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Kobe University Repository : Kernel タイトル Title 著者 Author(s) 掲載誌 巻号 ページ Citation 刊行日 Issue date 資源タイプ Resource Type 版区分 Resource Version 権利 Rights DOI

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タイトル

Title

「人」主語のドイツ語lassen使役構文の用法 : トーマス・マンの『フ

ァウスト博士』の例文を用いて(その2)(Der Gebrauch kausativer

Konstruktionen mit lassen, bei denen Menschen das Subjekt darstellen

: anhand von Beispielen aus Thomas Manns 'Doktor Faustus'(2. Teil))

著者

Author(s)

湯淺, 英男

掲載誌・巻号・ページ

Citation

国際文化学研究 : 神戸大学大学院国際文化学研究科紀要,45:89*-116*

刊行日

Issue date

2015-12

資源タイプ

Resource Type

Departmental Bulletin Paper / 紀要論文

版区分

Resource Version

publisher

権利

Rights

DOI

JaLCDOI

10.24546/81009198

URL

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81009198

PDF issue: 2019-04-15

(2)

「人」主語のドイツ語lassen使役構文の用法

――トーマス・マンの『ファウスト博士』

  の例文を用いて――

(その2)

湯 淺 英 男

(目次) 1. はじめに 2. lassen使役構文、lassen受動構文、及びlassen単独用法の出現分布 3. lassen使役構文の意味 3.1. 主要な2系列の意味:「作為」と「容認」 3.2. Shibatani (1976)の「使役的状況」について 4. 不定詞が自動詞の場合のlassen使役構文の分析 4.1. lassen使役構文の出現回数(不定詞が自動詞の場合) 4.2. 各構文タイプの考察(不定詞が自動詞の場合) 4.2.1. 「人」(主格主語)+lassen+「人」(対格目的語)+自動詞 4.2.2. 「人」(主格主語)+lassen+[「人」(対格目的語)の省略]+自動詞 4.2.3. 「人」(主格主語)+lassen+「無生物」(対格目的語)+自動詞 (以上、前号「その1」) 5. 不定詞が他動詞の場合のlassen使役構文の分析 (以下、本号「その2」) 5.1. lassen使役構文の出現回数(不定詞が他動詞の場合) 5.2. 各構文タイプの考察(不定詞が他動詞の場合) 5.2.1. 「人」(主格主語)+lassen+「人」(対格目的語)+「人・無生物」(対 格目的語)+他動詞 5.2.2. 「人」(主格主語)+lassen+von+「人」(与格)/durch+「人」(対格) +「人・無生物」(対格目的語)+他動詞

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5.2.3. 「人」(主格主語)+ lassen + [「人」(対格目的語)の省略 ]+「人・ 無生物」(対格目的語)+他動詞 5.2.4. 「人」(主格主語)+lassen+「無生物」(対格目的語)+「人・無生物」 (対格目的語)+他動詞 5.2.5. 「人」(主格主語)+lassen+von+「無生物」(与格)/durch+「無生物」 (対格)+「人・無生物」(対格目的語)+他動詞 6. 不定詞が再帰動詞(対格再帰代名詞と共起)の場合の lassen使役構文の 分析 6.1. lassen 使役構文の出現回数(不定詞が対格再帰代名詞共起の再帰動詞 の場合) 6.2. 各構文タイプの考察(不定詞が対格再帰代名詞共起の再帰動詞の場合) 6.2.1. 「人」(主格主語)+lassen+「人・無生物」(対格目的語)+再帰動 詞(「主格主語」を指示する対格再帰代名詞と共起) 6.2.2. 「人」(主格主語)+lassen+「人・無生物」(対格目的語)+再帰動 詞(「対格目的語」を指示する対格再帰代名詞と共起) 7. 不定詞が非人称述語の場合のlassen使役構文の分析   7.1. lassen使役構文の出現回数(不定詞が非人称述語の場合)   7.2. 各構文タイプの考察(不定詞が非人称述語の場合) 7.2.1. 「人」(主格主語)+lassen+es(非人称)+非人称述語(自動詞) 7.2.2. 「人」(主格主語)+lassen+es(非人称)+非人称述語(他動詞) 8. おわりに 5.不定詞が他動詞の場合の lassen 使役構文の分析 5.1. lassen 使役構文の出現回数(不定詞が他動詞の場合) 本コーパス(「その1」同様トーマス・マンの『ファウスト博士』を指す)において、 「人」主語のlassen使役構文の不定詞に他動詞が使われている文は、次頁の表(20) で見るように延べ総数で68である。これは不定詞が自動詞の延べ総数105 (「そ の1」の(13)参照)と比べるとかなり少なく、自動詞の7割弱の出現回数である。 藤縄(2002)の Mannheimer Korpus I を用いた(「人」・「無生物」主語合わせての)

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lassen使役構文の分析でも、不定詞が自動詞となる事例が1,357であるのに対し、 他動詞は1,280で、やはり自動詞より若干ではあるが少なくなっている。下記(20) の表では、不定詞の意味論的主語を「人」の場合と、「無生物」の場合に分け、そ れが統語的に lassenの対格目的語として明示されているのか、「von+与格名詞 句」あるいは「durch+対格名詞句」といった前置詞句で表現されているのか、そ れとも省略されているのかを基準に、(当該使役構文の)延べ出現回数を記載し てみた。但し、不定詞の他動詞が「人」目的語を取るのか「無生物」目的語を取る のかは本分析にとって文法的に意味のあるメルクマールとは考えないため、分 類の基準とはしていない。なお lassenの対格目的語(「人」)が明示されている20 の例文の中には、「猫(Kater)」が目的語となっている一文(全集版262頁)も含め ている。割合は四捨五入のため、合計に一部不整合がある。 (20) 不定詞が他動詞の場合 意味論的主語(「人」) 意味論的主語(「無生物」) 明示 省略 明示 省略 対格目的語 前置詞句 34(50%) 対格目的語 前置詞句 0(0%) 20(29%) 9(13%) 2(3%) 3(4%) 29(43%) 5(7%) 63(93%) 5(7%) 68(100%) この表で分かることは、不定詞が他動詞の lassen使役構文では、(省略の場合 も含め)「人」の意味論的主語の場合(93%)が「無生物」の意味論的主語の場合 (7%)より圧倒的に多いということである。つまり他動詞(不定詞)はほとんど のケースで「人」の行為・動作等を表わしていることが推測される。実際延べ数 で3回以上出現する他動詞を挙げるなら、意味論的主語は明示・省略を含め(「無 生物」ではなく)すべて「人」の場合で、merken(気づく)、 wissen(知っている)、 vernehmen(聞く)、 sagen(言う)となる。また注目すべきことは、lassenの「人」目

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的語が省略されていると推測される場合(34回)が、不定詞が他動詞の使役構文 のすべての事例(68回)の半数を占めているということである。ただ藤縄(2002)

の lassen 使役構文の調査では、不定詞が他動詞の全事例の内、(20)の表で言う

対格目的語の省略(藤縄の用語では「無表示」)の例が約7割(因みに対格目的語 による表示が約1割強、残りは前置詞句)であり、またIde (1998: 285)のコーパス 分析でも、不定詞が「2価乃至は3価の行為動詞(zwei- bzw. dreiwertige

