成することで,多国間主義に基づく政治的回廊 を制度化しようというポジティブな試みであった。二国間関係だけでは克服 することが甚だ困難な非対称性とアナキカルな政治力学の対立と相克を緩和 することを目的としつつ,バレンツ地域に位置するステイクホルダーだけで はなく,欧州委員会や日本なども介在させることで独自の政治空間を創出し た意義は決して小さくはない。また,欧州周縁部においてパラレルに生じた 政治現象ではあるが,BEAC に EU が政策的に関与する機会を制度化したこ とで,主権国家間レベルの政治空間にリージョナル及びサブナショナルな力 学という次元を異にする複雑なベクトルが交差する社会システム的回廊が創 出されることを可能にした。  BEAC は,デンマーク,フィンランド,アイスランド,ノルウェー,ロシ ア,スウェーデンおよび欧州委員会の 6 カ国および 1 機関で構成される。ま た,オブザーバーは,カナダ,フランス,ドイツ,イタリア,日本,オラン ダ,ポーランド,イギリス,アメリカの九カ国である。また,オランダは 1994 年より,また,イタリアは 1995 年よりそれぞれオブザーバーとして参 加している。BEAC 議長国は,協力の対象となっているバレンツ地域に直接 的関係性を持つ四カ国(ノルウェー,スウェーデン,フィンランドおよびロ

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シア)による持ち回り方式で決定される。発足の 1993 年にノルウェー,同 94 年にスウェーデン,95 年にフィンランド,96 年にロシア,98 年にスウェ ーデン,99 年にノルウェー,2000 年にフィンランド 2001,年にロシアがそ れぞれ担当し,毎年外相会議であるバレンツ評議会を開催してきている。ち なみに,2013 年から 2015 年までの任期はフィンランドが BEAC 議長を担当 している。  BEAC のひとつの特色は,中央レベル(閣僚レベル)のバレンツ評議会と 地方レベルの地域評議会(Barents Regional Committee: BRC)の二重構造で 構成されている点にあり,下部機関として上級閣僚委員会(Committee of Senior Officials: CSO)とその下に作業部会を備えている。現在,対象地域が 発足当初とくらべて拡大していて,ノルウェーのフィンマルク,トロムソ, ロールタント各県,スウェーデンのノルボッテン,ヴェステルボッテン各 県,フィンランドのラップランド,オウル,カイヌー各県,ロシアのムルマ ンスク州,アルハンゲルスク州,カレリア共和国,コミ共和国,ネネッツ自 治区が現在加盟しており,2013 年から 2015 年までの任期についてはロシア のアルハンゲルスク州が BRC 議長を務めている。なお,CSO は BEAC が二 年ごとに外相レベルの会合を開催する間の事務的業務をおこなっており,各 作業部会からの年次報告等のアクティビティや BRS との協働関係を円滑に 運営するための機能を担っている32)。  そもそもノルウェーを中心とした北欧諸国側からみた場合,BEAC を推進 した要因に大別して二つの側面があった。そのひとつは,バレンツ地域の諸 国家間の関係の中でも特に北欧諸国とロシアとの関係を正常化させることに よって同地域の安定化をはかること,いまひとつは,欧州秩序の再編の潮流 をバレンツ・ユーロ北極評議会という多国間の枠組みを基軸として地域化 (regionalization)させることであった。この場合の地域化とは,すなわち第 一に軍事・安全保障上の要因である。戦後ながく敵対関係にあった隣国ロシ アとの間に信頼醸成措置としての機能を確保し,軍事的緊張関係を緩和する ことは,冷戦後の欧州再編の流れを考える際に,軍事のみならず外交の重要

