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米国の沖縄統治に関する米国政府公文書の紹介~沖縄返還交渉関連文書を中心に~: 沖縄地域学リポジトリ

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Title

米国の沖縄統治に関する米国政府公文書の紹介∼沖縄返

還交渉関連文書を中心に∼

Author(s)

仲本, 和彦

Citation

沖縄県公文書館研究紀要 = OKINAWA PREFECTURAL

ARCHIVES BULLETIN OF STUDY(3): 19-46

Issue Date

2001-03-30

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/8997

(2)

米 国 の 沖縄 統 治 に関 す る米 国政 府 公 文 書 の紹 介

∼沖縄 返 還 交 渉 関 連 文 書 を 中心 に ∼

仲 本 和 彦 † 「連邦各省庁 の長は、政府 B身お よび政府 と関わ りのあ る人 々の法敵 ・摩 済蔚 利益 を守るため、,#戯 、磯Hj苦、改発、決断、立案適者 、彫5/きに係 る文書等 を 適材に作成 し、保存 する義彦がある と何時 に、産 済敵 で効率蔚 7?文書管理 シス テムを傍薬 する義務がある。J' は じめに 1米国政府公文書の3つの魅力 1-1情報公開制度

-

「国民 に知 らせ る」 1-2文書管理制度- 「活動 をきちんと記録 に残す」 ト3NARAの閲覧制度- 「自由に閲覧 ・収集で きる

2沖縄返還交渉の背景 と公文書 2-1経過 2-2主要組織 2-2-1ホワイ トハ ウス

2

-

2

-

2

軍部 (国防省、陸軍省

、Us

cAR)

2-2-3国務省 と軍部の調整 3資料群紹介 3-1大統領文書群 3-2国務省文書群 3-3「オフラハ-テ ィ文書

3

-

4 「

US

CAR

文書」 むす び はじめに

1

9

7

2年 に沖縄が 日本 に返還 されてか ら

2

0

0

2

年で

3

0

年の節 目を迎 える。マス コミをは じめ学会や 自治体 などでは特別番組や記念 シンポジウム、セ ミナー、展示会、記念誌の編纂 など、 さまざまな事業が催 さ れることだろう。それ らは 「新生沖縄県」が返還後た どって きた道 を振 り返 る機会 を与 えて くれると同 時に、沖縄返還が 日本の戦後史上あるいは 日米外交史上 どの ような意義 を果た したかについて考 え直す 機会 を与えて くれるに違いない。 さて、沖縄返還の意義や返還交渉の経過 などについてはこれ まで多 くの人が さまざまな角度か ら検証 †財団法人沖縄県文化振興会公文書管理部公文書専 門員 米国駐在

■44UnitedStatesCode3101.

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-を行 って きた。例 えば、1969年 に書かれ、最近刊行 された三木健著 『ドキュメン ト沖縄返還交渉』 (日 本経済評論社、2000年)は、外務省担当記者 としての立場か ら、対米交渉 における 口本政府、各政党、 民間団体、世論の動 きな どを詳細 に綴 っている。1975年の 日本政治学会編 「沖縄返還交渉の政治過程

『国際政治』52弓・は、 日米の研究者 によ り日本政府お よび米国政府 における政策決定過程 、復帰運動 、 民間集団の果た した役割 など、返還交渉その ものや交渉に影響 を与 えた諸要素 を総合的に分析 している。 ただ し、沖縄返還交渉の舞台裏 については研究 され尽 くした とは言えず、部内者へのインタビューを 中心 に日本政府の政策決定過程の舞台裏へ迫 った福井治弘で さえも、1975年の時点で次の ように記 さざ るを得 なかった。 これ までに発表 された学術粛文や 一般節.解説文厳 のお膚 で、われわれはすでにこの論争の 原囲 な らびにその歴史G/J超過 についておお ざ

ぱ72知識 を揮 っているo に もかかわ らず、 このFL,g題 に関 するわれわれの屠解 は非 常に不完全72もので しかをいO (中解) われわれは、 東京、那覇、 ワシン jtンとい う三 つの首都 における政府内の決定.適者 について詳,紺7J知識T を持 ち合わせ てい7?いo各政府部内 で"誰が、いかをる状況 下で、いかなる決定 を行い、そ の決定が いか7?る効果 を生 んだのか とい うノ問題 は、未だ不透堺かつ神秘 7iベールにおお われ ているo各政府I7gで主 だ った厨係者71-ちが どのよ うを交 渉 をもったのか、 ま してや、 一皮/揮内の閲係者た ちが他の政府内の関係者た ちといか7?る関係 をあっ71-のか、 という6,,f] 題 についてのわれわれの知p-謀は一層少 い02 福井の論文以後、い くつ もの研究が出 された ものの、公文書や 日記 など利用で きる一次資料が限 られ ていたため、福井の言 う事実の裏付 けについては依然 として不十分なところがあったO -ところが、 ここ数年、沖縄返還交渉に関する研究環境が急激 に変わ りつつある。交渉の経過 を示す政 府公文 書、 とりわけ、米国政府公文書の解禁が急速 に進んで きたか らだ。米国側で交渉窓口の役割 を担 った国務省の文吉群が1973年 まで公開 されているの をは じめ、1972年5月に閉庁するまで米国の沖縄統 治行政 を担 った琉球列 島米国民政府 (UnitedStatesCivilAdministrationoftheRyukyulslands、以後 UscAR)文書群320万頁 も全面公開 されている。 こうして数百万頁 に及ぶ膨大な米国政府公文書が利用 で きるようになった今、これ まで報道や証言な どを中心 に行 なわれて きた沖縄返還交渉研究は大 きな転 機 を迎 えている。4公開 された公文書 に基づいた研究 も出始めている。例 えば、我部政明著 『日米関係の

なかの沖縄』 (三一書房、1996年)、『沖縄返還 とは何 だったのか 日米戦後交渉史の中で』(日本放送出 版協会、2000年)の両書 は、共 に米国立公文書館 (NationalArchivesandRecordsAdministration、以下 NARA)での精力的な資料調査 を基 に、 これまで明 らかにされなかった返還交渉の舞否裏に迫 っている。 2 福 井治弘 「沖縄返還交渉- 日本政府 における決定過程

F沖縄 返還交 渉の政治過程』 (日本国際政治学会編 F国際政治」 52号 、有斐 働、1975年)、97頁o l この うち、 ]979年のヘ ンリ- .キ ッシンジャー著 『キ ッシンジャー秘録』 (小学館) は、ニ クソン大統禎特別補佐官 として の立場 か ら沖縄返還交渉の内幕 を明 らか に している。 1994年の河野康子著 r沖縄返還交渉 をめ ぐる政治 と外交 日米関係 史の 文脈j (東京大学出版 会) は、吉 田内閣期 か ら佐藤 内閣期 までの 日本政府の沖縄返還への取組み を、対米提携 関係構築 とい う 枠内で どう行 なお うとしていたか を分析 している。同 じく1994年の若泉敬著 『他策ナカ リシヲ信 ゼム ト欲 ス』 (文襲春秋)は、 佐藤 首相の 「密使」 と して1967年、 1969年の 日米首脳会談へ関わった著者の回想 を交 えなが ら交渉全般 の流れ を追 っている。 4 沖縄返還交渉 に限 ってではないが 、膨大 な公文書 を丹念 に読み通 し、米国統治時代 の歴 史の再検証 を試みた力作 として琉 球新報編集委貞仲 田活喜 「シ T)-ズ 公文書 の記録/UscARの時代

」(

『琉球新報』2000年6月4E]-8月20円)がある。 - 2

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0-(資料1) また、不破哲三著 『日米核密約』 (新 日本 出版社) も解禁 された米国政府公 文書 を基 に 日米核 密約の内実 を明 らかに している。 さらに重要なことは、 こうした米国政府公文書のほ とん どが米国へ渡 らず とも日本で見 られるように なっていることだ。1995年 に開館 した沖縄県公文書館 は、1997年か ら米国の沖縄統治 に関す る米国政府 公文書の調香 と収集 に取 り組 んで きたが、米国政府 による文書解禁の追い風 を受 けて、 これ まで知 られ ていなかった沖縄返還交渉の舞台裏 を知 る米国側基礎資料 のほ とんどは沖縄 で利用で きる

