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Lors que Maillart Juge d' Enfer menoit A Montfaulcon Samblançay l' âme rendre, A vostre advis, lequel des deux tenoit Meilleur maintien? Pour le vous

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Academic year: 2021

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クレマン・マロの幾つかの詩に見られる対称性

ORII Hozumi

 古典古代の詩作品には時として対称的な配置が見られることがある。ウェルギリウスの『牧 歌』はその代表例だ1。また,イギリスのルネサンス期の詩人たちの作品がしばしば対称的な 構成を有することも知られている2。当時のイギリスには,対称的な詩を実例を挙げて論じて いる理論書さえ存在した3。では,フランスの詩人たちは対称性に関心を持っていたのだろう か。この点については,あまり研究が進んでいないのが現状だ。だが,近年,ラブレーの作品 が対称構造を有するのではないかということが論議されるようになってきており,このことを 証明するためにもフランスの文人たちの対称構造への関心のあり方の全体像を明らかにしてい く必要があろう4。こうした問題意識の下,以前,筆者はラブレーと近しい関係にあったクレ マン・マロの風刺詩『地獄』の構造に注目し,その対称性を証明すると共に,その意義につい て考察した5。さらに,ラブレーの『第三の書』がマロの風刺詩の直接的な影響を受けて書か れたことも,既に明らかになっている6。これらの研究結果を補足するため,本論では,クレ マン・マロの他の幾つかの詩にも対称構造が見られることを示し,この詩人が若い頃から一貫 して対称構造に関心を持っていたという事実を立証する。そのため,『サンブランセのエピグ ラム』,聖書の詩編の翻訳に付された序文『フランスの貴婦人たちへ』,そして『マグロンヌの 書簡詩』の三作品について検討することにしよう。証明を分かり易くするため,ここでは短い 詩から順番に分析を進める方法をとる。

『サンブランセのエピグラム』

 マロはどの程度,対称構造に関心を持っていたのか。このことは,詩人のアナグラム的なモ ットー La Mort n' y mord を見れば,ある程度想像できる。このモットー自体が既に,意味と音 の両面における最も単純な対称構造の例となっているからだ。前半二音節,後半二音節のたっ た四音節で構成されているこのモットーは,中心でその意味を逆転する。通常,辛く悲しいも のとされる「死」は,ここでは寧ろ肉体という牢獄からの解放として捉えられている。つまり, このモットーは福音主義者マロの思想の特徴をよく表していると言えよう。では彼の作品につ

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いてはどうか。『フロリモン・ロベルテの哀悼詩』においては作品のちょうど中心に内容上の 転回点があることが知られている7。この詩の前半では擬人化された「フランス」がロベルテ の死を嘆くが,後半では「死」の台詞がそれに代り,そこで死は永遠の生をもたらすものとし て評価されるのだ。この詩が彼のモットーと同一の論理構造を有していることに注目したい。 すると,この哀悼詩が中心に切れ目を持つ二部構成となっていることは十分に論理的なのだ。  では,もっと完全な対称性を持つ詩はあるのだろうか。彼の短い詩の中には,『サンブラン セのエピグラム』のように,交差配列的な構成が比較的容易に判別できるできるものがある。 フランソワ・リゴロは,固有名詞の果たす様々な機能に注目しつつ,このエピグラムの構造の 特性を明らかにした8。まずはテクストを引用しよう。

 Lors que Maillart Juge d' Enfer menoit

A Montfaulcon Samblanç ay l' â me rendre, A vostre advis, lequel des deux tenoit

Meilleur maintien? Pour le vous faire entendre, Maillart sembloit homme, qui mort va prendre : Et Samblanç ay fut si ferme vieillart,

Que l' on cuydoit (pour vray) qu' il menast pendre A Montfaulcon le Lieutenant Maillart.

ここに登場する「地獄の裁判官マイヤール」とは,苛酷で知られたパリ奉行刑事代行官ジル・ マイヤールのことであり,この人物は『地獄』においては地獄の裁判官ラダマンチュスの姿で 登場している。他方,サンブランセ卿ジャック・ド・ボーヌは,フランソワ一世の大蔵大臣で あった。ところが財政瞞着の罪により,彼は1527年8月にモンフォーコンの刑場で絞首刑に処 せられた。彼が真に有罪であったのかそれとも濡衣であったのか,我々には知る術がない。だ が少なくともマロが彼に対して同情的な立場であったことは,彼の詩から窺える。  では,このエピグラムの構造に注意を向けよう。この八行詩のちょうど真ん中に転回点があ ることは,すぐに見て取れる。前半の四行の映像は,後半の四行で逆転する。最初の二行では マイヤールがサンブランセを絞首台に連れていくのに,最後の二行では,おかしなことに,寧 ろ罪人であるサンブランセが奉行マイヤールを絞首台に連れていくかのように見えるという。 大蔵卿の名前が前半と後半に現れるのと同様に,奉行の名も第一行と最終行に対称的に現れる。 確かにマイヤールの名は後半の第一行にも現れる。だが,この事実は対称性を崩すものではな い。何故なら,Meilleur という言葉が前半の最終行に置かれているからだ。実際,Maillart と

