2020相模大T合冊:4校.indd

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国 語

2020年度入学試験(A日程・1月

25日)

60分】

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つぎの 文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 私たちは、しばしば自分の心を「内面」とか「内側」と呼んでいる。 「私の内面」といえば、自分の心理状態を指すのだし、 「彼 女は ① 内省 的な人だ」といえば、自分の心理状態をしばしば参照し、心理に言及した言葉で自己表現する人のことを言うだろう。日 常生活だけではなく、学問の世界でも、心は隠された内面として想定されていることが多い。認知科学でも、心的機能や状態はそ の人の内部状態であり、他者理解とはその内的な表象や欲求の理解に他ならないとされている。   1 「内面」 は、私たちの社会では不思議なかたちで価値づけられた言葉である 。たとえば、引っ込み思案の態度は現代の産業社会 の な か で は あ ま り 有利 に 働 か な い が 、 他 方 で 、 そう し た 人 を 「 内 面 の 豊 か な 人 」 な ど と 形 容 し て 評 価 す る こ と が あ る 。「 内 面 の 豊 か な人」とは、いろいろなことを考えたり思いついたりしても、その場で口に出さない人のことを言うのである。ここで「内面」と は 、 表 現 さ れ な い 思 考 や 発 想 と 考え ら れ て い る 。 あ る い は 、「 建前 」 と い う 日 本 語 は 、 本 来 は 「 X 」 を 意 味 す る は ず で あ る が 、 い つ の ま に か「 タ テ マ エ 」 と カ タ カ ナ で 表 記 さ れ て 本 来 の 意 味 を 失 い、 「 ホ ン ネ 」 と 対 立 さ せ ら れ る よ う に な っ た。 タ テ マ エ は 一 般に向けた空虚なまやかしの態度であり、ホンネこそが「内側」に隠されたその人の真実の声であるとされる。 このように「内面」とは、その人にとって何か貴重で大切なもの、その人の財産のようなものであり、人目に触れては価値が減 じ て し ま う 内 密 な も の と 見 な さ れ て い る。 こ の 意 味 で ま さ に 内 面 と は プ ラ イ バ シ ー の こ と だ と 言 っ て よ い の だ が、 A 、 そ れ はすなわち心的なものなのだろうか。 「心とは内面のことであり、プライベートなものだ」 。こう言ってよいのだろうか。 心を「内側」と表現することは、本来、比喩に他ならない。内側とは、何かに囲まれた空間的な内部のことを意味するはずであ るが、心がそうした何かの内部空間に収まっているのではないからである。だが、この比喩は強力であり、 2 この表現 を使わずに人 間の心理について語るのは難しい ほ どである。 心 を 内 な る も の と 捉 え る 傾 向 が 強 い の は、 ひ と つ に は、 現 代 で は 多 く の 人 が、 「 心 は 脳 に あ る 」 と 考 え て い る か ら で あ ろ う。 心 理学や認知科学でもそう想定されているがゆえに、 「内部表象」といった表現が使われるのである。たしかに脳は、 (通常の状況と 状 態 で は ) 外 側 か ら は 見 え な い 身 体 の 内 側 に あ り、 こ こ か ら、 「 心 が 脳 に あ る の な ら、 そ れ は 身 体 の 内 側 に あ る 」 と 考 え る の は 自 ─ 3 ─ ─ 2 ─ 然 で あ る。 し か し、 心 を 内 面 と か 内 側 と か 呼 ぶ お も な 理 由 は、 「 心 = 脳 が 身 体 の 内 側 に あ る 」 と 考 え た か ら で は な い だ ろ う。 す く な く と も、 そ れ は ② ハ セ イ 的・ 補 強 的 な 理 由 で は な い だ ろ う か。 B そ の 逆 に、 「 心 は 内 側 に あ る 」 と い う 考 え を も っ て い た か らこそ、 「それは脳なり心臓なり、身体の内側にあるのだろう」という発想につながったのではないだろうか。 普 通 の 意 味 で「 内 側 」 と い え ば、 他 人 か ら の 視 線 が 遮 さえぎ ら れ る ③ 衝 立 や 壁 や 塀 の こ ち ら 側 の こ と で あ る。 そ れ は、 壁 の 内 側 で あ り、 部屋の内側であり、 服の内側のことである。逆に、 外側とは、 その障壁の外側、 すなわち、 他人の視線に 晒 さら される側のことである。 内 側 と 外 側 は 3 相 補 う 関 係 に あ り、 一 方 が な け れ ば 他 方 は な い。 し た が っ て、 心 を 内 面 と 呼 ぶ こ と は、 他 人 の 視 線 から ④ 遮 蔽 さ れ て い ること、 C 他人には隠されていることを意味している。 1 しかしながら、心は、内臓のように身体の内側にあるから、他人から隠されているのだろうか。心臓や脳のような臓器は、 ⑤ ヒフ や筋肉の奥に位置しているとはいえ、それは外部の観察者から原理的に見えないものではない。患者の身体を切り開いている外科 医は、毎日のように 4 それら を観察していることだろう。これに対して、心は身体のなかを開ければ見えるようなものではない。頭 蓋骨を開いても、そのなかには脳しか見当たらず、心を見出すことはない。生理学者も、脳のある箇所の興奮を見つけることはで きても、 「痛み」を見つけることはあるまい。そもそも心なる物(心という実体)は、どこを探しても見当たらないのである。 2 ここからあきらかなように、 5 心が隠されたものであるという私たちのイメージは、空間関係を起源にしているのではない 。それ は、まさしく隠されているからこそ、内側なのである。 3 では、内側や内面と対立関係にあり、それらを規定してもいる外側・外面とは何であろうか。それは、あきらかに、他人から見 える私のふるまい、他人から観察可能な私の行動のことを指すはずである。この行動には、表情や小さなしぐさのような ⑥ ビサイ な ふるまいも含まれる。 4 だ が、 他 人 か ら も Y な 私 の ふ る ま い は 、 私 の 心 理 状 態 と は 別 の も の な の だ ろ う か 。 そ れ は 奇 妙 な 考 え で あ ろ う 。 私 た ち は 多くの場合、率直に喜びを顔や動作に表す。何かとくに制約条件がないかぎり、私たちは思いのままにふるまう。私が、休日に書 店に買い物に行くのは、まさに私の意図したところである。私の意図は、いま、書店に向かって歩いている行動そのもののなかに 表現されている。いや、 6 この「表れている」 「表現されている 」 という言葉づかいは 曲 くせ 者 もの である 。というのも、 「表現」という言葉

