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松東正宮

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本書は群書類従本﹁東関紀行﹂を底本とし︑宮内庁書陵部蔵﹁鴨長明海道記﹂など五本を対校本として︑

ものである︒本文篇の作成については大凡次のような規準に従った︒

本文の異同を示し

かの

本   文 文は︑続群書類従完成会発行︑﹁群書類従・第十八輯﹂︵昭和三年四月二十五日発行︑昭和三十四年十二月二十日訂正三版発行︶

 ﹁群書類従 第三百三十一︑紀行部五 東関紀行﹂の本文に従った︒本文は底本のままを掲げることを主眼とし︑漢字︑仮各づ

 ︑清濁など底本のまま示すことを原則とした︒ただし大方の使用の便を考慮して︑次のような操作を行なった︒

1 読みやすいように適当な箇所での改行を設けた︒

2 底本は句点︑読点を区別せず︑すべて︒点を施してあるが︑本文には句点︑読点を区別して施した︒

3 底本には読みがなは全く施されていないが︑必要と思うものにだけ︑歴史的仮名つかいによって︑読みがなを付した︒

4 底本にある﹁イ﹂と傍書した異文の書き入れや︑勘物のたぐいはすべて割愛して示さなかった︒

5 清濁なども底本のまま示すことを原則としたため︑本文中の和歌には︑底本どおり濁音の表記は施さなかった︒猶︑清濁に

関しては︑﹁よぐる﹂を﹁よくる﹂︵13④︶﹁なんと﹂を﹁なんど﹂︵16②︶︑﹁ずば﹂を﹁ずは﹂︵17⑦︶﹁つきて﹂を﹁つぎて﹂

 ︵26⑬︶﹁かsやき﹂を﹁か貸やき﹂︵31⑤︶になど︑編者の考えによって清濁をかえた箇所がある︒

二︑対 校 本

資料として用いた諸本は次の五本で︑

(4) (3) (2) (1)

松東正宮

  それぞれ上記の略号を用いた︒

内庁書陵部蔵﹁鴨長明海道記﹂

鴨長明道の記﹂

合図書館蔵﹁東関紀行﹂

島原侯松平文庫蔵﹁鴨長明海東記﹂

(4)

収本﹁凍関紀行﹂

三︑本文校合の規準は大凡次のとおりとした︒

 1 漢字と仮名︑仮名つかい︑送り仮名等の異同は原則として示さない︒

2 漢字に読仮名を施したものは︑原則として示さないことにした︒ただし読仮名により音訓の異同を示しうるものは︑これを

  掲げた︒

3 校異の表示は次のようにした︒

  θ 校合箇所は︑底本文下の行数をまず示し︑その底本文をゴシツク体で引用し︑その下にーを引き︑異同本文を記し︑その

  下の︵ ︶内に︑校異本名を略号で示した︒諸本の配列は二の掲載番号順とした︒また校異本文は︵︶内の校異本の最初        やうやく  に記した本の表記に従った︑例えば  一頁一行の﹁漸﹂は本書では﹁やうやく﹂と読んだが︑書陵部本は﹁漸に﹂︑松平文庫本は﹁やうやくに﹂︑扶桑拾葉集本

      やうやく  は﹁漸に﹂とあり︑正保板本と東大本は﹁やうく﹂とあるが︑それを次のように示した︒

漸﹁漸に︵宮・松・扶︶ーやうー︵正・東︶

  なお︑底本の本文を対校本が有しないときは﹁ナシ﹂と記した︒

  回 校異底本文をひく際︑それが長文の場合は︑その最初と最後だけを記し︑中間は⁝⁝で示した︒例えば

  みかさも⁝⁝あへぬほど也ーみかさもほと也︵宮・正・東︶

   のようにした︒

四︑対校本略解

 1 宮内庁書陵部蔵 ﹁鴨長明海道記﹂

縦二十二・五糎︑横十九糎の三綴よりなる列帖装の写本で︑紺色の布ばりの峡に入っており︑それには

関紀行順誤翫翻醐貼鮪本 と記して左肩に貼付してある︒表紙は無地の鳥の子で左肩に︑表紙に直接﹁鴨長明海道記﹂と外題が記されていたと思われるが︑

部の表紙が破損して﹁ 明海道記﹂としかみえない︒表紙には﹁図書寮一五四︑五七〇﹂の函号番号などの紙が貼付

(5)

してある︒料紙は鳥の子で︑内題はなく︑墨付三十九丁︒但し三十八丁裏と三十九丁表には︑次の﹁吾妻鏡第十九云﹂以下﹁草も 木も⁝⁝﹂の和歌を記している︒今︑それを記すと   吾妻鏡第十九云

