韋 諗 撰
﹃ 注 大 般 涅 槃 經
﹄ の 現 存 諸 本 に つ い て 青
木 佳 伶
仙石 山仏 教学 論 集 第 号︵ 平成
年︶ 10
30
Sengokuyama Journal
of Buddhist Studies
Vol. X, 2018
韋 諗 撰
﹃ 注 大 般 涅 槃 經 ﹄ の 現 存 諸 本 に つ い
青 て
木 佳 伶
は じ め に1 注大
般 涅槃 經﹄ は︑ 中 國 の唐 代益 州導 江縣 の 縣令 であ った 韋諗
︵ 生 没 年 不 詳
︶ が著 し た大 乘﹃ 大般 涅槃 經﹄ の 注釋 書で あ る2
︒ 三十 卷の 内︑ 現在 六 卷の 存在 が確 認さ れ てい る︒ いず れも 國 指定 重要 文化 財及 び 滋賀 縣指 定文 化 財と なっ て いる
︒國 指定 重要 文化 財 であ りな がら
︑今 ま で本 注釋 書に つい て 書か れた 研究 論文 は
︑管 見に よれ ば︑ 坂本 廣博 氏3 の一 篇の みで ある
︒ 二
〇一 七 年七 月に
︑卷 第二 及び 卷 第十 二を 京都 國立 博 物館 にて
︑實 際に 調 査す るこ とが でき た
︒二 卷と もに 保 存狀 態が 大 變良 く︑ 軸は
︑紫 檀を 用 いて
︑そ の軸 の兩 端 には
︑嵌 め込 みの 裝 飾が 施さ れ︑ 紙の 質 や表 裝︑ そし て 書寫 され た 字を 見れ ば︑ 當時 とし て は經 典に 準ず るほ ど の一 流の 書物 とし て 書寫 され たこ とが わ かる
︒そ のよ う な 丁重 な 扱 い に も關 わ ら ず︑
﹃ 注大 般 涅 槃 經﹄︵ 以 下
﹃ 注 涅 槃 經
﹄と す る
︒︶ の 形 跡 は︑ わず か に
﹃東 域 傳 燈目 錄
﹄ など で確 認で き るの みで
︑中 國で は
︑流 行し た形 跡は な い︒ また
︑そ の扱 われ 方 を比 較で きる ほど
︑ 後世 に廣 く 引用 され たか と いう と︑ まだ 調査 中 の段 階で はあ るが
︑ その 例も わず かで ある
︒ その うえ
︑撰 者の 韋 諗に つい て の傳 記も 今の と ころ 見つ かっ てい な い︒ 仙 石 山 仏 教 学 論 集第 一
〇 号 平 成 三
〇 年 三 月
一
中 國の 唐 の時 代で
︑無 名だ った 一 縣令 の書 いた 注釋 書 が︑ なぜ はる ばる 海 を渡 り︑ 大事 に書 寫 され
︑立 派な 裝 丁が 施さ れ
︑天 平寫 經の 一部 とし て
︑今 日ま で大 事に 保 存さ れて きた のか
︒ そこ には
︑ど うい う 意圖 や經 緯が あ った の だろ う か︒ 推 測 の域 を 出な いが
︑﹃ 注 涅槃 經﹄ が︑ 數少 な い﹁ 北本
﹂に 依據 し た注 釋 書で あ るこ とと 何 ら かの 關連 性が あ るの かも 知れ ない
︒ こ のよ う に︑
﹃注 涅 槃經
﹄に は︑ 未詳 な 事柄 が 多く 存在 す るが
︑本 文を 精 査し 讀 み解 く こと で︑ 大乘
﹃大 般 涅 槃經
﹄研 究 にお いて 新た な知 見 を提 供で きる かも し れな い︒ また
︑數 少な い 現存 する
﹁北 本﹂ の 注釋 書に
︑新 資 料を 追加 す ると いう 點に おい て も︑ この 注釋 書の 價 値を 見出 すこ とも でき よ う︒ 現 在︑ 六 卷の 存在 が確 認で き てい るが
︑小 野玄 妙 氏の
﹃佛 書解 説大 辭典4
﹄ に收 錄さ れた 時點 で は︑ まだ 卷第 二 及び 卷第 十 二の 二卷 の存 在し か確 認 でき なか った よう で ある
︒ま た︑ 坂本 氏 の論 文に おい ても
︑ 卷第 十の 存在 は 把握 さ れて いな か った よ うで ある
︒從 っ て︑ 本 論 攷に よ って
︑﹃ 注涅 槃 經﹄ の存 在が 廣 く知 れ 渡れ ば︑ ほか の 殘 卷の 發見 に 繫が る可 能性 が出 て くる のか もし れな い
︒ そ の最 初 の一 歩と して
︑こ の 論文 では
︑ま ず︑ 重 要文 化財 圖錄 など に 收錄 され てい る寫 眞資 料 を用 いて
︑諸 本 につ いて
︑ 現時 點で わか って い るこ とを ここ で紹 介 した い︒ 實地 調査 し た卷 第二 及び 卷第 十二 に つい ては
︑本 文 の校 訂及 び 解讀 の作 業を 進め て おり
︑そ の報 告に つ いて は︑ 檢討 を深 め たの ち︑ 次稿 にて 發表 し たい
︒ 一
︑
