九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
Andrew Jason Cohen, Toleration and Freedom from Harm: Liberalism Reconceived
仲井間, 健太
九州大学大学院地球社会統合科学府 : 博士後期課程
https://doi.org/10.15017/2740997
出版情報:政治研究. 67, pp.127-134, 2020-03-31. Institute for Political Science, Kyushu University
バージョン:
権利関係:
書 評
アン ドリ ュー
・ジ ェイ ソン
・コ ーエ ン著
﹃寛 容と 危害 から の自 由︱
︱リ ベラ リズ ムの 新た な 捉え 直し
︱︱
﹄︵ ラウ トリ ッジ 出版 局︑ 二〇 一八 年︶
A n d r e w J a s o n C o h e n , T o l e r a t i o n a n d F r e e d o m f r o m H a r m : L i b e r a l i s m R e c o n c e i v e d ( R o u t l e d g e , 2 0 1 8 )
仲井 間 健 太 筆者 が小 学校 低学 年の 頃で ある︒あ る夏
︑台 風の ため に︑ 学校 は午 後か ら休 校と なっ た︒ すぐ に家 に帰 らず
︑先 生に 見 つか らな いよ う学 校の 近く で隠 れて いる と︑ 恐ろ しい 暴風 雨 とな った
︒昼 間に もか かわ らず
︑路 上に は誰 もい ない
︒待 ち に待 った 時間 の到 来で ある
︒ず ぶ濡 れで 熱唱 しよ うが
︑服 を 脱い で水 遊び しよ うが
︑お 構い なし であ る︒ いつ もは 口喧 し い大 人も
︑外 に出 てま で干 渉は しな い︒ 誰に も干 渉さ れな い 状況 は︑ 反抗 的な 子ど もだ った 私を 日頃 の束 縛か ら解 放し
︑ 生き る感 動さ え教 えた
︒だ が言 うま でも なく
︑こ の行 動は
︑ 生命 を脅 かす 危険 な行 為で ある
︒ こう した 自由 を制 約す る政 治権 力の 干渉 のあ り方 を論 じる
政治 理論 の分 野が
︑寛 容論 であ る︒ 寛容 論が
︑あ る状 況下 で の自 由な 行為 の容 認あ るい は干 渉を めぐ る議 論で ある こと は︑ 特に J・ S・ ミル の﹁ 危害 原理
﹂に よっ て知 られ てい る︒
﹁文 明社 会の どの 成員 に対 して にせ よ︑ 彼の 意志 に反 して 権 力を 行使 して も正 当と され るた めの 唯一 の目 的は
︑他 の成 員 に及 ぶ害 の防 止に ある
・・
・い かな る人 の行 為で も︑ その 人が 社会 に対 して 責を 負わ ねば なら ぬ唯 一の 部分 は︑ 他人 に関 係 する 部分 であ る︒ 単に 彼自 身だ けに 関す る部 分に おい ては
︑ 彼の 独立 は︑ 当然 絶対 的で ある
︒﹂
︵ミ ル 一九 七一
:二 四- 二 五頁 こ ︶ の考 えに よれ ば︑ 個人 の自 由を 妨げ るだ けの 理由 は︑ そ の行 為が 他人 に危 害を 加え るか どう かに かか って くる
︒そ の ため
︑他 人に 危害 を加 えな い限 りに おい て︑ 態度 や行 為は
︑ 不干 渉お よび 寛容 の対 象で なけ れば なら ない
︒よ って
︑寛 容 の議 論は
︑他 人に 危害 を加 える 行為 か否 かの 判断 の問 題と 同 一視 され る︒ 上述 の台 風時 の子 供の 例は