5

こうした状況 を踏 まえて、本稿 では、解禁の進 む米国政府公文書 を紹介 し、一次資料 に基づいた沖縄 返還交渉研究の可能性 を探 ってい くことに したい。 1米国政府公文書の3つの魅力 「政府」 とい う組織 は、一般市民か ら集めた税金 を使 って教育や公共基盤整備 な ど、いわゆる 「行政」 とい う営み を代行す る。そのため 「政府」 には、市民 か ら委託 された活動 の中味 をきちん と市民 に説明 す る義務がある し、一般市民 には、その営みが正 しくな されているか を知 る権利があ る。 これが よ く言 われる 「アカウンタビリテ ィー (説明責任)」 と 「情報公 開」 の原理であ る。 その原理 を他 の どの国 よ りも忠実 に体現 しようと努力 しているのが、民主主義 の盟主 を標模す るアメ リカだ。沖縄返還交渉 に関 わる文書 を紹介す る前に、本章 では、 まず、貴重 な歴史資料 を次 々に提供す るNARAの魅力 について触 れてみたい。 ト1情報公開制度- 「国民 に知 らせ る

最近、マス コ ミな どで次 々に紹介 され る公文書 の発見で重要 な鍵 を握 ってい るのは、1995年4年 に出 された大統領行政命令である。6連邦政府 の公文書 は、歴史的価値 を有す る もので作成 ・取得 か ら30年経 過 した もの をNARAで一括管理す ることになってお り、従 って、30年前 の公文書 は原則 として閲覧で き ることになってい る。7ただ し、解禁前 にプライバ シーや国家安全保障 に関わる文書が含 まれていないか

を点検す るため、実際 には 「組織的見直 し作業 (systematicDeclassificationReview)」 を経 なければ解禁 されることはない。 この見直 し作業 には多 くの人手 と莫大 な費用がかかるため、行財政改革でス リム化 され、資源不足 に陥 っていた連邦 各省庁 に よる解 禁作 業 は大 幅 に遅 れ てい た。 ところが、1995年 の この大統領行政命令 によ り、見直 しされ ようとされ まい と作成 か ら25年過 ぎた文書 は原則公開 しなけれ ばな らないこ とになった。 「見直 しされ ようとされ まい と」 とい うわけだか ら、放 っておけばすべ て 自 動的に解禁 となる

xそのため、各省庁 は予算 のや りくりを しなが ら否応無 しに文書見直 し作業 に取 り組 むことになった。 これが、最近 になって米国政府公文書の解禁が進 んだ一番の要因であ る。 この大統 領行 政命令 以外 に機密 文書 へ の ア クセス を可 能 にす る道 が い くつ か あ る

「情 報 自由法

(Freedom oH nformationAct、以下FOIA)」や 「強制見直 し請求 (MandatoryReview Request)」 な どがそ れだ。政府 は先 に触れたsystematicDeclassificationReviewの際、-一部あ るいはすべ て を公開制限す る と い う決定 を下す ことがで きる。それ ら非公開文書 に対 して も、それぞれ どの法律 を根拠 に公開制限 され

∼ 事業の詳細 については拙稿 「米国 による沖縄統 治 に関す る米 国側公文書調査 ・収集の意義 と方法

」r

沖縄 県公文書館研 究紀 要』第2号 (20α)年3月)、49-75頁 を参照。

I ExecutiveOrder12958:Classif]edNationalSecuritylnforrr)ation(17April1995).

7 36CodeofFederalRegulations(以下CFR)1228,180.

5 これ を 「日動制限解除 (AutomaticDeclassifica【ion)」 と呼 んでいる。

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21-ているかによって、研究者はFOIAやMandatoryReview Requestを使 って公開請求することが出来るのだ

9

(資料2) さらに、これ らFOIAやM andatoryReview Requestで請求が却下 された場合で も、「上告」 という 道が残 されているなど、公 開担当者の恋意的な判断でアクセスが制限 されることがないよう 「救済の道」 が整備 されている。… 1-2文書管理制度- 「活動 をきちん と記録 に残す」 上で見た ように、米国において公文書へのアクセスの制度が充実 していることは、 日本で もある程度 知 られて きた事実であるが、NARAが貴重 な歴史資料 を次 々に世に出す よ り根本的な要因は別の ところ にある。文書管理制度 の充実だ。「情報公開 と文書管理 は車の両輪」 と言われるように、文書へのアク セスは、 しっか りした文書管理制度が在 っては じめて可能 になる。請求 しようとして も文書が残 ってい なかった り、保管場所が分か らなかった りしては、文書へのアクセスはままならない。

連邦政府の文書管理 を規定する最 も基本的な法律 は 「連邦記録法 (Federa)RecordsAc

t

)

」である。 こ れはFOIA制定 (1966年) に先立つ1950年 に制定 された。 この法律 によ り、連邦政府職員は業務 を記録 に残 し、作成 した文書 は現用期 間中 しっか りと維持 ・管理す ることが義務づけ られている。 '1米国では 日本 に比べ公文書の定義が広 く、場合 によっては 「草稿」 や 「メモ」 なども公文書 とみ なされるため、 政策決定過程が如実 に記録 されていることが多い。例 えば、 w orkingFilesに含 まれる草稿、メモなどに ついて も 「承認、 コメ ン ト、指示 などの 目的で回覧 された り、組織の政策策定や実行 に役立つ ようなコ メン トや注がついている場合」、公文書 として扱 われることになっている。】2さらに現用期間が過 ぎた文 書の処分 (廃棄 と移管) も組織的かつ合法的に行 な うよう義務づけ られている。個人の独断で文書 を廃 棄することは堅 く禁 じられ、悪意のある不法廃棄 については2,000ドルの罰金か禁固3年、あるいはその 両方が課せ られる。】3永年 に渡 る歴史的価値がある と判断 された文書 は公文書館へ移管 され、大切 に保 管 されると同時に閲覧に供 されることになる。 '4 我が国では米国で見 られるような公文書へのアクセスやその管理 を規定す る関係法律の整備が遅れた 9 FOIAには9つの例外規定が設け られているが、主 な ものは、「国防」、「外交政策」、「商売取引 き」、「捜査」、「銀行監査」、 「油田」 に関する文書及び 「プライバ シ-侵害」の恐れのある文書 などである (36CFR1250.70)a lu FOIAに関 しては36CFR1254.44、各種MandatoryReviewに関 しては36CRF1260、36CFR1270、36CFR1275などを参照. 1】 作成、維持、つ まり、適切 な ドキュメンテーシ ョンについては44UnitedStatesCode3101で定めている。それによると、連 邦各省庁は、「政府 自身および政府 と関わ りのある人々の法的 ・経済的利益 を守るため、組織、機能、政策、決断、立案過程、 取引 きに係 る文書等 を適切 に作成 し、保存する義務があると同時 に、経済的で効率的な文書管理 システムを構築する義務が ある」 となっている。記録方法、公文書の分類、維持方法 について も別に詳細 に定め られている(36CFR1222.32)0 '2 36CFR1222.34. ■' 処分 (廃棄 .移管)についは36CFR1228で定めているO処分は、Scheduleと呼ばれる 「処分計画」に沿って行 なわれるが、 詳細 は拙稿 「米国連邦政府 における文書管理一文書の処分計画 を中心 に-J

r

行政&ADP』vol.35,No.6(行政情報 システム 研究所、1999年)、2-10頁を参照。 '4 永久保存かそ うでないかについては、各省庁の提案 をNARAが審査 し、決定する.永久保存すべ きか どうかは、十分な歴 史的価値(sufficienthistoricalvalue)があるか、あるいは政府 による継続的保存(continuedpreservation)の必要性があるかないか で判断 され、永久保存指定 を受 けるのは連邦政府が作成す る文書全体 の約1-3%と言われている。永久保存文書は通常30年 以内、写真 ・映像資料やマ イクロフ ィルムなら5年か ら10年で公文書館の管理下-移 るが、原課 における保存環境が適切でな い場合にはす ぐにで もNARAに移管 される (36CFR 1228.28、1228.30)。作成か ら30年以上鐙過 していて も各省庁が業務上保 持す る必要がある場合は、書面でNARA館長の許可 を得 なければならない (36CFR 1228.183)030年以上 も経 っていなが ら NARAに移管 されない文書が多いが、その謎はこれで説明がつ く。各省庁は、NARAに移管後 も利用制限をすることがで きる。 この場合、FOIAの例外規定 などを根拠 に正当な理由付 けをす る必要がある。 (36CFR1228.192)0 -