資 料 の﹃
注 涅 槃 經﹄
に つ い て 一一
︑現 存諸 本に つい て
韋 諗 撰
﹃ 注 大 般 涅槃 經
﹄ の 現 存 諸 本 に つ い て
︵ 青 木
︶
二
注涅 槃經
﹄三 十卷 の うち 現存 する 六卷 の 詳細 は︑ 左記 の通 りで あ る︒
◎1
﹃注 大 般涅 槃經
﹄卷 第二
一 卷 縱二 六・
〇糎
︑ 全長 一六 五九
・四 糎 奈 良時 代 三重
西來 寺
◎2
﹃注 大 般涅 槃經
﹄卷 第八
一 卷 縱二 六・
〇糎
︑ 全長 一二 八一
・〇 糎 奈 良時 代 滋賀
西教 寺
○3
﹃注 大 般涅 槃經
﹄卷 第十
一 卷 縱二 五・ 八糎
︑ 全長 一二 五〇
・〇 糎 奈 良時 代 滋賀
聖衆 來迎 寺
◎4
﹃注 大 般涅 槃經
﹄卷 第十 二 一 卷 縱二 六・
〇糎
︑ 全長 一六 六六
・六 糎 奈 良時 代 三重
西來 寺
◎5
﹃注 大 般涅 槃經
﹄卷 第十 四 一 卷 縱二 六・ 三糎
︑ 全長 一一 五二
・二 糎 奈 良時 代 京都
毘沙 門堂
◎6
﹃注 大 般涅 槃經
﹄卷 第十 九 一 卷 縱二 六・ 四糎
︑ 全長 一一 一三
・九 糎 奈 良時 代 神奈 川 西 方寺
◎ 國 指 定 重 要 文 化 財︑
〇 滋 賀 縣 指 定 有 形 文 化 財 ま た︑ こ れら の現 存諸 本の 寫眞 の 一部 分が 左記 の圖 錄 にて 確認 でき る︒ 1
﹃注 大 般涅 槃經
﹄卷 第二
重 要文 化 財
︵ 書 籍・ 典 籍
・ 古 文 書
Ⅲ
・ 佛 典
Ⅰ5
﹄︶ 卷首 の 一部 分 20 國 寶・ 重 要文 化財 大全 7 書跡
︵ 上 卷6
﹄︶ 2
﹃注 大 般涅 槃經
﹄卷 第八
重 要文 化 財
︵ 書 籍・ 典 籍
・ 古 文 書
Ⅲ
・ 佛 典
Ⅰ
﹄︶ 卷首 の 一部 分 20 國 寶・ 重 要文 化財 大全 7 書跡
︵ 上 卷
﹄︶ 3
﹃注 大 般涅 槃經
﹄卷 第十
特 別展
神佛 いま す近 江7
﹄
卷首 の 一部 分 4
﹃注 大 般涅 槃經
﹄卷 第十 二 掲 載な し︒ 5
﹃注 大 般涅 槃經
﹄卷 第十 四 重 要文 化 財
︵ 書 籍・ 典 籍
・ 古 文 書
Ⅲ
・ 佛 典
Ⅰ
︶﹄ 卷首 の 一部 分 20 韋 諗 撰
﹃ 注 大 般 涅槃 經
﹄ の 現 存 諸 本 に つ い て
︵ 青 木
︶
三
國 寶・ 重 要文 化財 大全 7 書跡
︵ 上 卷
﹄︶ 6
﹃注 大 般涅 槃經
﹄卷 第十 九 重 要文 化 財
︵ 書 籍・ 典 籍
・ 古 文 書
Ⅲ
・ 佛 典
Ⅰ
﹄︶ 卷末 の 一部 分 20 國 寶・ 重 要文 化財 大全 7 書跡
︵ 上 卷
﹄︶ 神 奈川 縣 文化 財圖 錄︵ 書 蹟 篇8
﹄︶
卷首
・ 卷末 の一 部分 右 記の 六 卷の 内︑ 卷第 十及 び卷 第 十二 を除 く四 卷の 寫 眞の 一部 分が
︑文 化 廳監 修毎 日新 聞社 發 行の
﹃重 要文 化 財
︵書 籍・ 典 籍
・ 古 文 書
Ⅲ・ 佛 典
Ⅰ︶
﹄で 紹介 され てい る︒ 本圖 錄で は︑ 卷第 二︑ 八︑ 十四 の卷 首の 一 部分 が︑ 卷 第 20 十 九 は︑ 卷 末 の一 部 分が 掲 載さ れ てい る︒ 卷第 二
︑八
︑ 十 四の 各卷 首 には
︑題 目 であ る﹃ 注大 般 涅槃 經﹄
︑ 卷 數︑ 品名 及び 肩 書が 付さ れた 選者 號 が記 され てい る︒ 現 在︑ 文化 廳 の國 指定 文化 財等 デ ータ ベー ス9 に おい て も︑ これ らを 確認 す るこ とが でき る︒ し かし なが ら︑ 卷 第十 のみ は
︑滋 賀縣 の縣 有形 文化 財 の指 定と なっ てお り
︑こ の國 指定 文化 財 等デ ータ ベー スに は
︑掲 載さ れて お らず
︑滋 賀 縣の ホー ムペ ージ の縣 所 有文 化財 目錄 に記 載 され てい る︒ 不思 議 なこ とに
︑同 じ目 錄 の中 で︑ 滋賀 縣
10
は︑ 國の 重 要文 化財 指定 の卷 第八 を 所有 して いな がら
︑ 卷第 十に つい ては
︑ 縣の 指定 とし てい る
︒ ま た︑ 大津 市 立歴 史博 物 館の デー タ ベー スで は︑ 大津 市 の聖 衆來 迎 寺所 藏 の卷 第十 に は︑
﹁黃 紙 二十 五紙 を 繼
11
ぎ︑ 淡墨 界 がほ どこ して あり
︑一 紙 に二 十五 行︑ 一行 に 十七 字︑ 注は 雙行 に なっ てい る︒ その 卷 末に 最澄 の筆 あ り︑ 天正 九 年︵ 一 五 八 一
