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各回の検討文献・論評者

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(1)

1991年度大学院総合ゼミ報告

(1)

各回の検討文献・論評者

第1回

第2回

第3回

第6回

第7回

(5月9日)小沢有作「私の学力評価論一 教育における能力主義とはなにか一」『人 文学報』222号

(評論者 黒埼勲・宮田幸枝)

(5月23日)佐藤隆 「1950年代後半の公 教育における教育価値をめぐる諸問題」

『人文学報』222号

(論評者 大串隆吉・中島純)

(6月6日)竹内章郎 「能力と平等にっ いての一視角一能力主義批判のために一」

『権威的秩序と国家』藤田勇編

(論評者 茂木俊彦・福島智)

(10月3日)越野和之 「子どもの言語的 伝達の発達にっいての実験的研究」『教育 科学研究』10号

(論評者 坂元忠芳 南舘こずえ)

(10月24日)福島智  『「発達の保障」と

「幸福の保障」一障害児教育における「発 達保障論」の再検討一一』『教育科学研究』

10号

(論評者 小沢有作・桐山知之)

第9回

第10回

第11回

南相理  「日本人の韓国語学習一朝鮮植民 地化過程に焦点をあてて一」『教育学研究』

58巻2号

(論評者 佐藤広美・村上純一)

(11月28日)坂元忠芳  『対話の教育への 誘い』新日本出版社

(論評者 佐藤隆・桐島次郎)

(12月5日)大森直樹 『植民地における 青年教育政策の展開一「満洲国」における

「勤労奉公制度」(1943〜1945年)を中心に一』

『国際教育研究』11号

(論評者 大串隆吉・毛剣文)

細川たかみ 「フェヌロンの父観一教育思 想史における親子・家族関係の視点から一J 構想中論文

(1月23日)M.Cole ed, Bowles and Gintis Revisited:correspondence and contradiction in educational theory

(1988,Falmer Press)

(評論者 荒井文昭・越野章史)

(2)

総合ゼミの記録

第1回 (1991年5月9日)

 小沢有作著「私の能力評価論一教育における能力 主義とはなにか一」(『人文学報』第222号、1991年 1月)の検討を行った。コメンテイターは、黒埼勲

(教員)と宮田幸枝(M院生)であった。

 はじめに宮田が、本論文にっいて、「学校におけ る能力主義の問題を、高度成長期における産業界の ハイタレントの要請、それに応える教育政策の展開 において考えるのではなく」、点数制とそれにとも なう成績の私的所有に焦点をあてて述べているとし、

学力評価の歴史をふりかえる中で、「点数制からの

解放と、教育差別をなくす道として、成績の私的所 有制をなくすことを訴えている。」と述べた。宮田 のだした論点は、「点数制を、学校における能力主 義の問題と社会における能力主義の問題を関連させ ながら考えていくことの」大切さを強調したあと、

点数制にとりこまれている子どもの立場からの吟味 の必要性を指摘した。また、最近話題になっている

「名門私立(国立)小学校、幼稚園」の「競争を忌 避するための競争」に関しては、親の教育関心の高 さや経済力が関係しており、点数化の序列によって のみ生じる現象ではないと疑問点をだした。

 続いて、黒埼は、本論文の特徴を、学校の内部装

(2)

置(5段階相対評価法と点数制)の働きの結果とし て、能力主義を対象化している点であるとした。そ

して、「学力の虚構化のプロセスを分析した部分は、

きわめて明快である。」とし、「学力の点数化が虚構 であることは事実である。」と述べた。さらに、こ の方法論は、学力の点数化による「意識の転倒」す る(点数が社会において「無原則的に拡大解釈され」、

「オールマイティの力を持っ」)ところでは、「有効 であり、重要でもある」と評価した。しかし、「こ の論文が、社会装置を問題にし、教育の制度を問題 にするならば、改革の対象は、学力の点数制ではな い」と批判した。っまり、「学力の点数制が土台に なって、成績の私的所有というものが可能になって いるともいえるが、それは逆立ちした意識において そうなっているというべき」で「検討すべきは、学 力の点数化を必要としている社会構成原理にあり、

かっ、その原理は単に否定的なもののみということ はいうことできない」と、述べ、小沢との議論の対 立点を示した。

 以上の質問を受けて、小沢による回答がなされた。

能力主義の問題の出発点を点数制におくことによっ て、社会的関係によって見えなかった学力の点数化 と成績の私的所有を問題することができる。それは、

教育学からの提起となり、教育学・教育理論の問題 解決の固有性を明らかにすることもできると述べた。

 小沢に対して、越野章史(M院生)が、質問した。

質問の内容は、以下の三点である。①知識の私的所 有と成績の私的所有の言葉の違いについて②テス トの形式に関して(論文形式のテストの評価の仕方)

③点数制の成立の契機っいて(知識の私的所有の構 造は、企業・経済界から特定の学力を身にっける要 請によって生じる。)これにっいて小沢は、知識の 私的所有は存在するが、成績の私的所有は否定され なければならないと答えた。また、論文形式のテス

トに関しては、一般のテストと同様に評価者が点数 決定に関して絶対的権力をもっので、構造自体は変 わらないと答えた。また、能力自体は点数によって 評価できないと述べた。三点目に関しては、100点 満点法が、いっ・どのような歴史的背景でできあがっ たのか、その始まりを調べる必要があると述べた。

これに関して、坂元(教員)は、歴史研究の必要性 を強調したうえで、市場経済=価値法則の発展と点 数制の導入との関連性にっいて質問した。茂木(教 員)は、人間の知能が正規分布すると考えるように なったことと、点数の意味づけが集団の中でで特別

な意味をもってくる事との関連性を指摘した。

 このほかの議論としては、黒埼は、個人の私的に 所有している能力を社会において構成する方法をV一 ルズに学ぶべきであると述べた。また、大串(教員)

は、成績としての使用価値と、子ども・企業の側の それによる利益の相互関係にっいての疑問を出した。

(文責 南舘こずえ)

第2回(1991年5月23日)

