こ
の
朝
陽
は
、
幾
千
の
祈
り
を
聞
い
て
き
た
の
だ
ろ
う
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禅
の
心
に
触
れ
る
旅
雅
楽
を
訪
ね
て
﹇
特
別
講
話
﹈
廣
瀬
大
社
・
信
貴
山
朝
護
孫
子
寺
奈
良
大
和
路
の
「
秘
宝
・
秘
仏
特
別
開
帳
」
禅
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秋冬版
2016年9
月~
2017年3
月秋冬版
2016年9
月~
2017年3
月秋冬版
2016年9
月~
2017年3
月祈
り
回廊
の
祈
り
回廊
の
禅
の
心
に
触れる旅
胸の奥のありのままの気持ちに耳を澄まして
奈良の禅寺で、魂のありどころを感じるひとときを
達 だる 磨ま寺じ 北葛城郡王寺町本町2-1-40 ☎ 0745-31-2341 ●JR王寺駅から徒歩約15分●JR王寺駅・近鉄新王寺駅から 明神1丁目、白鳳台2丁目行バス「張井」下車、徒歩すぐ http://www.darumaji.jp/ MAP P20 🅲 b-2中
国
禅
宗
の
初
祖
・
達
だる磨
ま大
だい師
し 枯 こ 淡 たん な 絵 画 、 枯 山 水 の 侘 び た 庭 園 な ど 、日 本 人 の 美 意 識 に 深 く 浸 透 す る 「 禅 」。 挨 拶 ・ 主 人 公 ・ 知 事 ・ 老 婆 心 ・ 以 心 伝 心 ・ 日 にち 日 にち 是 これ 好 こう 日 じつ な ど 、い ま で は 日 常 的 に使 う言 葉 も 語 源 を 探 る と 禅 の 教 え に た ど り 着 き ま す 。 道 どう 元 げん に よ っ て 日 本 に も た ら さ れ「 只 し 管 かん 打 た 坐 ざ 」( ひ た す ら 坐 禅 を す る こ と ) を 大 事 に す る 曹 洞 宗 、 栄 西 を 開 祖 と し「 公 案 」( 一 休 禅 師 の 行 っ た 禅 問答 は よ く 知 ら れ て い ま す ね )に よ る 自 己 究 明 を 宗 しゅうし 旨 と す る臨 済 宗 、 明 か ら 来 日 し た 隠 いん 元 げん を 宗 祖 と す る 黄 おう 檗 ばく 宗 しゅう は 臨 済 宗 か ら 分 離 し た 宗 派 で 、 現 在 の 仏 教 儀 式 も 中 国 明 代 の 様 式 に の っ と っ て 行 わ れ て い ま す 。 こ れ ら の 禅 宗 の 初 祖 と な る の が 、 南 イ ン ド 出 身 で 中 国 に 渡 っ た 達 磨 大 師 で す 。 5世 紀 後 半 か ら 6世 紀 前 半 に 生 き た 高 僧 と さ れ 、 中 国 の 嵩 す う 山 ざ ん 少 しょう 林 り ん 寺 じ に 1 達磨寺方丈(だるまじほうじょう)(奈良県指定文化財) 建築されてから350 年近く経って初めての大修理が来夏 から予定され、ぜひ参拝しておきたいお堂。ご寄進もでき ます (撮影:茶本晃生) 2 雪丸像の石像(王寺町指定文化財) 聖徳太子の愛犬と伝わり、現在、王寺町の人気マスコッ トキャラクターとして活躍しています 3 達磨大師画像と聖徳太子画像 達磨寺の所蔵品をはじめとした美術品が集められた展覧会「雪舟・世 阿弥・珠光…中世の美と伝統の広がり」が10/15(土)〜 11/27(日) に奈良県立美術館で開催 達磨寺所蔵の掛け軸「達磨半身画像」より 監修:瀧りゅうがんじ巖寺 住職 河かわ村むら 松しょう雄ゆう 1 3 2 禅の心に触れる旅 2こ も り 、 九 年 間 壁 に 向 か っ て 坐 禅 を 組 み 悟 り を 開 い た と い う 故 事 が 伝 え ら れ 、 大 変 に 厳 し い 修 行 者 で あ っ た こ と が 伺 え ま す が 、 日 本 で は 達 磨 大 師 を モ チ ー フ に 、 赤 く 丸 い か た ち で お な じ み の だ る ま 人 形 が 作 ら れ る な ど 、 広 く 敬 愛 さ れ る 存 在 で も あ り ま す 。 臨 済 宗 寺 院 で あ る 王 寺 町 ・ 達 磨 寺 は 、 聖 徳 太 子 が 作 っ た 達 磨 大 師 の お 墓 の あ っ た 場 所 に お 堂 が 建 て ら れ た の が 始 ま り と 伝 わり ま す 。 本 堂 に は 達 磨 大 師 と 聖 徳 太 子 の 像 と 掛 け 軸 が 祀 ら れ て お り 、 境 内 に は 両 者 が 向 き 合 っ て 問 答 し た「 問 答 石 」も 遺 さ れ て い ま す 。「 う ちと 同 じ く 達 磨 大 師 と 聖 徳 太 子 が 並 ん で お ら れ る 場 所 が 天 川 村 に も あ る ので す よ 」 と 達 磨 寺 の 日 ひ 野 の 周 しゅう 圭 けい 住 職 。 そ の 天 川 村 の「 達 磨 堂 」は 民 家 の 奥 に ひ っ そ り と あ り 、 地 元 の 人 々 か ら 篤 く 信 仰 さ れ て い る 小 さ な お 堂 で す 。 禅 の 初 祖 ・ 達 磨 大 師 と 、 仏 教 信 仰 の 拠 点 を 整 備 し た 聖 徳 太 子 と の 縁 に つ い て は 、『 日本 書 紀 』 に「 飢 人 伝 説 」 ※ と し て知 ら れ る 逸 話 が 記 さ れ て い ま す 。
あ
の
世
阿
弥
も
参
禅
し
た
