質的研究の方法論と学びの質を高めるMOB -往復書簡を通じた対話/実践-
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(2) 北海道教育大学大学院高度教職実践専攻研究紀要 第2号. 質的研究の方法論と学びの質を高めるMOB 一往復書簡を通じた対話/実践. 川島 大輔*・竹本 克己*. 質的研究は現場に状況づけられた理論や実践を丁寧に、かつ分厚く記述していく。また研究者を特 権的地位に置き、現場から切り維して実践を記述することをよしとしない。むしろ研究者と対象者は、 現場や実践にアクティヴに参与する主体として位置づける。そのことは同時に、実践を記述しようと する自らの立ち位置や現場への影響を省察することを要請することになる。こうした一連の研究姿勢 は、教職大学院において求められている学びや研究、そして実践ともつながるものである。本研究は、. 教職大学院の修了研究であるマイオリジナルブック(MyOriginalBook:MOB)の意義と指導上の諸 課題について往復書簡という媒体を用いて検討したものである。生涯発達心理学を背景としてこれま で質的研究を実施してきた第1著者と、小中学校での教育実践と校長経験を持つ第2著者が、それぞ れのものの見方を振り返りながら、教職大学院の学びとMOBの意味について語り合った。この対話 を通じてMOBの位置づけと指導上の課題が見いだされた。また往復書簡という質的研究の論文形式 により、実践を記述する一つのあり方を呈示した。 キーワード:マイオリジナルブック(MOB)、質的研究、書簡形式、対話 一;−′′●:′/.イ′ご∴∵′.・−トニ亨′ヤこ∴W・くトり∴∵∴ト・.−∼・∴(−∫∴ソ′ンこ/ト′●:′二∵け_∫ヤ、∴:一・こ:J圧JJ」‖立/.ナノい・.小J∴●/=/ノ 2(フOq。. 問題と目的. 1.問題の所在. 北海道教育大学教職大学院では修士論文に代わるものとして「マイオリジナルブック」(MyOri− ginalBook:MOB)の作成を課している。これは教職大学院での実践に深く根差した学びをいかした「自 分の研究物語」とされる。さらに教職大学院案内のパンフレットで示されたモデル図では、講義、実 習、事例研究を通して構成された研究主題の探求を行い、多様な研究方法を選択し、観察記録、実践. 記録、事例、文献、調査データ等について、実証的・実践的に考察することが必要とされている。ま たパンフレットにはMOB作成には3段階あると記されている。第1段階では、共通科目とコース別 科目講座を基礎にして、学校における実習やそれに基づく事例研究から、勤務校や自分にとっての課. 題を抽出する。第2段階では、抽出した勤務校や自分にとっての課題を、指導教員とともに研究主題 として練り上げる。第3段階として、研究主題に沿って、相応しい解決方法や研究方法を選び、実証. 的・実践的な研究を行い、実践とその成果をまとめる。 *北海道教育大学教職大学院(大学院教育学研究科高度教職実践専攻)旭川. 43.
(3) 川島 大輔・竹本 克己. このようにMOBの位置づけと作成プロセスの概要がひとまず呈示されているものの、実際のとこ ろMOBが何を意味しているのか教員間でも認識が異なり、またそれが修了研究として足る要件とは 何であるのか、さらには具体的にどのような研究方法や記述によって成果をまとめていけばよいのか について、現今では十分明示化されていないのが現状である。. その一方で、MOBは実践研究の延長にあるため現場との綿密なつながりが重視されていること、 また単なる実践記録集ではなく実践の再文脈、あるいは多様な資料・データの考察を通じて再構成さ れたものであることが議論されている(本間・福井・森・榊・赤田,2011)。とくに福井(2011)は、. 教職大学院の研究では学校や実践の現場で自分が直面した問題を取り上げ、その意味を考え、考察を 加え、新しい理論や実践方策を提起することをめざし、その研究の跡を記述するものとしてMOBを 位置づけている。. こうした議論を鑑みれば、自らの立ち位置や現場への影響を省察する中で、現場での実践を丁寧に、 かつ分厚く記述していく方法論の指導が必要不可欠であるといえる。教職大学院において求められる こうした方法論と非常に親和性が高いのが質的研究法であろう。. 2.質的研究とは何か 質的研究には固有の理論やパラダイムがなく、また諸々の学問、分野、主題をまたいで横断的に行 われているため、質的研究とは何かを明確に定義することは難しい(Denzin&Lincoln,2000/2006)。 ただ簡素に説明するならば、「具体的な事例を重視して、それを時間的、地域的な特殊性の中で捉え. ようとし、また人々白身の表現や行為を立脚点として、それを人々が生きている地域的な文脈と結び つけて理解しようとする分野」(フリック,2002,p.19)といえるだろう。. 質的研究は現場に状況づけられた理論や実践を丁寧に、かつ分厚く記述していく。また研究者を特 権的地位に置き、現場から切り離して実践を記述することをよしとしない。実証主義的な方法論にお いては、研究者は観察した事実を客観的に伝えるために、研究者の影響を徹底的に排除しようとして きた。しかし質的研究においては、むしろ研究者(あるいは観察者)と対象者は、現場や実践にアク. ティヴに参与する主体として位置づける(HoIstein&Gubrium,1995/2002)。そのことは同時に、実 践を記述しようとする自らの立ち位置や現場への影響を省察することを要請することになる。こうし た一連の研究姿勢は、教職大学院において求められている学びや研究、そして実践ともつながるもの である。そのため質的研究の方法論からMOBの意義と指導上の諸課題について検討することの意義 は大きい。. 3.目. 的. 本研究では、質的研究を実践してきた第1著者と校長経験を持つ第2著者がそれぞ各自のものの見 方や研究・実践を振り返りながら、教職大学院の修了研究であるMOBの意義と指導上の諸課題につ いて、対話を通じて検討することを目的とする。. 方. 法. 1.研究対象と方法. 本研究ではそれぞれ異なった背景をもつ2人の著者が、各自のものの見方や研究・実践を振り返り ながら、往復書簡という媒体を用いて対話することを通じて、大学院の学びとMOBの意味について. 44.
