非物質的生産労働の分類と労働科学の課題
著者 千田 忠男
雑誌名 評論・社会科学
号 68
ページ 191‑203
発行年 2002‑03‑15
権利 同志社大学人文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004269
目次
Ⅰはじめに
Ⅱ社会の基層的活動
A基層的活動の検討にいたるヒント
B基層的活動の特徴
Ⅲ労働そのものと労働組織
Ⅳ雇用関係からみれば
Ⅴ社会の基層的活動と労働科学の課題
A労働特性の違いに内在しつつ︑それを超えて
B社会的政策活動と関連つけながら
Ⅵまとめ
は じ め に
1問題意識
私はこれまでに︑人間労働を︑生理心理的活動の側面を基礎に
しながらその社会的文化的展開にいたるまでを科学的に解明しよ
うとしてきた︒そのときに想定した枠組みは︑生産のために人 間の特性が発揮される場面で︑
合理的な方法で労働を遂行する
過程と︑それを遂行する労働者を対象にして︑
人間の労働と生
活諸環境を分析し規則性を明らかにして体系的に記述する︑とい
︵1︶うものであった︒
この研究をふりかえると︑当初は︑対象とする人間労働を生活
物資︵モノ︶を生産する活動と暗黙のうちに前提としてきた︒と
ころが次第にこの前提を変更しなければならないと思われる事情
に遭遇するようになった︒
その一つ目は複雑労働というべき活動であり︑協同的な労働で
労働組織を編成したときに必須となる指揮管理活動︑企業や組織
を代表しておこなう営業・渉外活動︑企業や組織の意志決定活動
等であった︒これ
らは生活物資を直接的に生産する活動ではな
く︑その生産活動にまつわる人間関係を構築したり組織全体の動
向を決定する活動である︒これらについては︑生活物資を生産す
︵2︶る労働における複雑労働と位置づけて︑別の機会に詳論した︒
二つ目は教育労働であった︒教育労働と生活物資を生産する活
非物質的生産労働の分類と労働科学の課題
千 田 忠 男
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動を対比させると︑相当の違いがみられる︒また︑生活物資を生
産する分野の複雑労働
に対する違いにも注目せざるを得なかっ
た︒しかし︑この違いをどのようにあつかえばいいのか?この問
題をめぐって相当に悩み︑次第に︑対象とする人間労働を一定の
基準によって分類しなければならないと考えるにいたった︒そし
て︑その分類基準とはどのようなものか︑どのような根拠によっ
て基準軸をたてたらよいのかについて考えをめぐらすようになっ
た︒その結果︑教育労働は生活物資を生産する労働とは異なるジ
︵3︶ャンルに属すると考えるに至り︑その違いを吟味した︒
しかしさらに三つ目として︑社会福祉分野のさまざまな仕事を
取り上げる機会に遭遇した︒事態はいっそう複雑であった︒研究
実践例でいえば︑保育労働における労働負担を取り上げようとし
たとき︑保育に関する福祉行政の活動と実際に乳幼児・児童にか
かわる保育労働とをどのように関連つけるかが問題になった︒す
なわち社会福祉政策の実施すなわち行政を担当する場合と︑実際
の援助活動を担当する場合とでは活動内容も得られる結果も相当
に違っている︒しかし現実的には両者は密接に関連している︒こ
の事態をどのような枠組みであつかえばいいのか?また︑生活物
資を生産する労働︑そこにおける複雑労働︑あるいは教育労働な
どとの関連と区別をどのようにつけたらよいのだろうか?
この最後の例から︑研究実践上で遭遇するさまざまな労働内容
を︑そのつど個別的に吟味するという態度では対応しきれない状
況に踏み出していることを自覚せざるを得なかった︒ ひるがえって考えてみれば︑対象を一定の規準で分類し構造化することは科学の定法である︒労働科学でも同じことであり︑人間の能力を発揮するプロセスを分類して構造化すること︑すなわち労働分類が必要である︒そうであれば︑上でみた多様な労働の共通性と異質性をどのように構造化できるであろうか?
