はじめに
昨年( 年) 月 日・ 日に第 回東北・北海道地区大学一般教育研究会が札幌市の北海学園大 学(豊平キャンパス)で開催された。講演では、北海学園大学の朝倉利光学長が、「新しい時代の教養教 育―専門教育と教養教育の融合」と題して、自らの豊富な経験も踏まえた有意義な内容であった。同研 究会では、大テーマ「現代社会の知のあり方と教養教育の可能性」を掲げ、第 分科会「情報社会におけ る教養教育の可能性」、第 分科会「導入教育のあり方とその可能性」、第 分科会「人間形成としての教 養教育の可能性」でのテーマが取り上げられ、 大学 名が参加する盛会なものであった。大テーマお よび各分科会の趣旨は、以下のようであった。
大テーマ 「現代社会の知のあり方と教養教育の可能性」
(趣旨)
大学は 年に大学設置基準が大綱化されて以来、絶え間ない変化の渦のなかにいる。 年代は大 綱化をうけて教養部改革の議論が各大学でおこなわれた。それぞれ真剣に検討したうえで教養部を存続 させた大学、教養学部に改組した大学、教養部を解体した大学とさまざまであった。この動きはカリ キュラム改革、組織の改組、教員の移動など大きな変化を伴い、教養教育をふくむ大学教育全体にひず みを残した。
さらに世紀がかわって国公立大学の独立行政法人化がはじまり、大学が市場原理にのっとって運営さ れるようになる。今年は「新学習指導要領」によるいわゆるゆとり教育の一期生が入学してきた。大学 は学生の学力低下を危惧して、入学前の学生にほどこすプレ教育や入学後の補習的なレメディアル教育 などの導入教育を検討している。そしていよいよメディアでも話題になっている少子化現象の結果とし て大学全入時代に突入することになる。そうなれば、定員を確保できない大学、定員は確保できるが学 生のレベルが著しく低下する大学が多数でてくるのは必至だ。
このようにポストモダンの時代を象徴するかのような混沌とした状況にあって、大学教育のあり方を 問い直すことが大学において教育にたずさわる者の責務と言ってよいだろう。特に学部教育、専門教育、
実用的な科目を重視する流れのなかで、教養教育の意義を見直すことには特別な意味があると思われる。
なぜなら、すぐ役にたつ効率的な知識や情報の伝授とともに、それとは異なる視野に立つ教育を行うこ とも大学の重要な役割と考えるからである。今は無用に見えるかもしれないが、後から重要な局面で意 味をもってくるような知識や思考のあり方にこそ教養の本質があり、時間をかけて積み重ねていく知の あり方にこそ大学の重要な側面があるのではないだろうか。そのような意味において、現代の情報化す る社会の要請と学生の現実的なレベルに対応しつつも、大学教育のあり方を問い直すことは大学におけ る「教養教育の可能性」を模索することと本質的な面で結びついてくるだろう。
今回の研究会では以上のような観点から「現代社会の知のあり方」を再検討し、それをより良い形で実 現するための「教養教育の可能性」を会員の皆さんと考えてみたい。
そ の 他
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東北・北海道地区大学一般教育研究会
第 分科会テーマ:「情報社会における教養教育の可能性」
(趣旨)
私たちの社会では、今、急速に情報化が進んでいる。情報技術は、日常生活から高度な専門領域まで の様々なレベル・領域に浸透し、そのあり方を根底から変えつつある。社会のすみずみまでコンピュー タとネットワークが入り込んだ結果、誰でも簡単に様々な情報にリアルタイムでアクセスできるように なった。取得した情報の処理・利用もとても容易である。
情報技術の浸透は「現代社会の知のあり方」にも大きな影響を与えている。日々増殖を続けるフリー 百科事典「ウィキペディア」の成功はその際だった例である(その正確さは、科学分野ではブリタニカと 同程度であるとの報告がある)。また、情報技術がもたらした新しい自己表現の形である「ブログ」がイ ンターネット上で急速に普及しつつある。教育においても情報技術を活用した様々な試みが行われてい る。e-Learningや遠隔授業などの試みが多くの大学で行われているし、ネットワークを通じて他の教育 研究施設の装置を利用する試みも様々な分野で始まっている。また、学会等の全国的な組織で教材の開 発に取り組んでいるところもある。このように、情報技術を活用した新しい形の教育が始まりつつある。