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Meilleurという二つの言葉は,音が似ている。  この詩の主題は「外観 semblance」の問題であるが,罪人である大蔵卿の名前サンブランセは この主題を体現している。一方,裁判官のマイヤールという名前は,フランソワ・リゴロの指 摘するところによると,音の類似から「鎚 mail」を喚起するという。このように,この裁判官 の名前は「固さ」を象徴している。だが,これは見た目に過ぎない。読者は次第に,この裁判 官がそれほど堅固ではないことに気づく。マロは裁判官の態度と罪人の態度を比較し,読者に 問う(<< A vostre advis, lequel des deux tenoit / Meilleur maintien? >>)。Maillart と Mail の音の類似 からだけではなく,さらに Maillart と Meilleur という発音の面からよく似た二つの言葉の対称 的併置により,読者は,最初の方では裁判官の方が罪人よりも堅固な態度であるという印象を 受ける。しかし現実は寧ろ反対だ。実際,罪人のサンブランセの方が裁判官マイヤールよりも 堅固 ferme なのだ。こうして読者は最終的に詩人によって準備されたあべこべの映像に辿り着 く。  確かに最初の二行は現実を,そして最後の二行は外面的な印象を書いたものだ。だが,この 外観こそ二人の性格を忠実に反映しているので,存在と外観の関係は複雑になっている。この 詩の世界においては,現実的身分は虚偽的外観でしかなく,外面的印象が寧ろ内面的真実であ る,と言えよう。従って,このエピグラムの対称的な構成は単なる一方向的な逆転にとどまら ない。そこには「現実(内)から印象(外)へ」と「現実という虚像(外)から真の姿(内) へ」という殆ど正反対の二つの逆転が同時に進行するのだ。加えて,詩の中心には,よく似た 二つの言葉が併置され,存在と外観の不安定な関係を象徴する機能を果たしている。何故なら, 音の類似にもかかわらず,Maillart は全く Meilleur ではないからだ。このようにして,マロは交 差配列的構造の特性を巧みに生かしたのである。  エラスムスをはじめとする多くのユマニストたちは,存在と外観の関係に大きな関心を抱い ていた。こうして,福音書の「だれでも高ぶる者は低くされ,へりくだる者は高められる(ル カ14,11)」といったパラドクスが,彼らの関心を自然と引きつけたのである。マロについて も同様のことが言えよう。リゴロが指摘している通り,確かに『サンブランセのエピグラム』 の構造には,このような「福音思想的キアスム」の反映が見られるのだ。

『フランスの貴婦人たちへ』

 エドウィン・デュヴァルは1997年に発表された論文の中で,マロの三つの詩(即ち『クピド の神殿』,『フェラーラ亡命時における王への書簡詩』,詩編の翻訳への序文『フランスの貴婦 人たちへ』)とマルグリット・ド・ナヴァールの戯曲『異端審問官』を扱っている。彼はとり

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わけ「心」という共通のテーマに着目し,これらの作品において構造と主題との間に密接な関 係が見られることを指摘した9『フェラーラ亡命時における王への書簡詩』の構造の特殊性に 関しては,ジェラール・ドゥフォーも指摘している10。実際,書簡詩のほぼ中心で,マロは一 瞬王に手紙を書いていることを忘れ,神に直接呼びかける。そして暫く後,彼は再び我に返り, 手紙の続きを再開するのである。この詩の構造は対称的とは言えないものの,中心部という特 殊な場所が有する潜在的可能性に対してマロが少なからぬ関心を持っていたことが分かる。  デュヴァルが扱ったマロの三つの詩の中で最も対称性が明確に見られるのは詩編の翻訳への 序文であろう。この詩はまず,神がクピドに比べて十分に崇められていない現状への憂いと, 真なる神だけが崇められる黄金時代はいつ到来するのだろうかとの問いかけから始まる(v.1-7)。次に世俗的な愛の歌を好む貴婦人たちの姿が描かれ,このような御婦人方のために同じ 愛でも俗愛ではなく聖愛についての歌を提示しよう,と詩編翻訳の動機が述べられる(v.8-22)。 三番目にこの聖愛の歌の不思議な力,即ち心に与える特種な効果が語られる(v.23-40)。そし て四番目に詩編を歌う職人や農夫,羊飼いなどのことが語られ(v.41-54),最後に,「真の愛の 神」の歌を歌うことによって黄金時代を招来しよう,と述べて序文は締めくくられる(v.55-62)。 この詩の構造は次のように図示されよう。     ・黄金時代への待望      ・俗なる愛の歌を歌う貴婦人たち       ・回心(真の愛の歌が心に及ぼす効果)      ・聖なる詩編を歌う職人や農夫たち     ・黄金時代への待望  デュヴァルが言う通り,この詩は確かに対称的な構成を用いて書かれている。この構造を利 用することによって,マロは俗愛から聖愛への逆転を表現することに成功している。だが,こ こには直線的な動きだけではなく,求心的な動きがあることに注意したい。まず,福音思想的 黄金時代が詩の両端に現れ,神話的かつ聖書的な宇宙を象徴している。次に,宮廷の婦人たち と貧しい労働者たちは,地上的かつ日常的な世界を表している。そして中央部では個人の内面 が描かれる。この三つの象徴的空間が,構造の求心的な動きに対応しているのだ。  デュヴァルによって示されたこの詩の構造的特殊性は,中心部を詳しく分析することによっ ても確認される。

