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革命期のソ連邦財政制度

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(1)

革命期のソ連邦財政制度

その他のタイトル The Soviet Budgetary System during the Revolution

著者 佐藤 博

雑誌名 關西大學經済論集

13

4‑6

ページ 807‑836

発行年 1963‑12‑20

URL http://hdl.handle.net/10112/15417

(2)

607 

一面では過去のロシアの財政制度の遺産として︑他面では新政権の財政政策

理念の反映として形作られたものである︒財政制度は︑単にその時代の経済状態から制約を受けるだけでなく︑政

策的理念の強い影響をこおむる︒経済的諸条件がロシアの歴史的特殊性を反映し︑政策理念が社会主義政策の一般

性を表現すると見倣すことが出来るならば︑革命期の財政制度の中には︑かかる特殊性と一般性の複雑な交錯が見

革命期のソ連邦財政制度︵佐藤︶

( 1 )  

革命期におけるソ連邦財政制度は︑

四二九 十月革命前夜のロシアの財政状態は文字通り破滅的危機に陥っていた︒本来財政自身は独自の運動を展開するものではなく︑その時代の政治的︑経済的諸条件を反映する︒従って当時の財政的危概は︑とりもなおさずロシアの済状態や財政制度を一挙に変えうるものではない︒そこでは︑政治形態の断続的変革とは対照的な歴史的継続性が存在すると考えられる か︒革命は︑それが政治的変革である限りにおいて︑一夜にして政治的支配機構の変革を引き起させはするが︑経 政治的︑経済的危機の表現にほかならない︒

一九一七年の十月革命は︑かかる財政的危機を如何にして克服した

(3)

808 

(2 )  (3 ) 

(1

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『ソビエト財政史』の著者カ・エヌ・プロトニコフK•

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は︑十月革命期の財政制度を次の如く特

( 2 )  

徴づけている︒

①銀行の国有化︑外債の破棄などの革命的措置の導入︒似社会主義予算制度の基礎の確立︒③赤字なき予算の基

礎の確立︒④予算収入制度︑租税賦課方式の根本的変化︒⑥国庫統一原則の確立︒⑥国民経済全領域を包括する予

算制度とそれに基づく計画化の基礎の確立︒m予算に占める国有化企業収入︑現物収入の増加︒⑧国民経済費︑社

かかる特徴づけの中にどれだけ革命期の財政制度の実体が生きているであろうか︒

握が必要となろう︒ 題は︑この革命が如何なる賞讃ないしは非難を受くべきかということではなくして︑まずそれを理解する必要であ

( 3 )  

る﹂とすれば︑そのためには過去の歴史的遺産としてのロシアの財政制度の理解︑さらには革命期の財政政策の把

( 4 )  

﹁ロシア革命は︑これについて冷静に思惟し得る者は殆んどいないといった題目であった﹂け

れども︑革命後半世紀におよばんとするソビエト財政の発展は︑恐らくわれわれをして革命期財政制度の冷静なる

( 5 )  

理解を可能にせしめていると思われる︒

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って︑予算制度︑予算収支の構成︑とりわけ国家収入の形態を表現するものである︒本稿の検討も従って予算収支が

中心となっている︒

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63

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会文化費の増加︒ られることになる︒ 開西大學『繹済論集』第十三巻第四•五・六合併号

﹁ロシア革命の最も緊要な問

(4)

809 

構の改革︵一九0l

0年代の改革の際に予算制度は︑タタリノフ

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の協力を得て近代化せしめられ︑大蔵大

( 1 )  

臣は︑あらゆる国家収入支出に関する統一的な監督権を与えられた︒この改革から約四0年を経たのちに︑行政機

ロシア国会

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に予算協賛の権限が与えられ︑形式

的には近代的予算制度が形づくられていたcしかしながら︑実質的には︑いまだ予算制度の中に前近代的な諸要素

が多く見られた︒たとえば予算編成に関する一切の権限は︑窮極的には依然としてツアーの手中にあり︑また経費

支出項目の中︑若干のものは如何なるばあいと言えども皇帝の特権に属するものとされ︑国家統制局

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革命期のソ連邦財政制度︵佐藤︶ C

( 4 )

