Title
紀初頭の旅行ガイドブックを用いた把握( fulltext )
Author(s)
加賀美,雅弘
Citation
東京学芸大学紀要. 人文社会科学系. II, 61: 47-59
Issue Date
2010-01-00
URL
http://hdl.handle.net/2309/107209
Publisher
東京学芸大学学術情報委員会
Rights
1.はじめに カリフォルニア州最大の人口を抱えるロサンゼルス はビジネスの中心地として知られ,工業が集積し,農 産物の取引など多角的な機能を兼ね備える大都市圏を 形成している。面積1,290km2のロサンゼルス市に加 えて,隣接する市部を合わせた4,320km2を合わせた 広大な市街地は,実質的な大都市ロサンゼルスとみな してよいだろう。 ロサンゼルスの市街地がいかに広大であるかは,た とえば同じ経済先進地域であるヨーロッパの都市との 比較により容易に理解できる。ヨーロッパにはロサン ゼルスほどの巨大な市街地をもつ都市は存在しない。 ヨーロッパ最大クラスの市街地面積を誇る大ロンドン が1,706km2,ドイツ最大の都市ベルリンの市街地は わずか890km2ほどの市域におさまる程度にすぎない。 ロサンゼルスの広大な市街地が形成された背景には さまざまな要因があげられるが,とりわけ1930年代以 降のモータリゼーションの進行は,それまでロサンゼ ルス市街地に張り巡らされていた密度の高い鉄道網の 撤去と,それに代わる道路網の郊外に向けた整備を押 し進め,住宅や工場,商店などの建設による市街地の 急激な拡張をもたらした。 このような都市の変化については,都市交通の発達 に伴うアメリカ合衆国の都市の発展プロセスを4つの 時期に分けて整理した小長谷(1990)の説明が理解し やすい。これによると,1920年頃までのアメリカの都
モータリゼーション以前のロサンゼルスの市街地
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0世紀初頭の旅行ガイドブックを用いた把握――
加賀美
雅
弘
地理学
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9年8月3
1日受理)
要 旨 この小論では,ロサンゼルスの市街地が1920年代以降のモータリゼーションの進行とともに急速に拡大したこと から,それ以前の都市景観と都市発達のプロセスを検討し,ロサンゼルスの市街地の特徴についての考察を試み た。具体的には,20世紀初頭に出版された旅行ガイドブックであるベデカー『アメリカ合衆国』を取り上げ,そこ に紹介されているロサンゼルスに関する記述内容を整理し,検討した。その結果,当時のロサンゼルスの注目され る景観として,①工業化の時代に由来する都市の社会経済的発展を示す近代的な建造物や景観,モータリゼーショ ン以前の市街地の郊外化によってもたらされた新しい都市景観,文化的・社会的多様性を示す多民族的な景観,ロ サンゼルスやアメリカ合衆国の経済的繁栄ぶりを示す海岸や街路の商工業景観,があることを指摘することができ た。また,これらの景観のほとんどが中心市街地に限らず,かなり広い地域に分散して立地していることから,す でにこの時期において都市の機能が都市中心部ばかりでなく,郊外に分散する傾向を持っていたと考えられる。一 方,近年においてロサンゼルスの市街地整備や観光地化が進む過程において,20世紀初頭のガイドブックに描写さ れた場所や建造物がロサンゼルスの歴史や文化・発展のシンボリックな意味を高めつつあることなどが考察され た。 キーワード:都市景観,旅行ガイドブック,ベデカー,モータリゼーション,ロサンゼルス * 東京学芸大学(184―8501 小金井市貫井北町4―1―1)市は,徒歩や馬車,路面電車を利用した移動が中心 で,市街地もさして大きくはなかった。市街地の拡張 は,その後のモータリゼーションの発達によって飛躍 的に進んだ。すでに路面電車時代に郊外化の傾向が現 れていたものの,自動車の普及によって市街地は拡大 を続け,今日の巨大な都市を形成するに至っている1)。 実際,20世紀初頭のロサンゼルスは,すでに市街地 の郊外化が進んでいたものの,建物が比較的密集して いたのは現在のロサンゼルスの中心市街地とその周辺 に限られていた。野菜やかんきつ類など農産物の集散 地として,また油田開発に伴う石油化学工業など産業 の 発 達 と と も に 都 市 は 成 長 し,1900年 に102,479人 だった人口は1910年には319,198人。サンフランシス コに次ぐカリフォルニアきっての大都市になってい た。しかし,それが1930年代以降のモータリゼーショ ンの進行とともに郊外化の動きを一段と強め,多くの 機 能 が 分 散 し て 立 地 す る よ う に な る。そ れ は ま さ に,1944年にハリスとウルマンが提示した都市の多核 心モデルにあてはまるような都市構造であった(ノッ クス・ピンチ,2005)。 現在あるロサンゼルスの広大な市街地は,紛れもな くモータリゼーションの進行によって形成されてきた ものである。この点で,同じくモータリゼーションを 経験していながら市街地の状況が大きく異なるヨー ロッパの都市との対比が興味深い。モータリゼーショ ン以前において,ロサンゼルスの市街地は,どのよう な特徴を持っていたのであろうか。この小論では,20 世紀初頭のロサンゼルスの市街地を記述した旅行ガイ ドブックを用いて観光スポットとして描かれている場 所や建造物を拾い上げ,ロサンゼルスの市街地の特徴 をあぶりだすことにする。 2.都市理解のための旅行ガイドブック 筆者はこれまでヨーロッパの都市を対象にして,現 在ある都市の構造が基本的には近代化の時代以降,ほ ぼ一貫して維持されていること,特に中心市街地が多 くの機能が集積するだけでなく,都市の歴史や文化を 象徴する場所にもなってきた点を指摘した(加賀美, 2007)。