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A faict en vous langage, & voix Pour chanter ses haultes louanges, Non point celles des Dieux estranges, Qui n' ont ne pouvoir, ny aveu De faire en vous ung seul cheveu. L' amour dont je veulx que chantez Ne rendra voz cueurs tourmentez

Ainsi que l' aultre, mais sans doubte, (最初から数えて第31行目)

Il vous remplira l' â me toute (最後から数えて第31行目)

De ce plaisir solacieux

Que sentent les Anges aux cieulx, Car son Esprit vous fera grâ ce De venir prendre en voz cueurs place, Et les convertir, & muer,

Faisant voz levres remuer, Et vos doigtz, sur les Espinettes,

Pour dire sainctes Chansonnettes. (v.23-40)

この部分は「A ではなく B である(non A, mais B)」という形式に従って書かれており,前半 と後半の二つに分けられる。前半に登場するそれぞれの要素は,後半に対となる要素を持って いる。例えば,異教の神々は髪の毛一本ほどのものも作り出すことはできないのに対して,神 の霊は心の中に降り来たり心を揺り動かす。俗なる愛は心を苦しめるのに対して,聖なる愛は 心を喜びで満たす。ところで,この詩は全62行で構成されている。詩の中心はちょうど第31行 と第32行の間に位置するのだ。こうして,詩の算術的な中心が論理的な中心と完璧に一致して いることが確認される。  一般的に,対称構造には二つの型がある。一つは a-b-C-b-a 型であり,もう一つは a-b-b-a 型 だ。前者においては,中央部は聖なる位置とも見なされ,しばしば重要な要素が配置される。 反対に後者に属する対称構造の中心部は,寧ろ転回点としての機能を果たし,前半と後半の間 で揺れる不安定な要素によって特徴づけられる。すると,この詩編の序文の中央部にはこれら 二つの役割が共存していることが分かる。実際,一方で「心」という主題は中央部に相応しい。 心とは人間の体の中でも極めて重要な部分であり,また,正に体の中心でもあるからだ。他方, この序文の中心部は俗愛から聖愛への転回点としての役割も果たしている。それゆえ,「回心」

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というテーマは,実にこの対称的な詩の中央部に配置されるに相応しいのだ。

『マグロンヌの書簡詩』

 マロの最も初期の作品の一つであるこの書簡詩は,一般的にあまり重要な作品とは見なされ ていない11。だが,フランク・レストランガンによる注目すべき研究がある。彼はこの作品を アンドレ・ド・ラ・ヴィーニュの『美しきアマゾンの恋人セジアスへの書簡詩』と比較し,そ の福音思想的性格を明らかにした12。とはいえ,この書簡詩の構造については,まだ十分に研 究されていないのが現状だ。仮にこの詩が対称性を有するならば,マロが極めて初期の段階か ら対称性に関心を持っていたことになり,注目に値する。  これは中世の物語の登場人物であるマグロンヌから恋人ピエールへの架空の書簡詩であり, その形式はオウィディウスの『名高き女たちの手紙』に倣っている。マグロンヌは手紙の中で 過去の不幸な出来事を語る。父の城に住んでいた彼女は,ある日,恋人のピエールと駆け落ち する。途中,森の中で休息する間に彼女は眠り込む。だが,彼女が目覚めると,恋人は消え失 せていた。最初,彼女はこのことを恋人の裏切りだと思い,非難の言葉を口にする。だが,馬 は繋がれたままなのを見て,彼女は自分の誤解に気づく。そして先に非難したことを後悔する。 その晩,彼女は木の上で眠れぬ夜を明かし,翌日から巡礼者として旅に出る。結局,彼女は施 療院の修道女となり,操を守り恋人を待ち続けるのであった。さて,この詩の主題もまたキリ スト教的な愛だ。最初において「クピドの愛の焔の中に入った」女が,最後には「天にましま す神の名誉のために」貧しい病人たちを心から迎え入れる。つまりここには,『フランスの貴 婦人たちへ』と同じく,俗愛から聖愛への転化という図式が見られるのだ。  この書簡詩は,全228行から成っており(最初に付属した4行の表書きを含む),さらに最後 に15行のロンドが付属している。最初の表書きと最後のロンドを加えたものを一つの作品とし て見なすならば,作品は全部で242行から構成されていることになる(ロンドの最後の行は四 音節しかないのでこれを数えないことにする)。従って,作品の中心を算出するには,242を2 で割ればよい。すると121という数字が得られる。ここは彼女が自らの誤解に気づく場面(v.11 7-126),つまり「俗愛から聖愛へ」という作品の図式における決定的な転回部に相当する。

