『ゴーラクナート語録』研究 : 序 (森章司教授退
任記念号)
著者名(日)
橋本 泰元
雑誌名
東洋学論叢
号
32
ページ
177-159
発行年
2007-03
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00003241/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja(28 )
『ゴーラ クナート語 録』研究一 序
は じ め に
橋
本
泰
元
本 稿 は 、筆 者 の 長 年 の 研 究 領 域 で あ る 北 イ ン ド 中 世 民 衆 思 想 に お い て 、 つ ね に、そ の 基 盤 を 形 成 し た と 言 及 さ れ 、 ま た 、 そ の よ う な 定 説 に も なっ て い る ゴ ー ラ ク ナ ー ト(Gorakhanatha <Goraksanatha) の 、 ヒ ン デ ィ ー 語 の 古 形 に よ る 作 品 と 見 な さ れ て い る 文 献(Ban! <VanI )の 思 想研究 の 締 を な す も の で あ る。
ゴ ー ラ ク ナ ー ト な い し ナ ー ト 派 の サ ン ス ク リ ッ ト 文献 研究 に つ い ては、 そ の優れた 文 献 史 研 究 が 、 近 年 、 コ レ ー ジ ュ ・ ド ・ フ ラ ン ス
付置 イ ン ド 学 研 究 所 所 属 の グ リ ス 千 ヤ ン ・ ブ イ 氏 の モ ノ グ ラ フ 『 ナ ー
タ 派 ヨ ー ガ 行 者 と 諸 ウ パ ニ シ ャ ッ ド 』(ChristianBouy,LesNatha-vogine/lesUpanisads,CoUegedeFrancePublicationsderinstitutdeCivilisationIndienne,Fascicule62,Paris:DiffusindeBoccard,1994
)と し て 公 刊 さ れ 、 筆 者 は そ の 全 訳 を 行 い 、 研 究 の 便 宜 を 図 っ たI。 こ の 全 訳 に お い て は 、 当 然 な が ら 本 稿 の 対 象 で あ る 古 ヒ ン デ ィ ー 語 に よ る 語 録 『 ゴ ー ラ ク 語 録』(Gorakha 一郎 明 は 言 及 さ れ て い る の み で 、 詳 述 は さ れ て い な い。、 し か し な が ら 、 イ ン ド 中 世 に お け る 民 衆 思 想 の 形 成 に あた っ て 、 ゴ ー ラ ク ナ ートの 果 た し た 極 め て 大 き な 役割 は、 や はり 、 本 稿 で 扱 う 語 録 に 示 さ れ た 部 分 に よ っ て 知 ら れ る べ き こ と は 言 を 埃 か な い で あ ろ う 。 本 稿 は 、 ゴ ー ラ ク ナ ー ト の 語 録 の 初 め て の 文 献 学 的研究 で あ る ピ ー タ ー ン バ ル ダ ッ ト ・ バ ル ト ワ ー ル(PitambaradattaBarathvala) 編 纂・解 説Gorakha 一如 皿Prayaga:HindiSahityaSammelana,2017 (=1960,tritlya
I「 クリ スチ ャ ン・ブ イ著 『ナ ー タ派3 ー ガ 行 者と 諸 ウ パニ シ ャ ッ ド』」 く『東 洋学 研 究』 別冊( 「 東 洋 思 想 に おけ る 心 身 観 」)2003 年〉、〈『 束洋 学 研 究j4U 、2004 年 〉、 ⑤ 束洋 学研 究J42 、2005 年 〉、 町 束 洋学 研 究 』43 、2006 年 〉
(29) samskarana)[prathamasamskarana1942] の 解 説( 主 要 部 分) の和 訳 、 そ し て 原 著 者 に よ る 校 訂 文 の 提 示 と、 原 著 者 に よ る 現 代 ヒ ン デ ィ ー 語 訳 を 参 考 に し た 筆 者 の 和 訳 か ら な る 。 原 著 者 の 解 説 を 提 示 す る こ と に よっ て 、 ゴ ー ラ ク ナ ー ト 研 究 の 初 期 に お け る 本 文 批 評 な ど の 過 程 と そ の 成 果 を 知 り 得 、 上 述 の サ ン ス クリ ッ ト 文献 史 研 究 と と も に 、 本研 究 に と っ て 大 き な 貢 献 を な す も の と 考 え る か ら で あ る。 こ こ で 、 原 著 者 の 素 描 を し て お く こ と が 適 切 と 思 う 。 バ ル ト フ ー ル(1901-1944) は、 バ ナ ー ラ ス ・ヒ ン ド ゥ ー 大 学 文 学 研 究 科 ヒ ン デ ィ ー 文 学 専 攻 課 程 で 修 士 号 を1928 年 に 取 得後 、1930 年 か ら8 年 間同 大 学 で 専 任 講 師(Lecturer)、つ い で1938-43 年 、ラ ク ナ ウ ー 大 学 専 任 講 師 を 務 め た。 こ の 間 に か れ は 『ヒ ン デ ィ ー 詩 の な か の ニ ル グ ナ の 伝 統 』(NirgunaSchoolofHin 山、Poetry,Benares:IndianBookShop,1936)と い う こ の 分 野 の 画 期 的 な業 績 を 公 刊 し たo 「 ニ ル グ ナ 」(nirguna)と は ふ つ う 「 無 属 性( の) 」 を 意 味 す る が 、 バ ル ト フ ー ル の 時 代 に 創 成 期 に あ っ た ヒ ン デ ィー 文 学( 文 献) 史 研 究 にお い て は 、 北 イ ン ド の 中 世 期 に 輩 出 し た 在 俗 の 宗 教 家 の 語 録 に 表 さ れ た、 至 高 な る 真 実 在 が あ ら ゆ る 属 性 を 超 越 し か 存 在 で あ る こ と を 意 味 し て い る 。因 み に[ ニ ル グ ナ] の 反 意 語で あ る「 サ グ ナ 」(saguna)は 、「 有 属 性( の)] の 意 味 で 、 中 世 期 の セ ンド ゥ ー 教 の特 徴 で あ る 、 至 高 の 人 格 神 へ の 専 一 的 な 帰 依( バ ク テ ィ) 思 想 の なか で、 正 統 的 な ヒ ン ド ゥ ー 教 が 説 く 最 高 神 の 化 身 思 想 や 神 話 を 認 め る 宗 教 詩 人 の 神観 念 を 意 味 し て い る 。 す な わ ち 、 こ の 系 統 の 観 念 で は 、 最 高 実 在 は あ ら ゆ る 属 性 を も ち 、 と き に は 人 間に 近 い 感 情 を もっ か 存 在 な の で あ る 。 そ し て 、 こ の よ う な 宗 教 的 観 念 に よ る 中 世 期 の 文 学 史 理 解 は 、 現 在 に まで 至 っ て お り 、 バ ル ト フ ー ル の業 績 は 、 そ の 先 駆 を なし た こ と に あ る と言 え る≒
