密 教 文 化
虚 無 と論 理 〔続 〕
後期仏教徒の論理的立場 (1)
生
井
衛
序 認 識 の 真 偽 とい う問 題 に 関 す るBarhaspatyaの 立 場 に つ い て は、<他 の 見 解 を 論 題 と し て 採 上 げ 批 判 す る だ け を 専 ら に す る 立 場>(paraparyanuyogapara) (1) を中 心 と して、 前 稿 で論 究 した。 この論 で は、 そ れ に 対 す る後 期 イ ン ド仏 教 徒 の 論理 的立 場、 弁 証 上 の態 度 を 明 らか に して い くこ と に した い。 イ ン ド仏 教 徒 は、Dignaga以 後、 彼 の論 理 学 に よ る他 学 派 との学 的交 流 の基 盤 を有 す る こ と にな った。 とは い え、認 識 の真 偽 問 題 に関 わ る認 識 論 的 立場 を 確 立 す る には、 他 学派 との 対論 を 通 じて更 に そ の知 識 論 体 系 を整 備 して い く必 要 が あ った。 この 点 にっ い て 明 確 に仏教 徒 が立 場 を表 明す る た めに は、 思 想 史 的 に は、 や は りDharmakirtiの 知 識 論 の整 備 を待 たね ば な らな か っ た。 そ の知 識 論 を継承 す るSantaraksita/Kamalasilaは、 望8(P)でBarhaspatya 批 判 を行 う際 に、 次 の よ うな記 述 を も って後 期 仏 教 徒 の論 理 的 立 場 を端 的 に示 して い る。 同時 代 の他 学 派 の 見解 な どを参 照 に しな が ら、 そ の 記 述 を吟 味 す る こ とに よ っ て、Barhaspatyaの 論 理 的 立 場 に対 す る後 期 仏 教 徒 の基 本 的 態度 を 明 らか に して お き た い。 取 扱 う主 要 な資 料 は、 次 の 諸記 述 で あ る。I. O. 1 kin ca sarvapramananam pramanyam niscitam yadi/
svata eva tads kasmdt matabhedah pravadindm//TS 2943/
I. O. 2 yadi sarvapramdndnam svata eva pramanyam bhavet, tads
vadindm prdmdnyavisaye matabhedo na sydt//TSP ad TS
2943//
I. i. yenaikaih svata eveti proccair niyama ucyate/
I. i. 1. ekair iti mimamsakaih. parair iti bauddhaih. taih kincit
svatah pramanam istam, yatha svasamvedanapratyaksam
yogijnanam arthakriyajnanam anumanam abhyasavac ca
pratyaksam. tad dhi svata eva nisciyate, abhyasabalenapa-hastitabhrantikaranatvat. kincid anyatah, yatha vivadas-padibhutam codanajanitam jnanam, pratyaksam
canapagata-bhrantinimittam; abhyasarthakriyajnanayor anavaptatvat
//TSP ad TS 2944/
II. j. 0. yady evam, anumanadau bhavanmatena vivado na prapnoti; tasya svata eva pramanatvat. tatha hi keeit trirupalinga-hetukam anumanam icchanti, kecit dvirupalingajam, kecid
ekarupalingasamudbhavam; laksanapranayanam
canartha-kam; tatha lokayatam prati tatpramanyapratipadanam na
karttavyam, svata eva pramanyaniscayad iti samanam//TSP ad TS 2944/
II. j. 1. trirupalingapurvatvam nanu saruvadilaksanam/
tallaksanam ca manatvam tat kim tasman nisidhyate // TS 1467/
II. i.1.1. pramanam avisamvadi jnanam//PV II lab/
II. i.1.2. yatra trirupalingapurvatvam tatravisamvaditvam,
yatravi-samvaditvam tatra pramanyam; pramanyapramanyayos ca
parasparapariharasthitalaksano virodha iti samarthyad vi-ruddho hetur nirdistah//TSP ad TS 1467/
II. i.2.1. lingalingidhiyor evam paramparyena vastuni/
pratibandhat tadabhasasunyayor apy avancanam//PV I 82// II. i.2.2. trirupalingajam yaj jnanam tat paramparyena vastuni pra-tibaddham, ato 'visamvadakam pratyaksavat // TSP ad TS 1467//
II. i. 3. Refutation of paraparyanuyogapara (cf. TS 1468ff.) II. i. 4. nsisa dosah; yato ' numanasya
tadatmyatadutpattipratiba-ddhainganiscayad utpatter antarenapy arthakriyasamvadam
paramparyena tathavidhavastupratibaddhajanmataya
tad-arthavyabhicaritvam niscitam iti svatahpramanyam ucyate. tadutpattihetulingasvarupaparijnanad vadino 'tranutpanna evanumane parasparam vipravadante, na tutpanne; tatsva-rupadiniscayat. ata evacaryah
tadutpattihetulingasvarupa-虚 無 と 論 理 ︹ 続 ︺
密
教
文
化
vyutpadanam ova kurvanti laksane. kathain hi nama vipari-talingasvarupavadharanad anumanotpattir bhavisyatiti/TSP ad TS 2944//
1. pramanyam vyavaharena; sastralp mohanivartanam/PV II
5ab/
II.ii.1.1. yad api lokayatam praty anumanasya
pramaynapratipada-nam kartavyam iti codyate, tad apy ayuktam; na by
asmabhir anumanasya pramanyam sadhyate, kim tarhi,
vyavaharah//TSP ad TS 2944/
II.ii.1.2. tatha hi mithayarthasastrasravanad vyamudho lokayatah siddhe 'py anumanasya pramanye samkhyavan na tadvyava-haram pravarttayati, tasya visayopadarsanena visayIvyava-harah sadhyate, yad yato utpannam tat tatprapanasakti-yuktam, yatha pratyaksam svarthasya. anumeyad utpannarn
cedam tatpratibaddhalingadarsanadvarayatam lingajnanam
ity evarn sanketavisayakathanena sarnaye pravarttanat.
