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モダニズム芸術における認識の変容 ―ジョイスを中心に― An Epistemological Study of Modernism

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早稲田大学審査学位論文(博士) 

モダニズム芸術における認識の変容 

―ジョイスを中心に― 

 

An Epistemological Study of Modernism

―Scopic Change of Joyce’s Mind and Visuality―

早稲田大学大学院  社会科学研究科 

地球社会論専攻:比較文化・比較基層文化論研究   

木ノ内  敏久 

KINOUCHI, Toshihisa

2010 年 7 月

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目次

序論  モダニズムとは何か

第1章  モダニズム期に起こった変容

はじめに 11

第1節  モダニズムの本質 11

第2節  言語芸術と絵画芸術の変容 15

第2章  科学と芸術

    はじめに 27

第1節  光、視覚をめぐる思想史 27

第2節  自然科学と芸術の史的関係 30 第3節  非ユークリッド幾何学 32

第4節  主観と客観 33

小括 36

第3章  時間と空間―内向的な視点の誕生―

    はじめに 41

第1節  新しい時間哲学 41

第2節  絵画と文学における時間 43 第3節  メディアの進化と時間 48

小括 51

第4章  先行研究と本稿のアプローチ

    はじめに 55

第1節  認識論的アプローチ 55

第2節  科学・メディア論的アプローチ 58 第3節  絵画との比較文化的アプローチ 60

第4節  本稿の方法 62

本論第 1 部  ジョイスと認識

第5章  ジョイスと科学―科学的言説の影響―

    はじめに 69

第1節  つくられた時間=歴史 69

第2節  幾何学的空間の変容 74

第3節  迷宮と幾何学の表象 80

第4節  ブルームと非ユークリッド幾何学 84 第5節  ナンセンスの意味と無意味 88

小括 90

(4)

第6章  ジョイスと神秘主義―非合理が生む「リアリティー」―

    はじめに 95

第1節  『ダブリン市民』とオカルティズム 95 第2節  神智学とエピファニー 99

第3節  数字と神秘思想 101

第4節  合理と非合理の混交 104 第5節  『ユリシーズ』のモリーと神話 108 第6節  『ユリシーズ』のモリーとテクノロジー 113

小括 118

第7章  時間・空間の変容―新たな認識系の獲得―

    はじめに 123

第1節  内向する視覚 123

第2節  鏡が映し出すリアリティー 126

第3節  光のイメージ 130

第4節  主観化された空間・時間 134 第5節  『フィネガンズ・ウェイク』と時空の変容 140 小括 144 第8章  思考(認識)の外在化

    はじめに 149

第1節  計画表と『ユリシーズ』 149

第2節  型と規則性 153

第3節  語りと構造 157

第4節  認識モデルとしての記憶 160 第5節  古代の記憶術とのつながり 164 第6節  思考モデルとしての書物 169 小括 175

本論第 2 部  ジョイスと美学

第9章  美学への接近―空間芸術と時間芸術―

    はじめに 181

第1節  ジョイスと印象派 181

第2節  ジョイスとキュビスム 184

第3節  機械と近代芸術 189

第4節  視覚と認識 191

(5)

小括 202 第10章  ジョイスとデ・キリコ  1  ―表象における類似性―

    はじめに 207

第1節  先行研究 207

第2節  現実と違う位相 212

第3節  形象が担う意味 217

第4節  デ・キリコの「内と外」 220

第5節  両性具有の表象 223

小括 228 第11章  ジョイスとデ・キリコ  2  ―「目に見えないもの」の探求―

    はじめに 233

第1節  ジョイスと現実 233

第2節  デ・キリコと現実 237

第3節  ヘルメス思想の系譜 243

第4節  ニーチェの影響 247

第5節  ドラマ性と芸術 253

小括 260

    結論にかえて―「近代」批判としての統合的感覚―

第1節  モリヌークス問題とジョイスの認識問題 265

第2節  文体にみる統合的感覚 270

第3節  近代批判としての認識 272

第4節  結語―ジョイス芸術と「モダン」 275

    引用文献一覧 279

(6)
(7)

序論 

モダニズムとは何か 

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第 1 章  モダニズム期に起こった変容 

       

(10)
(11)

はじめに

  本書の目的は、アイルランド出身の作家ジェイムズ・ジョイスの作品や思想分析を中核にして、19世紀 末から 20 世紀前半にかけて出現したモダニズムと呼ばれる芸術運動にみられる美学的認識のあり方を浮 き彫りにすることである。序論は、本論第1部、第2部につながる導入部としての性格をもち、論文の方 法的アプローチや問題意識を抽出する。また、ジョイスなど特定個人が中心になる本論を補うために、モ ダニズムを取り巻く文化史、哲学史的な横の広がりを概観し、ジョイス論を展開するうえでの前提を作る のが主眼である。こうしたアプローチをとって、本論で展開する論点の輪郭を明確にしていく。 

第1節  モダニズムの本質

モダニズムと一般的に名付けられた芸術運動が19世紀末葉から20世紀前半にかけて澎湃(ほうはい)

として起こった。文学や音楽、絵画、建築など様々なジャンルにその範囲は及ぶ。地域的にも欧州からア メリカ、その他の地域にまで及ぶ国際性をもつ、「開かれた」運動であった。また、より細かく分類すれば デカダンス、イマジズム、未来派、ダダ、シュルレアリスム(超現実主義)といった多様な運動が下位区 分として挙げられる。これら個別の運動を包含する様式的な複合性を併せ持つこともモダニズムの特徴で ある。このような多様な特質を並列的に羅列するのではなく、ある程度、統一的なまとまりをもつものと して定義しようとした様々な先行研究も行われてきた。19世紀末から20世紀の前半を射程とする一大芸 術運動を特徴づける統一的な特性を見失ったまま、多様性を記述していこうとすると、その情報量の多さ から単なる芸術現象の羅列に終わってしまうからである。