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22-ため、これ まで政府の公文書 は残 されていないか、残 されていて も公開 されない ことが多い。15これか ら紹介 してい く沖縄返還交渉に関す る公文書 に して も同 じことが言 える。交渉過程 における日本政府内 の動 きは きちんと文書化 されなかった とされる し、 また、た とえ文書化 された として も、ほ とん ど公開 されていない。 Lb ト3NARAの閲覧制度- 「自由に閲覧 ・収集で きる」 この ように しっか りした情報公開制度や文書管理制度 を土台に して管理 されている米国政府公文書だ が、NARAには世界中か らの研究者 を惹 きつけて止 まない もう一つ大 きな魅力がある。それは自由な閲 覧制度である。NARAほ ど自由にオ リジナル文書 を閲覧で き、必要 に応 じて収集で きる体制 を整 えた公 文書館は他 にないのではないだろうか。 まず、閲覧 については、NARAが作成 した 目録 を使 って 目当ての文書 を探 し当てた利用者は、一度 に 1カー ト分 (約3メー トル書架長)の文書 を閲覧す ることがで き、利用期 間制限などはないため、時間の 許す限 り何 日で もじっ くり読み込 むことがで きる。文書保護のため、一部利用 を制限 しているもの もあ るが、原則 としてオリジナル文書での閲覧が可能だ。一度 に閲覧で きる文書量 を厳 しく制限 した り、マ イクロフィルムでの閲覧 しか認めないなどの措置 を取 っている公文書館 に比べ るとはるかに調査がはか どる。 ■7 また、利用者は、セルフサービスの コピー機 や業者委託 などを通 して必要なだけ複写収集で きる。 こ の点 について も、オリジナルか らの複写の禁止、複写の許可制、複写量の制限な どの措置 をとっている 公文書館 に比べ るとはるかに仕事が しやすい。lX これらの点が、沖縄県公文書館が米国統治時代 の公文書の包括的収集事業 を展開で きる一つの理由だ。 国立国会図書館 との共同事業では約320万頁 に及ぶ 「USCAR文書」 を重複 を除いてすべて複写収集 して いる し、後で詳 しく述べ る沖縄返還交渉 に係 る文書群 も、悪意的 な選別 をで きるだけ避 け、「固 ま り」 で収集するように している。 こうすることで、沖縄の利用者が アメリカまで出掛 けて行かな くて もオリ ジナル文書の前後関係 を再構築で きるようになる。現時点で、沖縄返還交渉に関連する文書の収蔵状況 では、国内において沖縄県公文書館 に匹敵する文書館 はないだろう。 】9 以上が、最近特 に利用 しやす くなった米国政府公文書 を取 り巻 く状況である。では、次章以下、沖縄 返還交渉の背景 と、その過程で作 り出 された公文書の関係 を詳 しく見てい くことに しよう。

1

5

「情報公開法」、「国立公文書館法」の制定は、ともに1999年になってか らだ。 ■h 日本の役所 においては棄議制が採 られているため、少 な くとも 「全会一致」の記録が残 るはずだが、福井 によると、沖縄 返還交渉においては 「非常時型」の政策決定法が取 られ、協議の記録は部分的に しか残 されず、いちいち認印を押す ことも行 なわれなかった。福井、前掲書、120頁。 日本の外務省は1976年以降、米国 と同様 、原則 として30年以上経過 した文書 を順次 公開 しているが、国の安全保障、交渉過程、プライバ シーに関わる文書 については、除外規定 を盾 にかな り閉鎖的な運用がな されている。すでに公開されているはずの E]米安保改定交渉や沖縄返還交渉などに関す る重要文書 は一一切公開 されていない。 (2000年5月29El付 r朝 日新聞』) 17 ただ し、目録の整備状況 においてはNARAほど時代遅れな公文書館 もないだろ う。文書(tex(uaJrecords)のデー タベース化 は進んでお らず、利用者は目当ての文書にた どり着 くまでに何冊 にも及ぶ目録 に丹念に目を通 さなければならず、かな りの時 間 と労力を費やす ことになる。 IR この点については賛否両論あろうO文書保存の観点か らオリジナル文書 をセルフサービスで複写 させ る リスクはかな り大 きい。 ■9 同館の収蔵資料 については、次第に研究者か らも注 目されるようになっている。我部政明 『沖縄返還 とは何 だったのか一 日米戦後交渉史の中で』 (日本放送出版協会、2000年)、6頁。「魚眼 レンズー盛況な り "宮里学校"」『沖縄 タイムス』 (1999年7 月8日)O沖縄県文化振興会公文書管理部縮 「利用者の声

」r

ARCHIVES-沖縄県公文書館 だ より』第10号 (沖縄県公文書館、

2000年1月)、5頁。

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-2沖縄返還交渉の背景 と公文書 沖縄返還交渉では 「解決すべ き課題 だけで も数千 にのぼ り、協定 、合意録 、その他公文書 に織 り込 ま れるべ き課題が数百 にのぼ った」 とされる.20公文書 を理解す る上で は、 どの ような課題があ り、その 解決のため にどの ような組織 や人物 を通 していかなる交渉が行 われたか を理解 してお くことは欠かせ な い。そ こで、本章では、沖縄返還交渉 に携 わった組織 を中心 に交渉過程 の背景 を簡単 にお さらい してい くことにす る。 2-1経過 沖縄返還 を達成す る とい うのは講和条約締結直後 か ら日本政府 の課題 であ った

日本政府 は、度 々、 交渉議題 としての提案 を試み るが、極東 の安全保障 に対す る 日本 の貢献不足 を理 由に米国政府の反応 は 厳 しか った。 「沖縄 を返せ と言 うのな ら日本 は極東 の安全保 障 に もっ と寄与せ よ」 とい う論理 だ。米国 が沖縄 を統治 していた理 由は領土的野心 か らで もなければ、経済的な もので もな く、誰か らも何 ら制約 を受 けない軍事基地の確保 のみであった。沖縄 は米国にとって極東軍事戦略の要だったのである。結局、 内政的に防衛力増強 にコ ミッ トで きない 日本政府 は、この間題 に触れることを避 け ざるを得 なかった。2t 米国政府内では沖縄 における軍用地問題が政治問題へ と発展 した1958年初頭 に一度沖縄返還が検討 さ れたことがあるが、その時 も 「基地沖縄」 を手放す ことがで きない軍部の強い反対 に遭 って進展 しなか った

