怪物と呼ばれた男--映画作家・沈西苓の足跡を辿る
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(2) 近畿大学語学教育部紀要9巻2号(2009・12) 自身 に よ る回想 録 の類 も残 され て い な い。 そ こで本 論 で は、 沈 西 苓 自身 が 当 時刊 行 され た雑 誌 に 寄 稿 した 文 章 や、 彼 と親 交 の あ った 関 係 者 が記 した 文 章 、 及 びDVD等. の媒 体 で 鑑 賞 可 能 な 映. 画 作 品 を基 に、"怪 物"沈 西 苓 の人 物 像 、 及 び そ の 内在 につ いて 検 討 して み た い。. 2.日. 本 留 学 時 代 か ら上 海 創 作 初 期. 左 翼 文 芸 の 先 鋒 と して. 沈 西 苓 は本 名 を沈 学 誠 と言 い、1904年 、 杭 州 に生 ま れ た。 地 元 の 甲種 工 業 学 校 で紡 績 及 び機 械 学 を学 ぶ が、 父 親 が奨 め る工 業 関係 の仕 事 に就 こ う とせず 、 後 に雑 誌 『婦 女 生 活 』 編 集 と して女 性 解 放 運 動 に参 与 す る姉 の沈 弦 九 と共 に 日本 留 学 の道 を選 ぶ。1922年 、 京 都 高 等 工 芸 学 校 で染 物 図案 を学 ぶ 彼 は 、 許 幸 之7と 共 に東 京 美術 専 門 学 校 入 試 を 受 け合 格 す る もの の、 官 費 扶 助 が得 ら れ な い た め正 式 に入 学 せず 、 京 都 に留 ま る こ とに す る。 彼 は美 術 を足 掛 か りに、 この 頃 か ら 日本 の左 翼 文 芸 家 や、 日本 に留 学 して い た 中 国知 識 青 年 との接 触 を 開始 す る8。. 2-1:左. 翼 文 芸 の 陣 営 を 固 め るた め に. 1930年 代 上 海 左 翼 文 芸 陣 地 の 要 人 とな る劇 作 家 、 夏 街 が 自伝r獺 尋 菖 夢 録 』9に 記 した叙 述 に よ る と、1926年 、 東 京 に留 学 して い た夏 術 が 日本 各 地 で の文 芸 活 動 状 況 を知 るた め に京 都 に 出 向 い た 際、 沈 学 誠 が彼 を接 待 し、 ま た 「社 会 科 学 研 究会 」 で活 動 して い る彰 康 や{,乃 超 を夏 街 に紹 介 して い る。 彰 康 、f乃 超 は共 に、 尖 鋭 な左 翼 理 論 ・評 論 家 と して、 帰 国後 プ ロ レタ リア文 芸 陣 地 とな る後 期 「創 造 社 」10を先 導 す る人 物 で あ る。 ま た、 時 期 が 下 るが 、 沈 学 誠 が上 海 に 戻 り夏 街 らと共 に雑 誌 『大 衆 文 芸 』11の編 集 に 関 わ って い る頃、 美 術 を専 攻 して い た湯 暁丹 が 『大 衆 文 芸 』 の編 集 協 力 を 申 し出 る手 紙 に丁 寧 な返 事 を返 して快 く迎 え、 ま た 『大 衆 文 芸 』 雑 誌 社 が上 海 市 当局 の摘 発 を受 け た 際 に は、 混 乱 の 中 か ら突 如 現 わ れ て、 尋 問 か ら逃 れ る術 を湯 暁丹 に耳 打 ち す るな ど、 事 あ る毎 に彼 は湯 暁丹 の面 倒 を見 て い る12。因 み に こ の湯 暁 丹 とい う人 物 は 、 彼 の 影 響 を受 け て新 興 の左 翼 演 劇 に興 味 を抱 き、 大 規 模 映画 会 社 、 天 一 影 業 公 司 に沈 西 苓 の美 術 設 計 助 手 と して入 社 、 美 術 担 当 を経 て独 立 監 督 とな り、 新 中 国成 立 後 に は 『南 征 北 戦 』(1952年)な. ど を制 作 、 社 会 主 義 映 画 の旗 手 と して 活 躍 した。. この よ うに、 日本 に お い て も、 ま た上 海 に お い て も、 左 翼 文 芸 陣地 を拡 大 す るた め に人 脈 作 り に奔 走 して い る沈 西 苓 の様 子 が見 受 け られ る。 と同 時 に、 沈 西 苓 自身 も先 ず は演 劇 か ら左 翼 文 芸 創 作 に参 与 して い く。1930年 代 映画 の担 い手 とな るま で の彼 の足 跡 を、 次 の節 で概 観 す る。. 一162一.
(3) "怪物"と 呼ばれた男 2-2:演. 映画作家 ・沈西苓 の足跡 を辿 る一一. 劇 活 動 と話 劇 改 編 、 創 作. 1924年 、 小 山 内 薫13ら が創 設 した 「築 地 小 劇 場」14に 、 沈 学 誠 は美 術 実 習 生 と して参 加 、 同 時 に村 山知 義15ら 左 翼 演 劇 家 が組 織 す る 「演劇 研 究 所 」16に加 入 して い る。1928年 、 京 都 高 等 工 芸 学 校 を卒 業 した彼 は、 東 京 で起 き た 中 国留 学 生 デ モ に対 す る弾 圧 事 件 を契 機 に上 海 に帰 国、 鄭 伯 奇 、 夏((7、陶 晶 孫 らと共 に 「芸 術 劇 社 」 を 創 設 す る17。1930年 に 成 立 す る中 国 左 翼 作 家 連 盟(以 下 「左 聯 」 と略称 す)に 参 加 した彼 は、 「叶 況(葉 況)」 の名 で ロマ ン ロ ラ ンの話 劇 『愛 と死 との 戯 れ 』、 村 山 知 義 脚 色 話 劇 『西 部 戦 線 異 常 な し』 の監 督 を 担 当 、 そ の一 方 で、 左 翼 文 芸 雑 誌 『芸 術 月 刊 』、 『沙 命 』、 『大 衆 文 芸 』 な どに演 劇 運 動 状 況 報 告 や演 劇 論 、 話 劇 脚 本 を多 篇 執 筆 す る18。 こ こで、 彼 が雑 誌 に残 した話 劇 運 動 批 評 文 や話 劇 脚 本 か ら、 沈 西 苓 の左 翼 文 芸 へ の傾 倒 振 りを 見 て み よ う。 『沙 命 』 第 一 巻 第 一 期 に掲 載 さ れ た 「戯 劇 運 動 的 目前 誤 謬 及 今 後 的 進 路 」 に お い て 彼 は、 「芸 術 劇 社 」 の活 動 の 中で 演 目が 大 衆 に浸 透 して い な い問 題 に対 し、 「無 産 階級 の生 活 を描 く内容 が必 然 的 に劇 の形 式 を決 定 す る、 内容 と形 式 が合 致 した作 品 だ け が 階級 意 識 を発 揚 し、 革 命 の嵐 を起 こ し う る」 と述 べ、 文 芸 大 衆 化 の た め に は形 式 自由 で よ い とす る同 陣営 の意 見 に対 し 舌 鋒 鋭 く批 判 す る19。ま た、 演 劇 陣営 目標 や 路 線 に つ いて は、 「現 社 会 を 反 映 せ ね ば 真 な る芸 術 た りえ な い。 大 衆 意 識 に叛 く芸 術 は死 せ る芸 術 、 芸 術 の死 滅 な の だ!」. と猛 々 し く訴 え る。. 『創 造 月 刊 』 第 二 巻 第 六 期 掲 載 の"沈 一・ 況"名 義 「演 劇 運 動 的 検 討 」 で は この トー ンが 更 に強 ま る。 な ぜ 演 劇 運 動 を 行 う必 要 が あ る か の 問 い につ い て、 「い う な れ ば社 会 運 動 の 目的 と相 一致 して進 め られ る、 一 種 の政 治 補 助 工 作 で あ る。 よ って これ は武 器 の芸 術 で あ り、 闘争 の芸 術 な の で あ る!」 と回 答 を提 示 す る。 ま た、 演劇 に お け る リア リズ ム の採 用 につ い て は、 「Realismを 採 る こ とに よ り. 積極 的 に、真 な る心 を暴 露 して 、 かつ 鼓 舞 と啓 発 、 注入 な ど諸 々の性 質 を使 っ. て社 会 に お け る矛 盾 を暴 露 、 明示 し、 一 種 の革 命 的情 熱 で も って反 抗 、 奮 闘 を起 こす ま で大 衆 を 導 くの だ!そ. う して革 命 の 目的 は達 成 され る!」 と、 大 衆 と演 劇 との 関係 を 「革 命 」 の名 の も. とに堅 固 に繋 ぐ。 話 劇 脚 本 創 作 に つ い て は、1930年5月. 『大 衆 文 芸 』 第 二 巻 第 四期 に お い て大 熊 俊 雄 作 「吼 え ろ. 支 那 」 を"葉 況"名 義 で翻 訳 して い る。 彼 は原 作 に無 か った 「革 命 」 や 「圧 迫 され た弱 小 民 族 た ち よ、 吼 え ろ!叫. べ!団. 結 せ よ!」 な どの台 詞 を加 え、 本 作 品全 体 を よ り 「革 命 」 的 に ア レ. ン ジ して い る20。ま た 、 彼 自身 の 創 作 に よ る"喜 劇"と. 銘 打 つ 話 劇 「蜂 起 」21は、 工 場 長 と工 会. 代 表 に よ って搾 取 され る製 糸 工 場 の女 工 達 が 「団結 」 を 叫 ん で搾 取 階級 者 を包 囲攻 撃 し、 自 らの 生 存 権 を勝 ち取 る とい う非 常 に硬 質 な 「革 命 」 劇 で あ る。 敢 え て指 摘 す るな らば、 工 場 長 とそ の. 一163一.
