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ドイツ選挙制度考 : 1994年ドイツ連邦議会選挙をめぐって(仙田左千夫教授退官記念論文集)

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ドイツ選挙制度考

1994年ドイツ連邦議会選挙をめぐって

武  永

淳 はじめに  1994年は,ドイツにとってまさに「スーパー選挙年(Superwahljahr’94)」       1) というにふさわしい年であった。ヨーロッパ議会選挙,大統領選挙と続く中, いくつかの州議会選挙とともに,10月16日連邦議会選挙が行われた。幸いにも, 10月11日より2週間,投票日をはさんでドイツを訪れる機会を得て,この選挙 の年を締めくくる連邦議会選挙に接することができた。主にベルリンに滞在し, 同地での選挙戦終盤の様子,投票所,開票の模様等を目の当たりにすることが できた。さらにベルリンの選挙管理委員長にも面会することができ,ベルリン に関する各種選挙の結果に関する詳細な資料,選挙啓発活動に関する資料等有 益な研究材料を入手することもできた。  さて,1994年,わが国では衆議院への小選挙区制導入を中心とする大改革が 行われたが,そのモデルの一つとして意識されたのが,ドイツの小選挙区比例 1)1994年の連邦議会選挙の争点および同選挙以前の州議会選挙等については,SPDの幹 部へのインタビューの結果を紹介している住沢博紀「ボン共和国からベルリン共和国への 途上で」世界(1994年11月号)78頁以下参照。また,1990年から1994年9月までの州議会 選挙の結果と連立の組み合わせについては,同論文85頁の表が参考となる。また選挙民の 動向については,伊藤光彦「ラジカルな議論を恐れない精神」同誌90頁以下参照。94年に は以下の選挙が行われた。5月23日大統領選挙,6月12日ヨーロッパ議会選挙,3月13日 ニーダーザクセン,6月26日ザクセン=アンハルト,9月11日ブランデンブルク,ザクセ ン,9月25日バイエルン,10月16日メクレンブルク=フォアポンメルン,テユーリンゲン, ザールラントの各州議会選挙,また,シュレースヴィヒ=ホルシュタイン,ラインラント =プファルツ,ザールラント,ノルトライン=ヴェストファーレン,バーゲン=ヴュルテ ンベルク,メクレンブルク=フォアポンメルン,ザクセン,ザクセン=アンハルト,テユ ーリンゲンの各州での地方選挙(Kommunalwahl)。

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164 仙田左千夫教授退官記念論文集(第292号〉 代表制である。連邦選挙法が,「人物本位制を加味した比例代表制(Grundsatze einer mit der Personenwahl verbundenen Verhaltniswahl, B WGg 1 Abs. 1)]        2) と自己を規定するごとく,ドイツの制度は実質的に比例代表制の一種ないし変 形ということができるのに対して,わが国の新制度は小選挙区制を基調とした 上で比例代表制の部分をつけ加えたというものであり,その相違性が十分に認 識されることが必要であるが,同時に典型的な小選挙区制や比例代表制を採用 している国々よりは,今後のわが国の新制度の運用ないし改革にとってドイツ の状況の解明は,いくつかの示唆を与えてくれる可能性が高いのではと思われる。  今回の選挙に関する資料の詳細にわたる分析には,まだ相当の時間を要する が,はじめて現実のドイツの選挙に接して,その印象の鮮明な時点で連邦議会 選挙の結果とそれに関する問題点をまとめておくことが今後分析をすすめる上 で是非とも必要であると考え,本稿をしたためることとした。以下ドイツの選 挙ついてその最新の実施状況と機能についての筆者のいわば中間的総括を述べ ていくことにしたい。 1 連邦議会選挙制度の概要  ドイツ連邦議会の選挙は,小選挙区比例代表制である。日本での用語法に従 えば,衆議院議員選挙でこの度採用されることとなった「小選挙区比例代表並 立制」と区別され「小選挙区比例代表併用制」と呼ばれるものである。旧西ド イツにおいて採用されてきた制度が,統一後旧東ドイツ地域に拡張される形で        3) 適用され,定数の変更以外重大な変更は加えられていない。  議員定数は,656名であり,内半数328名を小選挙区で選出し,残余の議席を 2) BWG= Bundeswahlgesetz in der Fassung der Bekanntmachung vom 23. Juli  1993(BGBI.1 S. 1288), ber. am 1, September 1993(BGBI.1 S. 1594), getindert durch  Gesetz vom 28. januar 1994(BGBI.1 S. 142) 3)もっとも統一直後の90年選挙においては,5%の阻止条項の適用形態につき連邦憲法裁  判所の判決により,全国集計ではなく,東部,西部それぞれにおいて5%以上の得票を有  する政党に比例配分に加わることを認めていた。この点では,今回の94年選挙は全ドイツ  に例外なしに選挙法が適用された初めての選挙ということになる。BeschluB des Bun・  desverfassungsgerichts vom 29. 9. 1990(BGBI.1 S. 2423)

