九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
The Secularization of English Religious Drama
中山, 竹二郎
https://doi.org/10.15017/2332965
出版情報:文學研究. 39, pp.45-77, 1950-03-31. The Kyushu Literary Society バージョン:
権利関係:
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ここで宗教劇というのは主として祁秘側を意味する︒をしてイギリス紳秘刺の代表的作品としてその稲本が比較的
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完全に保存されて︽いるのは胃ミ琴︑弓ミミミこ︑︒ぎい員︑CO馬ミミの名を冠している連綴赫秘刺︵冨昌の訂go旨−9︶
である︒本稲ではこれら四禰の連繊脚の脚本についてその世俗化の諸相を考察することとする︒
まず世俗化の意義について二言しておきたい︒宗教劇が會堂内の職拝劇から渡展したことをれ自禰が晩に世俗化で
ある︒即ち︑科白としてラテン語に代つ猛民衆の方言が用いられたこと︑舞台が敦會内部から街頭へ移ったこと︑さ
︸らに斌伎者が僧侶に代って町の俗人となったことなどである︒ところが並で謂う世俗化とは︑宗敦劇の脚本の中に聖
饗物語と聖着偲説以外に︑譜認的な︑人悩的な︑或は時に狼雑駁材料が混入したことをいう︒本来韮督敏的倫理と教
會の激義を具象的に解読しようとする動磯から發生した聖劇は相営に抹香くさいものであったろう︒その臭を消すた
めにさまざまな雑ぜものを加えて民衆の興味をそそろうとした︒代糞の宗致劇の作家は民衆に受けるような世俗的材
料を︑嚴瀬な本筋のあちこちに加えて︑斌刷としての耐白みを氾らつた︒そうした枇俗的要素が聖劇本來のそれと如
イギリエ宗教劇の世俗化一四五 イギリス宗教劇の世俗化
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イギリス宗教劇の世俗化四六里
何に混じあったか︑またその世俗的なものは如何なる性質であったか︑を橡討するのが本稿の課題である︒
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淡劇としての宗敦劇は︑民衆のための︑民衆による︑民衆の蕊術であったに違いない︒しかしそれは一つの大きいI
制約の下に近かれた︒つ室り宗敏劇を生んだ母胎たる魑拝劇の志向した目的から外れることが許されないのであっ
た︒教化の一方便として發生した臘拝劇熈その代を宗数脚に譲るとき︑自己の使命がその後繼者によって忘れ去ら
れ︑軍なる娯樂︑親せものに瞳することを憂慮した︒したがって宗敏劇が敷會堂内部から街へ出て︑その淡出︑管理や︑
観覧が全く民衆の手にゆだねられるに至った後までも︑激會の懐疑的な眼は獣えず宗激劇の上に注がれていた︒聖典
に誌された人物と事件を︑或は聖者にまつわる奇砿的物語を︑所作と科白を通じて℃民衆の心に印象づけ︑キリスト
激の激義と倫理を善男善女の心に柚附ける︑という宗敏劇本來のねらいと違った方面にとかく外れてゆく傾向を︑激
含では常に氣にしていた︒それもその筈である︒娯樂機關に悪まれない中世の市民は︑抹香臭い宗敏劇の科白と所作
の中に︑辛うじて芝居の感興を見出し得たのである︒激義や倫理はにのつぎであり︑ただ笑い興じ︑時には涙を誘う
ような場面と淡伎を要求した︒︒︑
こうした要求が無制限に充たされたとしたら︑恐らく宗数脚の世俗化は雀だしい程度まで進んだことであろう︒そ
して中世市比の趣味は︑現代の我我の眼から見て︑すこぶる粗野でありや旗しみの欠げているところが多いから.宗
敏測の中に野卑な︑尾舘な表現が︑現存の脚本の中に在る以上に欺多く︑用いられたかも知れない︒灘際今日博わつ
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だろう︒もっともその蛍時に於ても︑
昌的旨旨Q・︶とこきをろす人もあった︒ ているテクストの中には︑驚くばかりに聖俗の混淌︑淨美と俗悪の結びつきが見られる︒近代丈學の中にもカトリックの信仰に篤い婦人が姦淫乱倫の行爲をする︑しかもその矛盾を自ら意識しない︑という場合が艇糞あるように▽一種の倫理的不感症ともいうべきものが︑中世宗敏測の作者や観客の心理の中にあったのではなかろうか︒さもなければ︑祁聖にして崇高顔キリストの生涯の物語の中に︑あれほど多くの狼雑なものを混えて李氣ではいられなかっただろう︒もっともその蛍時に於ても︑宗激測の世俗化を非難する蝶は聞えた︒これを﹁罪悪の槻せもの﹂︵ご色遇い罫
劇的効果の乏しい場面︒連絞宗激脚の中心テーマはキリストの降誕からその受難までの生涯であるが︑これば天地
創造に始まり妓後の審判に絶る︑訓はぱ人熱の大きな歴史という枠の中に朕めこまれている︒園ミ討劇の場合でみる
イギリス宗教劇の世俗化︑四七
/いかに世俗化した段階にあっても宗激脚は宗敦劇としての本質を喪失してはいない︒祁︑キリスト︑聖母など︑王要登場人物の性格には自由な解輝は加えられていない︒そこには︑聖書物語への忠疵さが保たれている︒二流︑三流ど
ころの人物︑殊に悪の役を演ずろ人物に至っては︑劇作家の想像によって大鵬に誇大化し世俗化した性格解耀が加え
られ︑喜劇的な︑時には悲劇的な効果を出すのに役立っている︒総じて宗敷劇の題材は莊重嚴萠なものであるから︑
これに輕快なエピソードを加えて一種の8︺目︒H農具を創造することは︑浪削の技法としては當然なことであろ
う︒宗敏刺として雄も成功している場面は︑こうしたエピソードが本筋と適衡に結びついている場面である︒
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イギリス宗教剛の世俗化︲四八
と︑全輔四十八段のうち︑マリア受胎告知からキリスト傑刑までが︑第十二段から第三十五段まで︑二十四段唱日ろ
ている︒他の連綴劇でも段の欺は少いが︑大体に於て天地創造が康雄キリスト受難がクライマックス︑妓後の零判
が大團凹といふ解成になっている︒こうした購成が規定されていたため︑ある段はその前後の段のつなぎとして挿入
されやそれ自醗としての興味が乏しく︑ただ聖害物語の筋を袖足するだけの役しか勤めない︒従ってこうした段には
世俗的要素が混入する機縁が少いし︑同時にまた側的効果が頗る乏しい︒例へぱ胃︒爵の﹁天地創造﹂の段では︑五
日の間に萬物を創造するF房がその經過をながながと猫白するだけ︒また9鳥ミミに﹁豫言者﹂という一段があ
るが︑そこではイザヤからアモスに至る二十六人の窪約豫言者が登場して︑救世主の生誕を豫告する科白を一人づつ云
って引き退る︒これは次に來る﹁マリア懐胎﹂を準備するプロログでありや對話も所作も葛藤もない︒︹9e︑9.雪
争い︺b
アダムとエ$ハの樂困喪失のくだりには相愉に人間性の現われがあって泄俗化の可能性を有っている筈であるが▽多
くの連綴宗敏劇は此の物語をき主じめに取扱っている︒ごS︑ミミの﹁天地創造と人間失墜﹂の段に礁ると︑アダム
とエ?ハは天帝から樂困追放の命令を受けると︑今までの舞台から降りて﹁車舞台の下部︵弓①ロの澤①尾口胃訂昌岳の
冨鴨自己で嘆いている︒そこへ己○さ門︵悲哀︶という抽象的な蓋場人物が現われて
・・○目昌昏門夢.○日目︶冨爾言国呉日の貝日目言吻篇風ミ︑易︑胃︾pg︶.