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─ 3 ─ は、表現するものと表現されるものの分離を含意しているからである。私の笑顔は、嬉しさという表現されるべき(内的な)もの を表現している、といったようにである。しかし、 ⑦ ムジャキ な笑顔にそうした表現するものと表現されるものの区別はなく、書店 に向かう私の歩みは、書店に行くという私の意図そのものである。 5 こ の よ う に、 ふ る ま い が そ の ま ま に そ の 人 の 心 理 で あ る 場 合 は、 数 多 く 存 在 す る。 い や、 日 常 言 語 学 派 の 哲 学 者、 ギ ル バ ー ト・ ライルによれば、私たちが、ある人の(自分自身も含めて)心について述べるときには、つねにその人の行動について述べている のである。 (中略) 私 た ち は、 心 を 指 し 示 す 人 格 的 特 徴 と し て、 「 優 し い 」 と か「 ⑧ オ ロ か 」 な ど と い う 言 い 方( ラ イ ル の 言 う 心 的 述 語 ) を す る。 そ うした場合には、私たちは、あたかも、その人のなかに心なる物( = 実体)が存在していて、その物に「優しい」といった性質が 宿 っ て い る か の よ う に 想 定 し が ち で あ る。 ち ょ う ど、 机 と い う 物 が、 硬 い と か 茶 色 い と い っ た 性 質 を も っ て い る よ う に。 し か し、 ライルによれば、心的な特性や能力の基体としての心を想定することは誤りである。私たちが、実際に観察しているのは、ある種 の身体的な行動パターンに他ならない(ただし、あらゆる行動パターンが心的であるわけではない。 * 膝 しつ 蓋 がい 腱 けん 反射はある種の行動パ タ ー ン で あ る が、 そ の 人 の 心 理 を 表 す も の で は な い )。 7 身 体 的 行 動 の 背 後 に、 そ れ を 表 出 し て い る 基 体 な い し 実 体 と し て の 心 を 想 定してはならない 。 たしかに、私たちは、現在、自分の目の前にいる人のふるまいを見て、そこで見聞したことを越えてその先まで立ち入ろうとす る。 D 、 あ る 人 の 勇 敢 な 行 動 を 見 て 、 そ の 理 由 や そ の 人 の 性 格 に つ い て 考 え る で あ ろ う し 、 そ の ふ る ま い が 偽 り や 虚 勢 で は な く、 「 本 物 の 」 勇 敢 さ で あ る か を 確 か め た く な る で あ ろ う。 し か し、 そ の 人 の 勇 敢 さ の 理 由 を 知 る こ と は、 勇 敢 な ふ る ま い を そ の人にさせた「勇敢な心」という隠れた原因を、その人のどこかに見出すことではないし、観察された行動の背後にまわり込むこ と で も な い。 そ の 人 の 勇 敢 さ の 理 由 を 知 る と は、 そ の と き の ふ る ま い を、 そ の 人 の 過 去 の ふ る ま い や そ れ ま で の 状 況 と 関 連 づ け、 生活史のなかにそのふるまいを位置づけることに他ならない。 (河野哲也『 〈心〉はからだの外にある』による) *   膝蓋腱反射……膝頭の真下をたたいたとき、足が前方にはね上がる反射。 ─ 5 ─ ─ 4 ─ 問一 傍線部①~⑧の漢字の読みをひらがなに、カタカナを漢字に直して答えなさい。 問二 傍 線 部 1 「「 内 面 」 は、 私 た ち の 社 会 で は 不 思 議 な か た ち で 価 値 づ け ら れ た 言 葉 で あ る 」 と あ る が、 こ こ で 言 う「 内 面 」 と はどのようなものか。本文中より十一字で抜き出して答えなさい。 問三 空欄部 X に入る最も適切なものをつぎの中から選び、記号で答えなさい。 ア   面目     イ   玄関     ウ   原則     エ   祝儀     オ   世辞 問四 空 欄 部 A ~ D に 入 る 最 も 適 切 な も の を つ ぎ の 中 か ら 選 び 、 そ れ ぞ れ 記 号 で 答 え な さ い ( 同 じ 記 号 は 二 度 以 上 使 用しないこと) 。 ア   むしろ     イ   つまり     ウ   しかし     エ   ところで     オ   なぜなら     カ   たとえば 問五 傍線部 2 「この表現」とは何のことか。本文中より一語を抜き出して答えなさい。 問六 傍線部 3 「相補う関係」とあるが、これと対になる形で用いられた表現を、本文中より抜き出して答えなさい。 問七 つぎの一文は、本文中の 1 ~ 5 のいずれかに入るものである。最も適切な箇所を選び、記号で答えなさい。 心とは内面のことであると考えることは、心を他人に隠されたものと定義づけることなのである。 ア   1     イ   2     ウ   3     エ   4     オ   5 ─ 5 ─ 問八 傍線部 4 「それら」の指示する対象を、本文中から十字で抜き出して答えなさい。 問九 傍線部 5 「心が隠されたものであるという私たちのイメージは、空間関係を起源にしているのではない」とあるが、その理 由を説明したものとして最も適切なものをつぎの中から選び、記号で答えなさい。 ア 心は仮に身体のなかを切り開いてみても見えるようになるものではないから。 イ 心は脳のある箇所に生じる興奮としてのみ見つけられるものであるから。 ウ 心は身体の奥に位置し、医学的な観察によってのみ確認できるものであるから。 エ 心は脳なり心臓なり身体の内側にあるだろうという自然な発想が元にあるから。 オ 心は脳にあるか心臓にあるか、専門家たちによっても確定されていないから。 問十 空欄部 Y に入る表現を本文中より抜き出して答えなさい。 問 十 一 傍 線 部 6 「 こ の「 表 れ て い る 」「 表 現 さ れ て い る 」 と い う 言 葉 づ か い は 曲 者 で あ る 」 と あ る が、 筆 者 に よ れ ば、 こ の 一 文 に は注意すべき点があるという。つぎの説明の中から、最も適切なものを選び、記号で答えなさい。 ア   「表現されている」という言葉は、表現するものとされるものとの区別を明確にしすぎているから。 イ   「表現されている」という言葉は、 「私の意図」を示すものとしては感覚的で、不十分であるから。 ウ   「表現されている」という言葉は、意図と行動とが一致する様子をあまりに見事に表しているから。 エ   「表現されている」という言葉は、表情や行動のもととなる心の存在を前提とすることになるから。 オ   「表現されている」という言葉は、感情を表すことには適しても意図を表すには不向きであるから。

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─ 5 ─ 問八 傍線部 4 「それら」の指示する対象を、本文中から十字で抜き出して答えなさい。 問九 傍線部 5 「心が隠されたものであるという私たちのイメージは、空間関係を起源にしているのではない」とあるが、その理 由を説明したものとして最も適切なものをつぎの中から選び、記号で答えなさい。 ア 心は仮に身体のなかを切り開いてみても見えるようになるものではないから。 イ 心は脳のある箇所に生じる興奮としてのみ見つけられるものであるから。 ウ 心は身体の奥に位置し、医学的な観察によってのみ確認できるものであるから。 エ 心は脳なり心臓なり身体の内側にあるだろうという自然な発想が元にあるから。 オ 心は脳にあるか心臓にあるか、専門家たちによっても確定されていないから。 問十 空欄部 Y に入る表現を本文中より抜き出して答えなさい。 問 十 一 傍 線 部 6 「 こ の「 表 れ て い る 」「 表 現 さ れ て い る 」 と い う 言 葉 づ か い は 曲 者 で あ る 」 と あ る が、 筆 者 に よ れ ば、 こ の 一 文 に は注意すべき点があるという。つぎの説明の中から、最も適切なものを選び、記号で答えなさい。 ア   「表現されている」という言葉は、表現するものとされるものとの区別を明確にしすぎているから。 イ   「表現されている」という言葉は、 「私の意図」を示すものとしては感覚的で、不十分であるから。 ウ   「表現されている」という言葉は、意図と行動とが一致する様子をあまりに見事に表しているから。 エ   「表現されている」という言葉は、表情や行動のもととなる心の存在を前提とすることになるから。 オ   「表現されている」という言葉は、感情を表すことには適しても意図を表すには不向きであるから。 ─ 7 ─ つぎの文章は、 『更級日記』の一節である。これを読んで、あとの問いに答えなさい。

