残された課題 : 「植民地時代」の扱いをめぐって
著者 浮葉 正親
雑誌名 国立民族学博物館調査報告
巻 14
ページ 184‑189
発行年 2000‑07‑24
URL http://doi.org/10.15021/00002230
残された課題:「植民地時代」の扱いをめぐって
浮葉正親(名古屋大学)
先日(3月17〜18日)、国立民族学博物館で開催された「日本における韓国文化の 表象」というシンポジウムに参加するという貴重な機会を得た。韓国から招かれたゲ ストの方々のお顔を拝見し、まず考えたのは、もし逆の立場だったら、つまり「韓国 における日本文化の表象」というシンポジウムに呼ばれ、展示された「日本文化」の 数々に対して何かコメントをと言われたら、やはり困惑を隠せないだろうなというこ とだった。外国人の研究者の目に映る〈異文化〉としての自文化、それを表象するモ ノたちを前にしてどのようなスタンスで感想を表明し得るだろうか。違和感を感じる ことは確かであるが、何がどう「違う」のか、またどこが「欠けている」のか。研究 者としての論理的な説明よりも、「もっといいものがあるのに、なぜこれが展示され ているのか」というレベルの「無いものねだり」をしてしまいそうである。
予想通り、「酒幕の屋根がなぜ銅板なのか」、「済州島の民家の模型が中央に置かれ ているが、これが韓国の民家を代表するものなのか」、「展示が宗教生活に片寄り過ぎ ている」などという質問やコメントが出された。これらにホスト役の朝倉敏夫氏が一 つ一つ丁寧に答えていく。というよりも、今回のリニューアルの限界や問題点につい ては、朝倉氏自身が誰よりも自覚しているはずである。傍目には朝倉町に対する聴聞 会のように見えるシンポジウムの進行は、入念に準備されたもののように思われた
(ただ日本側のゲストが朝倉氏にあまり助け船を出さないのは少し意外だった)。韓
国側のゲストはいずれも韓国を代表する博物館の責任者であり、第一線の研究者であ
る。限られたスペースのなかで自らの研究成果を集約して展示することの難しさを熟
知している。少なくとも「揚げ足を取る」ような質問は一つもなく、日本側の投げた
ボールを真剣に受け止めようとする誠実な姿勢が印象的であった。シンポジウムのな
かでは、韓国における博物館展示の問題点(たとえば「遺物」「文化財」の展示が中
心で、現代の展示がタブー視されていること)も吐露され、博物館のありかたをめぐ
る諸問題が活発に議論された。運営者中心の博物館をどうやったら利用者中心の博物
館にシフトすることができるのか、博物館の交流的機能をどのように促進していった
らいいのかという普遍的な問題も議論され、第1日目の討議は大いに盛り上がった。
甘薯斗刈 囚剋フ1λ1可」.91刈司暑暑司叫エ
下葉正親(名古屋大學)
三唱二二叫叫暑豊州刈フ耳司(3週17望一18望)宅 「望下弓銀寸寸91を号{}
糾到豆磐」・1叫セ二王ス陪・弔君7トを畷{}調号聾フ国二丁を三三三子 日室:咽宅州ム豆暑91望量暑旦遇刈♀旭摺之卜墾唄書,三二魁司91望看
・隙τ偲,否「重}…回1銀・判丁丁{}糾到丑甘」・1ヨ}セ唱王ス陪。に}唱,石 入1宅「望薯{}糾」到(舜{『7トス1架号下司丁丁社到ヨ哩三二早巴里芒叫
屯叫早司呈芒導二二召手ス1昊戴三三・1叫ゼ召・1珠三号qq子ス回 セ州司萢 異文化 呈州潮 自文化,ユ回書丑甘立呈苛セ夷暑暑望州
早エ・判国重}『雪そ}司囚召・杢}{}1駅聖重}牛1穀{}唄?17ト?♀固・召{}と列セ引
喜叫をさ}ス三三唄・1・二二1「暑司u}」,圧セ・判司フト「をφ司・回気u}」
セq子スト呈囲到。1薯司翌噌旦叫セ「三岳奪二型。1銀セ日1,朝。1唄。1
そ1入国・判戴モヲト?」さドビ牛{…到「叡セ裂呈旦71」暑重}裂・1U}.
