< 翻 訳 >
著
訳
慧
三
請
幸
田 鹿 桑司馬遷 の貨 幣理論
― 『史記』「平準書」の歴史的地位と価値について一
司馬遷 は偉大 な史学家 として史学の上で一家言 を成 したのみでな く,経 済思 想の上で も独特の見解 を持 していた。彼の経済思想の観点は,そ の当時は勿論, それ以後 もかな り長期 に亘って新鮮であ り,其 の時代の政治 にも稗益する所が あった。彼の貨幣 についての研究 は其の思想観点の上か らも,全 く前人未踏の ものであった。貨幣史事著 としての 「平準書」 は,『史記』 と同様 に比類のな いモデル として後世 に伝 えられた。 「平準書」は中国最初の経済史及び貨幣史の専著 として,そ の基礎 を確立 したもので,資 幣理論研究の第一のメルクマールである。 司馬遷の貨幣理論 を研究するには,彼 の貨幣観点 を研究 し,評 価するだけで は十分 とは言 えない。 さらに 「平準書」 の歴史的地位 と価値 とを十分 に理解す る必要がある。 この一点 をクリア して始めて司馬遷の貨幣理論 を全面的に評価 す ることが可能 となる。 中国における貨幣の発展 には悠久 な歴史がある。全人類の歴史的発展 と同様 に,人 々が最初 に使用 した ものは貝殻類の原始貨幣であった。夏 ・段の時代 に は其の使用が始 ま り,周 の景王 (B C540年代)に は鋳銭の記録がある。戦国 期 に至 る と,布 幣 ・刀幣 ・園 (えん)銭 お よび楚幣の四大鋳貨の体系が出現す る。春秋 ・戦国期 には,幣 制 は不統一で,貨 幣制度 は不完全であったが,貨 幣 経済が比較的 よ く発達 した時期で もあった。貨幣 は社会経済活動の中で も,人 々の生活の中で も,益 々強大 な神秘的な力量 と欠 くべか らざる社会作用 とを顕 示 していた。 このことは中国の多 くの思想家の中に,貨 幣に対する重視 と研究142 彦 根論叢 第 325号 とを引 き起 こした。われわれの見 る所ではは,こ れ らの思想家の貨幣研究は, 主 として貨幣の職能上のそれであ り,歴 史的角度からの深層的な研究は希であっ た。そ して司馬遷 こそは其の第一人者であった と言 えよう。以下,「平準書」 によって中国初期の貨幣制度の発展 と貨幣政策の沿革 を辿 つて見 よう。 「平準書」 は専 ら貨幣の発展 と貨幣政策 について記述 している。貨幣の発展 の記述のうえで,前 漢以前は簡略であ り,前 漢の時代については詳細である。 秦王朝による中国統一以後,諸 侯六囲の貨幣を 「半両銭」に画一化 した。後 代 これを 「秦半両」 と称する。「秦半両」は重 さ12鉢 (1両 =24鉢)で ,や や 重 きに過 ぎたが,名 目と実質が相伴い,購 買力を具備 していた。前漢初期に使 用 されたのは,こ の 「秦半両」である。 1 ) 呂后 2年 (B C187)に 「八鉢銭」 を鋳 し,同 6年 には 「五分銭」を発行 し ている。「五分銭」は3鉢 の重さしかなく軽すぎたので,世 に 「楡爽銭」(ゆきょ うせん)と 称 し,物 価の上昇を引 き起 こす結果 となった。 文帝期 に到 り,「楡茨銭」は益々多 くな り,ま た軽 くなった。そこで改めて 「四鉢銭」を鋳たが,其 の文を半両 としたと この種の 「半両銭」は 「楡爽銭」 に比べても大 して代わ り映えしない,や はり,一 種の非常に品位の低い貨幣に す ぎなかったことは明白である。 前漢武帝期 (B C 140-87在位)の 貨幣制度は最 も乱雑である。武帝はひっ きり無 しに貨幣制度を改変 して,そ れを兼併豪族及び富商大買を抑制 し打撃を 与える手段 としたのである。建元元年 (B C140)に 「三鉢銭」を鋳造 したが, わずか4年 しか続かない。建元 5年 (B C136)に 「三分銭」を鋳 し,「三鉢銭」 よりは補や重 くした。元狩 4年 (B Cl19)に は白鹿の皮,方 1尺 ,周 縁 に模 様 を施 し,「皮幣」 と称 し,値 を40万とした。この 「白鹿皮幣」は中国最初の 紙幣 と言えるであろう。一尺四方の白鹿の皮に若干加工 しただけで40万に値す る,こ の様な貨幣は,す でに純粋な価値の符号にす ぎない。武帝がこの種の貨 『漢書』 ・ 「高后紀」 ;二 年春…行八鉢銭,六 年春…行五分銭 これ ら2件 の史料 は,「平準書」 には未見である。 本文 に出所 を注記 しない ものは,全 て 「平準書」か らの引用である。
■ 碑 L ト ー i l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l 十 1 1 1 < 翻訳>司馬遷の貨幣理論 143 幣 を発行 したのは,決 してそれを流通手段 とす るためではない。王侯貴族の財 富 を剥奪す るための手段 としたのである。武帝 はまた,三 種の白金幣を発行 し, (材料 は白銀である)「白金三品」 と称 した。上品は花模様 の図案で,龍 と呼 び,値 3千 。中品は馬 と為 し,値 5百 。下品は亀 と為 し,値 3百 。「白金三品」 もまた,一 種の品位 の欠ける貨幣である。ただ,「白鹿皮幣」 に比べればまだ しも良い方である。古代 にあつては,貨 幣は一種の流通手段であるのみではな く,人 々の財富で もあった。財富であるためには,貨 幣は価値の充足 したもの でなければならない。単 なる価値の符号であってはならない。