渋沢栄一は近代日本の経済倫理について︑仁義道徳に則った正しい道理の富でなければ︑その富は完全に永続することができぬという希望を語ったが︑現実は︑政官軍主導の殖産興業と財閥形成で︑自立した実業界という理想
の実現には程遠かった︒現在はどうであろうか︒それに比べて︑政治権力とは程遠い身分にありながら︑金融に秀
でたユダヤ人というイメージが形成されてきたとすると︑それはなんらか現実のユダヤ人の経済活動に根拠がある 論文要旨﹀ ユダヤ人は近代西欧の市民権取得時において︑既にブルジョア的経済倫理を身に着けた成熟した経済共同体を形成した︒マルクスはこのことを平日のユダヤ人の経済観念として理論化した︒では︑この平日のユダヤ教の経済観念とはどのように形成されたのか︒本論は︑ラビ・ユダヤ教の啓示法が︑時間的聖性を厳守し聖と俗を厳格に分離する宗教共同体を形成していたことが彼らの経済観念をもたらした原因と捉え︑ユダヤ教の行為規範であるハラハーがユダヤ人の日常の商業活動に与えた意味を明らかにした︒聖書では︑利子取得は︑弱者に対する強者の不法行為とされたが︑ミシュナでは商取引の不正行為の一つと理解された︒中世以降ではマイモニデスが無利子の金銭貸与は貧者に対する喜捨より優れた行為とみなし︑シュルハン・アルーフでは︑ついに同胞でも商行為での金銭貸与は危険負担を伴うがゆえに利子取得は許されるという合理的解釈に至る︒これによって二重道徳は解消されたのである︒キーワード﹀ ラビ・ユダヤ教︑利子禁止︑二重倫理︑平日のユダヤ人︑離散ユダヤ共同体
ユ ダ ヤ 教 の 経 済 観 念
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正しい道理の富
││
市 川 裕
のだろうか︒それは︑長大な年月︑世界各地で少数集団として離散状態を生きたユダヤ社会の歴史的生存条件とい
う環境因子との関係なのか︑あるいは︑離散社会を持続可能にしたラビ・ユダヤ教という宗教的要素との関係なのか︒ユダヤ人の富の形成が︑﹁ヴェニスの商人﹂のシャイロック的イメージを払拭するような︑正しい道理による
ものであるといえるかという問いをあえて検証したいと思う︒事柄の性質上︑現代イスラエル国のユダヤ経済につ
いては本論の考察の対象外とする︒
一 近代ユダヤ人の経済的資質と宗教 近現代のユダヤ文化を主題とした百科事典が英国のブラックウェル社から出版されているが︑その中に﹁経済
学﹂の項目がある︒ノーベル経済学賞の受賞者に占めるユダヤ系学者の割合が群を抜くこと︑さらに︑その分野におけるユダヤ人学者の貢献の理由として︑経済学的な思索とユダヤ教に共通する要素のあることが指摘される︒そ
して︑経済学理論の分野におけるユダヤ系学者としてD・リカードとK・マルクスの二人の草分け的な存在から︑
その後の著名な経済学者︑R・F・カーン︑M・フリードマン︑K・アロウ︑H・マーコヴィッツなどの理論が紹介されている 1︒そこで︑まず近代から見ていこう︒
近代西欧の経済に対するユダヤ人の貢献
リカード︵D. Ricardo一七七二︱一八二三︶がロンドンの証券取引で富を築いた投資家だったことを考えれば︑経済や金融の分野でのユダヤ人の貢献は︑マルクスのいうユダヤ人に霊感を与える第十番目のミューズの指摘からも︑
近代西欧の初期からすでに認識されていた 2︒ロンドンのロスチャイルド家の当主ネイサンは︑専用の国際的通信網
でナポレオン戦争の勝敗をいち早く察知し︑ロンドン株式取引所のイギリス国債を購入して︑一時に財を成した 3︒これには一刻も早い確実な情報の重要性が絡んでくるので︑ロイター通信社の生みの親ロイターを筆頭に情報通信 分野でのユダヤ人の活躍にも注意が向けられよう 4︒西欧近代においてユダヤ人が様々な分野で活躍した理由とし て︑ユダヤ教が教育を重視し知識人を輩出する思想と制度を持っていたことにその原因の一端を帰することができるが 5︑わけてもその中で︑経済理論あるいは金融に果たしたユダヤ人の貢献には︑宗教的要因に加えて︑離散とい
う社会状況が強いる生活の制約から生み出された知恵︑そして︑抑圧された民の自由を希求する気概との関係が想
起される︒
一九世紀には︑市民権を獲得する西欧のユダヤ人の活躍が特筆されるとすれば︑二〇世紀のアメリカにおけるユダヤ系経済人の活躍と繁栄は︑主として東欧系ユダヤ人の移民によって達成された︒ある指摘によれば︑ユダヤ系
アメリカ人の成功は主として六つの産業分野に及んだ︒情報通信産業︑メデイア産業︑小売業︑不動産業︑伝統的
ユダヤビジネスいわゆる宝石・貴金属・毛皮・玩具・繊維産業等︑そして金融ビジネスである︒彼らが経済的に成功した特有の理由とされるのは︑ユダヤ移民の帰国率の低さで︑不退転の決意でアメリカに移住してきたことを物
語るという点︒また東欧で都市出身者の比率が極めて高く都市環境に適応しやすかったので︑四つの典型的な都市
的職種︑即ち︑商店主︑自営の職人︑行商人︑セールスマンに集中できたこと︒加えて︑ユダヤ教の持つ特性として︑貧困を理想化しないこと︑質素倹約を尊ぶ精神︑教育の重視︑選民思想︑周縁的人間という自覚︑そして︑同