(4) 近畿大学語学教育部紀要9巻2号(2009・12) 腰 巾着 役 が 女 工 た ち の 団結 闘 争 の 前 に這 う這 うの 態 で 逃 げ 出す 姿 を 描 い た 点 が 、 本 作 に"喜 劇" と名 付 け た所 以 だ ろ うか。. 2-3:映. 画への接点. 上 述 の よ うに、 「革 命 」 の響 き に陶 酔 す るか の よ う に左 翼 文 芸 へ の傾 倒 振 りを見 せ る沈 西 苓 は、 次 第 に新 芸 術 ジ ャ ンル=映 画 へ と接 近 を始 め る。 湯 暁丹 は、 沈 西 苓 が い つ も彼 を虹 口電 影 院 に連 れ て行 き、 鑑 賞 した 映画 の シ ョ ッ ト構 成 や場 面 設 計 、 対 話 内容 な どに つ い て熱 く議 論 した と述 懐 して い る22。沈 西 苓 自身 は 同 時期 に 「関 於 電 影 的幾 個 意 見 」23を 記 し、 国産 の無 柳 な 映 画 と米 国 ブ ル ジ ョア 映画 ば か りの 映画 館 とい う 「武 器 」 を、 如 何 に して左 翼 陣営 に 引 き寄 せ るか を議 論 す る。 そ の方 策 と して、 映画 批 評 戦 線 を 張 る/無 産 階級 映画 の理 論 活 動 を展 開 す る/国 内 映画 会 社 を 陣 営 内 に誘 導 す る、 な どを 挙 げ る。 「国 内映 画 会 社 を 陣 営 内 に誘 導 す る」 点 に つ いて は、 娯 楽 映画 製 作 を主 旨 と して い た天 一 影 業 公 司 に湯 暁丹 を 引 き込 み、 自 らの 陣営 拡 大 を試 み た の もそ の 一 例 で あ ろ う。 ま た、 「無 産 階 級 映 画 の理 論 活 動 を 展 開 す る」 側 面 で は 、 沈 西 苓 自身 が翻 訳 で 力 量 を発 揮 しよ う と した形 跡 が 見 受 け られ る。 映画 雑 誌 「電 影 芸 術 』24第二 号 よ り、 沈 西 苓 は 「西 苓 」 名 義 で ソ ビエ トの 映 画 監 督 ・理 論 家 のS・. テ ィモ シ ェ ン コ著 『映 画 芸 術 とモ ン ター ジ ュ』(岩 崎 艇 ・佐 々. 木 能 理 男 訳)25を 翻 訳 、 連 載 す る。 『電 影 芸 術 』 が第 四号 で 発 禁 に な るた め連 載 は 頓 挫 す る もの の、 沈 西 苓 自 らは テ ィモ シ ェ ン コを通 じて 映画 モ ンタ ー ジ ュ技 術 を学 ん だ と考 え られ る。 彼 が撮 る初 期 映画 作 品 に は、 モ ンタ ー ジ ュを大 胆 に試 用 す る形 跡 が見 受 け られ るか らで あ る。 総 じて、 映画 創 作 実 践 に到 るま で の沈 西 苓 は、 芸 術 を大 衆 革 命 の た め の 「武 器 」 と捉 え、 そ の 芸 術 を強 大 にす る陣営 を 固 め、 そ の 陣営 を拡 大 させ るた め に人 脈 作 りに尽 力 して い た。 ま た、 自 らの創 作 に は、 そ の意 識 形 態 を直 載 的 に反 映 させ て い た。 左 翼 文 芸 の発 展 、 拡 大 の た め、 彼 は理 想 を高 く掲 げ、 若 き情 熱 を傾 注 して い た と言 え よ う。. 3.映. 画 創 作初 期∼ 中期. 理 想 は現 実 に 阻 ま れ て. 1935年 、 上 海 を 訪 れ た 映 画 評 論 家 、 岩 崎 和26は 、 翻 訳 を 契 機 に文 通 の あ っ た沈 西 苓 に会 い、 彼 の協 力 を得 て 明星 、 芸 華 、 聯 華 、 電 通 の 四 映画 会 社 を歴 訪 す る。 最 も古 い歴 史 を持 つ 明星 影 片 公 司 に つ い て、 岩 崎 は この よ うに述 べ る。. 一164一.
(5) "怪物"と 呼ばれた男. (明 星 の作 品 は:引 用 者 注)特. 映画作家 ・沈西苓 の足跡 を辿 る一一. に梢 々保 守 的 な 階級 に 支 持 され て ゐ る。 そ れ だ け に作 品 に. も{渕 と した生 氣 の躍 動 す る もの とか、 進 歩 的 な野 心 的 な色 彩 は乏 しい や うで あ る。 た ゴ、 前 に も記 した 沈 西 苓 君 だ けが 例 外 で 彼 は 「上 海 二 十 四 小 時 」 と い ふ異 色 の あ る 作 品 を作 つ た27。. こ こで述 べ られ る 「進 歩 的 な野 心 的 な色 彩 」 を持 つ作 品 とは、 時代 に照 らせ ば、 階級 問題 が提 示 され た 「革 命 」 的 な 作 品 を 指 す こ と は 自明 で あ る。 沈 西 苓 の 『上 海 二 十 四 小 時 』 が 例 外 的 に 「革 命 」 的 で あ る こ と を岩 崎 は知 って い る よ う だ が、 これ 以 上 の 事 を語 って い な い 。 本 章 で は、 「上 海 二 十 四小 時 』 を含 め た沈 西 苓 の 初 期 映 画 制 作 実 践 の 状 況 を追 跡 し、 沈 西 苓 の 内 在 に生 ま れ た意 識 の変 化 に つ い て触 れ て み た い。. 3-1:天. 一 公 司 か ら明 星 公 司 へ. 沈 西 苓 は元 々 「明星 」 に籍 を置 く監 督 で は な く、 前 章 で も触 れ た よ うに天 一 影 業 公 司 で美 術 設 計 を担 当 して い た。 だ が、 湯 暁丹 が美 術 ス タ ッ フ と して天 一 に参 加 した の を機 に、 沈 西 苓 は 当 時 夏 術 が 取 材 して い た"包 身 工(売 身 労 働 者)"の. 資料 を 基 に映 画 化 を希 望 、 天 一 公 司 で 制 作 を 開. 始 す る。 そ れ が、 沈 西 苓 に と って の監 督 第 一 作 とな る 『女 性 的 ロ 内城』 で あ る28。 だ が 、 搾 取 され る女 工 達 の 抵 抗 を テ ー マ とす る映 画 制 作 に対 し、 天 一 公 司 の 総 支 配 人 、 郡 酔 翁29は 難 色 を示 す 。 湯 暁 丹 の 回 想 録 に 拠 れ ば 、 主 役 に 天 一 公 司 の 看 板 女 優 、 王 董 を 起 用 し、 2,000フ ィー ト程 フ ィル ム を 回 した 頃 に、 女 優 を醜 く撮 り過 ぎ る、 と郡 酔 翁 が 不 満 を 述 べ た 。 沈 西 苓 は一 切 耳 を貸 さず、 撮 影 続 行 を命 令 す るた め、 ス タ ジオ に は 緊迫 した空 気 が流 れ た とい う。 郡 酔 翁 は"三 従 四 徳"30な どの封 建 思 想 を 重 ん じる人 物 で あ る た め、 階 級 社 会 で 虐 げ られ 、 抵 抗 の 叫 び を あ げ る女 性 を描 く本 作 を容 認 で き な か った。 沈 西 苓 は郡 酔 翁 の この考 え を受 け容 れ られ ず 、 本 作 創 作 企 画 を持 って、 看 板 女 優 で あ った王wと 共 に天 一 公 司 を飛 び 出 し、 明星 影 片 公 司 へ 移 動 す る。 明星 影 片 公 司 に は 鄭 正 秋 、 張 石 川31ら の公 認 を 受 け左 聯 メ ンバ ー に よ って 構 成 され た脚 本 委 員 会 が あ り、 『女 性 的 ロ 内城 』 の 原 案 提 供 者 で あ る夏i%7も主 要 メ ンバ ー と して 参 加 して い た。 初 め て メ ガ ホ ンを執 る沈 西 苓 か らす れ ば、 天 一 公 司 の 随習 に縛 られ た環 境 と、 左 翼 組 織 の後 ろ 盾 を 持 つ 明 星 公 司 の そ れ と で は 雲 泥 の 差 に 感 じ られ た こ とで あ ろ う。 こ う して 、 彼 の 第 一 作 『女 性 的 ロ 内城 』 は、 中 国下 層 労 働者 の 困 窮 した生 活 を ス ク リー ンに映 し出 す 記 念 的 作 品 とな る筈 で あ った。. 一165一.
(6) 近 畿 大 学 語 学 教 育 部 紀 要9巻2号(2009・12) 3-2:経. 験 の 問 題 と実 情 の 問 題. 評論 家、蘇鳳 は. 「関 於 沈 西 苓 先 生 和. 《女 性 的 口 内城 》」32と い う 題 で 本 作 の 試 写 の 様 子 を こ の よ. う に 描 写 し て い る。. 試 写 を行 な う 日、(略)沈 い」. 君 もま た繰 り返 し私 に言 う の だ。 「僕 は罰 を受 け な け れ ば な らな. 極 め て奇 妙 な、 ま た俄 か に信 じ られ な い光 景 だ った。 しか し事 実 は 明 らか に した、. そ れ は 、 本 当 に観 る者 を 失 望 させ る 出来 だ った の で あ る。(略)ス. ク リー ン に映 し出 さ れ る. 芝 居 が観 客 に は全 く分 か らな い。 理 論 と実 践 は か く も融 合 し難 い もの な の か!私. は先 ず. そ れ を思 った。. 蘇 鳳 に よ る こ の評 論 は、 沈 西 苓 の 実 践 経 験 の浅 さを 示 す もの で あ った 。 ほか の評 論 「《女 性 的 ロ 内戚》 的 質 和 量 」33も、 監 督 、 演 技 、 情 景 配 置 、 ラ イ テ ィ ング の あ らゆ る面 で 女 性 の 「ロ 内城 」 の 力 量 を 削 い で い る、 と、 映像 制 作 に お け る彼 の統 率 力 不 足 を指 摘 す る。 こ こに見 え る沈 西 苓 の姿 は、 無 産 階級 文 芸 の尖 兵 と して舌 鋒 鋭 い そ れ と、 余 りに も対 照 的 に見 え る。 沈 西 苓 の 映画 制 作 に未 熟 な面 が あ った こ とは確 か で あ ろ う。 だ が そ れ は、 素 材 提 供 を行 った夏 術 も述 べ るよ うに 「我 々 が この面(無 産 階級 者:引 用 者 注)に 対 す る感 情 的体 得 が浅 く、 生 活 へ の理 解 も不 足 して い た」34と い う、 映 画 制 作 に乗 り出 した左 翼 文 芸工 作 者 全 体 の 問 題 で もあ った と考 え られ る。 だ が、 よ り大 き な原 因 と して、 映画 制 作 が大 規 模 な興 行 性 産 業 で あ る点 に彼 らが 配 慮 で きな か っ た こ とが挙 げ られ る。 夏 街 自伝 『瀬 尋 善 夢 録 』 に は 、 『女 性 的 口 内城 』 を巡 り会 社 側 と次 の よ うな や り と りが あ った こ とが記 され て い る。. 十 二 月 下 旬 、 恐 ら くク リス マ ス前 夜 だ った と思 うが 、 明星 三 巨頭 が 我 々を 食 事 に 招待 した。 播 公 展 が 「腹 を立 て て い た」 が最 終 的 に は な ん とか話 を ま とめ て くれ た、 しか し今 後 脚 本 を 書 く とき は少 し気 を つ け な け れ ば な らな くな った、 等 々 と故 意 に我 々 に 聞 こえ るよ うに雑 談 を して い た。 そ の 日は沈 西 苓 も同席 して お り、 鄭 正 秋 は先 ず 沈 西 苓 を大 い に褒 め、 次 い で 張 石 川 が 正 面 き っ て警 告 した 。 いわ く、 『女 性 的 ロ 内城 』 を 検 閲 に 回 した 時 に は 先 ず 上 映 禁 止 と の決 定 を 受 けた 。 そ の 後"香. を焚 い た"(つ. ま り賄 賂 を贈 った)が 、 そ れ で も1,000フ ィー ト. 以 上 カ ッ トされ て しま った。 今 後 この よ うな題 材 は作 れ な くな るぞ、 と35。. 一166一.