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       ドイツ選挙制度考  165 州名簿(Landlisten)から選出する(BWG§1)。二票制であり,選挙人は,小       4) 選挙区の候補者に第一票を投じ,州名簿に第二票を投じる(§§4−6)。  小選挙区では,相対多数で当選者が確定する。各州への選挙区の配分は以下 のごとくである。シュレースヴィヒ=ホルシュタイン11,ハンブルク7,ニー ダーザクセン31,ブレーメン3,ノルトライン=ヴェストファーレン71,ヘッ セン22,ラインラント=プファルツ16,バーゲン=ヴュルテンベルク37,バイ エルン45,ザールラント5,ベルリン13,メクレンブルク=フォアポンメルン 9,ブランデンブルク12,ザクセン=アンハルト13,テユーリンゲン12,ザク セン21。ベルリンを含む東部地域は,80,西部地域は,248である。  第二票は,政党が提出した州名簿に投ぜられる。二票制であることから当然 に第一票,第二票とも相互に関係なく投ずることができる。各党の州名簿に投 ぜられた第二票は,全国レベルで集計され,各党の全得票数が確定され,その 得票数をもとに,ヘア・ニーマイヤー式で656の全議席が各党に比例配分される         5) (BWG§6Abs.2)。第二票で有効投票の5%以上もしくは小選挙区で三議席以 4)投票用紙は,一枚の用紙の左側に黒色で小選挙区の候補者と政党名,右側に青色で政党 名と名簿登載者の一部が印刷されている。それぞれの候補・政党の欄の中央よりに○があ り,その中に×印をつけることにより投票する。政党名簿とその党の選挙区候補者の欄は 並んでおり,×印が同じ位置に並んでいるか,離れているかで異党派投票か否か一目で確 認できるようになっている。 5)Hare/Miemeyer方式では,次のごとく議席算:出を行う。総議員定数をS,各党の得票数 をv,考慮される有効投票総数をVとすると,S×v÷Vによって算出された値の整数分 につき各党に議席を配分し,残余の議席については,小数以下の値の大きい順に1議席つ つ配分する(最大剰余式)。94年の選挙について速報値に基づき具体的に当てはめると以下 のようになる。          定数  得票数  得票総数         配分議席数

CDU 16,089,491 232.450

CSU 3,427,128 49.513

SPD 656× 17,141,319 ÷45,406,284 =247.646

FDP 3,257,864 47.067

B’90/GrUne 3,423,091 49.455

PDS 2,067,391 29.868

 計45,406,284653

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十十 十1 232 50 248 47 49 30 656 なお,同方式の問題点については,西平重喜『統計でみた選挙のしくみ』51頁以下参照。

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166  仙田左千夫教授退官記念論文集(第292号) 上獲得することができない政党は,議席の比例配分に預かることができない(阻 止条項BWG§6Abs.6)。  各党に配分された議席は,その党の各州名簿の得票に応じ,ヘア・ニーマイ や一式で各州に配分される(BWG§7Abs.3)。その際,各州の各党に配分され るべき議席から選挙区で獲得した議席数を控除した数が,州名簿の順位に従っ て補充される(BWG§6Abs.4)。第二票に基づいて,各州名簿に与えられる議 席以上に選挙区において議席を獲得した場合には,選挙区の議席はそのまま有 効であるので連邦議会の総議席数が増加することになる(超過議席Uberhang− mandat BWG§6Abs.5)。第二票に基づき,総議席を比例配分する制度である から,基本的には比例代表制ということができるが,三議席5%阻止条項と超 過議席の問題は,その比例性を阻害する要因であるといえよう。 II 1994年連邦議会選挙の結果について  統一直後の熱気の中での前回1990年の選挙が,早期統一を唱え,またその実 行者であったコール首相率いるキリスト教民主同盟=社会同盟(CDU/CS U)とまた統一に多大の貢献があったと考えられた(当時の)外務大臣ゲンシ ャー率いる自由民主党(FDP)の連立与党が勝利を収めたのに対し,慎重論

