記録されなかった出生 : 人口人類学におけるシミ ュレーション研究
著者 木下 太志
雑誌名 国立民族学博物館研究報告
巻 21
号 4
ページ 877‑919
発行年 1997‑03‑28
URL http://doi.org/10.15021/00004159
木下 記録されなか った出生
記 録 され な か っ た 出 生
人 口人類学におけるシミュレーション研究
木 下 太 志*
Uncounted Births:
Estimating the Fertility of Tokugawa Peasants from Shumon Aratame-cho
Futoshi KINOSHITA
Reflecting recent developments in demographic studies, the first part of this paper emphasizes the importance of the role cultural an- thropologists can play in this field. The results of major demographic studies of recent years, such as the Princeton Fertility Project, the World Fertility Survey and those by the Cambridge Group for the History of Population and Social Structure, throw doubts on the validity of the demographic transition theory which has been the single dominant theory in demography for almost half a century. Drawing upon the modernization theory, the demographic transition theory postulates that demographic behavior, particularly fertility, is strongly influenced by socio-economic factors such as industrialization, urbanization and literacy rates. Recent empirical studies, however, fail to find such a rela- tionship. Instead, they find that demographic behavior is determined more by cultural factors such as religion and ethnicity. It is in this con- text that I emphasize the role of cultural anthropologists in demographic studies which have been long dominated by sociologists and economists.
The second part of the paper examines a somewhat specific, but crucial, issue to Japanese historical demography. This is the issue of the underregistration of births recorded in shumon aratame-cho (SAC) , population registers most frequently utilized by researchers. This has
江南女子短期大学,国 立民族学博 物館共 同研究員
Key Words : demographic anthropology, microsimulation, model for reproductive process, shumon aratame-cho, Japan
キ ー ワ ー ド:人 口 人 類 学,マ イ ク ロ シ ミ3レ ー シ ョ ソ,人 口再 生 産 過 程 モ デ ル,宗 門 改 帳,日 本
国立民族学博物館研究報告 21巻4号
been a serious problem since it prevents accurate estimates of basic demographic indices such as fertility and infant mortality. In solving this, this paper employs a microsimulation approach. This approach has several advantages over macrosimulation. The most important is that with microsimulation, we can consider relatively easily in our model such critical factors as seasonal fluctuation of births and monthly death rates of infants.
The model for reproductive process used in this paper and its com- puter program are based on studies by the Institute of Population Pro- blems and those by Bongaarts and Potter. For input data for the simula- tion, data from the Tokugawa period is used wherever information is available; otherwise, I use data of the Meiji and the Taisho periods.
The result of the simulation reveals that the degree of underregistra- tion of births in SAC ranges from 82 to 88 per cent, depending on infant mortality levels, and thus 12 to 18 per cent of births were never record- ed. This leads us to conclude that birth rates calculated directly from SAC need to be multiplied by 1.15 to 1.22 in order to obtain accurate fer- tility estimates of Tokugawa peasants.
Another important finding from the simulation concerns the range of random fluctuation in fertility due to a small population size. With a cohort size of 25 persons, the simulation yields a standard deviation of 0.25 births in total marital fertility rate (TMFR) between five runs. The comparable figure goes up to 0.7 births with a cohort size of 10 persons.
This will give us a measure of variance when dealing with the fertility of a small village population in the Tokugawa period.
1 は じめ に 2.研 究 課 題
3.宗 門 改 帳 とそ の人 口資 料 と して の性 格 3.1宗 門改 帳 の 由来 と記 載 内 容 3.2宗 門 改 帳 か ら読 み 取 れ る農 民 の ライ フ コ ー ス