奈 良 に お け る 曹 洞 宗 の 歴 史 も 興 味 深 い も の が あ り ま す 。 下 北 山 村 ・ 瀧 りゅうがんじ 巖 寺 の 河 かわ 村 むら 松 しょう 雄 ゆう 住 職 の お 話 に よ る と 、 鎌 倉 時 代 の 多 とう 武 の 峯 みね ( 桜 井 市 南 部 の 山 々 ) で「 日 本 達 磨 宗 」 と い う 禅 宗 の 一 派 が あ っ た そ う で す 。 こ こ に 属 し た 孤 こ 雲 う ん 懐 え 奘 じょう は 、 曹 洞 宗 の 開 祖 ・ 道 元 と の 問 答 の 末 、 そ の 禅 に 心 酔 し 師 事 を 願 い 出 ま す 。 幾 度 も 訪 ね た 末 に よ う や く 許 さ れ 、 20名 ほ ど の 弟 子 を 引 き 連 れ て 合 流 で き た の だ と か 。 孤 雲 懐 奘 は 道 元 の 高 弟 と な り 、 後 に は 曹 洞 宗 の 第 二 祖 と し て 曹 洞 宗 の 礎 を 築 き ま し た 。 ま た 、 田 原 本 町 の「 補 ふ 厳 がん 寺 じ 」は 、 大 和 で 曹 洞 宗 の 寺 院 と し て 初め て 建 立 さ れ た 寺 院 で す 。 そ し て 後 に 能 楽 を 大 成 さ せ る 若 き 日 の 世 阿 弥 が 禅 を 学 び 、そ の 直 筆 の 書 に 名 前 が 残 る「 ふ か ん 寺 」が 、 こ の 補 厳 寺 。 世 阿弥 が 帰 き 依 え し た 竹 ちく 窓 そう 智 ち 厳 ごん が 第 二 代 を務 め た 寺 で 、 同 寺 の 台 帳 に 世阿 弥 夫 妻 の 名 前 が 残 さ れ て い る こ と が 近 年 発 見 さ れ ま し た 。 世 阿 弥 の 能 に 禅 ( 特 に 道 元 禅 ) の 影 響 が 色 濃 い こ と は 知 ら れ て い ま す が 、 著 書 「 風 ふう 姿 し 花 か 伝 でん 」 ※ に お い て も 中 国 禅 宗 の 慧 え 能 のう が 遺 し た 言 葉 が 引 用 さ れ る な ど 世 阿 弥 が 禅 に 大 きな 影 響 を 受 け て い た こ と が 如 実 に 表 れ て い ま す 。 本 堂 な ど は 失 わ れ て し ま い ま し た が 、 門 前 に「 世 阿 弥 参 学 之 地 」 の 碑 が 建 て ら れ 、 そ の 歴 史 を 伝 え て い ま す 。 5 4 天川村の達磨堂 民家の奥にひっそりと建つ天川村の達磨堂 5 正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)洗面の巻 写本 曹洞宗開祖・道元禅師の著作。ここに説かれている 「朝に顔を洗い歯を磨く」などの今は当たり前な習慣 も、ここから仏門を超えて日本に広まったとされていま す。日常生活も修行として捉える禅宗の教えは、今改 めて感銘を受ける内容で、昨今のシンプルなライフスタ イルの源でもあるのかもしれません。 (河村松雄所蔵) 6 補厳寺門前「あの方」
の足跡を訪ねて
奈良
の
禅寺
へ
※ 聖 徳 太 子 が 道 に 伏 せ っ て い た 飢 人 を 哀 れ に 思 い 、 飲 み 物 と 食 べ 物 、 衣 服 を 与 え ま し た 。 飢 人 は 亡 く な っ て し ま い ま す が 、 数 日 後 に 墓 を 確 認 し て み る と 埋 葬 し た は ず の 遺 体 は 消 え 、 棺 の 上 に 衣 服 が た た ん で 置 い て あ り ま し た 。 あ ま り の 不 思 議 さ に 、 飢 人 は 達 磨 大 師 の 化 身 だ と 噂 さ れ る よ う に な り ま し た 。 ※ 世 阿 弥 が 記 し た 能 の 理 論 書 。 父 ・ 観 阿 弥 の 口 述 を 、 世 阿 弥 が 書 き 記 し た と さ れ 、「 秘 す れ ば 花 な り 。 秘 せ ず ば 花 な る べ か ら ず 」な ど 、 時 代 を 超 え て 訴 え か け る名 言 や 人 生 訓 が 散 りば め ら れ た 日 本 最 古 の 芸 術 論 、 演 劇 論 と な っ て い ま す 。 同 時 に 禅 の 心 と 通 じ る 生 き 方 を 記 し た 名 著 で す 。 慈じ光こう院いん 時代を代表する茶人の1人だった片桐石州。石州が父の菩 提寺として建立した慈光院は建物、道、庭園など境内全体 が一つの茶室として造られ、現存する稀有な空間です。 大和郡山市小泉町865 ☎ 0743-53-3004 JR大和小泉駅から近鉄郡山駅行きバス または 近鉄郡山 駅から法隆寺行きバス「片桐西小学校」下車、徒歩約3分 MAP P20 🅲 c-1 片桐石州 芳 ほう 徳 とく 寺じ 柳生家の菩提寺。裏山には墓所があり、柳生一族が弔わ れています。柳生藩の資料が展示される資料室や剣道と坐 禅を学ぶ正木坂剣禅道場が開かれるなど、柳生の歴史、伝 統、志を今に伝えています。 奈良市柳生下町445 ☎ 0742-94-0204 近鉄奈良駅から石打・柳生・邑地中村行バス「柳生」下車、 徒歩約15分 MAP P19 🅱 b-2 柳生一族 世せ尊そん寺じ 聖徳太子が建立した49ヶ寺のひとつとされる比曽寺(比蘇 寺)。その跡に復興されたのが世尊寺です。境内には聖徳太 子十六才孝養像を祀る太子堂や、聖徳太子御手植えと伝え られる桜、芭蕉の句碑も。 吉野郡大淀町比曽762 ☎ 0746-32-5976 近鉄六田駅または大和上市駅下車、タクシー約7分または 徒歩約40分 MAP P22 🅸 c-1 聖徳太子 6 4 3 禅の心に触れる旅三 さんしょうじ 松寺 MAP P20 🅲 d-1 曹洞宗認可の参禪道場のある古刹。茶 室「送月舎」や、地元では“縁切り地蔵”と も呼ばれる「お艶地蔵」でもよく知られて います。 [坐禅会]毎週土曜日 19:00〜21:00、志納 奈良市七条1-26-10 ☎ 0742-44-3333 近鉄九条駅徒歩約15分 http://www.aikinara.jp/sanshoji/ sanshoji.htm 平 びょうどうじ 等寺 MAP P21 🅴 b-3 山の辺の道沿いにある聖徳太子ゆかりの お寺。