中心市街地を,歴 史 的 景 観 が 積 極 的 に 残 さ れ,過去の空間が再現された魅力的空間と述べた都市 地理学者 Lichtenberger の指摘(Lichtenberger,2002) にもあるように,この個性ある中心市街地の存在が ヨーロッパの都市の特徴の1つになっている。 このようなヨーロッパの都市の特徴を解明する上 で,政治や経済,文化の諸機能が凝集し,都市を代表 する空間となっている中心市街地の特質解明は不可欠 であり,これまで関連施設の立地や景観,財や情報の 移動など,さまざまな側面から検討されている。これ に対して筆者は,旅行ガイドブックが都市の特徴を知 るための資料として有用であると考え,その記述内容 を踏まえた都市の描写を試みてきた(加賀美,2008; 2009)。 旅行ガイドブックは,そもそも旅行者向けに都市の 見どころを案内するものである。その際,特定の場所 や建物などを観光の対象として選定するには,その歴 史や文化的価値,希少性や知名度などさまざまな尺度 が用いられている。しかし,いずれもその都市の歴史 や文化と何らかのかかわりがあるはずであり,旅行者 が観光スポットを訪ねて満足できるのは,それによっ てその都市を訪れたことの証しになるからである。 このことから考えられるのは,観光スポットとして 旅行ガイドブックに紹介されている場所や建物は,そ の都市を旅行者あるいは外部者がどのように見ている かによって決まってくるであろうことである。旅行者 あるいは外部者にとって,その都市を著名にしている 歴史や文化,産業が関心の向くところになりやすい (ア ー リ,1995)。た と え ば オ ー ス ト リ ア の 首 都 ウィーンは,今なおハプスブルク帝国の遺産である建 築物や景観,文化財が観光客にとって最も魅力あるも のであり続けている。それは,旅行者にとってウィー ンが20世紀初頭までのこの町の歴史と文化の町として 理解されているからである。 しかも旅行ガイドブックの記述内容は,旅行客が訪 れる場所を限定し,彼らの行動を規定しやすい。ガイ ドブックの功罪は,そこに紹介される特定の場所や建 物が「訪ねるべき」とされ,それによって満足感を得 るような観光が行われるようになる点である(西村, 1997)。その結果,特定の歴史や文化,産業などによっ てその都市を理解するような固定化した理解の仕方が 生まれている。現在のウィーンにおいて,ハプスブル ク関連施設の改修・整備が進められ,観光客向けにハ プスブルク関連のイベントがますます充実しているの もこうした理由によって説明できる。 以上のように旅行ガイドブックには,都市を代表す る場所や建物が紹介されている。ヨーロッパの都市が 観光地として注目されるようになった20世紀初頭の旅 行ガイドにおいて,すでに観光スポットは中心市街地 にほぼ限定されており,それゆえに CBD となってい る中心市街地の存在がヨーロッパの都市の特徴とみな すことができる。 では,同じことがロサンゼルスにも言えるのであろ
うか。ヨーロッパの都市のような中心市街地が存在 し,観光地化とともにその特徴は顕在化しているので あろうか。ヨーロッパの都市との対比を念頭に置く と,ロサンゼルスの都市の特徴はどのように描けるの であろうか。そこでこの小論では,ヨーロッパの都市 の特徴を検討する際に利用した20世紀初頭のロサンゼ ルスに関する旅行ガイドブックの記述内容を踏まえ て,都市に向けられたまなざしをたどりながら,市街 地の特徴を描くことにした。 具体的には,1909年に発行されたベデカー Baedeker の 旅 行 ガ イ ド ブ ッ ク『ア メ リ カ 合 衆 国 The United States』に掲載されたロサンゼルスの項に関する記述 内容を用いた考察を行う。ベデカーの旅行ガイドブッ クは19世紀の前半にドイツの出版社により刊行されて 以来,20世紀前半にかけてヨーロッパで最も高く評価 された旅行ガイドブックである(中川,1979)。20世 紀初頭には,ヨーロッパ諸地域をはじめ,エジプトや ロシア,アメリカ合衆国など当時のヨーロッパの旅行 者が注目した地域についての旅行ガイドブックが多数 刊行された。その網羅的な記述内容と詳細な地図には 定評があり,旅行者の要望に対応するのみならず,諸 地域に関する情報源としての意味も多分に持ってい た。また,ベデカーは自動車旅行が普及する前の徒歩 と鉄道を利用した旅行を対象にしたガイドブックであ る(中川,1979)。公共交通機関を中心にした生活行 動を念頭に置いたベデカーのガイドブックは,当時の 地域の状況を知る上で貴重な資料といえよう。 3.ベデカーの旅行ガイドブック『アメリカ合衆国』 ベデカーの旅行ガイドブックは19世紀前半に出版が 開始されて以来,ドイツをはじめヨーロッパ諸国を中 心にした編集を進めた。当初はドイツ語圏の読者を対 象にしたドイツ語版のみが出されたが,次第にその マーケットを広げるため,19世紀後半以降,英語やフ ランス語による編集も拡充され,読者を飛躍的に増や した。 『アメリカ合衆国』は,ドイツ語版とともに英語版 とフランス語版が出版された。ベデカー旅行ガイド ブックの出版状況を整理した中川(1979)によれば, 英語版の初版年は不明だが,1899年に第二版,1904年 に 第 三 版,そ し て1909年 に 第 四 版 が 続 い た。こ の 間,5年ごとに改訂版が出されたが,第一次世界大戦 とともに出版の勢いは途切れる。20世紀初頭,欧米諸 国で次第に旅行への関心が高まる中,アメリカ合衆国 も観光旅行の目的地として注目されたのである。 英語版の序文には,これがイギリスおよびアメリカ 合衆国の旅行者向けに編集されたものであることが述 べられており,扉にはロンドンとニューヨークの出版 所が記されている。しかし,合衆国内の各地に関する 記述に先立って序論では,通貨をはじめホテル,レス トラン,郵便などヨーロッパとは異なるアメリカの様 式が強調されており,またヨーロッパ各地からニュー ヨークまでの交通手段,特にイギリスのリバプールや サザンプトン(フランスのシェルブール経由),ドイ ツのハンブルクからの航路が詳細に説明されているこ とから,本書がイギリスをはじめとするヨーロッパか らの旅行者を強く意識して編集されたと考えられる。 