3.3宗 門 改帳 の人 口資 料 と して の 弱 点 4.人 口再 生産 過 程 再 現 の た め の モ デ ル 4.1シ ミュ レー シ ョ ソの概 略 4.2 人 口再 生 産 モ デル の 説 明 4.2.1女 子 の 死 亡 年齢 4.2.2 有 配 偶 状 態 4.2.3 永 久 不 妊 率 4.2.4 妊 娠
4.2.5 自然 流産 4.2.6 出 生 数 の 月別 分 布 4。2.7 乳 児 の 月齢 別 死 亡 確 率
4.3 出生 数 の 月別 分 布 と月 齢 別 乳 児 死 亡 確 率
5.シ ミュ レー シ ョン結 果 5.1 プ ロ グラ ムの チ ェ ッ ク 5.1.1累 積 死亡 数 5.L2 有 配偶 率 5,1.3 月別 出生 分 布
5.2 有 配偶 出生 率 に 関 す る シ ミュ レー シ ョン結 果
5.3 有 配 偶 出 生 率 の ラ ソダ ムな変 動 6.ま とめ と結 論
木下 記録され なか った出生
1.は じ め に
自 然 人 類 学,考 古 学,文 化 人 類 学,言 語 人 類 学 と い う人 類 学 の4分 野 の う ち,伝 統 的 に 人 口研 究 と 最 も密 接 な 関 係 を 保 っ て き た の は 自然 人 類 学 で あ り,こ の こ と は 出 土 人 骨 か ら 過 去 の 人 口 を 再 現 し よ う とす る 古 人 口学(paleodemography),出 産 の メ カ
ニ ズ ム な ど を 研 究 す る 人 類 生 態 学(human ecology) ,集 団 遺 伝 学(population genetics)等 の 自 然 人 類 学 に お け る フ ィ ー ル ドを 思 い 浮 か べ れ ば,容 易 に 想 像 が つ
く1)。 ま た,考 古 学 に お い て も人 口 研 究 は な さ れ て き た が,そ れ は1960年 代 後 半 か ら1970年 代 前 半 に か け て の 農 耕 の 起 源 に 関 す る 一 連 の 研 究 に お い て 既 に み る こ と が で き る 。た と え ば,Binford【1968】 は,人 口圧 を 農 耕 の 起 源 に と っ て 重 要 な 要 素 と考え, 農 耕 は 土 地 が 肥 沃 で 多 く の 人Aを 支 え る こ とが で き る地 域 よ り,地 味 や 植 生 が そ れ ほ
ど 豊 か で は な い 人 口 圧 の 高 い 地 域 で 始 ま った と 考 え て い る 。Binford自 身,イ ヌ イ ッ トの 一 族 で あ るNunamiut族 に お い て フ ィ ー ル ド ワ ー ク を 行 い,栄 養 素(特 に 炭 水 化 物)と カ ロ リ ー摂 取 量 の 安 定 化 が,彼 ら の 人 口 増 加 の 主 な 原 因 と な った と し て い る
【BINFORD and CHASKo 19761。 ま たt考 古 学 に お け る 人 口 を さ ら に シ ス テ マ テ ィ ッ ク に 取 り扱 お う とす る 研 究 もあ っ た 【HASSAN 1981]。 こ れ ら と ほ ぼ 同 時 期 に,日 本 で はKoyama【1978】,小 山 ・杉 藤 【1984】が,そ れ ま で あ ま り試 み ら れ る こ と の な か っ た 縄 文 時 代 の 人 口推 計 を,全 国 の 遺 跡 分 布 と遺 跡 の 平 均 人 口規 模 を 基 礎 に 行 っ て い る 。 本 稿 は 日本 の 歴 史 人 口学 に お け る や や 特 殊 な 問 題 を 取 り扱 うが,そ の 前 に こ こ で は, 最 近 の 研 究 成 果 を 踏 ま え な が ら,文 化 人 類 学 者 に よ る 人 口研 究 の 歴 史 と 現 状 に つ い て 簡 単 に 触 れ て お き た い 。 こ こ で 文 化 人 類 学 者 に よ る 人 口 研 究 に 特 に 注 目 す る 理 由 は, 近 年 の 社 会 学 や 経 済 学 等 の 他 の 関 係 分 野 と の 交 流 の 結 果,文 化 人 類 学 に お け る 人 口研 究 が 新 し い 局 面 を 迎 え た と考 え る か ら で あ る 。
文 化 人 類 学 に お け る 人 口研 究 は,ひ と つ の 学 派 を つ く る ほ ど の 大 き な 潮 流 と は な ら な か っ た も の の,1920年 代 か ら 現 在 ま で 連 綿 と して 続 い て い る2)0そ の 代 表 的 な も の を い くつ か 掲 げ る と,Rivers l 1922】, Firth【1968(orig.1936)】, Powdermaker[1931]
な どに よ る 南 太 平 洋 諸 島 に お け る 研 究 は,文 化 人 類 学 者 が 人 口 そ の も の を 研 究 対 象 と
1) 自 然 人 類 学 に お け る 人 口 研 究 の 展 開 お よ び 最 近 の 課 題 に つ い て は,Baker and Sanders 【1972】,Swedlund【1978】,小 林 【1976,1979a,1979b】,Wood【1990】,鈴 木 ・大 塚 ・柏 崎 【1990】な どに 詳 し い 記 述 が あ る 。
2)人 口 学 と文 化 人 類 学 の 関 係 に 関 し て は,Howell[19861, Hammel and Howell[1987], Caldwell, Caldwell and Caldwel1【1987】 な ど に 詳 し く記 述 さ れ て い る 。
国立民族学博物館研究報告 21巻4号
した 最 初 の も の で あ ろ う。 そ の 後 の1940年 代 か ら50年 代 に か け て の 研 究 例 と して は, Fortesが 西 ア フ リ カ で 実 施 し た タ レ ン シ 族 【FORTES 1943]や ア シ ャ ン テ ィ 族 [FORTES 1949]の 人 口 学 的 研 究 が よ く知 られ て い る 。 ま た,こ の 時 期 に 親 族 構 造 と 出 生 率 と の 関 係 に 言 及 し たLorimer【1954】 や, Devereux[1955]に よ る堕 胎 の 通 文 化 的 研 究 は,現 在 で も 参 考 文 献 と し て しば しば 引 用 さ れ る 。
1960年 代 か ら70年 代 に か け て の 文 化 人 類 学 者 に よ る 人 口 研 究 の ひ と つ の 流 れ は,人 口 支 持 力(carring capacity)に 関 す る も の で あ り[e.g., BROOKFIELD and BRowN 1963;LEE and DEVoRE l 968;HAYDEN l975;BRusH 1975】,こ の 研 究 は 文 化 人 類 学 だ け で は な く,生 態 人 類 学 や 考 古 学 な ど に も 影 響 を 与 え た3)。 こ こ に 至 り, Zubrow【19761が 編 集 したDemographic Anthropologyと 題 す る 本 も 出 版 さ れ,人 口
人 類 学 と い う分 野 が 人 類 学 の 一 分 野 と して 公 に 認 め られ る よ うに な っ て き た 。 こ の 時 期 に は,こ の 人 口支 持 力 を 研 究 テ ー マ と した 流 れ と は 別 に,独 自 に 人 口研 究 を 行 う文 化 人 類 学 者 も 存 在 し た[e.g., POLGAR l971;SCRIMSHAW 1975;MACFARLANE
1976;NAG, WH‑TE and FEET 1978;HACKENBERG 1980】。 そ の な か で も, Nagと Howellに よ る 研 究 は 特 筆 さ れ る。 Nag[1962】 は,出 生 に 影 響 を 与 え る 要 素 を 網 羅 し,
そ の 後 の 人 口研 究 の 枠 組 み の 基 礎 を 作 り上 げ た 。 ま た,Howel1【1975,1979】 は 忍 耐 強 い フ ィ ー ル ド ワ ー ク に よ り,当 時 不 可 能 と考 え ら れ て い た 狩 猟 採 集 民 の 人 口研 究 が 可 能 で あ る こ とを 立 証 し た 。
