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スタール夫人『ルソーについての書簡』

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(1)

九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

スタール夫人『ルソーについての書簡』

永田, 英一

https://doi.org/10.15017/2332989

出版情報:文學研究. 36, pp.101-122, 1948-03-30. The Kyushu Literary Society バージョン:

権利関係:

(2)

︑Iノ

マダム︒ド・スクールとい一りより財政家ネヅケルの一人娘アンス︲ルイズージェルメーヌは︑いわば二人の父をもって

P︑︑■〃〃

ゐ た o 一 人 は ほ ん と う の 父 ジ ャ ヅ ク

・ ネ ヅ ケ ル で へ も 一 額 一 人 は 文 壌 上 の 父 ジ ャ ン ー ジ ャ ッ ク

・ ル ソ 脾 で あ っ た

︒ そ し て こ の

二人はどちらもジュネーヴ共和閏の川獣で︑活動の雛卜唯はちがうけれど︑フランス十八世紀の主要人物であった︒ロ

マネスクで感激やロジェルメースはこの二人の父にまったく偶侭雅拝的な銚識をさ型げてゐた︒また人のよい︑素直な︑生一本のかの女はそれとなんの悪ぴれもなし表現した︒一七八一年︑有名なネヅヶルの﹃旗計報告土脚﹄の肌たと*︐き︑作肴に慨讃の書簡をおくつたのはかの女であった︒﹃ルゾーについての北仙簡﹄もまた︑かの女が文學の炬火とう ■つ

けついだ人への熱烈な讃鍬である兵

まだルソー吻讃餅がない︑わたしはわたしの強談が表現されたのを見たいと思った︒わたしはおそらく誰・かほかの人

がわたしの感じてゐることを描いてくれたゞしと願ったであろう︒︽Uれどもわたしはわ・たしの感激と印無を内分で跡づ

けながら藷干よろこびを感じた︒わたしは天才とい﹄ソものは少敷のすぐれた総岬によってしか理解されないものだと

しても︑せめて感謝の貢物はそっくり受とる罰へきだと思った︒入猟の幸胴がその目的である作物はその作者を︑モ

の熱烈な讃歌である︒

スタール夫人房ソーについての書簡一

永田英一

﹃●

可■

■F

(3)

・・一○二

の行動が不滅にする人女の列にお・︑.へきものだ︒.⁝︒.

.⁝・鬼︿︑せてゐて︑そしてわたしたふりに辿る感冊の表現迄へ不確・かな附來の時期に迫いや︲ることにどうして賛成で

きよう︒・・⁝.その上ひとがルソーに深挫の感謝を負うてゐるのは背春時代ではないか︒⁝⁝︵序〆︶

︑スクール夫人はよくルソーの娘だといわれる︒それはいろん・な意味で正しい︒けれどもこの認郷伽﹄においてほど

かの女がそうであるところはない︒︑.

︑リシ﹇四Q四日⑦︒①の冨堅︵︒いいl扇弓︶

幻跨目ゅFo畠い中の①国目冒①

刃房8口①のzの鼻のH︵国間I扇呈︶球命備時の財灘総監︒.

鋤篇目宙8厘のいぎ屋の︑①目︵司届l挫司望

句一句g言営?苫ミ﹃へ含苗ご政府財政の機稀ど暴鱒した異例の評︒・

*トミ寺厨・曽ミ罰gへ闘い自︽正しくは耐食︑厨駕︑一風幹こぢQ一奇一︒ミミ辱意Q二句︷.︲筒.判︒路﹂ミヘ︵一園︶一一一■

一・ルソーについての北口簡﹄の背かれたのは一七八八年︑ちやうどルソ・−の段後十年にあたる︒作粁はその二年前に

*グノ

パリ駐荊スエーデン大使スクール︲ホルスタイン男個と結僻してゐた︒そしてこの結僻は川知のやうに斐附なものと

はならなかったけれど︑まだこのころは何といっても新しい生析で︑不幸のうかごう餘地もなか︽たし︑併の夫人は

まだ二士一歳の薪さで︑おそらく姉熱の文學少女そのまLであったろう︒ジェルメーヌは笹帆で高尚な︑何からいって

も申し・分のない家庭にうまれ︑やさしい川視の自由で疑明な教育をうけ︑早くから自家のサロンに鼓を出して一流の

二宙

(4)

二〆交人たちと接燗した︒かの女は幼年昨代をもたないほどに早熟な︑聰縦な︑澗述准映であ﹃た︒たしていまは外幽使

臣の耕夫人となり︑こんどは自分でサロンとひらき︑輝かしいその女王であった︒︲いわば生挺以来のあまりに帆肺さ

伽た興頂なのぼり通の頂鮎に︑かの女はゐたのであって︑持前のサンチマンタルのほかには何の愛愁も知らず︑人生

の陥非の一つとも疑わだ左■純粋で築火的で︑︐茄さと肚交に夢中だった︒たしてかの女の理惟的な︑思恕的な︑い

わばプループール的な牛面もまだあまり砿推してはゐなかった︒したがってこの罰郵簡﹄の作村は.年代的にみても︑

およそ作家スクール夫人のありうるかぎり︑感悩の大刺祭の娘であ﹃たといわればならない︒︑

*后ず賀o自陣蛍堅.国旦呉①言︵ヨも1房8︶

ルソーはあまりに弧烈な感受性をもってゐた︒一皮もの1印象駐うけると︑︒かれの全魂は毛の蛸にやか伽︑︾かれの

全精艸は無数の想念に峨倒される︒ルソーは概念を轆理し︑椛想を掘り︑それと縦にうつずためには︑この熱火のし

づきるの︑を待たねばならない︒こうしたルソーの流俄は︑かれ自身もしばノー告白してゐるし︑いまは評家の常祇と

なってゐる︒同じく感受性のつよい夫人がまづとのことに注恵して︑こ上から僻きはじめたのは術然といわぱなら

ない︒︒

︑書簡一

〃火Iの文慨について︑また科學︑身分の不平等︐および 演劇の危戯に開する初期の論純について﹄

三畠

(5)