tatha hi pratyakse 'rthavyabhiearanibandhana evanena
pramanyavyavaharall krtah. avyabhie ras casya ko ' nyas tadutpatteh. yathoktam;
arthasyasarbhave ' bhavat pratyakse 'pi pramanata/
pratibaddhasvabhavasya taddhetutve samam dvayam//PVinn
I 3//iti.
tasmad yatha saznkhyas trnag re karisattabhavam
vy-avasyanu api sastrasravanavyarnohad abhavavyavaharam
apravarttayan pravarttate. tathayam api lokayatah. na ca
codanajanitaya buddheh pramanyam siddham, yenatrapy
anumanavat pramanyavyavaharah sadhyata iti syat; tatra
pratibandhasiddheh pramanyasyaiva sadhyatvad iti na
samanam//TSP ad TS 2944/
III. 0. syad etat; bhavatu nama matabhedah, sa kasmat svatah-pramanye sati na yujyate.
III. i. vivado bhrantito yasmat sa ca niscayabadhita/
niseinvantas tatas tattvam vivaderan na vadinah//TS 2945// III. i.1. anena vivadasya niscayaviruddhabhrantikaryasyopalarnbhaii
niscayabhavasiddham adarsayan anumanaviruddhatvam
I I.o. イ ン ド古 典 哲 学 者 達 は、認 識 の 真 偽 とい う問 題 につ い て、認 識 の妥 当性(pra m細ya)が 他 か ら規 制 され る の かそ れ とも 自 か ら成 り立 つ の か、 とい う考 察 を 行 って い る。 認 識 の発 生、 真 な る認 識 の根 拠 の妥 当性 を、 他 律 的(paratas)な も の と自律 的(svatas)な も の とに分 類 し、哲 学 的 検 討 を加 えて きた の で あ る。 そ の よ うな 考 察 は、 も とは とい えば、<ヴ ェ ー ダ 聖,典 の権 威 性>を め ぐる思 索 か ら派 生 して きた もの と考 え られ て い る。 つ ま り、 非 人 為 的(apaurudeya) な絶 対 真 理 と して<ヴ ェー ダ>を 行 動 の基 準 原 理 とす るバ ラモ ン的 思惟 が体 系 整 備 化 され る際 に、 そ の基 準 原 理 が正 しい認 識 の根 拠(pramapa)と して妥 当 か ど うか が問 わ れ た わ けで あ る。 諸 哲 学 学 派 との学 的 交 流 の場 に、 イ ン ド思 想 史 上 の共 通 の課 題 として、<ヴ ェ ー ダ>の 権 威 の根 拠 が 問 われ る と とも に、 認 識 の根 拠 と して の 妥 当 性 が認 識 論 上 の 問題 として 採 りあ げ られ た の で あ る。 バ ラモ ン的 思 惟 の伝 統 に 由来 しな が ら も、唯 神 論 的 傾 向 を もっNaiyayikaや Vaisesikaな どの 学 派 は、<ヴ ェ ー ダ>の 権 威 を最 高 神 とい う他者 に 帰 し、 そ の 妥 当 性 を他 律 的 な もの と した。 しか し、 そ の権 威 を保 持 す るMimamsakaは そ の 妥 当 性 を あ くまで 天 啓 を伝 えて 記 述 され た く ヴ ェー ダ 〉 の こ とば 自体 に求 め な け れ ば な らな か った。 こ う して、Mimamsakaの 認 識論 が体 系 化 され る 際 に、<認 識 根 拠 と して の ヴ ェ ー ダ の こ とば>(sabdapramapa)は<直 接 知 覚> (Pratyaksa)や<推 理>(anumapa)な ど と 同 じ く<真 な る認 識 の根 拠>(pra manma) と認 め られ た。 そ して、<ヴ ェー ダ の こ とば>と 同 じよ うにく 直 接 知 覚>や<推 埋>な ど も、それ 自体 自律 的 に<認 識 根 拠 と して の 妥 当 性>を もつ、 とい う理 論 が説 か れ る こ とに な っ た。 イ ン ドの 哲 学 が あれ ほ どまで に<こ とば> へ の関 心 を抱 い た背 景 とな る の も、 この 同 じ伝 統 で あ っ た。 しか し、 誤 知 が どの よ うに して発 生 す る か、 とい う点 を考 察 して み る と、 あ らゆ る認 識 が 自律 的 に そ の妥 当 性 を確 認 され る わ けで は な い。 そ こで、 こ の <認 識 の 妥 当 性>(pramapya)と い う課 題 に つ い て、 各 学 派 がそ れ ぞ れ の 見 解 を呈 示 す る こ と に な った の で あ る。 非 バ ラ モ ン系 の 学 派 で あ る仏 教 やJain 系 の哲 学 者 も、 そ れ ぞ れ の 知 識 論 の 立 場 か ら、 こ の課 題 を論 ず る。 当然 の こ と 虚 無 と 論 理 ︹ 続 ︺
密 教 文 化 な が ら、 両 学 派 は<ヴ ェ ー ダ>の 権 威 を 認 識 の 依 り処 と は し な い。 い つ れ に し て も、<ヴ ェ ー ダ>に 基 づ か ず に 解 脱 へ の 正 し い 道 で あ る 知 識、 叡 知 を 明 か す た め に、 独 自 の 認 識 論 の 立 場 を 確 立 す る 必 要 が あ っ た。 こ の 点 で、 仏 教 の 知 識 論 に大 い な る 寄 与 を な し た の がDharmaklrtiで あ る。 Dharmaklrtiが 大 成 し た 認 識 論 に 基 づ い て、Santarakaita/Kamalasilaは、78(P)Svatahpranmanya pariksaで こ の 課 題 を 扱 っ て い る。 後 期Jainaの 哲 学 者 た ち も こ め 課 題 に っ い て 多 く の 記 述 を 残 して い る。 が、Sukhlaljiが 指 摘 す る 様 に、 そ の 立 場 は 基 本 (2) 的 に は後 期 仏 教 徒 の理 論 に順 ず る もの で ある。 