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天和三年の古今伝受――近衛基凞『伝授日記』の作成を中心に

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Academic year: 2021

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(1)

天和三年 の 古 今伝受

――

近衛基凞『 伝 授日記』 の 作成を 中 心に

――

酒 井 茂 幸

本稿八年

( 一六八

) から

( 一六八三

) の後西院

霊元天皇

・ 近

基凞への古今伝について基凞公

記』の別記・陽明文伝授日記』の解読を心に据えて理し、つそれぞれ場面に様相を御所

の通

まず、霊元天皇か、後西院が後水尾相談し諒解が得れた。続いて「三十首詠進さ

よ後西院による講釈宝八年五月日から始まる。度徳川綱の年五月一日に講釈中断し

約三年後の天和三年四月二日再開さる。後西院のは天和三年四月一四日に終り、一六日になり切紙伝受、誓状の

出、証明状の下賜とんだ。切紙伝受の模様は、天正二年

( 一五七四

) の古今伝受

同様に、人麻呂の画像を架けその

に設えた白机に三種の神器を置き神事行われただ、寛四年

( 一六六四

) の古今伝受

来三種の神器の玉が香箱

なっ東山御文庫蔵『後西天皇今伝授御証明状』に拠ると、この四月一六日の霊元天皇の切紙伝受は、後水

院相

・ 宸

の切紙四通と後西院宸翰心抄』進上が伝受対象方、基凞への切紙伝では後西院宸翰の

切紙が伝受されたよであり、陽文庫に後西院宸翰の切紙所蔵さている。なお、二二日に小御所にお

会がも注

(2)
(3)

一はじめに

天和三年

( 一六八三

に後西院から霊元天皇 )

・ 近衛基凞

への古今伝受が成された。近衛基凞の基凞公記』に古今

伝受の記事が存するとは、早く横井金男によっ摘されているが

1)

、以後の研究は御所伝受の延長と

らの言及が主で本格的に考察さるとは言い難興味陽明が記

記』という『基公記

「 別記」

資料が蔵されにより印公刊されいる。

2)

本稿近衛基凞の日記』じて

( 一六八

から天三年の古今伝受についての流れを )

整理し、かつそ面におる様相伝受の通史を視野にめ検討すそし古今伝受という特殊

状況下で『古和歌集』とその注釈どのように読まれその読書行為は時空を越えてうに繋がいるか

考察しみたい。

二延宝八年の古今伝受

ではこと

今伝受記』

3)

は寛

( 一六六

水尾院か西院ヘの古今伝受に記した記録でるが、ぜか稿 )

る延宝八年の古今伝受の記事か含まれ霊元天皇の古今伝受の所望が明らかになる。

(4)

延宝八年

二月

廿二日、 (霊皇)古今御伝受御所望、日 (弘資)

(中院通茂)為御使 (後西院)申入了、可御相談 (後水尾院)之由也、

廿八日、参新院、先日之義窺之処、去廿七日御相談法皇処、御受可由也、而遮而非被間、御

引之由也、参内新院仰之旨言上了、

此後之事注奥

霊元天皇が古今伝受日野弘資

・ 中院

通茂が使者なり後西院に後水尾

すると言い、後日通茂が参院し後西院に尋ねたところ、後水尾院は伝受すべきとの意向中の霊元

に伝えた

古今伝十首和歌

・ 添削となる。

古今伝における

「 三十

」 は、

横井金

小高道子が指摘すうに

4)

、慶

( 一六〇〇

の細斎から智仁親王への伝二年 )

( 一六二五

の智王か )

ら後水天皇への伝受から記録がり、寛文四年の段階に至り古今伝受の階梯とし識されようになったこ

が海野圭介により論じられて

5)

延宝八

・ 天和

三年の古今伝受の記録は

・ 近衛

基凞授日記〔以

下『伝授日記』と略称〕の冒ある延宝八六日条見える。

延宝八年

五月

六日甲午天蔭未斜雨下

今日於禁裏新院始哥集御主上近日為此道御伝也、余数年大望之度蒙御免令聴聞者

(5)

也、先是先月中詠三和哥新院御覧成 加御詞了、上尤有三十首御製御製并愚詠并有

( 中略 )