科學蕊術のやうな知的作物は︑もとj︑人川の悪徳から發生したもので︑そ伽らの進歩は道徳の腐敗の根本加川だ

〃︒とルソーは主張した︒夫人はまづルソーのこの意兄はたしかに逆沈だという︒そしてまたルソーが人獅を復蹄させよ

うとしたあの自然欣態︲未開の不便からも文明の不都合からも均しく速ざかつた汰金時代︑乙飢もたしかに幻恕だと

いう︒けれども︑

︑煉金術師は︑哲學の石をもとめて︑唾陛に蒋益な秘密を發兄した︒ルソーも同様に︑完全な幸派の認識に逵しよ↑ソと努一

めて︑その途上で多くの軍要な江迎を兄出したのだ︒・

もbと夫人はいう︒と恥はルソーの方法の根本的な利蛎をついたものだ︒ルソーはまづ自然へへ﹄ミミミ蝿というものを絶

荊の光至性として剋定し︑そしてそれに向う線にそうて物覗逓考えてゆき︑そうしながら︲多くの謬見とともに︑多

くの侭従駐發見したのであった︒したがってルソー場合︐その剛惣の内芥やまたその斑現性について︑とやかく論

じることは所識ヤポであろう︒

︿ぎに夫人は諭帝國の表徴は政治的職革の必然の紡果であって︑學間の進歩をその原倒とみるのは間逢いであろう︐﹃

ルゾーは人間の幸砺と諸帝國の繁榮と莚十分に凧別してゐないやうだという狸

■︑

一○川・

ルソーが岐側に収扱った問題は︑科騏蕊術の効川について唾あった︒一七川九年の奥︑ルソーはパリからヴンサン

ヌヘ友人ディド脾と慰問に出かけ︑その逝巾はからずもデージ︐ンのアカデミーの懸蛍課題をみつけて︑﹁科嬢蕊術愉﹂

をものし︑一蹴ヨー回〃パの思想界に乗川したのだった︒I

口酎8廷萌鞄ミー風曽尽曽厨凰一鴎ヘミ計︵︒g︶

(6)

八仙紀の子であった︒

なぜな︑︑知識愛がたとえ向式の幽民盆軍部的怖薙からそれさせたというのが侭炊だとしても︑人類の幸祁は一平.のため に失うところはな︑かつたである一ソ・rg

とLにも夫人一流の考え方がみられる︒犬人は知識への備帆からも︑またルソーとは別な博愛思想から咄フランメ十

ルソーの第二現祁説は人川不平等の起漉について営あった︒一七五一派ルソーはまた脚じアカデミーの懸寅に唯じ

て﹁不平等論﹂を韮き︑これをジュネーヴ共和閏に献じた︒このたびは枠皿逓逸したけれど︑成功はさらに大きかつ

二口

た︒11!

*口冴8言鼠鼬ミ葛︶思い良一愚︵弓研︶

夫人はルソーの耕作中この作にはもっとも多くの恩想かもら伽てゐろ︑そしてこのや弓に同然的本能の臆理を手段

とすることは稲天才の偉大な努力であったという︒そして︑・

各ページにルソーがいかに原始生活逓漠鐸しでゐるか営み︒いれる︒.かれは糊︑の峨人癖をもってゐた︑かれの愉悪し.︲

てゐたのは人間ではなく︑その制匪であった︒

という︒これもまたルソーの根本川心想をついたものだ︒人川が恐いのではない︒悪いのは制度だ︒一切の肺命脚懇は制

度にある︒ルソーの文刷甦引川しよう︒

地面に囲いをして〃こ︲れはおれのだ〃と技Ⅱたくいってへそしてそれを肺てるほど恥純な人々詮見川した雌初のもの

一○五

(7)