I. o. 1. この課 題 は、 まず、Mimamsakaに 対 して、 次 の よ うに問 うこ とに よ り展 開 され て い く。 も しす べ て の認 識 根 拠 が 自律 的 にそ の 妥 当 性 が 決定 され る とす る な ら、 ど う して 〔各 学 派 の 〕 論 者(pravadin)達 に、 見 解 の 相違 が あ るの だ ろ うか。 TS 2943. 同 じ問 い が哲 学 者 達 に投 げ か け られ たBarhaspatpの 素 朴 な疑 問 を示 す も (3) の と して後 に戯 曲 な どに も記 され る。 そ れ を真 剣 に 受 け とめ、 知 識 論 上 の 問 題 と して精 緻 に考 究 す る こ とか ら、真 理 に 向 って の 有 意 義 な 哲 学 的 論 議 が展 開 さ れ る こ とに な る。 I. i. こ こ に、 仏 教 徒 の 認 識 論 の 立 場 が 示 され、 他 学 派 の論 者 との 見 解 の 相違 が示 され る。 な ぜ な ら、 あ る一 部 の者 は〔<ヴ ェー ダ>の こ とば の 権 威 性 を保 持 す るた (4) め〕 「認 識 根 拠 の妥 当性 は 自律 的 で あ る」 と断 定 を宜 言 し よ う とす る し、別 の 者 〔つ ま り仏 教 徒 な ど〕 達 に よれ ば 「あ る認 識 は 自律 的 に 妥 当 で あ り、 他 の認 識 は他 律 的 に妥 当 で あ る」 と して断 定 しな 恥 見 解 も あ る の だか ら。 TS 2944. 一 概 に 「認 識 はす べ て 自律 的 に妥 当 で あ る」 と断定 すれ ば、Barhaspatyaの
根 源 的 な 問 い がMlmamsaka自 か ら に 向 け られ る こ と に な る。 も し 「他 律 的 に 妥 当 で あ る 認 識 も あ る 」 と認 め る な ら、Mimamsakaの 認 識 論 体 系 は 最 も基 礎 (5) 的 な 場 で 破 綻 を き た す こ と に な る。 こ こ で 直 接 的 に 前 主 張 (purvapaksa)と し て 掲 げ られ る の はMimamsaka で あ り、 こ の 論 議 もMimamsakaに 対 し て の 論 述 で あ る。 し か し、 後 期 仏 教 徒 (6) がBarhaspatya批 判 を 行 う思 想 史 的 背 景 を 論 じ た 際 に も 注 目 し た が、 こ の 場 合 もSantarakdita/Kamalasilaの 弁 明 はMimamsakaに 対 す る と 同 時 にBar-haspatyaへ の 批 判 を 念 頭 に お か な け れ ば な ら な か っ た。 バ ラ モ ン 的 思 惟 に も 世 俗 的 虚 無 論 者 の 権 威 無 視 の 態 度 に 組 す る も の で は な い、 独 自 の 立 場 の 表 明 が 求 め ら れ て い た か ら で あ る。 I.i.1. こ の 課 題 に 関 す る 仏 教 認 識 論 の 立 場 を、Kamalasilaは、 次 の よ うに 要 約 し て い る。 仏 教 徒 達 に 依 れ ば、 あ る 〔認 識 〕は 正 し い 認 識 根 拠 と し て 自 律 的 に 決 定 され る。 た と え ば、<自 己 認 識>と い う<直 接 知 覚>(svasamvedanapratyakda)、 <ヨ ー ガ 行 者 の 直 感>(yogijnana)、<効 果 的 作 用 を も つ 実 在 の 直 接 知 覚> (arthakriyajnana)、<推 理>(amlmana)、 そ し て く 繰 り返 し体 験 さ れ た 知 覚>(abhyasavatpratyakda)が そ うで あ る。 そ れ は、 繰 り返 し習 熟 す る こ と に よ り迷 乱 の 原 因 が 滅 除 さ れ て い る の で、 ま さ に 自 か ら 〔妥 当 な も の と〕 決 定 され る か ら で あ る。 ま た、 あ る 〔認 識 〕 は、 他 律 的 に 〔そ の 妥 当 性 が 〕 決 定 さ れ る。た と え ば、 論 議 の 主 題 と され て い る<教 令 に 依 っ て 生 じ た 認 識>(codanajanitajna)、 そ し て 迷 乱 の 原 因 が ま だ 滅 除 され て い な い よ う な く 知 覚 〉 で あ る。 そ れ は、 繰 り返 し の 習 熟 も効 果 的 作 用 を も つ 実 在 の 直 接 知 覚 も達 成 さ れ な い も の だ か ら。 外 的 形 象 と の 直 接 的 関 わ り を も た ず に 知 識 内 部 の 認 識 現 象 を 直 接 に 認 識 しっ つ あ る く 自 己 認 識 〉 とく ヨ ー ガ 行 者 の 直 感 〉 は、 自 律 的 に そ の 認 識 根 拠 と し て の 妥 当 性 が 決 定 さ れ る。 ま た、 実 在 自体 の 効 果 的 作 用 に よ る く 実 在 の 直<接 認 識 〉 の 妥 当 性 は、 そ の 実 在 が 存 在 し な け れ ば そ の 認 識 が 存 在 し な い と い う事 実 虚 無 と 論 理 ︹ 続 ︺
密 教 文 化 か らみて も自律 的 に決 定 され る。 一 方、 実 在 との 直接 的関 わ りを もた な い に し て も、実 在 との論 理 的 必 然 関 係 に基 づ くく 推理 〉 の認 識 根 拠 と して の 妥 当性 も 自律 的 に成 立 っ と考 え られ る。 後 期 仏 教 徒 は、 認 識 を く 直接 知 覚 〉 とく推 理 〉 との二 種 類 に分 類 す る。 こ こ で、 特 に問題 と され る の は、〈 推 理 〉 に 関 して で あ る。〈 ヴ ェ ー ダ の こ とば〉 の認 識 根拠 と して の 醇 的 妥 当 性批 判 と と も1こ、〈擁 〉 を 正 しい 認 諏 拠 と 認 めな いBarhaspatyaに 対 す る弁 証 上 の態 度 が 問 わ れ て い た の で あ る。 II II. o. I.i.1.で 表 明 され た 後 期 仏 教 徒 の 見解 につ い て 呈 示 され るで あ ろ う反 駁 を、 KamalasilgaはII.o.1.の 様 に要 約 す る。 まず 本 文 を採 り上 げ る前 に そ れ を ま と めて お こ う。 〈 推理 〉 に 関 して は、 仏 教 徒 も1.o.1.782944の 問 い が 問 い 返 され る こ と にな る。 