(4) 質的研究の方法論と学びの質を高めるMOB. 検討した。具体的には、これまで死生観や死別、自殺予防といったテーマのもとに質的研究を実施し、 宗教、医療、教育の現場に生きる人々の語りに耳を傾けてきた川島大輔と、小中学校における教育実 践と校長経験を持ち、長年生徒指導、教育相談、道徳教育に携わってきた竹本克己の2人が往復書簡 を交わした。 往復書簡では「生きているプロセス、今、ここで生身で感じていることを共同生起の現場にして現. 在進行形で記述」(やまだ・南,2001,p.195)する。そして対話のプロセスをできるだけ損なうこ となく表現できる往復書簡という形式は、質的研究の有力な表現方法の一つと考えられる(伊藤・矢 守,2009;矢守,2009)。なお伊藤と矢守(2009)は、往復書簡がその有効性を発揮するためには、 往復書簡を交わす書き手たちの関係性が、対話に必要な最低限の相互理解が困難なほど異質ではなく、 また相互の差異による学びを期待できないほどに等質でもない中程度の関係性にある場合としてい る。川島と竹本の関係性は、その有効性が発揮できる、同じ現場において同様の課題に取り組む当事 者間(伊藤・矢守,2009)として位置づけられる。. このような理由から、本研究では「MOBの意義と指導上の諸課題」について質的研究の方法論と 結びつけて検討するため、その具体的方法として往復書簡という形式を採用した。 2.研究の手続き 往復書簡は当初から論文として公表することを目的としたやりとりであった。このことは、2名の. 著者が互いに宛てて手紙を送りながら、同時に論文という形で公表された後の読者をも想定していた という点において、私的なやりとりを事後的にまとめたものとは異なる。. 具体的には、はじめに川島が論文執筆を前提としてやりとりを提起し、竹本がそのアイディアに共 感的に了解した。そして川島が教職大学院の学びとMOB、質的研究との関係について手紙を書き、 その後往復書簡がメールでやりとりされた。最終的に往復書簡がほぼ収束したと合意した時点でやり とりを終えた。なお本研究で提示する往復書簡のやりとりは、わかりにくい表現や句読点の統一といっ. た微細な修正を除き、実際やりとりしたものほぼそのままである。. 結果と考察一往復書簡による対話. 竹本先生. こんにちは、川島です。. 先日大学の前で雪虫をはじめて目にしました。これが飛び出すと数日後に雪が降るのだそうです ね。これから冬支度をしっかりしていかかナればと思っています。. MOBについての往復書簡のお願いを、快くお引き受けいただき、ありがとうございました。こ の試みを通じてその意味を問いなおすことができればと考えております。どうぞよろしくお願いい たします。. さっそくですが、昨年度の紀要論文や学生案内のパンフレットを読むと、MOBとは、教職大学 院での学びを生かした「自分の研究物語」とあります。「自分独自の(オリジナル)」という意味が ここにこめられているのでしょうが、教職大学院の学びの中で繰り返し出てくる「省察」「振り返り」. という言葉を思い返せば、ここでの自分はむしろ「研究対象としての自分」ということになるので はないかと思うのです。日常、自分を振り返ることは容易ではありませんが、教職大学院の講義や. 45.