さあ來い︒人間さん︒俺に繩んな!
という︒そこへ同じく擬人化された抽象人物夛屏①q①︵不幸︶というのが出て來て
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そして亦俺の︑不幸どんの︑味もきいて黄わなにやならぬよ︒
という︒此の二人の抽象人物は言うまでもなく︑道徳劇の舞台で常に活繩する擬人化された簑場人物であり︑それ自
体頗る演劇に適しない︑興味の乏しいものである︒斯うした道徳劇の手法を借りて來たのは結局︑﹁創生記﹂第三章
に誌された通り︑エデンを去って人州は浮苦労をぜねばならぬ︑という意味を舞台で表現しようとする試みでありや
稚拙ではあるが聖書物語に忠宙な扱い方と見るべきである︒また此の段には悪腿が蛇形となってエ$ハを誘惑する場面
もあるが︑一向に譜誰も精味もなく︑聖書物語の敷術から一歩も出ていな児
キリスト復活の場面は宗激劇では重要な部分であり.四つの連繊劇に於てその取扱方が多少違っているが︑全体と
して樅俗化の跡が少い︒︒︒ミミミの此の段はキリストと聖母マリアとの對話で始まる︒キリストはマリアに向い
醇再昏宙言曾丘①昏鼻弓易き邑月ロ
のg目弓貝呂gの冒巨冒監①g冑︺自旦目OgS︐崖も︐g︶
なくて此の枇の失われし人荏は
御身を朝な夕な拝みましょう
と云う︒・これは聖書からは逸脱して︐いるが︑マリア縄讃と腿調する教會の激義に擁っている︒. シBQm房Q○開︺︐口@学白壁m①鄙望p建己巨司芦﹇揖稗好色蜂①臼︼Qずご命①負豆邑︒︶
イギⅢ久宗敦劇の世俗化
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こうした場面は全休としては少い︒祁聖なテーマを扱う場面でも若干の世俗化があり︑それによって現食性が加は
り︑劇的の興味が添えられる︒キリスト生誕のとき︑その附近に住む羊価達は天使のお告げによりこれを知り厩に行
bDB℃きキリストを拝したと﹁ルカ仰﹂は側へている︒これは宗激劇の作家にとってはうてつけの材料である︒牧羊者とい
う下賎の階級からは︑世話にくだけた慌味のある益場人物が創り出される可能性が多分にあるからである︒そしてこ
れら羊飼の数は︑どの連繊脚でもや三人にしている︒
○首里ミ﹁羊飼耀拝﹂の段では︑若者をつれた三人の羊飼が厩に入って︑誕生耐いの品をキリストに捧げる場面が
ある︒一人は鈴を一つ贈る︒職業がらいつも持っている鈴であらう︒他の一人は徳利を捧げて云う1
月ご凰口ぬ岳①画酉胃丙①茸
ロQ︽ずの局①脚汁毎野口︑のい凹めも○口の
汁○同異①計彦冒己○旨い①急詳彦巳﹈︑興詐目○回の
心切目目曼開帛①甘邑○沖彦騨毎Qopの︲
わつしや徳利一本持って来た︑
それには匙がつけてある︑
それで笠に粥をあがらつせ︑ イギリス宗教劇の世俗化
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わつしもしょっちゅうやってます︒
二一人目の羊飼は︑何も持合せがないけれどもと云って﹁煽子﹂一つ︑恐らく彼が牧場で被ていた脂じみた楯子を献す
る︒最後の若者は﹁わつしの女房の古い股引き﹂︵息色冨時①具gご弓旨①m○一号言︑①尋︶を奉献する︒
no鳥ミミの此の場面では︑第一の羊飼は笛を嬰兒キリストに献する︒これは牧場で彼が吹いていた牧笛であろ
う︒しかも馴糞しくそれをキリストの手ににぎらせる︒資9画︾9国ゞ9床①稗旨計ご彦○且葛︵冒目胃憩ミミ①房.口︐露骨
﹈・曽c︶第一お羊飼は帽子を被せてやり︑これで雨風の心配もない皇言ひ︑第三は自分の手袋を脆いでキザストの手に
はめて進ぜる︒何訊も科白は素朴であるが︑傭愛に浦ちている︒
此の二つの場面には救世主降誕の聯たしい雰園熱と︑諭時の下暦生活のなまなましい現笈とが混り合って︑現代の
談者には不調和の感を典へることが強い︒しかし我糞は文鎚種興期伊太利の美しい聖識を想像して︑此の場面の粗野
をこれと對照して考へて︑調和不調和を論じてはならぬ︒宗数脚は遂にルネッサンス的な洗練を受けないで経った中
恢蕊術であり︑中世的駁稚拙と野趣から晩することはできなかったのである︒私の調う不調和は︑聖典物語と中世的
現憧との混渚によるそれを意味するのである︒
宗敏劇では人物の性格描蔦は概して粗雑である︒しかし閂︒ミミこの銘二段﹁γベル殺し﹂に於てはアベルとカィ
ンの兄弟の性格が極めて鮮明に描き別けられ︑ひたすらエホ$︽を信ずるプベルと︑現世的に抄目のないカィンの對立
イギリス宗教劇の世俗化五一
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︵此の麥を︶苅って鵯に積むまでにや
もさんざん俺は眉を術めたわい︒
と勉痴を言わすにいられないカインである︒不満無粘にその麥束に火を鮎じて奉献する段になると煉るばかりで燃え
底い.彼は益蕊じ鯉る.耐が現われてカィンとたしなめる︒彼は之潅刷と知ってか知ら底いのかl
君貸君g瀦夢胃冒す︒口角︲夢①︲言巳弓︵届弓︶
やい︑塀から覗いてるのは誰だい︒
と言う︒まさに一人の功利的な無祁論者の姿がここに浮き州ている︒
此の段では心理描篤にも或る程度成功している︒アベルはカインの熱持ちを汲取ろうとせず︑やたらに洲の有難さ
イ肝リス宗教劇の世俗化︐五二
がくっきり出ている︒カインは無信仰ではあるが自分の仕郡には糖を出す農夫であり竃打綾く不作が彼の心を腐らせ
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胃画日樟呂蔚扇君閏の岳29言3.︵﹈.g巴
怖は年一年と貧乏してゆくわい︒
と嘆じ︑肺の恩瀧をしきりに説くアベルは彼の目から見れば正に狂人である︒︑屋巴︒收礎の十分の一を耐に献納す
る義務もカインは軍なる祗會の因習としか考えない︒献納すべき穀物の束を重ねながら吃の並をごまかしI
CH群弓尉堅5日①︑閏己胃○︑再旨牌鼻︾