Handlungs-verben)」(これは動詞が義務的に2項乃至は3項持つことを意味し、概ね他動詞と 見てよい)の事例の内76%が「不定詞主語(Infinitivsubjekt)」が明示されないとし ている。これらを参考とすれば対格目的語の省略は、(20)の表に見る全他動詞 事例の約半数より、実際にはもう少し多い傾向にあると予想される。6) 5.2. 各構文タイプの考察(不定詞が他動詞の場合) 5.2.1. 「人」(主格主語)+ lassen +「人」(対格目的語)+「人・無生物」(対 格目的語)+他動詞 この構文タイプは、lassen の対格目的語と他動詞(不定詞)の対格目的語の両 方共が出現し、その上で前者の対格目的語が「人」となっているlassen使役構文 である。藤縄(2002)は Mannheimer Korpus I の分析結果として、(無生物主語構 文の場合も含め)不定詞が他動詞となる lassen使役構文の全1,280例の内、lassen の対格目的語が明示されているケースは146例、約11%にすぎないとし、こうし たデータを基に藤縄(2013a: 116f.)では、Ich ließ ihn den Ofen reparieren.(私は彼 に暖炉を修理させた)のような(lassenの)対格目的語の出現する構文タイプは、 他動詞を不定詞とする使役構文の中では「圧倒的に少ない」と述べている。だ が本コーパス(『ファウスト博士』)を見る限り、(lassenの)「人」目的語明示の使 役構文の出現が(「人」主語使役構文を総数とした)29%に上り(前節の表(20)参 照)、この種の使役構文が「圧倒的に少ない」と断言できるまでには到っていな い。ここではまず本節で扱う使役構文の具体例を、不定詞がwissen(知っている)、 hören(聞く)となる複数回出現する構文タイプを含む形で(前者は4回、後者は2 回出現)幾つか挙げておく。lassenと不定詞のほか、lassenの対格目的語もイタリッ ク体にした。

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(21) a. Daß er mich vom Bahnhof abholen würde, hatte ich nicht erwartet, hatte ihn auch gar nicht genau die Stunde meiner Ankunft wissen lassen. (211f.)(彼 が駅に迎えにきてくれることは期待していなかったし、到着の時刻をはっ きり彼に知らせてもおかなかった)(上、281)

b. Um dies Wort zu belegen, ließ er mich Akkord-Folgen von schwebender Tonart hören, [...] (66)(この言葉を証明するために、彼は私に、不安定 な調を持つ和音の連続を聞かせ)(上、85)

c. Kretzschmar ließ ihn einfach gesetzte Choräle und ―[...]― vierstimmige Psalmen von Palestrina spielen, bestehend aus reinen Akkorden nebst etwelchen harmonischen Spannungen und Kadenzen; [...] (99)(クレッチュ マルはただ、きまったコラールと―[ 中略 ]―二、三の、和声的な緊張 とカデンツァを伴った純粋な和音からできているパレストリーナの四 声の詩篇とを[彼に]弾かせるだけだった)(上、129)

d. Man hatte ihn das Gymnasium absolvieren lassen, ihn auf die Universität

geschickt. (223)(彼はギュムナージウムを卒業して大学へ進ませてもらっ

た)(上、297)

e. Ihre Schwester ließ mich eines Tages ein Poem von ihr, betitelt >Der Bergmann<, sehen, [...] (263)(彼女の妹がある日、私に《鉱夫》という 題で彼女の書いた詩を見せてくれた)(中、49f.) この構文タイプで出現する二つの対格目的語の現われ方についてIde (1998) は、自らのコーパス分析の結果として、「実際証拠として裏付けられた対格目的 語は、人称代名詞の不定詞主語と名詞形の不定詞目的語を提示している場合が 優勢である」( Ide 1998: 279)としている。そしてこのIdeの分析結果は、(21)を はじめとする本コーパスのほぼすべての例においても当てはまる。また Ide は 「情報構造(Informationsstruktur)」の観点から、こうした不定詞主語の明確な表示

は「意味のある情報(eine gewichtige Information)」( Ide 1998: 285)であるとした

上で、「対格の不定詞主語はここではめったに出現せず、出現した場合には、ほ

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対して不定詞の領域内では叙述(prädiziert)がなされる」とも述べている(同上)。 他動詞が不定詞の lassen使役構文の場合、「不定詞主語」つまり lassenの「人」目 的語の省略されるケースが相当数に上るとは言え(前節の表(20)参照)、(21)の ような lassenの「人」目的語の出現する構文タイプも無視できない(表(20)に見 るように、無生物目的語の例は少数であるためひとまず考慮しない)。そしてそ こでは(不定詞の意味論的主語の表示形式の対立よりも)まず(lassenの)「人」目 的語が出現するか否かの対立に注目すべきであろう。上記(21)の諸例においては、 仮にlassenの被使役主(言い換えれば、埋め込まれた補文「誰がどうする」の「誰が」 の部分)が欠如した場合、コンテクスト的に文意は明らかに不完全なものとなる。 不定詞の意味論的主語の明示は、たとえ人称代名詞であろうと語用論的に見て 当該文脈においては「意味のある情報」(Ide 1998)なのである。 5.2.2. 「人」(主格主語)+ lassen + von+「人」(与格)/durch+「人」(対格) +「人・無生物」(対格目的語)+他動詞 この構文タイプは不定詞の動作主が von あるいは durch を用いた前置詞句に よって表現されるものであり、対格目的語での表示とは明らかに統語形式が 異なる。Ide (1998:277)は「前置詞句による不定詞主語は、大部分何か新しい事 (etwas Neues)、前もっては与えられていなかった事(Nicht-Vorgegebenes)を表現 する」と見ている。ただ、それが「しばしば既知の事柄(etwas Bekanntes)、前もっ て与えられていた事柄を表示する」( Ide 1998:285)場合もあるという留保も付 けている。そこで本構文タイプの具体例を幾つか挙げ、Ide (1998)の見解を検討 してみたい。この構文タイプで複数の出現回数を持つ動詞(不定詞)は、3回現わ れるsagen(言う)のみである。前置詞句もイタリック体とした。

(22) a. Mein armer Freund hat sich eines Tages, eines Nachts vielmehr, aus fürchterlichem Munde, von einem entsetzlichen Helfer über das hier Angedeutete Genaueres sagen lassen. (242)(私の気の毒な友はある日、 というよりはある夜、おそろしい口から、恐るべき盟約者によって、 今私が匂わせたことについてもっとくわしい話を聞かされた)(中、

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20)

b. das heißt: der die Jury abgebende Vorstand ließ jungen Komponisten

von einem der Symphonie-Orchester des Landes und seinem Dirigenten

ihre Werke mit Ausschluß der Ӧffentlichkeit und nur mit Zulassung von Fachleuten im Probespiel vorführen, [...] (238)(つまり、審査員をつと める幹部会が、若い作曲家たちの作品をこの国のシンフォニー・オー ケストラの一つとその指揮者とに演奏させて、一般の人は入れず専 門家だけで試演を聴いてもらうのであるが)(中、14)

c. da ich euch aus der Einöde dieses Schlupfwinkels geschrieben und gerufen, auch rufen und laden lassen durch meinen herzlich getreuen Famulus und

special Freund, [...] (657)(それというのも、私がこの寂寥の隠棲地 から手紙を書いて呼び、また、心から忠実な助手であり特別な友人 でもある人を通じて、呼び、招いたからなのですが)(下、257) 上記の(22c)は「私」によって呼ばれ、招待された人たちに向かって「私」が話 している発言内容の一部である。不定詞ladenはeinladen(招待する)と同義で他 動詞。rufen(呼ぶ)には与格目的語と対格目的語の両方の可能性があるが、rufen lassen(呼んでもらう)の場合は通常対格目的語であるため(例えば Wahrig Deut-sches Wörterbuch (1997)参照)、このrufenは他動詞としておく(「手紙を書く」を 意味する schreiben に対しては、euch(君たち)は与格しかありえないため、ここ での euch は与格・対格兼務と見做せる)。なお本コーパスでdurch(~を通して) が使われているのはこの例のみで、他はすべてvon(~によって)が使われている。 先に触れた Ide (1998)の分析によれば、前置詞で表現される不定詞の動作主 は「何か新しい事」つまり新情報ということになる。その点、(22)の各前置詞句 内には不定冠詞・所有冠詞付き名詞や不定代名詞が置かれ、コンテクストから 見てもIde (1998)の言う新情報と見てよいだろう。ただ「人」が使われた前置詞 句9例の内三つは von ihmのような人称代名詞使用の前置詞句となっている(全 集版、347頁、541頁、626頁の当該の文参照)。前節の Ide (1998)の説明にもあっ たように、不定詞の動作主を明示すること自体が「意味のある情報」なのであり、