(5) 川島 大輔・竹本 克己. 実習、事例研究を通じて、自らのこれまでの実践を振り返り、それを一つの物語としてまとめ、今 後の実践に生かしていくことがMOBの一つの目標であるように思います。. また教職大学院案内で示されたMOBのモデル図では、講義、実習、事例研究を通して構成され た研究主題の探求を行い、多様な研究方法の中から特定の方法を選択し、観察記録、実践記録、事 例、文献、調査データ等について、実証的・実践的に考察することが必要とされています。ただし. 研修の受講や関連図書を読むことなどは、現場の多くの教師が行っていることと思います。むしろ、 講義や実習、事例研究における問いの明確化、文献収集、調査、実践、報告、対話といった一連の 研究活動の成果がMOBといえるように思います。 ところで教職大学院の学びでは、現場や実践を非常に重視していることは間違いないと思います。. MOB作成にあたっても、学校や実践の現場で自分が直面した問題から問いをスタートさせるよう に思います。そして研究のための研究ではなく、その間いに対する何らかの答えを見出し、現場に 還元していくことも大変重要視されていると思います。このような、現場から問いを立ち上げ、そ の文脈に状況づけられた知見や理論を生み出そうとするアプローチは質的研究の目指すものと一致. します。また透明な存在として研究者を位置づけるのではなく、むしろ現場に積極的に関与する存 在として研究者を位置づける質的研究の観点は、現場に密接につながった研究ではとくに重要に なってくるかと思います。なぜなら透明な存在として自分を位置づける限り、自らの考え(認識論)、 現場での言動や振る舞いは省察の対象にはならないからです。. このようなMOBについての見方に対して、竹本先生はどのように思われますか。ぜひご意見を お聞かせください。 (2011年10月15日 川島大輔). 川島先生. 4月に川島先生と出会ってこの半年間、随分多くのことを語り合ってきました。先生の研究につ いて聞き、私の学校で出会った子ども達や教師のことを話し、話が発展して死について、宗教につ いて、心理学について、大学の現状について語り合いました。ゼミ演習では私が川島先生にインタ ビューをさせてもらい、夏に大雪山荘で行った生徒指導・教育相談合宿ゼミでも夜遅くまで語り合. いました。先日は質的心理学会震災ワーキンググループに一緒に参加し大洗や北茨城の被災者の方 にも話を聞くことができました。先生からのMOBについての往復書簡の提案を私はこの半年間の 心地よい会話の延長線上で了解してしまいましたが、先生からのメールを受け取り何度か読み返し 「私がMOBをどのように思っているか。」を答えようとすると思いが交錯し即返信ができなかっ たのが現状です。. MOBの変遷は「教職大学院の研究物語」になっていくのだろうと思います。札幌・旭川・釧路 のMOBは装丁も内容もそれぞれに違いがあり、個々人によっても完成度にも相違があったように 感じました。教員採用試験にチャレンジする者から指導主事・管理職になる者まで院生の経験・関 心に違いがあり、指導する教員も研究職教員、実務家教員と多種多様な環境にある現状としては多 種多様なMOBが生まれてくることは自然別犬態であると思います。研究職教員が「研究者として の論文を目指す中で学校現場の課題を見出し改善する力が育つのだから、論文として高度な貿を求 めるべきである。」と主張し、実務家教員が「実践者として授業力、生徒理解力、経営力を身につ けさせることが第一であり、多忙な院生に論文として高度な質を求めることは実態にそぐわない。」. 46.
(6) 質的研究の方法論と学びの質を高めるMOB. と主張して互いの主張の正当性をぶつけ合っていても「教職大学院の研究物語」は進展していかな いのではないでしょうか。 MOBが「教職大学院の研究物語」になっていくための具体的手だてが必要だと思います。. 「自分の研究物語」として「教職大学院の講義や実習、事例研究を通じて、自らのこれまでの実 践を振り返り、それを一つの物語としてまとめ、今後の実践に生かしていくことがMOBの一つの 目標である」という川島先生の理解に対しては私だけでなく多くの万が一致できると思います。こ の目標に到達するための手だてが施されているかの検討が必要だと思います。. 多種多様な院生の「真の問」は何なのか、一人の院生について教員全員でのカンファレンスが必 要であり、研究職教員、実務家教員から専門性に基づいた問いかけが必要だと思います。また、実. 習において何を見て何を記録して自分の間につなげていくのか、観察の仕方、インタビューの仕方、 記録の取り方等の具体的指導も必要だと思います。 川島先生からいただいたメールの一部を書き換えて見ました。 「また透明な存在として教員(研究者)を位置づけるのではなく、むしろ院生(現場)に積極的に 関与する存在として教員(研究者)を位置づける実践(質的)研究の観点は、現場に密接につながっ た教職大学院(研究)ではとくに重要になってくるかと思います。」 研究職教員と実務家教員が一人一人の院生に的を絞り協働して指導に当たる中から教職大学院が めざすMOB「自分の研究物語」が生まれてくるのだろうと希望を抱きます。. 思いつくままの返信で、いただいたメールのお答えになりませんでしたが、取り急ぎお送りしま す。 (2011年10月17日 竹本克己). 竹本先生. ご返信ありがとうございました。MOBの変遷自体が「教職大学院の研究物語」として位置づけ られるとのお考えに共感いたしました。院生が2年間を通じて学んだことの集大成としてのMOB は同時に、教職大学院発足から現在に至るまでの多様なMOBのあり方という、より大きな物語の 中に位置づくかと思います。. 教員間でのMOBをめぐる意見の相違についてお書きになられていましたが、私としては、多種 多様なMOBが生まれてくる、この「多声的」(multi−VOiced)別犬況自体は、一つの声に支配され ている状況よりはむしろ好ましいのではないかと思うのです。特定の学範や理論からトップダウン 的に研究を進めていく方法では、院生自身の関心や現場とのかい離という問題が生じやすいように 思います。そのため教職大学院が重視する、現場や実践からボトムアップ的に問いを立ち上げてい くことを重視した結果としての多様性であれば、その多様性こそが学びの豊餞さを示唆していると. も考えられます。もちろん教員の学範(discipline)や理論の正統性のみを互いにぶつけあい、大 声競争をすることから生成されるものはほとんどないと思います。大切なことは、院生のより良い 学びや、その先にある子どもの発達に向けて、MOBとは何かについて、教員間で対話を続けてい くことなのではないかと思います。そしてその行為を通じて、MOBの多様性を担保したまま、全 体としてゆるやかな合意ができれば、と考えております。 竹本先生が指摘された「論文の質」に対する教員間での認識の違いですが、論文はあくまでひと つの作品であって、その作品を誰に届けたいのかが重要になると考えています。「宛名」(パフテン,. 47.