ところがここで大きな問題が浮上する。モダニズムの発生・生成した期間を限定するとなると、とたん にモダニズムという概念自体が問題になり、その輪郭がぼやけてくるのである。個々の芸術ジャンルにと ってもその時期や、概念は微妙に拡散し、確固とした定義を許さない。19世紀末から20世紀の半ば近く まで連なる多様な運動を特徴づける統一的な特徴をその多様性の中で抽出するという、一見すると矛盾し かねない作業がモダニズム研究では必要なのだが、最初の期間設定のところから問題に突き当たるのであ る。要するにモダニズム論の難しさのひとつは、多様性と統一性という表向き矛盾する側面に同時に目を 向けなければならないところに存するといっても過言ではないだろう。

モダニズムの基となった「モダン」の語源はラテン語の“modo”、英語で「たった今」を示す“just now” という意味で、もともと時間的限定がある概念である。今を表すということは過去との対峙という性格を 本来的に持っていることが分かるが、実質的に先行するものすべてに対して「何か新しい」という言辞を 加えるのであれば、ほとんどすべての時代にモダンという言葉が論理的には使えるようになる。ある特定 の時間や期間に限って、モダニズムという言葉を独占的にあてはめることは困難であるにも拘わらず、そ の困難なことがこの期間の芸術運動に関しては苦も無くなされている。

ウェブスターのNew Collegiate Dictionaryでは、“modern”は次のように定義されている。

1a:relating to, or characteristic of a period extending from a relevant remote past to the present time

(12)

1b:relating to, or characteristic of the present or the immediate past: contemporary

これが辞書的な定義だが、現在と過去との間のつかず離れないようなある特別な関係性、もしくは関与の 仕方にモダンという概念の本質がありそうである。単純な「今」ではなく、「過去」に優越するという、ど こか挑発的な含意がこのモダンという言葉にはある。

実際、モダンを標榜した時代は歴史上いくつかあった。近代というものが「啓蒙」のプロジェクトから 始まると主張するユルゲン・ハーバーマスによれば、モダンという語の後期ラテン語形である「モデルヌス」

という言葉が最初に用いられたのは、5 世紀後半のことであり、それはキリスト教が公認された時代と、

その前の異教が支配した時代を区別するものであったという[Habermas 1985=1987:18](1)。それ以降も古 代ローマ帝国の復興を目指した、フランク王国のカール大帝の時代や、17世紀の「古代近代論争」(2)の時 代に当時の人々は自分たちをモダンであるととらえたという。ハーバーマスはモダンという語が使われる のは、きまって新しい時代意識が欧州で起こったときであり、そこで人々が古代との関係を何らかの形で 更新する際に、モダニティーが問題になると主張する。その時代が一つの画期をなす時代として自らを先 行する期間と区別する際に歴史的に様々な「モダニズム」が発生してきたという。モダニズムとはある特 殊な歴史条件に基づいた文化的擬制であり、その限界と制約がその発生当初から内在していることをハー バーマスの論考は示している。

ハーバーマスは続けて、美的近代性の歴史についても触れ、その精神と秩序が明瞭な輪郭をとり始める のはフランスの作家ボードレールにおいてであり、その潮流はその後のさまざまな前衛(アヴァンギャル ド ) 芸 術 に 広 が り 、 最 終 的 に は ダ ダ イ ス ト と シ ュ ル レ ア リ ス ム に 収 斂 し た と 主 張 す る[Habermas 1985=1987:20]。彼が美的近代性に通底するテーマとして挙げているのが、やはり時間意識の変容である。

乗り越えるべき「過去」と対峙するうえで、本来的に時間軸の新しさにモダニティーは焦点をあててきた と彼は指摘する。現在という「今この瞬間」にいるという時間的体験が「新しさ」の何よりの証であり、

過去は克服されるべき「あるもの」である。ハーバーマスはこの感覚に哲学者アンリ・ベルグソンの思想 の影響をみてとる。「ベルグソンの著作によって哲学の中にも導入されたそうした新しい時間意識は、単に 社会における流動性や、歴史の加速化、日常生活における非連続性の経験を言い表しているだけではない。

移ろうものやとらえがたいもの、束の間のものに新しい価値を置き、ダイナミズムそれ自体を賛美する態 度が示しているのは、汚れなき、無垢の、静止した現在に対するあこがれなのである」[Habermas 1985=1987:20]。

「移ろうものやとらえがたいもの、束の間のもの」とは本稿のテーマであるジョイスが用いた心理描写、

語りの技法にそのまま適用できる時間的な側面であり、モダニズム作家の1人としてのジョイスにおける

「近代性」を考える上でも参考になる。

今少し、ハーバーマスの論考に沿って近代とは何かを考えてみる。彼はシュルレアリスムなどを含む20 世紀のアヴァンギャルドが未知の表現領域を開拓する役目を自らに課し、「未だ占領されざる未来を征服す

るもの」[Habermas 1985=1987:20]と自認していたとみなす。そしてその反逆の中身は、過去や伝統の徹

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識の中に、過去の歴史というものに対する心情的な拒否反応、「歴史における虚偽の規範性」というものへ の対抗心を見て取り、その傾向が頂点に達したのがダダイズムやシュルレアリスムであるとする。先行す る歴史、「過去」への反抗の程度において、ダダイズムやシュルレアリスムはほかの流派より徹底していた と考えられるのであり、同じモダニズムといっても個々の芸術家でかなりの開きがあることが予想される。

モダニズムとは何かをこれから考察していく上で、以下の論点を少なくともおさえていく必要があると 考えられる。

①時代区分の設定

広義の歴史的な枠組みでいえば、中世、ルネサンス、近代と下って現代(モダニズムの時期)に至ると いう時代の流れがおおよそ設定でき、モダニズムの時期とは20世紀初葉を中心とした前後の期間というこ とでおおまかに区切れる。英文学においては、ロマン主義、ヴィクトリア朝文学と対照させる形で「モダ ン」という線引きが通常はなされ、やはり19世紀から20世紀の境目の時期に重なる。ヴァーギッシュら はモダニズムの期間を1880年代から第2次世界大戦までと設定している[Vargish and Mook 1999:2]。