(7) "怪物"と 呼ばれた男. 映画作家 ・沈西苓 の足跡 を辿 る一一. 当 時、 国産 映画 に は 国民 党 電 影 検 査 局 と租 界 工 部 局 の二 か所 に よ る審 査 を通 過 す る義 務 が あ っ た。 共 産 党 系 文 芸 工 作 者 に よ る活 動 に は よ り厳 しい監 視 の 目が 向 け られ て い た。 この外 的圧 力 よ り、 「女 性 的 ロ 内戚 』 が 結 果 的 に無 産 階 級 の怒 りを効 果 的 に示 せ なか っ た と同 時 に 、 作 品 の質 の 問 題 を連 鎖 的 に起 こ し、 張石 川 ら映画 資 本 側 に痛 手 を 負 わ せ た の で あ る。 興 行 資 本 を潤 し、 映画 産 業 界 を 陣地 に 引 き込 み な が ら、 映画 を無 産 階級 イ デ オ ロギ ー宣 伝 の強 力 な媒 体 に す る. それが. 映画 産 業 に接 近 した左 聯 メ ンバ ー の任 務 で あ った。 最 初 の一 歩 目で、 沈 西 苓 は蹟 き を誘 発 して し ま った の で あ る。 だ が彼 は雪 辱 戦 に 臨 む。 岩 崎和 も触 れ て い た、 同年 制 作 の 『上 海 二 十 四小 時』 は、 前 作 『女 性 的ロ 内城』 と較 べ 「長 足 の進 歩 を遂 げ た」 と、 試 写 を観 た者 が皆 沈 西 苓 に敬 意 を表 す ほ どの好 評 を 得 る36。有 閑 階 級 家 庭 の夫 人 が金 を 湯 水 の 如 く使 う豪 奢 な 時 間 を過 ごす 一 方 で 、 大 事 故 に遭 った 鉄 鋼 労 働 者 の少 年 を助 け るた め仲 間 た ち が手 を尽 くす が、 治 療 費 を捻 出 で き な い、 とい う上 海 の あ る一 日を描 く本 作 は、 脚 本 を夏 術 自 らが担 当、 テ ィモ シ ェ ン コに学 ん だ沈 西 苓 が本 作 の核 心 と な る並 行 ・対 比 モ ンタ ー ジ ュ演 出方 法 を実 践 した。 本 論 の 冒頭 に挙 げ た鄭 正 秋 の 「世 界 性 を秘 め た作 品 だ」 との評 語 は、 本 作 の試 写 が終 え た後 に発 せ られ た もの で あ る。 しか しこの 「長 足 の進 歩 」 を遂 げた 本 作 も惨 い運 命 を辿 る。審 査 当局 か らは 「階 級 闘争 を扇 動 」 「赤 化 宣 伝 」 との 理 由で 幾 度 に もわ た る カ ッ トを要 求 され 、1934年12月 下 旬 に 漸 く公 開 さ れ た本 作 は、 既 に リー ル の約 半 分 を喪 って お り、 物 語 も支 離 滅 裂 に な って い た。 沈 西 苓 は本 作 の上 映 を 不 本 意 と して 拒 む が 、 資 本 側 は僅 か で も元 本 を 回 収 す る た め、 上 映 を 断 行 した と い う37。 自ず と 興 業 成 績 は低 迷 し、 映 画 関 係 者 は 分 量 が 半 分 に な った 本 作 を 『上 海 十 二 小 時 』 と呼 ん で 椰 楡 し た38。. 3-3:出. 戻 りの"怪 物"沈 西 苓. 沈 西 苓 が こ こで 起 こ した の は、 明 星 影 片 公 司 を突 如 脱 退 す る、 とい うや や 飛 躍 した行 動 で あ る。 資 本 側 に二 度 に わ た る損 失 を負 わ せ た責 任 を感 じた の か、 そ れ と も左 翼 文 芸 の 「革 命 的尖 兵 」 と して の沽 券 が傷 つ い た所 為 な の か、 そ の理 由 は定 か で は な い。 因 み に、 蘇 鳳 が初 め て沈 西 苓 と出 会 った 時 の 印 象 を、 「青 ざ め た顔 と線 の 細 い身 体 、 訥 々 と して 多 くを語 らな い 彼 の 様 子 に、 本 当 に彼 が 沈 西 苓 な の か と疑 った 」 と記 して い る39。寡 黙 で ひ弱 に見 え る彼 が 「革 命」 の ア ジテ ー ター を買 って 出 て、 業 界 の情 勢 を顧 みず 自 らの主 張 を披iす. る、 そ うか と思 え ば 突如 活 動 拠 点 を飛 び. わり . 出 して しま う. こ れ ら の 言 行 か ら、 沈 西 苓 の"怪. 一167一. 物"振. り が 浮 か び 上 が っ て こ よ う。.
(8) 近畿大学語学教育部紀要9巻2号(2009・12) さて、 明星 公 司 を去 ろ う と した彼 は果 た して 同業 者 た ち に留 ま るよ う説 得 され、 鄭 正 秋 の下 で 助 監 督 と して再 び 映画 制 作 に携 わ る こ とに な る。 後 、 明星 公 司 に所 属 す る俳 優 、 女 優 を全 員 起 用 した オ ムニ バ ス映 画 「女 児 経 』(1934年)の1パ. ー ト監 督 や 、 「熱 血 忠 魂 』(1935年)で. は張 石 川. わ り . や程 歩 高 らベ テ ラ ン と共 に共 同監 督 を担 当 して い る こ とか ら、 この"怪 物"は. 明星 公 司 で厚 遇 さ. れ て い た こ とが 判 る。 と りわ け、 「上 海 二 十 四小 時』 を 絶 賛 して い た鄭 正 秋 は 、 沈 西 苓 に 目を掛 け て い た よ うで あ る。 た とえ ば 夏 術 は、 「沈 西 苓 は芸 術 面 で は勇 敢 な探 索 者 で あ った が 、 人 間 関 係 に お い て は"怪 物"と. か"弱 者"な. ど と思 わ れ て い た。 も し も正 秋 氏 の支 持 が な け れ ば、 天 一. 公 司 を追 い 出 され て しま った彼 が 明星 公 司 で監 督 と して独 り立 ち す る こ とは あ り得 な か った で あ ろ う。」 と述 懐 して い る40。天 一 公 司 を 「追 い 出 され た」 か 、 自 ら 「飛 び 出 した」 か は叙 述 の相 違 こそ あ れ、 沈 西 苓 は、 主 義 に熱 く傾 倒 す る面 を持 つ一 方 、 人 付 き合 い が苦 手 で、 何 某 か の 問題 に直 面 す る と不 意 に姿 を 消 す よ うな一 風 変 わ った人 物 の よ うで あ る。. 3-4:映. 画 評 や 散 文 に見 え る意 識 の 変 化. 夫 を肺 病 で喪 く し、 同 時 に愛 娘 を も行 方 不 明 に して しま う若 き妻 は、 哀 しみ の余 り精 神 異 常 を 来 たす. 沈 西 苓 が オ ム ニバ ス映 画 「女 児経 』 で撮 っ た この パ ー トは、 トー ンの 暗 い物 語 で あ る。. 彼 が過 去 に撮 っ た 自主 監 督 作 品 は、 『女 性 的 ロ 内城 』 に せ よ 『上 海 二 十 四小 時』 に せ よ、 プ ロ レタ リア ー トの苦 難 の生 活 を捉 え るた め、 物 語 は 暗 く沈 み込 み、 硬 質 な雰 囲気 が 漂 う。 これ は30年 代 の現 実 を描 写 しよ う とす る左 翼 映画 全 般 に共 通 す る傾 向 で は あ るが、 沈 西 苓 作 品 もそ の例 に漏 れ な い。 明星 影 片 公 司 の ライ バ ル 会 社 で あ る聯 華 影 片 公 司 に、 孫 喩41と い う監 督 が い た。 彼 は 、 後 年 「伝 説 の女 優 」 と語 り継 が れ る院玲 玉 を 自 らの作 品 に主 人 公 と して 起 用 、 彼 女 の 地 位 を確 固 た る もの にす る。 彼 の創 作 に、 沈 西 苓 自身 も関 心 を 向 け て い た よ うで あ る。1933年 、 沈 西 苓 自身 が 『女 性 的 口 内城 』 『上 海 二 十 四小 時』 の創 作 に入 って い た 頃、 孫 喩 は農 民 の生 活 を描 い た 映画 『小 玩 意 』 を 出 品 す る。 そ れ を観 た 沈 西 苓 は 「評 《小 玩 意 》」42と 題 す る短 評 を 記 して い る。. 芸術. 家 は各 々 の理 想 郷 を思 い描 き、 孫 喩 氏 も 自 らの ユ ー トピア に基 づ き登 場 人 物 を美 化 す るが、 そ の 美 化 され た人 物 と、 彼 らの住 む美 化 され た村 は半 植 民 地 状 態 の 中 国 で は見 い 出 せ な い空 想 だ。 し か し資 本 主 義 経 済 侵 略 と半 植 民 地 中 国、 国 内手 工 業 の没 落 を 明示 した の は 間違 い で は な い。 孫 喩 氏 に は、 過 剰 な 美 化 や演 出 をや め、 一 般 的思 考 を もって よ り切実 に半 植 民 地 民 衆 の 苦痛 を観 察 し、 我 々 に熱 い心 の糧 を与 え て ほ しい. この論 点 か らは、 左 翼 映画 運 動 の 中 で もが き な が ら も、 現. 一168一.
