ズボンと行縢
著者 柳生 俊樹
雑誌名 金大考古
巻 34
ページ 5‑8
発行年 2000‑12‑22
URL http://hdl.handle.net/2297/2841
は 細 か く 、 灰 白 色 、 素 地 上 に 直 接 施 釉 。 こ の 時 期 の 青 磁 の 釉 薬 、 素 地 、 そ し て 装 飾 技 術 は 最 高 水 準 に 到 達 す る 。 ス コ タ イ 陶 磁 器 は 釉 下 黒彩陶磁器の生産を継続するが、その意匠は1 5世紀前葉の草花文と異なり、魚文が多用され る 。 上 記 の 特 徴 を 有 す る 陶 磁 器 は 、 東 南 ア ジ ア 各 遺 跡 か ら 多 量 に 出 土 す る 。 こ こ か ら 、 タ イ 陶 磁 器 の 本 格 的 輸 出 は 、 15世 紀 中 葉 以 降 で あ る と 推 定 で き る 。 ま た 、 コ ン テ ナ 陶 磁 器 と し て 18世 紀 ま で 大 量 生 産 さ れ た ノ イ 川 窯 黒 褐 釉 四 耳 壷 が こ の 時 期 に 出 現 す る こ と も 注 目 す べ き で あ る 。 こ の 時 期 の 日 本 に は 、 特 に 沖 縄 からまとまってタイ陶磁器が出土している 首
(
里城・勝連城 。)
16世 紀 前 葉 (ク ラ ン ア オ 沈 船 )、 シ ー サ ッ チ ャ ナ ラ イ 陶 磁 器 で は 青 磁 が 主 要 を 占 め る が 、 その品質や装飾は15世紀中葉に比べ低下する。
近 年 発 表 さ れ た フ ィ リ ピ ン 、 レ ナ 沈 船 か ら 、 シ ー サ ッ チ ャ ナ ラ イ 青 磁 の 品 質 は 15世 紀 末 に は 既 に 低 下 し て い た 。 シ ー サ ッ チ ャ ナ ラ イ 青 磁 の 他 、 白 濁 釉 陶 磁 器 も み ら れ る 。 ノ イ 川 窯 で は 黒 褐 釉 四 耳 壷 以 外 に も 多 種 多 様 な 器 種 の 黒 褐 釉 ・ 無 釉 陶 磁 器 が 生 産 さ れ る 。 そ の 主 要 は壷・鉢・瓶類であり碗皿類は極僅かである。
16世 紀 後 葉 (シ ー チ ャ ン 島 沖 沈 船 1・ リ ン 島 沖沈船・クラダット島沖沈船 の資料について
)
は 、 極 一 部 の 資 料 を 実 見 し た に す ぎ な い が 、 芸 術 局 作 成 の 実 測 図 を 水 中 考 古 学 局 に お い て 複 写 す る こ と が で き た 。 現 在 資 料 整 理 中 で あ るが、シーサッチャナライ陶磁器には青磁(16
世紀前葉と変化無し に加え、釉下黒彩陶磁器)
が 確 認 で き る 。 こ の 陶 磁 器 は 、 い わ ゆ る 宋 胡 録 と し て 日 本 で 珍 重 さ れ た 類 で あ り 、 合 子 や 小 瓶 な ど が 確 認 で き る 。 ノ イ 川 黒 褐 釉 四 耳 壷 に は 、 こ れ ま で の 短 い 頸 部 を 有 す る 系 統 に 加 え 、 頸 部 を 有 さ な い 肩 部 に 白 泥 を か け る 新 た な 系 統 が 加 わ る 。 こ の 類 が 堺 ・ 長 崎 ・ 博 多 な ど で 多 量 に 出 土 す る 四 耳 壷 で あ る 。 頸 部 を 有 す る 系 統 は 16世 紀 末 に 姿 を 消 す が 、 頸 部 を 持 たない新たな系統は、18世紀前半 インドネシ(
ア・リズダム沈船 まで継続する。シーサッチ)
ャ ナ ラ イ 陶 磁 器 が 見 ら れ る の も 16世 紀 末 ま で である。5.今後の課題
今年の夏季調査以降、更に新たに2隻の沈没 船積載陶磁器のカタログが刊行されている。1 隻 は 、 ベ ト ナ ム 中 部 ホ イ ア ン 沖 合 の ク ー ラ オ チャム沈船(15世紀後半)であり、もう1隻はフ ィリピンで発見されたレナ沈船(15世紀末〜16
世紀初)である。このような新たな資料の追加 と 共 に 、 今 回 調 査 を 果 た す こ と の で き な か っ た 国 立 博 物 館 所 蔵 資 料 の 追 加 調 査 を 行 い 、 四 半 世 紀 単 位 で 輸 出 タ イ 陶 磁 器 の 編 年 案 を 作 成 したい。