もう一つ︑以下のような大きな疑問が生じた︒生活物資を生産
する活動を前提にしたとき︑社会的な組織形態として資本︱賃労
働関係を基礎にする雇用労働を前提にしてきた︒そして︑これま
でに遭遇したすべてで雇用関係がみられた︒しかしそれにしても
雇用する主体が企業であったり︑国・地方公共団体であったり︑
財団であったりと相当に違っている︒そしてそれに応じて雇用関
係そのものにも相当の違いがあると考えられた︒端的には︑資本
︱賃労働関係とは異なる形態すなわち事業体︱雇用労働とみたほ
うが無理のない形態も見られた︒さらに加えて雇用されることが
必須要件にならない場合もある︒雇用関係のこのような多様性は
実際の労働過程にどのようにかかわるのであろうか︑という疑問
が生じたのである︒
こうして︑生活物資を生産する労働とそれ以外の労働の異同を
できるだけ一般化できるように分類し構造化するという課題を設
定することが必要となった︒
2ひとつの動向
生活物資を生産する労働以外の労働研究の中で︑日野秀逸氏の
医療労働論が注目された︒氏は︑医療労働の社会的な必要性を説 非物質的生産労働の分類と労働科学の課題
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明する根拠の一つに︑﹁生きるために必要なのは︑とりわけ︑飲
食︑住居︑衣服︑そしてその他いくつかのものである﹂とするマ
︵4︶ルクスの言説を引用して︑﹁その他いくつかのもの﹂のなかに医
︵5︶療が含まれると説明した︒しかし氏はその後にこうした見地から
離れて︑教育活動等との関連性からその意義を解明する論調に移
︵6︶られた︒
日野氏のこの動向は︑私には興味深いものに思われた︒という
のは︑私が位置づけに困った教育労働を医療労働に近いものとし
て扱うという見地を明示しているからである︒そして︑教育労働
と医療労働が近接するものであるならば保育労働もまたごく近い
ところに位置するのではないか︑同様に介護労働もまた近接する
のではないか︒同時にそれは︑衣食住その他の生活物資を生産す
る労働とはジャンルを異にするではないかと予想させるものであ
った︒こうして︑多様な労働を区分しつつ構造化する課題にあら
ためて注目するにいたった︒
3本稿の課題
本稿では︑現実にみられる多様な労働を社会の基層的活動に還
元して分類し︑構造化することを直接の目的とする︒そのうえで
労働そのものと労働組織および雇用関係︑そしてこれらから導き
出される労働科学の課題について検討する︒
なお︑以下の叙述では自説のスケッチを提示することに専念し
たい︒
社会の基層的活動
A基層的活動の検討にいたるヒント
そこでまず日野秀逸氏に習って﹃ドイツイデオロギー﹄を開い
てみよう︒煩雑な引用は控えて本稿の課題にひきつけてポイント
を示せば次のとおりである︒
まず︑イデオロギーとは︑現実的生活過程に編みこまれている
現実的・実践的意識が精神労働と肉体労働の分割・分業を契機に
自立的に展開されるものである︑とされる︒ついで︑現実的生活
過程を成立させる五つの契機を論じ︑さらにイデオロギーの諸展
開過程を論じている︒
ここで注目されるのは︑先史時代の現実的生活過程をみるとき
の枠組みを簡明に指摘しているところである︒そこでの記述を整
理すれば別表︵本稿末尾掲載︶のとおりになる︒
歴史のはじめから︑イ物質的生活そのものの生産︑ロ新しい
欲求の産出︑ハ他の人間・すなわち
次世代の人間をつくるとい
う社会活動の三つの契機
がみられ
︑ ニ それらが自然的
・ 社会的
にしっかりと結ばれてい
るという関係にあ
り︑ホ︱1
こうした
活動は実践的・現実
的な意識によって導かれてお
り︑ホ︱2さ
らにこの意識活動がイデオロギーを産出するにいたる︒またイデ
オロギーは現実の社会的諸関係と対立することもあるとされる︒
ところで
︑﹁
物質的生活そのものの
生
産﹂が︵
物質的生活の
︶
﹁ 新しい欲求を生み出す
﹂ ならば
︑﹁
他の人間を
つ く る
﹂ 活 動 も
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非物質的生産労働の分類と労働科学の課題
︵他の人間をつくる︶﹁新しい欲求を生み出す﹂と想定できる︒同 様に
︑﹁
自然的
・ 社会的
﹂ 関係を取り
結ぶ活動も
﹁ 新しい欲求
﹂
を生み出すし︑実践的・現実的な意識あるいはイデオロギー産出