2 本 書 は 、 の ち にTradltonsofIn 出'cmMysticismBaseduponNirgunaSchool 可Hin 山Poetrv ,NewDelhi:HeritagePublishers,1978 と し て 表 題 を 変 え て 再 版 さ れ て い る 。3
ほ ぼ 同 時 代 的 に 、 東 イ ン ド の ベ ン ガ ル 地 方 で は 、 ク シ ユ テ イ ・ モ ー パ ン ・ セ ー ン が 同 様 な 研 究 と 業 績 を 残 し て い る。ク シ ユ テ イ ・ モ ー パ ン ・ セ ー ン 著/中 川 正 生 訳 『 ヒ
ン ド ゥ ー 教 』(If 談 社 現 代 新 書 、1999 年 ) 所 収 の 、 筆 者 に よ る 「 解 説 」 を 参 照 。
(30 )
[ゴーラク語録卜
解説お よび本文の翻訳4
写 本a : パ ウリ 一 版 ガ ル ワ ー ル地 域 の パ ウリ ー 街 在 住 の パ ン デ ィ ット で あ る タ ー ラ ー グ ッ ド ・ ガ エ ロ ー ラ ー が ジ ャ エ プ ル か ら 人 手 。 四 部 か ら 構 成 。 第1 部 は ダ ー ド ゥ ー、 カ ビ ー ル、 ナ ー ム デ ー ヴ 、 ラ イ ダ ー スそ し て ハ リ ダ ー ス の 語 録 が 収 め ら れ て い る 。 第2 部 は ナ ー ト 派 ヨ ー ガ 行 者 の 作 品 を 収 め て い る 。 第3 部 に は ダ ー ド ゥ ー 派 の ス ン ダ ル ダ ー ス、 ガ リ ーブ ダ ー ス 、 ラ ッ ジ ャ ブ ダ ー ス ら 高 弟 た ち の 語 録 が 収 め ら れ て い る 。 第4 部 は 、 ラ ッ ジ ャ ブ ダ ー ス が、 ゴ ー ラ クナ ート か らト ゥ ル ス ィ ー ダ ー ス に至 る ま で のヨ ー ガ 行 者 、 サ ー ド ゥ ー 、 サ ン ド な ど 聖 者 た ち の 佳 句 を 編 纂 し た サ ル ヅ ア ー ン ギ ー か ら な る 。 こ の 写 本 の 最 終 ペ ー ジ と と も に 奥 書 が 破 損 し て い る ので 、 書 写 年 代 不 明 で あ る 。こ の 写 本 が ラ ッ ジ ャブ ダ ー ス の た め に 書 か れ た か 、 あ る い は ラ ッ ジ ャブ ダ ー ス の時 代 に 書 か れ た 可 能 性 が あ る 。 もし そ う で あ る な ら ば 、 書 写 年 代 は ヅ イ ク ラ マ 暦1715 年 ( 西 暦1658 年 ) こ ろ で あ る は ず で あ る 。 ヨ ー ガ文 献 に 筆 者 が 初 め て 接 し た の は 、 こ の 写 本 が 最 初 の も ので あ る 。 以 下 の 写 本i を 除 い た 他 の す べ て の 写 本 に つ い て の 解 説 は 、 筆 者 に 写 本 が 人 手 で きた 順 番 で 行 う。 写本b ジョ ードプ ル藩王 国 図書館所 蔵。 ジョードプ ルの 考古 局長 ヅイシュ ヴ ァナ ート ・レー ウー博士 がこ の写本の 写しを 送っ て下 さっ た。し かしな がら、こ の写し にはゴ ーラ クナートの 作品の なかでサ ブデ イーし かなか っ た。規 則に従っ て、当 時はゴ ーラ クナート の他の 作品は 入手で きなか っ た。さ らに、こ のサブ デ イーの年代が 不明 であ る。 写本C この写 本は、 筆者は ジョ ードプ ルの ガジラ ージ・ オー ジャ ー氏 から人 手した。こ の写 本の冒 頭には、 カビ ールのサ ーキ ーが ある。 その 直後に 4原著 の「 解 説」 の 訳文 中 のU 内は 筆 者 の補 注 、『語 録』 の 訳文 中 の ∩ は筆 者 の 言 い 換 え、〔 〕内 は筆 者 によ る柿 足を 表 す。 なお 、『語 録』 の筆 者注 は 、*をつ け て示 した 。 −175 −(31 ) ナート派ヨ ーガ行 者のサブ ディ ーが載ってお り、 最後に ハ タヨ ーガのヒ ンディー語 による 作品が 載ってい る。この 写本で も、ゴ ーラ クナートの サブ ディー のみで、 他の作 品は ない。また 書写年 代も不 明であ る。 写 本d こ の写本 は、筆 者は ジョードプ ル在 住の 詩人 シュブ カラ ン・チャ ーラ ン氏 から 入手した。こ の写本は、 ニラ ンジャニ ー派のあ る聖 者が編纂し た浩願な 集成本であ る。こ の中 には、 ハリ ダースなどニ ラ ンジャニ ー派 の 聖者と カビ ー ルなど ニル グニ ー・サ ンド (最 高存在 の無属性 を強 調す る 聖行者) の語録 とと もに、 ナート派 ヨーガ 行者の語 録も収 めら れてい る。この 本は、 ヅ イクラマ暦1825 年 に書が れた。 写本e パテ ィヤーラ ー藩工 国ナ ールニ ール所 在の バーバー ・ハリ ダー ス寺 院 所 蔵 で、 ヴィ クラマ 暦1714 年 カ ー ルテ ィ ク月白 分 第8Iヨ木 曜 日に書 写 された。こ れは、 ニラ ンジャニ ー派の ガンガ ーラー ムが スワ ー ミー リレ ープ ダースの読 誦ため に書写し た。 ナーガリ ープラチ ャ ーリ ニ ー・ サパ ー( バナ ーラ スにあ るナ ーガリ ー文 字に よるヒ ン デ ィー語の 普及 協 会) のパ ンジャーブ 研究の 紀要 に、 この写 本の写 しが載っ ている。 写本f こ の 写 本は、 ジ ャエプ ル藩 王 国の帝 師 ハリ ナ ー ラー ヤ ン師(B.A.)所 蔵である 。こ の写 本は多 くの 集成 を含 んでい る。書 写年代 は、奥 書によ ると 次の ようであ る。 ヴィ クラマ 暦1715 年、 シャカ暦1580 年 、大吉 祥なる パー ルグン月 白分 第13 日の 木曜 日 に、デ ィンド プ ル住の スワ ー ミー・ピ ラ ーグ ダー スの弟 子 スワー ミー・マ ード ー ダース、 その ヅリ ン ダーヅ アナ 在住の弟 子 たち のた め に[書 写さ れた]。吉 祥あ れ。 聖 ラー ムが勝 利する。 - 174 −
(32 ) 写本g こ の写本 も、 ハリ ナー ラーヤ ン師所 蔵であ る。こ れも、浩潮 な集成 本 であ る。ラ ッジャブ ダー スのサー キーが終 丁した 後、 ナート 派ヨー ガ行 者の 語録が載っ てい るが、 その少し 後に書写 年代 が次の よう に記さ れて いる。 ヴィ クラマ 暦174「 年 シェード 月。テ イテ イ第8.第5 日 にスワ ーミ ー・サ ーイー ンダー スが 書写し た。 写本h こ の写 本 も、 ハリ ナ ーラ ーヤ ン師所 蔵であ り 、ヴ ィ クラマ 暦1855 年 に書 写された。 写本i こ の 写 本 の写 し は 、 大 変 重 要 な 原 典 を も と に な さ れ た 。 ハ ルド ー イ ー 県 マ ー ド ー ガ ン ジ 郵 便 局 ア デ ィ ン ガ ー プ ル ・ ク テ ィ ー 村 住 の バ ー バ ー ・ ジュ ワ ー ラ ー ナ ー ト 師所 蔵 と 伝 え ら れ て い る 。 写 し は 人 手 で きる の で あ る が 、 原 本 と の 校 合 の た め に 、 そ の 住所 に 書 簡 を 送っ た ら 宛 先 不 明 で 戻 っ て き て し まっ た 。 