︑そ の行 為が いか な る危 害を 構成 する かで 寛容 論の 議論 対象 とな るだ ろう
︒ 一見 もっ とも らし いが
︑二 つの 大き な問 題点 があ る︒ 第一 に︑ 危害 原理 は︑ 寛容 の説 明そ のも ので はな い︒ 例え ば﹁ 他 人に 危害 を加 える 行為 には 寛容 であ って はな らな い﹂ とい う 言明 は︑ 寛容 の限 界づ け・ 条件 付け の議 論で はあ るが
︑危 害
とは みな され ない 行為 に対 し︑ どの よう に寛 容で ある こと が 適切 なの かと いう 問題 には 触れ てい ない
︒危 害原 理は
︑ど の 範囲 まで 寛容 であ らね ばな らな いの かと いう 問い には 応答 し ても
︑寛 容が 何で ある のか とい う問 いに は答 えて いな い︒ 第二 の問 題は
︑危 害原 理が
︑寛 容の 範囲 や限 界点 を示 すた めに
︑危 害そ のも のの 特定 化を 試み る際 に生 じる
︒国 家に よ る特 定の 行為 への 干渉 は︑ その 行為 が︑ 誰に とっ ても 明白 な 危害 であ る場 合︑ 正当 とさ れる
︵殺 人や 強姦 とい った 同意 な き加 害行 為を 想定 して ほし い︶
︒こ の時
︑寛 容を 限界 づけ る 危害 は︑ 恣意 的な 判断 基準 では なく
︑誰 もが 納得 する であ ろ う︑ 公正 で中 立的 な判 断基 準に 基づ いて 特定 化さ れね ばな ら ない
︒し かし
︑例 えば
︑ポ ルノ グラ フィ や女 子割 礼が 危害 か 否か を問 われ
︑寛 容の 対象 とす べき かが 議論 にな って いる 状 況を 想定 しよ う︒ たと えこ れら を危 害と 判断 する か否 かの 基 準が 設定 され ると して
︑そ の基 準は 明白 で中 立的 とは 言え な いだ ろう
︒ス ーザ ン・ メン ダス が指 摘す るよ うに
﹁い った い 何を 危害 と呼 びう るか に関 して 根深 い道 徳的 不一 致が ある
﹂
︵メ ンダ ス 一九 九七
:一 七七 頁︶ 以上
︑危 害原 理そ のも のも
︑ 寛容 の範 囲や 限界 点を めぐ る論 争に 巻き 込ま れる のだ
︒こ の よう に︑ 寛容 論と 危害 原理 の問 題領 域は 重な って はい るが
︑ 両者 の関 係は いま だ整 理さ れて いる とは 言い 難い
︒
現代 寛容 論あ るい は広 くリ ベラ リズ ムに おい て︑ 危害 原理 とい う考 えは
︑ど のよ うな 役割 を担 える のだ ろう か︒ この 点 を考 える 上で 必読 書と なる のが
︑本 稿で 紹介 する アン ド リュ ー・ ジェ イソ ン・ コー エン の﹃ 寛容 と危 害か らの 自由
﹄ であ る︒ 全体 の構 成は 十章 から 成り
︑前 半と 後半 の五 章が そ れぞ れ一 部二 部で 分か れて いる
︒第 一部 では
︑寛 容と 危害 の 概念 が分 析さ れる
︒コ ーエ ンは
︑本 書の タイ トル にあ る︿ 危 害か らの 自由
﹀と いう 考え を提 示す るこ とで
︑寛 容お よび リ ベラ リズ ムに おけ る危 害原 理の 役割 を明 らか にし てい る︒ 第 二部 では
︑危 害原 理の 修正 バー ジョ ンが 提示 され
︑寛 容の 制 度論 的含 意︱ 親業 免許 制︑ 多文 化主 義政 策︑ 人道 的介 入︱ が 検討 され る︒ 以下
︑本 書の 概略 であ る︒ 第一 部の 概略
寛容 と危 害の 概念 すで に指 摘し たよ うに
︑危 害原 理は
︑寛 容が 何で ある かを 示す もの では ない
︒そ のた め︑ コー エン は最 初の 二章 を使 っ て︑
