社会的市場経済の秩序像
一オイケンとミュラーアルマックー
福 田 敏 浩
1 はじめに
社会的市場経済は玉虫色の概念(schillernder Begriff)である1〕,と言ってのけたのはロイター (H.一G.Reuter)であった。社会的市場経済 (Soziale Marktwirtschaft)は第二次大戦後の ドイツの政策をリードしてきたコンセプトであ る。つまり,西ドイツ時代から今日の統一ドイ ツに至るまでドイツ政府が一貫して標榜してき た経済政策および社会政策の指導像(Leitbild) なのであるが,それが見る人の立場によってど のようにも解釈できる概念だと言うのである。 たしかに,社会的市場経済ほど解釈に幅があ るものはないと言えるだろう。なぜか。その主 たる理由は二つある。一つはこのコンセプトそ のものがもともと輪郭のはっきりとした一義的 なものではなく,さまざまな思想を取り込んだ いわばファジーで多義的なコンセプトだからで ある。社会的市場経済の生みの親はミュラーア ルマック(A.Mttller−Armack)であるが,その かれがこのコンセプトを提示した背景にはさま ざまな対立する世界観を融和させ,和解させよ うとする意図があった。ミュラーアルマックは それを「社会的融和」2)(Soziale Irenik)という 宗教用語で表現し,キリスト教の人間観をベー スにして一方で自由主義を,他方で社会民主主 義を取り込もうとしたのである。 もう一つは政権を担当したドイツの諸政党が 1) Reuter (31) S.68 2) Mdller−Armack (24) S.559−578, MUIIer− Armack [26) pp.261−262 社会的市場経済を受け容れたからである。最初 にこのコンセプトを承認したのは自由民主党 (FDP)であった。1949年6月にブレーメンで 開かれた第1回党大会でのことである。続いて キリスト教民主同盟(CDU)も1949年7月のデュッ セルドルフ指導原則で社会的市場経済を承認し, それをスローガンにして同年夏の総選挙を勝ち 取り,政権党として経済相エアハルト(L. Erhard)の指導のもとに社会的市場経済の実 現に乗り出した。一方,社会民主党(SPD)は 当初計画経済を標榜し,社会的市場経済に対し て敵対的態度をとっていたが,1959年11月のゴー デスベルク綱領で階級政党から国民政党への脱 皮を図り,社会的市場経済を受け容れるに至っ た。SPDと共同歩調をとっていた労働組合もこ れに倣った。二大政党であり,しかも交互に政 権を担当してきた自由主義のCDUと社会民主 主義のSPDが同じように社会的市場経済を掲げ, 人気取りのために自己に都合のよいように解釈 したために,このコンセプトは分かりにくいも のになってしまった。 教会の果たした役割も無視できない。カトリッ ク教会が社会問題について発言するようになっ た発端は1891年にローマ法王レオ13世(Leo XIII)が出した回勅“Rerum novαrum”であ る。労働者問題には社会政策的立法で対処する 必要があると説かれた。ドイツでは回勅が出て 2年後の1893年にミュンスター大学のカトリッ ク神学部にキリスト教社会科学の講座が設けら れ,カトリック社会論の端初が開かれた。その 後カトリック社会論は自然法をベースにして共 同善(Gemeinwohl),連帯(Solidaritat),補一2一 滋賀大学経済学部研究年報Vol.6 1999 完性(Subsidiaritat)などのキイ・コンセプト によって個人・中間集団・国家から成る調和のと れた良き社会を唱道するに至った3)。社会的市 場経済に対するカトリック社会論者のスタンス は一様ではなく,ネガティブもしくは懐疑的な 態度をとる論者もいたし,他方では好意的な反 応を示した論者もいた。社会的市場経済は,ミュ ラーアルマック説がそうであるように,キリス ト教の人間観から出発し,補完性や連帯などを 干城原理として採用していたからである。カト リック教会が社会的市場経済を認知したのは 1991年目あった。この年法王ヨハネ・パウロニ 世 (Johannes Paul II) は ‘‘Rerum novαrum” 100周年にちなんで回勅“Centesimus annus” を出し,社会的市場経済の支持を表明した4)。 以上のように現在のドイツでは,左右・中道 を問わず,有力な社会勢力がこぞって社会的市 場経済を支持するに至っている。社会的コンセ ンサスをえたと言えるが,しかしそのためにか えってこのコンセプトはかつての輝きを失い, その本来の理念や原則などが骨抜きにされてし まった。政策実践のガイドラインとしての社会 的市場経済は破産したという極論さえ出てくる 始末である5)。 ドイツ経済は現在深刻な状況にある。低効率 にあえいでいた東ドイツをいきなり抱え込んで しまったからである。国家財政支出の急増,国 民の税負担の増加,民間経済の活力減退,国際 競争力の低下,低成長,失業の増加が顕著になっ た。 このような難局を打開するには強力で一貫し た経済政策を発動しなければならないが,その ためにはあらかじめ明瞭かつ説得的なガイドラ イン,つまり政策実践の指導像を用意しておく 必要がある。ドイツの経済学界に突きつけられ 3)邦文の研究書としては野尻〔28〕がある。特に 第4部,第5部門参照されたい。 4) Dttrr (5),Spieker (39) S.760−764 5) Cassel, Rauhut (3) S.5 た重い課題であるが,今のところ社会的市場経 済に替わる斬新な案は登場していないように思 われる。むしろ,社会的市場経済の再生を唱え る説の方が目につく。その本来の理念・秩序像・ 政策論に立ち返ってドイツ経済の立て直しを図 るべきだとする提案である。原点復帰・原点か らの再出発の主張なのであるが,これが救世主 となりうるだろうか。筆者はこういう問題意識 をもって「社会的市場経済の原像一ドイツ経済 政策の思想的源流一」(『彦根論叢』,第320号, 1999年8月)を書いた。この稿で筆者は社会的 市場経済の父であるミュラーアルマックの原典 にあたってその秩序像および政策体系を筆者な りに再構成してみた。ドイツの原点復帰論者に は原点に返れという掛け声はあっても原点を真 摯に再検討しょうとする意欲が希薄であると思 えたこともあって,筆者なりに原点把握を試み た次第である。 本稿はその続編である。前稿で言い足りなかっ た部分を敷街してみたい。つまり,その後に得 た知見を交えてミュラーアルマック説の特徴を 改めて描き出してみたい。特徴把握のもっとも 有効な方法は学説比較であろう。ある説の特徴 は他の説との比較によって鮮明になる。本稿で は比較の相手としてオイケン説を取り上げてみ た6)。ミュラーアルマックはオイケン説から出 発し,しかも乗り超えようとした。格好の比較 パートナーと言えよう。 ll 競争秩序の秩序像 近年オイケン(Wal七er Eucken,1891−1950)に 対する評価が高まっている。戦後の比較的早い 時期に病没し,見ようによってはすでに学説史 上の人となっているというのに,である。その きっかけになったのは,オイケンがブキャナン (J.Buchanan)やノース(D.C.North)に代表 される制度(ルール)の経済学に先鞭をつけて 6)福田〔11〕をも参照されたい。
