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歌謡曲の歌詞に見る旅 : 昭和の歌謡史・私論

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歌謡曲の歌詞に見る旅 : 昭和の歌謡史・私論

著者 久保 正敏

雑誌名 国立民族学博物館研究報告

巻 15

号 4

ページ 943‑986

発行年 1991‑03‑28

URL http://doi.org/10.15021/00004274

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久 保  歌謡曲の歌詞に見 る旅

歌 謡 曲 の 歌 詞 に 見 る 旅

昭 和 の 歌 謡 史 ・私 論

敏*

Travels Sung in Japanese Popular Songs: A Historical View of the Popular Songs of the Showa Era

Masatoshi Kuso

This paper traces the history of Japanese popular songs from the viewpoint of "Travel". The historical span of the discussion is confined to the Showa era, for the following two reasons:

1) The modern system of producing popular songs was established at the very beginning of the Showa era;

2) The distinct contrast between urban areas and the provinces, together with the social unrest in those days, motivated the traveling and drifting of the people, and consequently brought the travel songs or sight-seeing songs into fashion.

In this paper, travels sung in popular songs are categorized into three types: outward travel, homeward travel, and wandering travel. Outward travel is motivated by a yearning for some place and can thus be viewed as future-oriented travel.

Homeward travel is motivated mainly by homesickness or some memory of the past. Wandering travel is accompanied by homesickness in many cases. The popular songs of the Showa era are reviewed according to these three types of travel.

In sections 1 and 2, the themes of travel in popular songs are summarized, and then songs whose words contain place names or descriptions of local scenery are analyzed. It is pointed out that changes in the ratio of the number of such songs to the number of all popular songs are very similar to change in population drift.

In sections 3, 4 and 5, popular songs are reviewed and analyzed in regard to outward travel, homeward travel, and

*京 都大学,国 立民族学博物館共同研究員

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国立民族学博物館研究報告  15巻 4号

wandering travel respectively. The evident correlation between the words in these songs and the social environment is shown.

Section 6 deals with a few songs relating to spiritual travels.

In section 7, changes in travel songs are reviewed from a unique analytical viewpoint. Assuming that the story of the words of a popular song is scenarized, each song can be categorized as either a close-up type or a long-shot type in terms of camera angle, according to the words depicting scenes and manners and the personal pronouns contained in the words of the song. Based on this idea, several genres of travel songs are parameterized and mapped on a two-dimensional space, cor- responding to the camera angle of the story of the song. The result of the mapping shows that travel songs became more and more of the close-up type with the passing of time, which seems

to parallel the increasing tendency of Japanese society toward private-life-oriented conservatism.

1.  は じめに

2. 歌 謡 曲 に見 る旅 の モ チ ー フ   2.1・ 昭 和 を考 察 す る 意義   2.2. 歌 謡 曲 に歌 わ れ る土 地   2.3. 旅 に 関す る モチ ー フ 3. 地 名 ・風物 入 り歌 謡 曲

  3.1. 都 会替 美 ・地 方 賛美 ・異 国 憧憬                昭 和初 期 か ら戦 争 まで   3.2. 憧 れ と現 実        1945−1955年 頃   3・3. 都 会賛 美 と都 会 一地 方 の 歌               1955−1965年 頃   3.4. ご当地 艶 歌 か らデ ィ ス カバ ー ・ジ ャ         パ ン ・ソ ングへ    1965一ユ975年 頃   3.5.  メ ッセ ー ジ の歌 か らイメ ー ジの歌 へ              1975−1987年 頃 4. 郷 愁 の 歌

  4.1. 「股 旅 や く ざ も の 」 の 郷 愁   4.2. 「暖 野 も の 」 の 郷 愁   4.3. 軍 国 歌 謡 と 郷 愁   4.4. さ す ら い と 郷 愁   4・5. 敗 戦 と 郷 愁   4・6. 都 会 一 地 方 の 交 流   4.7. 都 会 人 の 憧 郷 5. さ す らい の 旅 の 歌

  5。1. さ す らい の 旅 の 歌 の 系 譜   5.2. 股 旅 や くざ も の   5.3。 暖 野 も の

  5.4. マ ドロ ス も の と港 も の   5.5. 一 般 的 な さ す ら い 6. 希 望 ・夢 追 い の 旅 の 歌 7. 旅 の 歌 の ジ ャ ンル の 変 遷 8.  お わ り に

1.

  本 稿 は ,筆 者 が 以 前 か ら興 味 を 持 って い る歌 謡 曲分 析 の最 初 の試 み と して ,歌 謡 曲 歌 詞 に見 る 「旅 に 関 す るモ チ ー フ」 の 変 遷 を た ど ろ う とす る もので あ り, 特 別 研 究

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久保  歌謡曲の歌詞に見る旅

現 代 日本 文化 に お け る伝 統 と変 容 」 の 各個 研 究 の一 環 を なす 。

  従 来 か ら,歌 謡 曲を 対象 とす る研 究 は数 多 くな され て きた。 見 田宗 介 氏 の社 会 心 理 学 的ア プ ロー チ に よ る研 究 [見 田  1978] を始 め と して , 『思想 の科 学 』 の メ ンバ ー に よ る研 究 [加太 ・佃   1970],歴史 ・世 相 とか らめ な が ら歌 謡 曲 の変 遷 をた ど る もの

園部   1962;加太   1975;池 田  1985]な ど ,枚 挙 に い とま が ない。

  また , 計 量言 語 学 の立 場 か ら,歌 詞 に 現 れ る語 彙 の コ ン ピュー タに よ る数 量 的 分析 に も, い くつ か の 興 味 あ る研 究 例 があ る。 中 野洋 氏 の研 究 で は , ど の よ うな語 彙 の 系 列 が よ く出現 す るか を計 量 し, そ れに 基 づ い て コ ン ピュ ータ に 自動 作詞 させ た り, 花 の 名 前 ・人 称 代 名 詞 ・外 国 語 な どの語 彙 の 出現 頻 度 が 時代 とと もに どの よ うに 変 遷 し て い る か を分 析 して い る [中 野  1977a,1982]。 水 谷静 夫 氏 の研 究 で は ,二 つ の歌 謡 曲 に 共 通 して 使 わ れ る語 彙 の数 か ら歌 謡 曲 の類 似 度 を 定 義 し, それ に 基 づ き数 量 化 理 論 IV類 を適 用 して 歌 謡 曲 の 分 類 を試 み て い る [水 谷   1980,1984;水 谷 ・松 盛 982]   しか しな が ら, 歌 の 流 行 が レコ ー ドや テ レ ビな どの メ デ ィア産 業 の手 で 作 り 出 され