(7) 川島 大輔・竹本 克己. 1988)*1をもたない、つまり誰から誰に向けてのものなのかがわからない作品は、単なる自己満足. に陥りやすく、また誰にも読んでもらえない可能性が高くなります。教育学や心理学等の特定領域 の専門家に向けてであれば、当然そこで必要とされている作法、たとえば論文の構成や書き方など を踏襲しなければ読んでもらえません。他方で、現場の教員に向けてであれば、書き方もさること. ながら、リアリティが生き生きと伝わるような工夫がまずもって必要になると思います。誤解を恐 れずに言えば、論文という概念自体が学範の政治性、権力性を帯びた言葉ですので、現場や実践に. 向けた学びを展開している教職大学院のMOBは、論文の体裁をとらなくともよいのではないかと いう気もしています。現場に向けた、学びの成果としての作品は、他の形態、たとえば詩や歌、演 劇、写真、絵画等の多様な媒体であってもよいのではないかと思うのです。実際、国際的にも著名. なノーマン・デンジンという研究者がけん引する、国際質的研究会議に参加した折には、そうした 多様な発表・伝達の仕方が認められていました。. ところで上記のような、学びの成果、あるいは到達点としてのMOBと同時に、MOBにはプロ セスとしての側面があるかと思います。それは現場から問いを立ち上げ、試行錯誤し、「腑に落ちた」 という感覚を繰り返すことで、日頃の実践から自分自身の教育観までを再構成するようなプロセス. です。そのことを考慮すれば、講義や実習、そして事例研究を通して、どのようにMOBを作成し ていくのかという具体的な手立てがあるのか、竹本先生がご指摘されたように、再度検討が必要か もしれません。とくに質的研究は、研究者も現場に積極的に関与する存在として位置づけられます が、竹本先生がご指摘になったように、院生と教員とのかかわりにおいても同様に考えられます。. 院生を特定の学範に参与した新参者として扱い、徒弟的に研究法を指導するよりも、むしろ院生と 教員が協働して、現場に根付いた研究・理論を生成していくことが求められていると思います。 私はこれまでもっぱら質的研究を中心に研究を進めてきましたが、量的、実証的研究が必要ない とは思っていません。ただし、現場や実践とつながりながら研究を進めていくうえでは、大きな意 味での質的な志向性、つまり「質的に考える(Think Qualitatively)」ことがまずもって必要であり、 その中で必要に応じて、量的研究、質的研究を選択すればよいと思うのです。旭川校生徒指導・教 育相談コースで実施している事例研究では、今年度から、問いの立ち上げ方、インタビューの方法、. データのまとめ方までを含む質的研究方法の演習を竹本先生とご一緒に行ってきました。院生が素 朴に抱く疑問点からどのように問いを立ち上げ、研究として展開していくのか、「質的に考える」 ための具体的な方法についても、もっと学べる時間が必要と思います。 まとまりませんが、先生のご返信を受けて、思いつくままに書かせていただきました。それでは ご返事お待ちいたしております。 (2011年10月21日 川島大輔). 川島先生. 川島先生の返信から様々なことを考えさせられました。長いこと学校現場で時間を過ごしたもの として考えたことをお伝えします。 *1より厳密に言えば、明示的な受け手を想定しないモノローグ的な発話、あるいは日記や自伝といった形式を用いての 自分自身に向けた発話もまた宛名をもつといえる(パフテン,1988)。ただしその場合も受け手としての自分が発話に 能動的に返答し、話者としての自分とは異なった役割をその言語コミュニケーションにおいて担っているとみなすこと が重要になる。. 48.
(8) 質的研究の方法論と学びの質を高めるMOB. 教職大学院が修士論文とせず、MOBとしたのはきっとノーマン・デンジンの発想に通じる考え があったのかも知れませんね。教職大学院創設にかかわった先生方の叡智だと思います。MOBの プロセスで院生の何が育っているのかを意識し、育ったものが学校現場で、またその院生の教師人 生でどのように結実していくのかという視点で指導することの重要性も考えさせられました。. 現在の教職大学院と小中学校の状況に類似性を感じます。小中学校には家庭環境も能力も性格も 多様な児童生徒がいます。その中で一律の結果を求めるのでなく、関心・意欲・態度の重視、形成. 的評価、個性化教育・習熟度別教育・特別支援教育等々様々な研究、実践が進められています。 教職大学院にはストレートと現職がいます。ストレートにも教員採用試験を通っている者、在籍 中にチャレンジする者もいます。現職でも経験や校種が違います。さらに1年で在籍校に帰る現職、. 2年間勤務しながら学ぶ現職がいます。能力も異にする現実を踏まえれば、2年間のスタートライ ンは皆違います。一人一人に特別な指導プログラムが必要です。このよう別犬況で一律の講義で指 導をして、一律のレベルの論文を求めることは不自然ではないでしょうか。従来の大学院で研究論 文を追求していく院生とは違う現実があります。. 小中学校の教員にも様々なタイプがいます。若いときから管理職を目指し自分の実践とは切り離 し次々山される教育施策をオウム返しのように唱えて役割を果たす教員もいます。次々山される教 育施策に悉く反対し自分の実践で反対の根拠を示せない教員もいます。 今、学校にとって必要な教員は、次々出される教育施策の背景にある社会の要請、人類の課題を. 理解し、現状を問い続け、自分の実践を通して子ども達に希望をつないでいける教員だと思います。 