いたことが判明したことにあるようである% 経済学者の評価はアメリカの先端経済学との兼 ね合いで決まるというのが今日のグローバル・ スタンダードであるが,オイケンにもこの基準 が適用されたようである。ちょっとしたオイケ ン・ブームの観があるが,論者の中にはオイケ ンをシュンペーター(」.A.Schumpeter)やケイ ンズ(J.M.Keynes)やハイエク(RA。v.Hayek) に並ぶ学者と評価する者もいる8)。オイケンの 創始したフライブルク学派の薫陶を受け,オイ ケンの弟子一書物を通しての弟子,ただしエピゴー ネンではない を自認している筆者からすれ ば,何を今更という思いがないわけではないが, オイケンが正当に評価されるようになったこと については率直に喜びたい。 オイケンは近年の高い評価にたがわぬ実力の 持ち主である。ブレス(L.G.Bress)は20世紀 のシステム志向の経済学に貢献した学者として ケインズ,シュンペーター,オイケンの名前を 挙げ,ケインズはマクロ経済学を,シュンペー ターはマクロ動学を,オイケンはマクロ形態論 (Makrom・rphologie)を開拓したという評価 を下した9)。オイケンの評価はその通りである。 オイケンは独特の形態論の手法をもって経済秩 序を市場経済と中央管理経済に分類する秩序二 分法を確立した10)。この二分法は第二次大戦後 の比較経済体制論の発展に大きく貢献した。 オイケンの業績はマクロ形態論,つまり秩序 形態論に尽きるのではない。その応用という仕 事を見逃してはならない。理想の経済秩序を設 計するという仕事である。オイケンが理想とし たのは競争秩序(Wettbewerbsordnung)であ るが,その設計の一環として競争秩序形成のた めの秩序政策論を展開した。 オイケンはこのように秩序形態論と秩序政策 7) Leipold [19) p.48, Streit, Kaser (41] S.18 8) Johnson (17) p.52 9) Bress (2) S.269 10)詳しくは福田〔9〕第4章,福田〔10〕第1章 を参照されたい。 論の分野で不朽の業績を残したが,ホップマン (E.Hoppmann)はこれら二つの研究を一括し て秩序経済学(Ordnungs6konomik)と名づけ たll)。適切な表現である。この言葉を借りると オイケンは秩序経済学の父ということになろう。 オイケン説はまた,第二次大戦後の(西)ド イツにおける政策実践にも貢献した。1948年か ら1960年代前半までと1982年以降におけるCD U政権の経済政策はその基本においてオイケン 流の秩序政策の線に沿ったものであったし, SPDが政権を担当した1960年代後半から1980年 代初頭にかけての経済政策はオイケンとケイン ズの考えを総合した「ミクロの競争・マクロの 計画」を基調にしていた。オイケンの秩序経済 学は政策実践に少なからぬ影響を与えたのであ る。オイケンがドイツ経済政策の「知的ゴッド ファーザー」12}と讃えられるゆえんである。 前置きがいささか長くなったようである。本 題に入ろう。 1.時代背景 オイケンが生きたのはドイツ史における激動 の時代であった。オイケン自身も従軍した第一 次大戦と敗戦,不安定なワイマール時代,全体 主義が猛威をふるったナチズムの時代,第二次 大戦と敗戦そしてドイツ分割と,かれの生涯は ドイツの波瀾万丈とともにあった。騒然とした 時代相の中にあっても経済学者としてのオイケ ンは冷静さを見失うことなく事実動向を見据え, 経済に対する場当たり的な国家干渉は統制スパ イラルを誘発し,結局はナチズムのように中央 管理経済化を招くという認識を得た。 中央管理経済についてのオイケンの観察は鋭 い。後にソ連型中央管理経済について言われる ようになった欠陥をすでに見抜いていた。抑圧 されたインフレーションと物不足である。1980 年代に一世を風靡したコルナイ(J.Kornai)の 不足経済の理論が先取りされていたのである。 Il) Hoppmann (15] S.43 12) Stolper,Roskamp (40] p.377
一4一 滋賀大学経済学部研究年報Vol.6 1999 オイケンと共通の体験をもつハイエクは1944 年に『隷従への道』(Der Weg in die Knecht− schaft)を出版し,全体主義と計画経済の道は 自由の抑圧に至るという警鐘を鳴らした。オイ ケンも同様の危機感を抱いていた。両者の強烈 な自由への希求はナチズム体験からきている。 戦後のハイエクは経済から社会・政治・法の世界 にも視野を広げ,より哲学的スタンスをもって 自由の条件を多面的に考察した。これに対し, オイケンは戦後も経済学の立場を崩すことなく, その秩序経済学をもって「隷従からの道」13) (エ)er Wegαus der」Knechtschaft)を,つまり抑 圧から自由への道を追究した。個人の自由を保 証するものは何か。オイケンの解答は競争秩序 であった。 2.経済と経済政策 ここであらかじめ以下の行論において頻繁に 登場するオイケン説のキイ・ワードについて簡 単に述べておこう。 オイケンは経済を二つの部分領域に分けた。 経済経過(Wirtschaftsablauf)と経済秩序 (Wirtschaftsordnung)である。経済経過はフ ローの世界であり,生産,分配,消費,貯蓄・ 投資,技術利用の五つの循環的局面から成る。 経済秩序は経済経過の有り様を規定する枠組み である。これは需給の調整にかかわるさまざま
の形態から成る。具体的には経済体制
(Wlrtschaftssystem),市場形態,貨幣制度お よび貨幣形態である。 オイケンは近代に登場した経済秩序を二つに 分類した。市場経済と中央管理経済である。 経済政策は経済への国家干渉であるが,それ は経済の二つの部分領域に応じて二つに分類される。経済経過を対象にした経済経過政策
(Wirtschaftsablaufspolitik)と経済秩序を対象 にした経済秩序政策(Wirtschaf七sordnungs− politik)である。のちに見るようにオイケンは 経済秩序政策を重視したが,これは経済のフレー ムワークの形成・維持・変更を任務とする。その さい法的措置がとられるので,ルールの制定・維持・変更を任務とする経済基本法政策
(Wirtschaftsverfassungspolitik)も経済秩序政 策に含まれる。 3.競争秩序とオルドー 競争秩序は現実ではない。めざすべき理想の 経済秩序である。オイケンは競争秩序の理想性 を引き立たせるためにオルドー(ORDO)とい う言葉を使った。競争秩序はオルドーだと言う のである14>。 オイケンによれば不公正と不条理がまかり通 り,既存秩序が機能不全に陥った時代にはきまっ てオルドーの理念が登場した。オルドーとは 「人間と事物の本質に合致した秩序」15>を意味 するが,その内容は時代によって異なる。古代 ローマ帝国末期の混乱の時代にアウグスティヌ ス(A.Augus七inus)はキリスト教の立場からオ ルドーの思想を展開し,それを受け継いで体系 化したスコラ哲学は中世社会の形成に指導的な 役割を演じた。17世紀と18世紀の市民革命の時 代にもオルドーの理念が現れたが,当時は自然 秩序(ordre・naturel)に関する教説の形をとり, 近代社会の法律や国家の形成および経済政策実 践に大きな影響を与えた。このようにオイケン は,時代の転換期にはオルドーの理念が出現し, 新しい時代を開く指導像の役割を演じる,と見 た。 20世紀の今日もまたオルドーの理念が復活し た16)。20世紀半ばのヨーロッパでは,とりわけ ナチズムが崩壊したドイツでは,経済が行き詰 まり,新しい秩序の建設が急務となった。時代 の節目にはいつもオルドーが登場する。 競争秩序はこのような時代認識から導き出さ れた。オイケンにとって競争秩序はいわば現代 13) Pies [30) S.110 14)Eucken〔7〕S.373,邦訳, p.506 15)Eucken〔7〕S,372,373,邦訳, pp.504,506, Eucken〔6〕S.239,邦訳, p。331 16)Eucken〔6〕S.239,邦訳, p.331, Eucken〔7〕 S.373,邦訳,p,505のオルドーであり,新秩序建設の指導像として の役回りを演じるものであった。 ファイト(O.Veit)はオルドーに関する論稿 において,スコラ哲学は経済に対してオルドー を課そうとし,古典派は経済の中にオルドーを 発見しようとした,と述べた17)。この論法に倣 うならばオイケンはさしずめオルドーで経済を 形成しようとしたと言えるだろう。 