〈推 理 〉 の妥 当性 が 自律 的 で あ る な ら、〈 証 因 〉 を め ぐる 種 々 の異 見 は有 り うべ きで はな い か ら。 こ う した 場 合、 仏教 徒 は、Barhaspatyaに 対 して <推 理>の 認 識 根 拠 と して の妥 当性 を説 き明 か す こ とに二 つ の態 度 を択 ぶ こ と が で き よ う。 II. i.0.理 解 させ る必 要 はな い。認 識 根 拠 と して の 妥 当性 は 自明 な の だ か ら。 II.ii.0.理 解 させ るべ きで あ る。〈 推 理 〉 の 認 識 根拠 と して の妥 当 性 を 証 明 す る 必要 が あ る か ら。 この 点 に つ い て、Santaraksita/Kamalasilaは 後期 仏 教 論 理 学 者 と してDig-naga, Dharmaklrtiの 知 識 論 を継 承 して そ の態 度 を 明確 に表 明 して い る。 以 下、 資料 文 献 に則 して、 それ を 見 てお くこ とに し よ う。 II.i.o. 予 想 され る対 論 者 か らの 反 駁 は 次 の ご と くで あ る。 「そ の よ うな 〔1.i.1.の認 識 論 の立 場 に あ るな 〕 らば、〈推 理 〉 な どに関 し て仏教 徒 の 見 解 との 論争 は な い こ とに な る。 それ は ま さ に 自律 的 に正 しい認 識 根拠 な の だ か ら。 す な わ ち、 あ る者 はく 三 条 件 をそ な えた 徴 標 〉 を根 拠 と
す る もの をく 推 理 〉 と認 め、 あ る者 はく 二 条 件 をそ な えた 徴 標 〉 か ら生 じた もの を、 そ して あ る者 は 〈 一 条 件 をそ な えた 徴 標 〉 か ら もた ら され る も の を 〔〈 推 理 〉 と認 め、種 々な る異 見 が あ る〕。そ う した場 合 〔、い つ れ もく 推 理 〉 の 妥 当性 が成 立 つ とい うな ら〕、定 義 を適 用 す る の も無 益 とい うこ とに な る。 そ して 同 様 に、〔〈 直 接 感 官 知 〉 だ け を認 識 根拠 とす る〕Lokayataに 対 し て、〈 推 理 〉 の 認 識 根拠 として の妥 当 性 を理 解 せ しめ る こ とは、 為 され る必 要 が な い こ とに な る。〔〈 直 接 知 覚 〉 の場 合 と〕ま さに 自律 的 に認 識 根 拠 と し て の妥 当性 が成 立す る とい う点 で は 同 じな の だ か ら。」 II.i.1. Dignagaは. P8 II 5cd-6に お い て、〈 三 条 件 をそ な えた 徴 標 〉 につ い て 定 義 を行 って い る。 そ こで く 正 しい 徴 標 〉 がく<三 条 件 〉 を有 す る こ と〉に よ っ て 定 義 され る場 合、 〈一 条 件 の み を有 す る こ と〉、〈二 条 件 を有 す る こ と〉、〈四 条 件 (7) を 有 す る こ と〉 な ど を 採 り上 げ る 異 見 は 自 つ か ら寂 む こ と明 らか に し て い る。 Santaraksita/Kamala6ilaは78(P)Annmamnpnnmamnpariksaに お い て、<<直 接 感 官 知 〉 だ け を 認 識 根 拠 とす る 理 論 〉(pratyaksaikaprama Pavada)を 説 くBar-haspatyaを 対 象 と し た 批 判 を 行 っ て い る。 そ の 対 論 者 の 異 見 は、 前 稿 で、 Purvapaksa III. ii. と し て 資 料 紹 介 を 行 っ た。 再 説 す れ ば、 次 の ご と き も の で
あ る。
「 【主 張 】<自 己 の た め の 論 理 〉 は 確 実 な 認 識 で は な い。 【証 因 】 〈 三 条 件 を そ な え た 徴 標 〉 を 前 提 と す る か ら。 【喩 例 】 虚 偽 な る 認 識 の ご と く に。」
こ の 論 式 は、Dignagaがyrti ad. PS III 22cdで 行 な うSamkhya批 判 を 前 提 と す る も の で あ る。samkhya学 派 は<霊 我>(purusa)の 存 在 を証 明 し よ う と し て、 次 の よ う な 論 式 を 立 て る。 「 【主 張 】 眼 な ど は 他 者 の た め の も の で あ る。 【証 因 】 複 合 性 の ゆ え に。 【喩 例 】 臥 具 の ご と く に。」 こ の 論 式 に よ っ てsamkhya学 派 は、 眼 な ど が 資 益 す る 他 者 で あ る<霊 我> を 立 証 し よ う とす る。 し か し、Dignagaは、 こ の 論 式 に 則 す る と、 単 一 で あ る 虚 無 と 論 理 ︹ 続 ︺
密 教 文 化 べ き<霊 我>に、 臥 具に資益 され る身体 同様く複合性〉 とい う付随性が帰着す (8) る こ とに な る、 と して 正 し い論 証 で ない こ とを 明 らか に して い る。 この 点 を巧妙 に捉 えて、<三 条 件 をそ な え て い る徴 標>に 基 づ く認 識 も虚 偽 な る認 識 と同様<確 実 な認 識 で な い こ と>を 論 じ よ う と した の がmrvapaksa III. ii. の論 式 な ので あ る。 も ち ろん、 この論 式 は、P8の 構 成 上<他 者 の た め の 論 理>(pararthanumana)を 扱 う論 議 を<自 己 の た め の 論 理>の 場 に置 き 換 え、 そ の 論理 構 成 を無 視 す る、 とい うよ りは トリ ッキ ー に体 系 を ゆ が め て批 判 して い る にす ぎな い。 そ の論 式 自体Dignagaの 論 理 学 を用 い て い る か に 見 (9) え る に して も、 実 質 上 は正 しい論 理 で は な い。 この論 難 に対 して、Santaraksita/KamalasilaはTS 1467で 答 弁 を与 えて い る。 〈 三 条 件 をそ な え た徴 標>を 前 提 とす る こ と〉 とい うく 証 因 〉 は、<〔実 在 との〕 不 一 致 性 が ない こ と〉 に よ って 定 義 化 され る。〈 確 実 な認 識 で あ る こ と>は、 そ 〔のく 不 一 致 性 を もた ない こ と〉 によ って 定 義 化 され る。 そ う した場 合、 そ 〔の く 証 因 〉 に基 づ い て、 ど う して〔〈 正 しい 認 識 で あ る こ と〉 の〕 否 定 が な され よ うか。 