この期間をモダニズムと一応とらえると、様々な芸術ジャンルで新しい動きが起こっている。英米文学 圏におけるその最盛期は1910年から1925年の間、エズラ・パウンドやウィンダム・ルイスによるイマジ スト運動などの前衛的な活動が展開された期間がそれにあたるとされる。建築では近代建築運動として 1920 年代にモダニズムが成立したと一般に考えられている[大川など 1997:158]。それまでのギリシア時 代の建築様式に範をとった歴史主義的様式に対抗し、人工的で幾何学的なフォルムを特徴とするモダニズ ム建築は、やはり「過去との決別」という特徴をもっている。建築におけるモダニズムは19世紀末から始 まり、地域的にもドイツ、ロシア、イタリアなどさまざまな国・地域で独自の発展がみられる。絵画のモ ダニズムは19世紀末の印象派絵画から始まり、第2次大戦前後の抽象主義まで、シュルレアリスム、ダダ イズム、未来派まで多岐にわたっている。未来派は建築の世界でも作品を発表し、相互的な影響関係を認 めることができる。

②芸術家もしくは芸術家グループの選択

おおよその時代区分ができたといってもそれだけで、その時代に生きた芸術家や、その期間に出版され た芸術作品であれば、すべてモダニズムの範疇に含まれるわけではない。対象となる期間を機械的に当て はめて作家たちを分類すれば、モダニズム文学の性格や特徴を希薄化し、問題の所在をあいまいにしてし まう可能性がある。その作品の内容や様式、技法といったものも考慮に入れてモダニズムの特性を抽出す る作業が必要である。文学作品は英文学圏内に限定しても、範囲が広すぎて選択する作家が恣意的になっ たり、逆に間口を広げすぎて拡散的になって共通の特性が見失われたりする危険がある。

そうした困難さを含めて考えると、エドマンド・ウィルソンが1931年出版の『アクセルの城:1870年 から1930年にいたる文学の研究』(Axel’s Castle:A Study in the Imaginative Literature of 1870-1930 ) で英仏米の作家をとりあげているのは、20世紀初頭に生きた人々が同時代人としてモダニズム文学の動き をどうとらえていたかが分かる意味で、作家の選択に役立つと考えられる。副題にもあるように、『アクセ ルの城』は1870年から1930年の間で、前衛的な作品を世に送り出した作家を並べている。そこで取り上 げられているのはジョイスのほか、マルセル・プルースト、T.S.エリオット、ガートルード・スタイン、

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W.B.イェイツ、ポール・ヴァレリーなどである。あとで述べるように様式的な新しい挑戦をしたという 観点からその多くをモダニズム作家の列に加えることができるであろう。だが、それは彼らの用いた方法 論や芸術思想がモダニズムの思潮に合致しているからであって、時代区分の条件を彼らが単に満たしてい るという理由ではない。

  ③様式の破壊

それではモダニズムの芸術家に共通な方法論、アプローチとは何だろうか。モダニズム運動は過去の伝 統との決別やそれへの反発であり、過去の時代を超える何かが決定的に重要になる。モダニズム芸術家が そこで過去との差異を付けるべく用いたものが新しい様式である。ここで様式というのは、ある任意の時 代に共通する思考の仕方といったものを指す。様式は通常は同時代の人々には当たり前の所与の制度とし て認識され、違和感を抱かせない。しかし、後代からみればまさにその思考形式が極めて時代的な特殊性 をもち、人々の思考にある型をはめていたことが見て取れるのだ。

芸術史でいえば、ギリシア時代から建築、美術を中心にさまざまな様式が西欧では現れ、新しい様式に 置き換えられていった。モダニズム期の様式という問題でまず前提となるのは、それ以前の時代の様式で ある。後述するように、絵画の世界でいえばルネサンス期以来、西欧の建築家や画家が標準として用いて きたのは遠近法である。文学では19世紀的小説として自然主義、リアリズムが広くヨーロッパで支配的だ ったが、個人の精神性を重んじる様式、もしくは時代潮流としてロマン主義や、象徴主義も別の大きな流 れを作った。モダニズムはこうした前の時代の様式を一新するか、方法論的に乗り越えようとした運動で あるととらえられる。

美術史家のワイリー・サイファーは様式についてこう述べている。「純粋な様式というのは、自分たちの 時代に特有な人間世界の経験的特質を直観することに最も成功した芸術家たち、その経験を経験の一部を なす思想、科学、およびテクノロジーに極めて合致する形態で表現できる芸術家によってなされた、一般 普遍的で支配的で真に同時代的な世界観の表象である」[Sypher 1960=1988:11、下線は引用者]。

サイファーが指摘するように、様式は世界を認識しかつ表象する道具であり、ある特定の時代の世界観 の一部を成しているという見方が可能であろう。モダニズムの芸術家にとっても様式は自分が生きる時代 や世界の実際や問題意識をより効果的に捉え、伝える方法論となるべきものであり、旧世代の表象は乗り 越えるべきものであった。サイファーは様式発展の道筋として、技法が様式の成熟に先んじて出現すると

指摘する[Syper 1960=1988:12]。技法の新しさがまず芸術作品を受け取る側に驚きを与え、それが同時代

の人々に知的に消化・吸収されるとともに、以前の秩序を解体することによって最終的にその時代を特徴 づける様式美が定着するという意味であろう。

モダニズム文学では心理描写という手法を多くの作家たちが用い、心の動きや精神の内面を描き出した。

19世紀のリアリズム小説にあった時系列的な物語は影を潜め、神話や象徴なども織り込んで時間軸を過去 から未来まで自由に引き伸ばすなど、時間の概念を大きく変えた。建築では、歴史主義様式の荘重なデザ イン、意匠を用いず、19世紀に生まれた新しい建築素材であるコンクリート、ガラス、鉄鋼を用いて、幾 何学的な意匠に挑戦した。音楽ではシェーンベルクがその前の世代のワグナーまでのような伴奏和音は必

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年代から印象派がフランスで生まれ、後期印象派が続き、20世紀に入ってキュビスムや、シュルレアリス ムなどが起こった。多数の芸術ジャンル、ならびに地域的にも西欧をはじめとする多数の国・地域におい て芸術様式の破壊と創造が同時並行で進行したのであり、モダニズム芸術家はその語源的な意味、「過去」

に対する新しさという点で、読者(文学)、施主(建築)、聴衆(音楽)、美術鑑賞者(絵画)という芸術作 品の受け手であり消費者でもある顧客に自らの芸術の正当性と存在価値を訴えたのである。作品内容より も形式・様式のあり方が芸術家の主たる関心事となったことが、モダニズム芸術全般に当てはまる特徴的 な傾向である。