MOBという自分のオリジナル記録を残すためゼミでの密度の濃い学び合いが必要です。多様な 一人一人の院生にゼミにおいて密度の濃い学び合いができる体制がとれているかの吟味が必要だと. 思います。(すみません。MOBについてより教職大学院全体にふだん感じていることをおしゃべ りしてしまったような感じがします。) どの学級にもその学級だから展開するドラマがあり、ツツパリ生徒でも不登校児童でも一つ一つ. の事例がみな一回限りのドラマです。一般論で個々の児童生徒との粁はできません。そこで起きて いる事実を見て聞いて感じて生の人間と、人間としてかかわり試行錯誤の向こう側に改善の方向性 が見えてきます。どんなにかかわっても改善どころか問題が深刻になることさえあるのが学校現場 です。ひたすら耐えて凌いで時を過ごすことがあります。解決が得られなくとも耐えて凌いでいる 時間の中で得るもの学ぶものがあるのが学校現場です。日常、あらゆる情報から児童生徒を理解し、 授業実践を重ね、個と集団のバランスを取り、指導の記録を蓄積していくのが教師の日常の仕事で す。. MOBを作り上げていくプロセスで教師の日常の仕事に発揮できる力が身につけば教職大学院が 学校教育現場に大きく貢献できると思います。. MOBから現在の教職大学院と小中学校の状況について連想したことを思いつくまま書いてみま した。普段あまり言えないことを言葉にしてみるとスッキリしてはきますが、自分の思考がいかに 拡散しているか気づかされます。川島先生が拡散した私の思考を整理してくださることを期待して 送信します。 (2011年10月23日 竹本克己). 49.
(9) 川島 大輔・竹本 克己. 竹本先生. お返事ありがとうございました。先生の文章から、多様な背景をもつ教員および院生が相互に学 びあいながら協働して作成していくのがMOBであると改めて認識しました。. 素朴な「問い」をともに鍛えていくプロセスは個別であるべきであり、すべてにおいて一律の授 業プログラムというものは、かえって問いのユニークさを台無しにしてしまう危険性がある、と私 も思います。その一方で、まったくの方法論なしに、これまでの実践を省察し、素朴な問いを鍛え ていくことは困難であるようにも思います(竹本先生が以前ご指摘になった具体的方法というもの. がこれにあたるでしょうか)。しかし教職大学院において、これまでも方法論がなかったわけでは なく、教員それぞれの学問的背景に沿った指導がなされてきたと思います。 むしろ問題は、教員間、教員と院生間の指導法に関する認識(指導観)の相違にあるように思い. ます。研究者教員はこれまで研究者になるために自分が受けてきた指導方法を、また実務家教員は 現場で受けてきた指導方法を暗黙裡に想定してしまいます。同時に院生の中にも、研修や現場で受 けてきた指導のイメージと同時に、大学院に対する(とくに従来の大学院を想定した)漠としたイ メージが入り混じっているように思います。それぞれが抱く「指導観」が不協和の状態になったと きに、様々な問題が表面化するのかもしれません。. 研究者教員としては、自分が新たに何かを発見したと述べるためには、先人たちの膨大な蓄積の 上に自分の研究があることを常に意識し、敬意を払うことがまずもって必要と考えていると思いま す。それは教職大学院の学びにおいても同様であり、MOBがオリジナルかどうかについて、先行 研究の吟味や理論的観点の明確化が必要だということになります。この点については、教員間の認. 識においてはかなりの程度一敦をみていると思いますが、院生の中でどの程度共有されているかど うかはわかりません。. また前回「宛名」のことを書きましたが、いわゆる学問的成果としてMOBをとらえようとする と、やはり誰に向けてのものなのかが重要になってくると思います。たとえばこれまでの実践を振 り返って作品にまとめたとして、それが私小説的な、自分以外の他者がみることを求めないような ものは、はたしてMOBとしての評価に耐えうるのかという疑問が生じます。もちろん、教職大学 院の学びは自分の実践を再構成し、現場に還元することに力点が置かれていますので、そこで気づ いたことをまた現場に戻り、実践に生かしていくことができれば、MOBそのものを誰かのために 作成する必要はないともいえます。他方で、学問としては、先人の知恵に学び、そこから自分が何. を学びとり、何を新たに見出したのかを、他者に開かれたかたちで返していくことが求められてい ると思います。もし前者でよいとする場合、教職大学院の学びの中で自己省察と教育観の再構成、 実践力の向上ができれば、改めてMOBを作成することは必要ないようにも思えるのです。. このように考えてみますと、教職大学院での学びはどの水準を志向しているのかもまた、この問 題と深く関係しているように思います。院生が現場に帰った際に自分の日常業務にのみ、教職大学 院の学びが役立つとすればそれは従来の研修や現場での指導とどれほどの違いがあるのかといった. 疑問も生じてきます。その一方で、従来の大学院で求められている学問水準(もちろんその水準と いうものも多様なのですが)を満たすことをそもそもMOBは想定していないと思います。従来の 大学院が学問として志向してきた一般的・普遍的なものと、現場が志向する局所的・一回性のもの とのあいだを、教職大学院での学び、そしてMOBは志向するべきではないかと思います。さらに 言えば、理論と実践の往還を通じて得られる学び、その集大成としてのMOBが目指すものは、日. 50.