る現 在で は, 歌 謡 曲 が必 ず し も世 相 や 社会 状 況 を描 くた め に 創作 され るの で は な く,

む しろ歌手 の イ メ ー ジに合 わ せ た 曲作 りが主 で あ る。 ま た , 一旦 ヒ ッ ト曲が生 まれ る と, 同工 異 曲 の ものが 各 レ コー ド会 社 か ら次 々と 発売 さ れて , 「〜 もの 」 と呼 ば れ る ジ ャンル を形 成 し,常 套 旬 が 繰 り返 し用 い られ る こと も多 い 。 従 って , 歌 詞 の 計 量 的 な分 析方 法 が果 た して 歌 謡 曲 の 流行 現 象 を 客 観 的に 評 価 す る手法 た りう る か とい う疑 問が あ る。 さ らに , ジ ャ ンル 別 で は な く歌 謡 曲全 般 を 取 り扱 う こと に よ って, 特異 な 現 象 が デ ータ 処理 の過 程 で 平 滑 化 され , 隠 され て しま う危 険 もな しとは言 えな い。

  歌 詞 そ の もの と い う, い わ ば 一 次情 報 を 用 い る よ りは, 特徴 を 抽 出 した二 次 情 報 に 基 づ く分 析 の 方 が 有 効 な 場合 も多 い で あ ろ う。 そ こで ,本 稿 で は, ヒ ッ ト した と言 わ れ る レ コー ドを 中 心 に ,歌 詞 に 現 れ た 旅 の モチ ー フ とい う切 り口か ら歌 謡 曲 の 特 徴 を つ か み 出 し, 量 的 分 析 に は重 きを 置 か ず , そ の時 々 の社会 背 景 と の相 関 を 振 り返 って み る こと にす る。

  歌 謡 曲研 究 の意 義 を 問 う際に 議 論 と な るの は, ヒ ッ トした レ コー ド歌 謡 曲 に よ って , 大 衆 心 理 を分 析 す る こ とが 可能 か , とい う問 題で あ る。言 い 換 えれ ば , レコ ー ド会 社 が 歌 の ヒ ッ トを作 り出す の か , そ れ と も,大 衆 が受 動 的に で はあ るが 選 択 す る こ とに よ って ヒ ッ トを作 り出す のか , とい う 「流 行 の 責任 論 」 で あ る が,筆 者 は, 池 田憲 一 氏 と 同 じよ うに [池 田  1985:75],ど ち らか の単 独 責 任 で は な く,あ る社 会 状 況 の も とで の両 者 の 相互 作用 で ヒ ッ トが 生 ま れ る と考 え た い。 す な わ ち, あ る社 会 状 況 を 背 景 とす る国 民 の心 情 と, ヒ ッ ト歌 謡 曲 との間 に は, 一対 一で はな い が , 一定 のパ ラ レ

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国立民族学博物 館研究報告  15巻 4号 リ ズ ム が 存 在 す る , と 考 え る の が 妥 当 で あ ろ う 。

  大 衆 が よ り 能 動 的 に 歌 謡 曲 に 関 わ る場 面 と して は , 「替 え 歌 」 が あ る。 与 え ら れ た 歌 詞 に 幾 度 も 改 変 が 加 え られ て ロ コ ミで 広 が り, 支 持 を 得 る の だ か ら , 大 衆 自 身 の 意 志 が か な り 関 与 し て い る と言 え る。 1940年 に 発 売 さ れ た も の の , 時 局 に ふ さわ し くな い 頽 廃 的 な 曲 で あ る と して 販 売 禁 止 に な っ た 「湖 畔 の 宿 」 が , さ ま ざ ま な 替 え 歌 を 生 ん だ の は そ の 一 例 で あ る 1。 ヒ ッ ト歌 謡 曲 よ り も 替 え 歌 の 歌 詞 の 分 析 の 方 が , 大 衆 心 理 を 探 る 手 段 と して 有 効 で あ る と 考 え る こ と も で き る か ら , 替 え 歌 の 研 究 は 興 味 を 引 く テ ー マ で あ り , 分 析 例 も あ る [鶴 見   1970]。 しか し, 替 え 歌 の 記 録 を た ど る に は 膨 大 な 努 力 を 要 し, か つ , 替 え 歌 の 流 行 は 通 史 的 な 現 象 で は な い か ら,・社 会 心 理 の 通 時 的 研 究 に は な じ ま な い で あ ろ う 。

  歌 謡 曲 の メ ロ デ ィ ー と国 民 心 情 と の 間 に は 強 い 相 関 が あ る と さ れ る が , 残 念 な が ら 筆 者 は 楽 譜 が 読 め な い 。 そ の た め , 本 稿 で は , 歌 詞 の 分 析 の み か ら, 旅 に 関 す る モ チ ー フ を 考 え る の で あ る が

, 歌 に お け る 歌 詞 の メ ッ セ ー ジ性 が 低 下 して い る と 指 摘 さ れ る 現 在 で は , 歌 詞 の 分 析 が い か ほ ど の 意 味 を 持 ち 得 る か と い う不 安 も 残 る。 そ の う え , 受 け 手 で あ る 聴 取 者 が , ひ と つ の 歌 謡 曲 に つ い て , そ の 第 一 番 か ら最 後 ま で す べ て の 歌 詞 を 意 識 して 聞 い て い る の か ど う か , と い う 疑 問 も あ る。

  さ ら に , 歌 謡 曲 が 大 量 に 生 産 さ れ る 今 日で は , そ れ ら を 愛 好 す る 層 が 分 化 し, 年 齢 層 だ け で な く, 社 会 的 階 層 に よ っ て , 支 持 す る 歌 謡 曲 が 異 な る 状 況 が 生 ま れ て い る 。 従 っ て , 歌 謡 曲 の 分 析 に は , そ の 支 持 層 の 確 定 も 求 め ら れ る の だ が , そ の た め に 必 要 な 大 規 模 遡 及 調 査 は , 不 可 能 に 近 い 2)。 ま た 一 口 に 個 人 の 愛 好 歌 と い っ て も , ア ン ケ

1) 本歌 「湖 畔の 宿 」 (佐 藤 惣 之 助  作 詞 ,服 部 良一 作 曲 ,高 峰三 枝 子 唄 )     山 の淋 しい  湖 に

    ひ と り来 たの も  悲 しい 心     胸 のい た み に  た えか ね て     昨 日の夢 と  焚 きすて る

    古 い手紙 の  うす けむ り              (日本 音 楽 著作 権 協 会 (出)許諾 第9072925−001号)

に対 して ,例 え ば , 田辺 聖 子氏 の 『私 の大 阪 八 景 』 に は     昨 日召 され た  タ コ八 が

    タマ に 当た って  名誉 の 戦 死     タ コの遺 骨 は  かえ らな い     タ コの親 御 よ  何 泣 くか     タ コに骨 は  タ コに骨 は 無 い

  と子 供 た ちが 歌 う場 面 が 描 かれ て い る 。 また , 第 1節 を 「昨 日生 ま れ た  ブタ の子 が 」 とす る   もの

,第 2節 を 「ハ チに刺 され て

      名誉 の戦 死」 とす るも のな ど, 本 歌 よ り様 々な 替 え 歌 の方   を 記 憶 して い る50才 代 以上 の人 が 多 い と言 わ れて い る (日経 1990年 5.月29日付朝 刊 春秋 欄 )。

