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Corporation of National University and Moral (3) Kiso K

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Academic year: 2021

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(1)

はじめに

 前々稿「大学法人化とモラル−コンテクストの変容− その1 予備的考察」1)において,「大学 法人化」が,単に大学という組織のあり方に関わることではなく,大学の活動を取り巻く状況の変 化を伴い,それは大学の活動を論じる際のコンテクストを変えることを要請していることを確認し て,モラルという視点から「大学法人化」を論じるということは,人的組織としての大学の現在の あり方の様々な側面を浮かび上がらせることを指摘した。

 前稿「大学法人化とモラル−コンテクストの変容− その2 自律的自由と中期目標・中期計画 システム あるいは目的合理性をこえて」2)では,「大学法人化」とともに導入された「中期目標・

中期計画システム」が前提としている,あるいは我々をそこに引き込む大学の「自由」な活動像を 検討した。以降,筆者が勤務する茨城大学を念頭におきながら,この状況の変化,コンテクストの 変容のプロセスに寄り添いながら,そこで生じている問題を倫理学的に考察していくことにする。

 前稿でも,組織としての大学にかかわる評価の問題を論じたが3),本稿では,組織の構成員たる教 員についての評価の問題を論じる。茨城大学においては平成

18

年度の業務に関して教員業務評価 が試行された。この教員業務評価は明らかに様々な問題点を抱えている。しかし,それらの問題点 の存在は,単にその制度設計が適切でないことを示しているだけではない。それらの問題点の背後 には,法人化された国立大学が抱えている様々なジレンマが透けて見える。

 以下,試行された教員業務評価の問題点を列挙し,その背後にあるジレンマを取り出し,最後に それらのジレンマにどう対処すべきかを考える4)

大学法人化とモラル−コンテクストの変容− その3 評価のジレンマ

木村 競

*

(20071130日 受理)

Corporation of National University and Moral (3)

Kiso K

IMURA

* (Received November 30, 2007)

茨城大学教育学部倫理学研究室(〒310-8512 水戸市文京2-1-1 Laboratory of Ethics, College of Education, Ibaraki University,

Mito 310-8512 Japan)

*

(2)

1 「理念」の非在

 教員業務評価の目的が「教員の業務活動の改善」ということであるなら,「業務がよい状態にある」

とはどのような状態なのか,すなわち「業務の理念」を示すことが不可欠である。しかし,それは 不明確であった。いうまでもなく,これが最大の問題点である。多くの大学でも,一般的な大学の 設置目的や,教員の業務に関する個々の具体的な例示はあっても,評価の支えとなる包括的な「業 務の理念」は明確に示されていないと思われる5)

 なぜ明確に示せないのか。「業務の理念」の前提となる「大学の理念」が揺れているからであろう。

現時点での社会的ニーズを充たさなくては今の大学は存続できない。しかし,その現時点での社会 的ニーズに批判的なスタンスを取らずして大学として存在する意味はない。茨城大学のような地方 国立大学はこの二つの要請にさらされているが,同時に,茨城大学のような地方国立大学がこの二 つの要請にともに応えることは至難の業である。まさに,ジレンマである。

 各々の教員に対して,この二つの要請にともに応えることを求めるのか,あるいは例えば,どち らか一方でよいとするのか,そこの決断なくしては「業務の理念」を示すことはできないだろう。

2 成果の評価なのか,精勤度の評価なのか

 今回の教員業務評価においては,教員それぞれの自己評価は,自ら目標を設定し,それがどの程 度達成できたかという形でなされることになっている。ここには,もちろん,「業務の理念」なくし て自ら目標を設定することなどできないはずだという問題点が存在する。

 加えて問題なのは,目標が成果についての目標なのか,精勤度についての目標なのかが曖昧にさ れている点である。さらに,この形での評価に不可欠と思われる事前の目標設定を求めていない。

なぜ,このような形にせざるを得なかったのか。理由は以下にあると思われる。

 もし,成果についての目標を事前に設定してその達成度を評価することにしたとする。その場 合,個々の教員はこの目標をどのように設定するか。(大学としての「業務の理念」が非在であった としても)個々の教員は社会的ニーズを参照して設定せざるを得ないだろう。しかし,その目標を 実現しようとする過程でその当初の目標,すなわち社会的ニーズの問題性が明らかになることもあ る。先ほどの第二の要請からして大学の研究・教育とはかえってそのようなものであるべきだろう。