(5 )

本稿における革命前の財政制度の検討は︑主として次の二つの研究に依拠している︒

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(ポグレピンスキー

﹃革命前ロジア財政史﹄︶o

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また革命期の財政制度については全く対照的な次の二つの研究に依拠している︒

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(プロトニコフ﹃ソビエト財政史﹄︶︒,  

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19 58 , 

農奴解放に次ぐ一八六二年の財政改革によって不十分ながらも近代化への歩みを始めたロシアの財政制度は︑

の後顕著な改革を加えられず︑

ロシアの経済的後進性とツアーの専制政治を反映しながら革命前夜まで持ち越され

(5)

810 

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開西大學『網清論集』第十三巻第四•五・六合併号

(2 ) 

の監督を免がれていたC

いわゆる﹁戦前プーム﹂をなしていた︒しかしながらロシアの経済構成は︑低い技術水準に基づく農

業経済が依然として支配的であった︒従って国内の資本蓄積はすくなく︑工業化は主として外国資本の導入によっ

第一次世界大戦前のロシアは︑国家が経済的軍事的に主導権を握りながら︑とりわけロシアの軍事的勢力を︑先

進的な西欧諸国の武力と均等に維持せんとする政策をとっていた︒そのため国防費の増加が不可避となり︑また国

家権力を背景とする経済政策の遂行のため経済関係費の増加が予算に要求され︑これらが旧式な官僚主義と結び付

( 3 )  

いて一般行政費の増加をもたらしつつ︑年々の財政規模を膨脹せしめていた︒

一九一三年︑それはロシア経済が平時における最後の好況を享受した年であったが︑この年度は今日ソビエトの

各種統計資料の比較基準年度としてしばしば採用されている︒大戦前のロシア財政制度の検討のためにも恐らく適

切な年度と思われるので︑

租税収入の比重がすくない点︵従ってまた租外収入が多い︶で

0i一三年までの二0世紀初頭においては︑

一九一三年度の財政収支を中心として︑ロシア財政制度に見られるいくつかの特徴を明

0世紀初頭より第一次世界大戦前に至る期間の帝政国家の財政制度には︑ 四三二ロシアの工業化が

ロシア経済の後進性と国家の軍事的

性格が強く現われている︒とりわけ国家収入制度の中にはロシアの後進性を反映した諸特徴が反映されている︒

0世紀以来予算収入面に見られる第一の特徴は︑

たとえば一九0三年において租税収入は歳入純計︵臨時予算歳入を含む︶のうち四三・ニ彩を占めるに過ぎな らかにしてみたい︒ て行われていた︒

0年代に南部の鉄鋼業が設立され︑

(6)

8 I 

1

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I

予 算 収 入 総 額 3,431  100.0 

(内訳)

(I) 租 税 収 入 1,875  54.7 

a 272  7.9 

b 1,372  40.0 

C 231  6.7 

(II) 税 外 収 入 1,555  45.3 

特 権 的 事 業 収 入 1,362  39.7 

そ の 他 収 入 179  5.2 

13  0.4 

予 算 支 出 総 額 3,382  100.0 

(内訳)

g 経 済 関 係 諸 省 257  7.6 

国家経済関係機関 901  26.7 

i 143  4.2  825.  24.4 

k 一 般 行 政 費 495  14.6 

424  12.5  m 時 支 288  8.5 

(註) (a)には営業税 (4.4 (b)には酒類

専売益金 (19.4 (c)には流通税、

(d) には郵政事業総収入、 鉄道事業総収

入、酒類専売収入(収支対照)がそれぞれ含ま れている(比率は対収入総額)。支出面では (h) に特権的事業支出がすべて含まれる。

(資料) R.W. Davies, ・op. cit.,  p.4,  p. 8.  A. Michelson, op. cit.,  pp. 6972.

