清朝が内蒙古ハルyヽ右翼旗ジャサグに無免九珊書゛ │゛ i! ,1 ● ; 1 青 木 富ニ太 郎/ 。, 万 (文理学部歴史学研究室), / 7,t j‘ 序 。 。 。。。、1 。昭和1叩 雄)に家族制度実態調査に赴いすこ炉、百霊廟北方約40キロの同旗公署に到著しす二数日後の10月5.日 かねて山西省五台山に参詣中であつ7こ同旗ジャサク斉色特巴勒珠爾氏炉帰来し√その携行し。ていすこ 清朝以後の同旗歴代・ジ、サクに異えられfこ冊書及び順治13年ダル、りン親王ブンタ・ルに呉えられた敬 ・書を見せてもらつすこ。それは次の6種である。・ べ。‥ 一 ・ ノ゜’ 1. 最初に順治10年の冊命あるもの。 ブ ト ‥い づ・ ・‥…・・ 2・。 最初に雍正7年の冊命あるもの6・ ・つ、 。 、− 3.‘最初に乾隆46乍の冊命ある・もの。 丿・ 、 、・ こ ………− ヤ イ ノ 4.‘最初に道光24年の冊命あるも・の。 ・「 ノ グ ヘ 。 。 ダ i5. 民国大総統袁匪凱がユシドンワンチュク(雲王)に呉え7こ冊書6 ‘へ 、 ‥ 6、順治13年プンタルに貝えられすこ敬書。 べ 犬 ▽’/ ・ 。 / し 内外蒙古各旗のらサク・(旗長)の承襲にあすこり、清朝が冊命を呉j□こことは大清会典などによ って従来知られていすこが、’実物にづいては知られていないo早速どれらを寫屑にとり、別にそれぞ れめ見取図√本文を寫し、・もち帰つだが、寫頁は戦災で焼央しすニぶ し力吊見取・図及び本文は残つすこ ので。;ニ解論を加えて紹介することとすろ。なお最初の冊轡即ち最初に順治10年の冊命壽るものにつ いては別など・ころで紹介し7こので゛いこゝでは第二冊書よ・り‘第四に至る3通の冊書を紹介し、袁世 孤のもの及び順治13年のブゾタルに呉えられ7こ敬書の紹介は後の機会にゆする。ノ づ・ ¨゛和田博士還暦記念東洋史論叢に・・浩初内蒙古:・ヽノレ・ヽ右翼旗ジヤサ刎こ輿えられた冊・”として発表した。 1、 冊書につい七 ¨ `・ ト`  ̄ 清は蒙古を統治するにあすこつて、分割して統治するという方針をぎり、塑I(Iチクル’方ン`)及び旗 (ホシュン)をつくつて蒙古地方の再編成を行い、蒙古民族の固結を防いだが、一方支配階級を懐 柔ずる7こめに優遇を加え、旗長即ちジ、サク以外にも多くの有力者に親王。・郡王、貝勒(ベイル)、。 貝子(ベイズ)、公(銀国公と輔国公に分つ)、台吉(タイジ)(一部ではこれを塔布涙即ちタブナ ンという)等の爵。位を典えた。 これらの爵位にはそれぞれ一定の歳賜が附属し、原則として世襲 で、承襲の際にもとの爵位をそのまヽゝ賜えるもの、降して興えるものなどの区別炉あつ7こが、台吉 以下には下げられず、し力ヽもこれら有爵者の子孫は全部爵位を興えられ7こので、その数は年と共に 堆加しすこ。彼らが初めて爵位を興えられろときや承襲の際には、必ず清朝から辞令ともいうべきも のが発給された。嘉慶23年序本の大前会典悒50、理藩院、雄籍前吏司の条には、これについで凡 そ封爵、皆賜うに冊詰を以てす”とあり、その割註に“親王、郡王、貝勒の受封には冊を賜い、貝 子、公、札薩克台吉、塔布嚢の受封には詰を賜う”゛とあって、貝勒以上のものには冊、貝子以下の ものには詰を賜え7こ。ハルハ右翼部は1旗のみであるが、そのジャjクは最初は親王、3代目力ヽら貝 勒に降されすこが、いずれにせよ冊をもらつすこわけで、これは叉冊命ともいIい、冊命を一つ或いはい べつ加書きこんだものを冊書という。 一 ゛原文は、凡封冊。皆賜以朋諮c久割註の原文は、親王、都王、貝勒受封賜贋・貝于、公、孔薩免 封賜浩。であ・る。 (1)
● ■ ・心 ¥ 1 -J. | 捨朝が内蒙古・りル,ヽ右輿旗ジヤサタに典え・た農啓 ・ぐ青木y ・・ 19 』 大前会典の註の文の檀弓jご皆親しぐ司せしめヽ故あれば則ち院(理藩院)より官を遣わして1窟し 逡る”゛とあってi冊書を受取・るにば受附者が北京に赴いて自ら受取ることになっでいすこ。・理藩院則 例巻3、゛襲職上、統纂、填寫詰封の項にぱ‘内外各社薩克、、王l貝勒、゛貝子、公、建爾汗等襲傅詰 封。<承襲後右辺吏部。碑逡内閣。填寫用宝領出。‘恣院傅領6由院徊行。各該旗低員。将文赴院祗 領。とあってご承裂が決定すi・と、ます冊書を吏部に提出・し√吏部1卜り函幽こ紡辺し、こヽこぐで面命 ● l s ° ● ¶ ∼ ●を書き・とみ、皇帝の印をIおして碧海院に辺り、院から発給となり√受領命令を旗に坦・る。ぞの旗の ● d lt r ● ● F I鞠 s 役人は受取書をも七)で院心赴き、冊書を受取る・規迦となってい7こ。。・旗の役人が受収るとい・うのは本。 人が受取る規定'と矛盾するが、o本人は襲附とと\いこ引見されるので`上京しな・ければならな力ヽつす二 ゝ l- `・。‘ 。' 間 。● 11が、冊書の受領だけは・、I氷人炉北京に来ていさえすれば、代理で'もごよかっすこφヵヽも知れな・い。な鳶' 。・ ● ●● http://www.. ゛● 。`● I 1 ●I● fl ● ● 事故あ乙もめに対じtは辺り届けるように記してあるカペ 大前会典事例巻736√理藩院、゛艇爵、頒 ● ● 。 ● ≒I●● 。 。● ` 1 11 11 dl● 給詰絞の項下に、‘同じ手続を説明して'I“`〔康煕〕三十年題准j………皆親じべ身すがら赴き領せし F ● s ゝ ● li● ゝ ・む。もし承襲の・入未yご川痘を経ざるものは、‘院より官を遣わしてがし逡る”“とあるヵ・ら、事故のあ る、ものの中には4傅染病として最も警戒され7こ天然白こ加加らぬもの‘も舎まれてい7このヤある。こ I − ● ● r ●¶F ●の未出痘者に対する処置は康煕30年以後、嘉慶年間以前に熱河七冊書を受げとらせるこがこ変更し たらしい。jそれは嘉慶2抑序本の夭法会典雀50J皿藩院、`旗籍前吏物の条に……・リこLそ1 の生身熟身を分けて引見ず“゛なる文め割註にゴ徽古は曾て出痘せるものを以て熱身'となし、未だ 曾て出痘笹ざる'。ものを生身となす。襲僻者熟身ならぼ来京引見サしめ、生身ならば熱沁こあっ丁引 見せしむ”とあることによってわヵヽる。・この文は会典のごれ以前の版本には見えない6事例中Q康 煕勿年の欄走以後i 嘉慶23年の序あ乙会典のできる以卯Iこ、こlのよ卵こ変更されたもの`と見るべき fl ゝ●d . I ゛ ・ 1●゜ I I' I I、 ● 一一 ・ で、・毎年定期的に熊河に避暑する清帝にそこで引見さ。れ、(且つ冊書を受けとるこ差になうすこのであ る。来仙痘営を芦対でならば引見するというのは、゛'畑由がわがらないか、引見の祀は9古人に限ら 。 − I F j. 1 φれだどのではな・く、・清代には官吏が任命・されニるときには・多いよ引見されてい7こ。:な沓水火、盗賊を t●● Il dlr` ・ 。 ゛の他の事故によ9て冊書を遺朱又は毀損したものはヽ罰俸等の処分をうけて再交付さI'れ、冊畢が古 ● ‘● r − 1 . f sくなりて字の読めなくなっすこものも、新しいものと交換再発行され仁(す二ヽgし’ヽル・ヽ右翼旗の冊書 には祠:発行のj,のはないようである)。ノ ン ,/ < 犬 ’ 。● ●I ’ ・‘1.,l ゛原女ば,皆令親領。有故則由院逍官煙逍。 ^ ゛ ・ al l o原皮は√〔浚財生十年題准……皆令親身 1 ` s・・原文は、凡襲震。