念のために言っておくと,競争秩序は経済の 世界に限定された経済学的コンセプトである。 競争秩序はあくまでも「経済の秩序」18)なので ある。オイケンには経済や政治や法や文化など を包摂した全体社会に関するオルドーを,つま り全体社会の指導像を設計するという、野心はな かった。オイケンは経済学者としての節度を守っ たのである。 4.自由と効率 競争秩序は過去のオルドーと同様に形式的に は「人間と事物の本質に合致した秩序」である。 その具体的内容は時代ごとに異なるのだから, 競争秩序は過去のオルドーとは異質のものであ るはずである。競争秩序の場合の「人聞と事物 の本質に合致した秩序」とは何か。これは内容 的には「人間の本質」に合致した部分と「事物 の本質」に合致した部分から成る。オイケンは 主としてカント(LK:ant>に拠りながら,人間 の本質は人格の自由(Freiheit der Person)に ある,と見た。自由は「人問存在の唯一可能な 形式」であり,「自由がなければ,自発的な自 己活動がなければ,人間は人間でなくなる」19) と述べている。事物の本質については哲学的説 明はない。ただし経済学的説明はある。稀少性 である2e)。物は人間の欲求に比べて相対的に不 足しているという,時空を超えて普遍的に妥当 17) Veit C45] S.35 18)Eucken〔6〕S.239,邦訳, p。332, Eucken〔7〕 S.373,邦訳,p,506 19>Eucken〔7〕S.176,邦訳, p.237,訳は一部変え た。 20)Eucken〔7〕S.8,370,邦訳, pp.12,501 する事実である。ここから稀少性をいかに合理 的に克服するかという問題が出てくる。つまり 効率の問題である。 自由と効率,これが競争秩序を支える二つの 価値である。過去に例のない,いわば経済学的 なオルドーであると言えよう。 以上より競争秩序は「自由と効率に合致した 秩序」,つまり人格の自由と経済効率を高度に 実現する秩序,ということになる。オイケンは それを「機能的かつ人間にふさわしい秩序」21) (funktionsfahige und menschenwUrdige Ord− nung)と表現した。 もっともオイケンは自由と効率を公理とし, そこから論理的に演繹していわばア・プリオリ に競争秩序を導出したのではない。オイケンの 秩序経済学を貫く方法論的スタンスは「事実か らの出発」22>である。経験的事実の観察から法 則や規則性を導出する方法である。自由と効率 は競争秩序の価値規準ではあるが,オイケンは それらを公理として祭り上げるのではなく,経 験科学的に検証しようとした。つまり,西欧の 近代において自由はどれほど実現されたか,効 率はどうであったかを事実に即して把握しよう とした。競争秩序はそうした検証プロセスを経 てア・ボステオリに導き出されたものなのであ る。この点について敷介しておこう。 5.経験的検証 オイケンは近代を工業時代と捉え,それを二 つに区分した。19世紀初頭から第一次大戦まで の「自由放任の政策」の時代と,第一次大戦以 後の「実験の政策」の時代である23)。オイケン によればいずれの政策も不自由と期待値以下の 効率をもたらしただけに終わってしまった。な ぜか。オイケンは,自由放任の政策は経済秩序 の形成を私人の手に委ねたからであり,実験の 政策は経済経過のコントロールを国家の手に委 21)Eucken〔7〕S.14,223,邦訳, pp.20,300 22)オイケンは自らの方法を重点高揚的抽象と呼ん だ。 23)Eucken〔7〕S.26,邦訳, p,39
一6一 滋賀大学経済学部研究年報Vol.6 1999 ねたからだ,と見た。 自由放任の政策は財産法・契約法・会社法など の経済基本法を定めた。この措置によって自由 競争秩序の法的枠組みが形成されたが,問題は この秩序の発展を放置したところにあった。国 家は自由競争の監視を怠ったのである。その結 果,市場における秩序形成は私的経済勢力の手 に委ねられ,独占および部分独占の市場形態が 支配するようになり,市場参入の自由や営業の 自由が大幅に制限されてしまった。これによっ て当初期待された自由競争による高効率の実現 も阻まれた。レッセ・フェールは「自由の敵」24) になってしまったのである。 オイケンは実験の政策を「中央指導の政策」 と「中道の政策」に分けた25)。前者の代表はナ チズムである。ナチズムは干渉主義であった。 あらかじめ統一的かつ全体的な政策プログラム を準備するのではなく,問題が発生したあとで 問題の発生した箇所に限定して施策を講じるや り方である。オイケンによればこの方式は,野 放図に拡大すると,統制スパイラルを生む。経 済経過の諸局面は相互依存の関係にあるから, 一局面への場当たり的干渉は経済経過全体に及 ばざるをえなくなる。事態はまさにこの通りに 進行した。1933年以降の完全雇用政策や為替相 場の固定化から,1936年の物価凍結・賃金凍結 へと国家干渉が強まり,1938年以降になると経 済経過全体が国家の全面管理のもとにおかれ, 資源の強制割り当てが行われた。その結果個人 の自由が抑圧されて国家奴隷制26>(Staatsskl− averei)が登場し,他方では市場価格メカニズ ムが麻痺し,抑圧されたインフレーションと物 不足が発生し,国民生活は窮乏した。 中道の政策は自由放任と中央指導の中間を行 く政策である。その代表はケインズ政策である。 オイケンは,ケインズ流の総需要管理政策は市 場間に不均衡をもたらし,結局は経済経過の中 央指導に道を開く,と診断したm)。 自由をめざした西欧近代は,経済政策の失敗 によって不自由になってしまった。自由放任の 政策は私的経済勢力の支配を許して自由を制限 し,中央指導の政策は公権力の支配を許して自 由を抑圧した。私的および公的“Macht”から の個人の解放が時代の要請になった。同時に効 率の改善も図らねばならない一これがオイケ ンの到達した結論であった。 6.世界史的課題 オイケンは以上の秩序経済学的認識を踏まえ て競争秩序を設計した。自由の復権を図るべき 時がきたという思いがオイケンにある。今こそ 競争秩序という名の「自由のプログラム押を 作る時であり,「人びとが自由な秩序の建設の ために勇気と力を存分に奮い起こさねばならな い」29)時である。オイケンの『経済政策原理』 の行間から,これこそ世界史的課題だ,という 気負いが伝わってくる。 競争秩序はこのように未来志向的なコンセプ トであるが,オイケンはそれによって近代を乗 り超えようとしたのだろうか。答えはノーであ る。競争秩序はいわば近代のペレストロイカを 意図したものであり,自由の復権を志向したも のであった。オイケンに 「近代を超えて」と いう発想はない。 7.技術と競争 競争秩序の建設は可能なのか。現実が競争強 化の方向に進んでいないとすればせっかくのプ ランも画餅に帰してしまうであろう。オイケン はこのような疑問を見越して競争強化を証明し ようとした。そのさいかれが注目したのは技術 であった。そしてこの視点をもって産業革命以 後の経済動向を観察し,技術の発展は競争を促 進したという結論を導き出した。第一に交通や 24) MUIIer−Armack (27) S.9 25)Eucken〔7〕Kap.6,7,9,邦訳,第6,7,9章 26)Eucken〔7〕S.193,邦訳, p.259 27)Eucken〔7〕S。144,邦訳, p./92 28)Eucken〔7〕S.370,邦訳, p.502 29)Eucken〔7〕S.371,邦訳, p.503