度三十首和哥於主上者被遂嘉躅

法皇新院御伝授之時 令詠首の題を度又令詠給、於愚者依主上新院御気他三十首題詠之 細如何者法皇新院主上其於予以同題詠去御伝授之時必之由世人然者聊此道

用捨間被改之畢、題

早春氷子日梅薫袖余寒月盛花花随風暮春郭公五月雨納涼七夕薄似深夜田上

山家惜月紅葉寒草水鳥庭雪深忍恋夢中誓恋歎名恨恋暁鶏閑中燈羇旅

述懐祝言

霊元天は寛文四年の後西院の伝と同じ題み、基凞もの題、紆余曲折があり結

局異今伝受記』延宝八年三月

・ 四月

も詳しい記事が見える

延宝八年三月

九日、向戸田越前守与日野同、御伝受之事談了

御沙汰也、 (近衛基又此度御伝受、同被詠之、先年御伝受之時、/新院之題〉左府〈別

題也

四月

八日、召日野亜相

・ 予

被進三十首於新院御方〈中高檀帋巻物也/高サ七八寸計也〉進置退

廿六日、有召新院御対面、先日所進置之三十首御製御添削〈別帋横折/被遊之〉拝見了、則御詠草被相副被返遣

之、持禁中、左院詠下云々、、御満足之由申了、退出、御伝受日限之事申了、

(6)

まず日記』に

「 先月中旬之比

たのは正は三月九あっ天皇と基凞は 」 と

別の題で三十首を詠み、霊皇は日

・ 中

後西院詠草出し、六日に添削上返却された。

なお、の延宝八年の霊天皇と三十首、国立歴史俗博物館蔵高松宮旧『灌十首』

( H─六〇〇

─六四

載さいる元天皇詠書本削書き入ないが草稿が宮内書陵部蔵有栖川宮 )

蘂集

( ふ函

一一

に含まれとが知られている )

6)

基凞の三十首の歌西実隆の家集玉集組題

同様とが指摘されている

さて

・ 基凞への古今伝受

に際の後西院による講釈は、五月六日から始まっ『基凞公記延宝

八年五六日条に、

六日甲午、天晴陰未斜雨下、従新院於禁裏古和歌集御講尺有之近日有御也、其儀記別有之

とある傍線

「 其儀記別有之

」 が『

』に西』の

を次

今日辰刻着冠持参古今集兼日存今度/之〉新院御幸法皇引続御幸、御三

暫時御■言談有之、次於便宜所被 同処始御講談、日野大納中院前両人於末座聴聞御講談、此両人先 新院御伝授之同従法皇被授下之、仍所聴聞也、今日春哥上巻六十八首有御講談、其御弁舌誠神妙無

類者歟、法皇暫時御聴聞、雖然御耳不分為御老躰御退屈間早入御、(下

先に寛文四年に後西院伝受を受けいる日野弘資と中院通茂が陪席し、後水尾

・ 聴聞し

いる。西

院の講釈の弁舌が誠に絶妙で類無いと賞されている。傍線部にあるとおり、基凞は『古今和歌集』し講釈

場に持いる。明文庫の蔵にはこれに該当する本はせ無いが、下に挙げた陽明文庫蔵

・ 近衛

基凞

(7)

古今和歌の宝永三

( 一七

〇六

の書写奥書に関連すると思われる載が存する )

A此集家々所称雖説々多且任師説又加了、為備之証本不顧老眼之不堪手自書之

近代僻案士以書錯称有識事、可謂道之、不可用但如此用捨只可随其身之所好不可存

自他之差別志同者可随之

貞応二年七月廿二部尚

同廿八日読合訖書入落字了于嫡孫 (為可為将

B以家本不違和漢文字仕并行分等連々書写校合畢、但於仮名初文字先人 (為道自筆也強行分守正本

間、雖随其自春上不違一字至行分以下、落字等皆以如本、細々披見之条不可然之間、如懃染筆了

曽不相違家本者

文保四月十三羽林中将藤

C此集以逍院内府 西自筆十輪院 所書為証本可写置之旨中辱蒙後西院仰以写之 行分等如之、於仮名者強、殊急々令書写之条其躰狼藉至極也、仍不顧老眼堪再、以授与左幕下 (近久)