他方、情報社会の持つ利便性と即時性は学生に負の影響も及ぼしている。インターネット上の情報を、
それが信頼できるものかどうかを確かめずに、安易に利用してレポートを作成することなどはその代表 例であろう。問題を解決するために、まず検索エンジンに頼り、自分でじっくり考えるということをし ないという傾向も非常にしばしば見られるところである。また、情報技術のもたらす利便性と即時性の ために、その活用がややもすると効率や短期的な成果を重視する視点から語られがちであるが、このよ うな傾向は教育を薄っぺらなものにしてしまう危険性を持っている。
このような情報技術のもたらす様々な影響をふまえて、本分科会では「情報社会における教養教育の 現状と課題および可能性」について、①情報リテラシー教育の現状、② e-Learningの取り組み、③イン ターネットを利用した教育(遠隔授業等)の取り組み、④その他の情報機器を用いた教育の取り組みな どの様々な切り口から考えてみたい。
第 分科会テーマ:「導入教育のあり方とその可能性」
(趣旨)
大学は、いよいよ「ゆとり教育」世代の「全入時代」を迎える。また、これから大学に入学してくる若 者達は、いわゆる「失われた 年」の中で成長してきた世代でもあり、成功や栄達よりは、むしろ挫折・
停滞・不安などに親和的でさえあるのかもしれない。基礎知識は無論のこと、情意面・生活面でも従来 以上の配慮を必要とする新入生を迎え入れるため、大学は様々な工夫や改革を行ってきた。本分科会で は、それらを「導入教育」と総称し、その多様な現状と課題を分かち合うことを目指したい。
例えば、日本私立大学協会附置私学高等教育研究所が平成 年に行った調査(「私立大学における一年 次教育の実際」研究代表者・山田礼子同志社大学教授)では、「導入教育」として、①補習教育、②スタ ディ・スキルの教育、③スチューデント・スキルの教育(一般常識や態度)、④専門教育への橋渡しとな るような基礎的知識・技能の教育、の つを調査対象としている。さらに高大連携や様々な学生サービ スをも勘案すると、これらの諸機会を提供するために大学が注いでいるエネルギーは莫大なものであり、
当然のことながら、教員の研究・教育やカリキュラム全体への影響も大きい。好むと好まざるとに関わ らず、大学が取り組まざるを得ないこのような教育活動は、各大学において、いったいどのように行わ れ、どのような成果をもたらし、そしてどのような問題に直面しているのであろうか。
本分科会では、限られた時間ではあるが、広義の「導入教育」に関わって、以下の問題に関係する報告 を期待したい。①導入教育の実施状況(様々な取り組みの現状に加え、理念や実施にいたる経緯等も含 めて)、②導入教育に対する自己評価、③カリキュラム上の問題(教養教育・専門教育との関係や制度的 位置づけ)、④導入教育の実施体制(教員組織や実行主体のあり方)など。
そ の 他
以上は、あくまでも例であるが、本来は、このような様々な「導入教育」が、大学の知のあり方全体の 中で、どのように位置づけられ、またどのような影響を及ぼすのかが問題とされるべきであろう。学生 の多様化がさらに進むことが予想される中で、大学が自らを振り返る機会になれば幸いである。
第 分科会テーマ:「人間形成としての教養教育の可能性」
(趣旨)
年 月に中央教育審議会が出した答申「新しい時代における教養教育の在り方について」には次 のような文言がある。「新しい時代に求められる教養の全体像は、変化の激しい社会にあって、地球規模 の視野、歴史的な視点、多元的な視点で物事を考え、未知の事態や新しい状況に的確に対応していく力 として総括することができる。」そして同答申の中で教養は次のように定義されている。「教養とは、個 人が社会とかかわり、経験を積み、体系的な知識や知恵を獲得する過程で身に付ける、ものの見方、考 え方、価値観の総体ということができる。」「教養は、知的な側面のみならず、規範意識と倫理性、感性 と美意識、主体的に行動する力、バランス感覚、体力や精神力などを含めた総体的な概念としてとらえ られるべきものである。」
