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『花実御伽硯』の粉本:写本『続向燈吐話』の利用について

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(1)

Kajitsu Otogi Suzuri(KOS )

, published in January Mêwa 5

(1768)

, written by Hangetsu-an, one of Ukiyozôshi in the

twi-light of this genre, is often considered as a notable work which

has few characteristics of Ukiyozôshi, being just on the genre

borderline between Ukiyozôshi and Yomihon. This paper will

provide a basis for its categorization, with newly found

materi-als from the manuscript Zoku-Kôtôtowa(ZK )and others.

Comparing KOS with Shoshû Kiji Dan, one of Yomihon at

dawn, published in January Kan.en 3(1750)

, written by

Jôkanbô-Kôa, who seems to have shared some materials,

including ZK, with Hangetsu-an, we can grasp the difference

of abilities adapting the materials for stories. In contrast with

Jôkanbô-Kôa’s ingenious adaptation, KOS’s author simply

selected and copied some texts of ZK, avoiding some stories

already adapted by Jôkanbô-Kôa and deleting only personal

information(name, address and etc.)

, about each story’s

char-acters, which may cause him trouble.

In conclusion, KOS was born under the influence of

『花実御伽硯』の粉本

写本『続向燈吐話』の利用について

畑 中 千 晶

Newly Found Materials of Kajitsu Otogi Suzuri,

One of Ukiyozôshi at a Low Ebb:

How to Use the Manuscript Zoku-Kôtôtowa,

an Anthology of Fantastic Stories

Chiaki HATANAKA

(2)

1. はじめに

半月庵作、明和五年(1768)正月刊『花か実じつ御お伽とぎ硯すずり』は、ジャンルとして の位置付けの難しい作品である。従来、浮世草子として扱われ、『浮世草 子考証年表』にも記載があるものの(1)、この作を浮世草子と見なすこと については、近年疑問も示されている(2)。そもそも何をもって浮世草子ら しいと判断したら良いのだろうか。試みに、代表的な浮世草子として八 文字屋本を参照するならば、起伏に富んだ物語が、まるで芝居のように ダイナミックに展開し、エンターテインメント性に富むという特徴を指 摘することができる。さらに遡って西鶴の浮世草子を参照するなら、短 編の集積という手法を取って人間への考察を深めていく、含蓄に富んだ 作品群が浮かぶ。ところが、本稿の考察対象である『花実御伽硯』は、 そのいずれとも似ていない。極めて単純素朴な一話完結の奇談が、特段 の脈絡もなく三十七話並べられており、挿絵の大半も簡略なものである(3) この『花実御伽硯』の粉本については、巻 3 ― 8「猫の怪異」、巻 3 ― 9 「老 らう 鼠 その 妖 はけもの 」の二話に関して、つとに近藤(1997)が写本『向 こう 燈 とう 賭 と 話 わ 』およ びその異本『秉へい燭しょく奇き談だん』の利用を指摘している。また、巻 2 ― 4「上かつ総さ国のくに 蛟 うは 蝎 はみ 塚 つか 」、巻 3 ― 7「備 びつ 中 ちう 国 のくに 吉 き 備 ひ 津 つ 宮美女」、巻 5 ― 2「箱 はこ 根 ね の貂 てん 」の三話に 関して、粉本自体の特定こそ行っていないものの、静じょう観かん房ぼう好こう阿あ作『諸州 奇 き 事 じ 談 だん 』と同じ粉本が使われている可能性を指摘している(後述参照)。 このたびの調査において、『花実御伽硯』収録の全三十七話の粉本をす べて確かめることができたため、その結果をまずは報告する(本稿末尾に

Jôkanbô-Kôa’s works although Hangetsu-an could not imitate

well the way to adapt materials. Even though the fact of their

sharing materials emphasizes the close relationship between

KOS and Yomihon, Hangetsu-an should have another model

besides Jôkanbô-Kôa, because his work has happy endings,

and seems to try to have a variety of regions, following the

common style of Ukiyozôshi.

(3)

表 5「『花実御伽硯』とその粉本」として掲載)。また、今回粉本を特定したこ とで、同一素材を用いながら作者二人がそれぞれ異なる作品に仕立てて いる事例が参照可能となり、結果として両者の力量の差が際立つことと なった。仮にパン職人に喩えるなら(喩えが適当かはわからないが)、同一 材料同一工程で焼き上げたにも関わらず、新人とベテランとで、パンの 見た目はもとより、味にも決定的な差が生ずるようなものである。作者 の力量、あるいは、認識のありようの違いが、作品の巧拙に決定的な違 いをもたらしていることを、具体例を通じて確かめていきたい。 なお、本稿の調査結果のみでは、『花実御伽硯』のジャンル分けに関す る結論を導き出すことは難しいが、そうした考察を進めるための一材料 が提供できるものと考える。

2.『花実御伽硯』と『続向燈吐話』

まず、『花実御伽硯』については、現存が確認できる唯一の伝本『怪談 御伽硯』(石川武美記念図書館成せい簣き堂どう文庫蔵本)によって、その内容を確かめ ることができる。以下、書誌事項を記す。 石川武美記念図書館成簣堂文庫(資料番号なし) 『怪談御伽硯』 半紙本五巻五冊合一冊 半月庵序 明和五年正月 江戸 山 金兵衛・鱗形屋孫兵衛版 表紙 原装縹色 22.2 糎× 16.1 糎 外題 巻二のみ原題簽存(左肩双辺)「花実御伽硯」。巻一は後補書題 簽(左肩)「怪談御伽硯 壱」。巻三・巻四は剥落。巻五は打付書 (左肩)「花実御伽硯 五」。 序 「序」「花洛 半月庵主人識」 目録題 「花くわ実 じつ 御 お 伽 とぎ 硯 巻之一(∼巻之五)」 内題 「花くわ実じつ御お伽とぎ硯 巻之一(∼巻之五)」 本文の構成 四周単辺無界 10 行 24 字前後、18.3 糎× 13.2 糎、「おと すゝり すゞり

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きすゝ里巻の一 一(∼十六)」。巻一 16 丁・挿絵 3 面、巻二 14 丁・挿絵 3 面、巻三 14 丁・挿絵 3 面、巻四 14 丁・挿絵 3 面、巻五 15 丁・挿絵 3 面。 尾題 「花実御伽硯巻之一終(∼巻之四終)」「花実御伽硯巻五大尾」 刊記 図 1 参照 印記 「 」(黒文楕円印)、「蘇峰」(朱文方印)、「蘇峰文庫」(朱文長方 印)、「徳富氏所蔵品」(朱文楕円印)、「康義園」(朱文楕円印)。 内題を書名認定の第一徴証とす る書誌の原則に照らせば、本書の 書名は『怪談御伽硯』でなく『花実 御伽硯』とすべきであるが、現存 本が石川武美記念図書館本一本の みであり、そこでの書名が『怪談 御伽硯』であることから、混乱を さけるために、ここでは『怪談御 伽硯』の書誌として記した。ただ し、以下の本稿においては『花実 御伽硯』として本書を扱っていく。 次に、今回新たに『花実御伽硯』 の粉本であることをつきとめた写 本『続向燈吐話』の書誌事項を以下に記す。 国文学研究資料館 三井文庫旧蔵資料(MX301-1) 『続向燈吐話』半紙本十巻十冊合二冊 元文五年 資等序 〔江戸後期〕写 表紙 改装薄茶色 22.9 糎× 15.9 糎 外題 後補書題簽「〈奇/談〉続向燈夜話」 序 「続向燈吐話序」「元けん文 ふん 庚 かのへ 申年 さるのとし 初 しよ 春 しゆん 資 し 等 とう 書 しよす 」 図 1 刊記 明 和 五 年 子 正 月   日 書 林 寺 町 松 原 下 ル 町 京 都 梅 村 市 兵 衛 渋 川 与 市 山   金 兵 衛 鱗 形 屋 孫 兵 衛 心 斎 橋 順 慶 町 浪 花 日 本 橋 南 弐 丁 目 江 府 板 大 傳 馬 町 三 丁 目