1980年 代 か ら90年 代 に な る と,文 化 人 類 学 に お け る 人 口研 究 は に わ かG'活 気 を 呈 し て く る。 こ の 理 由 の ひ と つ と して,文 化 人 類 学 者 が ヨ ー ロ ッパ な ど の 歴 史 資 料 を 持 つ 社 会 に 興 味 を 持 ち 始 め た の が だ い た い こ の 時 期 で あ り,彼 ら の 興 味 が 歴 史 人 口 学 に ま で 及 ん だ こ と が 考 え ら れ る 【e.g., NETTING 1981;KERTZER 1984;ADAMs and KASAKOFF 1984;NETTING, WILK and ARNouLD 1984;MACFARLANE l986]。 文 化 人 類 学 者 が 予 想 し な か っ た こ と で は あ る が,も う ひ とつ の 理 由 と し て は,そ れ ま で の 人 口研 究 の 中 心 を 担 って き た 社 会 学 者 や 経 済 学 者 の 眼 が 人 口学 的 要 因(特 に 出 生 率)を 規 定 す る も の と し て 文 化 的 要 因 を 重 視 す る よ う に な っ て き た と い う こ と が あ げ ら れ る [GREENHALGH l990;HAMMEL 1990]。 これ に は,人 口学 者 に よ る1980年 代 に 発 表 さ れ た い くつ か の 重 要 な 研 究 成 果 が 密 接 に 関 係 し て い る 。
人 口学 に は,人 口 転 換 理 論(demographic transition theory)と 呼 ば れ る 理 論 が あ る が,1980年 代 か ら90年 代 に か け て 発 表 さ れ た 研 究 は こ の 理 論 を 明 白 に 否 定 し た 。 人 口 転 換 理 論 は 近 代 化 理 論 を 背 景 と し,そ の 骨 子 は 以 下 の よ うで あ る。 す な わ ち,出 生
3) この時 期 の 人 口支 持 力に 関 す る研 究 の レビ ュ ーは,木 下 【1990】を参 照 され た い。
木下 記録 されなか った 出生
率 お よ び 死 亡 率 とい う観 点 か ら み る と,前 近 代 社 会 か ら近 代 社 会 へ 移 る 過 程 に お い て, 社 会 は3つ の 段 階 を 経 な け れ ば な ら な い 。 第 一 の 段 階 は 前 近 代 社 会 の 高 死 亡 率,高 出 生 率 の レ ジ ー ム で あ り,ど ち ら も 高 率 で あ る た め 両 者 の 間 の 均 衡 が と れ て い る 状 態 で あ る 。 人 口転 換 の 第 二 段 階 は 近 代 化 の 開 始 と と も に 始 ま り,こ こ で は,都 市 化,工 業 化,義 務 教 育 の 普 及,あ る い は 各 種 公 衆 衛 生 施 策 の 展 開 に よ り,死 亡 率,特 に 乳 幼 児 死 亡 率 が 低 下 す る 。 乳 幼 児 死 亡 率 が 低 下 す る と,転 換 以 前 の よ う に は 子 供 を 多 く産 み 育 て る 必 要 が な くな る た め,出 生 率 が 低 下 し始 め る 。 こ の 段 階 で は 女 性 の 雇 用 機 会 も 増 大 し,女 性 が 労 働 市 場 に 参 入 す る た め,多 く の 子 供 を 産 み 育 て る こ と は 彼 女 た ち に と っ て 負 担 と な り,多 産 の イン セン テ ィ ブ が そ が れ る 。 す な わ ち,こ の 段 階 で は,子 供 の 経 済 的 価 値 が そ の 前 段 階 と は 大 き く変 わ る の で あ る 。 こ の よ う に,人 口転 換 の 第 二 段 階 で は 死 亡 率 が'まず 低 下 し,そ れ に 遅 れ て 出 生 率 が 下 が る た め,前 近 代 社 会 に お い て 保 た れ て い た 両 者 の 均 衡 が 崩 れ,人 口増 加 が 顕 著 と な る。 人 口転 換 の 最 終 ス テ ー ジ で あ る第 三 段 階 に な る と,社 会 の 近 代 化 が 進 み,死 亡 率,出 生 率 と も に 低 い レベ ル に 保 た れ,人 口増 加 が 再 び 緩 や か に な る 。 ま た,家 族 と い う観 点 か らみ る と,近 代 社 会 で は 前 近 代 社 会 の 拡 大 家 族 の よ う な 大 家 族 に か わ り,核 家 族 が 浸 透 す る と 人 口転 換 理 論 は 主 張 す る 【DAvls l 945;NoRTEsTEIN 1945;河 野 1986:14‑24】 。
前 述 の よ うに,最 近 の 研 究 成 果 は こ の 人 口転 換 理 論 を 否 定 し て い る 。 た と え ぽ,プ リ ン ス トン 大 学 のAnsley Coaleを 中 心 と し た プ ロ ジ ェ ク ト(通 常, Princeton Fertili‑
ty Projectと 呼 ば れ る)は 過 去30年 あ ま り,ヨ ー ロ ッパ 全 域 に わ た る700に も お よ ぶ 郡 レベ ル の デ ー タ を 収 集 し,そ れ ぞ れ の 郡 に お け る 出 生 率 低 下 の タ イ ミ ン グ と 社 会 経 済 的 要 因(た と え ぽ,都 市 化)の 関 係 を 調 査 した 。 そ の 結 果,ヨ ー ロ ッパ に お け る 出 生 率 低 下 の タ イ ミン グ は,19世 紀 末 か ら20世 紀 初 頭 の30年 か ら50年 と い う比 較 的 短 期 間 に 集 中 して お り,各 地 域 の 社 会 経 済 的 要 因 に は 左 右 され る こ と は な く,む し ろ 宗 教 や ethnicityと い っ た,い わ ゆ る 「文 化 」 と広 く呼 ぽ れ る も の と 密 接 な 関 係 が あ る こ と を 明 ら か に した 【KNODEL ariCl VAN DE WALLE l979;Coale and WATKins 1986】。 た と え ば,ブ ル ガ リ ア を 例Y'と る と,そ の 人 口の ほ と ん ど が 文 字 の 読 め な い 農 民 で あ っ た に も か か わ ら ず,20世 紀 初 頭 か ら彼 ら の 出 生 率 は 低 下 し始 め て お り,人 口転 換 理 論 が 描 く シ ナ リオ と は く い 違 い を 示 す 【KERTZER 1995:32】 。
1960年 代 か ら80年 代 の イ ギ リス に お い て も,Princeton Fertility Projectの よ うな 息 の 長 い 研 究 が 行 わ れ て お り,1970年 代 中 頃 か ら そ の 研 究 成 果 が 発 表 され て きた 。 こ の 研 究 の 母 体 と な っ た の は,the Cambridge Group for the History of Population and Social Structureと 呼 ぼ れ,人 口史 お よ び 家 族 史 の 研 究 に お い て 多 大 の 成 果 を 残 して
国立民族学博物館研究報告 21巻4号
き た4)0こ の グ ル ー プ の 研 究 者 た ち は,イ ギ リス は,中 世 以 来 そ の 主 要 な 家 族 形 態 は 核 家 族 で あ り,近 代 化 に よ り核 家 族 化 が 進 行 し た とす る 人 口 転 換 理 論 と は 整 合 し な い と結 論 づ け た[LASLETT allCI WALL 1972】。 ま た,こ の 国 に お い て は16世 紀 か ら19世 紀 に か け て 産 業 革 命 や 人 口 の 都 市 化 な ど の 大 き な 社 会 経 済 的 変 化 を 体 験 した に も か か わ らず,こ の 間 の 有 配 偶 出 生 率 は 驚 く ほ ど 安 定 し て お り,人 口 転 換 理 論 が 示 す よ う な 高 出 生 率 か ら 低 出 生 率 へ と い う よ う な 変 化 は 起 き な か っ た[WRIGLEY and SCHOFIELD 1981]0
さ ら に 人 口 転 換 理 論 は,1980年 代 に 実 施 さ れ た,規 模 の 上 で は 史 上 最 大 の 社 会 科 学 調 査 と言 わ れ るWorld Fertility Survey(WFS)に よ っ て も 支 持 さ れ な か っ た 。 WFS