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課題であった。この点についてはすでに,1990 年 9 月,ノルウェー政府は 当時の CSCE(欧州安全保障協力会議)プロセスの一環として,独自にコラ 半島におけるソ連の軍事演習の査察を要請し,受諾された経緯がある。ま た,1994 年 6 月には同国とロシアとの問で海軍による合同演習が実施され ている。もちろんノルウェー政府内にはこのような積極的な外交の展開に対 して批判もしくは懐疑的な意見も存在していた。とくに防衛省内あるいは外 務省の一部にはロシアが潜在的な軍事的脅威の存在であることを理由にきわ めて慎重な姿勢を崩そうとしない反対派が存在し,石油エネルギー省内にも 当時はまでロシアとの間に境界未画定問題を抱えていたことからバレンツ海 での資源開発について否定的な意見が根強く残っていた。最終的には,当時 首相であったブルントラント(Harlem Brundland)が BEAC の協力対象地 域をバレンツ海に隣接する陸地に限定するなどを提案して閣内の見解不一致 を解消した。また,ノルウェー北部にはロシア隣接地域との交流を求める政 治勢力が存在していたことからストルテンベルグの BEAC 構想を支持する 国内的な流れが国会レベルにも広がっていった33)。最終的には,バレンツ地 域協力はノルウェーとロシアとの間に横たわる外交懸案であったバレンツ海 の大陸棚及び経済水域の境界画定の問題が解決するまでは環境協力を例外的 措置対象として除き,それ以外は陸上部分に協力対象が限定されることにな った34)。  またもうひとつの安定化を構成する要素に放射能汚染をはじめとした環境 問題の存在である。世界での類例をみないほど軍民両セクターでの核関連施 設が集積しているバレンツ海地域では,ソ連崩壊後に広範な環境破壊の実態 が次々と明らかになり,近隣諸国に強い衝撃を与えた。コラ半島周辺ではソ 連時代から北方艦隊が十分な処理施設を持たないままで原子炉を利用してき たこと,そのためカラ海に浮かぶノバヤゼムリャ島東岸沖などに使用済み原 子炉や低レベル液体放射性廃棄物の海洋投棄を行なってきたことは,深刻な 環境上の影響を憂慮する北欧諸国にとって看過できない問題となっていた。 ヤコブレフ・レポートは,1959 年から 1991 年にかけて老朽化した原子力潜

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水艦から原子炉等の放射能汚染物質が北極海に投棄されてきたことを明らか にし,北欧諸国にとって深刻な環境上の脅威であるとの認識が広がってい た35)。もともと冷戦時代からセミパラチンスクと並ぶ核実験場とされてきた ノバヤゼミムリヤ島の存在も周辺海域において水産資源への影響が懸念され てきた経緯がある。つまり,バレンツ海周辺においては環境要素のハイ・ポ リティクス化現象がすでに生じていたとも言えよう。バレンツ地域において は上述した深刻な環境汚染問題を背景として実質的な意味で具体的対応へと 繋がる地域協力を推進する駆動力が作用する環境が存在していたものと推察 される36)。  さらに BEAC 設立の目的に経済的要因に関するものがある。バレンツ地 域はながく冷戦構造で分断されてきたこともあり,資源開発をも含めたロシ アとの経済交流の拡大の可能性が高いという期待があった。とくに,国境を 挟んで隣接するノルウェーのように戦後ソ連との直接貿易がほとんどなかっ た国にとって,隣国との経済交流は重要且つ魅力的なものであったことは想 像に難くない。当初は十分な財政援助のない状態で,貧弱な社会インフラや 市場経済の未成熟さから生じる諸問題に撤退する企業が少なくなかった。も ちろん,BEAC 設立を契機とした経済交流が決して平坦なものでなかったこ とも事実である37)。BEAC の活動にどちらかといえば懐疑派の多いノルウェ ー南部とは対照的に,ノルウェー北部では地方政府に隣接する地域に国境を 越えた交流を進めるうえでの主体としての役割が与えられたことで,バレン ツ・リージョナリズムを推進する立場に立つようになっていった38)。ここに BEAC意思決定メカニズムのもつ二重構造の特徴のひとつがあるともいえよ う。  次に,ロシアの立場から見ると,このバレンツ協力はどのような意図と目 的をもって行なわれたのか。ソ連時代には,冷戦による厳しい対立のため長 期にわたり北極地域自体を軍事戦略的な観点から捉える見方が支配的であっ た。そのため経済や科学,或いは環境分野での協力は,対外政策及び国内政 策の両面で二次的なものとして位置付けられていた。しかし,ムルマンス