そこで,このガイドブックにはヨーロッパからの視点 でとらえたアメリカ合衆国の特徴が描かれているとみ なすことができる。 記述はニューヨークを出発地とし,そこから鉄道を 用いて合衆国内を旅するための110ものルートを設定 し,それぞれが解説される形式をとっている。なお, このガイドブックにはアメリカ合衆国のほか,メキシ コやキューバ,プエルトリコ,アラスカが付け加えら れている。ただしハワイは掲載されていない。 アメリカ合衆国は5つの地区に分けて説明されてい る。すなわち中部大西洋諸州 Middle States,ニューイ ングランド地方 New England,中西部 The Middle West, 極西部 The far West,南部諸州 Southern States で構成 されている。カリフォルニア州など西海岸は極西部に 位置する。極西部は開拓時代に用いられた語である が,本書がヨーロッパからの視点で編集されているこ と,この当時,ヨーロッパからの移民流入が継続して いたことから,カリフォルニアをはじめとする西海岸 は依然として極西部として描かれたのであろう。ま た,カリフォルニアは,当時すでにアメリカ合衆国内 でも特に魅力ある場所として評価されており,理想郷 と し て の イ メ ー ジ を た く わ え て い た(矢 ケ!, 1999)。しかし,東海岸から遠隔に位置しており,鉄 道旅行者にとって長旅はいかんともしがたく,極西部 という名称には,はるかかなたの理想郷のイメージが こめられていたのかもしれない。 ガイドブックには極西部をまわるための18のルート が示されており,その1つとしてロサンゼルスの解説 がある。そこで以下では,ロサンゼルスの項を訳出 し,どのような場所が旅行者向けに紹介されているか を明らかにし,ロサンゼルスの市街地の特徴を検討す る材料とする。なお,記載されているいくつかの観光 スポットについて,現在の状況を示す写真を用いて説 明を補うことにする。
ロサンゼルス,す な わ ち La Puebla de Nuestra Senora la Reina de Los Angeles(天使の女王の町) は,カリフォルニア南部の大都市である(写真1)。 ロサンゼルス川沿いに立地し,河口から20マイル, 太平洋からの直線距離で15マイルの位置にある。こ の 町 は1781年 に ス ペ イ ン 人 た ち に よ っ て つ く ら れ,1846年にアメリカ合衆国のものとなった。しか し,1880年以降に富と人口が前例にないほどの急成 長を遂げるまでは,さしたる意味を持っていなかっ た。人口は,1880年に11,188人だったのが1890年に は102,479人へと急増し(現在はおそらく20万人), この間,古くからの土レンガの建物は石やレンガ造 りのビルやアパート,あるいは趣味のよい木造の邸 宅に変わっていった(もちろん,スペイン・ムーア 様式の建物を効果的に利用した邸宅もあるが)。ロ サンゼルスには幅広い道路とゆとりある歩道がつく られ,広大な住宅地と130もの教会,60以上の公立 学校が立地する。約1,700もの工場が年間5千万ド ルもの生産額をあげ,7つの言語の新聞が発行され る,まさに活気ある大都市である。 ロサンゼルスはきわめて重要な鉄道の結節点であ り,カリフォルニアの典型的な産業であるフルーツ 栽培の中心地である。平原と渓谷ではブドウをはじ めオリーブやオレンジ,レモンなどの果樹栽培が盛 んである。1906∼7年にロサンゼルス郡で生産され た 生 鮮 フ ル ー ツ の 売 り 上 げ は6,213,539ド ル に 達 し,缶 詰 や ド ラ イ フ ル ー ツ は417,215ド ル で あ っ た。一方,ここは石油とアスファルトの生産の中心 地でもある。 ロサンゼルスは,カリフォルニアの他の地域ほど 健康リゾートとしての意味は大きくないが,温暖で 夜間は涼しい安定した気候を特徴とする(平均気 温:華 氏54度(1月),華 氏72度(8月))。特 に 住 宅地区には,成長の早いユーカリや美しいミツマ タ,シュロ,ノーフォークアイランド松,ライブ オーク,インドゴム,オレンジ,バラ,ゼラニウム, ユッカ,リュウゼツラン,バナナ,オランダカイ ウ,ザクロなどの樹木が繁っている。フランスの ジャーナリスト Jules Huret は,ロサンゼルスを合衆 国の数少ない美しい都市の1つにあげている。 カリフォルニア南部の気候は一年中,我々が知る 限り,他に類のないほど完全なものに近い。亜熱帯 気候にあってほとんど霜はおりず,雪はまったく降 らない。冬に若干の降水があり,穏やかで乾燥して いる。冬も夏もそれほど厳しくなく,いつも春のよ うである。12月や1月でも海水浴ができたりする し,大気の乾燥と海風のおかげで内陸に比べて夏は それほど厳しくない。花菱草に代表されるカリフォ ルニアの野生の花の数と種類と華やかさは際立って いる。「旅行者が最も驚かされるのは,ここでは年 中いつでも花が咲いてフルーツが実ること,亜熱帯 性のフルーツが完熟して繊細な花が冬の間も鮮やか な色をつけて我々の目をくらませること,その一方 で,概して低温ゆえに決して無気力なることのない 低温になったり,いつでもウールの衣服が必要に なったりすることである」(アメリカの作家 Chas. Dudley Warner : Our Italy)。このほか参考になる書 物をいくつかあげておく。C. A. Higgins (1903) ; To
California and Back, C. A. Keeler (1903) : Southern California, H. H. Jackson (1902) : Glimpses of Califor-nia, Mary Austin (1903) : The Land of Little Rain, G.