2) 空前 絶 後 の大 規 模 な 調査 と して は, 東 京放 送 が1980年 10月 に行 った 「TBS全 国 歌謡 大 調 査」

  があ る ・ これ は,ま ず, 東 京 ・大 阪 の 300名 に 「好 き な 曲」を 回 答 して も らって1003曲を 選 び 出   す プ リ

テ ス トを 行 い,あ らた めて全 国150地点 ,12才 以 上 の 男女 3013名 を 対象 に,この 1003曲の   中か ら好 きな .. (複 数 回答 ), 年 齢 学 歴 , 家族 構 成 , 職 業J収入 ,支 持政 党 ,生 きが い ,生 活   態 度

・好 きな百 葉 ・色 ・人 物 ・タ レ ン ト ・ギ ャ ンブル ・プ ロ野 球 チ ー ムな ど,計 96項 目を ア ン   ケ ー ト調 査 した も ので あ る。 そ の分 析 結 果 は [東 京 放送 調 査 部   1981;鈴 木  1981]に詳 しい 。 946

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久保  歌 謡曲の歌 詞に見 る旅

一 ト調 査 の 際 に 回答 す る, い わ ば よそ行 き の歌 , ふ だ ん 愛 聴 す る歌 ,愛 唱で き る歌 , それ ぞれ が異 な って い る可 能 性 もあ る。

  以 上 の よ うな数 多 くの 問 題 点 が あ る ので , 本 稿 で は ,分 析 の 出発 点 と して歌 詞 を取 り上 げ るが 断定 は極 力抑 え る, とい う ス タ ンス で , 旅 の モ チ ー フ と社会 背景 を考 えて ゆ きた い。

  こ こで , 歌謡 曲に 関す る用 語 の整 理 を して お く。 江 戸 時 代 以 降大 正 期 まで は, 清 元 , 長 唄 な どの 「芸術 歌 謡 」 に対 して ,都 会 で 作 られ た り変 形 され た大 衆 歌 曲 は 「俗 謡 」

と呼 ば れ , そ の うち 特に 流 行 した もの は 「はや り うた」 と 呼ば れ て い た。 明治 初 期 の 自 由民権 運 動 の活 動 家 (壮 士) が政 治 批 判 の 演 説 を歌 で 行 う形 式 が 現 れ ,「演 歌」と呼 ば れ るよ うに な った が , これ も 「はや り うた」 の一 種 と言 え る。

  明 治 中期 に 入 り, 欧 化政 策 を 進 め る明 治 政 府 は ,国 民意 識 統 制 の手 段 と して 音 楽 教 育 を 重視 し,西 洋 音 階 と 日本 音 階 を折 衷 した 唱 歌 教 育 を進 め た。 この 唱 歌調 は, 軍 歌 や 学生 歌 な ど の形 で 普 及 しは じめ ,従来 の 「は や りうた 」 を 圧倒 して ゆ く。

  1914 (大 正 3) 年 ,「芸 術 座 」 が 帝 国劇 場 で 『生 け る屍 』 を上 演 す るに あ た り,「ド イ ツ ・ リー トと 日本 俗 謡 の 中 間 を ね らい , 日本 中の誰 で も歌 え る劇 中 歌 を」, とい う 島村 抱 月 の注 文 に 答 え ,抱 月 の書 生 で あ った 中 山 晋平 が 唱歌 調 で 庶 民 性 の あ る 「カ チ ュ ー シ ャの唄 」 を作 曲 した。 この 曲 は, 教 育 に よ って 浸透 して い た 唱 歌 調 音階 と哀 感 の あ るメ ロ デ ィー, お よび , 歌 い易 い 口語 に よ る歌 詞 に よ って大 流 行 し, 以 後 , 晋 平 が 作 曲 した劇 中歌 は次 々と ヒ ッ トす る。 これ らは 「晋 平 節 」 と呼 ば れ , 同時 に ,従 来 の 「は や り うた」 とい う呼 び方 も 「流 行 歌 」 と 呼 び換 え られ るよ うに な った [園部 962;時 雨   1963]

  1933年 頃 , はや るか ど うか わ か らな い 曲を 「流行 歌」 と ラジ オ放 送 で 呼 ぶ の は ま ず い , との逓 信 省 の意 向を 受 けて , 当時 JOAK の邦 楽 担 当 で あ った 町 田嘉 章 が ,「流行 歌 」 に 替 えて , 明治 ・大 正 期 に は ドイ ツ ・リー トの よ う な歌 曲の 意 味 に 用 い られ て い た 「歌 謡 曲」 とい う呼 び方 を用 い た と言 わ れ る [倉 田  1979:236;池 田  1985:68] 従 って , 流行 歌 と歌 謡 曲 は同 義 と 考 えて よい 。

  第 2.1節で 述 べ るよ うに , 昭 和 に入 って か ら, 歌謡 曲 は レ コー ド会 社 が 売 り出 し,

映 画 ・放 送 ・雑 誌 な ど他 の メ デ ィア と連 携 しな が ら流行 させ る, とい う構 造 が定 着 し た 。 そ こで ,本 稿 で 取 り上 げ る歌 謡 曲 と は, 庶 民 の広 い層 が愛 聴 ・愛 唱 した 曲で , レ コ ー ド会 社 が作 りだ した もの , と定 義 して お く。 15年 頃 か ら, ヨ ナ抜 き短 音 階 で ユ リ (小 節) の多 い歌 謡 曲を 現 代 版 「演 歌 」 と呼 ぶ よ うに な り,歌 謡 曲を 演 歌 系 の もの に 限 定 す る風潮 も出て きた が,本 稿 の定 義 か らす れ ば , 唱歌 ,童 謡 , 軍 歌 , 輸入 翻訳

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国立民 族学博物館研究報告  15巻 4号 歌 を 除 い た , フ ォ ー ク , ロ ッ ク , ポ ップ ス , ニ ュ ー ミュ ー ジ ッ ク 3)な ど も含 む 広 い 範 囲 を 歌 謡 曲 と考 え る の が 妥 当 で あ ろ う [久 慈 ・伊 藤   1981]。

2. 歌 謡 曲 に 見 る旅 の モ チ ー フ

2.1.  昭 和 を 考 察 す る 意 義

  本 稿 で は , 歌 謡 曲 に つ い て 昭 和 の 初 め か ら考 察 を 始 め た い 。 こ れ は , 単 に 区 切 り が よ い と い う 理 由 だ け で は な い 。 以 下 に 述 べ る よ う に , 歌 謡 曲 の 歴 史 の 上 で も 昭 和 と い う 区 切 り は 非 常 に 意 義 が あ る の だ が , そ の 前 提 条 件 を 形 成 し た の 旭 1923年 の 関 東 大 震 災 で あ っ た 。 復 興 の 過 程 で 旧 来 の 東 京 が 近 代 的 都 市 に 生 ま れ 変 わ る と 同 時 に 東 京 郊 外 に 郊 外 都 市 が 形 成 さ れ 始 め , 洋 風 の 都 会 文 化 を 担 う 市 民 層 が 成 立 し始 め る き っ か け に な っ た の が こ の 震 災 で あ る こ と は , 周 知 の と お りで あ る。 後 述 す る よ う に , 都 会 文 化 が 醸 し 出 す モ ダ ニ ズ ム は , 「都 会 賛 美 調 」 と言 うべ き歌 謡 曲 の ジ ャ ンル を 生 み 出 し,