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ク・イニシアティブ以降,北極地域政策の重心は,軍事戦略的要素から社会 的要素へと明らかにシフトしている。特に,その後起こった冷戦の崩壊とツ 連邦の解体は,否応なくこうした傾向を促進した。ただ,そもそもソ連時代 から始まった政策シフトの背景には,先に指摘したとおり,国内的な要因と して北極地域で最も工業化と軍事化か進んだコラ半島地方に見られるような 環境問題の深刻化そして生態系やサブカルチャーを無視した開発に伴う住民 の生活への悪影響を生むという社会問題の存在があり,そのための早急な解 決が望まれていたことがある39)。またもうひとつの要因として,当時,ゴル バチョフ政権時代から既に生じていた改革路線をめぐる中央政府と地方,軍 とシビリアンとの問に存在する対立の構造を解消する狙いも込められていた といわれている。その後,2000 年以降のプーチン政権の時代となると段階 的に「地方への統制強化」40)として中央集権化が強化されたことで北西ロシ アの地方政府レベルにおいて BEAC に関わる諸活動に制限がかかるように なった。その一方で,BEAC を窓口として資金を獲得することは禁止される ことなく,「中央集権化が地方に対する『ムチ』だとした場合,地方政府に よる BEAC 外交を『アメ』として利用」する国内政治と国際政治とのリン ケージ・ポリティクスを前提とした統治メカニズムが定着するようになって きた41)  1992 年段階でロシア外務省内には BEAC 構想に強い反対論が存在してい たが,外務省出身のコズイレフ外相(当時)がエリティン大統領(当時)の 承認を取り付けることでようやく交渉への地歩を続くことに成功した。ソ連 崩壊後に誕生したロシアにとって,バレンツ地域の形成プロセスに参加する という選択の中にはその動機として北欧諸国との関係を構築することで当時 の欧州秩序再編の過程で欧州連合との関係性を維持できることへの期待があ った。この点については,当時のロシアは対称性に基づく冷戦構造の変容と 国内体制の変動にともなう不安定化を契機としてそれ以前とは異なる行動様 式をとるようになったとの指摘もある42)。つまりバレンツ地域協力を推進す るロシアの動機には,長年の協力関係で培われた様々な伝統と豊富な経験を

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有する北欧諸国との地域協力を足掛かりとして,ほとんど開発の手の延びて いない北極地域の資源開発や商業航路の導入を視野に入れつつ,北極地域に 位置するロシア側バレンツ地域の社会的諸問題を解決したいとの意図が働い ていたものと推測される43) 4.バレンツ欧州北極評議会のアクティビティ  では,フォーラム型組織である BEAC は実際にどのようなアクティビテ ィをもつのかについて以下に何点かに絞って検討してみたい。  BEAC の主要なアクティビティのひとつが経済協力である。これは,同地 域内で留易,投資,産業協力などの分野における経済協力を促進することが 重要であるとの関係諸国共通の認識が存在することが背景にある。その要因 は二点あり,その一点目は,今後のバレンツ海の海底油田開発を含めたエネ ルギー分野での潜在的に高い開発可能性である。二点目は,北極圏の東側に 位置するアラスカを経由して北米西岸地域や日本をはじめとした東アジアと の交流を促進する「北東航路」の開発である44)。BEAC では同航路について の作業部会を設置し,その後この分野についてはノルウェーのナンセン研究 所等を中心としてロシアと日本との共同研究もおこなわれてきた。そのなか でも最も世界的注目を集めているのが北極海航路をめぐる活発な動きであ る。北極海航路(NSR)に関してはすでに共同研究の段階からコマーシャル ベースの段階へと移行してきているのが実情である。  近年北極海航路(NSR)が国際貨物輸送航路としての商業利用が確立され 以降,氷海と通常の海との境界付近に位置するバレンツ地域がハブポートと して重要な起点となりつつある。今後,北極航路が欧州とアジアを直結する 貨物輸送の回廊としての意味にとどまらず,航路周辺及び沿岸部の拠点化開 発,あるいは航路周辺海域に埋蔵が確認されている海底資源の開発・生産な どの潜在的可能性が指摘されている。たとえば BEAC の作業部会が策定し た『バレンツ地方輸送計画』によると,バレンツ海周辺に位置するムルマン

