黄表紙『万象亭戯作濫腸』浅読

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黄表紙『万象亭戯作濫腸』浅読

園田, 豊

http://hdl.handle.net/2324/4755973

出版情報:雅俗. 3, pp.213-221, 1996-01-10. 雅俗の会 バージョン:

権利関係:The pictures in this paper are hided because of copyright protection.

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黄表紙﹃万象亭戯作濫腸﹄浅読

万象亭の黄表紙の初作の一︑﹃万象亭戯作濫陶﹄︵中本︑二巻二冊︒天明四年︑伊勢屋次助刊︶は︑最終(+)丁裏に登場

する天明狂歌壇の﹁親分︑元木網﹂の言葉を借れば︑﹁此の様な面白くもない︑いけない草子﹂︑それを版元が出版を承知し

たのは﹁全く︑師匠風来山人のお陰﹂︵但し︑この年は源内すでに没して五年目︶となり︑作者万象自身も﹁くれぐれも

世間へ通用なしの楽屋落ちの二冊もの﹂という︒にもかかわらず︑筆者がこの作に心魅かれるのは︑若き万象亭が︑無邪気

で明朗な自負をもって江戸戯作文壇へ参入する前後の動向や気分が︑万象自らの手によって餡晦を交えながらも描かれてい

る故であろう︒以下に︑本文のいくつかを取り上げながら︑この黄表紙の虚の裏に見え隠れする実の世界を垣間見てみたい︒

また︑本作品は近年﹃叢書江戸文庫⑫森島中良集﹄︵石上敏氏校訂︶に影印・翻刻された︒宜しく御参照頂きたい︒

0

﹁ひずをよっての考え﹂﹁凝りは︑おいらが作の種だ﹂︵一丁表︶

まず︑作者は神田の八丁堀に住む風来山人︵源内の実際の住所は白壁町︶の門人︑天竺老人として登場する︒この天竺老

人は生来の筆まめで︑絶えず下らぬ無駄書きをしているので︑近所では作者と噂されていた︒それを本当の作者と勘違いさ

れ︑新作浄瑠璃執筆を頼まれる︒この辺り︑万象亭が源内との縁で︑まず浄瑠璃作者として戯作界と関わり始めたことの戯

画化である︒依頼を受けた作者天竺は﹁ひずをよって﹂新浄瑠璃の筋を考える︒﹁ひずをよる﹂とは﹁苦労する︑難渋する﹂

の意︒﹃日本方言大辞典﹄︵小学館︶に︑近代の茨城県︑東京都︑神奈川県での使用例を掲げる︒漠字をあてるとすれば︑

﹁氷頭︵牌頭︶を選る﹂であろうか︒氷頭とは﹁鮭・鯨などの頭部の軟骨︒透明で柔らかく食用となる﹂︵﹃江戸語大辞典﹄︶︒

園 田

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﹃評判龍美野子﹄︵宝暦七年刊︶﹁上上吉鮭小佐川風﹂に︑﹁こちの鱒殿には︒鮨にしてのいたりは︒かくべつのお とり有り︒牌頭のよわい評判ハ︒おきにしてもらいたい一g5き︳其ひずのよわいで牌頭なますがよいは﹂と見える︒