r

凡川人は脚分の上にあるものも︑下にあるものも見ない・か︾れらは向分の線に間定してゐろ︒が︑ルソーの非凡な

知的恕傾力は︑一切の歴史をこえて︑人川性の根元において似いた︒夫人はこういう風にもの症考えねばならぬ天才

の不幸にM附してゐろ︒もっとも感じやすい︑そしてその知識と天某からもっともすぐれた人が︑人間の心術と締抑

荘ほとんど勉鈍の壯態に引きもどそうというのは注Hすべきことだ︑けれども.それはかれが行過ぎた文明の利便の

嘘じさせゐ一切の捕苦と他の何人にもまして感じたからだ︑山奪仙な才能の柑慾うける琴へ・き大成功もおそらく圭耐の犠

牲においてえら伽るのであろうと夫人はいう︒後年メタール夫人は〃すぐ伽た女性〃の孤澗感と悲哀にずい塁ん悩ま

さ飾る人だった︒そしてまた夫人は︑諺張さ伽たこういう意兄の中にあっても︑・ルソーがついに悪徳への愉しみと美

徳への愛という脈しい感州を鼓吹してゐるの逓兇逃さ・ない︒さらにルソーはその思想の椛現詮教えるものではなく︑

魂に例きかけて︑そしてそうするととによってまた択泌にさかのぼる人だという︒

包む一

さて大人は戸一Lでルソーの文慨について締ろ︒ルソーの文承は川知のやうに熱烈な︑多彩な︑抑描にたんだ美しい

ものだ︑Iかし夫人のそ伽についてはM様にいうことはできない︒夫人はルソーの文僻の光成ということがしばノく︑

戸一︑

一○六

が︑市災祇街の瞳の創飴者だった︒枕をひきぬき︑あるひは櫛をうづめて︑その同胞に〃との山師のいうとと彩を﹄い

ては随Uない︑果從は醐人のもの通あり︑土地は何人のものでもないということを忘れるならば︑淵誰は破滅だ!〃

と叫慕やうな人があったら︑その人は何と多くの戦争を︑殺戦を︑何と多くの悲惨と恐怖を人緬に免れさせなかった

ろうか︒︵第二部︶卜

〆︒凸一

四F

(8)

1

吹聴さ飾るけ畑ど︑はたしてそういうことが正しい識緋で︸あろうかと自問し︽

完成は︑大きな美蛾の存在よりも︑銃貼の妖如にあるやうだ︒奔放よりも︑節凌に︑時々あらわれるものkりも︑常

にあるものに︒要するに完成は偉大よりも均衡の感をあたえる︒.

﹄Dという︒夫人のこの識はルソーの問題と切離して考えてもよい︒というのは夫人自身が完成のわからない人︑といっ

て悪ければ︑すくなくとも完成に窮屈を感じる人なのだ︒夫人は古代文恥を解さず.十七世紀のフランス丈解にも愛

一L著せず︑北隊の無限だ︑泄洩︑↑愛愁︑要するに未完成なものに走るのであった︒・

そういう伽向からか︑犬人はルソーの兼致の完成を上下する抑揚と灼きつくすやうな熱力膵椛目してゐる︒諦華の

蠅常や縦何聡的構成の簡潔も文末に完全な明快さをあたえるけ帥ど︑ルソーの表現︑魅力はその魂に負うてゐる︒

ピュフ4ンは想像でその文末駐膨ろか︑ルゾーはその魂で︑その惟椛で活鋪づける︒だから︑ほとんどつ肥に︑また多

くの題材について︑愛とか愉しみとか︑その他の情念の昂砺の吹きこむ熱無をルソーにみとめること以上に︑ルゾー

︲にた砿する美しい識僻がある罪かと夫人はいう︒そしてルソーの征凌まぬがれなかった悪趣味についても︑ルソーは

−繩の共和的紬仲から︑下呼な言葉と・か︑上等な言葉と次川諦のあいだに階級の存すると廷花描めたくなかったの

だ︑また規則にしたがう術逓知ってゐて︑それと破る人は︑すくなくとも規則にしたがう能力のないために枇靴され

ること依旗いと叢稻う.Iいかに舟ソ︲の娘らしい︲l微笑しい盲葉だ.霞たことは画ラ重$た駒の

批緋の提案荷としての夫人の姿がみられるだろう︒

車駒具甘口︵コヨーコ器︶・﹁誕莱論﹂巳酎8ミぃ里︑一の⑱ミロ︵︒私︶の作者e

0

↑。

。L一

(9)

41

.*︲層舞苦斡ロマ睡奇ミ言莨鞄︑青いい︑Rざこ風壹酬的︶

︑q量①日胃昇︵司司1コ鶴︶

幻茜︾画︾§ここ登苛︵ヨ里1コ目︶

刃言冒時①︵試溜I弓詞︶/このころ既にルソーDと不仲であった︒

夫人はまづルゾーがこれほどの威厳をもって立ちあらわれたことはない︑川國への愛︑自山への熱狂︑道義への執

着が︑かれの臘想と導き︑︑活氣づけてゐるという︒︸そして︑

かれの主張する論旨は︑ことにジュネーヴに油川されると︑完奈に砿しい・かれが往々パラドクスを主狼するに川い

るあらゆる才智も︑この作物では興理を支えるのに充てられてゐる︒かれのいかたる努力も︑いかなる感動も︑見満

はづれではない︒

と夫人はほとんど無條件に替川し︑︐ルソーの愛郷心を識えてゐる︒ジュネーヴは夫人にル|ってもまた︑なつかしい故

國であ︾即た︒llI︑

一○八

ゞ岐後に夫人をもつとも感動させた諭挽は︑・一七五八年公にされた﹁油刺についてダランゞへ1ルにあたえる普簡﹂というのであった︒その前年末︑ダランベールは﹁百科全普﹂のジュネーヴの域迩この新教の地に劇場の設立せらるべきことを要望したのであった︒これにはブルテールの助言もあったといわれる︒ルソーはこのことを知ると︑モン

雪フンシーの草屋で︑死のまぼろしに態かれながらも︑一邦に反駁丈溌拝きあげて︑そして油削の韓振から郷闘の美

風を守ろうとしたのであった︒I

.、

(10)

滿足すべきものではない︒

毎●

女性の箱において︑わたしがルソーに批難したい唯一・の過諜は︑↑一↑かは︒⁝・・変性は熱と腫疵幸越もご﹂怖欲か﹄描くこと

は決してできないといったことだ︒.