④再現的芸術からの決別

様式の変化の中でもとりわけモダニズム期における主要な変化は、再現的芸術を多くのモダニズム芸術 家が捨てたということである。ダニエル・ベルは『資本主義の文化的矛盾』(The Cultural Contradictions

of Capitalism)の中で、近代主義は模写=ミメーシスの破壊であると指摘している。ベルは外の現実を配

列しなおそうとする欲求が近代主義にはあったといい、その中で自己の内面が審美的な関心事となったと 主張する[Bell(D) 1976:110]。芸術と文学では特に古い模写中心の様式(リアリズム、自然主義)にかわっ て、目にはみえない精神といったものを扱うことになった。こうした芸術的意図が19世紀中葉から20世 紀中葉にいたる芸術の形式に共通のシンタックス(統語論)を与えているという[Bell(D) 1976:59]。

それは方法論的にいえば、ルネサンス以来の遠近法の否定、近代の視覚文化の否定としてとらえられ、

次節以降で述べるように、精神の内と外、主体と客体といったデカルト的二元論を覆す動きとも連動して いた。近代のリアリズム成立の背景にあった、実在とその知覚という素朴な対応関係への批判的懐疑がモ ダニズム発生の大きな要因となり、モダニズムの芸術家たちはそうした大きな流れの中でそれぞれ独自の 芸術表現活動を展開していったと考えられるのである。

ベルの指摘はモダニズム芸術相互の越境性という問題にもかかわってくる。本稿では主として絵画と文 学の世界を比較して、モダニズムの性格とその思想的な背景を浮き彫りにすることを狙いとするが、その ジャンル横断的な分析を可能とするのは、再現的芸術からの離脱という点で文学と絵画には類似の思想的 なコンテクストが認められるからである。その事例としてジェイムズ・ジョイスと、形而上絵画のジョル ジョ・デ・キリコを比較する。この2人には芸術は現実の「模倣」にすぎないとする芸術観を否定し、芸 術の自律性を取り戻す動機が読み取れ、ドイツ観念論やロマン主義などを経由して思想的にも通じるもの があった。芸術ジャンルが異なるのにそれでも共通する芸術精神や思想といったものを彼らから抽出する ことで、モダニズムという広大で裾野の広い、多様な総体としての芸術革新運動の中に、ある有機的な知 的コンテクストを浮かび上がらせていくことが可能になってくるであろう。

第 2 節  言語芸術と絵画芸術の変容 

ある一定期間に作品を残した芸術家全員がモダニストであるわけではない。新しい技巧を用いたとして も、それだけでモダニストの資格を与えられるわけではなく、その芸術家の考え方や創作の動機がモダニ ズム特有の諸要素をもっているところにその本質がある。この意味において、前節においてまとめたモダ ニストの定義に合致する芸術家を選択的に取り上げて、その個別事例的な分析を積み上げて、普遍的に適

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応できる何らかの結論を得るというアプローチがひとつ考えられるであろう。本稿は、言語芸術ではジェ イムズ・ジョイスを中心に取り上げ、他の作家たちも適宜、引用する。絵画ではキュビスムのピカソと並 んで、20世紀の絵画に大きな影響を与えたジョルジョ・デ・キリコを取り上げる。2人を優先的に取り上 げる理由は後述するように、彼らがモダニズムの限界とともに、同時代的な心性を有する代表的な芸術家 であり、作品面のみならず、思想史コンテクストにおいても同じような共通性をみてとれるからである。

芸術のような多面的なものを相対的に論じてその間に一貫した特徴なり、趨勢的傾向を認めようとする 試みは、個別的な差異を見逃したり見落としたりするリスクをもつことは確かである。個別事例はあくま で個別的な特性にとどまり、時代を通じての普遍的な特性を抽出しにくいのも確かである。だが、個別か ら分け入って、個々の芸術活動の遍歴やその広がりをとらえることが、彼らの生きた時代としてのモダニ ズムの総体をより明瞭に、内的連関性をもった運動体として解釈できるという利点も一方ではあると考え られる。ジョイスとデ・キリコは文学と絵画というそれぞれの分野で当時の先端をいった芸術家である。2 人の芸術思想を浮き上がらせ、そこに類似の考え方が認められることを確認できれば、ジャンル越境的な モダニズムの広がりをつかむ上でぜひとも必要な一つの次元を付け加えることになるであろう。多様な広 がりをもつモダニズム芸術運動の射程をとらえるために、むしろ個別性を追求するところに、普遍的な時 代精神を理解する手がかりがあるのではないかと考える。本節ではジョイスとデ・キリコを取り上げるに あたって、2人を取り巻いていた言語芸術と絵画芸術のそれぞれのモダニズム期の潮流を概観する。 

  まず、言語芸術ではジョイスと同じ英語圏の文学を中心にみていく。ロジャーズは美的感覚に変化が訪 れ始めた当時の証言として、ヴァージニア・ウルフの次の述懐を引いている[Lodgers 1987=1990:494]。そ れは彼女が『ベネット氏とブラウン夫人』(1924講演)において述べたものである 

   

  1910年12月かその前後に人間の性質は変わりました。(中略)すべての人間関係は変化しました。(中 略)そして人間関係が変化するとき、同時に宗教、行動、政治、文学において変化が現れるのです。[Woolf  1956:96] 

 

ここでウルフは、人間の性格がモダニズム期において変化し始めたことを指摘している。英文学圏では、

1910年ごろのウィンダム・ルイスによる渦巻き派の結成やそこから派生したイマジズム運動から、ジョイ スの『ユリシーズ』やT.S.エリオットの『荒地』が出版された1922年までに、短いながらも集中的に 時代を代表する作品や運動が現れた。一つの秩序が解体され、新しい様式がつくられつつあるという感覚 意識の中で、先のウルフの述懐が生まれている。英国系のモダニズム作家たちは、直近の19世紀のヴィク トリア朝の禁欲的な俗物主義と中産階級意識を排撃し、歴史的に遠い時代や神話的な古代を受け入れる傾 向をみせていたとロジャーズは指摘する[Lodgers 1987=1990:493-495]。 