舟にて渡りぬれば、相模【   ア   の   】国になりぬ。にしとみといふ所の山、絵よくかきたら(   a   む   )屏風をたて並べたらむや うなり。かたつ方は海、浜のさまも、寄せかへる波の ⅰ 気色 も、いみじうおもしろし。もろこしが原といふ所も、すなごのいみじう 白 き を 二 三 日 行 く。 「 夏 は 大 和 ⅱ 撫 子 の、 濃 く う す く 錦 を ひ け る や う に な む 咲 き A   たり 。 こ れ は 秋 の 末 な れ ば 見 え ぬ 」 と い ふ に、 な ほ 所 々 は う ち こ ぼ れ つ つ、 あ は れ げ に 咲 き わ た れ(   b   り   ) 。「 も ろ こ し が 原 に、 大 和 撫 子 し も 咲 き け む こ そ 」 な ど、 人 々 B 。 足 柄 山 と い ふ は、 四 五 日 か ね て お そ ろ し げ に 暗 が り わ た れ り。 や う や う 入 り 立 つ 麓【   イ   の   】 ほ ど だ に、 空 の 気 色、 ① は か ば か しく も見えず、 ② えもいはず 茂りわたりて、いとおそろしげなり。麓に宿りたるに、月もなく暗き夜【   ウ   の   】、闇にまどふやうな る に、 1 遊 女 三 人 、 い づ く よ り と も な く 出 で ⅲ 来 た り。 五 十 ば か り な る 一 人、 二 十 ば か り な る、 十 四 五 な る と あ り。 庵 の 前 に か ら か さ を さ さ せ て C   据う た り 。 を の こ ど も 、 火 を と も し て 見 れ ば 、 昔 、 こ は た と い ひ け む が 孫 と い ふ 。 髪 い と 長 く 、 額 い と よ く か か り て、 色 白 く き た な げ な く て、 さ て も あ り(   c   ぬ   ) べ き 下 仕 へ な ど に て も あ り ぬ べ し な ど、 人 々 あ は れ が る に、 声 す べ て 似 る も の な く、 空 に す み の ぼ り て め で た く 歌 を う た ふ。 人 々 い み じ う あ は れ が り て、 け ぢ か く て、 人 々 も て 興 ず る に、 「 西 にし 国 ぐに の 遊 女はえかから(   d   じ   )」などいふを聞きて、 「 難 なに 波 は わたりにくらぶれば」とめでたくうたひたり。見る目のいときたなげなきに、 声さへ似るものなくうたひて、さばかりおそろしげなる山中にたちて行くを、 2 人々あかず思ひて みな泣くを、幼き心地には、まし てこのやどりをたたむことさへあかずおぼゆ。 ま だ 暁 よ り 足 柄 を 越 ゆ 。 ま い て 山 の 中 の お そ ろ し げ な る こ と い は む か た な し 。 雲 は 足 の 下 に 踏 ま る 。 山 の な か ら ば か り (   e   の   ) 、 木 の 下 わ づ か な る に、 葵【   エ   の   】 た だ 三 筋 ば か り あ る を、 世 ば な れ て か か る 山 中 に し も 生 ひ け む よ と、 人 々 3 あ は れ が る 。 水 は その山に 三 み 所 ところ ぞ流れたる。からうじて、越え出でて、関山にとどまりぬ。 ─ 7 ─ ─ 6 ─ 問 十 二 傍線部 7 「身体的行動の背後に、それを表出している基体ないし実体としての心を想定してはならない」とあるが、それは なぜか。本文の趣旨と合致するものをつぎの中から二つ選び、記号で答えなさい。 ア 物が固有の性質を持っているように、人間の中に宿る心にはそれぞれ不変の性質が与えられていると考えられてきて いるから。 イ 人々のふるまいの ほ とんどは、特に制約する条件のない限りそのままその人の心理状態であると考えられるから。 ウ ある人物の心について述べようとすることは、きまってその人物の行動について述べることとなるから。 エ たとえば膝蓋腱反射のような例外があるように、すべての行動パターンが心的であるわけではないから。 オ 私たちが観察できるのは身体的行動のパターンだけであり、その行動の背景にある心そのものを観察することはでき ないから。 問 十 三 波線部「見聞したこと」とあるが、近代日本において独自に発展した小説のジャンルに、作家自身の見聞や内面をありのま まに描こうとした「私小説」がある。代表的な作家と作品を以下から選び、それぞれ記号で答えなさい。 〔作家〕 ア   谷崎潤一郎 イ   小林多喜二 ウ   志賀直哉 エ   樋口一葉 オ   森鷗外 〔作品〕 カ   「舞姫」 キ   「春琴抄」 ク   「たけくらべ」 ケ   「和解」 コ「蟹工船」

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─ 9 ─ 問七 傍線部 1 「遊女三人」の説明として、 適切ではないもの をつぎの中から選び、記号で答えなさい。 ア   遊女たちは、主人公一行の宿の前にからかさを立てて座り、美しい歌を披露した。 イ   遊女たちの容姿は、主人公一行から宮仕えもできる ほ どすばらしいと感心された。 ウ   遊女たちの歌唱力は、主人公一行に上方の遊女よりもすばらしいと評価された。 エ   遊女たちは、主人公一行に難波近辺の遊女の歌よりは劣ると当意即妙に歌い上げた。 問八 傍線部 2 「人々あかず思ひて」の現代語訳として、最も適切なものをつぎの中から選び、記号で答えなさい。 ア   人々がものたりないと思って イ   人々がなごり惜しいと思って ウ   人々が夜が明けないと思って エ   人々が宿の戸が開かないと思って 問九 傍線部 3 「あはれがる」の内容を具体的に示した部分を、二十字以内で抜き出して答えなさい。 問十 『更級日記』の作者が愛読していた作品をつぎの中から選び、記号で答えなさい。 ア   伊勢物語     イ   源氏物語     ウ   雨月物語     エ   曽我物語 ─ 9 ─ ─ 8 ─ 問一 二重傍線部 ⅰ ~ ⅲ の読みを、ひらがな(現代仮名遣い)で答えなさい。 問二 波線部①・②の本文中での意味として、最も適切なものをつぎの中から選び、それぞれ記号で答えなさい。 ①「はかばかしく」 ア   見苦しく     イ   趣深く     ウ   殺風景に     エ   はっきりと ②「えもいはず」 ア   何ともいえない ほ ど     イ   避けては通れない ほ ど ウ   普通ではない ほ ど      エ   自分を見失う ほ ど   問三 空欄部 A   たり   C   据う を適切な形に活用させて答えなさい。 問四 空欄部 B に入る最も適切な語を、つぎの中から選び、記号で答えなさい。 ア   いと ほ しがる     イ   あやしがる     ウ   をかしがる     エ   あさましがる 問五 (   a   む   )   b   り   )   c   ぬ   )   d   じ   )の文法的意味を、つぎの中からそれぞれ選び、記号で答えなさい(ただし、同 じ記号は二度以上使用しないこと) 。 ア   完了(存続)    イ   打消     ウ   断定      エ   推量 オ   完了(強意)    カ   婉曲     キ   過去推量    ク   打消推量 問六 (   e   の   )と同じ用法のものを、本文中の【ア】 ~【エ】から一つ選び、記号で答えなさい。 ─ 7 ─ つぎの文章は、 『更級日記』の一節である。これを読んで、あとの問いに答えなさい。