(10) 質的研究の方法論と学びの質を高めるMOB. 常の実践としての「プラクティス」(practice)ではなく、理論にもとづく実践としての「プラクシ ス」(praxis)(遠藤,2007)なのではないかと思います。この理論とは、いわゆる学問的な理論だ けを意味しません。自分自身が抱く素朴理論(あるいは素人理論)を学問上の多様な理論や他者の 素朴理論と対話させる中で再構成された現場に根差した理論です。 またとりとめなく書いてしまいましたが、先生とのやりとりを通じて、教職大学院での学び、. MOBについての自分の認識を省察することができております。こうした対話こそが、MOB作成 のプロセスにおいて必要不可欠なものだと改めて思います。 それではお返事お待ちしております。 (2011年10月24日 川島大輔). 川島先生. 返信ありがとうございました。. 教職大学院の目指すもの、MOBの使命が整理できました。整理されつつも、さらに自分の問い が刺激されあれこれ考えさせられました。「暗黙裡に想定している実務家教員としての指導方法」. を省察しながら、教職大学院という自分にとって新たなフィールドに戸惑いを感じているのが正直 な今の自分です。. 研究職教員の「自分が新たに何かを発見したと述べるためには、先人たちの膨大な蓄積の上に自 分の研究があることを常に意識し、敬意を払うことがまずもって必要と考えている」という真理を 探究する純粋な姿勢に潔い孤高な生き方すら感じます。 「暗黙裡に想定している指導方法」を少々言語化してみます。マハトマ・ガンジーが『7つの社 会的罪』というものを述べています。その中に「理念なき政治」「人格なき学識」「人間性なき科学」 とあります。「ゆとり」と「学力向上」の揺れ動き、「教師の自主性」が求められる反面にマネジメ ント重視からくるトップダウンの「管理体制の強化」、「個性重視」が追いつけない「家庭を含め児. 童生徒の多様性」、その中で健気に生きている子ども達を守り育てようとして日々学校で苦闘して いるのが教員だと思います。その学校現場の教員を「教員の指導力低下」とくくり指導力向上のた め勉強が必要であると考えているのなら、どこかで問題のすり替えが起きているように思います。 教職大学院で勉強したいという思いを心の内に持ちながらも目の前の子ども達、共に汗している同 僚との距離をとることができず学校現場で苦闘している方が大勢いると思います。火事場で一緒に 消火活動しながら伝えていく心構えや技術があると思います。そう思うのが暗黙裡に想定している 実務家教員の指導方法なのかもしれません。. 院生確保では一言で表せない苦労をしていますが、現在の学校現場と教職大学院にはとらえどこ ろのない深い谷があるように思います。学校にいて「知」に対する抵抗感を感じることもありまし た。研究会やサークル活動は盛んにやっているけれど同僚と連携できない方、社会が求めている「知」 として紋切り型の内容を繰り返す指導者に対し「肉体労働」をしている教員には馴染まないことが ありました。. MOBの話から随分それてしまいましたが、教職大学院の使命は「知」にアレルギーを感じ「学 ぶことから遠くに置かれた」教育現場が「理念なき政治」に翻弄されることなく、子ども達の健や かな成長のために果たす役割を明確にすることだと思います。そのためには、MOBは「宛名」を 意識し、自分の学びがオリジナルかどうかについて、先行研究の吟味や理論的観点の明確化という. 51.
(11) 川島 大輔・竹本 克己. 厳しいプロセスを通過させることが必要になってくるのでしょう。研究職教員によって先行研究の 吟味や理論的観点の明確化という厳しいプロセスを通過させ、実務家教員によって「なぜこの学び が自分の研究物語になるのか」と学校に戻る教師としての自分とのかかわりを問い続けていくこと. によって、一人一人の院生が育っていくのだと思います。教職大学院で理論に基づいたpraxisを 身につけた院生が学校現場で実践することにより、学校現場の日常繰り返されているpracticeの質 が高まっていくのでしょう。 前にも触れましたが、日常繰り返されているpracticeを未経験な方もいる院生の多様性、そして. 私を含め教員の多様性を考えると、暗黙裏のそれぞれの学びに対するとらえ方を互いが開示し合い、 この2年間でどんな方法で何のために学ぶのかをしっかり確認できるための講義なりガイダンスの 内容を検討して具体化する必要を感じています。それとも、時間と共に醸成されていくものなので しょうか。. 院生以上に、教職大学院に馴染むことに時間がかかっている自分に気づかされ、また研究者の真 理に対する謙遜な姿勢に限りない魅力を感じました。何気なく始めた往復書簡ですが多くのことを 考えさせてくださる川島先生に心から感謝しています。 (2011年10月26日 竹本克己). 竹本先生. お返事ありがとうございました。私も当初は戸惑いと不安の連続でした。ただ竹本先生と協働し て授業や実習を進めてこられたこと、また教育や研究などの様々な話題についてお話できたことに よって、その戸惑いと不安はずいぶんと解消されてきました。改めて感謝申し上げます。 この往復書簡を進めながら、教育の分野にはこれまで周辺的にしか関わっておらず、また教職大 学院に在籍してからまだ半年ほどしかたっていない私が、教職大学院の学びやMOBについてあれ これいうことへの恥ずかしさと申し訳なさを感じています。しかし門外漢だからこそ見えるもの、 書けることがあると自分に言い聞かせて筆を進めています。数年後に同じ試みを行ったならば、お そらく語る内容は異なっていると思います。教職大学院に来て、少しずつ. 「教育用語」というもの. を理解してきました(これも一つのフィールドワークといえると思います)。新たな言葉を知るこ とは、新しい意味世界に触れることだと思います。そうするうちに少しずつ、教職大学院あるいは 学校教育の領域に入っていき、10数年後には内部の人間としてのポジションをとるようになるかも しれません。教職大学院の学びにおいても、院生が新しい言葉に触れ、そこから新しい世界の意味 を知ることで、それまでとは異なった認識をもつようになると思います。 研究者の立場に対して「真理を探究する純粋な姿勢に潔い孤高な生き方」とお書きになられまし. たが、同様のことは実践に対する院生の姿勢にも求められるものなのではないかと思います。つま り一人の教師が行う実践は、純粋に一個人の経験にだけ還元できません。それまで受けてきた先輩 や管理職からの指導、同僚との学びあい、子ども達との交流を経て、実践の根拠が構築されてきて いるはずです。目指している教師像や、模範としている先生の振る舞いを、知らず知らずのうちに 自分のものとして語り、子どもに向かい合っているのだろうと思います。したがって本来、自分の. 実践を省察することの意味は、そうした自分の足元を顧みることなのだろうと思うのです。 それではそうしたことはどのようにして可能となるのか。一つには、上述したような、それまで. の日常では出会わなかった言葉に触れることだと思います。そのためには、他者とのコミュニケー. 52.