W. James (1906) : The Wonders of the Colorado Dessert
of Southern California. Main Str.と平行して走る道路 Broadway は,(ちょ うど First Str. が市街地を南北に分けているように) 市街地を東西に分けており,通りには多くのビルが 建っている。たとえば2nd Str. と3rd Str. の間に立 地する市庁舎 City Hall(図1中の①,以下も同様) をはじめ,新しい商工会議所 Chamber of Commerce がある(写真2)。この商工会議所にはカリフォル ニアの文化財が集められており,興味深い展示がな されている(たとえば Palmer 博士のインディアン 古物コレクションや Coronel 氏のスペイン時代の絵 画コレクション)。ここにはフランシスコ会修道士 Junipero Serraが1769年に持ち込んだカリフォルニ ア最初の大砲も置かれている。さらに,Broadway に近い Temple Str. には郡裁判所,Broadway と3rd 写真1 広大なロサンゼルスの市街地 (2000年9月撮影) Griffith公園から南を望む市街地の中央奥に中心市街 地の高層ビルが見える
Str. の交差点の南東かどには市立図書館がある(蔵 書数11万冊以上)(写真3)。
その他の重要な建物には Mission−Renaissance 様 式の婦人クラブ Women’s Club(Figueroa Str.)と州 立師範学校(Grand Ave. と5th Str. のかど)がある。 また Security Savings Bank 銀行(Spring Str. と5th Str. の交差点かど),Union Trust ビルと Hellman ビ ル(Spring Str. と4th Str. の交差点かどで対面),公 会堂 Auditorium(5th Str. と Olive Str. のかど)(図 中②),Y. M. C. A.(7th Str. と8th Str. の間の Hope Str.),Y. W. C. A.(Hill Str. と3rd Str. の交差点か ど),国立農商銀行 Farmers and Merchants National Bank(4th Str. と Main Str. の交差点かど),Grant
ビル(Broadway と4th Str. の交差点かど) ,Ham-burger’sビル(Broadway と8th Str. の交差点かど), Merchants Trustビル(Broadway 207番地),国際銀行 International Bank(Temple Str. と Spring Str. の交差 点かど)があげられる。さらに市街地東部,San Fer-nando Str. のトラムが鉄道線をまたぐ跨線橋は,技 術的に興味深い建造物である(図中③)。ロサンゼ ルスには公園も数多く立地する。たとえば3千エー カーもの広さを誇る Griffith 公園をはじめ,池のあ る Eastlake 公 園 と Westlake 公 園 が あ げ ら れ る(図 中④)。南カリフォル ニ ア 大 学(学 生 数1,260人) (図中⑤)が,Wesley Ave. と35th Str. の交差点付 近にあるほか,郊外には新しい競馬場も設けられて 図1 ベデカーに掲載されたロサンゼルス中心市街地の観光スポット(1909年) (ベデカー付図より筆者作成) 図中の記号 ◆ 本文に記載されている観光スポット ● 本文で紹介されているホテル 図中の番号 ① 市庁舎 ② 公会堂 ③ 鉄道の跨線橋 ④ West Lake公園 ⑤ カリフォルニア大学 ⑥ Plaza広場 ⑦ チャイナタウン ⑧ ケーブルカー Angel’s Flight ⑨ サザンパシフィック鉄道駅 ⑩ サンタフェ鉄道駅
いる。ビジネス地区の北端部にある小さな Plaza 広 場(図中⑥)には歴史的伝道教会 Old Mission Church があり,ロサンゼルスの古い集落の名残として興味 深い(写真4,写真5)。そのすぐ先にはチャイナ タウンがあり(図中⑦)(写真6,写真7),伝統的 な土レンガの建物が数多く残っている。北の郊外に ある Sonora Town は,1846年に Fremont 大尉がここ に合衆国国旗を揚げて以来,変わらずに残されてい る。また,ケーブルカー Angel’s Flight を登ったと ころに建つ塔(Hill Str. と3rd Str. の交差点かど) 写真4 ロサン ゼ ル ス 最 古 の 教 会 Iglesia La Placita (2000年9月撮影) 1781年創建の伝道教会はスペイン時代を今に伝える 写真2 ロサンゼルスの市庁舎(2000年9月撮影) 1926年に Broadway から移転して以来,ロサンゼルス のランドマークである 写真5 Plaza 広場(2002年11月撮影) ロサンゼルス最古の建物が残る地区では現在もカト リックの伝統が残されている(写真は「死者の日」の 祭礼の賑わい) 写真3 ロサンゼルスの中心市街地(2000年9月撮影) Bunker Hillに向かう3rd Str. には新旧のビルが並ぶ 写真6 チャイナタウン跡地に建つユニオン駅 (2000年9月撮影) 1939年の駅設置によりサザンパシフィック鉄道とサン タフェ鉄道のロサンゼルス駅は閉鎖された
(図中⑧)からは,市街地のすばらしい眺めが楽し める(写真8)。この他,奇妙なポンプが並ぶ採油 地帯を訪ねてみてもよいだろう。Eastlake 公園の向 かいには Ostrich Farm があり,200羽もの鳥を見る こともできる。 ロサンゼルスは,主に電車を利用した小旅行の拠 点でもある。電車は蒸気鉄道よりも頻繁に走ってお り,しかも目的地近くまで行けるので便利である。 往復切符は車掌もしくはオフィスで購入できる。ロ サンゼルス・パシフィック鉄道 Los Angeles & Pa-cific R. R. Co.のオフィスは W. 4th. Str. 316番地。 ロサンゼルス・レドンド鉄道 Los Angeles & Redondo R. R. Co.は W. 2nd Str.217番地。パシフィック電気 鉄道 Pacific Electric Ry. Co. は6th Str. と Main Str. の 交差点のかど。ロサンゼルス鉄道 Los Angeles