活動もまたそれにふさわしい﹁新しい欲求﹂を生み出すと想定で
きる︒要するに︑上でみた﹁新しい欲求の産出﹂活動は人間の意
識活動の一種であり︑この意味でホ︱1
として示した意識活動
に包含される︒とするならば︑人間社会における諸活動を大まか
に四分野に分類することができる︒
また︑物質的生活の生産とは︑生活物資をつくり消費する活動
の総体を意味する︒﹁他の人間をつくる﹂とは他の人間をつくる
ように働きかける活動とその働きかけを受け止めて人間になるよ
うに努力する活動の二つの側面からなっている︒同様に︑﹁自然
的・社会的関係﹂を取り結ぶ活動が成立するためにも働きかけ活
動とそれを受け止める活動の両側面が必要である︒さらに実践的
・現実的な意識あるいはイデオロギー産出活動の成立にとっては
観念を創造する活動とその成果を受け止める活動という両側面が
必須である︒
以上のように理解するならば︑人間社会においては常に二つの
側面と四つの分野の活動が展開されていると理解することができ
る︒すなわち︑二つの側面とは生産と創造の側面および消費と享
受の側面である︒つぎに四つの分野とは︑物質的生活に必要な物
資を充足する分野︑人間になり人間としてまっとうするための活
動分野︑共同的な社会関係を維持し発展させ自然的・社会的な協 働関係を構築する分野︑認識と表現を通じて実践的意識とイデオロギーを創造する分野である︒この関係を図に示すと次のとおりである︒B基層的活動の特徴以上のように分類される諸活動の特徴を概観すると次のとおりである︒
図において﹁衣食住その他の生活物資充足のための活動﹂とし
た分野は︑物質的生活の素材を生産し消費する活動であり︑端的
には生活物資充足の活動といえる︒この活動が成立するための要
件は︑生活物資その他を目的に応じて合理的に生産し︑合理的に
配分し︑目的に即して消費することである︒現代において衣食住
その他の生活物資を充足するための生産と流通の活動をすべて包
括し︑したがって金融や保険など金融商品をあつかう産業部門も
含むと考えることができる︒
次に︑図で﹁人間になり人間としてまっとうするための活動﹂
とした分野は︑人間を生み︑育て︑教育し︑心身を損なえば治療
をし︑生活行動が困難になれば介護する︑という独特の対人社会
サービス活動とそれを享受する活動であり︑保育︑教育︑医療︑
介護等を含むものと考えることができる︒端的に人間になる活動
といえる︒
さらに
︑ 図 で
﹁ 共同的な社会関係を維持発展させるための
活
動﹂とした分野は︑自然的・社会的な結びつきを維持発展させる 非物質的生産労働の分類と労働科学の課題
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ための活動と︑そ
れを受け入れる活
動とであり︑いい
かえれば公務的な
活動とそれを受け
止 め る 活 動 で あ
る︒現代では国と
地方公共団体の諸
活動すなわち政治
・行政・司法の諸
活動や治安・軍事
の活動と︑それに
よる安寧な社会生
活を受容すること
が含まれる︒端的
に協働関係の活動
といえる︒
最 後 に︑図
で
﹁ 認 識 と表現の活 動
﹂ と し た 分 野
は︑実践的・現実
的な意識活動から
イデオロギー活動 までを含み︑その様式からみれば宗教や科学︑芸術やスポーツ︑マスコミなどの創造的活動であり︑その成果を享受する活動と考えられる︒
労働そのものと労働組織
労働科学は生産的・創造的活動の側面を吟味する︒そこで上記
四分野の生産的・創造的活動︵労働︶のみられる共通性と異質性
をみると︑次のとおりとなる︒
いずれの場合でも人間の目的意識的な活動であり︑心身の能力
を発揮する過程である︒またかならず労働対象が設定され︑必要
な場合には労働手段の体系を用いる︒しかし共通性はここまでで
ある︒
すでに述
べたように
︑ これら四分野は目的によって区分され
る︒とすれば労働対象の種類が違ってくるし︑それに応じて発揮
すべき心身の機能も違ってくる︒さらには労働手段の種類や性質
も違ってくるし︑労働組織の性格も違ってくる︒
1生活物資充足の活動
﹁衣食住その他の生活物資充足のための活動﹂の労働対象は︑
主要には生活物資に転換できるような素材である︒労働者は︑頭
脳に描いた形態に素材
を変換するために心身の機能を発揮する
が︑その過程は合理的でなければならない︒労働手段は対象に働