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スクやヒルケネスなどの主要 16 港を北極海航路ならびに地域の回廊と位置 付ける中長期的な計画が進められており,なかでもヒルケネスにおいては北 極航路の拠点化に向けた港湾整備投資が進行している45)。その背景には, 1996 年ロシアのアルハンゲルスクで開かれた BEAC 運輸閣僚会議でバレン ツ地域における運輸交通分野での協力必要性が提起され,その後バレンツ地 域が欧州連合の運輸交通上の重要な交通地域(Transport Area)として指定 されたことがある。その後この決定をうけて,1998 年にコペンハーゲンで 開かれたにフィンランド,ノルウェー,ロシア,スウェーデン,欧州委員会 それぞれの運輸担当相会議で「バレンツ・ユーロ北極交通地域(Barents Euro─Arctic Transport Area: BEATA)」が設立され,そのガイドラインと運 営委員会が策定された46)。  もともと 1995 年に BEAC 加盟国であるスウェーデンとフィンランドが EUに加盟したことでバレンツ地域は EU の一部となり,同時に域内に EU とロシアとの境界を含むことになった。BEAC の欧州連合重視の方針なども あり,EU の三つの地域補助プログラムから財政支援がなされてきた経緯が ある47)。そのひとつが,1997 年にフィンランドが提唱して EU の政策に採用 されたノーザン・ダイメンション(Northern Dimension)である。同地域内 での社会インフラの整備についても今後関係諸国間での交流が活発化してく ることが予想され,そのためにも同地域での交通・通信関連の社会インフラ 整備が進められつつある。BEAC は欧州委員会による CIS 技術支援プログラ ム TACIS や,同じく EU 域内地域への援助政策の一環である国境を越えた 地域間協力促進プログラム INTERREG でも資金を獲得し,冷戦終焉ととも に欧州最北端の地方自治体を包摂する越境型地域協力を展開してきた。  もうひとつの BEAC のアクティビティの特徴を端的に物語るのは環境問 題分野である。BEAC 設立宣言の中では,バレンツ海域における経済的諸活 動に関して,とりわけ天然資源の採掘にあったては汚染源の段階で環境汚染 を防止する対策を講じることで,環境への十分に配慮されねばならいとの原 則が示されている。特に,放射性廃棄物の貯蔵や廃棄に関して,国際的な協

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力と技術的改善によって解決されねばならないとしている。また,BEAC 宣 言は肥大化した軍需産業や施設を商業ベースで民生部門へと転換を図るため の地域協力の促進を勧告しているが,バレンツ海のうちとりわけロシアを取 り巻く地域には,核汚染ならびに核以外の大気汚染および海洋汚染が存在す る。核汚染については,地球上で民用・軍用原子炉の集中する地域は他には ないといわれるほどこの地域では核の危険度が高いと言われてきた48)。1990 年にはムルマンスクなどに全部で 200 基以上もの原子炉が存在していた。ま た,核時代の遺産ともいえる事故が多発してきた地域でもある。そこで,ノ ルウェー政府は 1995 年以来,安全対策のための財政支援を続けながら,そ の一方で翌年には自らのイニシアティブで老朽化したロシアの原子力船舶の 対応を目的とした北極軍事環境協力(The Arctic Military Environmental Cooperation: AMEC)を主導した49)。これにはアメリカやイギリスも参加す ることになり,その結果,ロシア核潜水艦・核燃料貯蔵船の廃棄・維持に関 して主要国の中でもロシアへの援助を契機として,大量破壊兵器・物資拡散 に対するグローバルなパートナーシップを作り上げることが確認された。そ の優先的な関心は特にコラ半島における原子力潜水艦等の廃棄並びに処理の 問題であった。こうした努力はその後にロシアとの間で多国間核環境プログ ラムの枠組み協定締結へと繋がり,北極地域における放射能汚染と安全をめ ぐる多国間協力を深めることへと繋がった経緯がある50)。今後も問題解決に は長い時間がかかることが予想されるが,結果的には,BEAC を舞台とした 環境分野における多国間・政府間協力がバレンツ地域の周辺国間の信頼醸成 を促進しながら,深刻な環境汚染問題の解決に向けたガバナンス創出におけ る政治的な触媒としての機能を持ってきたと理解できる。  そもそも,バレンツ・リージョナリズムの狙いは,北欧諸国とロシアとの 関係を正常化と同地域の安定化,いまひとつは,欧州秩序の再編の潮流を BEACという多国間の枠組みを基軸として地域化させることであった。その 後に北極地域における環境変化と資源開発などへの期待の高まりに応じてそ の国際社会における戦略的な意味で相対的にその重要性が大きくなってきお

