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﹃ 注 大 般 涅 槃 經

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Academic year: 2021

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(1)

韋 諗 撰

﹃ 注 大 般 涅 槃 經

﹄ の 現 存 諸 本 に つ い て 青

木 佳 伶

仙石 山仏 教学 論 集 第 号︵ 平成

年︶ 10

30

Sengokuyama Journal

of Buddhist Studies

Vol. X, 2018

(2)

韋 諗 撰

﹃ 注 大 般 涅 槃 經 ﹄ の 現 存 諸 本 に つ い

青 て

木 佳 伶

は じ め に 注大

般 涅槃 經﹄ は︑ 中 國 の唐 代益 州導 江縣 の 縣令 であ った 韋諗

が著 し た大 乘﹃ 大般 涅槃 經﹄ の 注釋 書で あ る

︒ 三十 卷の 内︑ 現在 六 卷の 存在 が確 認さ れ てい る︒ いず れも 國 指定 重要 文化 財及 び 滋賀 縣指 定文 化 財と なっ て いる

︒國 指定 重要 文化 財 であ りな がら

︑今 ま で本 注釋 書に つい て 書か れた 研究 論文 は

︑管 見に よれ ば︑ 坂本 廣博 氏 の一 篇の みで ある

︒ 二

〇一 七 年七 月に

︑卷 第二 及び 卷 第十 二を 京都 國立 博 物館 にて

︑實 際に 調 査す るこ とが でき た

︒二 卷と もに 保 存狀 態が 大 變良 く︑ 軸は

︑紫 檀を 用 いて

︑そ の軸 の兩 端 には

︑嵌 め込 みの 裝 飾が 施さ れ︑ 紙の 質 や表 裝︑ そし て 書寫 され た 字を 見れ ば︑ 當時 とし て は經 典に 準ず るほ ど の一 流の 書物 とし て 書寫 され たこ とが わ かる

︒そ のよ う な 丁重 な 扱 い に も關 わ ら ず︑

﹃ 注大 般 涅 槃 經﹄

の 形 跡 は︑ わず か に

﹃東 域 傳 燈目 錄

﹄ など で確 認で き るの みで

︑中 國で は

︑流 行し た形 跡は な い︒ また

︑そ の扱 われ 方 を比 較で きる ほど

︑ 後世 に廣 く 引用 され たか と いう と︑ まだ 調査 中 の段 階で はあ るが

︑ その 例も わず かで ある

︒ その うえ

︑撰 者の 韋 諗に つい て の傳 記も 今の と ころ 見つ かっ てい な い︒

(3)

中 國の 唐 の時 代で

︑無 名だ った 一 縣令 の書 いた 注釋 書 が︑ なぜ はる ばる 海 を渡 り︑ 大事 に書 寫 され

︑立 派な 裝 丁が 施さ れ

︑天 平寫 經の 一部 とし て

︑今 日ま で大 事に 保 存さ れて きた のか

︒ そこ には

︑ど うい う 意圖 や經 緯が あ った の だろ う か︒ 推 測 の域 を 出な いが

︑﹃ 注 涅槃 經﹄ が︑ 數少 な い﹁ 北本

﹂に 依據 し た注 釋 書で あ るこ とと 何 ら かの 關連 性が あ るの かも 知れ ない

︒ こ のよ う に︑

﹃注 涅 槃經

﹄に は︑ 未詳 な 事柄 が 多く 存在 す るが

︑本 文を 精 査し 讀 み解 く こと で︑ 大乘

﹃大 般 涅 槃經

﹄研 究 にお いて 新た な知 見 を提 供で きる かも し れな い︒ また

︑數 少な い 現存 する

﹁北 本﹂ の 注釋 書に

︑新 資 料を 追加 す ると いう 點に おい て も︑ この 注釋 書の 價 値を 見出 すこ とも でき よ う︒ 現 在︑ 六 卷の 存在 が確 認で き てい るが

︑小 野玄 妙 氏の

﹃佛 書解 説大 辭典

﹄ に收 錄さ れた 時點 で は︑ まだ 卷第 二 及び 卷第 十 二の 二卷 の存 在し か確 認 でき なか った よう で ある

︒ま た︑ 坂本 氏 の論 文に おい ても

︑ 卷第 十の 存在 は 把握 さ れて いな か った よ うで ある

︒從 っ て︑ 本 論 攷に よ って

︑﹃ 注涅 槃 經﹄ の存 在が 廣 く知 れ 渡れ ば︑ ほか の 殘 卷の 發見 に 繫が る可 能性 が出 て くる のか もし れな い

︒ そ の最 初 の一 歩と して

︑こ の 論文 では

︑ま ず︑ 重 要文 化財 圖錄 など に 收錄 され てい る寫 眞資 料 を用 いて

︑諸 本 につ いて

︑ 現時 點で わか って い るこ とを ここ で紹 介 した い︒ 實地 調査 し た卷 第二 及び 卷第 十二 に つい ては

︑本 文 の校 訂及 び 解讀 の作 業を 進め て おり

︑そ の報 告に つ いて は︑ 檢討 を深 め たの ち︑ 次稿 にて 發表 し たい

︒ 一

資 料 の

注 涅 槃 經

に つ い て 一

︑現 存諸 本に つい て

(4)