一 方 で 、 沈 船 積 載 陶 磁 器 は 、 当 時 の 物 資 の 海 上 運 搬 方 法 を 表 す 重 要 な 資 料 で も あ る 。 陶 磁 器 は 、 製 品 と し て 取 り 引 き さ れ た 陶 磁 器 だ け で は な く 、 物 資 を 船 に 積 載 す る 際 に コ ン テ ナ と し て 機 能 し た 側 面 も あ る 。 特 に タ イ 陶 磁 器 に は 、 ノ イ 川 窯 黒 褐 釉 四 耳 壷 に み ら れ る コ ンテナ機能が重視されるべきである。今後は、
製 品 と し て の 陶 磁 器 研 究 に 加 え 、 コ ン テ ナ 陶 磁 器 の 視 点 に 立 ち 海 上 運 搬 と 陶 磁 器 の 関 わ り に も 注 目 し た い 。 そ の 際 、 沈 船 積 載 陶 磁 器 は 新たな姿を示すと考えている。
参考文献
野上建紀、向井亙 2000「東南アジア周辺の沈船遺跡―南 シナ海・タイ湾を中心に― 『日本貿易陶磁研究会 第21回」 研究集会資料集「陶磁器研究の現状と年代観」―近年の東 アジア出土の一括資料を中心に―』東京
研究ノート
ズボンと行縢
( )
柳生 俊樹 大学院文学研究科
最 近 、 絵 画 や 彫 刻 に 表 さ れ た 人 物 像 の 下 半 身 が 気 に な る 。 男 性 像 ・ 女 性 像 を 問 わ な い 。 何を履いているのか。ズボンか、スカートか。
あ る い は 何 も 履 い て い な い の か 。 別 に 、 妙 な 趣 味 が あ る わ け で は な い 。 騎 馬 文 化 と 関 連 し た「ズボン」の歴史に興味を持っているので、
図 像 を 観 察 す る 際 、 ま ず 下 半 身 に 目 が い っ て しまうのである。
現在の研究テーマについて
一 体 、 い つ 、 ど こ で 、 誰 が 、 ズ ボ ン と い う も の を 発 明 し た の か 。 た し か な こ と は 何 も わ か っ て い な い 。 服 飾 史 の 概 説 書 は 、 大 抵 の 場 合 、 中 央 ユ ー ラ シ ア 草 原 の 騎 馬 遊 牧 民 と 関 連 づ け て 説 明 し て い る 。 ズ ボ ン が 乗 馬 服 と し て 用いられることが多いからだ 「発明」はとも。 か く と し て 、 ズ ボ ン の 普 及 に は 、 前 一 千 年 紀 前 半 以 降 の 騎 馬 遊 牧 民 が 大 き く 関 わ っ て い る ことだけは間違いないようである。
そ う し た 、 ズ ボ ン の 始 ま り か ら 各 地 へ の 伝 播 、 そ し て 現 在 に 至 る ま で の 用 途 ・ 形 態 を 含 めた変遷は、古今東西の様々な文化に関係し、
文化交流史的に興味深い。しかし 「ズボン」、
を 専 門 に 扱 っ た 研 究 は 意 外 に 少 な い よ う で あ る 。 そ こ で 、 修 士 論 文 に ど の よ う に 反 映 さ せ るかは別として 「ズボンの発生と展開」とい、 う 核 テ ー マ を 設 定 し た 。 当 面 は 、 ユ ー ラ シ ア 各 地 の 絵 画 ・ 彫 刻 ・ 工 芸 品 の 図 像 に 表 現 さ れ た ズ ボ ン の 例 を 、 そ の 他 の 衣 服 も 含 め 、 幅 広 く 収 集 す る こ と に 努 め て い る 。 中 で も 、 最 も 力点を置いているのは、1)中央ユーラシア草 原の騎馬遊牧民、2)新アッシリア時代以降の 西 ア ジ ア の 諸 民 族 、 の 衣 服 に 関 す る 資 料 で あ る 。 現 時 点 で は 、 集 め た 資 料 も 少 な い し 、 文 献 の 渉 猟 も 不 十 分 で あ る 。 た だ 、 資 料 収 集 を 進 め る う ち に 、 非 常 に 興 味 を 引 か れ た 点 が あ る 。 以 下 、 そ れ を 簡 単 に ま と め て 、 中 間 報 告 としたい。
彼はズボンを履いていない?