冒幽Q︻﹈ロご冒画塞ぐ①門﹈ず皇︻C﹈・四半早画︶
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此の段には世話物的な悲哀がある︒さらに同じ題材を扱った弓ミミミ亀の第四段に於ては︑親子の對話が一層篇憧
的で︑情策が一層切迩である︒ゞイサクは愛する父が何のために自分を殺審しようとするのか理解に苦しみ︑切りに
イギリス宗教劇の枇俗化・五三
を説き奉献を促すので︑さらでだにいらだっていたカインはアベルに弧い悪しみを感じて︑途に之を殺す氣に攻つた︒その間のカインの心の動きが表わされている︒同じ物語を扱った胃︒忌劇はいかにも平板な浅い感じがする︒聖書物語の筋から速く外れないで︑微俗的な嘉憧的な材料を加えて劇的効果をあげている点で此の閨︒ミミこの一
胃c忌劇の第十段目はアプラハムがイサクを犠牲としてあわや殺そうとする聖審物語を淀に巧妙に扱っている︒
﹁創生記﹂の短話を敷術し︑それに親子の愛情という世俗的要素を加へるとこにより︑一篇の悲劇を鱗成している︒
耐の命令をかしこみ︑愛兒イサクを殺さねばならぬと決心したアブラハムは︑.イサクを人目のない山の中へ連れ出
す︒父の意中を知ったイサク少年は敢て遜抗はしないけれども︑生に對する執若を断ち切ることはできない︒
シQ①H①甘島Hやご廟騎甘匡の言①蔚口.目S
ああお父さん︑人生はほんとに良いものですね︒
と述懐し︑死の恐姉にふるえながら︑いまにも自分の頭上に下されようとする白匁を恐れてや自分の眼を布で砿いたと述懐し︑死の冠 段は相愉に傑れている︒
dまえと父に願う︒︵旨や画︑割8頭︶
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お母ちゃんの愛情にかけて︑
と哀訴するのを︑父は態と言葉をあららげ︑〆
肖①計ワ①︾嵩①計ず①一︵胃.画惇樟︶︲一
止してくれ︑止してくれ︒
と叱りながらも傍白では︑
胃め月匿⑳8目甘辱甘目の
弓彦鼻尋胃閏gg武旨9号目くご①gpS・曽寧s
悲しいことを言ひおるので︑雨の眼に涙が浦き出るわい︒
と胸中の悶えを漏らす︒せめて此の兇が親不幸であったらこれほど心の苦しみはあるまい︒壷た此の兇を殺した後で
その母親に何と熱明しようかともがき苦しむ︒ここで肺の使が現われ︑イサクは辛うじて一命を全うする︒
宗敦劇の作者は︑こうした悲劇的効果よりも寧ろ喜劇的な︑逝化的な効果をねらう傾向が弧い︒元來宗激劇そのも
のが悲劇的な重みを有っているから︑笑いを刺戟する譜誠的な︑茶恭劇的な要素を之に捉えて槻客を倦かせない工夫
を凝らした︒
b耐gの中に﹁パウロ聖者の發心﹂の段がある︒これは﹁使徒行仰﹂鋪九章の物語を脚色したもので︑聖書中の イギリス宗教劇の世俗化
父にむかい命乞いをするI
球○吋︼画望員らQ①H旨開口.画岸桿︶
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人物は原典に忠ぽに取扱われ︑そこには譜龍化や世俗化はない︒此の頗る抹香臭い場面に作者は聖典にない二人の端 役を登場さして道化蓬減じきせる︒サゥロの召使がとある宿屋の前でど癒るI
おい︑馬方︑おい︑麥一ペックと秣一束持ってきな︒早くしなよ・でなきゃ︑ほかの宿屋へゆくよ︒馬方︑なにぐ
ずぐずしてるんだ︒急がんかい︑こん密生め︵原文省略︑冒目胃恕Rき§ぁ︑閂.己.陰的︶
呼ばれて出てきた宿の馬丁は︑自分はれっきとした日那に御奉公している︑そんな下司な言葉は我漫できぬ︑と勿
禮ぶった應答をし︑それからしばらく二人の間に茶利や地口のやりとりがあり︵号笛.9.唖届④︶︑やがて本筋に戻
ってサウロの物語が紋く︒木に竹をつないだ槻はあるが︑喜劇的の趣向が加わって此一段の軍調が破られているのは
事笈である︒さらに次にあげる例では大騰な世俗的材料を加えて賑かな場面を展開している︒
し9鳥ミミに﹁姦通の現場を押えられた女﹂と題し︑﹁ヨハネ樽﹂第八章の物語を脚色した一段がある︒まずキリ
ストが登場して慈悲の徳を説く一節がプロログを鱗成しているoつい雪一天のユダヤ人Gag玲冨儲①口の.シ8吊騨○門
それぞれ一人づつ︶登場︑ただ今或る家で姦通の罪を犯している一組の男女がある︒これはモーゼの徒によれば︑石
Gを投げて打ち殺すべき罪科にあたる︒此の二人を召し捕り︑これの虚分を試みにイエスに尋ねてみよう︒若しイエス
が提に反する意見を口にしたら︑イエスをその筋に訴えようと︑イエスを陥れる計註を談じ合う︒さて一二人はその現
場へ踏み込む︒相手の男はドスを呑んでいる青年でも寄らぱ斬るぞど追手の三人を嚇しながら逃げてゆく︒︲その時の場へ踏み込む︒
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日昌ずH①g①口①昌○斥望①耳君里﹄首や訂望Q
イギリス宗教劇の世俗化
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五六 胃彦画Qm巨○辱毎閉庁8門①口口①津︲葛煙需︵濤勗や匡s
ヅボンの紐がよく締ってないわい︑
何しろ︑慌てて逃げ出したものだから︒
によって舞台上の所作が想像できる︒
相手の女は捕えられる︒女はしきりに慈悲を乞い︑人まえで恥を曝すよりは一胤いに殺された方がましだと嘆くが
ユダヤ人達は用捨なく彼女をひったててイエスの許へつれてゆく︒﹁君なら此の女をどう裁きますか﹂と零れられて
もイエスは容易に答えなかったが︑途に﹁君達のうち︑罪を犯したことの無い人がまず此の女に石を投げなさい﹂と
いう︒此の名答に三人は二の句が出す︑すごすご退散する︒
此の一段には粗野︑狼雑な世俗的材料が多い︒三人のユダヤ人が女を揃えて之を辱しめ罵るとき︑﹁滝姉よ﹂﹁あ
ばずれ女よ﹂と凡そ女性に對するあらゆる悪名を姓みかけて州いている1
号鳥ゞm8員①︑辱い冒画同のちB夢29﹃の.の唇具冑侭の98号員の.ggo︾い8面の.§ぐの旨.冑§.