月廿三日僻鴨社﹂氏人菊大者長明入道難嚇依雅﹂経朝臣也挙此間下向奉謁﹂将軍家実朝及度之云ζ而﹂今日当幕

月﹂参彼法華堂念諦読経之﹂間懐旧之涙相催註一首歌於﹂堂柱

  草も木もなひきし秋の霜消て﹂むなしき苔をはらふ山かせ

 と三十九丁表二行まで書いてある︒巻末にはそのほか奥書その他伝来の事情を識したものはない︒巻頭に図書寮の印と﹁和学講

談所﹂の印が︑巻末に﹁闘額﹂の印がある︒

本文は漢字と平がなで一面に十行を書き︑和歌は二行に改行して書いている︒漢字には平がなで読みを示したものもある︒

 2 正保五年板本 ﹁鴨長明道の記﹂

縦二十六・五糎︑横十八糎の整版本である︒紺色の表紙の左肩に

鴨長明道の記 謀礪 全 と書かれた題籏がはられている︒内題はなく︑柱刻は﹁長明﹂とだけある︒二十七枚裏八行で本文が終り︑二十八枚の一行から

云﹂として︑前記書陵部の本と同じ鴨長明が建暦元年鎌倉へ下って実朝に拝謁したことを記した文を掲げている︒本

文の行数は十一行で︑漢字と平仮名を用い︑漢字には多く平がなで振仮名を施している︒序︑践などはなく︑巻末に

 正保五誠歳爽鐘中旬  飯田忠兵衛板行

ある︒

調 した本は東京大学総合図書館所蔵のものであるが︑この本は巻頭に﹁坂田文庫﹂﹁南葵文庫﹂の印があり︑巻末に南葵文庫の が︑明治三十六年十二月廿一日である旨が記されている︒又︑巻頭の部分に 群書⁝覧日此記のはじめに仁治三年八月十日とかけり長明の鎌倉下りは建暦元年にて仁治三年よりは三十二年まへなり巻末に

引て長明の歌をも載たれと正しく此記は源親行の東関記行なり見る人誤りて混することなかれ との書き入れがある︒

 3 東京大学総合図書館蔵 ﹁東関記行﹂

縦二十三・七糎︑横十七糎の袋綴の写本で︑黄色な表紙の左側に白の題籏がはられ︑それに

(6)

関記行  題長明道之記者誤也

というように外題が書かれ︑長明道之記という題は誤りである旨が記されている︒見返しに︑前記正保板本と同じ﹁群書︸覧に しめ⁝⁝混することなかれ﹂の書き入れがある︒本文は一面十行で和歌は二行に書いている︒墨付三十丁で本文は二十 行で終り︑あと二行は白とし︑三十丁表に前の二本と同じ︑﹁吾妻鑑十九云﹂以下の文を掲げている︒漢字︑平仮名書き 漢字にはところどころ振仮名をつけている︒巻頭に﹁南葵文庫﹂の印の外﹁木街狩野氏之文庫﹂などの印がおされている︒奥書

きその他識語などはない︒

 4 島原侯松平文庫蔵 ﹁鴨長明海東記﹂

縦二十七・四糎︑横二十・一糎の袋綴の写本で︑紺色の表紙の左肩に﹁鴨長明海東記﹂と記した題籏がはられていて︑内題はな

い︒本文庫蔵本は牡丹唐草雷文つなぎの文様をもつ表紙の本が多いが︑この海東記の表紙には︑そのような文様はない︒あるいは

けは後に手を加えたのかとも思われるが︑さだかではない︒料紙は薄様で︑遊紙は前後に各一枚あり︑墨付二十四丁︑一面 を書き和歌は改行して一行に書いている︒巻末に﹁尚舎源忠房﹂と﹁文庫﹂の印がおされている︒近世初期の写しで︑蔵書 聞えた島原侯松平忠房の所持本である︒奥書きなどはない︒現在は島原公民館に松平文庫本として所蔵されている︒

 5 扶桑拾葉集所収本﹁東関紀行﹂

拾葉集巻第十一所収の﹁東関紀行﹂である︒調査した松平文庫蔵本は写本で︑外題は紺表紙の中央に﹁扶桑拾葉集﹂という 籏があり︑内に﹁扶桑拾葉集 巻第十一﹂としるして目録を記し︑その二十四丁に﹁東関紀行  源親行﹂と内題と︑作者名と

して源親行をあげ︑以下五十二丁まで東関紀行を記している︒料紙は楮で︑一面十一行を書いている︒巻末の蔵書印はない︒

(7)

1 本文篇

   もべとし

とせー百年︵東︶

近づきてーちかつき︵東︶ やうやく

ー漸に︵宮・松・扶︶ーやうく︵正・東︶

ー首へは︵宮︶ーかうべ︵正・東・松︶

りと1似たりとも︵松︶

−金張︵松︶

ー柄︵松︶

もとむー望む︵松︶

⑥しかはあれどもーしかれば︵正・東︶

しばらく思ひやすらふー暫見休らふ︵宮︶1 しばらくみやすらふ︵正・東︶iはしく 思ひやすらふ︵扶︶⑦人並にー人並々︵宮・正・扶︶ー人なみく に︵東・松︶世にーナシ︵東︶

