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Synoptic Problem 1

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北 海 道 聖 書 研 究 学 院

Outline of the Synoptic Gospels

共 観 福 音 書

ジ ョ ン ・ R・ ハ イ ム ズ 著

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第1課

共観福音書の紹介概 覧

が い ら ん 共観福音書は、よく攻撃される。特に現代主義神学者は、福音 初めに 書のキリストを神の御子として信じたくないので 「福音書の裏の歴史的な、 キリスト」を探そうとする。実は、共観福音書は歴史的に信頼できるばか りでなく、神の霊感を受けて書かれた書物であることを、彼らは認めない のである。 I 初代教会と共観福音書 A 初代教会は、共観福音書を何も疑わずにそのまま受け入れた。 1 二世紀の終わりまでには、各教会はすでに、共観福音書を 聖書として認めていた。 2 例えば、イラネアスの「異端に反対」という書(181∼ 189年ごろ書かれた)の1部分が、ユセビウスの「教会 歴史 (325年ごろ完結)にのっている。イラネアスはこ」 の3冊の共観福音書のそれぞれの著者を認めた。 3 初代教会の他の偉い指導者達も、共観福音書を聖書として認め た (例えば、テルタリアンやパピアス)。 、 。 B 二世紀の終わり頃までに 新約聖書の収集が教会に認められていた (聖霊が正典を決められた。教会は、決まった書を認めただけで ある )。 、 。 、 C 共観福音書を認めなかったのは 異端の教会だけであった 例えば マルシオンという偽預言者は、自分の教理を正当化するために、ル カ伝と使徒パウロのある書しか認めなかった。同様に、聖書の霊感 を認めない現代主義神学者は、偽預言者であり、異端の指導者であ る。 II 「共観福音書問題 (」 Synoptic Problem) A 福音書についての神学書はよく 「共観福音書問題」という言葉を使、 う。

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1 共観福音書問題とは何か。マタイ・マルコ・ルカは、内容が互 いに似ている。なぜこれら共観福音書は互いに似ているであろ うかという問題である (マルコ伝の内容の90%は、マタイ。 伝にも出るし、53%はルカ伝にも出る )。 2 したがって、次の問題も難しくなる。 a 福音書のもととなった史料は、何であろうか。 b 共観福音書のどれが最初に書かれたか。 B “Q”について 、 “ ” 。 1 現代主義によると 共観福音書の史料は Q という物である 2 可能性は、二つあると思われている。 a Qは、言い伝えによって伝わったものであろうと思われて いる。 b Qは書物であった、という学者もいる。 3 残念ながら、新福音派の多くの学者は、現代主義の学者に追従ついしょう し、Qの存在を認めている。 C Qは本当に存在したか。 1 Qの写本を見た者は誰もいない。 2 Qの存在は初代教会の説教集や歴史書や注解書に、まったく出 ていない。 3 19世紀まで、誰もQの存在を想像さえしなかった。 D パピアスのこと― ―ユセビウスの「教会歴史 (4世紀)によると、」 使徒ヨハネの弟子と言われていたパビアス(60∼130年頃) 。「 、 はこう書いている マタイはあのお話をアラム語で編集したので 皆はできるだけそれを訳した 」。 1 これは、マタイ伝が最初にアラム語で書かれてから、ギリシャ 語に訳された、という意味であると思われている。 、 、 2 Qの内容は 大体マルコ伝と同じであったと思われているから パピアスがQのことを言っていないであろう。 3 他の初代クリスチャンも、アラム語のマタイ伝について書いて いる (例えば、2世紀のイラナエスも、アラム語のマタイ伝。

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のことを言及している。 E 根本主義者の解釈 1 共観福音書問題は、このことはそんなに重大ではない。なぜな ら、 a 福音書は歴史的に間違っている、とする証拠はない。 、 。( 、 b もっと大事なことは 福音書のメッセージである しかし 福音書の歴史を忘れてはいけない )。 2 私たちは、聖書の完全逐語霊感を信じている。したがって、 共観福音書の似ている点は、全部神からきたのである。 3 各福音書は 「マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる福音書」で、 ある。つまり、神の御心は、この四人に四つの違う立場から見 たイエス・キリストを書かせることであった。 III 共観福音書の大切さ A キリストの教理(ルカ1:3∼4) B キリストの模範(1コリント11:1) C キリストの行いと奇跡(使徒1:1) D 救いの道――実は、ヨハネの福音書は特に、救いとは何か、を教え るために書かれた (ヨハネ20:30∼31)でも、もちろん。 共観福音書も救いの道をはっきりと教えている。 E キリストと弟子たちの歴史(マタイ1:1、ルカ1:1∼4、使徒 1:1∼2) 福音書とは、ただの伝記本ではない。人の生涯を伝えるばかり 最後に ではなく、深く人生を教える書である。生涯の出来事ばかりではなく、大 事な説教などをも伝える。つまり、イエス・キリストの伝記である福音書 は、非常に特別な本なのである。

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第2課

マタイの福音書の紹介

I 著者 A 題は マタイによる福音書「 」(!"#$$!%&'( )' *#)# +#),#&'() 1 この題の言い方は、写本によって違う。例えば 「マタイによる、 物 (」 )' *#)# +#),#&'()とか「マタイによって」 (*#)# +#),#&'()という題もある。 2 であるから、多分原典には題がなかったと思われている。しか し、誰も題のないマタイ伝の写本を見つけたことがない。 B 初代教会は、使徒マタイがこの福音書を書いたことを、疑問なしに 認めていた。 、 、 。 C また 初代教会によると マタイ伝は最初に書かれた福音書である II 年代 A イグナチアスという牧師は、西暦110∼115年ごろマタイ伝につい て書いているので、マタイ伝は一世紀のものであると言える。 B マタイ伝23: 33∼39は、西暦70年のローマ帝国のテトス将軍のエル 、 、 サレムに対する攻撃を預言しているので マタイ伝は70年までに もう存在していたと言える。そうではなければ、なぜテトス将軍 の攻撃については何もマタイ伝に出ていないであろうか。 III テーマ A 「メシヤであるイエス・キリスト」 B マタイの福音書は、ユダヤ人のために書かれた。 1 マタイの目標は、イエス・キリストがメシヤであり、王の王で あることを旧約聖書より証明することであった。 、 、 2 マタイ伝には キリストがメシヤであることを証明するために 旧約聖書からの引用がやく40箇所ある。

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IV 言語 A 初代教会の牧師(パピアスやイラナエス)によると、アラム語のマ タイによる福音書があった。高等批評によると、これが“Q”のこ とであったかも知れない。 B しかし、マタイ伝が最初から、ギリシャ語で書かれた証拠がいくつ かある。 1 アラム語やヘブル語のマタイ伝の写本が、見つかっていない。 2 ギリシャ語のマタイ伝が、アラム語からの翻訳である可能性は 非常に少ない。 C では、例の「アラム語のマタイの福音書」は、いったい何であろう か。 1 パピアスの個人的な意見に過ぎなかったかも知れない。 2 偽福音書も、いくつか存在していたから、このアラム語の福音 書も偽物であったかも知れない。 3 ユーセビウスによると、パンタイヌスという学者は、インドで アラム語の福音書を紀元170年ごろ見つけたと言われてい る。しかし、ジェローム(4世紀の学者)も、この福音書を見 たが、ギリシャ語のマタイ伝と違っていたそうである。インド の福音書は 「ヘブル人の福音書」という物であったかも知れ、 ない。 、 、 、 D マタイは 旧約聖書を使ったとき あるときは70人訳を使ったが それが間違っていたらヘブル語から新しく翻訳した。 V 根本主義者の立場 A 著者が、使徒マタイではない証拠がまったくないので、マタイの著 者を認める。 B アラム語のマタイ伝の存在がまったく証明されていないので、マタ イ伝の原典はギリシャ語で書かれたことと認める。 C マタイの著者や共観福音書問題を考えると、聖書の霊感を先ず考え なくてはいけない。

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第3課

マルコの福音書の紹介

I 著者 、「 」( )。 A 書名は マルコによる福音書 !"#$$!%&'( *#)# +#-*'( マタイの福音書と同じように、色々な呼び方がある。しかし、題 がどうであろうとも、マルコが著者であると認められている。 B 初代教会(ユーセビウス、パピアス、イラナエス、反マルシオン前 書きなど)は、疑問なしにマルコが著者であると認めた。 C 現代の聖書学者も、ほとんど皆(現代主義者も、新福音派も、根本 主義者も)マルコが著者であると認めている。 D 内面的な証拠 、 「 。」 1 主の晩餐――マルコ14: 17によると イエスは そこに来られた マタイ26: 20とルカ22: 14を比較しなさい。使徒12: 12も参考に しなさい。 。 2 マルコ14:51∼52はちょっと変わった事件を述べている もし若者も著者もマルコ自身であったら、これを説明すること が簡単にできる。 E 初代教会(アウトラインのBを参考にしなさい)によると、マルコ はペテロからキリストのことを詳しく聞いて、マルコ伝を書いたと 言われている。これが、ほんとうかどうかを確かめることはできな い。わかっていることは、聖霊の霊感によって書かれた、というこ とである (2ペテロ1:20∼21、2テモテ3:16)。 II 年代 A マルコ伝が、大体45∼70年ごろ書かれたと思われている。ロー マ帝国のネロ王が65∼67年ごろ帝国のキリスト教会を迫害し たとき、マルコ伝(特に10:29∼34、45;13:8、 11∼13)は、キリスト者の励みになったであろう。 B マルコ伝は、マタイ伝と同じように、70年のローマ帝国の、テト