に お い て は,子 供 の 経 済 的 価 値(家 族 内 の 労 働 力 と い う意 味 に お い て も,親 の老 後 保 証 と い う意 味 に お い て も)と 出 生 率 と の 間 の 相 関 は 見 つ け られ な い ぼ か りか,女 性 の 雇 用 機 会 と 出 生 率 と の 相 関 も 見 つ け る こ と が で き な か っ た[CLELAND and WILSON
l987】。 こ こ に お い て も,再 び 社 会 経 済 的 要 因 と 出 生 率 と の 関 係 は 否 定 さ れ,宗 教 や ethnicityと い っ た 文 化 的 要 因 の ほ うが,出 生 率 と よ り深 い 関 係 を 持 つ こ と が 示 さ れ た 。 Princeton Fertility Proj ect, Cambridge Group, WFSと い う一 連 の 研 究 が 文 化 人 類 学
者 に と っ て 皮 肉 で あ っ た の は,こ れ ら の 研 究 に よ り,出 生 率 と社 会 経 済 的 要 因 と の 関 係 は 否 定 さ れ,出 生 率 と文 化 的 要 因 と の 関 係 が 強 く打 ち 出 され た に も か か わ らず,こ れ ら の プ ロ ジ ェ ク トの 主 た る メ ソバ ー は,人 口学 者,経 済 学 者,社 会 学 者,歴 史 学 者 で あ り,伝 統 的 に 文 化 の 研 究 を 行 っ て き た 文 化 人 類 学 者 は 参 加 し て い な か っ た と い う こ と で あ ろ う。 しか しな が ら,最 近Y'な り,人 口問 題 を 研 究 の 主 テ ー マ とす る 文 化 人 類 学 者 た ち が 論 文 を 発 表 す る よ う に な っ て き た[e.g., KERTZER and HoGAN 1989;
Ross 1986;CLEVELAND l986;BMNARD and OvER別 肌D 1986;BLEDSOE 1990;
杉 藤1991;FRIcKE l995;CARTER 1995;01995;K‑NOSH‑TA 1995】。 Greenhalgh
【1995:3‑28]は,こ れ ら の 研 究 を そ れ ぞ れ の ア プ ロ ー チ の 違 い に よ り3つ に 分 類 し て い る 。 第 一 の 分 野 は,Handwerker【1983,1986a,1986b]に 代 表 さ れ る よ う な,人 口 学 の 理 論 お よ び 手 法 を 大 胆 に 人 類 学 に 取 り入 れ た 研 究 で あ る 。 第 二 の 分 野 は フ ェ ミ ニ ス トに よ る 研 究 で あ り,出 産 過 程 に お け る 戦 略 の 問 題,身 体 や セ ク シsア リテ ィ と い っ た 概 念 が ジ ェ ン ダ ー の 役 割 に ど う反 映 さ れ る か な ど に 焦 点 を 当 て て い る[e.9,,MAR‑
TIN 1987;Guv SBURG and RAPP 1991】。 そ し て 第 三 の 分 野 は, Kertzerな どに 代 表 さ れ る 研 究 【e.9.,KERTZER l995;ScxNEn)ER and ScHNEIDER l995】 で あ り,こ れ は 資
4) ケ ソ ブ リ ッ ジ グ ル ー プ の 研 究 は 多 岐 に わ た る が,日 本 語 訳 さ れ た も の と し て, 【1982Lラ ス レ ヅ ト 【1985】,斎 藤 【19881,ウ ィ ル ソ ン 【1992】な ど が あ る 。
リ グ リイ
木下 記録 されなか った出生
本 主 義 や 近 代 国家 の成 立 な どの政 治経 済 的 な マ ク ロ要 因 と個 人 レベ ル の人 口学 的行 動 の よ うな ミク ロ要 因 とを結 び つ け よ う とす る。Greenhalgh自 身 は,文 化 人 類 学 の伝 統 的 立 場 で あ るholismを 強調 し, culture, history, gender,powerと い う複 眼 的 視 野 か ら,社 会 の な か で 出生 構 造 が いか に決 定 され る のか を研 究 す る こ とを主 張 し,そ れ を
「出生 の政 治 経 済 学 」 と呼 ん で い る。
こ こに示 され た 文 化人 類 学 老 に よ る人 口研 究 は,最 近 そ の産 声 を 上 げ た ば か りで, そ れ ぞれ の研 究 者 が それ ぞれ の研 究 テ ーマ と手 法 で 研 究 を進 め てい る段 階 で あ り,未 だ 彼 らの 間 で確 立 され た 方 法論 や実 証 す べ き仮 説 が あ るわ け で は ない 。 ま して や,こ れ らの文 化 人 類 学 者 が 人 口転換 理 論 に 代 わ る理 論 を 打 ち 出 して い るわ け で もな い。 し か しな が ら,人 口転 換 理 論 が 実 証的 研 究 に よ り徐 々 に打 ち 崩 されrそ の 中 核 に あ った 社 会 経 済 的要 因 と人 口学 的 要 因 の 関係 が 否 定 され,そ れ に 代 わ り文 化 的 要 因 と人 口学 的 要 因 の関 係 が 強調 され つ つ あ る状況 をみ る と,文 化 人 類 学 者 の 眼前 に研 究 の た め の 新 しい ホ ライ ゾソが 開け た 感 が す る。
2.研 究 課 題
人 口研 究 に おけ る文化 人 類 学 者 の 役 割 の重 要 性 を 強 調す るため,序 論 が やや 長 くな った が,本 稿 の主 た る テ ーマG'̀入 りた い 。 本稿 は,日 本 の 歴 史人 口学 の方 法論 上 根 本 的 で あ りな が ら,未 だ 未 解 決 な 問題 を 扱 う。 そ れ は,日 本 の歴 史 人 口学 に お い て最 も 頻 繁 に 人 口資 料 と して使 わ れ る宗 門改 帳 か ら,い か に正 確 な 出生 率 を 推 計 す るの か と い う問 題 で あ る。 日本 の歴 史 人 口学 は速 水 融 氏(現 麗 澤 大 学 教 授 お よび 国 際 日本文 化 研 究 セ ンタ ー名 誉教 授)を 中心 に,過 去30年 あ ま り着 実 な進 歩 を遂 げ,そ の 間 多 くの 発 見 が な され る と と もに,西 欧 諸 国 の歴 史 人 口学 の研 究成 果 と の比較 を通 じて,前 工 業 期 にお け る 日本 の 人 口学 的 特 徴 が 浮 き彫 りに され つ つ あ る。 日本 の歴 史 人 口学 に お い て,研 究 者 が 用 い て きた 資料 と して は,宗 門 改帳,過 去 帳,出 入増 減 差 引帳,家 系 図,懐 妊 書 上 帳 な どが あ る が,な か で も宗 門 改帳 が 最 も頻 繁 に使 用 され て きた 。 宗 門 改 帳 は 人 口資 料 と し て,諸 外 国 の 資 料(た と え ぽ,西 欧 諸 国 の 教 区 簿 冊parish register)と 比 較 して も,非 常 に ユ ニ ー クで 貴 重 な資 料 で あ る こ とが,最 近 一 般 に も 認 識 され て きた 【CoRN肌L and HAYAMI 1986】。
宗 門 改 帳 は 日本 の歴 史 人 口学 に は不 可 欠 な資 料 で あ る もの の,人 口資 料 と して の弱 点 も持 ち合 わ せ て い る。 そ れ は,宗 門 改帳 の基 本 的性 格 が 静 態 統 計 で あ る とい うこ と に起 因 してい る。す なわ ち,宗 門 改 帳 は年 に一 回,村 の人 口を 世 帯別 に記 録 した もの
国立民族学博物館研 究報告 21巻4号 で あ り,あ る年 の記 録 日 と翌 年 の 記録 日 との 間 に生 まれ、 か つ 死 亡 した乳 児 は 宗 門改 帳 に記 録 され な い 。言 い換 えれ ぽ,宗 門改 帳 に記 録 され る乳 児 とい うのは,記 録 日ま で 生存 してい な け れ ぽ な らな い とい うこ とで あ る。