 佐藤隆の論文「1950年代前半の公教育における教 育価値をめぐる諸問題」(『人文学報』No,222・教 育学〈22>・1991,1)の検討。コメンテーターは、

大串隆吉(教員)と中島純(院生)の二名が行なっ

た。

(1)中島のコメントの主要な点は、佐藤論文が50年 代前半を対象として設定する「積極的な意義」およ び、この時期をあえて問題とする「筆者の真意」が どこにありあるのかということと、50年代の「教育 現実の見取り図を描き直すうえでのメルクマール」

(論文94ページ)をおきなおすことが、従来の通史 的研究が明らかにしてきた戦後教育史像をどうぬり かえ、いかなる新しい歴史的評価をひきだすことに なるのかというものであった。

 次に、大串はコメントなかで、佐藤論文の課題は

「能力主義競争と学習意欲の空洞化」を克服するた めに、「能力主義競争」の成立基盤を探り、それが 高度成長期以前の1950年代にあるという仮説をたて ることによって、戦後教育史のみなおしをおこなう ことと日教組国民教育運動の限界とその観念性を問 おうとするものではないかと指摘した。しかし、旭 丘中学校事件にその素材を求あたのが適切であった かということは、次回の論文で検討したいと付け加 えた。また、勝田守一がおこなったのこの事件の分 析では、「中間層」の父母の教育観を「伝統的」と 見ているのに対し、佐藤は「ここに新しい時代の出 発点をみようとして」おり、佐藤のそれは「勝田と 逆のベクトル」ではないかと述べた。

(2)中島のコメントに関わって佐藤は、50年代前半

期において新教育の理念が、権力によってだけでは

なく「民衆の側」の力によっても崩されていったと

いう点に注目していること、そして、教育史の通説

では、50年代を「政治の季節」、60年代を「経済の

季節」として理解するのに対し、そのような把握の

しかたがはたして妥当であるのかという疑問をもっ

たと述べた。そして、60年代が「経済の季節」と呼

(3)

ばれるようなった客観的基盤は何かということを

「最も政治的な対決の場」といわれた旭丘中学校事 件のなかに探れるのではないかというのがこの論文 を執筆する直接のきっかけであり、それをっうじて 50年代をこれまでと違った図式で描き出そうと様々 な方法をもちいたとしている。

 大串のコメントにっいては、例えば「学習意欲の 空洞化」とはどのようなものかということにっいて もこの論文のなかでは十分に成熟したかたちでは出 せていないが、そのような問題は重要だと思うと語っ た。また、「勝田と逆のベクトル」という指摘は、

その通りであるとした。これらの応答を受けて中島 からは再度、50年代前半を能力主義教育路線の再出 発として捉えるべきだという佐藤の主張は理解でき

るが、ならば「産業教育振興法」などに代表される 経済界の動きにっいて更に詳しく分析すべきではな かったかという意見が出された。

(3)後半の討論では、大きくわけて二っ問題が出さ れた。その一っは、「教育価値」という言葉の内実 をどのように佐藤が考えているのかという点であっ た。大森からは、「教育的価値」と「教育に対する 能力主義的要求」の矛盾というのがこの論文の構図

となっているが、それはむしろ、一部の教師と親た ちの「教育認識」の矛盾として捉えるべきではない のかという質問が出された。佐藤は、「教育価値」

という概念は慎重に使うべきだが、この論文におい ては、「平和と民主主義」をその内実として考えて いること、また、「平和と民主主義」という一般的 にいって「政治的価値」をいかに「教育価値」にし ていくかということが重要であると述べた。そして、

旭丘中学校の実践においては、階層的に中から上に 属する親たちに強くあった子どもの進学要求といっ たものと民主主義を結びっける意識に対し、教師た ちの中には、それとは質的に異なる民主主義認識が あったのではないかと指摘した。これに関連し、福 島からは父母の能力主義的教育要求と民主主義価値 は対立、または対置すべきものであるのかという質 問がなされた。佐藤は、60年代以降の教育政策にお いて、民主主義の原理の中に能力主義が強引に付与 されたことを考えれば、能力主義と民主主義を表裏 一体のものとして捉える必要はないのではないかと 答えた。

 二っめは、教育史において50年代と60年代が区別 されるものなのか、または連続しているものとして 捉えられるべきなのかという問題であった。黒崎は、

この論文では60年代以降顕在化してくるものが既に 50年代から準備されていたと読めるが、それならば 佐藤は、50年代と60年代を区別するという捉え方に 立っていないということなのかどうかという質問が なされた。佐藤は、50年代において既に進学といっ たものを価値として認ある傾向が存在していたとい う事実からも、50年代を「政治の季節」、60年代を

「経済の季節」と特徴づける図式には賛成しないと 述べた。更に、黒崎からは、論文の94ページに書か れている「60年代以降に顕在化し、かっ国民の大部 分をまきこんだという意味で普遍化してくる国民の 受験学力要求および能力主義的競争を肯定する意識 と、平和・民主主義を教育価値として認めようとす る意識の矛盾と葛藤」が50年代において現われてい るというところに論文のねらいがあるとすれば、60 年代以降顕在化した問題の特定にっいて再検討が必 要となるのではないかという意見が出されが、この 問題にっいては時間の関係もあり十分に議論が深め

られずに終わった。     (文貴 桐島次郎)

第3回(tg91年6月6日)

 今回は竹内章郎「能力と平等にっいての一視覚」

(藤田勇編『権威的秩序と国家』東大出版会1987年 に所収)の検討を行なった。コメンテーターは福島

(D院生)と茂木(教員)であった。

 福島コメントは①竹内自身は能力差にどういう価 値序列を持ち込むのか明確でない②竹内自身が媒介 的結合(平等な人間存在が能力差を占有する)は、

全面発達の志向と人間存在の平等性との二律背反を 克服する理論枠組みとして十分でないと感じており、

議論に矛盾がある③評者は二律背反を克服する上位 の価値意識として全ての個人の幸福実現を目指す価 値意識を想定する、の三点を述べた。

 茂木コメントは①竹内の多元主義的発達観は実際 には発達・教育否定であり、二律背反を克服できな い②私は発達過程の多様性を認める。全ての子ども の発達の水平的・垂直的展開を目指し、そのことと 子どものあるがままを認めることとの矛盾の続一一を