通信技術の発達によって地域独占や地方市場の 解体が進んだこと,第二に産業技術の発展によっ て代替競争が強化されたこと,第三に産業技術 の発展によって同一企業が複数の市場向けの製 品を生産できるようになったこと,がその論拠 であった30)。オイケンは競争秩序は実現できる と見ていたのである。 8.競争秩序の基本構造 オイケンは,ハイエク流に言えば,設計主義 者である。競争秩序を設計しようとした。そし てその設計図一一一一般的建設プラン(allgemeiner Bauplan)一をもとに新しい秩序を建設すべき であると主張した。その意味で社会工学者の一 面ももっていた31)。ただし,ユートピアンでは ない。クリストゥル(C.Christl)の言うよう に32),理想像を人工的にデザインしょうとする 合理主義的設計主義者ではない。 むしろ,オイケンは先に述べた経験的検証を 踏まえて競争秩序をいわば実証的に設計しよう とした。つまり,「限られた数の秩序形態の中 から適格なことが実証された秩序形態を選択 し押,それらから競争秩序を組み立てたので ある。選択方法は消去法である。オイケン自身 がその秩序形態論において確定した秩序形態鋤 一二つの経済体制,100種類の市場形態,三つの貨 幣制度 の中から,従来の政策実践でうまく いかなかったものを消去していって残ったもの を選択する,というやり方である。選択の基準 は自由と効率である。 その結果について見ておくと,経済体制につ いては市場経済(市場価格メカニズム),市場形 態については完全競争(需要・供給の各サイドで 多数のアクターが競争する市場),貨幣制度につい ては安定的マネーサプライ制度(貨幣価値の安 30)Eucken〔7〕S.227−232,邦訳, pp.306.312 31) Vanberg [44) S.709 32) Christl C4) S.136 33)Eucken〔7〕S.374,邦訳, p.507 34)詳しくは福田〔9〕第4章を参照されたい。 定のために景況に応じて貨幣供給量を調節する制度) が選択された。 このように形態論的に見ると,競争秩序は市 場価格メカニズム,完全競争および安定的マネー サプライ制度の組み合わせということになる35)。 完全競争と安定的マネーサプライ制度36)は,市 場価格メカニズムが最適に機能するための制度 的条件である。 オイケンによれば 「完全競争の機能的価格 システム」の実現が競争秩序政策の根本課題で ある37)。最適の資源配分はこれによるほかない。 完全競争の要件は次の三点であるZZ)。①需要者 と供給者が多数であること,②個々のアクター は価格を与件として行動すること,③需要者も 供給者も互いに競争すること。それは実績競争 (Leistungswettbewerb)であること,つまり消 費者に対する貢献(ドル獲得)の形で競争する こと。完全競争の価格システムはスタビライザー の役割をも演じる。経済経過の均衡を実現し, 競争秩序に内的安定を与えるという役割であ る39>。
皿 競争秩序の経済政策
競争秩序は単なるモデルではなく,制度化を 想定した実践的指導像である。制度化のために はその手段として適切な経済政策が要求される。 次にオイケンの経済政策論を見ておこう。 1.政策主体としての国家 競争秩序の形成主体は国家である。ただしオ イケンが生きていた時代の国家ではない。当時 のオイケンが理想と考えた国家である。 35>市場経済のほかに自己経済も考えられている。 Eucken〔7〕S.198,邦訳, p.266 36)安定的マネーサプライ制度は筆者が命名したも のである。 37)Eucken〔7〕S.314,邦訳, p.425 38)Eucken〔7〕S.42.43,247−250,邦訳, pp.60−61, 335−337 39)Eucken〔7〕S.198,邦訳, p.266一8一 滋賀大学経済学部研究年報Vo1.6 1999 実験の政策の時代になると国家像も変化した。 自由国家(libera!er Staat)から経済国家 (Wirtschaftsstaat)への移行である40)。経済経 過への干渉拡大を常態化した国家への転換であ る。オイケンは経済国家を権威の失墜した弱い 国家と見た。経済経過への干渉は国家の権力を 拡大したが,反面でその意思決定の自立性の低 下をも招いた。国家が独占やコンツェルンや労 働組合などの私的経済勢力に取り込まれたから である。経済経過(特に生産と分配)への干渉が 拡大するにつれて国家の意思決定は私的経済勢 力によって左右されるようになり,その権威も 失われてしまった,と言うのである41)。 競争秩序の形成主体は権威を回復した強い国 家でなければならない。強い国家とは何か。オ イケンの解答は法治国家であった42)。法律に従 い,その限界を超えないように行動する国家で ある。個人の自由は法治国家のもとでもっとも よく保証される。しかし,法治国家という限り では自由国家の時代と同じである。どこが違う のか。オイケンによれば新しい法治国家は積極 的に経済基本法政策を行う。自由国家は経済法 の実施面の監視を怠ったために私的経済勢力に よる自由の濫用を招いた。その弊を改めるには 経済基本法を定めるだけでなくその適用を監視 する必要がある。そのさいルールによる経済行 政を徹底して裁量行政の余地をなくし,私的経 済勢力のレソト・シーキングを封じ込める43)。 官民ともにルールに従うことによって自由の濫 用と自由の侵害が防止される。今日の規制緩和 論に登場するルール遵守行動の原則はすでにオ イケンによって先取りされていたのである。 法治国家は近代以後の国家ではない。オイケ ンは国家論においても近代を超えようとしたの ではない。なぜなら法治国家はもともと近代の 40) Eucken (8) S.10,13 41) Eucken (8] S.13−14, Eucken (7) S.188−189, 325.327,邦訳,pp.254,442,456 42)Eucken〔7〕S.48,307,邦訳, pp.67,416 43)Eucken〔7〕S.307,邦訳, p.416 指導理念だったからである。オイケンは,経済 国家から全体主義国家へと動いて行った時代の 経験を踏まえて,法治国家の復権を図ろうとし たのである。ただ法治国家の具体像に関する説 明はない。わずかに専制主義と対比する形で連 邦主義に肩入れしていると思われる片言的叙述 があるだけである“)。 2.経済政策の根本原則 法治国家が採るべき経済政策の根本原則は次 の二つである45)。 第1の原則。国家の経済政策は経済勢力集団 の解体もしくはその働きの制限をめざさなけれ ばならないQ 第2の原則。国家の経済政策は経済経過のコ ントロールではなく,経済秩序の形成に向けら れなければならない。 これらの原則は,過去の時代に発生した弊害 (私的経済勢力の自由の濫用,独占や部分独占の支配, 国家の権威失墜など)を教訓にして導き出された, 競争秩序建設のためのいわば公理的原則である。 オイケンが特に重視したのは第二の秩序政策の 原則である。これはオイケンおよびかれの創設 したフライブルク学派の経済政策論の憲法とも いうべき根本原則である。 3.構成原則 オイケンは以上の根本原則をベースにして経
済政策に関する七つの構成原則(konsti−