も と も と 、 西 ア ジ ア で は 、 ズ ボ ン は 用 い ら れ な か っ た 。 ズ ボ ン を 含 め た 乗 馬 用 衣 装 が 広 く 普 及 す る の は 、 ア ル サ ケ ス 朝 パ ル テ ィ ア 時
、 。
代 前3〜後3世紀
( )
それも前 世紀以降である1
ま た 、 こ の 時 期 の 装 備 を 特 徴 づ け る も の と し て 「行縢」がある(、Widengren 1957:241-2
)。 行 縢 ( む か ば き ) は 、 騎 行 中 に 脚 を 保 護 す る も の で 、 ズ ボ ン と 組 み あ わ せ て 用 い ら れ る 。 私 は 、 こ の 「 組 合 せ 」 が 、 西 ア ジ ア に お け る「 ズ ボ ン の 展 開 」 を 考 え る 上 で 非 常 に 重 要 な 意味を持つ、と考えている。
図1は、イラン南西部、シャーミーの神殿跡 出土の青銅製王侯像である。1934年、
A.
スタ イ ン に よ っ て 発 掘 さ れ た 。 こ の 立 像 は 等 身 大 で 、 パ ル テ ィ ア 人 、 あ る い は 土 着 の エ リ マ イ ド 人 の 王 侯 の 姿 を 表 し て い る 。 製 作 年 代 に つ い て は 、 ヘ ア ・ ス タ イ ル や 首 飾 り 、 デ ィ ア デ ム(鉢巻き)の形式が根拠となる。それらを、貨幣に表された図像と比較することによって、
前 世 紀 半 ば か ら 後 世 紀 の 初 め 頃 ( パ ル テ ィ
1 1 Curtis
ア時代)という年代が与えられている(。
1993:65)
さ て 、 下 半 身 に 目 を 移 し て み よ う 。 最 初 、 ゆ っ た り と し た ズ ボ ン を 履 い て い る 、 と 思 っ たが、それは間違いであった。太ももの上 の部分に開口部があるので(図
1)、
「ゆったり と し た ズ ボ ン 」 に 見 え た も の は 、 実 は 行 縢 の よ う だ 。 先 述 の よ う に 、 行 縢 の 装 着 は 、 パ ル テ ィ ア 時 代 の 流 行 で あ る 。 ズ ボ ン の 上 に 行 縢 を 付 け る こ と が 、 各 地 で 行 わ れ て い た 。 シ リ ア の パ ル ミ ラ 遺 跡 の 墓 の 内 部 を 飾 っ て い た 彫 刻 ( 後 1〜 3世 紀 ) の 中 に も 、 し ば し ば 見 る こ と が で き る ( 図 2 。 な る ほ ど 、 こ の 王 侯 像 の)下半身にも 「ズボンと行縢を組合せる」とい、 う パ ル テ ィ ア 時 代 の 特 徴 が よ く 表 れ て い る 、 と解釈できる。
図1 シャーミー出土王侯像(全身)
図2 パルミラ出土彫像(後2世紀)
ところが、この王侯像の作品解説(深井197 6)は、衝撃的な内容だった。解説者は「・・
・ 短 い パ ン ツ の 上 に は 足 ま で 届 く 長 い 行 縢 を はき・・・ (深井1976:125)といっているの」 だ 。 た し か に 、 上 着 の 裾 に 沿 っ て 、 線 が 入 っ ている(図
1)
。私は、その線は、ズボンの「ヒ ダ 」 の 表 現 だ と 思 っ て い た 。 し か し 、 解 説 者 は 、 こ れ を 「 短 い パ ン ツ 」 の 端 部 と 解 釈 し て いるのである。私 に は 、 こ の 作 品 解 説 は 、 ど う し て も 腑 に 落 ち な い も の が あ っ た 。 特 に 、 ズ ボ ン を 履 い て い な い と い う 点 に は 、 ど う し て も 引 っ か か る 。 し か も 、 ズ ボ ン の か わ り に 履 い て い る も のが 「短いパンツ」であるという。