きかける際の機能を引き伸ばす物質でなければならない︒労働組
織は労働対象および労働手段の機能と形態に決定的に影響を受け
図1 社会の基層的な諸活動
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非物質的生産労働の分類と労働科学の課題
る︒労働組織が発展すれば複雑労働も発展し︑意思決定︑労働者
集団の指揮管理︑組織を代表しての渉外活動などが展開される︒
2人間になる活動
﹁人間になり人間としてまっとうするための活動﹂の労働対象
は︑﹁人間になり人間としてまっとうしたい﹂と希望する人間で
ある︒活動目的は対象者のニーズを実現することであり︑対象者
のニーズは対象者のライフサイクルに応じて多様であり︑したが
ってそれに応じた活動が組み立てられる︒その過程では対象者の
信頼・共感を得なければならない︒
労働手段は労働目的を実現すると同時に対象者を傷つけること
のないような物でなければならない︒また︑人間自身を労働手段
にすることはありえない︒労働組織を編成することは遂行上の必
須要件にはならず︑一般的にみられる組織は政策的必要によって
編成されるものである︒しかし労働組織が編成される限りにおい
て︑組織の意思決定︑労働者集団の指揮管理︑渉外等の複雑労働
が発生する︒
3協働関係の活動
﹁共同的な社会関係を維持発展させるための活動﹂の労働対象
は社会状態であり︑
その活動を端的に言えば統治することであ
る︒統治にあたっては各種の規範を示しつつ社会構成員の意思を
統合し︑その規範を具体的に実現し︑強制もする︒さらに︑基層
的活動である他分野︵生活物資充足の活動分野︑人間をつくる活
動分野︑認識と表現の分野︶の諸活動に介入し制御する︒これら を遂行するために適切な組織を編成する︒
現実的諸関係は協調と対立を基調としている︒実践的・現実的
意識も対立要因をはらみ︑イデオロギーは恒常的に対立要因を内
包している︒そうした社会状態と意識・イデオロギー状態の中で
共同的な社会関係を現実的に維持発展させなければならない︒し
たがって対立する関係にある一方の主張を︑社会関係そのものを
維持するためにという名目で強行的に実現することが求められる
場合もあり︑精神労働と肉体労働が分割され分業が固定化される
時期以降にはこうしたことが恒常化する︒
対立と協調を基調とする社会関係のただなかで社会関係そのも
のを維持する活動はすでに特殊な労働組織を必要とするし︑社会
関係が複雑になればそれに応じて労働組織は複雑になる︒したが
って︑組織の意思決定︑集団の指揮管理︑渉外等の複雑労働が発
生する︒加えて労働目的も労働対象も抽象的である︒こうした事
情から労働組織は官僚化しがちである︒ここで官僚化とは︑組織
構成員の個々の活動が直接には上司のためにあるいは組織維持の
ために特化する傾向のことである︒
労働組織内部に対立要因が持ち込まれ︑そのことがまた官僚化
を促進する要素になる︒
治安と軍事の活動では︑人間に打撃を与えることのできる武器
を用意し︑また直接に使用することがある︒
4認識と表現の活動
﹁認識と表現の活動﹂の労働対象は自然と社会と人間および意 非物質的生産労働の分類と労働科学の課題
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識︑要するに世界のあらゆることである︒労働組織︑労働手段は
認識と表現の活動様式によってさまざまである︒膨大な労働組織
を必要とする様式であれば組織の意思決定︑労働者集団の指揮管
理︑渉外等の複雑労働が発生する︒
雇用関係からみれば
これまでにみてきた四分野の活動は︑人間であれば誰でもどこ
かで実践している︒しかし人類の歴史ではもっぱらその活動に専
念することで能力を飛躍的に向上させ︑その成果を社会的に交換
することでそれぞれの分野ひいては社会全体を発展させるという
方向がとられてきた︒現代ではさらに雇用労働という形態が付加
されて︑社会的に必要な労働力をすみやかに配分し︑個々人の仕
事への態度を高進させることが期待されている︒そこでつぎに︑
各分野にみられる雇用関係の特徴をみてみよう︒
まず︑生活物資充足活動分野の雇用関係は︑現代においては︑
各種の企業に雇用される関係が一般的であり︑その根底において
︵7︶は︑マルクス風に言えば資本︱賃労働関係が主要な形態である︒
人間になる活動分野では︑雇用主体の多くは事業を推進する事