〔そ のく 証 因〉 こそく 確 実 な 認 識 で な い こ と〉 と <対 立 す る証 因> (viruddhahetu,相 違 因)に ほ か な らな い。〕 後 期 仏 教 徒 に よれ ば、 「正 しい認 識 とは、 欺 きの な い 〔実 在 との〕 不 一致 性 の ない認 識 で あ る」 と定 義 され る(II.i.1.1.)。 これ が、 Dharmakirtiを 初 め とす る後 期 仏 教 徒 の 認 識 論 上 の 根 本 的 立場 で あ る。 そ して、<三 条 件 を そ な え た徴 標>こ そ が正 しい く 証 因 〉 で あ る こ とを 明確 に認 識 させ た の が、 イ ン ド論 理 学 に貢 献 したDignagaの 偉 大 な 功 績 で あ っ た。 実 にく 三 条 件 を そ な えた 徴 標>に 基 づ く限 りで<推 理>は<欺 き の な い認 識 で あ る こ と>を 充 足 し、<確 実 な 認 識 で あ る こ と〉 を明 示 す る もの で あ る。 確 か に、 そ の 認 識 は実 在 の直 接 的 認 識 で は な い。 しか し、 間接 的 に 実在 と必 然 的 関 係 を もつ 点 か ら い えば、 <直 接知 覚>同 様、<不 一 致 性 の な い認 識 で あ る こ と>を 充 足 させ てい る。 と い うわ け で、 対 論 者 の掲 げ る論 式 の<証 因>は、Dignagaの 論 理 学 に依 って み て も、<異 類 群>で あ る正 しい諸 認 識 に 見 られ、<証 因 と して の 第 二 条 件> (sapakse sattvam,同 品 定 有 性)を も充 足 しな い誤 れ る<証 因>で あ る。
II.i.2. また、 論 理 学 の み な らず、 認 識論 上 の観 点 か ら見 て もく 推理 〉 の確 実 な認 識 と して の妥 当性 は 明 白で あ る。 この 点 に っ い て 根 本 的 立 場 を呈 示 す る の は、 や は りDharmakirtiのPV 182に お け る次 の論 述 で あ る。 <微 標>の 認 識 とく 微 標 を有 す る推 理 主 題 の推 理 され るべ き付 随 性 〉 の 認 (10) 識 と の 両 者 に は、 実 在 の 直 接 的 顕 現 は 欠 除 し て い る。 と は い え、 間 接 的 に そ の 実 在 と の 論 理 的 必 然 関 係 が あ る の で、 不 一 致 性 は な い。 Kamalasilaは78<P ad 781467に こ の 偶 「碩 を 引 用 し て く 推 理>の 認 識 論 的 妥 当 性 を 明 ら か に す る(II.i.2.2.)。 II. i.3. Santaraksita/Kamalasilaは、 そ の 立 場 を 明 示 し た あ と、 引 き 続 き78(P) 1468ff. でBarhaspatyaの<paraparyanuyogapara>の 論 理 的 態 度 に 批 判 を 与 え る が、 こ の 点 に つ い て の 論 究 は 別 の 機 会 を 待 ち た い。 II. i、4.
II.i.1.一3.の 議 論 を 前 提 と し た 上 で、 Kamalasilaは、 II. i. o. の 反 駁 へ の 答 弁 を 行 う。TS(P)AnumanaparildaのBarhaspatya批 判 とTS(P)Smhpr-manmpariksaの こ の 個 処 と は 密 接 な 関 係 を も っ て 重 な り あ う。Barhaspatyaに 対 し て 示 し た 後 期 仏 教 徒 の 立 場 はMimamsakaに 対 し て も不 変 で あ る。 そ の 〔II. i. 0.で 説 か れ た 〕 よ う な 過 失 は な い。 と い うの は、 次 の よ うな 理 由 か ら で あ る。<推 理>は <〔証 因 と の 〕 同 一 性>も し く は 〈因 果 性 〉と い う論 理 的 必 然 関 係 を 示 す<徴 標>に 基 づ い て 決 定 され る も の で あ る。 した が っ て、 〔効 果 的 作 用 を 有 す る 実 在 自 体 の 認 識 は 〕 生 じ な い に し て も、 効 果 的 作 用 と の 整 合 性 を、 間 接 的 に は、 そ の よ う な 実 在 と の 論 理 的 必 然 的 関 係 に 基 づ い て も た ら す。 こ の 点 か ら言 え ば、 そ の 〔〈 推 論 知 〉 に 〕対 象 物 と の 逸 脱 性 は 無 い も の と 決 定 さ れ よ う。 とい う わ け で、 自 律 的 に 認 識 根 拠 と し て 妥 当 で あ る こ と が 説 か れ た こ と に な る。 論 者 達 は、〈 因 果 性 〉 を 示 す く 徴 標 〉 の く 本 性 〉 を 熟 知 し て い な い の で、 こ の 点 に つ い て、 ま さ に く 推 論 知 〉 が 生 じ な い 場 合 に こ そ、 お 互 い に論 議 し 虚 無 と 論 理 ︹ 続 ︺
密 教 文 化 あ うの で あ る。 しか し、正 しい く推 論 知 〉 が生 じさ えす れ ば 〔自 か ら異 見 は 寂 み、論 争 も〕 な い で あ ろ う。そ の 〔正 しい く徴 標〉 の〕〈 本 性 〉 な どが〔<三 条 件 〉 を も っ て〕 決 定 され る 〔時 に 尽、 そ の く推 論 知 〉 の 妥 当 性 は 自か ら明 白 な〕 ので あ るか ら。 だ か ら こそ、Acaryaは、 〔〈推 論 知 〉 を〕 定 義 す る際 に、〈 因 果 性 〉 をく証 因 〉 と して く 微 標〉 の く本 性 〉 を解 き 明 か され た ので (11) あ る。 そ れ な の に な ぜ、 〔Barhaspatyaの 提 示 す る よ う な 〕顛 倒 した く 微 標 〉 の く 本 性 〉 を 執 持 す る こ と か ら 〔正 しい 認 識 で あ る 〕〈 推 理 知 〉 が 生 じ る で あ ろ う か。 II.ii. 一 方、 以 ヒの 様 に く 推 論 〉 の 認 識 根 拠 と し て の 妥 当 性 は 自律 的 に 自 明 な も の で あ る か ら、 そ の 根 拠 をBarhaspatyaに 対 し て 論 証 し て 見 せ よ と教 令 す る の も 理 に あ わ ぬ こ と で あ る。 こ の 点 を 更 に:Kamala紐aは 詳 し く 論 じ る。 II. ii. 1.