Disant ces motz, d' ung animé courage, Te voys querant, comme pleine de rage, Parmy les boys, sans doubter nulz travaulx : Et sur ce point rencontray noz chevaulx

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Encor liez, paissans l' herbe nouvelle, (最初から数えて第121行目)

Dont ma douleur renforce, & renouvelle : (最後から数えて第121行目)

Car bien congneu, que de ta voulenté D' avecques moy ne t' estoys absenté . Si commenç ay, comme de douleur taincte,

Plus que devant faire telle complaincte. (v.117-126)

しかも,第121行は,この転回部分のさらに中心に相当する。この転回部分の前半は,裏切っ た恋人を探して森を走り回っているうちに,恋人の馬を見つけた事が描写され,後半では,馬 を見たことによって誤解に気づき,心情が後悔の悲しみに変化した様子が書かれている。つま り,作品の中心である第121行と第122行の間が,この転回部の中でも特に内容が転回する位置 に相当する。このように,物理的な中心と内容の転回点が見事に一致しているのだ。  この転回部は二つのモノローグに挟まれている。第一のモノローグは非難の言葉であり,第 二のそれは非難したことへの後悔である。これらはほぼ同じ長さであり,一方は25行(v.92-116), 他方は23行(v.127-149)からなっている。これら二つのモノローグは,あらゆる点で対となっ ている。裏切られたと誤解し,怒りに我を忘れたマグロンヌは,ピエールを次のように非難す る(<< ô cueur lasche, & immunde >>)。誤解に気づいた後の二番目のモノローグでは,恋人への呼 びかけの調子は,先程とは正反対となる(<< ô cueur doulx, & begnin >>)。最初のモノローグで, 彼女は不実な恋人をイアソンと呼ぶ(<< à bonne raison / Dire te puis estre l' aultre Jason >>)。しかし 二番目のモノローグではこれが逆転する(<< à tort t' ay nommé , & sans raison / Le desloyal, qui

conquist la toison >>)。両者にイアソンが出てくるという他にも,raison という言葉が反対に使わ れていることにも注意したい。

 次に最初のモノローグの前と二番目のモノローグの後に位置する二つの部分について考えて みたい。

 Ce proferant, ung peu je me soublieve,

Je cherche, & cours, je reviens, & puis voys, Au tour de moy je ne veis que les boys, Dont maintesfois t' appelay Pierre, Pierre, As tu le cueur endurcy plus que Pierre, De me laisser en cestuy boys absconse?

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Et que ta voix point ne me reconforte, A terre cheuz, comme transie, ou morte : Et quand apres mes langoreux espritz De leur vigueur furent ung peu surpris,

Semblables motz je dis de cueur, & bouche. (v.80-91)

      Ainsi morne demeure

Par trop crier, & plus noire que meure,

Sentant mon cueur plus froid que glace, ou marbre : Et de ce pas montay dessus ung arbre

A grand labeur. Lors la veue s' espart En la forest : mais en chascune part Je n' entendy que les voix treshydeuses, Et hurlemens des bestes dangereuses. De tous costez regardois, pour sç avoir Si le tien corps pourroie apparcevoir, Mais je ne vy que celluy boys saulvage, La Mer profonde, & perilleux rivage,

Qui durement feit mon mal empirer. (v.149-161)