業体であり︑財団︑地方公共団体や国家の担当部門など︑多様で
ある︒雇用労働者は雇用主の指揮命令に従う義務が生じ︑とくに
協同労働︵労働組織︶における指揮管理活動が雇用主の指揮命令
活動と一体になる可能性がある︒しかし︑対象者のニーズを実現
しつつ対象者との信頼・共感関係を構築するという労働の特性を 考えるならば︑雇用主による指揮活動が実質的に及ぶ範囲は極めて限定されざるを得ない︒マルクス風に言えば︑形式的包摂のごく一面が成立するだけであり︑実質的包摂は成立しにくい︒
協働関係の活動分野では︑国家や地方公共団体に雇用される場
合が多いが︑雇用関係がないままに市民活動やNPO︑オンブズ
マン活動とし
て展開される場合もある
︒ 労働目的は多面的であ
り︑徹底した分業をもとにした膨大な労働組織になりやすい︒雇
用労働者は雇用主の指揮命令に従う義務が生じ︑とくに協同労働
︵労働組織︶における指揮管理活動が雇用主の指揮命令活動と一
体になる可能性があるだけでなく︑労働組織が官僚化しやすくな
る︒
認識と表現の活動分野では雇用関係があることは必須要件では
なく︑恒常的な雇用関係から一時的・臨時的なそれ︑あるいは雇
用関係がないままに労働成果を直接に対価と交換する事態まで︑
多様な形態が見られる︒しかし︑科学労働︑大仕掛けな芸術・ス
ポーツ活動では雇用関係があるのが一般的である︒その際に︑雇
用労働者が雇用主に指揮命令に従うことは一般論としてはありう
るが︑過程の構想から細部にいたるまで労働者にまかされるほか
ないという労働特性から︑指揮命令を発すること自体が無意味な
場合が多い︒
社会の基層的活動と労働科学の課題
労働科学は︑これまでに述べてきた趣旨に即していえば︑四分
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非物質的生産労働の分類と労働科学の課題
野の活動のうち生産的・創造的な側面に注目し︑さらに主として
雇用関係にある場合を取り上げる︒そして私の主要な関心に即し
ていえば︑その過程が合理的で人間らしくすすめられるための諸
条件は何かを探ることである︒
そこで次の問題は︑合理的かつ人間的な労働条件を探るという
労働科学の課題を︑これまでに述べてきた社会の基層的活動とい
う視点からどのように根拠づけることができるか︑である︒
A労働特性の違いに内在しつつ︑それを超えて
まず第一に︑多様な労働を四分野に分類したのちに︑それぞれ
の労働特性に即した労働条件を吟味することが可能になる︒
かつて私は︑医療労働を検討して人体が労働手段にもなると主
張したことがあった︒つまり︑病気を治療するために医薬品を投
与するという医療行為を想定したときに︑人体は労働対象である
と同時に病気を治すための労働手段でもあるとした︒その理由と
して︑医薬品の効果が人体内部の諸機能によって実現するという
メカニズムから︑そうした機能を発揮する人体もまた特定の疾病
を治療する目的に対して手段になると考えた︒しかし考えてみれ
ば︑他の人間を育て教え︑心身の不調時に治療し︑生活行動の困
難時には介護するという場合に︑その対象である人間を労働手段
と想定することはありえない︒この場合には疾病に悩む人間が労
働対象であり︑労働手段は医薬品その他の医療器具に限定すべき
であった︒ 人間を手段視する見方もないわけではない︒しかしそれは︑いわば疎外された人間観からもたらされるものであって︑上記のように四分野を立ててそれぞれの労働特性を吟味するという方法に徹するならば生じ得ないものであった︒
また︑教育労働の労働条件を検討するときに︑生活物資充足の
諸労働を検討する際に用いた基準軸をそのまま適用するという方
法を採用し︑結果として教師と児童生徒の関係を把握する際に非
常な困難にあたった︒相当悩んだすえに︑両者のあいだに信頼・
共感関係が構築されなければ教育労働そのものが成立しない︑こ
れは対人サービス労働に特有の事情であるという認識に達して︑
︵8︶ようやく打開できた︒対象者とのあいだに人格的信頼・共感関係
を構築することが労働過程を成立させる必須要件であるならば︑
労働者はその実現に向けて自身の感情を動員するので︑実現でき
なかったときあるいは破壊されたと感じ取れるような事態になれ
ば激甚なストレスに見舞われやすい︒こうして︑従来教師や保育
士︑看護士などに顕著に見られるストレス状態を﹁人間になる活