(9) "怪物"と 呼ばれた男. 映画作家 ・沈西苓 の足跡 を辿 る一一. 実 を直 視 し接 近 し、 よ り現 実 主 義 的 に 映画 に反 映 しよ う とす る沈 西 苓 の愚 直 な ま で の姿 勢 が読 み 取 れ よ う。 た だ、 この短 評 の 中 に、 そ れ ま で の沈 西 苓 に は無 か った意 識 が灰 見 え て く る。. 中 国 映 画 界 に与 え た教 訓. 『三 個 摩 登 女 性 』 『狂 流 』 『春 蚕 』、 そ れ ぞ れ 確 か に正 確 な イ. デ オ ロギ ー を有 す るが、 あ る共 通 した欠 点 が あ る。 そ れ は沈 畿 で、 明 るい基 本 線 を失 って い る こ とだ。 本 作 及 び以 前 の 『都 会 的早 農 』 を観 る と、 この よ うな 明 るい トー ンを有 して い る こ とに気 づ く。 これ は ま さに観 客 に歓 迎 され るポ イ ン トで あ り、 中 国 映画 界 が注 意 す べ き ポ イ ン トで もあ る。. この文 章 か らは、 自 らの イ デ オ ロギ ー の正 当性 に拘 泥 し、 作 品 の 中 に そ の イ デ オ ロギ ー を投 影 す る と い う 「創 作 す る」 側 の 一 方 的 思 考 か ら、 「観 衆 に 歓 迎 され る」 に は 映 画 に何 が 欠 乏 して い るの か、 とい う 「鑑 賞 す る」 側 の 目に意 識 を移 し始 め て い る様 子 が読 み取 られ よ う。 この後 、 彼 の この 傾 向 は よ り顕 著 に な る。1935年 の 散 文 「話 奮 」43に は 、 杭 州 に赴 い た 際、 暇 つ ぶ し に読 ん だ 「随 園詩 話 」44の 字 句 を 引 用 しなが ら、 目下 の 映 画 創 作 につ いて 発 想 した事 柄 を 記 して い る。. 「凡 作 侍 写 景 易,言 情 ヌ佳,景杁 外 来,目 之 所 触,留 心 便 得 情 杁 心 出,非 有 一・ 禾中券 芳 俳 側 之 杯,便 不 能 哀 感 頑 絶 。」(お よ そ 詩 を な す に お い て、 景 色 を 描 写 す るの は簡 単 で あ るが 、 心 情 を 語 るの は難 しい。 景 色 は外 界 か らや って きて 、 目に触 れ る もの で あ り、 それ を心 に留 め て お け ば よ い 。 心 情 は心 の 中 か ら 生 ま れ 出 る もの で あ る ので 、 美 しさ、 快 さや 哀 しさ に対 す る感 受 性 が な け れ ば 、 哀 感 や 艶 麗 を表 出す る こ とな どで き な い。) 「侍 有 秤 元 隼,是 枯 木 也,有 肉 元 骨 是 夏 虫 也;有 人 元 我,是 偏 也,有 声 元 龍 是 瓦 缶 也;有 宜 元 曲,是 漏 危 也,有 格 元 趣,是 土 牛 也 。」(詩 に幹 が あ り花 が な け れ ば そ れ は枯 木 の よ う に寒 々 しい。 肉が 有 っ て骨 が な け れ ば そ れ は世 事 に疎 い夏 虫 の よ うだ 。 人 が あ っ て我 が な け れ ば そ れ は 操 り人 形 で あ る。 声 が あ って韻 が な けれ ば そ れ は素 焼 壷 の よ うに 味 気 な い。 直 線 が あ っ て 曲線 が な けれ ば 、 そ れ は割 れ 盃 の よ うな欠 陥 品 で あ る。 格 式 が あ って も趣 き が な け れ ば そ れ は 張 り子 の牛 で あ る。) 詩 と 映 画 は 元 々 全 く異 な る芸 術 分 野 で あ る が 、 古 人 の 詩 論 は 現 代 の 映 画 論 者 の 鑑 と な る。 以 上 の 二 段 落 の 話 は 今 日 の 映 画 の 欠 点 を 確 実 に 言 い 当 て て い よ う。 我 々 の 目下 の 映 画 は 、 人 々 に 金 銭 出 納 簿 だ と言 わ れ て い な い か?感. 一169一. 情 が 揺 り動 か さ れ な.
(10) 近 畿 大 学 語 学 教 育 部 紀 要9巻2号(2009・12) い と言 わ れ て い な い か?ま. さ に 、 我 々 が も う一 歩 踏 み 込 ん だ 努 力 を し て お らず 、 感 情 が 心. か ら溢 れ る と い う境 地 に 達 し て い な い こ と を 指 摘 し て い る。 姜 百 石 云:「 人 所 易 言,我 寡 言 之,人 所 碓 言,我 易 言 之:侍 便 不 俗!」(姜. 白 石 は言 う、 人 が 言 葉 に. しや す い 事 を 、 私 は 口 に 出 さず に い よ う、 人 が 言 葉 にで き な い事 を、 私 が た や す く 口 に しよ う。 な らば 詩 は庸 俗 に な らな い、 と。) こ れ は 映 画 芸 術 の 真 理 を 更 に 突 い て い る。 我 々 が 如 何 に 抽 象 的 な 情 緒 を 具 体 化 し、 平 易 に 、 面 白 く観 客 に 伝 え る か 。 こ れ を な し得 て こ そ 、 映 画 も庸 俗 で は な く な る の だ 。. 映画 の創 作 者 側 は、 自 らの感 情 を豊 か に し、 そ の抽 象 的 な感 情 の動 き を活 き活 き と捉 え て具 体 的 に 映像 化 す る、 しか もそ の 際 に観 客 側 の立 場 に合 わ せ簡 潔 に、 か つ観 客 側 の興 味 が 涌 くよ う表 現 、 演 出 を行 う。 そ う して こそ、 単 な る利 益 追 求 の た め の創 作 活 動 や、 無 柳 で庸 俗 な 映画 作 りか ら脱 却 で き る、 と沈 西 苓 は感 得 す るに至 った の で あ る。 鑑 賞 者 側 へ と向 け られ た この 眼差 しが、 わ り . イ デ オ ロ ギ ー 一 辺 倒 で 融 通 の 利 か な か っ た"怪. 4.映. 物"に. 画 創作 最盛 期. 変 化 を もた らす。. 『十 字 街 頭 』 へ. 沈 西 苓 が杭 州 に 出掛 け て い た の は、 そ の 時期 か らみ て新 作 の撮 影 が 目的 で あ った よ うで あ る。 天 候 や俳 優 の ス ケ ジ ュー ル調 整 の た め、 ク ラ ン クア ップ に一 年 以 上 の 時 間 が掛 か った彼 の新 作 、 「船 家 女 』 は 、 杭 州 西 湖 で渡 し船 を 漕 ぐ船 頭 の娘 、 阿 玲 と、 近 所 の青 年 、 鉄 児 との 恋 物 語 を 中心 と し、 阿玲 の父 親 の借 金 に 阿玲 が ゴ ロツ キ共 に抵 当 に取 られ、 上 海 の妓 楼 へ売 られ て ゆ く とい う 悲 惨 な物 語 を描 く。 老 父 は乞 食 の生 活 へ、 鉄 児 は漸 く見 つ け た 阿玲 の妓 楼 で、 彼 女 を解 放 す るた め に興 行 主 と闘 い、 逮 捕 され る。 だ が上 海 の歓 楽 街 は な に も変 わ らな い. 。 対 比 モ ンタ ー ジ ュ. 形 式 こそ 採 らな い もの の、 欲 圧 され る無 産 階級 人 民 の 生 活 の歎 難 と苦 痛 と い う、 『上 海 二 十 四小 時』 に似 た主 題 を持 つ。 だ が本 作 は、 場 面 の大 幅 削 除 の よ うな損 害 を蒙 って い な い。. 4-1:日. 常 生 活 の 積 み 重 ね に よ る現 実 描 写. 『船 家 女 』 が 検 閲 当局 に よ る妨 害 や 干 渉 を最 小 限 に食 い止 め た の は、 全 編101分 の約 半 分 を、 ヒ ロイ ンで あ る漁 師 の娘 阿玲 と、 近 所 に住 む村 の青 年 鉄 児 との 恋物 語 に費 や す と い う手法 で あ ろ う。 二 人 の灰 か な 恋 心 の 接近 プ ロ セ ス を、 西 湖 の 畔 で の一 般 生 活 と して坦 々 と積 み 上 げ て描 く こ とで、 農 村 の若 者 た ち の幸 福 感 が色 濃 く投 影 され る。 そ れ だ け に、 老 父 の治 療 代 金 を貸 した悪 党 一 味 が. 一170一.