四三三 ある︒租税収入中間

( 7 )  

い︒残余は国家の特権的性格に基づく収入と見倣しうるところの各種専売収入︑国有財産収入.︑公債収入︵主として 外債︶︑から成っていた︒一九一三年国家予算収入︵第一表参照︶においては︑租税収入は五四・七形を占めている︒

( 5 )

6) この計数は若干修正する必要があるが︑修正によっても四八形を下回っている︒

かくの如く帝政ロシアの﹁国家の経済的基礎﹂は︑税外収入であって︑資本主義国家ないしは近代立憲国家と一

体をなすところの

制定議会の要請が民

主的勢力の一貫した

要求であった事実を

税収入の中で間接税

が圧倒的である点で

0

1913年国家予算収支

第二の特徴は︑租

このことは が︑近代立憲主義に基づくものとは大きく異なっていた︒一九一七年十月革命後まで精力的に続けられて来た憲法 には比較的遠いものがあった︒事実一九0六年に創設されたロシア国会そのもの

(7)

8 I 

一九一三年には︑七三︐・ニ彩を占めているeこれらの間接税のなかには︑砂糖︑

マッチ︑酒精飲料に対する租税ならびに関税が含められ︑とりわけ酒類専売益金は︑

の伝統的収入として︑間接税形態の収入の過半を常に維持してきた︒かかる傾向は︑

税収入の重要な特徴をなすもので︑とりわけ人頭税の廃止以後︑間接税は租税収入のなかで常に三分の二前後の地

位を確保してきた︒

第三に︑財政的意義のすくなかった直接税の特徴である︒後に述べる如く帝政ロシアには所得税課徴の経験は存

在しなかった︒直接税と呼ばれるものは︑その大部分が︑いわゆる﹁収益税﹂であって︑所得の査定その他高度の

理論や課税技術を必要とせざる﹁外形標準課税﹂によるものであった︒A・マイケルソンの資料によっても知られ

る如く︑直接税のうち約半分が営業税

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0年まで活躍を続け今日の取引税

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に姿を変えている︒

かくの如く二0世紀初頭の財政収入制度は︑いずれもロシアの経済的後進性を強く反映し︑帝政国家の積極的な

経費の面に見られる特徴には︑何よりも国家の特権的経済政策と国防政策が強く現われている︒

大の支出項目は︑国家の特権的諸事業に対する経費であって︑これらはいずれも国庫の収入を約束するものであっ

た︒経済に対する支出は︑ 四三四

一九世紀以来

一九一三年の最

その大部分が特権的な関係を有し︑経済関係各省の支出を加えると総支出の三分の一を

他方国防費は︑臨時支出を加えて全体の約三分の一を占めているが︑国庫的意義を有する国家事業費を除いて見 上回る額となっている︒ ﹁富国強兵﹂政策とは全く対照的な形をなしていた︒ また﹁第一表﹂に示される如く︑ 隔西大學﹃舞涜論集﹄第十三巻第四・五・六合併号

この営業税は革命を経て 一八六二年財政改革以降の租

(8)

813 

(1 ) (2 ) 

主義は歴史の上に現われることがなかったからである︒ とによってもたらされたものであったのである︒ 大戦による財政的破局の因がつくり出されていたのである︒ ると︑実質的には支出額の半分近くが国防関係費によって占められていることになる︒ロシアにおいて二0世紀以

来の国家経費膨脹の要因は結局これらの経費の中に求められる︒

国家経費の中に現われている第二の特徴は︑公債費の増加である︒公債は︑臨時収入として区分されていたが︑

それに対する利率は極めて高率で︑公債費を増加せしめた︒大戦前五ケ年間では総額約四一億ループルの公債収入

があったが︑当該期間に利払いおよび償還のため︑約四0億四千万ループルが支出され︑実質的には何らの収入も

生まなかった︒

一九一三年には公債費が︑予算支出の︱ニ・五形を占めていたが︑当時においてすでに第一次世界

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C•K).による金本位制の採用と予算の剰余とによって外見的には、財政の健全性が現われてい