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人称代名詞か不定冠詞等の付いた名詞か(換言すれば「既知」か「未知」か)の問 題は、lassen使役構文においてはそれほど重要性を持たないように思われる。 本コーパスに出現する「人」の前置詞句の例を見る限り、 (22)も含めむしろ 不定詞(この場合、他動詞)の意味に注目してよい。上述したように sagen(言 う)は3度出てきているが、(22)の諸例では他に vorführen(演奏する)、rufen(呼 ぶ)、laden(招待する)である。他の不定詞の例は、erzählen(語る;全集版、347頁)、 den Hof machen(機嫌をとる ; 同、341頁)、ironisch stimmen(皮肉な気持ちにさせ る;同、541頁)となる。これらの動詞の意味論的タイプを考えると、sagen, rufen, erzählen は発話動詞と見做せるし、また laden, den Hof machen, ironisch stimmen も何らかの発話行為・言語行為を含意すると見做せる。vorführenも「音楽を奏で る」という意味であり、言語音ではないが「音」を生起させる行為と言える。上 記のことから発話行為あるいはそれに類した活動が、動作主を von や durch に よって表示する傾向があると見ることもできる。また発話行為だけではなく、 本稿「その1」の1. に挙げた Wierzbicka (1998)の(2)(4)にあるような、geben(与 える)、überreichen(贈呈する)などの授与動詞(不定詞)の場合も、動作主は前置 詞句で表現しやすい傾向を窺わせる。逆にIde (1998:282f.)に従えば、hören(聞く)、 sehen(見る)等の「内面的な認知事象(innere kognitive Vorgänge)」の意味論的主 語については、前置詞句による表示可能性が排除される。このように不定詞の 意味論的類型と(不定詞の)意味論的主語の表現形式(「省略」も含め)が何らか の関わりを持つことは十分ありうる(認知・知覚に関わる動詞が不定詞になる場 合については次節も参照)。 5.2.3. 「人」(主格主語)+ lassen + [「人」(対格目的語)の省略 ]+「人・無生物」 (対格目的語)+他動詞 不定詞に他動詞が使われ、「人」の対格目的語(不定詞の意味論的主語)が省略 されるこの構文タイプは、本コーパスにおいては延べ34回出現し、他動詞(不定詞) が使われるlassen使役構文総出現回数(68回)の半数になる(5.1.の表(20)参照)。 また lassen使役構文全体から見ても、このタイプは無生物目的語と自動詞の組 み合わせの構文(74回)に次ぎ2番目に多く使用される(「その1」の表(13)参照)。

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本タイプで複数回出現する不定詞は merken(5回)、vernehmen(4回)、sagen(3回) であり、まずそれらを中心に具体例を紹介する。lassenと不定詞をイタリック体 にする他、後述の議論のため与格の再帰代名詞に下線を引いた。

(23) a. Aber er ließ sich nichts merken, [...] (61)(しかし彼はそんな様子を全 然見せなかった)(上、78)

b. und einer oder der andere der Herren ließ wohl auch ein beruhigend zusprechendes »So, so«, »Schon gut«, oder »Macht nichts!« vernehmen. (71)(そして大人たちのうちのだれかれが、落ち着かせるように、「そ

う、そう」とか、「それでいいんだ」、「なんでもない」などとつぶや いたりもした)(上、92)

c. Laß dir sagen, daß das eine völlig veraltete Theologie ist. (328)(ぼくに

言わせれば、そいつは完全に古くさい神学だね)(中、141)

d. Hatten wir uns in einem Kolonialwarengeschäft ein wenig Kaffee mahlen

lassen, so [...] (226)(私たちが植民地物産店で少しばかりコーヒーを

ひいてもらっていたとき)(上、301)

e. daß die Herren durch die Zähne pfiffen und die Damen ein erstauntes Jauchzen hören ließen. (374)(紳士連は歯のあいだから口笛のような 音を出し、婦人たちは驚きの歓声をあげた)(中、202) この構文タイプにおける lassen の目的語の省略について Ide (1998: 277f.)は (彼の場合、省略する目的語は「人」「無生物」に拘わらない)以下の三つの理由を 挙げ、その内主要なものを2番目、3番目の理由に見ている。一つ目の理由は、先 行する文脈から誰が、あるいは何が不定詞の主語であるか同定可能なため敢え て明示しない「文脈上の既知性(kontextuelle Bekanntschaft)」。二つ目の理由は、 不定詞の動作主がその専門家や職人であることが自明で、明示の必要性がない とする「状況的自明性(situative Selbstverständlichkeit)」。三つ目の理由は、不定詞 の行為が主語にとっては間接的行為に該当し、その動作主も不定(unbestimmt) の人間で重要性がないといった「状況的非重要性(situative Unwichtigkeit)」であ

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る。確かに(23)の例を見ても、先行文脈から同定可能なため省略、という一つ目 の理由はないと言ってよい。二つ目の動作主の職業上の自明性については(23d) に当てはまる。(23a)(23b)(23e)のlassen使役構文は、その場にいる人が「気づく」 「聞き知る」「聞く」といった状況を生起させるという意味を表わし、不定詞の表 わす認知・知覚を誰が行なったかは全く重要ではない。これらの場合の「人」の 省略は、いわば三つ目の「状況的非重要性」という理由からで、これが lassen の 目的語の省略理由としては最も多い可能性がある。(23c)の例はdu(君)に対す る命令文で、不定詞の意味論的主語としての mich(私)が省略されていると見る べきある。直訳すれば「私に…と言わせろ」という意味になる。7) 不定詞の意味 論的主語となる1人称の「私」は決して不定のものではなく、重要度が低いわけ でもない。よってこの1人称の目的語の省略は「発話状況的自明性」とも言うべ きものであろう。Ide (1998)の「状況的自明性」には、「話し手」「聞き手」の省略 が該当するようなこうした「発話状況的自明性」も含めておくべきかもしれない。 Ide (1998)においては触れられていないが、この構文タイプにおいてlassenの 対格目的語が省略可能ということは、その対格目的語が当該使役構文にとって 義務的成分ではないということを意味する。だが他方で先に挙げた(23)の例を よく見ると、主格主語を指示する与格再帰代名詞の存在が目立つ(例文(23)の 下線部参照)。ここで与格再帰代名詞の出現頻度について、5.2.1. で扱った「人」 対格目的語が明示される使役構文と、本節のそれが省略された構文を対比して 見てみると、(24)のようになる。 (24) lassenの「人」対格目的語の有無と与格再帰代名詞の出現頻度との相関 「人」対格目的語 明示された場合 省略された場合 与格再帰代名詞の出現頻度 0/20(0%) 17/34(50%) この表(24)から読み取れることは、「人」目的語が省略される場合には与格再 帰代名詞―これは不定詞の動詞にとって義務的な「補足成分(Ergänzung)」の場 合もあれば、「利害の与格」「所有の与格」のような「自由与格(freier Dativ)」、つ