胞への無利子貸付などが挙げられる 6︒ 時代と地域を異にしつつ︑ユダヤ人の経済的成功を物語る二つの事例を紹介したが︑ある種の条件の下では︑ユ
ダヤ教の教えが経済に対するユダヤ人の態度に積極的に働いてオリエンテーションを与えたともいえる︒ユダヤ教
の教義がユダヤ人の経済行動の最も気になる側面︑つまりは金銭に対する態度にいかなる影響を与えたといえるのか︒とはいえ︑ある教えがある経済行動を導いたことの因果関係を特定するのは簡単ではない︒財産の保持につい
ての教えを例に取ってみよう︒
危険負担と財産分割をめぐるタルムードの教え
アメリカ経済におけるユダヤパワーの分析中で紹介されたタルムードの教えによると︑﹁人は常に自分の財産を 三つの形態で保持せねばならぬ︒ひとつは不動産で︑もうひとつは商品の形で︑三つ目は流 キャッシュ動資 フロー産の形で﹂とい
う︒出典はバビロニア・タルムード︑バヴァ・メツィアー篇四二aである︒これはユダヤ人のリスクヘッジに対す
る考えを示すもので︑財産を分割して危険負担を減らすユダヤの知恵として説明されている 7︒それに対して︑﹃エヴリマンズ・タルムード﹄においては︑この同じ教えに別の説明が与えられている︒この著作は︑タルムードのユ
ダヤ法と宗教観念を一般向けに網羅的に紹介したもので︑一九三二年に英国で出版された︒財産を三分割せよとい
う規定は︑ユダヤ人の職業選択において農業労働と商業や手工業といずれを優先するべきか︑どちらに高い価値を置くかという問題をめぐってラビたちの主張が分かれた︒この伝承は︑その問いに対して一人のラビが提示した妥
協策であるとする 8︒タルムードの中の一つの教えが二つの異なる意義を与えられているが︑この教えは本来どうい
う文脈で論じられたものなのだろうか︒元来の文脈が知られることで︑現代の論者の意図が鮮明になりまたその意図の是非の判断に寄与しうるであろう︒
タルムードの該当箇所を見ると︑この伝承はミシュナ第三章十節の寄託に関する規定の表現の意味をめぐる問答
の中で引用されている︒﹁金銭を友人に預けたとき︑友人がそれを包んで背に担ぐならば⁝⁝︑その者︵友人︶は損失に対して義務を負う︒なぜなら︑彼︵友人︶は保管者のやり方の通りに保管しなかったからである︒しかし︑
もし彼が保管者のやり方で保管したならば︑︵損失に対する︶義務を免れる﹂と︒このミシュナに対して︑ゲマラ
の議論は︑通常の保管者のやり方に従わないときに損害の責任が生ずるのは問題なく理解できるとしつつ︑ここでいう﹁それを包んで背に担ぐ﹂のはなぜ義務を負うのか︒それ以外にいったいどうすればよいのかを尋ねている︒
その返答として︑ラビ・イツハクの教えが示される︒以下︑その部分はこうなる︒
ラビ・イツハク曰く︑トーラーがいう﹃それを銀に換えて︑その銀を手で包んで﹄︵申命記一四章二五節︶の聖句
の意味は︑たとえ銀は包まれていても︑彼の手の中にあるようにせよ︑ということである︒そして︑さらにラ
ビ・イツハク曰く︑人の金は常に彼の手の中にあるようにせよ︒聖句で︑﹃それを銀に換えて︑その銀を手で
包んで﹄︵同上︶と言われているとおりである︒そして︑ラビ・イツハク曰く︑﹁人は常に自分の財産を三つに
分けよ︒三分の一は土地で︑三分の一は商品で︑三分の一は手で﹂︒
ミシュナのラビたちによれば︑ここに引用された申命記の聖句は︑第二の十分の一税についての規定を意味し
た︒第二の十分の一税とは︑イスラエルの地で収穫された農産物は︑農耕の七年周期のなかの第一︑第二︑第四︑
第五年に︑第二の十分の一税を取り分けて︑それをエルサレム神殿に運び︑その場所で食べて収穫を祝うことが義務付けられていたとする︒聖句は︑遠方の場合に収穫物を換金し手で包んでエルサレムへと運ぶと規定したのだ 9︒
ミシュナは一般的な寄託に関して︑﹁包んで背に担いで運ぶ﹂という方法は寄託の方法としては不十分であり︑損
害が生じたときは賠償の義務が生ずると定めた︒その根拠が︑ゲマラの問答から︑第二の十分の一税に関する申命
記の表現﹁その銀を手で包んで﹂であることが判明する︒これは︑たとえ金銭を袋などで包んだとしても︑それは
必ず手に持っていなければならないという意味で解釈されたのである︒そしてさらに︑この﹁手で﹂という表現が財産の配分に関する教えでも用いられているのを受けて︑財産の﹁三分の一は手で﹂という意味は︑実際に手に持
ってすぐに処理できるように︑現金として保管しいつでも使えるようにしておくという意味であることが確認され
る︒これらの教えはすべて︑ラビ・イツハクの教えであることがわかるが︑彼は西暦二世紀中期にパレスチナで活動したラビで︑バビロニア出身者と考えられ︑ハラハー解釈で名を残している A︒
以上のことから︑タルムードの議論は︑財産を三等分せよという教え自体の意義や重要性については︑全く関知
していないため︑ラビ・イツハクが元来どういう文脈でその教えを語ったかは不明である︒したがって︑先の二つ
の現代的説明は︑タルムードの文脈とは無関係の現代的解釈であるが︑独自の解釈を披歴したものとも︑ラビ・イツハクの教えの本来の意図を論じたものともいえる︒また︑その解釈の是非は我々読者の判断に委ねられていると