・各分共生MmM而引見。雲雨の原文は、g古以曾出、痘者焉熟g。未呼出痘者焉生‘jSI。襲書者。 熟身令来京引見o &.M令在熱河引見o ● j ご ●ト ジ・ヤサ。=ク加いかに冊書を保管すろかについては文献かないが、、斉色特巴勒珠爾氏及び同旗の故実 をよぐ知っている人・として著名だっれナスンワチル氏の談による・と√タ4サグは歴代全部の冊書を いかなる場合も手もと加ら離さず、旅行中も携行することになっているとのことで、現に斉色特巴 勒珠爾氏は五台山参詣にも携行し七いたのである。又、我々の見す二裔皆現物め保存状仙が極めて良 好であっ七点から見て、非常に鄭重に取扱われてい友と推測される。第2冊書などは約300年を経 ているに拘わらす表紙炉幾分。すれている。だけで、他に損傷は見あ仁らないら ’- 前代にこめ加こ県えられすニ冊書四通は、何れも二枚の橋長の長方形の械(涙に黄色、系統の絹布を はる)を折りlyみ、表裏の表紙は庫紙で裏打いこものに絹布をはっでめぎ。表紙を除く全部の頁 ≒をひろげなと。本文をかこんで、破地及び左右に迪檀し・汀装飾っきIの㈲が設けちれ、欄の㈲の商に ‘は竜と雲の’模様が拙九ヽれている。冊書によづてこの描き方に精粗の善加あり、’表面にはヤニ絹布に も精粗の差加あって、四通とも同一のものはない。本文は何れも左より書き、ます満洲文で冊命炉 (2) ●、 `
20 高知大学・研究諭告 ’・人文科学 ニ第1゛号’ 記され、日附をふし、日附にかけて大きな印がおしであるo印は朱印で、左半二行が満文;右牛二 行炉漢文で、意味は何れも制詰の宝である。満文に翫いて大休こわと同じ内容と、形式をもつ蒙古文 の冊命炉続く。栄文の日附には前と同じ朱印加おしてあーる。蒙交が終ると次代のジ4サ舛こ下され 7こ冊命炉同形式同順序で満采両文で記されてい=る。朱印はー冊書内では同一のものを使用し、冊書 ● ・ ・ ’ I I炉改まるごとに別なものを使用しているが、文句は同じである。一冊書中には二つ乃至四つの冊命 を含んでいる。本文の字の色は何れも朱書、日附は黒叉はくすんだ碧色を用いている。 これらの。冊書にでてり 大清会典事例、(A)、皇軸藩部要響(B)、欽定外藩蒙古回部王公表傅にの表傅の正(Cj、澗 ・ ●● 1 ● 1 − (D3、再統U;y、三liCF}は国朝者献類微初編所収、四統(GDよ翠行)・i諭。史稿(11)等の 諸書に本塔爾、ノオタイはA、c、Hに諾内、Bに訥内、ジャンダグミはA、B。C、Hに坦途固密、ラ ワンドルジはA、B、c、 Hに拉旺多爾済、チェプデンナムジルはA、B、C、D、Hに車布登納木札勒、 ジュシジノ1・チリンはA、Hに忠済勒車埓、D、Eに忠吉勒車凌、コ、ンチュクチ。クピルはE c m楚克楚 克aS勒ヽHに尹燐克棹克画勒ヽチワンドプらイはE・Fに斉旺多布気Hに車阿都布済、ソト才丿ヽ ド゛ジはF、G、Hに索特那木多爾済、クンサンはHに貢桑、チェリンブルジはHに車林多爾済、ユ ゛ドンワンチュクはHに雲端旺楚克とある。 ‥ これら冊書には雷衣しすこ冊命加ある。これを当旗平々クの世系と共・に表にして掲げる。、・。 ‘ ハルハ右翼旗ジャサク世系。 レバリ 1。ブンタル 、 2.ノオヌイ 3.ジャンタダミ・ 4.ラワンドルジヽ 5.チェプデンナムジル 6.ジ。ンジルチェリこ/ 7.コ・ンチュクチ。クピル 8.チワンドブジャイ 9.ソトナムドルジ 10.クンサン 11.チェリンドルジ 12.ユンドン。ワこ/チュク 13.ゲンドゥンジャプ 14.、チソトバルジ。ル ゛清史稽巻215、藩部世表1、 l が正しいふ 、。 親王 親王 貝勒 貝勒 貝勒 貝勒’ 貝勒 貝勒 貝勒 貝勒 貝勒’ 貝勒゛“ 郡王 貝勒’ 第一冊1 − 第二冊1 第Ξ冊1
第四冊書
順治10年C1653で)封 康煕9年(1670)襲 康煕47年(1708)降襲 雍正7 #(1729)P-. 乾隆46年017,81)襲 嘉盗5年(1800ミ)卿 道光2年(1822)襲 道光4年C1824)5S 道光24年C1844)P 同治元年C1852)襲゛ ‘光珍6年(1880)襲 光緒L6年(1890)裂 民国20年ci93i)mi 民国24年(1935)R 内蒙古冷爾台右翼部の表にはグンザyの昼盾を同洽2年としているが、珊恐の元年 g‘ユンドンワンチュク(雲王:)は民国元年北京政府によって郡王4こ。つ。いで3年親!Eにすゝ、められた。 7 jl ● 1 、 j. | ・この表によって明らかなように、第一冊書と第二冊書は第4代ラワンドルジで、第二と第三は チェプデンナムジルでそれぞれ重複しているo この重複は√余白のなくなっす二ものは、先代のもの まで書きこんだ新冊書を発行し仁ことを示す。但し第二梱包:は余白が十分あるに拘わ。らす、新附書 を発行している。第三冊害と第四冊書が重複してないのは、第三冊書の最後。にその冊命を書きこま れ7こ第8代チワンドプジ、イ炉罪をえて冤職となり、冊書の提出を肯りなかっ仁の力1、有罪者の名 を書きこまぬこ・とになっていす二のか・ いずれ加の理由によるものであろう9 チ、ワツドプジ、イの罪 の内容は、文献に明らかでない。 l 0)裏1数紙 清朝が内蒙古ハ)レ:・i右農旗ジヤザ列こ│臭えた加番 ’ど青木) 一一 一一 冊命の本文は類型的かつ簡翠ヤ、バl ゛ f 、 4 21 、〔先代何某が〕病死しiこから、これこれの血縁開係にある何某を以てジ、今夕の和碩〔後に多 &〕タダル・ヽン親王〔後に誠‰〕。を継峠しめる・。・世襲岡替乙y、‥・。ヽ‘こ ダ レ∧ぺ ‥‥‥ご の形式加とら収てぃるo 。初代のブンタルべの冊長のみはダル・ヽン親王に叙せら紀l j。サIクに任ぜ ’`  ̄ ’。バ・” ・I’ -‘ ● ≒“ J ゛られた由来とその特操とが加えられており、又向じ冊会でも満文のも・のjと蒙古のものとで少しく内’ 容の異゜フニものヽ又日、附の声うものもある。かむ文巾多羅とは郡ΞE及び片勒。の爵に対する美称であ ・ ● 1● ・ ・1 、 f 。●り、ダルハンとは戦功のあわすこものに県える称号で、初代ブンタ、西以来、この旗のらサ・クはこわ ● I 肖 φ ・を世襲し、。。をの1こ画、めレバン旗の名さIえおこつアニめである。 この冊面こ見える満文の首譚と邦謀 とは田中克己氏をりずやわ・し(この音譚はタヂレンリレフの首鐸法を’用○ニ)ヽ、蒙文の音謀と邦詳 どは故前田直典氏をわすら・わ’し7こ。こいこ両氏に加甚な謝意を表すかい J ¥ へ i ●. i ゛ l y‘” ・ I ト ’゛’ I I ▽●● 2●第ぺ手<普書 j し 、、一 この冊書は雍正7年2月9’日及び乾隆弱年・7月E油、の両冊命を含む。鵬一冊命は第一冊書の第四 冊命と同じであり、第二面命は第三冊書の第二冊4ふ司じである。し-≪cの云俎方袖の紙を経典の
ように20頁に折り心み、別に厚紙でつくつ?二表裏
容を肥してあざが・、文字の画るのは2頁から9頁'ま
八表 紙
ここに
J I ・ ・ , べ ‘ ・ ・ ● 、 ゛ ・ l i − − a 第一頁 第 l . ¶ l l ″ ″ 第十九頁 第一図 一 一貧卜