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り,たしかに BEAC はそれぞれの加盟国政府の政策決定に直接影響力を行 使することはないものの,発足以来 20 年以上にわたるバレンツ地域協力の 実績を手掛かりとしながらしずかに地域安定化への結節点あるいは政治的回 廊としての機能をそなえつつある。たとえば,ロシアとノルウェーとの二国 間の境界画定問題に関していうならば,2010 年 4 月,ロシアとノルウェー 両国は,40 年にわたって懸案であったバレンツ海における境界画定で合意 し,同年 9 月,「バレンツ海および北氷洋における海洋の境界画定と協力に 関する条約」に調印した51)。ロシアとノルウェー52)との二国間関係に関わ る事案ではあるが,両者の合意形成という政策決定の過程で BEAC を通じ て創出された信頼醸成が無視できない影響を与えてきたことは否定できな い。近年の国際的な資源エネルギー情勢には予測困難性が避けられないもの の,少なくとも中長期的にバレンツ海域における両国の共同開発プロジェク トがさらに進展していく潜在的な可能性は存続するものと思われる。1990 年後半以降は優先順位が下がってきているものの,BEAC を通じた人的交流 分野や漁業,環境分野での協力は 2000 年代に入って進展しており,バレン ツ地域関係国にとって共通の利益が存在する分野で今後の進展が期待されて いる。 5.むすびにかえて─今後の動向と展望  冷戦体制の動揺と共に 1980 年代後半から地域を取り巻く状況は変わり始 めている。冷戦崩壊と欧州再編の進行する時代から,北極圏をめぐる国際的 秩序形成に注目があつまる時代へと移り変わりつつある。バレンツ地域に代 表される欧州の極北(High North)は伝統的に「周縁性と中心性との奇妙な 結合」53)が現出する。豊富な資源と地球の交通網の頂点に位置するこの地域 が,一方で地球環境問題や資源の保護というグローバル・ガバナンスの対象 領域であると同時に,他方で周辺各国の利益が衝突する利権闘争の場である 中で,その相反する動きを繋ごうとする現実的な地域協力の動きがいくつか

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の機構によって始められている54)。

 その中でも BEAC は,北極圏会議(Arctic Council),環バルト海諸国会議 (Council of the Baltic Sea States)などともに北極における多様な国際協力を 推進する国際組織として位置付けられるに至っている。20 年にわたるバレ ンツ地域協力によって形成されてきたリージョナリズムが,バレンツ地域周 辺国間相互の信頼醸成の深化ならびに実際的な多国間(政府間)協力の促進 に果たしてきた政治的な意義は大きいものがあり,北極地域におけるガバナ ンスの点からもますますその存在に関心が高まることが予測される55)。連続 性と非連続性あるいは周縁性と中心性の観点からも,北極地域における国際 的秩序形成プロセスで北極地域に生成するバレンツ・リージョナリズムの果 たす役割は示唆に富む。有意義な政治的回廊としての機能を備えたフォーラ ム型国際組織である BEAC はこれからどのような役割とアクティビティを 展開しようとしているのか。ウクライナ危機以降の主導国なき変動の時代に あってその存在意義が問われている。

1)  Olav Schram Stokke, Geir Honneland (Eds.), International Cooperation and Arctic Governance: Regime effectiveness and northern region building, New York: Routledge, 2007, p. 2. Peter Hough, International Politics of the Arctic: Coming in from the cold, New York: Routledge, 2013, pp. 17─47.

2)  Timo Koivurova, E. Carina, H. Keskitalo, Nigel Bankes (Eds.), Climate Governance in the Arctic, Springer.com, 2010, pp. 77─95.