だか ら,皇 帝は 至高無上の権威 を備 えているけれ ども,価 値法則の前では無力な存在である事 を露呈 して くる。 これ らの貨幣は基本的には貨幣の機能 を発揮することがなかった。元狩 5年 (B C l18年)朝 廷の関係筋か ら,「三鉢銭 は軽 きに過 ぎ,容 易 に悪人 どもに偽 造 される。就いては,「五鉢銭」を鋳造 されたい。「五鉢銭」の周囲には輪郭を 施 し,銭 幣を盗鋳する者が銅沫を削 り取るのを防止すべ きである。」 との上申 があった。これは,一 種の比較的に科学的な設計 と言うべ きであろう。B Cl15 年に至 り,全 国各地に亘 り銭幣の盗鋳が蔓延 した。これらの盗鋳 された銭幣は 一般に皆,非 常に軽かった。二三の大臣が,「京師の鋳幣官=鐘 官をして赤側 の新銭幣を鋳造させ,一 を以て五に当てしめ,百 姓が賦税を上納するのに必ず この種の銭幣に依 らしめるよう」提起 した。B Cl13年に至 り,武 帝は上林三 官 (均輸 ・鐘官 ,弁銅)を して 「五鉢銭」を鋳造せ しめる, と下令 した。「五 鉢銭」は大 きさも重 さも適当であ り,形 状 も精美,銭 文 も洒脱である。「五鉢 銭」 こそは,中 国貨幣史上でも流通期間最長の,最 も成功を収めた銭幣の一つ となった。さらに重要なことには,「五鉢銭」が出現 した後に,漠 の銭幣は始 めて尚多 くの変遷を経て,統 一へ と向かったのである。 貨幣制度が幾多の変遷を経て統一するには,一 つの過程一不断の改変を通過 して完成に到達するプロセスーが必要であった。貨幣制度の変遷は往々にして 貨幣政策の変転に依って決定 された。漢の貨幣政策はまた,一 つの変転 し完全 に向かって発展するプロセスを持っている。武帝期以前においては,国 家の政
策 は, 百 姓 を して 自由 に鋳 銭 させ た。前漢初 年 において も, 「 さ らに民 を して 銭 を鋳 せ しめ, 一 黄金一斤 とす る。法 を約 し禁 を省 く」 であ った。 文帝期 (B C179-157在 位)に 至 って も,「民 を して縦い ままに自ら銭 を鋳 せ しめる」であった。 ここに於いてわれわれは,漢 初か ら文帝 に至 る間,即 ち 呂后執政期 (B C190-180)に ,一 定期 間の鋳幣権 を国有 とした時期が存在 し たことを見出すのである。文帝は銭幣盗鋳令の撤回を頒布 し,私 人の鋳幣を自 由化 し,そ の上,寵 臣部 (とう)通 に銅山を賜給 し貨幣を鋳造 させた。都通 は これによって当代の大富豪 となった。諸侯の一人,呉 王の経J濠もこの機 に乗 じ, 「山について銭 を鋳 し,富 は天子 に等 しい」 と称 された。劉濃は数え難い程の 銭幣 を所有 してのち,叛 乱 を発動するに至 った。当時に於いては,市 場 に流通 したのは全て郎通 と呉王劉混の銭幣であった。国家の鋳幣が非常 に少 ない事 は 国家財政の構成の上で脅威 となる。そこで,文 帝が世 を去 ると,国 家 はまた, 私人の鋳幣の禁止 を開始 した。 武帝初期 には名 目上は鋳幣権 は国家の手中に掌握 されたが,実 際は決 して統 一 されていなかった。中央政府の鋳幣 もあったが,地 方政府の鋳幣 も有 り,統 一 された鋳幣管理機構はなかった。それに加えるに,不 断の貨幣制度の改変を 以て したのである。銭幣盗鋳 を企 てる輩 に乗ずべ き機会 を与えた訳である。国 家 は,貨 幣盗鋳の者 は全て死罪 と規定 した とは言 え,貨 幣盗鋳者はなお も数 え 切れない程 であった。貨幣盗鋳 は,当 時最大の社会的犯罪 となっていた。中央 及 び地方の政府が全 て鋳銭の弊害の下 にある状況 に的確 に対応 して,武 帝はB C l13年に下令 し,各 地方政府の貨幣鋳造 を禁止 し,専 ら上林三官 をして貨幣 の鋳造 に責任 を負わせ ることとした。こうして国家の鋳幣権 と発行権 とが最終 的に確立 されるに至 った。 漢代 のこの一段 の貨幣発展の歴史は,其 の複雑性 において春秋戦国時代 の幣 制不統一 に比 して も劣 らない ものがある。高祖 (B C 206-195在位)か ら武帝 の元鼎 4年 (B C l13)に至 る88年間に,前 後 9回 にわた り,貨 幣を改変 した。 鋳幣権の問題の上で も反復 を繰 り返 した。 この一時期 は又,中 国の貨幣発展史 の上で,一 つの非常 に重要な時期で もある。一方では中央の鋳幣発行権 を確立
■ ■ ■ ■ F I I I I I I I I I I I I I I I I I I I < 翻訳>司馬遷の貨幣理論 145 しつつ,他 方では, 2千 年の久 しい年月に亘って外円内方型の銭幣スタイルを 確立 したのである。換言すれば,中 国の貨幣経済の,社 会経済全体の中におけ る地位 は,漢 代 において確立する事が出来たといい得 るのである。貨幣経済発 展 の この一段の重要な歴史について,わ れわれが今 日,掌 を指す ように明 らか に し得 る事 は,其 の功 を司馬遷 に帰せ ざるを得 ない。彼の 「平準書」に功 を帰 せ ざるを得 ない。「平準書」が中国第一番の貨幣史事著たる事 については,た とえどのような評価 も,高 きに過 ぎる事はない。司馬遷が 『史記』の中に 「平 準書」 を創設 し,貨 幣史及び経済発展史 を記載 した,其 の価値は,ひ とびとが 漢代 の商品 ・貨幣 ・経済 を研究するために詳実な資料 を提供する事 にあるのみ ではない。