目指す中で、教育実践は成り立ち、平等論もその線 上で論じ得ると考える、の二点を述べた。

 まず大森(D院生)から茂木の平等論の中身が質 問され、茂木からは、矛盾の統一を目指すという私 の議論も当為論またはあるべき論にとどまるとの答 えがあった。

 次に黒崎(教員)は、能力に無関心なブルジョア

(4)

社会の平等論が実際には非常に激しい能力差に基づ く社会をっくり上げたのに対し、竹内の議論は能力 に関する問題意識を人類の解放にとって必須だとし ながら人間存在の平等性を守ろうとするところに意 義がある、と評価した。

 これに対し小沢(教員)は、能力を主語にすれば 差別が生じるのが近代社会であり、これを批判的に 乗り越える為には人間存在の平等性を主語にすべき である、そうすれば二律背反などおこらない、障害 者を軸に近代社会を捉え直そうというのなら近代思 想を障害者の視点から捉え直すべきだ、と述べた。

 これに対し黒崎は、二律背反は竹内論文の最大の テーマだと思う、竹内は入闇存在から具体的能力差 を捨象せずかっ人間の平等性を否定せぬように能力 を自己に固有な内面的なものと「持っにすぎない」

外化されたものに分け、外的な能力を問題にしても 人闇存在の平等性はくっがえらないと論じた。また 内的な能力と外化される能力との相互関係をヘーゲ ル的に理解した。そのヘーゲル的なところはよく意 味が分からないが、竹内の議論は二律背反的な問題 設定を中心点にしており、この試みに強く興味をも っ。私もそうした関心で能力主義の問題を解こうと してきたが、ジョン・V一ルズの配分的正義論と竹 内のへ一ゲルを使った議論と比べてみて、配分的正 義の議論のほうに見込みがあるように思う、と評価

した。

 坂元(教員)は、竹内の議論はへ一ゲルの正しい 援用になっているのか、へ一ゲルの偉大さは外なる

ものとの関連で内なるものを問題にしているのに、

それを切っているから二律背反性がやや明確さを欠 いているように思えるのではないか、と竹内論文を 批判的に評価した。

 また佐藤(広)(教員)も、竹内のヘーゲルのっ かみ方には発達論を欠くのではないか、と感想を述

べた。

 茂木は、竹内の議論には実践的な契機が見出せな い、と評価した。人間存在の平等性は神秘的なもの になり、能力もただ外化されたものとされている、

その意味で二律背反は成功していない。竹内が言い たいのは人間存在の平等性そのものではないのか。

しかし外化された能力自体にっいても問題にしなけ れば議論が立てられない。竹内の議論は現実の能力 の差異を考慮しきった上での展開に成りえていず、

議論としては二律背反を組み立てたが、実際は最後 のところで逃げた感じだと評価した。

 これに対し小沢は、竹内の議論は能力論ではなく 関係変革論のレベルで展開されていくと思うと述べ、

人間存在において全ての人は平等であるという障害 者からの切実な主張に耳を傾け、改良的にではなく 革命的に、人間存在を主語にして考えるべきであり、

そこから能力を捉え直す議論の展開を竹内に期待す る、と述べた。

 福島は、これまでの発達や能力の陶冶への感情的 批判(その中には全面否定をする議論もあった)に 比べ、竹内の議論では理論的に発達論そのものの中 に内在する平等論に抵触する危険性を指摘したこと に重要な目的が達成されている、と述べた。茂木の 議論では竹内批判にはなりえてないし、少なくとも 越えていない。竹内の議論は二律背反の矛盾を意識

し、平等性を中心におきながら能力の発達を否定せ ず取り込んでいくという図式であり、その枠組みの 提示を評価する。そこから先の具体的な議論は次の 課題だ、と述べた。

 黒崎は、竹内はへ一ゲルに従い占有と所有との間 に弁証法的な関係を認めたが、そのことの積極面が 二律背反の部分で展開されていない、それに対し配 分的正義論には、人間存在と能力とを非常に形式的 に分け、優れた人間の能力を共同資産と考え、それ を社会の公正という観点からどう取り扱うかという 原理問題を正面の議題にする実践性がある。竹内の 議論はそういう課題を積極的に生み出さない。だか

ら彼の意図したことは分かるが、実現できたことは 配分的正義論に及ばない、と評価した。

 福島は、竹内は意識の面での問題を提出しており、

彼の言う『平等な人間存在』というものは価値の序 列を持ち込まない能力差の把握であり、能力に応じ た処遇とか能力の陶冶や発達を否定するのではなく、

そこに人格に向けられた価値が染み込む危険性を排 除しようとする。価値の序列を持ち込まず同時に能 力は能力として伸長させようとし、配分的正義の仕 組み自体を否定するのではなくそこに随伴する価値 の序列性=差別的な意識を批判しているのだ、と述

べた。

 越野(和)(D院生)は、竹内の議論の積極性は、

能力差による差別を人間存在の平等性という上位の 価値で規制する価値序列を付けたことではないか、

と述べた。

 大森はこの論文の意義は、①あらゆる能力主義に 依拠した平等論は差別を肯定するものに転落してい

く②存在を主語にした平等論は批判の仕方として有

(5)

効だが、現実的社会的内在的に主張されたものでは なく現実を変えていく議論ではない、その二っのこ との限界を明確にしたことだ。だがその先は明確に 出せていない、と評価した。

 黒崎は、小沢は竹内が「全面発達を志向する価値 意識に基づく諸課題が、人類の解放にとって必須の ものであるというのも自明である」とすることに問 題を感じており、そこで自分と意見が別れてしまう のだと思う。また竹内は社会理論としてこれを言っ ており、茂木批判は彼の発達観の問題に絞っている が、それは竹内論文の中心的問題ではない、と述べ

た。

 茂木はこれに対し、竹内は常に個に関心があり、

一貫して問題にしているのは個の問題だとした。

 坂元は、関係論を徹底的に展開しないと人格論は 論じられない。自分の意見は『対話の教育への誘い』

で展開する、とした。→11月28日の総合ゼミで検討。

 桐山は、『生命の倫理を問う』でも竹内は、優生 思想批判の中で人間存在の平等性の尊重を生命の尊 厳を守るという立場から展開しているが、そこには 能力の発達や人格の陶冶が人間を結びっけ、人間存 在の平等性が歴史的社会の中で現実化するその具体 性を物質的に保障するものだという分析が弱い。二 律背反の一方を充分に追求しないままの一方の擁護 という基調だと思う。それでは実践的に、現実の個々 の場面で矛盾を意識しながらそれを活かして問題解 決をしていく立場には立てない。だから教育実践論 的にも制度論的にも問題を扱うときに、空想的な議 論に終ってしまうのではないかと感想を述べた。