であった社会民主党(SPD)は後退し,緑の党(GRUNE)は西部におい

て4.8%と5%の壁を超えることができず,西部での議席を失い,かろうじて同 盟90と連合した東部で6.1%で8議席を得るにとどまった。そして民主社会党 (PDS)は,東部において1!.1%で17議席を得た。([表1]参照。)  統一後四年を経た時点での今回の選挙は,Mauer im Kopfといわれる東西の 心の壁と(とりわけ東で深刻な)失業問題の未解決等コール政権にとって厳し いものがあったが,野党の側も十全な対応策が存在しなかったことから政治的 争点は必ずしも明確ではなかったといえよう。国防軍のNATO域外派兵の是 非という外交上重大な問題も7月の憲法裁判所判決で決着をみており,必ずし も選挙戦での争点とはいいがたいものとなっていた。選挙についての最大の関 心事は,12年に及ぶコール政権が継続可能か否かということであった。CDU

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ドイツ選挙制度考  167 1994年連邦議会選挙結果(第二票)[表1] 1994/10/16 1990/12/2 有権者数 投票数(率) 有効投票数 60,452,009 47,737,999(79,00/.) 47,105,174 60,436,560 46,995,915(77.80/o) 46,455,772

CDU

CSU

SPD

FDP

B’90/GrUne

PDS

REP 1)

GRAUE 2)

eDP 3) 議席合計  得票数    議席 16,089,960(34.20/.) 244 3,427,196 (7.3%) 50 17,140,354(36,40/.) 252 3,258,407 (6.90/.) 47 3,424,315 (7.3%o) 49 2,066,176 (4.4%) 30  875,239 (1.90/o)  238,642 (O.50/.)  183,71s (o.40/.) 672  得票数    議席 17,055,116(36.70/,) 268 3,302,980 (7.10/.) 51 15,545,366(33.50/o) 239 5,123,233(11.00/.) 79 1,788,200 (3.8%.) 8 1,129,578 (2.40/o) 17  987,269 (2.10/o)  385,91e (O.80/.)  205,206 (O.40/.) 662 1)DIE REPUBLIKANER, 2)DIE GRAUEN−Graue Panther一, 3)Okologisch−Demokratis− che Partei. Frankfurter Allgemeine Zeitung vom 18. 10 1994, S, 2. Presse一 und lnformationsamt der Bundesregierung, Bulletin 17. Oktober 1994, Nr.96/S.881,以上の速報値をwoche im bundestag,24. Jahrgang/Nr.17(17.11,1994),S.10f.に基づき修正した。速報値での議席配 分を変更するような票数の変動はなかった。        6) /CSUが第一党を維持するとしてもその得票率低下がどの程度か。連立の相 手方であるFDPが,5%を超えることができるか。同党は,それまでの各州 の州議会選挙で次々と議席を失っている状況から連邦議会でもその可能性はあ  7) つた。そしてPDSが,おそらく全ドイツで5%を超える得票を得ることは困 難であると思われることから,これまでの各種選挙の結果からベルリンにおい て小選挙区で当選することができ,三議席条項によって比例配分を受けること 6)Institut fUr Demoskopie AIIensbachの調査では,94年に入って,支持率では, S P D がCDU/CSUを上回っていたが,6月に逆転し,10月の時点では,35.5%対41.0%で あった。Frankfurter Allgemeine Zeitung vom 15.10.1994, S.5. 7)FDPの得票率は,6月ヨーvッパ議会選挙4.1%,州議会では,3月ニーダーザクセン 4A%,6月ザクセン=アンハルト3.6%,9月ブランデンブルク22%,ザクセン1.7%, 9月バイエルン2.8%であった。なお,10月16日,連邦議会選挙と同時に行われた州議会選 挙では,メクレンブルク=フォアポンメルン3.8%,テユーリンゲン3.2%,ザールラント 2.1%であった。Frankfurter Allgemeine Zeitung vom 18,10.1994, S.36f.