tuierende Prinzipien)を導き出した。構成原則 とは競争秩序を構成するための原則である。議 論の中心をなすのは秩序づけ(ordnen)の問題 つまりルール制定の問題である。七つの構成原 則はいずれも経済基本法政策の原則ということ になる46)。 ①基本法的原則:競争秩序の経済基本法的な 根本原則は「完全競争の機能的な価格システム」 の確立である。そのためには以下の六つの原則 44)Eucken〔7〕S.332−333,邦訳, p.451 45)Eucken〔7〕S.334−337,邦訳, pp.452−456 46)Eucken〔7〕S.254−291,邦訳, pp.345−393が必要となる。 ②安定的通貨制度:価格システムが有効に機 能するには貨幣価値の安定が不可欠である。そ のためには一定のルールを定めてマネーサプラ イが景況に応じて自動的に調節されるようにし なければならない。この方式はフリードマン (M.Friedman)に代表されるマネタリズムの考 えに通じるものがある。 ③オープン・マーケット:完全競争の価格シ ステムの形成のためには市場への参入の自由を 保証するルールを定めなければならない。加え て参入の自由を阻止しようとする私的経済勢力 の妨害競争(Behmderungswettbewerb:ダンピ ング・価格破壊・取引拒絶などによる潜在的競争者 の締め出し)を禁止するルールを制定しなけれ ばならない。 ④恒常性:完全競争の価格システムが有効に 機能するには経済基本法政策の恒常性が要求さ れる。法的枠組みはアクターの経済計算にとっ て与件となる。法的枠組みは不断に変化するよ りも長期間一定である方が望ましい。 ⑤私的所有:私的所有は競争秩序の前提であ る。ただし,私的所有は独占市場と結合すると 搾取や勢力強化をもたらす。経済的・社会的に 有益な成果をあげるには私的所有を競争市場に 結合しなければならない。 オイケンの秩序経済学において中心の座を占 めるのは需給の調整方式であり,所有方式は重 視されていない。そのためであろうか,競争秩 序に対する私的所有の積極的意義は論じられな いままに終わっている。 ⑥契約の自由:これは完全競争の前提である。 契約の自由が完全競争を促進するようにルール を定めるべきである。 ⑦責任:完全競争が機能するにはアクターが 結果(負債)について責任を負うようにルール を定めなければならない。 シュトライト(M.E.Streit)とカスパー一(W. Kasper)によれば②③④は自由放任の政策お よび実験の政策の失敗を踏まえた原則であり, ⑤⑥⑦はアダム・スミス(A.Smith)以来資本 主義の基礎とみなされてきた原則である47)。 4.規制原則 規制原則(regurierende Prinzipien)は競争 秩序の機能を維持するための原則である弼)。 ①独占対策:完全競争の価格システムを維持 するには原則として独占を解体しなければなら ない。そのためには独占立法を定め,独占を取 り締まる監督機関を設置しなければならない。 オイケンの独占対策は一般禁止原則である。 ②所得再分配:所得分配は完全競争の価格シ ステムによって行われるべきである。いわゆる 限界生産力に従った機能的分配の原則である。 ただしこの方法には限界がある。所得格差は避 けられない。最低限の欲求が満たされない中で 奢修品の生産が行われるという場合には再分配 政策が必要となる。その一環として累進課税を 導入せざるをえないが,その税率は投資意欲を 減退させないように設定すべきである。 オイケンは積極的に所得再分配を主張したの ではない。シュトライトとカスパーが指摘する ように49),オイケンは所得の不平等そのもので はなく,絶対的貧困の救済を問題にしたのであ る。人間は絶対的貧困状態にない場合にのみ人 格的に自由であるという考えからである50)。 ③経済計算外の問題に対する対策:完全競争 のもとでも企業の経済計算に入ってこない問題 が発生する。環境問題と労働問題である。これ らの問題が発生したときには競争を阻害しない 範囲で個別企業の自由を制限しなければならな いQ ④最低賃金:人口増加や技術革新などの与件 の変化によって労働市場で賃金低下や失業が発 生する場合には最低賃金を制定する必要がある。 47) Streit,Kaser (41] S.118 48)Eucken〔7〕S.291−304,邦訳, pp。394−411 49) Streit,Kaser (41) S.121 50) Oberender (29] S.325
一10一 滋賀大学経済学部研究年報Vol.6 1999 5.社会政策 戦後数年の時期におけるドイツの緊急課題は 社会政策であった。オイケンはこの問題につい ても発言している。これはまた,ミュラーアル マックの主要関心事であった。のちの議論に関 連するのでここでオイケンの考えを見ておこう。 オイケンは,社会政策は独立の領域ではなく 上に見た経済政策体系に含まれる,と考えた。 つまり,社会問題は秩序政策によって基本的に 解決されると見たのである51)。しかしそれで社 会問題がすべて解決されるのではない。 解決のつかない場合には社会政策で対処しな ければならない。ただし,解決の原則はあくま でも自助である52)。自助には私的貯蓄による解 決と保険がある。職業病・労働災害・失業など 自己に責任がない問題については保険で解決を 図る。私的貯蓄と保険で対応できない場合につ いてのみ国家が解決する。上に見た所得再分配 政策,労働者対策および最低賃金の制定である。 社会問題に対するオイケンの考えはカトリッ ク教会の補完性の原則と一致する。事実,オイ ケンは補完性の原則に同意を示し,これは競争 秩序においてもっともよく実現されると述べ, 言外にカトリック教会も競争秩序を支持してほ しいと要望している跳 6.まとめ オイケン説のキイワードは強い国家と秩序政 策である。国家の強さは利害集団から解放され 自立的に意思を決定しうるところにある。その 国家は競争秩序のルールを制定し,かつ「競争 秩序の番人」“)(Httter der Wettbewerbsordnung) の役割を演じる。市場に登場するアクターはゲー ムのルールに従って競争する。競争秩序は「ルー ルに誘導された自由競争システム」ということ になる。 51)Eucken〔7〕S.313,邦訳, p。423 52)Eucken〔7〕S.319,邦訳, p.431 53)Eucken〔7〕S。348,邦訳, pp,470−471 54) Vanberg (44) S.717 オイケン説は第≡:の道である。自由放任と中 央指導の中間を行こうとする説である。中間の 道という限りではケインズ説と同様であるが, オイケン説は経済経過への不干渉を原則とする という点でケインズ説とは異なる。第三の道に おける国家干渉のスタイルは,筆者の言葉を使 えば,ルールによる「誘導方式」である。自由 放任と指令の中間にある,ルールをガイドライ ンとした個別経済の間接的誘導である。 オイケンがルールを重視した背景には二人の 私法学者との交流があった。1933年にオイケン とともにフライブルク学派を興したべーム (F.B6hm)とグロスマン・ドェルト(H. Grossmann−Doerth)である。特にベームはオ イケンの思想形成に少なからぬ影響を与えた。 ベームは法学サイドから競争や独占やカルテル の問題を扱ったことで知られるが,かれはまた 実践面でも活躍し,西ドイツにおける独占禁止 法の制定や連邦カルテル庁の設置に指導的な役 割を演じた。上に見たオイケンの実績競争や妨 害競争のコンセプトはべームに由来するもので あり,またルールに即した経済行政や一般禁止 原則に立つ独占対策などのアイディアにもベー ムの影響を見ることができる。このように創始 者たちが経済と法の問題に関心をもっていたこ ともあってフライブルク学派では伝統的にこの 方面の研究が盛んである。アメリカあたりでブー ムになっている「法と経済」の研究はすでに戦 前のフライブルク大学で始められていたのであ る。
1V 社会的市場経済の秩序像