む しろ,後 人のために模範 を打 ち立て,そ れによって貨幣史をして 通史の一つの重要な構成部分た らしめた点 にある。この一点か らわれわれは, 司馬遷の 「平準書」 は中国貨幣史 をして一部門の学科 としての基礎 を確立 した と言 うことが出来 よう。そ して,こ れ以後, 日々発展 して止 まない中国の貨幣 史 を して全 てこの基礎か ら離れる事が出来ないようにさせたのである。まさに この故 に,中 国経済思想史の著名な研究専門家胡寄奮 (こきそう)教 授 は,彼 の 『中国経済思想史』の書中で司馬遷 に対 し非常 に高い評価 を与えて言 う。 司馬遷の貨幣学上の貢献は,彼 の貨幣概念その ものにあるのみではない。 彼 の 『史記』八書 中の 「平準書」 は極少部分が財政問題 に亘っている他,基 本的には前漢帝国建立以後,武 帝の元封以前の貨幣問題 を叙述 している。こ れは,中 国の歴史の中で,比 較的系統立 った貨幣発展史を記載する著作 とし
ては, トップを切るものである。そして,後代の歴史学者の為に一つの貴重
なモデル を創造 したのである。中国の経済思想史を研究する学者が,中 国貨 幣史 を研究する上で感 じる困難は, そ の他の経済問題のそれにおけるよりも 比較的少 ない。 この一点 に就いて も,司 馬遷は功績がある。 と。 胡寄箇教授 の評価 は, よ く実際に適合 していると言 うべ きであろう。 当然, わ れわれは司馬遷の 「平準書」 にも不足の点のあることは認識 してい る。例 えば, 前 漢以前の貨幣の発展 については,簡 略に過 ぎると言わねばなるまい。春秋 ・戦国期は中国貨幣発展史の上で一つの重要な歴史時期であるが, この一時期の全貌は 「平準書」の中で十分に反映されているとは言い難い。春 秋 ・戦国の四大鋳幣の発展について,人 々はより深層的な理解を得る手がか り が無い。いまも,人 々は春秋 ・戦国期の貨幣を研究するのに,や むを得ず文化 財に大 きく依拠せざるを得ないのである。 「平準警」は貨幣の起源問題に正確に回答 した。資幣の起源は 商品交換にあることを指摘 し, 資 幣理論研究の上 に一大進歩を踏み出 した 貨幣の起源問題 は貨幣史の中で一つの重要なテーマである。中国古代の多 く の思想家 は,貨 幣の起源 について探求 した。彼 らの多 くは名 目論者であ り,貨 幣の起源 について正確 な回答 を作 り出す事 は出来なかった。司馬遷が正確 な回 答 を作 り出す ことが出来たのは, 彼 の商品経済及び貨幣経済発展の歴史的研究 に発源す る。 春秋末の単旗 は,周 景王の大銭鋳造 に反対 した時に,次 の ような議論 を発 働 表 した。「昔,天 災が降る と資幣 を量 り,軽 重 を権 り,以 て災民 を賑 わす」 と 言 う。其の意味 は次の如 くである。即 ち,自 然災害 によつて百性が生存 の術が 無 くなった時 に,銭 があれば,銭 を用いて物品の価値 を衡量 し,人 々に銭 を用 いて各種商品を購買 させ,災 民 を救助する事が出来る, と言 うのである。単旗 の この一段の趣 旨は,貨 幣の価値尺度及び流通手段の職能 を論 じた ものである。 貨幣の起源問題 に触 れてはいるが,余 り明確 とは言 えない。天災があって始め て貨幣が生み出される。いかに して貨幣が生み出されるかは詳 らかでない。 比較的明確 に貨幣の起源 を論 じたのは 『管子』の 「軽重篇」である。夏王 高 の 5年 (B C 1540ころ)水 災が発生 し,段 の湯王 7年 (B C l100ころ)に は早 災が発生 した とい う。百姓 は食糧が無 くて児女 を売 るに至 った。高王 は歴 山の 金 を用いて貨幣 を鋳造 し,災 民 を救済 した。 また,湯 王は庄山の金 を用いて貨 幣 を鋳 し,糧 食 な く子 を売る百姓 を救済 した と言 う告 明 らかに,こ れ らは一種 3)F国 語』 。 「国語」 4)『 管子』 。 「軽重」 山 権数
< 翻 訳>司馬遷の貨幣理論 147 の帝王貨 幣創造説 であ る。天災があ った為 に帝工が貨幣 を創 出 して百姓 を救皿 した とす る。 この種 の帝王創造説 は濃厚 に神話 的 な色彩 を帯 びてい る。段 の湯 王 や夏 の高王 に鋳 幣 の手段 が無 か った事 は言 うまで も無 い。 た とえ,銭 幣 を鋳 造 した として も,社 会 に商品が無ければ,其 の銭 には何の用があろうか。但 し, この種の貨幣起源説は後世に対 して非常 に大 きな影響 を生み出 したのである。 『管子』一書の中に,ま だ若干の類似の論法が見 られる。例 えば, 玉 は島氏 に起 こ り,金 は汝漢 に起 こ り,珠 は赤野 に起 こる。東西南北, 周 を距 たる事七千人百里,水 絶え壌断ち,舟 車 も通ずる能わず。先王,共 の途の遠 く,其 の至ることの難 きが為に,用 を其の重 きに託 し,珠 玉をもっ て上幣 とな し,金 幣 を以て中幣 とな し,刀 布 を以て下幣 となす。 D と。 この種の観点は,前 者 と大同小異である。「管子」の作者の見方は, 先王 は流通の不便,人 々が千里の遠 きを隔てて,各 種の生産物 を持 ち運 び交換する方法がない事 を考慮 して,珠 玉 ・黄金 ,刀布 を貨幣 とし,人 々 の交換の発展 を促 した。 