只是欲備後代証本而已

宝永三年廿(花押〈近衛基〉)

ABは二条家の証ある本によく見ら本奥書である。Cによると、親本は自筆本を中院通村が写

もので天和年中に証あるため写留めるよう後西院の仰せを受けてがあり、これが前掲の『伝

授日記』の記事にあった新写とと

題目に掲げた通天和三年今伝受にもかかわらず延宝八年ら始まっているのは、講釈の進

(8)

を示しとおり

、一宝八年五月一一日に講

八・ (延宝)五・春上

八・五・春下

八・五・夏~秋上

八・五・秋上

八・五・一〇秋下

八・五・一一冬~賀

三・ (天四・二離別

三・四・

恋一

三・四・

恋二 10

三・四・

恋三 11

三・四・

恋四 12

三・七・

恋五 13

三・七・

哀傷~

14

三・七・

雑下 15

三・七・一〇誹諧

・ 雑躰

・ 短歌

・ 旋頭

16

三・七・一一物名

17

三・七・一二仮名序

(9)

18

三・七・一三仮名序

19

三・七・一四大歌所

・ 墨滅歌

・ 奥書

・ 真名序

事実とその理由は諸記録から判明するが、次掲の『基凞公記』延宝八年五月一二日条の記事が事態の舞台裏を

し詳しい。

十二日庚辰刻参内之処番衆千亜相 (有能〈武家/伝 (家去八日令薨去由告来、只今従土田越

前口上書到来、即令披露了云々、驚歎者也、昨日者養子珍重由心、今日者観無常尤天下之重事也、暫之

召、参御前被仰云、予早新院今日之御講談可由可言上、次々之事只今在新院御気由也、早以伺

公言上之処御返事云、尤可被停御講談次々之事能々被計時節静可在御沙汰之由也

徳川家綱の去があたためあるが分れを基凞がく受け西院に止をしたのが

相で

三天和三年の古今伝受・灌頂

西院の講釈は前掲の進行日程に明らかなとおり、三年後の天和三年月二日される。そし授日記

天和三年四月条にような事が見える

五日天快晴

辰刻参内院御幸御講談巻十三、午、其、其院仰当流二条家相伝的伝冷泉家相

風、子細密々被語仰誠感不少弥信、未下刻退出廿聞書清、入夜従院伝心一冊

被許

(10)

畏承之由令申御返事、彼是喜悦不少者

巻十三

・ 恋三

相伝そが

( 「 的伝

」 とは嫡流

の字

キとする宛て

伝は正ではな退出して聞 )

清書しの聞書とは新日本古典大系五『古今和歌集』

( 岩波書

九八

「古今和歌集注釈書目録」に、 )

143

古今和歌

( 注 )

後西院。

( 一六八

への伝に同聴した衛基煕の聞書。明文庫あるのが )

当するが文庫で公開閲覧の対象外の資料あり、全の熟覧・等は不可の由でる。

書誌の採取は許可を得たので以下に掲げる

四・二糎×二三・八紙釘装二冊。本文共紙の表紙。外題・内題な一冊七四丁遊紙な二冊八

紙一丁。本文料紙は楮紙江戸前期写。前掲近基凞筆『古今和歌集』のA奥書あ

授日記』の記事に戻ると、夜になっが後西院より光院

( 三条西

の講釈細川が聞書し )

心抄』拝借とあ『伝心抄古今集』釈書、「三光院講釈書」と傍注

本は、宮内庁陵部蔵桂本「古今伝受資料」とされ、翻刻も既に備わる。

7)

庁書陵部宮本

「 古今伝受資料

」 に関

稿も出るので補足説明す長五年

( 一六

〇〇

に細川 )

幽斎より古今けたは、幽斎より授与された古どのもろもろ料を時には新

校合備に努めた。らの資料群は寛永二年の後水尾天皇への伝受の基礎ともなっが、禁裏本のように火災

こともなくタイムカルのよう今伝受のを今日に伝える。興のは

家代々に伝来しこの

「 古今

伝受資料

王没後はそ皇子智忠親王及び後水以後の歴代皇により勅 」 は

されて、同資料所収

「 古今伝受箱御

封紙

」 により知られ

ある。の資料について海野圭介によ

(11)