これらの見せかけの剰余は︑臨時予算に含められていた大規模な公債の発行と︑他方における軍事費の隠蔽

一九一三年国家予算収支といういわばロシア財政制度の歴史的一断面を見ることによって︑必ずしも十分な特徴

を把握することは出来ないけれども︑農奴制の残滓と資本主義経済の発展とを基礎にした帝政国家財政制度の最終

的︑集約的帰結をこの年度に見出だすことは可能であるし︑またこの年度をおいて他に利用しうる時期はない︒何

これより以後は︑第一次世界大戦とロシア革命という非常事態によって引き継がれ︑再びロシアの資本

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革命期のソ連邦財政制度︵佐藤︶四三五

(9)

814 

(6 ) 

( 5 )  

(4 ) 

(3 ) 

は極めて限られた権限しか持たなかった︵レーニン﹁国会と予算の承認﹂︑全集︑第十二巻︑邦訳︑三0五ー七ペー

当時の予算制度についてレーニンは﹃ロシア国会は予算権限を持っていない︒というのは︑予算に対する拒否は︑

﹁法律﹂によって執行中の予算を停止させないのである︒十二月蜂起の失敗後︑反革命政府によって公布されたこの

法律︵一九〇六年二月二0日の悪名高い﹁基本法﹂︶は︑僧侶︑ツアー︑地主による人民代表者達に対する嘲笑であ

る︒しかも一九〇六年︱︱一月八日の﹁規則﹂は︑国会における予算審議のさまざまな障害をつくり出し︑また﹁国家支

出一覧表﹂の審職の際︑現行の諸法律︑定員︑支出一覧表や最高布告にもとづいて後者の最高行政手続により予算案

にもり込まれた収入および支出は︑削除あるいは変更できないときめて︑この嘲笑をより一層強調している﹄と述ペ

ている︵レーニン﹁国会の予算審議権の拡張についての討論﹂︑全集︑第十三巻︑邦訳︑三九八ページ︶︒

一八六三年以降の財政規模は次の如くである

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12.)︒一八六三年ー四三二︵百万ループル︶︑一八七0年ー五六一︱‑︵)︑一八八八年ー七九三

( I I )︑一八九

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年ー一︑八八九()︑一九0五年1三︑二0五()︑一九一0年ーニ︑五五六

( I I )

一九︱一年ーニ︑八四五()︑一九一三年1三︑一七一()︑一九一三年ー三︑三八二()︒

とりわけ公債は︑一九一三年までにすでに八︑八五八百万ループルに達していた︒この額は︑当時の国民所得の過半︑

となっている︒一九一四年の国民所得は︑ストウルミリンによると一六二億ループル

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460.) ︑一九一三年はアラハペルジャンによるとニ︱0億ループルと

なっていた

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一九一四年までの公債累積額のうち︑約三分の一が鉄道債︑三分の二が国防費調達のためのものであった︒また公

債のうち約半分が外債となっていた

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239)

︑ ︑ ︑ ︑

︑ ︑

酒類専売収入は︑租税負担の観点から見ると当然間接税として取扱われるが︑ここでは国家収入形態を問題としてい

るので︑その限りでは特権的税外収入として規定されうる︒従ってかかる修正計算においては﹁第一表﹂の間接税か

ら酒類専売益金を除外する︒

この純計の計算は︑﹁第一表﹂特権的収入その他から国家経済関係機関費を差引いた﹁純収入﹂を収入合計として計 課西大學﹃繹済論集﹄第十三巻第四・五・六合併号

四三六

(10)

815 

﹃ロシアの国内事情に重要な前進をもたらしたのは︑ロシア人のいわゆる﹁外部からの震動﹂であることが多か

一九一四年にはじまる大戦も例外ではなかった﹄

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をみちびきだし︑

のいわゆる﹁革命﹂とロシア国会の創設にみちびき︑

シアには戦争が比類なき﹁歴史の推進力﹂として介入した︒大戦は︑

たことを証明し︑ ロシアの工業力と戦争の重圧が等しくなかっ

( 2 )  