ま た 都 市 住 民 を 観 光 へ と 誘 う 「新 民 謡 」 と 呼 ば れ る ジ ャ ン ル を も作 り 出 す , と い う 形 で 都 会 文 化 は 昭 和 歌 謡 曲 と 関 わ りを 持 ち始 め る 。

  他 方 で , 関 東 大 震 災 は , 近 代 的 な レ コ ー ド産 業 を 生 み 出 す き っ か け に も な っ て い る 。 震 災 が 経 済 に 与 え た 影 響 は 非 常 に 大 き く, そ の 対 策 の ひ とつ と して 政 府 は 国 産 品 を 奨 励 す る こ と に し, 贅 沢 品 の 輸 入 制 限 を ね ら って 100% の 関 説 を 課 した が (1930年 ), 品 目 の ひ と つ に レ コ ー ドが 含 ま れ て い た 。 こ れ に 対 処 す る た め , 日 本 を 有 力 な 市 場 と 見 な して い た ド イ ツ ・グ ラ モ フ ォ ン, 米 ビ ク タ ー , 米 英 コ ロ ム ビ ア 各 社 は , 輸 入 代 理 店 を 母 胎 とす る 日 本 国 内支 社 , あ る い は 日本 の レ コ ー ド会 社 と の 資 本 提 携 , と い う形 で , そ れ ぞ れ , 1927年 5月 日本 ポ リ ドー ル , 同 年 9月 日本 ビ ク タ ー , 1928年 1月 日本 コ ロ

ム ビ ア を 設 立 し, 日本 国 内 で の レ コ ー ドプ レ ス を 開 始 した [池 田   1985:53−54]。 こ の 後 , 1930年 10月 に は キ ン グ レ コ ー ドが 講 談 社 を 母 胎 と して 設 立 さ れ , 1934年 2月 に 奈 良 に 設 立 され た テ イ チ ク レ コ ー ドが 翌 年 東 京 に 進 出 し, 5大 レ コ ー ド会 社 体 制 が 成 立 す る。

  こ れ ら の レ コ ー ド会 社 成 立 時 に , 録 音 技 術 も 近 代 化 され た 。 そ れ ま で の レ コ ー ドは , ア コ ー ス テ ィ ッ ク方 式 と 呼 ば れ る録 音 方 式 に よ っ て プ レス 原 盤 が 作 ら れ て い た。 す な

3) フ ォー ク, ロ ック, ポ ップ スの 定 義 につ い て は, そ れ らに使 用 され る楽器 と リズ ムサ ウ ン ド   で 区 別 す るの が 便利 で あ る とい う久 慈利 武 氏 の指 摘 [久 慈   1982]を 以 下 に 引用 して お く。 フ   ォー ク は, ア メ リカ民 謡 で あ るカ ン トリー音 楽 が元 にな り, 弦 楽 器 中心 。 ポ ップ ス は,管 楽 器   と弦楽 器 によ る バ ン ド編成 の もの 。 ロ ックは ,1950年 代 に黒 人 の リズ ムア ン ドブル ース と 白人   の カ ン トリー ウ ェス タ ンが結 合 した ビー トの 強 い もの で ,電 気 楽器 を 用 い た エ レキ サ ウ ン ドが   特 徴 。 ニ ュ ー ミュー ジ ックにつ い て は, 注 28参照 。

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久保  歌 謡曲の歌詞 に見 る旅

わ ち, ラ ッ1¥°か ら吹 き込 ま れ た音 波 振 動 を機 械 的 に録 音 機 の針 に伝 え , ワ ックス の 円 盤 に 溝 を 刻 み ,そ れ に メ ッキを施 して 原盤 とす る もので あ る。 この方 式 で は音 量 が 小 さ く雑 音 も多 いた め, 既 に本 場 ア メ リカ で は ラ ジオ放 送 に 押 され て レ コー ドの売 り上 げが 落 ちて い た。 これ に対 し, ベル 研 究所 が1924年 に 開 発 した 電気 録 音 方 式 は, マ イ クで 音 波 を 電気 信 号 に 変 え増 幅 す る もの で ,基 本 的 に は現 在 と変 わ らない 原 理 で あ り,

従 来 に 比べ 音質 ・音 量 が 飛躍 的に 優 れ た レ コー ドの 製 作 が 可 能 と な っ た。 そ の 第 1号 が125年米 ビ クタ ーか ら発売 され た [今 堀   1980]。 日本 で も, 設 立 され た 5大 レ コ ー ド会 社 は,早 速 この新 録 音方 式 を 採 用 した レ コー ドを次 々 と市 場に 送 り出 し始 め た。

  そ の 題材 で あ る歌 謡 曲 の制 作方 法 その もの につ い て も, 近 代化 が行 われ た 。 そ れ ま で の レ コ ー ド会 社 は, 既 に巷 間歌 わ れ て い た 浪 曲や 民 謡 を取 り上 げ て レコ ー ド化 して い たの だ が , 5大 レ コー ド会 社 はそ れ ぞ れ に専 属 の作 詞 家 ・作 曲 家 ・歌 手 を擁 し, 自 らが 売 れ る歌 謡 曲 の 生 産 を始 め たの で あ る。

  さ らに , レ コー ドと他 の 情 報 メ デ ィア との連 携 に も注 目 した い。 1925年 7月 12日に 東 京 愛 宕 山 か らラ ジオ 本 放 送 が開 始 され ,翌 年 8月 6日に は東 京 ,大 阪 , 名 古 屋 の放 送 局 を 合 同 して 日本 放 送 協会 (NHK )が 設 立 され た が , 流行 歌 謡 曲 が 放 送 で 取 り上 げ られ , そ の結 果 レコ ー ドの売 り上 げが 伸 び る, と い う形 で レコー ド会 社 は放 送 とい う新 しい メ デ ィア と連 携 す る。 また , 後 述 す る 「新 民謡 」 運 動 に 見 られ る よ うに , 雑 誌 に 掲 載 され た詩 の レ コー ド化 と い う形 態 で の雑 誌 メ デ ィア との 提携 , さ らに, 雑 誌 に 掲 載 され た詩 や 小 説 の 歌 謡化 と映 画 化 の 同 時進 行 , あ るい は, 歌謡 曲 の ヒ ッ トを 受 けて の映 画 化 , な ど の形 で の 映画 メ デ ィア との提 携 例 も,1929年 に早 速 見 られ る。

  か く して ,放 送 ・雑 誌 ・映 画 と い った 各 種 メ デ ィア と タ イ ア ップ しな が ら歌 謡 曲を 作 り出す レ コー ド会 社 , そ れ を 受 動的 に で はあ るが選 択 す る ことに よ って ヒ ッ ト曲 た ら しめ る大 衆 , とい う, 現 在 と全 く同 じ構 図 が , ま さに 昭和 とと もに 始 ま った ので あ る。

  旅 に 関 す るモチ ー フに は どの よ う な もの が あ るか を考 えて み て も, 昭和 初 期 の 歌 謡 曲 は示 唆 的で あ る。 本 稿 で は ,大 き く 「行 く旅」, 「帰 る旅 」,「さす らい の旅 」 の 3つ の 枠 組 み で 旅 を考 えた い 。 行 く旅 と は未 知 の 世 界へ 出 か け る未 来 志 向 の もので あ り,