注涅 槃經

﹄三 十卷 の うち 現存 する 六卷 の 詳細 は︑ 左記 の通 りで あ る︒

◎1

﹃注 大 般涅 槃經

﹄卷 第二

一 卷 縱二 六・

〇糎

︑ 全長 一六 五九

・四 糎 奈 良時 代 三重

西來 寺

◎2

﹃注 大 般涅 槃經

﹄卷 第八

一 卷 縱二 六・

〇糎

︑ 全長 一二 八一

・〇 糎 奈 良時 代 滋賀

西教 寺

○3

﹃注 大 般涅 槃經

﹄卷 第十

一 卷 縱二 五・ 八糎

︑ 全長 一二 五〇

・〇 糎 奈 良時 代 滋賀

聖衆 來迎 寺

◎4

﹃注 大 般涅 槃經

﹄卷 第十 二 一 卷 縱二 六・

〇糎

︑ 全長 一六 六六

・六 糎 奈 良時 代 三重

西來 寺

◎5

﹃注 大 般涅 槃經

﹄卷 第十 四 一 卷 縱二 六・ 三糎

︑ 全長 一一 五二

・二 糎 奈 良時 代 京都

毘沙 門堂

◎6

﹃注 大 般涅 槃經

﹄卷 第十 九 一 卷 縱二 六・ 四糎

︑ 全長 一一 一三

・九 糎 奈 良時 代 神奈 川 西 方寺

ま た︑ こ れら の現 存諸 本の 寫眞 の 一部 分が 左記 の圖 錄 にて 確認 でき る︒ 1

﹃注 大 般涅 槃經

﹄卷 第二

重 要文 化 財

卷首 の 一部 分 20 國 寶・ 重 要文 化財 大全 7 書跡

﹃注 大 般涅 槃經

﹄卷 第八

重 要文 化 財

卷首 の 一部 分 20 國 寶・ 重 要文 化財 大全 7 書跡

﹃注 大 般涅 槃經

﹄卷 第十

特 別展

神佛 いま す近 江

卷首 の 一部 分 4

﹃注 大 般涅 槃經

﹄卷 第十 二 掲 載な し︒ 5

﹃注 大 般涅 槃經

﹄卷 第十 四 重 要文 化 財

﹄ 卷首 の 一部 分 20

(5)

國 寶・ 重 要文 化財 大全 7 書跡

﹃注 大 般涅 槃經

﹄卷 第十 九 重 要文 化 財

卷末 の 一部 分 20 國 寶・ 重 要文 化財 大全 7 書跡

神 奈川 縣 文化 財圖 錄

卷首

・ 卷末 の一 部分 右 記の 六 卷の 内︑ 卷第 十及 び卷 第 十二 を除 く四 卷の 寫 眞の 一部 分が

︑文 化 廳監 修毎 日新 聞社 發 行の

﹃重 要文 化 財

﹄で 紹介 され てい る︒ 本圖 錄で は︑ 卷第 二︑ 八︑ 十四 の卷 首の 一 部分 が︑ 卷 第 20 十 九 は︑ 卷 末 の一 部 分が 掲 載さ れ てい る︒ 卷第 二

︑八

︑ 十 四の 各卷 首 には

︑題 目 であ る﹃ 注大 般 涅槃 經﹄

︑ 卷 數︑ 品名 及び 肩 書が 付さ れた 選者 號 が記 され てい る︒ 現 在︑ 文化 廳 の國 指定 文化 財等 デ ータ ベー ス に おい て も︑ これ らを 確認 す るこ とが でき る︒ し かし なが ら︑ 卷 第十 のみ は