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ス将軍のエルサレムに対する攻撃を預言しているので ( マ ル コ、 1 3 : 1 ∼ 2 ) マ ル コ 伝 は 、 7 0 年 ま で に 、 も う す で に 存 在 し て い た と 言 え る 。 I I I テーマ A 「しもべであるイエス・キリストを示すこと」 B マルコの福音書は、異邦人のために書かれた。 1 マルコは、時々アラム語の言葉をギリシャ語に訳した。 (3:17;5:41;7:11、34;15:22) 2 マルコは、ユダヤ人の習慣を説明した (7:2∼4;15:42)。 3 マルコは、よくラテン語の言葉をギリシャ語に直訳した。 IV 写本 A マルコ伝のギリシャ語の写本は、決定的に正確である。 B 難しい問題は、16:9∼20だけである。 1 「異本9∼20節を欠くものがある。」(新改訳新約聖書94頁より) 2 ギリシャ語の写本には、この箇所がないのは、二冊だけある。 「 (アレフ 」と「 (ベータ 」である。しかし、! ) . ) . の写本 、 、 。 には マルコ伝の終わりにこの箇所のための スペースがある 3 聖霊は、この箇所を守っておられる。私は、この箇所のない新 約聖書を見たことがない (ギリシャ語、ラテン語、英語、。 日本語、中国語、スペイン語など) V 根本主義者の立場 A 著者が、マルコではない証拠がまったくないので、マルコを著者と 認める。 B マルコ伝が、他の福音書より早く書かれたことは、証明されていな い。また、証明されても、それがマタイとルカは、自分たちの福音 書を書くためにマルコ伝を使ったとは、まったっく証明されてい ない。

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第4課

ルカの福音書の紹介

I 著者 、 。 A 他の福音書と同じように ルカの福音書にも色々なタイトルがある 、 、 。 しかし 存在する写本は全部 ルカが著者であると認められている B 初代教会も、ルカが著者であると認めた (イラナエス、ムラトリの。 正典、テルタリアン、アレキサンドリア市のクレメントなど) C 内面的な証拠 1 ルカ伝と使徒の働きは両方、同じ著者であることは明らかであ る (ルカ1:3、使徒1:1)。 2 使徒1:1によると、使徒の著者は、以前にも何かの書を書い た。つまり、ルカ伝のことである。 3 使徒の有名な「私たち」の箇所を見ると、ルカが使徒の著者で あることが確実である (使徒16:10∼17、20:5∼。 15、21:1∼18、27:1∼28:16) 4 使徒パウロによると、彼はルカといっしょに旅行した (コロサ。 イ4:14、ピレモン24、2テモテ4:11) 5 これらのことを考えると、ルカは、ルカの福音書も使徒の働き も書いたと言える。 D ルカは、どういう人であったか。 1 異邦人であった。コロサイ書は、はっきりと割礼を受けた人と 受けていない人を区別した (コロサイ4:11∼14)。 2 医者であった (コロサイ4:14)医学の専門的な単語は、他。 の書より数多くルカ伝で使われている。 3 忠実な友人として、最後までパウロといっしょであった (2テ。 モテ4:11)

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II 年代 A ルカは、エルサレムの破壊を預言した(21:8∼36)から、破 壊される西暦70年前に書かれたと言える。 B 使徒の働きは、パウロの死を記録しなかったので、西暦65年以前 に書かれたと言える。 III テーマ A 「人の子であるキリスト」 B ルカ伝は、他の福音書より、はっきりとイエスを模範として示して いる。 1 ルカ伝は、よく救霊獲得を教える (14∼15章、23:39∼43)。 2 ルカは、他の福音書より、聖霊のことを教える。聖霊のことは 、 、 。 マタイ伝に12回 マルコ伝に6回出るが ルカ伝に17回出る 3 ルカ伝は、他の共観福音書より、キリストの祈りを強調する。 (例えば、3:21、9:29、11:1∼4、22:32) IV ルカ伝の前書き(1:1∼4) A ルカ伝が書かれたときまでには、キリストについての書物は、すで にたくさんあった (1:1)。 1 今も、存在する可能性は―― a キリストの弟ヤコブの”Protoevangelion” プ ロ ト ユ ア ン ゲ リ オ ン b 「ディダケ」 c 「ヘブル人の福音書」 2 その他の書物は、正典の他の福音書ではなかった。なぜなら、 4節によると、ルカは 「正確な事実であることを」伝えた。、 つまり、例の他の書物は間違っていたのである。 B また、当時はまだ証人も多数生存していた (2節、1コリント15:。 6) C 歴史的な事実をテオピロに教えるために、ルカも、福音書を書くよ うに導かれた (3∼4節)しかし、ルカの使った資料は何であっ。

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たか。

、 、 ( 、 )

1 一般の学者によると ルカは 色々な人 マリヤ パウロなど

のインタビューをして、福音書を書いたとされる。

、 ( )

2 しかし ある学者 Louis Gaussen, B. H. Carroll, John R. Rice は3節を、こう翻訳する――「全てのことを上から正しく知っ ていますから 」。 「 」( 、 a 動詞は/01023435678パ ラ コ ル セ オ ――普通は ついて行く 象徴的に 精神で)という意味 、「 」 、「 」 。 b 098679ア ノ セ ン ――普通は 上から 或いは 再び という意味 しかし「初めから (新改訳)と言う意味は使徒26:5」 にも出る。 098679 0/ 01:;< c しかし 2節の 初めから は、 「 」 、ア ノ セ ン ではなく、 'ア プ ア ル ケ ス 従って 「上から」という訳が可能である。 である 。 、 d 「上から」という可能性を調べるために、これらの箇所を 参考にされたし――ヨハネ3:3と31、19:11、ヤ コブ1:17、3:15 D ルカだけは 「順序」に書いたらしい (3節)、 。

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共観福音書の解釈

I 前もって認めるべきこと A 原典において、聖書の完全逐語霊感(2テモテ3:16∼17) B 聖書に誤りがないこと(申命記4: 2;詩篇19: 7, 119: 128; マタイ5: 18; ヨハネ10: 35, 17: 17; ヤコブ1: 22、4: 5;黙示録22: 18∼19) C 文字通りの解釈――象徴的な箇所は、はっきりと象徴的である。 1 キリストのたとえ話 2 「…のように」という表現があったら II 解釈の道具 A 原語のギリシャ語――キリスト御自身は時々原語のヘブル語の言い方を 22:32 3:6, 22:43~45 110:1) 示された。(マタ は 出エジ、 マタ は 詩篇、 B 当時の文化や習慣 C 聖書自体――聖書によって聖書を解釈しよう。 D 単語の研究 E アウトライン F テーマの研究 III 共観福音書の相違の解釈― ― 各共観福音書が違っていたら、どう 解釈すれば良いであろうか。 A 歴史的な順序のために、ルカ伝を調べよう (ルカ1:3)。 1 福音書の目標は、歴史を伝えることではない。従って、あると き、福音書の著者は、聖霊の霊感によって、書の目標のため に順序を変える。 2 それにしても、もしどうしても歴史的に難しい解釈であれば、 まず第一に聖書に誤りがないと認めるべきである。 B 説教や会話であれば、何語を使ったかということに注意すべきであ る。 1 ユダヤ人であったら、アラム語を使ったであろう。

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2 アラム語であったら、各福音書は、違ったギリシャ語の訳をし た場合もある。 C 旧約聖書の箇所であれば、可能性は、二つある。 1 70人訳――これは、よく福音書の著者に用いられた。 2 直接にヘブル語より、福音書のために新しく訳された。マタイ の福音書は、ユダヤ人向きであったので、彼はよく新しい訳 をした。 ( ) 、 、 D 本文批評 下等批評 は時々役に立つが 専門的な勉強であるから このクラスでは、あまり使わないことにする (本文批評とは、ど。 の写本が原典に最も近いか、という研究である )。 E 最終的に、聖書が科学書や歴史書と違っていれば、信仰によって、 聖書のほうが正しいと認めるべきである。人間の歴史書や科学書 はよくかわるが、聖書は、永遠に不変である。 F 旧約聖書の名前は、70人訳を通して共観福音書に入った。 G ある事件において各福音書の相違が大き過ぎたら、違う事件である かも知れない。 H できるだけ、各福音書を相互に参照し、理解を深めるべきである。 IV 高等批評の解釈の道具が必要ではない。 A 歴史批評(Historical Criticism)――これは、初代教会の言い伝えや 、 、 。 書物は どういうふうに福音書に入ったのか という批評である (伝統批評の一つ)ナンセンスである! B 形状批評(Form Criticism)――これは、伝統がどういう形に伝え られたかと、見つけようとする批評である (伝統批評の一つ)。 ナンセンスである! C 改訂批評(Redaction Criticism) ――これは、著者がどういうふうに 伝統をまとめて本にしたか、ということを見つけようとする批評 である (伝統批評の一つ)ナンセンスである!。 D 文学批評(Literary Criticism) ――聖書を文学として批評する。ナン センスである!