オイケンは実践への関心をもち続けた碩学で あった。ナチズムが登場するとフライブルク大 学では教員を中心にして三つの反体制グループ が組織されたSS)。「フライブルク会議」 (Freiburger Konzil),「フライブルク・ボンへ 55) Schlutz [37) S.219,238−239ファー・グループ」(Freiburger Bonhoeffer− Kreis),「エルヴィン・フォン・ベッケラート 研究会」 (Arbeitsgemeinschaft Ervin von Beckerath)である。オイケンは,同僚のディー ツエ(C.v.Dietze)やランペ(A.Lampe)とと もにこれら三つの組織に参加し,リーダーの一 人として行動した。三つの組織のうち第二次大 戦後の西ドイツの国造りに大きな影響を与えた のはべッケラート研究会であった。この研究会 にはナチズムに批判的な研究者が全ドイツから 参加し,1943年3月から翌年9月目かけて,戦 後のドイツ経済に関する秩序像を設計する作業 に加わった。オイケンはこのような実践活動に 携わるかたわら,1937年からはべームおよびグ ロスマン・ドェルトとともに『経済の秩序』と 銘打った双書シリーズを刊行した。双書刊行の 意図は「経済基本法の形成および新設のために 科学的理性を働かせる押ところにあった。第 二次大戦が終わると,オイケンは最初エアハル トの経済顧問になり,次いで1948年には連邦経 済省の中に設けられた学術顧問会議に参加し, 経済改革のアドバイザーとして活躍した。 オイケンの競争秩序は以上の実践活動の中で 練り上げられたものである。いわば知と行との 反復運動の産物であった。オイケンは競争秩序 をもって西ドイツ経済の復興を図りたいと願っ ていたのである。 オイケン以上に実践への関心が強かったのは ミュラーアルマックであった。彼自身「学問研 究において常に実践志向があった」57)と述懐し ているほどである。オイケンよりも10年遅れて 生を受けたこの人物もオイケンと同様に激動の 時代を生きた。それだけに実践への志向が強かっ たのであるが,そのスタンスはオイケンと違っ て体制迎合的であった。このことはナチズムに 対する態度に端的に表れている。NSDAP政権 のアウタルキー政策に賛成したり,その東方植 民行政に携わったりしながらナチズム支持を深 めて行ったのである。そのミュラーアルマック も時とともに次第にナチズムに対して距離をお くようになり,やがて自由主義へ転向した。第 二次大戦が終わるとミュラーアルマックは1946 年に社会的市場経済の構想を打ち出し,その旗 手としての活動を開始した。1947年のエアハル トの顧問を振り出しに1952年には連邦経済省の 局長になり,1958年から1963年までヨーロッパ 統合担当の次官を務め,「エアハルトの社会的 市場経済の戦友」58)として復興期から高度成長 期の経済行政の任にあたった。 ミュラーアルマックの社会的市場経済は以上 の実践活動の中で練り上げられたものである。 これもまた知と行との反復運動の産物であった。 1.競争秩序を超えて ミュラーアルマックは社会的市場経済を構想 するようになった経緯について次のように述べ ている。「幸い私は先の戦争中にワルター・オ イケンのグループから競争原理の再生をめざす 考えを受容した。しかしその時から,経済政策 の形成手段として競争秩序を強調するだけでは あまりにも狭いと感じ,それを超えて,市場整 合的ではあるが社会政策に属する,総合社会政 策的施策システムを意識的に追究してきた」59)。 この文章から競争秩序を一旦受け容れた上でそ れを超えるという意図をもって社会的市場経済 を構想したことが分かる。なぜ超えようとした のか。「今日の産業大衆社会の社会的必要」60)に 応えるためであった。競争秩序の政策だけでは 今日の要求社会(Anspruchsgesellschaft)にお ける社会問題や福祉の問題は解決できないと言 うのである。ミュラーアルマックが社会政策を 重視したゆえんである。 56) B6hm,Eucken,Grossmann−Doerth Cl) S. 215 57) MUIIer−Armack (25] S.283 58) Schlecht [35) S.100 59) MUIIer−Armack (23) S.10 60) MUIIer−Armack (25) S.290
一12一 滋賀大学経済学部研究年報Vo1.6 1999 2. 日寺{」℃言忍識 社会的市場経済は規範的な秩序である。ミュ ラーアルマックがこのような理想像を提唱した 背景にはかれによる近代批判があった。ただ批 判の内容は多くの点で先に見たオイケンの批判 と重なっている。とりわけ19世紀の自由市場経 済およびナチズムの経済面に対する批判はほと んどオイケンと同じであるので,ここでは触れ ないことにする。 といってミュラーアルマックの批判に個性が ないわけではない。社会学的批判には見るべき ものがある。こころの貧しさの問題である。市 場経済が自立し,発展するにつれて,世俗化 (Sakularisierung)が進行し,神なき時代になっ た。精神生活は貧困化し,自己喪失・他者依存 の精神状況が出現した。ミュラーアルマックは このような,ナチズムの温床ともなった,精神
状況をドイツの新自由主義者レプケ(W.
R6pke)に倣ってプロレタリア化61)(Proletari− sierung)と呼んだ。 ついでに言っておくとオイケンにも似たよう な認識がある62)。近代の進展とともに宗教は人 間生活に意味を与える力を失ってしまった。宗教が退場するとそれに替わって宗教代用品
(Religionsersatz)が登場した。人間信仰,社 会信仰,国家信仰なかでも全体主義国家信仰で ある一というのがその大意である。オイケン も近代の危機的精神状況に気づいていたが,こ の問題を正面から取り上げようとはしなかった。 経済学の枠を超えると考えたからであろう。 プロレタリア化はなぜ生じたのか。筆者なり に解釈するとミュラーアルマックはその究極の 原因を経済の自立化に見ていた。レッセ・フェー ルの自由市場経済の制度化によって社会・宗教・ 国家の中に包み込まれていた経済が解放され, その自己法則に従って一人歩きを始め,ついに は暴走するようになった結果だと考えた。プロ 61) R6pke [32] S.29−30 62) Eucken (8] S.12 レタリア化を克服するには市場経済に制度的ブ レーキをかけなければならない。このような考 えが社会的市場経済の背後にある。 ミュラーアルマックは制度的ブレーキを意識 しつつ社会的市場経済を「社会的に形成された 市場経済」63),「意識的にコントロールされた, しかも社会的にコントロールされた市場経 済押と定義した。これは自由市場経済のレッ セ・フェールとの違いを強調した定義である。 市場経済の社会的形成・社会的コントロール, これが「社会的」の意味である。これは具体的 には何を意味するか。次にその内容を見ておこ う。 3.自由と安全 社会的市場経済は設計された秩序である。つ まり,ミュラーアルマックが近代批判の中から 教訓を読みとって描き出したものである。その さいかれが設計の基礎においたのはキリスト教 社会論の人間観であった。人間の本性を人格と して捉え,その自由(解放と自己決定と自己責任 がセットになった自由)とその尊厳を重視する考 えである65)。 ミュラーアルマックは自由の価値に合致する 経済システムとして市場経済を選択した。経験 に照らして見ると個人の自由を実現する経済シ ステムは市場経済のほかにないというのがその 理由であった。 ミュラーアルマックが重視した価値がもう一 つある。社会的安全(soziale Sicherheit)であ る。この価値は人格の尊厳にかかわるものと思 われる。社会生活の安全なしには人格の尊厳は 保てないであろうからである。ミュラーアルマッ クは,市場経済はこの価値に合致しえない,と 見た。市場経済は生活の安全を脅かす貧困や失 業などの社会問題を生み出したというのがその 63) MUIIer−Armack (23) S.145 64) MUIIer−Armack (23) S.109 65) Grosser (12] S.11,Thuy (42) S.284,Watrin (46] S.67理由であった。社会問題を解決するには市場経 済を社会的に,つまりは国家によって,コント ロールしなければならない。社会的市場経済の 「社会的」にはこのような社会問題解決のため の社会的コントロールという意味が込められて いる。 社会的安全にはもう一つ重要な意味が込めら れている。市場経済を社会的に形成するという 意味である。19世紀に社会・国家・宗教から解 き放たれた市場経済は行き過ぎた競争と政策的 対応の失敗によって社会問題や精神面のプロレ タリア化を招き,社会生活の安全を脅かした。 市場経済はレッセ・フェールの時代に信じられ ていたような万能の「全自動機械」66)ではなく 「半自動機械」6のであることが分かった。その 暴走を封じ込めるためには市場経済をもう一度 社会の中に囲い込む必要がある。これが「社会 的」に込められたもう一つの意味である。 社会的市場経済の「社会的」の内容はこれで 明らかになった。市場経済の社会的囲い込みと 社会問題解決のための社会的コントロールであ る。ヴァンベルク(V.Vanberg)の言うように, 「社会的」は一方で「より広い社会制度的秩序 への市場経済の包摂」にかかわり,他方で「市 場プロセスの結果」にかかわる68),と見ること もできる。自由と安全,これが社会的市場経済 を支える主柱的な価値である。ミュラーアルマッ クは「社会的安全と経済的自由の結合」69>や 「自由主義秩序と社会的安全の結合」70)の言葉 を使っているが,これらは主柱的価値の面から 見た社会的市場経済の定義である。かれはまた 「社会的公正」(soziale Gerechtigkeit)や「社 会的バランス」(sozialer Ausgleich)の価値的 タームで社会的市場経済を定義している。「自 由と社会的公正の真の結合」71),「市場での自由