﹁寛 容と は何 では ない か﹂
︵第 一章
︶︑
﹁寛 容と は何 か﹂
︵第 二章
︶を 論じ る︒ コー エン は︑ プレ スト ン・ キン グ以 来の 寛 容の 概念 研究 を整 理し
︑寛 容を 次の よう に定 式化 する
︒
﹁あ る行 為主 体が
︑対 立す る他 者︵ ある いは その 行動
︶に 対
し︑ 干渉 する 権能 を有 する と信 じて いる にも かか わら ず︑ 意 図的 かつ 原理 に基 づき
︑そ の干 渉を 控え る場 合︑ この 行為 主 体は 寛容 であ る︒
﹂︵ p. 29
︶ 端的 に言 えば
︑寛 容と は︑ ある 意図 と原 理に 基づ いて
︑干 渉を 控え るこ とを 意味 する
︒こ れは
︑従 来の 寛容 理解 と比 べ ると ラデ ィカ ルな 定式 化で ある
︒特 定の 主体 が寛 容で ある と 言え るの は︑ その 主体 が特 定の 客体 に対 し︑ 拒否 と受 容の 要 素の 両方 を有 し︑ かつ
︑干 渉し てい ない とい うの が︑ キン グ 以来 の伝 統的 な概 念定 式で あっ た︒ しか し︑ この 伝統 的な 寛 容理 解は
︑拒 否の 要素 を過 度に 前提 視す るあ まり
︑政 治を 狭 くし か説 明で きな いと いう 欠点 があ る︒ 近年
︑ピ ータ ー・ バ リン トや スネ
・レ ガー ドと いっ た研 究者 は︑ 拒否 や受 容と い う規 範的 要素 より も︑ 不干 渉や 無行 為と いう 状況 をこ そ︑ 寛 容の 本来 的あ り方 と再 解釈 する こと で︑ 現代 の様 々な 政治 現 象を 広く 捉え うる 枠組 みと して 寛容 を位 置付 けて いる
︵c f. Ba li nt 20 17
︶︒ コー エン もま た︑ 干渉 の不 在を 重視 する 近年 の潮 流に 属す ると 言え る︒ だが
︑彼 らと 異な り︑ 無関 心や プ ラグ マテ ィッ クな 理由 に基 づく 不干 渉と 寛容 を峻 別し
︑寛 容 の意 図と 原理 を強 調す る点 にコ ーエ ンの 特徴 があ る︒ 寛容 が︑ 特殊 に道 徳的 な不 干渉 であ るの は︑ この 意図 と原 理に おい てで ある
︒不 干渉 とは ただ 何も して いな い消 極的 な
形態 に見 える かも しれ ない が︑ 現代 の複 雑化 した 社会 にお い ては 経済 的合 理性 の観 点か らも 擁護 され ねば なら ない 形態 で ある
︵第 四章
︶︒ 重要 なの は︑ 寛容 は︑ 原理 に基 づく 不干 渉だ が︑ 原理 に基 づく 干渉 を否 定す るも ので はな いと いう こと で ある
︒寛 容は
︑特 定の 原理 に基 づく 不干 渉を 表現 する こと で︑ それ と同 じ原 理に 基づ く干 渉の 正当 性を も表 現す るの であ る︒ コー エン は︑ 原理 に基 づく 不干 渉と 干渉 の問 題領 域と し て寛 容の 理論 を捉 え直 し︑ 危害 原理 がそ の有 望な 原理 であ る と論 じる
︵危 害原 理に つい ては
︑第 二部 で詳 細に 検討 され る︶
︒ 第一 部の 残り で論 じら れる のは
︑危 害の 概念 であ り︑ この 概 念が リベ ラリ ズム にお いて 有す る規 範的 位置 付け であ る︒ 先に 指摘 して おい たよ うに
︑危 害h ar mの 意味 内容 が︑ 何 を指 すの かは 極め て論 争的 であ る︒ 危害 概念 は︑ 何を どこ ま で寛 容す べき かと いう 議論 にど のよ うに すれ ば適 切に 位置 付 けら れる のだ ろう か︒ コー エン は︑ 法哲 学者 ジョ エル