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共 観 福 音 書 の ア ウ ト ラ イ ン

I ルカ伝の前書き(紹介の第四課を参照) II イエス・キリストの系図(マタイ1:1∼17;マルコ1:1;ル カ3:23∼38) A マルコ伝のは一番簡単である 「神の子イエス・キリスト」としか。 書いていない。理由は(なぜなら 、マルコはイエスを神のしもべ) として示した。しもべには詳しい系図など不要だからである。 B マタイ伝とルカ伝の系図を比べよう。 1 マタイ伝の系図はキリストがメシヤであることを証明するため に、アブラハムではじまる。でも、ルカ伝は異邦人のために 書かれたので、全人類を創造した神ではじまり、ついで全 人類の先祖であるアダムを通しての系図をリストアップして いる。 2 マタイ伝のは、法律的な系図である。マタイはイエスがダビデ 王の子孫であることを、ヨセフの系図で証明している (ヨ。 セフはイエスの実際の父ではなかったが、結婚でイエスの 法律的な父となった )でも、ルカ伝は異邦人のために書か。 れたから、マリヤを通しての人間的な系図となっている。マ タイの福音書はヨセフを中心にするが、ルカのはマリヤを 中心としている。 a マリヤもダビデの王族に入っている (ルカ1:32、。 ローマ1:3) b しかし、女性は当時の系図に入らなかったので、ルカは 彼女の代わりにヨセフの名前を使った。 c ルカ3:23――イエスは「人々からヨセフの子と思わ れていた」が、もちろん本当ではない。 d 23節の「このヨセフは…」とは、原語にない (ギリ。 シャ語には、=35 >4?' だけ )こういうふうにも訳せ。

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。「 ( ) る イエスは… 人々からヨセフの子と思われていた ヘリの子 」しかし、もう一つの可能性は、こんな言い。 方が義理の息子のためにも使えるということである。 e ある根本主義者の学者(例えば、J. Gresham Machen) は こう解釈する。ルカ伝の系図はヨセフの系図で、マタイ 伝のは王の系図である。しかし、この解釈には問題が 多い。 3 マタイ伝はキリストの系図を三つの時代にわけた(マタイ 1:17)が、ルカはリストだけをを書いた。 C キリストの系図に関する問題――次に示すように、どの疑問にもき ちんと答えることができる。誰もキリストの系図に誤りがあると 証明することはできない。 1 マタイはダビデ王の息子ソロモンの子孫をリストアップした (1:6より)が、ルカはソロモンをナタン(3:31)の 子孫にした。 a エコニヤ(11節)は呪われた (エレミヤ22:28∼。 30;エコヌヤはエコニヤと同じ) b 彼の子孫はダビデ王の死後、王座に着くことができな かったので、メシヤはエコニヤの子孫であるヨセフの子 に生まれなかった。 c 法律的な王座はヨセフの家族のものであったが、神に 選ばれて王座に着くものははマリヤの家族を通してで あった。 2 マタイ伝の系図には、本当に42代があったか。 a 数えてみると、 ①ダビデまでは14代 ②ソロモンよりヨシヤまでは、13代だけらしい。 ③エコニヤよりキリストまでは、14代 、 。 b 答え――ダビデの王座であるので 彼だけを二回数える 、 。 、 元取税人のマタイは 計算ができないはずはない また

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ダビデの名前はヘブル語の字で数えると、14になる (三つの子音――4、6、4)から、霊的な意味もあ る。 3 当時の系図には、女性の名前がほとんどでなかったのに、マタ 、 。( 、 、 ) イ伝の系図には 四人の女性がのっている 3節 5節 6節 a それには、姦淫を犯した女性も含まれている (ラハブ、。 タマル) b また、ラハブとルツは異邦人で、バテ・シェバは異邦人 のウリヤの妻であった。 c 答え――キリストはユダヤ人のためにも、異邦人のため にも、男性のためにも、女性のためにも(マタイ22 :30;ガラテヤ3:28 、全世界の罪人ののために) 来られた。 4 ある人はマタイ伝の系図から取除けられた。答え―― a ギリシャ語の @79908(直訳で「父になる )は息子だけ」 でなく、子孫のためにも使われた。 b リストから抜けた王は―アハザヤ、ヨアシュ、アマツヤ (1歴代誌3:11∼12)三人とも、非常に悪い王女 アタルヤの子孫であった (2歴代誌22∼25章)メ。 シヤの系図に入るのにふさわしくなかったと思われてい る。アタルヤは王族を一人残らず殺そうとした (2。 歴代誌22:10∼12)彼女の呪いは、三代目まで続いた らしい。 III バプテスマのヨハネの誕生の報告(ルカ1:5∼25;ヨハネの 意味は「神が祝福された )」 A ザカリヤとエリサベツ(5∼7節) 1 このヘロデ(マタイ2章と同じ)は「大なるヘロデ」と呼ばれ ていた。彼はイドマヤ人(ギリシャ語;ヘブル語でエドム) であったが、イドマヤは紀元前125年に、マッカビー族に

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強制されてユダヤ教になった。故にヘロデもユダヤ教徒で あった。非常に悪い王で、自分の息子たちさえも殺した。 皇帝アウグストはこう言ったそうである 「ヘロデの息子よ。 りも、彼の豚の方がましだ 」。 2 したがって、これは悲惨であり、かつ残酷な時代であった。 3 「アビヤの組の者で」――祭司は24組にわけられた。各組は 昔の祭司の名につけられた。 4 祭司で、祭司の娘と結婚することは、光栄なことであった。 また、この夫婦は旧約聖書時代の義を代表した立派な人たち であった (ローマ10:4)。 5 しかし、歳をとって(60才以上)になって、まだ子どもがい ないことは寂しくもあり、またはずかしかった (25節)。 B ザカリヤの奉仕と御使いの出現(8∼12節) 、 。 1 神殿で香をたくことは 一生に一回しかできない奉仕であった (祭司は、2万人ぐらいいた )。 2 この香は、特別であった (出エジプト記30:34∼38)。 、 、 。( ) また 聖書の中に この香は祈りを象徴する 黙示 : ∼8 3 5 3 これは、香を炊く時に人間が初めて目にした幻であった。 C 御使いの報告(13∼17節) 1 この祈りにこめられた「願いは」なんであろうか。 メシヤが 来ることか。それもあるかも知れないが、息子が生まれるよ うに、という祈りである。 2 15節――生まれる息子は、サムソンとサムエルみたいに、 。 、 。 永久にナジル人になる ナジルとは 分離という意味である (民数記6章) 3 「まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ… 」41節を。 参照。ヨハネはそのとき救われたか。または、これが母を 聖霊が満たしたことをしめしているのか。 4 素晴らしい伝道者になる (16節)。 5 キリストの前ぶれのエリヤになる (17節、マラキ4:5∼。

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6)これは旧約聖書の最後の約束で最後の預言であった。 D ザカリヤの疑問(18∼23節;マリヤの34節の質問に比較し なさい )。 1 もう年寄りであり、いなかの祭司であった (ルカ1:39∼。 ) 、 。 40 当時の神学によると エリヤ自身が来るはずであった 2 彼の願ったしるしは彼への罰になった。この奉仕の最後の部分 は、国民に対する祝福の言葉である。 E エリサベツの妊娠(24∼25節)――人目を避け隠れることは 当然であった。5ヶ月になるまで、誰が彼女の妊娠を信じてくれ るか。また、よく考えるべき重大な問題でもあった。 IV キリストの誕生の報告(ルカ1:26∼56) A ガブリエルの出現と報告(26∼38節) 1 ガブリエルは神の言葉を告げる御使い――ルカによると、ザカ リヤとマリヤとヨセフに報告した。また、ダニエルにも現わ れた (ダニエル8:15∼16、9:21)。 2 処女マリヤ――キリストの処女降誕は根本的な教理である。こ れを信じなければ、本物のキリスト教ではない。また、これ 。( ) を認めない教会から分離すべきである 2ヨハネ9∼11 もし処女降誕が正しくなければ、キリストの神性の教理も 間違っていることになるからである。 a ある自由主義者によると、処女降誕を預言したイザヤ7 :14の原語(ヘブル語で、アルマ)の意味は処女では なく、若い女性という意味である。しかし、 ①70人訳は、アルマを /016793<パ ル セ ノ ス で訳した。誰でも、 これが「処女」という意味であると認める。 ②アルマは九回旧約聖書に出る。そのうち、八回ははっ きりと処女という意味である。 ③マタイ1:23も、アルマを/016793<パ ル セ ノ ス で訳した。 b 創世記3:15も、処女降誕を預言した。なぜなら、ア