I≒ ’≒・ 第二二十頁 第二冊書全休見取図 j(’4タ ノ − − ・ I ● − − . ・22 、ニ霜知大学研究報告 入文利栄 ’第。1号≒ のみ、10頁から19頁までは室白である。 大きさは縦31.5センチ、横20センチ、厚さO/5センチであ るo ゝ●● ゛’。● ・t ゛ I ・・I。 i ` 表紙固早紙の上に赤茶け仁土色の粗絹布を仝而にはつてある。中央上部に捺印をかいずこ紙をは・つ I ダ パ’ごいミい・ ;八‘i・ ,バヅ.・ グゾフ.……… " ・ 1 ・ り g ‘ ・ C I ●1 1 ・ i . ・ . yrJ
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・│3.9cm│ ・。,・ ド。3cm・{ │……。●●●●:………20cm………│
第 二 図 第 二 冊 書 表 紙 見 取 図 . . 1 ・ . f − ・ I ● ¶ ● 1 “ いI⋮⋮:J’・・⋮⋮⋮ヽ︸﹁‘Jiヨ⋮⋮⋮⋮⋮⋮一 T⋮⋮⋮⋮い”﹂﹁・﹂Q︷ロ⋮⋮⋮⋮⋮⋮一 i 卜 14−rμずある八回TLはます表枇9)上・こ.くすんだ鉄fリ)紙をはり、如こその上に地fり=同じ粗絹布をはり
づけ7こものT声る.標題は庫古字で.“ウランチ、プ ・ヽル・ヽ貝勒”と卵
も・の゛心な悩後から登仙 ノ ト,● , ろう加、破れすご紙片がつい ! i! ; . こまれ?こものと推定される。表紙の左上部には、後よりはつ1二ものであ 4 t ● そ。いる。・そこに書力巾ナ二字は読めない。前代の四つの冊書のうち、最も 手あ加でよごれ、且つ全休として色炉あせていろo ニ・ ゛ :裏表紙の休裁は表紙と全く同一である加、地色が海老茶である点加ことなり、標題の紙の寸法も 表紙とちがう。。標題は満唾ゼ“貞勒忠告勒車凌”と墨書してあり、標題の右樅肩のところに“天” ぐ 卜\ 。 。≒ と席書してある。これらg)浹字は、こ、の冊書加ジュンジノLチェ・リッの保管するところとなり7ことき、 仮によって書かれ仁もの忿あろう。 。 ノ 本文は上質の紙を用い、表而には衷祗j=同じ赤茶け7こ土色の粗絹布をはってある。第1頁には文 字はなく・、全休に通する欄の左端と昇こり耀と降り、竜とによって占められ、第20頁もこれと同じ昇り (りi か l J朝が内蒙古パヽル・・ヽ右翼旗ジャサ刎こ呉え.だ暦登(青木) ソ≒ヵ ̄’ 第三図 一− − I II I gハ勒忠吉和參凌 一
夭
¶ ・j ・ tミ・ 〃 卜4om・│ト, : │-4.4omH / .,-.・ 第二冊書良表紙見取図 f -lfi.dcm⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮一 一⋮⋮⋮︰⋮⋮︲⋮・︸`・‘Qこヨ⋮⋮⋮⋮⋮⋮一・ j 、 l 23 竜と降り竜の模様、全休・に通ずろ'欄の右端がえが力・れ七いろ。。欄も竜も仝部くすんだ鉄色である。 2 −19頁は各頁`とも上下に欄の続き'があり、2−9頁は欄の中間に本文の雁命が記してある。・・ 和 ● 喝 l ・ il 、 一一。 1.1センチ、、縁の内側は10.5センチである。 文字は左牛に満文、右牛に漢文をいすれ。・も2行に加い I I ・`゛-d l ゝ j-コ'り ・ ●・●`● てあすヽ漢文は‥‘湖昌之宝'lと辛うじ.Iで読熹ろが順丈燐不鮮叩でyよ・ヽめ、ない・よがし他9)贋書じ恥 ■'d 4 1 4 ・されすこ朱印がら考えX hesa wa3imbur'eニboobai (戟下す宝)とカヘれ瓦も・ので'あろうごこ・の冊貧で● ・ ・ は朱印のおし炉4こ炉粗雑で,‘。見敗図をと,り“えな力・つむ。ンソダヘ 呆t第2頁よ,)第肩ほぷ。・内払催等。㈲昨大の通臼あ辰 2頁 満文 3行 卜朱書o` ○≒ エ ● I 。41 ● d ! 1●11 ●l' 3頁 ゛満文 ,1行 ノ沸爽,・朱印やり・ブバ………=‥‥‥ ‥,く, 4頁 蒙文 へ3行 朱書o し5,頁ノ・彙文 1罫 二庫書ヽ木印あり。 ゛6頁こ`満女ソヽ3‘行ll 朱書o 。 ノ ・・- 77貧 ヤ横文,↓行 ノ墨書√朱印声りo- ……' 卜 8頁。\蜃女7 3行 \「朱書。 ハ回……・ グ 9頁 蒙文 1行。 墨書ヽ字印,やり゜ 次に本文の満文及び雫文を費鐸いそ9直腸を,下‘IニふすろQ ニ 'いy 1゛‘″、24 ぐ. 知ヽ大!學併発雄・告‘ ニ人女科気に入第1,努 1 S 一 一14 │-..4.8cm...l l.! mOn' kd もとづの d l−i−l ilI 4i﹄114∼t II ︱IjlゆLIII∼llII・ 穴し バI∩﹂I や “ \ “ 11 ゛ ︷り , l 、 g ヘ ト4<4um。・・1 ☆ /しべ゛`’Iぐ ム 一念tへt満文)・レ1 ト . ・ ! べ● `≒: ’j り ・ ・、・第曲隋.、第二冊都lト買見取− ¶ -q 。● Nlmeme' aku 'oho manggl ahuhgga
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・ ゛ ‰ ; い ● ● ● I へ ゛ ゛ ` i I i j l { ・ ¶ 1 1. ‘ . ・ ● j 1 1 、 ‘ 細ikuぺjasKk ‘ ’l ・ dorbi病々yないなりル.,とt∧ 聚.子ノワりりl・ジI・をμてり=のジ・ク(ダ・タ).多犀-darhan beile 8iraha. Jalan halame .laaha!Arako ・sirambi,
■-……,/,− , ダ/I -・・>> as&承襲`せ7しめすこり・ 需 ,襲ノ 絶つり:.なく輯ぐ,(世芦呻芦):‥‥‥‥ ,.y。.
j買 (横文) ゛゛ I ニ・‘”グ ` .
Huwりiyaaun
tob l nadaoi ■・lya・, juwa biytiiloe 4un・.\ 7 1.………
雍 正の(第)七年(原S:aniがり二 1月の'初九(B); コ ゛
4貫 (S文)
Ebed5in iyer‘ ilnggeregsen 病 にて 歿せる a ≪oln-'a 後 に axaman. 長 kdbega‘n 子 Lawaagdorji yl・ ラ.ワン'ドルyジを以て
jftsar un tflra yin darxan beiia jalj-a吋ilaba. Dye。yin・勿e dOfr tasiiralト・ttgel ジ・サクの多爾 のダル・・ヽン・貝勒 継承せり. 世 世 に.絡ゆる,ごと,なぐ ` lf ` 11j .1 1.−f. jalj-Bmjlla≪u bul。 ●・ ● ・ ,' 継承する な│). ‥ ' 5g (露文)
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四砂・靖え濠最盛資幻⊇で
Nalyaltu tab d司uduγar on 碑bur lin dumdatU sa非……ylijl.i.hl.e・,yhl.:yi6ijn4.-・
6頁 (惧文で)
Nimeme
nku oho manggi
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病みて なく なりし とき 長 子
。回舅だ?ム恰2言がt
darhan beilc 8iraha. j alan halamo ,
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sirambiら..