必 要 に 迫 られ た旅 を除 けば , そ の 動機 と な る心 情 は 「憧 れ 」 で あ る。 帰 る旅 は 当然 過 去 志 向で あ り, 「郷 愁 」 とい う心 情 と結 びつ く。 さす らい の旅 はや む を え ず故 郷 を棄 て ねば な らな い 「棄 郷 」 とで もい うべ き事 情 に基 づ い て お り, 「郷 愁 」 の 心 情 を 含 む。

  こ の枠 組 み は,上 京 や 帰 郷 とい った生 活 拠 点 の移 動 の た めの旅 に 着 目 した もので あ る が, そ の 他 に一 時 的 な旅 もあ る。 一時 的 な 旅 と して ,観 光 や リゾー トと して の旅 の

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国立民族学博物館研究報告  15巻 4号 他 に ,別 れ た恋人 を探 しに 行 く, あ るい は ,失 恋 の痛 手 を い や す一人 旅 な ど,別 れ や 未 練 に 動機 付 け られ た旅 も考 え られ る。

  世 界 の リゾー トに は, 自分 が帰 属 す る階 級 ・階 層 よ り上 の生 活 を模 倣 す る 「憧 憬 」 タ イプ と, 都 市文 明や工 業 文 明 の 進展 に よ って 失 わ れ た大 自然 へ の 「回帰 」 タイ プの 2つ が あ る とされ る [佐 藤   1990:27]。 この分 類 に 従 えば ,観 光 や リゾ ー トの旅 は , 移 動 の 方 向 か ら言 えば 憧 れに 動機 付 け られ た 「行 く旅」 に対 応 す るが ,心 情 的 に は過 去 へ の 回帰 の 側 面 を持 つ もの もあ る こ とに注 意 しな けれ ば な らな い。 別 れ や未 練 の旅 も, 過 去 へ の執 着 と い う心 情 か ら見 れ ば ,時 間 的 に は 「帰 る旅 」 で あ る, とい う見 方 もで き よ う。 本 稿 で は, この よ うな 視 点に も注 意 を 払 い な が ら,「行 く旅 」,「帰 る旅 」,

「さす らい の旅 」 とい う枠 組 み を設 定 す る。

  これ ら 3つ の 枠 組 みに 対 応 す る, 憧 れ ,郷 愁 , な どの 心 情 を生 み 出す 社会 状 況 が 昭 和 初 期 に は存 在 し, それ ぞ れ の ジ ャンル の歌 謡 曲 がす べ て 出 そ ろ う の も昭 和 初 期 な の で あ る。

  関東 大 震 災 が 都会 の モ ダ ニ ズ ム文 化 の成 立 を加 速 した ことは 前 に述 べ た と お りで あ るが , そ れ を享 受 で きた の は ほん の一 部 の 都 市 住 民 にす ぎ ない 。 そ もそ も昭 和 初 期 の 都 市 部 の人 口 は, 総人 口 の 2割 強 に す ぎず ,国 民 の 8割 は郡 部 に 住 んで いた の で あ る

925年 の 国勢 調査 に よ れ ば ,都 市 部21.6°0,郡 部78.4°0)。 現 在 と は異 な り, 都会 一 地 方 とい う構 造が 厳 然 と 存 在 して いた ので あ る。 この構 造 は , 都 会 へ の 憧 れ を誘 う

「都会 賛 美 調」 歌 謡 曲, 都 市 住 民 が地 方 風 物 に対 して抱 く憧 れ を 誘 う 「地 方 賛 美 調 」 歌 謡 曲に 反 映 され て お り, これ ら はい ず れ も 「行 く旅 」 に対 応 す る。 憧 れ を 表現 す る もう ひ とつ の ジ ャ ンル と して 「異 国 情緒 」 も挙 げ られ る。 近 代 レ コー ド会 社設 立 後 の 最 初 の ヒ ッ トレ コー ドが , ビ クタ ーに つ い て は 「地 方 賛 美 調」 の新 民 謡 で あ る 「出 船 の港 」, コ ロム ビアが 「異 国 情緒 」 を歌 う 「モ ン巴里 」, ポ リ ドール が 「都 会 賛 美 調」

の 「道頓 堀 行 進 曲 」 と(す べ て 128年 発売 ), い ず れ も憧 れ を歌 う もので あ った 。   1929年 コ ロム ビア 発売 の 「沓 掛 小 唄 」 を 腐矢 と す る一 連 の 「股旅 や くざ もの 」 歌 謡

曲 は , 義理 ・人 情 と と もに , さす らい と郷 愁 を 歌 う ものが 多 い が , これ らの 流 行 の 背 景 に は お りか ら の社会 不 安 が あ る。 1929年 1月 24日の 「暗 黒 の木 曜 日」 に 始 ま る世 界 恐 慌 と1930年 1月 11日か ら浜 口内 閣 が実 施 した金 輸 出解 禁 に よ るデ フ レ不 況 の 相 乗 作 用 に よ って ,1932年 まで 日本 は深刻 な不 況 に 見 舞 わ れ た。 一方 農 村 で は ,1930年 の 豊 作 に よ る農 産 物 価 格 の暴 落 ,翌 31年 の北 海 道 ・東 北地 方 の冷 害 に よ る大 凶作 に よ って , 一 家 心 申や 娘 の 身売 りが続 発 した。 失業 者 や 農 村 か らの 棄郷 の民 な ど都 市 の貧 困層 の 増 加 , 農 村 の貧 困層 の増 大 , そ して これ らの閉 塞 状 況 を 満州 経 営 で 打 破 しよ う とす る

950

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久保   歌謡曲の歌詞 に見 る旅

軍 部 フ ァ シズ ム の影 , と い った社 会 不 安 は , さす らい と郷 愁 を 哀感 こ めて 歌 う歌 謡 曲 が 流行 す る下 地 とな った ので あ る。

  か く して , 「行 く旅 」, 「帰 る 旅 」, 「さ す ら い の 旅 」 の す べ て が , 昭 和 初 期 に 出 そ ろ う。 す な わ ち , 昭 和 歌 謡 曲 は 旅 の 歌 か ら始 ま っ た と 言 っ て も過 言 で は な い 。 こ の こ と と , 前 述 した と お り マ ス メ デ ィ ア と して の レ コ ー ド会 社 の 成 立 が 昭 和 初 め で あ っ た 事 実 か ら, 本 稿 で は 昭 和 以 降 の ヒ ッ トレ コ ー ドを 対 象 に , 歌 謡 曲 に 見 る 旅 の モ チ ー フ の 変 遷 を た ど っ て み た い 。