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ダムの子孫ではなく、エバの子孫が預言された。 c マリヤの質問も(34節)処女降誕を証明する。 3 「名をイエスとつけなさい。」(31節) a ヘブル語の意味は 「主が救って下さる 」、 。 b マタイ1:21 c この名前はよくユダヤ人に使われた。例えば、ヨシュア d イエスは世界の救いのために来られた (1テモテ1:。 、 、 、 ) 15 ルカ5:32 マタイ9:13 マルコ2:17 4 ダビデの王座を与えられる (32∼33節)これは多くの。 預言を成就する。 5 マリヤの質問(34節)ギリシャ語には、この質問は疑いの代 わりに、驚きを表わす 「どういうふうに…」。 6 処女降誕は奇跡であった (35∼38節)。 a 35節の「神の子」には、定冠詞があるから、これは神 の唯一の子である。35節はよくイエスの神性を証明す る。 b 「神にとって不可能なことは一つもありません。」(37 節)造り主の神を信じたら、奇跡をも信じなければなら ない。奇跡を一つ信じれば、この37節も信じなければ 。 、 。 ならない であるから 処女降誕を疑ってはいけない (ローマ3:3∼4) 7 マリヤはとても謙遜でガブリエルを信じた。偉い信者! B マリヤとエリサベツ(39∼45節) 1 エリサベツとザカリヤはどこの村に住んでいたとは、書いてい ない。でも、80∼100㎞ぐらいの旅行であって、かなり 長かった。 2 「私の主の母 (43節)――聖書はマリヤを「神の母」と」 呼んでいない。人間としてのイエスの母に過ぎなかった。 カトリック教の教えは大きく間違っている (ルカ8:19∼21。 も参照)

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C マリヤの歌(46∼55節) 1 これはハンナの歌(1サムエル2:1∼10)によく似る。 、 、 。 でも マリヤは自分の敵のことより 神のあわれみを歌った 2 これはユダヤ人の伝統的な詩の形である。 3 「これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うで しょう。」(48節)その通りになった。 V バプテスマのヨハネの誕生(ルカ1:57∼80) A 名前がつけられた (57∼64節)。 1 この誕生日は喜びのとき(57∼59節) 2 割礼(59∼64節) a これはきちんと律法に従った (創世記17:9∼14)。 もし今の割礼と同じであったら、まず祈った後、割礼を したはずである。それから、祝福のぶどう酒を飲んだ。 最後に、聖書が入っている祈りで父の名につけられた。 (箴言23:25、エゼキエル16:6、詩篇105:8、創世記 21:4) b しかし、ちょうどそのとき、エリサベツは「ヨハネ」と いう名前を主張した。だが母であっても女性には、名前 、 。 をつける権限がなかったので 今度はザカリヤに聞いた 彼の言い方に注意しよう 「ヨハネと呼ぼう 」ではなく。 。 て 「彼の名はヨハネ 」、 。 3 ザカリヤがこうして信仰を明らかにしたとき、また話せるよう になって、聖霊に満たされた (65∼67節)。 B ザカリヤの歌(68∼79節)――これは詩だけではなく、預言で もある。 1 メシヤが来る (68∼75節)69節の「角」とは、旧約。 聖書には力の象徴であった (例えば、詩篇132:17、。 ダニエル7:21など) 2 ヨハネはそのメシヤの預言者である (76∼79節)。

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C 子供のヨハネ(80節) 1 ヨハネの成長を述べているのはこの箇所だけである。 2 「荒野に」――これはギリシャ語で複数である。つまり、ヨハ ネは大人になってから33才ぐらいまで、あちらこちらの 厳しい荒野で、神の神学校に通っていたわけである。 VI ヨセフに対する報告(マタイ1:18∼25) A ヨセフの性格 1 「正しい人であって (19節)」 2 「彼女をさらし者にはしたくなかったので…」紳士であった。 (19節) 3 「思い巡らしていた。」(20節)霊的であった。 4 「主の使いに命じられた通りにして… (24節)神に従順で」 あった。 B 「妻と決まっていたが (18節)まだ結婚していなかったが、」 当時のユダヤ人の婚約は厳しかった。 「 。」( ) 、 C 内密に去らせようと決めた 19節 結婚を止めたい婚約者は 離婚の手続きをしなければならなかった。 D キリストの誕生の後、マリヤとヨセフは普通の結婚関係になった。 (25節) VII キリストの誕生(マタイ1:18、25、ルカ2:1∼21) A 誕生の年代 1 だいたい紀元前4年と思われている。しかし、なぜキリストは 4年( ) に生まれたか。紀元532年に、 B.C. Before Christ 。 、 Dionysius Exiguus という修道士がこの数え方を決めた でも 彼はキリストの生誕の年を4年はど間違えた。 2 「クレニオがシリヤの総督であった時の最初の住民登録であっ た。」(2節)紀元後6年にも住民登録があった。自由主義者 たちは、ルカが間違ったと言う。ななぜなら、クレニオは6

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∼9年までシリヤの総督であった。しかし、クレニオが二回 シリヤの総督であった証拠(ラテン語で刻まれた彼の碑文)ひ ぶ ん がアンテオケ市で見付かった。また、ルカはその6年の住民 登録も知っていたので(使徒5:37 、彼がここで間違う) ことは信じられない。 3 12月25日であったか。本当の日付は歴史に残っていない。 クリスマスがはじめて12月25日に祝われたのは、354 年のローマ市であった (ローマ市の336年のカレンダー。 にも出ている )しかし、大事なことは正しい日付がいつか。 ではなく、正しくこの箇所が意味することを理解することで ある (注意――「羊飼いたちが、野宿で」という8節につ。 まずかないように。ベツレヘムの冬は厳しくない )。 B 誕生の場所 1 ローマ帝国の住民登録も、イスラエルの住民登録も、すべて 各自の生まれた町で行われた。 2 馬小屋であった (7節)当時、洞窟にある馬小屋もあった。。 ベツレヘムにこの種の洞窟の馬小屋が今まで残ってある。 3 何という謙遜――しもべとして来られたキリストは立派な宮殿 に生まれて来なかった (ピリピ2:5∼11)。 C 羊飼いたち(ルカ2:8∼20)――なぜ羊飼いなのか。 1 キリストの誕生の最初の報告は、一般の人にされた。当時の 羊飼いはかなり見下げられていた。儀式的に汚い者と思われ ていた。 2 「急いで行って (16節)――急いでキリストのところに行」 くことは、立派なことであるが、また珍しいことでもある。 3 当時の羊飼いはあまり信頼されていなかった。人のものを盗む と言われていたので、裁判の証人になることは禁じられてい た。それなのに、キリストの最初の証人はこの軽 蔑されていけ いべつ た羊飼いたちであった (17∼20節)神はよく世間から。 見下げられる者を用いられる (ルカ10:21、1コリン。

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ト1:19∼29、ヤコブ3:15∼18) 4 ダビデ王も羊飼いであった。ダビデ王が羊を飼っていた所は、 。( ) イエスの生誕の地と同一地方である 1サムエル17:34∼35 5 キリスト御自身は良い羊飼いであり(詩篇23:1、イザヤ 40:11、ヨハネ10:11∼16、マルコ6:34、マ タイ18:12∼14、ヘブル書13:20、1ペテロ2: 25 、牧師も羊飼いである (エレミヤ23:1∼4、ヨハ) 。 ネ21:15∼17、1ペテロ5:2など) D マリヤの心(19節)――考えることはたくさんあった。 E キリストの割礼(21節) VIII 宮でささげられたイエス(ルカ2:22∼39) A これは律法に従った (22∼24節;出エジプト記13:2と。 12と15、レビ12:1∼8) B シメオン(25∼35節) 1 彼はキリストの出現を待っていた (25節)私たちも同じよ。 うにキリストの再臨を待つべきである。 2 聖霊にキリストの現れる場所に導かれた (26∼27節)。 これは聖霊のいつもの導き方である (ヨハネ14:26、。 16:13∼14) ( 、 、 、 3 シメオンの祈り 29∼32節 イザヤ52:10 42:6 49:6)キリストを通して――平和、救い、光、栄光 4 シメオンの預言(33∼35節) a キリストの出現を通して、イスラエルがわけられる。 b しるし――キリスト御自身がこのしるしである (ルカ。 11:29∼32) c マリヤの心痛は 激 し い 。 d でも、キリストの死は大勢のためである。 C アンナ(36∼38節) 1 キリストを待っていたもう一人