大神神社の神宮寺として栄えたが明 治の廃仏毀釈で一時廃絶、昭和52年に 復興しました。坐禅会は昭和46年から続い ています。 [坐禅会]毎週日曜日 6:30〜7:30、無料 桜井市三輪38 ☎ 0744-42-6033 JR三輪駅から徒歩約10分 http://www.geocities.jp/byoudouji/ 蓮 れんしょうじ 昇寺 MAP P22 🅷 b-2 黄檗宗の末寺。創立は室町初期とされ、大 正13年に現在地に再建。 [坐禅会]毎週金曜日 19:30〜21:00(要予約) ※上記日時以外での坐禅希望も一人から相談可 宇陀市榛原池上254 ☎ 0745-82-1706 近鉄榛原駅からバス「池上」または「高塚」 下車、徒歩約5分 久 きゅうしょうじ 松寺 MAP P20 🅲 d-1 昭和9年の室戸台風での堂宇倒壊より約 80年、平成20年に再建の落慶法要が営ま れました。子どもの参加が多い坐禅会は自由 に参加可能。 [ざぜん塾]毎週土曜日 7:15〜7:55、無料 ※月1回坐禅+おかゆの会 (要予約) 大和郡山市城町1470 ☎ 0743-55-0336 近鉄郡山駅から徒歩約20分 http://www.kyusyoji.com/
手
姿勢
両肩の力をぬいて背筋をまっすぐにのばし、頭のてっ ぺんで天井を突き上げるようにしてあごをひきます。 法 ほっ 界 かい 定 じょう 印 いん 右手の指の上に左の指が重なる ように両手の親指は軽く合わせ、 押したり離れたりしないようにしま す。丸いたまごを包むイメージで。 半 はん 跏か趺ふ坐ざ 片足を組む坐り方。右の足を左の股の下に深 くいれ、左の足を右の股の上に深くのせます。 結 けっ 跏か趺ふ坐ざ 両足を組む坐り方。右の足を左の股の上に深 くのせ、次に左の足を右の股の上にのせます。 舌先をかるく上あごの 歯の付け根につけて閉 じます。口
足
目
半眼といって、見開かず 細めず、視線を約45度 の角度におとします。 45°坐禅体験できる
奈良
の
禅寺
MAP P18 全体 MAP 天 てんしょうじ 照寺 奈良県指定文化財に指定される薬師堂は茅葺 きで舞台の形をした珍しい建築です。坐禅は本堂 で行われます。 [坐禅会]毎月17日19:30〜、無料 (観音講と兼ねて開催) ※上記日時以外での坐禅希望の際は電話で相談可 吉野郡東吉野村大字小754 ☎ 0746-42-0388 近鉄榛原駅から大又行きバス「小村大橋」下 車、徒歩すぐ 写真:おかゆの会坐
禅
を
組
む
禅の心に触れる旅 4春日大社 春日若宮おん祭 12/15(木)〜18(日) 奈良市春日野町160 ☎ 0742-22-7788 ●JR・近鉄奈良駅から春日大社 本殿行きバス終点下車、徒歩すぐ ●JR・近鉄奈良駅から市内循環 バス「春日大社表参道」下車、徒 歩約7分 http://www.kasugataisha.or.jp/ MAP P19 🅰 d-2 特別開帳P10
雅楽
を
訪ねて
仏教とともに奈良へ伝えられた雅楽。
その調べには、悠久の歴史と、
楽曲を守り伝えてきた楽人の思いが込められています。
1 中国系の楽舞を源流とする左舞「蘭らんりょう陵王おう」。蘭陵王 長ちょう恭きょうという勇将が終戦の際、平和を祝ったとされる舞 2 朝鮮半島系の楽舞を源流とする右舞「納な曽そ利り」。伝来不詳だが、竜の舞い遊ぶさまを表した曲といわれます 3 東あずま遊あそびは 安あん閑かん天皇の時代、駿河国の有う度ど浜はまに天女が降り、舞い遊んだという故事から起った東国の風俗舞といわれま す。子供が舞うのは他に例がなく、大変珍しい舞 4 平成28年10月1日 春日大社国宝殿が開館 旧称春日大社宝物殿は、新指定の国宝と重要文化財を加え国宝352点重要文化財971点をはじめ王朝の美術工芸、 日本を代表する甲冑や刀剣など宝物の数々を展示する春日大社国宝殿としてオープン。鼉太鼓(だだいこ)ホールには、 野外の舞楽演奏で用いられる鼉太鼓も展示される。高さ6.5m、重さ約2tというスケールに改めて驚かされます(詳細は特 別開帳P10)。 写真提供:春日大社 1 3 4 2 監修:南都楽所楽頭 笠かさ置ぎ 侃かん一いち 写真:野本暉房 5 雅楽を訪ねて雅
楽
は
お
ん
祭
、
お
ん
祭
は
雅
楽
雅 楽 と い え ば 春 日 若 宮 お ん 祭 、 お ん 祭 と い え ば 雅 楽 で す 。 お ん 祭 は 春 日 大 社 だ け で な く 、 も と も と 興 福 寺 も 主 催 者で し た が 、 明 治 維 新 の 神 仏 分 離 ひ い て は 廃 仏 毀 釈 で こ の か た ち が 崩 れ ま し た 。 し か し 、 法 隆 寺 、 東 大 寺 、 薬 師 寺な ど の 大 寺 で は 、 現 在 も 大 き な 法 要 に 雅 楽 が か か せ ま せ ん 。 時 には ホ ー ル で 演 奏 会 形 式 で 雅 楽 を 鑑 賞 す る こ と も で き ま す が 、 奈 良で は 常 に 雅 楽 は 寺 社 と と もに あ り 、 仏 様 に お 捧 げ し 、 神 様 に 楽 し ん で い た だ く 。 そ れ を 人々 が 拝 聴 拝 見 す る 。 そ の 雅 楽 本 来 の 姿 を 守 り 続 け る の が 春 日 若 宮 お ん 祭 で す 。東
大
寺
大
仏
開
眼
、
雅
楽
こ
こ
に
極
ま
れ
り