また

天竺老人の書き入れには﹁なんでもぐつと凝らねば書けぬ︒凝りはおいらが作の種だ︵﹁こりゃア︑おいらが瓶の種だ﹂の

あらみたまにった

地口か︶﹂とある︒万象の浄瑠璃正本初作は︑安永八年︵二十四歳︶二月二日︑結城座初演の﹃荒御霊新田神徳﹄で福内鬼 外

︵ 源 内

・ ニ

︱ 天 作 と の 合 作 で あ る

後 年

︑ 黄 表 紙 に お い て 南 畝 か ら は

﹁ 凝 ら ぬ 思 案 の 早 作 り

︵ 天 明 五 年 刊

から

っぼうち

そこでも﹃売鉄砲挑灯具羅﹄序︶を賞され︑﹁万が作は無駄でいい︑たわいのないのが評判だ﹂︵天明七年刊﹃色男其処此所﹄︶と自

v賛し︑洒落本﹃福神粋語録﹄︵天明六年十月二十一日後序刊︶を一夜にして︑後には読本﹃

伐邑

玉の

枝﹄

享和

二年

刊︶を

﹁日

あら

ず﹂

︵叙

書き上げた彼にも︑新米作者として肩に力の入った時期があったのである︒しかし︑これは当然といえ

ば当然で︑誰しも同じこと︒山東京伝の黄表紙でも︑推が外れて︑ぐっと可笑しみが増すのは三︑四作目か︵?︶の

﹃笑話於腑茶﹄︵安永九年刊︶を濫崩とするのでもわかる︒その末尾の文章を掲げておこう︒

さらばこれから︑西国の休息に茶を悌かしませう︒アハ

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ぁA面白かった

閑話休題︒新しいと思って筋を立てても︑所詮︑焼き直しだの︑盗み趣向だと決めつけられるのだからと開き直った天竺

てはやものがは︑ここは﹁一番ぐつと珍しく︑大序から大切り迄たった一幕

で仕

舞う新浄瑠璃を作﹂る︒その名も﹃源頼光手早物語﹄と

は︑出来ました︒

ここで︑既に周知の資料であるが︑﹃判取帳﹄に載る万象亭の覚書を掲げておこう︒

霊験宮戸川

若宮御所之

たん

目黒比翼塚

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9 ,

中之巻

大島村之段

鎌 新田神徳 倉 御 所 の た ん 一 矢 口 神 前 の 段 一 石 田 詰 壱 部

メ四品

右私作二相違無御坐候以上

森羅万象亭

この内︑実際に大当たりを取ったのは︑安永八年七月七日︑肥前座初油︵﹃義太夫年表近世篇﹄︶﹃暉輝麟屈衛慶ぐ閲均島応﹄

で︑翌年には同題の黄表紙︵勝川春朗画︑伊勢次刊︶も刊行されている︒また︑このことを源内が嫉妬し︑万象を罵ったと

いう挿話も伝わっている︒

この︵源内の殺傷事件を指す︶十日計以前に︑堺町人形芝居の肥前座柴屋方にて︑森羅萬象と口論あり︒これは萬象が

作の目黒比翼塚といふ浄るり本大嘗たりにて︑源内が作不評判なりしかば︑嫉氣を帯び︑外事にかこつけて喧嘩をしかけ

たりと見ゆ︒予も其坐に居合せけるに︑源内は顔色をかへて罵りけれども︑萬象は蘭學など源内の弟子同様の事故︑詞も

やわらかに會繹せり︒︵鳥海孝文﹁平賀源内小他﹂︹﹃森銑三著作集﹄第一巻所収﹁平賀源内維俎﹂より︺︶

しかし︑この事件が万象の心にしこりを残さなかったことは﹃風来六部集﹄序を﹁頼もせぬのに﹂書いたこと︵安永九年

おやだま五月十八日︶や﹃飛花落葉﹄祓︵天明二年四方に花咲ころ︶の﹁此花の外に此花なきは︒いはずと皆様御存の作者の巨撃風

来山人︒盛を見する程もなく遮陽版の岐穴から賊風の心なく︒吹散したる花は根に︒復花となせし事︒惜むべき事にあらず

や﹂さらに﹃戯作濫崩﹄の﹁全く︑師匠の風来山人のお陰なれば︑あだ疎かに思はしやるなと︑おらが娘の智恵内子も︑

V

三場切

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れぐれ言いましたとは︑身にしみじみと有り難い事なり﹂︵十丁