動﹂の労働特性と共通する基礎的条件から根拠づけることができ
た︒
第二に︑合理的で人間らしく働く条件を労働特性に応じた形で
追求することが可能になる
︒ たとえ
ば
︑﹁
人間になる活動
﹂ で
は︑上に述べたように︑対象者とのあいだに信頼・共感関係を構
築しなければならない︒したがってそれを実現しやすいように︑
特別に工夫された労働条件が設定されなければならない︒その条 非物質的生産労働の分類と労働科学の課題
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件は生活物資充足の活動におけるそれとは明らかに異なるもので
あり︑とくに︑対象者の状態に即して柔軟かつ大幅に余裕のある
条件でなければならないといえる︒
また︑公務的労働では分業を基礎にした膨大な労働組織が形成
され︑加えて官僚化がとくに進行しやすいという事情から︑自分
自身を歯車のひとつにしか感じ取れないといったストレッサーに
襲われがちである︒したがって公務的労働では組織の官僚化によ
って生じるストレスを重視しなければならない︒
第三に︑合理的で人間らしく働く条件の最も重要でかつ一般的
な要素として
労働時間短縮を意義づけることができる
︒ すなわ
ち︑四分野からなる生産と創造活動の側面が発展すれば︑それを
消費し享受する活動もそれにふさわしいものにしたいという欲求
が必然的に生じ︑消費と享受の時間延長すなわち労働時間短縮の
欲求がつよまる︒したがって︑それは社会発展の全過程に根拠を
もつものであり︑四分野の労働特性の違いに埋没させることので
きない一般的な労働条件であり︑そして歴史的趨勢からみれば絶
えざる労働時間短縮として現実的に結実されなければならないの
であり︑合理的で人間らしく働くさまざまな条件の中で最も重要
であるとともに一般的な条件である︑と強調できる︒
こうして︑多様な労働を分類し構造化するならば︑労働科学の
課題を社会の基層的活動から根拠づけることが可能になり︑同種
同根の労働研究の成果を援用しやすくなる︒ B社会的政策活動と関連つけながら社会の基層的活動を上述のように設定すると︑労働条件向上の課題と国家と地方公共団体の政策活動の関係性を検討する視点を定めることができる︒これについては次の三点を考慮しなければならない︒
第一点は協働関係を維持するための規範についてである︒労働
科学あるいは私の直接の関心事である合理的で人間らしい労働生
活実現に向けた諸条件を探る課題は︑協働関係の活動をすすめる
際に立てられる規範の一部と強く関連する︒たとえば︑日本国憲
法における労働権の取り扱い方や国際労働基準のあり方などであ
る︒したがって︑合理的で人間らしい労働生活実現に向けた諸条
件を探る際には︑どのような規範がたてられているかについてた
えず考慮しなければならない︒
第二点は︑協働関係の活動が︑すでに指摘したように︑他分野
︵生活物資充足の活動分野︑人間をつくる活動分野︑認識と表現
の分野︶の諸活動に実践的に介入して制御するという事情にかか
︵注︶わっている︒制御するという場合には︑これら四分野がその時々
にふさわしく均衡を保てるように政策的に誘導することも含み︑
実践的に介入するとは必要に応じて他の分野の活動を直接的に組
織することも含まれる︑と考えられる︒
仮に科学技術開発の事業を国家や地方公共団体が直接的に組織
する事態が生じたと想定しみよう︵現代はこの事態が進行してい
る︶︒この事業には労働力に関する政策的対応も含まれることに
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非物質的生産労働の分類と労働科学の課題
なり︑ときには異分野から労働力を移動させなければならない事
態も生じる︒そのとき労働特性の異なる分野から強行的に移動さ
せるとすれば相当の困難が生じることとなろう︒その困難は︑労
働過程が合理的で人間らしくすすめられるための諸条件の水準を
低下させる方向で作用する可能性が強く︑そうならないようにす
るためには相当の配慮が必要になるであろう︒
国家や地方公共団体が直接的に事業を組織する例として︑上に
述べた科学技術開発のほかに教育
︑ 医 療
︑ 保 育
︑ 介護な
ど も あ
り︑そのほかに道路・交通︑保健衛生︑環境・文化財保護︑文化
事業などもあり︑その範囲は相当に広い︒そして︑注目すべきこ
ととして︑採用される政策の内容によっては︑その事業で働く者