るーふり︵宮︶

⑧つらなれり1烈れり︵宮︶   あさいち朝市−朝市︵正・東︶ いはれなりー謂あり︵宮・松︶1謂なり︵扶︶

⊥二とせ︵松︶

まだー又︵宮︶

空ー浦︵松︶

もーなれは︵松︶

      よの かず  しばしばー暫︵宮︶ーしばらく︵正・東︶ ー浦︵松︶

十余の日数ー十余日数︵宮・松︶1十余日数

 ︵正・東︶

 心ー水︵宮︶ ⑭所々ー所に︵宮・正・東・松︶  いたるごとにーいたりことに︵扶︶  東︶ー数かさなる︵松︶  幽なる1潜かなる︵宮︶iひそかなる︵正・ 亭1野亨︵松︶  よはひ もも     なかば      びん   やうやく

 齢は百とせの半に近づきて︑髪の霜漸冷しといへども︑なすこと

   いたづらなくして徒にあかしくらすのみにあらず︒さしていつこに住はつべ

しともおもひさだめぬありさまなれば︑彼白楽天の身は浮雲に似た

 かしらり首は霜ににたりと書給へる︑あはれにおもひあはせらる︒もとよ

      たうせんごりうり金帳七葉のさかへをこのまず︑たぶ陶潜五柳のすみかをもとむ︒

しかはあれども︑みやまのおくの柴の庵までもしばらく思ひやすら

      なまじひ       すまひ

なれば︑怒に都のほとりに住居つs︑人並に世にふる道になん

      てうし

らなれり︒是即身は朝市にありて心は隠遁にあるいはれなり︒か

       ころsるほどに︑おもはぬ外に︑仁治三年の秋八月十日あまりの比︑都

   あづま      え

出て東へ赴く事あり︒まだしらぬ道の空︑山かさなり江かさなり

て︑はるρ\遠き旅なれども︑雲をしのぎ霧を分つs︑しばしば前

 きはまり途の極なきにすsむ︒終に十余の日数をへて鎌倉に下り着きし間︑

  さんくわんやてい      かすか   みぎり

は山館野亭の夜のとまり︑或は海辺水流の幽なる瑚にいたるごと

に︑目にたつ所々︑心とまるふしぐをかき置て︑わすれず忍ぶ人

10 5

(8)

2

坂の関ー相坂の里︵扶︶

わたるーわたす︵松︶

かなりー風しつかなり︵宮・正・東︶

−幽谷︵宮︶

 正・東・松︶ もひいでらるーおもひあはせらる︵宮・

びつ︑ーしゐつs︵宮・正・東・松・扶︶

 へに︵松︶  ますゆへに︵正・東︶ーおはしましけるゆ しけるゆへにー御座ゆへに︵宮︶iまし

宮河原ー四の宮︵正・東︶

とてー給て︵宮︶

1御寄に︵宮・正・東・松︶     ほとウ      あふさか  せき もあらばをのつから後のかたみにもなれとてなり︒

東山の辺なる住家を出て︑相坂の関うち過るほどに︑駒引わたる 月の比も漸近き空なれば︑秋ぎり立わたりて︑ふかき夜の月かげ

      ゆふつけどり      

うしなほざんげつ

なり︒木綿付鳥かすかにをとつれて︑遊子猶残月に行けん函

       せみまる

おもひいでらる︒むかし蝉丸といひける世捨人︑此関の辺

     とこ

わらやの床を結びて︑常は琵琶をひきて心をすまし︑大和歌を詠

      のべじておもひを述けり︒嵐のかぜはげしきをわびつsぞすぐしける︒

   いはくある人の云︑蝉丸は延喜第四の宮にておはしけるゆへに︑此関のあ

   しのみやがはら

りを四宮河原と名付たりといへり︒

しへのわらやの床のあたり迄

とむる相坂の関

 とうさんでうゐん     まうで

 東三条院石山に詣て還御ありけるに︑関の清水を過させ給ふとて

よませ給ひける御歌︑あまた\ひゆきあふ坂の関水にけふをかきり

しきときこゆるこそ︵いかなりける御心のうちにかと哀

10 5

(9)

8本文篇

関山をー関山こえ︵松︶

からずi見分す︵宮︶ー見わかず︵正・

 東︶ー見わかれす︵松︶ー見分られず︵扶︶

うつりーうつり︵宮・正・東︶

本のーナシ︵松︶

ふるきーふかき︵宮︶

うち渡すーうちす︵宮︶1うち渡る︵松︶

歌ーナシ︵宮・正・東︶ー司に︵松︶

くーはかなくて︵宮・正・東︶

⑭このほどをもー此ほとも︵正・東︶草の原−草の恵︵宮・正・東︶

そけれ︒

 せきやま

関山を過ぬれば︑打出の浜粟津の原なんどきけども︑いまだ夜の

       あうちなれば︑さだかにも見わからず︒昔天智天皇の御代︑大和国飛

鳥の岡本の宮より近江の志賀の郡に都うつりありて︑大津の宮をつ        こほり

くられけりときくにも︑此ほどはふるき皇居の跡ぞかしとおぼえて

あはれなり︒

さs波や大津の宮のあれしより

名のみ残れるしかのふる郷

 曙の空になりて︑せたの長橋うち渡すほどに︑湖はるかにあらは

     まんぜいしやみ

て︑かの満誓沙弥が比叡山にて此海を望つsよめりけん歌おもひ

出られて︑漕行舟のあとのしら波︑誠にはかなく心ぼそし︒

      こぎゆく

中を漕行舟によそへつS

なかめし跡を又そなかむる

       の ち

このほどをも行過て︑野路と云所にいたりぬ︒草の原露しげくし

5 10

(10)