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まり任意的成分の場合もある―の出現頻度が比較的高く、他方「人」対格目的語 が存在する場合には与格再帰代名詞が全く出現しないという事実である。こう した統語的成分に係わる相関性は今後さらに詳しく検討していく必要がある (「自由与格」については、例えば Helbig 1981、藤縄 2013b 等参照)。ただこのよ うな「人」目的語の省略と与格再帰代名詞の出現との相関性の理由としては、次 のことが言えるであろう。つまり、lassenの「人」目的語(不定詞の意味論的主語) の省略によって、統語的な「空所(Leerstelle)」(結合価理論で言う)が発生し、与 格再帰代名詞を置く統語的余地が生じているということ。また、(lassenの)「人」 目的語の省略が「主語+ lassen」と不定詞句との文法的意味的一体性・緊密性を 高めるため(つまり、使役構文の行為表現としての慣用度が高まる)、主格主語 を指示する与格再帰代名詞の出現しやすい統語的意味的環境が生起していると いったことである(lassen 使役構文内の再帰代名詞の指示対象については藤縄 2002や後述の6.を参照)。 最後に、この構文タイプにおいて不定詞となっている動詞の意味論的性格に ついても少し考察しておきたい。この問題は前節の最後に触れた「内面的な認

知事象」(Ide 1998)を表わす不定詞に関わる。Ide (1998)はNedjalkov (1976)の分

析結果なども参考に、(不定詞となる)認知的意味を持つ個々の動詞の種類によっ て「不定詞主語」が対格名詞句となるか、「ゼロ(Null)」表示となるか、その傾向 が大きく偏っていることを指摘している。そこでは相対的に不定詞主語が対格 表示される傾向にあるのが、fühlen(感じる)、vergessen(忘れる)、wissen(知って いる)であり、他方省略傾向にあるのが、erkennen(認識する)、hören(聞く)、mer-ken(気づく)、vermuten(推量する)、また出現形式が両者で比較的拮抗している のがsehen(見る)という事実が読み取れる(Ide 1998: 283)。Ide (1998)は、不定詞 主語の表示・省略が「ひょっとしたら文脈的性格というより、むしろ動詞意味論 的性格(verbsemantische Natur)に起因するかもしれない」といった問題提起をし た上で、その問題自体は今後の課題としている(Ide 1998: 284)。本コーパスにお いても認知・知覚に関わる他動詞(不定詞)について少数の事例ながら、(25)の ような(lassenの)「人」対格目的語の明示・省略回数を示している。

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(25) lassenの「人」対格目的語の明示・省略回数(不定詞が認知・知覚の他動詞の場合) lassenの「人」対格目的語 明示 省略 bemerken(気づく) erblicken(見つける) erfahren(聞き知る) hören(聞く) merken(気づく) sehen(見る) spüren(感じる) vergessen(忘れる) vernehmen(聞き知る) wissen(知っている) 1 1 0 2 0 1 0 1 0 4 0 0 1 1 5 1 1 0 4 1 (25)の表については、今後各動詞の調査対象数を増やしていくことが必要だが、 幾つかの認知・知覚動詞についてはIde (1998)同様、「人」対格目的語の明示に関 する偏りが確実に見て取れる。例えばwissenの場合には意味論的主語(lassenの 「人」目的語)の明示傾向、他方 merken, vernehmenの場合には省略傾向が見られ る(これらは Ide (1998)の指摘とも重なる)。明示・省略の偏りはIde (1998)の言 うように認知の動詞(不定詞)そのものの意味論的特性が関わる可能性も十分あ るが、より一般的にはその動詞(不定詞)の意味論的主語(「人」)の、発話状況に 即した語用論的重要性の程度に依ると思われる。 5.2.4. 「人」(主格主語)+ lassen +「無生物」(対格目的語)+「人・無生物」 (対格目的語)+他動詞 他動詞の意味論的主語(lassenの対格目的語あるいは前置詞句)が「無生物」の 場合は、本コーパスの他動詞の全事例中1割弱しかない(全68例中の5例)。その 内「無生物」が対格目的語になっている場合はわずか2例であり、「人」が lassen の対格目的語になっている例が20回出現しているのに比べ、極めて少ない(以上、 5.1.の表(20)を参照)。以下がその2例である。

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(26) a. und so ließ ich es mir nichts ausmachen, daß die gewohnte Erscheinung durch das äußere Schrecknis noch ein wenig verstärkt wurde. (231)(だ から私は、いつも慣れているこの現象が外的な恐怖によって少し強まっ たのを、たいして重要視することもしなかった)(中、5)

b. da ich dies alles wieder Revue passieren lasse, bin ich milde gegen ihn gestimmt, [...] (467)(これらすべてのことを再び検討してみても、私 は彼に対しておだやかな気持ちである)(中、324) このタイプのlassen使役構文はわずか2例であるが、ある共通の意味的特徴を 持つと言える。つまり「人」が lassenの対格目的語になっていないため、「人」に 何かをさせるといった「作為性」(Nedjalkov 1976)の意味は後退し、「人」主語自 身が「何かをする」という主語の行為性が前面に出てきている。つまり上の例で 言えば、「たいして重要視することもしない」「これらすべてのことを再び検討 してみる」といった行為である。また上記2例の他動詞(不定詞)の用法もかなり 慣用的であり―因みに(26a)のnichts ausmachenは「たいしたことはない」、(26b)

の「4格目的語」+Revue passieren lassenは「~を次々に思い浮かべる」をそれぞ れ意味する慣用語法―この種の使役構文は限定的な出現にとどまると見てよい。 5.2.5. 「人」(主格主語)+ lassen + von+「無生物」(与格)/durch+「無生物」 (対格)+「人・無生物」(対格目的語)+他動詞 「無生物」が von等を用いた前置詞句で表現される、他動詞(不定詞)を用いた lassen使役構文は、本コーパス内でわずか3回の出現(そのすべてがvonを用いた 前置詞句の事例)であり、前節の構文タイプ同様出現頻度は低い(5.1. の表(20) 参照)。以下が、当該使役構文の3例である。8) 前置詞句もイタリック体で強調。

(27) a. weit mehr sei er damals bedacht gewesen, alles Konventionelle, Formel- und Floskelhafte, wovon die Musik ja voll sei, vom persönlichen Ausdruck

verzehren zu lassen, es in die subjektive Dynamik einzuschmelzen. (73)

(15)

もの、形式的なもの、修飾的なものを、個性的な表現によって吸収し、 主観的な動力へ融解しようと考えていた)(上、95)

b. Ich werde mir von deiner ungnädigen Verschämtheit den Mund nicht

stopfen lassen und [...] (316)(君が不興げに恥ずかしがっていたって、

ぼくは口をつぐみはしないだろう)(中、124)

c. um [...], ihre Phantasie von der Klangwirklichkeit belehren zu lassen. (238) (彼らの空想に、音響の現実によって教えを与えるためである)(中、 14f.) これら無生物が前置詞句で表現される場合、数は少ないが対格目的語(「無生 物」)で表現されるケース(前節の(26)参照)と比べて不定詞となる他動詞に、あ る意味論的特徴が窺える。つまり意味論的主語が対格名詞句で表現される場合 の他動詞(不定詞)は、ausmachen(意味を形成する)、passieren(通過する)のよう に「対象への働きかけ」(つまり意味論的な「他動性」)がほとんどない動詞であっ たのに対し、(27)の前置詞句を用いた構文タイプの他動詞は、verzehren(食べ尽 くす)、stopfen(一杯に詰める)、belehren(教える)等のように他動性が顕著であ る(本稿で用いる「他動性」については、例えば角田(2009:67ff.)等参照)。少数の 動詞の対比に基づく推論だが、この lassen使役構文のタイプにおいては不定詞 の他動性に着目すべきであろう。 6.不定詞が再帰動詞(対格再帰代名詞と共起)の場合のlassen使役構文の分析 6.1. lassen 使役構文の出現回数(不定詞が対格再帰代名詞共起の再帰動詞の 場合) lassen 使役構文内において出現する再帰代名詞の内、与格再帰代名詞につい ては5.2.3.で述べたように、不定詞が他動詞でlassenの「人」対格目的語が省略さ れている場合に、比較的多く見られる。本節ではそうした(不定詞が他動詞の) 与格再帰代名詞出現の場合を除いて、不定詞が対格再帰代名詞を伴う再帰動詞 となる場合に限って考察する。9) 本コーパスの当該事例は延べ8例にすぎず、数