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168  仙田左千夫教授退官記念論文集(第292号)     8) ができるか。連立法党側が過半数を確保できない場合には,大連立,信号連立 (SPD, FDP,緑の党)等様々な形態が予測されたが,その一つとして, もしFDPが議席を失い, PDSが議席配分を受けられることとなった場合, SPDの得票の飛躍的増大は望み得ない状況では,ザクセンニアンハルト州で

起こったように,PDSの消極的支持によってSPD・緑の党(赤緑連立)政

権が成立する可能性があり,この点につきCDUからSPDは共産主義者と手

を組むかとの攻撃が選挙戦中頻繁になされていた。  結果は,[表1]のごとく,CDU/CSUは,2.3%減, FDPは,6.1%減 と得票率を減らし,連立与党としては,8.3%減で得票率は48.4%であった。こ れに対して野党はSPD2.9%増,同盟90/緑の党2.3%増,PDS2.0%増であ ったが,議席を獲得した野党の得票率は48.1%にとどまった。90年選挙では, 連立与党の得票率が54.8%と得票率の点でも過半数を超えていたのと比較すれ ば,与党側の大きな後退ではあるが,過半数を割ってもなお野党の得票率を上 回っていた点で決定的な敗北は免れたといえよう。野党では,同盟90/緑の党 は,西部地域で5%を割って議席配分を受けられなかった90年選挙から比較す れば,FDPを抜いて第三党の地位を得たという点では,内部に問題を抱えつ つも躍進を果たしたといえよう。またPDSは,ベルリンで4つの小選挙区議 席を獲得し,三議席条項を満たし,政治的生き残りを果たし,東部では第三党 の地位を確保した。SPDは,得票率こそのばしはしたが,政権を窺うに十分        9> な前進とはいい難いものであったといえよう。  議席数は,連立与党が341と総議席数672の過半数337をわずか4議席上回るに すぎないものであり,政権の不安定さが高まる中でかろうじて再選が確保され 8)1994年6月12日のヨーロッパ議会選挙では,ベルリンの連邦議会選挙区13のうち5選挙  区でPDSの得票数が第一位であった。なお,ベルリンの選挙結果については,ベルリン  選挙管理委貝長Prof. Gttnther Appelに提供していただいた報道関係者用の資料に基づい  ている。Informationen des Landeswahlleiters Berlin, Ergebniss der Abgeordneten zum  Europtiischen Parlament in Berlin am 12. Juni 1994. 9)連邦議会選挙結果の詳細については,Das Parlament vom 21.10.1994,44. Jahrgang/  Nr.42がもっとも正確である。なお,その後確定値については, woche im bundestag,24.  Jahrgang/Nr.17(17.11.1994)で発表されている。

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       ドイツ選挙制度考  169 た。コール首相にとっては,まさに苦い勝利(Kohls Zitter−Sieg)であり,困 難な政局運営を迫られる四年間(Vier Jahre auf heiBen Stuhl)となったとい うように見られている。現実にも首相指名選挙では,過半数を一票超えるのみ という状況で再選がなされている。もっとも政策上の際だった対立が存在せず, 対抗するSPDがさほど強力なわけではなく,また与党内部でもコール氏に代 わる人物が台頭していない状況では,しばらくはコール政権が継続されるとの        10) 見方が一般的であるといえよう。  次に,[表II]は,東部と西部における主要五政党の得票率の比較である。 P DSが,東部においては17.7%とCDU, SPDにつぐ第三勢力となっている 点,FDPの落ち込みが西部に比し東部において8.9%と著しいことが注目され る。 主要五政党得票率東西比較(第二票)[表II] 政党名 旧西独地域 旧東独地域 (新五州とベルリン)

CDU/CSU

SPD

FDP

B’90/GrUne

PDS

42.20/o (44.3) 37.6 (35.7) 7.7 (10.6) 7.8 ( 4.8) o.g (e.3) 38.40/o (41.8) 31.8 (24.3) 4.0 (12.9) 5.3 ( 6.1) 17.7 (11.1) ()内は,90年選挙の得票率,但し西ベルリンを旧西独地域に含めている。 Berliner Morgenpost vom 18. 10. 1994. Wichard Woyke, Stichwort : VVahlen, Bonn 1994, S. 56ff. Hans−Dieter Klingemann/Max Kaase(Hrsg.), VVahlen und Wdihler. Analysen aus AnlaB der Bundestagwahl 1990, Opladen 1994, S. 616,  Focus誌に掲載されたARD(Arbeitsgemeinshaft der 6ffentlichen− rechtrichen Rundfunkanstalten der Bundesrepbulik Deutschlandドイツ連邦 共和国公共放送局連合)の選挙分析をみると,表IIIのごとく各政党の支持基盤 の相違が浮き彫りになっている。そして同分析に付されている論評はつぎのご とく述べている。「西では何も新しい点はなかった。農民はCDUを,労働者は 10>Focus PI>rAHL−SPEZIAL vom 18.10.1994, S. lff.11月15日,連邦議会において338票  (過半数337)で,コール首相は再選された。1994年11月16日付朝日新聞。