Rail-way Co. も同じビル。なお,サザンパシフィック鉄 道の中央駅は Fifth Str., サンタフェ鉄道は First Str. にある(それぞれ図中⑨,⑩)。 ロサンゼルスからサンタモニカ Santa Monica まで 17マイル。サザンパシフィック鉄道で58分。ロサン ゼルス・パシフィック鉄道の電車だと1時間(30分 間隔で運転,4つのルートあり。往復で別ルートを 利用することを勧める)。往路にはハリウッド Hol-lywoodを抜けるコースをとろう。ハリウッドの魅 力的な郊外住宅地に続いて,太平洋の海岸に近い軍 人の住宅地ソーテル Sawtelle(2千人もの退役軍人 が居住)を通ることになる。 サンタモニカは人気の海岸リゾートである(写真 9)。すばらしいビーチがあり,年間を通して海水 浴が楽しめるだろう(温水プール付きの更衣所あ り)。ここから約3マイルのところに大きな桟橋を 持つロサンゼルス港がある。さらに南に足を延ばす と Ocean Park, Venice(運河あり,ヨーロッパの同名 都市の模倣),Playa del Rey, Moonstone Beach, そし てレドンド Redondo まで海岸リゾートが並んでい る。
ロサンゼルスからレドンドまでサンタフェ鉄道 Santa Fe Railway(1列 車)で23マ イ ル を1時 間15 分で行ける。あるいは電車だと20マイルを1時間ご と運転)。この電車は Playa del Rey に向かった後, 海岸線に沿ってレドンドまで走る。ロサンゼルス・ レドンド鉄道は郊外の居心地のよい町 Liglewood あ るいはガーディーナ Gardena を経由してレドンドに 向かう。 レドンドも快適な海水浴リゾートである(写真 10)。美しいビーチが広がり,ボートや釣りの設備 も整っている。夏の観光客向けに4千人収容の巨大 なホールがある,いかにも奇抜な様相の町である。 写真7 現在のチャイナタウン(2002年11月撮影) ユニオン駅建設のため1930年代に現在地に移転して以 来,市内有数のエスニックタウンに発展した 写 真8 中 心 市 街 地 の Bunker Hill を 登 る ケ ー ブ ル カー Angels Flight(2000年9月撮影) 1901年開業した全長91m,勾配33度の鉄道は2000年に 史跡指定された 写真9 サンタモニカの海岸(2000年9月撮影) 太平洋を望む高台は高級リゾートとして発展した
水深の深い桟橋があり,レドンドは港湾としての重 要度を高めつつあり,サンフランシスコやサンディ エゴを結ぶ蒸気船が発着する。
ロサンゼルスからロングビーチ Long Beach まで 21マイル。ソルトレーク鉄道 Salt Lake Railway もし くはサザンパシフィック鉄道で45分。あるいはパシ フィック電気鉄道(20分間隔で運転)で行ける。 ロ ン グ ビ ー チ は 人 気 の 夏 の リ ゾ ー ト で,人 口 2,250人。ビーチがすばらしく,280ものプールつき 更衣所がある。1,800フィートの桟橋があるなど魅 力が多い。電気鉄道が海岸沿いを Newport Bay まで 走る(40マイル)。
いわゆる“Great Surf Route”は,100マイルもの 快適な周遊ルートである。午前10時15分発のパシ フィック電気鉄道の自動車に乗り,酪農地帯の中心 地 Compton を経由して,有名な Dominguez Ranch, そして果樹園や大牧場を抜けてサンセットビーチ Sunset Beach.さらに海岸に沿って走ってロングビー チに着く。そこから蒸気船に乗ってサンペドロ San Pedroを往復。ロサンゼルスで車を降りるのが午後 4時45分である。 ロサンゼルスからサンペドロまで22マイル。サザ ンパシフィック鉄道で50分。パシフィック電気鉄道 も利用でき る(1時 間 ご と 運 転)。Florence(サ ン ディエゴに向かう鉄道線の分岐点)まで5マイル, Comptonまで10マイル,Thenard(ロングビーチへ の 鉄 道 支 線 の 分 岐 点)ま で18マ イ ル,Wilmington (小さな港町)まで19マイルである。 サンペドロは人口1,787人,ロサンゼルスの主要 港であり,“Salt Lake Route”が太平洋に出る終点で ある。港は多額の費用をかけて改修され,政府によ る巨大な防波堤が建設中である。サンフランシス コ,サンタバーバラ,サンディエゴ,カタリナ島な どへの蒸気船が行き来している。サンペドロにはソ ルトレーク鉄道でも行くことができる(27マイル, 所要時間1時間)。この 鉄 道 は ロ ン グ ビ ー チ 経 由 で,Rattlesnake 島にある East San Pedro 駅に着く。
(以下,カタリナ島に関する記述は略す) ロサンゼルスからサンガブリエル San Gabriel ま でサザンパシフィック鉄道(9マイル,30分),も しくはパシフィック電気鉄道(1時間おき運転)で 行ける。ルートは,Stoneman’s Ranch と Shorb を経 由する。
ロサンゼルスからシエラマドル Sierra Madre に行 くには,いわゆる“Mission and Orange Grove Route” を利用する。パシフィック電気鉄道の自動車に午前 9時40分 に 乗 り,San Gabriel 伝 道 所 と Baldwins
Ranchに寄って昼食と農場見学をした後,シエラマ ドルに到着す る。復 路 は パ サ デ ナ Pasadena と Os-trich Farmに寄って午後3時20分にロサンゼルスに 戻る。 ロサンゼルスからモンロヴィア Monrovia にはパ シフィック電気鉄道(30分ごとに運行)で行ける。 この小旅行は途中,オレンジ畑を抜け,サンバナ ディーノ San Bernardino 山地の眺めが楽しめるな ど,おそらくロサンゼルス近郊にトラムで行く旅行 で最も楽しいものだろう。ルートは Arcadia,
Bald-win’s Ranchの駅 Arcadia を過ぎる。ここには競馬場
があり,アメリカ西部で最も優秀なサラブレッド馬 が飼育されている。 ロ サ ン ゼ ル ス か ら ノ ー ス グ レ ン デ ー ル North Glendaleまで10マイル。パシフィック電気鉄道で30 分。終点近くのホテル Casa Verdugo のレストラン はスペイン風。 ロサンゼルスからマウントロー Mt. Lowe へはパ シフィック電気鉄道で行ける。短時間で出かけられ るので,午前9時ないし10時に出発しても午後3時 から6時の間に戻ってこられるだろう。 ロサンゼルスからマウントウィルソン Mt. Wilson へは,パシフィック電気鉄道でシエラマドルまで行 き,そこからロバを使って登る。 (以下,サンバナディーノ方面への鉄道周遊ルー トに関する記述は略す) 4.ロサンゼルスの中心市街地の特徴 ロサンゼルスは,20世紀初頭に出版された旅行ガイ 写真10 レドンドのビーチ(2006年11月撮影) 海岸左手の緑地にはレドンドホテル跡地につくられた ヴェテランパークがひろがる