(16)

値的には少ない(あとに掲げる表(28)参照)。ただ再帰動詞が不定詞となるlas-sen使役構文において着目すべきことは、再帰代名詞の指示対象が lassenの主格 主語なのか、lassen の対格目的語(不定詞の意味論的主語)なのかという問題で ある。この点は藤縄(2002:65)もコーパス分析の結果―藤縄論文における再帰代 名詞は与格・対格や前置詞句内のものも分析対象とされると共に、sich erpressen lassen(恐喝される), sich hemmen und stören lassen(阻止され、妨害される)等を用 いた諸例から判断して「その1」で触れたlassen受動構文も算入されているよう に思われる―として、「再帰代名詞の先行詞が lassenの主語となっている」事例 が「圧倒的な数に上った」と述べており、「先行詞」(藤縄の当該論文では再帰代 名詞の指示対象のこと)が lassen の対格目的語となっている事例は少ないとし ている。本コーパスの(23)の諸例(上述の5.2.3. 参照)で出現した与格再帰代名 詞(例文(23)の下線部参照)を見た場合には、すべて lassenの主語を指示してお り、この藤縄の結論は妥当と言える。対格再帰代名詞については、本コーパスで の出現数は少ないが、指示対象に着目した数値を下記の(28)で示しておく。な お対格再帰代名詞が主格主語を指示する場合の再帰動詞は4例となっているが、 同じ再帰動詞が2例ずつあり(後述の6.2.1.参照)、異なり語数では2となる。また 本論文では「人」主語の使役構文しか分析対象としていないため、主格主語を指 示するという場合、指示対象はすべて「人」になる。表(28)においては事例数の 少なさのため、(lassen受動構文を除き)対格再帰代名詞がlassenの主語を指示す る場合が「圧倒的な数」(藤縄 2002)に上るかの判断は保留せざるを得ない。 (28) 対格再帰代名詞の指示対象別出現回数 対格再帰代名詞の2種の指示対象 lassenの主格主語を指示 lassenの対格目的語を指示 4(不定詞異なり語数:2) 4(不定詞異なり語数:4) 「人」 「人」 「無生物」 4 1 3 ここで対格再帰代名詞が lassen の主格主語を指示するか、対格目的語を指示

(17)

するかが、使役構文全体の意味とどのように関わるかについて少し考えてみたい。 基本的に対格再帰代名詞の指示対象の違いは、「(不定詞の)意味論的主語(lassen の対格目的語)+不定詞」で構成される補文の、(主文に対する)統語的意味的自 立性の強さに関わってくると思われる。対格再帰代名詞が lassenの主語を指す 場合は、lassen 使役構文全体が一文としての統語的意味的一体性・緊密性を保持 すると考えられるのに対し(つまりは使役構文全体が lassen の主語の単一行為 と見做せる)、対格再帰代名詞がlassenの目的語(不定詞の意味論的主語)を指す 場合は、主文内に埋め込まれた補文としての自立性が高く、「主文+補文」の分 節的構造(つまりは、lassenの主語の使役的行為と対格目的語を意味論的主語と する不定詞の行為という二つの行為)が明確に見て取れる。同一構文タイプ内 におけるこのような補文自立性の揺れは、lassenの対格名詞句が「目的語」であ りながら不定詞の意味論的「主語」にもなりうるというその統語的意味的二重 性に起因するものと言える。 6.2. 各構文タイプの考察(不定詞が対格再帰代名詞共起の再帰動詞の場合) 6.2.1. 「人」(主格主語)+ lassen +「人・無生物」(対格目的語)+再帰動詞 (「主格主語」を指示する対格再帰代名詞と共起)

この構文タイプの延べ出現回数は4回であるが、実際には sich nichts anfechten lassen(気にかけない)とes sich nicht verdrießen lassen(労力を惜しまない;esは後 続の zu 不定詞句を指示)という慣用的な当該使役構文がそれぞれ2度ずつ出現 する。それぞれ1例ずつ挙げておく。慣用表現全体をイタリック体とした。 (29) a. Schlafet ruhig und laßt euch nichts anfechten! (651)(落ち着いて眠って

ほしい、そして何にも気をとめないでもらいたい!)(下、249) b. Außerdem ließ er es sich nicht verdrießen, selbst kleine Stücke, Märsche

und Tänze für ihn zu schreiben, [...] (99)(そのほかに彼は、弟子のた めにみずから小曲、行進曲、舞踏曲を書くことを厭わなかった)(上、 130)

(18)

これらの文は5.2.3.で述べた「不定詞が他動詞で、不定詞の意味論的主語(lassen の「人」目的語)は省略、かつlassenの「人」主語を指示する与格再帰代名詞が共起」 の場合にも増して主語自身の具体的単一行為を表現していて、「作為性」は低い と言える。つまり「何にも気をとめるな」という命令内容は言表に出現していな い2人称の主語 ihr(君たち)の行為に関わるものであり、「書くことを厭わない」 はlassenの主語er(彼)の行為を意味している。 6.2.2. 「人」(主格主語)+ lassen +「人・無生物」(対格目的語)+再帰動詞 (「対格目的語」を指示する対格再帰代名詞と共起) この構文タイプでは、再帰代名詞が lassenの主語を指示する場合と比べ、「意 味論的主語+不定詞」で表わされる出来事に対する(lassen の)主語の「作為性」 は前景化される。以下が本コーパスに出現した4例である。再帰代名詞もイタリッ ク体とした。

(30) a. er kannte sie nicht, wie Nikolaus Leverkühn sie führte, als Maschinenpauke, die der Ausübende leicht mit einem Griffe der Hand dem Tonartenwechsel

sich anpassen läßt. (59)(彼はニコラウス・レーヴェルキューンが扱っ

たような、演奏者が手の握りで簡単に調の変化に合わせられるペダル・ ドラムを知らなかったのである)(上、76)

b. indem er die Grundelemente der Musik in seinem kosmogonischen Mythos vom >Ring des Nibelungen< sich mit denjenigen der Welt habe decken

lassen. (87)(天地開闢の神話《ニーベルンゲンの指輪》において、

音楽の根本原素と世界のそれとを一致させることによって)(上、 113)

c. und [Clarissa] ließ sich die Freude an seiner Ausübung nicht mindern durch eine gewisse Kälte des Publikums, Mäkeleien der Kritik und die freche Grausamkeit dieses und jenes Spielleiters, [...] (460)(そして [ クラリッ サは ] 観衆の一種の冷たさや批評の非難やあれこれの演出家の無礼な 冷酷さに出会っても職業の修練に寄せる喜びをそこなわれはしなかっ

(19)

た)(中、315)

d. Oder man mußte die zierliche Grandezza beobachten, mit der er zwei wunderliche kleine Herrschaften am Meeresstrand sich begrüßen ließ: [...] (617)(あるいは、彼が二人の風変りな小さな貴顕たちに海辺で挨拶

を交わさせたときの、優美ないかめしさを認めずにはいられなかった) (下、202)