 福島は、『競争の教育から共同の教育へ』で竹内 は、個人の能力は社会のシステムその他の諸サービ スの関連と共同において具体的に展開されていくも ので、個人内部のなかに固有な能力だけでは本来の あるべき能力の姿が把握できない、という主旨の論 を展開したことを指摘した。  (文責 桐山知行)

第6回(1991年10月3日)

 越野和之の論文「子どもの言語的伝達の発達にっ いての実験的研究」(『教育科学研究』)第10号1991 年6月所収)の検討をおこなった。司会は浅野かお る(院生)で、評者は坂元忠芳(教員)と南舘こず え(院生)である。

 坂元は越野の論文に対して評価を加えながら次の ようなコメントをしている。

この実験の特徴は、一言に言って、「自己中心的言

語」に関するピアジェの実験の「批判的追試」であ る点にある。ピアジェの実験においては、物語と機 械にっいての説明が、子どもに求められたが、越野 の追試においてはやや複雑な図形の説明が求められ ている。またその際ヴイゴッキーの発達モデルを立 証するために図形の選択に工夫がされており、大人 の側からの助言に対する子どもの説明に付随する行 為の観察が行われている。これらの点で越野の論文 は、従来のピアジェ追試に新しい知見を加えようと する意欲が見られる。

 以上の評価の後、坂元は本論文に対して次のよう な疑問点を出した。

 1.越野の言う「非情報文節」やフィードバック 後の反応が、7歳以降で減少するのは、別の要因に よるとは考えられないか。そう言った点にっいての 説明が不足しているように思われる。

 2。言語の計画化がどのように内言の生成と関係 しているのかが、いま一っはっきりしていない。例 えば、「自己中心的言語」や「ゆびさし」「なぞり」

等の行為の減少という現象がなぜ「計画化」なのか が、充分説明されていないのではないのか。

 3.第2と関係するが、図形の説明にあたっての 子どもの動きの中で、「なぞる」という行為が5歳 で減少し6歳で再び増加するのは、表現の計画化へ の志向が明確化することだと捉えられ、その説明と

して、4−5歳では、行為が発話と同時に行われる のに対して、6−8歳では行為が発話の中断として 行われているとされているが、その根拠となる例が 本論文では、示されていない。

 4.より根本的には、「対話的な言語の形式の脱 却」にっいては、もっと別の実験、っまり越野の援 用する天野清の仮説の正否を示す実験が必要ではな いか。具体的には、計画化能力の形式のきっかけが 劣る大人との対話による子どもの言語フィードバッ

クある、という天野の仮説を、大人との対話をおこ なっている対象とそうでない対象との比較実験、ま た、計画化を言語の要素に分けた実験等によって、

検証する必要がなかったかどうか。

 南舘が提起した疑問点は次の通りである。

 1.この実験で、ピアジェの理論と、ヴィゴッキ・一一 の理論とは、子どもの発達の視点で決定的に異なる 点はどこか。

 2.課題2において、「最初の試行とフィードバッ

クを支えに充分な伝達を行った子どもは、ほとんど

の場合、2回目以降の試行では、独立で充分な伝達

(6)

を行えるようになった」とある。このことは、2回 目以降では、4.5.6歳ともに、パーフェクトにで きたことと理解してよいのか。

 3.課題3において、聞き手が正しい積木を選択 できるように、あらかじめ想定した順序を伝えてあっ たのはなぜか。子どもから聞き手への伝達を調べる 実験であるのに、伝達が達成されたか否かを調べる 必要はなかっただろうか。

 越野は次のように答えた。

 坂元の質問の1、坂元は7歳における減少は、別 の要因(教育、訓練)があったのではないかと言っ ているが、そうした「特別な要因」は「無作為抽出」

という操作によって排除されると一般に考えられて いる。その2、計画化への志向がめばえるという仮 説になっているが、その現れとして、最初に自己中 心言語とか、諸々の行為が、内面で行われないで、

外化して現れている。これを自己計画、っまり相手 の要求を考えて話そうという意図の現れだと考える。

その意味で、それらの行為の出現が計画化の指標で あると考える。その3、例が示されていないといっ たが、その通りである。その4、ピアジェのいう自 己中心的な伝達という現象が、実際は子どもの言語 活動の対話的性格という事実によって説明可能であ るというかたちで天野の仮説を実証しようというの が、本実験の一っの意図であった。

 南舘の質問に、越野は次のように言った。

 ヴィゴツキーは自己中心性という概念は使わない。

ピアジェが、彼の言う「自己中心性」の証拠として 取り上げた自己中心的言語という現象をヴィゴッキー

は発達水準のより低い子どもの言語活動は、他者と の関係により多く依存している、っまりより社会的 だという形で理論化したわけである。これはヴィゴ ツキーとピアジェの大きな決定的な違いだと思う。

課題∬の2回目以降の試行において、4歳児の結果 をもう少し知りたいといったが、手元に資料がない ので厳密には答えられない。課題3のところは指摘 された通りであるが、そうすると変なことを子ども が言っても、聞き手が正しい答えを選んだ場合、コ ミュニケーションが成立したことになってしまい、

子どもの言語的伝達能力が、そのものとして評価で きないため、本論文のような方法を取らざるを得な かった。

 茂木俊彦(教員)が「あらかじあ考えて行動を起 こすというのはいろいろな発達段階にわたってみら れる。具体的な行動、例えば、これをして、それを

して、その次に目的を達成するというレベルでの計 画化は、もっと低い年齢からみられる。それと比し てここで言う言語行動の計画化はどうしてこの年齢 で大きく発達するのか。行動の計画化にはいろいろ