・フ ァ イン バー グの 議論 を検 討し
︑干 渉を 道徳 的に 要請 する わけ で はな い迷 惑 of fe nc eや 痛み pa in から
︑干 渉を 要請 する 危害 ha rm を区 別す るこ とで
︑こ の疑 念に 応答 する
︵第 三章
︶︒ コー エン によ れば
︑危 害と は﹁ 間違 った 仕方 で︑ ある 人の 利益 を妨 げる 出来 事﹂ であ る︒ 例え ば﹁ 太郎 が次 郎に 危害 を 加え る﹂ とは
︑﹁ 次郎 の利 益が
︑太 郎の 行為 によ って 間違 った
仕方 で妨 げら れた 出来 事﹂ を意 味す る︒ 二つ 注釈 をし てお く︒ 危害 の問 題性 は︑ ある 出来 事に よっ て結 果的 に生 じる 悪し き 状態 では なく
︑こ の出 来事 その もの にあ る︒ 太郎 が次 郎に 侮 辱的 発言 をす る時
︑こ れが 危害 かど うか は︑ この 発言 その も のが
﹁間 違っ た仕 方で
︑次 郎の 利益 を妨 げる 出来 事﹂ かが 問 題と なる
︒結 果的 にそ れに よっ て次 郎が 受け る悪 影響 とは 独 立し て︑ 侮蔑 的発 言が 危害 なの かが 問わ れる
︒ま た︑ 第二 部 でさ らに 検討 され るが
︑干 渉を 要請 する 危害 にお いて
︑
﹁利 益﹂ や﹁ 間違 った 仕方
﹂が 何で ある かは
︑事 前に 決定 され ては い ない
︒何 が危 害で ある かは
︑当 事者 やそ の者 が属 する 集団 の 文化 にお いて 解釈 され る﹁ 利益
﹂も 顧慮 され る必 要が ある
︒ ある 者が 危害 を経 験す ると は︑ 間違 った 仕方 で︑ 自ら の利 益を 妨げ る出 来事 の当 事者 にな ると いう こと であ る︒ 危害 を 加え る者 は︑ 間違 った 仕方 で︑ 誰か の利 益を 妨げ る出 来事 を 発生 させ る︒ この 危害 が生 じな い限 り︑ 自由 は尊 重さ れね ば なら ず寛 容が 要請 され るが
︑危 害が 生じ る時
︑寛 容は 中断 さ れ︑ 何か しら の干 渉が 要請 され る︒ コー エン はこ こか ら︑ リ ベラ リズ ムを
︿危 害か らの 自由
﹀と して 特徴 づけ る︵ 第五 章︶
︒
︿危 害か らの 自由
﹀と は︑ 誤っ た仕 方で 利益 を妨 げら れる 出来 事の 当事 者と なる こと から の自 由で ある
︵p p. 82 -8 4︶
︒ これ は︑ 一方 で︑ 誰か に危 害を 加え ない 限り
︑我 々の 活動 は
介入 され ずに
︑自 由の まま にさ れな けれ ばな らな いと いう 消 極的 自由 を意 味し
︑他 方で
︑リ ベラ ルな 人々 およ び政 府は
︑ すべ ての 人の
︿危 害か らの 自由
﹀を 擁護 する 義務 を負 うと い う積 極的 自由 を意 味す る︒ コー エン の寛 容論 は︑ 誰か に危 害 を加 えな い限 りは 自由 に活 動で きる とい う議 論に とど まら ず︑
︿危 害か らの 自由
﹀を 万人 に保 障す ると いう 議論 を含 むこ とに なる ので ある
︒第 二部 は︑ この 点を さら に現 実の 諸課 題 へと 接続 する ため に︑ 危害 原理 の検 討か ら出 発す る︒ 第二 部の 概略
危害 原理 の修 正案 と適 用問 題 コー エン は前 章で 述べ た︿ 危害 から の自 由﹀ を理 論的 基礎 とし
︑ミ ルの 危害 原理 に修 正を 加え る︵ 第六 章︶
︒危 害原 理の 基本 定式 は︑ 次の よう なも ので ある
︒ 危害 原理
:あ る者
︵P