上記(30)の各例の再帰代名詞が指示する語はそれぞれ、a.ではMaschinenpau-ke(ペダル・ドラム)を先行詞とする関係代名詞 die、b. は die Grundelemente(根本 原素)、c.はdie Freude(喜び)、d.はzwei wunderliche kleine Herrschaften(二人の風 変りな小さな貴顕たち)で、すべてlassenの対格目的語(不定詞の意味論的主語) である(つまり前節(29)の例のように再帰代名詞がlassenの主語を指示しない)。 このことは「意味論的主語+不定詞(再帰動詞)」という補文の統語的意味的自 立性を担保すると共に、補文の事態をlassenの「人」主語が生起させるという「作 為性」の意味も堅持されている。また上記4例の内、(30d)のみlassenの対格目的 語が「人」(つまり「二人の風変りな小さな貴顕たち」)になっている。こうした「人」 の目的語の場合には、主語の「人」(この場合は「彼」)からの発話行為・言語行為 に基づく直接・間接の働きかけが十分予想される。 なお(本節の構文タイプから見れば周辺的位置付けとなるが)不定詞の前置 詞目的語内の再帰代名詞がlassenの対格目的語を指示する事例、つまり「対格目 的語+auf sich beruhen lassen(~を放置しておく)」という慣用語法が藤縄(2002: 64f.)において紹介されている。本コーパスでも不定詞がauf sich beruhenとなる

使役構文の出現は、3回と比較的多い。この種の文は、本稿の中では(lassenの)「無

生物」対格目的語と自動詞(不定詞)で成り立つ構文タイプ(「その1」の4.2.3.参照) に分類されているが、当該の節では例示しなかったため、ここで1例挙げておく。 (31) Warum Zimbalist abgeholt worden war, obendrein zu der Stunde gerade,

auf die ihn der Doktor bestellt hatte, ―er ließ es auf sich beruhen. (211) (なぜツィムバリストは拉し去られたのか、しかも彼にくるように指

(20)

定しておいたちょうどその時刻に拉し去られたのか、―彼はそれを 究明しなかった)(上、280) このlassen使役構文の意味は上述した井出(2013)の、lassenの対格目的語が「無 生物」で、不定詞が[+継続]の意味を持つ自動詞の場合に該当し、「放置」という 意味解釈も可能となる。ただここで重要なことは藤縄(2002)も指摘するように、 前置詞句内(藤縄は広く「斜格」と言っている)の再帰代名詞であってもlassenの 対格目的語を指示する場合があるという事実である。 7. 不定詞が非人称述語の場合のlassen使役構文の分析   7.1. lassen使役構文の出現回数(不定詞が非人称述語の場合)   この構文タイプでは、lassenの対格目的語が非人称のesとなり、そのesが不定 詞の非人称述語(述語形容詞・述語名詞等も包含した形で一つの「述語」として おく)の意味論的主語にもなっている。この場合Wierzbicka (1998)の説明にあっ た、lassenの主格主語が誰かに直接・間接に働きかけて何かをさせるといった状 況は想定しにくい(「その1」の1.を参照)。当然lassenの対格目的語が非人称のes である以上、具体的な「被使役主」が言表に出現する余地もない。他方で lassen の主格主語が非人称述語で表現される事態を生起させるという「作為性」の意 味は前面に出てくる。また本コーパスの非人称述語のタイプは、次の(32)に見 るように対格目的語を取らない自動詞(言うまでもなく動詞seinも含む)の場合 と対格目的語を取る他動詞の場合に分かれる。(32)の表では本コーパスにおけ る延べ出現回数と異なり述語数を示す。複数回出現する非人称述語はfehlen(欠 けている)であり(3回)、es が(場合によっては)省略可能な生理的・心理的意味 を持つ非人称述語が不定詞となるケースはない。 (32) 不定詞が非人称述語の場合 非人称述語の自・他の区別 自動詞 他動詞 6(異なり述語数:4 ) 2(異なり述語数:2)

(21)

7.2. 各構文タイプの考察(不定詞が非人称述語の場合) 7.2.1. 「人」(主格主語)+ lassen + es(非人称)+非人称述語(自動詞) 対格目的語を取らない非人称述語(自動詞)が不定詞となる場合、出現する述 語の種類は4つあるが、ここではその種類すべてを挙げておく。ただ前節で述べ たように fehlen に関しては3例あり、これについてはその内の2例を(33a)(33b) として挙げてある。また例文では非人称のesもイタリック体にした。

(33) a. nur noch ein paar Elevinnen der höheren Töchterschule, die es an Gekicker während der Hemmungszustände des Sprechers nicht fehlen ließen. (70) (わずかに女子高等学校の生徒が数人いただけで、しかも彼女たちは、

講演者がへどもどしているあいだ、きまってくすくす笑うのだった) (上、90f.)

b. Nicht nur, daß sie die Hochzeit in aller Stattlichkeit ausgerichtet und es, in Ermangelung einer nennenswerten pekuniären Mitgift, an einer würdigen Aussteuer in Wäsche und Silber nicht hatte fehlen lassen; [...] (432)(夫 人は華々しく結婚式をあげさせ、取り立てて言うほどの持参金もなかっ たが、衣類や銀器で立派な嫁入支度をととのえたというだけではなかっ た)(中、278)

c. Offenbar hatte ihr Quäler beschlossen, es zu der Heirat nicht erst kommen zu lassen. (508)(彼女を苦しめた男は、明らかに、結婚にまではもっ ていかせまいと決心していた)(下、55)

d. Auch ich wollte eben den Mund auftun und den Freund ersuchen, es mit der Einleitung genug sein zu lassen und uns nun aus seinem Werke zu spielen, als er, unberührt von dem Zwischenfall, in seiner Ansprache weiterging: [...] (663)(私も口を開いて、前置きはそのくらいにしてお いて、今度は作品の中から演奏してみてくれないかと頼もうとしたとき、 彼はこんな偶発事件に委細かまわず、挨拶をつづけた)(下、265)

e. ― ich muß es gut damit sein lassen. (668)(私はそれでよしとしなけれ

(22)

前節で非人称述語(不定詞)の構文タイプにおいては、lassen の主語が補文の 事態を生起させるといった「作為」の意味の可能性が高いと述べたが、(33a)で は「笑い声」、(33b)では「立派な嫁入支度」、(33c)では「結婚式」といったそれ ぞれの事態の生起が問題となっている。ただ(33d)と(33e)の不定詞は genug sein(十分である)、gut sein(結構である)という「状態」を表現しており、これ らは es が [-意思]、不定詞が[+継続]となる井出(2002)の「放置」の意味と言っ てよい。ただ概念上は「放置」というよりも、「もう前置きは十分」「もうそれで 結構」という事態の「容認」と見る方がより適切であろう。 7.2.2. 「人」(主格主語)+lassen+es(非人称)+非人称述語(他動詞) この構文タイプは本コーパスでは2例のみで、非人称述語(他動詞)の対格目 的語として現れる名詞(これもイタリック体とした)は、以下で見るように動詞 派生のものである。以下がその2例。

(34) a. und [er] redete Adrian zu Beginn seines Besuches zweimal mit Du an, um sich erst beim dritten Mal, da jener nun einmal nicht darauf einging, zu verbessern und es beim Vornamen mit dem Sie sein Bewenden haben zu

lassen. (462)(そして訪問のはじめにアドリアンを二度《君》と呼ん

だが、アドリアンが全然応じなかったので、三度目にはそれをやめ、 名前を呼び、《あなた》と言うことで満足した)(中、318)

b. und [er] arrangierte dort diskursive Herrenabende, intime Round-table-Sitzungen von nicht mehr als acht bis zehn Persönlichkeiten, zu denen man sich nach dem Abendessen, etwa um neun Uhr einfand, und die, ohne daß der Gastgeber es sich weiter viel Bewirtung hätte kosten lassen, rein auf das zwanglose Beisammensein, den Gedankenaustausch gestellt waren. (481)(そして彼はここで、八人から十人を出ない紳士たちが 親しく円卓を囲む夕べを主宰した。人々は夕食後九時ごろにやってく る。そして主人は別にたいしたもてなしをせず、こういう夕べはもっ ぱら拘束のない集会と思想の交換とに向けられたのである)(下、20)