︶ 四 月 九日 玄 祐か ら 賜っ た こと を 記す 當 時の 住 職眞 雄 の付 箋 が貼 ら れて い る︒ 書寫 年 代 は奈 良時 代 であ る︒
﹂と の 説明 が 付さ れて い る︒ 聖 衆 來迎 寺の 開 基は 傳 教大 師最 澄 であ る︒ 卷十 九 が眞 言宗 の 寺 院の 所藏 で ある のを 除き
︑殘 り の五 卷は
︑と もに 天 台宗 系の 寺院 によ って 所 藏さ れて いる
︒こ の
﹃注 涅槃 經﹄ の 傳教 大師 最 澄と の關 係も 大變 興 味深 い︒
韋 諗 撰
﹃ 注 大 般 涅槃 經
﹄ の 現 存 諸 本 に つ い て
︵ 青 木
︶
四
次 に︑
﹃注 涅槃 經﹄ に
︑ど のよ うな 記錄 が 殘さ れて いる のか につ い て檢 討す る︒ 一 二
︑目 錄等 での 記載 につ い て 目 錄等 に おけ る﹃ 注涅 槃 經﹄ に關 す る記 載に つ いて
︑最 初 に擧 げら れ るの は︑
﹃ 東域 傳 燈目 錄﹄ であ る
︒同 目
12
錄は
︑平 安 時 代後 期 の 僧で あ っ た永 超
︵一
〇 一 四 袞 一
〇 九 六
︶ が著 し
︑嘉 保 一年
︵ 一
〇 九 四
︶ に成 立 し た章 疏 目 錄 であ る︒ 永 超は
︑南 都七 大寺 及 び北 嶺の 比叡 山な どに 存 在し た經 藏を 閲覧 し て目 錄を 作成 した と 言わ れる
︒ま た︑
13
﹃大 日本 古 文書
︵ 正 倉 院 文 書
︶﹄ の記 録 につ いて も調 査し たが
︑﹃ 注涅 槃經
﹄に 關し て は︑ 韋 諗注 と 明確 に確 認で き
14
るも のは な かっ た︒ 左記 に︑ 高山 寺 本・ 大正 藏本 の﹃ 東 域傳 燈目 錄﹄ の掲 載 内容 を転 載し て比 較 する
︒記 載に お ける 異な る 箇所 につ いて は︑ 傍線 を 加え た︒ 高 山寺 本東 域傳 燈 目錄
注涅 槃經 三 十卷
大 唐導 江縣 合 諗令 註15 大 正藏 本東 域傳 燈 目錄
註涅 槃經 三 十卷
大 唐導 江縣 合 諗註
大 正 藏 脚 注 合
= 令 壽︵ 大 谷 大 學 藏 寫 本
︶
16
韋 諗に は︑ この ほか にも
﹃維 摩經
﹄の 注釋 書 があ る︒
﹃大 日本 古 文書
︵ 正 倉 院 文 書
﹄︶ で は︑
﹃注 維摩 經﹄ は︑ 韋 諗注 と明 記さ れ てい る︒ 目錄 等の 記 載を 確認 する と︑ 大 日本 古文 書︵ 正 倉 院 文 書
︶
注維 摩經 六 卷 韋諗 注17 高 山寺 本東 域傳 燈 目錄
註維 摩經 六 卷 大唐 導江 縣令 壽 詮註18 大 正藏 本東 域傳 燈 目錄
註維 摩經 六 卷 大唐 導江 縣令 壽 諗註19 とあ る︒ ま た︑ これ ら のほ かに も
︑韋 諗に は︑
﹃ 金剛 般若 經
﹄の 注が あ った こと も わか っ た︒ この 注に 關 して は︑ 名古 韋 諗 撰
﹃ 注 大 般 涅槃 經
﹄ の 現 存 諸 本 に つ い て
︵ 青 木
︶
五
屋市 にあ る 七寺 所藏 の﹃ 古聖 教目 錄
﹄︵ 擬 題
︶ に その 記 錄が 殘さ れて いる
︒ 金剛 般 若註 一卷
韋諗20 こ の﹃ 金 剛般 若 註﹄ の 注は
︑晩 唐 の 栖復
︵ 生 没 年 不 詳
︶ 撰﹃ 法華 經 玄 贊 要集
﹄の 中 で引 用 さ れ てい る
︒そ の 内 容は
︑後 述 する とし て︑ ここ で は︑ ひと まず 韋諗 の 名前 の誤 寫問 題の みを 取 り上 げる
︒ こ の注 に ある 二つ の引 用文 は
︑そ れぞ れ﹁ 專諗 云
﹂及 び﹁ 事諗 注﹂ から 始 まる が︑ では
︑果 た して 本當 に韋 諗 を指 して いる の か︒
﹃法 華經 玄 贊要 集﹄ の脚 注に
︑﹁ 專一 作 韋﹂︵ 專
︑ 一 に は
︑ 韋 と 作 る
︶ とあ るこ とか ら︑
﹁ 專諗
﹂
21
は﹁ 韋諗
﹂ の間 違い であ った こと が わか る︒ また
︑﹁ 專﹂ と﹁ 事﹂ は 字の 形が 似て いる こ とか ら︑
﹁事
﹂も
﹁韋
﹂ の誤 寫だ っ た可 能性 が高 い︒ こ れら の 目錄 等の 記載 を見 た結 果
︑韋 諗の 名前 が︑ 様 々な 誤寫 によ って 間 違っ た記 載を され て いる こと が確 認 でき た︒ ま とめ ると 左記 の通 りで あ る︒ 縣令
↓ 縣合 韋諗
↓ 壽諗
・壽 詮・ 婁諗
・諗
・ 專諗
・事 諗
22
こ れを 見 ると
︑﹁ 韋﹂ の字 は︑
﹁婁
﹂や