3)  Philip E. Steinberg, Jeremy Tasch and Hannes Gerhardt, Contesting the Arctic: Politics and Imaginaries in the Circumpolar North, London: I.T. Tauis, 2015, pp. 161─179. Richard C. Powell and Klaus Dodds (Eds.), Polar Geopolitics?: Knowledge, Resources and Legal Regimes, Cheltenham: Edward Elgar, 2014, pp. 3─18, pp. 241─ 258.

4)  Willy Østreng, Karl Magnus Eger and Brit Fløistad, Arnfinn Jørgensen─Dahl, Shipping in Arctic Waters: A Comparison of the Northeast, Northwest and Trans Polar Passages, New York: Springer, 2013, pp. 47─82. Kathrin Keil, “The Arctic: A New region of conflict? The Case of oil and gas,” Cooperation and Conflict: Journal of the Nordic International Studies Association, Vol. 49 (2), pp. 162─164. 西元宏治 「北極海のガバナンスとその課題:海洋の法的地位・国家間協力の枠組みを中心に」

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『国際問題』第 627 号,2013 年,5─6 頁。高橋美野梨「北極利権とデンマーク─ 「地理的中立」に基づく外交的リーダーシップ」『境界研究』第 2 号,2011 年,85─ 86 頁。 5)  BEAC は設立目的に基づく任務遂行の組織としてだけではなく,同時に,国際組織 としての内部環境においては主権(sovereignty)を有する各加盟国が主体となって 協議や利害調整をおこなう場としての多国間フォーラムの特徴も併せ持つ。勿論, 緩やかな国際組織ではあるもののそのアクティビティの効果と影響もさることなが ら,アクター論中心のアプローチでは見過ごされがちな後者の機能が BEAC の存 在意義を際立たせている。とりわけ EU ならびに NATO の東方拡大の反作用的な 現象は,BEAC の橋渡し機能を再認識させることになった。 6)  本稿では,BEAC の呼称を外務省の邦訳にしたがって「バレンツ・ユーロ北極評議 会」とする。 7)  オラン R. ヤング(佐藤俊輔訳)「変革時代における北極海のガバナンス」奥脇直 也・城山英明(編著)『北極海のガバナンス』東信堂,2013 年,4─18 頁。 8)  バルト海諸国評議会(CBSS),黒海経済協力(BSEC),ヴィシェグラード・グルー プ(Visegrad group)及び中欧自由貿易協定(CEFTA)などが該当する。 9)  Philip E. Steinberg, op. cit., pp. 92─111.

10)  Willy Østreng, op. cit., pp. 11─82.

11)  この分野の先行研究として,Olave Schram Stokke and Olave Tunander (Eds.), The Barents Region: Cooperation in Arctic Europe, London: Sage Publication (1994), 拙著「バレンツ欧州北極圏評議会の成立」『行動科学研究』第 47 号(1995 年),黒 神直純「バレンツ地域協力」『外務省調査月報』1996 年 1 月号,吉武真理「五周年 を迎えたバレンツ地域協力─高まる北極圏地域協力への期待」『HOPPOKEN』1998 年 7 月,大島美穂「北極圏における国際政治」『国際法外交雑誌』第 110 号 3 巻 (2011 年),大西富士夫「バレンツ・ユーロ北極評議会(BEAC)の推進要因と今後 の行方」『ロシア・ユーラシアの経済と社会』972 号(2013 年)などがある。 12)  Jens Petter Nielsen, “The Barents Region in Historical Perspective Russhian─

Norwegian Relations 1814─1917 and the Russian Commitment in the North”, Olave Schram Stokke, op. cit., 1993, pp. 87─100.

13)  Olav Schram Stokke, Disaggregating International Regimes: A New Approach to Evaluation and Comparison, Massachusetts: The MIT Press, 2012, pp. 81─107. この なかで Stokke は,バレンツ海をおける漁業レジームがロシアの市場経済移行に伴 う共同管理の取り組みによって規制遵守や科学調査などの点で制度強化されたとの 見解を示している。 14)  冷戦期の北極地域協力については次を参照。大西富士夫「北極地域協力をめぐる国 際政治:冷戦期の 1990 年代の連続性と非連続性」『海洋政策学会』第 12 号,2014 年,7─8 頁。このなかでも 1976 年に発効したホッキョクグマ保全条約(1978 年批 准)が契機となって,北極にかかわる問題は北極海沿岸国(カナダ,デンマーク / グリーンランド,ノルウェー,ソビエト,アメリカ合衆国)5 ケ国間で取り扱われ