ドブックにおいてきわめて魅力的な都市として描かれ ている。本文には亜熱帯性とあるが,いわゆる地中海 性の気候環境にあってほぼ年間を通して晴天と温暖な 環境に恵まれ,美しい草花が咲き誇り,フルーツ栽培 など豊かな自然を満喫できる場所として示されてい る。また,列車に乗れば気軽に行ける海岸や島,ある いは山があり,特に海水浴が楽しめるいくつものビー チも紹介されている。 こ の よ う な ロ サ ン ゼ ル ス の 特 徴 は ヨ ー ロ ッ パ の 人々,特にイギリス人やドイツ人が優れた観光地とし て求めてきた地中海沿岸地方と類似した環境である。 19世紀以降,これらの国々からイタリアやスペイン, ギリシャなど地中海の海岸を目ざす旅行者が年ごとに その数を増やし,旅行ガイドブックも多数出版され た。海岸での滞在は,その大気も海水浴も身体によい とされ,保養地としても評価された。 ちなみに,19世紀におけるミシシッピ川以西の地域 への開拓・入植者は,新しい土地に対してつねに健康 によい土地とそうでない土地を敏感に区別していた。 彼らの土地評価について歴史的に検討した Valen ^ cius (2002)は,彼らにとって健康的な土地とは富や安定 した生活が確保されることを意味していること,その ためにより良い暮らしを求めて未開の西部をめざして 進んだことを指摘した。さらに,そうした土地の評価 とは,まさに国土を拡大し国力を高めようとする国家 の政治的・経済的意図のメタファーであるとも論じ た。その一方で,19世紀末にはロサンゼルスが健康に 優れた理想郷とみなされていたという事実(矢ケ!, 1999)を踏まえると,この町がそうした西部への開 拓・移動の流れの最終目的地とみなされていたことは 十分に理解できる。 ロサンゼルスは魅力ある場所として知られ,それが 旅行ガイドブックにも記されていた。旅行者は3本の 鉄道(サザンパシフィック鉄道,サンタフェ鉄道,ソ ルトレーク鉄道)のいずれかを利用してそれぞれの駅 に降り立ち,駅から程近い中心市街地を観光のスポッ トとしてまわることになる。 ところで,ベデカーのロサンゼルスの項には,「ロ サンゼルス」のタイトルのついた中心市街図(4万分 の1)と,「南カリフォルニア」のタイトルのロサン ゼルス郊外図(75万分の1)という2枚の地図が付さ れている。そのうち「ロサンゼルス」図には,中心市 街地を含めた東西約10km,南北約7km の範囲が示さ れている(図1)。 図中,東部を南流するロサンゼルス川と,それにほ ぼ並行して走るサザンパシフィック鉄道とサンタフェ 鉄道の路線が見える。ロサンゼルスの市街地はそれら の西側に広がっている。直線道路が縦横に走る密度の 高い道路網が見られ,道路名も詳細に記されている。 これらの道路と名称の多くは現在までほぼ維持されて おり,この時期にすでに中心市街地の基盤が形成され ていたことがわかる。しかし,アミで示されている市 街地は全域に及んでおらず,建物がなく白抜きになっ た箇所が各所に見られる。特に図中の西部では,道路 網のみが形成されていて市街地のない地区が広がって おり,ここに道路の敷設を先行させたロサンゼルスの 市街地化の特徴を垣間見ることができる。 さて,このロサンゼルスの観光ガイドブックで紹介 された観光スポットとホテルの分布を見ると,いずれ も著しく中心市街地に集中しているのが確認できる (図1)。特に,東西に走る First Str. と5th Str. の間, 南北に走る Spring Str. や Broadway 沿いに観光スポッ トが集中している。市庁舎をはじめ裁判所や図書館, 銀行や団体など,建築物の多くは高層であったり手の 込んだ建物であったりなどランドマークとしての特徴 を持つ建造物である。 このように中心市街地に観光スポットが集中する傾 向は,ヨーロッパの都市においても一般的に見られ る。ヨーロッパの都市では,教会や歴史的遺構など都 市の伝統的な文化財やそれに関連する施設がきわめて 重要な観光スポットとなり,それらが立地する中心市 街地が観光空間を形成している(加賀美,2007)。 これに対してロサンゼルスでは,商工会議所に集め られたカリフォルニアの文化財と Plaza 広場以外に は,歴史的な文化が観光の対象としてあげられていな い2)。ホテルやレストラン,劇場が中心市街地に立地 する一方で,旅行者がロサンゼルスの中心市街地にお いて訪れるのは,市庁舎や図書館,公会堂などの公的 施設,公園や大学,さらには油田のような産業施設に なっている。 また,現在のロサンゼルスの特徴のひとつであるマ ルチエスニックな空間は,20世紀初頭においてすでに 形成されていた。なかでもチャイナタウンは,中心市 街地に立地していることもさることながら,ヨーロッ パの人々のまなざしを持つ旅行ガイドブックにおいて は,きわめて異国情緒に富む場所として旅行ガイド ブックにも紹介されている。ただし,現在のように旅 行者が中華料理を求めるような態度はまだ少なく,中 国系の人々そのものの姿や町の様子が東洋というエキ ゾチックな空間を生み出し,それが観光の対象として 注目されていたのであろう。 これに対して,郊外の海岸や山にはリゾートとして
の魅力を持つスポットがいくつもあげられている。サ ンタモニカやレドンドのビーチ,マウントローやマウ ントウィルソンの山々は,豊かな自然に恵まれた健康 的な観光地として知られ,ロサンゼルスの駅を出発点 にした鉄道による観光ルートが設定されている。また 周遊コースも充実しており,市街地に滞在していれ ば,こうした自然の美しさを堪能できるツアーに参加 できる。ロサンゼルスの中心市街地は,観光地である と同時に郊外への小旅行への出発点でもあった。 実際,このガイドブックに付されているロサンゼル ス近郊図「南カリフォルニア」には,ロサンゼルスの 周 辺,東 は サ ン バ ナ デ ィ ー ノ San Bernardino,南 は ニューポートビーチ Newport Beach に向かう東西150 km,南北100km にも及び広大な範囲にきわめて密度 の高い鉄道網が敷設されていたことが示されている。 ロサンゼルスはこうした鉄道旅行の出発点になり,旅 行者の逗留場所となった。 もちろん鉄道は,旅行者ばかりでなく労働者や物資 の運搬にも大きな役割を果たした。鉄道網が発達し, その結節点となったロサンゼルスは,人と物の集散地 としてめざましい発展を遂げたのである。 このような19世紀以降の産業化と鉄道の発達,近代 化と都市化の進行は,ロサンゼルスに限らず,広く欧 米先進諸国において起こっていた。特にヨーロッパの 多くの都市では,人口の増加に伴う市街地の拡大が進 む一方で,歴史的な中心市街地が CBD となり,都市 を代表するランドマークとしての景観が集中する地区 が形成された。中心市街地に隣接して長距離鉄道の中 央駅が立地し,市街地では徒歩とトラムによる移動が なされた。しかも都市と自治,繁栄,歴史と伝統の象 徴空間でもある都心部は,社会的階層の高い人々の活 動空間となり,市内で最も注目される場所となった。 この点で,1909年時点におけるロサンゼルスは,当 時のヨーロッパの都市と基本的には違っていないよう である。