本当に、、 こ れ は パ ン ツ な の だ ろ う か 。 ち ょ っ と 信 じ ら れ な い 。 と い う の は 、 側 面 を 見 る と 、 問 題 の 線 は か な り の 急 角 度 で 上 に 向 か っ て い る ( 図 3 。もし 「短いパンツ」の端部であるとすれ) 、 ば 、 尻 が 丸 出 し に な っ て し ま う で は な い か 。 そ れ で は 、 あ ま り に 格 好 が 悪 す ぎ る 。 パ ン ツ と し て の 用 を な し て い な い の で あ る 。 こ の 解 説 は お か し い 。 や は り 、 こ の 線 は ズ ボ ン の ヒ ダを表しているのではないか。
た だ 、 側 面 を 、 も う 少 し 詳 し く 観 察 し て み る と 、 問 題 の 線 の 途 中 か ら 、 急 角 度 で 下 が る 別 の 線 の 存 在 が 確 認 さ れ た ( 図 3 。 こ れ も パ) ン ツ の 一 部 だ と す れ ば 、 少 な く と も 、 尻 の 丸 出しはなさそうである。たとえ「短いパンツ」
で あ っ て も 、 特 に 問 題 は な い 。 ち ゃ ん と パ ン ツ と し て の 用 も な し て い る 。 ど う や ら 、 私 の 観
。 察不足のようだ 図 像 の 素 直 な 観 察 か ら は 、 こ れ を パ ン ツ と 認 め ざ る を 得 な い 。 し か し 、 そ れ で も 、 ど う し て も
。 納得がいかない
「 短 い パ ン ツ 」 を 履 い て い る の だ と す れ ば 、 行 縢 を 「 素 肌 に 直 接 付 け て い る 」 と い う こ と に な る 。 こ の よ う な やり方は、他に
。
図3 シャーミー出土王侯像 側面( )類例がないのだ
なぜ、こんなことをしているのだろう。図2の ように 「ズボンを履いて、その上に行縢を付、 け る 」 と い う の が 普 通 で は な い の か 。 ズ ボ ン を 履 か ず に 、 行 縢 だ け を 付 け る と い う の は 、 や は り お か し い の で は な い か 。 あ る い は 、 実 際 に は ズ ボ ン を 履 い て い た が 、 像 の 製 作 者 が 誤って表現してしまったのだろうか。
し か し 、 資 料 の 収 集 を し て い く 中 で 、 考 え も 変 わ っ て き た 。 行 縢 に 関 し て は 、 こ の よ う に 素 肌 の 上 に 直 接 装 着 す る こ と が 、 本 来 の 方 法 だ っ た の で は な い か 、 と 考 え る よ う に な っ た 。 と い う の は 、 行 縢 は 、 脚 を 保 護 す る た め に 付 け る も の で あ る 。 ズ ボ ン を 履 い て い る の に 、 そ の 上 に 、 わ ざ わ ざ 行 縢 を 付 け る 必 要 が あ る だ ろ う か 。 ズ ボ ン を 履 い て い れ ば 、 脚 は 十 分 に 保 護 さ れ る だ ろ う 。 実 際 、 草 原 の 遊 牧 民であるスキタイの騎馬人物像(前4世紀)を 見 て も 、 行 縢 は 付 け て い な い 。 ズ ボ ン の み で あ る 。 当 の パ ル ミ ラ の 彫 像 に し て も 、 ズ ボ ン の み の 例 も 多 い 。 む し ろ 、 ズ ボ ン の 上 か ら 行 縢 を 付 け る こ と の ほ う が 異 例 な の か も し れ な い 。 そ う だ と す れ ば 、 本 来 の 行 縢 と は 、 ズ ボ ン と 組 み 合 わ せ る も の で は な く て 、 単 体 で 着 用 す る も の だ っ た の で は な い か 。 シ ャ ー ミ ー 出 土 の 王 侯 像 は 、 そ の こ と を 示 す 格 好 の 資 料 かもしれない。