ダル”`ツ貝勒承襲せしめfこり・ 世 襲 ぢつこダなS舛ぐ(世襲岡辞)
7頁丿(硝文づ ` 'l
Abkai wehiye!le i dehi ningguci aniya nadan‘
乾 隆 の(第)四十 六 一年 ・ -t;(nadan.,原文g)まt) ● ● 1 1 t’ 8頁 (蒙文) ●・●●●●・ 25・ d41?61 、多羅 bぷ日e・e sulぶ 升の初瓦(日) . r ¥
Ebedoin iyer ilnggeregsen a ioin-a. axamiin kobegUn £:ebtler!namj il: l itiiin ka 病 にて 歿せし 後に゛− 長 子 チ.プデン.ナ4グル を以て 本の
jaaar ll゛ tura yl゛ darxan beila jalramjilab‘a.
ijye ularil tasur‘aliigei jalratnjilam‘ui‘. ジャサク.の多羅 の・タルパン貝勒 継げり'. 世 世絶ゆる゛ことなく 継承ず.
ヽ9買 (像文) ・ Tngri yiii tetgiigson a. d叫in- jiりfudurar oil naniv・「.U”terigiin 乾 隆` の四十 六 年 秋 の 頭
tabun・4.
sara 月(七月)
yjn sine yin
の 初 の
,算(.日). ..・. ‥‘ .,.‥..‥‥‥ニ41 . s . /以上,鵬二冊書め本文意諦を次にか,げる」よ ■ ● dl ゛二I `-ミ●9 μ 4 第一冊命心膜洲文十二ト ./ 八ジャッダグミ〕・餉歿せ’るにくより,長子ラダン・ドルIジを以そもとのジ,j・クの多羅ダノいヽン貝勧を ぷj ゛ kl1’●≒ l l ・ y承襲せしむ.世蓼畑命.’・・,.; \, ご t j● ‘ 「 1 雍正々年2y9レFト レ∧■( シ : 第一冊命9離声t文二 ; l / ≒Cらツyグリ.l病喚後,.釆そラ・ワンドタ・ジ々以て.もとのλサクの多羅ダル・ヽン貝勒を承襲せし 徊o・世鰻同蜘\二’`” ̄7ブノレ∧ニ:.・・・・・.・・・. ・・. ・. ・ 雍正7年21月9 0 ● ・●第二冊命の満洲文 ● 〔ラワッドルジ〕病歿せるにより、長子チェプ'デシナムジルを以て・もとのジャ芦クの多羅タルパン 貝勒を承襲せしむ.世襲岡替. 十 乾隆46年7・月5・日 レ丿 ̄ ブ 第二冊命の蒙古文 づ ●、 べjワスyjルダ〕.病歿後、長子礼プデ、y・チみ)ルを以てもヽとの函今夕の多羅ダル・ヽン貝勒.を承‘. 襲すしむ。 j'世襲陶札 ……ン:・゛ニごご .  ̄ダ →.・‥ .い i .y ● ¶ 乾隆46年7月・5自 ニ‥ ‥‥‥・・・ 丿 ‥‥I ゛I J第っ三 冊I書
こめ冊書、には乾隆46年7・.月5日、.忿面5年4‘月12日i道光2年4月15日、同.4年9.月26日の4冊 I I −; ゛ ●J Il sヽ t 命を’含む.、第一冊命は前掲第二冊言の第二冊命と向じであろo、両表紙に厚紙を附し、1枚の長い長 、● I 、 Q 1 4 . .l s ・ ” 方形の紙を20頁に折回いんで本文占し、本文は炭俵両交を用いて同じ内容を記してある.・ねヽ、ぐ・し 38頁と19頁は室白、1頁と20買は模俵のみであ、る6大辱さは緯35・t=yチ、横19、2七yチ、厚?1a5 (8) ヽ. −26 表 紙 ● 高知大学研・究即`告 ‘人文科学 ’第1号l 第一頁 →雲の福禄 →棚内は昇り竜と降り竜 →雲の模様三個 第二頁 →桐中は左向きの竜 I S ・ S ● − − ● ● ● ● ● & 1 ° ● ・ ● ● S ・ ● − − − ・ − ・ ・ − − ・ ● ・ 第十九頁 ・ − − み 二 ● ・ − ● ● ● ● ● ● ● ● ● ・ ● − ・ ● ● ・ − ・ ・ ・ − ・ − − ・ ● − ● 第二十頁
裏表紙
■ H } 9 の ・ ! ; f < s s -= > 第五図’第三冊書全休見取図 センチである。 I ● 1 両表紙とも厚紙の上に黄色吽が加っ仁代辞色の羽二貫禄の絹布をはってある炉、大分すりきれて いろ‘・表担の中央上部にかけて標題を記し7こ額がある。 これは表紙の上に濁っ仁碧色の刺二重様の 絹布をはりっけ、更にその上に少しく形の小さい、表紙と同質同色の絹布をはっ仁ものであるo額 の中央には漢字で“貝勒忠告勒車凌 新冊 三木”と記してあるが、新冊の両字は少しく右により 三本の両字はさらに右によっている。漢字の左側には戮丈で・りヽル・ヽ貝勒チワンドブジャイの子ソ ● 4 ● ● ¶ ● ●トナムドルジ”と書き下してあるo表紙の右下方には漢文で“貝勒索特那木多爾済”と書き下され 又左方には上下に2枚の紙をはっ仁あとがあり、」ニのものの2枚の断片炉未だにはりっいてい7こ。 裏表紙には紬はなく、す二ヽ、ご右上の隅に“参”の一字が書加れている。さきの“新冊 三本”の第三 番目のものの意であろう。これら両表紙の文字は何れも後から書かれ7こな`のであうう9 (り‘!11’・ −11−
』勒岬擢宣ごヒこ血刄旗ジ’ヤサ列ニえたmm
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117−! ダーーーーー 1J 27 本文ぱ厚手の紙の表面に黄色の‘蛤絹布、をはつむもの。との絹布は第7冊書のλれよりl粗悪であ ろo本文は第一冊書と同じく、周囲に装飾欄を設け、欄の罫は緑色、・まずこ雲や竜の模様琲ぐすんだ 鉄色である。1頁と20頁とには昇り屯と降り竜とのみを俵き、文字は記され’て与い・≒2原以下の内 容、文などめ体裁は次の通りである。 ‥一 ヽ。’ ・、 `。、 2頁 満文 3行 ●朱書。 l ・’ ヽI● ’ ●d ● ▽3`頁 満文く 1行 墨書、。朱印あり。 ト、・・・ ・・ 、 j I 1 9 1 ● ● ・ I ●● 4頁 蒙文 4行・朱書。 ‘ ∧ヅご ご 、、 。 ・ト 、し 5頁・ 蒙文 ..1行 墨書、朱印あり、・. 6頁 .満文 ド3、行”朱書o .・ ・ .` 7.頁 満文 1行よ墨書!朱印私りO 8頁 蒙文 3行 ・朱書. :9頁2 蒙文 1行 墨書、朱印あり0 10頁・ 満文 、3行’朱書04 へ ・ U頁 満文 1行 墨背、木印あ’、り. い0,:) 1 ’128 I.I 一一l;・ ヽ . j2頁,戯文, ・13頁▽に戯文. ,14頁 満文 ゛ .1一 一15頁 満文
メ゛高翔大原・研究机告こバ `大女科学宣第「号ミ
gウ ︿ 芯う灘ぺJ十 F r− −一− 1■ − ゛ ¥7 11 −I ﹄ll − タr ● 7  ̄ . ” ● ・ ● % 4 a l S 6 寸 . φ ` ト・4.4cm・・・│ づ 第七図 』・Sl l ’4 ” IJII゛js u i f j ‘・g’.1 ぞfif7第ヨ凱陽T耳舛叩・、・. ・・
4、行丿朱書。、。∧・、 1行……墨書、朱印あり。 3行 朱書○ 、 、'。 1行 畢書、朱印あり。16頁 蒙文 4行 朱書。
17頁 采文 1行 限書、朱印あり。
; 1 , . ・ 「 ; ゛ ・ 一⋮⋮貿∼⋮⋮一 1 ' ゝ l ? し りF -● I● ・ 18頁以下は空白である。 この冊官に用いられず二正方形の大きな朱印は全部同T-で、縦俊ともに13 センチ、縁の厚さ1.2センチ、内側は縦横ともに10.5-センチ、内部を左粕こわけ、左牛には秘文で hese wa'^imburQ boobui (jjij(下す宝)とあるが書㈲。よ研一及び第二冊書に用いられ七ぢのには異っ ている。右牛には漢字で“制融之宝”とある○ / ・。。て、 ごぺ1 以下この冊書の本文四満文及び蒙文を晋誹し、その下に直膠分ふす。7二ゝ;し2 ― 3 :Hの第一-冊金満文と4−5頁の同蒙文は、前掲第二冊書の第二│冊命と全く同じであるから省略する.