もいえよう︒ちなみに︑一七世紀のヴェネツィアのラビ︑シモーネ・ルッツァートは︑市当局への申立書の中でユ
ダヤ人追放法案への反対意見を述べ︑ユダヤ人が市の財政に貢献し経済の安定をもたらす要因として︑土地を所有できないユダヤ人は貨幣や商品として財産を分け持っていることに言及している B︒タルムードの教えがすでにリス
クヘッジの考えとして定着︑浸透しているかに見える︒これをもって︑ユダヤ宗教法の影響力を証明したといえる
であろうか︒
ユダヤ人がディアスポラの生活を常態としていたとすれば︑生業を営む上で数々の具体的な困難に遭遇したこと
は容易に想像できる︒異郷で土地を持たないという決定的条件のもとで︑異教徒の支配者との契約の締結︑迫害を
受けたときの対応︑移住を強いられて新たな環境で生活を立て直さねばならないときの心構え︒それは一人の人間のふるまいばかりでなく︑家族のため︑あるいは共同体のためどうふるまうべきか︑ということにまで及んでい
た︒ユダヤ人は解決しがたい具体的問いに向き合った時︑唯一神の教え︑特にハラハーの具体的行為規範に従って
いかにふるまえばよいか︑問うたはずである︒経済生活に関わる問いとしては︑職業の選択︑富の蓄積の方法︑利子の是非の判断︑適正な利子と不当な利子の識別︑富の使用法︑家計の維持方法︑さらに対象を家庭から共同体に
広げて考えると︑貧困者の保護のための慈善と正義の実践︑住環境の整備︑迫害への対処︑共同体の維持のための
組織︑共同体全体としての租税負担とその配分などに及ぶであろう︒それらを逐一論ずることは本論の目的ではな
く︑代表的な問いによって描ければよい︒そこで︑西欧キリスト教社会の経済観を見直す中で︑経済に関するユダ
ヤ教の道義性への見通しを得たい︒
二
﹁
平日のユダヤ人﹂
のプルジョア的経済観念 経済史家マーク・ブラウグによれば︑学説史としての経済理論の対象となるものは︑アダム・スミスから始まる︒しかし︑スミスの理論が突然出現したのではなく︑すでにスミス以前に経済学説と呼ばれるものが存在した︒
それが重商主義者の諸理論であった︒経済理論は真空状態で考えられたのではなく︑何らか具体的な現実の政策をめぐって未解決の問いに対する応答として生まれたといわれる︒中世キリスト教世界の学的伝統においては︑スコ
ラ学がローマ法の伝統にならって︑市場における経済活動を道義的な問題としてその枠組みから考察していた︒ス
コラ学者は︑取引に伴う様々な契約の諸形態の枠内で経済上の諸問題を取り扱うのみで︑その法律家的な取り組み
は︑重商主義の伝統とは切り離されていた︒こうした考え方を打ち破ったのが重商主義者の理論家たちで︑彼ら
は︑アダム・スミス以前に︑﹁経済的人間﹂という独自の考えで経済活動を捉え始めていた︒彼らは︑人間のもつ自己利益の追求という推進力を信じていて︑国内の経済政策に関して︑自由放任主義を唱えるまでに近づいていた
という︒スミスの見えざる手を信じたのはスミスが最初ではなく︑利潤動機︑経済的人間︑価格の仕組みなどの基
本的な諸要素は︑既に︑重商主義者の理論書の中に埋め込まれていた C︒ 西欧キリスト教文化圏では︑キリスト教の利子禁止とローマ法の伝統による契約理論の縛りが︑近世にまで深く
及んでいたため︑その枠を脱して経済的合理主義の下で利潤を追求する経済的人間類型を理論化することは容易で
なかったことが推察できる︒そうした価値観のキリスト教徒たちの眼には︑ユダヤ人は︑怠惰な怠け者︑物を生産
しない人々︑役に立たない人たちとして映った︒しかし︑ユダヤ人の側では︑キリスト教徒が考える道義性とは異なる考えがユダヤ人の精神のよりどころとなってしかるべきである︒金貸しとしてしか生きられなかった西欧のユ
ダヤ共同体の人々にあって︑その経済活動を方向づける教えとはなんだったか︒彼らの生活の指針となるユダヤ宗
教法︵ハラハー︶は経済活動をどのようにみなしていたのか︒そのことを︑ユダヤ人側の資料から探っていく︒マルクスはユダヤ教のなにを批判したか
ここでは最初に︑マルクスが論文﹁ユダヤ人問題によせて﹂の中で語った言葉を取り上げたい︒バウアーのユダ
ヤ人論考に触発されて書かれた一八四四年の論文の中で︑マルクスは︑ユダヤ人の神は為替手形︑金はイスラエルの熱烈な神であり︑その前にはいかなる神もあり得ない︒彼らの世俗的道徳は利己主義︑その宗教は強欲である
と︑辛辣な表現で断言した D︒ここで問題としたいのは︑表現の過激さではなく︑彼の視点である︒マルクスはここ
で︑バウアーが﹁安息日のユダヤ人﹂を念頭に置いてユダヤ人問題を考えていることを批判して︑ユダヤ人の現実を見よと指摘し︑日常の世俗生活のユダヤ人を観察することを促す︒それに続いて︑先の辛辣な言葉が続くのであ
るが︑穏やかな表現を使えば︑ユダヤ人はすべての物を商品として金銭評価して考えているという観察である︒
ユダヤ人はユダヤ教から解放されなければ真に人間的に解放されることはないのに︑現実には宗教的に解放されずとも︑政治的には解放されてしまった︒ならば︑政治的に解放されただけでは︑それによってユダヤ人は真に人
間的な解放を達成できないのだ︒これがマルクスの主張であった︒これはユダヤ人だけの問題ではない︒究極的に