この よ うな性格 を持 つ 宗 門 改 帳 か ら算 出 され る出生 率 は,当 然 の こ となが ら実 際 の 値 よ りも過 小 評価 され るが,そ の過 小評 価 の程 度 に つ いて は わ か らな い。この 問題 は, 日本 の歴 史 人 口学 が30年 前 そ の 産 声 を あ げ てか ら,常 に研 究 者 を 悩 ま して きた 問 題 で あ り,こ れ を解 決 し よ うとす る試 み もあ った[鬼 頭 1976;斎 藤 1992】。 た と えば, 速 水 【1988:1011は 鬼 頭 の 研 究 を ひ い て,20%か ら25%の 出生 は 宗 門 改 帳 に 記 録 され な か った と推 定 して い る。 しか しな が ら,こ れ らの 研究 に もか か わ らず,こ の問 題 を 完 全 に 解 決す るに は 至 って い ない 。 した が っ て,日 本 に おけ る前 工 業期 の 出生 率 は, いわ ぽ 研 究者 の喉 に 刺 さ った棘 の よ うに,依 然 未 解 決 の問 題 と して 残 され て い る。 こ の こ とは,出 生 率 の研 究 が諸 外 国 に お け る歴 史 人 口学 の主 た る研 究 テ ーマ の ひ とつ で あ る こ とを考 え る と,早 急 に解 決 され るべ き重 要 な 課題 で あ る と言 わ ざ るを得 な い。
この 問題 を解 決 す るた め に,本 稿 で は マ イ ク ロシ ミュ レー シ ョ ソに よる手 法 を採 用 す る。 この手 法 を 採 用 す る理 由 と して,近 年,人 口 の再生 産 過 程 を 表 現 す る現 実 的 な モ デル が 構築 され て きて お り,そ の モデ ル を コ ン ピュ ー タ上 で高 速 に 再現 で きる とい うこ とが あ げ られ る。 また,こ の手 法 に よる と従 来 の研 究 で考 慮 され な か った 出生 の 季 節 変 動 や 乳 児 の月 齢 別 死亡 確 率 を,比 較 的簡 単 に モ デル に組 み込 む こ とが で きる と い う利 点 もあ る。
3.宗 門 改帳 とそ の人 口資 料 と して の性 格
3.1宗 門 改 帳 の 由来 と記 載 内 容
こ こ では,江 戸 時 代 の人 口資料 と して最 も広 く,研 究 者 に よ り利 用 され て い る宗 門 改帳 につ いて 触れ る。 と い うの は,利 用 す る資料 に つ い てそ の 作成 目的 や 性格 を 熟知 して お くこ とは,研 究 上 非 常 に大 切 な こ とで あ り,本 稿 で は不 可 欠 で あ る か ら であ る。
宗 門 改 帳 は慶 長19(1614)年,徳 川 幕 府 が キ リス ト教 信 仰 を禁 止 し,人 々が キ リス ト教 徒 で ない こ とを,当 時 の行 政 単 位 で あ る村 ご と に毎年 報 告 させ た こ とに 由来 す る。
この た め,幕 府 は 寺請 制 度 を と り,檀 那 寺 が 村 人 の キ リス ト教 徒 で ない こ とを証 明 し た。 そ の後,寛 文10(1670)年,幕 府 は 村hに 通 達 を 出 し,百 姓 の家 一軒 一 軒 につ き, そ の 宗 旨を人 別 帳 に記 す こ とを命 じた。 本 稿 で は,こ の人 別 帳 を,単 に宗 門 改 あ る い
木下 記録 されなかった出生
は 宗 門 改帳 と呼 ぶ こ とにす る。 宗 門 改 帳 は,原 則 と して1年 に1編,定 め られ た時 期 に村 ご とに作 成 され,村 人 の総 数 や 世 帯 数 な どが,そ の 地域 を統 括 す る役所 へ報 告 さ れ た 。 また,宗 門 改 帳 の写 しも作 られ,翌 年 の宗 門改 帳 作成 の ため,村hの 庄 屋 が こ れ を保 管 した。 幕 府 や 藩 が残 した 記 録 の 内 容 と比 較 す れ ぽ,村 人 に よって 村 を 単位 と して作 られ た宗 門 改 帳 は,村 に おけ る農 民 の生 活 を よ り鮮 明 に反 映 してい る と考 え ら れ る。 当 時 は,日 本 中 の ほ とん ど の村 で 宗 門 改 帳 が作 成 され た と考 え られ るが,そ の 後 多 くが 失 われ た 。 しか し,現 在 で も,か な りま とま った 数 の 宗 門 改帳 を 見 つ け 出 す
こ とは 可 能 で あ る。
図1は,山 形 県 天 童 市 内 旧 山 家 村 に 残 る宝 歴13(1763)年 の 宗 門 改 帳 の一 部 で あ る5)。 宗 門改 帳 は,世 帯 を単 位 と して 記 録 され,ま ず 世 帯 の 檀 那 寺 とそ の 宗 派,世 帯 の石 高,身 分(本 百 姓/水 呑百 姓)が 記 入 され る。 そ の後,世 帯 の構 成 員 の 各hY'̀
つ い て世 帯 主 との間 柄,名 前,年 齢(数 え年)が 記 載 され る。 図1に 示 され た世 帯 は,
一
一
一
一
一 同同同同
同 宗同寺檀那 与市女房きさ
当年三十八才
宗 同 寺 檀 那 同人男子 与作
当年十五才
宗同寺檀那 同人娘 ちく
当年十二才
宗 同 寺 檀 那 同人二男 与六
当年九才
宗同寺檀那 同人三男市四郎
当年四才
男四人〆 六人 内 女二人 浄土真宗西善行寺檀那本百姓
取高八石四斗四升八合九夕 与市
当年四十三才
図1 山家 村 宗 門 改 帳 の 記載 例(宝 歴13年)
5)山 家 村 の 宗 門 改 帳 の整 理 は 速 水 融 教授 に よ って な され たが,本 稿 にお け る この村 の宗 門 改 帳 に関 す る記 述 は それ を 基礎 に して い る。
国立民族学博物館研究報告 21巻4号
浄 土 真宗 西善 行 寺 を檀 那 寺 と し,8.4489石 を有 す る本 百 姓 の世 帯 で あ るが,世 帯 主 は 与 市 とい い,宝 歴13年 に は数 え 年43歳 で あ った 。 与市 と彼 の妻 き さ との 間 には,15歳 の 与 作 を頭 に,ち く(12歳),与 六(9歳)r市 四 郎(4歳)と い う4人 の 子供 が あ っ た こ とが うか が え る。 世 帯 構 成 員 の記 載 が 終 わ った後,世 帯 の総 人 数 お よび男 女 別 人 数 が 加 え られ て,1世 帯 の記 録 が 終 了 す る。 宗 門 改 帳 は,こ の作 業 を 村 に あ るす べ て の 世 帯 に つ い て繰 り返 す ので あ る。 言 い換 えれ ば,毎 年,世 帯 を 単 位 に村 の セ ンサス を と って いた と考>xれ ば よい 。
宗 門改 帳 が 基 本 的 に静 態 統 計 で あ るの に対 し,出 入増 減 差 引 帳 と呼 ば れ る記 録 は, 村 に おけ る年 々の 出 生数,死 亡 数 お よび移 出入 数 を 記録 した 人 口動 態 統 計 で あ る。 し た が って,宗 門 改 帳 と出入 増 減 差 引 帳 のふ た つ の資 料 が あれ ば,各 種 の人 口指 標 の計 算 に 必要 な デ ー タが揃 う こ とに な る。 た とえ,出 入増 減 差 引 帳 が な くと も,宗 門 改 帳 か ら村 の人 口動 態 事 件 を読 み 取 る こ とが で き る場 合 も多 い。 とい うの は,死 亡,結 婚, 奉 公 が生 じた 際 に は,宗 門改 帳 に そ の こ とが 書 き入 れ られ て あ った り,添 付 した 貼 り 紙 に記 載 して あ る場 合 が多 い か らで あ る。 出生 に 関 して は,出 生 が 生 じた後 の最 初 の 宗 門 改帳 に,乳 児 が 通 常数 え年2歳 で記 録 され,さ らに,前 述 の よ うに 父 親 の名 前 と
出生 順(e.g.,長 男,長 女,二 男,二 女)も 併 記 され るの で,年 々の 出生 数 も宗 門 改 帳 よ り読 み 取 れ る。
3.2宗 門 改 帳 か ら読 み 取 れ る 農 民 の ラ イ フ コ ー ス
人 口動 態 統 計 と 静 態 統 計 の 両 者 の 性 格 を 持 ち 合 わ せ た 宗 門 改 帳 が 連 続 し て 存 在 す れ ば,そ れ を つ な ぎ 合 わ せ る こ とに よ っ て,個h人 の 出 生 か ら死 亡 ま で の ラ イ フ コ ー ス を た ど る こ と が で き る 。 た と え ぽ,前 出 の 山 家 村 に,天 明9(1789)年,勘 太 郎 と み ね の 二 女 と し て 本 百 姓 の 家 に 生 ま れ た しを と い う 娘 が い た 。 こ の 娘 は,文 化2