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目録題 「続向燈吐話巻之壱(∼十)」 内題 「続そく向かう燈とう吐と話わ巻けん之壱(∼巻之十)」 本文の構成 無辺無界 9 行 18 字 字高約 18 糎。巻之一 39 丁、巻之 二 32 丁、巻之三 32 丁、巻之四 28 丁、巻之五 21 丁、巻之六 25 丁、 巻之七 25 丁、巻之八 22 丁、巻之九 21 丁、巻之十 25 丁。 尾題 「続向燈吐話巻之壱(∼十)終」 印記 「榎本」「万喜」(ともに墨文長方印)、「北滝」(朱文長方印) ここで参照した写本『続向燈吐話』は、国文学研究資料館三井文庫旧 図 2 『続向燈吐話』表紙 図 3 『続向燈吐話』本文巻頭、内題

(6)

蔵資料に属している。なお、この三井文庫は、戦後分割されて一部が米 国カリフォルニア州立大学バークレー校に売却されており、現在、同校 C. V. STARR 東アジア図書館に貴重書として保管されている(4) 『続向燈吐話』が『花実御伽硯』の粉本であるということを端的に示し ているのが、序文の利用状況である。『続向燈吐話』序文がほぼ丸写しの 状態で『花実御伽硯』に利用されている(5)。確認のため、両書の序文を全 文引用し、重複箇所に下線を付すと次のようになる(表 1 参照)。 篠原(2004)は『花実御伽硯』の序文に関して「月並みなものとはいえ 虚実論に言及した序文は、著者が一定の学識を備えた人物であることを 想像させる」と述べているが、実はその「学識」とは、『花実御伽硯』の 作者半月庵その人の「学識」ではなくて、その粉本『続向燈吐話』の作 者に由来するものであったということである。半月庵本人が記したこと と言えば、①玉華子という人物の助力を得て、②昔話のような虚構に脚 色を加えつつ時には実感も織り交ぜ(この両面が書名の「花実」に相当)、③ 虚々実々は天地の変異実々虚々は武人の謀 略是を分ては虚は老荘釈氏およひ商家の売 語たわれ女物もらひの常談となる孔孟よ梨 以下恩愛の情欲復讐の志し節夫の馬鹿夫へ 尽す心なんとを実とはいふなるへし其実虚 の間に孕れて生れ出たる物を奇怪の奴と号 し世人はなはた忌みきらふ誠に悪まれ子国 にはひこることわさに偽りなくして此子孫 種子にわかれて語るにはてしなく書き留ん にいとまあらす其一二見聞せし事跡を記し 賭話と名つく今年又もれたるをあつめて続 吐話を成すものは人の耳目にあつからんに はあらす僕虚心にして物わすれ多きをはぢ ず寸紙に写し実々の丈夫に紛れんとする虚 々なりと然云  元文庚申年初春 資等書 虚々実々は天地の変異実々虚々は武人の謀 略是をわかてば虚は老荘釋および商家の賣 語戯れ女物もらひの常談となる孔孟より以 下恩愛の情欲復讐の志し節婦の馬鹿夫へ尽 す心ならんを実とはいふなるべし其の実虚 の間に孕れて生れ出たる物を奇怪の奴と号 し世人甚だ忌嫌ふを玉華子と共に昔々眞赤 なるを言葉に花をかざり毫に実をいれてひ とつふたつ書とむれは五巻となる書林のな にがし櫻木に寫し永き春の翫にせむと寿 女られ花実御伽硯と題して需に應ずるもの ならし  花洛 半月庵主人識  表 1 『続向燈吐話』と『花実御伽硯』の序文の異同 『続向燈吐話』 『花実御伽硯』 きよきよじつじつ りやく ごうかれ じやうたん こうもう あい おん よくふくしう せつふ ばか つく じつ きくわい やつこ がう いみきら まつ か のば ふて み こと かき うつ なが す くわじつ お とぎ すゝり たい もとめ おう しやう をつと あいだ はらま うま はなは むかし さくら もてあそび ばい らうそうしやく せう か ち へん ゐ ぶ じん ぼう きよきよじつじつ じつじつきよきよ らく ご め もの しやうたん こうもふ り け い をんあい よくふく せつふ(ママ) ばか (ママ) つく こゝろ まこと そのしつきよ き もの くわい やつばら かう にく い ご くに せ けん いつ(ママ) この し そん しゆ し かた か とめ けんもん その しせき をこ な な ひと に もく しん もの をゝ きよ し うつ じつじつ じやうふ まき きよ すん しかいふ きよ し とうしよす しゆん しよ さるのとし かのへ ふん けん ぞく こ と わ と わ としまた じやう こころさ それ あいだ はらま むま いて まこと ばい らう これ わか きよ しやうしやくし しよふ か ち てん へん い ふ じん ぼう ゝ

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全五巻を『花実御伽硯』と題して正月に上梓した、の三点のみである(6) 序文というのは、一般的に考えれば、作者の思想や個性が際立つ場で あるはずのものだが、そうした場ですら、大半を引用で済ますという作 者は、本文もまた、その多くを引用で済ませているのではないかとの推 測が成り立つ。果たして結果はいかであったかというと、三十七話中三 十話にこの『続向燈吐話』の利用が見られたのである。すでに粉本とし て指摘のあるものが二話、また、『続向燈吐話』以外にも、今回新たに 『新著聞集』から五話利用していることが確認でき、全三十七話において 粉本の存在していることがわかった。その詳細な対応については、本稿 末尾の表 5「『花実御伽硯』とその粉本」を参照されたい。