﹁壽
﹂の 簡體 字 の﹁ 寿﹂ に間 違え ら れや すい こと がわ か る︒ なお
︑東 京 大學 史料 編 纂所 の﹁ 大日 本古 文書 デ ータ ベー ス﹂ の中 の
﹁奈 良時 代古 文書 フ ルテ キス トデ ータ ベ ース
﹂で は︑ 韋
23
諗は
︑婁 諗 にて 登錄 され てお り︑ 韋 諗で はヒ ット しな い
︒と いう のも
︑後 述 の﹃ 正倉 院古 文書 影 印集 十七
﹄の 一
〇六 頁で の
﹁韋
﹂の 字は
︑確 かに
﹁ 婁﹂ のよ うに 見え る ので
︑婁 諗で 登錄 さ れた ので あろ う︒ ま た︑ 表題 の
﹃注 涅槃 經
﹄の
﹁ 注﹂ の字 が
︑目 錄に よ って
︑﹁ 註
﹂に なっ て いる も の もあ る が︑ 韋 諗 自 身は
︑
﹁注
﹂の 字を 使用 して いる の で︑ 本論 稿で は︑
﹁注
﹂に て統 一 する
︒ こ のよ うに
︑ 目錄 によ って
︑韋 諗 の名 前の 記載 が違 うこ と がわ かっ た︒ また
︑ 韋諗 には
︑﹃ 涅槃 經﹄
︑﹃ 維 摩經
﹄
韋 諗 撰
﹃ 注 大 般 涅槃 經
﹄ の 現 存 諸 本 に つ い て
︵ 青 木
︶
六
及び
﹃金 剛 般若 經﹄ の注 釋書 があ っ たこ とも
︑目 錄に よ って 確認 でき た︒ 次 に︑ 日 本や 中國 で書 かれ た注 釋 書の 中の 引用 文と い う形 にお いて も︑ 韋 諗の 痕跡 を見 るこ と がで きた
︒し か も︑ 前述 し た經 典以 外の もの にお い てで ある
︒引 用し た のは
︑釋 中算
︵ 九 三 五 袞 九 七 六
︶ 撰 の﹃ 妙 法蓮 華經 釋文
﹄ であ る︒
爾 時
上兒 氏 反︒ 釋氏 云︑ 是也
︒捷 公云
︑ 宜訓 是也
︒今 案︑ ーー 猶是 時 也︒
﹃ 金剛 般若 韋 諗注
﹄云
︑ー ー猶 此
24
25
時也
︒ 爾 26
時︑ 上 は︑ 兒 氏 の 反
︒ 釋 氏 云 わ く
︑ 是 れ な り
︒ 捷 公 云 わ く
︑ 宜 し く 是 れ を 訓 ず る べ し
︒ 今 案 ず る に
︑ 爾 時 は 猶 お こ の 時 27
の ご と き な り
︒﹃ 金 剛 般 若 韋 諗 注
﹄ に 云 わく
︑ 爾 時 は 猶 お こ の 時 の ご と き な り
︒ こ のほ か に︑ 晩唐 の栖 復撰
﹃法 華 經玄 贊要 集﹄ の中 で 引用 され てい るも の が二 例あ る︒ 專諗 云
︑不 師其 心︑ 而爲 心師
︑ 名不 隨心 行也
︒
28
29
30
專 諗 云 わ く
︑ そ の 心 を 師 と せ ず し て
︑ 心 の師 と 爲 す は
︑ 不 随 心 行 と 名 づ く な り
︒ 事諗 注
︑經 云︑ 狩形 人面
︑而 有 一角
︒舊 云疑 神仙
︒ 人人 見疑 是人 非人
︒ 又云
︑馬 頭人 身能 語
︒
31
32
事 諗 注
︑經 に 云 わ く
︑ 狩 形 人 面 に し て
︑ 一 つ の 角 有 り
︒ 舊 に 云 わ く
︑ 疑 う ら く は 神 仙 か と
︒ 人 人 見 て 是 れ を 人 非 人 と 疑 が え り
︒ 又 た 云 わ く
︑ 馬 頭 人 身 にし て 能 く 語 る
︒ こ の﹃ 法華 經 玄贊 要 集﹄ で引 用 され て いる 最 初の
﹁不 師其 心
︑而 爲心 師﹂ の 文言 は︑
﹃大 般 涅槃 經
﹄の
﹁ 師 子 吼菩 薩品 十 一﹂ の﹁ 願作 心師
︑ 不師 於心
﹂よ り引 用 され たと 思わ れる が︑ 隋 の吉 藏の
﹃法 華玄 論
﹄卷 八に も﹁ 當 作心 師︑ 不 師於 心﹂ の言 葉が あ るの で︑ 韋諗 が吉 藏 を讀 んで いた 可能 性が あ る︒ また
︑二 番目 の 例の
﹁狩 形人 面︑ 而有 一 角﹂ の注 釋 文で あ るが
︑こ れ は︑
﹃法 華 經﹄ 卷 二
︿序 品一
﹀の 中 にお い て﹁ 四︑ 緊 那 羅﹂ の箇 所 を説 明 す
33
韋 諗 撰
﹃ 注 大 般 涅槃 經
﹄ の 現 存 諸 本 に つ い て
︵ 青 木
︶
七
る内 容 であ ろ う︒ 隋の 智 顗の
﹃妙 法 蓮華 經 文 句﹄ 卷 二
︿序 品﹀ にも
︑﹁ 四︑ 緊那 羅
︑亦 云眞 陀 羅︒ 此云 疑 神︑ 似 人而 有 一角
︑故 號人 非人
︒﹂ と ある の で︑ 智 顗 も同 じ よう な内 容 で注 釋を 施 して いる こ とが わか る
︒こ の二 例の
34
引用 文か ら
︑恐 らく 韋諗 には