︑滋 賀縣 の縣 有形 文化 財 の指 定と なっ てお り

︑こ の國 指定 文化 財 等デ ータ ベー スに は

︑掲 載さ れて お らず

︑滋 賀 縣の ホー ムペ ージ の縣 所 有文 化財 目錄 に記 載 され てい る︒ 不思 議 なこ とに

︑同 じ目 錄 の中 で︑ 滋賀 縣

10

は︑ 國の 重 要文 化財 指定 の卷 第八 を 所有 して いな がら

︑ 卷第 十に つい ては

︑ 縣の 指定 とし てい る

︒ ま た︑ 大津 市 立歴 史博 物 館の デー タ ベー スで は︑ 大津 市 の聖 衆來 迎 寺所 藏 の卷 第十 に は︑

﹁黃 紙 二十 五紙 を 繼

11

ぎ︑ 淡墨 界 がほ どこ して あり

︑一 紙 に二 十五 行︑ 一行 に 十七 字︑ 注は 雙行 に なっ てい る︒ その 卷 末に 最澄 の筆 あ り︑ 天正 九 年

四 月 九日 玄 祐か ら 賜っ た こと を 記す 當 時の 住 職眞 雄 の付 箋 が貼 ら れて い る︒ 書寫 年 代 は奈 良時 代 であ る︒

﹂と の 説明 が 付さ れて い る︒ 聖 衆 來迎 寺の 開 基は 傳 教大 師最 澄 であ る︒ 卷十 九 が眞 言宗 の 寺 院の 所藏 で ある のを 除き

︑殘 り の五 卷は

︑と もに 天 台宗 系の 寺院 によ って 所 藏さ れて いる

︒こ の

﹃注 涅槃 經﹄ の 傳教 大師 最 澄と の關 係も 大變 興 味深 い︒

(6)

次 に︑

﹃注 涅槃 經﹄ に

︑ど のよ うな 記錄 が 殘さ れて いる のか につ い て檢 討す る︒ 一 二

︑目 錄等 での 記載 につ い て 目 錄等 に おけ る﹃ 注涅 槃 經﹄ に關 す る記 載に つ いて

︑最 初 に擧 げら れ るの は︑

﹃ 東域 傳 燈目 錄﹄ であ る

︒同 目

12

錄は

︑平 安 時 代後 期 の 僧で あ っ た永 超

が著 し

︑嘉 保 一年

に成 立 し た章 疏 目 錄 であ る︒ 永 超は

︑南 都七 大寺 及 び北 嶺の 比叡 山な どに 存 在し た經 藏を 閲覧 し て目 錄を 作成 した と 言わ れる

︒ま た︑

13

﹃大 日本 古 文書

﹄ の記 録 につ いて も調 査し たが

︑﹃ 注涅 槃經

﹄に 關し て は︑ 韋 諗注 と 明確 に確 認で き

14

るも のは な かっ た︒ 左記 に︑ 高山 寺 本・ 大正 藏本 の﹃ 東 域傳 燈目 錄﹄ の掲 載 内容 を転 載し て比 較 する

︒記 載に お ける 異な る 箇所 につ いて は︑ 傍線 を 加え た︒ 高 山寺 本東 域傳 燈 目錄

注涅 槃經 三 十卷

大 唐導 江縣 合 諗15 大 正藏 本東 域傳 燈 目錄

註涅 槃經 三 十卷

大 唐導 江縣 合 諗註

大 正 藏 脚 注 合

= 令 壽

16

韋 諗に は︑ この ほか にも

﹃維 摩經

﹄の 注釋 書 があ る︒

﹃大 日本 古 文書

で は︑

﹃注 維摩 經﹄ は︑ 韋 諗注 と明 記さ れ てい る︒ 目錄 等の 記 載を 確認 する と︑ 大 日本 古文 書

注維 摩經 六 卷 韋諗 注17 高 山寺 本東 域傳 燈 目錄

註維 摩經 六 卷 大唐 導江 縣令 壽 詮註18 大 正藏 本東 域傳 燈 目錄

註維 摩經 六 卷 大唐 導江 縣令 壽 諗註19 とあ る︒ ま た︑ これ ら のほ かに も

︑韋 諗に は︑

﹃ 金剛 般若 經

﹄の 注が あ った こと も わか っ た︒ この 注に 關 して は︑ 名古

(7)

屋市 にあ る 七寺 所藏 の﹃ 古聖 教目 錄

に その 記 錄が 殘さ れて いる

︒ 金剛 般 若註 一卷

韋諗20 こ の﹃ 金 剛般 若 註﹄ の 注は

︑晩 唐 の 栖復

撰﹃ 法華 經 玄 贊 要集

﹄の 中 で引 用 さ れ てい る

︒そ の 内 容は

︑後 述 する とし て︑ ここ で は︑ ひと まず 韋諗 の 名前 の誤 寫問 題の みを 取 り上 げる

︒ こ の注 に ある 二つ の引 用文 は

︑そ れぞ れ﹁ 專諗 云

﹂及 び﹁ 事諗 注﹂ から 始 まる が︑ では

︑果 た して 本當 に韋 諗 を指 して いる の か︒

﹃法 華經 玄 贊要 集﹄ の脚 注に

︑﹁ 專一 作 韋﹂

とあ るこ とか ら︑

﹁ 專諗

21

は﹁ 韋諗

﹂ の間 違い であ った こと が わか る︒ また

︑﹁ 專﹂ と﹁ 事﹂ は 字の 形が 似て いる こ とか ら︑

﹁事

﹂も

﹁韋

﹂ の誤 寫だ っ た可 能性 が高 い︒ こ れら の 目錄 等の 記載 を見 た結 果

︑韋 諗の 名前 が︑ 様 々な 誤寫 によ って 間 違っ た記 載を され て いる こと が確 認 でき た︒ ま とめ ると 左記 の通 りで あ る︒ 縣令