(11) "怪物"と 呼ばれた男. 映画作家 ・沈西苓 の足跡 を辿 る一一. 村 に や って き て か らの、 彼 らの不 幸 へ の転 落 が よ り一 層 際立 つ。 沈 西 苓 は無 論 、 漁 村 の民 を苦 し め る罪 悪 の 暴 露 、 そ の勢 力 へ の 抵 抗 とい う主 題 を 本 作 に描 こ う と して い る。 だ が、 「上 海 二 十 四 小 時』 と同 じ轍 は踏 め な い。 そ こで、 貧 しき民 の一 般 生 活 に密 着 す る手 法 を採 り、 主 題 を 内面 に 秘 め る方 式 を採 った。 そ れ は 同 時 に、 人 民 の生 活 に寄 り添 う物 語 とな り、 観 客 の興 味 関心 を惹 き つ け る効 果 を も もた ら した の で あ る。 1936年 、 「中 宣 部 」 の 国 産 映 画 評 選 で 選 ば れ た 七 篇 の 入 選 映 画 の 中 、 本 作 は 第 一 位 を 獲 得 す る45。この 情 報 を報 道 す る雑 誌 記 事 に は 、 監 督 の風 格 を表 し始 め た 沈 西 苓 につ いて 老 映 画 人 達 が 「一一 年 も撮 影 に 時 間 を 掛 けれ ば誰 で も良 い映 画 が撮 れ る」 と皮 肉 を言 うさ ま や 、 彼 が 上 海 を離 れ 広 西 省 へ 赴 い た の を知 り、 「沈 西 苓 は 立 つ 瀬 が 無 くな った 」 と嘲 る様 子 が記 され て い る。 沈 西 苓 は ま た も、 明星 公 司 か ら忽 然 と姿 を 消 す"怪 物"と. な る。 しか し、 前 世 代 の 映画 人 た ち か ら諺 ら. れ た こ との み を理 由 に、 沈 西 苓 は上 海 を離 れ た訳 で は な い よ うで あ る。 「船 家 女 』 の 制 作 初 期 段 階 で あ る1934年 末 頃 よ り、 彼 が 所 属 す る明 星 影 片 公 司 で は、 国民 党 に よ る映画 検 閲 と、 映画 会 社 に対 す る取 締 が強 化 され る中、 左 翼 作 家 で構 成 す る脚 本 委 員 会 を解 消 せ ざ るを得 な くな って い た。 暫 くは社 内主 任 と監 督 らに よ って 臨 時脚 本 委 員 会 が組 織 され る もの の、1935年7月. 以 降 は御 用 作 家 達 が大 勢 を 占め る状 況 に陥 る46。明星 公 司 内 の 左 翼 映 画 創 作 陣地. の解 体 は、 社 内 で"弱 者"扱. い され る沈 西 苓 に と り創 作 基 盤 を失 う こ とを意 味 す る。 ま た、 彼 を. 擁 護 して い た 明星 公 司 の三 巨頭 の一 人 、 鄭 正 秋 も同年7月. に急 逝 して い る。 彼 の 出奔 の要 因 は こ. こに あ った と考 え るべ き で あ ろ う。1936年 春 、 彼 は南 寧 に あ る広 西 専 科 師範 学 校 に職 を得 、 演 劇 課 程 の教 員 とな る47。 と ころ が、 同 年 夏 に明 星 公 司 内 に左 翼 陣 営用 創 作 ス タ ジオ"第 二 廠"創 設 の報 せ を訊 くや、 沈 西 苓 は直 ち に 明星 公 司 に戻 り、 再 度 メ ガ ホ ンを執 る こ と とな る。 実 質 半 年 も な い 間 だ け教 鞭 と執 った"怪 物"は 、 再 び上 海 に舞 い戻 った。 実 に 明星 公 司二 度 目の 「出戻 り」 で あ る。. 4-2:『 十 字 街 頭 』 制 作 の契 機 と現 場 広 西 か ら戻 った 沈 西苓 は、 夜 にな る と知人 の部 屋 に集 ま って は長 話 に耽 った。 そ の雑 談 の 中 で、 彼 は新 作 『十 字 街 頭 』 の構 想 契 機 を得 る。. 我 々 は ま た悼 座 に な って い た。 東 北 か ら戻 って き た者 、 学 校 か ら出 て き た者 な どが居 り、 彼 らの懐 に は一 元 の金 銭 さえ無 か った。 彼 らは皆 失 業 の辛 酸 を嘗 め て い た。 彼 らは 国事 を、. 一171一.
(12) 近 畿 大 学 語 学 教 育 部 紀 要9巻2号(2009・12) 故 郷 を、 ま た女 性 の事 や職 業 の事 を語 った。 私 は黙 々 と聞 い て い た。 彼 らの笑 い声 に 隠 され た 苦 悶 を 感 じ た 。(略)ど. この若 者 に も こ の よ うな現 象 が 起 きて い る だ ろ う、 と考 え 、 も し. も この三 人 の若 者 が突 き 当 た った 問題 を繋 ぎ合 せ、 一 つ の社 会 的 問題 に帰 納 で き れ ば、 とて も興 味 深 い も の に な る の で は な い か 、 と思 っ た 。 同 時 に 、 も し彼 ら の 日常 生 活 に 寄 り添 っ て 表 現 で き た な らば、 観 客 に親 しみ深 い感 情 を与 え られ、 あ るい は僅 か で もメ ッセ ー ジに な る の で は な い か 、 と考 え た 。 ち ょ っ と試 し て み る か … … こ れ が こ の 脚 本 を 構 成 す る最 初 の 意 図 だ っ た48。. 沈 西 苓 は、 「三 人 の 若 者 」 の一 人 に、 明 星 公 司所 属 の 若 手 俳 優 、 趙 丹 を選 ぶ 。 映 画 俳 優 三 組 の 合 同結 婚 式 を済 ま せ、 上 海 の キ リス ト教 青 年 会 館 で披 露 宴 を挙 行 して い る最 中、 沈 西 苓 が 突如 現 れ、 趙 丹 に 出演 の依 頼 を 申 し込 む。 体 制 的 に は逆 方 向 の芸 華 影 片 公 司 よ り 『永 遠 的微 笑 』 とい う ロマ ンス もの の 出演 依 頼 を受 け て い た 趙 丹 は そ れ を 断 り、 沈 西 苓 の脚 本 を 手 にす る49。一 方 沈 西 苓 は、 懸 命 に新 人 俳 優 を捜 し始 め る。 ヒ ロイ ンは話 劇 か ら映画 へ転 向 し、 明星 公 司 に入 社 した ば か りの新 人 で あ る白楊 を起 用 、 ま た、 以 前 か ら出入 り して い た 「新 地 劇 団」 を訪 れ、 趙 丹 演 じ る 主 人 公 の相 棒 に新 人 の 呂班 、 他 の登 場 人 物 に は、 沙 蒙 、 伊 明 な ど演 技 経 歴 の浅 い俳 優 を大 胆 に起 用 した50。 『十 字 街 頭 』 と い う題 名 は、 当 時 の 青 年 た ち の普 遍 的 な 思 想 や 感 情. 愛 国 救 亡 の 情 熱 を溢 ら. せ な が ら、 そ の一 方 で失 業 や退 学 な どの苦 痛 に 晒 され、 脱 出 口が判 らず 戸 惑 う さま を象 徴 した と い う51。 しか しメ ガ ホ ンを握 った 沈 西 苓 当 人 は、 本 テ ー マ に取 り組 む に は お よそ 相 応 し くな い有 様 を み せ る。 主 人 公 を演 じた趙 丹 が1979年 に記 した 回想 録 か ら、 そ の さま を見 て み よ う。. 監 督 沈 西 苓 とい う人 は非 常 に可 笑 しな人 で、 天 真 燗 漫 で無 邪 気 だ が、 社 交 辞 令 が苦 手 で、 見 知 らぬ 人 を見 る と顔 を赤 らめ る よ うな、 詩 人 の よ う な雰 囲気 を 持 った 人 で あ った。(略) 彼 の仕 事 の方 法 は監 督 を担 当す る とい うよ り も、 詩 を書 い た り絵 画 を した りす る とい った方 が妥 当 で あ ろ う。 場 面 毎 の処 理 は皆 、 現 場 で の イ ンス ピ レー シ ョ ンで決 定 して い た。 時 に は カ メ ラの横 に立 って私 達 の演 技 を見 て い る うち、 彼 自身 の職 責=監 督 を しば しば忘 れ て しま い、 ま るで初 め て ス タ ジオ に 自由参 観 に来 た客 の よ うに、 或 い は小 さな子 供 が俳 優 達 の お遊 戯 を 見 て い るか の よ うに、 面 白そ うに、 夢 中 に見 る の で あ る。(略)友 名 を付 け た一"怪 物 監 督"と 。 そ の"怪"の. 一172一. 人 達 は沈 西 苓 に あ だ. 一 つ は、 俳 優 の演 技 を鑑 賞 す るの が非 常 に好 き.
(13) "怪物"と. 呼 ば れ た男. で 、 俳 優 の 演 技 に カ ッ トを 掛 け る こ と が な い 。(略)何 か っ た か と い う と、 彼 は い わ ゆ る"即. 興 的 火 花"を. 映画 作 家 ・沈 西 苓 の足 跡 を辿 る一 一 故 当時 の監 督 が 我 々の 演 技 を停 め な. 好 ん で い た か ら で あ る。 実 際 に 、 彼 は 作. 品 の 演 技 風 景 を 鑑 賞 し、 ス タ ジ オ 内 の 混 乱 し つ つ 熱 気 に 溢 れ た 創 作 の 空 気 を 鑑 賞 し て い た 、 否 、 映 画 と い う魅 力 的 な 芸 術 が 彼 を 虜 に し た と い う よ り も、 詩 人 が 大 海 原 に や っ て き た か の よ う に 、 画 家 が 朝 焼 け 眩 い 渓 谷 に 入 っ た か の よ う に 、 自 ら に 湧 き 上 が る感 情 と送 る イ ン ス ピ レ ー シ ョ ン が 抑 え 切 れ な い の で あ る52。. 沈 西 苓 を感 受 性 に満 ち た 「詩 人 」 や 「画 家 」 と喩 え た の は趙 丹 の筆 の走 りす ぎ か も しれ な い。 だ が、 この文 章 か ら見 え て く るの は、 俳 優 各 々 が登 場 人 物 の性 格 を 「即 興 」 で膨 らま せ て ゆ くの を期 待 し、 カ ッ トの声 も掛 けず に演 じ続 け させ る とい う一 風 変 わ った撮 影 法 を採 り、 監 督 自 らを 「鑑 賞 」 す る側 へ と移 動 させ た沈 西 苓 の立 ち位 置 で あ る。 それ は、 彼 自身 の言 葉 を借 りれ ば、 「観 客 に親 しみ深 い感 情 」 を与 え られ るよ う、 俳 優 が演 じ る登 場 人 物 の 「日常 生 活 に寄 り添 って」 み る、 とい うス タ ンス で あ ろ う。. ノ ッポ の . 4-3:立. た な いキ ャ ラ"劉 大 ノ ド. 上 海 の裏 町 。 ポ ロ屋 に住 む老 趙(趙 丹)は 、 大 学 を 出 た が仕 事 が見 つ か らず 困窮 して い る。 あ る 日、 隣 部 屋 に う ら若 き女 性 、 小 楊(白 楊)が. 引 っ越 して きた。 漸 く新 聞 社 の 職 を得 た老 趙 と、. 紡 績 工 場 の指 導 員 で あ る小 楊 は、 隣 同士 で あ りな が ら勤 務 時 間 が昼 夜 逆 の た め に 出会 え な い。 あ る誤 解 を機 に、 二 人 は壁 を 隔 て て嫌 が らせ合 戦 を始 め る。 老 趙 の相 棒 、 阿唐(呂 班)の 悪 戯 で、 隣 の住 人 が老 趙 で あ る こ とが小 楊 に知 れ る。 あ る 日、 女 工 労 働 現 場 取 材 を き っか け に老 趙 と小 楊 は惹 か れ合 うが、 突 然 紡 績 工 場 が 閉鎖 、 小 楊 は、 隣部 屋 の老 趙 を訪 ね、 別 れ を告 げ る。 二 人 は互 い の愛 情 を確 か め るが、 男 性 に頼 る生 活 を快 し と しな い小 楊 は姿 を 消 す。 彼 女 に去 られ る と同 時 に新 聞社 を解 雇 され た老 趙 を、 仲 間達 は小 楊 と再 会 させ る。 偶 然 手 に した新 聞 で、 仲 間 の一 人 が 東 北 に赴 き義 勇 軍 に参 加 して い る こ とを知 る。 老 趙 た ち は彼 の よ うに強 く生 き よ う と誓 い、 上 海 の街 に踏 み 出 して ゆ く。 主 人 公 と ヒ ロ イ ン、 お よ び 主 人 公 の相 棒 を 中心 に簡 潔 に ま とめ れ ば 、 『十 字 街 頭 』 は以 上 の ス トー リー ラ イ ンを持 つ。 沈 西 苓 が本 作 の着 想 を得 た 「三 人 の若 者 」 は老 趙 、 小 楊 、 阿唐 に結 実 し た こ とに な る。 高 学歴 の青 年 に と って の恒 常 的就 職 難 、 海 外 資本 の圧 力 に よ る国 内 手工 業 の不 況 、 日本 軍 に よ る華 北 地 方 侵 略 の暴 露 、 左 翼 文 芸 の指 導 的立 場 に あ った作 家 魯 迅 の死 、 等 々、 本 作 に. 一173一.