裏 ︶ などの文章から推察できよう︒

再び﹃戯作濫崩﹄に戻る︒この浄瑠璃が気の短い江戸っ子に大いに受け︑﹁天竺老人が評判どつと突き抜け﹂て︑今度は

みかわずや

歌舞伎の台本を頼まれた天竺は﹁神田の隠居︵源内︶もそこのけの狂言を書き上げる﹂ことになる︒外題は﹃見蛙哉

蝦顔見世﹄︒﹁退屈のない︑よく筋の分からぬ﹂︵五丁表︶﹁何だか夢のような狂言なれど︑モフ筋の狂言でもあるめへ︒分

からぬ所が当世だ﹂︵五丁裏︶と︑これも好評を博す︒

黄表紙評判記﹃江戸土産﹄︵天明四年刊︶の本作の評には﹁上下/

0 ‑

まくの浄るりとするのわからぬかぶきしばいハき

ついものだが︵以下略︶﹂とある︒

0

﹁定めて歌舞伎の狂言がいけるからは︑女郎買の狂言も書くだらふと方々で頼みたがる﹂︵五丁裏︶

︵筆者敬白︑﹁まだるっこしければ︑ここより梗概を略し候︒

﹂ ︶

﹁石一︵市︶﹂という令息株︑通人﹁か十﹂︵六代目十寸見河東か︶に頼まれ︑天竺は女郎買の狂言を書く︒ここで想起さ

ひとのくにでみせのよしわら

れるのは向井信夫氏が﹁蔦屋重三郎出自考﹂︵﹃江戸文藝叢話﹄八木書店︶に︑黄表紙﹃異国出見世吉原﹄︵窪俊満作︑安永

十年刊︶を一材料にして記された︑次のような文章である︒ そのうちに勇助︵園田註︑若き日の喜多川歌麿︶はとんでもないことをしでかした︒江戸町一丁目の角玉屋の新造と駆

落ちしたのである︒対手の新造は安永七年の春及び秋の細見に出ている﹁恋衣﹂がそれであろう︒この事件は安永七年十

一月二十三日と見られ︑恋衣は楼主の思惑で中三または座敷持として突出すため︑引込新造として内証で使っているうち

勇助と馴染んだものであろう︒

この駆落ちには勇助の悪友志水燕十︵石燕門下の相弟子︶や森島中良が絡んでいると思われるがどうであろうか︒二人

は一応船で中良の居る築地に逃げ︑それから近郷の知人︵例えば藤沢の鎌

倉近 人︶

の許にでも隠れたのではあるまいか︒

︵六

三頁

とおりちょうおえどのはなすじまた︑黄表紙﹃繹麟通町御江戸鼻筋﹄︵唐来参和作︑天明六年刊︶十二丁表の

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'>

︵芸者︶﹁築地の万象さんへ頼んでいったことを聞いてくんなすったか﹂

︵伝二郎︶﹁のみこみ︵︒﹂

という書き入れに︑鈴木俊幸氏が付された﹁この二人の一件︵当時︑美男力士として名高かった小野川喜三郎と吉原芸者八

重との艶聞︹天明一一年頃のこと︺︶に関する楽屋落ちのようである﹂という注︵﹃シリーズ江戸戯作盾来参和﹄八七頁︶も

示唆的である︒

十八大通の一人に擬せられ︑後年の回想に﹁我も昔は男山︑飛色羽折赤帯にて歩行し仲問なり﹂︵﹃備忘掌記﹄︵杏雨書屋

蔵︶︹石上敏氏﹃万象亭森島中良の文事﹄︵翰林書房︶による︺︶と記してもいる万象のこと︑﹁通り者﹂として︑こうした事 件に関わることは実際にあり得たであろう︒そして︑いずれも︑事を円満に納めたようだ︒

0

﹁芸者衆は誰だ﹂﹁せんてうさんが来やす﹂︵六丁裏・七丁表︶

天明三年春の﹃新吉原細見﹄﹁男藝者之部﹂に﹁千調﹂の名が見える︒

ばくれん

0

﹁夫より天竺老人はか十︑石市が世話にて︑いつ迄莫蓮作者でもすまぬものと江戸に名高き作者仲間へ入り︑万屋の 象潟が亭主といふ字頭を取て万象亭と改名し︑当春から草双紙の初舞台︑御子様方へ座付き御目見へとして︑鼻の大きいか