雅 楽 の 歴 史 に お い て、 「 こ れ ぞ 雅 楽 の 集 大 成 」 と い う も の を 挙 げ る な ら ば、 そ れ は 天 平 勝 宝 4年( 7 5 2年 ) の 東 大 寺 大 だい 仏 ぶつ 開 かい 眼 げん 供 く 養 よう 会 え で す。 並 ん で お ら れ る 孝 謙 天 皇、 聖 武 太 上 天 皇、 光 明 皇 太 后。 読 経 が 響 く な か 開 眼 が な さ れ、 歌 舞 を も っ て 仏 様 を 荘 厳 す る の で す。 日 本 古 来 の 舞、 中 国 大 陸、 朝 鮮 半 島 や 渤 ぼっ 海 かい か ら 伝 わ っ た 雅 楽、 そ し て ベ ト ナ ム や イ ン ド さ ら に は シ ル ク ロ ー ド 各 地 の さ ま ざ ま な 国 の 音 楽 や 舞 踊 が 一 堂 に 会 し た と い う 大 だい 仏 ぶつ 開 かい 眼 げん 供 く 養 よう 会 え 。 こ れ は 雅 楽 の 一 頂 点 で す。 続 しょく 日 に 本 ほ ん 紀 ぎ には 「筆舌に尽くしがたい」 と記されました。雅
楽
の
危
機
そ ん な 雅 楽 も 途 絶 え か ね な い 事 態 を 経 験 し て い ま す。 口 伝 で の 伝 承 が 危 ぶ ま れ た 鎌 倉 期。 こ れ は 雅 楽 の 衰 すい 退 たい 途 と 絶 ぜつ を 憂 い て 『 教 きょう 訓 くん 抄 しょう 』 を 記 し た 狛 近 真 に よ り 救 わ れ ま し た。 次 の 危 機 は 廃 仏 毀 釈 の 明 治 期 で す。 こ の 時 は、 お ん 祭 さ え も 危 機 に 瀕 し ま し た。 し か し 「 な に が あ ろ う と 春 日 若 宮 お ん 祭 を 続 け て 伝 え て い か な け れ ば な ら な い 」 と し た 志 あ る わ ず か な 人 々 に よ っ て、 奈 良 の 雅 楽 は か ろ う じ て 守られたのです。い
ま
ひ
と
た
び
の「
雅
楽
は
仏
教
と
共
に
」
雅 楽 は 仏 教 と 共 に 、 わ が 国 に 伝 わ り ま し た 。「 仏 」 を 荘 厳 つ ま り お 祀 り する の に 必 要 な の が「 花 」「 灯 り 」「 香 」「 水 」「 音 楽 と 舞 踊 」。「 音 楽 と 舞 踊 」が 雅 楽 で す 。 「 こ れ ぞ 雅 楽 の 集 大 成 」 と し て 東 大 寺 の 大 仏 開 眼 の こ と を 申 し ま し た が、 次 に 奈 良 で 大 き な 法 要 が 行 わ れ、 こ う し た 雅 楽 の 粋 に 触 れ る 機 会 は、 興 福 寺 中 金 堂 の 落 慶 法 要 ( 平 成 30年 予 定 )。 こ の 時 に は、 お そ ら く 雅 楽 の 楽 器 の 一 つ 「 振 ふり 鼓 つづみ 」 が 登 場 し ま す。 こ れ は 非 常 に 珍 し い も の。 私 た ち が 平 成 14年 に 行 わ れ た 大 仏 開 眼 1250 年 慶 けい 讃 さん 大 法 要 で 演 奏 し た 以 来 と な る の で は。 皆 さ ん が 「 で ん で ん 太 鼓 」 と 呼 ん で 親 し ん で い る あ の 太 鼓 の 起 源の楽器です。 こ れ か ら も 奈 良 の 雅 楽 は、 宗 教 音 楽 と し て の 本 来 の あ り 方 を 伝 え る も の と し て受け継がれていくのです。日
本
の
雅
楽
はじまりの地
奈良
東大寺 MAP P19 🅰 d-1 特別開帳 P10 奈良市雑司町406-1 ☎ 0742-22-5511 ●JR・近鉄奈良駅から市内循環バス「大仏殿春日大社前」下車、徒歩約5分 ●近鉄奈良駅から徒歩約20分 http://www.todaiji.or.jp/ Profile 笠置 侃一 (かさぎ かんいち) 昭和2年(1927)生まれ。雅楽奏者で南都 楽所(なんとがくそ)※楽頭。奈良大学名誉 教授。平成23年度日本芸術院賞授賞。 ※ 南都楽所とは:狛光高を祖として始まっ た旧南都楽所の伝統を継承する雅楽 団。宮中方、天王寺方とともに南都方 と呼ばれる三方楽所の一つ 大仏開眼供養図(部分) 元禄5年(1692年)の開眼供養会と宝永6年(1709 年)の大仏殿落慶供養会を一双の屏風に描いたものの一部。鼉太鼓(だだいこ)が 描かれています (写真提供:東大寺) 大仏開眼 1250 年慶讃大法要 平成14年(2002年)10/15に営まれた大仏開眼1250 年慶讃大法要の際のひとこま。行道の先頭を行く南都楽 所の左右の楽頭 (写真:植田英介) 聖武天皇祭 毎年5/2の聖武天皇祭で 舞楽が奉納されます雅楽の生き字引
雅楽を語る
雅楽伝来
雅 楽 は 仏 教 と と も に 渡 来 し ま し た 。 現 代 で は 神 社 で 奉 納 さ れ て い る イ メ ー ジ が 強 い か も し れ ま せ ん が 、 本 来 は 仏 様 を 荘 しょう 厳 ご ん す る 、 つ ま り お 堂 や 像 を 美 し く も 厳 か に 飾 り 、 祈 り を 捧 げ る た め の 音 楽 と 舞 踊 で す 。 雅 楽 に は 大 き く 4つ の 種 類 が あ り ま す 。 わ が 国 古 く か ら 伝 わ っ た「 国 くに 風 ぶりの 歌 うた 舞 まい 」、 朝 鮮 半 島 や 中 国 な ど か ら 伝 え ら れ た「 舞 ぶ 楽 がく 」、 器 楽 だ け の 合 奏 と な る「 管 かん 絃 げん 」、 器 楽 の 演 奏 を 伴 う 平 安 時 代 の 声 楽「 朗 ろう 詠 えい ・ 催 さい 馬 ば 楽 ら 」な ど で す 。 雅 楽 が 伝 え ら れ 、 発 展 し た 地 。 そ し て 絶 え る こ と な く 受 け 継 が れ 、 本 来 の 雅 楽 が そ う で あ る よ う に 、 今 な お 神 仏 に 歌 や 舞が 捧 げ ら れ て い る 地 。 そ れ が 奈 良 で す 。奈良で雅楽に触れる