舟にて渡りぬれば、相模【   ア   の   】国になりぬ。にしとみといふ所の山、絵よくかきたら(   a   む   )屏風をたて並べたらむや うなり。かたつ方は海、浜のさまも、寄せかへる波の ⅰ 気色 も、いみじうおもしろし。もろこしが原といふ所も、すなごのいみじう 白 き を 二 三 日 行 く。 「 夏 は 大 和 ⅱ 撫 子 の、 濃 く う す く 錦 を ひ け る や う に な む 咲 き A   たり 。 こ れ は 秋 の 末 な れ ば 見 え ぬ 」 と い ふ に、 な ほ 所 々 は う ち こ ぼ れ つ つ、 あ は れ げ に 咲 き わ た れ(   b   り   ) 。「 も ろ こ し が 原 に、 大 和 撫 子 し も 咲 き け む こ そ 」 な ど、 人 々 B 。 足 柄 山 と い ふ は、 四 五 日 か ね て お そ ろ し げ に 暗 が り わ た れ り。 や う や う 入 り 立 つ 麓【   イ   の   】 ほ ど だ に、 空 の 気 色、 ① は か ば か しく も見えず、 ② えもいはず 茂りわたりて、いとおそろしげなり。麓に宿りたるに、月もなく暗き夜【   ウ   の   】、闇にまどふやうな る に、 1 遊 女 三 人 、 い づ く よ り と も な く 出 で ⅲ 来 た り。 五 十 ば か り な る 一 人、 二 十 ば か り な る、 十 四 五 な る と あ り。 庵 の 前 に か ら か さ を さ さ せ て C   据う た り 。 を の こ ど も 、 火 を と も し て 見 れ ば 、 昔 、 こ は た と い ひ け む が 孫 と い ふ 。 髪 い と 長 く 、 額 い と よ く か か り て、 色 白 く き た な げ な く て、 さ て も あ り(   c   ぬ   ) べ き 下 仕 へ な ど に て も あ り ぬ べ し な ど、 人 々 あ は れ が る に、 声 す べ て 似 る も の な く、 空 に す み の ぼ り て め で た く 歌 を う た ふ。 人 々 い み じ う あ は れ が り て、 け ぢ か く て、 人 々 も て 興 ず る に、 「 西 にし 国 ぐに の 遊 女はえかから(   d   じ   )」などいふを聞きて、 「 難 なに 波 は わたりにくらぶれば」とめでたくうたひたり。見る目のいときたなげなきに、 声さへ似るものなくうたひて、さばかりおそろしげなる山中にたちて行くを、 2 人々あかず思ひて みな泣くを、幼き心地には、まし てこのやどりをたたむことさへあかずおぼゆ。 ま だ 暁 よ り 足 柄 を 越 ゆ 。 ま い て 山 の 中 の お そ ろ し げ な る こ と い は む か た な し 。 雲 は 足 の 下 に 踏 ま る 。 山 の な か ら ば か り (   e   の   ) 木 の 下 わ づ か な る に、 葵【   エ   の   】 た だ 三 筋 ば か り あ る を、 世 ば な れ て か か る 山 中 に し も 生 ひ け む よ と、 人 々 3 あ は れ が る 。 水 は その山に 三 み 所 ところ ぞ流れたる。からうじて、越え出でて、関山にとどまりぬ。

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つぎの 文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 私たちは、しばしば自分の心を「内面」とか「内側」と呼んでいる。 「私の内面」といえば、自分の心理状態を指すのだし、 「彼 女は ① 内省 的な人だ」といえば、自分の心理状態をしばしば参照し、心理に言及した言葉で自己表現する人のことを言うだろう。日 常生活だけではなく、学問の世界でも、心は隠された内面として想定されていることが多い。認知科学でも、心的機能や状態はそ の人の内部状態であり、他者理解とはその内的な表象や欲求の理解に他ならないとされている。   1 「内面」 は、私たちの社会では不思議なかたちで価値づけられた言葉である 。たとえば、引っ込み思案の態度は現代の産業社会 の な か で は あ ま り 有利 に 働 か な い が 、 他 方 で 、 そう し た 人 を 「 内 面 の 豊 か な 人 」 な ど と 形 容 し て 評 価 す る こ と が あ る 。「 内 面 の 豊 か な人」とは、いろいろなことを考えたり思いついたりしても、その場で口に出さない人のことを言うのである。ここで「内面」と は 、 表 現 さ れ な い 思 考 や 発 想 と 考え ら れ て い る 。 あ る い は 、「 建前 」 と い う 日 本 語 は 、 本 来 は 「 X 」 を 意 味 す る は ず で あ る が 、 い つ の ま に か「 タ テ マ エ 」 と カ タ カ ナ で 表 記 さ れ て 本 来 の 意 味 を 失 い、 「 ホ ン ネ 」 と 対 立 さ せ ら れ る よ う に な っ た。 タ テ マ エ は 一 般に向けた空虚なまやかしの態度であり、ホンネこそが「内側」に隠されたその人の真実の声であるとされる。 このように「内面」とは、その人にとって何か貴重で大切なもの、その人の財産のようなものであり、人目に触れては価値が減 じ て し ま う 内 密 な も の と 見 な さ れ て い る。 こ の 意 味 で ま さ に 内 面 と は プ ラ イ バ シ ー の こ と だ と 言 っ て よ い の だ が、 A 、 そ れ はすなわち心的なものなのだろうか。 「心とは内面のことであり、プライベートなものだ」 。こう言ってよいのだろうか。 心を「内側」と表現することは、本来、比喩に他ならない。内側とは、何かに囲まれた空間的な内部のことを意味するはずであ るが、心がそうした何かの内部空間に収まっているのではないからである。だが、この比喩は強力であり、 2 この表現 を使わずに人 間の心理について語るのは難しい ほ どである。 心 を 内 な る も の と 捉 え る 傾 向 が 強 い の は、 ひ と つ に は、 現 代 で は 多 く の 人 が、 「 心 は 脳 に あ る 」 と 考 え て い る か ら で あ ろ う。 心 理学や認知科学でもそう想定されているがゆえに、 「内部表象」といった表現が使われるのである。たしかに脳は、 (通常の状況と 状 態 で は ) 外 側 か ら は 見 え な い 身 体 の 内 側 に あ り、 こ こ か ら、 「 心 が 脳 に あ る の な ら、 そ れ は 身 体 の 内 側 に あ る 」 と 考 え る の は 自 ─ 3 ─ ─ 2 ─ ─ 3 ─ ─ 2 ─ 然 で あ る。 し か し、 心 を 内 面 と か 内 側 と か 呼 ぶ お も な 理 由 は、 「 心 = 脳 が 身 体 の 内 側 に あ る 」 と 考 え た か ら で は な い だ ろ う。 す く な く と も、 そ れ は ② ハ セ イ 的・ 補 強 的 な 理 由 で は な い だ ろ う か。 B そ の 逆 に、 「 心 は 内 側 に あ る 」 と い う 考 え を も っ て い た か らこそ、 「それは脳なり心臓なり、身体の内側にあるのだろう」という発想につながったのではないだろうか。 普 通 の 意 味 で「 内 側 」 と い え ば、 他 人 か ら の 視 線 が 遮 さえぎ ら れ る ③ 衝 立 や 壁 や 塀 の こ ち ら 側 の こ と で あ る。 そ れ は、 壁 の 内 側 で あ り、 部屋の内側であり、 服の内側のことである。逆に、 外側とは、 その障壁の外側、 すなわち、 他人の視線に 晒 さら される側のことである。 内 側 と 外 側 は 3 相 補 う 関 係 に あ り、 一 方 が な け れ ば 他 方 は な い。 し た が っ て、 心 を 内 面 と 呼 ぶ こ と は、 他 人 の 視 線 か ら ④ 遮 蔽 さ れ て い ること、 C 他人には隠されていることを意味している。 1 しかしながら、心は、内臓のように身体の内側にあるから、他人から隠されているのだろうか。心臓や脳のような臓器は、 ⑤ ヒフ や筋肉の奥に位置しているとはいえ、それは外部の観察者から原理的に見えないものではない。患者の身体を切り開いている外科 医は、毎日のように 4 それら を観察していることだろう。これに対して、心は身体のなかを開ければ見えるようなものではない。頭 蓋骨を開いても、そのなかには脳しか見当たらず、心を見出すことはない。生理学者も、脳のある箇所の興奮を見つけることはで きても、 「痛み」を見つけることはあるまい。そもそも心なる物(心という実体)は、どこを探しても見当たらないのである。 2 ここからあきらかなように、 5 心が隠されたものであるという私たちのイメージは、空間関係を起源にしているのではない 。それ は、まさしく隠されているからこそ、内側なのである。 3 では、内側や内面と対立関係にあり、それらを規定してもいる外側・外面とは何であろうか。それは、あきらかに、他人から見 える私のふるまい、他人から観察可能な私の行動のことを指すはずである。この行動には、表情や小さなしぐさのような ⑥ ビサイ な ふるまいも含まれる。 4 だ が、 他 人 か ら も Y な 私 の ふ る ま い は 、 私 の 心 理 状 態 と は 別 の も の な の だ ろ う か 。 そ れ は 奇 妙 な 考 え で あ ろ う 。 私 た ち は 多くの場合、率直に喜びを顔や動作に表す。何かとくに制約条件がないかぎり、私たちは思いのままにふるまう。私が、休日に書 店に買い物に行くのは、まさに私の意図したところである。私の意図は、いま、書店に向かって歩いている行動そのもののなかに 表現されている。いや、 6 この「表れている」 「表現されている 」 という言葉づかいは 曲 くせ 者 もの である 。というのも、 「表現」という言葉