と言 うにある。 ここで,「管子」の作者 もまた,珠 玉 ・黄金 ・刀布が貨幣 と なった所以 を明 らかに しているが,ま だ貨幣 自身の価値の特徴の問題がある。 この一点 に就いては,や は り肯定的であると言えよう。 司馬遷 と同時代の思想家の何人かは,談 が貨幣の鋳造権 に及んだ時に,貨 幣の起源問題 に言及 している。前漢の著名 な思想家の晃錯 (ちょうそ)に ,一 句 の名言がある。 それ,珠 玉金銀 は,飢 えて も食 らうべか らず,寒 えて も着 るべか らず, しか も之 を貴ぶ所以の ものは,上 の之 を用 うるを以ての故な り告 彼 の見方か らすれば,珠 宝金銀の貨幣 となる所以は,人 々が重んずる所 にあ り,そ れが,皇 帝が重視 し使用する原 因 となる。 見錯のこの種 の観点は,主 として鋳幣権 を固有 に帰属 させ る為 に,理 論的根 『管子』 ・ 「軽重」 囲 蓄 『漢書』 。 「食貨志」
拠 を提供す る ものであった。 さらに一層深 く貨幣の起源を分析する事は彼の目 的ではなかった。 まさにこの様 に して,彼 らは全 て司馬遷のあの様 には,貨 幣 の起源 について正確 な答案 を作 り出す事が出来なかった。 貨幣の起源問題 の上で,司 馬遷 は 農工商交易の路通 じ,亀 貝金銭刀布の幣興 る。 よりて来 る所,久 遠 な り。 高辛氏の前 よ りひさ しく,得 て記す るな しと言 う。 と記 している。司馬遷の この談話 は,二 つの問題 を論 じている。一つは貨幣の 起源であ り,第 二は貨幣 を生み出 した時期である。 司馬遷の見 る所では,金 銀刀布が貨幣 となった所以は,決 して先王の創造で はな くて,農 業 ・工商業の発展,即 ち経済の発展 と商品交流の必然的な結果で ある。各行各業の貿易の発展 は一個の媒体 を必要 とする。ここに於いて貨幣を 生み出す事 となる。 もし,農 工商業の間の交易がなければ,亀 貝金銭刀布 とい え ども,す く`に貨幣 とは成 り難かったであろう。貿易の,商 業の発展が貨幣 を 生み出 したのである。今か ら二千年 も前 に,一 個の歴史学者であった司馬遷が, この様 な独創的な見解 を持つに至 った事 は誠 に容易 な事ではなかった。司馬遷 が貨幣の起源問題 に正確 に回答 し得 た所以は,彼 の商品経済,貨 幣経済 に対す る歴史研究 と不可分離である。中国古代の思想家の比較的多 くの ものは,政 治 を研究 し治国平天下 を研究 した。ご く少数の ものが経済 を研究 し,経 済の歴史 的発展 を研究 した。社会経済の発展 に対す る研究が欠乏 して居 り,従 って社会 経済現象 に対 して も,正 確 な回答 を作 り出す事が非常 に困難であつた。なかん ず く,貨 幣 とい う,こ の奇怪 な経済現象 については正確 な回答 を作 り出す こと は,一 層困難であつた。彼 らは,貨 幣の不思議 な魅力 に解答する方法がない。 一種の商品と他の一種の商品との交換が,な ぜ,貨 幣を通過する事によって完 成す るのか,回 答の術がない。聖王の綸言はすべて無謬 とされる時代 に,彼 ら もまた貨幣の産み出 した帰結 をば聖王の創造 とせ ざるを得 なかった。司馬遷は それ に同 じない。彼 は,商 品 ・貨幣経済の研究 を非常 に重視 した。中で も商品 ・貨幣経済の歴史的研究に長 じていた。『史記』130篇のなかで, 2篇 は経済 を 専 門的に研究す る ものである。
■ 日 F I I I I I I I I I I I I I I I I I I I I < 翻 訳 > 司 馬遷の貨幣理論 149 「貨殖列伝」 は主 として商品経済 を研究す る。「平準書」 は貨幣経済 に重点 を 置 く。司馬遷は,そ の他諸篇の中で もしば しば商品経済及び貨幣経済に論及 し ている。これはまさに彼が商品 ・貨幣経済に対 して広範な歴史的研究を深めて いたか らこそ,貨 幣起源問題 に非凡 な結論 を生み出すことを可能ならしめたの であ り,ま た,非 凡 な才能 ・見識 を表現する事が出来たのである。 貨幣の発現時期の問題 は,貨 幣の起源 と密接 に相関する重要テーマである。 貨幣起源の研究は,必 然的に貨幣の発現時期の研究 を必要 とする。司馬遷 もま た,貨 幣の起源 と時期 についての研究を推進 した。彼 は貨幣の起源は高辛氏に 在 りとした。高辛氏 は中国の伝説中の帝王であ り,尭 の父親である。尭 ・舜 と 高辛氏 を包括する時期 は,原 始社会の時代であ り,ま た,中 国文人のユー トピ アとする時期で もある。この時期 に既 に貨幣があったか どうかは,出 土文物の 一歩進んだ実証を待たねばなるまい。但 し,司 馬遷の説にある,貨 幣の出現は 「よって来る事久遠 な り」 は事実であろう。中国では既 に段代か ら貨幣があっ た。前漢に至 るまで,既 に一千年の歴史を持 っている。科学技術の発達 しない 古代 にあって,人 々には貨幣出現の具体年代 を確定する事は非常 に困難であっ た。た とえ現在 に於いて も,人 々は貨幣の発生について,具 体的年代 を確定す る方法はな く,荒 っぽい線引 きの断代 を以てするだけであろう。だから,司 馬 遷 の貨幣の起源や時期 に就いての研究は当時か ら言えば,ま だ しも比較的科学 的だ といえる。 貨幣の起源 と密接 に相関するもう一つの問題 は,貨 幣制度の発展である。司 馬遷の貨幣制度の発展順序の研究は,社 会の発展の実際 と符合 している。 虞 ・夏の幣は金 を三品 と為す。あるいは黄,あ るいは自,あ るいは赤。あ るいは銭,あ るいは布,あ るいは刀,あ るいは亀貝。秦中に至るに及んで一 囲の幣 を二等 とす。黄金は溢 を以て名 とし,上 幣 と為す。銅銭は識 して半両 と言い,重 さ其の文の如 くし,下 幣 と為す。而 うして珠玉 ・亀貝 ・銀錫の属 は器飾宝蔵 と為 し,幣 と為 さず。 と。 こ の中か ら,わ れわれは貨幣制度の発展変遷のプロセスを見ることが 出来る。貨幣制度 は社会経済の発展 に従い,不 断に発生,変 化する。初めは貨