(23)

上記の(34a)の lassen 使役構文は、補文としての「es hat mit+ 与格名詞句 sein Bewenden(~で満足しておく)」が不定詞句の形で埋め込まれたものである。こ れも前節(33d)のgenug sein, (33e)のgut seinと同様、井出(2002)に従えば「放置」 の意味となろうが、ここでもむしろ「容認」と見る方が相応しいだろう。また(34b)

も、「es kostet viel Bewirtung(大いにもてなす羽目になる)」が lassen 使役構文の

中に不定詞句として埋め込まれたものだが、こちらの方は「負担のかかる状況」 の生起という「作為」の意味にとるのが適当であろう。ただ主人が直接労力を費 やして「もてなし」をするわけではなく、実際の仕事は命じられた(言表には現 われない)家人などが行なうものと推測される。 8. おわりに 以上、トーマス・マンの『ファウスト博士』をコーパスに用い、ドイツ語の「人」 主語のlassen使役構文を構文タイプ毎に分析・考察してきた。最後に本コーパス の分析・考察を踏まえ、「人」主語のlassen使役構文の持つ主要な文法的語用論的 特徴をまとめておく。 ① 「人」主語のlassen使役構文の出現頻度(延べ回数)を高い方から順に構文 タイプ別に見た場合、不定詞の意味論的主語(lassenの対格目的語)が「無生 物」で不定詞が自動詞の場合の出現頻度が一番高く74回、割合にして上記 使役構文の総出現回数189回の約4割弱、次に高いのが不定詞が他動詞で、 不定詞意味論的主語が省略されている構文タイプで上記の約半分(34回)、 以下順に不定詞が自動詞で意味論的主語が「人」として出現するタイプ(28 回)、不定詞が他動詞で意味論的主語が「人」として出現するタイプ(20回) となっている。それ以外の構文タイプはすべて延べ回数が10回以下で、出 現頻度が高いとは言えない。上位三つの構文タイプの不定詞(動詞)を取 り巻く(補文内の)統語的意味的成分、言い換えれば不定詞にとっての「項 (Argument)」は一つであり、lassen 使役構文全体としては主格主語を加え 「項」が二つとなる。ドイツ語構文一般から見た場合、「項」が二つの統語構 造(結合価的に見れば2価の述語)が好まれている証拠と見ることもできる。

(24)

ただ表(20)(5.1.参照)に見るように、不定詞が他動詞となる使役構文の3割 程度はlassenの対格目的語(不定詞の意味論的主語)が保持されているため、 3項述語的な使役構文が特に避けられているとも言えない。 ② 不定詞が「継続的性格」を有する自動詞で、「無生物」(「物」や「出来事」) が不定詞の意味論的主語(lassen の対格目的語)となる場合、井出(2013)の 「意味解釈チャート」に従えばlassen使役構文は「放置」といった意味となる。 しかし実際には、継続的意味を持つ不定詞の場合でも当該使役構文が「あ る状態を生起させる」といった「作為性」の意味を持つ場合も比較的多い。 また井出の「放置」の意味解釈においては、むしろある事態の「容認」と言っ た方が適切な状況もある。 ③ 不定詞が他動詞の場合、①で見たように、「人」と想定される不定詞の意 味論的主語(lassenの対格目的語)の省略がかなり多い。Ide (1998)の指摘す る「状況的自明性」、「状況的非重要性」と言った理由が多くの場合該当する が、前者の場合、単に職業的自明性だけでなく、「話し手」である1人称対格 の省略に見られるような「発話状況的自明性」も加えてよい。また認知・知 覚を意味する動詞が不定詞となる場合、merken(気づく)、vernehmen(聞き 知る)のように意味論的主語を慣用的に取らない傾向の動詞もあれば、逆 にwissen(知っている)のように通常意味論的主語を取る動詞もある。 ④ 不定詞が他動詞で、不定詞の意味論的主語(lassen の対格目的語)が省略 される場合、省略されない場合と比べて、与格再帰代名詞の共起する事例 が目立って増加する。この与格再帰代名詞は主格主語を指示しており、こ のことは不定詞を中心とした補文部分が主文と統語的意味的に一体化・緊 密化し、lassenの主格主語の単一行為としての文意を強めていることを意 味する。 ⑤ 不定詞が他動詞の場合、「無生物」名詞句が不定詞の意味論的主語(lassen の対格目的語)になる例は(「人」名詞句が意味論的主語になる場合と比べ) 著しく少なく、省略された例も本コーパスでは存在しない。 ⑥ 不定詞が他動詞で、その意味論的主語(「人」)が vonやdurchを用いた前置 詞句で表現される使役構文の場合、sagen(言う)等、発話行為・言語行為を

(25)

意味する他動詞が使われる傾向が本コーパスでは見られた。また不定詞が 他動詞で、その意味論的主語が「無生物」の際には、意味論的主語が vonや durchの前置詞句で表示される場合の方が、(lassenの)対格目的語で表示さ れる場合より不定詞の意味論的他動性は高いと言える。 ⑦ Wierzbicka (1998)は不定詞を「動作動詞」に限定し、lassen 使役構文にお ける「人」主語から lassenの「人」目的語への「依頼」「要請」「命令」といった 発話行為に焦点を当て、英語使役構文との比較を行なった。しかし lassen 使役構文の場合、lassenの対格目的語に「無生物」名詞句が入る場合もある。 こうした構文タイプでは(不定詞が自動詞・他動詞の場合共に)他に対する 作為性よりも、むしろlassenの「人」主語の単一行為が前景化されるケース が多い。また(lassen の)目的語が「無生物」で不定詞が自動詞の場合には、 井出(2013)の言う、ある事態に対し何もしないでおくといった「放置」(あ るいは②で述べた「容認」)の可能性もある。 ⑧ すでに藤縄(2002)でも指摘されているように、不定詞が再帰動詞の構文 タイプでは、共起する再帰代名詞が lassen の主格主語を指示する場合と、 lassen の対格目的語を指示する場合がある。前者の場合は lassen 使役構文 自体が慣用的表現であることも多く、lassen の主格主語の単一行為と見做 せるのに対し、後者の場合は、主文に埋め込まれた「補文」そのものがかな り自立的で、それ自体「作為」の対象として一つの統語的意味的まとまりを 形成している。 以上、トーマス・マンの『ファウスト博士』を分析・考察した結果をまとめてみた。 最後に、lassen使役構文と対比的に論じられることもある「機能動詞構造(Funk-tionsverbgefüge)」、つまり「対格目的語+ zu(または in)+動作名詞+ bringen(ま たは setzen 等)」という形式について一言述べておきたい。一般にこの構造は、

主語が「原因(Verursacher)」となり、「複合的な作為動詞(komplexes Kausativum)」

として働くが(Duden-Grammatik 2009: 423)、同じ作為的意味を持つとは言え、 lassen 使役構文の出現回数と比べて(本コーパスでは)かなり数は少ない。例え ば(周辺的構文も含め)数の多い方から順に言えば、zum Lachen bringen(笑わ