の原則と社会的バランスの原則との結
合」72>といった具合であるが,これらは市場プ ロセスの結果を意識した定義である。市場競争 の結果として出てくる所得格差・貧困・失業な どの解決を念頭においた定義である。公正と社 会的バランスは安全に含まれる価値である。 4.開かれた秩序 社会的市場経済は閉じたスタティックな秩序 ではない。オイケンの競争秩序のように特定の 価値を土台にして構成される完結した静的秩序 ではない。むしろ「価値を含むが価値を固定し ない」73>開かれたダイナミックな秩序である。 つまり,未来に対して開かれた秩序であり,将 来登場する価値を取り込んだり,また将来の社 会的要請に応えたりしうる柔軟性を備えた秩序 である。この意味でプラグマティックな秩序で もある。 したがって社会的市場経済は「一回限りの実 験ではない」74)。一度限りの政策実践で完成す るようなものではない。ミュラーアルマックは, 「人びとが自由に,かつ社会的に安全に生活で きる」75)ような「人間的秩序」76)を実現するに は将来にわたって市場経済を社会的に修正した り,改良したり,補強したりすることが必要で ある,と説いた。そこにあるのは改良主義の考 えであり,漸進主義の考えである。しかし見方 を変えると,社会的市場経済はその開放性のゆ えに「未完の作品」77)(Torso)に終わってしま う危険を孕らんでいる。 5.漠然とした秩序像 オイケンの競争秩序は「経済の秩序」であっ た。人間生活の他の諸領域から相対的に独立し 66) MUIIer−Armack (23) S.115 67) MUIIer−Armack (23) S.235 68) Vanberg (43] S.22 69) MUIIer−Armack (23) S.236 70) MUIIer−Armack [23) S.233 71) Mifller−Armack (23) S.242 72) MUIIer−Armack (23) S.243 73) Mifller−Armaek (26) p.260 74) Mttller−Armack (23) S.261 75) Mttller−Armack (23) S.238 76) Muller−Armack (23) S.227 77) Cassel,Rauhut [3] S.17一14一 滋賀大学経済学部研究年報Vol.6 1999 た経済像であった。それだけに輪郭がはっきり としていた。これに対し,社会的市場経済は社 会と経済が未分離の状態にある世界である。よ り正確に言えば経済が社会の中に包摂されてい る世界である。ミュラーアルマックはこのよう な意味を込めて社会的市場経済を「社会経済秩 序」78)(gesellschaftliche und wirtschaftliche Ordnung)と規定したが,そのためにかえって 全体輪郭が不明瞭になってしまっている。秩序 の開放性もこれに輪をかけている。 社会的市場経済の仕組みもオイケンの競争秩 序ほど明瞭ではない。というよりはなはだ漠然 としている。オイケンはその秩序形態論をもっ て競争秩序の構成を明確にデザインした。ミュ ラーアルマックには秩序形態論がない。それだ けに社会的市場経済の構成がはっきりと見えて こないのである。はっきりしているのは,需給 調整システムとして市場価格メカニズムを使う, ということだけである。ただし,市場価格メカ ニズムの機能条件(競争条件や市場形態や貨幣制 度など)についての説明は何もない。社会的市 場経済は経済学的裏づけのない漠とした秩序像 と言わざるをえない。
V 社会的市場経済の政策体系
社会的市場経済は制度化を想定している。そ のためにはしかるべき政策が必要となる。ミュ ラーアルマックはそうした政策について多くの 紙幅を費やしているが,その論じ方はオイケン ほど体系的ではない。むしろ,上に見た秩序像 の場合と同様に,散文的・断片的といった方が よいくらいである。ミュラーアルマックの政策 体系の全貌を把握するには検討者の方で原典の あちこちに散在している叙述を収集し,それら を論理的に再構成してみる必要がある。以下, 筆者なりの整理基準をおいてそうした作業を試 みてみることにしよう。 78) Muller−Armack (23) S.295 1.政策主体 ミュラーアルマックの政策体系は経済政策と 社会政策から成る。その実施主体としては国家 が想定されているが,国家像は漠然としている。 オイケンは権威ある法治国家を想定した。ミュ ラーアルマックにはこれに相当する国家像につ いての叙述はない。オイケン流の法治国家を想 定しているのか,現実の大衆民主主義国家を考 えているのか,それとも第3の国家なのか,判 然としない。 2,経済政策 オイケンの政策体系は経済政策中心であった。 社会政策は周縁に位置づけられていた。ミュラー アルマックの場合にはこれとは逆に社会政策が 政策体系の中心を占めている。経済政策は社会 政策の中に包摂され,その一部門としての扱い を受ける形となっている。 ミュラーアルマックは経済への国家干渉方式 について「第三の経済政策方式」79)というター ムを使った。自由放任とナチズムの経済統制と の中間にある干渉方式である。第三の経済政策 方式では市場整合性(Marktkonformitat)の原 則に従って干渉が行われる。 市場整合性はレプケに由来するコンセプトで ある8。)。市場価格メカニズムの機能にブレーキ をかけないように干渉するというのがその本来 の意味である。具体的にはどのようなものか。 ミュラーアルマックの言うところを解釈すると, 市場価格メカニズムのインフラストラクチャー にあたる経済秩序の形成を目的とした干渉であ る。具体的には市場参入・退出,市場競争,市 場取引などに関するルールの制定が考えられて いる。独占禁止法がその代表例である。ミュラー アルマックはこれらのルールから成る経済秩序 を競争秩序(Wettbewerbsordnung)と呼んだ8’)。 79) MUIIer−Armack (23] S.109 80) Rdpke (32) S.258ff., 297ff. S.78, 350, 393 81) MUIIer−Armack [23) S.197 R6pke (33)このように整理すると,社会的市場経済の経 済政策はオイケン流の競争秩序の形成を目的に しょうとしていることが分かる。ただし,ミュ ラーアルマックにはそれ以上の説明はない。オ イケンには競争秩序の形成にとって必要となる 秩序政策のカタログがあった。構成原則と規制 原則の政策体系である。ミュラーアルマックに はこれに相当するものは何もない。オイケンの カタログをそのまま受け入れたのであろうか。 判然としない。 3.社会政策 社会政策(Gesellschaftspolitik)は国民に対 して自由かつ安全な生活を保証しうる社会秩序 の形成を目的としている。したがって社会政策 の主要目的は二つということになる。自由の保 証と安全の保証である。 ①自由の保証 社会生活における自由の保証についてはその 前提条件である勢力中立的秩序(machtneutrale Ordnung)の形成が論じられている82)。つまり, すべての社会勢力を解放すると同時にそれらの パワーを相互に中立化し安定化せしめうる秩序 の実現である。そのためにはスタートの条件や ゲームのルールが定められなければならないが, ミュラーアルマックが特に重視したのはスター トの条件である。個々人に真のチャンスを平等 に与える社会学的スタート条件である。勢力申