6頁 (満文) .ご.イ づ ヶト 、
(1lj)
ぐ lCebdennamjfl チ。プデンナムジル
楕朝か内嘸古Jりりヽ右麗奴丿々サタe l濃叢・£夏蚕2L
第八図 第三冊害朱印見取図
nimeme
aku oho manggi,
ini jui.
Jungjilceting be
病みて・なく なりし とき 彼の子。ジ。ンジルチJンを以て
四I
ineku
もとの
ja8ak ・ i doroi darhan beile 、siraha. ・la】an
halame laahalaraku airambi.
ジtサクの 多羅ダ/V-"ヽン 貝勒承襲せしがこり. 世 襲 絶つこと恥継ぐ、(世聾圀!替ク)・
7買 (滴文) I
Saionngga
fengsen
寫 慶
8頁 (裳文)
1 sunjaci aniyan duin bival iuwan
の゛(第)五 年 四1 月の 十
juwe. ニ(日)・.
,Cebdennamjil ・
ebedSin iyor ting≫erog8en a A^in-a・tegtlh a kfibegdn Jdngjlliier!ng・
チ,プヂンナムジル ・病 にて 歿せる 御Iこ そ の 予 ジ,ンジルチこリン
i mQn ka Jas吋 を以て 本 のジ,ヤサ・ク
tifertl・yln darxan beile -μly.^mjilaba・│. Oye u'laril tasnral dgel 多羅,のダル・ヽン貝勒 .継げり. 世 世 絡ゆることな4
lalramjllamui. ”
継承す.
9頁 (康文)
SalBivalta Irflgelta yin tabudurar
on 釦nu terlgttn 8町a yin
arbanがjyar・a.
嘉 慶 の 五 年 友の 頭 月(四月)のト 十 二(日j.
10頁 (満文)
Jungjiloorlng nimeme
ジュンジルチェリン 病みて
K'ongcnkookpil be
aku oho manjgl
ini temugetnlehe jni
nju jergl
亡く なりし と'き 彼の (雄)表 子・一 ゛’等
inoicu jasatc コンチ。クチ。クピルを以てもとのジ、サク ha!ame 襲 lashalaiaku. Birambi. すこつことな4 つぐ(世襲周替). 1 の (19)doroi
darhan
beile Air&ha.
多羅 ダルハヽン貝勒承襲せしめずこり.
雪
Jt゛
so
rバy
' “ ' W 4 り ● ・ i ¶ ● ・ - ' i 4 . Q ・ に ・ y
1 1 買 ( 満 文 )
七
Doro eldengge i jal aniya duin biyai tofohon. 道 ・ 光 の・(第)二 年 四 月の・ 十五(日)・
12頁 (欧文)
■JflnginCering ebedcin iyer anggeregsen a ≪oin-a・tegfln a. tF心gelogsen ジ.ンジルチJン 病 にて 歿せる 後に そ の 表記せる
terigdn jerge taiVi Kongcujccopil yi tegiin・ a μ8町 一 等 台吉 コンチ,クチ.クピル(ooa;の岐
darxan belleμl}-aniJi1aba3. Uye ularil tasural tigei jalramjilamui・. ミ ● . ・ ●J_・ .. “ ・-・..J ●. 6ダル,4ン貝勒
13頁 (蛮文)
冶か
TtlrO gereltti yin :voyadurar on jun u tarigiin 3ara yin
arban tabiin-a.
這 光 の 二 午夏の 頭 月(四月)の 十 五(日)
14頁 (満文)
K'ongoukoukpll
nimeme コンチ,クチ。クピル(原文のマ々T)病みて`1
8.
leu oho manggi ・enen
なく なりし 時 .嗣子
kfib ocfln 子 tuiru yin 多羅 の aku ofi な;1‘ によりIha d・i0 Ciwangdobjai be inoku jasalc
dOTOJ
beilo‘ sir aha:
弟 チフンドブジャイを以て もとのジャサク ,多頴 貝勒承襲せしめ7こり
halahie ご襲 lashalaiaku sirambi . す二心ことなくうぐ(世襲岡替). .15頁 (満文)Doro
eldengge l duici anlya uyun
blyai orin nInggun
道 光 の(第)四 年九 月の二十 六(日)
16頁 (彙文) ,
(おngぶaxSo≪pil . ebedoin iyer aaggereg8en a zolぷa, al‘e iigei yin =fンチ,クチ.クピル .病 にて 歿せる 後に,子孫 なき の
゛゜rOgBen degflU Clwangdobjai
歿せる
yi
を以て
ini 彼の Jalan 世 tula。tegtin (i 故に,。ぞ の mtin kii 沁aγ tara yin darxanもと の ジャサク 多羅 の ダル・ヽヽン
boilo 貝勒 fturj・amjilabai . Uye ularil tasural Og≫' Jalya司1!amui. , =・ ・・ノ 継承せり. 世 世ド絶吼るこ4なく 継承す. ,. ,−
17頁 ●(戯文) フ
Tiira goreltfl y4砂dUrbedager on namur un.'aeg(il sara yln xotin Ilrruyan,・ ¥ 道・光 ・の 四 年 秋 の旅の月(九月)の 二十・六(日) 以上第三冊書の本文全部の意謬を次に掲げるoすこ・¢‘し第一珊命は満象両文とも=,第二冊書の第二 冊命と全く同じであるから省唇する. 第二冊命の満洲文 チ,プデンり一人ジ4・病歿せしにより,その子ジyンジ!レチ,リンを以てもとのジャサクの多羅ダルノ≒ ン貝勧を承襲せしむ.世襲岡替. 嘉慶5年4月120 . 第二冊命の倣古文 ’. チ,.プヂンーj・ムジル病歿後,その子ジ.ンジル?Jンを以てもとのらナク多羅ダル・’ヽン貝勒を鎚 承せ;しむ.世襲岡替. ∧ ・嘉慶5年夏の頭月(4月)12日 ・ 卜八 第三冊命の満洲文 j ● ’ ● ダ.ンジルチバ・ン病歿せじ’はより,彼&)故安子⇔一等台吉コンチ.クチ,クビルjを以てもとのジャ・サ (11り .
清朝が内蒙古・ヽμりヽ右翼放ジ々サ刻こ央えた珊男 ・(青木) -一一一一一一 --クの多羅タルパン貝勒を承聾せ。しむジ世襲岡替。ヽ 一一 −, 一一
道光2年4月15日
第三冊命の蒙古文一=i 久ンジルチ・Jン病歿後、その表記゛せる ダル・ヽン貝勒を承智せしぴ。世智岡替。、 t7,1'・ -●,i.'L-・ ?・>゛…… .';i j\ 'ハ ,;子こ等台済 F ` I 1 ゛ I ″ 1 4 1 1 1 1 口 ! ! ︱ 31 コンチュクチjクピルを以てそのジ、サク多羅 ‘這光2年夏の頭月(4月) 15 ゛ジャサグの子で時来承聾者4=予定 と訳したものであ 第四冊命のミ コンチュクチョクピ ・多羅〔ダル・ヽン〕貝勒を 這光4年9月26日 │{1 り ・・l! ・ ,れ1:い衣。霞予1ふ理4院,ぶけtLくヵ。くニれを注脚于,表記せる于 二等冑加べとの・位を央えtおい・。 ト ド:丿 y嗣子な球年より・:、4如)胞弟チワソド・ブペイを以てもとのジ、4ク
しむo世襲同替。に ト 。 ダ
;。‘/ ● i
● ●゛ ●
ヅ ノ ダ‥ ド
し べ ゜) ●卜
孫な訓こjり、そ訪胞弟チワンドジらイを以てもとのらサク多
第四冊命の栄古文{ し I● ? ’ト ・ ’●・
コンチュクチ。クピル病歿爽、子孫なぎに・jり、その胞弟チワンドダジャイを以てもとのジャサク多
羅タルパン貝勒を承襲せりむ・尹聊岡替。 丿
道光4年秋の柊りの月(9月26日。: 7
; 、゛’‘ ● 4
トし……・
l 、4;7● 第 四 冊 書 4
道光24年4月30日、同流石偏浪?岳5`日(栄文では糾)月26日八・光紺がfl2>T210、同16午
8月5日・収支マ・よ9‘日)ぶ4J冊祐φふ。第E血書との狐謝よぶヽ。形式・よ大体4と同じマ√!