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2 「断食と祈りをもって神に使えていた。」(37節)霊的に深い 女預言者 3 女預言者として証をしていた (38節)預言することは。 御言葉を語ることである。女預言者は男性を指導する人では ない (出エジプト記15:20、士師記4:4∼5、2。 列王記22:14∼20、2歴代誌34:22∼28、ネヘ ミヤ6:14、イザヤ8:3、使徒2:17∼18&21: 9、黙示録2:20、1コリント11:5) D ベツレヘムに帰った (39節)。 IX 博士たちとヘロデ(マタイ2:1∼23) A 博士たちの出現(1∼8節) 1 「博士」の原語はA0@3<(マゴス 。マゴスは昔のペルシア) から使われてきた言葉で、意味の広い言葉であるが(博士、 祭司、魔術者、科学者、占星家、など 、ここで「博士」とせ ん せ い か ) は正しい訳である。聖書に出るマゴスは―― a ダニエルと仲間たち(ダニエル1:20、2:2、4: 7、5:7&11、など) b バルイエス(使徒13:6∼11) c シモン(使徒8:9∼13、18∼24) 2 どこからであったか。ペルシアか。博士たちは同じ国から 来たと分かる (12節)。 3 「その方の星」――これは間違いない、奇跡の星であった。 (マタイ2:9 ある学者は科学的な説明をしようとするが) 、 全部不十分である。例えば、 a 二つの惑星が紀元前7年に近くなったが、あまりあま り よ く 見 え な か っ た し 、 ギ リ シ ャ 語 の 原 語 は 単 数 で あ る。 b 新星であった説明もあるが、新星は動かない。 4 ヘロデ王は、新しい王が産まれたと聞いて動転した。彼を

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見たエルサレム中の人々は、ヘロデを恐れた。 「 、 。」( ) 。 5 祭司長たち 学者たち 4∼6節 これは前祭司長を含む 6 6節は、ミカ5:2である。しかし、比べると、マタイ2:6 は直訳ではない。これはつまずきにならないように気をつけ 。 、 。 てほしい これはマタイの訳ではなく 学者たちの訳である 当時のユダヤ教の会堂では、意訳がよく使われていた。 7 ずるいヘロデは、博士の信頼を得た (7∼8節)。 B 博士の訪問(9∼12節) 1 これはかなりキリストの誕生の後であったかも知れない。 なぜなら―― a ヨセフとマリヤとイエスはもう、自分たちの家に住んで いたらしい。 b ヘロデは16節によると、イエスを殺そうとして、 ベツレヘムの「2才以下の男の子」を皆殺しにした 。 2 贈り物(11節)――三つあったので、三人の博士たちであっ たという伝説がある。でも、その伝説は博士が皆王であり、 南 に あ る ア ラ ビ ア か ら 来 た と 言 う か ら 、 間 違 っ て い る 。 a 黄金――これはキリストの王座を象徴しているかも知れ ない。 b 乳香――これはキリストの神性を象徴しているかも知れ ない。 c 没薬――これはキリストの死を象徴しているかも知れな い。 d 象徴を別にして、この贈り物は全部高価で あっ た 。 ゆ え に 、 エ ジ プ ト へ の 旅 行 と エ ジ プ ト で の 暮 ら し に 役 に 立 っ た 。 C エジプトへ(13∼15節) 、 、 1 当時 ユダヤ人は100万人ぐらいエジプトに住んでいたから 逃げて隠れ住むには、都合のよ い と こ ろ で あ っ た 。

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2 15節の預言はホセア11:1よりである。その箇所には、 イスラエルはメシヤを象徴した。 D ヘロデの怒り(16∼18節) 1 この事件は、マタイ伝以外に歴史に残っていない。でも、ベツ レヘムは小さい村で、殺された子は20人ぐらいだっただけ 、 。 かも知れないから これは歴史に残るほどの大事件ではない 2 18節はエレミヤ31:15より E ヨセフたちが帰る (19∼23節)。 1 神はイエスの道を守っておられた。 2 アケラオは、父ヘロデのように残酷であった (22節)。 3 「この方はナザレ人と呼ばれる。」(23節)この言葉を使う 預言がないが、キリストが見下げられると数多く預言されて いる (詩篇22:6∼8&13、69:8&20∼21;。 イザヤ書49:7、53:2∼3&8、ダニエル9:26) ナザレ人は評判が悪かった (ヨハネ7:41∼42、52。 ;1:46、使徒24:5) X 子 ど も の イ エ ス ( ル カ 2 : 4 0 ∼ 5 2 ) A イ エ ス の 成 長 ( 4 0 節 ) ― ― 人 間 に な ら れ た イ エ ス は 最 初 か ら 罪 も 罪 の 性 質 も な か っ た 。 し か し 、 完 全 な 人 間 も 成 長 し な け れ ば な ら な か っ た 。 1 「 強 く な り 」 ― ― 肉 体 的 な 成 長 ― ― イ エ ス は 普 通 の 人 間 の よ う に 、 大 き く な ら れ た 。 2 「 知 恵 に 満 ち て 行 っ た 」 精 神 的 な 成 長 。 人 間 に な ら れ た。 キ リ ス ト は 、 御 自 分 を 制 限 さ れ た の で ( ピ リ ピ 書 2 : 5 ∼ 8 、 マ タ イ 2 4 : 3 6 、 普 通 の 人 間 の よ う に 精 神 的) に も 成 長 し な け れ ば な ら な か っ た 。 3 「 神 の 恵 み が そ の 上 に あ っ た 」 十 字 架 の 犠 牲 の た め に 、。 色 々 な 準 備 が あ っ た ( ヘ ブ ル 5 : 8 ∼ 9 ) 神 は 十 字 架。 、 。( ) の こ と を 一 部 始 終 計 画 さ れ た ガ ラ テ ヤ 4 : 4 ∼ 5

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B 宮 に 行 か れ た 1 2 才 の イ エ ス ( 4 1 ∼ 5 0 節 ) 1 4 1 節 a 「 イ エ ス の 両 親 」 ― ― ル カ が こ の 事 件 を 述 べ た 理 由 は イ エ ス の 真 の 父 を 教 え る た め で あ っ た の で 、 こ れ が も ち ろ ん イ エ ス の 本 当 の 父 が ヨ セ フ で あ っ た と い う 意 味 で は な い 。 b ヨ セ フ と マ リ ヤ は 本 当 に 熱 心 な ユ ダ ヤ 人 で あ っ た か ら 、 毎 年 過 越 の 祭 り の た め に エ ル サ レ ム に 行 っ た 。 2 4 2 節 ― ― こ れ は イ エ ス が は じ め て 宮 に 行 っ た と き 。 普 通 は 1 3 才 に な っ た ら 、 宮 に 行 っ て 「 モ ー セ 五 書 の、 子 」 と い う 一 人 前 の 男 に な っ た が 、 1 1 才 か 1 2 才 の 男 の 子 も 時 々 宮 に 行 っ た 。 3 4 3 ∼ 4 5 節 ― ― エ ル サ レ ム に 帰 っ た ヨ セ フ と マ リ ヤ 。 イ エ ス が い な か っ た こ と に 気 が つ か な か っ た 理 由 は 、 グ ル ー プ と し て 旅 行 し た か ら で あ る 。 家 族 は 簡 単 に 別 々 に な っ た 。 ま た 、 イ エ ス は ヨ セ フ と マ リ ヤ の 信 頼 を 得 て い た か ら 、 自 分 で 歩 く こ と も で き た で あ ろ う 。 夕 食 の 時 間 に な っ た ら 、 ヨ セ フ と マ リ ヤ は イ エ ス が い っ し ょ で は な か っ た こ と に 、 と う と う 気 が つ い た ら し い 。 4 4 6 ∼ 4 7 節 a 「 三 日 の 後 に 」 ― ― 1 日 エ ル サ レ ム か ら 旅 行 し て 、 二 日 目 に エ ル サ レ ム に 到 着 し 、 三 日 目 に イ エ ス を 見 つ け た 。 b 生 徒 は 質 問 す る こ と が ユ ダ ヤ 教 の 教 育 の 方 法 で あ っ た 。 ラ ビ ( 先 生 ) が 聖 書 の 解 釈 の 問 題 を 出 し た と き 、 生 徒 が 質 問 で 解 決 し よ う と し た 。 c 1 2 才 の イ エ ス は も う 、 御 自 分 の 将 来 を 知 っ て お ら れ た に 違 い な い 。 大 人 に な っ た イ エ ス は 完 全 に 聖 書 を 知 っ て お ら れ た 。 5 4 8 節 ― ― ヨ セ フ と マ リ ヤ は も ち ろ ん 、 イ エ ス が メ シ ヤ