レベルで、いろいろ発展過程があり、その辺をもっ と考えてみると面白いとアドバイスした。

 小沢有作(教員)が「小学校学習指導要領の国語 の部分、小学校1年から6年まで学年別に、話し方、

聞き方にっいての発達を文部省が設計している。い わゆる言語発達の論点から、学習指導要領にっいて

も研究報告をしたらどうか」と勧めた。

 宮田幸枝(院生)は、「はじめに」は内容が多く て、文章も長いが、「おわりに」は短くて実験研究 の成果と内容とそれに対するコメントがやや簡潔に 述べられている気がするといった。

 越野はこの論文はあくまでも実験の報告で、「お わりに」では、自分の仮説に対応した結論を述べて いるが、「はじめに」で述べた理論上の課題に対し てのまとめはできていないと答えた。

 最後に越野は、子供の言語発達において、対話と か、大人の援助が大切であり、これは教育の問題に        大きく関わるが、こうしたことにっいて教育現場で

はどのくらい意識し、自覚しているか、あまり意識 されていないという事実があるのではないかと述べ た。       (文責 毛剣文)

第7回(1991年10月24日)

 今回の総合ゼミでは南相理(D院生)の「日本人 の韓国語学習一朝鮮植民地化過程に焦点をあてて一」

(『教育学研究』第58巻第2号、1991年2月)と福島 智(D院生)の「『発達の保障』と『幸福の保障』一 障害児教育における『発達保障論』の再検討一」

(『教育科学研究』第10号、1991年6月)の検討を行

なった。

 1.南相理「日本人の韓国語学習」の検討。南論 文のコメンテーターは、村上純一(1)院生)と佐藤 広美(教員)であった。

 村上は南論文の課題と構成を整理したうえで、次

のように評した。以前南の修士論文に対して、民衆

の文化交流の中から国家の植民地政策への疑問や批

判が生まれていなかったかという、民衆の側からの

国家政策の捉え直しという視点がゼミ生から提起さ

れた。本論文はこれに対し、そういう事実は見っけ

にくいという結論を出したと受け取った。東本願寺

の事例も民衆側の問い直しの契機ではなく植民地政

(7)

策とは一・一.一定の距離を置くことのできた布教としての 位置づけがされている。事実として民衆の側からの 一捉え直しが指摘しにくいとすれば、日本民衆の中に

ある問題点をいっそう指摘すべきではないか、と。

 佐藤は、南論文を大変分かりやすく面白いと評価 し、「韓語学所」の内容と設置動機としての朝鮮

「綴服」、及び「東本願寺の語学生派遣」とをあわせ 読んだ上で、韓語学所の設置動機と語学生派遣の関 係にっいて質問した。

 これに対して南は、明治政府の韓語学所の設置動 機は朝鮮支配にあった。光清寺に設置された韓語学 所は朝鮮綴服のたあの韓国語学習という目的を掲げ ながらも「交隣」のたあの韓国語学習の蓄積に頼ら ざるを得なかったというずれを抱え込んでおり、友 好のための学習内容が朝鮮綴服に利用されるという 矛盾を内包した。一方で東本願寺は語学生を釜山に 派遣したが、それは政府の朝鮮綴服の「裏」を担い っっ他方では日本人の韓国語学習大衆化を促進する 役割をも担った、と答えた。

 小沢(教員)は三位一体の構造(①朝鮮人への日 本語強制②日本民衆による韓国語無視③警察官など による支配のための韓国語学習)が今も残存してい るかどうかにっいて発言した。まず日本語強制は韓 国独立後不可能になり日本語教育はずっと行なわれ なくなったが、日韓条約以降70年代に入ってから外 国語として勉強されるようになった。次に民衆によ る韓国後の無視は、アジアの花嫁を迎えた日本の夫 たちが韓国語を勉強しないということがある反面、

市民の中には韓国語を勉強しようとする動きは強まっ てきた。そして警察官の支配のための学習は、一っ は戦前の特高警察からの系譜で在日朝鮮人を多く抱 えている地域の警察官が勉強をしており、もう一っ は自衛隊の中で韓国語学習が行なわれている。その ため50年代までは大阪外国語大学で朝鮮語講座を置 くときなどには日本の左翼の一部が朝鮮侵略の手段 になるといって反対運動をしたが、今はそういう認 識はなくなった。70年代に入ってから三位一体構造 は少しづっ変わってきており、戦後40年の間にそう

した構造がどう変化してきたかを追うのは本論文と は別の課題としてある。それにはNHKのハングル 語講座ができたプロセスを丹念に分析する必要があ ると思う、と発言した。

  2.福島智「『発達の保障』と『幸福の保障』」の 検討

 福島論文のコメンテーターは、桐山知行(M院生)

と小沢有作(教員)であった。

 桐山は福島論文の内容を整理し以下のように評し た。福島の主張の根拠は、障害者をめぐる教育にお いて発達主体である障害者自身に自主的主体的決定 権が認められていない実態にあると思う。教育者の 未熟さや不備によって生じる抑圧性の指摘は、教育 する側の変革に結びっかなければならず、将来養護 学校の教師を目指している評者にとっては精一杯受 けとめたい批判だ。しかし現在の全障研の理論・実 践活動は福島の言う「幸福の保障」の実現を追求し ようとしていないだろうか、と。

 これに対し福島は以下のように答えた。確かに障 害児集団の教育力や共同教育の意味もあるが、教育 実践を豊かにとか教育的価値の実現と言う前にそも そもある一人の障害児にとってどんな環境でどんな 教育を行なうのが人生を本当に豊かにするのかが問 われなければならず、それを簡単に発達や教育とい う立場から言えるだろうか。慎重に謙虚に、障害児・

者の人生というものをまず第一に考えるということ が原理にならなければならない。そうでないとどう

しても発達を十分できるだけの能力を引き延ばせば それでいいという安易な発想に接続しかねない危険 性があると思う、と。

 次に小沢は福島論文を以下のように評価し質問を 出した。すなわち福島論文は、「能力の全面発達を 志向する価値意識一全障研」と「平等な人間存在を 優先する価値意識一全障連」とを二律背反的価値意 識と措定する竹内論文に依拠しっっ、「二律背反を 保持しっっ、両者を媒介するメタレベルの価値意識」

として「各人の幸福実現を志向する価値意識」を想 定しているが、評者はこの問題を価値意識の対立と してではなく位相の違いとして捉えるべきだと考え る。幸福は保障されるべきものではなく自分でかち とるものであり「幸福の保障」はおかしい。障害者 の「幸福」とは何かを考えたい、福島の幸福像を提 出してほしい、と。