さ ら に 、 マ ー ド ー ガ ンジ 郵 便 局 の 誰 か が 、 そ の 区 城 に は そ の 名 前 の 地 は ない 、 と 書い て き た 。 こ の 写 し に つ い て 言 及 す る 必 要 性 は 、 ゴ ー ラ クナ ート の 名 前 で ひろ ま っ て い る い く つ か の 作 品 が 、 こ の 写 本 の な か で は セ ー ワ ー ダ ー スが 書 い た も の と さ れ て お り 、 他 の 作 品 の写 し を 行 っ て い る も の た ち が 、 セ ー ワ ー ダ ー ス の 作 品 と 述 べ て い る こ とで あ る 。 写 本に れら の他に 、 ナ ート派 ヨ ー ガ 行者 た ち の 作 品 の 、 あ る サ ン ス クリッ ト語訳 の手 写 本 が 、 バ ナ ー ラ ス の サ ラ ス ヴ ァ テ ィ ー ・ バ ワ ン ( 現州立 ヴ ァーラー ナス ィ ー ・ サ ン ス ク リ ット大 学 図 書 館 ) に 所 蔵 さ れ て い る 。 書 写 年 代 が な く 、 冒 頭 の 部 分 も な く な っ て い る。 こ れ ら の 写 本 に よ っ て 、 現 在 まで に ゴ ー ラ ク ナ ー ト の 名 前 で 広 ま っ て い る40 の 大小の 作 品 が 知 ら れ て い る。以 下 に 、 各 作 品 と そ の 所 在 す る −173 −
写 本 の 一 覧 表 を 掲 げ る。 1.sabadi 2.pada 3.sisyadarasana 4.praifinasarikali 5.naravaibodha 6.atmabodha (I)7.abahimatrajoga8.pandrahatithi9.saplavara f 715 10.machindragorakhabodha * 目.romavall12.gyanatilaka 13.gyanacautisa 14・paiicamatra15 ・gorakhaganesagosti16 ・goi・akliadattagosthi(gyanadipabodha) * * a. 9 * * * 17.mahadevagorakhagust 】 * *18.sistapurana19.dayabodha 20.jatibhaumravali (chandagorakha) 21.navagraha 22.navaratra 23.astaparchya 24.raharasa 25.gyanamala 26.atmabodha(2) 27.vrata * * * g.e.d.h. 1フ43179418251855 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * −172 − * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 」・ ワ * * * * * * * * * * * * (33 ) 1. □94 * * * * *
(34 ) 28.niranjanapurana 29.gorakhavacana 30.indridevata 31.mu 】agarbhavali32.khaniban!33.gorakhasata34.astamudra35.caubisasidhi36.sadaksari37.paficaagni38.astacakra39.abalisiluka40.kaphirabodha f 。 1715 a。 リ * * g・1743 * * * * e. 1794 * * d. 1825 * * * * * h. 1855 」・ ? 1. 1794 ヒ ン デ ィー 語 の 写 本 は 、 たい が い 古 い も の は な い。人 手 可 能 な 写 本は ヴ ィ ク ラ マ 暦17 −18 世 紀 以 降 の も の で あ る。顛 落 な ジ ョ ー ギ ー た ち の 語録 の古 い 写 本 が 得 ら れ な く と も 驚 き に は 値 し な い。な ぜ な ら 、 彼 ら の 語 録 は 弟 子 や 信 者 の に1頭 に よっ て 伝 え ら れた だ ろ う か ら で あ あ る。所 詮 は 語 録 な の で あ る。上 記 の サ ー キ ー を 見 れば 、 ど の2 本 の 写 本 も 同一の 読 み を 提 示 し てい な い。口 頭 伝 承 に よ る こ れ ら の 語 録 に 関 し て 、二つ の 事 実 が 注 目 さ れ る。ひ と つ は 、 ナ ート 派 の 導 師 た ち の 語 録 に 対 す る 弟 子 た ち の 深 い 信 仰 と 信 頼 の 情 であ り 、 そ れ こ そ が 、 写 本 の 散 逸 を 防い で い る の で あ る 。 も う一つ は 、 記 憶 に よっ て い る た め に 、 写 本 に 変 更 や 欠落 が 生 じ 、 ま た 宗 派 の 意 図 や 教 義 の 発 展 と 展 開 、 あ る い は 教 義 の 明 確 化 の た め に 導 師 た ち の 名 前 を 冠 し て 新 た な る 作 品 が 創 ら れ た り 、 旧 い 作 品 に 増広 や 変 更 が 加 え ら れ た り す る。そ れ 故 、 さ まざ ま な 出 所 の 写 本 を 校 合 す れ ば 、 原 典 に 近 づ く こ と に 役 立 つ の で あ る。 上 記 の一覧 表 の な か で 、書 写 年 代 が 判 明 し て い る 写 本 巾 、fが 最 古 ( ヅ イ ク ラ マ 暦1715 年 ) で あ る。そ れ に は ゴ ー ラ ク の 名 前 で15 の 作 品 が あ る。写 本e ( ヴ ィ ク ラマ 暦1794 年)だけ が 、 そ れ よ り 少 な く13 作 品 −171 −
(35 ) で あ る が 、そ の う ち フ 作 品 が 写 本f と 同 じ で あ り 、6 作 品は写 本f にな い。ほ か のす べ ての 写本 は、こ れ 以 上 の 数 の 作品を 収 め ている。写 本g は 写 本f よ り たった25 年後に 書 写され た の で あ るが 、その25 作品の う ち12 作MMtよ写 本f に な い。写本d が最 も 多 く の26 作 品 を収録 し ている が 、そ の な かで16 作品 が 写本f に は な い。写 本f と最 も 多 く の共通 の 読みを もつの は 、写本a(推定 書 写 年代は ヴ ィ クラ マ 暦1715 年)で あ る。 そ の な かでも 、8 作 品 が写本f に ない。こ の よ う に、写本f の4 作 品が 写本a に 、3作 品が写本g に、5作 品が 写本d に、6 作 品 が 写 本e に あり 、12 作品 が 写 本h になく、6 作品 が 写 本j に ない。 写 本f が 最古で あるの で 、 こ れ を 最 も 重 要 な 写 本 と 見 なす こ とが 適 切 と 思 わ れる。