この二つの部分は,離れているにもかかわらず,両者ともピエールの不在に関係している。マ グロンヌは彼を探すが,辺りには森の木しか見えず,無駄骨に終わる。両者によく似た表現が 使われていることに注意しよう(v.82と v.147)。また,マグロンヌがこの二つの場面で正反対 の動きをしていることは興味深い。一方は,彼女が「地面にくずおれる」という動作であり, これは第一のモノローグの直前に置かれている。他方は,「木の上に登る」動作であり,これ は第二のモノローグの直後にある。第180行に再び現れるこの「登る」という動作は,レスト ランガンが指摘しているように,この書簡詩の思想的特徴をよく表している。彼はマロとラ・ ヴィーニュの書簡詩を比較した際に,マグロンヌの行動を分析した。ラ・ヴィーニュの書簡詩 のヒロインであるアマゾンの状況はマグロンヌのそれとほぼ同じである。何故ならば,彼女も また,森の中で眠っている間に恋人に見捨てられるからだ。但し彼女は,マグロンヌとは異な り,身ごもっていた。そこでむき出しの地面で分娩しようとするが,このままでは母子共に野 獣に骨まで貪り食われてしまうだろう,と彼女は考える。マロの書簡詩ではこれとは反対であ

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る。マグロンヌの「木に登る」という動作は,彼女が森というカオスから抜け出すことを可能 とし,レストランガンの表現を借りるならば,「慈愛による浄化と贖いの空間を彼女に開く13 のだ。こうして物質的領域から精神的領域へと彼女は移動する。つまり「地面にくずおれる」 と「木に登る」という二つの動作は,この書簡詩において極めて重要な二つの対立概念を象徴 しているのだ。興味深いのは,マロがこれらの表現を選んだことだけではなく,それらを対称 的に配置したことだ。中心を境とした鏡像型の反転によって,俗愛から聖愛へ,或いは物質的 領域から精神的領域へという逆転の構図が,より明確に示されるのである。そのためにこそ, これら二つの表現は最初のモノローグの4行前と,二番目のモノローグの4行後に置かれてい るのであり,さらには,最初のマグロンヌの動作の順番「見る,聞く,くずおれる」が二回目 には「登る,聞く,見る」と反対になっているのも,こうした理由によるのだ。  ここまで論じてきた中央部は完璧な対称的配置となっている。これに対して中央部の両方の 外側は対称的な配置とはなっていないが,対となる要素は数多く見受けられる。第43行では, マグロンヌはピエールの傍らで「眠りこむ」。反対に第169行では,彼女は木の上で「眠らずに」 夜を過ごす。一方では,眠っている間,彼女は恋人が自分の胸を愛撫している夢を見るのに対 し,後の方では,彼女は夜の間中,野獣に襲われ貪り食われることを恐れている。男性に身を まかせることと野獣に貪り食われることは,この場合,同じレベルにあると考えられる。その 証拠に,マロはマグロンヌのモノローグの中でこれらを並列している。

 O fiers Lyons, & venimeux Serpens,

Crapaulx enflez, & toutes aultres bestes Courez vers moy, & soyez toutes prestes De devorer ma jeune tendre chair, Que mon amy n' a pas voulu toucher

Qu' avec honneur. (v. 144-149)

 さらに,対となっている要素として大変興味深い固有名詞の一群がある。これらもまた,夢 と不眠の二つの部分に見られる。

 Ô beau Pâ ris, je ne croy pas que Helaine,

Que tu ravis par Venus dedans Grece, Eust de beaulté autant que ma Maistresse :

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     ô Vierge treshaultaine,

Raison y eut, car je suis trescertaine, Qu' oncques Thisbé , qui à la mort s' offrit

Pour Piramus, tant de mal ne souffrit. (v. 163-166)

最初の引用は恋する女の体を愛撫するピエールの台詞であり,第二の引用は獣を恐れて木の上 で夜を明かすマグロンヌの台詞である。両者とも天上的な人物に向けられたものだ。一方はパ リスに,他方は処女マリアに。言うまでもなく,パリス,ヘレネ,ウェヌスは「不和」又は 「狂った愛」を,そして処女マリア,ティスベー,ピラムスは「堅固な愛」を象徴している。 また,両者とも autant 或いは tant,そして certes 或いは trescertaine などの言葉によって現在と 過去の比較がなされている。さらに abus と raison という反対の言葉があることにも注目したい。 文脈上では何気なく置かれているが,これらは実は彼らの二つの愛の性格を暗示している。そ のためにこそ,マロはこれらの言葉を滑り込ませたのだ。  実際,他にもこうした例はある。マロは三人の神話上の人物の登場を準備するために,「林 檎」という言葉を,そしてピラムスとティスベーの登場を準備するためには「桑の実」という 言葉を滑り込ませた。文脈上では二つの林檎はマグロンヌの乳房との比較に使われているのだ が,これらはトロイア戦争を引き起こすきっかけとなった金の林檎を想起させる。桑の実につ いても同様である。この言葉はピラムスやティスベーと離れて置かれているにもかかわらず, 彼らを象徴している。何故ならば,オウィディウスによると,桑の実は彼らの血のせいで黒く なったとされているからだ。こうして,文脈上の意味とは別に,前半の林檎は「狂った愛」を, 後半の桑の実は「堅固な愛」を象徴するように,最初から計算の上で配置されているのだ。 我々はここにマロの手法の巧みさの一端を見出すことができる。  第60行目の「フォイボス」と第171行目の「オーロラ」という言葉に関しても,マロが意図 的に置いたことは確かだ。フォイボス即ち太陽神アポロンは肌に日焼けを与えることから明か ら暗への移行を示し,オーロラはその逆を暗示する。実際,前半と後半にはそれぞれ「白から 黒へ」と「黒から白へ」という反対の動きが見られる。<< Tu descouvris ma poictrine assez blanche >> (v.46)と << tu vis bien que Phebus / Du hasle noir rendoit ma couleur taincte >>(v.60-61)と い う 二 つの表現によって白から黒への動きが,そして << plus noire que meure, / Sentant mon cueur plus