しかし,それではその当初の目標の達成度の評価は低くならざるを得ない。では逆に,精勤度につ いて事後的に評価すればよいとしてしまえばどうか。そうすれば,批判的思考をすることもプラス の評価の要素となるだろう。しかし,達成度ということは意味を失う。さらに,個々の教員が社会 的ニーズを参照する傾向が低下することを妨げる歯止めもなくなる。それでよければ法人化などは 起こらなかった。

 すなわち,達成度ということだけは残し,成果の評価なのか精勤度の評価なのかを曖昧にしてい る今回の教員業務評価の設定にも,1で述べたジレンマが色濃く影を落としているのである。

(3)

3 個人の業務の改善なのか,組織の業務の改善なのか

 今回の教員業務評価は教員の自己評価を機軸としている。評価者評価(学部長評価)もその自己 評価が適切であるかについての評価によって個々の教員の業務活動を評価することになっている。

これは,明らかに,社会的ニーズに批判的なスタンスをとるという第二の要請から来るものであろ う。批判的作業は個々の教員の活動の自由と多様性を保障することで初めて可能になるからであ る。すなわち,この教員業務評価も教員の自律的自由を認めることを前提としている。そして,こ の限りで,今回の教員業務評価は,まずは個人の業務の評価・改善に関わるものである。

 しかし,現時点で多くの国立大学が教員の業務評価制度を導入しようとしているのはなぜかと言 えば,法人化という外的な状況変化がそれを要請しているからである。すなわち,組織としての国 立大学が教育,研究,社会連携について十分な成果を挙げることが求められているからである。組 織としての成果はそのメンバーの成果の集積である。今回の教員業務評価では,個人の業務が改善 されればその総計としての組織の業務もまた改善されるはずだというロジックで,組織の業務の評 価・改善にも関わるものだという意味づけがされている。

 では,そのようにしてなされる組織の業務の改善は,現時点での社会的ニーズを充たすという第 一の要請に応えるものとなるのであろうか。各々の教員が設定する「目標」に第一の要請に応える 内容が含まれていれば,時間さえかければ,そのようになるだろう。評価者評価(学部長評価)に おいて,各々の教員の目標設定がそのようになるように評価すれば,それを早めることになるだろ う。だからこそ,目標設定と評価基準の指針となる,つまりそれらを第一の要請に応える方向にも 導く「業務の理念」の明確な提示が必要なのである。

 しかし,「業務の理念」の明確な提示があったとして,各々の教員が設定する「目標」に第一の要 請に応える内容が含まれているという保障はない。それを強制すれば,教員の自律的自由を否定す ることにもつながりかねない。これもまたジレンマといわざるを得ない。

4 評価なのか,アピールなのか

 このような教員評価システムを作ること自体が法人化という外的な状況変化が要請していること だということには,二つの要請が含まれている。

 第一に,制定される教員評価システムは教員の業務が第一の要請に応えているかということを中 心に制度設計されるべきであるということであり,第二に,その評価結果の公表(当然求められる)

において組織の業務が第一の要請に(一定程度)応えているということをアピールできることが望 ましい(もっとはっきり言えば,できないと困る)ということである。

 この外的要請のもとで,評価者評価(学部長評価)は,自己評価が適切であるかについての評価 にとどまることができるか。所属教員たちの業務が,第一の要請に照らして十分であるかをチェッ クし,それに応じて再評価するという,(明らかに今回の制度設計から逸脱した)作業をせずにはい られないのではないか?さらには,その再評価を結果の公表を意識しつつ行うという(評価という ことを無意味化するような)誘惑に勝てるか? まして,組織運営の最高責任者としての学長にお

(4)

いて。

 組織経営者としては当然かもしれない,この「逸脱」「誘惑」を防ぐ方法は,教員自身の「目標」

設定,教員の自己評価と評価者評価(学部長評価)の「評価基準」設定において,現時点での社会 的ニーズを充たすという第一の要請に応える内容が含まれるようにするしかない。しかし,それが ジレンマを含んでいることは,先に述べた通りである。