幣の材料 に充当 されていた ものが,其 の本体の価値が不足す る様 になる と,流 通界か ら退去 し,其 の貨幣職能 を失 う。そ して,装 飾品か奢修品にな り下がつ て しまう。新 しい貨幣は,素 材がやや高い価値 を備 えているばか りではな く, 更 に多 く人々の間の商品交換 に有利であった。秦朝の貨幣はまさに商品経済の 客観的要求 を反映 していた。正 にこの様 に して司馬遷 はここで,秦 朝の,貨 幣 全体 を二分 した貨幣制度 に対 して,充 分 な肯定 を与 えているのである。 「平準書」は,貨 幣職能の研究 と国家の資幣政策 とを 結合 して,社 会の焦点問題 を しつかりと把握 し,貨 幣研究 の新 しい思惟方式を創立 した。 貨幣の基本的な職能は価値尺度 と流通手段 とである。中国古代 の思想家 は,貨 幣 を研究するに当たって,よ り多 くの者が後者 に論及 した。司馬遷 も同 様 である。但 し,司 馬遷 は貨幣職能 を研究す る際 に,方 式・方法の上で,他 の 人 とは明 らか に相違があつた。 まず,司 馬遷 は貨幣職能の研究 に当たって,理 論 的な説明 を主 とす るのではな く,貨 幣史的な叙述 を通 じて,自 己の貨幣観点 を反映 した。 これ則 ちいわゆる “論断 を叙事 の中に寓す"で ある。
司`馬
遷は歴史事実の叙述において,他の歴史学者とは非常に大きを差違があっ
た。彼は “
太史公曰く
ルを用いて公開的に自己の観点を表明する他,さらに多
く,自 己の観点 を行文の間に蔵 したのである。次 に,司 馬遷が貨幣職能 を研究 したのは,研 究の為の研究ではな く,当 代 中国の貨幣発展の実際 と緊密 に連携 していた。政府の貨幣政策 に対する批判 もあ り,肯 定 もあ り,ま た,合 理化の 建議 もあった。彼 の研究 は時代 に稗益 し, 政 治 に有益 であった。当代貨幣発展 の実際 をしっか りと把握 し,史 述的な方法 を通 じ,そ れにより,自 己の貨幣観 点 を闇明にす る。 これが司馬遷の貨幣職能研究の最大の特徴 である。 「平準書」か ら, わ れわれは次の ことを見出す事が出来 る。即 ち, 司 馬遷の 見方か らすれば, 流 通手段 としての貨幣は, 価 値の充足 した貨幣で無 ければな らない。 もし,価 値が不足であれば,軽 重 を量 ることが出来 ない。言い換 えれ ば,人 々が交換 を進行する為の価値尺度 とな りえない。 自然 に,流 通手段の作■ ■ F I I I I I I I I I I I I I I I I I I I I I < 翻訳>司馬遷の貨幣理論 151 用 を果たす ことが出来な くなる。前漢呂后の時代から始 まり,貨 幣が不断に重 さを減 じた事 を,わ れわれは知っている。重 さの減少は,貨 幣の鋳造者及び使 用者の立場か ら言えば有利 である。価値の不足する貨幣を用いて価値の充足 し た商品を購買する事が出来るのである。この様 にして,人 々が 「鋳幣」が有利 で,手 の届 く所 にあることに気付 くに及んで,紛 々として私鋳が横行 し,甚 だ しきは,市 場 に流通 している 「秦半両」 を融解 して他の貨幣を鋳造するに至っ た。貨幣の価値が不足すると,自 然 に物価の上昇 を引 き起 こす。この事につい て司馬遷 は非常 に不満であった。武帝が 「白鹿皮幣」 を発行 した事に就いて, 司馬遷 は顔異の口を借 りて,自 己の強烈な反対態度 を表明 している。「白鹿皮 幣」発行の後,大 臣顔異は反対意見 を提起 して言 う。 今,工 侯朝賀するに蒼壁 を以てす。値,数 千。 しかるに其の皮薦は反 り て40万。本末あい称せず。 と。顔異の批判 (実は司馬遷の批判)は 非常に道理に叶っているというべ きで あろう。「白鹿皮幣」は実際は一種の価値符号たるに過 ぎない。貨幣の素材価 値から,は るかに乖離 している。これが古代に於いて貨幣とされた事は不可思 議的である。また,正 にこのような理由によって,武 帝は工侯の範囲内でのみ 発行する事を確定 した。其のターゲットは,そ れを貨幣として流通させる事に は無 くて,王 侯の手中にある財富を取得 し,国 家財政の急を救う事にあった。 この種の貨幣の発行は,多 くの反対者に出くわした。司馬遷も又自ずから反対 者の一人となった。武帝は白鹿皮幣を発行するために,大 臣顔果を殺 さざるを 得なかった。其の抑止力の大なることは,こ れによって知るべ きであろう。 司馬遷は,た だ,何 値の符号にしか過 ぎない貨幣の発行に反対 したばか りで はなく,貨 幣は其の重さ通 りの額面たるべ き事を主張 した。貨幣の重量の減少 に反対 し,国 家が低品位金属の貨幣を発行する事に対 しても,反 対の態度を取っ た。武帝は,か つて白金三品を発行 した事がある。中国古代の 「白金」は,実 際は鉛 と錫の合金であった。当時,「白金」は決 して貴金属の材料ではなく, 其の価値は銅にも及ばなかった。ただ,こ の種の素材価値の高 くない貨幣を, 武帝が,“上幣は3千 ,中 幣は 5百 ,下 幣は3百 に値する"と 規定 したのであ