また、 この 写 本 と 最 も 多 く の 共 通 の 読 み を もっ てい る写本a も同様である。それゆ え、筆 者 は 、 本 書 の 底 本 として この写本を 選 択 し た。し か し、 す べ て の読 み を採 択し た訳で は ない、他の 写 本 の、 最 も 多 く の 読 み と 共 通する読 み を採択 し た。 写 本j が 重 要である のは、 こ の 写 本 を ナ ー ト派の 教学者が提示し た も の と思わ れる ことである。それゆ え 、 こ の 写 本に は、宗派 内で重 要 視さ れていたであろう 語 録 が当然な が ら収録 さ れ ている。gorakhagancsagosti とmahadcvagorakhagusti を 筆者 は 本書に 採 用 し な かっ た。こ れ ら の作品 は 写 本f に あ り 、 他 の 写 本が 前 者 を、3 本の 写 本 が 後 者を 含 ん で は い る の で あ る が。こ の 片山は 後 述 す る。こ のよう に、士元改)一覧 表 のうち は じ め の10 作 品 が 主作品 で あ る。口 番 か ら14 喬までの作 品も、筆者 は主作 品に 含 め る べ き と 考え た。こ の なかで 、gyanacautisa が 写本f にあり、写 本g と 写 本j に も 含ま れている。し か し 、 筆 者 は 、本 書刊行 まで それら を見ること が で き な か った。し か し ながら 、
それら が 、す ぐに 研 究者 の目に 届 く こ と を 期 待 し ている。romavalT とpancamatra
は 写 本a にあり、写 本g,d,j に も 含ま れている。gyanatilaka
は写 本a,f に なく、 上記 の 表 の3 本 の 写 本 に し か ない が 、筆者 は主た る 作 品中に 含めた。写本j に 収 録 さ れ て い る の で 、 宗派にとっ て 重要 な の は明ら かで あ る。この 写 本 の 言 語 は古 い よ う に 思 わ れ る。内容的 に も、 こ の作 品は 重 要 と思 わ れる。ラーマーナ ン ド の 名 を冠 し たgyanatilakaは、 この 作 、柚と同じ 系統で 著 さ れた よ うに思われる。また 、 ラ ー マ ー ナン ド に 対 して ナート派 の 影響は大 変大き か っ た こ とは 事 実 で あ る。ジ ョード −170 −
(36 ) プル藩王図書 館 の 写 本で も、こ の作 品は ゴー ラ クナ ートが 書 い た と 記 さ れて いる。写本d,J にこの作品が収録 さ れ て い る の は、もち ろ んであ る。 第14 番 から 第19 番 までの 作 品 は、写 本i に よ れ ば 疑 わし い。写本i のsistapurana とdayabodha は、テ ィ ー ドワ ー ナ ー(現ラー ジャ スター ン州 ナーガウ ール県)住 の ニ ラ ン ジ ャ ニー派 の 修行者、 セーワーダー
スの 作品 と さ れている。また、書 写生かgorakhaganesagosti,mahadevagorakhagusti
そ し てnir 呵anapurana を セ ーワー ダースの 著作と 述 べて
い る。もっと も 、写本の 本 文 に は 、これ ら の3 作 品 が セーワ ー ダース の 著 作であ る こと は 明 言 さ れ て は い な い が。こ う し た状況 で、筆 者 ははじ
め の2 作 品を 本書に 採用し な かった。先 に も述べた よう に 、本写本 自体
が 、 疑 わし い から で あ る。そ れ ゆ え、筆 者 は そ れ ら を主作 品 と して採川
できない ので あ る が 、 完 全 に 排 除 す る こ と も で き ない。そこ で 、筆者 は それら を 、補遺(1 )に 収 めた。gorakhagustiとmahadevagorakhagu 斗iは 、
こ の写 本が ある た め に排除 で き な い。なぜ な ら 本 写本 自 体 の な か に セー ワ ー ダース の 著 作で あ る こ と を 示 す 証拠が な い か ら で あ る。しか し な が ら、プ ラー ナ聖典に 登 場 す る 神 話L の 人物 と ゴ ー ラ ク と の対 論 は 、おお い に 捉造 で あ り 得る。そ こ で、 写 本i に収 められてい ないgorakhadattagosthi も 他 の2 つ の作品 と と も に 補 遺(1 )に収め た。なぜ なら ば、こ れ らの作 品 はゴ ー ラ ク の著作と し て、た い へ ん 重 要視されているか らで
あ る。gorakhagusti とmahadevagorakhagusti は 、a,f,J の3 写 本 に収 め
ら れて おり 、 前 者の作品 は ほ か の5 本 の 写 本、後 者 の作川よ2 本 の写本 の 読 みと同 じである。niranjanapuranaも 本 写 本 ではセ ーワーダー ス軒 と は 述べ られ て いな い が、写 本e に 収 め ら れ て お り、プ ラ ーナ的形 式 の作 品で あ る。そ こで、本書 には採 用 し な かった。jatibhaumravall はヽ写 本a,d,g に収め ら れて い る が、ゴ ーラ クの称 讃 で あ る の で 、ゴ ー ラ ク の 著作で は あ り 得 な い。abalisiluka とkaphirabodha は 写本a に収 められ て お り 、前者 は ほか で カ ビ ールの 作 品 と も言 われて いるが 、 ゴー ラクナート の作品では な
く 、 作品 自体から分 かるよ うに明 らか に ラ タン ナート(Ratananatha )の 作 品であ る。また、それゆ え「ジョ ーゲ ー サ リー 語録 」(Jogesai'TBan!) の 第二部に 収め ら れ て いるのであ る。m 引agarbhavalTとkhaiiibani も
写 本g に あ り 、niranjanapurana のよ うに プラ ー ナ 的 な 作 品 で あるの で 、
(37 )
本書 で は ま っ た く 採 川 し な かっ た。gorakhavacana は言語 の 点 か ら し て
近 代 の も の で あ り 、写本g にし か ないの で、 本書 では 採 用 し な かっ た。gorakhasata は サ ンス クリット語 のgoraksa-satakaの ヒ ン ディ ー 語 訳 で あ