﹁ロシア帝国の経済的︑財政的弱体化のあらゆる深化を暴露した﹂のである︒

世界大戦は国家財政に対する二重の困難をロシアに与えた︒

の減退である︒

れ︑専売収入が一挙に停止した︒第二に本国ならびに海域地方の封蹟による関税収入の大幅な減少︑交通交易の停

滞に伴う鉄道収入の低下によって収入の減少は拍車をかけられた︒かかる収入不足に対して︑当時西欧諸国で試み

に述べた如く︑経済的には不十分な資本蓄積と︑

費と歩調を合わせることは初めから困難である︒国家の特権的収入は︑戦費支弁に対しては余りにも非弾力的であ

(

7)  

算したものである︒かかる純計によって一九一三年の収入合計は約二五億ループル︑

く︶は約十二億ループルとなる︒

ここでは租税負担を問題としているので酒類専売収入を問接税に含める︒

租税収入︵酒類専売益金を除

一八五四—六年のクリミヤ戦争は直接股奴解放につながった。さらに日露戦争は一九0四ー七年

革命期のソ連邦財政制度︵佐藤︶ この大戦は一九一七年の革命の契機をもたらした︒かくてロ

すでに見た如く大戦前予算収入の主要な源泉をなしていた酒類専売事業が戦争勃発と共に廃止さ

ロシアにおいても新税の実施︑既存税率の引上げなどの措置が講ぜられている︒しかしながら︑すで

それを基礎にした前近代的財政制度をもってしては︑急増する戦

四三七 ︱つは言うまでもなく戦費の激増であり︑他は歳入 ナポレオン戦争は︑一八二五年のデカプリストの運動

(11)

8 I 

2 191417年国家予算収支(百万}レープル)

191 4  1915  191 6  191 7 

(1額)  4,556  11,195  17,794  22,164 

(100.0)  (100.0)  (100.0)  (100.0) 

(2入)  2,961  3,001  4,345  5,038 

(69.9)  (26.8)  (24.5)  (22.7) 

1,595  8,195  13,449  17,126 

(30.1)  (73.2)  (75.5)  (77.3) 

(内訳)

708  2,879  4,173  3,729 

82・  2,140  3,664  2,553 

805  3,176  5,610  10,843 

4,859  11,562  18,100  30,606 

(100.0)  (100.0)  (100. 0)  (100.0) 

,,.,.  3,204  (22,833.89 )  3,151  4,445 

(65.9)  (17.4)  (14.5) 

1,655  8,724  14,948  26.160 

(34.1)  (76.2)  (82.6)  (85.5) 

(内訳)

臨 時 戦 費 1,655  8,621  14,572  25,560 

短 期 債 利 子 103  376  600 

隔西大學﹃舘済論集﹂第十三巻第四・五・六合併号

(1)支出総額との差額は、直接的な通貨発行で支弁されている。

(2)この中には、若干の一時的収入と前年度余剰金が含まれている。

(資料) A. Michelson et  al.,  op.  cit. 

eこれらはすべて総収入で表わされて って一段と破滅的なかたちで拡大再生産された観があった︒命時までの国家予算収支を示すものであ

いるが︑経常収入は一九一三年の六九・

九形から一九一七年のニニ・七形と急激 ﹁第二表﹂は︑第一次世界大戦より革 割と外国金融資本への従属は︑戦争によ えなくせしめた︒戦前財政制度に示され 倣しうる外国からの借款に偏重せざるを かかる事情は︑勢い歳入不足を公債に かロシアは持たなかったのである︒

たんに歴史的興味を有する伝統し 四三八

一定の限界を有し︑且つまた直接税の賦

よって︑しかもロシアの伝統の一っと見

た諸特徴︑とりわけ特権的税外収入の役 り︑間接税の税率引上げは︑おのずから

(12)

817 

表 3表 19171月現在公債累積額

(百万)レープル)

に減少し︑反対に内国債︑外国債︑短期債は︑

(I) 戦 前 公 債 合 計(1) 13,500 

8,691 

4,800 

(II) 戦 時 公 債 合 計 25,578 

(a) 内 債 合 計 17,790 

長 期 公 債 12,010 

国 庫 債 券 ' 4,930 

国 庫 証 券 850

(b) 外 債 合 計 7,788 

イ ギ リ 5,480 

ン ス 1,500 

ア メ 435 

290 

83 

Cm) 39,078 

(1)戦前公債は、 1912年以来漸減しつつあっ

(資料) A. Michelson et  al.,  op.  cit., p. 2212. 