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で あ る こ と を 知 っ て い た 。 し か し 、 そ の 意 味 を 完 全 に 知 っ て い た わ け で は な か っ た か ら 、 イ エ ス を 誤 解 し て し ま っ た 。 ま た 、 人 間 の 母 は 当 然 に 心 配 し て い た 。 6 4 9 ∼ 5 0 節 。 、 a キ リ ス ト の 驚 き ― ― 彼 は 不 従 順 で は な か っ た た だ 母 の 誤 解 に 驚 い た 。 「 」 (「 」、 b 私 の 父 の 家 ― ― マ リ ヤ の 言 い 方 父 上 も 私 も 4 8 節 ) に 比 べ て く だ さ い 。 こ れ は イ エ ス の 神 性 を 証 明 す る 。 C イ エ ス の 成 長 が 続 く ( 5 1 ∼ 5 2 節 )。 1 子 ど も の イ エ ス は 一 度 も ヨ セ フ と マ リ ヤ に 反 抗 し な か っ た 。 か え っ て 「 仕 え ら れ た 」、 。 2 マ リ ヤ も 霊 的 に 成 長 し た 。 3 ま だ 説 教 さ れ て い な か っ た イ エ ス は 、 完 全 な 人 間 で あ っ た の で 、 当 然 皆 に 愛 さ れ て い た 。 4 こ の 間 、 ヨ セ フ は イ エ ス に 大 工 の 仕 事 を 教 え た ( マ タ イ。 1 3 : 5 5 、 マ ル コ 6 : 3 ) X I バ プ テ ス マ の ヨ ハ ネ の 奉 仕 ( マ タ イ 3 : 1 ∼ 1 7 、 マ ル コ 1 : 2 ∼ 1 1 、 ル カ 3 : 1 ∼ 2 2 ) A 「 神 の 言 葉 が … ヨ ハ ネ に 下 っ た。」( ル カ 3 : 1 ∼ 2 ) ル カ は 、 。 は っ き り と 歴 史 的 に ヨ ハ ネ の 奉 仕 が 始 ま っ た と き を 書 い た こ れ は A . D . 2 7 年 ご ろ で あ っ た 。 B 使 者 と 彼 の メ ッ セ ー ジ ( マ タ イ 3 : 1 ∼ 6 、 マ ル コ 1 : 2 ∼ 6 、 ル カ 3 : 3 ∼ 6 ) 1 メ シ ヤ の 使 い ( マ ル コ 1 : 2 ∼ 3 ) a 昔 の 中 東 ア ジ ヤ の 王 は 旅 行 し た と き に 、 使 い が 王 の 前 に 王 の 行 く と こ ろ が 大 丈 夫 か ど う か ( 道 、 町 、 な ど ) を 、 確 か め に 行 っ た 。 b 「 預 言 者 イ ザ ヤ の 書 に こ う 書 い て あ る。」( マ ル コ 1

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: 2 ) 実 は 、 マ ル コ 1 : 2 ∼ 3 は 、 マ ラ キ 3 : 1 と イ ザ ヤ 4 0 : 3 よ り 。 し か し 、 聖 書 に 誤 り が な い 。 こ の 問 題 を 本 文 批 評 で 解 決 が で き る 「 預 言 者 等 の。 う ち に。」( 永 井 訳 ) と 書 い て あ る 古 い 写 本 も 沢 山 あ る 。 2 ヨ ハ ネ の バ プ テ ス マ ( 浸 礼 ) 「 」 、 a こ れ は 罪 が 赦 さ れ る た め の バ プ テ ス マ で は な く 「 罪 が 赦 さ れ る た め の 悔 い 改 め の バ プ テ ス マ。」( マ ル コ 1 : 4 ) つ ま り 、 ヨ ハ ネ は バ プ テ ス マ に よ る 救 い を 教 え な か っ た 。 b も ち ろ ん 、 こ れ は 浸 す バ プ テ ス マ で あ っ た 。 注 ぐ 洗 礼 で あ っ た な ら ば 、 ヨ ル ダ ン 川 に 行 く 必 要 が な か っ た 。 c 「 悔 い 改 め 」 ① ギ リ シ ャ 語 は A7=093?0メ タ ノ イ ア で あ る 。 意 味 は 「 心 を、 変 え る こ と 、 考 え の 変 更 、 考 え 方 の 根 本 を す っ か り 変 え る こ と。」 「( 新 約 聖 書 ギ リ シ ャ 語 小 辞 典 」、織 田 昭 編 、p. 215) ② ど う い う 考 え 方 を 変 え る べ き か 。 罪 に つ い て 、 自 分 に つ い て 、 キ リ ス ト に つ い て 、 福 音 に つ い て の 考 え 方 で あ る 。 ③ 考 え 方 を 変 え る と 、 も ち ろ ん 行 い も 変 わ る 。 ヨ ハ ネ は こ れ を 説 教 し た ( マ タ イ 3 : 8 )。 ④ こ れ が 行 い の 救 い で は な い 。 新 し く 生 ま れ る 奇 跡 で あ る 。 d ユ ダ ヤ 教 に も バ プ テ ス マ の よ う な 洗 い が あ っ た 。 し か し 、 そ れ は ユ ダ ヤ 教 徒 が 自 分 に や っ た 儀 式 で あ っ た の で 、 ヨ ハ ネ の バ プ テ ス マ に 関 係 が な か っ た 。 C ヨ ハ ネ の 生 活 ( マ タ イ 3 : 4 、 マ ル コ 1 : 6 ) 1 「 ら く だ の 毛 で 織 っ た も の を 着 て 」 エ リ ヤ も こ ん な 物 を。

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着 た ( 2 列 王 記 1 : 8 ) こ の よ う な 上 品 の 服 も あ っ た。 が 、 ヨ ハ ネ の は 普 通 の で あ っ た ろ う 。 2 「 腰 に 皮 の 帯 を 締 め 」 現 代 は 皮 が 高 い が 、 昔 は そ う で は。 な か っ た 。 3 「 い な ご と 野 蜜 を 食 べ て い た 」 い な ご は 律 法 に 許 さ れ て。 い た ( レ ビ 1 1 : 2 2 ) 現 代 の ア ラ ブ 人 も い な ご を 食。 べ る そ う で あ る 。 D ヨ ハ ネ の 聞 き 手 ( マ タ イ 3 : 5 、 マ ル コ 1 : 5 ) 1 0 0 万 人 に な っ た か も 知 れ な い 。 3:7 12 1:7 8 3:7 E ヨ ハ ネ の 説 教 の 例 ( マ タ イ ∼ 、 マ ル コ ∼ 、 ル カ ∼ 18) 1 そ れ ぞ れ の 人 に 対 し て 、 相 当 す る 忠 告 が あ っ た ( パ リ サ。 イ 人 、 サ ド カ イ 人 、 取 税 人 、 兵 士 、 群 衆 ) ( 、 、 2 キ リ ス ト に 関 す る 説 教 マ タ イ 3:11 ∼ 12 ル カ 3:15 ∼ 18 マ ル コ 1:7 ∼ )8 a 「私 よ り も 更 に 力 の あ る 方 が お い で に な り ま す。」(ル カ :3 16) b 「 そ の 方 は 、 あ な た が た に 聖 霊 と 火 と の バ プ テ ス マ を お 授 け に な り ま す。」( マ タ イ 3 : 1 1 、 ル カ 3 : 1 6 ) こ れ に 解 釈 が 二 つ あ る 。 ① 一 つ 目 の 解 釈 ― ― こ れ は 五 旬 節 ( ペ ン テ コ ス テ ) の 日 に 、 聖 霊 が 下 っ た と き に 「 炎 の よ う な わ、 か れ た 舌 ( 使 徒 2 : 3 ) と い う こ と を 示 し て」 い る そ う で あ る 。 ② 二 つ 目 の 解 釈 ― ― キ リ ス ト が 授 け ら れ る 「 火 の バ プ テ ス マ 」 と は 、 地 獄 の こ と で あ る 。 こ れ は こ の ア ウ ト ラ イ ン の 著 者 が 認 め る 解 釈 で あ る 。 な ぜ な ら 、 前 後 関 係 ( 特 に マ タ イ 3 : 1 2 、 ル カ 3 : 1 7 ) は は っ き り と 裁 き の こ と を 教 え て い る 。

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X I I キ リ ス ト の バ プ テ ス マ ( マ タ イ 3:13 ∼ 17、 マ ル コ 1:9 ∼ 11、 ル カ 3:21∼ 23) A キ リ ス ト は バ プ テ ス マ を 受 け に ヨ ハ ネ の と こ ろ に 行 か れ た 。 B バ プ テ ス マ を 受 け ら れ た 理 由 ( マ タ イ 3 : 1 4 ∼ 1 5 ) 1 「 す べ て の 正 し い こ と を 実 行 す る の は 、 私 た ち に ふ さ わ し い の で す 」。 a こ れ は キ リ ス ト に 悔 い 改 め の 必 要 が あ っ た と い う 意 味 で は な い 。 b キ リ ス ト は バ プ テ ス マ に お い て 私 た ち の 模 範 と な っ て く だ さ っ た 。 2 キ リ ス ト の 犠 牲 の 象 徴 と し て ( ロ ー マ 6 : 1 ∼ 4 ) 3 聖 霊 の 力 を 与 え ら れ る た め に 4 バ プ テ ス マ の ヨ ハ ネ の 奉 仕 や 預 言 を 認 め る た め に C 授 け 方 ― ― 浸 礼 1 「 水 の 中 か ら 上 が ら れ る と … ( マ ル コ 1 : 1 0 ) も し」 注 ぐ 洗 礼 で あ っ た な ら ば 「 水 の 中 か ら 上 が ら れ る 」 は、 ず は な い 。 2 バ プ テ ス マ の ギ リ シ ャ 語 の 意 味 は 「 浸 す こ と 」 で あ る 。 コ イ ネ ー ・ ギ リ シ ャ 語 も 文 語 ギ リ シ ャ 語 も 現 代 ギ リ シ ャ 語 も 同 じ 。 3 注 ぐ こ と だ け で あ れ ば 、 象 徴 を こ わ し て し ま う 。 そ う す る と 、 象 徴 の 意 味 は キ リ ス ト の 死 の 代 わ り に 、 救 い の 洗 い ( 儀 式 に よ る 救 い ) に な っ て し ま う 。 ( 、 、 ) D 聖 霊 の 力 マ タ イ 3 : 1 6 マ ル コ 1 : 1 0 ル カ 3 : 2 2 、 。 1 聖 霊 は よ く 旧 約 聖 書 の 時 代 に 奉 仕 者 の 上 に と ど ま っ た (民 数 記 1 1 : 2 5、2 4 : 2、士 師 記 6 : 3 4、な ど) a そ の 時 代 に 、 聖 霊 は 時 々 し か 、 人 間 に の 心 お 入 り に な ら な か っ た ( 民 数 記。 27:18、 出 エ ジ プ ト 記 3 5 :31、 ル カ :1 15、41、67)

