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(1)

人文論叢(三重大学)第4号1987

草 蔭

安 努

重万葉研究臼・1‑

要旨

『万葉集』巻第十四東歌の末勘国歌詠中に「革蔭の安努な行かむ

と塾りし道……」(三四四七番歌)の歌があり、この「安努」は伊勢国

安濃郡(三重県津市及び安濃郡)ではないかと疑はれつつも考へられ

てゐる。

この万葉地名「安努」の所在について、『皇大神宮儀式帳』の資料批

判・方言性・「東」の区域等から、三重県外の東方の地域の地名に違ひ

ないと結論付けるものである。

三重万葉地理研究の一環である。

一はじめに

問題の所在

まづ問題歌を挙げておかう。

久佐可気乃

寄奈由可武等

波里之美知呵努l波由加受氏

良久佐大知奴(巻第十四・東歌未勘国雄歌、三四四七番)

この第二句「安努」、第四句「阿努」について、細井本には第二句「努」

の右に「考」第四句「努」の左に「考」の注記があり、その細井本の

強い影響下にある寛永版本では、「安努努」(第二句)・「阿努考」(第四句)と

なつてしまつてゐる。これはもとより「安努(阿努)」の「努」の本文

についての一注記「努」が版本では本文に桁入したまでで、元暦校本、

類衆古集の古い次点本系古写本をはじめとして、他の古写本の全てが

「安努」(第二句)「阿努」(第四句)で一致してゐるわけであるから、本文は

掲出通りと認定してよい。

くさかげのあのなゆかむとはりしみちあのはゆかずて

らくさだちぬ

草蔭の封矧な行かむと墾りし道吋矧は行かずて荒事立ち

「草蔭の」は「畔」にかかる枕詞で、後述する。「な」は助詞「に」

の転詑で、これも後述する。第四句の主語は種々考へられるが、第三

句の「墾りし道」そのものと考へてよからう。「墾りし道」が主語とな

ると、一種の「前擬人法→になるわけであるが、ここは所謂「前擬人

法」といふよりも、表現法の未発達が然らしめたものと云ふべきケー

スであらう。第四句は「阿努(か)は行かずて」の意で、通釈は次の如

くならう。

(昭も草隠れるといふテノの地まで行かうと切り拓いた道よ。その道は

目標のアノまでは達しないで通る人とてもなく、ただ雑草だけが

伸びてしまつたことだよ。

(2)

道路開整の歌としては同じ東歌中に

信濃道はいまのはりみちかりばねにあしふましなむ

くつ

はけわがせ(三三九九番歌、信濃国歌)

がある。

さて、この三四四七番歌の地名「アノ」について、

谷川士清(安濃津〈現、津市〉の国学者)『倭訓冥』版本による

豊田八十代氏『寓菓地理考』(昭和七年)

鴻巣盛康氏『常葉集仝釈』(昭和八年)の一案

武田祐吉氏「東方より来れる者→

印田巨鳥氏(津市の歌人)「草蔭安努→

武田祐吉氏『高菜集全註釈』(昭和二十五年)

松田好夫氏「寓集に於ける東海地方→

などによつて、伊勢国安濃郡説が提唱・支持されてきた。

一方、井上通泰氏の『高菜集新考』(大正十三年)は駿河国阿野荘(沼

津市原町)を考へ、以後、佐佐木信綱氏『評釈高菜集』(昭和二十七年)、日本古典文学全集本『黄葉集』地名一覧(昭和四十八年)などで、一

説として考へられつづけてゐる。南信一氏は『寓菓集駿遠豆』(昭和四

十四年)において、駿河歌として有力なもの(一五〇頁)としてゐる。

また、中村烏堂氏の『高菜集東歌評釈』(昭和十年)は武蔵国として

ゐる。

伊勢国説は、安濃が郡名といふ広域地名であること、また『皇大神

宮儀式帳』や『倭姫命世記』に「草蔭安濃(阿野)国」の表現が見ら

れ、これは倭姫の廻国条中伊勢国安濃郡(安濃国)に関してのもので

あること、などがその根拠となつてをり、また伊勢国は『日本書紀』

の壬申紀に見られるやうに、広義の「東国」に属してをり、この点も

伊勢回説を支へるものとなつてゐる。

ー■

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昭和五十一年七月に、松田好夫氏編『東海の万葉』が桜楓社より刊

行された。これは松田好夫氏を中心とする美夫君志会のメンバⅠ八名

によつて執筆されたもので、前記の松田好夫氏の「高菜集に於ける東

海地方→が基となり、そこに採りあげられた万葉地名について一々が

執筆したものであつた。この中で私は「安濃」も分担し、「草蔭の安濃」と題して伊勢国説の可能性を出来る限り追及したつもりである。しか

し、その中においても私は、

それにしても、東歌の国名判別歌としてあげられている国々は、

陸奥・常陸・下野・上野・下総・上総・武蔵・相模・伊豆・信濃・

駿河・遠江の諸国であって、本歌は所謂「未勘国」の歌ではある

が、右の信濃・遠江ラインから遠く隔たった伊勢の歌があるのは

疑点がないとは言えない。(七九‑八〇頁)

と言及せざるを得なかつた。

その後、『毎日新聞』(中部版)に、やはり美夫君志会メンバーによ

って「東海に息づく万葉」の名で連載があり(昭和五十八年一月七日〜一二月二三日)その十七回目(五月十三日)で私は「草蔭の安濃」

を分担してゐる。この中で、

広義の東国に属する愛知・三重と東歌とを無批判に結びつけることは東歌の範囲(信濃‑遠江ライン以東)より問題がある。

とし、三四四七番歌中の方言の存在から伊勢説に強く疑問を呈してお

いた。

最近の研究室報中の「三重の歌枕稿(二)」にも、

『皇大神宮儀式帳』・『倭姫命世記』の「革蔭の安濃の国」の表現、

明合方墳・大名塚古墳・長谷山古墳群等によつてみられる安濃文

化圏、やや時代は下るが安濃津の盛名など情況はあるが、歌中の

「安濃な」の「な」の東国方言等、疑問はなほ多く残る。(『三重

▲▼‑′

・▲⊥▼

(3)