↓ 縣合 韋諗

↓ 壽諗

・壽 詮・ 婁諗

・諗

・ 專諗

・事 諗

22

こ れを 見 ると

︑﹁ 韋﹂ の字 は︑

﹁婁

﹂や

﹁壽

﹂の 簡體 字 の﹁ 寿﹂ に間 違え ら れや すい こと がわ か る︒ なお

︑東 京 大學 史料 編 纂所 の﹁ 大日 本古 文書 デ ータ ベー ス﹂ の中 の

﹁奈 良時 代古 文書 フ ルテ キス トデ ータ ベ ース

﹂で は︑ 韋

23

諗は

︑婁 諗 にて 登錄 され てお り︑ 韋 諗で はヒ ット しな い

︒と いう のも

︑後 述 の﹃ 正倉 院古 文書 影 印集 十七

﹄の 一

〇六 頁で の

﹁韋

﹂の 字は

︑確 かに

﹁ 婁﹂ のよ うに 見え る ので

︑婁 諗で 登錄 さ れた ので あろ う︒ ま た︑ 表題 の

﹃注 涅槃 經

﹄の

﹁ 注﹂ の字 が

︑目 錄に よ って

︑﹁ 註

﹂に なっ て いる も の もあ る が︑ 韋 諗 自 身は

﹁注

﹂の 字を 使用 して いる の で︑ 本論 稿で は︑

﹁注

﹂に て統 一 する

︒ こ のよ うに

︑ 目錄 によ って

︑韋 諗 の名 前の 記載 が違 うこ と がわ かっ た︒ また

︑ 韋諗 には

︑﹃ 涅槃 經﹄

︑﹃ 維 摩經

(8)

及び

﹃金 剛 般若 經﹄ の注 釋書 があ っ たこ とも

︑目 錄に よ って 確認 でき た︒ 次 に︑ 日 本や 中國 で書 かれ た注 釋 書の 中の 引用 文と い う形 にお いて も︑ 韋 諗の 痕跡 を見 るこ と がで きた

︒し か も︑ 前述 し た經 典以 外の もの にお い てで ある

︒引 用し た のは

︑釋 中算

撰 の﹃ 妙 法蓮 華經 釋文

﹄ であ る︒

爾 時

上兒 氏 反︒ 釋氏 云︑ 是也

︒捷 公云

︑ 宜訓 是也

︒今 案︑ ーー 猶是 時 也︒

﹃ 金剛 般若 韋 諗注

﹄云

︑ー ー猶 此

24

25

時也

26

27

こ のほ か に︑ 晩唐 の栖 復撰

﹃法 華 經玄 贊要 集﹄ の中 で 引用 され てい るも の が二 例あ る︒ 專諗 云

︑不 師其 心︑ 而爲 心師

︑ 名不 隨心 行也

28

29

30

事諗 注

︑經 云︑ 狩形 人面

︑而 有 一角

︒舊 云疑 神仙

︒ 人人 見疑 是人 非人

︒ 又云

︑馬 頭人 身能 語

31

32

こ の﹃ 法華 經 玄贊 要 集﹄ で引 用 され て いる 最 初の

﹁不 師其 心

︑而 爲心 師﹂ の 文言 は︑

﹃大 般 涅槃 經

﹄の

﹁ 師 子 吼菩 薩品 十 一﹂ の﹁ 願作 心師

︑ 不師 於心

﹂よ り引 用 され たと 思わ れる が︑ 隋 の吉 藏の

﹃法 華玄 論

﹄卷 八に も﹁ 當 作心 師︑ 不 師於 心﹂ の言 葉が あ るの で︑ 韋諗 が吉 藏 を讀 んで いた 可能 性が あ る︒ また

︑二 番目 の 例の

﹁狩 形人 面︑ 而有 一 角﹂ の注 釋 文で あ るが

︑こ れ は︑

﹃法 華 經﹄ 卷 二

︿序 品一

﹀の 中 にお い て﹁ 四︑ 緊 那 羅﹂ の箇 所 を説 明 す

33

(9)

る内 容 であ ろ う︒ 隋の 智 顗の

﹃妙 法 蓮華 經 文 句﹄ 卷 二

︿序 品﹀ にも

︑﹁ 四︑ 緊那 羅

︑亦 云眞 陀 羅︒ 此云 疑 神︑ 似 人而 有 一角

︑故 號人 非人

︒﹂ と ある の で︑ 智 顗 も同 じ よう な内 容 で注 釋を 施 して いる こ とが わか る

︒こ の二 例の

34

引用 文か ら

︑恐 らく 韋諗 には

︑﹃ 法華 經﹄ 關 する 注釋 書も 存在 した の では ない かと 推測 で きる

︒ 以 上で

︑ 目錄 等及 び引 用文 から 韋 諗の 名前 の誤 寫の 問 題及 び存 在し たで あ ろう 著作 につ いて 檢 討し てき た︒ で は︑ 韋諗 は どう いう 人 物で あ った か︒