や は り 、 彼 は ズ ボ ン を 履 い て い な か っ た 。 行縢だけを付けていたのである。
「組合せ」のはじまり
、「 」 。
ここで 本来の行縢 の起源が問題になる
それについて、私は、次のように考えている。
西 ア ジ ア の 行 縢 は 、 中 央 ユ ー ラ シ ア か ら 騎 馬 遊 牧 民 に よ っ て ズ ボ ン と と も に 持 ち 込 ま れ た の で は な い 。 西 ア ジ ア で 、 独 自 に 開 発 さ れ た 可 能 性 も あ る 、 と ( 註 1 。 残 念 な が ら 、 そ れ) に つ い て 明 確 な 根 拠 が あ る わ け で は な い 。 し かし、非常に示唆的な資料がある。あるいは、
後 の 行 縢 の 祖 型 か と も 思 え る 資 料 で あ る 。 そ れ は 、 ア ッ シ リ ア 人 た ち の 脚 の 装 備 で あ る 。 ア ッ シ リ ア 人 の 、 特 に 騎 兵 た ち の 下 半 身 を 見 て み よ う 。 彼 ら は ズ ボ ン を 履 い て い な い 。 タ イ ツ の よ う な も の を 付 け 、 膝 ま で 届 く 長 い ブ ー ツ を 履 い て い る ( 図 4 。 こ の 「 タ イ ツ 」)
、 、 、「 」
は 膝上までのもので あるいは ゲートル
と し た ほ う が 正 確 な の か も し れ な い 。 ア ッ シ リア人たちは 「タイツ」または「ゲートル」、 と 長 い ブ ー ツ に よ っ て 、 脚 を 保 護 し て い た の で あ る 。 乗 馬 用 の 装 備 は 、 決 し て ズ ボ ン だ け ではない。
図4 アッシリア宮殿浮彫
ア ッ シ リ ア の 騎 馬 文 化 は 、 ア ッ シ リ ア 人 自 身 が 、 時 間 を か け て 独 自 に 発 達 さ せ た も の で あ る ( 註 2 。 宮殿 を 飾 る 浮 彫 ( 前 9〜 7世 紀 )) の 図 像 に は 、 そ の 試 行 錯 誤 の 様 子 が よ く 見 て とれる(川又1994:163‑6 。もちろん、西アジ) ア 外 、 つ ま り 中 央 ユ ー ラ シ ア 方 面 か ら の 影 響 も 皆 無 と は い え ま い 。 し か し 、 騎 馬 文 化 に 関 し て 、 独 自 の 流 れ を 作 っ て い る こ と は た し か だ。そうしたことを考慮して、 アッシリアの
「 タ イ ツ 」 ま た は 「 ゲ ー ト ル 」 が 、 後 に 「 行 縢 」 へ と 発 展 し て い っ た の で は な い か 、 と 想 像しているのである。
ズボンと行縢は、別々に生まれた。そして、
そ れ ぞ れ の 使 用 者 同 士 の 交 流 に よ っ て 、 後 の 時 代 に 一 緒 に な っ た 。 つ ま り 、 中 央 ユ ー ラ シ ア草原から伝播した「ズボン」と、おそらく、
西 ア ジ ア の ど こ か で 生 ま れ た 「 行 縢 」 が 、 何 ら か の 理 由 で 、 パ ル テ ィ ア 時 代 以 降 、 セ ッ ト と し て 用 い ら れ る よ う に な っ た の で は な い か
これが、現時点での見通しである。