中心市街地にはトラムが縦横に走り,3つの 長距離鉄道駅はそれぞれがトラムで連絡されている。 ここには観光スポットにもあげられるような行政や金 融機関,さらには娯楽施設としての劇場やクラブ,郵 便局やイギリス副領事館,旅行代理店なども立地して いる。ロサンゼルスの富と権力は明らかに中心市街地 に集中していた。 当時の中心市街地がきわだった場所であったこと は,旅行者のまなざしからも知ることができる。外部 者にとってロサンゼルスの中心市街地は明らかにこの 町を代表する場所であった。都市の中心的機能が集中 し,建物が密集し,歩行者が行き交う点でヨーロッパ と類似の特徴を持つ中心市街地であった。 しかし,ロサンゼルスではその後,その構造を大き く変えてゆく3)。その最大の原因がモータリゼーショ ンであることに疑いはない。1940年にはロサンゼルス と東郊の町パサデナ Pasadena を結ぶ州内最初の自動 車 専 用 道 路 Arroyo Seco Parkway(現 在 は Pasadena
Freeway)が開通し,それ以来,道路の整備が進み, 市街地は急激に郊外へと拡大してゆく。もはや鉄道網 の建設が追いつかず,近隣都市との交通は次第に鉄道 からバスや自家用車へと移ってゆく。また,1911年に ハリウッドに映画撮影所が設立されたこと,1920年代 以降には富裕層が居住するビヴァリーヒルズ Beverly Hillsの住宅地が拡充したことも,郊外への市街地の 拡大を促した。中心市街地から郊外への富裕層の移動 はヨーロッパの都市では目立たないアメリカの都市の 大きな特徴だが,これにモータリゼーションが関与し ていることは言うまでもない。 郊外への膨張の速度は第二次世界大戦後,さらにス ピードを高め,今日あるような工業団地やショッピン グモール,エスニックタウン,高級住宅地区などさま ざまな機能や特徴を持つ市街地が中心市街地から遠く 離れた場所に形成されるようになった(矢ケ!,2008 b)。また市街地拡大ととともに20世紀初頭に中心市街 地に集中していた観光スポットやホテルも著しく分散 しており,これと対応するように中心市街地は相対的 な機能の低下をきたし,いわゆる空洞化が起こってい る。まさにロサンゼルスの市街地変化のプロセスは, モータリゼーションによって特徴づけられていると 言ってよいだろう。 以上のように,ロサンゼルスはモータリゼーション を機にヨーロッパとは大きく異なる市街地を形成する ことになった。これは,モータリゼーションを機に大 きく発展したケースが多いアメリカ合衆国の都市に共 通して言えることであろう。では,このような市街地 の変化にロサンゼルス特有のものはないのであろう か。 この旅行ガイドブックでは,ロサンゼルスに存在す る歴史的な建造物や景観に関する記述がきわめて少な い。スペイン人入植やメキシコ人居住に由来するカト リック伝道所や土レンガの民家など,かつてあった歴 史や伝統に関する記はほとんどみられない。それは, いずれも観光資源としての高い評価がなされていな かったからであろう。当時,先住者たちの文化や社会 は旧態の遺構であり,しばしば水準の低い,取るに足 らないものとみなされていた。一方,それに代わって 導入された近代工業やプロテスタント信仰と赤レン
ガ,丸太材を使った建物など高度な文明を象徴するも のとはっきりと区別された(Valen ^ cius,2002)。このこ とと土地に対する考え方がどれほど連動したかは確認 できないが,古い建物に代わって新しい景観を生み出 すヴァイタリティの強さ,高度な社会や生活水準を追 及する人々の情熱などロサンゼルスにおける新市街地 形成の原動力には,そうした歴史に対する考え方も反 映されているのではなかろうか。 なお,このような推測をさらに膨らませるならば, ロサンゼルスの都市発展には,産業化以前にあったラ テンアメリカ文化に由来する居住空間に,アングロア メリカ文化が進出し,その結果,爆発的な市街地の拡 大と機能の分散が起こったとするプロセスも考えられ る。アメリカの文化地域を論じた矢ケ!(2008a)は, カリフォルニアの農業地域を南からやってきたラテン 的な牧畜農業と,北・東からやってきたゲルマン的な 畑作農業が出会い,融合したものとして指摘している が,ロサンゼルスの都市発達のプロセスにもそうした 南北の文化の接点としての特徴が現れているのかもし れない。 いずれにせよ,ロサンゼルスが19世紀以来の理想郷 のイメージを保持し続けるなかで,20世紀前半の映画 産業の集積,鉄道網の積極的な整備に伴って郊外住宅 地の拡大などが人口の急増をもたらし,それが市街地 の郊外化を促した。その一方で,第二次世界大戦前後 からバスや自動車への転換が急速に進んだために,中 心市街地への都市機能の集積が進みにくい状況にあっ た。その結果,中心市街地には都市の中心的機能の集 積の場としての意味を失っていった。これは,歴史的 景観を積極的に保存し,都市中心的機能が集積する ヨーロッパの都市の中心市街地とは大きく異なる特質 といえよう。 5.おわりに この小論では,ロサンゼルスの都市の特徴を検討す るために,中心市街地に注目した。モータリゼーショ ンが進む以前のロサンゼルスに目を向け,ヨーロッパ の 中 心 市 街 地 と 対 比 し な が ら 考 察 し た。具 体 的 に は,20世紀初頭に観光された旅行ガイドブックにおけ るロサンゼルスの紹介文を手がかりにした。 20世紀初頭のロサンゼルスでは,温暖な気候下にあ る理想郷としてのイメージを持ち続け,観光地として 位置づけられていた。海岸や島,山などのリゾートが 観光地となったのも,そうしたイメージと無関係では ないだろう。しかし,鉄道を利用する観光客にとって 中心市街地はロサンゼルス観光の中心的意味合いを 持っていた。この点では,ヨーロッパの中心市街地と 類似の状況にあった。 しかし,その後のロサンゼルスの急激な人口増加と モータリゼーションの進行とともに市街地が拡大し, 中心市街地の比重は低下していった。アメリカ合衆国 の都市は一般に郊外への拡大が進行しているが,ロサ ンゼルスでは郊外に映画産業や高級住宅地が立地した こともあって,きわめて広大な市街地が形成された。 ロサンゼルスの中心市街地は,ヨーロッパの都市のよ うな都市の象徴的意味を強く持つ場所にはなっていな い。 ところで,ロサンゼルスにはさまざまなエスニック 集団が居住し,エスニックタウンが形成されている が,こうした居住形態を可能にしている背景として中 心市街地への都市機能の集中度が高くないことが関連 づけられるのではなかろうか。あるいは逆に,エス ニックタウンが形成されることによって中心市街地へ の機能の集中が進まないということも考えることがで きるのではないか。多様なエスニック集団が居住する ロサンゼルスの都市構造を理解する上で,中心市街地 の特徴が考察の糸口になるものと思われる。 この小論を作成するにあたり,2008年度文部科学省 科学研究費補助金「ロサンゼルス大都市圏における移 民の適応戦略・エスノスケープと都市構造の動態」 (研究代表者:矢ケ!典隆)の一部を使用しました。 注 1)とりわけ自動車交通が発達したアメリカ合衆国の都市 においては,こうした郊外化はきわめて明確な特徴と して取り上げられる。中でもロサンゼルスは,自動車 交通主導の市街地が形成されており,自家用車のない 暮らしや社会は存立し得ないまでになっている。近年, ようやく公共交通機関が再評価されるようになり,1990 年以降,地下鉄や LRT など新しい交通システムの導入 が進められ,自動車交通一辺倒の社会の改善が求めら れている。 2)現 在 の ロ サ ン ゼ ル ス の 代 表 的 な 博 物 館 で あ る Los