froid que glace, ou marbre >>(v.150-151)と << la clere Aurora / En ce bas Monde esclercy le jour a >> (v.171-172)という二つの表現によって今度は反対に黒から白への動きが表されている。この 色に関する二つの反対の動きは,勿論,マグロンヌの感情の動きと対応している。そしてその

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ためにこそ,フォイボスとオーロラは対をなすように意図的に置かれているのだ。  先に述べたように,これらの要素は対にはなっているものの,対称的には配置されていない。 一体何故,眠りの場面は眠れぬ夜の場面より長いのだろうか。最初の駆け落ちの部分と最後の 巡礼の部分は,双方とも移動に関するという点において対となっていると考えられるが,ここ にも長さの不均衡が存在する。このことはどう説明したらよいのだろうか。ここで各部の正確 な長さを検討してみよう。駆け落ちの場面は第15行から第35行までの21行である。同様に,眠 りの場面は第36行から第79行までの44行,不眠の夜の場面は第162行から第179行までの18行, 巡礼の場面は第180行から第224行までの45行である。興味深いことに,駆け落ちの場面と不眠 の夜の場面,そして眠りの場面と巡礼の場面がそれぞれほぼ同じ長さである。つまり,駆け落 ちから眠りの部分をひとまとまり,そして不眠の夜から巡礼までをひとまとまりと見なすと, 全体としてはかなり均整がとれていることになる。恐らくマロは重要な部分を長くしたが,そ れと同時にバランスをとるために他の部分を短くしているのだ。同様に,全4行の結論部は全 10行の導入部に比べ短いが,最初に付された全4行の表書きと最後に付された全14行のロンド (ロ ン ド の 各 行 の 最 初 の 文 字 が マ ロ の 名 前 と な っ て い る こ と か ら,こ の ロ ン ド は 署 名 souscriptionであり,表書き suscription と対をなしていると見なすことができる)の間の長さの 違いを考慮するならば,これらの間の不均一性は寧ろ全体の均整のためには必要であったろう。  では,以上の分析を基に,『マグロンヌの書簡詩』の対称構造を図式化してみよう。       ・表書き      ・手紙の導入部       ・王宮        ・駆け落ち         ・夢(処女喪失),パリス,ヘレネ,ウェヌス        ┌・ピエールの不在        

 ・地面にくずおれる        

  ・モノローグ     中央部

   ・誤解に気づく        

  ・モノローグ        

 ・木に登る        └・ピエールの不在         ・不眠(野獣),ピラムス,ティスベー,処女マリア        ・巡礼       ・施療院      ・手紙の結論部     ・ロンド(署名)