寂 紙・ 第一頁“‘ 第二頁”’・・ ’`’犬 第十九頁’゛第二十買 l裏表i
・ − ● − ・ ● ・ ・ ・ ● ・ ・ − ¶ − − ● ● 丿 』 ● ● ● S − ● ● 4 ' ● j 1 − ● ・ ・ ● ● ・ ● ● ● − − − ¶ − ・ ・ S ● ● ● ● − ・ 二 − − − ・ − ・ ・ ●● 第九図 第四冊書全休琵,取図. 1。 「 枚の長い長方形の紙を20頁におり7こゝんだもの。 41に厚紙を芯,にし,fこ表紙を前後に`ふしてある,o木 文は満采両文を以て同じ内容を記し,1頁と20頁は模様のみ,1り頁及び19頁は空白であるol大きさは縦34.3センチ、横19.2ゼyチ、厚さ1.1センチであるo
1 Q 「 こ表紙は厚紙に朱色の紙をはり、その上に同色の粗絹布をはづf二もので、:そ・の中央冒
しるす額がある。 この額はます縦20.8センチ、幟4.9センすの濃碧の紙包は、り、その上に緑2Qタン
チ、横4.3センチの、表紙と同じ紙と絹布とをはりつけ、中央に漢字でヽ‘、‘貝勒索特那木多爾済l貢
桑”・と墨書してあるo ま仁、左上部には:‘如字”の二字炉原書いてあり、、右下には縦7.5タン。チ、
横4.5センチの白紙をはりつけ、これに別掲ク)ような形I式マ、蒙古、貝雖、車林多爾済、、雲端旺楚
克、征冊−、と漢字で愚書してある。いずれもその所有者加自、ら記しす二ものであろう。・裏表紙は紙
質、その上にはつすご絹布、色などすべて表紙刳司じで、字は書加、れてないoい 、八 丿一・
本文は厚手の黄色の紙の表面に、同じ色の粗絹布をはつてある゛j.他の冊者と同じい20頁全休に
■.(H'3
j '32
j 高和大学・研賃韻暦’゛人女科聚ご 輿’1沸し
如守
e ーレ 舎兄 叫 秤 `米. j ’’ a 軋 j . 貧・ 県 。 第十四 第四冊書表紙見取図 胆こり、本文yかこんて装飾の欄が設けられ、色は臍の賠が黒、他は全部銀であ・る。上下の欄巾の 章は他の冊書どぢがつてヽ布を先として’いる・1買及び2=:)以は昇り/屯及び降り竜分えヵり、文字は ない。本文第2頁以下の内容、形式は次の通り・である。 lj、 ■ i ● ●I ’●2頁 満文 3行 朱書o l d ● j ij ・ 3頁 満文/1行ダ 墨書、朱印あり。 、4頁 蒙文べ 3行。、朱書○ ● ● 。 5頁 蒙文 1・行 墨書、朱印あり。 6頁 満文 2行 朱書o 7頁 満文 、1行: 墨書、朱印あり。・ 8頁 ・蒙文 3行 朱書o ● RI ●1 ●● 9頁 戯文 1行 墨習:、朱印あり。 ’ヽ ヅ ト 10頁 満文 4行 朱書o ● ■ ㎜ − ・n頁‘` 満文 1行 畢書、朱印あり。・ ’ 12頁・ 蒙文 4行 朱書。 43頁 ’粂文 ・‘ 1行 墨書丿朱印あり。 、 ’・ 14頁 高文 ’4行 朱謐o − 、 15頁’満文‘1行 墨書、朱印SDo ■。、 ゜ I ∼I `I ’.I ゛゛1 ・ 16頁 蒙文 、4行‘ 朱書o‥ グ う17真子蒙突 1行、墨書、朱印あひ。イ ノ 丿 C15) `清朝が内蒙古・ヽル・ヽ右翼旗Iジャサ列こ典えた冊書(青木:) 雲→ 雲→ 雲→
一笥をt麟tL
\\111/ダi
1"≧,'j'…………゛‘I=.iF?
ト・5.1cm・・・1
→右を先とする竜 − j ? 宕 日 ヨ・ − →雲33
I 。一 第十一・図 第四冊書第2二頁見収図 ” 罫は黒色、他は全部銀色、竜と雲の細部は省略した。 J ●. I ・ ’18頁及び19頁は空白である。。 この冊書にねされすこ朱印も他の冊書に用いられずこものとは違う。形 ¥゜ 「 1」 11 』` ・ は正方形、縦噛といこ!3セ?チヽ:縁の厚さ1L3センチ、その内側は縦置ともに10.4セyチである。 ’ s ● ¶● ■ 内部を左右等分に分け、左牛に満文でhese wasimbiire boobai (jji!(下す宝)とあり、右牛には漢字「 ● 。 ● | 丿 ● で“制詰之宝”とあり、いずれも2行にしてある。 ト 、‥ ト I ・ .r ・ ’l t● ●・ 以下、本文の満文及び蒙文をローマ字で晋譚し、その直滞を下に、ふす。 、 ゛ 2頁 (満文)ヘ フ ‘’ \ < t ぐ ’。・:‘ lj l l 1 I Ciw・vngfloboai weilei turgunrte ‘tusan ci nak咄咄a orei tiicike jasak doroi darhan
チワンドブジャイ 罪の 故に・ 職住 より退けられてこの出せし、ジ、歩ク’多羅タルパン
beile be ini jui- Sotnatncl‘or
ji (le
airabiiha. Jalan halame Iashalaraku
airabumbi.
貝勒 を彼の了・ ソトナムドルジに継がしめにり. 世.‘襲 絶つことなく 継がしひ.
CX6> “
34
ぐに .面‘知丿失奈笏完報告 十墜丿挫一六一孝!号 −
剱十二図・・第四柵者朱仰無取図
3頁,(満文) 犬・
Doro eldengge i or in duici aniya ^iiin biyai 這’ 光 の(第)二十 四 年 四 .月の
s JII . ・ 皿r・ 4頁 (栄文)
‰が
‘SSA, v-ar.八j , .,.・ .,..・・e i・・“・s4メ
Ciwangdpbcai yal un iicir tur tusiyal ゛h !)ailitSりai. Egiin u
チワンドブジャイ罪のすこめに 官職 より退けられずこりイ.卜ヽと・の
、raruysa!、 U 一空きfニるところの jasar tUru yin darjcan ' beile ‘yi tegiin a kobegii!I Sotnamdorji duか jalj-ftmjjil]-ii]bai. ・ジャサク多吸の タルパン・貝勒 を そ の 子 ソトナうドふジに 承襲せ.しめf二り,
uye ularil tasural l Ugei jalj-amjilrulmui 世 世 絶9ることなく 承襲せしむ・, 5頁 (倣文)
匈ra gereltU yin xorin diirbediiger 道 光 の 二十犬ニ四 ご づ6頁 (満文) ご on 年
智琵首ヤ
811ね・yin rucin.
月(匯月)の三十C0).
「 1 1 しSotnaiinlorji ,oron tucikbi ini・ fleo Gungsangりbe jasak doroi beilo , siraha. yトt2ヽドルリ 欠・ 出して彼の.弟,ダこン)ど\を以て”らザ舛多羅/良籾糸襲すしかこ・り.
Jalnn hahtme laoVii^iaraku 心池以らじ 呂 ` ‥‥‥ ‥ ダ ‥‥‥‥ ´ − し ’. `“ 世 娶 絶つことなくつぐ(世襲同替). ・.つ コぐ/ ’ へ,ニ
7頁 (満文)
Yooningga dasun i・anciingga aniya 同, .冶 の 元; 年 8頁’(倣文j‘
biyai o、in su、、ja. (r)月の二十五C9).