2.2. 歌 謡 曲 に 歌 わ れ る 土 地

「ご当 地 ソ ン グ」 と 呼 ば れ る 歌 謡 曲 の ジ ャ ンル が あ る 。 こ の 言 葉 自 体 は , 1965年 の

「函 館 の 女 」 や 翌 年 の 「柳 ケ 瀬 ブ ル ー ス 」 あ た り か ら使 わ れ だ した 。 こ の ジ ャ ンル は ,

  「函 館 の女 」 の よ うに ,そ れ まで の歌 謡 曲で 登 場 しな か った地 方 都 市 名 が入 っ    た もの。

②   むや み に地 名 を並 べ た , い わ ば 「地 名 列 挙 もの」4 ) 「地 名 列 挙 もの 」 の 例

● 1951年 「僕 は特 急 の機 関手 で 」

  まず , こ の曲 を生 み 出 した NHK の人 気 ラジ オ番 組 に触 れ て お か ね ばな らな い。 1946年 1月 29日か ら, 日曜 日昼 の 15分 番 組 『唄 の新 聞 』 が始 ま った 。 これ は, 風刺 の 効 い た コ ン トと歌 の 番 組 を 作 ろ う と考 え て い た NHK プ ロデ ュ ーサ ー丸 山鐵 雄 が ,無 名 の三 木 鶏郎 グ ルー プ と組 ん で で きあ が った番 組 で あ るが , GHQ の CIE (民 間情 報 教 育 局 )の命 令 に よ り半 年 後 に 中止 さ れ た。 しか し, 翌 1947年 10月 5日か ら, 30分 に枠 を 広 げ た 『日曜 娯 楽版 』 と して再 ス タ ー トし,

そ の最 後 の 7, 8分間 に設 け られ た 「冗 談音 楽 」 コー ナ ー は, コ ミック ・ソ ングを 次 々 と生 み だ して 人 気 を呼 ん だ 。                 

   『日曜 娯楽 版 』 は ,聴 取 者 か らの投 稿 を 中心 とす る鋭 い政 治 風 刺 コ ン トで人 気が 高 か った た め に, 政 府筋 か ら しば しば干 渉 され , 1952年 6,月 には 『ユ ー モ ア劇 場』 と衣 が え した もの の,

お りか らの造 船 疑 獄 をパ ロデ ィに したの が き っか けで ,つ い に1954年 6月 ,番 組 が 打 ち切 られ た 。現 在 は放 送 が 政 治批 判 を 放 棄 したか に見 え る だけ に , 当時 を 知 る入 た ちの 間 には ,大 衆 が 政 治批 判 に 参加 で きる民 主 主 義 の 学校 と して の役 割 を 果 た した この番組 を惜 しむ声 が 多 い [日 本 放 送 出版 協 会   1990:103−107]。

   「僕 は特 急 の機 関手 で」 は 「冗 談 音 楽」 か ら生 ま れ た 曲で あ る。 ち ょ うど1949年 9月 15日 に 東京 一 大 阪 間 に特 急 「へ いわ 」 が復 活 した のを 背 景 と して 1950年 10月 に放 送 され た 「東 海 道 線 の巻 」 を 皮切 り に, 山 陽線 , 東北 線 , 常 磐線 , 信 越 線 ,北 陸 線 , 中 央線 , 関 西線 , 山 陰線 か ら 九 州 , 四 国, 北 海 道 と, 現 実 に は走 って も い な い 全 国 に特 急 を 走 らせ て しま った [丸 山  1983:

48]。 途 中の各 地 の風 物 を織 り込 ん だ コ ミ ック ・ソ ングで あ り, 「鉄 道 唱 歌」 のパ ロデ ィ と考 えて よ い 。 好 評 な の で全 国 の幹 線 に展 開 され た点 も 「鉄道 唱 歌 」 と 同 じであ る 。 「冗 談音 楽 」 コー ナ ーか らは, この 曲 の他 に も 「田 舎 の バ ス」,「毒消 しゃいらんかね」などのコ ミック ・ソ ング が生 ま れて い る。

● 1966年 「あ の娘 たず ね て」

  東 京 で 出会 った 娘 を たず ね て大 阪 , 高松 へ 。

●1967年 「盛 り場 ブル ー ス」

  東 京 ,札 幌, 仙 台 , 名古 屋 ,大 阪 , 広 島 ,博 多 , 東京 各 都 市 の 盛 り場 を 3カ所 ず つ ,計 24の 盛 り場 地 名を 盛 り込ん だ 「ネ オ ン艶 歌 」。「ネ オ ン艶 歌」 につ いて は ,注 7参 照 。       

951

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国立民族 学博物館研究報告  15巻 4号

3)  「柳 ケ 瀬 ブ ル ー ス 」 の よ う に , 地 元 で 作 られ た 歌 謡 曲 が全 国 的 に ヒ ッ ト した ,     言 う な ら ば 「ご 当 地 発 祥 ソ ン グ 」5》

な どを 特 に指 して 呼 ぶ よ うだ が , よ り広 く 「地 名 入 り歌 謡 曲」 と定 義 す るの が  d,的 で あ る。 これに 従 え ば , 先 に触 れ た 「道頓 堀 行 進 曲 」 や 「モ ン巴里 」 もそ の範 躊に 含

●1968年 「い い湯 だ な」

  第 3.4節 で触 れ る 「にほ ん の うた 」 シ リーズ の ひ とつ 。 登 別 ,草 津, 白浜, 別 府 の 温泉 を 列 挙 。

●1969年 「港 町 ブ ル ー ス」

  函 館 を振 り出 しに, 宮 古 ,釜 石 , 気 仙 沼 ,三 崎 ,焼 津, 御 前 崎 ,高 知 , 高松 , 八 幡 浜, 別 府 , 長 崎 , 枕 崎,鹿 児 島 と, 14の 港 町地 名 を 盛 り込 ん だ 「港 も の」。 「港 もの 」 に つ い ては 第 5.4節 参 照 。