「草蔭の安努」考 庸岡義隆

大学日本語学文学報』二号、昭和六十年九月)

と記したところである。

このやうに、私は伊勢説からスタートしたが、徐々に伊勢説への疑

問を強くしつつある。本稿はこれらの延長線上にあるもので、狙上歌

の非伊勢性を見ようとするものである。

文字地理考究に際して、自分が住んでゐる地に引きつけて考へがち

な傾向が往々にしてある。〝郷土愛は大切であるが、郷土愛に根差した

所見は排されねばならない″といふ研究者の論考中に郷土に引き付け

た見解を目にするにつけ、「郷土」といふものの底知れぬ麻薬的恐ろし

さを感じずにはゐられない。その反省の思ひの中で、本稿を執筆して

ゐるのである。

『皇大神宮儀式帳』『倭姫命世記』の資料性

枕詞「草蔭の」に関して

問題の三四四七番歌が伊勢国の歌とみられる第一は、『皇大神宮儀式

帳』

及び

『倭姫命世記』に「草蔭の安濃の国」の表現がみられること

にある。『皇大神宮儀式帳』には、

次安濃麻造真桑杖乎汝国名何問賜只白久草蔭安濃国止白只即神御田

井神戸進只

(神宮文庫所蔵『延暦儀式帳旧本残欠』五丁表、神宮古典籍影

印叢刊3『神宮儀式中臣祓』所収の『皇大神宮儀式帳』

によ る)

と出てくる。又、『倭姫命世記』には、

次阿野願造祖眞桑杖大命ホ汝国名何問賜自久草蔭阿野囲自民進神

田並神戸 (神宮文庫所蔵『倭姫命世記準水本影寓』九丁表、神宮古典籍影印叢刊8『神道五部書』所収による)

と小異の形で出てくる。

『皇大神宮儀式帳』は桓武天皇の代、延暦二十三年(八〇四)八月

に大神宮司大中臣朝臣真継・禰宜荒木田神主公成らが上奏した解文で、

平安朝の文献である。『倭姫命世記』はそれより更に降り、恐らく中世

に度会(外宮)系の神官らが請書を綴り合はせて草した偽書で、この

「草蔭阿野園」を含む前後の倭姫廻国条は、『皇大神宮儀式帳』を典拠

とするものである。

この平安朝の文献が、上代文献(に準ずるもの)として屡々諸書に

引かれるのは、古伝承をよく残してゐるとの認識によるものである。

評価の高い『時代別国語大辞典上代編』の「資料解説」によると、

……古伝承をかなり残している上に、枕詞には珍しいもの(サコ

タンロ宇治・ウマサケ鈴鹿など)がかなりある。(皇大神宮儀式帳

の項)……記紀に未見の説話伝説がある。(中略)…中には他書に未見の

古語を存し、上代語研究の参考資料となる。(倭姫命世記の項)とあり、枕詞例など上代文献として用例中に多く取りあげられてゐる。

西宮一民氏も「国語学より見たる皇大神宮儀式帳→において、一部の

寛人を除き『皇大神宮儀式帳』は延暦の頃の成立としてよいと認定すると共に、特にこの倭姫祖国(絹発駅謂」)の条に閲し、

記紀万葉に見られない珍しい枕詞を多く使用し、単一な表現型式

の反復に終止してゐるのであるが、それだけに口承時代の語気を

そのまゝ残してをり、遷幸各地の土地に密著した表現として、こ

れは記紀万葉にそのすべてを採られることのなかつた神宮側の古

伝であると考へられる。(四二‑四三頁)

(4)

(草蔭安濃国の前後は)(古資料)としての価値をもつもので、後世にお

ける説話の膨張とみるべきではないと考へる。(四三頁)