り、 ゴーラ ク の 作品 では ない。他の 作品の中で、ゴ ー ラク と そ の 思 想 に 照 明 を 与 え る と 思 わ れる 作 品 は 、 本書の 補 遺(2 )に 収 め た。 ゴ ー ラ ク ナ ー ト の 名 を 冠 して 新 た な作 品 が 創 作され た ば か り で な く、 古 いさま ざ ま な 作 品の中 にも偶頌 が付 加され て いっ た可 能 性 が あ る。 そこ で 、筆者 は 諸 作 品のな かの 増 広 と 欠損の箇 所を脚 注 に 示 してお い た。し か し 、 ゴー ラ ク ナー トの 最 も真 正 性 のあ る 作 品と見 な さ れて い るsabadi は 、 時 代 とともに偶 頌の 数 を 増 大 し て来 た ので、 こ の方 法 ほ と り 得 な かった。そこ で 筆者 は 、sabadiを す べ て本 書 に 採 用 し 、 異 読 す べ て を 脚 注 に 記 し た。sabadiの189 句 が 全 写本で共 通で あ るの で、それ ら の 真 正性 が 高い もの と 考 え られる。189 句 の う ち 数 篇 が明 ら か に 他 者 の も の と 思 わ れる が 、それらの 句の前後 の部分も 他 の 作 者 の 作 品 で あ る の で 、 排 除 し な か っ た。その 点 につ いては 脚注 に示 し て お い た。sabadi は ゴ ーラ ク ナ ートの 最 も 真 正性の あ る作品 と思 わ れ る。すべ て の写本 に あ る から で ある。しか し、sabadT はgorakhabodha ほ ど 知 ら れ ては い な い。初 版本〈欠落 あり〉を見る 機会 を 得たが 、 ま さ にgorakliabodha であ り 、 カー シ ー ( バ ナ ー ラス) のカーマ イケル図 書 館 に 所 蔵 さ れ て い る。そ れ は 、バ ナーラ ス 市プ ラ ブ・パー タク地 区 に あ る シ ヴ ラ ー ム・ シャ ルマ ー書店 が 出 版 し たも の で あ る。最 良の 版 は、 ラー ハ ウール ( 現 パ ー キ ス ターン 内)市のモ ーパ ン ・ ス ィ ン フ 博 士 が 編 纂し 、 英 訳 も付 し て あ る。他 の 作 品の刊 本 は 、筆 者 は これ まで見 たこ とが な い。 本 書 の 編 纂 事 業 を 、 筆 者 は ずいぶん 前 に 開 始 し た。い く つ か の 写 本 の 情 報 は た い へ ん 後に な って 得ら れ た。例えば 、 写 本f,g の 情 報 は 、 本 書 の 編纂が 終 了 して か ら だ った。それら の 写本 を 校合して分 かっ た が 、 そ れら の 読 み で 、 他の写 本 に ない よ う な 読みは な かっ た。筆 者 が もっと も 利 用 し た写本は 、a,b,c,d であ る。最 も良 い読みを提 供 し て く れ た の は 、 写 本a で あ っ た。そ こ で、筆者 は 、それを底 本 と し た。し か し 、 そ の す べ て の 読 み を採 用 し た 訳 で は な い。他 の写本 に あ る 読 み で 、 こ の 写 本 の 読み よ り も良 いと思わ れ る 読 み を 採 用 し た場 合もあ る。写 本 の 文 字 が 明 ら か に 正 し く な く、そ の証 拠が 見 つ かった 場合 に は 、筆者 は 訂 正 を 加 え 、 -168 −
(38) 脚 注 に 理 由 と と も に 示 し て お い た 。す べ て の 異 読 も 脚 注 に 示 し て お い た 。 こ の よう に 、 テ ク ス ト を 校 訂 す る まえ に 一 語 一 語 を 検 討 し た 。 写 本b を 除い て 、他 の 写 本 は"klia" の 文字 が す べ て"sa" の文 字 で 表 記 さ れ て い る 。 ま た 写 本b で も 、 す べ て"kha" で 表 記 さ れ て い る 訳 で は な い 。 そ こ で 、 本 書 で ぱ げ 文 字 の 表 記 を 採 用 し た。 写 本 に よ っ て はcandrabindu が 付 さ れ てい る 場 合 と 、 な い 場 合 が あ る 。 単 音 節 にcandrabindu が 付 さ れ て い る 場 合 は 、 発 音 の 便 宜 の た め に 故 意に 付け ら れ て い る 。 長 音 節 に 付 い てい る 場 合 は 、anusvara と 理 解 す る べ き で あ る 。 こ れ ら の 語 録 の 作 者 で あ る ゴ ー ラ ク ナ ー ト と は 誰 か 、 い つ の 時 代 か 、 こ う し た 問 題 に つ い て 、 筆 者 は 、 自 己 の 論 集 『ヒ ン デ ィ ー 語 詩 に お け る ヨ ー ガ の 系 譜 』(Hindik 卵yayogad/ara) で 論 じ て い る 。 こ こ で は 、 ナ ート 派 で は こ の 作 者 が 有 名 な ゴ ー ラ ク ナ ー ト と 違 う と は 認 め ら れ て い な い 、 と 述 べ る だ け で 充 分 と 思 う 。 さ ら に 、 筆 者 は 、 ゴ ー ラ ク ナ ー ト は ヅ イク ラ マ 暦 の11 世 紀 に 存 在 し た 可 能 性 が 高 い と 考 え て い る 。 わ れ わ れ に 人 手 で き た 作 品 が 、 そ の 時 代 そ の ま まの も の で あ る と は 言 え な い 。 し か し 、 そ れ で も 古 さ の 証 拠 が 存 在 し て い る の で 、 こ れ ら の 作 品 の 源 泉 はH 世 紀 に あ る と 言 う こ と が で き よう 。 gorakha-haru ゴー ラク・ バーニーsabadi サブ デ イー5 basatinasunyarhsunyamnabasatiagamaagocaraaisa/
gaganasikharamahirhbalakabo ・│aitakana 南vadharahugekaisa/ 川// 有 で も な く 空 で も な く 、空で も な く 有 で も な く 、 j 原語sabad 以よSkt.sabda の 派 生 語 で あ り、 至 高な る 真 実 在そ の も の で あ る 「 内 面 の 正師」 が か か る 「真 実 語」 の 意味 で あ る。 拙 著 『 イ ンド巾世民 衆思想 の研究 』( ノ ン ブ ル社 、2006 年 )、p.v!i を 参 照。 な お、 原 著 に は す べ て の 写 本 に 共 通 す る 「 サ ブ デ ィ ー」 と し て189 篇あ る が 、 本 稿 は 、 時 間 と 紙 幅 の 関係 か ら、 最初の41 篇 まで の テ ク スト と 和訳 を 示 す。 −167 −
近 づ き 得 ず 知 覚 し 得 な い よ う な 、 虚空 の 頂 点 で 少 年 が 話 す 、 そ の 者 の 名 を 如 何 に 付 け よ う か。 (39 ) adekhidckhibadekhibicaribaadisitil・akhibaciya/patalaklga ≒abrahmandacarhaibataha 画bimalabimalaJalaplya//2// 不 可 視 な る も の を 見 よ 、 見 て 考 え よ、 不 可 視 な る も の を心 に と ど め よ。 地 界 の ガ ン ガ ー を 頭 頂 の 孔 に 昇 ら せ よ 、 そ こ で 〔イi釘テ者 は 〕 無 垢 で 清 浄 な る 水 を 飲 む。 illamhiachaiihamhialopaihamhiracilaitinitriloka/ achaisaiigairahaijuvatakaranianantasidhajogesarahuva//3// 不 壊 な る も の は こ こ に 居 り こ こ に 消 え 、 こ こ で 三 界 が で き た 。 不 壊 な る も の は と も に 居 り 。 そ れ が 故 に 無 数 の 成 就 者 が ヨ ー ガ の 自 在 者 と な る 。 vedakatebanakharhnlifibamninisabadhaiikitaliamnim/