奈 良 で 雅 楽 の 神 髄 に 触 れ る こ と が で き る 最 た る 機 会 は 、 や は り 春 日 大 社 の お ん 祭 で し ょ う 。 国 風 歌 舞 の ひ と つ で あ る 東 あずま 遊 あそび 、 慶 賀 の 際 に は 必 ず 舞 わ れ る 萬 まん 歳 ざい 楽 らく や 、 代 表 的 な 舞 楽 の 一 つ で あ る 蘭 らん 陵 りょう 王 おう 。 粛 々 と し て 絢 けん 爛 らん 豪 ごう 華 か な 歌 舞 の 世 界 に 、 瞬 き を す る の も 忘 れ ま す 。 ま た 、 雅 楽 伝 承 の 立役 者 と も言 う べ き 人 物 、 狛 こまの 近 ち か 真 ざ ね を 祭 神 と す る 拍 ひょう 子 し 神 社 が 、 興 福 寺 や 春 日 大 社 の 程 近 く に 残 さ れ て い ま す 。 狛 近 真 は 、 雅 楽 を 後 世 に 伝 え る べ く『 教 きょう 訓 くん 抄 しょう 』 と い う 書 物 に 、 雅 楽 の 知 識 や 技 法 を ま と め ま し た 。 こ の『 教 訓 抄 』は 8 0 0 年 近 い 時 が 流 れ た 現 在 も 、 雅 楽 の バ イ ブ ル と な っ て い ま す 。 雅楽を訪ねて 6お寺の雅楽 お社の雅楽
雅楽と伎楽は同じもの?
伎楽は「日本書紀」にも記された日本最古の無言の仮 面舞踏劇。752年の大仏開眼供養で奉納されました が、徐々に衰退途絶。鎌倉期の『教訓抄』に伝わる内容 と、正倉院などに納められている装束や伎楽面を手がか りに1980年の大仏殿昭和大修理落慶法要で復元・復 興されました。薬師寺で上演されている創作伎楽「三蔵 法師求法の旅」は伎楽を鑑賞できる貴重な機会です。 薬師寺玄げんじょう奘三さん蔵ぞう会え大たい祭さい (毎年 5/5 開催) 奈良市西ノ京町457 ☎ 0742-33-6001 ●近鉄西ノ京駅から徒歩すぐ●JR・近鉄奈良駅から六条山行 きバス「薬師寺」下車、徒歩すぐhttp://www.nara-yakushiji.com/ MAP P19 🅰 a-2 特別開帳P12
【
宝物に見る雅楽
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雅楽の演奏以外にも、雅楽に触 れることができるものがありま す。正倉院には多くの宝物が納 められ、楽器や面など雅楽にま つわる宝物が多く伝えられてい ます。また社寺に伝わる文物に も、歌舞を奏でる様子が描かれ た意匠をしばしば見出すことが できます。 正倉院宝物管楽器「笙しょう」 MAP P19 🅰 d-2 第 68 回正倉院展では宝物 64 件 が展示される予定で、そのうちの一 件が「笙」。竹製の管楽器です。 第68回正倉院展 10/22(土)〜 11/7(月)奈良国立博物館にて開 催。Tel:050-5542-8600(NTTハ ローダイヤル) 東大寺金銅八角灯籠(国宝) MAP P19 🅰 d-1 東大寺大仏殿の正面に立つ八角灯 籠。8 面の火袋のうち4 面の羽目板 に音声菩薩が浮き彫りされており、そ れぞれ横笛、竪笛、鈸子(ばっ し)、 笙を奏でている様子を間近に見るこ とができます。横笛と縦笛の羽目板 の部分は奈良時代の東大寺建立当 初のもの、鈸子と笙の部分の羽目板 は複製品です。 舞楽が奉納される「聖霊会(大 お お 会え式し き)」は10年に一度(次 回は2021年)営まれ、例年は3月21日夜の「お会え式し き逮た い 夜や」と22日の「お会式」で管絃を拝聴することができます。 法隆寺 聖しょうりょう霊会え お会式 2017.3/22(水)〜24(金) 生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 ☎ 0745-75-2555 ● JR 法隆寺駅から法隆寺門前行きバス終点下車、 徒歩すぐ●近鉄筒井駅から王寺駅行きバス「法隆寺 前」下車、徒歩すぐ http://www.horyuji.or.jp/ MAP P20 🅲 c-2 特別開帳P14 写真提供・舞人:笠置侃一(10年に一度の聖霊会にて) 仲秋の名月にあたる日、管絃、神楽が奉納されま す。参道や斎庭に並ぶ灯火、そして東の空に浮か ぶ満月。夢の世界のような美しさが幻想的です。 大 おお 神 みわ 神社観月祭 9/15(木) 桜井市三輪1422 ☎ 0744-42-6633 ●JR三輪駅から徒歩約5分●近鉄桜井駅から天理駅 行きバス「三輪明神参道口」下車、徒歩約10分 http://oomiwa.or.jp MAP P21 🅴 b-3 写真:脇坂 実希 舞翁二人、笛翁四人、鼓翁一人、歌翁五人に よる国風歌舞。「日本書紀」に縁起が記される 祭祀で、今なお地元の方が歌舞を伝承し続け ています。 浄 きよ 見み原はら神社国く栖ず奏そう 2017.2/10(金) 吉野郡吉野町南国栖1 ☎ 0746-39-9237(吉野町観光案内所) ●近鉄大和上市駅下車、タクシーで約25分 MAP P22 🅸 d-2 写真:野本 暉房 三方楽所南都方の拠点だった氷室神社の例 祭。古くは「氷室の舞楽祭」と称えられ、今も「夕座 の舞楽」で南都晃こ う耀よ う会か い等により11曲の奉納が。 氷ひ室むろ神社例祭 (宵宮祭)9/30(金)(例祭朝座・夕座)10/1(土) 奈良市春日野町1-4 ☎ 0742-23-7297 ●JR奈良駅から市内循環バス「、氷室神社・国立博物 館前」下車徒歩約すぐ●近鉄奈良駅から徒歩約15分 http://www.himurojinja.jp MAP P19 🅰 d-2 写真:野本 暉房 写真:豊田 定男 壺部側面に笙を吹く人物などがあらわされている。 