しかし此の段に於ける世俗的エピソードは本筋から離れていない︒詔わぱ聖聿物語の自然的な引延ばしである︒しか
し之に反し聖書物語から速く逸脱した枝話に深入りして本筋が温き忘れられる場而も時にはある︒
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骨ミミミこの第士一段﹁羊飼いの一屡目﹂はその一例である︒商匪に喜刷的効果を有って︑宗激刷の枠から外して
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も興味ある短蔚のファースと考えられるほど澗立性を具えている︒これを︒﹁最初のイギリス喜劇﹂と稲談する學肴
S・言.3旨月旦g喧導冒吋ミの国ミの︑Xeもあり︑側文學發生期に於ける一の傑作たるを失わないが︑宗敦刺
羊者達が雌に行ってイエスを袖
その梗概を述べることにする︒
︲羊飼が一人登場︒寒さの酷︲|寒さの酷し
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から云えば正に外道である︒
此の﹁羊飼二段目﹂の出典は例の﹁ルカ博﹂第二章でありゃキリスト降誕のお告げを聞いて︑ベスレヘムに住む牧
羊者達が慨に行ってイエスを鯉拝した︑という聖書物語からこの閂︒§員亀の劇作家がどんな芝居を工夫したか︑
そこへ第二の羊飼が現われ︑︑これ亦その生活難を訴えるが︑彼の場合は︑王として女房に對する苦楕が多く︑結婚生
活のみじめさを告げる︒世間の若い男に﹁結婚には氣をつけなさいよ﹂︵由①言呂言閏具葛①ご愚薯︲﹄.篤︶と戒し
め︑嫁を黄つたらもうお仕舞いで︑﹁こんな燕がわかってたら﹂などと後悔しても遅いと云う︒
そこに第三の牧人登場︒自分の灸乏生活の苦しみを告げ︑主人と自分との身分の違いをかこつ一くだりがある︒絃
で三人の羊飼は顔を合わせ︑氣分を鍵えて歌を合唱して樂しむ︒
以上が此の段の序詞ないし前口上に相識する︒一段七五四行のうち此虚までで一八九行︑即ち一段の四分の一を要
している︒中世イギリスの封建献會制度の下稜かになっていた農民の苦悩と不浦の朧な直接彼等の口から総く感じが
イギリス宗教劇の世俗化五七
る○さをかこち︑一稗して自分達が貧乏悪しをするのは︑あの﹁お椋らがた﹂︵:汁ごめ①
届︶にしぼられるからだ︑と階級的反感を漏らし︑上肝階級に嘩迫されている農民の生活苦を語
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する︒.
/さて三人の羊飼が遊び興じているところえ登場するのはマック︵日農︶という平素から餘り評判のよくない男︒羊
飼達は物を盗きれないよう互に警戒しつつ︑此の男をまじえて四方山の話に打興じ︑やがて疲れてそこに陰ることに
なる︒マツクに氣を許さない牧人達は彼を間にはさんで渡る︒三人が購をかく一音を鶏いてマックはやおら起き出し
て︑そこらにいた肥えた羊を一匹無断借用胸及んで︑わが家にとって歸す︒家には女房のギル︵喝sという狼かも
のが待っている︒早速二人で羊を殺して食膳に供したいところであるが︑羊飼達が追いかけて來る心配があるので︑
とりあえず件の羊を赤ん坊用の鋳床の中にかくす︒一方羊飼達は目醒めてから盗難に氣づき︑てっきりマックの仕業
Iぺとにらんで︑彼の家へ押しかけてゆく︒三人でマックの家の中を探すが羊はいない︒拍子抜けして三人はそこを引揚
げようとする時︑一人が感づいて︑あの赤坊用の揺床が怪しいと思う︒マックの言い分では生れたばかりの赤坊をね
かしてあると云う︒それでは誕生祝いに銀貨を一枚進んぜたいと云いながら揺床の掛け布をあげてみると︑果せるか
な羊であった︒三人はマックを胴上げして散共に懲らす︒そして疲れた三人は毛こに身を機たえて艦る︒
羊盗人の喜劇はここで経る︒そしてその後僅か百行ばかりの中で本來の聖書物語が扱われる︒
↑三人の羊飼は睡眠のうちに天使のお告げを聞き︑目醒めてその奇瑞を語り合いながらベスレヘムの厩を訪れてキリ
ストを拝する︒
此の一段全髄は三つの異ったモティーフを有つ︒その一は避民の現樋生活にもとすぐ献含的調刺︑をのこは喜劇的
の譜諺︑第三は聖典物語を通じての宗激的敬鹿の表現である︒そして斯うした要素が互に混り合うことなく夫盈府を
ヨ︑ イギリス宗教劇の世俗化
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たして重なっている︒上部の二好は宗敏側プロパアのものでなく︑異質の介入に過ぎぬ︒聖俗二つの要素が竝ぺ世か
れただけで︑之を調和し統一しようとする努力が見られない︒作者は牧羊者と云う好材料を與えられたため︑己が想
像力を十二分に働かせ︑創作本能を充たし得たに違いない︒それと同時に彼の主題たるぺき聖書の挿話は低き忘れら
れ︑あとでお義理に之を追加した︑︑という形となっている︒
しかし此の筍︒ミミこの﹁羊制﹂の段が劇文學として傑れていることは︑他の連絞蜘の同じ段と比較してみると︑
明かに認められる︒園S計と9烏ミミとは︑まじめな厳萠な取扱をしており︑G意思亀では相常に稚俗的な要素を
混えて喜劇的効果と忽らっている︒此の○蔚韓ミでは︑三人の羊飼が落ち合って瓦に談笑し︑めいめい携えて來た
ニシニグ食物を出して青天井の下で酒要が始まる︒一人はパン︑玉葱︑大蒜︑チーズをひろげると︑他の一人はハルトン麥酒
︵巴①具出巳さ巳︑プデン︑ランカシヤの麥菜子︵言︒○鼻具層口8の匡蔚︶をもち出す︒第三の男からは豚の足︑牛の
舌などが出る︒三人ともたら腹飲み食いしているところへ︑力自漫の若者が現われて角力を挑戦し大騒ぎとなり畢句
のはては皆疲れてそこに獲る︒そのあとは型通り天上からお告げの溌で目醒めた牧人達が禮拝に赴くことになる︒
此の一段でも農民生活の一断面が描かれ︑殊に飲食物の名に地方的色彩が濃く出ているのは注目に慣する︒しかし
測的隣成が碓拙のため︑茶番劇と聖刺とが無雑作に一段の中に竝ベ吐かれた形である︒︒
聖書物語から著しく外れないでしかもそこに喜刺的興味を添えた一つの例として﹁ノアの箱舟﹂の段を學げること
イギリス宗教劇の世俗化﹄五九
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ができよう︒ノアの箱舟と洪水の物語は劇的興味が多いためか四つの連繊脚ともに之を詳し4扱ってなり︑箱舟の建
造だけに猫立の一段を與えているものもある︒しかし箱舟と洪水の挿話を譜謹化する要因はノアの女民の忰婦的性格
である︒9鳥ミミを除いて︵そこではノアの妻は謹直な︑肺と夫に對して恭順な女性として描かれている︒︶他の連
繊削ではみな此の女を︑夫の手に負えぬじゃじゃ馬として扱い︑そこに茶恭刺的なおかしみをねらっている︒
べ︒熟の弟九段では︑いよいよ洪水がせまって来るので︑ノアは女勇を促して舟に乘せようとするが︑女は嫌だと
言って駄迂をこれ︑はては亭主に對して
z皇︑冨冒昌辱○口芽①︑go巨帰房餌昌○葛厨c︲局s
ええ︑もうほんに︑おまえに.一つ唯らわしてやるよ
と言いさま︑びんたを殴る︒殴られたノアは腹も立てず︑・語だやかに女房を諭す義人である︒之に反して目︒ざ︑ミ§
のノアは鏑質の烈しい夫であり︑狸愉駒女房を嚇したり︑殴ったりして︑はては夫婦で掴み合い主でやる︵第三段
戸欝鼠匡︶.︒鳶鼠ミの女房も盛んに減らず口をきいた揚句︑亭主に向い︑どこへでも好きなところへ舟を漕いでゆ
令毒二℃︒
して別のおかみさんを世いなよ・