の労働条件を
規制することにもなる
︒ 私の研究実践例をあげれ
ば︑政府の定める保育基準によって保育対象者の人数に対応して
保育士の人数が決められる︒現実にはその人数が保育実情に合わ
ないので︑結果として保育士の労働条件が極めて劣悪になり︑保
︵9︶育士の腰痛や妊娠障害などが多発するという事態も生じている︒
協働関係の活動は現代では主に国家や地方公共団体の事業とし
てすすめられるが︑
そのとき労働力政策も含む形ですすめられ
る︒労働科学の側から見れば︑それらの事業を︑合理的で人間ら
しい労働生活を実現できるかどうかの視点から再点検しなければ
ならない︒
︵注︶ ﹁たえず現実的に共同利害と幻想的な共同利害に対立 するこれらの諸特殊利害の実践的闘争は︑国家としての幻想 的な
﹃ 普 遍
﹄ 利害による実践的な介入と制御を必要
に さ せ
︵
る ﹂︒社会状態とイ デオロギーにおける対立要因を抱えて協
︶働関係を維持発展させるためには︑こうした介入と制御が必
須であろう︒共同利害を現実的に実現し︑共同利害と幻想的
な共同利害の
対立を緩和ないしは打開することを目指しつ
つ︑その具体的な表れを事実に即して吟味することは社会政
策諸科学の課題である︒
第三点は︑現実の労働過程を合理的で人間らしくすすめるとい
う条件が実現しなければ協働関係を維持するうえで直接の脅威と
なる︑という事情にかかわってくる︒わが国の労働科学はかつて
︵一五年戦争末期に︶非合理的・非人間的労働条件によって体力
低下をきたした労働力を保全するという課題に直面した︒軍人と
産業戦士の体力低下問題を解決しなければ戦争遂行が困難になる
というわけである︒しかしこうした極端な例を持ち出すまでもな
く︑一般的に次のような傾向が認められるであろう︒
人間社会が歴史的に発展すればそれにふさわしい新しい欲求が
形成される︒しかしその欲求を実現する条件がなければどうなる
であろうか?一つには︑生産的・創造的活動の他分野︵生活物資
充足の活動︑協働関係の活動︑認識と表現の活動︶で発展しつづ
ける活動を担うにふさわしい人間が生み出されないことになり︑
それ以上の発展をはかるうえで重大な齟齬が生じる︒二つには︑ 非物質的生産労働の分類と労働科学の課題
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人間の生産的・創造的活動の側面が発展しても︑消費的・享受的
活動がそれにふさわしく展開されない限り均衡の取れた社会発展
が困難になる︒
とするならば︑そうした齟齬や困難を打開するために︑協働関
係を維持する活動の一環として︑現実の労働過程を合理的で人間
らしく進める条件を実現する方向に向けた諸活動が展開されるこ
とになろう︒現代でいえば︑多様な形態でまた対立的な要素を含
みつつも国家や地方公共団体の政策活動あるいは労働運動︑市民
運動が多彩に繰り広げられることになる︒
ここから︑労働科学はこうした諸活動に対して正確な事実的資
料を提供することを課題としなければならないという課題が生じ
る︒
ま と め
現実にみられる多様な労働をできるだけ簡明に要約してその構
造化を図ろうとした︒ついでそれぞれの労働特性を吟味し︑さら
に現代に特有にみられる雇用関係と関連づけ︑最後に基層的活動
からみた労働科学の課題を検討した︒
その結果︑社会の基層的活動の分野として
生活物資充足の活
動︑人間になる活動︑
協働関係の活動︑
認識と表現の活動
の四分野を識別した︒また︑合理的で人間的な労働過程を実現す
る条件を︑この分類によって構造化した枠組みから根拠づけるこ
とが可能かつ有効であることを論証した︒ 謝辞本研究にあたって﹁二〇〇〇年度同志社大学学術奨励研究費﹂の補
助を得ました︒記して感謝の意を表します︒
︵1︶拙著﹃労働科学論入門﹄四︱五頁︒北大路書房︑一九九七年︒
︵2︶拙著﹃現代の労働負担﹄文理閣︵近刊予定︶︒
︵3︶
拙稿
﹁ 教師の労
働 負 担
︱
﹂﹃ 評論
・ 社会科学
﹄ 62号︑
63号︑
64︑
65号︑二〇〇〇年︱二〇〇一年︒
︵4︶K・マルクス﹃ドイツイデオロギー﹄三五頁︒服部文夫監訳﹇新
訳﹈︑新日本出版社版︒
︵5︶日野秀逸﹃医療論序説﹄九頁医療図書出版︑一九七七年︒
︵6︶日野秀逸﹃医療の基礎理論﹄一一八︱一二三頁︒労働旬報社︑一
九八三年︒
︵7︶渡辺雅男﹃サービス労働論︱現代資本主義批判の一視角﹄三嶺書
房︑一九八五年︒