と指摘言及する。横田健一氏にも同様の言及がある。

私は以下、『皇大神宮儀式帳』及び『倭姫命世記』の倭姫廻国条にお

ける枕詞例を取りあげ、その資料性の検討をしてみようと思ふ。

① ① ⑪ ⑥ ㊦ ⑥ ⑳ ⑥ ⑧ ④

百玉 五百 眞許忍宍草 味神

船岐苦 張久母 往蔭 酒 風

乎波 佐理

牟 園

と=ご

来\

度積・竹蔑草志飯皆安鈴伊

合宮 我向 高 鹿渡 鹿勢

苗苗囲備園囲国

囲囲

大岳 百玉 自 白 五百 眞許意 害草 奈味神

高 贋船授 鳥 濱 張久母 須 行蔭具苦酒

牟 囲

瀧坂狭度伊真置竹稀[H志飯阿阿忍鈴伊ニ′■、

原手田舎萩野名 田我佐多高佐野山鹿勢

之囲園囲園園芸孟窟畠讐園賀囲

囲園

『皇大神宮儀式帳』‥神宮古典籍影印叢刊3所収の『旧本残欠』

よる。

『倭姫命世記』‥神宮古典籍影印叢刊8による。

※1(⑥)‥三重県立図書館蔵『倭姫命世記』

(堀内光重喜入本1

以下堀内本と略称)による。図1参照。神宮本は「其」。

※2(⑪)‥堀内本には一本に「久」字が有ると頭注する。

※3(⑳)‥神宮本は「嶋」。大神宮叢書所収の『大神宮儀式解』本

(前篇八〇頁)に拠った。

※4(⑦)‥堀内本による。神宮本は「両」。

④は記紀万葉に広く見られるもので、珍しい例ではない。⑧⑤の「さ

こくしろ」の例も、『古事記』(上巻)に「佐久久斯侶伊須受能宮」

一例があり、これの靴音例であらう。かかり方も「五十鈴」の原義か

ら拡大し「宇治の五十鈴」へ、さうして「宇治」にかかるやうになつ

てゐる。問題の⑳も万葉東歌(狙上歌)に例があると共に、「草蔭之荒

蘭之埼」(万葉巻十二、三一九二)ともある。

⑧⑥⑥①⑳⑦の六例は上代文献にその枕詞が確認できるもので、被

枕が違ふ用例である。⑧は万葉に「三輪乃山」「三室山」などにかかる

例がある著名な枕詞で、ここでは「鈴鹿囲」にかけてある。⑥は万葉

に「狭答之島」「吉野乃山」にかかる例が見られ、ここでは「忍山」に

かけられてゐる。◎は万葉に「泊瀬」にかかる用例が多〈ある枕詞で、

ここでは「志多備乃囲」にかけてある。「したび(したへ)」は黄泉の

(5)

廣岡義隆 「草蔭の安努」考

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図1 堀内本『倭姫命世記』(9丁裏‑10丁表) (三重県立図書館蔵)

意であり、かかり方のよく納得できる例である。①は万葉に「飛羽山」

「鷺坂山」にかかる例があり、ここでは「真野囲」にかかつてゐる。

「真野園」にかかつてゐるのは、或いは「白菅の真野」(万葉巻三、二

八〇・二八一及び巻七、一三五四番)が影響してゐるかもしれない。

書承ではおこりにくいことであるが、暖味な記憶からの混同で「シラ スゲノ」が「シラト牛ノ」に変容した可能性はあらう。⑳【『儀式帳』の「玉きはる」の場合】万葉に「内」「命(寿)」「幾世」「吾」などに

かかる用例が多くあるもので、ここでは「礁宮」にかけられてゐる。

【『世記』の場合】『時代別国語大辞典上代編』は「たまひりふ」で立

項しっつも、タマキハルと訓めないこともないと注してゐる。『世記』

は『儀式帳』を典拠にしてをり、恐らく「たまきはる」の意で「玉枝」

と表記したものであらう。「たまひりふ」だと上代文献に例のない形と

なる。⑦は『出雲国風土記』の楯縫郡の条に「波夜佐雨久多美乃山」

の例があり、「クタミ」と「フタミ」は青も近く、近似の例と云ひうる。

また、①は、枕詞ではないが「……五百枚刺寮生有都賀乃樹乃……」(万葉巻三、三二四)の例が参考になつたものかと推測されるも

のである。⑥に関しては、「自細砂三津」(万葉巻十一、二七二五)

の例が思ひうかべられる。⑨は「百博ふ」の形で「度合」にかかる枕

詞例が『妃』にみられる(「神風伊勢園之百倍鳳風樹矧之振鈴五十鈴宮」

(神功摂政前紀))。

以上をまとめると、

㈹枕詞・被枕共に上代文献に例のあるもの

④⑳(託つた形で…

⑧⑤)

00被枕は達ふが枕詞が上代文献に見うけられるもの

⑧⑥◎⑤⑳

㈹参考になる句が紀・万葉にみられるもの

①⑧⑨

⇔上代文献に見られない独自の枕詞

⑥㊦⑪①◎②⑨⑤

といふことになる。この中には古伝承によつてゐる例も恐らくあるこ

とであら、つ。例へば⑧⑤の「さこくしろ」の詑音枕詞例など、さうし

たものを芳賀とさせる。この例は被枕においても

五十鈴1宇治の五十鈴1宇治

(6)