Angeles County Museum of Artや National History Museum
of Los Angeles Countyの前身 Los Angeles Museum of
His-tory, Science, and Artが創設されたのが1910年であり,こ の旅行ガイドブックが刊行された1909年時点では,ロ サンゼルスの文化的側面を知る機会はほとんど提供さ れていなかった。
3)ヨーロッパの都市構造を検討した Lichtenberger(2002) は,中心市街地が存在する理由のひとつとして,この 地区に隣接して鉄道駅が立地すること,都市間の旅客 移動における鉄道の占める割合が依然として高い点を 指摘している。近年,ヨーロッパでは自動車交通量は ますます増加の一途をたどっており,旅客移動に果た す鉄道の地位は伸び悩んでいる。しかし,依然として 鉄道は通勤・通学をはじめ,余暇・観光のための移動 手段として重要な役割を果たしている。ドイツ語圏で は,近年,長距離鉄道駅を拠点にして,市街地では公 共交通機関(トラム,地下鉄)もしくは徒歩・自転車 による移動を推進する都市計画が各地で推進されてい る。 参考文献 アーリ,J.著,加太宏邦訳(1995):『観光のまなざし―現 代社会におけるレジャーと旅行』法政大学出版局. 加賀美雅弘(2007):中欧都市ウィーンの景観形成と再生に 関する予察.東京学芸大学紀要人文社会科学系Ⅱ,58: 11―20. 加賀美雅弘(2008):中央ヨーロッパにおける都市景観の意 義―ブダペストの旅行ガイドブックを用いた考察.東 京学芸大学紀要人文社会科学系Ⅱ,59:39―58. 加賀美雅弘(2009):旅行ガイドブックに描かれたベルリン の景観―ベデカー『ドイツ帝国』の記述からの考察. 東京学芸大学紀要人文社会科学系Ⅱ,60:59―72. 小長谷一之(1990):アメリカにおける都市交通地理学の動 向―都市構造と交通様式の関係をめぐって.地理科学, 45:234―246. 中川浩一(1979):『旅の文化史―ガイドブックと時刻表と 旅行者たち』伝統と現代社. 西村孝彦(1997):『文明と景観』地人書房. ノックス,P.・ピンチ,S.著,川口太郎・神谷浩夫・高野 誠二訳(2005):『新版 都市社会地理学』古今書院. 矢ケ!典隆(1999):19世紀におけるカリフォルニアのイ メージと地域性.学芸地理,54:2―20. 矢ケ!典隆(2008a):南北アメリカ研究と文化地理学―3つ の経済文化地域の設定と地域変化に関する試論.地理 空間,1:1―31. 矢ケ!典隆(2008b):地理資料 都市構造からみたアメリ カ合衆国の地理.新地理,56(1):38―43.
Lichtenberger, E. (2002) : Die Stadt : Von der Polis zur
Metropo-lis. Darmstadt : Wissenschaftliche Buchgesellschaft.
Valen ^
cius, C. B. (2002) : The Health of the Country : How
Ameri-can Settlers understood themselves and their Land . New
York : Basic Books.
資 料
Baedeker, K. (1909) : The United States with Excursions to
Mex-ico, Cuba, Port Rio, and Alaska : Handbook for Travelers.
Urban Landscape of Los Angeles before the Time of Motorization
――An Analysis of a Historic Tourist Guidebook――
Masahiro KAGAMI
Department of Geography
Abstract
This paper presents observations of the relationship between urban landscape and process of urban development of Los Angeles, as laid down in a tourist guidebook entitled “The United States”, published by Baedeker Publishers in 1909. The guidebook organized tourist points as attractions of Los Angeles ; modern buildings and landscapes showing economic and social development of the city derived from the time of industrialization ; new urban landscapes produced by suburbanization process before the motorization era ; multi−ethnic landscapes showing cultural and social diversity ; industrial and commer-cial landscapes along sea−shores and streets reflecting economic development of the city and of the United States. The author argues that the inner city of Los Angeles represents a symbolic landscape−this symbol being alive to the present day, which can be observed in the process of current revitalization programs.