﹃注 涅 槃經

﹄卷 首 に記 され て いる

﹁導 江 縣令 韋諗

﹂か ら︑ 次 項に て檢 討 し たい 二 ︒

撰 者 韋諗 に つ い て 注涅 槃經

﹄の 現存 す る諸 本の 卷首 には

︑﹃ 注大 般涅 槃 經﹄ の題 目︑ 卷數

︑ 品名

︑そ して

﹁導 江 縣令 韋諗 注﹂ と 記載 され て いる

︒撰 者の 韋諗 につ い てで ある が︑ 殘念 な がら

︑殘 され てい る 史傳 を見 つけ るこ と がで きな かっ た︒ 韋 氏と い う姓 は︑ 漢代 から 唐代 ま で綿 々と 續い た名 門 の家 であ り︑ すで に 漢代 から 都の 長安 で は︑

﹁ 城南 韋 杜︑ 去天 尺 五﹂

︿

︿

︿

︿

と 言 われ た と い

35

う︒ これ は つま り︑ 天子 のそ ばに い て︑ それ だけ 大き な 權力 を持 った 一族 だ った こと を示 して い る︒ ま た︑ 楊 曾文 氏に よる と︑ 韋氏 一 族は

︑北 周逍 遥公 韋 夐

の時 以來

︑佛 教を 信 奉し てい たと い

36

う︒ 宰相 を 十七 人 輩出 し

︑唐 の中 宗

に も 重 用さ れ た韋 氏 一族 で はあ っ たが

︑韋 后

の中 宗 毒殺 によ り︑ 韋后 に 關連 した 韋 氏の 一族 は︑ 朝 廷か ら失 脚し 處 刑さ れた

︒し か しな がら

︑こ のこ とは あ くま でも 韋后 に直 接 關係 した 一族 のみ の 範囲 のこ とで

︑ほ か の系 列の 韋氏 及び 地方 にい る 豪族 の韋 氏は

37

(10)

變わ らず に 任官 され てい るも のも あ った

38

韋 諗が

︑韋 后 の事 件

の後

︑開 元中

に朝 廷 から 縣 令に 任命 さ れて い るこ と に鑑 み る と︑ 韋后 と 直接 な關 係の あっ た家 系 の出 身で ない こと が 考え られ る︒ 二 一

︑導 江縣 につ いて 導 江縣 と は︑ 現在 の中 國四 川省 都 江堰 市で ある

︒成 都 から 西に 約六 十キ ロ 離れ たと ころ に位 置 する

︒秦 の時 代

か ら あ る古 い 都市 で

︑そ の名 の 通り

︑江 を 導く 堰 が 設置 さ れて い る︒ 秦の 時 代 に作 ら れ たこ の水 利施 設 は︑ 代々 にわ たっ て 維持 され

︑現 在も 役 目を 果た して いる

︒ また

︑道 教の 聖地 であ る 青城 山や 古 い町 並み のそ の 美し い景 色と 文化 價 値か ら︑ ユネ スコ の 世界 遺産 に登 錄さ れ てい る︒ 唐 代の 地理 書 であ る﹃ 元和 郡縣 圖 志﹄ 卷三 十一

︑七 七 三頁 に︑ 導江 縣に つ いて の記 述が ある

39

本漢 郫 縣地

︒武 德元 年於 灌口 置 盤龍 縣︑ 尋改 爲灌 寧 縣︒ 二年

︑又 改爲 導 江縣

︒取 禹貢 岷山 導 江之 義也

︒屬 成 都︑ 垂 拱二 年割 属彭 州︒

武 德元 年

は︑ 隋が 滅び

︑唐 が始 まっ た年 で︑ 唐 高祖 の執 政下 の時 代で あっ た︒ その 翌年

に︑ 導江 縣に 改 めら れて いる

︒名 の由 來 は︑ 古代 の中 國の 地 理書 であ った

﹃禹 貢

﹄の 中の 一文 から 取 った とさ れて い る︒

40

ま た︑

﹃新 唐書

﹄卷 四 二︑ 一〇 八〇 頁

では

︑導 江縣 に つい て︑ この よう に述 べ られ てい る︒

41

導江

望︒ 本盤 龍︒ 武德 元年 以 故汶 山置

︒尋 更名

︒ 貞觀 中曰 灌寧

︒開 元 中復 爲導 江︒ 有侍 郎 堰︑ 其東 百丈 堰︑

(11)