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b な ぜ な ら 、 人 間 の 心 は ま だ 、 イ エ ス の 血 に よ っ て 聖 め ら れ る こ と が で き な か っ た 。 十 字 架 の 後 か ら 、 聖 霊 は 人 間 の 聖 め ら れ た 心 に お 入 り に な ら れ た。(ヨ 、 、 、 ハ ネ 1 4 : 1 6 ∼ 1 7 2 0 : 2 2 ロ ー マ 8 : 9 エ ペ ソ 2 : 2 2 ) c ま た 、 旧 約 聖 書 に は 、 ユ ダ ヤ 教 は 神 殿 を 持 っ て い た が 、 教 会 時 代 の 神 殿 は 信 者 の 心 で あ る ( 1 コ リ ン。 ト 3 : 1 6 ∼ 1 7 、 6 : 1 9 ∼ 2 0 ) d 五 旬 節 ( ペ ン テ コ ス テ ) の 日 に 、 弟 子 た ち は 聖 霊 に 満 た さ れ た ( 使 徒 2 : 4 )。 2 キ リ ス ト の バ プ テ ス マ の と き 、 聖 霊 は 彼 の 上 に と ど ま ら れ た が、キ リ ス ト は 奉 仕 の た め に 聖 霊 に 満 た さ れ た。(ル ) 。 カ 4 : 1 こ れ は 旧 約 聖 書 と 新 約 聖 書 の つ な が り で あ る 3 な ぜ キ リ ス ト は 聖 霊 に 満 た さ れ る 必 要 が あ っ た で あ ろ う か 。 a こ れ は ち ょ う ど キ リ ス ト が 奉 仕 を 始 め ら れ る と き で あ っ た ( ル カ 3 : 2 2 ∼ 2 3 ) キ リ ス ト は 真 の 神。 で あ っ た の で 、 御 自 分 の 力 で 、 奉 仕 を な さ る こ と が で き た が 、 聖 霊 に 満 た さ れ た 。 b こ れ は 、 私 た ち 人 間 の 模 範 の た め で あ っ た 。 キ リ ス ト は す べ て の 奉 仕 を 聖 霊 の 力 に よ っ て な さ れ た 。 ( 使 徒 1 0 : 3 8 ) c 私 た ち も 、 キ リ ス ト に 習 っ て 、 自 分 の 力 を 捧 げ て 、 す べ て の 奉 仕 を 聖 霊 の 力 に よ っ て す べ き で は な い か ( 1 ペ テ ロ 2 : 2 1 )。 E 「 こ れ は 、 私 の 愛 す る 子 、 私 は こ れ を 喜 ぶ。」( マ タ イ 3:17) 1 こ う し て 、 父 な る 神 は 二 つ の こ と を な さ っ た 。 a 神 は キ リ ス ト の 神 性 を 認 め ら れ た 。 昔 の 中 東 の 人 々 が 「 神 の 子 」 と 聞 い た ら 、 す ぐ 「 神 で あ る 」 と、 い う 意 味 を 理 解 し た ( ヨ ハ ネ 5 : 1 8 )。

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b ま た 、 神 は キ リ ス ト の 、 そ の と き か ら な さ る 奉 仕 を も 認 め ら れ た 。 2 こ う し て 、 キ リ ス ト の バ プ テ ス マ の と き に 、 三 位 一 体 の 教 理 、 ま た 事 実 が 教 え ら れ た 。 X I I I キ リ ス ト の 誘 惑 ( マ タ イ 4 : 1 ∼ 1 1 、 マ ル コ 1 : 1 2 ∼ 1 3 、 ル カ 4 : 1 ∼ 1 3 ) A 聖 霊 の 導 き 1 マ タ イ と マ ル コ に よ る と 、 こ れ は バ プ テ ス マ の す ぐ 後 で あ っ た 。 2 キ リ ス ト も 聖 霊 の 導 き に 従 わ れ た 。 こ れ も ま た 、 信 者 の 模 範 と し て で あ っ た 。 3 聖 霊 に 満 た さ れ て い な い 人 は 、 聖 霊 に 導 か れ る こ と も な い 。 4 マ ル コ 伝 1 : 1 2 に よ る と 「 そ し て す ぐ 、 御 霊 は イ エ ス、 を 荒 野 に 追 い や ら れ た 」 こ の 誘 惑 は と て も 大 事 で あ っ。 た ら し い 。 B サ タ ン ― ― こ れ は ヘ ブ ル 語 の 名 前 で 、 意 味 は 「 敵 」 で あ る 。 C 4 0 日 間 の 断 食 1 マ ル コ 1 : 1 3 に よ る と 、 キ リ ス ト の 誘 惑 は 4 0 日 間 か か っ た ら し い 。 実 は 、 キ リ ス ト の す べ て の 奉 仕 は 、 サ タ ン と の 戦 い で あ っ た 。 こ の 三 つ の 特 別 な 誘 惑 は 、 4 0 日 間 の 断 食 の 後 で 行 わ れ た ( マ タ イ 4 : 2 ∼ 3 )。 2 こ の 4 0 日 間 に は 、 象 徴 的 な 意 味 も あ る 。 a モ ー セ も 4 0 日 間 、 山 の 上 に い た ( 出 エ ジ プ ト 2 4。 : 1 8 ) モ ー セ は 律 法 の 代 表 者 で あ る 。 b エ リ ヤ も 、 預 言 者 の 代 表 者 と し て 、 4 0 日 間 荒 野 に い た ( 1 列 王 記 1 9 : 8 、 1 5 )。 D 三 つ の 誘 惑 1 「 こ の 石 が パ ン に な る よ う に 、 命 じ な さ い 」。

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a こ れ は 肉 体 に 対 す る 誘 惑 で あ っ た 。 4 0 日 間 の 断 食 を 終 え ら れ た ば か り の イ エ ス は き っ と 、 お な か が と て も す い て い た 。 b も し キ リ ス ト は サ タ ン の 言 う 通 り に し た と す れ ば 、 わ が ま ま の 罪 に な っ て し ま っ た 。 ま た 、 プ ラ イ ド も 誘 惑 さ れ た 。 c キ リ ス ト は 御 言 葉 ( 申 命 記 8 : 3 ) で サ タ ン と 戦 わ れ た ( エ ペ ソ 6 : 1 7 、 ヘ ブ ル 4 : 1 2 )。 d キ リ ス ト は 、 霊 的 な こ と が 物 質 的 な こ と よ り 大 事 で あ る こ と が 分 か っ て お ら れ た ( 1 テ モ テ 4 : 7 ∼。 8 ) 2 「 あ な た が 神 の 子 な ら 、 下 に 身 を 投 げ て み な さ い 」。 a 「 神 殿 の 頂 」 こ の 「 神 殿 」 と は 「 ナ オ ス ( 神 殿 、。 、 」 そ の 物 ) で は な く 「 ヒ エ ロ ン ( 神 殿 と 関 係 が あ る、 」 回 り の 建 物 ) と い う 言 葉 で あ る 。 こ の 頂 は ど の 建 物 の で あ っ た か は 、 不 明 で あ る 。 b サ タ ン も 聖 書 が 使 え る 。 キ リ ス ト 教 の 異 端 は ほ と ん ど 聖 書 の 霊 感 を 認 め る 。 問 題 は 霊 感 で は な く 、 正 し く て 文 字 通 り の 解 釈 な の で あ る 。 c こ れ は 、 神 を 試 す 罪 を 犯 す 誘 惑 で あ っ た 。 d 今 度 は 人 間 の 霊 に 対 す る 誘 惑 で あ っ た 。 偽 物 の 信 仰 ( 神 を 試 す 信 仰 ) は 霊 的 な 問 題 で あ る 。 e キ リ ス ト は ま た 、 御 言 葉 を 使 っ て 戦 わ れ た 。 3 「 も し ひ れ 伏 し て 私 を 拝 む な ら 、 こ れ を 全 部 あ な た に 差 し 上 げ ま し ょ う 」。 a サ タ ン は 、 十 字 架 な し の 王 国 で キ リ ス ト を 誘 惑 し て い た 。 こ れ は キ リ ス ト の 魂 に 対 す る 誘 惑 で あ っ た 。 b こ の 誘 惑 の 罪 は 偶 像 崇 拝 で あ っ た 。 サ タ ン は イ エ ス が 彼 の 権 威 と 主 権 を 認 め て 欲 し か っ た 。 偶 像 崇 拝 の 裏 に 、 悪 魔 が い つ も い る こ と を 覚 え な け れ ば な ら な