 これに対し福島は以下のように答えた。「幸福の 保障」にっいては確かに幸福を追求するたあの条件 を保障するというような語句にした方がいい。位相 論にっいては私が考えていることとかなり近い。私 は今後に向けて、障害者を捉える際に、①能力不全・

発達遅滞・発達の歪みなどを標準からの偏位、能力

や発達の部分的欠如と見る観点での客観的なアプロー

チ。主体としての障害者個人に注目し、②社会関係

としての差別非差別③内面の問題として障害をどう

(8)

考えるか(苦悩として捉えているかどうか)。この 3っの側面の上に幸福不幸という大きなカテゴリー を置き、3っの側面と上位の幸福不幸がどのように 関わるかという点で一一一.一っのまとまった理論枠組みに する構想を持っている。幸福の中身にっいては、何 かを協同してっくりあげていくというような意味を 含めた「コミュニケーション」が障害児・者の幸福 実現にとって非常に重要だと思う、と。

 次に南舘(M院生)は、私は差別との闘いに力点 を置くのが全障連の主張であり、全障研の主張は発 達の保障に力点を置いていると解釈する。両者の力 点の置きかたの違いによって互いの対立が生じてい ると思う。福島解釈は、運動の具体的展開において 対立を生じている両者に理論上の対立は本来生じて いないとするのか、そこがよく分からない、と質問

した。

 これに対し小沢は、それぞれ理論的に対立してい るという前に、思い込みと運動の違いにおいて対立 している。それぞれが冷静に理論的を整理し、共通 点と相違点を明らかにすべきだ、と意見した。

 福島は、両者には理論的に共通する部分もあり、

互いへの誤解があることを示せるようにこの論文作 成にあたっては両者の議論からの引用に注意したと 答えた。

 最後に茂木(教員)は、全障研委員長の立場から、

全障研は発達保障と社会制度の変革を結びっけて考 える理論枠組みを持っており、能力を発達させれば それでよいとは考えていない。少なくない障害児学 校の教師は、教育実践を展開すると同時に実際に作 業所を作るなどの運動の主体にもなっている。全障 連とはじっくりと論争をしたいと思う、と答えた。

      (文責 李立泳)

第9回(1991年11月28日)

 坂元忠芳(教員)著『対話の教育への誘い』の検 討が行なわれた。コメントは佐藤隆(教員)、桐島 次郎(院生)の2名が行なった。司会は大森直樹

(院生)。

 佐藤のコメントは次のとおりである。

 1.戦後の「教育実践史」や「教育学研究の歩み」

との関連で読まないと理解しにくい。

 2.坂元の「学力論」の特徴は鈴木、藤岡両氏と の論争の中でつくられた視点、論点があり、『学力 の発達と人格の形成』以来大きく受けている「落ち 研」的習熟度論に対し否定的であると思うが、坂元

自身は今はどう思っているのか。

 3.坂元の「学力論」の要点でもあった「階層性」

の問題にっいて、再検討する必要が今日あるのでは

ないか。

 4.学校の機能にっいて、基礎学力は戦後の民主 主義的教育運動の歴史の中では、長い間中立的なも のとして認識されてきたが、現在では日本の企業、

社会の中にまでその性格が、連動されて行くという 性格を強くもってきていることに対し、反省を促す べきではないか。

 5.勝田の『能力の発達と学習』の中で、教育固 有の論理の一つの軸として、子供の発達と同時にそ の子供がやがて生きて行く社会の中での必要な転業、

労働から欠けるという考え方があり、そのために必 要な教育教育内容は職業教育、技術教育としてでは なく、科学的認識というかたちで問題提起している。

このような逆説的な方法を取ることによって、当時 の国民的教養論や共通教養の考え方が登場する舞台 ができあがったものと考えられる。そういった戦略 を取っていたものと考えられるが、坂元の『対話の 教育への誘い』の中ではこの点にっいてどの様に考 えられているのか。

 6.とりわけ教育内容の系統性、共通教養の問題 に対して、絶対的な信頼を置けないといったニュア ンスがこの『対話の教育への誘い』の中にあるので はないか。

 7.坂元は「学校と社会の関係を当面切り離す」

戦略を出しているように思うが、勝田の戦略とは少 しニュアンスが違うように思う。すなわち、勝田の 戦略としては国民的教養論という形でできるだけ、

自分の力で職業の選択ができるようにして行くといっ た含みがある。職業や労働を包み込むような形で科 学的認識や教養というものを説得しようとする努力 があったと思う。

 桐島のコメントは次のとおりであった。

「対話」という方法が必要であることに異論はない が、敵対的競争秩序を「相対化」するための手段は 対話をその基準としなくてはならないだろうか。あ る特定の学力モデルや子ども像などを設定すること はもはや不可能であるという事とと同じように、

「対話」という一っの方法を「原則」とする事がは たしてできるだろうか。

 また「対話の原理」と教育、生き方のフォームが

どの様にっながっているのかその関連がはっきりと

読み取れなかった。さらに経済システムにおける

(9)

「公正な競争」が、どんな筋道で教育における「公 正な競争」へと向かうのか。そのことと関連し、

「公正な教育」と「対話の原理」がどの様に接合す るのか、より詳しく説明していただければと思う。

 コメントに対して坂元は次のように答えた。

 自分がこの本で何を展開しようとしたか、ふれて みたい。最近自分の教育理論における体系にっいて 考えないわけではない。これまでやってきた自分の 教育学が、何であったのか考えている。自分として はその時代に精一杯考えたことをそのまま出してき たが、恐らくかって十分自覚しないで出してきたも のに否定的な見解を出している場合もあろう。しか し、その時時には、それなりに考えを出してきたと 思っている。

 「学力論」にっいて言うと、私は今でも習熟その ものの重要性を否定しているのではない。かって自 分が考えていた「習熟論」にっいての考え方とはか なり異なったものを出したかったのだ。かってはあ る種の問題については、できるだけステップを踏ん で教えるべきであると考えていた。たとえば、自動 車の教習所のやり方は「対話」だけでは成り立たな い。徹底的に習熟のステップがないと駄目だと思う。