3.『花実御伽硯』と『諸州奇事談』

次に、談義本作者静観房好阿の記した読本『諸州奇事談』と『花実御 伽硯』との関わりについて確認していきたい。近藤(1997)は、静観房好 阿、奥村玉華子、橋本静話(静話房)など本所深川近辺の作者たちの間で 共同的な述作態度が認められるとして、その一例として『花実御伽硯』 に言及している。また、『花実御伽硯』と『向燈賭話』『秉燭奇談』(『向燈 賭話』の異本)『諸州奇事談』との重複関係を整理し、五例(『花実御伽硯』 巻 2 ― 4、巻 3 ― 7、巻 3 ― 8、巻 3 ― 9、巻 5 ― 2)を確認して次のように重要な指摘 を行っている。 『花実御伽硯』と同話であることを確認し得るのは右の五例のみだが、 『向燈賭話』と『秉燭奇談』に収められる説話は合わせても九十六種 であり、好阿の見ていた『向燈賭話』流布本が「談は数百条」(『諸州 奇事談』跋文)を有するものであったとすれば、同書より採ったもの がまだあるのかもしれない(50 頁)。 本稿での報告は、まさにこの近藤説を裏付ける材料と言える。好阿の 門人静話が寄せた『諸州奇事談』跋文を読むと、『諸州奇事談』とはもと 『向燈賭話』という「東都の隠士中村氏」が集め置いた文章で「正続二篇」

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があるという(「東都の隠士中村氏」とは『向燈賭話』序によると「麻布の北隅」 在住の中村満重を指す)。つまり『向燈賭話』に続編のあることは、この跋 文にすでに示されていて、このたびようやくその実物の発見に至ったと いうことである。なお、半月庵が序文で「玉華子と共に」と述べている ことに基づいて、近藤(1997)は、玉華子と好阿との間で素材提供がなさ れていた(つまり、玉華子の仲介を経て、好阿の参照した写本が半月庵に渡った) と推測している。この推測は、今回粉本として特定するに至った『続向 燈吐話』の利用状況を整理するなかで、一層明瞭に裏付けることができ るものと考える。というのも、本稿末尾に付した表 6「『続向燈吐話』各 話の利用状況」に示したように、半月庵は、好阿が粉本として利用した 章を極力避けて、自身の粉本として利用していることが確認できるから である。 もっとも完全に重複を避けているわけではない。意図的か、それとも 確認不足のためかはわからないが、好阿と全く同一の粉本を用いて、半 月庵が作品化に及んでいるケースがごく僅かに見られる。すでに近藤 (1997)の指摘した三話(表 6 の通し番号 33、41、43)に加えて、今回新たに 一話(表 6 の通し番号 29)において、両作者が完全に粉本を共有している ことをつきとめた。これは、非常に興味深い事例と言えるため、本稿後 半で詳細な検討を加える予定である。 なお、このたび参照し得た写本『続向燈吐話』は全十巻からなるもの であるが、好阿も半月庵も、なぜか利用部分が前半(巻 1 ∼ 5)に集中し ていて、後半(巻 6 ∼ 10)からの利用がごく僅かとなっている(表 6 参照)。 これは一体何を意味するのであろうか。例えば、好阿が入手した『続向 燈吐話』の写本は、後半部分に大きく欠損があって、入手できなかった ということであろうか。それとも、後半に収録されている話の大半が、 この二人の作者の興味から外れる内容であったのだろうか。現状におい ては判然とせず、もし『続向燈吐話』の異本などが見つかれば、何らか の手がかりが得られるかもしれないが、それは今後の課題とする。

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4. 粉本を加工する技術と方法

好阿も半月庵も、ともに写本『向燈賭話』『続向燈吐話』から、なんら かの基準で複数の話を選び、それらの素材に適宜加筆修正を加えて作品 に仕立てていったという一連の流れが、次第に明瞭になってきた。その 「加筆修正」、つまり「粉本を加工する技術と方法」とは、いかなるもの だったのだろうか。また、その技術と方法に関して、好阿と半月庵とで は、どの程度の差があったのだろうか。好阿は、自身の創作の要とも言 える粉本を、玉華子を通じて、惜しげもなく半月庵に提供したものと推 測されるわけだが、半月庵に人気作者の座を奪われるというような懸念 を抱かなかったのだろうか。これについて考えてみるために、それぞれ の作者の粉本加工技術を具体的に見てみることにする。

(1) 静観房好阿『諸州奇事談』の場合

好阿は、写本『続向燈吐話』を加工して自身の作品『諸州奇事談』に仕 立てるなかで、どのような工夫を加えているのだろうか。写本の巻頭話を 例にして検討を加える。まず章題を見てみる。写本での題名「蕣花の内よ り骸出る事」というのは、いかにも実録を思わせる題名である。好阿は、 これをそのまま用いるのではなく、「蕣あさ花かほの妖よう怪くわい」と変え、端的かつ奇談 集らしい彩りを添えて表現している(次ページ表 2 参照)。次に本文への導 入部だが、表 2 に引用した写本下線部「岡をか田た抄しやう堅けん殿との家か中ちうに」が『諸州奇事 談』では「爰に何 いづれ 乃国の守 かみ の御内にや」と改変されている。「岡田抄堅」 とは、江戸初期の美濃国の奉行岡田善よし同あつ(岡田将監)のことを指しているも のと思われるが、好阿は、この固有名詞を削除し、特定の人物の逸話とし てではなく、どこの国の領内かも特定できない曖昧な描き方に改変した(7) これは刊本として、後日の筆禍を避ける配慮と見ることができよう。また、 話の枕として、古歌に詠まれた「あさかほ」とは実は「むくげ」のことを 指しているとの知識を盛り込み、やや衒学的な導入部を用意している。読

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者の知的好奇心を刺激するというような効果が期待できる。こうした改変 から、さまざまな配慮のもと、工夫を重ねて好阿独自の作品に仕立ててい くさまが確認できる。

(2)『花実御伽硯』の場合

次に、半月庵が好阿と同じ写本『続向燈吐話』を用いた二話の事例を参 照する(次ページ表 3)。一例目は「非人姥が怨念の事」を用いた「非 ひ 人 にん 姥 うば が怨おん念ねん」という話である。題名も「∼の事」という、実録を思わせる部分 を削除するのみで、ごく簡単な改変にとどまる。導入部では、写本で「酒 井雅楽頭殿家士」と人名が示されている部分を「勇気さかんなる人」と改 変し、また、「あるとき 橋城下の町はづれに」と特定の土地での出来事 とわかる部分を完全に削除して「ある時」とのみ表現している。この「酒 井雅楽頭」とは、下馬将軍とも称される酒井忠清を指している。「家士」 すなわち家臣の所業とはなっているが、独裁的な権力をふるった忠清の印 象もそこには重ねられているものと思われる。そうした写本の記述をすべ て削除し、どこの誰の話とも全くわからない形にして板行したわけである(8) 巻二の四「蕣花の妖怪」 古歌によめるあさかほは。今いふ朝かほに あらすむくげの花なり。今いふ所のあさか ほは。牽牛花なり。古今に。けにごしとよ めり。されども順和名抄に。牽牛子をもあ さかほと訓じぬれは。いつれをも朝かほと いふへし。堀川百首に。朝かほは。はかな きはなをいかにして。かしこき人の園に咲 らんとあり。爰に何乃国の守の御内にや。 あさかほを愛して。秋毎に花の頃は。寝食 をわすれ。夜は更行迄間垣に立て蔓をまと はせ。朝はいまたあけさるに起出て。花の ひらくを待てひとりよろこび。 巻一の一「蕣花の内より骸出る事」 岡田抄堅殿家中にはなはたあさかほを愛す る士あり毎秋花の頃は寝食をわすれ更るま てまかきに立てつるをまとわせ葉を直し朝 はあけさるにおき出てはなのひらくるをま ちうけてはひとり悦ひ  表 2 『続向燈吐話』と『諸州奇事談』 『続向燈吐話』 『諸州奇事談』 をか し まいしうはな ころ しんしよく ふけ は たつ なを あさ いて か たしやうけんとの ちう あい けん ご し こ きん ごし けん その かみ いづれ こと しん あい しよく かき おき つる ま ふけゆく くん かほ あさ ようくわい