22講和条約以後の沖縄返還 に関す る 日米交渉 については、後 に紹介す る国務省文書群や 「USCAR 文書」 などに関連文書が見 られる。 1960年代 に入 ってか らは、両 国政府 は 日米関係 の安定 のため、 ひいては極東全体 の安定のため、「沖 縄 問題」 が解決すべ き問題 である との認識 を持 ち始 め る。その結果 、「一体化政策」 を柱 に将来の返還 に備 えて、本土 と沖縄 の間の さまざまな格差 を是正 す る措置が取 られるようになる。2-1964年4月には、 対琉球援助 を協議す るため 「日米協議委員会 (U.S.-JapanConsultativeCommittee)」 と 「日米琉技術委員 会 (TechnicalCommittee)」が設置 された。 これ ら委員会 を通 じての一体化政策 については、「USCAR文 書」の中に関連文書が多数見 られる。 1965年 になる と、「沖縄 問題」 は、 日米交渉の正式議題 として掲 げ られ るようになる。 ただ し、米国 の反応 は相変 わ らず冷淡 で、1965年1月に佐藤栄作首相が ジ ョンソン大統領 との首脳会談で沖縄返還 を 正式 に要請 に も関わ らず、なん ら成果 は見 られなかった。その年、佐藤首相 は 「沖縄 の祖国復帰が実現 しない限 り、我が国に とっての 『戟後』 は終 わっていない」 とのス ピーチ を行 うな ど、沖縄返還 を最重 要課題 の一つ と して継続 的 に取 り組 む決意 を表明 した。それ に合 わせ て米国政府 内で も検討が始 ま り、 1966年 までには国務省、軍部 ともに 「沖縄 問題」が存在す ること、それ を放置す ると、近い将来基地機 能 を維持 で きな くなる恐 れがある とい うことで コンセ ンサスがで きつつあった。その頃、政府内に設置 された 「極東問題省庁 間作業部会 (FarEasternInterdepartmentalRegionsGroup、以下FE-IRG)」 の下 に

21)schmitz,CharlesAH'rWorkingOuttheDetails,I-inFeatherstone,EdwardM・,etal・,"TheOkinawaReversion:EndlngthePost-War Period,"ForeignServiceJoumal(May1992),22, コr 講和 以 後の tj本 の歴代 政権 の対応 につ いて は河野康子 r沖縄 返還交 渉 をめ ぐる政 治 と外交j (東京 大学 出版 会 、 1994年) に詳 しい。 2: 残部 、F沖縄返還 交渉 とは何 だったのか』、52頁。 ロバー ト ・エ ル ドリッヂ 「シ リーズ 40年 前の基地統 合計画 に学ぶ

」(

r

琉 球新報』2001年 1月19日-1月27日)。 ユー 沖縄現地での統 治行政 の最高責任者 であ ったポールW.キ ャラウェイ高等弁務官 に よ り離 日政策が推 し進 め られ、ト一体化」 が進展 しなか った時期 もあ る。

- 2

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4-「琉球特別作業部会 (SpecialRyukyuIslandsWorkingGroup)」が置かれ、沖縄返還の可能性 について検討 す る場が設 け られた。そ こでの検討の結果 、基地の 自由使用権 お よび核 の貯蔵権 さえ確保 で きれば、沖 縄返還 は可能である との結論が出 された。その後 、沖縄返還 に最 も強 く反対 していた統合参謀本部 も、 返還 を軍事問題 ではな く政治問題 として捉 える見方 に理解 を示す ようにな り、 もはや返還 は 「すべ きか どうか」ではな く、「いつ

「どの ように」 とい う問題 になった。 1967年 11月、二度 目の佐藤 ・ジ ョンソン首脳会談で両3年 内 に返還の時期 に合 意すべ きとい う共同声 明が採択 され、沖縄返還が大 きく動 き出 した。1968年 には 「日米琉諮問委員会 (AdvisoryCommitteeto theHigh Commissioner)」が設置 され、一体化 の さらなる推進が図 られたo ただ し、基地の 自由使用や核 の問題 についての 日米間の溝が探す ぎ、返還交渉その ものに進展 は見 られなかった。24 その後、 日本政府 は1968年 12月の 日米合 同委員会以後、核 の問題 について も戦略論 ではな く、政治論 に拠 ることによ り、米側 の理解 を求め る よう方針 を修正 した。25っ ま り、核 に固執す るこ とに よ り米 国 が得 る戦略的利益 と返還 を遅 らす ことによ り日米関係 に与 える影響 を比較す ることによ り沖縄返還の メ リッ トを説いたのである。 1969年6月、愛知挟-外相の ワシ ン トン訪問 によ り日米両政府 の正式交渉が始 まった。共同声明の 日 本側草案が渡 され、11月の佐藤 ・ニクソン会談での最終決着へ向け、具体 的交渉が繰 り返 された。その 中で も特 に交渉が難航 したのは、核 の貯蔵権 (11月19日に合意) と財 政取 り決め (11月10口に合意)だ った とされる。核 については 日米安保 の運用 で米側 の要求 を満足 させ ることで合意 し、財政取 り決めに ついては 日本政府が秘密補償 す ることで合意 した。261969年11月の 日米共同声 明か ら1972年 の返還 まで は、それ ら取 り決めを具体的 にどう実施するかの交渉期 間 となる。 1965年の佐藤 ・ジ ョンソン会談か ら1968年頃 までの 日米予備交渉や米国政府内での検討過程 について は、後で詳 しく紹介す る国務省文書群が最 も有効である。 ジ ョンソン大統領図書館 には、 ジ ョンソン政 権期のホワイ トハ ウス文書群が保管 されているが、沖縄 県公文書館 はその調査 を行 なっていないため、 ここで詳 しく取 り上げることはで きない。 また、 1969年か ら始 る 日米正式交渉、1970年か らの取 り決め の具体的実施 に関す る文書 については、・国務省文書群の他 に、ニ クソン大統領文書群、陸軍参謀文書群 の中の通称 「オフラハ -テ ィ文書」、「UscAR文書」 な どが有効 であ る。その中で も 「オプラハ -テ ィ 文書」 は、内容が沖縄 関係 のみに限 られてい ることや他 の文書群では公 開 されていない軍の機密文書 を 多数含んでいることか ら使いやすいだけでな く、内容 もたい- ん充実 してい る。 2-2主要組織 沖縄返還 に関する政策立案や交渉 には、 日米双方 ともさまざまな組織が関わった。 まず、 日本政府では外務省 を中心 に大蔵省、総理府、防衛庁 な どが関与 した。ただ し、沖縄返還交渉 に限ってはこれ ら 「官僚機構」 の役割 はご く限 られていた とい う見方 もあ り、今後、 日本政府公文書の 24 我部、『沖縄返還交渉 とは何 だったのかれ 62-63頁。 25 福井、前掲書 、 112頁。それ には米国政府高官が非公式 に行 った 「入れ知恵」 があ った とされ る。米国政府 の一・都 には、 核 の取 り根 い を間違 うと、親米佐 藤政権 を崩壊 させ かね ない とい う認識 があ ったoclapp,PriscHa,'.OkinawaReversion: BureaucratlClnteractlOninWashington1966-1969:-ThePoliticalProcessofOkinawaReversion(日本国際政治学会編 r国際政治』52

号、有斐閣、1975年),32.

2h 耗部、『沖縄返還交渉 とは何 だったのか』、72頁O

(9)

25-公 開に よる研 究の深化が期待 され る。27福 井 に よる と佐藤首相 を して政策立案 や交渉 に学者 、評論家 グ

ループを盛 んに利用せ しめることになった理 由は、外務省官僚 の沖縄返還問題 に臨む消極的態度 だった とされる。1967年、1969年の ワシン トンでの 日米首脳会談 に先立 って、佐藤首相が官僚 の頭越 しに密使 を送 って 「根 回 し」 を行 なっていたことは今では周知の こととなっている。28

-万、米国政府で返還交渉や政策立案 に関与 したのは、ホワイ トハ ウス、国務省極東局 (FarEastern BureauoftheStateDepartment)、在 日米国大使館 、国防省 国際安全保障室 (IntemationalSecurityAffairs officeoftheDepartmentofDefense)、統合参謀本部、陸軍省、財務省 な どであ った。29米国の場合、意見 の調整 はほ とん ど中間 レベルの官僚で処理 され、大統領 に委ね られた唯一の決定 は核 の撤去 に関す る決 定 だけであ った とされる。30