4

①ところせしーと心細し︵宮・正・東・松︶

 ⑥ ひひ たと さつ ねに どな もり

ひひ

たと さつ ねな はり

  宮宮

正正 東東 松松

))

 ⑤  ④  ③ む見 里西 はか

艦芙▲晶鵠懐も≧

撰1墨

瀦童巷

言手㌫

鯉)

 ・東︶1足手をかへす︵松︶ あしでをかけるーあし手をかくる︵宮・正

⑩のみーナシ︵宮・正・東・松︶

くしてーおほくて︵松︶

 とおほゆれ︵扶︶  かぎらざりけめとおぽゆーかきらさりける ー瀬︵宮・正・東︶

もーゆく人の︵松︶

      おう

⑭な︑の翁ー奈良の翁︵宮︶1七翁︵正・東︶

て︑旅衣いつしか袖のしつくところせし︒

路の野ちの朝露けふやさは

   たもと      なるらん

sるはしめ成覧

 しの原と云所をみれば︑西東へ遙にながき堤あり︒北には里人住

      みぎは

しめ︑南には池のおもて遠く見えわたる︒むかひの汀︑みどり き松のむら立︑波の色もひとつになり︑南山の影をひたさねど

     くわうやうも青くして滉濃たり︒洲崎所々に入ちがひて︑あしかつみなどおひ

わたれる中に︑をしかものうちむれてとびちがふさま︑あしでをか

けるやうなり︒都をたつ旅人︑この宿にこそとまりけるが︑今はう

ちすぐるたぐひのみ多くして︑家居もまばらに成行など聞こそ︑か

りゆく世のならひ︑飛鳥の河の淵瀬にはかぎらざりけめとおぼゆ︒

   ゆくひと

もとまらぬ里となりしより

 荒のみまさるのちの篠原 鏡の宿にいたりぬれば︑昔なsの翁のよりあひつs︑老をいとひ

10 5

(11)

5 本文篇

中にーうちに︵正・東︶

しぬるとー老やしぬる︵宮・正・東・松︶

山の事ー此こと︵宮・正・東・松︶

らまほしく覚えけれどもーからまほしけ と︑も︵宮・正・東・松︶

なんー過けん︵松︶

⑦とこのー床のあたり︵宮・正・東・松︶

ー都を︵宮・正・東・松︶

哀なりー哀なるうちにも︵松︶ くやーかくやと︵松︶

⑩られてーられ︵松︶

よみける歌の中に︑鏡山いさたちよりてみてゆかむ年へぬる身は しぬるとといへるは︑此山の事にやとおぼえて︑宿もからまほ

しく覚えけれども︑猶おくざまにとふべき所ありてうち過ぬ︒

ちよらてけふは過なん鏡山  しらぬ翁のかけはみすとも

      いふ

ゆき暮ぬれば︑むさ寺と云山寺のあたりにとまりぬ︒まばらなる

とこの秋かぜ︑夜ふくるままに身にしみて︑都にはいつしか引かへ

       こゑ      ゐ

るこ\ちす︒枕にちかきかねの声︑暁の空にをとつれて︑かの遺

あいじ寺の辺の草の庵のねざめもかくや有けむと哀なり︒行末とをきた

空︑思ひつぶけられていといたう物がなし︒

出ていくかもあらぬこよひたに

しきわひぬ床の秋風

      もり

この宿をいでて笠原の野原うちとをるほどに︑おいその杜と云杉 らあり︒下くさふかき朝つゆの霜にかはらん行すゑも︑はかなく

5 10

(12)

6 ①遠からずーとをから︵東︶

 木の下︵松︶ 木のしたのー木枝︵宮︶ー木の枝︵正・東︶1 くらきーたかき︵正・東︶

 かくれて︵扶︶ ⑦秋風にかくてー岸風にかへて︵松︶ー秋風に 多くーナシ︵正・東︶ 往還ー往来︵松︶ ー余勢︵宮・正・東︶

ー道の辺の︵松︶

す︑まぬーやすらふ︵扶︶

  あらし

山風1嵐︵正・東︶

ー声︵松︶

る月日なれば遠からずおぼゆ︒

はらしな我もとゆひに置霜も

名にしおいその杜の下草

音にきsしさめが井を見れば︑陰くらき木のしたのいはねより流

      まこと出る清水︑余り涼しきまですみわたりて︑実に身にしむばかりなり︒

      わうくわん

熱いまだつきざる程なれば︑往還の旅人多く立よりてす黛みあへ

  はんせふよ  だんせつ      しばらくり︒斑捷好が団雪の扇︑秋風にかくて暫忘れぬれば︑すゑ遠き道な

も︑立さらん事はものうくて更にいそがれず︒かの西行が道の なかるs柳かけしはしとてこそたちとまりつれとよめるも︑

うの所にや︒

木陰の清水むすふとて しはしすsまぬ旅人そなき

しは原と云所をたちて美濃国関山にもか\りぬ︒谷川霧の底に

とつれ

音信︑山風松の梢に時雨わたりて︑日影もみえぬ木の下道あはれに

5

(13)