といふ変遷の跡が辿れ、伝承の姿を示してゐるものと見てとれる。し

かし他の多くは、被枕に独自のものが多いとは云へ、万葉等上代文献

に見える枕詞やそれに類するものの「応用例」であつたり(ロハ)、「創

作枕詞」であつたり(二)するのではないか。「さこくしろ」は地元「宇

治の五十鈴」にかかる伝承枕詞であらうが、他の多くは伊勢国の内と

は云へ編作者任地のものではない。その上、何よりも、倭姫廻国条の

結びの段で、「朝日釆向国」「夕日釆向囲」「浪音不開国」「風音不開園」

……などの、枕詞的でありながら枕詞ではない土地ぼめの修飾句が並

べられてゐる条があるが、これは執筆者(延暦二十三年の執筆者とは限らない)の

文飾に違ひない。この枕詞様文飾と同一線上に(ニ)が並び、また(ロ

ハ)が位置しよう。このことは、『皇大神宮儀式帳』を典拠としてゐる

『倭姫命世記』において、その編集製作の過程で、もとの『皇大神宮

儀式帳』にない土地ぼめ的枕詞が増えてゐる(⑥⑥①◎②⑥⑤⑦)こ

とと同じである。これらは『倭姫命世記』編集時における創作枕詞に

違ひない。『皇大神宮儀式帳』の枕詞例も、上代文献に通じてゐるもの

であれば「執筆」時に創り出すことの出事るものであつて、一概に古

伝承と云ひきれないものである。

以上、『皇大神宮儀式帳』(及び『倭姫命世記』)の倭姫廻国条の枕詞に限つ

て資料批判をしたものである。古伝承が全くないと云ってゐるもので

はなく、その多くについては一見古伝承を残してゐるやうに見えなが

らも応用枕詞や創作枕詞の可能性があると見たわけである。

誤解を防ぐために付言しておくと、私は倭姫廻国条について創作で

あると云ってゐるのではない。(その創作の可能性も大いにあると思ふが)ここで分

析したのはその中の「枕詞」に関してのみであり、その「枕詞」に関

してのみ言及したわけである。

このやうに見てくると、狙上歌の「革蔭の」の枕詞が『皇大神宮儀

l‑

′ヽ

式帳』(『倭姫命世記』)に出てくるからと言つて、伊勢国安濃郡に冠する枕

詞として古くから伝承されてゐたものと断定することは危険になつてくる。むしろ『皇大神宮儀式帳』の用例は、『万葉集』巻十四の「久佐

可気乃安努」(この「安努」の地は伊勢とは限らない)の用例によつて、同じ「アノ」

である伊勢国の「安濃」に冠したものである可能性が大である。そし

てそれに『倭姫命世記』も依拠した。

従来、三四四七番歌の「草蔭の」の注として『皇大神宮儀式帳』

『倭姫命世記』が引かれ、また三四四七番歌の伊勢歌としての根拠と

して引かれてきた。武田祐吉氏も高菜東歌の中に伊勢歌があるとして

三四四七番歌を出し、その根拠として『皇大神宮儀式帳』の「草蔭安

膿園」の条を示してゐる。しかし、右により、東歌三四四七番歌の伊

勢歌の依りどころが崩れてしまつたことになる。

「革蔭の」の枕詞は、「荒蘭之埼」(巻十二、三一九二)にかかる例

もあり、単にア(畔)にかかる枕詞と云はれてゐる通りであつて、「安

努」

にかかる枕詞ではないと思はれる。

lニ

「安努」歌の東国方言性

方言といふ場合、地方地方の地域的言語体系をいふ場合と、個々の

事象についていふ場合とがある(『国語学大辞典』)。目下の事例は後者

の場合に該当する。福田良輔氏は次のやうに指摘す牢

奈良時代の東国方言と中央語系古代語(西部古代語)との間には、そ

の音韻現象、殊に母音現象において、決定的相違があったのであ

る。このように東国方言と中央語系古代語との間に決定的音韻現

象の相違が存在するのに反して、語法・語葉においては、東国方

(7)

「草蔭の安努」考 廣岡義隆

言と中央語系古代語との間に著しい相違が見られないということ

は、奈良時代東国方言の成立過程を考察する上に、重要な意味を

有すると思われる。(第五章「奈良時代東国方言の語法」三六三‑‑三六四頁)

この指摘は、通俗的一般的な言ひ方でもつてすれば、

ふるさとの詑なつかし

停車場の人ごみの中に

そを聴きにゆく(石川啄木

の歌にある「なまり」に該当し、 『一握の砂』)

所謂靴音が万葉東歌における方言的

特徴にあたると言ふことになる。

水島義治氏は『高菜集東歌の国語学的研究顎において、

⑦詑音・託語

㊥上代特殊仮名遣の違例

0東国特有語

の三項を方言的特徴と指摘する。⑦㊥は音韻現象であり、0は語葉の

問題である。㊥の上代特殊仮名遣の違例を一種の転詑現象としての方

言的特徴として取り上げるといふ方向は肯はれるが、中央語において

も徐々に甲乙類の区別が崩れてゆく中にあつて、どの程度重視するか

はむつかしいところである。水島義治氏作成の「東歌・防人歌に於け

る上代特殊仮名遥遠例一覧」(『寓菓集東歌の国語学的研究』巻末附表)によつてみ

ても、「東歌」においては、甲類から乙類への乱れは九語十一例である

のに対し乙類から甲類への違例は二十九語三十九例と多く、これは甲

類二几化への流れの中における数値ではないかとみることもできる。

さて右のやうに、福田氏においても水島氏においても、東歌中の詑

音は東国方言の特徴ととらへてよいと見てゐることを確認しておきた

0

もつとも、現在我々が見る巻第十四の歌々が元歌にどの程度忠実に

再現表記されてゐるかは重要な問題であつて、一方においては亀井孝

氏が「文字記載の様式からいうと、高菜集巻十四の現形は、かなり念

入りな技巧を経て完成されたものである。かような意味では、高菜集

巻十四も、他の巻に劣らず、純然たる貴族文学の文献である。(中略)し

かも、一方、歌謡そのものとしては、多分に東園詑りを漂わしている。

そうである以上、かような詑りも、また高い度合において趣味的なも

のではなかろうか。→と指摘し、浅見徹氏が「中央貴族の何者(一人

とは限らない)かに依って、無意識的に、或は悪意的に創り出された

「観念的埋言」ではあるまいか『と指摘してゐる。又妄においては、

例へば大久保正氏が、方言的特徴の認められない歌が東歌中三四・九

パーセント弱を数へるとする。これらはそれぞれに、現在我々が見る

万葉集巻第十四の「東歌」としての資料性批判であり、充分留意しな

ければならないことである。しかし、今は目の前にある資料でもつて

判断する以外には致し方がない。

久佐可気乃安努奈由可武等波里之美知阿努波由加受氏

良久佐大知奴(三四四七番)

風上歌の方言的特徴は第二句中の「奈」であらう。これ以外には、

上代特殊仮名遣の違例も、東国特有語とおぼしきものも右の歌中には

見られない。なほ、歌中の「ずて」は中央語と同一形式であるが、こ

の語法は東歌中の三五六六番歌(未勘国歌)に出てきてゐる。他に「ず

して」の語法も二例東歌未勘国歌中に出てゐる。

さて、三四四七番歌第二句中の「奈」は格助詞「に」の転託とみら

れるものである。同一の用法が次の東歌にみられる。

安是登伊敵可佐宿ホ安波奈久木真日久礼氏与比奈波許奈ホ

安家奴思太久流(三四六一番歌、末勘国歌)

(8)