(14) 近畿大学語学教育部紀要9巻2号(2009・12) は救 国意 識 が反 映 され た場 面 が散 りば め られ て い るが、 そ れ ら社 会 状 況 の描 写 は 隠 喩 の形 を と っ て大 き く 「背 景 」 に後 退 し、 物 語 は そ の社 会 の 中 で挫 け ず生 き る若 者 た ち を恋 愛 謂 と絡 め描 い て い る。 そ れ ゆ え に70年 以 上 前 に作 られ た作 品 で あ りな が ら、 今 な お充 分 に鑑 賞 に耐 え る普 遍 性 を 湛 え て い る とい え よ う。 そ れ だ け に、 余 計 に唐 突 に見 え るの が ラス トシー ンで あ る。 老 趙 の失 業 仲 間 に は 阿唐 の他 に、 ホ ー ム シ ック に罹 り田舎 に 戻 って しま う小 徐(伊 介(沙 蒙)が. 明)、 そ して 老 趙 に手 紙 を 残 して 姿 を消 す 劉 大. い た。 小 徐 は皆 の壮 行 会 を受 け て 田舎 の東 北 に戻 るが、 東 北 地 方 は既 に 日本 の 中 国. 侵 略拠 点 に変 質 、 失 望 した彼 は 自殺 す る。 彼 の 自殺 を伝 え る小 さな記 事 の横 に、 大 き な見 出 しで 掲 載 され て い る の が、 義 勇 軍 で 闘 う劉 大 介 の記 事 で あ る。 老 趙 と阿 唐 は そ れ を読 み、 「我 々 は劉 大 ノトの よ うに な らね ば な らな い!小. 徐 は軟 弱 す ぎ る。 今 の世 の 中 を生 き て ゆ くに は劉 大 ノトに な. らね ば」 と語 り、 互 い に勇 気 付 け る。 何 故 この場 面 が唐 突 な の か、 そ れ は本 作 冒頭 に の み登 場 す る 「軟 弱 」 な小 徐 よ り もま して、 勇 敢 な る劉 大 ノトの、 劇 中 に お け る存 在 感 の希 薄 さに起 因 して い る。 あ りき た りに言 え ば、 劉 大 ノトは 本 作 の 中 で全 く 「キ ャ ラが立 って い な い」 の だ。. 4-4:革. 命 英 雄 か ら遠 く離 れ て. これ は、 当 時 の 映画 関係 者 に も論 難 され た点 で あ った。 上 海 『大 晩報 』 文 芸 部 が 開催 した 『十 字 街 頭 』 座 談 会53に は文 芸 評 論 家11名 が集 い 、 本 作 の得 失 につ い て論 評 が 行 な わ れ て い る。 登 場 人 物 と同様 の生 活 を沈 西 苓 が経 験 して お り、 生 活 環 境 に深 い認 識 を得 て い るた め、 登 場 人 物 が 活 き 活 き と して親 しみ が 沸 く(章 或)、 説 教 じみ た もの が な く映 画 の通 俗 化 の 面 で 成 功 して い る (鄭 伯 奇)、 新 興 産 業 の 映画 は広 汎 な観 客 を勝 ち取 るた め に各 階層 の群 衆 に理 解 を示 す 必 要 が あ る が、 沈 西 苓 は そ の点 に心 血 を 注 いで い る(陳 小 展)、 現 代 青 年 の実 生 活 を材 に 取 る と い う試 み を 行 い、 新 人 を大 胆 に起 用 す る冒 険心 や気 迫 に満 ち た監 督 は 昨今 少 な い、 怪 物 は流 石 に怪 物 と称 さ れ るに相 応 しい(眺 辛 農)な. ど、 か な りの好 評 価 を得 て い る。 沈 西 苓 の あ だ名 が 「大 物 」 の意 味. に シ フ トした 瞬 間 で もあ ろ う。 そ の 一 方 、 評 論 家 の 唐 納54か ら は、 劉 大 ノ トが 前 線 に赴 くと言 って も観 客 に は 印 象 深 く残 らな い、 劉 大 介 の性 格 が 明確 で な い た め具 体 性 に欠 け る、 この よ うな結 末 で観 客 は 「こん な こ とで生 き て い け るか?」. と疑 問 を抱 くだ ろ う と鋭 い批 判 が挙 げ られ て い る。 この意 見 に対 し、 章 或(一. 夏 街 の筆 名:著 者 注)が 創 作 環 境 の制 限 に起 因 す る もの、 と沈 西 苓 を弁 護 しつ つ、 劉 大 介 に つ い. 一174一.
(15) "怪物"と 呼ばれた男. 映画作家 ・沈西苓 の足跡 を辿 る一一. て は観 客 に と り親 しみ の湧 く人 物 性 格 が設 定 で き て い な い、 目下 の彼 の性 格 描 写 で は進 歩 的 で な い観 客 に敬 遠 され る、 と指 摘 して い る。 劉 大 介 が 台 詞 を 口 にす る場 面 は、 現 存 す る 「十 字 街 頭 』55の な か で は 僅 か に一 箇 所 で あ る。 老 趙 の新 聞社 入 社 が決 ま り阿唐 の下 宿 に報 せ に来 た 時、 隣部 屋 の劉 大 介 は厳 格 な面 持 ち で言 う 新 聞記 者 に な る以 上 、 群 衆 を騙 さず、 官 吏 の代 弁 者 とな らず、 常 に大 衆 の側 に立 て、 と。 沙 蒙 が 扮 す る劉 大 介 は紋 切 り型 の正 義 漢 に しか見 え な い上 、 これ以 降 出番 が な い た め、 躍 動 す る他 の登 場 人 物 に 印象 が か き 消 され て い る。 新 聞記 者 た る もの の大 義 を語 り、 亡 国 の危 機 に あ って義 勇 軍 に参 加 す る、 そ の よ うな英 雄 然 と した劉 大 介 を、 沈 西 苓 は形 象 化 した か った の か も しれ な い。 だ が そ の作 業 を完 遂 し、 本 作 の物 語 に違 和 感 な く融 和 させ る こ とは、 沈 西 苓 に は 出来 な か った。 何 故 な ら、 そ れ は座 談 会 上 で夏 街 に 指 摘 され た とお り、 観 客 に と り親 和 性 の あ る人 物 設 定 が 出来 な い、 言 い換 え れ ば、 観 客 の側 に寄 り添 お う とす る沈 西 苓 自身 に、義 勇 軍 の 隊伍 に加 わ る人 物 と接触 す る と い う経 験 の 裏打 ちが な か っ た か らで あ る。 こ こで、 本 作 が検 閲 に よ って 削 除 され た場 面 を例 示 して み よ う。 老 趙 が 自分 の就 職 を 阿唐 に報 せ に来 た 時、 元 々 は も う一 場 面 の芝 居 が用 意 され て い た。 阿唐 の 向 か い の部 屋 で物 書 き に耽 る劉 大 介 が ふ と頭 を上 げ る と、 壁 に貼 って あ る中 国地 図 が視 界 に入 る。 彼 は感 慨 深 く窓 の外 を 眺 め、 「思 故 郷 」 とい う歌 を 口ず さ む. 「愛 す べ き故 郷 を 忘 れ な い、 故 郷 に残 され た 三 千 万 の奴 隷 を. 忘 れ な い、 僕 は 勇壮 な る歌 を歌 お う、 悲憤 の字 句 を書 き連 ね よ う一 強 権 を怖 れ ず 、暴 力 を怖 れず 、 武 器 を手 に執 り仇 敵 を倒 そ う、 そ して帰 るん だ、 あ の愛 す べ き故 郷 へ … …」 この歌 に は万 里 の長 城 や広 大 な 東 北 地 方 の風 景 が オ ー バ ー ラ ップす る56。こ れ が 日本 に 割 譲 され た 東 北 三 省 の奪 回 の 意 思 を 示 唆す る場 面 と審 査 当 局 に み な され 削 除 を余 儀 な くさ れ た57の だ が 、 劉 大 介 の 演 技 面 か らす れ ば、 窓 に 目を や る彼 の感 情 の基 調 とな るの は郷 愁 の想 い で あ る。 この他 、 艶 歌 を歌 う商 売 女 性 に 対 し 「全 く"商 女 不 知 亡 国恨"だ. な 」 と劉 大 ノ トが 憂 う とい う別 の場 面58も 、 「亡 国」 が直. 接 表 明 され て い る た め に削 除 され た 模 様 だ が 、 この 句 は 杜牧 の詩 「泊秦 匪」59か らの 引用 で あ り、 彼 の メ ラ ン コ リ ッ クな文 人 気 質 を よ り強 め る もの で あ る。 と こ ろで 、 上 述 の 「座 談 会 」 席 上 に は、 沈 西 苓 も主 催 者 に 呼 ば れ 、 「列 席 者 」 と して 参 加 して い た。 劉 大 介 の形 象 問題 を指 摘 した夏 術 に対 し、 彼 は処 理 が不 適 切 だ った と認 め つ つ、 劉 大 介 が 自分 の服 を質 屋 に流 して生 活 費 の足 しに す る場 面 を元 々 は用 意 して い た こ とを 明 か して い る。 彼 が意 識 的、 或 い は無 意 識 的 に描 き込 も う と した劉 大 介 は、 日々 の暮 ら しが立 ち行 か ず 困窮 す る青. 一175一.