︑﹃ 法華 經﹄ 關 する 注釋 書も 存在 した の では ない かと 推測 で きる
︒ 以 上で
︑ 目錄 等及 び引 用文 から 韋 諗の 名前 の誤 寫の 問 題及 び存 在し たで あ ろう 著作 につ いて 檢 討し てき た︒ で は︑ 韋諗 は どう いう 人 物で あ った か︒
﹃注 涅 槃經
﹄卷 首 に記 され て いる
﹁導 江 縣令 韋諗
﹂か ら︑ 次 項に て檢 討 し たい 二 ︒
︑
撰 者 韋諗 に つ い て 注涅 槃經﹄の 現存 す る諸 本の 卷首 には
︑﹃ 注大 般涅 槃 經﹄ の題 目︑ 卷數
︑ 品名
︑そ して
﹁導 江 縣令 韋諗 注﹂ と 記載 され て いる
︒撰 者の 韋諗 につ い てで ある が︑ 殘念 な がら
︑殘 され てい る 史傳 を見 つけ るこ と がで きな かっ た︒ 韋 氏と い う姓 は︑ 漢代 から 唐代 ま で綿 々と 續い た名 門 の家 であ り︑ すで に 漢代 から 都の 長安 で は︑
﹁ 城南 韋 杜︑ 去天 尺 五﹂︵ 城 南 の 韋
︿ 氏
﹀ と 杜
︿ 氏
﹀ は
︑︿ 最 高 権 力 者 と し て の
﹀ 天
︿ 子
﹀ か ら 離 れ て わ ず か 五 尺 の み
︶ と 言 われ た と い
35
う︒ これ は つま り︑ 天子 のそ ばに い て︑ それ だけ 大き な 權力 を持 った 一族 だ った こと を示 して い る︒ ま た︑ 楊 曾文 氏に よる と︑ 韋氏 一 族は
︑北 周逍 遥公 韋 夐︵ 五
〇 二 袞 五 七 八
︶ の時 以來
︑佛 教を 信 奉し てい たと い
36
う︒ 宰相 を 十七 人 輩出 し
︑唐 の中 宗︵ 六 五 六 袞 七 一
〇
︶ に も 重 用さ れ た韋 氏 一族 で はあ っ たが
︑韋 后︵ 生 年 不 詳 袞 七 一
〇
︶ の中 宗 毒殺 によ り︑ 韋后 に 關連 した 韋 氏の 一族 は︑ 朝 廷か ら失 脚し 處 刑さ れた
︒し か しな がら
︑こ のこ とは あ くま でも 韋后 に直 接 關係 した 一族 のみ の 範囲 のこ とで
︑ほ か の系 列の 韋氏 及び 地方 にい る 豪族 の韋 氏は
︑
37
韋 諗 撰
﹃ 注 大 般 涅槃 經
﹄ の 現 存 諸 本 に つ い て
︵ 青 木
︶
八
變わ らず に 任官 され てい るも のも あ った
︒
38
韋 諗が
︑韋 后 の事 件︵ 七 一
〇
︶ の後
︑開 元中
︵ 七 一 三 袞 七 四 一︶ に朝 廷 から 縣 令に 任命 さ れて い るこ と に鑑 み る と︑ 韋后 と 直接 な關 係の あっ た家 系 の出 身で ない こと が 考え られ る︒ 二 一
︑導 江縣 につ いて 導 江縣 と は︑ 現在 の中 國四 川省 都 江堰 市で ある
︒成 都 から 西に 約六 十キ ロ 離れ たと ころ に位 置 する
︒秦 の時 代
︵紀 元 前 二 二 一 袞 二
〇 六
︶ か ら あ る古 い 都市 で
︑そ の名 の 通り
︑江 を 導く 堰 が 設置 さ れて い る︒ 秦の 時 代 に作 ら れ たこ の水 利施 設 は︑ 代々 にわ たっ て 維持 され
︑現 在も 役 目を 果た して いる
︒ また
︑道 教の 聖地 であ る 青城 山や 古 い町 並み のそ の 美し い景 色と 文化 價 値か ら︑ ユネ スコ の 世界 遺産 に登 錄さ れ てい る︒ 唐 代の 地理 書 であ る﹃ 元和 郡縣 圖 志﹄ 卷三 十一
︑七 七 三頁 に︑ 導江 縣に つ いて の記 述が ある
︒
39
本漢 郫 縣地
︒武 德元 年於 灌口 置 盤龍 縣︑ 尋改 爲灌 寧 縣︒ 二年
︑又 改爲 導 江縣
︒取 禹貢 岷山 導 江之 義也
︒屬 成 都︑ 垂 拱二 年割 属彭 州︒ 本 は︑ 漢 の 郫 縣 の 地
︒ 武 德 元 年
︵ 六 一 八
︶︑ 灌 口 に 盤 龍 縣 を 置 き︑ 尋 い で 改 め て 灌 寧 縣 と 爲 す
︒ 二 年
︵ 六 一 九
︶︑ 又 た 改 め て 導 江 縣 と 爲 す
︒﹃ 禹 貢
﹄ の 岷 山 導 江 の 義を 取 る な り
︒ 成 都 に 屬 し
︑ 垂 拱 二 年
︵ 六 八 六
︶ に割 い て 彭 州 に 属 す
︒ 武 德元 年︵ 六 一 八
︶ は︑ 隋が 滅び
︑唐 が始 まっ た年 で︑ 唐 高祖 の執 政下 の時 代で あっ た︒ その 翌年
︵ 六 一 九︶ に︑ 導江 縣に 改 めら れて いる
︒名 の由 來 は︑ 古代 の中 國の 地 理書 であ った