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もう一話は、「弓町亡霊の事」という題を「先妻の幽霊」とし、好阿の 命名法に倣ったようにも思われる(「蕣花の妖怪」のように五文字で「○○の妖 怪〔幽霊〕」という体裁であることから)。写本では「御役者かどの九郎兵衛は 弓町に住居す享保年中の事」と、特定の人物の、特定の時期のことである とわかる記述があるのに対して、『花実御伽硯』では「今はむかしと成け るがある人」というように昔話の型に改変し、人物が特定されることを避 けている。ちなみに「かどの九郎兵衛」とは大鼓方 野流の 野九郎兵衛 を指し、「弓町」とは江戸城数寄屋橋御門にほど近い、観世太夫の家など もある地区を指す。ここまで具体的に人物や土地が特定可能な記述は、や はり、刊本としては避けたほうが無難と言える。 ただ、刊本であれば必ず人名や年代を削除するというものでもないよう である。このたびの『花実御伽硯』粉本調査において新たに発見したもの に、神谷養勇軒編、寛延二年(1749)刊、十八巻十二冊の『新著聞集』が あり、計五話を利用していることをつきとめた。次に参照するのは、この 『新著聞集』を粉本とした『花実御伽硯』の一節である(次ページ表 4 参照)。 巻一の六「非人姥が怨念」 勇気さかんなる人自然とためし物を好ける 者あり或ひは刑に行われし科人の骸を取き たりては是を縫つつりて切ときも有あるひ は野ぶせりの乞食などに銭をとらせて悦ひ 立を伐ふせなどして慰としけるある時七十 にちかき非人の姥ふし居けるを 巻一の七「非人姥が怨念の事」 酒井雅楽頭殿家士に自然とためしものを好 ける者あり或は刑に行はれし科人のむくろ を取来りては是を縫つゝりて切るときもあ り或る時は野ふせりの乞食非人に銭とらせ 悦ひたつを伐りふせなどしてなくさみとし けるあるとき 橋城下の町はつれに七十に 近き非人の姥ふし居けるを  表 3 『続向燈吐話』と『花実御伽硯』 『続向燈吐話』 『花実御伽硯』 さか もの あるい けい をこな とかにん これ とりき(ママ) ぬひ き とき の こつじき せに あるい(ママ) ひ き よろこ はし か まち ぢう むまや しやう ちか ひ にん うは にん か いう た のかみとの し し せん このみ けい おこな とが むくろ ゆう き し ぜん ぬひ きる じき せに こつ の きり なぐさみ にん ひ うば おんねん 巻一の八「先妻の幽霊」 今はむかしと成けるがある人の妻女病死し けるゆへ兼て通じけんやしらす召つかひの 女を引あげて後の妻となしけるが有とき此 女部屋へ入て化粧しけるに 巻二の一「弓町亡霊の事」 御役者かどの九郎兵衛は弓町に住居す享保 年中の事にや妻女病死しけるかかねて通し けんも知らす召仕ひの女を引きあげ後妻と なしけるある時此女部屋へ入りて化粧しけ るに をん ぢよべう し とほ(ママ) こと さい ねんぢう めし し つか をんな ひ こうさい ときこのをんな へや い けしやう やくしや ろうへうえ ゆみまち ぢうきよ きやうほう かね つう のち はい け へ さい せん ゆうれい ゝ

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『新著聞集』もまた刊本であるが、「竹内市助」という人名や「延宝六年」 といった年代を削除することなく明記している。ところがこの一節を用い た『花実御伽硯』においては、「 摩の国」という国名だけは残したもの の、人名や年代は削除して単に「ある人」とのみ記しているのである。こ れは、表 3 で検討した事例と同様の結果であり、『花実御伽硯』において 一貫した編集方針であることが確認される。半月庵はおそらく好阿の『諸 州奇事談』の方針に倣ったのであろう。刊本としてすでに世の中に公表さ れている情報であったとしても、自身の編集過程においては、個人が特定 される情報を悉く削除していったのである。

5. 加工技術の巧拙

このたび発見した粉本の条々のなかに、『諸州奇事談』と『花実御伽硯』 とで、完全に同一話を用いている興味深い一事例がある。これを読み比 べてみれば、おのずと粉本を加工する技術の巧拙が具体的に浮かび上が ってくるはずである。まず、粉本『続向燈吐話』巻 3 ― 8「蜘蛛の怪異の 事」の梗概を記すと、次の二点に要約される。 ①老人どもが寄り合い、物語していた。昔、漁を好む者が四月中旬川 辺で釣りに夢中になっていると、雨蛙大の蜘蛛が水中より出て足の 指に糸をかけ、それが草履の緒の太さになったので、傍らの切株に 引きかけておくと、俄に川水が渦巻き、水底に数十人の声がして切 株を根こそぎ川中へ引き込んだ。 ②作り話だろうと疑う者がいたので、伊豫国の者が知人の話として次 巻二の二「姿ありて身のなき物」  摩の国にてある人冬の夜更て外より帰り しにむかふの方より貝をふく音して来る物 ひたひにあたるとおほえ 奇怪篇第十「形ち有体なき妖者」  州の家中の竹内市助といふ者、延宝六年 の冬、夜ふけて他所より帰りしに、向ふよ り貝をふく音して、額にあたると覚えしに、  表 4 『新著聞集』と『花実御伽硯』 『新著聞集』 『花実御伽硯』 さつ よ た しよ むか をと かい ひたい か しう ちう たけのうちいちすけ えんほふ さつ ま かい かた ありたい ばけもの すかた