何故と言へかさ宿に逢はなくに真日暮れて育なは釆なに

けぬ時来る

以下若干、この三四六一番歌における東国方言としての特徴を見て

みたい。

「アゼ」は東歌中に次のやうに出てゐる。

あしがりのままのこすげのすがまくら封戴かまかさむ

ろせたまくら(三三六九、相模国歌)

かみつけ野あそやまつづら野をひろみはひにし物を

封戴

かたえせむ(三四三四、上野国歌)

ゆふけにもこよひとのらろわがせなは吋剋そもこよひ

しろきまさぬ(三四六九、未勘国歌)

ひとづまと封剋かそをいはむしからばかとなりのきぬを

りてきなはも(三四七二、未勘国歌)

ゆふさればみやまをさらぬにのぐもの封戴かたえむと

ひし児ろはも(三五一三、未勘国歌)

しらくものたえにしいもを阿剋せろとこころにのりて

こばかなしけ(三五一七、未勘国歌)

なはしろのこなぎがはなをきぬにすりなるるまにまに

是‑かかなしけ(三五七六、未勘国歌)水島氏が指摘するやうに(注八‑四五四頁)、中央語の「など」「なに」

「いかに」にあたる東国特有語であらう。水島氏は「駿河舞」中の用

例一例及び現代方言(神奈川県の一部・埼玉県秩父あたり)の例も指

摘してゐる。第四句「育なは釆到吋」の「なに」は打消の助動詞「なふ」の連用形で、東国特有語。水島義治氏に考察がある(注八‑二〇一頁以降)。また北

条忠雄氏にも考究がある。

第五句の「明けぬ時」

「ぬ」は完了の助動詞で、東歌中まま見ら

れる終止形の連体用法である。「ぬる」の意で用ゐられてゐる。

「シダ」は東歌中に次のやうに出てくる。

とほしとふ

にこそよされ

あがおもの

つつしのはせ

おもかたの

つつしのはむ

ひとの児の

しけくもなし こなのしらねにあほ思太もあはのへ思太も

(三四七八、未勘国歌)わすれむ烈対はくにはふりねにたつくもを

(三五一五、未勘国歌)

わすれむ忍対はおほ野ろにたなびくくもを

(三五二〇、未勘国歌)かなしけ功利は、ますどりあなゆむこまの

(三五三三、未勘国歌)

また、防人歌中に次の一例がある。

あがもてのわすれも烈対はつくはねをふりさけみつ、い

もはしぬはね(四三六七、茨城郡占部小龍)

これは常陸国の防人詠である。水島氏は、『肥前国風土記』中の歌謡

例及び現代の方言で高知の例(全国方言辞典)を指摘してをり、これ

は方言周圏論に合致するかと思はれ、水島氏の「しだ」は「時」

の古

語とする見方が当つてゐよう。「時」の意の中央古語の残存形と認めら

れ、一つの「東国方言」(水島氏の言ふ東国特有語)と認めてよいものである。

上代特殊仮名遣の違例についてみると、第一句中の「伊敵可」の「赦」

(へ甲類)(乙類であるべき所)、第五句の「安家奴」の「家」(ケ甲類)(乙類

であるべき所)の二箇所が指摘できる。因みに水島氏の「東歌・防人歌に於

ける上代特殊仮名道連例一覧」によつてみると、東歌中で一首中に三

箇所の違例がみられる歌は、

三三九四・三四二四・三四八三

三首

一首中に二箇所の違例がみられる歌は、

(9)

「草蔭の安努」考 墳岡義隆

三四一九・三四三七・三四五〇・三四七六・三四七六戎本歌・三

五四一及び当該歌(三四六一)‑1‑七首

で決して多いわけではなく、その内の一首であるといふことが出来る。

以上から、三四六一番歌は、東歌未勘国歌中の一首ではあるが、東

国方言としての頻度の高い歌、詑りの色濃い東歌であると見ることが

出来る。その中に、狙上歌と同じ「奈」が第四句に出てきてゐた(背

な‑は来なに)。

「な」は格助詞「に」の転託とみたが、別解がないわけではない。

武田祐吉氏は『高菜集全註繹』で「安努奈」の「奈」について、感

動助詞から分化したもので提示の意味の語とし、「安努だ、それへ行か

う」と見、「与比奈」の「奈」については接尾語と解した。武田氏が「安

努奈」の「奈」と同じ用法として示す「浜毛勢ホ後奈居而」(巻九、

一七八〇)「手寸十名相殖之名知久」(巻十、二一一三)の二例の「ナ」

は共に本文上問題が存するところで、前者は万葉古訓例等により『高

菜集略解』が「美」の字を下に補って「奈美」(並)として以来多くの書

が従ってをり、後者の「名」については「毛」・「久」・「雲」等の誤字

説が提出されこの誤字説のいづれかにほとんどの書が拠つてゐる現状

である。敢て原文通りで解するとすれば、前者は間投助詞、後者も「間

投詞の特殊な用例」(『私注』)といふことにならうか。狙上歌の「な」

とは異質なものと解される。

また、福田良輔氏は、右の武田祐吉氏『仝註樺』の説をうけ、

あづさゆみすゑにたままきかくすすそ樹勢刹なりにし

くをかぬかぬ(三四八七、未勘国歌)

の「宿美奈」の「奈」と同じ〈、提示・強調を表はす感動助詞の「な」と解してゐる(注七‑三七五頁)。しかし、この「宿なな」の「なな」は、水島義治氏が打消の助動詞「なふ」の連用形「なな」(注八‑二〇妄以降) と見てゐるのに従ふべきものである。