︶の 意思 に反 し︑ Pに 権力 が正 当に 行 使さ れう るの は︑ Pが 他者 に危 害を 加え るこ とを 防止 する 目 的の 場合 のみ であ る︒ コー エン は︑ 危害 原理 の複 数の バー ジョ ンを 比較 検討 し︑ 万人 に保 障さ れる べき
﹁危 害か らの 自由
﹂と いう 点か ら︑ 政
府の 役割 をよ り明 示化 する 修正 案を 提示 する
︵p p. 10 4- 11 1︶
︒ 危害 原理 の修 正案
:あ る者
︵P
︶の 意思 に反 し︑ Pに 権力 が 正当 に行 使さ れう るの は︑ Pが 他者 に危 害を 加え るこ とを 防 止す ると いう 目的
︑あ るい は︑ 誰か に加 えら れう る全 ての 危 害を 信頼 でき る形 で防 ぐの に必 要な ミニ マル な政 策︵ 最低 限 度必 要な 課税 制度 も含 む︶ を定 める とい う目 的の 場合 のみ で ある
︒︵ p. 10 6︶ この 案に よれ ば︑ リベ ラル な国 家の 政策
・制 度は
︑あ らゆ る危 害の 防止 のた めに 最低 限度 必要 であ ると いう 点か ら正 当 化さ れる
︒ コー エン も認 める よう に︑ この 修正 案の 内容 は︑ 未決 定要 素が 多い
︵p .1 19
︶︒ だが
︑こ の修 正さ れた 危害 原理 から リベ ラリ ズム を理 解す るこ とは
︑リ ベラ ルの 政治 理論 や法 理論 が 抱え る困 難を 解き ほぐ すた めに 有効 であ る︵ 第七 章︶
︒特 に 懸念 され てい るの は︑ 個人 の権 利や 自律
=自 己決 定を 中心 に 据え たリ ベラ リズ ムが
︑危 害が 生じ る現 実の 事態 をう まく 捉 えき れて いな い点 であ る︒ コー エン によ れば
︿危 害か らの 自 由﹀ とい う考 えは
︑リ ベラ リズ ムが いか に現 実社 会の 複雑 性 や多 様性 とい う諸 問題 とバ ラン スを とり なが ら︑ 具体 的な 諸
政策 を正 当化 する のか を説 明す る︒ この 非理 想理 論的 な問 題 関心 から
︑残 りの 章で は︑ 具体 的な 現実 課題 にお いて
︑修 正 され た危 害原 理が いか なる 指示 を出 しう るの か検 討さ れる
︒ 個々 の事 例に おい て重 要な のは
︑誰 が誰 によ って どの よう な危 害を 加え られ てい るの かで ある
︒危 害と は︑ 間違 った 仕 方で その 者の 利益 が妨 げら れる 出来 事で あっ た︒ 危害 原理 に よれ ば︑ ある 事例 にお いて
︑危 害が 発生 して いる 場合
︑権 力 によ る何 らか の干 渉が 正当 化さ れる こと にな る︒ だが
︑こ の 原理 は︑ 危害 を加 える 者へ の危 害と して 国家 によ る干 渉を 正 当化 する わけ では ない
︒言 い換 えれ ば︑ 何を もっ て危 害と み なす のか
︑国 家に よる 干渉 のあ り方 が別 種の 正当 化さ れえ な い危 害に はな って いな いか がポ イン トで ある
︒コ ーエ ンが 個々 の事 例を 扱う 際︑ この 二つ の点 をど うク リア しよ うと し てい るか に注 意し なが ら︑ 最後 の三 章の 議論 を確 認し よう
︒ 第八 章の 論点 は︑ 親に よる 児童 虐待 への 対応 であ る︒ 児童 もま た成 人と 同様 に︑
︿危 害か らの 自由
﹀を 擁護 され ねば なら ない
︒虐 待は
︑児 童の 心身 に苦 痛を 与え る出 来事 であ る︒ ま た︑ 虐待 をす る親 は︑ 統計 上︑ 幼少 期に 虐待 を受 けて いる こ とが 多い
︒そ のた め︑ 虐待 とい う出 来事 への 干渉 は︑ 現在 の 危害 を阻 止し