は︑ユダヤ人を含むすべての市民は︑ユダヤ教から解放されなければ真の人間的解放はないと結論されている︒そ
れはなぜだろうか︒﹁ユダヤ人の現実を見よ﹂というときにマルクスが想定しているのは︑ユダヤ教には二つの側
面があるという認識である︒即ち︑安息日のユダヤ教と平日のユダヤ教である︒ユダヤ教は聖と俗を厳格に二分す
る宗教であるため︑六日間の平日の行動規範と安息日の行動規範がいわば絶対他の関係に立っている︒バウアーは
安息日のユダヤ人を評して︑古代東方の古臭い宗教そのままであることを批判して宗教が変わらなければだめだと主張しているが︑マルクスは平日のユダヤ人の日常活動の根底に︑すでにブルジョア的な経済観念と行動規範とが
確立されているのを見通していて︑その問題点を皮肉な表現を用いて指摘したのだ︒ユダヤ教という宗教は︑世俗
の貨幣が市民的生活を支配するのを肯定する限りにおいて︑人類全体にとっての脅威であり︑人類全体は︑ユダヤ教から解放されて初めて人間的解放が達成されると説いているのである︒次に︑ユダヤ人の職業観について見てい
こう︒
ナポレオンへの回答で示されたユダヤ人の職業観 ユダヤ人の職業観を知るには︑ユダヤ人が市民権を取得することに対するフランス人の疑念の内容を通して考えるとよくわかる︒そうした疑念を背景として︑ナポレオンは︑一八〇六年八月︑その支配地域のユダヤ人有力者や
ラビに向けて質問状をつきつけたが︑これは市民権付与に伴ってフランス人がユダヤ人に対して感じている不信感
を払拭させる狙いがあったものと思われる E︒全部で十二項目の質問は四つに分類でき︑フランス人との通婚︑フランスへの帰属意識︑ラビ法廷の権威の有無︑そして最後が︑ユダヤ的職業と高利貸に対する偏見に根差したユダヤ
人の職業観への問いである︒ユダヤ人以外には利子が許されているという二重の倫理は︑フランス市民になった時
にどうするのか︒この偏見をいかに克服するかが︑ユダヤ賢者と長老たちに課せられた課題であった︒そしてその
回答の中に︑マルクスが考えたブルジョア的な経済観念が見て取れるのである︒
職業に関する質問は三つである︒第十番目の質問は︑ユダヤ法がユダヤ人に禁ずる職業はあるかという問いであ
る︒これに対して︑そういう職業はないと回答するとともに︑タルムードを引用して︑﹁息子に職業を教えない父
親は︑子を悪党にするよう育てる︵ようなものだ︶﹂と明言する︒第十一番目の問いは︑ユダヤ法はユダヤ人の同胞から高利を取ることを禁じているかという問いである︒これに対して︑﹁あなたは同胞から利子︵ネシェフ︶を
取って貸してはならない︒金銭であれ︑ものであれ云々﹂︵申命記二三章一九節︶を引用して︑ヘブライ語ネシェフは
高利と訳されてきたが︑それは不適切な訳であること︑そして︑ヘブライ語ではあらゆる種類の利子のことであり高利のみを禁じたのではないとする︒
そして最後の第十二番目の問いである︒ユダヤ法はユダヤ人に︑異邦人から高利を取ることを禁ずるか否か︒こ
こでは︑用途別に金銭貸与を分類し︑貧者に対する貸付は相手がだれであれ利子は禁止されること︑反対に︑商業的投資のために金を貸す場合には︑相手がだれであれ適正な利子の取得が認められていると明言する︒﹁最少の利
子さえも禁止する規定は︑商業上の規定ではなく︑慈善と善意の原理であり︑モーセの法とタルムードはともに︑
ユダヤ人の同胞に対しても異なる宗教を信ずる市民に対しても︑利子を取って貸すことを禁じている︒異邦人から利子を取ってもよいという規定は︑明らかに︑我々と商取引上の交流をもつ国々のことのみを指す F﹂︒
ユダヤの有力者たちの回答は︑イスラエルの歴史において︑債権者の過酷さに起因する債務者の反乱もなけれ
ば︑債権者の不正により貧困化した大衆が絶望的行動に訴えないための頻繁な債務の帳消しなども知られていない
ことを挙げて︑モーセの法が︑単純︑寛大︑正義︑人間性において︑ギリシアやローマの法に比べていかに秀でて
いるかを誇る︒そして最後に︑利子取得に関する一般論を展開し︑商取引行為においては同じユダヤ人同士であっ
ても利子取得が認められると締めくくるのである︒
モーセの法とその解釈者は︑賞賛すべき人道主義に則って︑借りた金の使い道を区別した︒家族を支えるためなら利子を禁じ︑商業的投資によって元金を増やそうとする場合は︑ユダヤ人同士でさえ利子を認めた︒貧
しい者に貸しなさい︑とモーセは言う︒この場合に許された唯一の利子は︑ありがとうという感謝の言葉であ
る︒利益を供与したことの唯一の見返りは義務を負っていることの満足である︒商取引では事情が異なる︒モーセは︑貸し手が借り手の利潤に取り分を有することを許す︒イスラエルの民は農業を専らにしていたので︑
商取引は異邦人とのみ行われることになり︑隣国に限られたので︑彼らと利益を分け合うことが許された︒タ
ルムードによれば︑反論の余地ない点は︑商取引上の利子はユダヤ人同士であっても合法的であり︑貸し手は
借り手の危険を相当程度負担しているがゆえに利潤を分け合うのは道理にかなうということである G︒ この回答に満足したナポレオンは︑ユダヤ人への市民権付与に向けて重要な政策を遂行し︑パリ・サンへドリンの招集︑ユダヤ教の長老会創設へ向かった︒市民権を取得して自由な職業選択に至ったフランスのユダヤ人だが︑