(1805)年,数 え 年17歳 で 宇 吉 と い う6歳 年 上 の 男 子 を 婿 養 子 と し て 迎>z..,翌 年 長 女 しの を 生 む が,し ぼ ら く の 間 兄 夫 婦 と と も に 生 家 に 住 み 続 け,文 化17(1817)年, しを が29歳 の 時,親 子3人 で 分 家 して 出 た 。 しか し,運 悪 く,7年 後 の 文 政6(1823) 年,35歳 の 若 さ で 死 亡 し た 。
ま た,天 明9(1789)年,与 吉 と す き の 間 の 六 男 と し て 生 まれ た 与 八 と い う水 呑 百 姓 は,文 化9(1812)年,数 え 年24歳 で も よ と い う8歳 年 下 の 娘 と 結 婚 し,こ の 妻 と の 間 に3男2女 を 持 っ た が,文 化14(1817)年 よ り3年 間 連 続 し て 奉 公 に 出 た 。 そ の 後,35歳 で 世 帯 主 に な っ た も の の,奉 公 を 繰 り返 し,結 局 天 保8(1837)年,49歳 の 年 齢 で 死 亡 し た 。 こ の よ う に,村 に 住 む す べ て の 人 の ラ ィ フ コ ー ス を た ど り,出 生 や
木下 記録され なか った出生
死亡 な どの人 ロ動態 事 件 をた ど る こ とに よっ て,宗 門 改 帳 か ら各 種 の人 口指 標 を計 算 す る こ とが で き る。
3.3 宗 門 改 帳 の人 口資 料 と して の 弱 点
宗 門 改 帳 は,江 戸 時 代 の人 口構 造 を 知 る うえ で貴 重 な 資料 とな り得 るが,同 時 に人 口資 料 と して の弱 点 も持 ち合わ せ て い るの で,そ れ につ い て も触 れ て お か なけ れ ぽ な らな い 。 まず第 一 に,宗 門 改帳 の記 載 様 式 は全 国一 律 で は な く,地 域 あ る いは 村 が 所 属 す る藩 に よ り異 な る とと もに,そ の精 度 も一 様 で は ない 。 した が って,研 究 者 が 宗 門 改 帳 を 人 口研 究 の資 料 と して利 用 す る際,そ の 記載 様 式 や 精 度 を十 分 に吟 味 す る こ とが研 究 の前提 とな る。 こ こで,研 究 者 が 最 も注 意 を払 わ なけ れ ば な らな い の が,宗 門改 帳 が 常 住地 主義(現 住 地 主義)で 書 か れ た もの か,あ る いは 本 籍 地 主義 で書 か れ た ものか とい う点 で あ る 【速 水 1992:104‑1081。 人 口学 では,前 者 の 様 式 に よる人 口 を常 住 人 口あ るい は 現住 人 口(de jure population)と 呼 び,後 者 の 様 式 に よる もの を 法 的人 口な ど と呼 ん だ りす るが,人 口研 究 のた め の 資料 と しては,前 者 の ほ うが適 し て い る こ とは 言 う'まで もな い。 常 住地 主義 で記 録 され た宗 門改 帳 には,奉 公 や結 婚 に つ い て の詳 しい 記 述 が あ る。 た と えば,村 人 が 奉 公 の た め に他 村 へ 行 った 場 合 に は, 奉公 先 の村 や 世 帯 が 記 載 され てお り,ま た他 村 か ら奉 公人 と して村 へ 入 った 者 に つ い て は,や は りそ の人 の出 身村 と出身 世 帯 が書 き入 れ られ て い るの が通 例 で あ る。結 婚 に 関 して も同様 で,村 の娘 が他 村 へ嫁 い で行 く と,嫁 ぎ先 の村 名 と世 帯 主 が記 載 され, 他 村 よ り嫁 いで きた 娘 に つ い てはr出 身村 と父 親 の名 前 な どが書 き加 え られ る。
一 方,宗 門改 帳 が 本 籍 地 主 義 で記 録 され て い る場 合1上 に 述 べ た よ うな記 述 は ほ と ん ど な く,人hが 実 際 に村 内 に居 住 して い た か ど うか判 断 し難 い とい う問題 が生 じる。
こ の よ うな 問題 は,人 口指 標 を計 算 す る際,死 亡 や 出生 とい う リス クに あ る人 口(す なわ ち,分 母)を 過 大 に見 積 もる とい う結 果 に もな りか ね な い 。 した が って,研 究 者 は,利 用 す る宗 門 改帳 が 常 住 地 主義 で記 録 され た ものか,あ るい は 本籍 地 主 義 で記 録
された も のか を 確認 して研 究 を 進 め る必要 が あ る。
宗 門改 帳 の第 二 の 弱点 は,本 稿 が扱 う問 題 と密 接 に 関係 す る。 す な わ ち,宗 門 改 帳 の 本来 の性 格 は静 態統 計 であ り,宗 門 改帳 か らで は,出 生 数 お よび 乳 児 死亡 数 を正 し
く把握 で きず,そ の結 果 乳 児 死亡 率 と出生 率 が 正 確 に算 出で きな い とい うこ とで あ る。
た とえ ぽ,あ る村 の 宗 門 改帳 は,毎 年 陰暦 の三 月 末 日に作 成 され た と しよ う(図2参 照)。1800年 の5月 に 生 まれ た乳 児A(数 え年1歳)は,1801年 の正 月 に は数 え年2 歳 とな り,3月 末 に は 宗 門 改帳 に 初 め て 記載 され る。 しか し,1800年 の8月 に誕 生 し
国立民族学博物館研究報告 21巻4号
図2 宗門改帳 の記録 日と乳児死亡 の関係
た乳 児Bは ど うで あ ろ うか。 この子 供 は,宗 門改 帳 の記 録 日で あ る3月 末 日を 前 に して,不 幸 に して1800年 の12月 に死亡 した 。Bの 出 生 と死 亡 は,い ず れ も2つ の記 録 日の間 に生 じた た め,Bの 存在 が宗 門改 帳 に痕 跡 を 残 す こ とは な い。 研 究 者 には, B の よ うな不 幸 な 乳 児 が何 人 いた のか わ か らず,正 確 な 出生 率 や 乳 児 死 亡率 を推 計 す る こ とは難 しい 。 歴 史人 口学 では,こ の よ うな宗 門 改 帳 の 弱点 を克 服 す るた め に,懐 妊 書上 帳 の よ うな 宗 門 改帳 以 外 の史 料 に依 存 す る場 合 もあ る 【e.g.,鬼頭 1976】。
4.人 口再 生産 過 程 再 現 のた め の モ デル
4.1 シ ミ ュ レ ー シ ョ ソ の 概 略
人 口 学 に お け る シ ミ ュ レ ー シ ョ ソ は,マ ク ロ シ ミ ュ レ ー シ ョ ソ と マ イ ク ロ シ ミ ュ レ ー シ ョ ン の2種 類 に 大 別 す る こ と が で き る 。 マ ク ロ シ ミ ュ レ ー シ ョ ソ は,deter‑
ministicな シ ミ ュ レー シ ョ ソ と も呼 ば れ,国 連 に よ る 世 界 の 人 口推 計 や 日本 政 府 が 行 う将 来 人 口推 計 な ど に 使 わ れ る 。 こ れ は 将 来 の 出 生 率 や 死 亡 率 な ど の 変 化 を 予 測 し, 現 在 の 人 口が そ れ ら の 出 生 率 や 死 亡 率 を 経 験 す る と 仮 定 し て,や や 機 械 的 に 将 来 の 人
口 を 予 想 す る も の で あ る 。 も うひ と つ の マ イ ク ロ シ ミZレ ー シ ョ ン と い う の は, stochasticな シ ミ ュ レ ー シ ョ ン,あ る い は モ ン テ カ ル ロ ・シ ミ ュ レ ー シ ョ ン と も 呼 ば
れ,出 生 率 や 死 亡 率 な ど の 平 均 値 だ け で は な く,ラ ソ ダ ム な 変 動 を も取 り扱 う こ と が で き る 。本 稿 で 行 わ れ る マ イ ク ロ シ ミ ュ レ ー シ ョ ン の 基 本 は,次 の よ う な も の で あ る。
あ る 年 齢 の 女 子 が あ る 月 に 出 産 す る平 均 的 な 確 率 を 予 め 決 め て お く。 た と え ば,20 歳 の 女 子 が3月 に 出 産 す る 確 率 が0.33で あ っ た とす る 。 こ こ で サ イ コ ロを ふ り,1あ る い は2の 目が 出 た ら,こ の 女 子 は 出 産 し,逆 に3か ら6の 目が 出 た ら,こ の 月 に は 出 産 しな か っ た と す る 。 こ の よ うに,あ る事 象 が 起 き る確 率 を 予 め 決 め て お き,サ イ コ ロ を ふ る こ と に よ り,こ の事 象 が起 きた か起 きな か ったか を決 定す る のが モ ンテ カ ル ロ ・シ ミ ュ レ ー シ ョ ソ の 基 本 で あ る。 し た が っ て,サ イ コ ロを 振 る 回 数 が 多 くな れ