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るべきであるとの認識(北極 5 カ国体制)が定着した。Oran Young, Gail Osherenko, “Polar Bears: The Importance of Simplicity,” Polar Politics: Creating International Environmental Regimes, London: Cornell University Press, 1993, pp. 96─151. あるい は,ローカルなレベルでの協力関係を模索したものとして北欧三カ国の北極地域に 「ノールカロテッン」も存在した。地方のイニシアティブが分断状態を打ち破る契 機となったことも報告されている。吉武真理,前掲論文,34 頁。 15)  大西富士夫(2014),前掲論文,3 頁。大西は冷戦終結後の北極政治を,1990 年代 を北極政治の第 1 幕とするならば,2000 年代以降から現在までをその第 2 幕の幕 開けと位置付けられるとし,さらに第 2 幕の特徴を北極国際政治の基本的特徴及び 政治力学が継続・維持されたまま,第 1 幕には見られなかった新しい力学が水面下 で形成されつつあると指摘している。こうした北極国際政治の変化はバレンツ・リ ージョナリズムにも強い共振現象と影響を与えてきている。

16)  Sverre Lodgaard (Ed), Naval Arms Control, London: SAGE Publications, 1990, pp. 1 ─41.

17)  Oran R. Young and Oshrenko, “International cooperation in the Arctic: Soviet attitudes and actions, Lawson W. Brigham (Ed.), The Soviet Maritime Arctic, London: Belhaven Press, 1991, PP. 258─283.

18)  Nils P. Gleditch, “The Strategic Significance of the Nordic Countries,” Current Research on Peace and Violence, No. 1─2, 1986, pp. 31─36.

19)  Willy Østreng, “ The changing Mood of the Kremlin”, International Challenges, No. 2, 1989, pp. 10─14.

20)  K. Atland, “Mikhail Gorbachev, the Murmansk Initiative, and the Desecuritization of Interstate Relations in the Arctic,” Conflict and Cooperation: Journal of the Nordic International Studies, Vol. 43 (3), 2008, pp. 289─311.

21)  David Scrivener, Gorbachev’s Murmansk speech: the Soviet initiative and Western response, Oslo: Norwegian Atlantic Committee, 1989.

22)  Atland, Kristian, “Mikhail Gorbachev, the Murmansk Initiative, and the Desecuritization of Interstate Reactions in the Arctic,” Cooperation and Conflict: Journal of the Nordic International Studies Association, London: SAGE publications, Vol. 43 (3), 2008, pp. 289─311. コペンハーゲン学派と呼称される Waever らが主張する安全保障 化理論によると,安全保障のアジェンダはディスコースを通じてある問題が安全保 障の問題であるという社会的事実が構築されるという構築主義的プロセスを通じて 決定されるとする。そのプロセスは,安全保障化(securitization)アクターによっ て脅威の存在の訴えが及びその脅威に対処するための非常手段として,オーディエ ンスによるその主張の受容から構成される。安全保障化が成立するか否かは,オー ディエンス(聴衆)が受容するか否かが重要な意味を持つ。詳細は次を参照。 Barry Buzan, Ole Waever, Jaap de Wilde, Security: A New Framework for Analysis, London: Lynne Reinner Publisher, 1998, pp. 203─213.

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望─」『外務省調査月報』1997 年 1 月号,83─84 頁。

24)  Geir Honneland and Olav Schram Stokke (eds.), International Cooperation and Arctic Governaence: Regime effectiveness and northern region building, New York: Routledge, 2007, pp. 2─5.

25)  現在,International Barents Secretariat(IBS)として事務局が開設されている。 26)  Young Oran, “Negotiation: The Roads to Rovaniemi and Kirkenes,” Creating Regimes:

Arctic Access and International Governance, London: Cornell University Press, 1997, pp. 86─121.

27)  Thorvald Stoltenberg, “Forewaod: Steller Moment,” Andrew Cotty (ed.), Subregional Cooperation in the New Europe: Building Security, Prosperity and Solidarity from the Barents to the Black Sea, London: Macmillan Press, 1999, viii.