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170  仙田左千夫教授退官記念論文集(第292号)       職業別投票動向東西比較[表III] 政党名 農民 労働者 職貝 自営業 CDU/CSU 63.60/.(46.0) 31.90/.(39.1)

SPD 12.4

FDP 7.4

B’90/GrUne 7.4

PDS 1.7

(21.0) 53.7 (36.1) ( 9.2) 3.1 ( 3.6) (3.0) 4.8 (3.7) (16.5) O.9 (13.4) 34.80/o (33.5) 39.6 (32.6) 9.2 ( 4.0) 12.7 ( 8.6) O.8 (18.8) 46.60/o (45.4) 18.6 (21.0) 25.5 ( 9.3) 6.5 (7.2) 1.0 (15.0) ()内は,東部地域。Focus PVAHL−SPEZIAL vom 18,10.1994, S.24. SPDを,そして自営業者はFDPを選んだ。東では,それは受け継がれず, CDUは労働者の票を獲得し, FDPは外に留まることになり, PDSは,す       11) べての職業で同程度の選挙民を手にいれた」。  また,ARDの年齢・性別による調査結果では,女性に関し, CDU/CS Uを支持したものが,18歳から34歳では,西27.0%,東29.5%,35歳から59歳 では,ともに37.6%,60歳以上では,西50.8%,東49.1%であり,「西と東は同 一の傾向であり,若い女性は,赤色を好み,その母親達は保守的なままである」 と,評されている。東におけるPDSの支持層は,18歳から34歳の女性で19.1 %,男性で18.8%と若い層でもっとも支持率が高く,同党が旧東独の政権党「ド イツ社会主義統一党」(SED)の後継政党として旧体制を懐かしむ人々の党と いうより,失業など統一に伴う東側の不満を代弁する地域政党という性格を強       s . . . . . . 1.2) めているといりことができょり。そして東部新五州の州議会選挙の結果もそれ       13) を実証しているということができよう。 III 小選挙区比例代表制の問題点について (1>小選挙区議席の獲得状況と異党派投票 11) Ebenda, S.24. 12) Ebenda, S.26f. 13)東部新五州の州議会選挙におけるPDSの得票率は,以下のとおりである。メクレンブ  ルク=フォアポンメルン22.7%,ブランデンブルク18.7%,ザクセン=アンハルト19.9%,  テユーリンゲン16.6%,ザクセン16.5%。Frankfurter Allgemeine Zeitung vom 18.10.  1994, S. 37f,

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      ドイツ選挙制度考  171  今回の連邦議会選挙は,ドイツ統一後二回目,西ドイツ時代を通算して一三 回目の選挙である。小選挙区が大政党に有利であるということは,いうまでも

ないが,ドイツでも1957年以来,CDU/CSUとSPD以外小選挙区で当選

することはなかった。しかし,初の全ドイツ選挙であった90年の選挙でザクセ ン=アンハルトの選挙区291でFDPが,東ベルリンの選挙区261(現260)でP DSが当選した。30年以上二大政党以外当選できなかったこと自体小選挙区制 の政党淘汰機能を立証しているものといえよう。今回の94年選挙での小選挙区 での当選状況(Direktmandateという表現がしばしば使用されている)は, C

DU/CSU221議席, SPD103議席, PDS4議席である。第二票の得票率

で41.5%のCDU/CSUが,SPDとの差は5.1%に過ぎないのであるが,小 選挙区では圧倒的な強さを見せることになっている。  二票制を採用していることから,第一票と第二票を異なる政党に投ずるいわ ゆる異党派投票が可能である。日本以上に政党国家状況が進展しているドイツ にあっては,主要政党はすべて小選挙区にも候補者をたて,異党派投票は極端 に生じるとはいえないはずであるが,過去の例を見るとFDPの第二票と第一 票の差は他党と比べて,顕著である。後述の超過議席の問題とも絡んで異党派 投票の問題は,比例性を歪める要因となりうることが注目されよう。とりわけ, 今回選挙のように与野党の議席が接近している場合,議会の多数一少数関係に も影響を及ぼす可能性が指摘されよう。  90年選挙について連邦レベルでの得票率をみると,CDUは第一票38.3%に 対し,第二票36.7%であり,SPDは第一票35.2%に対し,第二票33.5%とい ずれも第一票が第二票をL5%以上上回っている。また, CSUは,第一票7.4 %に対し,第二票7.1%であった。一方FDPは,第一票7.8%に対し第二票11.0 %であり,緑の党(西)は第一票4.4%に対し第二票3.8%,PDSは,第一票 2.3%に対し第二票2.4%であった。第一票については可能性のある大政党に一 定の票が流れる傾向があることが確認されるとともに,FDPの3%以上150万        14) 票に及ぶ異党派投票の突出が注目される。 14>90年選挙の各党各一州における第一票,第二票の数については,Deutscher Bundestag/