︵8︶拙稿﹁教師の労働負担﹂﹃評論・社会科学﹄
62号︑二〇〇〇年︒
︵9︶拙稿﹁保育労働の労働負担﹂投稿予定︒
︵
10︶注︵3︶の四四頁記載︒
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非物質的生産労働の分類と労働科学の課題
別表 歴史生成の前提としての諸契機
1︑ ﹁歴史の第一の前提﹂ ︵三五頁︶
:﹁歴史生成が可能なためには生きることができなければなならない﹂﹁生きた諸個人の存在﹂2︑ ﹁本源的な歴史的諸関係の四つの契機︑四つの側面﹂ ︵三七︱三八頁︶
︵三五頁︶﹂・すべての歴史の根本条件である︒ の他のいくつかのものである︒これらの欲求を充足するための諸手段の産出︑物質的生活の生産であり︑・・・これは・・ ︑︑とりわけ︑飲食︑住居﹁衣服︑そしてそ生きるために必要なのは:根本条件﹁物質的生活そのものの生産﹂イ﹁歴史の﹂ ︵三六︱三七頁︶﹂である︒ 間たち以来︑同時に存在してきたし︑今日もなお歴史の中に貫いている三つの側面︑・・・三つの契機としてのみ把握されるべき ︑﹁社会活動のこれら三つの側面は︑三つの異なる段階として把握また最初の人歴史のはじめから︑まさに︑されるべきではなく ︵三六︱三七頁︶﹁歴史の中を貫いている三つの側面﹂﹁社会的活動の三つの側面﹂
﹂為である︒︵三五︱三六頁︶ された充足の用具が︑新しい諸欲求をもたらすということであり︑︱そして︑新しい諸欲求のこの産出が最初の歴史的な行 ﹁新しい諸欲求のこの産出﹂ロ﹁最初の歴史的な行為﹂:﹁充足された最初の欲求そのもの︑充足の行為︑およびすでに獲得
うことである﹂︵三六︶ にはいりこむ第三の関係は︑自分自身の生命を日々あらたにつくる人間たちが︑他の人間たちをつくり繁殖しはじめるとい ﹁他の人間をつくる﹂ハ﹁最初から歴史的発展の中にはいりこむ第三の関係﹂・・・﹁ここで直ちに最初から歴史的発展の中
ホ
︵三八頁︶ ﹁意識﹂ 3︑
﹂連は諸欲求と生産の様式とに条件づけられており︑そして人間自身と同じくらいに古い︒ ・・・いずれにせよ幾人かの個人の協働が理解されていることである︒﹁最初から人間相互間の唯物論的関連が現れるが︑その関﹂ ﹁社会的にとは︑﹁自然的・社会的な関係﹂であり︑︵三七頁︶要するに︑﹂な関係として︑他方では社会的な関係として︱現れる︒ 一方では自然的︱まやすでにただちに二重の関係として﹁労働における自己の生命も︑生殖における他人の生命も︑その生産はい ﹁自然的・社会的な関係﹂ニ﹁本源的な歴史的諸関係﹂の四つ目︵三七頁︶現実的実践的な意識の生産ホ︱1
﹁意識は︑もちろんはじめは︑たんに︑最も身近な感性的環境に対する意識であり﹂ はじめの意識:
﹁意識的になりつつある個人がもつ︑外部の他の人々や諸事物との狭い関連の意識である︒﹂
﹁人間たちにたいしてはじめはまったく疎遠な︑全能の︑侵しがたい力・・・として対抗する自然についての意識であり﹂︑ 非物質的生産労働の分類と労働科学の課題
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﹁周囲の諸個人と結びつく必要性についての意識であり﹂︑
﹁彼が一般に社会の中でいきることにかんする意識のはじまりなのである︒﹂︵三八頁︶
﹁生産性の向上︑諸欲求の増大︑および両者の基礎にある人口の増大によって︑その一層の発展と成熟を遂げる︒﹂ 意識の発展︵イデオロギーとしての意識の生産へ︶
﹁物質的労働と精神的労働との分割が起こる﹂︵三九頁︶
﹁意識は︑世界から解放され︑﹁純粋﹂理論︑神学︑哲学︑道徳などの形成に移行することができる︵四〇頁︶﹂ホ︱2
﹂︵四〇頁︶ らざるをえないという一つの結論だけを得る︒ ﹁生産力︑社会状態および 4︑歴史的社会がある程度発展した後に︑ 意 識 が︑ 相互の間で矛盾におちいることあり得るし ︑ また陥
矛盾におちいったことによってだけおこりうる︒﹂ ﹁この理論・・・などが現存の諸関係と矛盾におちいる﹂ことがあり得る︒﹁それは︑現存の社会的諸関係が現存の生産力と注
のページ数︒イ︱ホ︱2は本文に引用した番号︒ 文章番号︑段配置︑傍線︑ゴチック体は引用者︒︵頁︶内数字は服部文夫監訳﹃﹇新訳﹈﹃ドイツイデオロギー﹄新日本出版社版 :
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非物質的生産労働の分類と労働科学の課題