  イギリスにおけるモダニズムの発展と生成、消滅をみる場合に見逃せない人物がエズラ・パウンドであ る。彼は詩人としてだけでなく、ジョイスやT.S.エリオットの名が世に広まるうえでも批評家として重 要な役割を果たしたが、詩人としての活動ではイマジスト詩の発明がある。イマジスト詩は、短い詩の中

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みである。様式の破壊はパウンドの長い芸術活動を通じて行われていた運動で、言語芸術と視覚芸術をつ なげる意図も含まれていた。ジョイス研究者でもあるヒュー・ケナーはThe Pound Eraの中で、パウンド の翻訳の技巧に絵画のキュビスムの影響をみている。「一つの平面に要素を配置する。要素それぞれが鋭く、

明るく、比較可能な重要性をもっている。キュビストが視覚的な要素を組み直し、見る人がそのテーマが 何であるか、そのディテールは何なのかを判別できないようにするのと同じように、パウンドは要素間の 統語的な関係を無視し、選択し、それらを新しく配列し直すのだ」[Kenner 1971:140]。渦巻派は一義的 に視覚芸術を標榜し、パウンド自体、抽象画やデザインを多く描いている。様式破壊的な動きが英国モダ ニズムでは最初期からあったといえよう(3)。 

  1922年という年はモダニズム文学にとって大きな節目の年とされる。この年にジョイスの『ユリシーズ』

と、エリオットの『荒地』が出版され、以後の20世紀文学に多大な影響を及ぼした。エリオットは『ユリ シーズ』の中にある神話的なモチーフの重要性を指摘した初期の批評家である。「『ユリシーズ』、秩序、神 話」の中でエリオットは次のようにジョイスの功績を讃えている。 

 

    神話を利用して現代と古代との間に一つの持続的な平行を作り上げるジョイス氏はおそらく他の作家 たちが追従するに違いない方法を追求しつつある。(中略筆者)その方法とは、簡単にいえば、現代史と いう空虚と混乱に満ちた広大なパノラマを支配し、秩序付け、これに形と意味を付与することである。

(中略)心理学、民俗学、『金枝篇』が一致して、つい数年前には不可能だったことを可能にしてくれた。

物語的方法の代わりに今日、われわれは神話的方法を用いることができる[Eliot 1975:177-178]   

この評論に、エリオットは自分の『荒地』の意義も同時に込めているのであるが、エリオットがここで指 摘している神話的手法は、ほかの章で考察する時間の問題とも深く関わっている。現代という「空虚と混 乱」の世界に、過去にあったような統一した安定性を与えるために、通常の時間軸から離れた神話をこの 時代の文学作品の多くが使った。マイケル・ベルは神話の利用の背後に相対的な世界観の広がりがあった と指摘する。「ある世界観を世界観として生きるという意識が多くの文学や哲学的著作に具体的に表れてき た」[Bell(M) 1997=2000:13]。 

  神話的な要素を作品に生かした例としてはジョイスの『ユリシーズ』や『フィネガンズ・ウェイク』、エ リオットの『荒地』、イェイツの『ヴィジョン』などが挙げられる。『ヴィジョン』は霊媒者であった夫人 の影響を受けて書かれたもので人間の歴史の変遷や現世と来世の間の魂の変転などに関する象徴的な 28 の位相について説明した著作である。こうした神話的な手法がモダニズムの基本をなす「一新する」とい う芸術上の衝動と連携していることは言うまでもない。通常の時間軸を超越した世界を示すことで、モダ ニズムは、自分たちの世界とは違った、ある「世界」を生きる過程を模倣しているとベルは指摘する[Bell(M) 1997=2000:17]。 

  モダニズム文学の多くに広く当てはまるテーマとして時間感覚の問題がある。実際、モダニズムの作家 の多くがある特定の時間感覚というものに鋭敏だった。ある物事の瞬間を掴まえ、その物語の隠れた真相 を示すといった局面を彼らは意識的に追求し、作品内容そのもので取り上げた。ジョイスではそれは宗教

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的な「エピファニー(顕現)」という瞬間であり、ジョイスは日常の些細な出来事にふいに現れる人生の深 淵をつかむことが芸術家の使命だと考えていた。ウルフでは作品の題名にもなっている“The  Moment” である。エリオットは『四つの四重奏』の中で、時間を静的でしかも永遠に近づく手段とみなして使って いる。神話なども援用しながら独特な時間感覚を作り出すことで、モダニズム文学は過去の小説と袂を分 かち、「新しさ」を演出した。様式の破壊はこうした時間感覚の変容と表裏一体で進行したのであり、モダ ニズムの作家たちは意識の流れ、内的独白といった技巧を新しく編み出して、登場人物の内面に迫り、通 常の時間と違った非日常の世界を作り出したのである。 

  次に絵画の流れである。 

  フランスで印象派が登場したのは、当時の画壇を独占していたサロン(官展)に対する反抗運動として であった。それは象徴主義が同じく、サロン文化に反旗を翻したのと同様の動機が基となっており、反ア カデミー派の画家たちが起こしたという意味でそもそも時代を一新する明確な動機付けをもっていた。「印 象派」という言葉は、1874年にモネ、ルノワール、セザンヌ、ドガ、ピサロ、シスレーらが開いた展覧会 に際して、ジャーナリストが彼らの作品群のスケッチ風の描写を揶揄してつけた呼び名であった。 

印象派グループの画法は必ずしも均一ではない。だが、自然の一瞬の姿を一つ一つの色合いを混ぜ合わ せずに定着させ、光や大気、天候などの動きをとらえようとした点で一つのまとまった様式性を認めるこ とはできる。サイファーは印象主義には大きく2通りの方法があったと指摘する。1つはドガのように斜 め方向からの視野角の開拓である(ドガは印象派の展覧会にもこのような構図の作品を多く出品している)。 これは後の、パリのカフェでさまざまな人物の姿をポスターに描いたロートレックや、事物を抽象的に歪 める造形に意識的に取り組んだファン・ゴッホの表現主義的な画法へと受け継がれる。もう一つはモネの 画風で、空気中の微妙な光の揺れ動きを画布に託した。そこから点描法と分割主義が生まれ、後の新造形 主義のタシスム(しみを思わせる技法)などにつながった[Sypher 1960=1988:201]。 