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こ の 見 通 し が 正 し い と い う 自 信 は な い 。 た だ 、 乗 馬 用 の 装 備 に も 複 数 の 系 統 が あ る と い う 点 は 間 違 っ て い な い と 思 う 。 騎 馬 文 化 は 、 と き に は 安 易 に 草 原 の 騎 馬 遊 牧 民 と 結 び つ け ら れ が ち で あ る 。 し か し 、 鐙 の よ う に 、 定 住 民 に よ っ て 発 明 さ れ て 、 逆 に 騎 馬 遊 牧 民 に 採 用された例もある(樋口1983 。西アジアにお) け る 乗 馬 服 の 普 及 に 関 し て も 、 た し か に 中 央 ユ ー ラ シ ア 草 原 と の 関 わ り は 重 要 で あ る が 、 それを過大に評価するのも問題であろう。 両 者の相互関係を考慮に入れる必要がある。 そ れ を 念 頭 に 、 今 後 も 下 半 身 を 観 察 し 続 け て い
。 、 、
くつもりである また 図像資料だけでなく
文 献 史 料 や 民 族 誌 に も 目 を 向 け な が ら 、 研 究 を深化させていきたい。
註
1)H.セイリクも、行縢(jambi reè )は、本来は乗馬用では なく、ヤブなどから脚を保護するためのものではない
Seyrig かと推測し、西アジア起源をほのめかしている(
。 1937:13)
2) 騎馬が、草原地帯で始 まって、そこから完成した形で 伝播した、とは簡単には決められない。むしろ 「定住、 農耕地帯 」での騎馬(特に軍事利用に関して)が早い とする考 え方もある。ただし、馬の家畜化自体は、草 原地帯( ウクライナ周辺が最有力候補地)で行われた
(川又1994)。
参考文献
Curtis, V. S. 1993 A Parthian Sutatuette from Susa and the Bronze Statue from Shami,Iran31:63-69
Athar-e Iran Godard, A. 1937 Les statues parthe de Shami,
2:285-305
Syria Seyrig, H. 1937 Armes et costume iraniens de Palmyre, 18:4-31
Widengren, G. 1956 Some Remarks on Riding Costume and Studia Articles of Dress among Iranian People in Antiquity,
11:228-276 Ethnographica Upsaliensia
川又正智 1994『ウマ駆ける古代アジア』講談社選書メチ エ
樋口隆康 1983「鐙の発生 『展望アジアの考古学』新潮社」 深井晋司 1976『世界彫刻美術全集2 オリエント』小学館
研究ノート
「湖北地域における集落立地の変遷」
( )
酒井 康介 大学院文学研究科 1.はじめに
近江盆地を湖北地域など7つの小地域に区分 し て 集 落 立 地 の 変 遷 を 比 較 し た 場 合 、 弥 生 時 代 Ⅰ 期 〜 Ⅱ 期 ・ 弥 生 時 代 Ⅳ 期 ま た は Ⅴ 期 ・ 古 墳時代後期という3つの時期に、大きな画期を 見 い だ す こ と が で き る 。 ま た 、 愛 知 川 以 南 の 地 域 で は 、 弥 生 時 代 Ⅳ 期 に 見 ら れ る 画 期 が 、 そ れ 以 北 で は Ⅴ 期 に ま で ず れ 込 む と い う 状 況 も見られた。
し か し 、 各 地 域 内 に お い て も 、 あ る 程 度 の 格 差 が 存 在 す る も の と 思 わ れ る 。 そ こ で 本 稿 では、湖北地域を河川流域を基本とした3地域 (図1)に細分して比較を行い、同地域内におけ る 集 落 立 地 の 変 遷 を 考 え た い 。 山 東 町 ・ 伊 吹 町の4遺跡は、いずれの地域の遺跡群からも距 離があるため今回の分析では扱わない。