ま暇な文騨的才能を︑女性にこばむのはよい︒しかし女性は冷やかにしか背けないとか︑愛を拙くすべ淀知らないと

かいうのはどうか︒女性がす壷ぐれてゐるのは︑魂﹄ミミ鯛からだ︑魂のみだ︒女性の粘紳に朧動をあたえるのも︑女

性をして愛するものL運命に合一させるのも︑また恥識維験のかわりとするのも句魂なのだ︒それなのに︑〃サフオ

のみが︑すべての女性の中で︑愛に語らせることができた〃ル|ルゾーはいう︒この言葉はかなり夫人淀刺戟したらし

い︒女性が魂をこめて愛を柵くならば︑

戸ら黙両な備從︑このメランコリックな苦悩︑女性を生かしもし︑︑殺しもするこの釜能心感怖は︑おそらく詩人の

︑たかぶった想像から生れる一切の昂飛よりも︑ずっと深く繊者吻胸に感動をもたらすだろう︒.*〃と夫人はいう︒l後年︑夫人のいとこゾーシュール夫人も〃かの女は獅術作画リー普くというより︑魂の中にもって

ゐたもの券一表現したのだ〃といってゐる︒

*ミミミ蔦烏尊冒曽蔦︵︒g1房よ︶引川の句はメタール夫人奈築︵一・八七一年版︶の解説に上る・

︑●

書簡二ヨロイーズ﹂について

一○九 けれども︑小さいときから芝居が好きで︑耽交︑愛︑名群にあこがれる女性にとって︑ルソーの所碗はことごとく

(11)

つ新エ冠イ1六﹂はフランス中仙の紳學者アペラールと尼僧エロイ−犬との故事にちなんだ普簡船の縦愛小説︒その︲

制作胤機感器らいつてもルソ︲侃中もつと臭臘底いわ協鴬も堤.l濃湿ジ¥リ︲農庭

︑教師サンープルーは祁思の仲になったが︑ジュリーは父の意にしたがって某出癖と結婚し︑・サンープルーは源遊の族

に・でる︒ジュリーは貞節な妻として夫につかえ︑・一見哩母となる︒︲が︑昔Hの愛に苦しみ︑それを夫に打明ける︒夫は・

姿を怖じ︑↑サン︲ブルーを館へ呼びよせる︒そして平和にくらしてゐたが︑︲まもなく一XのこLろに危機がおとづれ

る.と筵冊ジゞリ︲胤謄ち幸供を蝋︑白分協い藍え服#ろ.I斬#豐惟診向る打怖︑|

愛︑愛愁.諦感.まだ美しい自然︑徳義への熱狂︒︑一・七六一年との北側が公にされると︑たちまち感激の渦がまき起つ

↑淀︒ことに女性の州に︒11︲

*一国.シ﹃c蓉己局一一︑︲鯖﹃︑一c﹄めゐ︵﹄﹃G芦︶

夫人もと伽にはよほど感激したらしい︒わたしは作群の才能よりもわたしの魂の傾向に師せらる︑べき感激から身産

守ることに努めよう一︑わたしはわたしのうけた印象からすこし離れて︑時がわたしの心怖を老蚫させてからす曇るやぅ

に︑三ロイー︒とについ壬いこう︑と夫人は前世してゐる︒1

.一●一

$﹁新エロイーズ﹂は都下の子女をあんなに熱狂させただけに︑.また多くの祇蒋の批難をうけを夫人はその枇雌を︽

一脳みとめながらも︑作村ルソーのた油に識謹の静をお時またい︒一・

ルソー嘱皿伽するところは道徳の鼓吹と擁識にある︒いまだ純潔な蒲い娘にこの小洗は︑あるひは悪影緋をあたえ

(12)

〃ず

"

ろかも知れない︒しかし麺一方これを誠みおえ冬人が美徳への蝿にいっそう燃えるならば︑また円己の施務にいつ

そう執蒲するならば︑ルソーは許されいばならない︒歩P︑

ルソーが懸愛とえらんだのは︑愛のみがもっとも符逓的にひとの興味をひき︑ひとの心をみたし弓ろからだ︒こと

にルソーのやうな人間締紳に先行する人に導かれると︑愛は弧力にして打益な服動力と燕るものだ︒

またルソーーは自分に託された娘を誘惑する家庭教師を描いたと批雌されるが︑〃しかし打明けたところわたしは

﹁新エ画イーズ﹂を誠みなからそんな反打はほとんど起ら江かつた︒〃ルソーはこうした關係を昔のエロイー雪弘物諮

から借州したのにすぎない︒︒

これに比べると︑ジュリーの方はいさLか過ってゐたかも知畑ない︒しかしジュリーの悔恨とその綾の生活は乙伽

を彼うに十分だ︒そ伽にルソーは︑価にもっとも劇しいもの︑怖熱と美徳との机刺ないしは結合と描きたかったの

だ︒またおそちくいつもの流隣で︑ジュリrの不幸と父親の頑刷な自鯨心とを持川して〃枇の偏見と献禽制度を攻盤

しようと欲したのだ︒

ジュリーは脚分の恵に反して結辮し︑紘敬によってのみ夫につながり︑心の底にいま一つの幸州の恩ひ出と他の人

ゲ巳■

■の一一一 サン︲ブルーは誘惑者のやうな言葉つきも主義ももZ﹂ゐない︒サン︲ブルーはいまもスイスに見られるあの半等の思想にみちてぬためだ︒サンープルーはジュリーと阿年だった︒たがいに引きつげられて︑かれらはわれにもあらず相目見えたのだ︒サンープルーは眞焚と愛のほかに何の武器も川いなかった︒⁝⁝

■‑

、=

(13)

ヘ︑

一一一茸

へば愛逓もってゐる︒生活の環境は︑心とまぎらわす世の渦巻の中ではなく︑縦かな山側の館であった︒しかもジ塁

︲グ

リーは夫にあたえる詣州によって︑子供にさづける教育によって︑また岬への信帆の中に見出すなぐさめによって︑.