三三司呈「手三二ス1号01朝暑暑剋升?」,「刈手王潮回7回呈閤・1号 曽州♀二図司戴ス博,刈手王7樋}号潮回フ陪田丑苛セ唄勉フト?」,「迅λレト ス1し}ヌ圃香丑想豊州望ぞ月・判銀叫」号到召呈叫ヨ剋且升し}鍛じ}.・1裂 暑611司胡立ム三q韓}二二・エ銀セ朝倉升司・三三1三相ぞ三三冒三三τ才.
}F子豆U}王ス1廿三二川量そ}(renewa1)到尋翔斗呈刈召州司胡刈朝倉薯q o1を望エ気三二01τ斗.二三刈ス1ヌ1.旦71列朝倉下司重}二三司刈碧見01 セ二王ス陪到三三薯を歪日1三三刈碧咽冴9銀r}(ユ司叫望二三到円1ム 三升朝倉朔刈ユ叫ス1呈苦暑手ス1三三夷9王音潮斜銀τ斗).量号斉到 刈ム旦セ・判烈{∋を号音硝豆司・ゼ二丁豊門司 召ス回エ,刈望旭到望干ス㍗
・1叫.刈三宅暑社フト金司ス}杢1三下・丁子をコ}暑唱二胡石入1糾ゼ唄釧・刃
司苦{}書♀}エ気銀亡ト.呈音01 斗王 「吐巫司暑看セ」唄壱{≧門門{}石
司叡。1,三三斉・11a萢二二萢召立呈叫6囲司エ苛セ思を重}ス圃7丁剋
甘司・1銀τL二王ス陪7ト金日1・¶二丁号・¶二三刈叫号豊冠λ回{洲召回
暑暑・囲「0 ロT「ぎ」,「{}糾ス馬円冠入1フト号・S・19コ.,む司潮石入17ト君フ1入1
到エ気ゼ裂)王豆暑9銀コ.,叫暑普到{套ス冊司暑二丁畳・月下呈刈フト暑
問題は第2日目の討議である。この日は今回のリニューアルに際して残された課題 として提示された、〈植民地時代の展示〉とく海外コリアンの展示〉という二つのテ ーマが議論された。しかし、結果的にこの日の議論は前日ほどの盛り上がりを見せな かった。その理由として考えられるのは、この二つのテーマが研究者同士の関係に収 まり切らない、日韓両国の歴史や政治的な背景と深く関わるものだからである。
まず、〈植民地時代の展示〉についてであるが、このテーマを「韓国における日本 文化」という別の言葉で置き換えようとしたことに対する韓国側の反発である。日本 側が「植民地」という言葉を避けたのは、 「民博の展示としては、植民地時代の功罪 を問おうとするものではなく、生活文化を通して、この時代を考察できるような展示 が望ましいと考え」[シンポジウム抄録:p.19]たからだという。日本側としては、そ のような展示をあえて行うことで、その時代の日韓の文化交流に関する研究を進めて いく突破口を開こうという意図があるように思われる。ところが、そのような置き換 えこそが過去の歴史を隠蔽しようとするものと誤解されかねないと同時に、終戦/解 放後半世紀が過ぎたこの時点で、韓国に今なお残る植民地時代の遺産に対して、改め て「日本文化」というレッテルを貼りつけることの政治性が等閑視されているのであ る。確かに現在の韓国生活文化には「日本」を意識させるものが少なくない。新聞社 や土建業界の専門用語をはじめとして、学校や軍隊制度、農具や歌謡曲など、あらゆ る分野に植民地時代(ばかりか現代の日本経済の影響力)の刻印を見ることができる。
ただ、それらについても過去50年の歳月のなかで韓国人の肌に合うものは残され、韓 国化されてきていることを忘れてはならない。植民地主義人類学の視角でより深い議 論を重ねたうえで展示を検討した方がよいという韓国側の全京秀氏のコメントは問題 の本質を正鵠に指摘したものと思われた。この問題は、中生勝美氏が盛んに指摘して いる、日本の人類学と植民地との関係という問題とも関わっており、とりわけ韓国を フィールドとする研究者に突きつけられた大きな問題だといえる。今後、韓国の研究 者とのより活発な共同作業が不可欠な領域だと思われる。
次に、〈海外コリアンの展示〉というテーマについてであるが、これも植民地時代 の歴史と無関係でないことが韓国側のゲストに指摘された。中国でも、ロシアでも、
コリアンにインタビューする度にまず言及されるのは、日本人が自分たちに何をやっ
たのかということであるという。83年目展示でも、今回の展示でも、民族の分断とい
う現実がまったく触れられていないという韓国側の指摘は、まさに日本側の急所を突
いたものと思われた。 「海外」のコリアンの展示以前に、日本のコリアンの展示が行
唐司芒到9銀u}.{}(蓼号忍到叫暑普{}・囲零翔司」ヨ・1暑スト吾忍到叫暑豊 立呈遇司入1翌奈戴暑叫,叫暑豊91丑昇フ1皆暑ol零刈尋萢入1ヲ1唱手音叫 州τ肢}見厚司勉伊刈王芒釧9叫号,型せ豆暑潮呈♀1フ1万町判司ユ呈
到銀叫.