●1971年 「長 崎 か ら船 に乗 って」

  長 崎 か ら神 戸 ,横 浜 か ら別 府 , 函館 か ら東京 と船 で移 動 す る とい う設 定 の ,各 地 版 「ネ オ ン 歌 」。

●1977年 「昔 の名 前 で 出て いま す」

  京 都 , 神戸 を 経 て横 浜 に戻 った女 の未 練 を歌 う 「ネ オ ン艶歌 」。

●1977年 「も う一 度一 か ら出な お します 」

  失 恋 を 忘れ るた め に 長崎 , 尾 道 ,伊 勢 佐 木 , 函館 , 釧 路 と移 動 す る女 性 。

●1978年 「ば ちあ た り」

  釧 路 , 函館 , 秋 田 ,金 沢 , 佐 世保 ,長 崎 ,各 地 で 女 性 を泣 かせ た 男 の 自嘲 。

●1980年 「さす らい 未 練」

  知 床 , 釧路 , 札 幌 ,江 差 , 津 軽 海 峡, 横 浜 ,嵯 峨 野 路 ,室 戸 岬 , 桂浜 ,博 多 ,指 宿 , 桜 島 。

● 1980年 「風雪 な が れ 旅」

  津軽 , 八戸 , 大 湊 , 小樽 ,函 館 ,苫 小 牧 ,留 萌 ,滝 川 , 稚 内 。

● ユ983年 「女 の港 」

  函館 , 長 崎 ,横 浜 , 塩釜 ,青 森 , 佐 渡 と流 れ て ゆ く女 。 「港 もの」 の 変形 。

● 1987年 「無錫 旅 情 」

  上海 ,蘇 州 ,無 錫 と, 失 恋 の痛 手 を い やす 旅 。 中 国版 ご 当地 ソ ング。

5) 「ご当地 発祥 ソ ング」 の例

●1961年 「北 上夜 曲」

  1931年 に岩 手 師範 学 校 の 生徒 だ った 菊 池規 が 作 詞 ,彼 の友 人 安 藤睦 夫 が作 曲 した もの。 師 範 学 校 寮 内, 卒 業生 の赴 任先 か ら徐 々 に 歌 い継 がれ て , 作 詞 者 ・作 曲者 不 明 の まま 戦 後 東 京 の   「うた こえ 喫 茶」 で も歌 わ れ る よ う にな った。 レ コー ド化 は, ダ ー ク ・ダ ック スが 盛 岡で の コ ンサー ト終 了 後 の会 合 で 知 った の が き っか け で あ る [喜早   1986:36−40]。 こ う して キ ングか ら発 売 され た もの の他 に, グ ラモ フ ォ ン, ビク ター , テ イ チ ク, との競 作 とな り, 映 画化 も競 作 とな って , 「北 上 川 ブ ー ム」 を 現 出 した 。 これ が 作 詞 者 ・作 曲者 の 判 明に つ な が った [毎 日 新 聞学 芸 部   1985:144−146]。

● 1966年 「柳 ケ瀬 ブ ル ー ス」

  流 しの シ ンガ ー ・ソ ング ・ライ タ ー宇 佐英 雄 が 地 元で はや らせ , レコー ド会 社 が 目をつ けて 全 国 ヒッ トした もの [毎 日新 聞 学 芸 部   1985:177−179]。

●1968年 「思 案 橋 ブル ー ス」, 1969年 「長 崎 は今 日 も雨 だ った」

  いず れ も地 元 の キ ャバ レー 専 属 グ ル ープ が レコー ド化 し, は や らせ た もの 【毎 日新 聞 学芸 部 1985:186−188]a

●1978年 「青葉 城 恋 唄 」

  地 元 の 歌 手 さ と う宗幸 が DJ を務 めて い た NHK 仙 台 の FM 放 送 に応 募 され た 詞 に , さ と うが 曲を付 け, 地 元 で 1977年 か ら歌 い 出 し, 1978年 に レ コー ド化 さ れて か ら全 国的 に ヒ ッ トし た [毎 日新 聞学 芸 部   1985:198−200]

●1981年 「奥飛 騨 慕 情 」

  26歳 で 失 明 した シ ンガ ー ・ソ ング ・ライタ ー竜 鉄 也 が 自主 制 作 した レコー ドが有 線 放 送 で記 録 的 ロ ングセ ラー とな った [毎 日新 聞 学 芸部   1985:195−197]

952

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久保   歌謡曲の歌詞 に見 る旅

ま れ るか ら, 昭 和 歌 謡 曲 は ご当地 ソ ン グか ら始 ま った と言 う こと もで き る。

  そ れで は, 昭 和 歌 謡 曲 に は どれ くらい 地 名入 り歌 謡 曲 が生 まれ , ま た そ こで 歌 われ て い るの は ど の よ うな 土 地 な ので あ ろ うか。 筆 者 と同 じ発想 で , 副 田義 也 氏 は 156 か ら176年 まで の168曲 を対 象 に , 5年 刻 み の 各 時 期 につ いて , 歌 詞 に 地 名 が含 まれ る歌 の数 の 総 歌謡 曲数 に 対 す る比率 を算 出 し, 高度 経済 成 長 期 に は地 方 か ら都 会 へ の 人 口移 動6)が 盛 んで あ った こ とを 反映 して 出現 率 は高 い が ,1970年 代 に 入 って 低 下 し

た ことを 指摘 して い る [副 田  1977

  本 稿 で は, 対 象 の範 囲 を昭 和全 体 に広 げ , また , 歌 わ れ て い る地 域 に つ い て も分 析 を試 み よ う。 『全 音  歌 謡 曲 大全 集(一(』 (浅 野純 編 , 全 音楽 譜 出版 社 ) に 記 載 され て い る ヒ ッ ト歌 謡 曲 (軍 歌 ,ホ ーム ソ ン グ も含 む) の う ち, 128年 か ら1986年 上半 期 ま で の278曲 を対 象 に ,歌 詞 に地 名 が 含 ま れ る歌 謡 曲, あ るい は地 域 を推 測 で き る歌 謡 曲 を選 び 出 して み た。 地 域 対 曲数 の 変 遷 を 見 る た めに , ほぽ 5年 刻 みで 集 計 した も の を 表 1に示 す。 た だ し,地 名 や地 域 が 2つ 現 れ る歌 につ いて は,0.5ずつ 配 分 して 計 上 して い る。 こ の表 は, 歌 詞 の モチ ー フ とは 無 関係 に ,単 に 地域 と曲数 の 関係 だ け

図 t  地名入 り歌謡曲の出現率の推移

6) 人 口の 国 内地 域移 動 , す な わ ち, 常住 地 の変 更 を 伴 う移動 を 指 す [総 理府 統 計局 1984:3−

5]0

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(13)

国立民族学博物館研究報告  15巻4号

表1昭 歌 謡

()

内      訳

宿

1928^‑34 1935^‑44 1945^‑49 1950^‑54 1955^‑59 1960^‑64 1965^‑69 1970^‑74 1975^‑79

...1  ..

3 4 6 13 3 4 2

2 4 1 6 3 2

1

2 1 1

3 4

6 7 13 8 28.5 18.5 29.5 8

11 16.5

3 6 8 8 23.5 15.5 10.5 4 8 5.5

1 1 1

1 1

1 2

4

4 2 9 2

6 2 1 2

4

2 8

1 1 3

2 3 3 1

3 1

2

1 2

3 4 1 4 3.5

4 1

3

1

1 2

2 3

4 6

1 3 1 2 3 1 1

3 5

5 5 2

2 1

1

1

4 1

1 1

1.5 2

1 2

4

35

1

1 8 12 146 14 9 20.5 7 15 12 23 8 4.51 7

注1地 名を特定 しない北方  2赤 坂,六 本木,原 宿な ど  3地 名を特定 しない南方 を 示 した もの で は あ る が,い くつ か の 興 味 あ る事 実 を 示 唆 して くれ る。

  まず,通 説 の通 り,東 京 を 舞 台 とす る歌 謡 曲数 が 飛 び 抜 け て多 い こ と,ま た,東 京 の盛 り場 が,浅 草,銀 座 か ら,戦 後 は新宿 や赤 坂 ・原 宿 ・六 本木 へ,さ らに 横浜 ・横 須 賀 へ と外 延 化 して い るこ とが 歌 謡 曲に も反 映 さ れて い る こ とが わ か る。 また,『 歌 謡 曲大 全 集 』 で 見 る限 り,長 崎 を歌 う もの が 第2位 で あ る とす る通説 は誤 りで あ っ て, 大 阪 が 第2位 で あ る。