(12) 質的研究の方法論と学びの質を高めるMOB. ションが不可欠です。もう一つは、記述することによって経験を形作ることだと思います。やや遠. 回しな言い方になってしまいますが、暗黙裡の経験は、記述によってはじめて「経験」として言語 化され、意味づけられると考えます。つまり他者のために記述するという行為が、自分の実践を規 定することになるのだと思います。このように考えますと、日々の(講義後の)振り返りがそのよ うな役割を潜在的には担っているといえるでしょうか。. また教育の実践を記述によって定義すること、そしてその実践を広く他者に伝えることが教職大 学院の一つの使命であり、MOBはその手段として考えられるように思います。より良い実践を伝 える手段としてこれまでも現場で行われてきたのが、公開授業など(実際にその授業をみて、授業 者と意見交換をする行為)を通じて、そこから体験的に学ぶという方法かと思います。ベテラン教 師や先輩の授業を見て学ぶこともこれと同様で、いわゆる実践知や技能の継承という側面があると 思います。もちろん広く紙面で公開された実践記録や、ホームページ上にある授業ツールなどは、. 実践の向上に広く利用されてきたと思いますが、そこでは特定の手段や方法が、元の作者の意図や 文脈から全く切り離されて、安易に使い回しをされてしまうことがありました。MOBが目指す記 述は、現場の状況と実践を生き生きと伝えるものでなければならないと思います。一方で、実践し. たことを記録して報告するだけでは、単なる見聞録になってしまいます。様々な学範がこれまで検 討してきた方法論という道具を用いて、実践を作品というかたちに再構成しなければならないと思 います。 ところで「火事場で一緒に消火活動しながら伝えていく心構えや技術」との竹本先生の表現に、. 現場と協働していくという教職大学院のあるべき姿を垣間見ました。離れたところからあれこれ言 うのではなく、一緒に煤に塗れながら実践知を伝えていくことの重要性は再度認識すべきことと思 います。ただそれと同時に、院生と教員間、あるいは院生の間でも、何が「火事場」なのかという. 認識の違いがここでも問題になってくるように思います。現職教員とストレートマスターの院生で は何が火事場なのか、捉える視点は異なるでしょう。「ここが火事場だ。」と教え、「消火活動はこ うするのだ。」と指導するのではなく、まずは院生自身の火事場の捉え方、消火活動の仕方をじっ くり聴くことが大切であると思いました。言い換えれば、問いを立て、学ぶ主体はあくまで院生自. 身であるということです。そしてその間いが「なぜ」重要なのかについて、院生自らが答えを出せ るように、支え、批判し、見守ることがMOBの指導においても必要なのではないかと思います。. こうして往復書簡を書き進めてみることで、ようやくMOBの作成にあたっての実務家教員と研 究者教員の関わりの違いが、私の中で腑に落ちてきたように思います。つまり実務家教員は、目指. すべき教師像や指導観を自ら省察し、院生と同じ地平に立って物事を見つめつつも、どちらかとい えば、教育現場での経験から院生を導く役割を担うのかもしれません。そのため時には院生の認識 の甘さや、誤った捉え方を正すこともあるでしょう。一方の研究者教員の役割は、学問的な知見や 理論を手に、その学びの道筋に寄り添うことではないかと思うのです。教育現場での経験がない、 あるいは少ない研究者教員としては(少なくとも私は)目指すべき教師像というものを十分に措く. ことができません。そのため院生の問いと実務家教員の導きを信じて、方法論という道具を携えな がら、ともに歩いていくほかないと思うのです。もちろんその過程において、自らの研究経験や理. 論的観点から、新しいものの見方を呈示し、院生の認識をずらしてみることも必要になるかもしれ ません。. 質的研究の方法論に引き付けてみれば、教員があるべき教育の姿を説いたり、理論的観点を呈示 することは院生に見習いとしてのポジショニングを求める「ならう関係」(石井,2007)といえる. 53.