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のように語った。越智郡の深山から流れ出る滝川の岸影で十月頃樵 が寝入っていると、膝の辺りまで水中に引き入れられたが、必死で 藤かずらに取り付くと、足首にかけてあった物が外れて大 だい 盤 ばん 石 じゃく を投 げ入れたような音がしたという。初め疑っていた者も不思議がった。 次に、好阿による『諸州奇事談』巻 3 ― 6「豫 よ 州 しう の河 かつ 童 ぱ 」がどのように 仕上がっているかを見てみよう。 伊豫国越 お 智 ち 郡 こほり の内にて。深 み 山より流 なかれ 出る川の岸 きし 陰 かげ に頃は神無月。小 こ 六月とことはざにいふめる暖あたゝなる西日を受うけてあるもの。川か岸しにやすらい居 て。睡 ねむ りきざし。少 ちと 平 たいら かなる所を幸 さいわい と。とろとろと寝 ね 入けるに。い つの間にや落入けん。此の河水にひざふしの過る 下りけるに。足 首をしめて。水中へ引入けるにおどろき目覚て大に騒 さは き。手にあた る木の根岩角かどに手をかけ引落されじとしけるに。己おのが力ちからに取つける 木根岩ともに欠 かけ て。既 すで に川へ落入けるが。助 たす かるべき運 うん 命 めい にや。藤 かづらの幾いく重ゑともなく。川へ生下たるに取あたりぬ。爰を大事と引 合けるに。足くびへ引かけたる。手のやうなる物はづれて。水中に 大盤ばん石じやくを投なけ入たる音して。落入たるものあり。此男いそぎ岡へ這はい上 り。逃 にけ 帰りける。是必世にいふ水 がわ 虎 たらう なるべし(下線は後述参照) 粉本『続向燈吐話』の②部分のみを利用し、蜘蛛の怪異ではなく河童 の話に改変して仕立てていることがわかる。水中に人を引き込む怪異と しては、海上であれば海坊主、河川であれば河童が代表格であるから、 蜘蛛よりも河童のほうが読者にとっては馴染みのある展開と言える。末 尾に「水虎なるべし」との考察を挿入し、読者の解釈を方向付けている。 さらに、「足首をしめて。水中へ引入ける」「足くびへ引かけたる。手の やうなる物はづれて」というように身体感覚がことさらに強調される。 読者は河童の手の水掻きまでも連想し、ぬめりのあるヒンヤリとした手 が自らの足首をつかんで離さない感触を想像することだろう。そのよう な臨場感が演出されているのである。さらには、題名に「豫州」という 地理的な目印が加わり、諸国話としての彩りも加味されている。素材の なかから適宜取捨選択し、巧みな演出も随所に施しながら、好阿は自身

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独自の作品に仕立てているのである。読み物としての興趣もそれなりに 生じていると言えるだろう。 これに対し、半月庵の『花実御伽硯』では、どのように作品化されて いるであろうか。煩雑を避け、粉本の①と②をほぼそのまま利用した箇 所については、いまは割愛する。①と②は、人が水中に引き入れられる 恐怖を語ったものとして、すでに二度も同様の話を展開したことになる のであるが、実は『花実御伽硯』はそれでもまだ不足があったと感じた ものか(あるいは埋め草が必要であったのであろうか)、なんと、同工異曲の 話をもう一回繰り返しているのである(9)。それは、次の一節である。 又ひとりの者いふやう備前の侍同国の深山へ狩に行しにある日得も のなくいと不興 けう にてあたりを見渡し日も西山にかたふきぬるころ朽 木の根に腰こしうちかけしばしやすらひ居けるに大きなる蜘出きたりて 足に糸をはりてむかふの山へ引のほり又来りて足をまとひ糸をひき 山へ上る此さふらひ不思し議にもまた面白く此の糸をつくつく打見る に次 し 第 だい にふとく成けるゆへ心をつけて見れは見るほと段々大縄のこ とく成たるを彼こしかけたる朽くち木の株へそと引かけ置わきへよりた めらひ見れは何の苦 く もなく右の株を引たをし地中より根びきにして むかふの山へ引上たり此侍もいとおそろしく思ひて早々山を下り宿 所へ帰りけるとぞ申けり この話は『続向燈吐話』には含まれておらず、また、『続向燈吐話』の ①②ともに水中に引き込まれるという水辺の怪異であるのに対して、こ の追加の一節は、もはや水辺の話ではない。また、『続向燈吐話』も『諸 州奇事談』も、話に登場する人物は「漁を好む者」や「樵」、あるいは単 に「あるもの」と述べているのに対して、この『花実御伽硯』では「備 前の侍」というように新たな地名が加わり、「侍」という身分の者の話へ と変化を遂げている。これは、半月庵の創作なのであろうか。しかし、 全編を通じて必ず粉本を用いて創作している態度から推測するならば、 この部分に関しても、未発見の粉本の存在を完全に否定することはでき ないように思われる。しかし問題は、同工異曲の話をなぜ『花実御伽硯』

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は、三度も飽きもせず繰り返したのだろうかということである。同種の 展開を三度繰り返すというのは、昔話の話法を思わせる。『花実御伽硯』 が粉本に加えた改変とは、『諸州奇事談』のような、臨場感や読者にとっ ての本当らしさを意識した改変とはむしろ正反対のものであり、口承文 芸のような素朴さを印象づける方向へと向かっている。対読者意識の鮮 明な(読者を楽しませる工夫のある)好阿とは、対照的といって良いだろう。 好阿の工夫は、上述に留まらず多岐にわたるものである。例えば、粉 本で大蛇の様子を「水のうづをまくごとくにのたうつものあり」(『続向燈 吐話』巻 3 ― 12)とした部分は、「水のうづまくやうに。くるりくるりと巻 物あり」(『諸州奇事談』)と擬態語を織り交ぜて興趣を添える(同一場面を 利用している『花実御伽硯』巻 2 ― 4 は「水のうつまくごとくのた打もの有」と、 ほぼ原話のまま)。さらに、粉本には登場しない「年寄たるものとも」を登 場させ、黒焦げの大蛇の骸 むくろ を前に「ひつぢやう此山の主といふべきもの なり。此侭に捨おくべき事にあらず」と語らせて、事態を俯瞰的に捉え る者に仮託する形で、読者に対するある種の教導も行っている(原話では、 村人が口々にそのように語ったことになっている)。 さらには、こうした部分的な脚色に留まらず、原話の結末をも変える 図 4 『諸州奇事談』巻2−10 挿絵

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ような、より踏み込んだ形の改変も見られる。『諸州奇事談』巻 2 ― 10 「花くわ中ちうの鬼き女じよ」は、吉備津神社の神官が美女(実は桜鬼)にひとたび惑わ されたものの吉備津宮の神徳に守られて辛くも逃げ延びたという話であ る(原話は『続向燈吐話』巻 5 ― 2「備中国怪異の事」)。見開きの挿絵では、鬼 女の肩を抱き寄せて鳥居をくぐろうとする神官の姿が強調されており、 女色に惑う神官のスキャンダルと読める(図 4 参照)。実は『花実御伽硯』 もこの同一話を用いているが、そこでは原話と同じく、この男が事件以 後一年以上患ったのち死んだとの結末を迎える(ちなみに『花実御伽硯』で は、この男の身分は明かされず、単なる「近辺の人」として登場)。こうした対 比から推測するに、好阿の場合、吉備津宮の神官の身に起こった出来事 (しかも些か不名誉な出来事)に言及する以上、その宮の神徳を褒め讃える 話に改変したほうが無難(吉備津宮からの批判がかわせる)との判断が働い たのではないだろうか。 このほかにもごく細やかな加筆として、「真ま金かねふく」「名にしおふ」「檜ひ ばら」などの歌語(もしくは和歌を思わせるやや古風な言葉)が随所に盛り 込まれ、文芸の香りを高める工夫が施されていることも指摘できる。こ れらを総合して考えるに、好阿の粉本利用方法とは、さまざまな効果を 計算しつつ縦横無尽に筆を加えるというものであったと言えるだろう。 結果として、完全に自身の作品に仕立て直されているのである。 好阿が半月庵への素材提供に応じたのは、創作経験の乏しい半月庵の 力量では、自身の創作活動を脅かすような、読み応えのある作品はまず生 まれないだろう、との見込みがあったということなのではないだろうか。