と術科白を言う︒以上三つの場合に於てノアの女湯が忰婦ぶりを發揮するのは舟に乗り込む直前だけで︑その前後で
はしとやかな従順な女となっている︒中世のイギリスには斯うした瓢忰な女性が多く︑そのために男性として結婚生 ロユ胸①叶舜底①のヨ⑦壼弓﹃ご黙の︵冒画画・的︶ イギリス宗教劇の世俗化
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以上いくつかの例によって︑宗教劇の中で聖俗雨要素が如何に混じあっているかを考察した︒そして大禮三の形が
唾別できる︒一︑聖盤物語だけに取材して世俗的要素を含まない場合︒二︑原典から全く逸脆した場面を挿入して喜
劇的興味をねらったもの︒三︑聖書物語の本筋に沿って︑その間に世俗的な人情に訴える材料を通常に加えたもの︒
このうち一は演劇としては失敗であり︑二は興味本位に焔り宗教刺の埒外に足を踏み出している︒本格的な宗教劇と
しては第三の場合であらう︒
しかし何れにしても世俗化に對する外部からの蒋戒はゆるめられなかった︒観衆にうける耐白い場面を減ずるため
には︑人憶的な世俗的な雑ぜ物が必要になり︑聖典の糒紳が淡却されてしまう︒此の矛盾を調節する一の工夫がなさ
れたと思われる節が︒ぎぃ§に兄られる︒此の連綴削では解説者Bxg灘の局︶が波伎の中途や一段の経るまえに舞
台に出て︑染め場面を説明する︒その説明は教會の激錠に韮く解読であり︑槻客に對する宗敦敦育をねらっている︒
例へぱその十二段目︑姦瀝を犯した女をキリストが赦す場而が経ると︑この解説者が登場して
︲zo言電ざHBp鴨﹄目己3国冒○巨冨庸胃号
︒○冷昏の硬吋①胃狗︒︒︒p$具胸◎房Q①①具︵戸画認︐と
イギリス宗孜劇の世俗化六一
活の苦難を嘆ぜしめたことが現世にあったと思われる︒チョウサァにも︾七うした表現が屡掩ある︒さように考えると諺此のノ︾アの女房の減余る喜劇の奥には祇會緬刺の意岡がひそんでいるとも云えよう︒f
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〆
イギリス宗教劇の世俗化六二
﹂さて皆さんよ︑耐の御業の偉徳をぱ
よつく︑心にとめおかれよ︒
ときり出し︑アウガスティン聖者が﹁ヨハネ傳﹂の講義で明白に説かれたように︑只今の場面の意味はしかじかかっ
かくで御座ると︑三十行ばかりに亘る抑談義をする︒必ずしも世俗化した場而だけでなく︑舞台上の液伎だけでは宗
激的興義が理解されない懸念のある場合には︑此の説明役が龍り出て一くさり抑談義をするのである︒︑
一O.
︒さて観点を鐘えて︑宗激劇の世俗化とその登場人物の性椛との閥係について考察してみよう︒
聖書物語に出て来る人物は︑上は天帝︑天使から下は労働者︑喪春婦まで数多くある︒これらのうち聖教から見て
坤厳な存在である人物については︑劇作家は浜重であって︑原典から逸れた取扱いは容易にしない︒戯れる天使︑洪
笑するキリストなどは想像し得ない︒そこで作者は主として二流以下の人物︑殊に聖典にその名が誌されていない底
の端役を活用して娯樂的な効果をあげる場合が多い︒從って世俗化も此の方面に著しい︒晩に述べた羊飼や姦淫の場
面はその好例であるoキリスト受難の段で礫刑を司る役人︵兵士︶どもは減らず口を利く︒キリストは彼等を顧みて
﹁天よ︑彼等の罪を赦し給え︑彼等はみずから爲していることを知らないのです﹂と言うと︑彼等の一人は之に半挫
を入れて
閏坑尋丘鼻云﹃①︒︒甘邑弓里昌弓①丙g弓︵弓︒ご嵩亀︑騨〆閤胃員圏3
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そして中世の観衆に雌もうけたのも此の種の荒事とする悪の役であった︒チョウサァの﹁粉屋の物語﹂に出て來る
好色な若い坊主はその輕快な蕊を兇せるため舞台の上でヘロデを減じた︵○.弓.P.認鼠︶︒宗激削のテクストを誠ん
でも︑ヘロデが舞台へ現われたと・き︑観客席の湧き立つさまが想像できる︒
例えば弓ミミミ亀十六段側コロデ大王﹂の幕があくと︑ヘロデの太刀持︵zgo旨の︶がまず登場して観客の靜瑚
を求める︒いよいよヘロデが出て来て未だ騒ぎたてている観客席に向って開口一番l
﹁駁がしいわい︑磯でなしめ﹂︵の噂具厚&鳥・旨日の目河.︸・綴︶とどなり︑言うとと聞かない奴は﹁脳天をぶち破つ
イギリス栄教劇の世俗化蚕二
いやいや︑俺達自分の仕那はちゃんと心得とるよ︒と云ひ返したり︑或は一人が﹁おい側きなよ︑かけす烏のように奴さん喋っているよ﹂と言うと.相林は﹁俺にはか
ささぎが噸っているように聞える﹂と答えて共にキリストを郷嘘する︵﹃・爵x浅く壱函9︐s・
キリスト存命中に之を迫害したヘロデとビラトが宗敏刺でいつも仇役を勤めるのは溌然であり︑その性格は極度に
歪められ誇張されむ凶悪な︑残忍な︑悪臓に近い人物として取扱われている︒中世刺の舞台では面は期いなかったがv
顔に隈取りをした︵榊は金粉を顔に塗った︶︒恐らくヘロデ︑ピラト役の俳怪はもの嘆い隈取りをしていたらしい︒殊
にヘロデは宗敢劇中随一の荒事師で.その科白まわしや所作も思い切って猛烈なものであったらしい︒ヌムレッ
ト﹂の中で︑舞台上の演伎が不自然に誇張されてはならぬ︑とハムレットは旅役者に忠言を典え︑ゞ○鳥胃3房国①3島
︵白.償s﹁ヘロデ役に主をかけた荒率をする﹂猛演ぶりを戒しめている︒シェイクスピアの時代までも宗敏劇の此
の役は梨園の傳統となっていたらしい︒
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イギリス宗教劇の世俗化六四・
てくれよう﹂負耳目①ご日H耳口答岳①冨号.浄罵︶ど嚇かす︒斯うした開幕妓初の科白はビラテの場合にもある︒
︵弓○s邑堅亀羅瞬goそれらは荒事師に對する観衆の人氣のすさまじさを示すと同時に︑悪の役を減ずる者の減伎ぶり
の激しさを想わせる︒
ヘロデを初めピラテ︑脇王などは悪の役と道化役をかねていた︒閂◎園§亀この﹁ヘロデ大王﹂の役でヘロデは観客
に對する叱姥威嚇に始まり︑︑その部下を罵って泥棒め︑のろま野郎め︑悪漢どもょと悪態の限りを言いやキリストの
降誕を知って激怒し︑無慮十四萬僚の嬰兒を無残にも殺害させるなど悪鬼さながらの罐桧残忍な振舞をするが︑その
幕切れになると彼は観客席に向って輕口をたたく11
.m旨妙計茸如爾昌曼8回易里TII
︲国研①pg8oR屋①邑百
切昌且9貧−8号のQ2寓言
周O脚ロロ○コ目○月①閉門画匡口C酎一︵戸軌程⑤山韓︶
皆の衆︑意見しとくぞI︲I 除り酷いことするなってことょ︒
さてこれで尋ハイ黍ハイ︵てえ云うのは悪臓どのへの挨拶だ︶
俺はフランス語︑これ以上知られえよ︒
他の連緬宗激劇に於てもヘロデの性格づけは同巧異曲と言ってよい︒9鳥ミミのへ江デをのぞいて見よう︒彼は
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自分の怖しい形相を叙して
笠のさかりの太陽にもまして輝かしいぞ︒
と言っている点である︒中世宗教劇の舞台では面は用いられなかったが︑役者は顔に隈どりをした︒此のG8︑ミこ
のヘロデは恐らく畝一画と赤色に塗っていたのであろう︑をして毛の赤鬼然たる顔を突き出しながら件の科白をわめ
いたのであろうと想像されろ︒ ために大地も歴交霊いおののく︒
と言い︑また自ら錬獄の王︑地獄の主將と名のり︑庵が一度脾脱すれば敵の一兵だに命を完うするものがない
︵弓己.戸菖騨sと傲語する︒さらに注意すべきはヘロデが再び自分の顔を誇って
国go同日﹈8貝298目Q日昌8﹈月.