g昭anisikharamahisabadaprakas 頌tahartibujhaialakliabinamni 血//A// ヴ ェ ー ダ 、 キ タ ー ブ 、 物 語 、 言 葉 、 こ れ ら ] す べ て は 〔 不 壊 な る も の を 〕 覆 い の 下 に 隠 す 。 * 虚 空 の 頂 の な か に 、 こ と ば が 顕 れ 、 そ こ に 不 可 視 な る も の の 智 慧 を 理 解 せ よ。 * 「物 語」と訳 し た 原 語 の もと の 形 はkhani と 注釈 し て あ る が、 文脈 か ら類 推し てkahani と 考 えら れる。 alakhabina 】mnimdoidipakaracalaitinabhavanaikajoti/tasabicaratatribhaanasiijhaicunilyaumai 沁ikamot!//5// 不 可 視 な る も の の 智 慧 は 二 つ の 灯 火 を と も し 、 三 つ の 館 じ三 界 ) に 一 条 の 光 〔が 充 ち た 〕。 * そ れ を 尋 求 す れ ば 三 界 が 分 か り 、 ル ビ ー 、 真 珠 を 得 る 。 * 「 不 可視 なる も の の 智慧 」 と 訳し た が、「 智慧 」 の原 語 はvij臨niの 派 −166 −
(40) 生 語と も 考えら れるの で、「不 昨視な る智 者」 の 意昧 に もと れ る。 vedenasastrckatebenakura 石iiepustakenabaficyo頻i/tepadaja 出na 乱biralajogiauradunisabadhandhailal//6// ヴェ ー ダ 、論書、キ タ ーブ 、グラ ー ン 、[プ ラ ー ナ]聖 典 に は 説 か れ 得 ない 。 そ の 聖 句 を 知 っ て い る の は 希 なるヨ ー ガ 行者 、 そ し て 世 間は み な を 生業に導 く。
hasibakhelibal・ahibarai短akaifimakrodhanakaribasatiga/hasibakhelibagaibagitadidhakarirakhiapanamcita//7//
笑 え 、遊べ、楽しめ 、〔し か し 〕 貪 欲・ 阻恚 を 伴 う な 。 笑え 、 遊べ、 歌 を歌 え 、〔 し か し 〕 自 己 の 心 を 堅固に 保 て 。 hasibakhelibadharibadhyamnaahanisikathibabrahmagiyamna/ hasaikhelainakaraimanabhangatenihacalasadanathakaisaiiga//8// 笑 い 遊 べ 、 禅 定 を 行 え 、 日 夜 、 ブ ラ フ マ ン の 智 慧 を 語 れ 。 笑 い 遊 ん で も 心 を 散 乱 さ せ ず 、か れ ら は 必 ず 常 に ナ ー ト と と も に〔 お る 〕。
mahammadamaha もmadanakarikajTmahammadakavisamabicaram/maha 血madahathikaradajehot 丿ohaigharinasara 南//9//
ム ハ ン マ ド 、 ム ハ ン マ ド と言う な カ ー ズ ィ ー ( 法 官 ) よ 、 ム ハ ン マ ド の 思 想 は 甚 深 なり。 ム ハ ン マ ド の手 に 剣 があ る が 、それ は 鉄 製でも な く 鋼 鉄 製 で も ない。 sabadaimmarlsabadaimjilalaisamahaifimadapiram/ takaibharaminabhulaukajlsobalanahimsarlra 山//10// こ と ば に よ っ て 殺 し 、 こ と ば に よって 生 か す。 ム ハ ン マ ド は こ の よ う な 導 師。 そ の 誤 り に 迷 う な カ ー ズ ィ ー よ 、 そ の よ う な 力 は 〔 お ま え の 〕 体 に は な い。 nathakahaifit 誹sabajaganathyagorakhakahatamgol/ −165 −
(41 ) kalamakaguramahammadahotapahalaiiTimuvasol//11// ナ ー ト と 言 い な が ら 世 間 み な 編 さ れ て 、 ゴ ー ラ ク と 言 い な が ら 〔 世 間 み な 〕 沈 ん だ 。 カリ マ ー の 導 師 は ム ハ ンマ ド だっ た が 、 最 初 に 死 ん だ の は 彼 た っ た 。 saramasaramgaharagambhiramgaganaLichaliyanadarh/ manikapayapheri 】uitikavajhuthabadabibada//12// 精 髄 の 精 髄 で 深 長 の 深 長 な 、 ナ ー ダが 虚 空 で 鳴 っ た 。 ル ビ ー を 獲 て 浮 か れ 回 り、 偽 り の 主 張 ・ 反 論 に 〔 世 間 は 沈 ん だ 〕。 koibad!koibibadijogikaumbadanakaranam/ athasathitirathasamandisamavaimyumjogikau 山gurumukliijaranam//13// あ る 者 が 論 者 で あ る 者 が 反 論 者 、 ヨ ー ガ 行 者 は 論 議 を す べ か ら ず 。68 〔 簡 所 〕 の 聖 地 ( 聖 河 ) が 海 に 合 す る よ う に ヨ ー ガ 行 者 は 正 師 の 御 口 に 〔 生 沁 を 〕 費 や す べ し
utapatihindujaraiia函jogiakaliparimusalamamnlm/tcrahachinhomk 卵mulaitibrahmabisnmahadevamamn 岫//14// 生 ま れ はヒ ンド ゥ ー 、 老 い て ヨ ー ガ 行 者 、 知 恵 にお い て は ム サ ル マ ー ン の 導 師。 そ の 道 を 知 れ、 カ ー ズ ィー 、 ムッラ ー(イ ス ラ ー ム 教 学 者 ) よ 、 ブ ラ フ マ ー・ヅ イ シュ ヌ・マ ハ ー デ ー ヴ ア( シ ヅ ア )神 が 認 め た[道 を ]。 maitinyaifisabadaCLikayadandanihacairajabharathariparacaigoplcanda/ nihacainaravaibhaeniradandaparaccaijogipramananda/ 川5// 〔正 師 の 〕 こ と ば を 認 め て 葛 藤 が な く な っ た。 〔 こ の 〕 堅 信 に よ っ て バ ル ト リ ハ リ は 王 と な り 、 コ ー ヒ ー チ ャ ン グ 王 は 覚 知 を 得 た。 堅 信 に よ っ て 民 の 主 は 誤 謬 が な く な り 、ヨ ー ガ 行 者 は 至 高 の 覚 知 を 得 た 。 ahanisimanalaiunamanarahaigamakochamriagamaklkahai/ charaiasarahainirasakahaibrahrnahumtakadasa//16// −164 −