そういう意味では教育というものも、ある面におい ては、非常に細やかなステップ論が成立するし、そ のような習熟性が必要であると考えている。

 しかし習熟にっいては、今後、機械が相当代替し てくれる面があると思う。ここで私が言っている習 熟論は70年代で言っていたものとはすこし違って出 されている。それは習熟も、また互いに子ども同士 が対話しながら能力や学力を獲得していく中でつく られねばならぬということだ。関係論的な方策を少 なくとも、学力論争より少し前から、私は少しづっ 考えてきたように思う。

 学力論争の時には、学力にっいての階層性は人格 と学力構造の統一的把握の中で考えていた。必ずし も対話と言うような実践論と判断論とをっなげるか たちで考えていたのではない。

 黒崎(教員)から質問がだされた。

 「敵対的競争」という言葉と「公正な競争」とい う言葉とが一対となって使われているが、それらが 全体の論旨をどのように構成しているのか、よく理 解できない。「努力において競争する」とかかれて いるが、競争という行為は具体的結果を問題にしな いでは成立しないと考えるがどうか。

 坂元の回答は、次のとおり。

 精一杯努力した、その分において人は互いに競争 するのである。その人の総体の力にプラスした分は どれくらいであるかを評価すべきであって、結果と

しての業績の違いは問題にしてはならないと私は考 えたのである。

 このことをめぐって、黒崎と坂元の質疑応答が繰 り返された。だが、後で坂元は、この問題をめぐる 社会主義と正義の原則、競争と共同(協同)の原則 の関係にっいて、フランスの理論経済学者ジャック・

ビデの見解(ババーマスとU一ルズへの批判を含む)

にっいてのノートを提出して、黒崎の疑問に対応し た。      (文責 徐愛)

第10回(1991年12月6日)

 今回のゼミでは、大森直樹の「植民地における青 年教育政策の展開一満州国における勤労奉公制度

(1943−45年)」(『国際教育研究』第11号、1991年3 月)の検討と、細川たかみの今までの研究の概略

(「教育思想史における親子・家族関係の視点」)と 構想論文の中間報告(「フェヌロンにおける農の思 想と『自然』」)をおこなった。

 はじめに大森の論文にっいて大串隆吉(教員)と 毛剣文(D院生)のコメントがなされた。コメント の内容は次のようであった。

 大串は、藤田・大串著『日本社会教育史』(1984)

の中で、朝鮮・「満州」などの日本帝国主義の植民 地における社会教育政策の研究をこれからの課題と

していた。「その際の関心は、日本ファシズム社会 教育政策の確立期を決めるために必要であることと、

その具体化にあたっての植民地政策の植民地政策た るゆえんを明らかにすることにあった」という。そ のため大森の論文は大変刺激的であったと評価した 上、次のように問題点と疑問点とを指摘した。

 1.この研究が「戦時下青年教育政策の総体の特 質を解明していく上からも」意義があると述べてい るが、そのためには朝鮮との比較および、「大東亜 共栄圏」における位置づけが必要ではないか。2.

何故青年教育政策が無視しえないのか。3.「勤労 奉公制度」の対象が21歳から23歳としているが、協 和青少年団は19歳までであるから年齢がつれている。

 毛は、「勤労奉公制度」は青年男子だけを対象と し、なぜ女子を対象としなかったのか。2.「政 策の要求と現実の矛盾は頂点に達した」と書いてあ るが、もっと具体的に書いてほしい。3.論文の中

(30頁)でその「内地」の青年教育政策の動向にっ

(10)

いて紹介してほしいなどである。

 これを受けて大森は次のように答えた。

 まず「戦時下青年教育政策の総体の特質」として 日本の青年のアジアの青年を分断し、連帯の可能性 を全く不可能にしたことが指摘できる。しかし、先 行研究では青年教育政策が、植民地「満州国」支配 の一っの柱になっていたことが無視されてきたため、

そうした特質が明らかにされてこなかった。その意 味で「青年教育政策が無視しえない」と述べた。

 毛さんの質問に対し、「日本の支配層に女子錬成 の動員体制とみる認識が男子と比べて民族を越えて 弱かった。ただし、この点は戦時体制の強化にとも

なって女子も対象となってくる」とした。「政策の 要求と現実の矛盾」とは政策側が得ようとしたのに その試みが成功しなかったのである。「内地」の青 年教育政策がより直接的な戦時動員のたあの政策に

なってきたと述べた。

 全体の議論の中、「錬成」を通じて隊員の政策に 対する「全体的」な協力を取り付けられなかったと 断定できるのかという質問があった(南館)。それ に対して大森は、目的を達成するための教育条件を 支配側が整備できなかったこと、政策主体側の証言 などから失敗だったといえると答えた。

 次に細川の、1.今までの研究の概略と2.構想 論文の中間報告が次のように行なわれた。1.17世 紀後半から18世紀初頭にかけての「危機の時代」、

フランスではモラリストと呼ばれる一群の入々の著 作がみられる。フェヌロン(1651−1715)において

は、伝統的な概念である〈家父〉観から、〈子ども の父〉という父観への変容がみられることを、社会・

文化的な側面から考察しっっ、またフェヌロンの人 間性における平等思想を論拠として展開されている

ことを検証してきた。

 2.著作『テレマックの冒険』と『女子教育論』

の中の農耕生活と農耕親子の記述からは、親子が共 に働き共に生きる農耕によって、「素朴さ、質素さ」

「しっかりとした精神」を身にっけ、それによって 自由と幸福が得られるという農のモラル、すなわち、

社会経済的危機とか貨幣経済の進行する中での貴族 や富裕な市民階級の習俗の退廃を、農耕生活をとお した素朴で堅固な理性的な人間形成によって建て直 そうという明示的な課題が含まれていることが把握 できる。他方、合理性の探求によって自己中心的に 孤立化していく人間の傲慢さをいましめるためには 神的なものに頼らなければならず、フェヌロン自ら