国昌嫡再貝岳9s①呂口旨岳①98島叩具隼昂号顎︵弓薗.戸g靜巴国吋思い再pH烏毎①ご烏屋①め宮口旨計匪①
キリスト降誕を拝しに来た來方の礎者達に逃げら肌たヘロデは怒り心頭に發し︑彼の波伎ぶりは一好の激烈さを加
イギリス宗教劇の世俗化六五
俺の顔と毛の色を見るがいい︒ 弓底鼻○沖冒邑冒の幹忌日のq①岳周︐呉︵坤○﹃昌辱﹇回国ごげめも︑sミ︑苫鈩
俺の怖しい顔は雲の行手をとどめ シ︻﹈閉①﹈﹃①閉口旨○○.汁①︒閏冨①庁苛の昌○昼肴包涜めoQO肇胃一旦○白目再びpH目底鼻具耳目白の幹忌日のq①岳周︐呉岳のぐの周①く①吋芽QoQp凹弄①.
︵陣○コ︼辱﹇回国ご砺切も︑sミ︑苫鈩p﹄韓算旨串②画争︶ 曲FL」
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肖鱒閏邑ロ2月弩胃史周ざぢず○弓登︵与己.旨ご︶
俺は地圏駄を踏む︒にらみつける︒あたり見処わす︒
と云う科白から荒い所作を推知し得るばかりか︑テクストのト書きに﹁ここでヘロデ舞台の上で︑また街路上でも鶉
れ辿る﹂︵︾国①局①国吋a①愚四四旨監①冨埆oapa旨夢ゆめ厚①蔚巴ぃ︒ご︶と誌され︑その猛淡ぶりを眼にみるように
感ずる︒
マリアの夫ヨセフはその妻に比べると格が低い︒そのため9ミミミの作者は彼を著しく枇俗的に性格づけてい
える11
天使ガプリエルがマリアに受胎を告げて去った後で︑ヨセフはマリアに向い︲
の①爵弓○日︒鼻息医○ず創夢ご望口毎①︻①鯉岳胃急①ご妹・
・目○吋四胆①急胃一冒夢の①い︵日四目辱恥切魚凰曽巴湯口届歩帰邑s
これさ︑私の留守の間に誰が来てお前と悪戯けていたのだね︒
と訊く︒・彼は既に嫉妬を感じている︒マリアが榊のお使いでしたと答えても信じない︒腹の子は誰の子かと露骨に尋
ねると︑マリアはあなたの子ですと答える︒ヨセフは淵息をついて︑世間の男と同じように私も蝋された︑と嘆く︒
それを渚めてマリアが︑信じて下さいよ︑あなた︵︽へ旨の①︐g口号ご︶と云うと︑ヨセフはふくれだ︑﹁あなた﹂もあっ
たものか︵資言い①ヶ︒目①﹄冒符茸冨息︶と鮭酬し︑結励自分が老齢のため若い女房に不義をされた︑と思いこみ る○ イギリス宗救削の世俗化
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項を拾ってみよう︒
總じて中世人は時Ⅲ的︑空間的遠近法に無頓藩である︒古典の英雄は中惟の騎士として扱われ︑大陸の戦場はいつ
のまにかイギリスの野に移される︒宗敏刺に於ても︑奮約︑新約の歴史的題材を用いながら︑中悩の術時の市民生活
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が毛の中にはいって來る︒ヘロデやビラトが﹁マホメットにかけて﹂樽うような時代錯談や︑︒ヘスレヘムの牧場にイ
ギリズ農村で服途された酒の蝋がこころが2しいるような矛府は︑中泄の作者や槻群には一向に問題にならぬ︒十四
五枇紀のイギリスの世相や風習が戯えず宗敷劇の中に見られるのは此のためである︒そうしたものの中から著しい堺 これこの通り噸される︒
と悲しみ︑思い摘みながら眠る︒そこへ天使が現われて︑マリアは浦淨な虚女であると告げる︒これを川いたヨセフ
は喜び︑マリアの許へ嫌ってその赦しを乞う︵弓菖二.S伊届己 ど一己号目2.昌協﹃呂巳胃農の胃日①噂1国○急月色日ロの︲ぬ甦拭胃3コ届昌望○口器2泄朋の年よりがたょ︑若い娘つ子嫁に油うと 弓○葛①Q3.国○口岨騨oゴ胃匡.
イギリス宗教剛の世怖化 私を見せしめにさっしやれ︑
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イギリス宗教劇の世俗化六八
女性に對する弧刺と誹誘︒アダムと︐エ︾︿が口論を始める︒樂圃を追われるのは相手のせいであると互に責める︒ア
ダムが﹁女の知慧の浅はかさ﹂︵鼻量﹈鼻弓○日目亨印冨葺①弓閉肩胃一ゞ︾園︒爵璋昌︾屈巴をなじると︑エゞ︿は︑それな
ら男が善導してくれるべきであった︑と鵬酬し︑とどアダムは
zo急⑦︑8頁の月ぐ閏日目呉胃甘の薗呉の君○日目厨房.︵号苞.犀冒g︶
耐よ私の後に生れる男には金輪際︑女の話を信じさせないで下さい︒
と女性に對する湖刺を言う︒使徒︒ハウロの口からも女性不信の言葉がもれる︒マグダラのマリアが復活したキリストーを目螺したと云う報告を彼は森定して︑それは嘘です︑女には信を措けない・ものの本にも書いてあるが︑女は貯藏
した林檎のように︑見かけは美しいが中味は腐っていると言う︵弓ミミミ亀︑〆〆昌員鴎︐浅︶︒・ノアの妻君の忰婦ぶ
りは前にもそ2節を紹介したが︑此のァ了ソン的女性に手を焼いたノアは舞台から観客席に向ってI
︲FOH具計彦胃弓○口吊旦す①︹門口すず①Q画﹈⑪
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待冨印箭諄吊冒開口①ご﹈日①甘口心琶⑪
冒昌目困具旨匡339①.︵○富鴛$︑ゞ白︼邑鼠︶
はてさて︑女はいつもつむじ曲り︑
やさしい女て︑ありやしない︒
今こそよつく見届けた皆さんがたの目の前で︒ 釦ロロロのご①同四H①︺︲ロ①穴@軍︺図忌Q四局①閂印凹昌④
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と女性一般にあたる︒舟に乘ろのを拒んで彼の妻君は弗戸端會議の常連と酒を飲んで騒ぐ6意里亀.日.圏軌︲唖罵..こ
とに飲酒の歌がある︶︒強いて夫の許へ連れ戻された彼女は
Pagく⑦昏呂昏鼻甘門庁ごg雷︵弓箆.隈S
お前の骨折賃にこれを呉れてやる︒
と言ひさま︑亭主のびんたを殴る︒殴られたノアはと言ひさま︑亭主のびんたを腿
崖三厘日貨観汗ぽい防司○訂.