ら思い付き︑石橋の所作を故事つける﹂︵九丁裏・十丁表︶

万屋の象潟の亭主で万象亭と言っておきながら︑次の丁をめくれば︑﹁添へて申し上げ候︒万屋といふうちに象潟といふ

女郎もなければ︑万象亭に女房もなし︒くれぐれも世間へ通用なしの楽屋落ちの二冊物﹂とそれを混ぜっ返す︒そんな事は

先刻承知さ︑と思いつつも︑筆者の頭に︱つの推測が浮かぶ︒﹃洋方醤傭﹄︵明治十七年︶にある万象の﹁不欲蓄妻子﹂を

早く駁されたのは高濱二郎氏﹁森島中良に閥する謬説﹂︵﹃他記﹄第九巻︑三・四披︶であった︒桂川家の菩提寺である上行

寺の過去帳によれば︑万象には妻子があったのである︒﹃戯作濫崩﹄のこの場面には﹁去年は春町の後見に出る︒此春で後

見の通だ﹂という喜三二の台詞が書き入れられている︒去年の春町の後見とは︑喜三二の世話で春町が再婚したことを指す

のであろう︒﹃徳和歌後万載集﹄巻十一に

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喜三二のなかだちにて妻をむかへければ

婚礼も作者の世話で出来ぬるはこれ草本のゑにしなるらん

の一首が収まるが︑春町の再婚は天明二年のことであったか︒

ここで︑筆者は想像を退しくする︒﹃戯作濫腸﹄は万象亭の亭号披露と結婚を自ら寿いだ黄表紙ではなかったかと・・・

︵や

はり

無理

であ

ろう

か︶

さて︑次に︑万象の鼻は本当に大きかったのか︒万象亭の肖像として描かれたことが確実な﹃福神粋語録﹄︵天明六年刊︶

あづまかがみ﹃絵本吾嬬鏡﹄︵天明七年刊︶付録﹁江戸名所取組﹂を見ると︑成程少し大きめであるが︑﹃芝蘭堂新元會圏﹄では普通に描

かれている︒本作品でも少し大きい程度︵図

1)

だが︑この場面になると急に獅子っ鼻になっているのが可笑しい︵図

2)