7本文篇

しー心ほそく︵松︶

 こえー或︵⁚松︶

のーナシ︵松︶

−板廊︵宮︶

るにもーみゆるも︵宮︶

ぐらしがたければーまさりかたけれは

宮︶ーまはりがたければ︵正・東︶

中中に1中々︵宮︶

⑥立出て1音出て︵宮︶

すみ渡れりーすみわたり︵宮・松︶ 月なみも−月なみに︵松︶ ーはれの空︵松︶

くーナシ︵宮・正・東・松︶

とSーいと︵松︶

⑩株瀬川ー株川︵宮・松︶幽吟を中秋ーゆうきんの中秋︵宮・正・東︶ ーゆうきんを申穐︵松︶    夜イ

ー三五︵扶︶

   ゑんせいぐーナシ︵松︶

−遠情︵正・東︶

をくるーをくるs︵宮︶ i前途︵松︶

書つくるーかきつけける︵宮︶        かやや  いたびさし

し︒こえはてぬれば不破の関屋なり︒萱屋の板庇年経にけり

とみゆるにも︑後京極摂政殿の荒にしのちはたs秋の風とよませ給

る歌おもひ出られて︑此うへは風情もめぐらしがたければ︑いや

       ここしきことの葉をのこさんも中中におぼえて︑麦をばむなしくうち過

ぬ︒

くゐぜ川と云所にとまりて︑夜更るほどに川端に立出てみれば︑

  もなか       てるつき

中の晴天清き河瀬にうつろひて︑照月なみも数みゆばかりす り︒二千里の外の古人の心遠く思ひやられて︑旅のおもひい

とぶをさへがたくおぼゆれば︑月のかげに筆を染つs︑花洛を出て

   くひぜがは  やど      いうぎん

日︑株瀬川に宿して一管︑しばく幽吟を中秋三五夜の月にいた

        ゑんじやうましめ︑かつぐ遠情を先途一千里の雲にをくるなど︑ある家の障

書つくるついでに︑

 しらさりき秋の半の今宵しも

sる旅ねの月をみんとは

10 5

(14)

8

      ひシき

ざくばかりに−響はかりに︵宮︶

   ゆきふ  ︵扶︶ あたりたるとそいふーあたりたるとも云

1往還︵正・東︶ー往来︵松︶

夕日のかげータ日かけ︵宮・正・東︶

 みだれたるーみたる〜︵宮︶  にしめゆふに彼ゆふして︵松︶  ︵宮・正・東︶ーあけの玉垣色をそへたる けの玉垣色をかへたるに木綿四手ーナシ

ぐらーナシ︵宮・正・東・松︶

鷺むらー鷺すら︵松︶

⑪きゐるーゐる︵東︶

くーとをし︵宮・正・東・松︶

声ごゑ1声︵宮・正・東・松︶

⑬はじめはーはしめて︵宮・正・東︶ーはじめ ︵松︶

 ︵宮︶ー是よりぞはじまれる︵正・東・松︶  是よりはじまりけりー是よりそはしまる ー大和寄︵宮︶

宿の前を過れば︑そこらの人あつまりて︑里もひ父く りにのsしりあへり︒けふは市の日になむあたりたるとそいふ

る︒往還のたぐひ手毎にむなしからぬ家つとも︑かのみてのみや らんとよめる花のかたみには︑やうかはりておぼゆ︒

花ならぬ色香もしらぬ市人の

徒ならてかへる家つと

国熱田の宮にいたりぬ︒神垣のあたりちかければ︑やがてま

りておがみ奉るに︑木立年ふりたる杜の木の間より夕日のかげた

      ゆ ふ し で

さし入て︑あけの玉垣色をかへたるに︑木綿四手風にみだれ ることがら︑物にふれて神さびたる中にも︑ねぐらあらそふ鷺む

        ごずゑらのかずもしらず梢にきゐるさま︑雪のつもれるやうに見えて︑遠

く白きものから︑暮行まsにしづまり行声ごゑも心すごく聞ゆ︒あ

る人のいはく︑此宮は素蓋烏尊なり︒はじめは出雲国に宮造ありけ

り︒八雲たつといへる大和言葉も是よりはじまりけり︒其後景行天

10 5

(15)

9本文篇

−瑚︵宮︶

く1又云︵正・東︶

は1本躰︵扶︶

しー申︵正・東︶

 ・東︶ 白鳥となりて去給ふ剣はーナシ︵宮・正

④ともいへりーとも突︵宮・正・東︶ーといへ

 り︵松︶   まさひら

ー正平︵正・東︶

りける1下りたりける︵正・東・松︶

⑥とげけるーとけたりける︵宮・正・東・松︶

   こくはん

   こきやうー吾願︵宮︶

ー故郷へ︵宮・正・東・松︶

出のーおもひ出も︵宮・正・東・松︶

 ⑫⑪すわた

うれ出Sたち

にる111た

心わち

殼菅にたて

宮・

正・正

正・

東・東

東・

松・松松)