幸州なのだ︒・この幸祁は世のつぬのそれではない︒もつとメランコリックな︑またはかない人生にもつとふきわしい

.ものだ︒そしてこの小説と毛ラルなものにしてゐるのは︑美しく紬かれたこのきよい悠怖なのだ︒⁝︒:

それにしても︑︑

ルソーの能辨と才能をどうして十分に批繊しよう︒この小説は讃た何という作仙だ!この禅の中にはあらゆる問題

に開する何たる思想がばらまかれてゐることだろう!ルゾrは新しい事件をつぎつぎに工夫する想像力をも三﹂ゐ

な.かつたやう唾︑・しれども感捕と思想がい・かに情況の嘩化莚袖ってゐることだろう1.

ごうし英人幕ソ︲農謹と蛍誰侭喋祇数をとら軽し霞ぅ.そし幸うゃくそf稚易ろ︒I

ルゾーはいつも自分が蘭るやうにジュリーに満らせてゐる︒

けれども正肛なところ︑わたしはしばしばジュリーの中にルソーとみとめるの幻﹄好張ない︒わたしはそこに男の思想

なら見た吟vれども︑性桁は既たくない︒・・⁝.

6−夫人らしい率直な言葉だ︒また︑

かの女のサン︲ブルーにたいする不賦の説教もわ今にしには兄常嘩つれのやりに思われる︒罪夢かい女が美徳を愛する

のはよい︑が︑それを説くことは・汀されたい・一

こLにも犬人らしい健康承良織がかられ今令さらに︑ジュリーは時交その附熱にメトードをおいてゐろが︑しかし価一0

(14)

と夫人はいう︒果して夫人は︑いかなるメトードにも︑グラメンールにも堪えられない人だった︒

それからもう一つ批雌す勺へき鮎︑それはジュリーのいとこクレールの冗談だ︒これには趣味も優雅もない︒

この繩のもの入完成に逹するためには︑もっとも繊細な検討が非とする.一切のものを︑文句なしに︑排除するやうな

あの本能をパリで習得して來なければならない︒

ある感怖が眞衡だかどうかハまたある思想が正しいかどうか︑そういうことの判断はひとの勝手だ︒しかし︑

冗談の効果をたしかに錐兄︑するためには非常な祗交の習恢をもたねばならない︒

これはルソーの一番いたいところをついたものだ︒と川昨に夫人にとってはもっとも得意なところだ︒ルソーは祗交

の術を知らず︑そのため幾度かにがい維験をもった︒それは﹁倣悔鍬﹂などでかれ自身しば︑I︑告白してゐる︒が︑

スクール夫人は小さいときから交際壮界になれ︑・談話はかの女の雛感とまでいわれろ︒パリと祇交界的大きらいなル

ソ人そこで芯け伽ぱ日も夜もあけぬスクール夫人︑こ上に耐荊の飛要な分岐靴がある︒・〆

ルソーは苦悩と怖熱のために生れた人だ︒かれが湫謀の陽光と信じるものも︑いつしか悲哀の雲にとざされてしま あり壷たりの定純にしたがって︑ジュリーが怖熱的でなくなれば︑↓くれだけ一層つ上ましく兄えるだろうと考えたの

なら︑ルソーの卿述いだ︒こうした怖無の行過ぎそのものがかの女の榊解であったに相拠ない︒

その上ルゾーは快活に評くには惟界巾迩もつとも不萢岱な人だった︒す・へてのものがかれを深刻に感動させてしまっ

たのだ︒︒

傘奇吻︒g得圏さ菌へ弓紹lごg︶

、ウ

一一一一一

(15)

うoだが︑と伽は︑.︑

魂のもっとも烈しい感激を傳逢するには︑何という雄辮だろり︑何という才能だろう!

と夫人はまたルソーの讃美にかえろ︒古代の作家に拙かれる愛は︑すべて迩命観や帥の怒りに輿をそが恥てしまう︒・

近代の小説の魅力はヒロイズムと騎士道的ガラントリにすぎない︒だが心の自山な剛きから生れる感怖繊細にして︲

熱烈な感怖︑吟︑己

甸甲ご●

・その燃↓一へる?ソな湖揺を表現で当﹄ると慌じた銘一人者︑それはルツーだ︑またこれを詮明した第一人者︑それもルソ︑

−だ︒.録

一口

最後に︑夫人はジュリーの手紙の一つにいL知伽ない感激を拳ぽえたという︒それはいま伽の際にジュリーがサン一︲・

℃℃︑︑も︑9ももブルーに沓き逢った手紙だ︒⁝・・さらば︑永遠にさらば︑⁝⁝かくも蛎鰺な.かくもメランコリヅクな言葉:︒:.〃こ

︾︒器

更腫イー︒量の攻を誠みおえて︑われIくIは不岡ルネ・カナの言葉を想い出した.l

↑r

・﹁新エロイーズ﹂︑それは十八歳の・沙の女︵スタール夫人︶︑#だ︑またそれは︑あ入!川十戯吻︑五十歳い︑鰔

柏をかぷつた大つちよの奥方になろた時の︑︑かい女ともなるだろう︒

■︑

*需愚9コ異一・奇胃S●ミミ心︑︒︾§一馬ミー淫p殉々里宣①ゞ嗣三︒︑

b

一一川

~

(16)