国家予算歳出に占める戦費は︑﹁第二表﹂に示される如く︑ れる見積りとなっていた︒ に歳入不足は直接通貨発行によって支弁され︑

られていた︒外債依存の傾向は︑戦時の特殊現 第一の点については︑ 常な規模︑最後に革命事態の醸成という点で特 ずれの国においても不可避的な道となるが︑と 費の調達を公債や通貨発行に求めることは︑い この期間に三

O ・

一彩から七七・三%への急増している︒このほか

一九一七年には︑実に八四億ループルが通貨の増発によって調達さ

一九一四年の三四・一彩から一九一七年の八五・五

彩へと急激に増加し︑各年度において公債収入を上回る勢いであった︒

一九一七年一月までに通貨流通量は︑戦争勃発時に比較し約六倍の増加を見た︒インフレーションは緊急時の常

態として︑戦時のロシャも例外でなかった︒戦

りわけロシアにおいては︑第一に外債への極端

な偏重︑第二に公債発行ならびに通貨発行の異

筆すべきものがあったと言える︒

﹁第三表﹂に示される

如く︑戦時公債の約三0%が外債によって占め

四三九

(13)

ま ︑

,1 の一が鉄道債で︑他は国防費を含む非生産的使途に向けられたものであ?た︒また戦時公債のうち外債は︑国別にしてイギリスが最も多く︑外債総額の約七

0%

︑次いでフランスが二

0%

︑残余は合衆国︑日本︑イタリアとなっ

ていた︒十月革命後に行われた外債の破棄とその後の外国干渉とは︑この資料と興味深い関連を有している︒

第一次大戦時の外債と帝国主義の関係については最近ア・エリ・シドロフ

A . J I .   C HJ J: OP OB

による興味ある研究

が発表されている︒著者によれば﹁ロシアにおける帝国主義の特性について深い研究をなすためには︑どうしても

財政史あるいは予算の歴史を研究しなければならない︒当然のことながらかかる分野には︑

性やロシアの経済力の弱点が集中的に反映されていたし︑また西欧帝国主義とロシアとの経済的従属性がロシア財

( 3 )  

政の従属的性格の事実の中に如実に貫ぬかれているからである﹂と︒外債は帝国主義の時期には新らしい特徴を獲

得し︑富める国々の後れた国々に対する資本の輸出の

ロシアの経済状態の特

十月革命前夜において︑かかる外債の重圧によってロシアが国家的破産の状態に瀕していたことを想起すれば︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑もし純粋に経済的国家主義の見地に立つことが許されるならば︑革命は︑先進諸国の半植民地化に対する経済的な

独立運動と見倣すことができるであろう︒財政的破局が国家破産の様態を呈していたロシアにおいて︑それを救い

( 4 )  

うる唯︱つの道が政治的変革による対外債務の破棄に求められうるからである︒

大戦初期の一九一四年および一九一五年は財政問題も比較的楽観的な見通しが支配的であった︒事実この時期に

ロシア経済が一種の戦時ブームを呈していた︒しかしながら一九一六年に入ると︑食料︑燃料︑輸送の上に恐 的︑政治的隷属の一手段となると見られている︒ より強い国々のより弱い相手に対する経済 の未償還額︶八七億ループルのうち︑その過半に当る四七億ループルがすでに外債であった︒ 開西大學『網済論集』第十三巻第四•五・六合併号

戦前公債は︑約三分 四四〇

(14)

慌が生じ︑それらが次第に他の分野に波及して行った︒このため財政制度の改革にも次第に真剣な努力が試みられ

( 5 )  