 )

皇の御代にこの瑚に跡をたれ給へりといへり︒又いはく︑此宮の本

  くさなぎ  がう      えびす

と号し奉る神剣也︒景行の御子日本武尊と申︑夷をたいら

げて帰り給ふ時︑尊は白鳥となりて去給ふ︒劒は熱田にとまり給ふ

ともいへり︒一条院の御時大江匡衡といふ博士有けり︒長保のすゑ

あたりて当国の守にて下りけるに︑大般若を書て此宮にて供養を

とげける願文に︑吾願已にみちぬ︒任限又みちたり︒古郷にかへら

とする期いまだいくばくならずとかきたるこそ︑哀に心ぼそく聞

ゆれ︒

出のなくてや人のかへらまし  法の形見をたむけをかすは この宮をたち出︑浜路におもむくほど︑有明の月かげふけて︑友

なし千鳥ときぐをとつれわたれる︑旅の空のうれへ言ろ糎し

て︑哀かたぐふかし︒

日をへて遠くなるみかた

10 5

(16)

10

②こえ過るー過し︵宮・正・東︶  ︵松︶  なき︵宮・正・東︶ー塩干の道そすくなき そくるしきーしほてのみちそすく

③漸ー漸≧︵宮︶

わたれりーわたり︵宮︶

も1雲も︵宮・松︶

   みなもと よしまさ

 のよしたね︵松︶ ー源の義雅が︵正・東︶ーみなもと

く汐干の道そくるしき

夜のうちに二村山にかsりて︑山中などをこえ過るほどに︑

東漸しらみて海の面はるかにあらはれわたれり︒波も空もひとつに

て︑山路につ父きたるやうに見ゆ︒

くしけ二村山のほのくと

明行末は波路なりけり

ゆきくて三河国八橋のわたりをみれば︑在原業平かきつばたの

りけるに︑みな人かれいゐのうへになみだおとしける所よ

とおもひ出られて︑そのあたりをみれども︑かの草とおぼしき物は

なくて︑いねのみぞおほくみゆる︒

ゆへにおちし涙のかたみとや

残しをくらん 此国のかみにてくだりける時︑とまりける女のもとにつ しける歌に︑もろともにゆかぬ三河の八はしを恋しとのみや思

5

(17)

11 本文篇

ー立て︵宮・正・東・松︶

   さだもと

 正・東・松︶ 哀に思ひいでられて過がたしー哀なり︵宮・ ー定元︵正・東︶

 るへにて︵松︶  ー心をしもかへし︵正・東︶ー心をしもし しもしるべとしー心をしもるへし︵宮︶

ー別しに︵宮・正・束・松︶

ーはかてか︵宮︶

望1うみ︵正・東︶ー望みも︵松︶

秦旬ー秦旬︵宮・松︶

 東・松︶ 司ー故武蔵のつかさ︵宮・正・

⑬たよりのーたより︵松︶

までーたのまて︵松︶

らんとよめりけるこそ︑おもひ出られてあはれなれ︒

ぎといふ所をいでて︑みやぢ山こえ過るほどに赤坂と云宿あ

り︒こsにありける女ゆへに大江定基が家を出けるも哀に思ひいで

られて過がたし︒人の発心する道その縁一にあらねども︑あかぬ別

しみしまよひの心をしもしるべとし︑誠の道におもむきけん︑

ありがたくおぼゆ︒

路に茂りもはてs葛のはの

あらぬかたに返りし

ほむの川原にうち出たれば︑よもの望かすかにして山なく岡なし︒

しんでん      さうばう

したらんこ\ちして︑草土ともに蒼荘たり︒

月の夜の望いかならんと床しくおぼゆ︒茂れるさs原の中にあまた

わけたる道ありて︑行末もまよひぬべきに︑古武蔵の前司道の

   ともがら

よりの輩に仰て植をかれたる柳もいまだ陰とたのむまではなけれ

ども︑かつくまつ道のしるべとなれるもあはれなり︒もろこしの

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(18)

12  ②   ①

警繋壁曇

階⊥1じ爽

;灘

       東正東正

   ) 扶東 東

         