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─ 3 ─ ─ 2 ─ ─ 3 ─ ─ 2 ─ 然 で あ る。 し か し、 心 を 内 面 と か 内 側 と か 呼 ぶ お も な 理 由 は、 「 心 = 脳 が 身 体 の 内 側 に あ る 」 と 考 え た か ら で は な い だ ろ う。 す く な く と も、 そ れ は ② ハ セ イ 的・ 補 強 的 な 理 由 で は な い だ ろ う か。 B そ の 逆 に、 「 心 は 内 側 に あ る 」 と い う 考 え を も っ て い た か らこそ、 「それは脳なり心臓なり、身体の内側にあるのだろう」という発想につながったのではないだろうか。 普 通 の 意 味 で「 内 側 」 と い え ば、 他 人 か ら の 視 線 が 遮 さえぎ ら れ る ③ 衝 立 や 壁 や 塀 の こ ち ら 側 の こ と で あ る。 そ れ は、 壁 の 内 側 で あ り、 部屋の内側であり、 服の内側のことである。逆に、 外側とは、 その障壁の外側、 すなわち、 他人の視線に 晒 さら される側のことである。 内 側 と 外 側 は 3 相 補 う 関 係 に あ り、 一 方 が な け れ ば 他 方 は な い。 し た が っ て、 心 を 内 面 と 呼 ぶ こ と は、 他 人 の 視 線 か ら ④ 遮 蔽 さ れ て い ること、 C 他人には隠されていることを意味している。 1 しかしながら、心は、内臓のように身体の内側にあるから、他人から隠されているのだろうか。心臓や脳のような臓器は、 ⑤ ヒフ や筋肉の奥に位置しているとはいえ、それは外部の観察者から原理的に見えないものではない。患者の身体を切り開いている外科 医は、毎日のように 4 それら を観察していることだろう。これに対して、心は身体のなかを開ければ見えるようなものではない。頭 蓋骨を開いても、そのなかには脳しか見当たらず、心を見出すことはない。生理学者も、脳のある箇所の興奮を見つけることはで きても、 「痛み」を見つけることはあるまい。そもそも心なる物(心という実体)は、どこを探しても見当たらないのである。 2 ここからあきらかなように、 5 心が隠されたものであるという私たちのイメージは、空間関係を起源にしているのではない 。それ は、まさしく隠されているからこそ、内側なのである。 3 では、内側や内面と対立関係にあり、それらを規定してもいる外側・外面とは何であろうか。それは、あきらかに、他人から見 える私のふるまい、他人から観察可能な私の行動のことを指すはずである。この行動には、表情や小さなしぐさのような ⑥ ビサイ な ふるまいも含まれる。 4 だ が、 他 人 か ら も Y な 私 の ふ る ま い は 、 私 の 心 理 状 態 と は 別 の も の な の だ ろ う か 。 そ れ は 奇 妙 な 考 え で あ ろ う 。 私 た ち は 多くの場合、率直に喜びを顔や動作に表す。何かとくに制約条件がないかぎり、私たちは思いのままにふるまう。私が、休日に書 店に買い物に行くのは、まさに私の意図したところである。私の意図は、いま、書店に向かって歩いている行動そのもののなかに 表現されている。いや、 6 この「表れている」 「表現されている 」 という言葉づかいは 曲 くせ 者 もの である 。というのも、 「表現」という言葉 ─ 3 ─ ─ 3 ─ は、表現するものと表現されるものの分離を含意しているからである。私の笑顔は、嬉しさという表現されるべき(内的な)もの を表現している、といったようにである。しかし、 ⑦ ムジャキ な笑顔にそうした表現するものと表現されるものの区別はなく、書店 に向かう私の歩みは、書店に行くという私の意図そのものである。 5 こ の よ う に、 ふ る ま い が そ の ま ま に そ の 人 の 心 理 で あ る 場 合 は、 数 多 く 存 在 す る。 い や、 日 常 言 語 学 派 の 哲 学 者、 ギ ル バ ー ト・ ライルによれば、私たちが、ある人の(自分自身も含めて)心について述べるときには、つねにその人の行動について述べている のである。 (中略) 私 た ち は、 心 を 指 し 示 す 人 格 的 特 徴 と し て、 「 優 し い 」 と か「 ⑧ オ ロ か 」 な ど と い う 言 い 方( ラ イ ル の 言 う 心 的 述 語 ) を す る。 そ うした場合には、私たちは、あたかも、その人のなかに心なる物( = 実体)が存在していて、その物に「優しい」といった性質が 宿 っ て い る か の よ う に 想 定 し が ち で あ る。 ち ょ う ど、 机 と い う 物 が、 硬 い と か 茶 色 い と い っ た 性 質 を も っ て い る よ う に。 し か し、 ライルによれば、心的な特性や能力の基体としての心を想定することは誤りである。私たちが、実際に観察しているのは、ある種 の身体的な行動パターンに他ならない(ただし、あらゆる行動パターンが心的であるわけではない。 * 膝 しつ 蓋 がい 腱 けん 反射はある種の行動パ タ ー ン で あ る が、 そ の 人 の 心 理 を 表 す も の で は な い )。 7 身 体 的 行 動 の 背 後 に、 そ れ を 表 出 し て い る 基 体 な い し 実 体 と し て の 心 を 想 定してはならない 。 たしかに、私たちは、現在、自分の目の前にいる人のふるまいを見て、そこで見聞したことを越えてその先まで立ち入ろうとす る。 D 、 あ る 人 の 勇 敢 な 行 動 を 見 て 、 そ の 理 由 や そ の 人 の 性 格 に つ い て 考 え る で あ ろ う し 、 そ の ふ る ま い が 偽 り や 虚 勢 で は な く、 「 本 物 の 」 勇 敢 さ で あ る か を 確 か め た く な る で あ ろ う。 し か し、 そ の 人 の 勇 敢 さ の 理 由 を 知 る こ と は、 勇 敢 な ふ る ま い を そ の人にさせた「勇敢な心」という隠れた原因を、その人のどこかに見出すことではないし、観察された行動の背後にまわり込むこ と で も な い。 そ の 人 の 勇 敢 さ の 理 由 を 知 る と は、 そ の と き の ふ る ま い を、 そ の 人 の 過 去 の ふ る ま い や そ れ ま で の 状 況 と 関 連 づ け、 生活史のなかにそのふるまいを位置づけることに他ならない。 (河野哲也『 ︿心﹀はからだの外にある』による) *   膝蓋腱反射……膝頭の真下をたたいたとき、足が前方にはね上がる反射。 ─ 5 ─ ─ 4 ─ ─ 5 ─ ─ 4 ─ 問一 傍線部①~⑧の漢字の読みをひらがなに、カタカナを漢字に直して答えなさい。 問二 傍 線 部 1 「「 内 面 」 は、 私 た ち の 社 会 で は 不 思 議 な か た ち で 価 値 づ け ら れ た 言 葉 で あ る 」 と あ る が、 こ こ で 言 う「 内 面 」 と はどのようなものか。本文中より十一字で抜き出して答えなさい。 問三 空欄部 X に入る最も適切なものをつぎの中から選び、記号で答えなさい。 ア   面目     イ   玄関     ウ   原則     エ   祝儀     オ   世辞 問四 空 欄 部 A ~ D に 入 る 最 も 適 切 な も の を つ ぎ の 中 か ら 選 び 、 そ れ ぞ れ 記 号 で 答 え な さ い ( 同 じ 記 号 は 二 度 以 上 使 用しないこと) 。 ア   むしろ     イ   つまり     ウ   しかし     エ   ところで     オ   なぜなら     カ   たとえば 問五 傍線部 2 「この表現」とは何のことか。本文中より一語を抜き出して答えなさい。 問六 傍線部 3 「相補う関係」とあるが、これと対になる形で用いられた表現を、本文中より抜き出して答えなさい。 問七 つぎの一文は、本文中の 1 ~ 5 のいずれかに入るものである。最も適切な箇所を選び、記号で答えなさい。 心とは内面のことであると考えることは、心を他人に隠されたものと定義づけることなのである。 ア   1     イ   2     ウ   3     エ   4     オ   5 ─ 5 ─ ─ 5 ─ 問八 傍線部 4 「それら」の指示する対象を、本文中から十字で抜き出して答えなさい。 問九 傍線部 5 「心が隠されたものであるという私たちのイメージは、空間関係を起源にしているのではない」とあるが、その理 由を説明したものとして最も適切なものをつぎの中から選び、記号で答えなさい。 ア 心は仮に身体のなかを切り開いてみても見えるようになるものではないから。 イ 心は脳のある箇所に生じる興奮としてのみ見つけられるものであるから。 ウ 心は身体の奥に位置し、医学的な観察によってのみ確認できるものであるから。 エ 心は脳なり心臓なり身体の内側にあるだろうという自然な発想が元にあるから。 オ 心は脳にあるか心臓にあるか、専門家たちによっても確定されていないから。 問十 空欄部 Y に入る表現を本文中より抜き出して答えなさい。 問 十 一 傍 線 部 6 「 こ の「 表 れ て い る 」「 表 現 さ れ て い る 」 と い う 言 葉 づ か い は 曲 者 で あ る 」 と あ る が、 筆 者 に よ れ ば、 こ の 一 文 に は注意すべき点があるという。つぎの説明の中から、最も適切なものを選び、記号で答えなさい。 ア   「表現されている」という言葉は、表現するものとされるものとの区別を明確にしすぎているから。 イ   「表現されている」という言葉は、 「私の意図」を示すものとしては感覚的で、不十分であるから。 ウ   「表現されている」という言葉は、意図と行動とが一致する様子をあまりに見事に表しているから。 エ   「表現されている」という言葉は、表情や行動のもととなる心の存在を前提とすることになるから。 オ   「表現されている」という言葉は、感情を表すことには適しても意図を表すには不向きであるから。