写真提供:宮内庁正倉院事務所 鈸子を奏でる音声(おんじょう)菩薩 (オリジナルは東大寺ミュージアムに所蔵) 7 雅楽を訪ねて― 日 本 書 紀 に も 天 武 天 皇 が 水 の 神 で あ る 大 おおいみのかみ 忌 神 を 廣 瀬 大 社 に 祀 る 、 と 記 さ れ て い ま す 。 社 の 縁 起 を お 聞 か せ く だ さ い 。 当 社 は 佐 保 川 、 初 瀬 川 、 飛 鳥 川 、 曽 我 川 、 葛 城 川 な ど 、 奈 良 盆 地 を 流 れ る 全 て の 川 が 合 流 す る 地 に あ り ま す 。 崇 す じ ん 神 天 皇 の 代 に 龍 神 か ら 「 こ の 地 の 沼 か ら 去 る 」 と ご 神 託 が あ り 、 一 夜 で 陸 地 に 変 わ り 、 高 貴 な 橘 が た く さ ん 生 え 、 社 が 創 建 さ れ た と 伝 わ り ま す 。 境 内 に は 今 も 橘 が 植 わ っ て い ま す 。 そ の 後 、 天 武 天 皇 が 風 水 を 治 め れ ば 天 下 が 安 泰 す る と し て 、 龍 田 風 神 と 一 対 の 社 と し て お 祀 り を 始 め ら れ ま し た 。 龍 田 大 社 で は 風 鎮 め の 祀 り で あ る 風 神 祭 を 行 い 、 廣 瀬 は 水 の 神 と し て 大 おおいみのまつり 忌 祭 が 、 今 も 砂 か け 祭 と し て 行 わ れ て い ま す 。 当 社 は 川 の 中 州 、 砂 地 に 建 つ と 伝 わ り 、 今 も 地 盤 が 砂 で 柔 ら か い た め 、 あ ち こ ち で 陥 没 し 、 建 物 も ゆ が み ま す 。 県 の 文 化 財 で も あ る 御 本 殿 の 大 修 理 の 際 、 ボ ー リ ン グ 調 査 を し た と こ ろ 、 12メ ー ト ル ぐ ら い 下 ま で 掘 っ て 「 安 定 し た 砂 地 」 に 当 た る と 判 明 。「 安 定 し た 岩 盤 」で は な く 、 深 く 続 く 砂 地 で あ り 、 古 代 か ら の 言 い 伝 え が 事 実 で あ る と 証 さ れ ま し た 。 実 際 、 古 代 か ら 境 内 地 の 周 辺 は 水 上 交 通 の 要 所 で あ り 、 明 治 時 代 ま で は 船 着 き 場 も あ り ま し た 。 ― 日 本 で は 昔 か ら 水 が 人 々 の 生 活 に 欠 く べ か ら ざ る も の で あ り 、 水 神 信 仰 が あ り ま し た 。 廣 瀬の 神 様 は 水 を 司 る 神 で す が 、 雨 を 降 ら し た り 止 め た り す る 神 で は あ り ま せ ん 。 水 が 集 ま る 川 が 安 定 し て 流 れ る よ う に 、 洪 水 が 起 こ ら な い よ う に 、 川 が 集 ま っ て い く 場 所 に お 社 が あ り 、 治 水 の 神 と し て お 祀 り さ れ て き ま し た 。 平 安 時 代 の 律 令 の 注 釈 書『 令 り ょ う の ぎ げ 義 解 』 に も 、 山 や 谷 か ら 下 っ て く る 水 は 荒 々 し い 水 で あ る 。 そ れ を 廣 瀬 の 神 様 は 受 け て 、 良 い 水 と し て 大 和 平 野 に 配 る 、 と 記 さ れ て い ま す 。 山 々 か ら ザ ー っ と 流 れ て く る 水 を 受 け て 穏 や か な 水 に し て 流 し 、 人 々 の 暮 ら し を 守 っ て く だ さ る 。 そ れ が 廣 瀬 の 水 神 信 仰 で す 。 ― 砂 か け 祭 は 砂 を 雨 に 見 立 て た も の だ そ う で す が 、 人 々 の ど の よ う な 祈 り が 込 め ら れ た も の な の で し ょ う 。 天 武 天 皇 の 治 世 4 年 か ら 始 ま っ た 大 忌 祭 の 行 事 の 一 つ で 、 正 式 名 称 は 「 御 お た う え さ い 田 植 祭 」。 水 を 司 る 神 社 の 砂 、 す な わ ち 神 様 の 砂 を 雨 の 代 わ り に 投 げ て 、 こ の よ う に 雨 を 降 ら せ て い た だ い た ら 、 田 植 が 順 調 に 進 み ま す 、 と 神 様 に お 願 い す る 。 今 は 子 ど も 達 が 砂 を か け ま す が、 昔 は 大 人 が 必 死 に な っ て 投 げ た も の で す。 奈 良 盆 地 は た め 池 が 多 く、 田 ん ぼ は そ の 水 を 使 っ て 稲 を 育 て ま す。 ち ょ う ど 砂 か け 祭 を 行 う 時 期 は 農 閑 期 に あ た り ま す。 2 月 に お 祭 り を し て、 6月 ま で に た っ ぷ り ため池に水が溜まれば田植がうまくいく という、 豊かな実りを祈ったものです。 こ の よ う に 廣 瀬 の 神 様 は 古 来 、 水 を 司 っ て 暮 ら し を 守 る 、 衣 食 住 の 守 護 神 と し て 崇 め ら れ て き ま し た 。 た だ 偶 然 に 残 っ た も の で は あ り ま せ ん 。 天 武 天 皇 の 御 代 か ら 脈 々 と お 祭 り が 続 け ら れ 、 我 々 の 親 の 世 代 、 そ の ま た 親 の 世 代 が ず っ と お 参 り し 、 篤 き 心 で 守 り 伝 え た の だ と い う こ と に も 心 を 寄 せ て い た だ き た い で す ね 。 ― 奈 良 の 川 の 合 流 点 に あ り 、 人 々 が 祈 り を 捧 げ て き た こ の お 社 に 立 つ と 、 水 の 力 と 清 浄 な 気 が 感 じ ら れ る よ う で す 。 