5 教育学部の状況 −教員の多くはジレンマを受け止めている

 教育学部においては,平成

18

10

月の評議会で今回の教員業務評価のシステムが決定されて以 来,それを試行することを前提に検討を重ねた。実施上の細かい点はさておき,やはり,教員自身 の「目標」設定,教員の自己評価と評価者評価(学部長評価)の「評価基準」設定の指針となる

「業務の理念」の提示が不可欠であるという結論に達し,平成

19

年3月の教授会で「茨城大学教育 学部の教員業務評価における「業務の目的」および「評価水準」」を決定した。

 このような提示が可能であったのは,教育学部が,時に「目的学部」といわれる性格をもってい ることもあるだろう。しかし,この「業務の目的」および「評価水準」は,教育,研究,社会連携 それぞれについて,これまで述べてきた大学に対する二つの要請に対応する内容を含んでいる。こ れを前提として,教育学部における教員業務評価が実施され,ほぼ全員の教員が「業務点検評価書」

を提出した。このことは,教授会決定と合わせ,二つの要請に対応する内容を含む教育学部の「業 務の目的」を,教育学部教員が受容したことを示していると言い得るだろう。

 より重要なのは,実際のところ,多くの教員が「研究」と「校務」の遂行に関してジレンマを感 じつつ,両方の業務を誠実に果たそうとしていることである。

 教育学部の場合,「教育」と「社会連携」においては二つの要請に対応する内容がともに含まれて いる場合が多い。「校務」には様々なものが含まれるが,昨今の業務の増加は第一の要請に応えるた めのものであろう。対して「研究」は比較的に第二の要請に応えるという性格が強い。したがって,

「研究」と「校務」の遂行に関してジレンマを感じつつ,両方の業務を誠実に果たそうとしている ということは,二つの要請間のジレンマを感じつつ,それをしっかりと受け止めていると解釈でき るのである。

6 ジレンマの存在を認めること

 これまで述べてきたように,どの角度から考えても,まずは「業務の理念」を明確に示すことが 決定的に重要である。

 明確な理念の提示のない評価が行なわれれば,個々の教員は,何を自己評価し,何が評価者評価 されるかに関して疑心暗鬼となり,結果として当たり障りのない「成果」をとにかく2年間で挙げ ることを目ざすようになるだろう。つまり,業務は萎縮する。それによって,教員の業務からは創 造性・独創性・多様性が失われることになり,長い目で見れば,成果も減少するだろう。社会に対

(5)

するアピールもできなくなるだろう。この評価の一つの目的は,各々の観点からしてもあまりに何 もしていない教員に注意を喚起し,その教員の業務を活発なものにさせることだろうが,理念の提 示のない評価では,そのような教員は抜け道探しにやっきになり,効果はあげられない。かえって,

積極的な教員のモチベーションを下げることになる。

 しかし,1で述べたように「業務の理念」を示すにはジレンマが存在する。

 ここで提言するのは,「ジレンマをみとめて,それをはっきり提示せよ」ということである。

 このジレンマを引き受けて4種の業務を行うことこそが,今,大学の教員に求められていること だということを宣言し,教員に要求してはどうか。それこそが真の明確な「業務の理念」の提示で はないか6

 その上で,個々の教員の自由な活動を推奨し,成果を顕彰し,業務遂行へのサポートを保障する。

そうやって始めて,個人の業務の改善が組織の業務の改善につながるであろう7)

1)『茨城大学教育学部紀要(人文・社会科学,芸術)』第

55

号,2006年,63-67頁.

2)『茨城大学教育学部紀要(人文・社会科学,芸術)』第

56

号,2007年,135-142頁.