実際の職業選択では︑非ユダヤ人による干渉などの影響もあり︑従来からの得意分野で活動が目立ったことが指摘
されている H︒ 三 ユダヤ法ハラハーの経済観念
これまでの分析から︑ユダヤ共同体は︑近代以前に聖俗の分離に則った俗なる日において︑ブルジョア的な生活
態度をキリスト教社会に先立って確立させていたかに見える︒ユダヤ法は︑商取引上適正な利子の取得が許される社会を発展させていた︒では︑ユダヤ教は︑どのようにしてそうした道義性と公正な取引に則った社会規範を考え
ていたのか︒ミシュナ以来のハラハーに従って︑ユダヤ教の経済的道義性に関する具体的規定を考察していきたい︒
商品とその価値をめぐる捉え方
マルクスは︑資本論の冒頭で︑社会的富を商品の蓄積の総和とみなして︑商品の分析から論じ始めている︒商品
には︑使用価値と交換価値が備わっているとする︒ユダヤ教ではどのような経済的分析が行われてきたかを︑口伝
トーラーのミシュナに探ってみると︑商品とは何かが既に論じられている︒ミシュナの第四巻損害の巻には︑債権や物権を論ずるテキストがあり︑﹁バヴァ・メツィアー﹂︵中間の門︶において︑商品︑寄託︑利子などの規定がま
とめられている︒冒頭で扱った財産の三分割の伝承も出典はここである︒
聖書は既に︑取引で損害を与えてはならないと定めている︵レビ記二五章一一節︶︒ミシュナが論じている売買規定を見ると︑売買がいつの時点で成立するかをめぐって︑聖書の規定からミシュナの規定に至る間に大きな変更があ ったことが明らかになる I︒聖書においては︑売買は商品の移動ではなく支払いの完了によって契約が成立するとさ
れた︒しかしそうであれば︑商品が移動しないまま支払いが済んだ場合には︑売り手の下に商品が置かれたままで所有権だけが買い手に移動したことになる︒もし不慮の事故等で商品が壊れたり盗まれたりしたら︑買い手にとっ
て非常に不利になってしまう︒それゆえ︑ミシュナの賢者たちは︑売買の成立は商品の移動によって成立するとい
う規定に変更した︒
ではその際に︑どちらが商品でどちらが購入手段になるのか︒ミシュナは次のように一般的規定を定めている︒ここでは商品価値の高い物がそうでない物を買うという表現によって︑商品が特定される︒日本語としては不自然
だが︑あえて直訳する︒﹁金は銀を買えるが︑銀は金を買えない︒銅は銀を買えるが︑銀は銅を買えない︒悪貨は
良貨を買えるが︑良貨は悪貨を買えない︒非鋳造貨は鋳造貨を買えるが︑鋳造貨は非鋳造貨を買えない︒動産は鋳造貨を買えるが︑鋳造貨は動産を買えない︒これが原則である︒即ち︑すべての動産は互いに買うことができる﹂
︵ミシュナ︑バヴァ・メツィアー四章一節︒以下BMと略す︶︒
価値の高い方が買う力がある︑というのがミシュナ四章一節の規定の主旨であり︑商品価値をもつ物の移転によって︑売買における所有権の移転の時点が確定する︒これを貨幣相互の売買に適用させたのが本規定である︒例え
ば︑相手に一ディナル金貨を与えて銀貨二五ディナルを取得したならば︑金貨を取得した者が購入者であることを
意味する︒金は商品であり通貨と見なされず︑それ自体に高い価値があるため︑銀貨のように頻繁な流通が好まれ
ない︒ここでは︑金貨の移動により売買が成立したと考えている J︒こうした規定の仕方は︑通貨同士の取引まで想
定していることが了解できる︒ミシュナのシュカリーム篇によれば︑すでに神殿税の支払いにおいて︑エルサレム神殿には世界各地から来る巡礼者が神殿税の支払いに金貨二分の一シェケルに換金するため︑両替商が屋台を並べ
ていたとされている︒
売買が成立した時点で取り消しができなくなる︒果物を引き取って︑支払いをしていない場合は︑取り消すことはできないが︑支払っていても果物を引き取っていなければ︑取り消すことができる︵BM四章二節︶︒しかし︑取
引が成立した後でも︑不当な価格のゆえに売買に虚偽があった場合︑これを専門用語で﹁オナアー﹂と呼び︑売買
を取り消すことができる︒不法行為であり︑道義的にも不正な行為に当たり︑いわゆる掛値がその典型である︒価
格の六分の一を超えると︑高すぎる場合も安すぎる場合も︑不当な取引とされて解約が認められた︵BM四章三節︶︒二四万円の価値の物を二〇万円で売ったら︑売り手は解約できるし︑二八万円で買ったら︑買い手は解約できる︒
この虚偽の概念は︑さらに︑銀貨の摩耗による価値の減少にも適用され︑どの程度摩耗したら虚偽に当たるかで︑
賢者の見解が三つに分かれた︵BM四章五節︶︒虚偽に該当しない取引が四種類あって︑それが︑奴隷︑債権︑土地︑および神殿寄進物である︵BM四章九節︶︒
取引上の虚偽の延長上に︑利子が置かれている︒ミシュナは︑第四章で商取引上の虚偽の規定を語った後︑第五 章で利子に関する規定を論ずる︒この順序に関しては︑エゼキエルの預言が︑虚偽︵オナアー︶への警告に続いて利子取得を禁じる言葉を語っていることから︑両者に共通性が読み取れることが指摘されている K︒ただし︑エゼキ
エル書では︑商取引への関心は見られず︑もっぱら︑貧しい同胞に対する不法行為を戒める教えが列挙されている