個々の印象派の画家の作品についての説明は割愛する。モネが刻々と変わる光の効果を追求し、きわめ て主観的、抽象的な画風に進んだのに対し、シスレーは穏やかな光と点描法で詩情に富む風景画を残すな ど個別の分析を必要とするからである。本稿では印象派がモダニズム芸術運動の視覚芸術における先駆的 な実践者であることを確認し、その様式の変革を大くくりでとらえることを旨とするため、本論での分析 の前提となるいくつかの共通的な特徴を指摘するにとどめる。 

印象派は作家が目で感じたように忠実に再現するという意味において、19世紀前半に西洋の絵画に広く 現れた自然主義の系列に連なる。ただ、その前のバルビゾン派と違うのは、印象派の画家たちが都市やそ の郊外を描き、ロマン主義的なバルビゾン派の主題とは異なっていた点である。また、色彩や構図におい ても、印象派は当時開発された絵具を手に積極的に外に出かけていき、外にあふれる光の印象をとどめる 目的で筆触分割や視覚混合という手法を用いた。モネが第1回印象派展に出品した《印象、日の出》(1873)

や、セーヌ河などを題材にした作品などは色調分割の技法で光の反映や大気の震えを描こうとした[千足 1999:315]。こうして印象派はそれまで支配的だった遠近法的構図から離れていくのである。 

印象派を語る上で、言及しなければならないのは科学の影響である。モダニズム芸術運動の展開と密接

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印象派の色彩技法は当時の光学理論に基づいていたという点である。それをさらに推し進めたのが、新印 象派の画家たちである。代表的な画家としてスーラが挙げられる。彼は当初は《アニエールの水浴》

(1883-84)において点描法を試みるが、代表作の《グランド・ジャット島の日曜日の午後》(1884-86)で

は、単に色彩だけではなく、詩情がかもし出されるような線の描き方など情緒面の効果を研究した[千足  1999:321]。遠近法の場合と異なって、視覚現象の観察がいっそう直截的な形で絵画に出てくるのは、光や 陰影、色彩にかかわる部分であるからである。 

サイファーは印象派画家の成果についてこう指摘している。「印象派が描く事物の瞬間的な印象の中には 従来の背景画法という構図の枠組みをそのまま用いていたロマン主義の画家たちが決して発見することの なかった空間概念が含まれている」[Sypher 1960=1988:207]。すなわち、1つは空間の性質は光によって 規定されることを発見したことであり、もう1つは視角を変えると空間の異なる断片を結合できるという ことである。キュビスムが行った空間の解体、同時多元性の空間提示というところまであと少しのところ まで絵画の革命が近づいていることが分かる。それが本当に動き出すのは後期印象派である。 

後期印象派と呼ばれている代表的な画家は、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンの 3 人である。いずれも印 象派の成果を踏まえながら、それを乗り越えようとした。彼らは印象派以上に事物の形象の真実らしさや 造形性に新しい角度から焦点をあて、後のキュビスムなど20世紀美術にさまざまな側面で影響を与えてい る。 

セザンヌは当初、印象派展にも出品していたが、印象派運動から離れ始める。それはモネたちが光の時々 の揺れ動きや大気の振動に精神を集中するあまり、画面から形態と構図が見失われてしまったとセザンヌ が感じ、彼らのやり方に抵抗を覚えたからだと解釈されている[千足 1999:319]。セザンヌが求めたものは 眼の前の対象を形作る事物の本質的な構造であった。すべてを均質な光の束や波に変えてしまう印象主義 に対し、セザンヌは画家がみる対象を周囲から画然と切り離し、その基本的な形態をつかもうと模索した。

セザンヌは友人のベルナールに「自然は球体、円錐体、円筒体として取り扱わなければならない。物体な いし面の側面がすべて中心点に向かって後退するように、すべての物体を透視画法(遠近法)に従って配 置しなければならない」[Bernard 1978:63]と語っている。セザンヌの発言の真意は、自然対象をいくつか の異なった視点から眺め、その知覚像の集積としてカンヴァス上にそれらの面や筆触を描くという芸術家 精神の自律性を重視するところにあったと考えられる。セザンヌは印象派以上に、画家としての認識論を 意識していた。 

デフォルマシオン(déformation)と呼ばれるセザンヌの独特な遠近法は、ルネサンス以降主流であった 透視図法からかなり逸脱している。それは、単純な幾何学的構成を模倣したものではなく、後のキュビス ムの還元主義と結びつくような、新しい空間感覚である。高階はそれを「カンヴァスの平面性と表現され たものの立体性――すなわち、二次元の世界と三次元の世界――というお互いに相矛盾したものを同時に 両立させようという離れ業」だと指摘する[高階 1971:38]。二次元の平面でありながら作家の色彩とデッ サン力で空間の奥行きや対象の厚みといった三次元の世界を表現しようとしたというのである。それはル ネッサンス以来の遠近法や明暗法によって三次元の世界の擬似的な視覚を画面につくる作業とは、質的に 違っていた。セザンヌが絵画の方向性を大きく変えたと評価されるのもまさにこの多視点的で断続的な成

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り立ちにあるとみて間違いないだろう。オーストリアの美術史家であるノヴォトニーは、セザンヌを「科 学的遠近法の法則を打ち破り、モダニズムの絵画を先導した」画家だと1938年に出版した著作で初めて指 摘している[Novotny 1975:98]。ほかにもメルロ=ポンティがセザンヌのデフォルマシオンについて論じ、

そこに見られる認識論的変化を考察している(4)。 

フィンセント・ファン・ゴッホは20世紀の表現主義の祖と位置づけられている。その激しい筆致とまば ゆい色彩の使用によって、その作品は画家の異常な精神の集中と、起伏を示している。セザンヌが造形性 で絵画の歴史の歩みを進めたとすれば、ゴッホは感情表現において20世紀美術の先駆となった。代表作の