以下、各 レベルの関わ りについて もう少 し詳 しく見てい くことにす る。

2-2-1ホワイ トハ ウス

ジ ョンソン政権期 には、重要 な外交問題 を協議す る組織 として次官補 レベルで構成す る省庁間地域作 業部会 (InterdepartmentalRegionsGroup、以下IRG) (委員長 は国務次官補)が設置 された.IRGで解決 で きない問題 は上級省庁 間作業部会 (seniorInterdepartmentalGroup、以下SIG)、 さらには国務長官へ と 上 げ られた。sIGJRG制度 の設置 と同時 に、極東 に関す る国務 ・国防共同の作業部会で、次官補 のす ぐ 下の レベ ルか らなる極東 問題省庁 間作業部会 (FarEasternIRG、以下FE-IRG)が設け られた。 さらに、 その下に琉球特別作業部会(specialRytlkyuIslandsWorkingGroup)が設け られ、部会長 は新 たに日本課長 (JapanCountryDirector,RichardL.Sneider)に就任 した リチ ャー ド ・スナイダー、主 な委員 には国際安全保 障 問題担 当国 防次 官補代 理 (政 策企 画 ・軍 縮 問題 担 当) モ ー トン ・ハ ルペ リン (DeputyAssistant secretaryofDefense(ISA)forPolicyPlanningandArmsControl,MortonHalperin)、国際問題担当陸軍次官代 理サデ イウス ・ホル ト(DeputyUnderSecretaryoftheArmyforIntemationalAffairs,ThaddeusHolt)(のちジ ェームス ・シエナJamesSiena) らがいた。同部会 にはCIAやホ ワイ トハ ウスの代表 もいたが、たい した 役割 は果 た さなか った とされる。3'

一方、ニ クソン大統領 は、政権発足 と同時 に外交政策の決定 を国務省 か らホワイ トハ ウスの国家安全 保障会議 (NationalSecurityCouncil、以後NSC)へ移 し、SIG-IRG制度 も廃止 した。12この時、琉球特別

作業部会の中心 メ ンバ ーであ ったスナイダー とハ ルペ リンが発足時か らNSCの メ ンバ ー となってお り、 27 福井は総理府の関わ りについて も 「琉球政府主席の公選制や沖縄県民の国政参加問題 を含 む広 い意味 での 『一体化』政策 推進のみで、対米交渉の対象 と しての施政権返還問題 その もの に関す る政策決定 には直接 関係 しなかった」 としている。福 井 、前掲書、102-104頁。 2X 若泉敬、前掲書。 2り Clapp.5. -日 lbidリ5. -I lbid.,16-Ⅰ7. -つ NSCは1947年、 トルーマ ン大統領 によって、外交 と国防 に関する各省庁の連絡機 関 と して設置 された。NSCの構成 員や役 割 は各時期 によ り違 いがある。 トルーマ ン大統領 自身は、NSCの創設者であ りなが ら、外交や国防問題 に関 して国務長官 と 国防長官のみ に相談す ることが多 く、NSCその もの に対す る依存度 は低 かった。 アイゼ ンハ ワー政権下では頻繁 に会議が招 集 され、NSCに よる外交 、国防問題 の政策決定過程方法が制度化 されたO ケネディ、 ジ ョンソン大統領 の時代 にはNSCの機 能や権限が縮小 し、安全保障担当特別補佐 官や各省庁 間の ワーキ ング ・グループ-依存 す ることが多 くなった。ニ クソン大 統領 は安全保 障担 当特 別補佐官ヘ ンリー ・キ ッシ ンジャー と緊密 な関係 を保 ち、外交 、国防問題全般 をキ ッシ ンジャー と NSCに託 した。 その結果 、国務省 の機 能 ・権 限が大幅 に縮′トされ ることにな り、】973年か らはキ ッシンジャーが国務長官 と 安全保障担 当特別補佐官 を兼務す る とい う前例 のない人事が行 われた0NARA閲覧室の資料説明書 よ り。 - 2

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6-新政権で も沖縄問題が重要課題 として引 き継がれた。

NSCで の政 策立 案 方 法 は、 まず 、特 別補 佐 官 の助 言 に従 って 、大 統 領 が 国家 安 全 保 障研 究 メモ

(NationalSecurityStudyMemorandum

=

NSSM)の作成 を要請す る。 この段階では、勧告や コンセ ンサス よ りもい くつかの選択肢 の分析 に重点が置かれる。 メモが出来 る とNSCへ かけるか どうか図 り、承認 され れば議題 となる。NSCでの討議 の後 、大統領 の裁 決が盛 り込 まれ た国家安全保 障決定 メモ (Nationa一 securityDecisionMemorandum ≡NSDM)が作成 され、関係省庁-実施が通達 される。 ちなみ に沖縄返還 はニ クソン政権発足直後 に7つの課題 の一つ として挙が っていた。33

2-2-2軍部 (国防省、陸軍省、UscAR)

ベ トナム戦争が重大政策の一つであったジ ョンソン政権期 に軍部の賛同 を取 り付 けることが大事 だっ たことは言 うまで もない。 とい うの も過去のいかなる政権 において も軍部の賛 同な しに協定が議会 を通 過 した例 はない とされるか らだ。34国防省 において、沖縄 問題 の実 質的な責任 者 は文官 であ る国際安全

保障担当国防次官補(AssistantSecretaryofDefenseforIntemationalSecurityAffairs)であったが、 1966年 ま での彼の認識 は統合参謀本部のそれ と合致す るものだった。 その頃 までアメ リカの世界戦略の中心 をな す ものは 「前進基地 システム(forwardbasesystem)」 で、沖縄 を返還す ること、つ ま り沖縄 の基地機能 を 変えることは、あ らゆる戟略計画や武器の配置 な どを変 えることを意味 した。軍部 に とっての沖縄基地 の利点は、 日米安保条約 の適用 を受けず、核 の貯蔵 と自由使用 がで きることで、東 アジアでの作戦の中 枢 に位置づ け られお り、国務省が返還問題 を持 ち出 した時、論外 だ として突 っぱねた。ただ し、 1961年 か ら1967年 まで国防長官 を務めたロバ ー ト ・マ クナマ ラ自身は、技術 の進歩 に よ りアメ リカの基地 シス テムにおいて沖縄 を絶対 に不可欠 だ とみ る考 えはなか った とされる。35核 の撤去 については、国防長官 と統合参謀本部 との幾度 に も渡 る協議 で、沖縄 か らの核 の撤去 は手続 き上便宜 を欠 く以外 に支障はない ことが確認 された。 また、返還後 の核 の再持 ち込み に関 しては、佐藤首相 の密使 がキ ッシンジャー と交 渉にあた り、最後 に佐藤 とニ クソンが密約 に合意 した とされる。一方、沖縄基地の 自由使用 に関 しては、

日本政府の 「理解 (concessions/understanding)」 を引 き出す こ とで軍部 を納得 させ ることがで きた とされ る

36沖縄県公文書館 による国防省 の沖縄 関係文書 の調査 は まだ進 んでお らず 、本稿 で詳細 を紹介す る ことはで きない。 また、統合参謀本部文書群 は、現在の ところ1961年 まで しか公 開 されてお らず 、軍 ト ップの反応 については国務省文書群、「オフラハ -テ ィ文書」 な どか ら垣 間見 ることしかで きない。

陸軍 省 内 には、沖縄 統 治 の責 任 者 と して文 官 で あ る国際 問題 担 当 陸軍 次 官代 理 (Deputy Under secretaryoftheArmyforIntemationalAffairs)と軍人である軍事作戦担 当陸軍参謀次長 (DeputyChiefof staffforMilitaryOperations)がお り、実際の実務 は参謀次長の下で民事局(civilAffairsDirectorate)とその 出先機関であるUSCARが担 当 した。国際問題担 当陸軍次官代 理 の役割 は、米国政府 の対外 政策 に沿 っ て、軍が統括す る民政府 を管理す ることで、国務省 と統合参謀本部 の中間的役割 を果 た した。沖縄 問題 33 clapp,33-34.ニクソン政権発足当時、 日本側 は米国政府の沖縄返還 に対する対応 について物足 りなさを感 じていたようだ が、公開 された米国政府公文書 を見てみると、実際には、沖縄問題が最重要課題の一つ として挙 げ られていたことが分かる。 三木、前掲書、 106貫。 加 clapp,4-61 】5 Ibidリ36-37.