ように読める︒﹁人を抑圧せず︑負債者の質物を返し︑力ずくで奪わず︑飢えた者に自分のパンを与え︑裸の者に衣服を着せ︑利息を天引きして金を貸さず︑高利を取らず︑不正から手を引き︑人と人との間を真実に裁き⁝⁝守
るなら︑彼こそ正しい人で云々﹂とある︵エゼキエル書一八章七︱九節︒新共同訳に従った︶︒聖書においては︑強者が弱
者を抑圧することを厳に戒める中に利息の問題が位置していたが︑ミシュナにおいては︑商取引における不正行為の一つとして︑貧しい同胞への利子付き貸付が置かれている︒いずれにせよ︑ユダヤ法は一貫して貧困に対する対
処を正義の柱として論じていることがわかる︒古代のユダヤ法を受けて︑中世のユダヤ教は貧困に対してどう対処
しているだろうか︒
中世における貧困に対する対処
元来︑利子は困窮した同胞を虐げてはならないというトーラーの教えの一環に位置付けられたものである︒マイ
モニデス︵一一三八︱一二〇四︶はユダヤ法を法典として体系化し﹃ミシュネー・トーラー﹄を著したが︑第十三書
﹁裁き﹂の書において財産に関する市民法を網羅した中で︑利子に関するユダヤ法の立場を明言する︒﹁イスラエルの貧者に︵無利子で︶金を貸すことは当為命令である︒﹃我が民の貧しい者に金を貸すならば云々︵出エジプト記二
二章二四節︶﹄とある通りである︒これは権利︵レシュートreshut︶ではないか︒否︑トーラー曰く︑﹃必要とする ものを十分に貸し与えなさい︵申命記一五章八節︶﹄と︒ここから︑それは義務であることがわかる︒この命令は︑金を求める貧者への喜捨︵ツダカーtsudakah︶より偉大である︒なぜなら︑喜捨を求める者にとって金はすでに必
要不可欠となっているが︑金銭貸与は︵貧者が︶まだその段階にまで達していないからである L﹂︒無利子の貸与は︑
貧困に陥った人を慮った規定であり︑それは成文トーラーに由来する六一三箇条の戒律のうち︑二四八箇条の当為
命令の一つとして解釈された︒それは︑行為者の裁量に任されるような権利ではない︒ さらに︑ユダヤ法は貧者が自らの貧しさを恥じていることを案じて︑決して貧者を辱めることがないよう︑人々のふるまいに厳しく注意を促しているとして︑マイモニデスは︑﹃ミシュネー・トーラー﹄の第十書﹁種子﹂の書 において︑貧者への配慮の有無を勘案して喜捨の種類を八段階に整理した M︒それによれば︑最高の喜捨とされたの
が︑貧者に金銭を贈与もしくは貸与し︑あるいは仕事のパートナーとして︑もしくは仕事が見つかるよう助けることにより︑その者が喜捨に頼ることなく自ら働いて生計を立てられるようにすることであるとした︒この中に︑無
利子の貸付も含まれているし︑まさに起業して雇用を創出する企業家や経営者の先駆け︑さらには現代福祉国家の
理念の先取りが見て取れよう︒これより一段低い喜捨とは︑受ける側はだれからの寄付かわからず︑与える側も受
け手がだれか知られないように貧者に義援金が与えられる場合である︒それより一段低い位置にあるのが︑信頼のおける人々が管理する募金箱に寄付すること︒その一段下が︑受ける側だけがだれから受け取ったかを知っている
場合で︑その下が︑貧者の求める前に直接援助を差し出すこと︑さらに下には︑求められてから援助する︑さらに
その下が︑不十分な額であっても寛大に差し出すこと︑そして最低の段階は︑貧者の要求に不承不承少額を与えることとなる︒
貧しさは本人の責任ではないという考えがユダヤ教にはある︒離散社会の境遇からして︑納得できる内容だ N︒貧
困に陥った同胞に援助の手を差し伸べるという正義の実践は︑すでに一家の大黒柱を失った孤児と寡婦への手厚い庇護を規定したモーセ五書の精神にすでに源をもっている︒不当あるいは不法な手段で儲けることを戒めるとして
も富裕であること自体を戒める教えは︑ラビ・ユダヤ教には見当たらない︒貧困を理想とする教えはないと考えて
よい O︒また︑節度を大事にすることもトーラーの根本精神である︒蓄財に対しては︑格言によって︑﹁財産が多ければ心配事も多い︵アヴォート二章七節︶﹂とか︑﹁富める者とはだれか︒自分の持っているものを喜ぶ人のことであ
る︵アヴォート四章一節︶﹂という戒めが効果をもとう︒喜捨という慈善行為が︑正義と同義語であることから︑余っ
た富は共同体の共有とする教えも徹底している︒喜捨以上に賞賛されたのは︑慈しみの行為︵gmilut hasadim︶である︒これには制限はないとされた︵ミシュナ︑ペアー一章一節︶︒
したがって︑貧困に陥った者に手を差し伸べる種々の教えが︑離散社会という不安定な境遇を常態とするユダヤ
社会にあって︑人々の生活態度に方向付けを与え︑ユダヤ人のエートスとなったとみるのは妥当ではなかろうか︒
利子禁止の撤回のアイデア
一九世紀初期にはすでに︑ヨーロッパのユダヤ人たちは︑商業活動における金銭貸借と利子の問題に対して︑明
確な考えを持っていた︒ユダヤ人同士においても︑商業上の取引においては利子を伴う金銭貸借が異邦人との取引
と同様であって何らの違いは存在しないとするものであった︒