Dharmakirtiは.PV 115abで こ の 問 題 に つ い て 次 の よ う に 述 べ る。Kamala-sllaの 以 下 の 論 述 も、 そ れ を 基 本 的 態 度 と し て 継 承 す る。 認 識 の 妥 当 性 そ し て 認 識 根 拠 と し て の 規 範 性(pamapya)、 そ れ は 慣 行 上 の 働 き に す ぎ な い。 そ し て、 そ の 教 説 は 惑 乱 を 除 く た め の も の に 他 な ら な い 。 こ の 偶 頒 に 基 づ い て、Kamalaaは 次 の よ うに 弁 明 す る。 ま た、 「Lokayataの 者 に 対 し て、〈 推 理 〉 の 認 識 根 拠 と し て の 妥 当 性 を理 解 せ し め る べ き で あ る 」 とい う教 令 が な さ れ る な ら、 そ れ も正 し い こ と で は な い。 な ぜ な ら、 私 達 は、〈 推 理 〉 の 妥 当 性 を 論 証 し よ う と い うわ け で は な い か らで あ る。 そ れ な ら ど うい うつ も りか、 と い う と、 慣 行 上 の 働 き の 上 で の こ とで あ る。 つ ま り、 虚 偽 な る 実 利 の 学(mithyarthasastra)な ど を 学 習 す る こ と に よ っ て 惑 わ さ れ て い るLokayataの 人 々 は、〈 推 理 〉 の 認 識 根 拠 と し て の 妥 当 性 が 〔自 明 の も の と し て 〕 成 立 っ て い る の に、salhya学 派 の も の と 同 じ
よ うに、 正 しい 慣 用 を起 働 させ ない。 そ 〔の く 推 論 知 〉 〕の 対 象 領域 を示 す こ と に よ って、 そ れ を対 象 とす る 〔認 識 の 〕 慣 用 上 の働 き は立 証 され る。 っ ま り、〔そ の働 き は次 の よ うに証 明 され よ う。〕 【必然 性】 お よ そ、 あ るAな る もの か らBが 生.じた 場 合、BはAを 獲 得 す る だ け の効 力 を もつ。た とえ ば、〈 直 接 知 覚 〉(B1)の そ の〔〈 知 覚 〉 自身 の対 象 物(A1)に 関 す る ご と し。 【所 属 性 】 然 る に、 そ 〔のく 推 論 さ るべ き付 随 性 〉 〕 と論 理 的 必 然 関 係 を もつ く 徴 標 〉 の知 覚 を通 じて得 られ る この く徴 標 に基 づ く認 識 〉 〔つ ま りく推 論 知 〉 〕 もく 推 論 の対 象 〉 か ら もた らされ た もの で あ る。 【結 論 】 〔だ か ら、そ の く 推論 知 〉 は、〈 推 論 の 対 象 〉 を獲 得 させ る効 力 を に な う もの で あ る。〕 と、 こ の よ うに、 慣 行 上 の協 約 を もつ対 象 を説 き示 す こ と に よ って、 あ る取 決 め へ の 行 動 が あ るか らで あ る。 す なわ ち、〈 直 接 知 覚 〉 が対 象 との 逸 脱 を もた ず に関 係 を もつ とき、 ま さ にそ の よ うな 認 識 に対 して、 こ の 点 か ら、 〈 認 識 の妥 当性 〉(pramapya)と い う語 の慣 用 が な され る もの で あ る。 一 方、 こ 〔のく 推 論 知 〉〕も、 そ 〔のく 推 論 の対 象 〉〕か ら生 じた 〔〈因 果 性 〉と い う必 然 性 に基 づ く〕 の だ か ら(taduttpattes)、 更 に どん な非 逸 脱 性 が要 請 され よ う。 こ の点 につ い て、 〔Dharmakirtiは 〕 次 の よ うに 説 い て お られ る。 〈 直 接 知 覚 〉 もま た、 対 象 が存 在 しな い時 に は生 じな い か ら、 ま さに認 識 根拠 にほ か な らな い。 必 然 的 関 係 と して 妥 当す る〈本 性 〉(svabha)が そ の 認 識 の原 因 で あ る とい う点 で は、 そ の〔〈 直 接 知 覚 〉 も<推 論 知>も 〕 両 者 とも同 じ こ とな の だ か ら。pVin I 3 Samkhya派 の 者 は、 草 の 葉 の 先 に象 が 存 在 し得 な い と判 断 しな が ら も、 論 書 な ど学 習 す る こ とに よ って 惑 わ され て は 「存 在 しない 」 とい う慣 用 を起 (13) 働 せ ず に行 動 して い る。 このLokayataに も、 同 じ こ とが 言 え よ う。一 方、 〈 教 令 〉 に基 づ い て い る か ら とい っ て、 そ の知 識 の 認 識 根 拠 の妥 当性 が成 立 つ の で もな い。 も しそ うな らば、 こ のく ヴ ェ ー ダ〉 に も、〈 推 理 〉 と 同 じよ うに、〈 認 識 根 拠 と して の 妥 当 性 〉 とい う慣 用 表 現 は成 立 つ か も し れ な い 虚 無 と 論 理 ︹ 続 ︺