引江 水 以漑 彭︑ 益田

︑龍 朔中 築

︒又 有小 堰︑ 長安 初 築︒ 西有 蠶崖 關︑ 有 岷山

︑玉 壘山

︒有 鎮 靜軍

︑開 元中 置︒ 有白 沙 守捉 城︒ 有木 瓜戍

︑三 奇 戍︒

西

こ れを 見 ると

︑導 江縣 は︑ 貞觀 中

に 灌寧 と呼 ばれ てい た が︑ 開元 中

に復 た 導江 とい う 名前 に戻 った こと がわ か る︒ 二 二

︑縣 令と いう 役職 唐 代に は

︑約 千五 百の 縣が 存在 し たと 言わ れる

︒そ の 縣は

︑都 に近 いか ど うか

︑人 口の 多さ な どで 約十 等級 に

42

分か れて い る︒ 頼瑞 和氏 によ ると

︑ 唐代 の縣 の一 級官 員 には 四種 ある

︒そ の 階位 を低 いほ うか ら 並べ ると

︑縣 尉︑

43

主簿

︑縣 丞

︑縣 令で ある

︒こ れら は 中央 朝廷 から 任命 さ れ︑ 各縣 に派 遣さ れ る官 員で あり

︑九 品 三十 階の 流内 官 であ ると い う︒ 通常

︑縣 令に なる に は︑ この 一番 下の 縣 尉か ら任 用さ れ︑ 段 階を 踏ん でい くの で

︑大 體縣 令と な

44

る年 代は

︑ 三十 代ま たは 四十 代に な ると いう

︒ 三

成 立 年代 こ こま で

︑卷 首の 署名 につ いて 順 番に 見て きた が︑ で は︑ 一體

﹃注 涅槃 經

﹄は いつ 頃成 立し た のだ ろう か︒ 同

(12)

書に は︑

﹁ 導江 縣 令﹂ と い う署 名 があ るの で

︑縣 令で あ った 期間 に 撰し た こと が わか る︒ 先ほ ど︑ 導 江縣 は︑ 貞 觀中

︑灌 寧と 呼 ばれ てい たと の記 述 を擧 げた が︑ その 後 再び

︑導 江縣 とい う 呼稱 に戻 るの は︑ 開元 中 であ る︒ 思 うに

︑﹃ 注涅 槃經

﹄が 書か れた の は︑ この 開元 の期 間 中で はな いか

︒ ま た︑

﹃ 東域 傳 燈 目 錄﹄ に お いて

︑﹃ 注 涅 槃 經﹄ と共 に 記 載 さ れ てい た 韋 諗 の﹃ 注 維 摩經

﹄は

︑天 平 勝 寶 五 年

に興 福 寺の 慈 訓

によ っ て︑ 借り 出さ れ てい る︒

﹃ 正倉 院 文書

﹄に その 記錄 が 殘さ れ て

45

いる

︒こ れ は︑ 現 在 わか る 範囲 で韋 諗 に關 す る一 番 古い 記錄 で ある

︒以 下 は﹃ 大 日 本古 文 書﹄ を 參 考し て︑

﹃ 正

46

倉院 文書

﹄ 影印 版を 翻刻 した もの で ある

︒ 正倉 院古 文書 影印 集 成十 七﹄ 一〇 六頁

第 三〇 卷 裏

慈 訓奉 請經 卷狀 14.

謹 奉 請

注 維 摩 詰 經 六 卷

韋 諗注 3

維 摩 詰 經 二 卷

大 方 等 頂 王 經 一 卷

一名 維摩 詰子 問經

/ 已上 三部 九卷 經以 六 年五 月一 七日 便請 留 外嶋 院 已 上玖 卷並 黄紙 及表 綺緒 紫 檀軸 無帙 疏二 部八 卷 請鬱 多羅 疏四 卷 林 法師 疏二 卷 請遠 法 師疏 四卷 5

維 摩 經 四 部

無名 疏 五卷

元 暁疏 三卷 已上 疏貳 部八 卷並 白紙 黄 表紫 緒梨 軸 6

右 件 之 經 及 疏 欲 請

(13)