-bHalperin,MortonH.,"TheStrategicConsiderations,''inFeatherstone,EdwardM.,etal.,"TheOkinawaReversion:EndingthePost

-warPeriod,r'ForeL'gnServL'ceJoumal(May1992),22.

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7-を協議 す るにあた っては、陸軍次官代 理 と陸軍参謀次 長 との間で よ く意見の衝突 が見 られたい う。17陸 軍省文書群 については陸軍長官や次官補文書が シ リーズ と して存在す るが 、残念 なが ら沖縄県公文書館 による調査 は進 んでいない。陸軍参謀文書群 には後で詳 しく触 れる 「オフラハ -テ ィ文書」がある。'"

沖縄現 地での行 政の最高責任 者 であ った高等弁務官 は陸軍長官へ の報告義務 を負 ったが、同時 に太平 洋司令官琉球代 表(commanderinChiefPacific,Representative,RyukyuIslands=CINCPACREPRY)として 太平洋総司令官へ の報告義務 も負 った。米 国政府 内で沖縄 返還 に関す る協議 が始 った1966年以降は、文 官 であ る陸軍長官 とのつ なが りが強化 された者がその職 に就 いた。39例 えば、米 国政府 内で 「沖縄 問題

が本格 的 に検討 され始 めた1966年 11月 に就任 した ア ンガー高等弁務官 は陸軍長官 か ら可能 な限 りの 自治 権譲渡 を言 い渡 されてお り、執務 の大半 を政治問題処理 に費や した とされ る。彼 は琉球列 島米国陸軍司 令官(commandingGeneral,U.S.An yRyukyuIslands=CG,USARYIS)としてはめず ら しく、土地取得 に 反対 した り、原潜 の寄港、B52常駐 (空軍 に対 して) に反対 した りして、 これ までの軍事優先政策の修 正 に努 めた。州先 に述べ た ように、 「USCAR文書」 については国立 国会図書館 との共 同事業で全部局の文 書の収集事業 を展 開中であ る。 2-2-3国務 省 と軍部の調整 沖縄 の地位 につ いては講和条約以前 か ら国務省 と国防省 で意見 の対立が見 られた とされ るが、沖縄 を 返還す るこ とに関 しては どの ように合意が達せ られたのだろ うか。最終的 に国務 省 と国防省 の コンセ ン サスが作 られた こ とに関 して、 どう して も触 れておか なければな らない人物達がい る。国務省 日本課長 で、1966年 に設置 された琉球特別作 業部会長で もあ った リチ ャー ド ・スナ イダー、同委員で国際安全保 障問題担当国防次官補代 理 モー トン・ハ ルペ リン、同年遅 く駐 日大便 に就任 したU. ア レクシス ・ジ ョン ソ ンの3人であ る。 スナ イダー に関 して は、国務省 内で 「沖縄」 とい えば 「スナ イダーの問題」 と言 わ れ るほ どであ った し、 ジ ョンソンも返還準備 を大使在任 中の 自 らの使命 と位置づ けるな ど、国務省 にお け る2人の果 た した役 割 は大 きか った。4】その後 、ス ナ イ ダーは1969年7月か ら沖縄担 当公使 と して東京 に着任 し、 日本 にお ける交 渉の主要接触点 とな り、逆 にジ ョンソンはニ クソン政権発 足後 に政治担当国 務次官(UnderSecretaryofStateforPoliticalAffairs)と して ワシン トンにおける政 策立案 の中心 的な地位 を 占めた。 また、国防省 の政策企画 ・軍縮 問題担 当 と してモー トン ・ハ ルペ リンは、沖縄返還 の ように軍 事 と政治的利益が激 しく対立 す る問題 の調整 に奮走 した。ス ナイ ダー とハ ルペ リンは、琉球特別作業部 会 と後 のNSCの メ ンバ ー と して返還 問題 との関わ りが長 か っただけで な く、「1970年 まで に返還が合意 され なければ、 日米安保条約 の継続 は不可能」 とい うこ とで考 えが一致 してお り、その こ とは、沖縄返 還 を考 える上 で無視 で きない。42 以 上が返還交渉の大 まか な流 れ と米国政府 内での政策決定過程 の概 要であ る。それでは、次 に、本稿 り Clapp,23. -18 陸軍参謀文書群 では他 に1950年代後半 までの経 済関係文書 が解禁 になっているが 、全体 的 に公開は遅れ ている と言 える。

経済関連ではEntry64,SecurityClassifiedCo汀eSpOndenceortheEconomicDivisionRelatingtoKorea,JapanandtheRyukyuIslands, 1949-1959な どがある.1960年代後半の経済関連文書 としては、RecordsRelatingtoCivilAffairsintheRyukyuIslands,1950-1968,

EconomicBranch,EconornicandGovernmentalAffairsDivision,DirectorateoftntemationalandCivilAffairs,DeputyChiefofStafffor MllllaryOperationsの約60箱 の存在が確認 されているが、非公 開 とされてお り、現在、FOTAに基づいて公開申請 中c

l。 Clapp,20-23. 4{' Tbid.,28129. 4` 1bidリ18-19. J2 Halperin,221

(12)

28-の主要テーマである資料群 の紹介 に入 ってい きたい。

3文書群紹介

公文書館 においては、文書 は原則 と して作成 、受理、管理 していた組織毎 に保管 され、 さらに下部組 織 や機能別 にシ リーズやサ ブ ・シ リーズ と呼 ばれ る単位 に階層 的 に分岐す る。沖縄県公文書館 が収集事 業 を展 開 してい るNARAにおけ る階層 は、一番上 か ら 「文書群 (RecordGroup、以下RG)」、「シ リーズ

(series)」、「サ ブ・シ リーズ (sub-series)」、「箱 (box)」、「簿冊 (folder)」 の順 になる。4'例 えば、文書群 の 一つである国務省文書群 には 「セ ン トラル フ ァイル」や 「ロ ッ トファイル」 と呼 ばれる シ リーズがあ り、 「セ ン トラル ファイル」 は さ らに年代毎 に、「ロ ッ トファイル」 は組織 やス タッフ毎 にサ ブ ・シ リーズに 分 かれる。 沖縄返還交渉 にかか る公文書 と一 口に言 って もその定義 は難 しい。数百万頁 に及ぶ沖縄 関連文書 の う ち、 シ リー ズ レベ ルで関係 のあ る もの、箱 または簿冊 レベ ルで関係 のあ る もの、あ るい は 1件 の文書 の 中に重要 な記述があ る もの な ど、異 なる レベ ルで使 い方が無数 にあ るか らだ。本稿 の よ うな小論 で、そ のすべ て を網羅す るこ とは難 しい。そ こで、本章 では、主 な文書群毎 に沖縄 返還交渉関連文書 の固 ま り があることを読者 に理解 して もらうこ と焦点 をあて、件 レベ ルでの文書 の発掘 や内容分析 は個 々の研 究 者の手 に委ね るこ とと したい。 ここで取 り上 げ る文書群 は、以下の4つであ る。

・NIXONPRESIDENTIALMATERIAL (ニ クソ ン大統領文書群)44

・RG59,GENERALRECORDSOFTHEDEPARTMENTOFSTATE (国務省文書群)

・RG319,RECORDSOFTHEARMYSTAFF (陸軍参謀文書群)

・RG260,RECORDSOFU.S.OCCUPATIONHEADQUARTERS,WORLDWARII(「USCAR文書」)