﹃禹 貢
﹄の 中の 一文 から 取 った とさ れて い る︒
40
ま た︑
﹃新 唐書
﹄卷 四 二︑ 一〇 八〇 頁︵ 地 理 志
︶ では
︑導 江縣 に つい て︑ この よう に述 べ られ てい る︒
41
導江
望︒ 本盤 龍︒ 武德 元年 以 故汶 山置
︒尋 更名
︒ 貞觀 中曰 灌寧
︒開 元 中復 爲導 江︒ 有侍 郎 堰︑ 其東 百丈 堰︑ 韋 諗 撰
﹃ 注 大 般 涅槃 經
﹄ の 現 存 諸 本 に つ い て
︵ 青 木
︶
九
引江 水 以漑 彭︑ 益田
︑龍 朔中 築
︒又 有小 堰︑ 長安 初 築︒ 西有 蠶崖 關︑ 有 岷山
︑玉 壘山
︒有 鎮 靜軍
︑開 元中 置︒ 有白 沙 守捉 城︒ 有木 瓜戍
︑三 奇 戍︒ 導 江︑ 望
︒ も と は
︑ 盤 龍
︒ 武 德 元 年
︵ 六 一 八
︶ 故 を 以 て 汶 山 に 置 く
︒ 尋 い で に 名 を 更 め る
︒ 貞 觀 中
︵ 六 二 七 袞 六 四 九
︶ に 灌 寧 と 曰 う
︒ 開 元 中
︵ 七 一 三 袞 七 四 一
︶に 復 た 導 江 と 爲 す
︒ 侍 郎 堰 有 り
︑ 其 の 東 に 百 丈堰 が
︑ 江 水 を 引 い て 以 て 彭
︑ 益 の 田 を 漑 ぎ
︑ 龍 朔
︵ 六 六 一 袞 六 六 三
︶ 中 に 築く
︒ 又 た
︑ 小 堰 有 り
︑ 長 安
︵ 七
〇 一 袞 七
〇 四
︶の 初 め に 築 く
︒ 西 に 蠶 崖 關 有 り
︑ 岷 山
︑ 玉 壘 山 有 り
︒ 鎮 靜 軍 有 り
︑ 開 元 中︵ 七 一 三 袞 七 四 一
︶ に 置 く
︒ 白 沙 に 守 捉 城 有 り︒ 木 瓜 戍
︑ 三 奇 戍 有 り
︒ こ れを 見 ると
︑導 江縣 は︑ 貞觀 中
︵ 六 二 七袞 六 四 九
︶ に 灌寧 と呼 ばれ てい た が︑ 開元 中︵ 七 一 三 袞 七 四 一
︶ に復 た 導江 とい う 名前 に戻 った こと がわ か る︒ 二 二
︑縣 令と いう 役職 唐 代に は
︑約 千五 百の 縣が 存在 し たと 言わ れる
︒そ の 縣は
︑都 に近 いか ど うか
︑人 口の 多さ な どで 約十 等級 に
42
分か れて い る︒ 頼瑞 和氏 によ ると
︑ 唐代 の縣 の一 級官 員 には 四種 ある
︒そ の 階位 を低 いほ うか ら 並べ ると
︑縣 尉︑
43
主簿
︑縣 丞
︑縣 令で ある
︒こ れら は 中央 朝廷 から 任命 さ れ︑ 各縣 に派 遣さ れ る官 員で あり
︑九 品 三十 階の 流内 官 であ ると い う︒ 通常
︑縣 令に なる に は︑ この 一番 下の 縣 尉か ら任 用さ れ︑ 段 階を 踏ん でい くの で
︑大 體縣 令と な
44
る年 代は
︑ 三十 代ま たは 四十 代に な ると いう
︒ 三
︑
成 立 年代 こ こま で︑卷 首の 署名 につ いて 順 番に 見て きた が︑ で は︑ 一體
﹃注 涅槃 經
﹄は いつ 頃成 立し た のだ ろう か︒ 同
韋 諗 撰
﹃ 注 大 般 涅槃 經
﹄ の 現 存 諸 本 に つ い て
︵ 青 木
︶
一
〇
書に は︑
﹁ 導江 縣 令﹂ と い う署 名 があ るの で
︑縣 令で あ った 期間 に 撰し た こと が わか る︒ 先ほ ど︑ 導 江縣 は︑ 貞 觀中
︵ 六 二 七 袞 六 四 九
︶ は
︑灌 寧と 呼 ばれ てい たと の記 述 を擧 げた が︑ その 後 再び
︑導 江縣 とい う 呼稱 に戻 るの は︑ 開元 中︵ 七 一 三 袞 七 四 一︶ であ る︒ 思 うに
︑﹃ 注涅 槃經
﹄が 書か れた の は︑ この 開元 の期 間 中で はな いか
︒ ま た︑
﹃ 東域 傳 燈 目 錄﹄ に お いて
︑﹃ 注 涅 槃 經﹄ と共 に 記 載 さ れ てい た 韋 諗 の﹃ 注 維 摩經
﹄は
︑天 平 勝 寶 五 年
︵七 五 三
︶ に興 福 寺の 慈 訓︵ 六 九 一 袞 七 七 七
︶ によ っ て︑ 借り 出さ れ てい る︒
﹃ 正倉 院 文書
﹄に その 記錄 が 殘さ れ て
45
いる
︒こ れ は︑ 現 在 わか る 範囲 で韋 諗 に關 す る一 番 古い 記錄 で ある
︒以 下 は﹃ 大 日 本古 文 書﹄ を 參 考し て︑
﹃ 正
46
倉院 文書
﹄ 影印 版を 翻刻 した もの で ある
︒ 正倉 院古 文書 影印 集 成十 七﹄ 一〇 六頁
︵ 宮 内 廳
︶ 第 三〇 卷 裏
慈 訓奉 請經 卷狀 14.