(42 )
昼 夜 、 意 を 至 高 の 境 地 に 保 て ば 、 至 れ る 所〔の 話〕を 止 め 、 至 れざ る 所 〔 の 話 〕 を す る。
期 待 を捨 て 執 着 し な け れ ば 、 ブ ラ フ マ ー 神 は そ の 者 の 奴 僕 と 言 う。
aradhaijatau「adhaidharaikaifimadagadha 」e」oglkarai/tajaialyanganakataimayatakabisanupakhalaipaya// □ 下 方 に 行 く も の を 上 方 に 捉 え 、 愛 欲 を ヨ ー ガ 行 者 が 焼 尽 し 、 抱 擁 を払 い マ ー ヤ ー を 断 て ば 、 そ の 者 の 足 を ヴ ィ シ ュ ヌが 洗 浴 す。 ● ミ ● ●皿mmaiiadharaipancaumindiinigrahakarai/brahmaaganimaimhomaikayatasamahadevabandaipaya//18//● ●- 4 ● ミ ● ●ajapajapais 命 息 念 誦 を 誦 し 虚 空 ( 頭 頂 の 孔 ) に 意 を 専 注 せ し め 、 五 官 を 統 御 し 、 ブ ラ フ マ ン の 聖 火 に 身 体 を 焼 潅 す れ ば 。 そ の 者 の 足 に マ ハ ー デ ー ヅ ア が 帰 依 す 。 dhanajovanaklkarainaasacittanarakhaikammanipasa/ nadabindajakaighatijaraitakisevaparabatikarai//19// 富 と 若 さ を 期 す る こ と な く、 心 を 艶 女 に 向 け ず 、 ナ ー ダ・ ビ ン ド ウ ( 根 源 音 の 潜 勢 態 ) が 身 体 に 遍 満 し て い れ ば 、 そ の 者 に パ ー ル ヴ ァテ ィ ー が 仕 え る 。 balaijobanijenarajatikaladukalanitenaiasati/ phurataimbhojanaalapaaharinatliakahaisokayahamarl//20// 幼 児 期 ・ 青 年 期 で も 感 官 制 御 し 、 吉 ・ 凶 な る 時 に も 勁 ぜ ず 、 急 い で 食 事 を し 小 食 で あ れ ば 、 ナ ー ト は言う 。 そ の 身 体 は 自 己 の も の と。 sabadahiifitalasabadahiifikuificlsabadahinisabadajagaya/ sabadahii↑isabadasumparacahuasabadahi 南sabadasamaya//21// こ と ば こ そ 鈎 、 こ と ば こ そ 鍵 、 こ と ば が 、 こ と ば を 目 覚 め さ せ 、 こ と ば が 、 こ と ば を 覚 知 し 、 こ と ば が 、 こ と ば の な か に 収 斂 す る。 -163 −
(43 )panthabinacalibaaganibinajalibaanilatrkhajahatiya/sasambedasrigorakhakahiyabujhilyaupanditaparhiy
シ/22// 道 な く 歩 み 、 火 な く 燃 え 、 風 が 渇 き を 消 す 。
「〔 こ れ ら は 〕 経 験 に よ っ て 知 ら れ る ]、聖 ゴ ー ラ ク 〔・ナ ー ト 〕 は 語 っ た 。 「 学 問 の あ る パ ン デ ィ ッ ト よ 、〔 こ れ を 〕 理 解 せ よ 」。
gaganama ㈲alamaimundhakubataha 山a 血mrtakabasa/sagurahoisubharibhai'ipivainigiirajaipiyasa//23//
虚 空 界 に 逆 さ ま の 井 戸 が あ り 、 そ こ に 甘 露 が 存 す。 師 を も つ 者 は 〔 そ れ を〕い っ ぱ い 飲 み 、 師 な き 者 は 渇 く。 gaganenagopantatejenasokliantapavanenapelantabai/ yahibharenabhajantaudakenadubantakahautaukopatiyal//24// 虚 空 は 覆 え ず 、 火 炎 は 乾 か せ ず 、 風 は 揺 ら す こ と が で き ず 。 大 地 の 重 み は 壊 せ ず 、 水 は 沈 め ら れ ず 、 〔 こ の よ う に 私 か 〕 言 っ て 誰 が 信 じ よ う か 。 basasahetisabajagabasyasvadasahetamitha/ sacakahurhtausataguramanaimr 叩asahetaditha//25// 香 気 に よっ て 全 世 界が 薫 ぜ ら れ 、 美 味 に よ っ て 〔 全 世 界 が 〕 甘 美 な り 。 真 実 を 言 え ば 正 師 は 認 め る 、〔そ れ は 〕 形 に 顕 れ る 。 marauvejogimaraumaranahaimitha/ tisamaranimmaraujisamaranl 由gorakliamariditha//26// 死 ね 、 ヨ ー ガ 行 者 よ 、 死 ね 、 死 は 甘 美 な り 。 そ の 死 を 死 ね 、 ゴ ー ラ ク 〔 ナ ー ト 〕 が 死 ん で み せ た 死 を 。 liabakiliabolibathabakinacalibadharibapava 南/garabanakaribasahajai 山rahibabhanatagorakharava 山//21// 突 然 し ゃ べ らず 、 音 を 立 て て 歩 ま ず 、 足 を ゆっ く り 下 ろ す べ し 。 じねん 慢 心 せ ず に 、 自 然 に 住 す べ し 、〔か く 〕 ゴ ー ラ ク 王 は 語 り き。 −162 −
(44 )bhaiyatethiramjhalajhalantiadha/sidhe 函sidhamilyareavadhubolyaaruladha//28// 満 ち た 者は 動 ぜ ず 、 生 半 可 な 者 は 忙 し く 動 き 回 る 。 ス イッ ダ に ス イ ッ ダが 会 え ば 、 遁 世 者 よ 、 対 話 が あ り 益 多 し 。 nathakahaitumasunahureavadhudidhakarirakhahuciya/ kamakrodhaahamkaranibarautailsabaidisantaraklya//29// [ ゴ ー ラ ク] ナ ー ト は 言 う 、お ま え 聴 け 、遁 世 者 よ 、心 を 堅 固 に し て お け 。 貪 欲 、 瞑恚 、 我 慢 を 捨 て よ 、 そ う し て 諸 国 巡 歴 を な せ 。