ア・ハハ!こりやは↑
︵だが︶騒がぬが上へ
と頗る穂かな態度である︒
その母親の一人は相手︵
ろうと屈することなく︑
毒のH①君群ゴョ昌己○群︲両Q昌一
君︾夢ご旨冨巳﹄胃ごm言︵○.馬ミミ旨冒四三胃酌貰§︾§易.濤麗十s
此の柄杓を以て︑毛の男に立向う
イギリス籠教劇の性俗化ノ アマ・ソン型の女の例をも一つ︒ヘロデ王から嬰兒殺害の命令を受けて兵士は母親の腕に抱かれている幼兒を襲う︒
もの母親の一人は相手の慈悲心に訴えるが︑あとの二人は赫烈な反抗的態度と示し︑相手が王様であろうと治侍であ 甘味﹄ゆ
喝88胃牌旨︵弓拭.里芋と
︿!こりやはちときついわい︑
ご騒がぬが上分別 q側叫凸f﹂可11
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.イギリス宗教劇の世俗化七○
といきり立つ︒︑
結婚生活の苦悩︒女性誹誇と閲聯して妻君に對する呪岨が多い︒結婚生活の苦悩を訴えるのは殆どみな夫の側から
である︒既に例に翠げたノアの洪水の場面に兄るよりに︑鼻息が荒く亭主を尻に敷く女房のために泣かされる男が多
︐い︒羊伽の一人が言うl
計毎宙宙国○鈴巨ロ弄昌○詞ぐ①画
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計○.ゴロめウロロ且①叩蒔彦塑誌ご①ロ①面のH①ゆず9群︶
計画画叶①○ず旨国ロゴ曰巨降庁○汀苗字ぐ黙①す○こぐ回の匂
画pQoo日日○昌儲甘再前貸①昌画go員︵○寄場詩ぷぐ員観めい︶
ここらあたりの御亭主がたは
身に斑えがござろうがへ︐/
g亭主は螺の言うこと聴かなきゃならぬ︑
どやし附けられるのが恐ろしい︒
嬰兒キリストをつれてエジプトまで遁げねばならぬヨセフは老齢を脚ち︑泄をはかなみ︑こんな苦努もみな結辨のせ
いだとして︲I↓↑
﹈○国胸国目①ロ︺ず①︾ぐ凹塀HのQ胃酌
君①︒﹈ロ岨﹈員弄巨の旨①昌胃君四F︵筍ミミ愚蔚津潤ぐや崖や5s
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と患痴を言う︒
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耐禽的な楓刺や政治的不平が聖書物語に混っているのも注目に値する︒・そしてこれら調刺や不平が下肘階級の立場
から出ていることは宗激劇が民衆の淡蕊であった事変を裂書きしている︒
弓ミミミ遇﹁第二の羊飼の﹂の段で牧人の一人は猫白して︑手足のしびれる寒さを刑して野外に勢伽するわが身の
ノ苦しみを脚ち︑上暦階級を怨んで長科白をいうl
zo笥○ロ口角易詳︑箇口旦蔚.黙言①す①己83. お若い衆蕊︑氣をつけなさい︑
域月忌⑦q三協
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開閉○H鼻四×①吻釦ロQ門﹃冒冨砕
君①閏の日画乱の冨且冒琴具 雪①四局8岸己同昌具
星ご詳丘計画﹈ぬ①銅①口鍾①局冒︼国①P
イギリス宗教劇の枇俗化 私はすっかり上ったりです︒
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.イギリュ宗教劇の枇俗化七二︑
弓昏匡の讐四昌討①苛戸の○pH①H①牌︑○巨門①両︒里岳①﹈日言︑H望一・
罠のの目の目貫亘︒己跨農募g8屋の岳のロ﹄︒骨菌昌.
〃目昏鼻冒①口協目箭甘吋夢①ロ①禺冨①ごロユの洋の○口辱い吋望諏
弓ロロのpHゴロ号ロロ員い○℃胃①鼻旨己且貝①8.昌盟遥吋討
○員罠再①.︵闇Sc篭亀遭.〆員.罠届︐鴎︶
L貧乏人なら︑斯うなるのも常りまえ︒・
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税が高いので︑︑おらの田地にや種撚けす︑
御磯の通り草荘名
おらの五鰐は自由が利かず
︲税金しぼられ︑あざむかれ抑えつけられる.
︑jそれも誰けえ︑あの旦那衆ゆえ︒
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休む暇とて有りやしない︑忌たしい︒大家の下僕は野良仕郡なまける︒
悪いようにはならねと言わしやるが︑それやあべこべO
こうして百姓はいじめられ︑くたばりそうだ︒
なお縦いて韮勝階級の威光を傘にきて農民を嘩迫する成り上り者から︑車を嫌せ︑鋤を貸せと強要されても否と云
卜
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︑ えない自分達の無力さを脚ち︑﹁日夜苦悩と怒りと悲しみの生活をしている﹂巳.と︲造︶と嘆く︒
こうした農民の怨唾の爵には切焚な響きがある︒恐らく此の宗激劇の作者が術時の下暦生活に深い同情を寄せてい
隈雑な一言葉が宗数脚の中に匝荏用いられている︒中世ロマンス丈畢は露骨な性的表現を避けて優雅を旨としたが︑
市民文學では狼喪な物語が喜ばれ︑時には尾舘な言葉が無遠慮に用いられる︒市民丈學の此の要素は世俗化した宗敦
アダムとミハは禁断の果を食して己の裸身を恥じる︒聖書では無花果の葉を綴り合わせて裳を作った︑と誌されて
ある︒宗敏刺のうち9ミミミでは︑アダムの科白としてご○貝①g村①胃①昌含①蝿.︵Ⅱ○月go吋冒一目園︶を賑そう
とあり︑彼は無花果の葉を妻に與えて︑・卓ご目ぐ鼻①.︾に之をあてなさいと鋤める︒尽幕では此の場で○月普号穏
︵Ⅱ○月印冨罵︶という言葉を用い︑○富め§ではエ︑︿が・・○月日の日蔚門切●・を蔽うと提案する︒いづれも素朴な表現
であり︑特に狼雑な感じを誠者に與えないのは作者に悪ふざけの意聞がないからである︒︲
lかしo意§︑の十段目﹁嬰兒殺し﹂の場面では遊戯的な性的表現がある︒ヘロデの命を受けて幼い男兒を殺し
にゆく兵士は母親の腕に抱かれている兒が男か女かを吟味する︒兵士は云う﹁此の兒に宮昌①︵ⅡR昼い︶があるなら
面白いことを薮えてやるよ﹂︒母親はこれに答えて.︾言冨讐叶署︒g﹄①叩口且①託昏①苗冨の.辱いの四目讐○巨冒昌
關協鷺..と雀だ尾篭泡表現を用いている︵○富鯉亀薄×・罠鷺岸麗巴
性的ではないが︑かなり下懸りな言葉が出て来る︒殊に悪の役の科白に多い︒例えばカインはアベルに向ってごごゅ
イギリス宗教劇の世俗化七三
劇の中に相常に入っている︒ たのであろう︒J 1 I