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恐らくマロは,全体を三つの部分から構成しようと考えたのではないだろうか。上の図の中央 部は第80行から第161行までである。全体で242行あるから,これを3で割ると約80になる。実 際,内容的に見ても,全体がほぼ80行ずつの三つの部分に分かれていると考えることができる。 この内,中央部には最も精密な,言わば「凝縮した」対称構造が見られるのである。  以上の分析から,この詩の対称性は単なる美的な均整のためだけではなく,思想を表す道具 として意図的に使われている,ということが結論されよう。また,文脈上では特別の意味を持 たない言葉や固有名詞が,俗愛から聖愛への図式を補強するためにこっそりと滑り込ませてあ ることにも注意したい。これらの手法は後に風刺詩『地獄』において応用される。マロは風刺 を呈示したりメッセージを隠したりするために,この手法をさらに発展させることになるのだ。  マロはこの書簡詩の最後のロンドに自らの署名を忍び込ませている。彼は恐らく自分の作品 に,とりわけその内容と形式の完璧な調和に,誇りを感じていたのではないだろうか。 *     *     *  『マグロンヌの書簡詩』の創作年代は1517年から1519年の間であろうとされている。つまり, この詩は詩人が二十歳そこそこの時期に創作されたものなのだ。一方,『フランスの貴婦人た ちへ』は,1543年,つまり詩人の死の前年に創作されたものらしい。これらの事実から,マロ はかなり若い頃から晩年まで一貫して対称構造に関心を持っていたことが分かる。その間,彼 は『サンブランセのエピグラム』というエピグラムの傑作を,そして何より,『地獄』という 風刺詩の大作を生み出す。彼は抒情詩で使った技法を風刺詩に応用し,そこで対称構造の持つ 特性を最大限に生かした。例えば,『地獄』に隠されたメッセージは,対称構造の対応する二 箇所を重ね合わせることによって初めて露になるように計算されている。また,その中心部は 単なる転回点から脱皮し,作品全体の二重性を象徴するようになっているのだ。その驚くべき 手法については,既に発表した論文で指摘した通りである14  マロの『地獄』がエチエンヌ・ドレの書簡詩の構造に影響を与えていること15,そして何よ りフランソワ・ラブレーの『第三の書』の構成に重大な影響を与えていることも,別の論文で 指摘した通りである16。つまり,ドレやラブレーの作品の対称構造の源流を探るならば,我々 はクレマン・マロという宮廷詩人が自らの投獄の体験を詩に詠んだ風刺詩『地獄』に行き着き, さらには,この詩人が青春時代に創作した抒情詩『マグロンヌの書簡詩』に辿り着くのだ。対 称構造を有する作品群は,こうして一本の線で繋がるのである。このような事実が明らかにな った以上,フランスのルネサンス期における対称性を有する文学作品の研究は,今後さらに進 められるべきであろう17

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*マロの作品の引用には次の版を用いることにする。Clé ment Marot, Œ uvres poé tiques, tome I, é d. Gé rard

Defaux, Paris, Bordas, 1990; tome II, 1993. 以下,OP I, OP II と略す。

1 『牧歌』の構成は,以下のように図示されよう(Brooks Otis, Virgil : A Study in Civilized Poetry, Oxford, 1964, p.129)。    1.土地の没収      2.コリュドンによる恋の歌        3.歌合戦          4.黄金時代の到来の予言        5.ダフニスの神化          6.神話時代の追憶(黄金時代)        7.歌合戦      8.ダモンとアルペシボエウスによる恋の歌    9.土地の没収        10.ガルス

この図式は1944年に P. Maury によって明確にされ,その後 Jacques Perret や G.E. Duckworth らによって受 け入れられてきたという。但し,決定的な証明は未だに為されていないようだ。

2 以 下 の 研 究 を 参 照 せ よ。Alastair Fowler, Triumphal Forms : Structural Patterns in Elizabethan Poetry,

London, Cambridge University Press, 1970.

3 George Puttenham, The Arte of English Poesie, London, 1589, << The English Experience>>, no. 342, New

York, Da Capo Press, 1971, p.81-83.

4 Edwin M. Duval, << Panurge, Perplexity and the Ironic Design of Rabelais' s Tiers Livre>>, Renaissance

Quarterly, 5, 1982, p.381-400. デュヴァルによって提唱された『第三の書』の構造図式は以下の通り。     ・借金礼讃      ・結婚と法       ・パンタグリュエル(王)          |ウェルギリウス占い |          

夢占い

 予知          

シビュルラの占い

         |聾唖者の身振りによる占い |        ・ラミナグロビス       ・友人エピステモンの助言        ・ヘル・トリッパ(オカルト学者)       ・友人ジャン修道士の助言        ・[ラミナグロビス]          |神学者ヒポタデ |          

医者ロンディビリス

 学知          

哲学者トゥルイヨガン

         |法学者ブリドワ |       ・トリブレ(道化)      ・結婚と法     ・パンタグリュエリヨン草礼讃

5 H. Orii, << La structure symé trique dans l' Enfer de Clé ment Marot >>, 『仏文研究』29, 京都大学フランス語学 フランス文学研究会 , 1998, p.13-32.

(14)

6 H. Orii, 「ラブレーの『第三の書』とマロの風刺詩『地獄』」,『仏文研究』32, 2001, p.13-42.『第三の 書』における『地獄』の影響に関しては,次の論文も参照せよ。H. Orii, 「ラブレーの『第三の書』にお ける地獄下りの下層図式」,『仏文研究』31, 2000, p.15-28.

7 OP I, p.619, n.24.

8 Franç ois Rigolot, << Diagrammatisme et poé sie chez les deux Marot>>, Poé tique et onomastique : l' exemple de la

Renaissance, Genè ve, Droz, 1977, p.68-79.