 い 晋三

召公1周公︵正・東︶ 国民ー国の民︵宮・正・東・松︶

ー木︵東︶

しましーおはし︵宮・正・東・松︶

tにむごに︵東︶

ー国︵正・東︶ー周︵松︶

月ーかせ月︵松︶

   おふ

憐むーあはれふ︵正・東︶ 1追て︵正・東︶

   ゆきへーナシ︵宮︶

ー往還︵正・東︶ー行き︵松︶

そだててーめてて︵宮・松・扶︶ 召公−周公︵正・東︶

とーかけを︵宮・正・東︶

召公爽は周の武王の弟也︑成王の三公として燕と云国をつかさどり うこうせき

  せんき︒陳のにしのかたを治し時︑ひとつの甘巣のもとをしめて政をを

こなふ時︑つかさ人よりはじめてもろくの民にいたるまで︑その

      うれへもとをうしなはず︑あまねく又人の患をことはり︑おもき罪をもな

     くにたみこぞ      さり

けり︒国民挙りて其徳政を忍ぶ故に︑召公去にし跡までも︑彼 敬て敢てきらず︑うたをなんつくりけり︒後三条天皇東宮にて

おはしましけるに︑学士実政任国に赴く時︑州の民はたとひ甘葉の

とも忘る\ことなかれ︑おほくの年の風月の遊びといふ御 まはせたりけるも此こsうにや有けん︑いみじくかたじけな

し︒かの前の司も此召公の跡を追て人をはぐくみ物を憐むあまり︑

とりの往還の陰までも思ひよりて植をかれたる柳なれば︑こ 皆かの召公を忍びけん︑国の民のごとくにおしみそだて

て︑行すゑのかげとたのまむこと︑その本意はさだめてたがはじと

そおぼゆれ︒

5 10

(19)

13 本文 篇

ーよかは︵正・東︶

ちをば1道は︵正・東・松︶

よりー近比︵宮︶ーちかき比︵正・東・松︶

⑥あたらしきにーあたらしきを︵宮︶

ゐうかれんーいそかれん︵松︶

 ︵正・東︶ーいまとよ川の︵松︶ さ豊河のーとよ川の︵宮︶−よかはの川の

⑬ ⇔云ほ高

い にの1ど師

ふ 1山なほ1

8舗

る とた

 正虫  彙楚  ⑦

植置しぬしなき跡の柳はら

猶その陰を人やたのまん

河と云宿の前をうち過るに︑ある者のいふをきけば︑此みちを 昔よりよくるかたなかりし程に︑近比より俄にわたふ津の今道と

      ほか

くかsる間︑いまはその宿は人の家居をさへ外に

うつすなどぞいふなる︒ふるきをすててあたらしきにつくなら

ひ︑さだまれることといひながら︑いかなるゆへならんとおぼつか

なし︒昔より住つきたる里入の今更ゐうかれんこそ︑かの伏見の里

らねども︑あれまくおしく覚ゆれ︒

覚束ないさ豊河のかはる瀬を

なる人のわたりそめけん

      たかし

参河遠江のさかひに高師の山と聞ゆるあり︒山中にこえかsるほ

どに︑谷河のながれ落て岩瀬の波ことρ\しくきこゆゆ境川とそ云︒

岩つたひ駒うち渡す谷川の

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(20)

14

     けいきいと     けいき

 東︶ーけいきいと︵松︶ーいと︵扶︶ けしきいとー景気最︵宮︶1景気いと︵正・

   かいこ③潮海ー海湖︵宮・正・東∴松︶ー潮の海︵扶︶漁舟−漁船︵松︶

ーナシ︵東︶

ーむかふ︵松︶

とーいつれも︵宮・正・東・松︶

ー空︵松︶

そしー心ほそく︵宮・正・東︶

とまりたりしーとまりし︵扶︶ 宿ー此やと︵松︶

わらやのーわらや︵宮︶ー萱屋の︵松︶

      とこ  もと

⑭床の下にー床のことに︵宮︶ー床の底に︵正・

 東︶うち詠じーうちなかめ︵宮・正・東︶−打詠 ︵松︶

ーにそ︵宮・松︶−にも︵正・東︶

もたかしの山にきにけり

と云所に行つきぬれば︑きsわたりしかひありてけしきいと

        しほうみ

すごし︒南には潮海あり︑漁舟波にうかぶ︑北には湖水有︑人家

      おひ岸につらなれり︒其間に洲崎遠くさし出て︑松きびしく生つぶき︑

嵐しきりにむせぶ︒松のひぶき波のをといつれときsわきがたし︒

ましめ︑とまるたぐひ夢をさまさずといふ事なし︒み うみにわたせる橋を浜名となつく︒ふるき名所也︒朝たつ雲の名

残いつくよりも心ぼそし︒

行とまる旅ねはいつもかはらねと

わきて浜名の橋そ過うき

さても此宿に一夜とまりたりしやどあり︒軒ふりたるわらやのと

ころρ\まばらなるひまより︑月のかげ曇なくさし入たる折しも︑

君どもあまたみえし中に︑すこしおとなびたるけはひにて︑夜もす ら床の下に晴天をみると忍びやかにうち詠じたりしこそ︑心にく

10 5

(21)