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い ( 1 コ リ ン ト 1 0 : 1 9 ∼ 2 0 )。 c こ の 誘 惑 に も 、 キ リ ス ト は 御 言 葉 を 使 っ た 。 彼 に 習 っ て 、 私 た ち も 、 誘 惑 に 勝 つ た め に 御 言 葉 で い っ ぱ い に な る べ き で あ る 。 E 神 学 的 に 考 え よ う 。 1 キ リ ス ト は 本 当 に 罪 を 犯 さ れ る 可 能 性 が あ っ た か 。 イ エ ス に は 罪 の 性 質 が な か っ た の で 、 こ れ は ち ょ っ と 想 像 が つ か な い 。 し か し 、 こ の 解 釈 の 問 題 を 解 決 し よ う と す れ 、 。 ば 一 番 大 事 な ポ イ ン ト を 見 失 っ て し ま う 可 能 性 が あ る つ ま り 、 キ リ ス ト は 罪 を 一 つ も お 犯 し に な ら な か っ た 。 ( ヘ ブ ル 4 : 1 5 ∼ 1 6 ) 2 こ の 誘 惑 は 肉 、 世 、 悪 魔 自 身 に 関 す る 誘 惑 で あ っ た 。 X I V キ リ ス ト の ガ リ ラ ヤ の 奉 仕 A ガ リ ラ ヤ に 帰 ら れ た ( マ タ イ 4 : 1 7 、 マ ル コ 1 : 1 4 ∼。 1 5 、 ル カ 4 : 1 4 ∼ 1 5 ) 1 聖 霊 の 力 で 奉 仕 を な さ っ て い た ( ル カ 4 : 1 4 )。 2 キ リ ス ト の 奉 仕 の 最 初 に 、 メ ッ セ ー ジ は ヨ ハ ネ の と 代 わ り が な か っ た こ と を 覚 え て く だ さ い ( マ タ イ 3 : 1 ∼。 2 、 な ど ) こ う し て ま た 、 キ リ ス ト は ヨ ハ ネ と の つ な が り が あ っ た 。 3 こ の 前 に 、 イ エ ス は あ ち ら こ ち ら で 奉 仕 を な さ っ た 。 ( ヨ ハ ネ 1 : 3 5 ∼ 4 : 5 4 ) 4 キ リ ス ト は 約 1 年 半 、 ガ リ ラ ヤ で 奉 仕 を な さ っ た 。 B ナ ザ レ で 拒 ま れ た ( ル カ 4 : 1 6 ∼ 3 1 ) 1 会 堂 で イ ザ ヤ 書 を 読 ま れ た ( 1 6 ∼ 2 1 節 )。 a 「 い つ も の 通 り 安 息 日 に 会 堂 に 入 り … 」 イ エ ス は 忠。 実 に 集 会 に 出 席 さ れ た 。 b 「 預 言 者 イ ザ ヤ の 書 が 手 渡 さ れ た 」。 ① こ れ は イ ザ ヤ 書 6 1 : 1 ∼ 3 前 半 に 、 4 2 : 1 8

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。 、 、 を 入 れ た 訳 で あ っ た ま た 7 0 人 訳 の 影 響 で 新 約 聖 書 と 旧 約 聖 書 が ち ょ っ と 違 う 。 ② イ エ ス は 注 意 深 く 、 イ ザ ヤ 6 1 : 2 の 真 中 ま で だ け 読 ま れ た 。 な ぜ な ら 、 2 節 の 後 半 か ら は 、 再 臨 の こ と を 預 言 し て い る 。 ③ こ こ で ま た 、 キ リ ス ト は 全 て の 奉 仕 を 聖 霊 の 力 で な さ る こ と は 教 え ら れ た 。 ④ イ エ ス の 解 釈 を 考 え て く だ さ い 。 聖 書 を 全 体 、 同 時 に 考 え ら れ て い た 。 こ れ は 正 し い 解 釈 に 大 事 な こ と で あ る 。 聖 書 の 一 番 大 き い 前 後 関 係 は 聖 書 自 体 で あ る 。 2 ナ ザ レ 人 の 反 応 ― ― 驚 い た ( 2 2 節 )。 3 キ リ ス ト の メ ッ セ ー ジ ( 2 3 ∼ 2 7 節 ) a キ リ ス ト の う わ さ は ナ ザ レ に も 伝 え ら れ て い た 。 し か し 、 ナ ザ レ 人 は 受 け 入 れ ら れ な か っ た 「 預 言 者。 は 誰 で も 、 自 分 の 郷 里 で は 歓 迎 さ れ ま せ ん。」( 2 4 節 ) こ れ は 本 当 で あ る 。 b イ エ ス は 、 信 仰 の な い 人 々 は 、 昔 の 預 言 者 た ち を も 受 け 入 れ な か っ た と 教 え ら れ た 。 4 ナ ザ レ 人 の 怒 り ( 2 8 ∼ 3 0 節 ) ― ― 自 分 の こ と を 言 っ て お ら れ る こ と に 気 が つ い た ナ ザ レ 人 は 、 イ エ ス を 殺 そ 。 、 「 。」 う と し た し か し イ エ ス は 奇 跡 で 消 え て し ま わ れ た 似 て い る 奇 跡 は ル カ 2 4 : 1 6 や 2 4 : 3 6 に あ る 。 C カ ペ ナ ウ ム の お 住 い ( マ タ イ 4 : 1 3 ∼ 1 6 ) ― ― こ の 預 言 は イ ザ ヤ 8 : 2 3 と 9 : 1 ∼ 2 よ り で あ る 。 D 弟 子 と し て 選 ば れ た 漁 師 ( マ タ イ 4 : 1 8 ∼ 2 2 、 マ ル コ 1 : 1 6 ∼ 2 0 、 ル カ 5 : 1 ∼ 1 1 ) 1 ヨ ハ ネ 1 : 4 0 ∼ 4 2 に よ る と 、 ぺ テ ロ た ち は 前 に キ リ ス ト に つ い て 行 っ た こ と が あ っ た が 、 今 度 は 特 別 に 召 さ れ た 。

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、 。 、 2 当 時 の 生 徒 は 本 当 に 先 生 に つ い て 歩 い て 行 っ た ま た 勉 強 だ け で は な く 、 訓 練 も し た 。 3 こ の 弟 子 た ち は た だ の 貧 し い 漁 師 だ け で は な く 、 家 族 は 会 社 を 持 っ て い た ら し い ( マ ル コ 1 : 2 0 ) ま た 、 ペ。 テ ロ た ち は 、 キ リ ス ト に つ い て 行 く た め に 、 た く さ ん の 物 を 残 し た み た い ( マ タ イ 1 9 : 2 7 )。 4 魚 の 奇 跡 ( ル カ 5 : 4 ∼ 1 1 ) a ペ テ ロ は こ こ で 信 仰 を 表 し た 。 プ ロ の 漁 師 な の に 、 大 工 さ ん に 聞 い て 仕 事 を し た 。 b こ の 奇 跡 は ペ テ ロ た ち に と っ て 、 し る し と な っ た 。 今 ま で 、 イ エ ス を 尊 敬 し て い た が 、 こ の 奇 跡 を 通 し て イ エ ス を 神 の 御 子 と し て 信 じ た 。 こ れ は ぺ テ ロ の 救 い で あ っ た か も 知 れ な い 。 E 会 堂 で 追 い 出 さ れ た 悪 霊 ( マ ル コ 1:21~28、 ル カ 4:31~37) 1 「 イ エ ス が 、 律 法 学 者 た ち の よ う に で は な く 、 権 威 あ る 者 の よ う に 教 え ら れ た か ら で あ る。」( マ ル コ 1 : 2 2 ) こ れ は イ エ ス が 直 接 に 神 の 御 言 葉 を 教 え ら れ た か ら で あ る 。 律 法 学 者 た ち は 自 分 に 権 威 が な い と 思 っ て い た 。 2 「 汚 れ た 霊 」 a こ の 悪 霊 は イ エ ス を 知 っ て い た 。 目 で 見 え な い 世 界 の 者 ( 悪 魔 と 御 使 い ) は 互 い に 知 っ て い る ( ヨ ブ。 1 : 6 、 ダ ニ エ ル 1 0 : 1 3 、 2 0 、 ヤ コ ブ 2 : 1 9 ) b キ リ ス ト は 悪 霊 に 命 令 す る 権 威 を 持 っ て お ら れ た 。 ( マ ル コ 1 : 2 5 ∼ 2 7 、 ル カ 4 : 3 5 ∼ 3 6 ) 私 た ち は 悪 霊 に 敵 対 す る た め に 、 武 器 が 要 る ( エ ペ。 ソ 6 : 1 2 ) ① 清 い 生 活 ( エ ペ ソ 6 : 1 4 ) ② 信 仰 ( エ ペ ソ 6 : 1 6 ) ③ 聖 書 ( エ ペ ソ 6 : 1 7 )

参照

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