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せる)が3回、in Erinnerung bringen(回想する)が2回、zur Sprache bringen(口に出 す)が2回、その他1回限りのものがzum Schweigen bringen(沈黙させる)、zu Falle bringen(破滅させる)、in Erfahrung bringen(聞き知る)、in Vorschlag bringen(提案 する)、in Erstaunen setzen(驚愕させる)である。客観的に見て、本コーパスで一 度もlachen lassenという使役構文が出現していないことを考えれば、lassen使役 構文と機能動詞構造それぞれの使用分布・使用頻度には、文末不定詞あるいは 動作名詞となる動詞の意味的性格が深く関わっている可能性が高い。「小説」な のか「論説」なのかといった言語の使用領域の問題も含め、両構文の用法上の差 異の解明は今後の課題としておきたい。 (了) (注) 6) 藤縄(2002:70)は「項の表示法」について、「他主は示されない、ないしは、示されるに してもvonやdurchによることが多い」と述べているが(「他主」は不定詞となる他動詞の「論 理的主語」のこと)、藤縄自身のコーパス調査を見ても、「他主は示されない」とまでは言い 切れないであろう。

7) (23c)のLaß dir sagen, daß … といった表現はかなり慣用的に使用されている可能性がある。 不定詞 sagen を用いた三つの当該構文の中に、もう一つ同様の例がある(以下参照)。Nun, dann laß dir sagen, daß dein Geständnis, dein offenes und dankenswertes Geständnis, viel eher danach angetan ist, mich an meiner Bitte nur fester halten zu lassen, als daß es mich bestimmen könnte, davon abzustehen. (583)(ふむ、それでは聞いてもらいたいが、君の告白、君の率直で感謝すべき告 白は、頼むのをやめるよう説得するよりはむしろはるかに、いよいよその頼みを固執させる もののようだ)(下、157)(イタリック体は湯淺による。以下同様) 8) 次に挙げる例文中の verkümmern(いじける)を他動詞と解釈すれば、当該の構文タイプ に入れることが可能だが、この動詞は単独用法の場合も verkümmern lassenの形で使う場合も 通常自動詞扱いされている(例えば、Duden-Deutsches Universalwörterbuch, 1983参照)。よっ て本稿でも以下の verkümmern は自動詞とした。例:—überhaupt, sage ich, ließ ich mir meine patriotische Ergriffenheit, die so viel schwieriger zu vertreten war als die der andern, nicht verkümmern

durch die Humorisierung des Charakteristischen und verlieh ihr, im Zimmer auf und ab gehend, Worte,

[...] (406)(―繰返して言えば、一般に私は、他人のそれよりもはるかに弁護がむずかしい私 の愛国的感動を、性格的なものの滑稽化によっていじけさせないで、部屋の中を行きつもど りつしながらそれを口にしたのである)(中、244f.) 9) lassen使役構文内に対格再帰代名詞が出現しても、それがlassenの主格主語を指示する場合、 文末不定詞を「再帰動詞」と呼べるかどうかは議論の余地があろう。本稿ではひとまず構文 内における再帰代名詞の出現を拠り所に、この場合の文末不定詞も「再帰動詞」と呼び分析 対象とする。

(27)

(参考文献)

「その2」で初出となる文献についても、「その1」(本誌前号)巻末の「参考文献」欄に掲載 している。従って、「その1」の「参考文献」参照。

(28)

Der Gebrauch kausativer Konstruktionen mit lassen, bei denen Menschen das Subjekt darstellen ― anhand von Beispielen aus Thomas Manns „Doktor Faustus" ―

( 2. Teil )

Hideo YUASA Der zweite Teil dieses Aufsatzes behandelt die deutschen kausativen Konstruktionen mit

lassen (=kK) in Thomas Manns „Doktor Faustus" (=DF-Korpus), die als Infinitiv ein transitives

Verb, ein reflexives Verb oder ein unpersönliches Verb gebrauchen.

Im Falle, dass ein transitives Verb als Infinitiv gebraucht wird, gliedert sich das semantische Subjekt dieses Infinitivs (=sSI) in zwei Gruppen: belebtes Wesen (im vorliegenden Fall einen oder mehrere Menschen) und unbelebtes. Die einzelnen Satztypen der kK mit einem transitiven Verb als Infinitiv treten im DF-Korpus wie in der Tabelle 3 auf:

sSI(„Mensch") sSI(unbelebtes Wesen)

Auftreten Auslassung Auftreten Auslassung

Akk.-Obj. PP 34(50%) Akk.-Obj. PP 0(0%) 20(29%) 9(13%) 2(3%) 3(4%) 29(43%) 5(7%) 63(93%) 5(7%) 68(100%) (PP: Präpositionale Phrase)

Tabelle 3: Die totale Häufigkeit der einzelnen kK im Falle von transitivem Verb als Infinitiv

Die Anzahl der kK, wo das belebte sSI, d.h. Menschen, als Objekt des Kausativverbs lassen, nicht angeführt wird, beträgt 50% aller kK mit einem transitiven Verb als Infinitiv. Die Anzahl derjenigen kK mit einem belebten sSI, das als Objekt im Akkusativ erscheint, macht ca. 29% aus. Die kK mit einem belebten Objekt von lassen, also mit belebtem sSI, treten verhältnismäßig oft auf. Der klare Ausdruck des belebten sSI in den betreffenden Sätzen hat eine pragmatische Bedeutung.

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Es gibt wenige Fälle, in denen das sSI, also das Objekt von lassen, ein unbelebtes Wesen bedeutet. Wenn das sSI mit einer PP wie von+NP oder durch+NP ausgedrückt wird, werden einerseits ziemlich oft Verben des Sprechaktes wie sagen, erzählen u.a. verwendet, andererseits treten Verben der Wahrnehmung wie sehen, hören u.a. in diesem Satztyp der kK sehr selten auf.

Bei den kK mit einem transitiven Verb als Infinitiv gibt es viele Fälle, in denen das belebte Objekt von lassen wegfällt. In diesen Konstruktionen ohne ein Objekt von lassen erscheint ziemlich oft ein Reflexivpronomen im Dativ. Denn die Auslassung des belebten Objekts von lassen bedeutet die Entstehung der syntaktischen „Leerstelle" in einer Konstruktion des Satzes, wo das dativische Reflexivpronomen auftreten kann. Die kK mit diesem Reflexivpronomen im Dativ drückt meistens das einfache Tun des Subjekts ohne kausative Bedeutung aus. Im DF-Korpus wird das Objekt von lassen, d.h. das sSI, meistens ausgedrückt, wenn das Verb wissen als Infinitiv gebraucht wird, während das Objekt von lassen , wie Ide (1998) bemerkt, in vielen Fällen ausgelassen wird, wo Verben wie merken, vernehmen u.a. als Infinitiv verwendet werden.

Im Falle, dass ein reflexives Verb als Infinitiv gebraucht wird, verweist das reflexive Akkusativobjekt entweder auf das Subjekt oder auf das Objekt von lassen (d.h. sSI), wie dies auch von Fujinawa (2002) bereits aufgezeigt wurde. Wenn das reflexive Akkusativobjekt des Infinitivs auf das Subjekt eines Satzes hinweist, stellt die kK semantisch einen einfachen Akt des Subjekts dar wie z.B.: Laßt euch nichts anfechten!

Im Falle, dass ein unpersönliches Verb als Infinitiv gebraucht und das unpersönliche es als Akkusativ-Objekt verwendet wird, tritt „Faktivität" (Nedjalkov 1976) semantisch in den Vordergrund. Der Sprechakt des Subjekts ist in der kK nicht zu erkennen wie zum Beispiel beim Satz: Ich muss es gut damit sein lassen.

Schlüsselwörter : kausative Konstruktionen mit lassen, Infinitiv, transitives Verb, semantisches

Subjekt, reflexives Verb, Akkusativobjekt, Faktivität

キーワード:lassen使役構文、不定詞、他動詞、意味論的主語、再帰動詞、対格目的語、 作為性

参照

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