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時間と筌間の遠近法を平熱で無硯する宗激劇の作者はやベスレヘムの羊飼に英國ランカシヤの麥菜子を食べさせ︑
ノアの女房に﹁キリストにかけて﹂誓言させる︒そうした時代錯誤のために︑我盈は中泄イギリス人の風習や生態を
宗敏劇から學ぶことが多い︒
イギリス宗教劇の世俗化七四
吐昏①身畠房胃叩冨耳目①こ︵弓○二自里亀.Pgs﹁悪腿のけつ群めろ﹂とか︑.︾弓胃gご筥冨畠昏①巨昏①国①童ゞ︑
︵写武.豐ご﹁悪睡に首しめられてくたばれ﹂と云う︒呪い言葉や霄言にマホメットの名を用いて異端者の性格を示
すこともある︒ピラトは︽9日農自自蔚匡︒&⑦︾︵弓︒ミミ亀︑〆浅目︾崖︶﹁マホメットの血にかけて﹂騒ぎ立てる
観客を威嚇し︑またヘロデもゞ自答q目昌○毎国①ゞ﹁南無マホメット﹂の名にかけて部下の者たちを漏る色︺冨.曽負
傘 印 画
⑫
︶
法律家が下暦民衆の怨みを買っていたことは︑十四世紀後半に起った農民一撲の折に多くの法律家が暴動の槍玉に
あげられた事笠に照して明かである︒そして宗敦劇の中に法律家に對する民衆の反感が一陪示されているのは興味をひ
く︒曙ミミミ亀二十段目で︑ピラト王は自ら生殺與奪の権を窓に用い得ることを誇り︑﹁常節の法律家︵目g・呉
8乏鼻①︶と同様だ﹂︒.g︶と云い︑更に﹁總じて嘘つきの告發人魚巳叩冒島国別︶︑脊問官︵C亘①黒目凹畠①筋︶や︑陪
出癖官pE9巴はわが窯の士である﹂倉●瞳l閏︶と語っているのは︑こうした司法關係の人糞の敗徳を認刺し︑同時
に彼等に對する民衆の感情を一階示している︒
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また羊飼は商寅がら薬草や燕草の知識に深いとされていたためかやそうした車の名が羊飼の科白の中に数多く出て
來る︵○琴畠ミぐ員屋巴︒そのほか彼等が常盈口にした食物の名もいろいろ竝ぴ立てられる︵与箆.巨韓︲馬巴︒・
制有名詞が大鵬に用いられるのも世俗化の一面である︒ぐ時哩一.閏︒日の同ゞという古典人名が出て来るのは︑虚女懐
胎という前代未聞の噂さに驚いたヘロデ王が博學な願問官達に物の本を調べさせる場面にある︵弓︒ミミこゞ〆言﹀
g巴︒その他の場合にイギリス地名が多い︒著しい例を一二畢げると
言畠言い島の①時というイギリスの大道路の名が出て來るのは﹁妓後の審判﹂の段︵弓︒ミミ亀︺〆〆浅偲so
自分は此の町から匂回国にかけて一番のやかましや︵汁蔚冒︒の爵胃の弓︶と自瞳するのはキリストを迫告する男の
一人︵弓拭パパ弓.胃鼠︲goまた︒きめ§﹁羊飼﹂の段に9$河の興中で溺れようとも﹂負農s云糞とあるが︑
此の河は宗激側の演ぜられた○胃山雷吋市のほとりを流れている河である︒
そのほか聖聿画に名が誌されてない二流どころの人物には勝手な名前をつけも殊にイギリス人の固有名詞を以て呼ん ︲弓ミミミこの二十一段目にキリストが辿審される場面がある○彼がかつて宮を壊ち三日目に之を再建すると言った
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ことを問題とした役人達は︑キリストは嘘つきであると詰り
ず①唇①いきH岳①ロロ2得○画①︵Ⅱ弓画の溺3口①︶ロ.つ︶︑
と一言う︒これは嘘一言を罪するために︑嘘つきを曝しものにし︑をの首の廻りに砥石を吊すという常時の風習を畷不し
でいる場合が多い︒ ているo
イギリス宗教制の世俗化
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ただ中世の世俗化の方向ないし方法については℃今日の我共の眼から見て頗る稚拙な︑非蕊術的な点が多い︒しか
し中世人に蕊術的創作力が欠げていたとは考えられない︒現にゴシック建築に於て中世人は卓越した藝術を生み出し
ている︒あの伽藍建染に表現された崇高さが何故に宗敦蕊術の一たる榊秘刺の中に笈現しなかったのであろうか︒こ
れに對する答は經糞しく試みらるべきではないが︑ただ一つ言えることは︑中世の言語塑術は未だ十分に表現の手法 私は以上イギリス宗敦劇の世俗化のいろいろの例を考察したが︑こうして躯げられた部分ばかりを観ると︑宗教劇
はいかにも俗臭芥荏たる印象を典えるであろうが⑦全畷を通じて紳秘刺は結材︑聖書の脚色された芝居に外ならぬと
いう事迩を認めざるを得ない︒
聖書に取材した劇は中世ばかりでなく︑例えば十六世紀には屯8房ロミミロミ国ミ蔚息︑があり︑近くは
昌尉島①屋如︒︒貝︑︑ミミなど数多くある︒前者は奮約のダビデ王に蝿する物語から不義の繊愛事件を選んで主題
とし︑後者はキリストの受難を背景として︑ピラトとヘロデの政治的取引を主題とし︑それぞれ聖書物語を窓意的に
解繰し︑世俗的要素を加えているが︑そこには何れもそれぞれの時代的精祁が浮き出ている︒總じて後世の作家が聖
書物語を脚色する場合に︑全く原典に即して之から一歩も逸晩しないということはあり得ない︒それでは鵬拝劇の出
發点に立蹄る外はない︒中世は中世的の思想と感蝿を以て之を世俗化し︑現代は現代的の理念によって之を世俗化す
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イギリス宗教劇の世俗化
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を發展さしていなかったことである︒中枇宗激側の全部は頗る複雑な形式による訓文で書かれていた︒此の詩形は他
の種類の文畢から借用したもので︑劇文學には妓も不自然な拘束であった︒劇の科白は韻文でなくてはならなかっ
た︒十六世紀の末葉になってやっとイギリスの刺丈學は詩形の束縛から晩して自由澗逹な表現法を准得したので︑シ
ェイクスピアさえも︑若し彼が半世紀前に生れたとしたら︑彼の作品は恐らくあれほどの水準に達し得なかったろう
と想像されるほど詩形の傅統がそれまでの劇作家を拘束した︒
中枇宗激劇の作家は一方題材の扱い方についても外部からの干渉を受けたであろうし︑また内部的には詩形の拘束
を受けて︑二軍の意味に於て表現の自由を享受できない立場にあった︒宗敏劇が鎮術的に醇化されていない原因の一
つは正にここにあると信ずる︒
イギリス宗教劇の世俗化
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