÷

**

一←エミール﹂は五巻からなz教育小説︑荊名な﹁サヴア助祭の信仰告白﹂はその第四巻にある︒ルソーはまづ〃鞠

物は進物舌手遂瞥や講穏るが.人§篭入っ虚藩する〃といそ︑澗将閻然教育息熱した.I

*一閃︾ミ青含試巴.o

**言尋ミ厨吻さ琶烏ご函S︽ミミ蔦昔ここ亀員.

人盈はあまりにも自然的感怖から通ざかつてしまった︒仙の侃兄は自然の足跡を消してしまった︒引返してこの道︑

と見つけるためにけ偉大な天才人がなげればならないpルソーのこ〃上るみたのは乙恩泰尚な天才の努力であったと夫.

︒︑︾

人はいう︒そして︑この敏育法を一堂うなづきながら辿ってゆき︑

危なげなく人間を知ることを畢津ためには人間でな︾いれはた一いない・・・⁝.

エミールは軍人でも︑詩人でも︑愉史でもない︒人川だ︑・・・⁝︑︐﹃の

●凸

一一︑︒

という︒これもまたルソーの考え方の根本にふれたものだ︒ルソーは何よりもまづ人間を人Ⅷそのものにおいて見

一ろ︒|わたし感人刑だとか︑わたしの詔らぬぱならぬのは人Ⅲについてだとか︑ルソーは口癖のやうにいう︒派画制度末

ゞ期の王流家庭墜皿つた女性が︑このことをいうとは︑夫人もかなりのルソー派であったらしい︒け肛ども

わたしはn万の子侭のためにルソーの方法にすっかり従うかどうかわ・なしない︒おそらくわたしの脆榮心は特定の身

分のために育てあげるだろう︑子候が竿くか︑し蕊池する・やうに︒

書簡三﹁エミール﹂について

一今

一竺

王産

︑〆

(17)

女性を人間献金弘ら遠ざけて育てることは︑女性を無力にすることだ︒一愛のあらゆゑ椛利心怖のあらゆる職ぴ︑女

性はこ肌を追求するだけの力をもたればならない︒ルソーの呈不した女性はあ誇りに弱いp貧しいゆえに愛人の前で

●姑尻ごみするとは︒ルソーは︑ 奉仕され⑳ことは︑暴君にする︑が︑愛されることは優しくする︒母穀と子供とどちらが多くルソーに感謝すべきだ

ろう?

實際︑夫人もいうやうに︑ルソーの効紙はむしろ世の付親たちにその祁聖な錠務と幸祁をさとらせたことにある︒

︑・も

つぎ雁ソ︲2子塾員第五巻︶にうつる.エミ︲門相手ソフfの猟だ.lソフ$︲も毒晃自然に川ぞ

︒︑

↓D

藍づ女でなければならない︒しかし︑こんなに女性をその弱さの中に︑いわば剛ぢこめ工おいて︑自然を助けるとい

うのはどうか︒女性には︑

ログ

大きな魂吻力が必要なのだ︒しばしば女性に愛するなかれという徒の課せ↑いれる閥では︑女性の借熱と迩命は相反し

てゐる︑︲⁝︒.

一一︷︿

と夫人はいう︒夫人らしい正直莚一両葉だ︒ルソーはまたエミールという子供の教汀をのべながら︑同時につよく母性︑

愛・産喚起した︒乳母も侍女も有審無益だ︒

︑q0どうして何ものよりも下位た︑そうし一﹂愛するものに不変なソフイーをわれわれE示す熟になったのだろう︒.⁝....︑

ど凱して女性の手本となる罰へきもの入吋莚墜して︑女惟のM州位を汚す吻雪パろ︾シ・あ上ルソ−よ︑それは女性を知らぬ

というものだ︒・・・⁝

(18)

1F

L

未來の女性解放諭朽は︒このところ偶腺にたいしてもかなり手きびしい・I︑

け師ども︑この作Ⅳ叩の描馬には何という魅力があることか!m紺やには何という巧妙︑何とい一ソ大いさがあること

︑侭

力!と夫人はまたルゾーの才能に魅せられてしまう︒1

ソフ4−のこ上ろを釘らさ肌たエミールは︑みづから力と感じ︑ゾフィーの弱さを愛し︑かの女逓抱いて︑その足

下に伏す︒

こ吻魂〃笹うばうやうな場面はしばしばわたしの︑苧も醜にう・かんだ︒ルソーばエ・ロィーズで悔恨た上かいとあや龍ちり

陶酔にたか漂った情熱と描いた︒悔いもおそれも知一いいこの二人の愛人の猫鴬もまた才能の偉大な努力であろう︒

ひとは往凌ルソーの誇張と誤った熱捕を指荊する︒夫人もか飢の流俄を↑てへて正しいと見たわけではない︒またか

れの感激にいつも動かされたわけではない︒けれどもルソーは︑︒

わたしにはいつも自然に思われた︒かれは他の人たちとは異2﹂ぬる︒︽しかも.かれの語ってぬるのはその人たちぬた

?一

めではなく︑自分のためなのだ︒・

乙臘ルソ︲の鳶荏よく見譽篭︒lを催しても︑このあたりをも磯りルゾ閥に蔵ってゐる︒夫人の

初期の作風にルソーの調子があ麹といわれるのも無理はない︒.