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─ 5 ─ ─ 5 ─ 問八 傍線部 4 「それら」の指示する対象を、本文中から十字で抜き出して答えなさい。 問九 傍線部 5 「心が隠されたものであるという私たちのイメージは、空間関係を起源にしているのではない」とあるが、その理 由を説明したものとして最も適切なものをつぎの中から選び、記号で答えなさい。 ア 心は仮に身体のなかを切り開いてみても見えるようになるものではないから。 イ 心は脳のある箇所に生じる興奮としてのみ見つけられるものであるから。 ウ 心は身体の奥に位置し、医学的な観察によってのみ確認できるものであるから。 エ 心は脳なり心臓なり身体の内側にあるだろうという自然な発想が元にあるから。 オ 心は脳にあるか心臓にあるか、専門家たちによっても確定されていないから。 問十 空欄部 Y に入る表現を本文中より抜き出して答えなさい。 問 十 一 傍 線 部 6 「 こ の「 表 れ て い る 」「 表 現 さ れ て い る 」 と い う 言 葉 づ か い は 曲 者 で あ る 」 と あ る が、 筆 者 に よ れ ば、 こ の 一 文 に は注意すべき点があるという。つぎの説明の中から、最も適切なものを選び、記号で答えなさい。 ア   「表現されている」という言葉は、表現するものとされるものとの区別を明確にしすぎているから。 イ   「表現されている」という言葉は、 「私の意図」を示すものとしては感覚的で、不十分であるから。 ウ   「表現されている」という言葉は、意図と行動とが一致する様子をあまりに見事に表しているから。 エ   「表現されている」という言葉は、表情や行動のもととなる心の存在を前提とすることになるから。 オ   「表現されている」という言葉は、感情を表すことには適しても意図を表すには不向きであるから。 ─ 7 ─ ─ 6 ─ ─ 7 ─ ─ 6 ─ 問 十 二 傍線部 7 「身体的行動の背後に、それを表出している基体ないし実体としての心を想定してはならない」とあるが、それは なぜか。本文の趣旨と合致するものをつぎの中から二つ選び、記号で答えなさい。 ア 物が固有の性質を持っているように、人間の中に宿る心にはそれぞれ不変の性質が与えられていると考えられてきて いるから。 イ 人々のふるまいの ほ とんどは、特に制約する条件のない限りそのままその人の心理状態であると考えられるから。 ウ ある人物の心について述べようとすることは、きまってその人物の行動について述べることとなるから。 エ たとえば膝蓋腱反射のような例外があるように、すべての行動パターンが心的であるわけではないから。 オ 私たちが観察できるのは身体的行動のパターンだけであり、その行動の背景にある心そのものを観察することはでき ないから。 問 十 三 波線部「見聞したこと」とあるが、近代日本において独自に発展した小説のジャンルに、作家自身の見聞や内面をありのま まに描こうとした「私小説」がある。代表的な作家と作品を以下から選び、それぞれ記号で答えなさい。 ︹作家︺ ア   谷崎潤一郎 イ   小林多喜二 ウ   志賀直哉 エ   樋口一葉 オ   森鷗外 ︹作品︺ カ   「舞姫」 キ   「春琴抄」 ク   「たけくらべ」 ケ   「和解」 コ「蟹工船」 ─ 7 ─