6. おわりに

『花実御伽硯』は、粉本の利用方法(人名や地名等の削除)や、素材の選 択過程(好阿の用いた話は原則として避けて用いる)において、『諸州奇事談』 の影響下にあるということが確認できた。しかし、語り口の面において は、好阿のもっていた諸特徴(和歌や故事来歴の知識を披露する衒学的要素、

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仏神の加護を強調する教導的要素、動作主体の身体感覚に即して語る臨場感の演 出等)の影響は受けていない。また、編集面の差異もある。『諸州奇事談』 最終話は、酒を飲み過ぎて胸が破れる上総国夷隅郡の百姓の話であり、 めでたく語り終えるという祝言の型は守られていない。これに対して、 『花実御伽硯』最終話は、異人から資金提供を受けると共に商売の秘訣を 伝授され、八王子で酢屋として成功する者の話となっており、祝言の型 は守られている。また、『花実御伽硯』は、三都で刊行されることにも意 識が向けられている。『新著聞集』を五話ほど織り交ぜたのは、『続向燈 吐話』にはない上方や西国の話題を盛り込むための工夫で、これも『諸 州奇事談』とは異なる要素と言えるだろう。よって、編集過程において は、好阿の影響はやや限定的であるということになる。 このたびの粉本発見によって、ただちに『花実御伽硯』のジャンル分 けに一つの判断が下せるというものではないだろう。だが、記述の大部 分が粉本の奇談集そのままであるということが明らかになった以上、少 なくとも、作者の思想や認識が滲み出す随想的な部分の乏しい作品であ るということは言える。そうした随想的な部分に浮世草子的なものを見 いだす立場からすれば、やはり本作はそうした要素の乏しい作品という ことになるだろう。その一方で、共通の素材を用いているにも関わらず、 編集方針において完全に好阿に追随したわけではないとすれば、『花実御 伽硯』には、他にも手本とした作品があったと考えるのが自然である。 『花実御伽硯』のジャンル検討に関しては、さらなる探究が必要であろ う。 [付記] 本稿は、平成 28 年度日本近世文学会春季大会における同題の口頭発表 に基づきつつ、追加調査の結果や補足情報等を加え、修正したものである。 発表に際してご教示賜った方々に心より感謝申し上げる。また、『怪談御伽硯』 の閲覧、および、一部翻刻をご許可くださった石川武美記念図書館に深謝す る。加えて、三井文庫貴重書の閲覧をご許可くださったカリフォルニア州立 大 学 バ ー ク レ ー 校 C. V. STARR 東 ア ジ ア 図 書 館 、 特 に マ ル ラ 俊 江 氏 (Librarian for Japanese Collection)に心からの御礼を申し上げる。なお、本 研究は、敬愛大学平成 29 年度研究プロジェクト補助金の交付を受けている。

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(注) (1) 長谷川(1984)には、次のように立項されている。 花 くわ 実 じつ 御 お 伽 とぎ 硯(外・内・尾)半紙本五巻五冊 半月庵主人 序「花洛 半月庵主人識」。刊記「明和五年子正月吉日/京都寺町松原下ル町/梅村市兵 衛/浪花心斎橋順慶町/渋川与市/江府(下記二名の上に)日本橋南二丁目/山崎金兵 衛/大傳馬町三丁目/鱗形屋孫兵衛/板(上記二名の下に)」。「書目年表」「割印帳」に 「花突」とするは誤り。「割印帳」に版元売出を山崎金兵衛とする(p. 157)。 (2) 篠原(2004)は、『浮世草子考証年表』登載作品の「再検証は不可欠」であるとし、特に 「刪」る候補作の代表例として、「長谷川氏が迷った『怪奇集』の本書」を挙げている。冒頭 の一話が「単なる奇談集とは異なった印象を与え」、最終話には商売に関する「教訓が載る」 など、浮世草子を思わせる工夫はあるものの、その外枠を外せば中身は素朴な奇談集で占め られ、他の奇談集と類似する話が多いとして、浮世草子とすることへの疑問を示した(pp. 44 ― 47)。なお、『国書総目録』(補訂版)での分類は「読本」である。 (3) 飯倉(2007)は、近世文学史に「奇談」という領域を設けることを試みており、『花実御 伽硯』について「まさに「奇談」書群の中に見出され る」作品として注目している(p. 12)。確かに、明和 九年(1772)刊『大増書籍目録』下「奇談」の項に 『花実御伽硯』を見出すことができる(図 5 参照)。な お、この書の挿絵は大半が簡略なものであるが、唯一、 巻 1 の 12 丁ウラの挿絵のみ、細密画となっている。 この図は、大蛇に巻き付かれた人間が必死でもがく姿 を捉えたもので、躍動感もあり、助けを求める人間の 指先や、大蛇の鱗の描写が、細密でリアルである。な ぜ、ここだけ他の章の挿絵と異なる質感を有している のか(模写、あるいは、別の絵師の手による可能性も あるか)、今後の検討課題と言える。 (4) バークレー校に赴いて三井文庫貴重書の実地調査 を行ったところ、『続向燈吐話』の異本等の発見まで には至らなかったものの、加賀・越中・能登の三州に 伝わる怪談奇談を集録した『三州奇談』(写本、半紙 本一冊)や武家の逸話を収めた『 頭夜話』(写本、半 紙本二冊)など、多数の奇談集の写本が同コレクショ ンに含まれていることを確認した。三井家が諸国の奇 談巷説等を積極的に収集していたことがわかる。 (5) 語句の一致状況を確かめてみると、ごく軽微な差異が認められる(「戯れ女」が「たわれ 女」となるなど)。また、『続向燈吐話』で「節 せつふ 夫の馬 ば 鹿 か 夫 それ へ尽 つく す」とある部分は正しくは 「節せつ婦ふの馬ば鹿かをつと夫へ尽つくす」とあるべきところで、『花実御伽硯』では正しく記載されている。よ って、半月庵の参照した写本と今回参照した写本との間に異同の見られる可能性も十分考え られる。 (6) 作者半月庵については、『花実御伽硯』刊行よりも前に、宝暦九年(1759)、須原屋茂兵 衛から『源氏双六』を刊行していることがわかっている(『江戸本屋出版記録』上巻より)。 ただ、その実像については現在未詳とするほかない。『狂歌道の栞』(文化八年(1811)大坂 扇屋利助刊)に「亀喬」として登場する橋本屋利兵衛の号が「半月庵」であるけれども、お そらくは偶然の一致であろう。半世紀近くの時間差があり、同一人物と見なすには若干の無 理があると考える。なお、玉華子とは、寛延四年(1751)正月に藤木久市より『増補江戸惣 鹿子』全十三冊を刊行した奥村玉華子のことであると近藤(1997)も篠原(2004)も推定し 図 5 『大増書籍目録』より (ママ) すゝり