妓後に︑

心捕から︑

エミール︵共きり鼠識青にうつる.7ヴァ助祭鳫仰稗旦fだ.lルソーは︑そ燃哩

まづ刺の存在を信じた︒〃意欲し︑行動しうるところのこの存在︑それ自船で能動的なこの存在︑要する

ー︒

P

▲Ⅷ

~

I

(19)

一︸一八

一●

︑に︑それが何であろうと︑字榔逓動かし︑醐象と測定するこの仔在︑これをわたしは帥と呼ぶ︒.︾・⁝わたしはわたし

自身の中に脚を感じる.わたしはわたしの川捌のいたるところに川拝喬沁る︑⁝⁝″︽

↓サ|〃一ノ助祭の侭仰管白というのは︑感肺に評Uる誰舞山︵論漣に翌Uる形而上挙の︑何たる傑作である↑ソ!ルソー

はわたしたちがかくも妥求し一﹂ゐるところの︑敬鹿な思想を尊虹した岱代唯一の天才人であった︒|r

ルソーは人Ⅲ生得の本能に訴え麺そしてこの本能2処理を理性に向って證叩するために︑省察の全力をそAぐ︒仙上

の禰峨は︑分析や抽象的な思索から生れなかった︑この内的な︑自發的な説得を排斥するのだ︒

も一サヴーノ助祭の僻仰背白は施しい︑弧力な︑深い一聯の推理として蛍鋤された︑そしてこの推理は狂偏や無抑吻徒の配︑︒句飢のなかで感激をもって採川せられた蔵思想の蕊大成莚なしてゐた︒し・かしながらこの霧も︑・思想史上の一エポッ︒

ク︑あの神物の前募れにすぎなか?に︒・・・⁝一・

℃Ubbあの普物というのは︑他でもない︐夫人の父ネヅケルの若﹁宗教思想の亜要性について﹂であって︑ちやうど夫人がこ套一

一炉 の弱愉﹄︾暴いた年に出た︒I

P−

本bい︑︾畠苓soミミ︾目烏吻︒宮二一︒旨︑異臆冒への鴎︑︵弓︶︒︑/

●1戸夫人はこ上でいま一つの偶像末秤にそれるQこの批凹物の作背は.岱批紀妓大の政論家であり︑また地上の守継の天・

便のやうに人蝿を愛する博愛主義群であったb⁝⁝

︑詐して下さい︑ルソーょ︑わたしの秤は壷なたに捧げられたものだ︑だのに︑フや他の人がわたしの崇拝の的になって

︑一夕r しまった︒〆

︑P ●↓

(20)

けれどもルソーだけは︑ルソーの人知愛にも・える心だけは︑正しくこの人と理解してくれるだろう︒ルソーは自分の

魂の術動にしかゆづらない人だ︒かれの心にはつまらぬ嫉妬も入らないだろう︒そしてルゾ−がも七生きてゐたら︑

︑︲わたしがあえてその名をあげない人︑わたしがその人に愛の對象のみ莚兄ながら︑おそれもなく近づく人︑︒⁝・・後枇

が︑この世紀と同じく︑天才のあ一いゆる稲雛這呼ぶだろう人︑が︑わたしの迩命と愛が父上と呼ぶことと許して︒︑れ

る人一

遊農鼎にはゐら軽いだろう.Iといつ萸人は乙品をむす昂

︑・ 書簡四ルソーの政治的藩作について

ルソーの一ノ献含契約論﹂・〃は︑周知のやうに︑自川腿椛逓うたったもので︑フランス大坤命にその指導叩叫を提供し

のF

た︒〃人川は自由に生飾︑しかもいたるところ繊繊の中にある〃というのが︑擁一車刊噸の句だ︒11

︑日本ロヘ孟○・員討食mR−a︵弓目︶

一﹄ 小さいころから政噂胤に礫遊もってゐ巽人は︑こゞでは礎りの兄歌極示してゐる.l

ルソーは︑塒殊の利益に一般の利益と從眺させるやうないかなる契約も存絨すべきでは涯い︑一幽雌がその圭洲に

反して法律に從うべき事は蛾劣だ?団民の同意なくして︑いかなる倣府も設立あるひは維持せらるべきでないとい・う︒

■℃︑℃︑

またルソーは︑砒上の一切の椛威の根元にさかのぼって︑そして王政といえども︑一般意志言﹃︑ミミミ亀息︑ミ侭に

一↓九

(21)