整理が存する

8)

、ま続図書寮典籍解題(養徳、一九五〇)解説を

開閉仁親王薨去後は勅によ厳秘たもしく、後、後西、

町の各天皇、智忠親王等の紙が伝

後水尾法皇の御封一紙は①

「 ( 御花

) 〈封

/之

」 とあり

その包紙に

「 法皇御封

宝四八/十四切之〉

」 、後西

天皇の御封三紙の内一紙には

「 〈天和

三/八十四〉

( 御花

) 」

「 〈天

□/十三

( 御花

)

封之

」 とあ

り、

「 寛保 三年三月廿一開之後西院勅符

る。いま一紙④年次不花押のみ 」 と

桜町天御封は⑤

「 太上天皇昭

」 とあ

る一紙智忠親王御封は二紙は包紙に⑥

「 天香

院殿御封、宝四八廿

五初開之

」 と、

封紙は御花押のみ、の一紙は包

「 巳正月廿

四日 天香院殿御封

」 とあっ

おなじく御花押

み。

( 私に

ら⑦の番号を挿入した

)

原本に附属資料にと、外

「 古今

伝受御封紙七附長持鍽二

」 とあ

「 古今伝

御封

」 とあり、

同裏に

「 後西院様御

三枚/寛保一枚/同一枚/天香院殿御封延宝枚/天香

御封巳正月一

」 とあ

④は

「 明暦

」 印が捺

いる。た、西院は天和三年の古今伝受に際し

尾院の勅封を解い料を取り出し、その際に『伝抄』を拝借したのる。

後西院なり灌

・ 誓状

出、証まず

『基凞公記』天和三年四月一六日条に、

十六日戊子、天晴陰、今日和歌灌頂也、未刻院、着束帯、頗存儀者也、申斜退細在別記、

と見細は

「 別記

」 にあ

いるこれも無伝授日記』以下に『伝授日記』天和

四月一六日条の全文掲げ

(12)

十六日戊子天晴、午後陰有雨気、入夜雨下、

巳刻許光久 (竹屋)卿時方朝臣臣来、行豊惟広朝臣等来、帯衣袍以下不帯剣、但蒔絵螺鈿剣法成寺

殿/御〉具紺地平緒令入懐中院今朝御幸、禁裏御伝就之還御可有御左右旨内々従院被仰下之

間移時未上刻許還幸之由被仰下、即時出門先駆原長之長房五人侍童二人番頭十余也、

辺之処前平納言■出向可参之有召、参御前、広御所也、窮上段東西被掛人麿御影、其前立机一脚白木 其上糺呂、其中円形鏡一面一ヶ剣〈平鞘以柄為/南刃方在東〉等有之、又左右洗米一各土 御酒一盃各土人麿燭被有香又殿 被張錦一南地影前左右有〈以南為

上/加白布〉予座白布計也、中央〈籮鈿古物/ウツシ也〉予御座定後依御気色着座、御切紙被披

文台、依読之、次終予於常御所 三献、此後頂戴神酒洗米等了退出内々依仰

相同御伝異無公私大慶不斜、且又一身喜悦無比類、年来於此道有執

心、是又非一儀、後法成寺 殿従此道御伝受之後至 (近衛信殿無断絶令継処、本源自性 殿不幸而三藐 院殿薨給之間不御伝受御沙 (近衛尚嗣猶以無其儀、而先公 時家門伝物切紙等被 (後水尾院)之処、万

回録之日猶旧院御文悉焼失之間然思召之由度蒙仰平於有志者、二条家当流可伝給候由蒙御芳志、仍就彼

年稽古此道雖非其道崩御之後相尋有御、既今日幸、之余山海猶有感涙而已

退出之後御切紙等収文庫了

一今大概

( 稿

注、図アリ、1】に後掲

)

先規書誓状献之、有札紙有表裏掟上下

古今集部之二条家正嫡流御伝受畏入候仰聞候儀伝故実等曾不可有聊旨若於令違背者大

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