︑将 来の 危害 を予 防す るた めに も必 要で ある
︒ 子ど もを 家庭 から 引き 離す とい う策 は︑ 児童 にも 親に も別 種
の危 害と なり うる ため
︑得 策で はな い︒ 虐待 が︑ 親の 養育 能 力の 問題 とし て生 じる こと を鑑 みる なら ば︑ 虐待 防止 のた め の親 の養 育能 力へ の干 渉が
︑正 当化 され る︒ こう した 考え か ら︑ コー エン は︑ 親業 免許 制度 を具 体的 に取 り上 げ︑ 児童 虐 待と いう 危害 を防 止す るミ ニマ ルな 政策 とし て正 当化 する
︒ 第九 章は
︑個 人の 自律 を尊 重し ない 少数 派の 民族
・文 化集 団へ の干 渉の あり 方を 論点 化す る︒ 多文 化主 義政 策に おい て︑ リベ ラル な政 体に おけ る少 数派 の民 族・ 文化 集団 の扱 い は︑ 論争 的で ある
︒よ く知 られ るよ うに
︑キ ムリ ッカ は︑ こ うし た集 団に よる 権利 要求 を﹁ 内的 制約
﹂︵ 集団 を自 らの 成員 によ る不 安定 化か ら保 護す る︶ と﹁ 外的 保護
﹂︵ 集団 を外 部の 決定 によ る影 響か ら保 護す る︶ に区 別し た︒ その 際︑ リベ ラ リズ ムが この 権利 要求 を受 け入 れる かど うか を︑ 少数 派集 団 が個 人の 自律 を尊 重す るか 否か に見 い出 すた め︑ キム リッ カ は︑ 個人 の抑 圧と いう 危険 を持 つ内 的制 約の 要求 を退 け︑ 個 人の 権利 を補 完し うる 外的 保護 の要 求を 容認 した
︒ これ に対 し︑ コー エン は︑ 寛容 と危 害原 理の 観点 から 別の 見方 を引 き出 す︒ コー エン によ れば
︑文 化集 団に よっ ては
︑ 自律 や自 己選 択を 不必 要と し︑ 成員 はそ れを 手放 すこ とを 良 しと する
︒キ ムリ ッカ のよ うな
﹁自 律主 義者
﹂は
︑こ れを 少 数派 集団 によ る危 害の 事態 とみ なす かも しれ ない が︑ 自律 を
手放 すこ とが 間違 った 仕方 で利 益を 損ね るこ とと は限 らな い︒ それ ゆえ
︑内 的制 約を 危害 とは 同一 視で きな いた め︑ こ れを 理由 にし た政 府に よる 干渉 は正 当化 され ない
︒ま た︑ 外 的保 護と いう 政府 によ る干 渉も
︑危 害原 理か ら正 当化 され な い︒ なぜ なら
︑政 府に よる 民族
・文 化集 団の 保護 とい う干 渉 のあ り方 は︑ 別の 異な る集 団へ の重 荷を 生み 出し
︑さ らに
︑ 政府 によ って 保護 され よう とい う動 機か ら元 々の 文化 を歪 に 変容 させ る恐 れが ある から だ︒ これ は︑ 少数 派集 団に とっ て 自己 破壊 的で ある
︒コ ーエ ンは
︑危 害原 理の 観点 から
︑自 律 を尊 重し ない 集団 をめ ぐる 寛容 の問 題を バラ ンス よく 保た せ る多 文化 主義 政策 とし て︑ 離脱 権の 保障 を論 じる
︒ 第十 章で は︑ 他国 への 人道 的介 入が 論点 とな る︒ コー エン によ れば
︑リ ベラ ルな 国家 とは
︑危 害か らの 自由 への コミ ッ トメ ント を有 する 国家 であ る︒ 危害 から の自 由が
︑万 人に 保 障さ れる べき もの なら ば︑ 内紛 や飢 餓と いう 危害 に苦 しむ 人々 のた めに
︑リ ベラ ルな 国家 ある いは 市民 団体 が他 国に 干 渉す るこ とは 一定 程度
︑正 当化 され る︒ この 時︑ 原理 上︑ 危 害に 苦し む人 々の 住ま う国 家の 当該 政府 の同 意は