﹁京伝鼻﹂の例もあり︑また万象亭の戯作に親しむにつれ︑筆者は︑これは早くは﹃きのふはけふの物語﹄などに見える

﹁不審紙﹂の滑稽ではなかろうかと思ったりもする︒ちなみに︑江戸戯作において︑自らの鼻で笑いをとった点では﹃戯作

濫瘍﹄︵天明四年刊︶の万象の獅子っ鼻の方が︑﹃手拭合﹄︵同年六月叙刊︶初出の京伝鼻より︑ちと早い︒その﹃手拭合﹄

くるか﹁鳳味案﹂の象股引の意匠に﹁鼻をもつて事を弁ず︒又鼻の大いなるといふもさし合を繰欺﹂の賛があるのに気付いた︒

0

﹁狂いなどはとんと豚の軽業だ﹂﹁根太が抜けそうだ︒万象楽/\﹂︵同前︶

忘我の境地で獅子となって舞い踊る天竺老人に︑江戸に名高き作者仲間も閉口の体である︒﹁いい加減に仕舞えばいい︒

人様の思し召しもあるものだ﹂と言っているのは四方山人であろうか︒門人千差万別も﹁おらが師匠も面の皮の厚い人だ﹂

と呆れ顔である︒しかし︑こうした書き入れをした万象亭を森銑三氏は﹁いい氣なものである﹂﹁が︑讀んでそれほどに厭

な氣持にならぬのは︑作者の人柄に依るのであらうか﹂と評されている︵﹃黄表紙解題﹄三四三頁︶︒﹁万歳楽/\`﹂は地震

まじなに遭った時のお児いである︒万象亭は大柄で恰幅が良かった︵やや肥満気味であったか︶と思われる︒さぞ︑通人の出立ち

そそうぜんばんぶたのかるわざが似合ったことであろう︒そういえば︑市場通笑の黄表紙に﹃能相千萬琢軽業﹄︵天明四年刊︶というのがある︒

0

﹁進上/蒸篭万荷/狂歌連中﹂︵十丁裏︒図3

参照

酒上不埒

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,V  

画面の左側に︑お祝いの蒸篭が沢山積まれている︒この蒸篭の中身は何であろうか︒空蒸篭︵京伝﹃江戸春一夜千両﹄十

二丁裏・十三丁表︶などと言えば︑狂歌連中に叱られよう︒蒸篭の文字は﹁日本橋通壺町目/金澤丹後橡﹂と読める︒それ

ならば︑中野三敏氏が﹁森島中良あたりを考えればちょうど良かろう﹂︵﹃江戸名物評判記案内﹄一九三頁︶とされた柳荷五

瀾が頭取を勤める﹃

n ‑ F

評判記﹄︵安永六年刊︶に﹁上上吉金沢反吾︵中略︶当時女形の御贔辰小豆羊羹美麗のたても

の/\﹂と評され︑同年刊﹃富貴地座位﹄に﹁上上吉金沢丹後石丁﹂﹁名は諸所/\吹ったふ松風﹂︑また﹃茶番遊﹄

にもその名が見え︑少し時代は下って﹃京伝憂世之酔醒﹄︵寛政二年刊︶に﹁金沢の名鳥柑﹂とある︑江戸に名高き珍味の

菓子屋︒中身はきっと餅菓子であろう︒

﹃誹風柳多留初篇﹄︵明和二年刊︶四丁表に

まんぢうに成るは作者もしらぬ知恵かくしこそすれ︵

の句が載る︒大奥の江島生島事件を諷した句︒歌舞伎役者の生島新五郎は蒸篭の中に忍んで江島に逢ったという︒いわずも

がなのことであるが︑この﹃戯作濫腸﹄の作者は飽くまで﹁万象亭竹杖為軽﹂であり︑正体は戯作者仲間内では﹁何処の誰

かは存ぜぬが︑誰もが皆知ってござる﹂というものであった︒その正体が出版物の形をとって江都に公けにされるのは︑各

巻の本文冒頭に﹁東都森島中良編輯﹂と冠した﹃紅毛雑話﹄︵五巻五冊︶において︒その序文に︑蘭学者大槻玄澤が

﹁公︵桂川家第四代法眼国瑞を指す︶弟萬象亭主人著紅毛雑話﹂と記した該書が刊行された天明七年九月のことである︒し

かし︑その時には既に︑万象亭は江戸戯作︵洒落本・黄表紙︶に別れを告げていた︒

0

﹁く

「むもじ」は「無の字」の転訛か。それとも「無文字」で良いのか。同年刊の黄表紙に『鰐豆は〗さ御知文笠附釦蔚』と

f

\も世間へ通用なしの楽屋落ちの二冊物︒さぞかし御覧も御むもじ様とお気の毒や娼の頭﹂︵同前︶

いうのがある︒﹁蠅の頭﹂は︑﹁お気の毒やハイ﹂に﹁蠅頭微利︵極めてわずかな利益

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無益の意︶﹂を掛けたのであろう︒

ここの文意は︑﹁万象亭﹂とは﹁万屋の象潟が亭主﹂の字頭をとって付けた名前だと先程書いたばかりだが︑万屋という廓

に象潟という女郎もいなければ︑万象亭に女房もいない︒つまり︑この草紙はくれぐれも世間には通用しない仲間内での楽

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園田只由

屋 落 ち を 出 き 綴 っ た 冊 物

ここに礼ぃてある事がの事だと思って読まれた読者は︑

﹁編された﹂と︑さぞかし御無念

な事でしょう︒本当にお気の毒ですね︑ハイ時間の無駄でしたね︒となろうか︒全く︑この一文をれした筆者︵園田︶

に与

うるに︑これ程適した言業はあるまい︒以上︑筆者の乏しい知識では︑この黄表紙の面白さをどれだけ語れたか︑甚だ心も

とない︒誠に無益な作業をしたような気もするが︑曾て筆者に無駄の効用を説いて下さったのは︑今蔵目出度<遠暦をお迎

えになられた中野三敏先生︑心よりお炭び申し上げ奉ります︒

早︑不惑の暁に之を識すR

(図2)

著作権保護のため図は非表示

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(図3) 著作権保護のため図は非表示

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参照

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