《アルルの寝室》(1889)をみると、その寝室内の様子で描かれている鏡、テーブル、窓、寝台、床などの 物体は、遠近法的な整然とした秩序を破っているのが明らかである。部屋の大きさは、正面奥が手前に比 べて異常に小さいし、部屋の奥行きと椅子の相対的な位置関係も歪んでいる。床も右手前が持ち上がった 感じを受け、平面であるのかさえもはっきりしない。描かれている物体の位置関係は微妙に矛盾し、絵を 鑑賞する者に不安を与える構図である。激しい内的衝動をもったこの画家は、発狂して亡くなった。その 精神の不安定性さを予兆しているような作品だが、空間形成の問題に限定して観察すれば、ここには印象 派に飽き足らなかった芸術家たちの一つの通過点ともいえる知的な営みがみられる。つまり、単に光に照 らし出された外的な世界を描くことが画家の使命ではなく、画家の内側の精神的、心理的な内容を表現す るという、立場の変転である。モダニズム文学でギリシア以来のミメーシス(模写)が脇に置かれ、人物 の内面、心理の機微が作家の知的作業の対象へと移っていったように、ゴッホではカンヴァスに画家の心 理が投影されるような兆候が出始めている。 

ポール・ゴーギャンはヨーロッパを捨てて南太平洋のタヒチに渡りそこで故郷を追慕しながら没した。

彼の技法は、印象派の感覚主義的な現実描写を排し、鮮やかな色彩を用いながらフォルムを単純化し、輪 郭の中を平塗りするような技法によって、独特の抽象性や静謐性を画面に与えたところに特徴がある。ゴ ーギャンの手法は、外界を忠実に再現するのを主たる目的とするのではなく、人間の感情を画面に直接浮 き彫りにするような象徴的な表現を用いるところに特徴がある。印象派の観察眼が外的対象の表面にとど まっているときに、彼は芸術家の心や感受性をいっそう重視する立場をとったといえよう。彼の影響によ って、ボナール、ドニなどのナビ派が生まれる。ナビ派の芸術家たちは絵画以外のポスター、衣装など当 時の大衆文化が必要とされた様々な意匠に活動の場を広げた。 

彼ら 3 人に共通して言えることは、印象派が手がけなかった部分に彼らがそれぞれのアプローチと問題 意識によって取り組んだことである。セザンヌは造形性に心を配り、ゴッホ、ゴーギャンはそれぞれ感情 表現と象徴主義という方向に進んだ。後期印象派のあとに来るのがキュビスムである。いわゆる事物の概 観や構造、立体感、自己と外的な対象との距離といったものをいかに本物らしく見せるかに腐心してきた 遠近法に対しキュビスムの画家たちはいわばその視覚様式を根底から否定した。伝統的な見え方、常識的 なもののとらえ方は彼らにあっては大きく後退し、事物は多様な角度から切り取られ、細分化され、断片 化した。その嚆矢となるのがパブロ・ピカソの《アヴィニョンの娘たち》(1907)である。この作品では、

画面に描かれた 5 人の裸婦が思い思いのポーズを取りながら、われわれ観察者のほうに目を向けている。

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ような形相の女性がいたり、頭部が身体に比べて異様に大きいなど、遠近法的な整然とした秩序はこの作 品にはない。遠近法のような固定した一点からみたのではとてもこうは描けないと思わせるような、複眼 的な視点がこの作品にはある。 

キュビスムにはこのほかジョルジュ・ブラックがいる。衝動的なフォービスムにブラックは最初傾いた が、やがてフォービスムに抵抗を感じたブラックは、抽象的、幾何学的なフォルムへと画風を変えていく。

ピカソの作品の多くにも当てはまるが、ブラックは人物や静物を切り子細工のように断片化し、再構成し た。その美学は自然を円筒、球体、円錐のイメージで扱おうとしたセザンヌのように対象を純粋に造形的 なものとしてとらえることから来ている。ピカソが1921年に制作した《三人の音楽師》になると、人間は 平らな平面に還元され、通常は丸みを帯びている人間の顔や身体は直線的に切り取られ、生身の人間の痕 跡はなくなっている。伝統的な三次元空間は完全に消え、抽象的・幾何学的な二元性が前面に出てくる。

ここにおいて絵画は、外的な対象の再現から、作家の思考によっていかようにも変わるという自律的な構 成へと大きく変わった。この自律的構成に至るまでに画家自身の世界認識の変化がその前におきていたこ とが重要である。本稿では絵画の世界のみならず、ジョイスでもこうした内的な認識の変革があったこと を確認し、ジャンル横断的な連なりをみていくだろう。 

  キュビスムのあとに起こった抽象主義という運動は単独で発生したわけではない。色彩の変革を求めた フォービスムや、その他の同時期の芸術運動が同時にしかも西欧の様々な国・地域で多発的に進行し、そ れが抽象表現という方向に全般を向かわせた。絵画の再現性拒否と自律的な画面構成という変化は認識論 的な変化を契機にして、芸術家たちを抽象表現に向かわせたと考えられる。 

  もっとも、印象派から後期印象派、キュビスムと至る過程での画家の認識の変化が、直線的に進んだと 短絡的に考えるのも問題を含む。同じころ、中国や日本、東南アジアなどヨーロッパ以外の地域ではこう した変化とは違う、その地域や国伝統の視覚芸術が程度の差こそあれ、依然として優位を保っていた。ま た、事物を三次元の「自然な」ヴィジョンとして表象する遠近法の崩壊という事実自体もルネサンス期か ら20世紀のモダニズムまでの間のヨーロッパの絵画におけるごく短期間の変化にすぎない。 

ヴォリンゲルは、造形芸術が自然主義と非自然主義の 2 つのスタイルを交互に繰り返したとその著書『抽 象と感情移入』の中で指摘し、それぞれが感情移入衝動と抽象衝動という 2 つの動機に基づいているとし た。それによれば、自然主義が西洋で起こったのは時代区分としては古代ギリシア時代、イタリアルネサ ンス、19世紀であり、自然の成り立ちと形状を正確に再現しようとする欲求が高まったという。それは外 界に対する安心感や信頼感を反映している[Worringer 1953:27]。一方、非自然主義的な描写が支配的にな った期間は、原始芸術、エジプトの彫像、ビザンティン文化、ロマネスク時代、20世紀であり、芸術家は 空間を縮尺に応じて投影するような描き方を捨て、平面や線形的幾何の形に自然を還元したと主張する。