ますます激しく変化する現代社会において、大学が学生に身に付けさせるべきは臨機応変な対応力と いうことになるだろう。それは実学的科目重視の傾向を強化することになるし、反面、伝統的・人文学 的教養科目に対する相対的軽視につながるとも考えられる。実学的科目において期待されるのは、ス ピード時代に見合うスピード感覚を身につけさせる教育的効果であり、その結果、涵養に時間のかかる
「規範意識や倫理性、感性や美意識」を養う伝統的・人文学的教養科目群は、今後も大学カリキュラム に占める立場を狭めていくことになると予想される。
こうした傾向に危機感を抱く人は少なくないだろう。かつてわが国では、学問とは「道」であり、人は どう生きるべきかという問いに対する答えを示す人が「師」とされた。今日では、「人間形成としての教 養教育」とはあたりまえのことである、と言い切れない状況になっている。基本的な人間力を身につけ させるべき教養科目までが、細分化・断片化した知識の伝達に終始している。
具体的に言えば、ここで問題とすべきは、哲学、文学、芸術、歴史といった文化の基底となるべき学 問分野が、現代の情報社会においてどのような教養科目として成立するのか、ということになるだろう。
こうした科目は「無用の用」として逆説的な位置づけをされるだけでよいのであろうか。本分科会では、
実学志向をいよいよ鮮明にする大学カリキュラムの中でどのようにして伝統的・人文学的教養科目を位 置づけるのかを話し合いたいと思う。
おわりに─「一般教育研究会」の歴史と意義
年 月の第 回は、弘前大学が当番校である。
「一般教育研究会」が、どのような歴史的経緯のもとではじまったのだろうか、その原点に遡って考え てみる。それは、占領下アメリカの教育改革にまで遡ることになる。GHQ教育課は、文部省の権限を地 方分権するために、全国および地域の教育関係の委員会や組織団体、教育機関やその他の団体および個 人とも協力を密にし、これを全国レベルで実施した。その中で、長期的かつ最も意義深かったのが、教 育指導者講習(Institute forEducationalLeadership,IFEL)であった。これは、最初、 年に将来の教 育および教育顧問の指導監督のための、短期集中研究コースを行うために設置されたが、活動内容が拡 充され、青年指導者、学校長、大学経営者、教育学の教授、カリキュラムの専門化やその他のカテゴリー も含まれるようになった。 年から 年にかけて、 期の講習会をかぞえ、それらの課程は 日間 のものから 週間のものまで多様であった。大部分は 週間課程のものであった。当時、およそ 人 を超える講習会への卒業者たちが、各都道府県で重要な影響力のある教職の地位についた )。
年 月 日から 月 日にかけて、東京大学において第 回 IFELが開催された。この IFEL出席
そ の 他
者が大学に帰ってから、その地方の諸大学と協議して、各地に大学一般教育研究会を作るために尽力す ることになった。当時は、全国を 地区(北海道、東北、関東、東海、北陸、近畿、中国、四国、九州)
に分け、各地区に自主的な研究会を作り、地区研究会が自主的に連合して、全国的組織にまで発展させ た。大学一般教育研究会設立趣意書に明記された「目的」には、「民主社会に於いてなくてはならない幅 の広い良識と判断力をもつ豊かな人間を養成するために重要な意義と使命を有する大学一般教育を、そ の原理並びに実施については日本の実情に即して深く研究すると共に一般教育についての認識と興論を 喚起し、また問題によっては政府当局に要請して一般教育の充実を計ろうというものである。」と掲げら れていた )。
大学一般教育研究会においては、その原点に戻って、「幅の広い良識と判断力をもつ豊かな人間を養 成するために重要な意義と使命」の意義を再認識する必要がある。
註
)マーク・T・オア/土持ゲーリー法一訳『占領下日本の教育改革政策』(玉川大学出版部、 年)
~ 頁を参照。
)志津木 敬「大学一般教育研究会の『全国連合会』について─各地区大学一般教育会における刊行 物から─」『大学教育学会誌』第 巻第 号( 年 月)を参照。
榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎 (文責:土持法一)
そ の 他