立的秩序の形成は「自由に基づく人間的秩
序」83)の実現にとって欠くことのできない前提 である。 ②安全の保証 社会生活の安全保証をめざす社会政策は,筆 者の解釈では,内容的に二つに区別される。市 場経済の社会的形成と社会的バランスの実現で ある。 (i)市場経済の社会的形成 市場経済は,放任すると,社会問題を発生さ 82) MUIIer−Armack (23) S.227 83) MUIIer−Armack [23) S.227 せたり,自由を制限したり,精神のプロレタリ ア化を加速したりする。市場経済の暴走を抑えるにはそれを 「全体の生活様式」en)
(ganzheitlicher Lebenssti1)の中に組み込む必 要がある。 (ii)社会的バランスの実現 市場プロセスの結果として生じる社会的アン バランス(所得格差,貧富の差,失業など)は社 会政策によって解決されなければならない。 4.社会政策のカタログ 次に社会政策の具体的内容について見ておこ う。以下のカタログは筆者なりにミュラーアル マックの断片的な叙述を論理的に整理して作成 してみたものである。A,B,Cは社会政策の目的 を,a,b,cはその実現手段を示している。 A.自由の保証 a.平等なスタート条件の制定 具体例としては財産形成政策が挙げら れているas)。勤労者の財産形成の支援に よって有産者とのスタート点での差を緩 和しようとする政策である。 b.自立の促進 中間層(自営や中小企業など)の自立支 援政策が具体例である86)。 B.市場経済の社会的形成 a.市場経済の生活様式への囲い込み これに直接かかわる具体例は挙げられ ていないが,関係すると思われるのは広 い意味での環境政策である。つまり,生 活を取り巻く環境全体の改善を内容とす るものであり,社会環境の整備,都市政 策,保健衛生の改善,防災,人的資本の 育成(教育政策),エネルギー政策が考え られているs7)。 84) Muller−Armack (23) S.227 85) MUIIer−Armack (23) S.306 86) MUIIer−Armack(22)S.152, MUIIer−Armack (23) S.276−277 87) MUIIer−Armack (23) S.275, 279, 280, 281, 283一16一 滋賀大学経済学部研究年報Vol.6 1999 b.脱プロレタリア化 (Entproleta− risierung)88) 脱プロレタリア化は精神生活の安定化 を目的とする。具体的手段としては共同 決定,利潤参加および田園都市政策が挙 げられている89)。共同決定と利潤参加は 企業従業員の疎外感や従属感を緩和しよ うとするものである。 田園都市政策は都市住民を,たとえば 産業分散化によって,田園地域に移住せ しめ,土との触れ合いを回復することで 精神生活の安定を図ろうとするものであ る。これにはレプケの考えが濃厚に反映 されている。 C.社会的バランスの実現 a.国家財政による所得再分配政策go) b.失業対策 完全雇用をめざした景気政策がその具 体例である91)。ついでに言っておくと, オイケンは景気政策の必要を認めなかっ た。オベレンダー(P.Oberender)が指 摘するように92),オイケンは景気変動は 個別運動であってノーマルな景気サイク ルは存在しないと考えていたからである。 c.生活の安定化 インフレーション対策としての所得政 策や通貨安定政策,国民生活安定化のた めの最低賃金・公共住宅・社会保障など の政策が考えられているee)。 5.補完性と市場整合性 オイケンの社会問題に対するスタンスは自助 を原則とし,個人で解決できない問題について 88) Mifller−Armack (23] S.153,198 89) MUIIer−Armack (22) S.153,MUIIer−Armack C23) S.198, 228, 240, 306−307 90) MUIIer−Armack [23) S.257 91) MUIIer−Armack (23) S.240, 247, 279, Mifller−Armack (26) p.270 92) Oberender (29) S.325 93) MUIIer−Armack {22] S.152,MUIIer−Armack (23) S.240, 278, 306−307 のみ社会政策で解決するというものであった。 しかも社会政策は,個人の自己実現や自助を支 援べきであるという補完性の原則に従うもので あった。ミュラーアルマックの場合はどうか。 カッセル(D.Cassel)やレーネル(H.O.Lenel) やハーメル(H.Hamel)は,社会政策も補完性 原則をベースにしていると述べているSC)。果た してそうであろうか。上に見た多岐にわたる社 会政策のリストは,補完性の原則に従って作成 されたようにはとても思われない。むしろ,そ の多くは個人の自己実現や自助をサポートする どころか逆にそれらにブレーキをかける国家的 扶養(staatliche恥rsorge)のカテゴリーに分 類されるものである。レプケの言葉を借りれば, フライブルク学派や社会的市場経済の支持者の 一部も忌み嫌う ,「大衆福祉国家」95)(Mas− senwohlfahrtsstaat)への道を用意するもので ある。ミュラーアルマックは,政府の政策担当 者であったためであろうか,1950年代から1970 年代にかけて次々に登場した社会政策課題を追 認し,整理基準もなしにそれらを社会政策のリ ストに加えていったように思えてならない。無 定見な現実追従といえば言い過ぎになるだろう か。 もう一つ気がかりな点は社会政策と市場経済 との兼ね合いである。上述のように経済政策の 場合には,オイケンほど厳密ではないにしても, 市場整合性が一応国家干渉の原則となっていた。 社会政策の場合はどうか。論理的に考えると社 会政策も市場整合性に従わざるをえないであろ う。経済プロセスへの行き過ぎた干渉は市場価 格メカニズムの機能を阻害するからである。そ れゆえ社会政策も市場整合性の原則に従ってい ると解釈する論者も出てくるのであるがee>,し かし筆者が目を通した限りではミュラーアルマッ クの原典の中に市場整合性を基準にして社会政 94) Cassel,Rauhut [3] S.12,Lenel (20) S.31, Hamel (13) S.112 95) R6pke (34) S.60 96) Spieker (38] S.188
策のカタログを作成しようとした形跡はまった くないのである。「社会的干渉についての線引 きがない」97)とか,「ミュラーアルマックは社 会的安全がどのようにして市場経済システムに 適合するかについて何も述べなかった」OS)とい う批判が出てくるのも当然のことと言わねばな らない。 6.まとめ ミュラーアルマックの政策論には効率の視点 がない。オイケンの完全競争に匹敵するような 効率サイドの考察がない。この意味で経済学な しの政策論である。 ミュラーアルマックの政策論は社会政策論で ある。経済政策はその中に包摂されている。ミュ ラーアルマックの立論意図からすれば社会政策 の課題は自由と安全をバランスさせるところに あったはずである。ところが結果から見ると, 両者のバランスは大きく崩れ,安全に偏重した 政策体系になっている。いわば自由が安全に重 囲される形となってしまっている。社会政策は 個人の自由を侵害する危険を内蔵しているので ある。