■ F 152 彦 根論叢 第 325号 る。 白金幣の発行 は,当 然,物 価の上昇 を引 き起 こした。司馬遷は 「平準書」 の中で,次 の ように描写 している。 民,宝 用せず。県官,令 を以て此 を禁ずれ ども,益 無 し。 と。国家は強制発行すると難 も,人 々は決 してそれ らを貨幣 として使用 しよう とはせず,国 家 もまた如何 とも為 し得 なかった。 自然,か の白金幣 もまた継続 して発行す る術がなかった。 歳余,白 金ついに廃 して行 われず と言 う。司馬遷が,鋳 幣は,価 値の充足 し品位の純 なるを要する,と 強調 した のは,物 価上昇の原因を防止する事の他 に,も っと別の原因がある。即 ち,司 馬遷か ら見れば,貨 幣は,た だ流通手段の職能 を備 えているのみではな く,人 々の手 中にあつては,や は り財富である。流通手段であるために価値の充足 を 必要 とする貨幣は,財 富の築造手段 としては,一 段 と価値の充足 した貨幣であ る事 を必要 とす る。そ うでなければ,人 々の手 中の財富 はデイスカウン トされ る訳 である。貨幣 を財富 と見 なす事 について,若 干の学者 は,「これは司馬遷 の貨幣観の局限性である」 と考 える。実際,こ れは確かによく当時の社会の現 実 を反映 している。中国古代 の鋳幣 と,そ れ以後 における紙幣 とは同 じではな い。紙幣は価値 の符号であ り,鋳 幣は商品を購買する事が出来る上 に,其 の素 材 自身が一種の,保 存可能な,価 値のある金属材料なのである。司馬遷が貨幣 の研究 に当たって一層重視 したのは,“実際"で ある。 まさに,司 馬遷が貨幣 を研究する上で,当 時の社会発展の “実際ルに非常 な 注意 を払 ったか らこそ,彼 は,決 して貨幣の職能 について長広舌 を揮 う事 な く, 当時の貨幣領域 の二つのテーマにフオーカスを合わせ しっか りと把握 した。“物 価"及 び “鋳幣発行権"力Sそれである。 物価 物価の問題 はいかなる社会 に於いて も充分 に敏感 な重要テーマである。前漢 で物価騰貴の最 も厳 しい時期 は武帝の時代である。武帝以前の時期 にも,物 価 騰貴の問題 は存在 してはいたが,こ の時期 におけるそれほど厳 しい ものではな
< 翻訳>司馬遷の貨幣理論 153 かつた。司馬遷は,当 時の物価 を研究する上で,一 つの著名 な観点 を持 ってい た。貝口ち 「銭益 々多 くして軽 く,物 益 々少 な くして貴 し」 と言 う。ここで論及 しているのは,貨 幣数量 と物価の問題である。 もし,貨 幣 の放出量が多 く,そ の上,価 値が不足であれば,必 然的に物価騰貴 を引 き起 こ し,貨 幣価値 は下落する。同様 に,も し,市 場 に商品が少 な く, しか も貨幣が 多 ければ,物 価 は騰貴する。反対 に, もし,商 品が多 くて,貨 幣が少なければ, 貨幣の価値 は上昇す る。 この事 は,司 馬遷が既 に,市 場 に投入 された貨幣の数量 と市場 に流通する商 品の数量 とは相い適応する関係 にあることに,注 意 していた事 を説明 している。 中国古代 の 『管子』「軽重」篇 にも類似の観点が見 られる。 7 ) “ 幣重 くして万物軽 く, 幣 軽 くして万物重 し" 8 ) “ 故 に栗重 くして黄金軽 く,黄 金重 くして栗軽 しル 司馬遷以後の一群の思想家 もまた皆,こ の問題 に論及 している。司馬遷の見 方か らすれば,物 価 を安定 させ るには,市 場投入貨幣の 「多 に して軽」の問題 と,「貨幣価値充足」の問題 とを解決する事が必要である。其の発行量 もまた, 時々の需要 にマ ッチす ることが必要である。 司馬遷の “銭益 々多 くして軽 く,物 益 々少 な くして貴 し"の 観点 に就いて, 「彼 は貨幣数量論の錯誤 を犯す者」 と考 える人がある。それは実はそ うではな い。「平準書」及び前漢のその他の思想家の,こ の時期の貨幣の発展状況 に関 す る論述 によって見 るならば,こ の種の観点が比較的 よく当時の貨幣経済発展 の現実 を,客 観的に反映 している。そ して,前 漢,中 で も武帝以前の時期 に於 いては,鋳 幣権が不統一であったうえにす貨幣制度の改変が度重な り,貨 幣の 発行量 と市場の資金需給 とのアンバ ランスを生 じた。武帝 による鋳幣権統一の 後 に於 いて さえ も,国 家 は,銭 幣発行の うえに於いて,市 場の資金需要の問題 を考慮す る事がなかった。国家の鋳幣の主たる目的は,商 品交換 による需要ヘ 『管子』 。 「軽重」 山 権数 同 上 甲