3-1大統領文書群 これ まで見て きた ように、米 国政府 内で沖縄 返還 につい ての本格 的 な検討 が始 ったの は1966年 頃で、 該 当す る大統領 は ジ ョンソンとニ クソ ンの2人であ る。通常 、大統領文書群 はその出身地 に建 て られ る 大統領図書館 (presidentialLibrary)で管理 され、 ジ ョンソン大統領文書群 はテキサ ス州 オースチ ン、ニ ク ソン大統領文書群 はカ リフ ォルニ ア州 ヨーバ ・リンダにあ るそれぞれの大統領 図書館 にあ る。前述 した ように、沖縄 県公文書館 は現時点で ジ ョンソン大統領 図書館 の調査 を行 な ってい ないので、 ここで取上 げるこ とはで きないが 、ニ クソ ン大統領文書 に関 しては、ニ ク ソ ン大統領 自身 の失 墜へ とつ なが った 「政府権力乱用問題 (AbuseofGovemmentPower)」 や 「ウォー ターゲー ト事件(watergate)」 との絡みで、 現在 で も公務 に関 わ る文書 の ほ とん どは メ リー ラ ン ド州 カ レッジ ・パ ー クのNARA新館 (ArchivesII)

に保管 されてい るため、 アクセス しやすい。 そ こで、本項 で はニ クソ ン大統領文書群 のみ について見 て い くことにす る。 同文書群 はニ クソン大統領在任期 間の1969年∼1974年 に作成 された記録 で、文書4,400万 頁、贈答 品3 万点、写真50万枚 、フ イルム700時間、 ビデオ4

,

∝氾時 間、録音 テープ4,500本 か らなる。文書群 の形態 は、 Jl シリーズ とは、特定の機能、目的毎 にまとめ られた資料の固 ま りを指す。文書群の大 きさや階層 の数 によ りシリーズが さ らにサ ブ ・シリーズへ と細分化 され る場合があ るが、いずれ も単 に 「シ リーズ」 と呼ぶ場合が多い。 NARAにおいては各 シ リーズにエ ン トリー番号が付 されてお り、「文書群番号 (RGNo.)」、「エ ン トリー番号 (EntryNo.)」、「箱番号 (BoxNo.)」、 「簿冊名 (Foldertille)」 などを基 に文書 を特定す る仕組み となっている。 44 大統領図書館 もNARAの傘下 にあるが、独 自の文書管理方法 を採 っているため、文書群番号 を持 たない。 29

(13)

-文書 (textual)と視聴覚 (audio-visual)に大別 され、その うち文書 は以下の ようなシリーズか ら成 る。 ・主題別特別 ファイル (WhiteHouseSpecialFiles:SubjectFiles)

・ス タッフ ・部署別特別 ファイル (WhiteHouseSpecialFiles:StaffMemberandOfficeFiles ・主題別 セ ン トラル ファイル (WhiteHouseCentralFiles:SubjectFiles)

・ス タッフ ・部署別セ ン トラル ファイル (WhiteHouseCentralFiles:StaffMemberandOfficeFiles) ・国家安全保障会議 ファイル (NationalSecurityCouncilFiles、以下NSCファイル)

・ス タッフ名アルファベ ッ ト順 セ ン トラル ・ファイル (WhiteHouseCentralFiles:AlphaNameFiles) ・口述記録 (oralHistories)

この うち、沖縄返還交渉 について特 に有効 なのは 「主題別セ ン トラル ファイル (WhiteHouseCentral Files:SubjectFiles)」 と 「NSCファイル」 で、そ こには 「国別 ファイル (Countries)」、「州 ・領有地別 ファ

イル (State-Territories

)

」、「来賓 ファイル (VIPVisits)」 な どのサ ブ・シリーズがある。残念 なが ら、「国別 フ ァイル」 の 「日本」、「琉球」 に関 しては、2000年 12月現在 公 開審査 中で、今後 の公 開が待 たれ る。 「来賓 ファイル」 には1969年 11月、1972年1月の佐藤 ・ニ クソン首脳会談 に関す る文書があ り、 日米共同 声明の経過 や返還 日決定 な どの背景 を知 る上 で貴重 な資料 であ る。45これ らの文書 の一部 を階層 で示す

と以下の ようになる。

NIXONPRESIDENTIALMATERIAL --(中略)・・-・

・WhiteHouseCentralFiles:Countries(CO) --(中略)

---Box43

-【EX】CO75JapanBeginning11/18/69【lof2] -lEX]CO75JapanBeginningll/18/69[2of2] -【EX]CO75ll/19/69-12/31/69

--(中略).

--・NationalSecurityCouncil(NSC)Files:VIPVisits --・(中略)-

-Box924

-VisitofPrimeMinisterSato,November19-21,1969,Vol.I(1of3)

-VisitofPrimeMinisterSato,November19-21,1969,Vol.Ⅰ(2of3)

-VisitofPrimeMinisterSato,November19-21,1969,Vol.Ⅰ(3of3) -SatoVisit-Vol.ⅠⅠ(Textiles)(1of3)

-SatoVisit-Vol.ⅠⅠ(Textiles)(2of3) -SatoVisit-Vol.ⅠⅠ(Textiles)(3of3) 3-2国務省文書群 国務省文書群 は、国務省が沖縄返還交渉の中心的役割 を担 った とい うこともあるが、公開がかな り進 んでいるこ と (現在 1973年 まで)、 しっか りした文書管理 システムのおかげで、省 内検討文書や 日本政 J∼ この うちか な りの文書 が 「国家安全保 障」 を理 由に抜 き取 られてお り、沖縄県公文書館 では先 に紹介 したMandatory ReviewRequesIの制度 を使い、公開申請 を行 っている。 -

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30-府 や軍部 とのや り取 りを記録 した往復 書 簡 な どが整然 と保 管 されてい る こ とな どか ら、沖縄 返 還交 渉 を 見 る上で最 も有効 な文書群 であ る。 同文書群 は、以下 の シ リーズ に大別 され る。 ・セ ン トラル フ ァイル (CentralFiles) ・部署別 .ロ ッ トフ ァイル(OfficeorLotFiles) ・海外 ポス ト別 フ ァイル(PostFiles) 「セ ン トラル フ ァイル」 は、 ワシ ン トンの 国務省 本 部 で集 中的 に管 理 され た シ リーズで 、年代 に よっ て複 数 のサ ブ ・シ リーズ に区分 され る。46 「部 署 別 ・ロ ッ トフ ァイル」 は、特 定 の役 割 や機 能 を持 った 組織 や 人物 の活動 か ら生 み 出 され た シ リーズで、各 シ リーズ に61D69、55D128な どの 「指 定 番号 (Lot No.)」 が与 え られてい る こ とよ りその名が つ いた。検索用 に主題 別 リス トが用 意 され てお り、沖縄 に関 しては 「東 アジア ・太平洋 (EastAs ia/Pacific)」、 「政治 ・軍事 (politico-MilitaryAffairs)」 な どのサ ブ ・シ リーズが あ る。 た だ し、返 還交 渉時期 の文書 の ほ とん どは末 だ公 開 され てい ない。 「海外 ポス ト別 フ ァ イル」 は大使館 や領事館 な ど在外 組織 で管理 されていた文書 で あ るが、外 交 上 の政策 決定 に直接 関 わ る ような重要文書 はあ ま り見 られ ない。 これ らの シ リー ズの うち、沖縄 返 還 交 渉 に関す る文 書 が集 中 してい るの は、 セ ン トラル フ ァイルの 「1964-1966年」、「1967-1969年」、「1970- 1973年」 の3つのサ ブ ・シ リーズで あ る。 サ ブ ・シ リーズは さらに主題 別 に細 か く分 類 され てい るが 、 中で も防衛 問題 を扱 った 「DEF (DefenseAffairs)」、政 治 問 題 を扱 った 「poL (PoliticalArrairsandRelations)」、 日米 繊 維 交 渉 との絡 み で貿 易 を扱 った 「FT

(ForeignTrade)」 な どに返還交 渉 に関 わ る文書 が多 く見 られ る。 沖縄 県公 文書館 で は、 1966年 まで は 「DEF」、 「POL」 の 中の 「琉 球」 関係 のみ をゼ ロ ックス ・コ ピー で収集 し、 1967年 か ら1972年分 は 「琉 球」 のみ で な く 「日本 」 関係 文書 の ほ とん どをゼ ロ ックス ・コ ピ ーで収集 した