つぎの文章は桑子敏雄著『環境の哲学』の「第一章   空間の豊かさ」の一節である。これを読んで、あとの問いに答えなさい。 巨大土木プロジェクトを中心に行われた戦後日本の公共事業は、経済性、効率性優先で、いたるところに同じような景観を生み だした。これは、地方に暮らすひとびとが、地域の「ふるさと」としての特色を失ったことも意味する。それぞれの地方固有の風 景や景観のもつ意味を見失い、また自然環境の重要性を忘れたのが戦後日本の ① フッコウ であった。 たとえば、伝統的な自然環境や文化から切り離され、新しく造成されたニュータウンで暮らすとき、こどもたちの精神が、その 空間でどのように育ってゆくかということは、きわめて重要な問題である。しかし、高度経済成長以降の時代に空間を再編する過 程で、こどもたちの人格形成にとって豊かな空間とはなにかということが ② シンケン に問われることがあったろうか。ただモノをつ くることが豊かさであり、モノで心も豊かになるとあまりにも単純に考えられてきたのではなかったか。 本 書 で わ た し は、 「 モ ノ の 豊 か さ 」 で は な く、 「 空 間 の 豊 か さ 」 と い う 考 え を 提 起 し た い。 (   a   ) 現 在 で は、 「 モ ノ の 豊 か さ 」 で は な く「 心 の 豊 か さ 」 の 重 要 性 が 指 摘 さ れ て い る。 し か し、 「 心 の 豊 か さ 」 と は な に か と い う こ と は き わ め て 難 し い 問 題 で、 た とえば行政がこうした問題にプロジェクトを組むにしても、福祉政策とか教育政策とかにならざるをえず、公共事業によって進め られるような巨大土木プロジェクトがどのような意味で「心の豊かさ」を実現できるかは想像しにくい。 こどもたちが人間社会や自然環境のなかでさまざまな経験を積み上げ、厚みのある人格を養ってゆくとき、かれらの経験する空 間はこどもたちの心に大きな影響を与えずにはおかない。豊かな人生を送るにふさわしい空間、これをわたしは「豊かな空間」と 呼ぼう。この空間には土木建設行政が深くかかわっている。 たとえば、貴重な動植物の生息地を破壊してまで高速道路や観光林道をつくるとすれば、その空間には、豊かな自然よりも経済 発展を高く位置づける価値判断が刻印されることになる。そのような空間で成長するこどもたちは、一定の価値判断を前提として つくられた環境で、人格を形成することになるだろう。 A 調整された環境の ほ うが自然な環境よりも重要なものである ことは、すで にかれらの経験の前提である。どのような空間に生きるかで、人間の経験が異なるとすれば、行政・土木建設事業は、空間の構成 や再編に対して重大な責任を ③ オ っているわけである。

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─ 9 ─ 大切なのは、自分たちの生き、暮らす空間の大切さと意義とを十分認識し、その認識に立って、次代のための空間づくりをする ことであろう。空間づくりをするということは、けっしてモノづくりをすることではない。モノをつくらないことがむしろ空間づ く り を す る こ と に な る ば あ い も あ る。 モ ノ を つ く ら な い こ と、 い ま あ る も の を 保 護 し、 保 全 し、 ⑥ イ ジ し て ゆ く こ と は 大 変 な 知 的、 あるいは財政的な努力も必要とする。また、モノのない空間だからといってひとの努力が存在しなかった空間とはかぎらない。逆 に、巨大な建造物が豊かな空間の象徴ではなく、豊かな空間の価値をないがしろにしてきたことの象徴となることもある。 * 2 バ ブル 時代につくられ、 バ ブル崩壊後に C 放置されたリゾートマンションなどは、幻想に終わった「豊かさ 」 の墓標である 。 戦後日本はモノをつくりすぎた。だから、つくりすぎたモノをこわし、もとに復原するといったことも「創造」のうちに入るで あろう。これからは、国土という空間をどう創造してゆくかという問題を、つくったモノをなくし、もとに戻すということまで含 めて考えなくてはならない。 D 環境としての空間の豊かさを再認識し、 空間を創造する と い う 課 題 に わ た し た ち が ど の よ う に 取 り 組 む か は す で に 明 ら か と い う わけではない。それどころか、たとえば、伝統的な日本の思想と現代的な環境の問題とをどのように構造的に結びつけるか、とい う課題は ほ とんど試みられていない。 空間の重要性について考えるときに、わたしが試みたいのは、西洋の思想的伝統のように、心を身体から分離し、心、精神の本 質を見極めたうえで、それをとりまく環境へと思考を向けることではない。空間と身体との不可分な関係をつねに考えるべきだと いうのがわたしの主張である。このような発想は日本の思想を読み直せば、いろいろなところに出てくるのだが、そのような思想 の現代的意義はこれまで ほ とんど考慮されてこなかったように思う。 (   c   )、わたしたちが貧しくしてしまった空間が、それ以前には、どのようなものであり、またどのようなものとして考えら れていたかということを考察しなければならない。これは空間に対する伝統思想の再評価ということである。 ( 桑子敏雄『環境の哲学』による ) * 1 思いみる……いろいろと考える。 * 2 バ ブル時代……地価・株価が異常なまでに高騰した一九八〇年代後半~九〇年代初頭のころをいう。 ─ 9 ─ ─ 8 ─ 具体例をもうひとつ挙げるならば、経済発展第一の時代の河川行政がある。自然環境の保護や農村文化の存続を理由に 堰 せき やダム の 建 設 に 反 対 す る 地 域 住 民 に 対 し、 行 政 は 事 業 を 強 行 す る 理 由 と し て し ば し ば「 ④ チ ス イ 」「 利 水 」 を 挙 げ て き た。 現 在 で は、 河 川 法の改正によって、表面的には、地域住民の意思を尊重した河川行政への転換が図られているようにみえる。しかし、河川の流域 空間全体の豊かさという観点から、自然環境、歴史性、風土性などを総合して評価し、そのうえで、どのような河川行政がふさわ しいかを考えるといった方向はまだ見えていないように思われる。 (   b   )、廃棄物処分場の問題などは、豊かなモノが廃棄されることによってわたしたちの生きる空間を貧しくしている典型的 な例であろう。 わ た し た ち の 生 き る 空 間 は、 歴 史 的 な 重 み を も つ 文 化 的 空 間、 風 土 的 空 間 で も あ る。 空 間 の も つ X は 、 空 間 の 豊 か さ の 重 要な指標である。このような点への配慮が事業の推進の過程でどれ ほ ど考慮されてきたかもまた考え直す必要がある。 空間は、多様なものを包み込んでいる。空間は、ひとびとの多様な価値観がそれぞれの生活を支えている場でもある。いま問わ れているのは、空間の価値をどう考えるかということである。空間を均質的、一元的な価値の体系で再編しようとしてきたのが経 済的価値一辺倒の時代である。 B その一元的な価値観のあり方をどのように批判し、新しい価値のあり方を、どのようにすれば見出 すことができるかということが課題である 。 このように考えるとき、モノづくりが中心であった日本の国土空間は危機的な状況にあるように思われる。なぜならこの空間で は、空間の豊かさ、空間のもつ価値が経済価値以外の観点から顧みられることがなかったからである。そのために、多くの動植物 を 絶 滅 の 危 機 に ⑤ 陥 れ、 動 植 物 と 人 間 と い う 生 物 と が 同 じ 空 間 の な か で 生 き て い る と い う こ と の 意 味、 ひ い て は 命 の 大 切 さ を * 1 思 い み る こ と を 忘 れ さ せ た。 こ ど も た ち が 命 の 大 切 さ を 知 ら な い と す れ ば、 そ れ は 命 が 大 切 だ と い う こ と を 教 え な か っ た か ら で は な く、 お と な た ち が 豊 か な 自 然 の あ る 空 間 を 顧 み る こ と な く、 命 を Y に す る よ う な 振 る 舞 い を し て き た か ら で あ る 。 そ ん な 空 間で、おとなたちがいくら「命を大切にしよう」といってみても無駄であろう。 このような危機的な状況にある日本の空間を、どうすれば人間と生きものたちがよい生を送るのにふさわしい場所として見直し てゆくことができるだろうか。 ─ 7 ─