28)  Pertti Joenniemi, “The Barents Euro─Arctic Council,” Andrew Cotty (Ed.), Subregional Cooperation in the New Europe, London: Macmillan Press, 1999, pp. 39─41.

29)  Ibid, p. 39.

30)  Geir Honneland, “Identity Formation in the Barents Euro─Arctic Region,” Cooperation and Conflict: Journal of the Nordic international Relations Association, Vol. 33 (3), 1998, pp. 277─294. Anders Kjolberg, The Barents Region as a European Security─

building Concept, Stokke and Tunander (eds.), op. cit., pp. 189─193. 31)  Andrew Cotty, op. cit., p. 4.

32)  Barents Euro─Arctic Council(BEAC)ホームページを参照。   〈http://www.beac.st/en/Barents─Euro─Arctic─Council〉

33)  Sverre Jervell, “High North: From Cold War Confrontation to Regional Cooperation, a Speech at the Spring Seminar of the Norwegian Academy for Polar Research,” Longyearbyen, 3 June, 2010.

34)  吉武真理(1997),前掲論文,83 頁∼84 頁。

35)  Sanjay Chaturvedi, The Polar Regions: A Political Geography, New York: John Wiley & Sons, 1996, PP. 100─104.

36)  Olav Schram Stokke, “Environmental Cooperation as a Driving Force in the Barents Region,” Stokke and Tunander, op. cit., pp. 145─158.

37)  吉武真理(1998),前掲論文,34 頁。 38)  Sverre Jervell, op. cit..

39)  Stokke, op. cit., pp. 145─148.

40)  堀内賢志『ロシア極東地域の国際協力と地方政治─中央・地方関係からの分析』国 際書院,2008 年,32─34 頁。

41)  大西富士夫(2013),前掲論文,38─36 頁。

42)  Pavel K. Baev, “Russian Perspectives on the Barents Region”, op. cit., pp. 175─186. 43)  Ibid.

(20)

Tunander, op. cit., pp. 159─171.

45)  合田浩之「北極海航路におけるハブポートの考察―ノルウェー・ロシアの事例から ー」『海事交通研究』第 63 号,2014 年 11 月,3─12 頁。欧州とアジアを結ぶ北極航 路は北東航路(Northern Sea Route: NSR)と北西航路(Western Sea Route: WSR) の二航路がある。実施的な意味で国際貨物輸送が確立したといえる前者をもって北 極海航路とする場合が多く,本稿も特別の断りがない場合はこれに従うことにす る。

46)  Barents Euro─Arctic Council, BEAC Working Groups (transport).

  〈http://www.beac.st/en/Working─Groups/BEAC─Working─Groups/Transport〉 47)  吉武真理(1998),前掲論文,36─37 頁。

48)  Steven G. Sawhill, “Cleaning─up the Arctic’s Cold War Legacy: Nuclear Waste and Arctic Military Environmental Cooperation,” Conflict and Cooperation: A Journal of the Nordic International Studies, Vol. 35 (1), 2000, pp. 5─63.

49)  Olave Schram, Geir Honneland, Peter Johan Schei, “Pollution and conservation,” International Cooperation and Arctic Governance, New York: Routledge, 2010, pp. 78─111.

50) 黒神直純「バレンツ地域協力」『外務省調査月報』1996 年 1 月号,1─17 頁。 51)  “Norway and Russia sigh maritime delimitation agreement,” Barents Observer,

September 15, 2010. 〈http://barentsobserver.com〉

52)  近年ノルウェーの対ロシア政策が多国間主義から二国間主義へとその重心がシフト していることが指摘されている。大西富士夫(2013 年),前掲論文,36─38 頁。 53)  Teemu Palosaari , Frank Moller, “Security and Marginality: Arctic Europe after the

Double Enlargement,” Cooperation and Conflict: Journal of the Nordic International Studies Association, Vol. 39 (3), 2004, pp. 255─281.

54)  大島美穂「北欧における国際政治:グローバル・ガバナンス,下位地域協力,国家 間政治の交差の中で:その現代的課題」『国際法外交雑誌』第 110 巻(3),2011 年,401─442 頁。

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