9 Edwin M. Duval, << Marot, Marguerite et le chant du cœ ur : formes lyriques et formes de l' inté riorité >>, Clé ment

Marot, "Prince des poë tes franç oys". Actes du Colloque de Cahors, 21-25 mai 1996, Paris, Champion, 1997, p.55 9-571. 10 OP II, p.860, n.18. 11 マロ研究の専門家である C.A. メイヤーも,この作品の非論理的な設定を低く評価している。例えば, 第44行については次のように批判している。「ここにこの詩の最大の不条理さがある。ヒロインは自分が 眠っていた間に起こった場面を詳しく語っているのだから。」また,第202行については,次のように述 べている。「この詩の第二の不条理さはここにある。マグロンヌは,どこにいるともわからない恋人に非 難を浴びせ,また彼に戻ってくるように頼んでいる。」Clé ment Marot, Œ uvres lyriques, é d. C.A. Mayer,

Londres, Athlone Press, 1964, p.116, p.122.

12 F. Lestringant, << De la dé floration aux ossements : les jeux de l' amour et de la mort dans les hé roï des d' André

de La Vigne et de Clé ment Marot >>, La Mort dans le texte, é d. par Gilles Ernst, Lyon, Presses Universitaires de Lyon, 1988, p.65-83.

3 Ibid., p.70-71, p.79.

4 『地獄』の構造は以下のように図示される(筆者の前掲論文 << La structure symé trique dans l' Enfer de

Clé ment Marot >> を参照せよ)。     ・辺獄の統治者ミノス      ・地獄の経済(現世と地獄における流通)       ・日常語から法廷語へ        ・地獄の手下たちの描写(陰謀,策略)         ・迫害者「狼」(貪欲)        |蛇の名前の列挙       ・プロセ |「プロセ」という名前        |ヒドラとヘラクレスの戦い       福音思想  ・キリスト教徒への忠告        ・ラダマンチュスの甘い言葉       ・ラダマンチュスの尋問(地獄から楽園へ)        ・ラダマンチュスの拷問       ヴィヨン  ・若者への忠告        |神々の名前の列挙       ・マロ  |「クレマン」という名前        |教皇とルターの対立         ・迫害者「無知の冷たい風」,文芸の擁護者フランソワ(寛容)        ・カオールの牧歌的描写(無垢,純真)       ・日常語から宮廷語へ      ・マルグリット(現世と天界における流通)     ・辺獄からの解放者キリスト

(15)

15 例えば,ドレの詩集『第二の地獄』の第五書簡詩を調べると,大文字で書かれた単語が次のように対 称的に配置されていることが分かる。

DOLET SEIGNEUR FRANCE

(v.47)     DIEU     DIEU     DIEU     (v.155)

DOLET (v.70) (v.105) (v.139) FRANCE (v.49) (v.158) この詩は全部で216行あり,その算術的な中心は108行と109行の間にある。従って105行目とはほぼ作品 の中心であると言ってよい。配置を中心の言葉からの距離で示すと以下のようになる。      47,49     (55,57)       105      (50,53)     155,158           70    (35)    105    (34)    139  この詩に対称性があることは確実だと言っても良いだろう。 16 『第三の書』は『地獄』の構造を基にして書かれている。筆者の前掲論文「ラブレーの『第三の書』と マロの風刺詩『地獄』」を参照せよ。 17 対称性に関する研究は,こじつけではないかという批判を浴びる傾向が多分にある。また,文学作品 なのだからバランスを保って書かれていても当然なのだと無視される傾向もある。これら二つのタイプ の批判の根底には,文学研究に数学的見方を持ち込むことに対する偏見さえ存在する。だが,マロの詩 に関し,これら二つの批判は共に間違えている。第一に,本論における論証からマロの幾つかの詩が対 称構造を有することはほぼ確実だ。少なくとも,対称性は無いと考えるよりも蓋然性が高いことは明ら かである。この事実は,筆者が作成した『地獄』の図式の正当性を補強するものとなろう。ドレの『第 二の地獄』に完璧なる対称性を持つ詩があることも考慮するならば,それはますます確からしい。第二 に,これらの事実を過小評価すべきではない。何故なら,マロはただ単に詩を対称的に構成しただけで はなく,思想表現の手段として構造を利用しているからだ。さらに,詩人の初期の抒情詩から風刺詩の 傑作『地獄』へ,そしてマロの風刺詩からラブレーの散文作品へと構造利用の変遷の道筋を辿る時,そ こから興味深い事実が次々に明らかになるであろう。その一端については,既に筆者が前掲論文で示し た通りである。

参照

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