木下 記録 されなか った出生
ば な るほ ど,事 象 の生 起 の 確 率 は 期待 値(平 均 値)に 近 づ くが,逆 にサ イ コ ロを ふ る 回数 が 少 な け れぽ,期 待 値 とは 異 な った 結 果 が で る可 能 性 も高 くな る。 この よ うに, マ イ ク ロシ ミュ レー シ ョ ンで は平 均 値 だけ で は な く,分 散 も考 慮 で き る とい う利 点 が あ る。
歴 史 人 口学 が 扱 う徳 川 期 の村 の平 均 的 な 人 ロサ イ ズ は500人 か ら1,000人程 度 と小 さ く,そ の結 果 出生 数 な どの年 々 の変 動 が大 き い。 た とえ ば,人 口500人 程 度 の村 で あ れ ぽ,一 年 間 に生 まれ る子 供 の 数 は15人 程 度 で あ るが,こ れ は 平 均値 で あ り,現 実 に は 出生 数 が5人 の年 もあ れ ぽ,逆 に20人 の年 もあ る。 この よ うに,研 究 者 は 平均 値 の み で は な く,年 々の ラ ンダ ムな 変 動 に も留 意 しな け れ ぽ な らない 。 平均 値 のみ を 扱 う の な ら,deterministicな マ ク ロシ ミュ レー シ ョンの ほ うが よ り簡 便 で あ るが,歴 史 人
口学 者 が 扱 う村 の人 ロサ イ ズ を 考 え 合わ せ る と,マ イ ク ロ シ ミ ュ レー シ ョンの ほ うが 応用 範 囲 が よ り広 い と言 え る。 また,こ の手 法 に よ る と,従 来 の研 究 で考 慮 され な か った 出生 の季 節変 動 や 乳 児 の 月 齢 に よる死 亡 率 を,比 較 的 簡 単 に モ デ ル に組 み込 む こ とが で き る とい う利 点 も あ る(後 述)。
4.2 人 口再 生 産 モ デ ル の説 明
本 稿 で 用 い る 人 口再 生 産 過 程 の モ デ ル は,昭 和55‑58年 に わ た り厚 生 省 人 口問 題 研 究 所 に お い て 開 発 され た も の,お よ び そ の 基 礎 と な っ たBongaarts and Potter等 の 研 究 に 負 う と こ ろ が 大 き い6)0本 稿 の モ デ ル お よ び そ れ を 再 現 す る プ ロ グ ラ ム は,人 口 問 題 研 究 所 に お い て 開 発 さ れ た も の を 基 礎 とす る が,本 稿 の 目的 に 応 じ て そ れ を 簡 便 化 し た 。 人 口問 題 研 究 所 で 開 発 さ れ た モ デ ル お よ び そ の プ ロ グ ラ ム は,人 口推 計 を 精 密 に す る と い う こ と を 主 た る 目的 と して お り,膨 大 な プ ロ グ ラ ム で あ る 。 ま た,こ の モ デ ル が 扱 う人 口 も 現 代 日本 の 人 口 を 想 定 し て い る た め,必 然 的 に イ ン プ ッ トす る デ ー タ も歴 史 人 口 学 が 扱 うそ れ とは 異 な っ て く る 。 本 稿 で は,こ の よ うな 両 者 の 差 を 念 頭 に 置 き な が ら,モ デ ル の 構 築 や そ の プ ロ グ ラ ミソ グ を 進 め た 。 両 者 の 差 に 関 して ひ と つ 例 を あ げ る と,人 口問 題 研 究 所 の 開 発 した モ デ ル で は,人 工 妊 娠 中 絶 を 考 慮 し て お り,そ の た め に イ ン プ ッ トす る デ ー タ も,特 別 な 調 査 か ら得 て い る。 と こ ろ が, 歴 史 人 口学 に お い て は,こ の よ うな デ ー タ は 存 在 しな い の で,本 稿 で は 人 工 妊 娠 中 絶 は モ デ ル の な か に は 入 れ ず,人 口 学 で 言 う 「自然 出 生 力(natural fertility)」(パ リ テ
ィ ー に よ っ て 影 響 さ れ な い 出 生 力)を 想 定 し た 。
6) 厚 生 省 人 口 問 題 研 究 所 『出 生 力 の 生 物 人 口学 的 分 析 』,1984年,お よびBongaarts, J・and R・G.Potter, Fertility, Biology, and Behavior,1983年 を 参 照 。
国立民族学博物館研究報告 21巻4号 図3は,本 稿 で 用 い た 人 ロの 再 生 産 過 程 モ デ ル を ス キ マ テ ィ ッ クに表 現 した もの で あ る。 この モデ ル に登 場 す る人 物 は,15歳 か ら49歳 ま で の 女 子 と彼 女 た ち の子 供 で あ り,成 人 の 男 子 は登 場 しな い。 男 子 に 比 べ, 女 子 は 出産 と密 接 な 関 係 に あ り,人 口学 の モ デ ル で は 男 子 が 直接 的 に は 扱 わ れ な い こ とが よ くあ る。 こ の 図 か らわか る よ うに,本 稿 の モ デル は, 女 子 の 生 死,有 配 偶 状 態 の判 定 お よ び 出 産 に至 る ま で の部 分 と,出 生 し た 乳 児 の生 存 に か か わ る部 分 の2つ か ら構 成 され る と考 えれ ぽ よい 。 前 者 は,死 亡 の 他 に,結 婚,永 久 不 妊 症,妊 娠,自 然 流 産,出 産 まで の 過 程 を 扱 い,後 者 は 生 まれ た乳 児 の 各 月 毎 の 生 死 の判 定 を 扱 う。 以 下 に, 本 稿 の モ デ ル に つ い て詳 し く説 明 す る。
図3 本稿 で用 いた 人 口再生 産 お よび 乳 児 死亡 モデ ル
4.2.1女 子 の 死 亡 年 齢
15歳 か ら49歳 ま で の 各 年 齢 の 女 子 が 負 う死 亡 リス ク に つ い て は,山 形 県 天 童 市 内 旧 山 家 村 に 残 る1760年 か ら1870年 ま で の 宗 門 改 帳 か ら 生 命 表 を 作 成 し,そ の 死 亡 確 率 を 用 い た
【KINOSHITA l989:144‑166】 。 図4は 山 家 村 の 生 命 表 の1(x)関 数(出 生 数 を 基 数 と した 場 合 の 各 年 齢 の 生 存 者 数)を 示 し て い る が,15歳 か ら49歳 ま で ほ ぼ 直 線 的 に 下 降 し て い る 。‑山
木下 記録 されなか った出生
図4 山家 村 女 子 の年 齢別 生 存 者 数1(x),1760‑1870
家 村 の 女 子 の 数 え 年1歳 の 平 均 余 命 は 約37年,15歳 で42年,45歳 で23年 と な っ て い る 。 言 い 換 え れ ぽ,数 え 年1歳 の 乳 児 は 平 均38歳 ま で 生 き る が,も し15歳 ま で 幸 運 に も 生 き 延 び た と す れ ぽ,そ の 女 子 は 平 均57歳 ま で 生 き る こ と が で き る 。 さ ら に45歳 ま で 生 き る こ と が で き た 女 子 は,さ ら に23年,68歳 ま で 生 き延 び る こ とが で き る と い う こ と で あ る 。 本 稿 で は15歳 か ら49歳 ま で の 女 子 を 対 象 と し,こ の 間 の 各 年 齢 に お け る 彼 女 た ち の 生 死 は,上 の1(x)関 数 と コ ソ ピ ュ ー タ で 発 生 さ せ た 疑 似 乱 数(R)と を 比 較 す る こ と に よ っ て 決 定 さ れ る 。 す な わ ち,1(x+1)<1(15)・R<1(x)で あ る 時,こ の 女 子 の 死 亡 年 齢 をx歳 とす る 私 本 研 究 で 作 成 した プ ロ グ ラ ム で は,こ の 方 法 に よ り
シ ミ ュ レー シ ョ ソの 最 初 に す べ て の 女 子 の 死 亡 年 齢 を 決 定 す る。
4.2.2 有 配 偶 状態
あ る女 子 が あ る年 齢 まで死 亡 せ ず,生 存 して い た場 合,プ ログ ラムは 次 に この 女 子 の有 配 偶 状態 を決 定 しな けれ ば な ら ない 。厳 密 に は,初 婚,離 婚,再 婚 、 死 別 を別 々 に考 慮 して,そ れ ぞ れ が発 生 す る確 率 を モ デ ル の なか に 組 み込 まなけ れ ぽ な らな いが 、 これ は あ ま りに繁 雑 に な り過 ぎる の で,本 稿 で は これ ら を別 々に 扱 わず,有 配 偶 で あ るか,そ うで な いか とい うこ との み に注 目 した 。 図5は 山家 村 女 子 の有 配 偶 率 を示 し