ではどのようにして︑商取引上︑利子が許されるようになったのか︒元来︑ヘブライ語聖書で同胞間での利子の 取得は厳しく禁止されていて︑これを﹁トーラーの禁令による利子︵ribbit de-Oraita︶﹂と呼ぶ︒ラビたちは︑それに 基づいて︑さらに軽度の利子に関してまでも禁止した︒その範疇を﹁ラビの禁令による利子︵ribbit de-Rabbanan︶﹂と呼び︑軽度のたとえとして︑風で舞い上がる埃に例えて︑﹁埃のような利子︵avak ribbit︶﹂と呼んだ︒これは︑
聖書で禁じられた行為である﹁切り分けられた利子︵ribbit ketsutsa︶﹂を防ぐために︑その周囲に垣根をめぐらし て予防するという発想に由来した P︒
トーラーが利子禁止を規定しているにもかかわらず︑商取引上で利子を取ることが許可されるようになった経緯
はこう説明される︒﹁中世の末期に︑ユダヤ人の間で生活条件の諸変化に伴って︑大半のユダヤ人が商取引に従事するようになり︑交易商や行商人になり︑遠隔地交易を行うこととなり︑厳しい生活条件の結果︑金を借りる必要
性が高まった﹂とする Q︒離散社会で多くのユダヤ人が生計の手段として商取引や行商に従事するようになり︑交易
という職業柄︑一定期間に借金をすることは避けられないということであろう︒
そこで︑賢者たちは利子の禁止に抵触することなく借金ができる方法を考え出した︒それは︑債権者と債務者が
共同で商いを行い︑取引で生ずる利益と損失を双方が負担し︑債務者は労働の報酬を債権者の取り分から受け取る
という方法であった︒これを﹁商いの許可︵hetter iska︶﹂と呼ぶ︒﹃シュルハン・アルーフ﹄︵一五六五年︶はこの取
引に関して以下のように定めているが︑マネは通貨の単位である︒﹁人が友人に一マネの額の金を貸して︑その金で商いを行い︑債権者のために二マネの額に達するまで稼ぐという条件を定めたなら︑その時点までその金は債権
者の責任の範囲にあり︑二マネの額に達したときにその二マネは債権者に戻る︒そしてそれ以後︑もうけは全て債
務者に属する︒但し︑債権者は二マネに達するまで債務者に彼の労働の報酬を支払う R﹂︒こうして︑商取引における利子取得は︑ユダヤ人からも非ユダヤ人と同様に認められるようになっていた︒この段階ですでに︑市民権取得
のための条件は整えられた︒
四 離散ユダヤ社会の環境要因 ラビ・ユダヤ教は︑そもそもユダヤ社会がエルサレム神殿を失い独立国家理念を断念した後︑神の啓示法を中心
に据えて出現したものである︒いわば︑ユダヤ社会が離散社会を余儀なくされた歴史状況に対応する︒長い離散の境遇の中で研ぎ澄まされた金銭感覚が︑商業と金融の達人を生み︑職業的な知恵と感性として継承されたとも考え
られる︒そこで︑最後に︑この点についての相関性を素描しておきたい︒
ユダヤ人は歴史の初めから商業民族だったわけではない︒フェニキア商人やアラブ商人の方がはるか昔から有名だった︒ある時期から︑ユダヤ人は広範囲に移住するようになる︒ヘレニズム時代である︒バビロン捕囚後にすで
に定住していたバビロニア地域に加えて︑ユダヤ人はヘレニズム支配の拡大に伴って世界各地へ植民を行い︑ユダ
ヤ地方ばかりでなく︑エジプト︑レバノン︑シリア︑小アジア︑ギリシアなどの東地中海全域に広がりを見せ︑ロ
ーマ帝国時代にはローマの版図の拡大に伴って膨張し︑初期キリスト教の伝播の背景ともなっている S︒離散が本格
化する中で︑交易はユダヤ共同体の生存を支える上できわめて重要な要素になっていく︒
とりわけ︑イスラームが支配した広範囲の領域において︑有力な大商人の活躍が顕著になる︒アッバース朝にな って宮廷銀行家ジャフバズを輩出したのである T︒これは既存のユダヤ社会の存在が啓典の民として認知され︑共同体全体に課税して確実に徴収することが統治者にも好都合であったという政治的事情が加わったためである︒有力
商人が責任者として共同体全体の課税配分を考える組織が制度化されることとなった︒ジャフバズと同様の制度化
は︑イスラームが進出するスペインにおいても見られ︑銀行家や財務大臣が出現する︒
中世のイスラーム世界では︑地中海を一つの社会とみなすような自由貿易圏が形成されたとするシュロモー・ゴ
イテインの研究があるように︑旧カイロ市フスタートを拠点とするユダヤ商人の大規模な遠隔地交易が活況を呈し
た︒フスタートのベン・エズラ・シナゴーグで発見されたゲニザ文書の経済関係の資料から︑ユダヤ人交易の最盛
期は︑ファーティマ朝によるカイロ市の建設︵西暦九六九年︶からマムルーク朝によるユダヤ商人の取締︵西暦一二六
〇年︶までであったと想定されている︒スペインの商家が一四九二年の追放でオスマン帝国やイタリアへ移住して通商活動を活性化させていったし︑ポルトガル出身の新キリスト教徒︵コンベルソ︶の商人は︑大航海時代に北は
オランダへ向かうとともにアジアやアメリカ大陸へ通商路を開拓した︒
イスラーム圏での活動の勢いは︑シャルルマーニュによるユダヤ商人の招聘を機にアルプス以北のヨーロッパにも広がりを見せ︑一五世紀以降のポーランドの自治社会の形成︑三十年戦争後にドイツ各地に出現する宮廷ユダヤ
人︑ドイツのロスチャイルド家と西欧各地の分家など︑各地のユダヤ共同体でも見られる現象となった︒近代化で
産業革命が進展すると︑彼らの中から︑銀行経営や鉄道事業への投資が活発化し︑パリ中央駅と万博︑帝政ロシア