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ている。奥村玉華子には、『袖玉ちんかうき』(宝暦二年〔1752〕吉文字や治郎兵衛刊)、『軽 口福徳利』『軽口頓作はなし』(ともに宝暦三年〔1753〕小川彦九郎刊)その他の作品がある。 (7) こうした加工方法は、写本と刊本のどちらが先に存在していたか(刊本を用いて写本が 作成された可能性が皆無と言えるのか)との問いに対する回答も、同時に示していると言え るだろう。すなわち、刊本から写本を作成すると考えた場合、どこの誰の話ともわからない 話に、あえて特定の地域に住む特定の人物の名をそのつど当てはめることの難しさ、不自然 さが指摘できるからである。 (8) 個人が特定されることを避けたほかは、大きく改変を加えることなく、粉本の記述に極 めて忠実に(つまり作者半月庵の個性がほとんど発揮されることなく)作品化したことが、 こうした粉本との対照から浮かび上がる。 (9) 本話が収録されている巻 4 には三話しか収録されておらず、一話の長さが極端に長くな っている。巻 4 以外に関しては、いずれも八、九話を収め、一話の長さに多少のばらつきは あるものの、これほど長い話を収めた巻はない。半月庵が編集に際して何を優先させたのか、 なお考察の余地がありそうである(どうしても収録したい話の長さを基準に、巻 4 の他の話 を整えた可能性等)。 (引用文献) 『江戸本屋出版記録』上巻(書誌書目シリーズ 10)ゆまに書房 1980 年 『諸州奇事談』『国会図書館所蔵 読本集』1(DVD 復刻版)フジミ書房 2009 年 『新著聞集』 花田富二夫/入口敦志/大久保順子『假名草子集成』46 東京堂出 版 2010 年 飯倉洋一 2007 「浮世草子と読本のあいだ」『「奇談」書を手がかりとする近世中 期上方仮名読物史の構築(課題番号 16520103)』大阪大学 近藤瑞木 1997 「玉華子と静観房―談義本作者たちの交流―」『近世文芸』65 篠原進 2004 「浮世草子の汽水域」『浮世草子研究』創刊準備号 長谷川強 1984 『浮世草子考証年表―宝永以降―』青裳堂書店

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 表 5 『花実御伽硯』とその粉本 巻・章 書名 序 虚々実々は(以下略) 続 序 虚々実々は(以下略) 1 1−1 遠州横須賀の怪 続 9−17 遠江国横須賀山中の妖怪の事 2 1−2 犬婦を奪ふ 続 7−1 犬婦女をうはひし事 3 1−3 狐人を救ふ 続 2−6 狐人を救ふ事 4 1−4 甲州の雪女 続 2−9 甲州の雪女の事 5 1−5 火中より死人出る 続 1−4 火中に死人出る事 6 1−6 非人姥が怨念 続 1−7 非人姥が怨念の事 7 1−7 竜道渕の大蛇 続 2−5 竜道渕の大蛇の事 8 1−8 先妻の幽霊 続 2−1 弓町亡霊の事 9 2−1 生ながら狐と成 新 奇怪篇第十 人活ながら狐となる 10 2−2 姿ありて身のなき物 新 奇怪篇第十 形有体なき妖者 11 2−3 常州山本の盗人 続 4−3 常州山中の盗人の事 12 2−4 上総国蛟蝎塚 続 3−12 蛟蝎を焼殺す事 13 2−5 日向の国神軍 続 5−1 日向国神軍の事 14 2−6 薬研坂の幽霊 続 2−2 薬けん坂幽霊の事 15 2−7 黒坊主の怪 続 2−11 黒坊主の怪の事 16 2−8 猫舌をくひ死 新 酬恩篇第三 猫舌を 斃す 17 2−9 榎木の精化 続 1−3 榎木の精化の事 18 3−1 武州江戸四ツ谷見越入道 続 3−3 四ッ谷の見越入道の事 19 3−2 本所天狗の足跡 続 3−4 白金の足あとの事 20 3−3 不忍池妊婦化生 続 3−5 妊婦化生の事 21 3−4 我然坊谷大女 続 3−9 中の町大女の事 22 3−5 越後国御朱印狸姥 続 4−2 御朱印姥の事 23 3−6 新吉原の子狐 続 4−4 金杉の小狐の事 24 3−7 備中国吉備津宮美女 続 5−2 備中国怪異の事 25 3−8 猫の怪異 秉 巻四 猫の怪異 26 3−9 老鼠妖 向 巻一 老鼠の怪 秉 巻四 老鼠の怪 27 4−1 蜘蛛の怪異 続 3−8 蜘蛛の怪異の事 目録題 目録題 粉本 『花実御伽硯』  (注) 章番号は便宜的に掲載順に付した。書名略号は次の通り(向=『向燈賭話』、続=『続向燈吐 話』、新=『新著聞集』、秉=『秉燭奇談』)。 巻・章

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 表 5 『花実御伽硯』とその粉本 巻・章 書名 28 4−2 猿を殺して病 新 報仇篇第四 猿恨怪をなす 29 4−3 能登国邪神 続 4−5 能登国邪神の事 30 5−1 雲中の人聲 続 5−3 雲中の人声の事 31 5−2 箱根の貂 続 5−4 湯の山の貂の事 32 5−3 四ッ谷の河童 続 5−6 四ッ谷の河童の事 33 5−4 佐渡の国隠れ里 続 1−9 同国隠れ里の事 34 5−5 出羽の国撞鐘半ば盗 続 2−7 撞鐘半を盗む事 35 5−6 椿木の妖 続 1−2 椿木の妖の事 36 5−7 どんなる狐 新 俗談篇第十七 鈍狐害をかふむる 37 5−8 八王子の酢屋 続 3−2 八王子の酢屋の事 目録題 目録題 粉本 『花実御伽硯』 巻・章