狙上の「な」は、水島義治氏が『高菜集東歌の国語学的研究』

の第

三章第五節「東歌に於ける靴音・詑語の考察」中の「イ列から他の列

に託ったもの」の【i↓a】の項で検証してゐるやうに、「に」の靴音

と認めてよいものである。

草蔭の安努な行かむと塾りし道阿努*は行かずて荒草立 ちぬ

*‥な[に]の略1

先程の三四六一番歌に較べて、東国方言は「な」の一例で、詑りの

色薄い歌ではあるが、逆に云へば三四六一番歌の傍澄によつて明らか

になつたやうに確かな詑りのある歌と云ひうるものである。

「東」の範囲

日本古典文学大系本『高菜集三』の「校注の覚え書」は第一・第二・第三のアヅマを指摘してゐる(第十項「東国の方言について」で

……考古学的・人類学的事実、また、今日の方言境界線、および、

東京式アクセントと京都式アクセントとの境界線を考慮に入れる

とき、奈良時代における東国には、三つの段階を考えるべきもの

と思われる。その一は現在の関東・東北地方にあたる国々。これ

を第一のアヅマとすれば、第二のアヅマは、信濃・甲斐・駿河・

遠江の国々、今日の長野県・山梨県・静岡県である。第三のアヅ

マは、飛騨・美濃・尾張・三河の諸国、今日の岐阜県・愛知県で

ある。これらのグループは言語的に、それぞれの特徴を示してお

り、第一のアヅマが最も濃く方言色を示し、順次その特色を薄く

するものと見ることができる。(三三頁)

ここに、(図2)として、この「東」の区画を図示しておかう。北陸

(10)

道は東歌・防人歌の区域外であり、方言区画からも種々考慮しなければならない件があや一往界線外とする。

大系本が云ふ第一のアヅマは(図2)のⅠのライン以東である。大

系本の語で、関東・東北地方とあるが、これは井上光貞氏が記紀や公

式令等により、碓日嶺・足柄坂以東と示したところであり、その後も

大久保正聖水島義治距をはじめとして諸家の検認してゐるところで

ある。「東歌」中の国名明記歌の国別歌数を(図2)中に算用数字で入

れた。そして比較的用例数の多い国々を斜線で示した。この用例数の

多い国々は第一の「東」の範囲の国々である。

大系本が云ふ第二のアヅマは(図2)のⅢのライン以東、所謂、〝信

濃・遠江ライン″以東である。(図2)中の国別歌数表示からも明らか

なやうに、これは「東歌」の国名明記の国々の範囲であり、また巻二

十に収められてゐる防人歌の国々の範囲でもある(参考に(図3)として防人

歌の国々とその歌数を表示しておいた。分母が進上歌数で分子が収載歌数、斜線は比較的歌数の多い

国々を示したものである)。加藤静雄氏に、巻十四の東歌の国別分類は兵部少輔

であつた家持が防人歌を入手してその防人歌及び防人出身地などを手

がかりにして行なつたものであるといふ卓誕がある。これによると、

防人歌圏である信濃・遠江ライン以東と国名明記の東歌の範囲とは一

致するのが当然といふことになつてくる。また、加藤氏の論によると、

信濃・遠江ラインよりも以西で、広義の「東」の国々の歌が「東歌」

中に収められてゐても何らをかしいことではなくなつてくる。第三の

「東」の地の歌も原東歌集(未整理本東歌)に収められてゐた。しか

し偶々編者は「防人歌」といふ資料を手がかりに国別分類した。ため

に、防人出身地である信濃・遠江以東のみが国別分類されてしまつた。

第三の「東」の地の歌は百四十首ばかりの未勘国歌の中に一括されて

しまつたといふことになる。加藤静雄氏には、なぜ防人が信濃・遠江

(11)

「草蔭の安努」考 廣岡義隆

以東から差遣されたか(なぜ尾張二二河・美濃等は免れたか)につい

て考究した「『第二の東国』の成立私考『の論もある。一方、伊藤博氏

は「式的図式」(『延書式』巻二十二の「民郡上」の近・中・遠国によつて努架とする神亀年間

の「民部省式」、更に遡つて持続朝における「式的図式」をいふ)によつて三つの「東」は

区画されたと見、この「式的図式」によると第二の「東」の中に飛騨

をも考慮しなければならないとする。

大系本が云ふ第三のアヅマは(図2)のⅢAのライン以東で、伊勢

国(合志摩国)伊賀国は範囲外としてゐる。三河国が確実に「東国」に属

したことについては井上光貞氏の考和があり、大久保正氏は三河国が

第二の「東」から第三の「東」に移向したことを考究や伊藤博氏は

「式的図式」の考へにより大久保氏に賛意を表してゐる。

さて、第三の「東」に伊勢国がどう関与するかが当面の問題となつ 関としての近江・美濃間の不破駆、東海道の出口の関として大和(伊賀)と伊勢の間の鈴鹿嘩これら三関の位置を重くみる時、ⅢBのラインに注目せざるを得ない。五畿内(大和・山背・摂津・河内・和泉)のみならず、近江に関しても畿内に準ずる意識が大和の都人にあつたのではないか。近江は天智天皇代の都の地である。逢坂関は上代には確認出来ず平安に降らなければならない。よつて私は、行政上の第三

「東」としてⅢB以東を認定するものである。

てくる。大久保正鮎は、壬申紀や人麻呂詠をもとに、不破・鈴鹿関以

(20).東を第三の東国と認定し、伊藤博氏もこれに従ってゐみ。水島義治氏

は、東海道の伊賀以東が「東」なら、東山道の道の口の近江以東も「東」と解すべきものとしてをられる(注十七‑六享八〇頁)。これによりⅢCの

ラインを設定した。しかし、これは行政上の「束」とも云ふべきもの

で、水島氏は「東歌」におけるアヅマの範囲に尾張や伊勢まで入れる

べきものではなく、尾張・近江・伊勢の国の歌かと思はれるものは編纂者の不用意、編集の不備であるとする(注十七‑九買)。水島氏が近江国を考慮するのは、「丹生」(三五六〇番歌)の地の近江説(土屋文明氏