  各 時 期 に お け る,ヒ ッ ト歌 謡 曲 総数 に 対 す る地 名入 り歌 謡 曲 の 出現率 を 示 した 図1 も参 照 しな が ら,戦 前 の 地 名 入 り歌 謡 曲に つ い て見 て み よ う。1928年 か ら34年 の 第1 期 に は,出 現率 は40%で あ り,他 の 時期 に 比 べ て 非常 に高 い。 この 事 実 は,昭 和 歌 謡 曲 は ご 当地 ソ ング か ら始 ま った,と 先 に 指 摘 した こと を 裏付 けて い る。 歌 われ て い る 地 域 につ いて見 れ ば,第1期 で は,東 京 ・京 都 ・大 阪 な ど憧 憬 の地 と して の大 都 会, 湘 南 ・伊 豆 ・箱根 な ど首 都 圏 周 辺 の 観 光地 な ど,極 めて 限定 されて い るが,1931年 州 事 変,翌 年 の 第 一次 上 海 事 変 を 契機 に戦 線 が 拡 大 した 第2期(1935年 か ら1944年) に は,満 州,上 海,さ らに 軍 の 南 進 に伴 って タ イ,ジ ャ ワな ど,い わ ゆ る 「現地 もの」

が急 増 して 地 名入 り歌 謡 曲 の57%を 占 める と と もに,社 会 不 安 を反 映 して,「 マ ドロ ス もの」 の舞 台 と して の利 根 ・潮 来 ・博 多,「 股旅 や くざ もの」 の 舞台 と して の 上 州 ・ 信 州 な ど,漂 泊感 ・無 常感 の 舞 台 が増 加 して くる。 この 点に つ い て は,第4章,第5

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(14)

久保  歌謡曲の歌詞 に見 る旅 に 歌 れ た 土

(南) 西

4 A B AIB

・蘇・広 %

2 4

  3   1   2   4 4.5 ユ.5

2

2 4.5

?.5 5 4 11.5

1 2

2

1 1 1 1

  2   1   1   2   2   1 0.5   1

3 5 2 1 1 3 1 1

1 5 2

2 1

1 8

3 1 2

1 1

3

2 1

1 1

1 2

1 2

1

2 9 7

2 6 1 2

6 7 14  3

1 1

7 1 4 4

38 76 28 38 67 67 82 36 50 64

95 292 120 148 246 209 348 283 401 56

40.0 26.0 23.3 25.7 27.2 32.1 23.6 12.7 12.5 6111.3 22 36.5 3i 6 10.5 17 10 10 3 5 6 3 8 9 7 11 6 24 18 546 2708 20.2

4  パ リ,ロ ン ド ン,ピ レ ネ ー,ロ ー マ,ジ ャ マ イ カ な ど

章 で 詳 し く考 え る。

  敗 戦 直後 の1945年 か ら49年 で は,歌 わ れ る地 域 は東 京 に 集 中す る(地 名 入 り歌 謡 曲 総 数 の46%を 占 め る)。 そ の後,一 時 的 に 東 京 の相 対 的地 位 は低 下 す るが,1955年 ら59年 まで の時 期 に は東京 の 歌 が急 増 す る(地 名入 り歌謡 曲総 数 の42.5%を 占 め る)。

こ れ は,経 済 成 長 期 に 入 って地 方 か ら東 京 へ の 大 規 模 な人 口移 動 が 生 じ,地 方 と東 京 と の交 流 の 歌 が数 多 く現 れ た こと が大 き な原 因で あ る。 この 点に つ い て は第4.6節 詳 し く見 る。1960年 か ら64年 の 時 期に は,地 名 入 り歌謡 曲 の 出現率 が戦 後 期に お け る ピー ク を示 す が,図2に 示 す よ うに,こ の時 期 に 人 口 移 動 が 最 も大 きか った事 実 と符 合 す る。 移 動 の 目的地 と して 都 会 が多 く歌 わ れ た だ け で は な く,風 情 豊 か に歌 わ れ た 地 方 の歌 がそ この 出身 者 か ら支 持 され る,と い う形 で 地方 の 歌 が増 え た こ と も理 由 の 一 つで あ ろ う。 この 点に 関 して は,日 清 ・日露戦 争 へ の 出征 のた め地 方 か ら青 年 ・壮 年 男 性 が 各地 の連 隊 に 集 め られ た 時 期 に民 謡 が盛 んに な り,大 正 期 の民 謡 運 動 に つ な が って い った事 実 が 想起 され る。 す な わ ち,大 きな人 口移 動 が 生 じる と地方 の歌 が 増加 す るの で あ る。 これ は,大 衆 側 か らの 動機 に よ る地方 の 歌 の 増加 現 象 と言 え よ う。

  これ に 対 し,1965年 か ら69年 の時 期 に 歌 わ れ る土 地 が 地 方 に広 が った の は,キ ャ ン ペ ー ンと して提 起 され た地 方 分 散 が 大 きな要 因で あ ろ う。 人 口が都 会 へ 集 中 した後 に は,集 中 に よ る弊 害 へ の 反省,お よ び地方 人 が都 会 に 対 して 抱 くル サ ンチマ ンの結 果

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国立民族学博物館研究報告  15巻 4号

総 理 府 統 計 局編 『人 口移 動 』 1984年 よ り作 成 図 2 人 口 移

南 関東 :埼 玉 ,千 葉 , 東 京 ,神 奈 川    西 近 畿 :京 都 ,大 阪 , 兵庫 北 陸東 山 :新潟 , 富山 ,石 川 , 福 井 , 山梨 , 長野

大都 市 圏計 :南 関東 , 西 近畿 , 岐阜 ,静 岡 ,愛 知 , 三 重 の計

と して ,地 方 復 権 ・地方 分 散 が 唱 え られ るの が 常 で あ る。 歌 謡 曲 の 世 界 に お い て も,

この 時期 , 「ご当 地 ソ ン グ」 とい う言 葉 が使 わ れ始 め, 「ネ オ ン艶 歌 」7)の舞 台 が地 方 都 市 へ 波及 す る, とい った 地方 分 散 現 象 が 生 じた の で あ っ た。

  170年 以 降 , 地 名 入 り歌 謡 曲 の 出 現率 は一 挙 に 低 下 す る。 副 田論 文 で は 第一 次 石 油 シ ョ ックに よ る人 口移 動 の 低 下 を そ の理 由 と して 挙 げ て い る。 実 際 ,戦 後 期 に お け る,

図 1の 地 名入 り歌 謡 曲 出現 率 を示 す折 れ線 と図 2の 大 都市 圏 へ の流 入人 口 を示 す折 れ 線 との 間 の見 事 な相 似 は, 注 目に 値 す る。 筆 者 は,人 口移 動 の 低 下 だ けで な く, 歌 謡 曲 の果 たす メ ッセ ー ジ性 が 低 下 し,旅 の動 機 付 け は他 の メ デ ィァが果 た す よ うに な っ た こ と も,地 名入 り歌 謡 曲 の 出現 率 が減 少 した 理 由で あ る と考 え るが , この 点 につ い )ネオ ン街すなわ ち夜の盛 り場が隆盛を見せる195年頃以降に登場 した,そ こに生 きる不遇 ・   薄幸な女性 の哀感を描 く曲。1年か ら1年 にかけて多作されたが,それ以降は数が減 って   いる。薄幸 な女性が減少 したか らであろうか。

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参照

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