そ う 言 っ て い た だ く と う れ し い で す ね 。 社 へ の 参 道 は 車 で 来 ら れ る よ う に な っ て い ま す が 、 本 当 は ゆ っ く り と 歩 い て 来 て い た だ き た い 。 す る と 当 社 の 特 異 性 が お 分 か り い た だ け る と 思 い ま す 。 他 社 の よ う に 階 段 は 無 く 、 入 り 口 か ら は 下 り と な り 、 平 地 と な っ て 御 本 殿 へ 続 き ま す 。 川 が 集 ま る と こ ろ で す か ら 、 人 間 が 住 ん で い る 場 所 よ り 低 い と こ ろ に 祀 ら れ て い る の で す 。 そ の 昔 、 日 本 人 は 自 然 と と も に あ り ま し た 。 雨 が 降 る 、 風 が 吹 く 、 雪 が 降 る 。 そ れ は 人 工 的 に 起 こ さ れ た も の で は あ り ま せ ん 。 雨 が 降 ら ね ば 水 不 足 で 飢 饉 と な る 。 で も 今 は 水 道 の 栓 を ひ ね れ ば 水 が 出 る 。 あ り が た さ が 薄 れ 、 感 じ に く く な っ て い ま す 。 お 風 呂 も そ う 。 昔 は 枝 を 落 と し て 焚 い て 、 隣 の 家 が 今 日 、 沸 か し た か ら と も ら い 湯 を し て 、 あ り が た が っ て 、 助 け 合 っ て 生 き て き ま し た 。 人 々 の 暮 ら し に は 、 常 に 自 然 へ の 畏 敬 と 深 い 感 謝 の 念 が あ っ た の で す 。 今 の 世 で は 忘 れ が ち な そ の よ う な こ と を 、 ご 参 拝 に 来 ら れ た 方 、 若 い 方 々 に も 感 じ て い た だ け た ら と 思 い ま す 。
特 別
講 話
所 北葛城郡河合町川合 99 ☎ 0745-56-2065 行 ● JR 法隆寺駅 または 近鉄池部(いけべ)駅下車、徒 歩約 20 分● JR 法隆寺駅 または 近鉄池部駅からタクシー 約 8 分 http://www.hirosetaisya.com/ MAP P20 🅲 c-2 砂かけ祭(御田植祭) 殿上の儀(神事)2017.2/11(土・祝)11:00 〜 庭上の儀(砂かけ)14:00 〜 撮影:脇坂実希 樋口 俊夫 1947 年奈良県生まれ、1972 年皇学館 大学文学部国史学科卒業。同年大阪生國魂神社奉職。 1975年廣瀬神社禰宜就任、1978年より廣瀬神社宮 司。神社本庁参与、神社本庁奈良県教誨師、奈良県神 社庁副庁長を現任。廣瀬大社
宮司樋
ひ口
ぐ ち俊
と し夫
お水を司る衣食住の守護神
特別講話
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拝殿 8― 聖 徳 太子が 開 か れ た 毘 沙 門天 王 の 総 本 山 と し て 知 ら れ て い ま す 。 毘 沙 門 天 王 は 七 福 神 で 知 ら れ る 通 り 福 の 神 で す 。そ れ と 同 時 に 仏 教 を 守 り 、国 を 守 り 、 社 会 を 守 る 、四 天 王 を 代 表 す る 守 護 神 で す 。 聖 徳 太 子 の 時 代 に 我 が 国 に 仏 教 が 入 っ て 来 た の で す が 、 反 対 派 の 代 表 格 で あ る 物 部 氏 と 賛 成 派 の 蘇 我 氏 や 太 子 一 派 の 間 で 大 変 な 戦 い に な り ま し た 。 そ の 折 り に 、 聖 徳 太 子 が 戦 勝 を 祈 願 さ れ る や い な や 、 毘 沙 門 天 王 が ご 出 現 さ れ て戦 勝 の 秘 法 を 授 け ら れ ま し た 。 勝 利 し た 太 子 は「 信 ず べ し 貴 ぶ べ き 山 」と し て 信 貴 山 と 名 付 け ら れ 、 毘 沙 門 天 王 を 祀 ら れ た と さ れ て い ま す 。 ― 楠 木 正 成 、 武 田 信 玄 、 上 杉 謙 信 な ど 名 高 い 武 将 た ち が 信 仰 し た「 武 神 」の イ メ ー ジ が あ り ま す が 、毘 沙 門 天 王 信 仰 に つ い て お 聞 か せ く だ さ い 。 信 貴 山 の 本 堂 へ お 参 り さ れ る と 、 本 堂 の 中 央 に 毘 沙 門 様 、 向 か っ て 右 に 奥 様 の 吉 祥 天 、 左 に 子 ど も の 善 ぜ ん に し ど う じ 膩 師 童 子 が お ら れ ま す 。 これ は 家 族 円 満 こ そ が 幸 福 の 原 点 で あ る と 身 を も っ て 示 さ れ て い る の で す 。 人 と 人 の 最 初 の 出 会 い は 家 族 で す 。 家 族 が 円 満 で あ れ ば 、 身 体 も 健 康 と な り 、 身 体 が 健 康 で あ れ ば 、 勉 学 も よ く で き て 商 売 も 繁 盛 す る 。 す べ て の 現 世 利 益 の 原 点 は 家 族 円 満 か ら 始 ま る と い う 教 え で す 。 さ ら に 寺 宝 で 国 宝 の「 信 貴山 縁 起 絵 巻 」 に 登 場 す る 毘 沙 門 天 王 の お 使 い の う ち 、 法 力 で 托 鉢 の 鉢 を 飛 ば す 空 く う は つ ご ほ う 鉢 護 法 は 一 願 成 就の 守 護 神 。 醍 醐 天 皇 が 病 気 に な ら れ た 時 に 宮 中 に 飛 ん だ 剣の 童 子 、 劔 け ん が い ご ほ う 鎧 護 法 は 病 気 平 癒 の 守 護 神 と し て 信 仰 さ れ て い ま す 。 