『私注』)が脳裏にあつてのものであらう。この「丹生」の地は明確で

はなく認定が困難なもので、近江説に縛られることはない。

私はむしろ、愛発関・不破関・鈴鹿関の三関の位置から考へて、行

政上の東としてはⅢBライン以東が適当かと思惟するものである。北陸道への出口の関としての近江・越前間の愛発幣束山道への出口の

方言区画論から

国語調査委日月合による明治三十九年の『口語法調査報告書』(上・下・

分布図)は東西方言の境界の概ねを世に示した。

服部四郎氏は「近畿アクセントと東方アクセントとの境界線『で、

東西アクセントの境界が揖斐川に存することを報告した。アクセント

の分布図は最近の調査の成果により精細にわかつてきてゐ謳が、揖斐

川以西の三重は第一種京阪式に属してゐることに変はりはない。

橋本進吉氏は、音韻語法等から総括的に、奈良朝以来千余年の国語

の歴史の上で、東西両方言の対立は、九州方言と本州方言との対立よりも明瞭であり根本的であると論じや大野晋氏は、先に示したやう

にアヅマを三分割した。これは方言区画も考慮したものであつた。

方言区画論は、アクセント分布と共に、語葉音韻語法等、方言の総

体により地域区分するものであり、『国語学大辞典』『国語学研究事典』

にその概ねがよくまとめられてをり、『日本の言語学』第六巻方言には

その代表的論文が収められてゐる。先に示した『口語法調査報告書』

(上、四‑五頁)・都竹通年雄氏・牛山初男氏等は大きな東西区画を(図

2)

のⅢにおくが、一般にはⅢAで区画するものが多い。

(12)

国立国語研究所は、昭和四十一年から五十年にかけて、全六巻三百 図の

『日本言語地図』を完成した。この成果により(図2)の中でも

特にⅢのABCの区画について、以下みてみよう。『日本言語地図』は

調査地点ごとの点で示されてをり、多く入り乱れた様態を示すが、以

下の例は比較的まとまつてゐるケースをとりあげたものである。Ⅲの

ABCのどの区画が方言上東西区画に適するかに視点があり、考察も

このⅢを中心にしたものになり、少数の違例は無視してゐる。また、

(図2)の条で述べたやうに北陸は主に考察外であり、和歌山も異つ

た形態を示す場合が多いが一々断はらない。49(一)は第49図(第一

巻所収)を意味することとする。

〔Cのラインに関して〕

49(一)「いくつ(個数)」

東‥イクツ

/

西‥ナンボ

293

(六)「いくつ(何歳)」

東‥イクツ

/

西‥ナンボ

172

(四)「ぬか

(糠)」

東‥コヌカ

/

西‥ヌカ

〔Bのラインに関して〕

29(一)「アカイを〝明かるい″の意味で使うか」

東‥非使用

/

西‥使用

61

(二)「ナオスを〝片付ける・しまう″の意味で使うか」

東‥非使用

/

西‥使用

192

(四)「ふすま(襖障子)」

東‥カラカミ系

/

西‥フスマ

m

(六)「ごみ(川のごみ‑塵芥)」

東‥ゴミ

/

西‥ゴモク 測(六)「雀の鳴き声」

東‥チエウチエウ

/

西‥チエンチユン

このやうに若干の語例において、三重は東西の「東」に属する場合

がある。〔Aのラインに関して〕

42(一)「おそろしい(恐ろしい)」

東‥オソガイ系

/

西‥コワイ

46(一)「だ(〝いい天気だ″の〝だ〟)」

東‥ジヤ・ダ

/

西‥ヤ

47

(一)(虹が)「きれいだ」

東‥キレエジヤ(ダ)

/

西‥ウツタシイ

58

(二)「にる(煮る)」

東‥ニル

/

西‥タク

71(二)「かりる(借りる)」

東‥カリル

/

西‥カル

72(二)「カッテクルを〝買ってくる″の意味で使うか、〝借りてく

る″

の意味で使うか」

東‥買ってくる

/

西‥借りてくる

110(三)「め(目)」

東‥メ

/

西‥メー

117(三)「した(舌)」

東‥ヘラ・ベロ・シタベラ系

/

西∵ンタ系

119(三)「よだれ(挺)」

東‥ヨド系

/

西‥ヨグレ系

拗(四)「クとうもろこし″と〝とうがらしL

東‥「とうがらし」をナンバ・ナンバン系の語で言ふ(三河に例外

(13)

「草蔭の安努」考 贋岡義隆

地域)

/

西‥「とうもろこし」をナンバと言ふ

(四)「とりおどし(鳥威)」

東‥ソメ・トリヨケ・スズメヨケ・カカシ等

/

西‥オドン

191

(四)「いえ

東‥ウチ

226

(五)「へび

東(含滋賀) (家屋)」/

西‥イエ

‥ヘビ・ヘミ系 (蛇)」

/

西(除滋賀)‥クテナワ・クテナ系

242(五)「どくだみ(菰莱)」

東‥ドクタミ系

/

西‥ジュウヤク系

251

(六)「たいよう(太陽)」

東‥オテントサン系

/

西‥オヒサン系

(六)「つゆ(梅雨)」

東‥ニュウバイ系

/

西‥ツユ

以上のやうに、三重の地は、東西の「西」に属するケースが多いと

言へる。アクセントからみても三重は「西」である。先に私は「行政

上」の見地からⅢBラインの存在を認めた。しかし、右の検証から、

「言語学上・方言学上」はⅢAラインの方がよいといふことになる。

『東大寺諷詞文稿』(折紙望には……謂大唐新羅日本波斯混合天竺人集、如来三日随風俗乃方言令

聞。暇令此富国方言、毛人方言、飛弾方言、東国方言。偶令封飛

弾国人而飛弾国詞令聞。……(一四〇〜一四二行)