密 教 文 化 が……。 そ の〔〈 教 令 〉 の〕場 合 には、 論 理 的 必 然 関 係 が成 立 して い な い の だ か ら、 ま さ に 〔そ の く教 令 〉 自体 の〕〈 認 識 根 拠 と して の妥 当 性 〉 が 立証 さ れ るべ き こ とにな る。 とい うわ けで、 同 じ基<盤上 に立 脚す る もの で は な い。 こ の論 議 も、 同 じ よ うに、〈欺 き の無 い 不 一 致 性 の な い こ と〉 が 認 識 根拠 の 定 義 に際 し基 本 的 役 割 りを にな うこ と を明 す もの で あ る。 先 の 論 議 は、<三 条 件 を そ な えた 徴 標 〉 の 定 義 を説 くこ とが く 推 理 〉 の認 識 根拠 と して の 妥 当 性 を 自 か ら明す、 とい う点 を示 す もの で あ った。 そ れ に対 し、 こ の 場 合 には、 <直 接 知 覚 〉 とく 推 理 〉 とが似 た よ うな構 造 に あ る こ とを示 し、〈 因 果 性 〉 と い う論 理 的 必 然 関 係 に基 づ い て く 推 理 〉 の〈有 用 性 〉 を 自か ら明 す も の で あ る。 それ は 同時 に、〈教 令〉 に 基 づ く認 識 の妥 当 性 を宜 言 しそ の 思 惟 法 に慣 れ る者 に 対 し て は、〈教 令 〉 自 体 の妥 当性 とそ れ に基 づ く認 識 の真 偽 に関 わ る 問題 に対 す る態 度 を問 うも ので も あ る。 い つ れ に して も、 そ の 基 本 的 立 場 は Dharmakirtiの それ を(認 識 論 ・論 理 学 に関 す る限 り)忠 実 に継 承 す る もの で あ る。 III この後 期 仏 教 徒 の弁 明 に対 して、 次 の よ うな 質 問 が呈 され るか も知 れ ない。 「見解 の相 違 が あ っ て もい い で は ない か。 認 識 の 妥 当性 が 自律 的 で ある場 合、 ど うして そ 〔の 見 解 の 相違 〕 が理 に あ わ な い のか。」 Santaraksita/Kamalailaは 答 えて 言 う。 なぜ な ら、迷 乱 に基 づ い て 〔見 解 の 相違 や 〕 論 争 が あ る か らで あ る。 そ し て、 そ 〔の 迷 乱 〕 は、 〔最 終 的 〕 決 定 に よ り否 定 され る。 だ か ら、論 者 た ち が あ る真 理(tattva)を 確 定 して い るな ら、論 議 は起 こ らな い で あ ろ う。78 2945 あ る真理 が 真理 と して確 認 され た場 合、 そ の一 っ の 真 理 に関 して、 異 見は 寂 む で あ ろ う。何 らか の論 争 が あ る場 合、 いつ れ か の 側 に 惑 乱 に よ る 誤 知 が あ る。 正 しい認 識 に基 づ い て 自明 な る真 理 が現 前 し さえ す れ ば、 迷 乱 の 消 失 した 真 な る認 識 が対 立 を超 え た唯 一 の真 理 の も とに あ るだ けで あ る。 確 実 な 認 識 と
い わ れ る もの も、 そ の た め に こそ 役 割 りを果 す に す ぎな い。〈 推 理 〉 な ど の認 識 根 拠 は一 自律 的 に 妥 当 性 を もっ とは い え、 哲 学 的 に く実 在 〉 を論 ず る際 に、 ま た宗 ・教 的次 元 の く 真理 〉 に つ い て弁 ず る 際 に、 あ くま で、 有 用 な手 段 ・根拠 にす ぎ な い。 しか し、 そ れ は迷 乱 を もた らす 誤 知 で は な く、〈 真 理 〉 達 成 へ の 有 効 な手 段 で あ る。 惑 乱 を滅 除 して い く とい う働 き か らす れ ば、〈 自 己 認 識 〉 とい うく 真 理 〉 や く 心 の動 き〉 さえ も寂 む 自性 清 浄 の 心 の あ り方 に至 る有 益 な (14) 用 をな す もの で あ る。 そ こで、 再 び、 〈 誤 れ る教 説〉(mithya6astra)と く 正 しい教 説 〉 とい う択 一 の 問題 が 提示 され るか も しれ な い。 そ の 際 に も、認 識 論 上 の この 態 度 は後 期 仏 教 徒 の基 本 的 態度 と して貫 か れ る。 あ くま で疑 い 得 な い 〈確 信 〉(忌raddha)を も た らす こ とに な る く世 尊 の権 威 ・規範 性〉 へ の信 頼 も、 この立 場 の 上 に確 認 (15) され た もの で あ る。 『実 利 論 』 に 列 挙 され る思 弁 学、 検 討、 三 ヴ ェ ー ダ 学、 農 商 学、 政 治 学、 これ らの学 は主 体 的 に は妥 当 な教 説 とは思 われ な か った。 と り わ け、Skhya, Yoga, Lokayataな どの そ こに並 べ られ る教 説(16)も く 誤 れ る教 説>で あ る こ とが 自 か ら明 され た(17)。 こ うした 認 識 論 的 基 盤 の も とに、 そ の論 理 的 精 緻 さ を加 え な が ら、後 期 仏 教 徒 は、 純 然 た る認 識 論 ・論 理 学 的 検 討 を通 じて、 そ の根 本 問 題 で あ る く善 逝 の 教 え〉(Saugatapravacana)、 そ して真 理 の体 現 者 で あ る く全 智 者 〉 の認 識 と い う宗 教 的局 面 へ の理 論 展 開 を 行 うの で あ る。 そ の 際 に 守 られ る基 本 的 立 場 は、 単 な る教 条(〈 イ ン ド宗 教 思 想 史 〉 とい う文 脈 か ら言 え ば く ヴ ェ ー ダ の教 令 〉)の 絶 対 的権 威 へ の傾 倒 で も、 単 な る 宗教 的 権威 の 拒否 で もな い。 妥 当 な 認 識 根 拠 に基 づ く 自か らな る く 宗教 的 権威 〉 と して の 仏 の認 識 へ の 試 み も、 こ の立 場 を もっ て して こそ 可 能 な の で あ った。 〔っ つ く〕 (1983, 7, 6) (付 記: TS Sutathparamanyapatilsa全 般 に わ た る研 究 に つ い て は、 槻 木 裕 氏 が 御研 究 中 と うか が う。本 論 は、 そ の一 部 分 のBarhaspatya批 判 と関 連 す る個 処 だ け を取 扱 うもの にす ぎな い。 また、P7in Vetter訳 な どに 関 し、 白 崎顕 成 氏 よ り多 くの 示 唆 を賜 った。 感 謝 の意 を記 してお き た い) 虚 無 と 論 理 ︹ 続 ︺