この抽象衝動は、外界に対する不安や恐れを反映したものであり、これらの時代の芸術は単純な線、形、

色を好んで用い、眼に映る自然の成り立ちのすべての痕跡を消そうとした。本稿で述べるモダニズム絵画 の再現性の拒否に近いものが過去にも存在したのである。 

  芸術の様式の違いが生じる理由として、ヴォリンゲルが重視するのが精神的な動機である。それをヴォ リンゲルは人間と宇宙との関係という極めて原初的な次元に遡って求めた。古代ギリシア時代やルネサン

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ス期は、人間が自然と一体であるとして自然を支配する能力を確信し、自然主義様式で有機的な世界を形 や外観で表象することに喜びを感じたと彼は仮定する。一方、その均衡関係が崩れ、人間と宇宙の間を取 り持つ平衡感覚や力関係にずれが生じたときが、非自然主義的な様式が広がる契機となる。例えば、原始 時代の人間にとって周囲の環境は理解不能の空間であり、人間は警戒心におそわれる。そうした様相を表 現するときには、その苦悩の強さを表現するために、抽象的な形態を用いるのだという[Worringer 1953:107]。単純な線や形は、安定性、調和、秩序の感覚を与えるとヴォリンゲルは主張する。さらに続け てヴォリンゲルは、時代が下ったビザンティン時代やロマネスク期は宗教が支配的地位を占めており、こ の宗教的な希求が、悪や不完全さの領域に属するものと考えられた外界の自然を遠ざけることにつながっ たという。宗教が保証してくれる精神的なものへの志向が社会で優勢になる結果、その時代の芸術的意思 は個別の事物や自然よりも、地上的なものではない永遠的で天上的なものを表象しようとする動機が強く なるというのである。そしてそうした芸術的衝動を表現する際に線形的、図像的なイメージが多く用いら れた。 

  視覚から受け取る外界の情報をそのままなぞるのを否定し、独自の構成を追及する非自然主義的な描写 は、先にみた20世紀初頭の新しい絵画の手法に類比して考えられるであろう。世界をそのまま描写するの ではなく、何らかの心理的機制によって、抽象的な表象作用を強めたのがモダニズムの美術である。これ は心理描写に傾斜したモダニズム文学作品にもどこか通底する部分があるとは考えられないだろうか。 

文学でいえばミメーシス、絵画では遠近法という、いずれも精神の外側にある世界を忠実に描写するこ とをよしとしてきた芸術様式が 19 世紀の末ごろから否定され、独自の展開を見せるようになった。この変 化の背後には、あとの章で詳述するように、単一の直線的な視点(パースペクティブ)を破壊するという 視覚の優位性の否定に代表される認識論的な変化があり、芸術家の精神の内側でも新しい様式を求める動 機が高まった結果だと考えられるのである。 

以上のようにモダニズムという時代的意識を定義する上での核となる論点を概観した。最大公約数的に その輪郭をまとめると、まず時間軸としては1890年から第2次大戦終了までの期間にモダニズムは展開 され、旧世代に対する新しさを求めたといえる。また、モダニストの芸術家たちは様式を破壊し、新しい 形式を創造することを強く意識していた。モダニズム芸術全般の特性として、19世紀の自然主義、リアリ ズムとの決別がある。模倣というギリシア時代以来の芸術形式に置き換わる新しい表現=表象を求める衝 動がモダニズム期にはあった。そしてモダニズム芸術家の関心は精神、自己の内面に向けられていく。外 界を忠実に描写するという芸術的な動機が薄れ、芸術家の主観によって意図的に外界の成り立ちを全く新 しい仕方で表象しようとする動きが文学や絵画で起こったのである。モダニズム芸術の共通的な特性をこ のように捉えることで、その間に同時発生的におこった認識的な変化を分析する出発点にようやくたどり つく。次の第2、第3章ではベルが指摘した再現的芸術からの逸脱や様式の破壊という点で、芸術家たち に生じた認識の変容と深く関係する3つのポイントに主に目を向ける。1つは現実世界を把握する手段と しての視覚、ヴィジョンの変容の問題であり、2 つ目は科学や哲学の世界で起こった、時間と空間の概念 の変容であり、3つ目のポイントは主観と客観という哲学的な問題である。 

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註 

(1)本稿では、出典註を簡略化できるハーバード方式を用いた。括弧内に著者名、出版年、頁を付し、同じ年度に複数 の著作がある場合は、出版年の後ろにアルファベットを付けて区別する。同じ苗字、ファーストネームの著者がいる場 合は、名前を略記する。外国語文献の引用では、邦訳がある場合はそれを使わせていただき、邦訳のないものは拙訳を 付した。なお、本稿が主たる分析対象とするジェイムズ・ジョイスの文学作品や評論、およびジョルジョ・デ・キリコ の評論には原則として拙訳をつけた。

(2)古代近代論争とは、中世をはさんだ古典古代と、近代のいずれがすぐれているかという問題についての論議である。

科学技術の進歩という事実を受ける形で近代(論争が起こった17世紀当時のころ)の優越を確認する傾向はこのころか らあった。

(3)イタリアの未来派の刺激を受けて、パウンドとウィンダム・ルイスは1914年初めにBlastという雑誌を発行した。

その中で彼らは、ヴィクトリア朝やエドワード朝の遺物を壊滅させ、偶像を破壊することを主たる目的として掲げた。

「渦時間」の具象化というのも、イマジストや渦巻派の掲げるテーゼで、時間意識の新しさを求めるモダニズムの定義 に合致している。彼らはその翌年に雑誌第2号を出したが、第1次世界大戦の勃発によって、運動は尻すぼみになって 崩壊した。この英国のモダニズム運動は短命に終わった。

(4)『意味と無意味』の中で、メルロ=ポンティはセザンヌの絵画作品の中で、斜めからみられた皿が壷の口が楕円で はなく、円に近い形で描かれたり、テーブルの下のほうが大きかったり、一直線にならずに左右で食い違っていたりす ることを指摘する[Merleau-Ponty 1948=1983:15]。メルロ=ポンティがセザンヌのデフォルマシオンに着目したのは、

それが視覚の複数性のみならず、観察者の身体との相互関連という彼独自の思想に連なる有効なヒントを提示していた と考えたためである。

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参照

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