合 見 請 拾 柒 卷 ︵ 經 九 卷 疏 八 卷 並 ︶ 付 便 使 沙 美 戒 慈

天 平 勝 寶 五 年 九 月 三 日 使 沙 弥 戒 慈

慈 訓

司 判 依 請

10

次 官 佐 伯 宿 禰 今 毛 人

判 官 石 川 朝 臣 豊 麻 呂

11

主 典 阿 刀 連 酒 主

12

依 政 所 宣 合 請 如 前

知 呉 原 生 人

13 こ の 記録 を 見る と︑ 慈訓

が︑ 沙彌 戒 慈を 遣 わし て

︑天 平勝 寶 五年

に 韋諗 の

﹃注 維 摩經

﹄六 卷 を借 り出 して いる こと が わか る︒ ほか にも

﹃ 維摩 經﹄ の注 釋書 を 借り 出し てい るこ と から

︑恐 らく 研 究比 較の た めに 借り 出し たの であ ろ う︒ つま り韋 諗の 注 釋書 は︑ 當時 では

︑ その 内容 に一 定の 評 價が あっ たと 推 測で きる

︒ 慈 訓は

︑奈 良時 代 法相 宗興 福寺 の僧 であ る︒ 唯識 法相 の師 に︑ 興福 寺の 玄昉

と 元興 寺の 良 敏

華 嚴の 師に は︑ 奈良 大安 寺 の審 祥

が い る︒ 慈 訓 にと って

︑同 じ興 福寺 の 玄 昉は 直接 の 師で あっ た︒ 玄 昉 は﹃ 續日 本 紀﹄ 天 平十 八 年

六 月十 八 日 の條 に

︑そ の 名の 記 載 があ る

︒そ こ には

︑霊 亀 二 年

に 入唐 し て︑ 天 平七 年

に 遣 唐使 の 多 治比 眞 人 広 成に 伴 っ て歸 國 し︑ そ の際 に

︑經 典 五千 卷 余 り

(14)

を請 來し た と記 して ある

47

ま た︑ 玄昉 よ り 少し 前 に︑ 道慈

が 大寶 二 年

に入 唐 し十 六 年間 滞 在 して

︑そ の 際 に様 々な 經 典を 收集 して いた とい う 記述 があ る

48

韋 諗の 注 釋書 は︑ 道慈 また は玄 昉 によ って 請來 され た 可能 性が 高い

︒こ の こと から 韋諗 の活 躍 した 年代 は︑ 恐 らく は︑ 八 世紀 前葉 ご ろで は ない だ ろう か︒ よ って

︑﹃ 注涅 槃 經﹄ は︑ 七一 三年

か ら 七三 五 年

年 の間 に 著さ れ︑ 道慈 ま たは

︑玄 昉に よ って

︑日 本 にも たさ れ たの で はな い かと 推測 で きる

︒少 な く とも

︑﹃ 注涅 槃經

﹄ は︑ 遲く ても 七五 三 年ま でに は︑

﹃註 維摩 經﹄ と共 に

︑日 本に 請來 され た であ ろう

︒成 立年 代 及び 日 本へ の傳 來の この 邊り の 論證 につ いて は︑ さ らに 詳し く研 究す る 必要 があ る︒ 四

︑ ﹃

注 大 般 涅 槃 經

の 依 據 した

涅 槃 經

で は︑ 次 に﹃ 注涅 槃 經﹄ は︑

﹃ 涅槃 經

﹄の 北 本に 依 據 し て いる こ と に つい て

︑考 證 し たい と 思 う︒ 吉藏

﹃涅 槃經 遊意

﹄に

︑ 就此 經 有南 北二 本︒ 廣略 不同

︒ 北方 舊本 或有 三十 三 或三 十者

︒品 唯有 十 三︒ 南土 文卷 有三 十 六︒ 有二 十五 品︒

49

此の 經 に就 いて

︑南 北の 二本 有 り︒ 廣略 同じ から ず

︒北 方の 舊本

︑或 い は三 十三

︑或 いは 三 十の もの 有り

︒ 品は

︑ 唯だ 十三 有り

︒南 土の 文 の卷

︑三 十六 有り

︒ 二十 五品 有り

︒ ま た︑ 湯 用彤 氏に よれ ば︑ 總 之 南北 二 本之 不 同︑ 一

︑爲 品 目増 加︒ 此僅 及 北本 之 前五 品︒ 二︑ 爲文 字 上之 修 治︑ 則南 北 本相 差更 甚 微 也︒

50

(15)

と ある

︒ こ のよ う に︑ 大乘 の

﹃涅 槃經

﹄は

︑北 涼の 曇 無 讖

が 玄始 十 年

に 譯 した い わゆ る 北 本

と 法 顯 が西 域よ り 持ち 歸 った 六卷 本 及び そ の六 卷本 に よっ て 改訂 され た 三十 六 卷 本の 南 本と があ る︒ 北本 と南 本 の文 字上 の違 いは 少 ない が︑ 最も 大き な 違い が品 目の 分け 方 であ る︒ 北本 は︑ 十 三品 の みで ある が︑ 南本 は︑ 二 十五 品に と細 かく 分 かれ てい る︒ 韋諗 が書 いた