密 教 文 化 註 1) 生 井 衛、,「虚 無 と 論理-Barhaspatyaの 論 理 的 立 場-」、 「伊 藤 真 城、 田 中順 照 両教 授 頒 徳記 念 仏 教 学 論 文 集 』、大 阪1979。
略号 お よび 依 用 のTexts尽 そ れ に順 じる。 な お、pyの 偶頒 番 号 尽、 §.Iを §. IIに 換 え、Pramanavarattika-karika, Acta indologica 2, ed Y. Miyasaka, Narita 1971/ 1972に 従 う もの とす る。
2) Cf. Sukhlalji Samghavi, The Advanced Studies in Indiana Logic and metaphysics Delhi 1961, S. i. 3, pp. 38ff.
3) 生 井 衛、 「後 期 仏 教 徒 に よ るBarhaspatya批 判 〔I〕 」、『イ ン ド学 報 』、第2号、
京 都 1976, p. 46. な お、PathakがB852と し て 掲 げ る の 尽Sarvamatasamgraha,
Prabodhmbdrodayaを 出 典 と す る。 Cf. S. Pathak, Catvmakadarsaan ki
Sastryasam-iksd (A Critical Study o f Cdrvdka Philosophy), Varanasi 1965, pp. 143, 144. pratyaksadipramasiddhaviruddharthabhidhayinah/
vedanta yadi sdstr(-aih, -dni) baudhaih kim aparadhyate//
2) GOS ed. の bpada; "pracyair niyama ucyate"を BBS ed. に 従 い"procyair
niyama ucyate"に 訂 正 す る。 Tibet語 訳(Peking ed., 128b1; "nes par gsal ba
smras pa yin"も 後 者 を 支 持 す る。 5) Cf. TS 2945 ff.; v. III. 6)生 井 衛、 「後 期 仏 教 徒 に よ るBarhaspatya批 判 〔II〕」、 『イ ン ド学 報 』、第3号、 京 都1981, PP. 76. 7) 北 川 秀 則、 『イ ン ド古 典 論 理 学 の 研 究 」、第2版、 東 京1973, PP. 94∼103. 8) 北 川 秀 則、 同 書、PP. 191∼192. 9): Kamalaslla TSP ad TS 1456. Cf.「 虚 無 と 論 理 」, PP. 93, 94, 112∼114.
10) BB8 ed. は、 こ のapadaを"Iingalihadhyor evam"と 引 用 し て い る。 文 脈 上
"lingalihidhiyor evam"を 是 と す る。 Cf. A. Kunst, Probleme det buddhistisohen
Iogik in der Drse des tmsgrh, Krakow 1939, S. 93. な お、 こ の 理
論 尽、 戸 崎 宏 正、 『仏 教 認 識 論 の 研 究 上 巻 』、東 京1979, PP. 154∼157に 詳 説 され て い る。 11) Cf. Dignaga PS II 8∼11(北 川 秀 則、 前 掲 書、 PP. 103∼110). "Acarya"が 具 体 的 にDharmaklrtiを 指 す で あ ろ う こ と 尽、 前 述P7182な ど の 考 察 や 後 述 す る PV in 3の 理 論 の 取 扱 い 方 見 て 明 らか と 思 わ れ るが、 そ の 思 想 的 源 泉 と し てP8の 相 当 個 処 を 考 慮 す れ ば、Dignagaも 間 接 的 に 意 囲 さ れ て い る か も し れ な い。
12) Cf. T. Vetter, Dharmakirti's Pramdnaviniscayah 1 kapitel, Wien 1966, S.38, 39.
Hemacandra はkapitel, Wien 1966, S.38, 39と と も に こ の 偶 頒 を 引 用 解 釈 す る が、 内 容 を 若 干 異 に し て 解 釈 し て い る。Cf. Pramdnaviniscayah ed. & transl. Eng. by S. Mookerjee & N. Tatia, Varanasi 1970, pp. 9, 20, 21.
13) BBS ed. は"bhavyavaharam apravarttayan pravarttate"と 読 む が、 Tibet語 訳 (Peking ed. 295b1; med pahi tha snad du hjug par mi byed pa")な ど か ら、
14) Santaiaksita, TS 3545; Kamalasila, ladhyamakczloka VI.
15) Dharmakirti,. PV II 5ff. な お、PV II全 章 に わ た る研 究 が、 木 村 俊 彦、 『ダ ル マ
キ ー ル テ ィ宗 教 哲 学 の 研 究 』、東 京1981と して 公 に さ れ て い る。
16) Cf. Arthczsastrcz I. ii. 1., ii. 10.
17) イ ン ド思 想 史 上 に お け る"yoga"、"samkhya"、"lokayata"の 各 語 の 内 容 の 変 遷 及 びTS(P)等 に お け そ の 語 の 解 釈 等 に つ い て 尽、 更 に 検 討 が 要 請 さ れ る か も 知 れ な い。 虚 無 と 論 理 ︹ 続 ︺