モンテスキューの方は既成⑳肚愉に荊益だが︑ルソーの・一は始めて集みうという祗命に打益だ︒

という︒夫人は十六歳のとき既に︑﹁法の絲紳﹂の抜幸とつくってゐたのであった︒

*旨︒具①菖具①ロ︵﹄&℃一.計Ⅵ︶一閃匂︑謎鳥いき爵︵弓由︶の作者○

つぎに夫人はルソーの論理的な面に注Ⅱしてへ ル ソ ー は 籾 念 の 遜 礁 の た め に

︑ 幾 何 畢 者 の 方 法 を 借 り る

︒ か れ は 政 治 問 題 を 計 錬 に 従 わ せ る

︒ 沙

︐ 恥 は そ の 推 那 に よ つ V でも︑またこの推烈の形式によっても同じくかれの頭脳の力を驚喚させるやうだ︒

という︒狂際ルソーは幾何製も相當にやり︑時川をかけるならば︑思考能力についても︑かなりの自循をもってゐた︑

■・

一二○

よって設立せられ︑幽鎚のみがその塑革の椛利と有する法律の上に立てられるならば︑他のものと均しく正樹な︑あ

るひは一暦すぐれた政催だと主張する︒﹃

むれどもわたしは︑ルメーが立法者として自己の代表者をもつ幽氏莚白州と霧倣さないで︑あらゆる個人の總︐惇を婆

求することについては︑あえて批雌するだろう︑︾梨注は感怖においては静される︑が︑立案においては決してそうで

はない・自由の雑謹者たるものは︑誇扱を差控えねばならない︒

と夫人はいう︒そのころ夫人はイギリス沈の議命妓治の支持薇であり︑夫人の父はルイ土ハ仙の股肱として︑久しく

閉ざされてゐた三部命を討莱しようというのであった︒

また夫人はルソーとモンテスキューを比較して︑前粁の淡輝的な︑抽象的な行き方と後粁の蹄納的な︑虹︿鰐的な行

き方とを指摘し︑

甲■

(22)

のだ︒ルゾーといえば︑す八︑准附とか想像とかいわれる巾︐で︑夫人が慨にこのことをいってわるのば刷白い︒つ・いで に︑夫人は女性としては珍しい〃イデオローグ〃であった︒〆

さて︑人間の椛利を理揃で誰明するだけでは十分でない︒その椛利に附世らるべき慨仙を淀堂に感州させぃぱなら

ないのだ︒ルソーの猫壊場はそこにある︒繭人をひとしく感動させ︑紬御させずにやまぬあの雄滞!乙恥をもって

ルソーは幽人の自由を天下に肱いた︒

わたしはわたしの根本感怖のあらゆる力とあ一bゆる孤さ・か︑い︑自由な愛する︑人川のあいだに自然にょつ一︲|印された

もの以外のなんの差別もつげぬこのn伽を︑⁝⁝

と夫人も叫藤︒川知のやうに︑夫人はあらゆる恵味で錐一級の自山愛好村であった︒⁝⁝とこの時︑また同じ向山の

もつ侭臘術が夫人の淵瑳うばってしまう︒三部噺雛のこと瀞惣ひ出した堤.︲1

.体大な図雄よ︑あなた方の椛利について諮るために近く召染され︑二世紀ののちに自己を↑ふたLぴ見川して雌き︑そ

しておそらくあらたに狸徹した力の術使に裳︾や仁仙れ手心ない叩涯ろう閣雌ょ︑・・⁝.︑

一︑

と夫人は幽此大衆に呼びかける︒哩性を僻帆して下さい︒二年前からこの王凹をさわがせてゐる諾郡件は︑ついに︑

諸幽比が血の波によってしか礎僻しなかったところの利益と︑人籾の進歩にのみ負わせようとしてゐろ︒どうか迩命

があなた方の恋法に捺そうとする︑逝埋と平和の印逓淌さないで下さい︒.:⁝

ルソ−よ︑あなたの涙があ一んなに庇々ぬ︑bしたこの地上に︑ほとんどあなたを怖しむものもないほど不幸た偉人よ!

弐一一一り

(23)

一一一一一

あたたはどうしていまフランスが見せようとする柴厳な光最のⅡ撃者でないのか︑⁝..あ一奥︑ルソ−よ︑あなたの雄﹄

緋がこの雌蜥な築會できかれるなら︑あなたにとごL何とい↑ワ幸いであろう!有益でありたいという希望こそ︑少一︑才能にとって何という鯉感であろう!

さぅだ〃ルソーは始めて集合する祗獅に右益な○だ︒〃幸七してこの新祗禽廸没の立役秤は︑縦あろうや夫人の父そ

の人だった︒l︑

だから甦って下さい︑お入ルソ−よ︑︒⁝・・↓てしてあなたの狗効な所願が︑稗の完成を目的とじながら︑悪の城端か

↑︑し川愛した人をその仕事にお墜L勵ますやうに︒.・・・・︾フランスが守謹の天使と呼んだ人を︑︒⁝.︑あなたのやうな

群判者︑讃美者︑市蝿をもつべきだった人を︒

との人︑というのは勿諭︑不ヅケル宰州のことだ︒︑ネッケルは一七八八年ふた図ぴ財務總朧となり︑覗疫上の政府首班

として鋪一面蛍紳命仙議をひらき︑第二層級の要望をいれて平等の票決法を決定した︒そして翌年三伽月にわたって

二蔀金川談師且の選梁が行われ︑五月五日ついに二蔀會は一一六一四年以来はじめて刀叩集された︒夫人のこの術願はそ空ハ

ゲ月前のことだ︒既にはじまった大革命の動乱が︑はたしてこれに唯えたかどうか⁝:〆

それはともなく︑とLでは夫人の進歩思想にちょっと注懲しておこう︒・夫人も十八仙紀の子として︑ふかく人間糖

もbS抑の進歩を偏じ七ゐた︒そして夫人は進歩言︑︑︑畠︾・野のことを渡展性含℃亀鳶ミミ鳶と呼ぶであらう︒︵未完︶

︑一

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