︑必 ずし も 必要 とい うわ けで はな い︒ しか し︑ 主権 国家 間と いう 複雑 で 困難 な関 係か ら︑ 他国 への 直接 的な 干渉 が︑ さら なる 危害 を 生み 出す 可能 性は 高く
︑国 内の 問題 以上 にコ スト は計 り知 れ
ない
︒そ れゆ え︑ 危害 原理 によ って 干渉 は許 され ると して も︑ その 干渉 の具 体的 なあ り方 は︑ さら なる 危害 を生 み出 さず
︑ かつ
︑コ スト を抑 えた もの でな けれ ばな らな い︒ その 具体 策 とし て︑ 危害 を被 る人 々の 国外 脱出 のた めの 援助 が取 り上 げ られ てい る︒ 総括 とコ メン ト コー エン の著 作は
︑︿ 危害 から の自 由﹀ とい う見 地か ら︑ 現 代寛 容論 の新 たな ポテ ンシ ャル を引 き出 す画 期的 な仕 事と い える
︒我 々あ るい は政 府が 寛容 であ ると いう こと の意 味は
︑ 危害 を加 える もの でな い限 り︑ 干渉 しな いと いう だけ では な く︑ 誰も 危害 が加 えら れな いよ うな 社会 を目 指す とい うこ と でも ある
︒こ の後 者の 点は
︑危 害原 理の 修正 案の
﹁あ る者
︵P
︶ の意 思に 反し
︑P に権 力が 正当 に行 使さ れう るの は︑
・・
・誰 か に加 えら れう る全 ての 危害 を信 頼で きる 形で 防ぐ のに 必要 な ミニ マル な政 策︵ 最低 限度 必要 な課 税制 度も 含む
︶を 定め る とい う目 的の 場合 のみ
﹂と いう 正当 化指 針に 明示 され る︒ コー エン は︑ 誰も 危害 が加 えら れな いと いう 社会 理念 をリ ベラ リズ ムの 中心 的価 値に 据え
︑危 害原 理に 基づ くリ ベラ ル の寛 容論 の見 通し を示 した
︒こ のこ とは
︑危 害原 理が 寛容 論
に役 立つ こと を力 強く 論証 する と同 時に
︑さ らな る課 題を 明 らか にし ても いる
︒ 筆者 が最 大の 課題 と思 うの は︑ 危害 の優 先順 位の 問題 に関 わる
︒コ ーエ ンは 第三 章で 迷惑 of fe nc eや 痛み hu rt から 区 別さ れた 危害 を﹁ 間違 った 仕方 でそ の者 の利 益が 妨げ られ る 出来 事﹂ と定 義し た︒ この こと で︑ 危害 をめ ぐる 道徳 的不 一 致は
︑解 消さ れた ので はな く︑ むし ろ棚 上げ され てい る︒ 自律 や濃 厚な 道徳 主義 と距 離を とる コー エン は︑ 危害 が何 であ るか を誰 が決 める のか とい う問 いに
︑多 元主 義的 な応 答 をし てい る︒ 一方 で︑ 児童 の虐 待が 問題 にな る時
︑そ れが 危 害で ある のは 親や 児童 が決 める ので はな く︑ 虐待 が社 会的 に 再生 産さ れる とす る統 計的 事実 に基 づか せる
︒他 方で
︑少 数 派集 団の 内的 制約 が問 題に なる 時︑ それ が危 害で ある かは 集 団と その 集団 の成 員で ある こと をや めよ うと 離脱 する 者の 間 で見 解が 分か れる こと を認 めて いる
︒つ まり
︑誰 が何 を危 害 とす るか は︑ 個々 の事 例に 応じ て異 なり
︑さ らに
︑同 じ事 例 でも 見解 が立 場に よっ て分 かれ るこ とを 良し とし てい る︒ コー エン はど の危 害が
︑よ り重 要に なる かを 決め る優 先順 位を 設け てお らず
︑そ れは 個々 の事 例や 当事 者の 理解 に依 存 する と考 えて いる よう であ る︒ この 場合