はキリスト教の教義に様々に対立する神秘宗教に魂 の救いを求めなければならなかった。ここで〈自然〉

は人間の本性に備わった、感情や理性として捉えら れる人間的自然であり、従来抑えられてきた子から 親への思いと、人間と神との間の自然な感情の解放

とが重なりあう。〈子どもの父〉とは、家父機能の 分散後の家族を再編するために、自然の感情として、

子どもの側から求められ、神的なものをも含んだ内 的統一性の象徴として表わされた〈父〉であり、フェ ヌロン自身の内面の葛藤と矛盾とを解くたあの暗示 的な課題を含んでいると述べた。

 坂元氏から、ヨーロッパの自我形成と近代のもっ 矛盾をフェヌロンを通じて感じたという感想と、モ ノグラフィを長期的な視点で位置づける必要がある というコメントが寄せられた。茂木氏から、フェヌ ロンの神秘的傾向について質問があった。これに対 して細川は、宗教思想にっいての理解の困難さを改 めて認識し、フェヌロンの父観にっいては近代の家 父長論史の中に位置づけてみたいと述べた。

       (文責 曽永枝)

第11回(1992年1月23日)

 本年度のゼミテーマ「クリティークとは何か」を 総括するモデルとして、M. Cole ed. Bowles and Gintis Revisited:correspondence and contradic−

tion in educationa!theory (1988, Falm er Presse)

に収録された次の4っの論文を取り上げた。

 ①ボールズとギンタスの「対応理論」の論文

(1976年の著書『アメリカ資本主義と学校教育』の 趣旨)、②それに関する様々な批判を取り扱ったコー ルの批判論文「教育における対応理論」(1988年)、

③前者の1980年論文「教育理論における矛盾と再生 産」、④それに対する後者からの再批判の論文「ボー ルズとギンタスの教育理論における矛盾」(1983年)。

 それぞれの英文論旨の要約とコメントを荒井文昭

(教員)と越野章史(M院生)が行ない、続けて参 加者からの質問と意見が交わされた。以下に主なも のを記した。

 まず、語句・用語の点で、福島智(D院生)は③ の中の訳語の「専有的行為」と四っの行為のイメー

ジにっいて質問した。坂元忠芳(教員)からpractice

は「行為」ではなく「実践」ではないのか、それに

appropriativeは自然に働きかけて自分の能力を変

える、我がものにするという意味であり、また、di

scourseは「講話」ではなくコミュニケーション的

(11)

な概念ではないのかという意見がだされた。

 これらに関して、荒井はテキスト原文p,22を引 用し、次のことを確認した。appropriative practice は自然物に働きかけ有用な生産物を作ること、

political p.は社会関係の構造を変える行為、

cultural p.は集団の情報交換、意志の表現、同盟 を結ぶ、行為の共同的戦略を作るといった目的に向 けてとる道具としてのdiscourseのアサンブル、

distributive p.は権力、収入その他の社会的な望 ましい特権の分配を起させる行為を指す。

 越野は、あるsiteの中で望ましいと思われてい る行為は専有というより「適合的行為」で、siteを 変えていくのが政治的行為であると補足した。黒崎 勲(教員)は、practiceを「行為」と訳すのは流行 かもしれないとした上で、四っのpracticeにっい ては川頁に、労働現場での労働者がビルを建てる労働 行為、労働者の労働協約の締結、労使の強調、実際 の労働査定ととれると説明した。

 これらに対して小沢有作(教員)からは、細かい 点に拘るよりもコールの批判とそれに対するボール ズとギンタスの答えの概要を一言で話してもらいた いという要望が出された。

 黒崎はこの論争の流れにっいて、③は②に直接対 応したものではなく、①に対して加えられた諸批判 に対して、基底還元論的な傾向をもっていたという 反省の上に、3っのsiteと4っのpractice概念を 用いてボールズとギンタスの反批判論文であること、

その論文が充分な反批判になっていないという再批 判が④であり、さらにボールズとギンタスが④を受 け入れずに展開している論文があるが今回はテキス

トに入れていないことを説明した。

 越野は提出レジュメを踏まえて、①と②にっいて は「社会的生産関係の再生産が教育制度と生活にお ける社会関係との構造的な対応を通じて容易化され る」という「対応原理」に対する批判は、決定論で 反動的、性・人種差別の視点の欠如、国家観の甘さ という3点に整理され、④では対応原理を取り下げ ていないこと、「リベラルな講話liberal discourse」

(訳語についての問題性は指摘されたままである一 筆者)の使用を変革する主張が内容の変革と結びっ

いていないこと、それは形式的平等を甘受する国家 観に関わっているということを述べた。

 福島から3っのsiteと4っのpracticeの関係に っいて、これらを出すことによってどのように社会 変革を考えようとしているのかとの質問があり、荒 井は国家のsiteはリベラルなデモクラシィーを体 現していること、たとえば、家族の中の政治的行為 を国家のsiteに移動させるといった行為の舞台間 移動による変革の側面を語った。

 大串隆吉(教員)は「教育と社会生活の矛盾」の 節での矛盾の解決の歴史とliberal discourseの意 義を尋ね、荒井は学校での自然権による平等の教え にもかかわらず現実には社会的再生産によって不平 等の正当化が行なわれていることを挙げ、これを 1iberal discouseの文化的なフォームから説明した。

黒崎はボールズとギンタスが資本主義の下で成立し た1iberal discouseで社会主義が可能であること、

コールの場合は社会主義の実現のためには社会主義 のdiscouseでなければならないという考えである

ことを説明した。

 最後に、コメンテーターの立場が問われた。

 越野自身、学校と経済の対応関係の存在を認め、

コールの批判に対するボールズとギンタスのsite/

practice理論を評価しっっも、 siteの相互規定性・

関係性への分析が足りないこと、資本主義社会では 生産関係をくずさない範囲での民主主義や平等であ るのが事実ではないかという印象をもち、動揺を感 じていると答えた。

 荒井は、ボールズとギンタスの再生産の仕組みと して説明される行為と、矛盾として説明される場合 の行為との間の緊張関係が弱い点を指摘しっっも、

1iberal discourseの中に、意志決定に多数が参加 することを重視した点を評価すると述べた。

 その他多くの質問、意見が出されたが、時間の制 約上、また、社会主義の評価という大きな問題が根 底にあるたあ、今回のクリティークをめぐる論争も 結論にまで導くことが困難であると司会者桐山知行

(M院生)が締めくくった。

       (文責 細川たかみ)

参照

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