暑刈セ・1暑列到呈暑01銀じ}.ユせ・書・1電ス骸}を(renewa1)(引委}胡甘・ト
丹荘暑刈干ス国司叫号「層望ス1入御到超入1」斗「胡国尊号q三冠入1」
叫号早7四司叫7R…釧平銀叫.ユ己1しし召斗野立呈・1せ到芒町鳶刈冠 せ碧三到頭♀レ1ユ呈セ曇。ト全例引戸叫.ユ01♀セユ早7肩到司叫 7トq子ス}舜・國吾測舎。個・脂ス回召幸気男工・1・ト望,片耳三号
91卿ト斗碧ヌ囚日囎:叫ζ1刃1翠}遇宅架・レ1曜}・11斗.
唱刈「剤マ1ス1入圖到石入1」・弔引回西国.旦吐・1司叫暑「聾号剣野 司刈到望薯関町」附図叫喜刈戸立呈遇石司一エスト戴q裂野司聾三号斉 到鯉}。隙u}.引割斉・1「剤望ス1」叫セモ言詞司蝕・a野僧「号沼剋否 軒叫彫師一斗入1呈州ゼ剤望ス1入子到号司暑暑ユスト糾セ唄三・川エ,
想塁}呈糾暑子午ン『ユ入1胡弓ユを琶奈銀呈明月・セ石入17ト叫早}司司・堺
田L 想z}」 [杢]王ス1苦 一升:p.19]戴フ1 π調{}01i穀τ}. (蓋薯斉。} ユ己1墾 組入1暑
書01翌胡をろ1薯ユ入1門門を望到暑糾丑昇剛吾をq子西門町回ツ1♀1 を暑群居暑(ヨスド…釧王7ト気銀唱唄刻碧司刃萢し}.ユ口耳・}己1を遇石
・1。肥呈叫刃到9朴下刈斗升・エスト苛セ唄皇三皇胡こヨス1三呈暑斗暑入1 州石早堅剛早皇圃フ17トス1廿入1モ替司レ『,ス信叫入1尋号州甘薯剤マ1λ回 到♀杢}司1τ刊さ刊入耳杢}ム唱和望暑{}糾モ斗セな豆暑暑01北野010ト魁一碧ヌ1 帽男工を入1司・四脚01叫.響唱司週ス刊到妊号歩弓}呈糾州セ(ヨ暑暑?1剤糾 川明琴唄。1司ス1讐叫!S弾子し}呈昇(別丁回石呈甚・囲暑入レ斗立呈司刈 叫一宇ぜ州刈三,告フ1〒・叫7L四号明山斗甚。回召羽四割ス1入1司(ユ讐
マ}0}日己}望薯石刈到(暮養}弔)到Z}勉暑暑・午銀1斗.セ}01己憧}唄円明1司
胡刈三斗囚50思91三内舎d囚を土工qg;引書司1喫四丁01甘。ト,重}…号糾 9明ゑ叫ゼ召書喫・堅甲セ勉判司.層剋ス1手四三昇一斗四隣州刈旦叫旧 名芒年子響書例列石入1暑平戸司・ゼ唄01奪叫セ尋号斉到全智秀三岡.