︑﹁ 誰も 危害 が加 え られ ない
﹂と いう 理念 は︑ 何を 意味 する のだ ろう か︒ ここ に
は二 つの 可能 な見 方が ある
︒一 つは
︑誰 も自 分の 理解 する 危 害を 自分 に加 えら れな いと いう 見方 であ り︑ もう 一つ は︑ 誰 にと って も自 明と いう 意味 での
︿決 定的 な﹀ 危害 が誰 にも 加 えら れな いと いう 見方 であ る︒ コー エン は︑ 両方 を支 持し て いる よう だが
︑そ の場 合︑ 危害 原理 は︑ 原理 では なく
︑個 々 の危 害へ の何 がし かの 応答 でし かな くな るよ うに 思わ れる
︒ この こと は︑ 彼の 危害 原理 の修 正案 を考 える なら
︑死 活問 題だ ろう
︒な ぜな ら︑
﹁誰 かに 加え られ うる 全て の危 害を 信 頼で きる 形で 防ぐ のに 必要 なミ ニマ ルな 政策
﹂の ミニ マル と いう 言葉 が︑ 意味 をな さな くな るか らだ
︒そ のた め︑ コー エ ンは
︑危 害を めぐ る優 先順 位を 原理 的に 問わ ない ゆえ に︑ 個々 の状 況の 問題
︑応 答し やす い危 害の 削減 とい う実 践的 な問 題 へと 優先 順位 の議 論を 移行 させ かね ない
︒ミ ニマ ルな 政策 の 問題 は︑ 応答 すべ き危 害の 道徳 的な 質の 問題 では なく
︑政 府 の応 答能 力上 の対 応し やす さや 実践 的限 界の 問題 にな る︒ 危害 の二 つの 見方 の両 方を 支持 する コー エン の試 みに 共感 は抱 くも のの
︑や はり 後者 の︿ 決定 的な
﹀危 害を 前者 の主 観 的な 危害 より も優 位と する よう な視 点が
︑危 害原 理に 基づ く 寛容 論に おい て重 要に なる よう に思 える
︒そ うで なけ れば
︑ コー エン が寛 容を 意図 と原 理に 基づ かせ た当 初の 試み を自 ら 裏切 る結 果に なる だろ う︒
︿危 害か らの 自由
﹀が
︑他 の自 由よ
りも リベ ラリ ズム にお いて 基底 的で ある とコ ーエ ンが 主張 す る時
︑そ の基 底性 の根 拠は
︑リ ベラ リズ ムの 様々 な自 由や 権 利の 根本 とな るも のを 損ね るよ うな
︿決 定的 な﹀ 危害 の存 在 とそ こか らの 自由 にあ るの では ない だろ うか
︒ 本書 は︑ 危害 原理 と寛 容の 結び つき をリ ベラ リズ ムの 議論 とし て改 めて 問い 直す 意欲 的な 著作 であ る︒ 明確 に議 論さ れ てい ない 点も 目立 つが
︑寛 容の 政治 理論 を展 開す る上 で重 要 とな る新 たな 論点 をい くつ も投 げか けて いる
︒寛 容の 危機 が 叫ば れて いる 昨今
︑寛 容を 単な るお 題目 とし てで はな く︑ 原 理的 に問 い続 ける 著者 の姿 勢か らも 学ば され るも のは 多い
︒ 参考 文献 Ba li nt ,P et er .2 01 7. Re sp ec ti ng To le ra ti on :T ra di ti on al Li be ra li sm an d Co nt em po ra ry Di ve rs it y. Ox fo rd Un iv er si ty Pr es s. ジョ ン・ スチ ュア ート
・ミ ル 一九 七一
﹃自 由論
﹄塩 尻公 明・ 木村 健康 訳 岩波 文庫
︒ スー ザン
・メ ンダ ス 一九 九七
﹃寛 容と 自由 主義 の限 界﹄ 谷 村光 男・ 北尾 宏之
・平 石隆 敏訳
ナカ ニシ ヤ出 版︒