つぎの文章は桑子敏雄著『環境の哲学』の「第一章   空間の豊かさ」の一節である。これを読んで、あとの問いに答えなさい。 巨大土木プロジェクトを中心に行われた戦後日本の公共事業は、経済性、効率性優先で、いたるところに同じような景観を生み だした。これは、地方に暮らすひとびとが、地域の「ふるさと」としての特色を失ったことも意味する。それぞれの地方固有の風 景や景観のもつ意味を見失い、また自然環境の重要性を忘れたのが戦後日本の ① フッコウ であった。 たとえば、伝統的な自然環境や文化から切り離され、新しく造成されたニュータウンで暮らすとき、こどもたちの精神が、その 空間でどのように育ってゆくかということは、きわめて重要な問題である。しかし、高度経済成長以降の時代に空間を再編する過 程で、こどもたちの人格形成にとって豊かな空間とはなにかということが ② シンケン に問われることがあったろうか。ただモノをつ くることが豊かさであり、モノで心も豊かになるとあまりにも単純に考えられてきたのではなかったか。 本 書 で わ た し は、 「 モ ノ の 豊 か さ 」 で は な く、 「 空 間 の 豊 か さ 」 と い う 考 え を 提 起 し た い。 (   a   ) 現 在 で は、 「 モ ノ の 豊 か さ 」 で は な く「 心 の 豊 か さ 」 の 重 要 性 が 指 摘 さ れ て い る。 し か し、 「 心 の 豊 か さ 」 と は な に か と い う こ と は き わ め て 難 し い 問 題 で、 た とえば行政がこうした問題にプロジェクトを組むにしても、福祉政策とか教育政策とかにならざるをえず、公共事業によって進め られるような巨大土木プロジェクトがどのような意味で「心の豊かさ」を実現できるかは想像しにくい。 こどもたちが人間社会や自然環境のなかでさまざまな経験を積み上げ、厚みのある人格を養ってゆくとき、かれらの経験する空 間はこどもたちの心に大きな影響を与えずにはおかない。豊かな人生を送るにふさわしい空間、これをわたしは「豊かな空間」と 呼ぼう。この空間には土木建設行政が深くかかわっている。 たとえば、貴重な動植物の生息地を破壊してまで高速道路や観光林道をつくるとすれば、その空間には、豊かな自然よりも経済 発展を高く位置づける価値判断が刻印されることになる。そのような空間で成長するこどもたちは、一定の価値判断を前提として つくられた環境で、人格を形成することになるだろう。 A 調整された環境の ほ うが自然な環境よりも重要なものである ことは、すで にかれらの経験の前提である。どのような空間に生きるかで、人間の経験が異なるとすれば、行政・土木建設事業は、空間の構成 や再編に対して重大な責任を ③ オ っているわけである。

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─ 11 ─ ─ 10 ─ 問一 傍線部①~⑥の漢字の読みをひらがなに、カタカナを漢字に直して答えなさい。 問二 空欄部(   a   )~ (   c   )に入る最も適切な語をつぎの中から選び、記号で答えなさい。 a   ア   やがて     イ   そこで     ウ   たしかに    エ   なぜか b   ア   さらに     イ   せめて     ウ   すると     エ   したがって c   ア   ただし     イ   だから     ウ   さて      エ   ところが 問三 傍線部 A 「調整された環境の ほ うが自然な環境よりも重要なものである」という価値観はどのような事業によって助長され るか。その事業の内容が具体的に書かれている箇所をこれより前の本文中から三十字で抜き出し、最初と最後の五字で答え なさい(解答欄に添え書きしてある「事業」は字数に含めないものとする) 。 問四 空欄部 X に入る最も適切な語をつぎの中から選び、記号で答えなさい。 ア   気配     イ   先進性     ウ   知名度     エ   履歴 問五 傍線部 B 「その一元的な価値観のあり方をどのように批判し、新しい価値のあり方を、どのようにすれば見出すことができ るかということが課題である」とあるが、その課題への取り組みとして本文に書かれている内容と 合致しないもの をつぎの 中から選び、記号で答えなさい。 ア   日本の国土空間の豊かさやその空間のもつ価値を、経済性、効率性という観点から考える。 イ   動植物と人間とが同じ空間のなかで生きているということの意味や、命の大切さを考える。 ウ   自分たちの生き、暮らす空間の大切さと意義を十分認識し、次代のための空間づくりを考える。 エ   戦後日本はモノをつくり過ぎたので、つくったモノをなくし、もとに戻すことなども考える。 ─ 11 ─ 問六 空 欄 部 Y に 入 る 最 も 適 切 な 語 を 、 こ れ よ り 後 の 本 文 中 か ら 五 字 で 抜 き 出 し て 答 え な さ い 。 ま た 、 そ の 語 と 類 義 の 語 を つぎの中から選び、記号で答えなさい。 ア   きもいり     イ   たてわり     ウ   なおざり     エ   きりもり 問七 傍線部 C 「放置されたリゾートマンションなどは、幻想に終わった「豊かさ」の墓標である」について、つぎの⑴・⑵の問 いに答えなさい。 ⑴   この部分で用いられている修辞法をつぎの中から選び、記号で答えなさい。 ア   隠喩     イ   倒置     ウ   直喩     エ   反復 ⑵   この表現の説明として最も適切なものをつぎの中から選び、記号で答えなさい。 ア   モノが豊かさの象徴となったことを、モノの例示、活況を想起させる語、修辞法によって具体的に示している。 イ   モノが豊かさの象徴となっていく過程を、モノの例示、未来を想起させる語、修辞法によって具体的に示している。 ウ   モノが豊かさの象徴とならない理由を、モノの例示、物量を想起させる語、修辞法によって具体的に示している。 エ   モノが豊かさの象徴とならなかったことを、 モノの例示、 惨状を想起させる語、 修辞法によって具体的に示している。 問八 傍線部 D 「環境としての空間の豊かさを再認識し、空間を創造する」という考えにもとづいた行動として最も適切なものを つぎの中から選び、記号で答えなさい。 ア   こどもたちがさまざまな経験を積み上げ、厚みのある人格を養える伝統的な自然環境を保全する。 イ   伝統的な自然環境や文化から切り離され、新しく造成されたニュータウンへ移り住んでいく。 ウ   豊かなモノを廃棄したりつくったモノをこわしたりして、一元的な価値観の空間を復元する。 エ   地方固有の景観を減らし、人間がよい生を送るのにふさわしい均質的な風土的空間を広げていく。

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─ 12 ─ 問九 本文の内容に合致するものをつぎの中から二つ選び、記号で答えなさい。 ア   筆者は、心の豊かさが重要であると考えてはいるものの、公共事業における実現性を考慮して空間の豊かさという考 え方を提案している。 イ   筆者は、日本の国土空間が危機的状況に至ってしまったのは、おとなたちが命の大切さを十分に言い伝えてこなかっ たためだと考えている。 ウ   筆者は、空間づくりをするということはモノづくりをすることではないと確信し、モノをこわすことを中心とした空 間の創造を提案している。 エ   筆者は、空間の重要性を考える際、心を身体から分離して考えることと空間と身体の不可分な関係を考えることとを 融合して考えている。 オ   筆者は、わたしたちが貧しくした空間について、開発以前のありようやとらえられ方をあらためて考察しなければな らないと考えている。 問十 この文章には題名がつけられている。その題名を、つぎの中から選び、記号で答えなさい。 ア   「モノの豊かさ」と巨大土木プロジェクトとの関係 イ   「モノの豊かさ」と「ふるさと」としての特色 ウ   「モノの豊かさ」と「心の豊かさ」をつなぐもの エ   「モノの豊かさ」とこどもたちの人格形成との関係

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参照

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