の適合 にはな くて,財 政困難の解決 にあつた。各種の営業活動の中で,鋳 幣の 利潤 は最高であった。鋳幣か らもっと多 くの利潤 を取得す るためには,必 然的 に重量及び品位 の上で手心 を加 える事 となる。財政困難の時に当た り,か つ, 鋳幣利潤大 なる時 には,大 量鋳幣 と成 りがちである。其の結果,銭 幣発行量 は 市場 の資金需要量 をオーバ ーす る。その上,私 人の盗鋳 は禁止の術 を欠いてい る。市場 に流通する銭幣の数量の如何 は,推 して知 るべ きである。こうして, “ 銭幣多 く,其 の価値不足 し,物 価騰貴ルの現象 を引 き起 こしたのは,自 然の 勢い とい うべ きであろう。 そ こで,中 国古代 の貨幣の研究 に於いて,簡 単 に現代経済学の観点 を丸 ごと あてはめると,時 宜 に合わない事 となる。その上,貨 幣数量の物価への影響 と, 貨幣数量論 とは別の概念である。貨幣数量論 は,商 品価格 と貨幣価値 とは貨幣 数量 によって決定 される, と考 える。それは供給関係 を承認するのみで,商 品 の価値,商 品の内在的価値 には思い至 らない。中国古代 の思想家は貨幣数量の 物価への影響 に談 じ至 った時 には,ま ず,価 値充足 した貨幣を前提 とした。彼 らは金属主義論者であった。司馬遷 もまた同様である。司馬遷の “銭益 々多 く して軽 く,物 益 々少 な くして貴 し"の 言葉 は時弊 に的中 している。 “ 銭幣は価値充足 して後入手 し,発 行量 を制御する。" これは,物 価制御 の良策たるを失わないであろう。この良策が,武 帝の採 択する所 となったか否か,知 る術 はない。ただ一つ,事 実 とされるのは,武 帝 が この手段 を採用 して物価 を抑制 した と言 う事である。 鋳幣発行権 秦王朝 は中国 を統一 した後,同 時 に幣制 をも統一 した。鋳幣発行権 を中央 の所有 に帰 したのである。然 し,前 漢は却 って鋳幣発行権 を放棄 した。 “ 更めて民 を して幣 を鋳せ しむル とある。以後,国 有 に帰 した事 もあったが,大 部分の期 間は,私 人及び地方政 府の手 中に掌握 されていた。 元鼎 4年 (B Cl13)武 帝 は鋳幣発行権 を上林三官 (鐘官,弁 銅,均 輸)に
可
< 翻訳>司馬遷の貨幣理論 155 回収 しようとしたが,ま だ最終的には鋳幣の国家所有権 を確立 してはいなかっ た。国家鋳幣発行権の最終的確立は塩鉄会議以後の事である。 鋳幣権の不統一は,た だ,統 一的な中央集権 とバランスが取れないばか りで な く,そ の上,不 断に発展する商品経済 とも,極 めて不適応 なものであった。 安定的な貨幣制度 と統一的な貨幣発行権 とは商品経済発展 の一つの重要な条件 であった。当然,さ らに,統 治者が政権 を強固にする重要な手段で もあった。 そ こで,貨 幣発行権が誰の所有 に帰すべ きかは,貨 幣領域論争の焦点 となる。 中国貨幣史上, 4回 にわたる鋳幣発行権 に関する大弁論の うち 2回 までが前漢 時代 に爆発 している。 第 1回 の弁論 は,文 帝の時代 である。文帝 5年 (B C 175)盗鋳銭令 を廃止 して私人の鋳幣 を許可 した。買誼 (カギ)・ 買山 (カザ ン)が 上疎 して,謙 阻 した。買山曰 く銭は無用の器なり。而も以て富貴に易うべ し。富貴なる者は人主の操柄
( そうへい…権勢を握る) な り。民をして之をなさしむるは, 人 主と操柄を共
にするなり。長ぜ しむ可からざるなり。
9 ) と。買誼 は,私 人鋳幣允許の弊害 を分析 し,私 人鋳幣禁止の もたらす “七福" を指摘 して言 う。 何 をか七福 と言 う。上,銅 を収め布 を令するなければ,則 ち民銭 を鋳せず, 瀬罪積 まざるは一 な り。偽銭ふ えず民相 い疑わざるは二 な り。銅 を採 り鋳作 す る者,耕 田に返 るは三な り。銅みな上 に帰 し,上 ,銅 積 を挟み以て軽重 を 御す。銭軽 ければ則 ち術 を以て之 を集め,重 ければ則 ち術 を以て之 を散ず。 貨幣必ず平 ならん。四な り。以て兵器 を作 り,以 て貴巨に貸す。多少制あ り。 用 は貴賎 を別 にす。五 な り。以て万貨 に臨み,以 て盈虚 を調 し,以 て奇羨 を 収めば,則 ち官,富 実 に して,末 民困 しむ。六な り。吾が棄材 を制 し,以 て 1 0 ) 匈奴 と其の民 を逐争すれば, 則 ち敵必ずやがる。七 な り。 此 に因 り, 買 誼 ・買山は鋳幣発行権 を国有 に収帰せんことを主張 したので ある。 9)『 漠書』 。 「買山伝」塩 銭 会議 (B C81)の 席 上 ,桑 弘羊 は,賢 良 ・文学 の徒 の私 人鋳 幣 回復 の 主張 に対 し,舌 鋒鋭 い反撃 を進行 した。桑弘羊 は言 う 刀 幣禁 なければ則 ち姦貞 (真 ・偽 )並 び行 われる。 まさにこの故 に私 人の 鋳 幣 は, 国 家 に対 し危害 を造成す るに至 った。故 に鋳銭 の禁あ り。禁御 の法 立 ちて姦偽止 む。姦偽 やめ ば則 ち民 ,妄 得 を期せず して,お のおの其 の職 に 努 む。本 に反 らず して何 をか為 さん。故 に,統 一すれば則 ち二ならざるな り。 1 1 ) 幣,上 によれば則 ち下,疑 はざるな り。 こうして,桑 弘羊 は国家の鋳幣発行権 を防衛 したのである。 司馬遷 はこれ ら2回 の鋳幣発行権大弁論の中間期 に活動 していた。此 に就い て彼 はまた, どの様 な態度 を取 つていただろうか。表面か ら見れば,「平準書」 或いは 『史記』全体の中で,司 馬遷 は鋳幣発行権 に就いて明確 な観点 を示 して はいない。