(16) 近畿大学語学教育部紀要9巻2号(2009・12) 年 の姿 で あ り、 お よ そ英 雄 像 に は程 遠 い。 総 じて言 え ば、 劉 大 介 を老 趙 や 阿唐 が見 習 うべ き強 固 な意 志 を 持 つ 英 雄 と描 こ う と して も、 「十 字 街 頭 』 創 作 期 に お け る沈 西 苓 の 感 性 の 中 に適 合 す る チ ャ ンネ ル が無 い、 或 い は、 抗 戦 に身 を 晒す 人 物 の感 情 に寄 り添 え な い た め深 い理 解 を得 られ な か った、 と結 論 して も、 あ な が ち見 当違 い で は な か ろ う。 おお もの. 余 談 なが ら、 本 作 の 「座 談 会 」 上 で"怪 物"の 栄 誉 を受 けた 沈 西苓 は、 確 か に この 会 に 「列 席 」 して い た。 が、 初 め の三 項 の質 問 に 回答 した あ と、 彼 の発 言 記 録 は一 切 無 くな る。 そ して座 談 終 了 間 際、 唐 納 に よ る 「最 後 に沈 監 督 に お答 え頂 き た か った」 とい う発 言 か ら、 沈 西 苓 は この 「座 わり . 談 会 」 が 終 わ ら ぬ う ち に 退 席 し て い た こ と が 判 る。 相 変 わ ら ず の"怪. 物"振. りを、 彼 は この場 に. あ っ て も発 揮 し て い た 。. 5.お. わ りに か え て. 「十 字 街 頭 』 の 撮 影 中 に俳 優 達 の 演 技 を心 ゆ くま で楽 ん だ り、 ク ラ ン クア ップ した 時 に子 供 の よ うに飛 び跳 ね て喜 ぶ姿 とは対 照 的 に、 沈 西 苓 は創 作 後 記 に 自 らの沈 む心 情 を 吐露 す る。. 中 国 映画 界 に は完 全 な設 備 が無 い だ け で な く、 充 分 な 資本 もな い。 映画 制 作 に お け る物 的 条 件 全 体 を 見 れ ば、 貧 弱 極 ま りな い状 態 で あ る。(略)こ. れ ほ ど 困難 な 状 況 の 中で 制 作 す る. の で あ るか ら、 我 々 は も う充 分 苦 痛 を 味 わ った と言 わ ざ るを得 な い。 しか しそ れ よ り も更 に 苦 痛 に感 じ るの は、 我 々 自身 が創 作 自由 の権 利 を握 れ な い こ とだ。 租 界 で は、 失 った土 地 を 取 り戻 せ、 とい う一 言 を 口に す る こ と もで き な い。 東 北 地 方 の地 図 を壁 に掛 け る こ とす らで き な い … …。 も う これ以 上 言 うま い、 泪 は肚 の 中 で しか流 せ な い60。. 叫 び声 を あ げ よ う と して もあ げ られ な い、 そ れ を比 喩 で表 現 しよ う と して も検 閲 で 削 除 され る とい う現 状 に対 し、彼 が 出来 るの は、 涙 を腹 の底 に隠 して 流 す こ との み で あ る。 そ こに 漂 うの は、 環 境 や状 況 に圧 し潰 され、 吐露 す る こ との で き な い哀 感 で あ る。 だ が、 『十 字 街 頭 』 公 開直 後 に、 彼 らを取 り巻 く状 況 が 急 変 す る。 第 二 次 上 海 事 変 の 勃 発 と共 に、 日中戦 争 の全 面 展 開 が始 ま った の で あ る。 彼 は ニ ュー ス 映画 の撮 影 の た め前 線 に赴 き、 抗 戦 劇 の創 作 に励 む。 そ の活 躍 振 りは、 上 海 文 芸 人 が集 体 創 作 した著 名 な抗 戦 話 劇 『保 衛 盧 溝 橋 』 の 総 合 演 出 と して力 量 を揮 った こ とか ら も推 し量 れ よ う。 ま た、 共 産 党 と国民 党 左 派 に よ り結 成 さ れ た 「中華 全 国電 影 界 抗 敵 協 会 」 の理 事 に選 出 され、 重 慶 に創 設 され た 中央 電 影 撮 影 場 に所 属 、. 一176一.
(17) "怪物"と 呼ばれた男. 映画作家 ・沈西苓 の足跡 を辿 る一一. 実 際 に抗 日戦 争 映画 の制 作 に携 わ る こ とに な る。 沈 西 苓 は 中央 電 影 撮 影 場 撮 影 の 記 録 映 画 「活 躍 的 西 線 』(1938年)の. 印 象 記 を 次 の よ うに ま と. め て い るQ. 私 は西 部 戦 線 を駆 け巡 る兵 士 た ち の気 概 を感 じ取 った。 私 に は西 北 青 年 遊 撃 隊 の息 遣 い が 聞 き取 れ た。 私 の胸 は興 奮 しな い で は い られ な い、 私 は … …私 は は っき り と確 信 した の だ、 我 々民 族 に は救 い が あ る、 我 々一 人 ひ と りが此 度 の抗 戦 に お い て力 を発 揮 す る構 成 員 とな り さえす れ ば61。. 沈 西 苓 は この 記 録 映画 の裡 に、 自 らが 描 け な か った劉 大 ノ トの 息遣 い を感 じ取 った か も しれ な い。 そ して彼 は 、 抗 戦 劇 映 画 『中華 児 女 』62の メ ガ ホ ンを執 る。 四 つ の 戦 場 で 繰 り広 げ られ る物 語 を 描 い た この作 品 は、 抗 戦 映画 に は珍 しい物 語 構 成 を持 ち、1939年9月. に公 開 が 開始 され るや忽 ち. 観 客 の心 を捉 え た とい う63。 だ が沈 西 苓 に は、 抗 戦 勝 利 を 目に す る こ とが で き な か った。1940年12月16日. 、 彼 は重 慶 の前 線. で、 腸 チ フス の悪 化 に よ り死 去 す る。 ニ ュー ス 映画 に 映 し出 され た の は、 全 精 力 が 消耗 した よ う に痩 せ こけ た、 彼 の亡 骸 で あ った64。 沈 西 苓 と悼 座 に な りな が ら、 「壁 を 隔 て た 男 女 が紛 糾 を 起 こす 」 と い う 『十 字 街 頭 』 の重 要 な 設 定 を沈 西 苓 に示 唆 した人 物 で あ る評 論 家 の 凌 鶴65は 、 「十 字 街 頭 』 完 成 間近 の 頃 に 「沈 西 苓 論 」 とい う一 文 を記 して い る。. プ チ ブ ル知 識 分 子 達 の思 惟 範 囲 は極 め て広 く、 見 識 もま た甚 だ広 範 囲 に及 ぶ。 彼 らの感 覚 は ま た セ ン シテ ィ ヴで あ り、 そ の上 彼 らは、 新 しい世 界 観 の洗 礼 を受 け る こ とで、 自 らが豊 か に な って ゆ くの を実 感 した で あ ろ う。 しか し、 彼 らは先 天 的 に脆 弱 な性 質 を持 ち、 感 情 も 繊 細 で あ る。 も し、 彼 らの行 動 が勤 労 大 衆 の運 動 と合 流 で き な くな る、 も し くは そ れ が許 さ れ な くな った、 或 い は不 幸 に も外 的 阻害 力 に よ る打 撃 や屈 辱 を受 け た な らば、 彼 らは孤 独 や 軟 弱 さ を感 じ、意 識 的、 或 い は無 意 識 的 に彼 らの天 性 … …臆 病 な感 傷 を惹 き起 こす の で あ る。 … … これ らに 関 して は私 自身 が そ うで あ る と 自省 す る と同 時 に、 我 が友 人 、 沈 西 苓 に も同 じ こ とが言 え る66。. 一177一.