3)前稿を執筆したのは

2006

11

月である。前稿は,「大学法人化」を推進する立場から説明する様々な文書 や会合での言明などを参考にして,「大学法人化」や中期目標・中期計画システムを正当なものとするためには,

このような考え方になるはずだ,このように考える必要があるはずだというロジックを,「自律的自由」とい うことを中心に取りだそうとしたものである。そこで「評価」について以下のように述べた。中期目標・中期 計画システムが自律的自由のシステムであるのは,それが十全に自己立法である限りにおいてであることを 考えるならば,「点検・評価」を行い,それに基づいて改善された計画の再作成を行うのは,自己立法すると ころのものでなければならない。改善された計画の再作成は新たな「立法」であり,それが十全に自己立法的 でなければ,自律的自由のシステムはその時点で崩壊するからである。かくして,中期目標・中期計画システ ムの「点検・評価」に関しては,「自己評価」の重要性が語られることになる,と。ここで,何について自己 評価するのかといえば,中期目標・中期計画システムが自律的自由のシステムである限り,自らについての自 己立法である中期目標・中期計画の達成度に関してのはずである。この点は,文部科学省が度々強調してきた 点である。

  ところが,2006

12

月にいたって,この「国立大学法人評価」の根幹に関して決定的な変更が生じた。自 己評価に「学部・研究科等の現況分析(教育の水準及び質の向上度,研究の水準及び質の向上度)」が加わっ たのである。この変更をプロ野球の選手の年俸更改にたとえれば,以下のような変更である。シーズンの初 めに,各選手に,それぞれの得意な分野に関して,ホームラン何本,盗塁何回という目標を立てさせ,その達 成度でシーズンオフに年俸更改をするとしておきながら,シーズンも終わりに近づいた時期に,打率をも全員 についての年俸更改の資料にすることにした,と。

  この変更が全く不当なことである理由は,評価される内容を評価対象の時期が経過した後に変更するとい う点だけでも十分である。それは全くもってモラルに反することと言わざるを得ない。しかし,それだけで はない。この変更は,法人化の根幹である国立大学法人の自律的自由を完全に否定するものに他ならない。

  国にとっての「大学法人化」の目的が国立大学の運営に必要な国家予算の削減であるということからいえば,

この変更は以下のように説明できる。すなわち,この目的に抗して予算を確保しようとすれば,文部科学省お よび国立大学協会は,その予算が有効に利用されて教育・研究の両面にわたって十分な成果を挙げているとい うことを示す必要がある,だから「教育の水準及び質の向上度,研究の水準及び質の向上度」を提示せよ,と いうことである。しかし,それは,自律的自由を機軸とした「大学法人化」や中期目標・中期計画システムの 正当化とは別のことであり,それとは別のこととして論じられるべきものであって,中期目標・中期計画シス

(6)

テムの内部に組み入れられるべきものではない。

  かくして,前稿で提示したロジックは破綻したと言わざるを得ない。では,我々は何を支えとして「大学法 人化」や中期目標・中期計画システムを受け入れることができるのであろうか。それについては,文部科学省 も上記の変更を受け入れた国立大学協会も何も語っていない。

4)無論,本稿の目的は,茨城大学の教員業務評価の制度を批判することにあるのではない。どの国立大学にお いても存在するであろうジレンマを提示することで,「大学法人化」によって各国立大学およびその教員がど のような状況に置かれているのかを示すことが本稿の目的である。

5)cf. 大川一毅,奥井正樹「国立大学法人における「教員個人評価」の導入・実施状況 −「教員個人評価実 施状況アンケート」をもとに−」『大学評価研究』(財)大学基準協会)第6号,2007年,51-58頁.

6)ちなみに,第二の要請について「真理探究の固有の価値」「学問の自由」「大学の自治」というような言葉 を使って語りたい向きもあろうが,私はこれも「社会的要請」に他ならないと考える。

7)評価というと,それをどう処遇と結びつけるのかということが議論となる。組織の一員として行う業務を 評価する以上,組織における処遇に反映させるのが自然である,という議論は成り立つ。しかし,ことはそう 簡単ではない。まず,いうまでもなく,処遇には何が含まれるのか(給与,昇任,権限付与,研究費等)が明 確でないと,評価と処遇との関係を考えることは不可能である。そして,これもいうまでもなく,処遇に何が 含まれるのかを決めるのは,「業務の理念」である。したがって,教員業務評価のシステムを処遇とどう結び つけるのかという議論もまた,明確な「業務の理念」の提示をまって行われるべきなのである。また,処遇を インセンティブとすることで,はたして教員の業務が活性化するか(結果として組織としての成果が拡大する か)ということは自明ではない。この点の慎重な検討なくしては,処遇をインセンティブとすることが,か えって組織としての成果を縮小させる危険性もあると言わざるを得ない。

参照

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