とあり、よく知られてゐるところである。ここで、飛騨方言と東国方

言とが区別して示されてをり、この場合(図2)のⅢのラインを努贅

とさせる記述である。また江戸期に降るが、越谷吾山(読〜㌫)の方言書『物類称呼』の

序には、 ……大凡我朝六十余州のうちにても山城と近江又美濃と尾張これらの国を境ひて西のかたつくしの呆まて人みな直音にして平声おほし北は越後信濃東にいたりては常陸をよひ奥羽の国々すへて拗音にして上声多きは是風土水気のしからしむるなれはあなかちに褒乾すべきにも非す…

とあり、概括的言ひ方ながら東西方言についての言及があつて注目で

きる。

これらの記述は貴重なものながら、伊勢の地の東西所属については

明らかでなかつた。そこで私は、現代方言学の成果を援用してこれを

確認しようと試みたものである。

むすび

以上の考察から万葉東歌の

久佐可気乃安努奈由可武等波里之美知阿努波由加受氏

良久佐大知奴(三四四七)

は巻十四編者によつて「未勘国(未得勘知国土山川之名)」とされてゐ

てその国名は特定出来ないが、伊勢の地の歌の可能性は極めて低くな

った。(図2)のⅢA以東の地の歌とした方がよからう。

東歌中にもう一首、伊勢の歌かと云ふ説のある歌がある。

麻可祢布久ホ布能麻曽保乃伊呂ホ低々伊波奈久能未曽

我古布良久波(三五六〇、未勘国歌)

古く『高菜集略解』は「和名抄上野甘楽郡丹生郷有、こ、にや」と

してゐるが、松田好夫氏はこの歌を伊勢の歌とじ、佐藤隆氏はこれを積極的に考究し奪しかし、この歌自体は相聞内容の一般的な詠であ

り、風土の決め手は「丹生(ホ布)」の地名だけである。佐藤氏は伊勢

(14)

「丹生」の知名度を考究するが、逆に云へば氏の決め手はそれだけ

であつて甚だ心許ない。松田寿男氏の詳細な研矩があるやうに、水銀

の産するところ「丹生」系の地名が全国に多く存するわけである。こ

「ホ布」の歌は、都歌の東歌中への桁入の可能性もないわけではない攣東歌であるとすれば、松田寿男氏も指摘する上野図甘楽郡丹生

村(群馬県富岡市)の地の歌ででもあらうか。

佐藤隆氏は右の論考において、三四四七番歌の「安努」についても

一往の考究をしてゐるが深くはなく、伊勢歌としての決定打に欠ける。

さて、第三の「東」の範囲の歌として、松田好夫氏の指摘する

阿遅乃須牟須沙能伊利江乃許母理沼乃安奈伊伎豆加思

受比佐ホ指天(三五四七、未勘国歌)

「須沙」を歌ふ歌、および

安治可麻能可家能水奈刀ホ伊流思保乃許氏多受久毛可

里氏祢麻久母(三五五三、未勘国歌)

の「可家」を歌ふ歌がある。松田好夫氏は、前者を愛知県知多郡南知

多町の須佐湾(豊浜港)、後者を愛知県東海市荒尾町加家から横須賀町横

須賀に続く低地とし、諸氏、松田説を尊重し従ってゐるところである

が、或いはこれらも再検討してみる必要がありはしないか。今は問題

提起にとどめておく。

また、北陸道の詠は明記されてゐないが、 勢うた」(一〇九九番)があるが、ごれは前述の行政上の「東」の範囲によつた分類とみてよいであらう。『伊勢物語』の東下り章段中の七段にも「伊勢尾張のあはひの海づら」の表現が出てくるが、同断であら

ヽ「ノ

多久夫須麻之良夜麻可是能宿奈赦抒母古呂賀於曽伎能

路許曽要志母(三五〇九、未勘国歌)

の「白山」について「加賀の白山とするのがもっとも自然である」(注十六1所収至四二見)とする見方もある。しかし、不確かなだけに速断はし

ない方がよいと思はれる。

なほ『古今和歌集』巻二十の大尾に「束帯」があり、その末尾に「伊

一稲岡耕二氏「前擬人法的表現」同氏『万葉集の作品と方法』(岩波

書店、昭和六十年)所収。また、拙著『万葉の歌』(八)滋賀(保育

社、昭和六十一年)七六頁参照。

武田祐吉氏「東方より来れる者」『文学』第一巻第一号、昭和八年

四月。

印田巨鳥氏「草蔭安努」『志支浪』(短歌同人誌)第四巻十月号、昭

和十四年十月。

松田好夫氏「高菜集に於ける東海地方」『高菜集大成』第二十一巻

風土篇(平凡社)所収、昭和三十年。

西宮一民氏「国語学より見たる皇大神宮儀式帳」『皇学館大学紀要』

第九輯、昭和四十六年一月。

横田健一氏「『皇大神宮儀式帳』と『日本書紀』」『日本書紀研究』

第十一冊、昭和五十四年九月。氏はその中で、『皇大神宮儀式帳』の

成立はその奥書通り延暦二十三年と見てよいが、その伝へる説話(神

話)内容は記紀とは異なる別箇・固有の伝承によつてゐると思はれる

としてゐる。

福田良輔氏『奈良時代東国方言の研究』(風間書房、昭和四十年)。

水島義治氏『高菜集東歌の国語学的研究』(笠間書院、昭和五十九

年)。同年中に出された氏の他の二冊(『高菜集東歌の研究』『寓葉集

東歌本文研究並びに線素引』)及び、同氏著『黄葉集仝注・巻第十四』

(有斐閣、昭和六十一年)と共に、氏の東歌研究四部作の内の一冊。

参照

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