﹃注 涅槃 經﹄ の 品名 と︑

﹁北 本﹂

﹁南 本﹂ の當 該箇 所を 比 較す ると

︑以 下の 表 にな る︒ 韋 諗の 注涅 槃經

北 本

南 本 卷第 二 壽 命品

卷第 二 壽 命品

卷 第二

純 陀品 卷第 八 如 來性 品

卷第 八 如 來性 品

卷 第八

如 來性 品 卷第 十 如 來性 品

卷第 九 如 來性 品

卷 第九

一 切大 衆所 問 品 卷第 十二

聖行 品

卷第 十二

聖行 品

卷第 十 一 聖行 品 卷第 十四

聖行 品

卷第 十四

聖行 品

卷第 十 四 梵行 品 卷第 十九

梵行 品

卷第 十九

梵行 品

卷第 十 九 光明 遍照 高貴 德 王菩 薩品 壽命 品﹂ は︑

﹁北 本﹂ では

︑卷 第 一か ら第 二で ある が

︑内 容的 には

︑南 本 の三 十六 卷﹃ 涅槃 經

﹄の

﹁純 陀品

﹂ にあ た る︒

﹁如 來 性品

﹂は

︑﹁ 北 本﹂ で は

︑卷 第四 か ら第 十 まで で ある が

︑﹁ 南本

﹂の

﹁如 來 性品

﹂は 卷 第八 の み であ る︒ さ らに

︑卷 第 十四 に つい て は︑

﹃注 涅 槃 經﹄ も

︑﹁ 北 本﹂ も同 じ く﹁ 聖行 品

﹂で ある が

︑﹁ 南本

﹂で は︑

﹁梵 行品

﹂と な って いる

︒ま た︑ 卷第 十 九で は︑

﹃注 涅槃 經﹄ 及﹁ 北本

﹂ は︑

﹁梵 行品

﹂で ある のに 対 し︑

﹁ 南本

﹂ は︑

﹁光 明遍 照 高貴 德王 菩薩 品﹂ であ る ため

︑明 らか に﹃ 注 涅槃 經﹄ は︑

﹁北 本﹂ に依 據し て いる こと がわ かる

(16)

こ のほ か に︑

﹃ 注涅 槃 經﹄ と﹁ 北本

・ 南 本﹂ の分 卷の 仕方 が異 な る場 所が 二箇 所あ る

︒﹃ 注涅 槃經

﹄の 卷第 十 は︑

﹁北 本﹂ で は︑ 卷 第 九の 途 中 から は じま る︒ また

︑﹃ 注 涅槃 經

﹄の 卷第 十 二は

︑﹁ 南 本﹂ では

︑卷 第 十一 の 途 中か ら始 ま る︒ 大正 藏﹄

﹁北 本﹂ との 比較 に おい て︑ 一部 分に 南 本に 欠落 して いる 箇 所が ある こと や時 々使 用 する 言葉 や文 字 の差 異 があ るも の の︑ 大體 のと こ ろは 一 致し て いる ので

︑明 ら かに 韋 諗が 依據 し た﹃ 大般 涅 槃經

﹄は

︑﹁ 北本

﹂ であ った こと が言 え る︒ ま と め 中 國唐 代 の無 名な 縣令 が著 した 大 乘﹃ 大般 涅槃 經﹄ の

﹃注 涅槃 經﹄ につ い て檢 討し てき た︒ 同 書は

︑數 少な い 現存 す る﹁ 北本

﹂﹃ 大般 涅 槃經

﹄の 注 釋書 と して の價 値 があ る

︒ま た︑ 唐代 の一 官 吏と し て︑ どの よ うに

﹃涅 槃 經﹄ を理 解 して きた か

︒居 士と して の 仏教 理 解と いう 視 點で は︑ 貴重 な 資料 と なり 得よ う

︒さ らに は︑

﹃大 般 涅 槃經

﹄の

﹁南 本

﹂と

﹁北 本﹂ のテ キ スト の違 いを 研究 す る上 でも

︑新 しい 素材 と なり 得よ う︒ これ ら のた めの 基 礎的 資料 の提 供 とい う意 味で

︑本 論 文の 發表 をし た︒ 前 記で 檢 討し た よう に︑

﹃ 注涅 槃經

﹄は

︑開 元 中

に成 立 し︑ 少 な くと も 七五 三 年ま でに は

﹃註 維 摩經

﹄と 共に 日 本に 請來 さ れた ので は ない かと 思 われ る︒ そし て︑ 恐ら く 道慈 ま たは 玄昉 に よっ て請 來 さ れた ので はな い かと 推測 でき る︒ た だ︑ 實證 する には

︑ さら なる 研究 を要 す る︒ ま た︑ 今回 の 調査 によ り︑ 一縣 令 であ った 韋諗 には

︑﹃ 注涅 槃經

﹄ のほ かに

︑﹃ 註維 摩經

﹄及 び﹃ 金 剛般 若註

﹄ など の重 要な 經 典に つい ても 注釋 書 があ った こと がわ か った

︒そ の﹃ 註維 摩 經﹄ が︑ 日本 では 他の 著 名な

﹃維 摩

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