1
謹 奉 請
2
注 維 摩 詰 經 六 卷
韋 諗注 3
維 摩 詰 經 二 卷
4
大 方 等 頂 王 經 一 卷
一名 維摩 詰子 問經
/ 已上 三部 九卷 經以 六 年五 月一 七日 便請 留 外嶋 院 已 上玖 卷並 黄紙 及表 綺緒 紫 檀軸 無帙 疏二 部八 卷 請鬱 多羅 疏四 卷 林 法師 疏二 卷 請遠 法 師疏 四卷 5
維 摩 經 四 部
無名 疏 五卷
元 暁疏 三卷 已上 疏貳 部八 卷並 白紙 黄 表紫 緒梨 軸 6
右 件 之 經 及 疏 欲 請
韋 諗 撰
﹃ 注 大 般 涅槃 經
﹄ の 現 存 諸 本 に つ い て
︵ 青 木
︶
一 一
7
合 見 請 拾 柒 卷 ︵ 經 九 卷 疏 八 卷 並 ︶ 付 便 使 沙 美 戒 慈
8
天 平 勝 寶 五 年 九 月 三 日 使 沙 弥 戒 慈
9
慈 訓
司 判 依 請
10
次 官 佐 伯 宿 禰 今 毛 人
判 官 石 川 朝 臣 豊 麻 呂
11
主 典 阿 刀 連 酒 主
12
依 政 所 宣 合 請 如 前
知 呉 原 生 人
13 こ の 記録 を 見る と︑ 慈訓
︵ 六 九 一 袞 七 七 七
︶ が︑ 沙彌 戒 慈を 遣 わし て
︑天 平勝 寶 五年
︵ 七 五 三
︶ に 韋諗 の
﹃注 維 摩經
﹄六 卷 を借 り出 して いる こと が わか る︒ ほか にも
﹃ 維摩 經﹄ の注 釋書 を 借り 出し てい るこ と から
︑恐 らく 研 究比 較の た めに 借り 出し たの であ ろ う︒ つま り韋 諗の 注 釋書 は︑ 當時 では
︑ その 内容 に一 定の 評 價が あっ たと 推 測で きる
︒ 慈 訓は
︑奈 良時 代 法相 宗興 福寺 の僧 であ る︒ 唯識 法相 の師 に︑ 興福 寺の 玄昉
︵ 生 年 不 詳 袞 七 四 六
︶ と 元興 寺の 良 敏︵ 生 年 不 詳 袞 七 三 八
︑︶ 華 嚴の 師に は︑ 奈良 大安 寺 の審 祥︵ 生 没 年 不 詳
︶ が い る︒ 慈 訓 にと って
︑同 じ興 福寺 の 玄 昉は 直接 の 師で あっ た︒ 玄 昉 は﹃ 續日 本 紀﹄ 天 平十 八 年︵ 七 四 六
︶ 六 月十 八 日 の條 に
︑そ の 名の 記 載 があ る
︒そ こ には
︑霊 亀 二 年︵ 七 一 六
︶ に 入唐 し て︑ 天 平七 年︵ 七 三 五
︶ に 遣 唐使 の 多 治比 眞 人 広 成に 伴 っ て歸 國 し︑ そ の際 に
︑經 典 五千 卷 余 り
韋 諗 撰
﹃ 注 大 般 涅槃 經
﹄ の 現 存 諸 本 に つ い て
︵ 青 木
︶
一 二
を請 來し た と記 して ある
︒
47
ま た︑ 玄昉 よ り 少し 前 に︑ 道慈
︵生 年 未 詳 袞 七 四 四
︶ が 大寶 二 年︵ 七
〇 二
︶ に入 唐 し十 六 年間 滞 在 して
︑そ の 際 に様 々な 經 典を 收集 して いた とい う 記述 があ る︵﹃ 扶 桑 略 記
﹄ 第 六
︒︶
48
韋 諗の 注 釋書 は︑ 道慈 また は玄 昉 によ って 請來 され た 可能 性が 高い
︒こ の こと から 韋諗 の活 躍 した 年代 は︑ 恐 らく は︑ 八 世紀 前葉 ご ろで は ない だ ろう か︒ よ って
︑﹃ 注涅 槃 經﹄ は︑ 七一 三年
︵ 開 元 元 年
︶ か ら 七三 五 年︵ 玄 昉 歸 朝 の 年
︶ 年 の間 に 著さ れ︑ 道慈 ま たは
︑玄 昉に よ って
︑日 本 にも たさ れ たの で はな い かと 推測 で きる
︒少 な く とも
︑﹃ 注涅 槃經
﹄ は︑ 遲く ても 七五 三 年ま でに は︑
﹃註 維摩 經﹄ と共 に
︑日 本に 請來 され た であ ろう
︒成 立年 代 及び 日 本へ の傳 來の この 邊り の 論證 につ いて は︑ さ らに 詳し く研 究す る 必要 があ る︒ 四
︑ ﹃
注 大 般 涅 槃 經﹄
の 依 據 した﹃
涅 槃 經﹄
で は︑ 次 に﹃ 注涅 槃 經﹄ は︑﹃ 涅槃 經
﹄の 北 本に 依 據 し て いる こ と に つい て
︑考 證 し たい と 思 う︒ 吉藏
︵ 五 四 九袞 六 二 三
︶ の
﹃涅 槃經 遊意
﹄に
︑ 就此 經 有南 北二 本︒ 廣略 不同
︒ 北方 舊本 或有 三十 三 或三 十者
︒品 唯有 十 三︒ 南土 文卷 有三 十 六︒ 有二 十五 品︒
49
此の 經 に就 いて
︑南 北の 二本 有 り︒ 廣略 同じ から ず
︒北 方の 舊本
︑或 い は三 十三
︑或 いは 三 十の もの 有り
︒ 品は
︑ 唯だ 十三 有り
︒南 土の 文 の卷
︑三 十六 有り
︒ 二十 五品 有り
︒ ま た︑ 湯 用彤 氏に よれ ば︑ 總 之 南北 二 本之 不 同︑ 一
︑爲 品 目増 加︒ 此僅 及 北本 之 前五 品︒ 二︑ 爲文 字 上之 修 治︑ 則南 北 本相 差更 甚 微 也︒
﹂
50
韋 諗 撰
﹃ 注 大 般 涅槃 經
﹄ の 現 存 諸 本 に つ い て
︵ 青 木
︶
一 三
總 じ て
︑ こ の 南 北 二 本 の 不 同 は
︑ 一 に は
︑ 品 目 の 増 加 と 爲 す
︒ 此 れ
︑ 僅 か に 北 本 の 前 の 五 品 に 及 ぶ の み