ヱ5 本文篇

えしかーおぼえし︵宮︶

②もるーなる︵松︶

きー見えけり︵扶︶

④まひざはの原ーまひはのはら︵東︶

     いさごー緑草︵松︶

i沙︵宮︶1沙︵正・東︶

るー積る︵松︶

其間にー其間も︵扶︶

⑧庵ー庵の︵松︶ ーをとつる〜︵松︶

1所々に︵正・東・松︶

 れわたりてや︵扶︶ けるにやーあれにける小屋︵松︶ーあ

⑫雨露もー雨露︵宮・正・東・松︶

 ︵松︶・  この本意をーこの本意︵正・東︶ー本意を もしーナシ︵東︶  けるがーける︵松︶ 御前ー御前︵正︶    みまへ有けり1有ける︵宮︶ くおぼえしか︒

言のはの深き情は軒端もる

月のかつらの色にみえにき

ごりおほくおぼえながら︑此宿をもうち出て行過るほどに︑ま

       べうく

ざはの原と云所に来にけり︒北南は砂々とはるかにして︑西は海

     きんくわしうさう       まさご

近し︒錦花繍草のたぐひはいともみえず︑・日き真砂のみありて 積れるに似たり︒其間に松たえぐ生渡りて︑塩かぜ梢に音信︑

      てうかく     すみか

あやしの草の庵所々みゆる︑漁人釣客などの栖にやあるらん︑す き野原なればつくぐとながめゆくほどに︑うちつれたる旅人

たるをきけば︑いつのころよりとはしらず此原に木像の観音お

      くさ  いほりはします︒御堂など朽あれにけるにや︑かりそめなる艸の庵のうち

もたまらず年月を送るほどに︑一とせ望むことありて鎌倉へ

くだる筑紫人有けり︒此観音の御前にまいりたりけるが︑もしこの

意をとげて古郷へむかはぶ御堂をつくるべきよし心のうちに申置

5

(22)

16

 こと−事の︵宮︶  ︵正・東︶ りけりーたりけり︵宮・松︶ーたりける

③煙−匂ひ︵宮・正・東・松︶さそはれー誘引て︵宮︶1さそひて︵正・東︶ 1さそはれて︵松︶

花も露鮮なりー花の露も鮮にみゆ︵扶︶

 斗帳︵扶︶ 帳ー戸ちやう︵宮︶ーとちやう︵正・東・松︶

−隙︵松︶

誓ー猶誓︵宮︶

ーあり︵正・東︶ーある︵松︶

     おそろ

ーけはしきと見ゆる︵松︶ しくみゆi猛しきとみゆる︵宮・正・東︶

〜秋水︵宮︶

⑨舟の1松の︵東︶

往還ー往来︵松︶

くー容易︵宮︶

ーむかへ︵宮・松︶

 ︵宮・正・東︶ まされる⁝⁝くつがへりて底ーナシ 時ー時は︵松︶ ーナシ︵松︶

⁝⁝流ぞかしとーナシ︵宮・正・束︶

りけり︒鎌倉にて望むことかなひけるによりて︑御堂を造ける

より︑人多くまいるなんどぞいふなる︒聞あへずその御堂へ参りた

ば︑不断香の煙風にさそはれうちかほり︑あかの花も露鮮なり︒

      ぐぜい

書とおぼしき物計帳の紐に結びつけたれば︑弘誓のふかき事うみ

ごとしといへるもたのもしくおぼえて︑

もしな入江に立るみをつくし

     しるし

き験の有と聞にも

竜と名付たるわたりあり︑川ふかく流れはげしくみゆ︒秋の水 ぎり来て︑舟のさること速なれば︑往還の旅人たやすくむかひ

きがたし︒此河みつまされる時︑ふねなどもをのつからく

       ふかふ

りて底のみくつとなるたぐひ多かりと聞こそ︑彼巫峡の水の

もひよせられていと危き心ちすれ︒しかはあれども︑人の心に

くらぶれば︑しつかなる流ぞかしとおもふにも︑たとふべきかたな

きは世にふる道のけはしき習ひ也︒

5 10

(23)

17本文篇

 見すー見る︵正・東・扶︶  ・扶︶ くひとはーたくひとそ︵宮・正・東・松

 たる︵松︶ とSまりたるーとまりたる︵正・東︶1泊り ーナシ︵宮・正・東・松︶

1程に︵宮・正・東︶

 つ︑ーて︵松︶ 1小船︵松︶

湖ーナシ︵宮・正・東︶

  うるほーあひたより︵宮・正・東・松︶

湿しー潤し︵正・東・松︶

ー風︵宮・正・東・松︶

⑦めうつりーめそへり︵宮・正・東︶ 相似たるーにたる︵宮・正・東・松︶ ーナシ︵松︶

ー覚え︵宮・正・東︶

まの浦ーいま浦︵松︶

 ︵宮︶ ⇔おもひつsけられしーあもひつけられし とのま︑ーことのまいさ︵宮・正・東・松︶

⑭しるしを!しるしに︵扶︶

き流も世中の

くひとは見す

    ご ふ

国府いまの浦につきぬ︒麦に宿かりて一日二日とぶまりた

      さを      うみみつうみるほど︑あまの小舟に樟さしつs浦の有さま見めぐれば︑しほ海湖

      うるに

間に洲崎遠くへだたりて︑南には極浦の波袖を湿し︑北には長松

嵐心をいたましむ︒名残おほかりし橋本の宿にぞ相似たる︒昨日

めうつりなからずは︑是も心とまらずしもあらざらましなどはお て︑

波の音も松の嵐もいまの浦に

昨日の里の名残をそきく

ことのまsと聞ゆる社おはします︒その御前をすぐとて︑いさs

もひつぶけられし︒

ゆふたすきかけてそ頼む今思ふ ことのまsなる神のしるしを

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