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 表 6 『続向燈吐話』各話の利用状況 巻・章 諸/花 1 1−1 蕣花の内より骸出る事 諸 2−4 蕣花の妖怪 2 1−2 椿木の妖の事 花 5−6 椿木の妖 3 1−3 榎木の精化の事 花 2−9 榎木の精化 4 1−4 火中に死人出る事 花 1−5 火中より死人出る 5 1−5 狼の恩報の事 諸 5−3 市ヶ坂の化生 6 1−6 江戸見坂の怪説の事 諸 5−4  還会天狗 7 1−7 非人姥か怨念の事 花 1−6 非人姥が怨念 8 1−8 佐渡国老狸の事 ― ― 9 1−9 同国隠れ里の事 花 5−4 佐渡の国隠れ里 10 1−10 木曽山中妖の事 ― ― 11 2−1 弓町亡霊の事 花 1−8 先妻の幽霊 12 2−2 薬けん坂幽霊の事 花 2−6 薬研坂の幽霊 13 2−3 石州浜田名作の瑞の事 ― ― 14 2−4 山鳥雌のあたを報る事 ― ― 15 2−5 竜道渕の大蛇の事 花 1−7 竜道渕の大蛇 16 2−6 狐人を救ふ事 花 1−3 狐人を救ふ 17 2−7 撞鐘半を盗む事 花 5−5 出羽の国撞鐘半ば盗 18 2−8 怨念門をたたく事 19 2−9 甲州の雪女の事 花 1−4 甲州の雪女 20 2−10 玉より尾を生する怪の事 ― ― 21 2−11 黒坊主の怪の事 花 2−7 黒坊主の怪 22 3−1 粟津の妖女の事 ― ― 23 3−2 八王子の酢屋の事 花 5−8 八王子の酢屋 24 3−3 四谷の見越入道の事 花 3−1 武州江戸四ッ谷見越入道 25 3−4 松山の猫の事 諸 3−4 猫鬼の教場 26 3−5 白金の足あとの事 花 3−2 本所天狗の足跡 27 3−6 妖婦化生の事 花 3−3 不忍池妖婦化生 28 3−7 冨士の根方の蛟蝎の事 ― ― 目録題 目録題 『諸州奇事談』と『花実御伽硯』における利用状況 『続向燈吐話』 (注)  章番号は便宜的に掲載順に付した。書名略号は次の通り(諸=『諸州奇事談』、花=『花 実御伽硯』)。 巻・章 ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―

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 表 6 『続向燈吐話』各話の利用状況 巻・章 諸/花 29 3−8 蜘蛛の怪異の事 諸 3−6 豫州の河童 花 4−1 蜘蛛の怪異 30 3−9 中の町大女の事 花 3−4 我然坊谷大女 31 3−10 狐侍に変する事 諸 3−5 麻布の古狐 32 3−11 闇坂の幽霊の事 ― ― 33 3−12 蛟蝎を焼殺す事 諸 2−11 市原の大蛇 花 2−4 上総国蛟蝎塚 34 3−13 巾着切横死の事 ― ― 35 4−1 貍寺の号の事 ― ― 36 4−2 御朱印婆の事 花 3−5 越後国御朱印狸姥 37 4−3 常州山中の盗人の事 花 2−3 常州山本の盗人 38 4−4 金杉の小狐の事 花 3−6 新吉原の子狐 39 4−5 能登国邪神の事 花 4−3 能登国邪神 40 5−1 日向国神軍の事 花 2−5 日向の国神軍 41 5−2 備中国怪異の事 諸 2−10 花中の鬼女 花 3−7 備中国吉備津美女 42 5−3 雲中の人聲の事 花 5−1 雲中の人聲 43 5−4 湯の山の貂の事 諸 3−3 温泉の奇怪 花 5−2 箱根の貂 44 5−5 泥我右衛門強勇の事 諸 5−7 江州の勇者 45 5−6 四谷の川童の事 花 5−3 四ッ谷の河童 46 5−7 碓井の尻馬の事 ― ― 47 5−8 小田原の地震の事 ― ― 48 5−9 蛟蝎家を潰す事 ― ― 49 5−10 信悪か怨霊の事 諸 2−9 少女の懺悔 50 6−1 甲州宮内が乱行の事 ― ― 51 6−2 西應寺町化物やしきの事 ― ― 52 6−3 上野国の人横難の事 ― ― 53 6−4 車井密夫をあらわす事 ― ― 54 6−5 死人土中の聲の事 ― ― 55 7−1 犬婦女をうはひし事 花 1−2 犬婦を奪ふ 目録題 目録題 『諸州奇事談』と『花実御伽硯』における利用状況 『続向燈吐話』 巻・章 ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―

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巻・章 諸/花 56 7−2 衣桁にかけし小袖より手を出す事 諸 2−8 執着の小袖 57 7−3 女ぬすひとの事 ― ― 58 7−4 盗人恩を報ゆる事 ― ― 59 7−5 墓所より火の玉飛ふ事 ― ― 60 8−1 火の霊塚上にたゝかふ事 諸 2−7 幽魂の闘諍 61 8−2 厠の神を見て死する事 ― ― 62 8−3 厠の怪異の事 ― ― 63 8−4 狸おのれと腹を断事 諸 2−5 古狸の腹鼓 64 8−5 皀木の妖の事 ― ― 65 8−6 産婦稲荷怪異の事 ― ― 66 8−7 赤坂火消屋敷怪異の事 ― ― 67 8−8 滝川家の狸の事 ― ― 68 8−9 上杉家の怪異の事 ― ― 69 8−10 狐人を焼殺す事 ― ― 70 8−11 下総惣五の宮の来由の事 ― ― 71 8−12 同国馬頭観音の事 ― ― 72 8−13 同国権現石来由の事 諸 2−6 熊野の霊石 73 8−14 清水より龍現たる事 ― ― 74 8−15 土屋家のやしき龍出現の事 ― ― 75 8−16 亡霊きつねを頼む事 ― ― 76 8−17 猫の生霊人につく事 ― ― 77 8−18 衣嚢より人魂出る事 ― ― 78 9−1 土中弥陀を掘り出す事 ― ― 79 9−2 芝居の盗人の事 ― ― 80 9−3  人を呼ぶ事 ― ― 81 9−4 白衣の追剥の事 ― ― 82 9−5 姫路の城妖の事 ― ― 83 9−6 狸の廻国の事 ― ― 84 9−7 疱瘡の神と力をあらそふ事 ― ― 85 9−8 疱瘡神を窓より撲つ事 ― ― 86 9−9 愛子の重病をいかり疱瘡神の たなを破ぶる事 目録題 目録題 『諸州奇事談』と『花実御伽硯』における利用状況 『続向燈吐話』 巻・章 ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―

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巻・章 諸/花 87 9−10 同前疱瘡の神を見る事 ― ― 88 9−11 長門国の人ろくろ首の事 ― ― 89 9−12 上総国の人胸裂事 諸 5−8 酒毒胸を裂 90 9−13 陸奥国の人手指のわづらひの事 諸 2−3 老女の悪報 91 9−14 同国の人かげのわつらひの事 ― ― 92 9−15 若狭国の人馬となる事 ― ― 93 9−16 丹波国傀儡の霊の事 諸 2−2 笹山の傀儡 94 9−17 遠江国横須賀山中の妖怪の事 花 1−1 遠州横須賀の怪 95 10−1 駿河国藤枝山中件出る事 ― ― 96 10−2 相模国木場妖怪の事 諸 2−1 相州の山鬼 97 10−3 陸奥国さとりの事 ― ― 98 10−4 山ふしかぶろ両坂来由の事 ― ― 99 10−5 西の久保町屋妖怪の事 ― ― 100 10−6 衾の内より大手を現す事 ― ― 101 10−7 女髪の怪異の事 ― ― 102 10−8 御影堂七兵衛が事 ― ― 目録題 目録題 『諸州奇事談』と『花実御伽硯』における利用状況 『続向燈吐話』 巻・章 ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―

参照

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