た︒ロシアにおいて始めて所得税の導入が決定されたのも︑この年であった︒このほか租税制度の改革としては︑

営業税の急激な引上げ︑超過利潤税の実施︑戦時特別税の導入が挙げられる︒しかしながら︑かかる税制改革によ

ってしても︑経常予算における一般行政費の増加をかろうじてカバーするに過ぎなかった︒

ヨーロッパ諸国︵イギリス︑フランス︑ドイツ︶の慣行と異なり︑

四四 ロシアの予算は︑二つの部分に分かれ︑経常予算

大戦の勃発に伴いすべての軍事費は﹁戦時支出﹂として臨時会計に移さ

従ってまた公表されることもなかった︒

め︑しばしば国会内の自由主義的グループの人々からさえ不満が発せられていた︒しかも政府は︑

名をもって︑様々な支出項目を臨時会計に移管し国会の監督を免がれようとし︑経常予算収支の均衡ないし余剰と

いう見せかけの予算操作を公開し︑底知れぬ戦費の増大を隠蔽せんとした︒かかる傾向は︑税制改革による財政資

金調達の努力を阻止する要因となり︑臨時予算への繰入れ操作を通じて︑ますます公債発行の増加を促進せしめ︑

( 6 )  

あるいは直接的通貨発行の増大を早やめる結果となった︒外債依存︑通貨膨脹とインフレーション︑租税制度の不

備は︑国家の経済的︑政治的基礎を揺がせ二月革命を招来せしめたのである︒

臨時政府の財政政策

一九一七年二月に帝政国家は転覆され︑商工業の利益とセント・ペテルスプルグ・ソビエトの双方によって支持

された臨時政府によって置き換えられた︒ここにおいて帝政国家によっては成し遂げられえなかったドラスチック

な財政制度の改革が望まれた︒しかしながら臨時政府は︑文字通り﹁臨時的﹂なものであって︑多くの改革の試み

革命期のソ連邦財政制度︵佐藤︶ れ︑資金調達や支出規模に関してはロシア国会の監督を免がれ︑ と戦時︵臨時︶予算から構成されていた︒

(15)

820

によって打撃をこうむり︑ 億ループルの調達が予定された︒ 強力な反対に会い実現を見るに至らなかった︒ はなされたが︑その成果について歴史は解答を与えてくれない︒

一方において戦争を遂行すると共に他方では︑国民各階層の利益を擁護しなければならぬことから

税制改革には多くの障害に出会った︒このなかには︑臨時政府の階級的性格によるものもあったが︑同時に政権担

当の期間的制約に負うものもあった︒A・マイケルソンによれば︑臨時政府が実際に実行に移した税制改革の中に

( 7 )  

は次の如きものがあった︒

①直接税の改革、所得税の最高累進税率を三0•五彩(一九一六年所得税法の二倍半に当たる)に引上げた。第二に

臨時所得付加税の実施︒第三に戦時利潤税の税率の引上げが実施された︵五0

0

②直接税の新設︑これには一般財産税が提案された︒それは︑特に富裕者階層に対する課税を意図とし︑所得税

の補完として導入された︒内容は一万ループルを免税点とし︑

O lO

五彩の税率をもっていた︒しかし結局

この一般財産税の実施は十月革命後の一九一八年まで延期される結果となった︒

⑧間接税ならびに国家専売制度の改革は臨時政府によって初めから意図されていたが︑とりわけボルシェビキの

④外債への依存を軽減すべく﹁自由公債﹂や﹁強制公債﹂の発行が企図され︑このうち﹁自由公債﹂からは四〇

しかし事態には何ら改善が見られることなく︑臨時政府の財政操作の結末は︑軍事費の六0形の通貨発行による

( 8 )  

調達と︑戦前水準の一0倍を越える流通通貨量だけであったCすでに見た帝政ロシアの前近代的財政制度は︑大戦

一段と破滅的な形となって革命政権へと受け継がれて行ったのである︒ 隔西大學﹃細済論集﹄第十三巻第四・五・六合併号

参照

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