Sotnamdorji orrm
rarbai.
Togiin a
degiiii
ツトりりヽドルジ室席9くれり. そ の二゛弟
(lリCUngsang
クンサン
”・ミ.”・ ..:’,. 1 ● r ● ● ● ノ‥二入”’ ……… J ・ yjみ町ド卵1y叫丿叫19 に府サタダ弩恥の・以勒細細哨鮫かヽり右 Iず夕4列こ呉えた但し£必■
● | I ..‘` .‘ ●
Jalyamjilaj-ulijai';' O徊 :ulafil ‘ ち幼心al:ugal jalj^j!m.jilayulin叫,こl 承娶せしめ7二.り,.ご此 よ世よ絶り)・ることなく,'承襲せ,し,む. ,‥
% s -● /i lk‘● l ●● ● f● 1 1 j 9頁,く涙淵 .,.,‥‥‥‥卜. ..▽
Burintii jasarci yin toriがin 6n ebul tin sara-yin∧xorin jir^-uj-an. 同 洽 の 元 年 參 の 月 の・ 二十 六ぐ日).
S5
・10頁 (満文)’● ’ ‥‘’
Kalka i jasak boile (iungsang nimeine aku oron tucike. Ini torngetulehe jui uju ハルりのごλす.ク’゛貝勘≒タンザン 病みてでく 拠出でfこり.彼のJ(施)鳶 子  ̄
jergiぷji Cerinrtorji de jasak beile、b4 jalanふalame lsishalnりkti sirabi!叫bangi.* 等 台吉チJツドル.ジにジ、サク 只勒‘を 世 襲 絶?ことな4世炉せ(意味不.明)
゛この文の末尾には収写かあるらしい. ‘’9 ‘゛ ’ 11頁 (満文) エ グ ゾ スバ
Badarangga doro i ningguci aniya jargon biyai orin ゛ emu. ’ ‘ 光 緒 の(第)六 年 ・十二 ≒、月‘の二十一(日≒).. ・ ’・・ −犬 12頁 (倣文) 一八` ‥‥‥’-、、 xalx'! yin jasftj- beila Giingsang iyer unggeregsen !)ru、nrarbai.
゛`ル.’`、のジャサタ.貝勒ダンサジ は 歿して 空席つく ̄れり kobegtin terigilr! jerg!3 taiji Cerjndorjiト‘flur jaai、γ’ 子 一 .I等 台吉芳Jンドルジに・ジャサク Talr&mjilarulBurai ruyuBU/ai. 承襲せしめんと 嘱さん/・ ゛I II ’ ● 4 ●I・ . . ・・ ●、 し 13頁・(良文)‘ ≒ →. ダ ゛’ Ti・がi'1 4:temdsgelogsfln ニそ の 表記やる
boile yi uye ularil tasural ,ugel 貝勒を皿\世絶ゆ&ことりぶく
Batar;-ultu tOi'tiyin jirruduj-ar on ebiil un segu】sara-yり?
光’ 14頁 ' 1 、 ゜ a;ori・n nigen・6.
緒 の し六: 年二多・ヽの1終りの(月=(十二分)7)'二す;
(満文)
-Ci∃I)・ ・ . S r.s , ・ , ’ 1 4 ’ I . ,Kalka iトjasakレbeile Cejriadorji 。nimeme. akii oho enen aku, arahaj・ arafi duruffan ‘ヽル‘'`のジャサク貝勒チ,リンドルジ病みて亡くなりし嗣子,なべ√名簿。書庫で ,譜
nirufi hose Bindaraフjaian halame Iaaha1\xねkil ・s:\rabure bangi fulgiyanれ4ブし.h1 書きて敬 授△ 世 襲 帽司 替すしむる賦りの 屎ご筆の獣破を以て ● t 。 ',ヽ●` , 。か1 Yundonwangouk . be turibu aehe・ ユ・y,ドン,7,ンチzクに租せしめfこりノとい‘うバ 15頁,(構文) ,・ , y . ’ J 4 j 4 ゛ ’lt
Oixdarangga doro i juwan ninggu《?i aniya ・iakun biya・i ice' si】nj≫. I .y'`ヽ二.' ∧光 ,.峰の叉勒十 六‥午才へ∧月号よ初≒葬肺)へ卜ここに……j
押耳づU? ノ 丿 丿丿大心
X゛,叫 yin j aaj- baile Cerindorji ebedcin iyer unggeregson√卯e・ilgei・.^rudaan ・ -"N/U>ヽ゛の'ジャサタ貝勒チJン・ドルジ 脈'.にて ,歿して 子孫なしあ 記録に
「 ● ● ● − ● I
hiSiju りdig jiruTu TaΓlir talbixui□uyo ularil tasural Uふi jalyamjila^i!ixui 一書し 系紬に 両きて 戟 命するとこ・ろの,世 世.絶ゆるこ,と.ないII O づぐこと y1 ^iiyusugral. Singwu pir un kiireyelo Yungdonwangcug i acarj-ajctun‘゛!tomebei. 'を・ 嘱さ呑に 殊ヅ筆の凛株し ヂンドソワ‘ンチュ,クをレしで 呉れ りといえ・り・i ,
17頁 (蛮文) . ・ 、 / ご ー. BalarruUu tiXrii yin arban jfiryurtuj'ar on namur
緒 の ’`デ 六 yisun-a. '■ ・゛”I ’; 九(・日). 年 秋 ・:丿
un
の
da皿恥itu;, .' sar.a・yin 中の 月(八月)のsine
初
yln の時記第二冊命の日附は満席では翠に同冶元年月25月、幻こ象文では同濤元年祭の月26日と1ぷつて
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36 4. 1 1 r・高知大学研究報砦 人文科学 第1号, いて、何月加不明であるが、恐らく10月であろう。 日も25日と26日で相違するヵ;、第四冊命も満文 では8月5日、蒙文では9日と相遼しているのとともに、瓊由はわヵヽらない。この冊書内の冊命の 文章も他の冊書のものとは形式が大分ことなっている。第三及び第四冊命において、それは特に目 をひくo 次に第四冊書の本文仝部の意謬を掲げる。 第一冊命の満洲文 チワンドブジャイ罪の故に職任より退けらる。 この空き7こるジャサク多羅タルパン`貝勒の爵を彼の 子ソトナムドルジ・に継がしめずこり。世襲同替。 道光24年4月30日 第一冊命の蒙古文 チワンドブジャイ罪のす二めに官職より退けられむり。 この空さすこるジ、サク多羅タルパン貝勒の爵 をその子ソト、ナムドルジに承襲せしめ7こりo世襲岡替。 道光24年夏の頭月(4月)30日 第二冊命の満洲文 ● ‘ ソ’トナムドルジ欠けすこるにより、彼9弟クンサンを以てジ、丿ク多羅貝勒を承襲せしめたり。世襲 同替o i 同治元年(10り月25日 ’ 第二冊命の蒙古文 ソトナムドルジ空席っくれり。その弟クンサンにジャサク多羅貝勒゛を承襲せしむ。灘襲岡替。 同治元年參の月26日 ‥ 、 ゛第二冊命以下にはダμりヽンの昌呂が濤蒙両次とも現われない。、 第三冊命の満洲文 ト ■ ja 1.1 ハルノヽのシャよク貝勒グンリ“ン病歿し、室席となれ’り。彼の・、〔隻〕表子一等台吉チJ’ンドルジに ジャサク貝勒を世襲せし`む。 光緒6年12月21日 Iス ダ 二 7ブ ダ ‘第三冊命の蒙古文 。 ノゝノレノ`ゝのジャサク貝勒クンサン歿しぐ空席を作れり・・。その表記ぜる子−等台吉チェリンドルジに y ・ジャサク貝勒゛を世々絶9ることなく承襲せしめんと伺さん。 光緒6年參の終りの月(12月)2]ia、 ・ / 、ト ‥ ゛第三珊命以下にはu多羅”の字は詞g両文ともに現われない。 ・I ・ 第四冊命の満洲文 ・”I へyレ”ヽのジ、サク貝勒チJトンドルノ病歿す。嗣子なきにより名薄と系譜を提川せしめ、世襲同替 の承聾者を詮衡し、ユシドンワンチュクに決定せり。 光緒16年8月5’日 。、 I ∧ ’ 第四冊命の蒙古文 ノゝノレノゝのジャサク貝勒チ、リンドルジ病歿して子孫なし。文書本系譜を提出せしめ、世襲岡替の承 襲者を詮衡し、ユンドンフンチュクに〔ジャサク貝勒〕すこれと命じ・すこり。 光晴16年秋の巾の月(8月)9日。 ゛゛ ゛’ (昭和25年11月30日受理) (19)
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清朝が内g古ハルジヽ右翼旗ジヤサク・に負えた一冊書 りF青木)
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“TS*E-.S・HU" (BOOKS OF IMPERIAL ORDERS) 「 , ‘ I ’ ・’6’GIVEiヽ^ BY' the' CがING DVnA§TY TO THE・・JASAK'・ OF’‘ s’ `¨
BANNER OF IKHALKHA RIGHT 'hand OF IN岫R MONGOLIA I I ’‥‥‥
’i・ ・-By/・TbMiTARb一 八〇KIり ・ 1
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(・Sem・inar・・6i History,- Lib‘eral Arts Faculty, Kochi Universityで) ”・`’‘r " ' ;.一一。■I-*'IT , .・ ' \' i ,; !S・ヽi . ・’ ̄ ・ , .・` ’・j .