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172  仙田左千夫教授退官記念論文集(第292号)  今回の選挙では,FDPにおけるこの第一票と第二票との差は一層拡大し, ベルリン各紙での選挙分析でも票分割(Stimmensplitting)として問題視される       15) にいたっている。FDPは,東部においては第一票と第二票は3.0%と4.0%で あるのに,西部においては,3.4%に対して7.4%と第二票が二倍以上となって いる。比較可能な資料のあるベルリンについて,90年と94年の選挙を比べてみ ると,FDP第一票と第二票は,90年では152,005票7.6%対183,780票9.1%で あったが,94年では47,285票2.4%対100,611票5.2%と全国的傾向を裏付けるも       16) のとなっている。5%を超えることのできない可能性のあったFDPは,選挙       17) 戦終盤には,「連立の継続のために第二票はFDPに」というキャンペーンを行 い,第一一一一・票をCDU/CSUに投じた西の選挙人の10人に1人の第二票を獲得 したとされる。異党派投票の政党自身による意識的拡大は,「人物本位制を加味 した比例代表制」という選挙制度の基本理念自体を堀崩すものであり,小選挙 区比例代表制の有する矛盾を顕在化させるものといえよう。  さて,FDPが異党派投票によって5%の壁を突破したのに対して, PDS は,異党派投票によって三議席条項をクリアーしたといえる。西にほとんど基 盤のないPDSにとっては,全ドイツで5%の得票率をあげることは困難であ ると予測されていた。したがって,同党にとっては,ヨーロッパ議会選挙の結 果を受けてベルリンで三選挙区以上の当選を勝ち取ることが,唯一全国的政治 勢力として生き延びる道であった。旧東ベルリン地区における選挙区候補者の 選挙運動は見た目にも他党の候補を上回るものであった。ベルリンでの同党の 第二票は288,898であったのに対し,第一票は326,233と3万7千票以上の他党 支持者からの流入票があった。選挙区261では,第二票ではPDS33.3%, SP X Referat Offentlichkeitsarbeit(Hrsg.), Stichwort wahlen, 8. Auflage, 1994, S. 26ff. 1953  年から90年までの各党の第一票,第二票の得票率については,Gerhard A. Ritter/Merith  Niehuss, Walhen in Deutschland 1946−1991, MUnchen 1991, S.237参照。 15) Der Tagesspiegel vorn 18.10.1994, S.6. Berliner Zeitung vom 18.10.1994, S.2.  Berltner Morgenpost vom 18. 10, 1994, S. 2. 16) Der Landeswahlleiter Berlin, Wahl zum !3. Deutschen Bundestag in Berlin am 16.  Oktober !994−Vorltiufiges Ergebnis− 17) Berliner Zeitung vom 15./16. 10. 1994, S. 35.

(11)