(18) 近 畿 大 学 語 学 教 育 部 紀 要9巻2号(2009・12). 凌 鶴 は 「プ チ ブ ル知 識 分 子 」 に共 通 す る 「脆 弱 」 性 を よ く心 得 て お り、 そ れ を 「我 が友 人 」 沈 西 苓 と共 有 しよ う と して い た か に見 え る。 だ が、 沈 西 苓 は気 づ き つ つ も、 時 に左 翼 文 芸 の尖 兵 と して筆 鋒 を揮 い、 時 に理 想 に副 わ な い と して組 織 を飛 び 出 し、 撮 影 現 場 で風 体 に似 合 わ ぬ無 邪 気 さを発 揮 し、 そ して虚 弱 な身 体 を顧 みず 前 線 に赴 い た。 そ れ は 自 らの 「脆 弱 」 や 「臆 病 な感 傷 」 との妥 協 を拒 み、 凌 駕 しよ う とす る抗 い の表 現 で は な か った か。 「沈 西 苓 論 」 に前 後 し、 凌 鶴 は沈 西 苓 と共 に 「電 影 浅 説 』67と い う冊 子 を共 著 で 出版 して い る。 14歳 の少 年 が、 映画 撮 影 技 術 を学 ん だ り製 作 会 社 の見 学 に行 った り、 映画 好 き な叔 父 た ち の議 論 を 聞 い て 映 画 鑑 賞 法 を学 ぶ 、 と い う 内容 を六 節 で 語 る、 「初 中学 生 文 庫 」 と副 題 した 少 年 向 け の 参 考 書 で あ る。 沈 西 苓 の 経 歴 に照 らせ ば、 「船 家 女 』 の 完 成 後 、 明星 公 司 を 飛 び 出 して 教 鞭 を執 るべ く南 寧 に 向 か った 頃 に この冊 子 が ま とめ られ た こ とが判 る。 沈 西 苓 を 「我 が友 人 」 と呼 び、 彼 の良 き ア ドバ イ ザ ー で あ った凌 鶴 は、 共 に 『電 影 浅 説 』 を執 筆 す る こ とで、 彼 に教 員 へ の道 を 指 し示 そ う と した か に 見 え る。 執 る もの を メ ガ ホ ンか ら教 鞭 へ と換 え る こ とで 、 「脆 弱 」 な 「プ チ ブ ル知 識 分 子 」 の ナ イ ー ヴ さに従 え、 と。 だ が、 沈 西 苓 は そ の示 唆 に背 き、 魔 都 上 海 に再 び舞 い戻 り、 更 に は武 漢 の最 前 線 に赴 い た。 彼 が求 め た の は恐 ら く、 あ くま で 「脆 弱 」 な る 自己 と対 わ り . 峙 す る"怪. 物"と. し て 、 行 き 着 く処 ま で 突 き 進 む 道 で あ っ た 。. 注 1. 夏術. 「在"二. 十 一 四 十 年 代 中 国 電 影 回 顧"開. r夏 術 電 影 文 集 』 第 二 巻(中. 幕 式 上 的 講 話 」 に 見 え る 中 国 映 画 史 区 分 に よ る。. 国 電 影 出 版 社2000年10月)p.415参. 照。. り自 90. 明 星 影 片 公 司1937年 作 品 。 脚 本 監 督:哀. 牧 之 、 出演:趙. 丹、 周疏 、魏 鶴齢 ほか。. 明 星 影 片 公 司1937年 作 品 。 脚 本 監 督:沈. 西 苓 、 出演:趙. 丹 、 白楊 、 呂 班 ほ か 。. 4. 1915-1980年. 、 俳 優 。 中 学 生 の 頃 よ り顧 而 已 ら と共 に"小 小 劇 社"を. 作 り演 劇 を 志 す 。1931年. に上. 海 左 翼 戯 劇 家 連 盟 に 加 入 、1933年 よ り 明 星 公 司 に て 俳 優 業 に 就 く。 日中 戦 争 後 は大 規 模 ス タ ジオ w影 業公 司 に所属 、 新 中 国 成 立 後 は 歴 史 的 英 雄 人 物 を 演 じ る名 俳 優 と な る。 RJ. ママ. 『申 報 」 「電 影 専 刊 」1934年1月13日. ρh U. 「《十 字 街 頭 》 座 談 会 」1936年4月15、16日 社1993年9月)p.623参. 7. 1904-1991年. 西 岸 驚 人 成 功 」 よ り。. 女 」(1935年)の. 「大 晩 報 』 原 載 、 「中 国 左 翼 電 影 運 動 』(中 国 電 影 出 版. 照。. 、 映 画 監 督 。1929年. 計 を 担 当 。1934年. 8. 付 記 事 「更 上 海 二 十 四 小 時"沈. ママ. ま で 東 京 芸 術 専 門 学 校 に学 び 、1933年 、 天 一 影 片 公 司 に て 美 術 設. に 電 通 影 片 公 司 に移 籍 、 主 題 歌 が 後 に 中 華 人 民 共 和 国 国 歌 とな る 映 画 『風 雲 児 監 督 を 務 め る。. 本 論 に お け る 沈 西 苓 の 基 本 的 な 経 歴 は 『中 国 電 影 大 辞 典 』(上 海 辞 書 出版 社 、1995年10月)、 電 影 家 列 伝 」(中 国 電 影 出 版 社 、1982年4月)に. 一178一. 基 づ く も の で あ る。. 『中 国.
(19) "怪物"と. 呼 ば れ た男. 映画 作 家 ・沈 西 苓 の足 跡 を辿 る一 一. 9. 夏(777著、 生 活 ・読 書 ・新 知 三 聯 書 店 、1985年7月. 10. 1921年 、 郁 達 夫 や 張 資 平 ら に よ り前 期 「創 造 社 」 が 結 成 、 「浪 漫 派 、 芸 術 主 義 」 を 標 榜 し た が 、. 。. 1927年 以 降 の 後 期 で は 「革 命 派 」 へ と方 向 転 換 、 昭 和 初 年 の 日本 プ ロ レ タ リア 文 芸 理 論 を 持 ち 込 み 、 率 先 し て 「無 産 階 級 革 命 文 学 」 を 主 張 す る。 郭 沫 若 、 鄭 伯 奇 ら旧 同 人 の 他 に葉 況(沈. 西 苓)、. 彰 康 、{,乃 超 、 陽 翰 笙 ら新 メ ン バ ー が 中堅 と して 活 動 。 11. 1928年9月. に 創 刊 、1930年6月. 陶 晶 孫 、Ok盧. に終 刊 。 第 一 巻 は 郁 達 夫 に よ り編 集 さ れ て い た が 、 第 二 巻 か ら は. に 編 集 が 移 る。 第 二 巻 第 三 期. 「新 興 文 学 専 号(上. 冊)」 よ り左 翼 作 家 連 盟 機 関 刊. 行 物 とな る 。 12. 湯 暁 丹 と沈 西 苓 の 関 係 に つ い て は、 『路 辺 拾 零 ・湯 暁 丹 回 憶 録 』(山 西 教 育 出 版 社 、1993年4月). 13. 1881-1928年. を 参 照 した 。 、 劇 作 家 、 演 出 家 。 東 京 帝 国 大 学 文 学 部 英 文 科 在 学 中 よ り舞 台 演 出 や 詩 、 小 説 創 作 に. 携 わ る。 西 欧 演 劇 の 紹 介 を 雑 誌 上 で 行 な う傍 ら、 歌 舞 伎 俳 優 市 川 左 団 次 と 自 由 劇 場 を結 成 、 リ ア リ ズ ム 演 劇 の 確 立 を 目指 す 。1920年. に は 映 画 製 作 に 着 手 した 松 竹 が 創 設 す る 「キ ネ マ俳 優 学 校 」. に 招 か れ 、 俳 優 養 成 に尽 力 、 日本 近 代 演 劇 の 開 拓 者 と称 さ れ る。 14. 演 出 家 土 方 与 志 と劇 作 家 小 山 内 薫 が1924年6月. に 開 設 した 日本 初 の 新 劇 劇 場 及 び 劇 団 。 チ ェ ー ホ. フ や ゴ ー リ キ ー な ど海 外 演 劇 の 紹 介 を 活 動 中心 と した 。 15. 1901-1977年. 、 小 説 家 、 画 家 、 舞 台 装 置 家 、 劇 作 家 。 東 京 帝 国 大 学 哲 学 科 に学 ぶ が 、 ドイ ツ 表 現 派. 芸 術 に 魅 せ られ 学 業 を 断 念 、 前 衛 芸 術 家 と し て の 道 を 進 む 。 舞 台 装 置 芸 術 家 と して は、1924年12 月 築 地 小 劇 場 公 演 「朝 か ら夜 中 ま で 」(ゲ オ ル グ ・カ イ ザ ー 作)の. 舞台 装置 製作 が初 めて の仕 事。. 1925年 に 日本 プ ロ レタ リア 文 芸 連 盟 に 美 術 部 員 と して 参 加 、 前 衛 芸 術 家 で あ りな が ら、 プ ロ レ タ リ ア運 動 に 強 い 傾 倒 を 見 せ 、 以 降 プ ロ レタ リア 芸 術 家 と して 行 動 す る 。 16. 前 衛 芸 術 家 と プ ロ レ タ リア 演 劇 運 動 家 の 立 場 に あ っ た 村 山知 義 が1928年9月. に 創 設 に参 画 し た 団. 体。 17. 1929年 秋 に 上 海 に成 立 し た、 共 産 党 直 接 指 導 に よ る初 の 話 劇 団 体 。 「プ ロ レタ リア 演 劇 」 を ス ロ ー ガ ンに 、 メ ル テ ン 『炭 鉱 夫 』 な ど の 海 外 演 劇 の 他 、 薦 乃 超 とwok盧 演 を 行 な う 。 刊 行 物 と して 『芸 術 月 刊 』、 『沙 命 」(注18参. 照)な. の 『阿 珍 』 な ど 国 内 創 作 の 公 ど を 刊 行 。1930年4月28日. に国. 民 党 当 局 に 活 動 封 鎖 さ れ る。 18. ・『芸 術 月 刊 』:芸 術 劇 社 機 関 刊 行 誌 、1930年3月16日. 創 刊、 沈端 先 主編 。 第一 巻第 一期 で 発禁 、. 沈 西苓 は叶況名 義 で二篇 の文 章 を発表 。 ・「沙 倫 』:「芸 術 月 刊 』 に継 ぐ芸 術 劇 社 機 関 刊 行 誌 、1930年6月16日 一 期 で発 禁. 創刊 、沈 端先 主編 。第 一巻 第. 、 沈 西 苓 は 叶 況 名 義 で 映 画 に 関 す る 論 文 と演 劇 創 作 、 計 二 篇 を 発 表 。. ・「大 衆 文 芸 』(注11参. 照):沈. 西 苓 は叶況 名義 で計 五篇 の論 文、 創作 の他 、挿 入 漫画、 表紙 デ ザ イ. ンな どを 手 掛 け て い る。 19. 太 陽 社 刊 「拓 荒 者 」 第 三 期(1930年3月10日)掲. 20. 星 名 宏 修 「中 国 ・台 湾 に お け る 「吼 え ろ 中 国 上 演 史. 載 の 銭 杏 邨 「大 衆 文 芸 与 文 芸 大 衆 化 」 に 対 す る. 反 論。. 法 文 学 部 紀 要 『日 本 東 洋 文 化 論 集 』No.3、1997年3月)に が 記 さ れ て い る。 21. 『沙 倫 』 第 一 巻 第 一・ 期 掲 載 、p.171∼185。. 一179一. 反 帝 国 主 義 の 記 憶 と そ の 受 容 」(琉 球 大 学 、 葉 況 に よ る 「革 命 」 的 改 編 の 仔 細.
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