︒ 二 に は
︑ 文 字 上 の 修 治 と 爲 す
︒ 則 ち 南 北 本 の 相 差
︑ 更 に甚 だ 微 か な り
︒︶ と ある
︒ こ のよ う に︑ 大乘 の
﹃涅 槃經
﹄は
︑北 涼の 曇 無 讖︵ 三 八 五 袞 四 三 三
︶ が 玄始 十 年︵ 四 二 一
︶ に 譯 した い わゆ る 北 本︵ 四 十 卷
︶ と 法 顯︵ 三 三 七 袞 四 二 二︶ が西 域よ り 持ち 歸 った 六卷 本 及び そ の六 卷本 に よっ て 改訂 され た 三十 六 卷 本の 南 本と があ る︒ 北本 と南 本 の文 字上 の違 いは 少 ない が︑ 最も 大き な 違い が品 目の 分け 方 であ る︒ 北本 は︑ 十 三品 の みで ある が︑ 南本 は︑ 二 十五 品に と細 かく 分 かれ てい る︒ 韋諗 が書 いた
﹃注 涅槃 經﹄ の 品名 と︑
﹁北 本﹂
﹁南 本﹂ の當 該箇 所を 比 較す ると
︑以 下の 表 にな る︒ 韋 諗の 注涅 槃經
北 本
南 本 卷第 二 壽 命品
卷第 二 壽 命品
卷 第二
純 陀品 卷第 八 如 來性 品
卷第 八 如 來性 品
卷 第八
如 來性 品 卷第 十 如 來性 品
卷第 九 如 來性 品
卷 第九
一 切大 衆所 問 品 卷第 十二
聖行 品
卷第 十二
聖行 品
卷第 十 一 聖行 品 卷第 十四
聖行 品
卷第 十四
聖行 品
卷第 十 四 梵行 品 卷第 十九
梵行 品
卷第 十九
梵行 品
卷第 十 九 光明 遍照 高貴 德 王菩 薩品 壽命 品﹂ は︑
﹁北 本﹂ では
︑卷 第 一か ら第 二で ある が
︑内 容的 には
︑南 本 の三 十六 卷﹃ 涅槃 經
﹄の
﹁純 陀品
﹂ にあ た る︒
﹁如 來 性品
﹂は
︑﹁ 北 本﹂ で は
︑卷 第四 か ら第 十 まで で ある が
︑﹁ 南本
﹂の
﹁如 來 性品
﹂は 卷 第八 の み であ る︒ さ らに
︑卷 第 十四 に つい て は︑
﹃注 涅 槃 經﹄ も
︑﹁ 北 本﹂ も同 じ く﹁ 聖行 品
﹂で ある が
︑﹁ 南本
﹂で は︑
﹁梵 行品
﹂と な って いる
︒ま た︑ 卷第 十 九で は︑
﹃注 涅槃 經﹄ 及﹁ 北本
﹂ は︑
﹁梵 行品
﹂で ある のに 対 し︑
﹁ 南本
﹂ は︑
﹁光 明遍 照 高貴 德王 菩薩 品﹂ であ る ため
︑明 らか に﹃ 注 涅槃 經﹄ は︑
﹁北 本﹂ に依 據し て いる こと がわ かる
︒
韋 諗 撰
﹃ 注 大 般 涅槃 經
﹄ の 現 存 諸 本 に つ い て
︵ 青 木
︶
一 四
こ のほ か に︑
﹃ 注涅 槃 經﹄ と﹁ 北本
・ 南 本﹂ の分 卷の 仕方 が異 な る場 所が 二箇 所あ る
︒﹃ 注涅 槃經
﹄の 卷第 十 は︑
﹁北 本﹂ で は︑ 卷 第 九の 途 中 から は じま る︒ また
︑﹃ 注 涅槃 經
﹄の 卷第 十 二は
︑﹁ 南 本﹂ では
︑卷 第 十一 の 途 中か ら始 ま る︒ 大正 藏﹄
﹁北 本﹂ との 比較 に おい て︑ 一部 分に 南 本に 欠落 して いる 箇 所が ある こと や時 々使 用 する 言葉 や文 字 の差 異 があ るも の の︑ 大體 のと こ ろは 一 致し て いる ので
︑明 ら かに 韋 諗が 依據 し た﹃ 大般 涅 槃經
﹄は
︑﹁ 北本
﹂ であ った こと が言 え る︒ ま と め 中 國唐 代 の無 名な 縣令 が著 した 大 乘﹃ 大般 涅槃 經﹄ の
﹃注 涅槃 經﹄ につ い て檢 討し てき た︒ 同 書は
︑數 少な い 現存 す る﹁ 北本
﹂﹃ 大般 涅 槃經
﹄の 注 釋書 と して の價 値 があ る
︒ま た︑ 唐代 の一 官 吏と し て︑ どの よ うに
﹃涅 槃 經﹄ を理 解 して きた か
︒居 士と して の 仏教 理 解と いう 視 點で は︑ 貴重 な 資料 と なり 得よ う
︒さ らに は︑
﹃大 般 涅 槃經
﹄の
﹁南 本
﹂と
﹁北 本﹂ のテ キ スト の違 いを 研究 す る上 でも
︑新 しい 素材 と なり 得よ う︒ これ ら のた めの 基 礎的 資料 の提 供 とい う意 味で
︑本 論 文の 發表 をし た︒ 前 記で 檢 討し た よう に︑
﹃ 注涅 槃經
﹄は
︑開 元 中︵ 七 一 三 袞 七 四 一
︶ に成 立 し︑ 少 な くと も 七五 三 年ま でに は
︑
﹃註 維 摩經
﹄と 共に 日 本に 請來 さ れた ので は ない かと 思 われ る︒ そし て︑ 恐ら く 道慈 ま たは 玄昉 に よっ て請 來 さ れた ので はな い かと 推測 でき る︒ た だ︑ 實證 する には
︑ さら なる 研究 を要 す る︒ ま た︑ 今回 の 調査 によ り︑ 一縣 令 であ った 韋諗 には
︑﹃ 注涅 槃經
﹄ のほ かに
︑﹃ 註維 摩經
﹄及 び﹃ 金 剛般 若註
﹄ など の重 要な 經 典に つい ても 注釋 書 があ った こと がわ か った
︒そ の﹃ 註維 摩 經﹄ が︑ 日本 では 他の 著 名な
﹃維 摩 韋 諗 撰
﹃ 注 大 般 涅槃 經
﹄ の 現 存 諸 本 に つ い て
︵ 青 木
︶
一 五