      ドイツ選挙制」度考   173 D33.5%とSPDが第一党であるにもかかわらず,第一票でミュラー候補(P DS)が36.8品目とり, SPD候補に7千票あまりの差をつけて当選するとい う事態も生じたのであった。三議席条項は,全国レベルでは得票が5%に達し ない場合でも,特定地域では相対多数を得ることのできる地域的政党を評価し, それを適正に処遇することでその地域の民意を連邦議会に反映しようとするも のといえよう。87年選挙では,議席に反映された票は98.7%であったが,90年 選挙では西の緑の党が議席を獲得できなかったことから,それは91.9%と低下 したが,94年選挙では96.4%と回復をみている。もし,今回PDSが三小選挙 区の議席を獲得できなかったとすれば,92%の票が議席に結びつくにとどまる ことになり,東部ではさらに80%近くに低下することになる。今回の選挙結果 は,特定の地域の重要な潮流を汲み上げるという5%阻止条項の修正が巧妙に 機能したものといえよう。しかし,今回のベルリンの様な状況はおそらく稀な 例となってしまう可能性が大きいといえよう。フランクフルター・アルゲマイ ネ紙は,PDSが4議席も獲得できたのは,「民主主義諸政党が,一人目候補者 に票を集中させることによって,それを妨害しようとしなかった」ことによる     18) としている。反PDSシフトがとられていたならば,おそらく三議席確保は困 難であったといえよう。  (2)超過議席の増加について  連邦選挙法で「比例代表制」と自己規定するドイツの選挙制度であるが,三 議席5%条項が小党分立を阻止し,政府の安定化を図ることを目指し,その限 りで比例性が損なわれることはやむおえないとものされてきた。しかし,阻止 条項を克服した政党の問では厳格な比例代表が適用され,小選挙区は,原則と して各党に配分される議席をいかなる人物で埋めるかについての選択に過ぎな いといわれてきた。したがって,選挙区での当選者数が,州名簿に配分される 数以上となる場合に生じる超過議席は,例外的な事象として生じるものでなけ ればならないといえる。しかしながら,表IVのごとく,90年の選挙までは一桁 にとどまっていた超過議席が94年選挙に至って16議席にも達し,議会の多数一 18) Frankfurter Allgemeine Zeitung vom 18, 10. 1994, S. 35.

(12)

174  仙田左千夫教授退官記念論文集(第292号)       超過議席 1949年一1994年[表IV] 玉名(選挙年)

49 53 57 61

80 83 87 90 94 総数

B=W

ブレーメン

S=H

ハンブルグ ザールラント

M=V

ザクセン=アンハルト テユーリンゲン ザクセン ブランデンブルク  2   3   3   5   1   2

1CDU

ISPD ISPD

   2CDU 3CDU 4CDU ISPD

   IDP ISPD

ユCDU

 1 6 16

1CDU 2CDU

      ISPD

2CDU 2CDU

3CDU 2CDU

ICDU 3CDU

   3CDU

   3S PD B=W:バーゲン=ヴュルテンベルク,S=H:シュレースヴィヒ=ホルシュタイン, M= W:メクレンブルク=フォアポンメルン Berliner Morgenpost vom 18. 10. 1994. S. 2. Woyke, a. a. O., S. 64. 少数関係にも影響を及ぼし得るほどになった。この点では,立法者の予測を超 えた事態が進行しているということもできよう。緑の党等による憲法裁判所へ の提訴も行われ,一部に選挙制度の改革もとりざたされているが,二桁の超過 議席の発生が継続すれば,制度の再検討の必要性を主張する声が高まるであろ う。ここでは,さしあたり超過議席が生じる要因について確認をしておくこと としたい。  表IVに明らかなように,全ドイツでの選挙が行われるようになって生じた超 過議席問題の特徴は,90年選挙では,超過議席の生じた三州とも東部地域の州 であり,94年選挙ではその七州のうちにいわゆる新五州すべてが含まれており, その発生が東部地域に目立つことである。90年選挙で六議席と過去最高の超過 議席が発生したが,それは「統一後初の選挙という特殊状況によるもの」との 見方もあったが,94年選挙で16とかってなく大量に生じたことは,統一に伴う ドイツの政治構造の変化への選挙制度の適合性が問題となりうる状況にあると  . . 19) いzよつ。 19)大西健夫編『ドイツの政治』79頁。

(13)

       ドイツ選挙制度考  175 超過議席の生じた州の第二票得票状況(90年選挙)[表V]  メクレンブルク  ザクセン= =フォアポンメルン  アンハルト テユーリンゲン

    D

    高

率UD党議

票DP三二

投CS翁忌

70.9% 41.2% 26.5% P14.20/.  8/9 72.2 38.6 24.9 F19.7 13/13 76.4 45.2 21.9 F19.7 12/12 超過議席の生じた州の第二票得票状況(94年選挙)[表VI] メクレンブルク  ザクセン=テユーリンゲン ザクセン ブランデンバーデン=   ブレーメン =フォアポンメルンアンハルト       ブルクヴュルテンベルク 投票率    73.0%