In Septemb?「o¶.」943, in order to「esearch ro!c the family system ・,.Iリsit.ert to B?ヤ er of Khal?\& Rigl㈹Hand in Inne¶Mongolia, socalled r゛「khan Hos・や゛(や叩e「」’゛’h‘ ich belongs to Ulanchap Chigulgan. Then at the banno「'8 office l had an oppoりunity through the kindness of Mr. Chisotbaljur,ぶ√七臨n jasak or ふverner of banner, to see − ● ●
t゛飛・bootよof impぶal orderB jn‘ぷan imperial letter given by the empeふ4 of the Ch'ing j ● ● 1 ・ r ●1
dy臨84 to 臨e jasaks of that ・banner.. And th,’iollo,↓ing siχ are those. .’……≒ ̄ r ● ㎜ f ・゛ lゝ ●● ・ ・ j)卜The book cぷimperial orders opening withふo乱sぶming" or the imperial oふier of `14` ’ IS 卜 i 1.゛・ljし ゛・ ●-I・t ・ト・ ,.・パ゛‘・リリ : ・,∼ ・・ し≒
the tonやyear o「S!?¨-や」1トC1653) . 」11” I 。1 7 。’。;・」。ミ ≒ 2) The one opening ゛ith the t1&‘ming of the seventh year of Yuns-cWgng (1729)・へ。, 3) The o9 opening ゛ith the ts'いヤ恥of the 46皿year oif Ch'ie叫叩町(178.1) . , 4) The ゜ご?ヤドy曹やりsか竹卜oり?ツタ1ソo゛,oリりりヤーフ(1844)イ。
貼ズヤヅツ,i叩,聯?ヤ。Yiiiin Shihヤりjhリ)?i?ent of China Republic, toブ叩‘ (io゛や劈や叶・,
い,や‥‥‥/………∧。。,くコJ, 1・。ト ヤ \ ,_……
6)The imperial letter jiven !)ytheレemperor of the Ch'ing dynasty to Buntar, the
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first jasab, in the 13th year of Shun-chih (1656)
ゝ゜ ’ト ぐ・.’ し ’・ 丿,・・/ バ■・・ ・;’ ・.1’・’ 1. ’・ 岫,・・/ ,;. .I。,!・ .・; ;. .一一' ,■ -i ■i .. i,‘・ ・,II‘ . ’; ・・.’.. ;.・I
り知?I beenり叩n that, atやリ■(ucceasi門, of the jasak8がe゛ery ¥賢ぎali^n banner・ the Ch'ing dynasty gave the t94・mlng‘or imperial order to them, l!ut there has!!een no ,
knowled・o of the manuscripts.・Sq, takinr・instantly the photo・raphs of and, on the・other .・ヘリ・ぞ .・か.!,・へ・・,・.・ j・●・ .i`・・,・I'. -1... ?.i’・ ,litj. ・.”jい,,. o・ ・ ,・ ・・-i-'-I。.’j,・・ hand. makinr the sketches 0f them・ancl, transcijbinj the bodiesトI returned to.^ Japり. リ 「ortunately their photographs ゛0「o burnt at the air-raiか. but.,the sketchesバ`n」copies
were left mo in safe. And 80 1 am going to introfluoe the second, third, and fourth of of the six with each commentary. (A8 regard to the first one・l have already in'trodu°
ced it at another opportunity. ) 二’ jヽ. ’ During the Ch'Jng dynasty t!M Mongolian nobles recoived, at their succession, the “ts'B-raing” or the docuりiient to the effect that they were raised to several peerage. The
ts'e-shu in a book which contains。 some of the ts'e-mings. Every ta'e-shu that were given to the iasak8 of Bannar of Khalkha Right Hand during the Ch'ing dynasty is a sheet of long sideways, rectangler paper‘`゛hich ia folded into boりveen 20 and 22 pages ゛nd on wh・ ich surface a rough yellowish silk fablic is sticked. And its co∇er is m川board on which a rough, yellowish or maroon silk fabllc is also sticked. When we open the whole of the body, there are the cnlumus 心th Successive decorations around it. In the upper and lo-wer columns are respectively painted draぷona and cloiirts, in the siflejong o!r\ea cloud9・ And there・are painted either an asconrUng and a descenrlini dragons tit the first and laat ● ● 「pa^es. But therフe ia a difference of fineness and coarseness as to the way of painting in (2Q:)
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高知大学研究報砦 人文科学 レ第1号・
each ts・a・8hu. The body is written in Manohu and Mongolian vertioa】ly and from the left to the right . At first the ts・e-nriing 13 written jn Manchu, aりd a 13 cm. square red seal is atampted on the date. Two lines engraved in the left half of the seal ・are “heso wasi
-mbure boobai” in Manchu, which means 'the seal of giving an imperial order' , and two lines of the right half are “chih-kao・chih-pao” in Chinese, which means same as the ab・ o▽0. Next to this are written the t8'o-ming and date in Mongolian given to the same
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one, which has almost same import ,and‘the same seal i8 8いmped On t!1edate. Then CO-mes the ts‘^-ming in Man chu and Mongolian given to the next jasak. The seals are diff° . I ・` ゝ f erent in every ts'e-shu. while tLe sentences same. .
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・ si rk , The second book of imperial orders contains the ts‘6°゜ings given to L?叫如orji, the ● f fou「th 」asak. and Cebdennam」il, the fifth. The third book contains the imperia! orde-rs to Cebdannaraiil, the fifth, Jungjilcering, the sixth, Kongcukcoly)il, the seventh. .・,/ r -● and Ciwanjrtolijai, the eighth. And the' fourth book conヒains the imperial orders to Sot-namdorii. the ninth. Gungsang, the tenth, Cerindorji, the eleventh, and Yundonwang‘ l j .’●11 1 fi jcuk, the twelfth. ″ The bodies of the ts‘6・mine are of a type and simple. ‥‥‥‥‥‥‥’プ
Ag so-and-so died of illness. so-and・30 who has suoh-rund 8uch relation by blood to IF ● 1・s ’ ` I ● ゝ● 1 1. him will be accepted to succeed to the ja3ak hoshoi (afterwardB, doroi) darkhan ch'in・wang (afterwards, beila) . Transmission by heredity remains in force. , | ● ● ●
i ゛゛ ./’● ・い1 ’I≒− . Such is the typo. But only in tho imperial Order to Buntar, the first, jasak, is reco- 1 ● ` ●・ ゛●● j . |rded the origin of enfeoffment and the privilege. In the end of the Ch'ing dynasty. howeverレthe form was a little‘changed ’sothat the title of darkhan or dorぶcame to’be
− ● ・ ・ ● | ・| ・`’4 f . dropped. ’‘II
● ● ● ● ● , ●‘ -’‘ ● 一一 - , ゛ ●-1-;ヽ ヽ●‘ (Though l romanized both Man oh u and Mongolian language in the imperial orders. please refer to the chapters in Japanese as t4 them.)・ ” ’I‘’
(Received
November
30, 1950)
£21)