剋例月呈刈潮薯召暑閣叫司ス凶司・セ喫01叫エ想Z:卜宅叫.01呈刈ゼ中
生勝美井咽翌年ス1司司一ユ銀甲望夕潮q昇叫叫平筆ス1斗釧吾々岡三呈
われていない現状を鋭く指摘したからである。「檀君の肖像画の横になぜ金日成の肖 像画がないのか」という韓国側の指摘は、「日本でならそれができるのになぜやらな いのか」という期待の裏返しでもあった。在日コリアン、とくに朝鮮総連系のコリア ンの生活文化に対する研究というテーマも韓国側から投げ帰された重いボールだった
と思う。
今回のシンポジウムに参加して改めて感じたのは、朝鮮半島の文化をく異文化〉と して表象することの難しさであった。他の地域に比べ、朝鮮半島と日本はあまりにも 近く、互いに深く関わり合ってきた歴史がある。朝鮮半島の文化を研究することは、
日本人が意識しない、あるいはあえて見ようとしない、もう一つの日本人の顔に直面 せざるを得ない作業だといえる。その意味で、韓国における韓国研究者ばかりでなく、
韓国における日本研究者との連携作業も必要なのではないかと思われる。日本人とし て、人類学者として、韓国研究者として、単なる地域研究というレベルを越えて、
「韓国における日本文化の表象」といかに向かい合っていくのかという問題について も、これからもっと議論されなければならないと考えられる。
両国の研究者に課せられた問題は数多くあり、韓国の諺で言えば、「山を越えたら、
また山があった」という状況であることが今回のシンポジウムでは改めて浮き彫りに なった。それでも、半世紀という長い時間の経過のなかで、両国の研究がそれぞれの 文脈で成熟し、その成果が対話を可能にする水準に達したこと、共同研究の新たな端 緒は開かれ、ともに手を携えて山を越えようという意志があることが確認された点で、
今回のシンポジウムは実に実りあるものだったといえる。
刈斗三モ捌フト戴エ,号司尋号含王入圖甘ス1呈甘芒qr■ス匿。1早喫ヌ}ゼ 奇豆司・エ呈ヨし}書呈刈斗望吾宅1斗.
τ}舎到 「三斜重}号勉到そ1入1」己}芒日1叫州州胡q骨誹里,。1裂王司剋 ス1入圖9円朴斗モ}刈干ゼ奏。1。ト月旦芒唄。1を号斉西川ム三下早日ス1 司9銀叫.号判司刈王,貸入10回レ日王,赴号q叫皇1日昇関門,刈望遇刃望 者昌昌唄{}望野里・1スレ謹暑州刀1早唄暑戴銀セフト叫セ唄・1叫エス1司身銀 1斗.83雇91石入1司囚王01遇91石入回1刈三,望香91甚吐01叫モ∋観碧01召ヨ.
望骨脂ス1蕗日岡セ量幸キ到ス四書司岳司三管斉釧者杢暑週蒐叫エ想
Z:卜宅1斗. 「胡四重}号剋到 石入1」01石州 望薯用醒号望朝 石入17ト翌λ国ユ
銀ス1蕗セな響旧せヲト暑刈ス1司司一エ銀71剛呈O}叫. 「牡量91主甘糾望 州朝声望噌到皇甘糾7ト叡セ7h三二量幸キ潮ス囚名「望薯明レ『叫唱 ユ裂・17ドま墾日1朝司・ス1時下凹凸7ト?」己}エ一丁7回到(沸テ甘・1フ1呈 四珠ス爬重}弓削号司蚤書遇司三重}号三斜嘆}呈糾司司尋望〒叫セ司 叫雨具号寄州刈q遇早フ『金品ol戴1斗エ想三種}亡ト.
01咽到忍王ス1苦州君7ト司・司野司ユニ辺裂書,を町回呈糾暑 〈異文化〉
呈功烈杢}苛芒裂到・判司{}・1銀叫.[}喜ス1円。刊日1胡,姻}呈斗望薯{≧目 早7P計エ刈呈そ}司1翌刀1豊測暑喫・ヰ99入レを閉口・.鳶塑}王{飼・暑望〒・
苛セ喫薯望薯剋・1円剤苛ス1留芒孔門・回旦司エ司・ス1鍵セ,圧古掲 q望薯q到望暑・引司里苛ス1側側希鵠…冬}唱・1叫エ魁脅牛戴叫.ユ 到ロ國四重}号到重}号望〒・スR}・1叫月叫を号野望暑望子ス桝q望刃凶・唱 三望豆糾ス1蕗暑ηト己}ユ想4を叫.二四剋皇三下望昇叫スト呈猟墾号q子 スト三州,毫}{鏡}ス関勉子叫ゼ奈{}暑瑠・判刈刈,「墾号・梱釧望薯{鋒回 丑杢}」斗・判望判司唱司巷ηト叫芒{}刈・引司胡刈呈,ス信早日干岳芒qg
司。ト赴1斗エ想z:卜重}τ}.