CDU 38.5%

S P D 28.80/. 第三党    P2316% 獲得議席1)  7/9 70.6 75.5 72.5 38.8 41.0 48.0 33.4 30.2 24.3 P18.0 P17.1 P16.7 10/13 12/12 21/21 71.9 28.1 45.O P19.3 12/12 79.7 43.3 30.7 F9.9 37/37 78.6 30.2 43.1 F7.6 3/3 表V,VIとも下線は,その州の第一党,1)は,その第一党の獲得議席/小選挙区議席。 Pは, PDS, FはFDP。 Das Parlament vom 21. 10. 1994, 44. Jahrgang/Nr. 42, S. 3ff.  90年と94年ので超過議席が発生した州につきその選挙結果を具体的に表した のが,表Vおよび表VIである。  90年選挙を見てみると,メクレンブルク=フォアポンメルンでは,平均より 7%近く低い投票率とCDU41.2%とさほど得票率が高くないにもかかわらず, それ以上に第二党の得票率も低迷していることから,CDUが小選挙区9議席 中8議席を獲得している。ザクセン=アンハルトでも,投票率が平均より5% あまり低い上に,40%を切る得票率にもかかわらず,CDUの相対的優位は変 わらず,13の小選挙区議席すべてを獲得している。  次に94年選挙について三議席もの超過議席の発生した三州をみると,テユー リンゲンでは,投票率は平均より3.6%低く,CDUが41.0%の得票で12の小選 挙区議席のすべてを獲得している。ザクセンでは,投票率は平均より7%あま りも低い中で,CDUが48%の得票で21の小選挙区議席すべてを獲得している。

(14)

176  仙田左千夫教授退官記念論文集(第292号) ブランデンブルクでは,7%あまり平均より低い中,SPDが45%の得票で12 の小選挙区議席すべてを獲得している。  既述のごとく総定数の半数を小選挙区とすることから,定数配分が適切に行 われていることを前提とすれば,ある州で大政党が第二票で50%近い得票率を 有する場合,通常,超過議席が生じる可能性は極めて少ない。これに対してあ る州で,第一党の得票率が40%程度に過ぎず,支持基盤の地域的偏差により第 二党と小選挙区議席を分けあうということがない場合には,超過議席が発生す る可能性が高まる。さらに議席の配分は,連邦レベルで各党に割り当てられた 議席数を各州名簿の得票数に応じて比例配分することから,投票率の低さは, 配分される議席の減少につながり,超過議席を生む要因となる。そして州への 選挙区配分が平均より過大になされている場’合には,超過議席が生じる可能性        20) はさらに高まることになる。  94年選挙における大量の超過議席の発生の基本的原因は,東部地域の投票率 の低さと選挙区配分における加重傾向および多党化現象の進行であるとみるこ とができるが,さらに,三議席条項をPDSが克服し,議席の配分を受けたこ と,西部地域において90年選挙で議席配分を受けられなかった緑の党が議席を 回復したことおよび第二票のFDPへの流出により, CDUの得票率が一層低 下したことが,要因としてつけ加えられなければならないであろう。  超過議席がなければ,連立与党329議席,野党327議席となり,与党がかろう じて過半数を有するというより緊迫した状況となることからも,例外として生 じるべき事象が,政権の帰趨を決定する現実的な可能性が有することが今回の 選挙で確認されることとなったといえよう。 20)Das Parlamentの数値で計算:すると,一選挙区あたりの有権者数は,全国平均184,135で  あるのに対し,ベルリンを除く東部では,164,040である。選挙区あたり有権者数の平均よ  り少ない州を順に並べると,メクレンブルクー=フォアポンメルン152,864,ブランデンブ  ルク161,374;テユーリンゲン162,268;ザクセン=アンハルト165,318;ザールラント  167,644;ブレーメン169,976;ザクセン170,575;ハンブルク177,383となり,このうち6  州で超過議席が生じている。DER SPIEGEL,43/1994, S.18f.

(15)

ドイツ選挙制度考  177 むすびにかえて  以上,1994年10月16日の連邦議会選挙で現れた小選挙区比例代表制に関わる 問題点を記述してきた。比例代表としての性格を基本としながら,それに様々 な修正を施したものとなっているドイツの選挙制度は,統一に伴う政治構造の 変化を受けて,その基本原理と修正の存在理由との問の矛盾が顕在化しつつあ る状況といえよう。本稿は,おそらく今後,憲法裁判所も巻き込んで展開され るであろう同選挙制度の問題点に関する論議を解明するための基礎的作業とし て意味を有する。制度を支える理論的枠組みにまで踏み込んでの検討は,また 稿を改めて行うこととしたい。 [本稿は,陵水学術後援会からの学術調査・研究助成を受けて行われた調査に基づく ものである。]

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