毘 沙 門 様 は 必 勝 祈 願 は も と よ り 、 我 々 の あ ら ゆ る 願 い を 叶 え て く だ さ い ま す 。 ― 聖 徳 太子 が 毘 沙 門 天 王 を 感 得した の は 寅 の 年 、 寅 の 日 、 寅 の 刻 。 寅 の 月 の 2月 に 盛 大 に 行 わ れ ま す「 寅 ま つ り 」に つ い て お 聞 か せ く だ さ い 。 毘 沙 門 様 の 教 え に 多 く の 人 に 触 れ て い た だ き 、 ご 加 護 が あ り ま す よ う に 、 ご 縁 を 結 び に お 越 し く だ さ い と の 思 い で 開 い て い る お 祭 り で す 。 不 動 心 と い う 教 え が あ り ま す が 、 諸 行 無 常 の こ の 世 は 仮 の も の 。 必 ず 滅 び ま す の で 執 着 せ ず 、 仏 様 の 説 く 正 し い 生 き 方 を し っ か り と 自 分 の も の に し な さ い と い う 教 え で す 。 例 え ば 数 字 の ゼ ロ は 仏 教 で い う 空 く う 。 般 若 心 経 の 色 し き そ く ぜ く う 即 是 空 の 空 で す 。 何 も 無 い か ら ゼ ロ 。 で も ゼ ロ 無 く し て は 数 字 の 世 界 は 成 り 立 ち ま せ ん 。 ゼ ロ は す べ て の 数 字 を 存 在 せ し め る 根 本 な の で す 。 そ し て こ の 世 の 根 本 で あ り 、 こ の 世 の す べ て の ゼ ロ に 当 た る の が 仏 様 で あ る と い う 考 え を 仏 教 は し ま す 。 す る と 、 あ そ こ に も 、 こ こ に も 仏 様 が い る 。 あ な た の 中 に も 仏 様 が い ら っ し ゃ る の で す 。 こ こ 一 番 の 勝 負 ど き は 百 の 力 が あ っ て も な か な か 出 せ ま せ ん ね 。 で も そ ん な 時 、 毘 沙 門 様 が つ い て く だ さ る と 思 っ た ら 心 強 い 。 守 り本 尊 様 を 持 っ て い る 人 の 方 が 強 い ん で す 。 そ し て 、 現 世 利 益 は あ く ま で 入 り 口 で す 。 ご 利 益 を 得 て あ り が た い と 思 う こ と で 、 毘 沙 門 様 と 縁 が 深 く な る 。 す る と 身 も 心 も 自 ず と 正 さ れ て い く の で す 。 今 の 人 は 、 ま ず 自 分 の こ と を 考 え ま す 。 人 が 見 て い た ら 良 い 格 好 を し て 、 見 て い な か っ た ら 何 を し て も 良 い と い う 社 会 に な り つ つ あ る よ う で す 。 昔 は 悪 い こ と を し た ら「 お 天 道 様 が 見 て は る 、 ご 先 祖 さ ん が 見 て は る よ 」 と 戒 め た も の で す 。 毘 沙 門 様 は 、 い つ も 見 ら れ て い る の で す か ら 、 そ ん な こ と で は 良 い 結 果 は 出 ま せ ん よ 。 人 の 間 と 書 く よ う に 、 人 間 は 1 人 で は 生 き て い け ま せ ん 。 人 間 は 何 の た め に 存 在 し て い る か と い う と 、お 役 に 立 つ た め に 命 を 頂 戴 し て い る ので す 。 毘 沙 門 様 が な ぜ ご 利 益 を く だ さ る か 。 そ れ は 社 会 で そ れ ぞ れ の 役 回 り が 務 め ら れ る よ う にと 授 け て く だ さ る の で す 。 ご 利 益 を 得 た 人 は 社 会 に 返 す 。 ま た そ の よ う な 人 に こ そ 、 ご 利 益 が 授 け ら れ ま す 。 こ の よ う な 教 え が 少 し で も 多 く の 人 に 伝 わ れ ば 、 人 も 社 会 も 、 だ ん だ ん と 良 く な っ て い く と 思 い ま す 。 ― 現 代 に 生 き る 我 々 日 本 人 に 、メ ッ セ ー ジ を お 願 い し ま す 。 人 間 は 悩 ん だ り 苦 し ん だ り す る こ と が 、 あ る 面 で は プ ラ ス に な り ま す 。 紅 葉 も 厳 し い 寒 さ を 経 験 し て こそ 、 良 い 色 が 出 る の で す 。 生 き て い れ ば 辛 い こ と は 、 い っ ぱ い あ る 。 で も 、 乗 り 越 え ら れ る も の し か 与 え ら れ ま せ ん 。 私 た ち に は 、 必 ず 乗 り 越 え る 力 が あ る の で す 。 今 は 修 練 の 時 だ と 思 っ て 祈 り ま し ょ う 。 そ し て 日 本 の 素 晴 ら し い 文 化 、 宗 教 を 自 分 の も の と し て く だ さ い 。 か つ て 日 本 人 は 朝 起 き た ら 神 棚 に 手 を 合 わ せ 、 仏 壇 に 手 を 合 わ せ 、 祈 り の 時 を 持 っ て い ま し た 。 ま ず は そ こ か ら 始 め て み ま せ ん か 。 ご 先 祖 さ ん を 大 事 に し て 、 その 御 加 護 を も ら い ま し ょ う 。 悩 む 時 も 、 苦し い 時 も 、 自 分 の 力 だ け で は 厳 し く と も 、 ご 先 祖 さ ん と 毘 沙 門 様 の お 力 で 乗 り 越 え れ ば 、 必 ず 良 い 人 生 の 花 を 咲 か す こ と が 出 来 ま す 。