4

7

現在 、国 内で この時期 の 「日本」 関係 文書 を ま とめ て見 る こ とが 出来 るの は、沖縄 県 公文書館 のみであろ う。この うちい くつかの箱番号 と簿冊 タイ トル を階層 的 に紹 介す る と以下の ようにな る。 RG59,GENERALRECORDSOFTHEDEPARTMENTOFSTATE ICentralFiles ・・・-(中略) ---・DecimalFiles,1960-63 --(中略)・

--・Subject-NumericFiles,1963 --(中略)--・

・Subject-NumericFiles,1964-66

Boxes1647I1649:DEFJapannjEFJapan-US

46 戦後に関しては「1945年-1949年」、「1950年-1954年」、「1955年-1959年」、「1960年1月-1963年1月」、「196 3年2月-1963年12月」、「1964年-1966年」、「】967年-1969年」、「1970年-1973年」のサブ ・シリーズに分けられる。分類は1963年1月 までは 「十進法」(centralDec】ma】FileSystem)が用いられ (1950年に改訂)、1963年2月から 「主題 ・番号 (併用)法」 (subject-NumericFileSystem)が用いられており、それぞれについて分類目録 (filingmanual)が用意されている。

47 1966年までの 「日本」関係については、既にUSStaleDepaTtmenlCenEra)FLIJes:JapanInlemaJandForeignAffal'Ts,1963-1966と いうタイトルのマイクロフィルムが市販されているためである。それには 「琉球」関係も含まれている。

(15)

-Box1674:DEFRyukyuIslands Box1736:DEFUS-Japan

Boxes2373-2385:POLJapan/POLJapan-US Boxes2625-2627:POLRyukyuIslands ・Subject-NumericFiles,1967-69

Boxes1561-1563:DEFJapann)EFJapan-US Boxes1617-1618:DEFRyukyuIslands-US Box1695:DEFUS-Japan

Boxes2242-2251:POLJapan/POLJapan-US Boxes2456-2461:POLRyukyuIslands ・Subject-NumericFiles,1970-73

Boxes1752-1754:DEFJapan/DEFJapan-US Boxes1790-1791:DEFRyukyuIslands-US Boxes1860-1861:DEFUS-Japan

Boxes2401-2410:POLJapan/POLJapan-US Boxes2570-2574:POLRyukyuIslands

3-3 「オフラハ -テ ィ文書」

沖縄返還交渉 を見 る上 で国務省文書群 と同様 に有効 だ と思 われ るのが、琉球 における米 国民政史 を編 蒸す る 目的で集 め られた通称 「オフラハ -テ ィ文書」 であ る。 これは陸軍参謀文書群 中の 「米国陸軍軍 史編纂所文書 (TheUnitedStatesAm yCenterofMilitaryHistory)」 にある 「出版物 、未刊行原稿 お よび補 助資料 (publications,UnpublishedManuscripts,andSuppor血 gRecords,1943-77)」 シリーズの一部で、正式 名称 を "HistoryofCivilAdministrationoftheRyukyulslandsHと呼ぶ。48 沖縄 における米 国民政 に関す る歴

史編纂 は1970年 10月頃構想 が 出 され 、 1971年 1月、軍事作 戦担 当陸軍参謀次長重 (officeoftheDeputy chiefofStaffforMilitaryOperations)内、国際 ・民事局 (Office,DirectoroflntemationalandCivilAffairs)で 琉 球 問題特 別顧 問 (SpecialAssistant,RyukyuanAffairs)を務 め てい たエ ドワー ド ・オ フラハ -テ ィ (EdwardO'Flaherty)が正式 に編者 に任命 された。 オ フラハ -テ ィは、当時国防省 、陸軍省 、国務省 な ど が管理 していた沖縄 に関す る極秘 (TopSecret)文書へ の ア クセス も許可 され、基礎資料 の収集 に力 を注 い だ。4''仝27箱 とい う比較 的小 さい シ リー ズで はあ るが 、機 密文書 の固 ま りだけ に研 究者 に とって生産 件 とい う点か らは まさに 「宝 の山」 であ る。 (資料3) 同 シ リー ズには、交 渉経 過 に関す る文書 、共 同声 明、返還協 定 、基地 の様 態 ・使 用 の取 り決 め、財 政 ・経 済取 り決め、韓 国、台湾 の反応 や米 国議 会対策 な どに関す る文書 な どがあ る。 また、 この シリー ズには 1969年の共 同声 明作 りの主要 チ ャンネルだった愛知外相/ マ イヤー駐 日大便 、東郷外務省北米局 Jド 同 シリー ズには、他 に も沖縄 関係 と してアー ノル ドG.フ イシュ F琉球列 島軍政府」 (Fisch,ArnoldG,ML'JitaryGoyemmenl intheRyukyuls/and.S,]945-1950,Washington,D.C.:CerLterOfMil)(aryHIStOry,1988)や ロイE.ア ップルマ ン他 r沖縄 :最後の戦 闘』 (App)eman.RoyE.,etalリOkinawa:71heLastBaEIle,Washington,D.C.:CenterorMilitaryHistory,1948)の刊 行で便 われた参考 資料 も含 まれてい る。後者 の邦訳本 と して外 聞正 四郎 『沖縄 日米最後 の戦闘』 (光人社、1997年)がある。

J。 オ フラハ -テ ィは、1973年 11月頃 まで に1,000頁 ほ どの歴 史書 を編纂 す るこ とになっていた

F沖縄 :ア メ リカが尽 くした 27年 間(oklnaWa:Twenty-SeyenYearsOfAmen'canStewardshJ'p)jと遷 され た草稿 は、1975年頃 に仕 上が ったが、結局 、刊行 さ れなか った。FolderRe:OrFlaherly'sBook,Box12,Non-recordMaterial.S,USCAR.

(16)

32-長/ スナ イダー公使 、柏木大蔵省財務官/ ジュー リック財務 長官特別補佐官 らの会議録が収 め られてい る。5{' 沖縄県公文書館 は仝27箱 をゼ ロ ックス ・コピーで収集 したが、 この うちい くつかの箱番号 と簿冊 タイ ト ルを階層的 に表 わす と以下の ようになる。 RG319,RECORDSOFARMYSTAfF --(中略)

--・RecordsoftheOmceoftheChieforMilitaryHistory

--(中略)

--・Publications,UnpublishedManuscrlPtS,andSupportingRecords,1943-77

--(中略)--

-・HistoryorCivilAdministrationoftheRyukyuIslands

--(中略)・

--Box12

1I603-04:Reversion(MilitaryRelocation)5.

-1603-04:Reversion(Economi candFinancialNegotiations) Box13

-1603-04:Reversion(MilitaryRelocation)

-1603-04:Reversion(PlanningConference-DiscussionPapers) -1603-04:Reversion(PlanningConferenceSummary,January1970)

また、主題別 に主 な簿冊 タイ トル を紹介す る と以下 の ようになる。 ・交渉経過 :

・Reversion:NegotiationsStatusReports(Box18)

・Reversion:TogoISneiderConsultation(Box18)

・Reversion:MeyeトAichiMeetings(Box19)

・共同声明、協定交渉 :

・Reversion:ReversionAgreement-Bookshelf(Box24)

・FinalCommuniques:SatoSpeechesandPertinentInterpretations(Box26)

・基地の様態、使用 の取 り決め :

・Reversion:SOFAApplication(Box16) ・Reversion:Nuclear(Box24)

・財政 ・経済密約 :

・FinancialandAdministrativeProblems(Box1)

・TreasuryGroupVisits,July1969(Box3)

∼l' 我部、T沖縄返還交渉 とは何 だったのかJ、68-69頁。

∼● シリーズや簿冊 タイ トルに時 々見 られる1603-04な どの番号 はTheAm yFunctionalFilingSystem-TAFFSと呼ばれる陸軍省

の分類番号 であ るO ちなみ に1603-04は渉外 関連文 書 (LiaisonActivitiesFiles)の 中の外 国政府 活動 関連 文書 (Foreign GovemmentActivityFiles)であることを示 している。陸軍省 関連文書であれば、 このTAFFS番号 を頼 りに関係文書 を絞 り込 む ことも出来 る。

参照

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