7) 厚生省人 口問題研究所,『出生力の生物人 口学的分析』,8〜30ベ ージを参照。
国立民族学博物館研究報告 21巻4号
図5 山 家 村女 子 の年 齢 別有 配 偶 率,1760‑1870
て い る が,15歳 か ら25歳 に か け て,初 婚 に よ り有 配 偶 率 は 急 上 昇 す る 。 そ の 後 も,有 配 偶 率 は な だ ら か に 上 昇 して い き,30歳 台 後 半 で 約90パ ー セ ン トの レ ベ ル で ピ ー ク に 達 し,そ の 後,再 び な だ ら か に 下 降 し て い く。 シ ミ ュ レ ー シ ョ ソ に お い て は,各 女 子 の 有 配 偶 状 態 は,死 亡 年 齢 の 決 定 と 同 様 に,各 年 齢 の 有 配 偶 率 と コ ソ ピ ュ ー タ に よ り 発 生 させ た 疑 似 乱 数 を 比 較 し決 定 す る。
4.2.3永 久不 妊 率
有 配偶 状 態 に あ って も,す べ て の 女子 が 妊 娠 す るわ け では な い。性 別 に か か わ らず, 人 口の何 割 か は 様 々の機 能 障 害 に よ り不 妊 症 で あ り,そ の結 果,夫 婦 の うち いず れ か が 不 妊症 で あ るか,あ るい は両 方 と も不 妊 症 であ れ ば,正 常 な性 関 係 が保 たれ て いて も,妻 は 妊娠 で きな い。 全 夫 婦 中,不 妊 夫 婦 の割 合 を不 妊 率 と呼 び,本 稿 で は,Vin‑
centの 研 究 を も とに人 口問 題 研 究所 で推 計 され た もの を使 用 した8)0こ の推 計 に よる と,妻 の 年齢 が20歳 前 後 で は,不 妊 率 は3〜4%程 度,30歳 で8〜10%程 度,40歳 で 32〜33%程 度 と徐hに 増 加 して い る が,そ の後 急 上 昇 す る。
8) 厚 生 省 人 口問題 研 究 所,『 出 生 力 の生 物 人 口学 的分 析 』,32ペ ー ジを参 照 。
木下 記録されなか った 出生 4.2.4妊 娠
永久 不 妊 症 では ない 夫婦 が,正 常 な 性 関 係 を保 ち,か つ 効果 的 な避i妊を 行 わ な け れ ぽ,妻 は遅 かれ 早 か れ 妊娠 す る。 本 稿 の モ デ ル で は,自 然 出 生 力 の状 態 を想 定 し,避 妊 あ るい は効 果 的 な避 妊 は存 在 しな い もの と仮 定 す る。 妊 娠 が 成立 す るた め に は,女 子 の 受 胎可 能 期 間(平 均2日 間)に 性 交 が 起 き,受 精 卵 が形 成 され,そ れ が 子 宮 の 内 部 に 着 床 しな け れ ば な らな い 。 人 口学 では,有 配 偶 状態 に あ る女 子 が1月 経 周 期(約 30日)に お い て受 胎 す る確 率 を受 胎 力(fecundability)と 呼 び,そ れ は 性 交 頻 度,受 精 卵 の 着 床 確 率 な どの要 素 に よ って 決定 され る とされ,以 下 の計 算 式 に よ り表 され る。
f=d・b・(1‐e‑r°)
た だ し,fは 受 胎 力, bは 受 胎 可 能 期 間 に性 交 が起 これ ぽ 確 実 に 受胎 す る よ うな月 経 周 期 の割 合,dは 受 精 卵 が 着 床 す る確率, vは 受 胎 可 能 期 間, rは 性 交 頻 度 で あ る 【小 林1979b:3‑61】 。
しか しなが ら,こ の 計算 式 に 関 して は,よ く解 明 され て い ない パ ラ メー タ ー が多 く, 実 際 に は 応 用 しに くい。 た と えぽ,受 胎 が 確 実 に起 き る 月経 周 期 の割 合 で あ るbな
どは15歳,25歳,45歳 の 女子 で は か な り差 が あ る と考 え られ るが,そ れ が どの よ うな 差 で あ るの かわ か らない 。 した が って,本 稿 で は上 の計 算 式 に よ り推 計 され た 受 胎 力 を 使 わ ず,シ ミュ レー シ ョソの 結果 と現 実 の 出生 率(山 家 村 の 値)を 比 較 検 討 しなが ら,各 年 齢 の受 胎 力 を決 定 して い く とい う方 法 を と った。
4.2.5 自然 流 産
通 常 の 妊 娠 期 間 は満9ヶ 月 間(40週)に わ た るが,8ヶ 月 未 満(28週)ま で に胎 児 が 外 へ 排 出 され て し ま うこ とが あ り,こ れ を妊 娠 中絶 と呼 ぶ。 法 規 上 の 定 義 と医学 上 の定 義 には 違 い が あ る もの の,人 為 的 で な く 自然 に,妊 娠8ヶ 月未 満 で 妊 娠 が 中絶 し て しま うも のを,通 常,流 産 と呼 ん で い る。 流 産 の原 因 と して は,胎 児 に そ の原 因 が あ る もの と,母 体 に 原 因 が あ る もの とに 分 け られ る が,前 者 は遺 伝 的 疾 患 や 異 常 妊 娠 を含 み,後 者 は 母 親 の年齢,心 臓 病 や 性 病 な どの慢 性 疾 患,急 性 肺 炎,流 行 性 感 冒, 腸 チ フ ス な どの 感 染 症 お よび精 神 的 ス トレス な どを 含 む1松 本 ・本 多 ・宮 原 1976:
115‑207】。 徳 川 期 にお け る流 産 や 死産 な どに関 す る詳 しい デ ータ が な いた め,本 稿 で は 自然 流 産 を 幅 広 く解 釈 し,出 生 に至 らな か った 妊娠 をす べ て 含 む もの と した 。 本 稿 の キデ ル の 年 齢別 自然 流 産 率 に は,人 口問 題 研 究 所 の研 究 に用 い られ たInoueに よる 推 計 を 使 っ て い る9)0そ れ に よる と,15歳 の 女 子 の 自然 流 産 率 は 約15%,30歳 で25%
9)厚 生省人 口問題研究所,『出生力の生物人 口学的分析』,32ページを参照。
国立民族学博物館研究報告 21巻4号 程 度,40歳 で35%程 度 と,ほ と ん ど 直 線 的 に 上 昇 し て い る 。
4.2.6 出生 数 の 月 別分 布
近 年 で こそ,日 本 に お け る出 生 の季 節 変 動 は 消 失 して きた が,昭 和30年 ごろ まで は そ れ を は っ き りとみ る こ とが で きる。 図6は,大 正2年 に おけ る全 国 と山形 県 の月 別 出生 数(年 間 平 均 を1,000と した場 合 の 各 月 の 割 合)を 示 して い る が,こ の ふ た つ の 間 に大 きな差 異 は 見 当 た らず,両 者 は基 本 的 に 同 じ とみ て よい 。 す な わ ち,1月 か ら 3月 の冬 か ら初 春 にか け て の 出生 数 が 多 い 一 方,4月 か ら8月 ご ろの 春 か ら夏 に か け て は 少 な くな り,特 に6 .月に は最 低 の 出生 数 を示 す。 そ の 後9月 か ら11月 の秋 か ら初 冬 に か け て,出 生 数 は徐hに 増 加 し続 け るが,12月 には や や 減少 す る とい うもの で あ
る。
従来 の研 究 で は 出 生 の季 節 変 動 は あ ま り考 慮 され なか った がIcf.鬼 頭 1976;大 柴 1983】,本 稿 で は そ れ を モ デ ル に組 み 入れ た 。 そ の方 法 と して,大 正5年 の全 国 の 月 別 出生 数(以 降 月別 係数 と呼 ぶ,表1参 照)を 各 年 齢 の 受 胎 力 に乗 じ,そ の 結 果 と し て,出 生 数 の 月別 変 動 が表 現 され る とい う形 を とった 。 この際,各 年 齢 の 受 胎 力 と月 別 係数 は 互 い に 関 係せ ず,両 者 は 独 立 で あ る と仮 定 した。 た とえば,20歳 の 女 子 の受 胎 力 をf(20),1月 の月 別 係 数 を1.32と す れ ぽ,こ の両 者 を乗 じた{1.32・f(20)}を
図6 大 正2年 の 月別 出生 数(年 間 平 均 を1,000と した場 合)