svamibanakhandijauifitokJiudhyavyapainagri 」aurhtamaya/bharibhaiikhauititabindabiyapaikyo 山sljhatiJalabyandaklkaya//30// スワー ミ ー (師) よ 、 森 に 行 く と 餓 え が 増 し 、 街 に 行 く と マーヤー ( 幻惑)〔 が轟 惑す る 〕。 腹 一 杯 食 べ る とビ ンドゥ (精液 ) が増す 。 水 ・滴 (精 液) で で き た身体 を ど の よ う に 修 練 し よ う か 。 dhayenakhaibabhukhenamaribaahanisilebabrahmaaganikabhevarh/ hathanakaribapadyanarahibayumbolyagorakliadevam//31// 飛 び つ い て 食 べ て は な ら ず 、 餓 え で 死 ん で は な ら ず 。 日 夜 ブ ラ フ マ ン の 聖 火 を 識 る べ し 無 理 は せ ず 、 落 ち 込 ん で い て は な ら な い。か く ゴ ー ラ ク 天 は 語 り き。
thorabolaithorakhaitisaghatipavanamrahaisamai/
gaganamandalamemanahadabajaipyandaparaitosataguralajai//32//
少 し 話 し 少 し 食す 者 の 身体に 風 〔大〕 が収 まっ てい る。 〔そ の 者は 〕虚空 界 ( 頭 頂 ) で 奏 で ら れ ざ る 音 を聴く。
〔そ れゆえ〕身 体が 崩れれ ば ( 死ねば )、 正師 は 恥 じ 入る 。
avadhualiaratauraunidramoraukabahu 函nalioigarogl/chathaichamasaikayapalatibajyurhkokobiralabijogi//33//
遁世 者よ、 食 を 減ら し 睡眠を 抑えよ 、
(45) 〔 さ す れ ば 〕 決 し て 病 者 と な る こ と な し 。 六 月ご と に 身体 を 若 返 ら せ よ 、こ の よ う に[ 行 じ る] ヨ ー ガ 行 者 は 稀 な り 。 devakalatesanjamarahibabhutakalaaharait)/ manapavanalaiunamanidharibatejogitatasara由//34// 天類の技に よって統御 し、 生類 の技に よって摂 食〔を統 御すべU 。 意を浄化し 至高 の境地 にもた らし保 持すれば、 その ヨーガ行 者は真実の 精髄〔を得る〕。
avadhunidrakaigharikalajafijala 山aharakaigharicora 南/maithunakaigharijuragarasaiaradhauradhalaijoram//35//
遁世者 よ、 睡 眠の 家 に 時間と い う 揉 め 事〔が 入 り 込 み 〕、 摂 食とい う 家に盗 人 〔が入り 込 む 〕。 交購と い う 家 に 老 いが 巣 くう 、 下 方 に 行 くもの ( 精 液 ) と 上 方 に行くも の を 結 び つけ よ。 atiaharayandriI〕alakarainasaigyamnamaithunacitadharai/byapainyandrajhampaikalatakehiradaisadajanjala//36// 過 度 の摂 食 に よって 感 官 は 力 を もって 智慧を 破 壊 し 、交 購 が 心 を 捉 え る。 眠 気 が 増 し て 時 間 が 覆 う、そ の 者の心にはつね に 悩 み 事 が あ る。 gliatigliatigorakhabahikyarijonipajaisohoihamari/
ghatighatigorakhakahaikahamni 南kacaibha 山dairahenapamnlm//37// 〔生 類 の 各 々 の〕 身 体 ご と に ゴ ー ラ ク[ ナ ー ト] は 畑 を 耕 し た 、 と れ た も の は 私 の も の と 。 身 体 ご と に ゴ ー ラ クは 話( 教 説) を す る 、素 焼 き の 壷 に は 水 は留 ま ら な い 。 ghatighatigorakhaphirainirutakoghata 」agekoghatasuta/gliatighatigorakhaghatighatiniimnaapaparacaiguramukhicirhnha//38// 〔 生 類 の 各 々 の 〕 身 体 ご と に ゴ ー ラ ク は 音 な く 巡 回 す 、 ど の 身 体 が 起 き て い る か 、 眠 っ て い る か と 。 身 体 ご と に ゴ ー ラ ク か お り 、 身 体 ご と に マ ッ ツ ェ ー ン ド ラ が い る 、 −160 −
( 錨 ) 〔 ゴ ー ラ ク は 〕 導 師 〔マ ッ ツ ェ ー ン ド ラ 〕 の 口 ( 教 え ) か ら 覚 知 を 見 極 め た。 pava!・iyaifipagaphisalaiavadhulohaich巾ntakaya/nagamunidudhadharietajoganapaya//39// 〔修 行 者 用 の 〕 下 駄 を 履 く 者 は 道 を 踏 み 外 す 、 遁 世 者 よ 、 鉄 〔 の 鎖 で 縛 っ て お け ば 〕 は 身 体 を 弱 め る 。 裸 形 の 修 行 者 、 沈 黙 行 の 修 行 者 、 乳 の み で 生 活 す る 者 は 、 ヨ ー ガ 〔で 至 高 の 境 地 〕 を 得 ら れ な い 。 d拍dhadhai・iparagharicitanagalakarlcahainita/mom 函karaimyantraklasabinaguragudarinahi 血besasa//40// 乳 の み で 生 活 す る 者 の 心 は 他 人 の 家 に 〔 向 き 〕、 裸 形 の 修 行 者 は 木 材 を 毎 日 必 要 と す る 。 沈 黙 行 の 修 行 者 は 〔 教 え を 話 し て く れ る 〕 同 伴 者 を 期 待 し 、 師 の い な い 者 は ぼ ろ の 外 套 も 期 待 で き ず 。 dak]!iりljogiraiigacatigapurabTjogibadi/pachamijogibalabholasidhajogiutaradhi//41// 南 方 の ヨ ー ガ 行 者 は 陽 気 で あ り 、 東 方 の ヨ ー ガ 行 者 は 議 論 好 き。 西 方 の ヨ ー ガ 行 者 は 純 朴 で 、 成 就し た ヨ ー ガ 行 者 は 北 方 の ひ と。 − ↓59 −