ただ,彼 の観点は又,そ れほど見易い物ではない。彼 は桑弘羊の意 見 に対 し,非 常 に大 きな同意 を示 しているに も拘 わ らず,『史記』の中にはつ いに彼の為 に伝 を立てる事 は しなかった。但 し,鋳 幣発行権は誰の所有 に帰す べ きかの問題の上では,二 人は却って一致 していた。ただ,異 なった表現方式 を採 っていたのである。私人の鋳幣 に対 して司馬遷 は,“奉秋の筆法"の 限 り を尽 くした。曰 く。 秦銭の重 くして用 い難 きが為 に,あ らためて民 をして銭 を鋳 しむ。一黄金 一斤。法 を約 し禁を省 く。 しかるに,不 軌逐利の民,余 業を蓄積 し以て市物 を滞 らせ,物 ,踊 騰 し,売 り米,石 ,万 銭 に至 り,馬 一匹は則 ち百金 な り。 孝文の時 に至 り,茨 銭益 々多 く軽 し。乃 ち改めて四鉢銭 を鋳 しむ。其の文 を “半両"と 為 し,民 を してほ しい ままに自ら銭 を鋳 るを得 しむ。故 に呉 は 諸侯 なる も,山 につ きて銭 を鋳 し,富 ,天 子 にひとしく,そ の後ついに以て 叛逆す。郎通 は大夫 な り。鋳銭 を以て財,王 者 に過 ぐ。故 に呉 ・郎氏の銭, 天下 に布 きて而 して鋳銭の禁生ず。 孝文 自 り改めて四鉢銭 を造 り,こ の歳 に至るまで四十余年 な り。建元 より 10)『 漢書』 。 「食貨志」 11)『 塩銭論』 ,「錯幣」
臨 ピ ー ー ー ー ー ー ー ー < 翻 訳 > 司 馬遷の貨幣理論 1 5 7 以来,用 少 な く,県 官往々多 く銅 山につ きて鋳銭す。民亦た間々盗鋳 し,数 うるにた うべか らず。銭益 々多 くして軽 く,物 益 々少 な くして貴 し。 この様 な “春秋の筆法"は ,F史 記』の他の篇 にまだまだ多 く見 られる。以 上 によ り,わ れわれは司馬遷が私人の鋳幣に決然 として反対 していたことを, 見 出す ことが出来 る。彼 によれば,私 人鋳幣の害 は二つある。 第一 私 人の鋳幣を允許すれば,諸 侯 の強大 と姦人の政治 とを造成する。 鋳幣が私人の手中に掌握 されると,国 家は一つの重要な経済統制権 を失っ た事 になる。呉王劉濠が,頼 む所があって恐れ無 く,敢 えて武装叛乱 を発動 した一つの重要な原 因は,自 らの手中に銭 を有 した事であろう。彼 は武装叛 乱 を発動 し,戦 時動員 を進行 した時点で,次 の様 に語 っている。 わが金銭 は天下往 々に してあ り。必ず しも呉 に取 るに非ず。諸王,日 夜 1 2 ) 之 を用 うるも,尽 くす能わざらん。 大変明 らかな事 だが,呉 王all濠の手中に銭が無ければ,自 ら敢 えて口に暴言 を吐いた り,造 反 に至 る事 は無かったであろう。諸侯王が鋳幣権 を掌握する事 は,囲 にとって不利である。その他の官僚 に鋳幣 させ るの も,や は り取 るべ き ではない。これ らの人々が鋳幣 を掌握す るのは,国 家の安定 に不利である。都 通 は もと一個 の大夫であったが,景 帝の寵 に依 り,蜀 の銅山を賜 り,鋳 幣 して 財富,王 者 を凌 ぐに至 る。 一個の大夫た りて,富 ,王 侯 になぞ らう 此 は,司 馬遷か ら見 れば異常である。それで,『史記』の中では,都 通 を, 人々が歯牙 にもかけない 「伝幸 (ねいこう)伝 」 に編入 している。此 に反 し, 商人 に して財 ,万 金 を累ねた者は,司 馬遷は此 を称 して賢人 と為 し,封 君 と美 を競 うべ き者,王 者 と楽 を同 じくする者 と認めている。都通の出現は “文 ・景 の治ルの一個 の汚点 と言わざるを得 まい。 第二 私 人の鋳 幣は,物 価の騰貴を醸成 し商品経済の発展 を阻害 した。 私人の鋳幣 を放任 したことか ら,大 量の不法の徒 を生み出 し,大 量の価値不 足の貨幣 を市場 に出 し,物 価の騰貴 を招いた。鋳幣の利 は厚いので,私 人の鋳 12)『 史記』 。 「呉王濠伝」
1 5 8 < 翻 訳>司馬遷の貨幣理論 幣 を允許 した事 は,人 々に農業や商業の活動 を放葉 させ ることとなった。商品 経済の発展 は安定的且つ統一的な貨幣を必要 とする。鋳幣発行権の不統一によっ て,貨 幣制度が屡々改変 された。 商買 は幣の変 を以て,多 く貨 を積み利 を逐 う と言 うわけで,商 品経済の発展 を厳 しく制約 して しまった。そ して,こ れ ら の事 は,ま さしく,農 ・工 ・商各産業の並行的発展 を主張する司馬遷の,見 る に忍 びざる所であった。まさにこの理由か ら,司 馬遷は,武 帝や桑弘羊の種 々 の政策に対 し,遠 回 しに批判 していなが ら,独 り鋳幣権の国有回帰 に対 しては, 称賛の態度 を持 している。司馬遷は一方では桑弘羊の抑商政策 に対 して批判 を 展開 し,他 の一方では桑弘羊の鋳幣権国家回収の為 に,理 論 と現実的根拠 を提 供 し,当 代商品 ・貨幣経済発展の実践 を用いて,人 々に次の一つの道理 を開示 している。 社会経済の発展 には,そ れと相い適応 した貨幣制度が必要である と。 1 2 3 愛知学泉大 F 経営研究』 同 上 同 上 『 泉』 参 照 9巻 3号 (96/2)鹿 著, 12巻2号 (98/12)同上 6号 (93/10)同 上 桑田訳 『史記』経済篇の研究 司馬遷の経済思想 『中国経済思想史論』書評