の鉄道王︑米の金融︑ロシアのテクノクラートと石油富豪へと連なっている︒
特筆すべきは中東イスラーム圏の交易都市におけるユダヤ人の活動である︒通商拠点アレッポを代表とする交易
都市にとって︑貿易とコスモポリタン主義はコインの両面だった︒一六世紀のスルタン︑スレイマン大帝の伝説に
よれば︑耐え難い高利貸しのユダヤ人を追放すべきとの枢密院の発案を論議中︑王は取り巻きたちに色とりどりの花を生けた花瓶を見せて︑こう言ったという︒﹁皆の者よ︑この花の中でほかの花をより素晴らしくしていない花
がひとつとしてあろうか︒長きにわたってともにいた者たちは︑これまで通り今後とも︑守られ受け入れられるほ
うがよい﹂と裁可した︒また︑英国人のある貿易商は︑初めてアレッポを訪れたときの驚きを語っている︒﹁都市の喧噪が︑信仰の自由を享受するユダヤ人︑タタール人︑ペルシャ人︑アルメニア人︑エジプト人︑インド人︑そ
して多くのキリスト教徒によってもたらされていることに胸打たれた︒当時のヨーロッパにはまだ信仰の自由など
という概念はありえなかった︵一五八六 U年︶﹂︒この光景は︑時代を超えて交易都市のユダヤ共同体の商業活動が栄える条件を示して余りある︒
結論
西欧近代のブルジョア社会が誕生する以前から︑離散ユダヤ共同体では︑ユダヤ教が厳格な聖俗の分離によっ
て︑平日におけるユダヤ人の行動規範を定めていた︒その内容は︑西欧がキリスト教の社会倫理を克服して経済的
人間類型で経済を考えたときの経済理念を先取りした形である︒ラビ・ユダヤ教はミシュナから中世の律法典にか
けて︑動産を金銭評価する考えにしたがって公正な取引に対する基準を整備し︑成文トーラーの同胞間利子禁止規定を改訂して︑ユダヤ人か非ユダヤ人かの区別を排除し︑二重倫理を克服していった︒
金銭に対する態度でキリスト教の理念と好対照をなすと思われる点を最後に指摘する︒ユダヤ教の信仰告白であ
るシュマアの朗読では︑﹁全力で神を愛せ﹂という言葉でいう全力とは全財産の意とされている︒しかし︑マイモニデスは﹃ミシュネー・トーラー﹄の第六書﹁誓約﹂において︑実際に全財産を捧げることは愚かな行為だと断言
した︒それによって︑価値あるものをすべて失い︑無慈悲な人間たちに依存する生き方しかできなくなるとして︑
財産の五分の一以上を差し出すべきではないという V︒ここには︑イエス・キリストと托鉢修道会とを模範とする徹底した理想主義的キリスト教倫理と好対照をなす極めて現実主義的なユダヤ教の道義性が示されていないだろう
か︒
注︵
︵ う︒ グ︵注1二参照︶が数えた百人の著名な経済学者のうち︑二二人が確実にユダヤ系で︑他の四人もユダヤ系と考えられるとい pp. 186‑187.一九六九年から一九八六年までにノーベル経済学賞受賞者二四人中八人を占める︒また︑経済史学者M・ブラウ Economics, Jews and, , ed. Glenda Abramson, Oxford, Blackwell, 1989, “”1︶
︵ 田歓一・河合秀和訳﹃バーリン選集1思想と思想家﹄岩波書店︑一九八三年︶︑三〇一頁︒ 番目のミューズを﹁株式相場のミューズ﹂と表現する︒I・バーリン﹁ベンジャミン・ディズレーリとカール・マルクス﹂︵福 2︶マルクスは一八四五年の﹁フォイエルバッハについてのテーゼ﹂の中で︑パリの株式取引所を﹁株式取引のシナゴーグ﹂︑十
︵ 3︶週刊朝日百科世界の歴史一一四﹃一九世紀の世界3生活旅行者と通信社﹄朝日新聞社︑一九九一年︑D︱七二八頁︒
︵ 4︶沼野充義編﹃ユダヤ学のすべて﹄新書館︑一九九九年︑二一八頁︒
︵ 二〇一一年︶︑六〇︱六二頁︒ 5︶市川裕﹁ユダヤ教におけるタルムード学の意義と批判精神の育成﹂︵﹃宗教研究﹄三六九号︑特集宗教の教育と伝承︑所収︑
︵ 手島佑郎﹃ユダヤ人のビジネス教本││旧約聖書の智慧を読み解く﹄太陽出版︑二〇〇五年参照︒ 頁︒また︑アメリカのユダヤ人に限ったことではないが︑聖書の教えが経営を成功に導く内的推進力を生んだことに関しては︑ 6︶佐藤唯行﹃アメリカ経済のユダヤパワー││なぜ彼らは強いのか﹄ダイヤモンド社︑二〇〇一年︑エピローグ二〇七︱二二三
︵ , Jerusalem, 1998. M. Tamari, 7︶佐藤唯行︑前掲書︑一九五頁︒佐藤の注によれば出典は︑
︵ New York, Schocken Books, 1975. A. Cohen, , 8’︶A・コーヘン︵市川裕・藤井悦子訳︶﹃タルムード入門Ⅱ﹄教文館︑一九九七年︑一三八頁︒
︵ の十分の一税となる︒ 9︶ミシュナ・マアスロート篇によれば︑換金する場合は︑十分の一の収穫物を換金しその額の五分の一を加えた額が実際の第二
︵ 10 Isaac, , Vol. 9, Jerusalem, Keter, 1971, p. 8.“”︶
︵ Bompiani, 2013, p. 22.李美奈氏の教示による︒ 11 Giuseppe Veltri, , Milano, ︶ 12 Mark Blaug, , Fourth edition, Cambridge, Cambridge UP, 1984, p. 30.︶