(13) 川島 大輔・竹本 克己. かと思います。この場合、教員と院生の立場は非対等です。他方で、一つの課題に対して院生と教 員が一緒に取り組んでいくことは「並ぶ関係」(やまだ,1987)といえるでしょうか。ここでは両. 者はともに同じものを見つめるという意味で立場は対等です。実務家教員が前者、研究者教員が後 者に当てはまるというより、教員の指導観や、教員と院生の年齢差、人柄、相性といった要因によっ て2つの関わり方の比重が変わってくると思います。『「知」にアレルギーを感じ「学ぶことから遠 くに置かれた」』状況になってしまった背景には、これまでの学問が現場の文脈を共有しようとす. ることなく、一方向的に「正しい」実践や「あるべき」教育の姿を呈示しようとしてきたからなの かもしれません。このような関係性は「ならう関係」でも「並ぶ関係」でもなく「対する関係」と いえるでしょうか。教職大学院での学びとMOBの使命を、院生の現場に寄り添った(「ならう関係」 「並ぶ関係」での)指導を通じて体現できれば、現在の学校現場と教職大学院の深い谷も架橋でき. るのではないか、そういう希望を抱いております。 (2011年10月27日 川島大輔). 川島先生. 返信ありがとうございました。 川島先生の文章を読み終わった後にふとこんな思いが湧いてきました。 「私もMOBを作ってみようかな。」 我に返って苦笑してしまいましたが、川島先生の文章のどこが「私もMOBを作ってみようかな。」 という思いにさせたのか、振り返ってみました。 「つまり一人の教師が行う実践は、純粋に一個人の経験にだけ還元できません。」 今まで出会った子どもたちの顔や同僚の顔が浮かんできました。 「また教育の実践を記述によって定義すること、そしてその実践を広く他者に伝えることが教職 大学院の一つの使命であり、MOBはその手段として考えられるように思います。」. 「っまり実務家教員は、目指すべき教師像や指導観を自ら省察し、院生と同じ地平に立って物事 を見つめつつも、どちらかといえば、教育現場での経験から院生を導く役割を担うのかもしれませ. ん。そのため時には院生の認識の甘さや、誤った捉え方を正すこともあるでしょう。」 「そのため院生の問いと実務家教員の導きを信じて、方法論という道具を携えながら、ともに歩 いていくほかないと思うのです。」 「教職大学院での学びとMOBの使命を、院生の現場に寄り添った(「ならう関係」「並ぶ関係」 での)指導を通じて体現できれば、現在の学校現場と教職大学院の深い谷も架橋できるのではない か、そういう希望を抱いております。」. 記述することなく、断片的に過去をおしゃべりしているなら退職校長の身勝手な自慢話で終わっ てしまうでしょう。伝える他者を想定しなければ批判も生じないでしょうが、自分の認識の甘さ、. 誤ったとらえ方にも気づかぬままに歳を重ねていくことになると思います。方法論という道具を携 えながらともに歩いてくれる川島先生というパートナーもいます。往復書簡の発展として私自身の 「MOBを作ってみようかな。」という思いになったのだと思います。 「並ぶ関係」の具現化であり、結果的に院生が「ならう関係」として何かをならってくれればこ れも指導の一つの在り方かなと考えます。. 54.
(14) 質的研究の方法論と学びの質を高めるMOB. 新採の時、小学5年の担任として林間学校に行き子どもたちと一緒に枕投げをしていて学年主任 の先生に叱られ子どもたちと一緒に並んで正座させられたことがありました。. 中学の教員の時、剣道部の顧問をして毎日子どもたちと稽古をして子どもたちの声援を受けて二 段までとったこともありました。. 私は「対する関係」よりも「ならぶ関係」が生来好きなようです。川島先生との往復書簡のおか げで教職大学院での実務家教員としての希望が見いだせたような気がします。 (2011年10月28日 竹本克己). 総括的考察. 1.まとめ. 本研究を通じて明らかになった、質的研究の方法論から照射されるMOBの位置づけは、大きく以 下のようにまとめられる。まずMOBにはプロセスと成果という2つの側面があり、MOB作成のプ ロセスにおいて新しい意味に触れ、これまでの実践を省察し、理論に基づく実践(praxis)を展開で. きるような力を身につけることが必要である。またその中で他者とのコミュニケーションを通じて、 自らの問いを鍛えていくことが重要である。他方、成果としてのMOBは一つの作品であり、その表 現の方法は本来多様である。作成に当たっては誰に向けてのものなのか(宛名)を検討することが重. 要であり、また作成における記述という行為そのものが自己省察につながる。 指導上の課題に関しては、上記のようなMOBの作成あるいはMOBを通じた学びを体現するため には、教員間の対話、具体的研究方法の指導、院生へのガイダンス、講義や指導と体制の再吟味が必 要であることが明らかになった。. 2.書簡形式論文の可能性 往復書簡という記述様式は、近年質的研究の分野において着目されているものである(伊藤・矢守,. 2009;矢守,2009)。書簡体という形式で学術的な書籍を執筆することはすでに18世紀において認め られるが(矢守,2009)、とくに研究論文として往復書簡という形式を用いることは、複数の書き手. がそれぞれに立脚する複数の意味のシステムを可視化する点、そして対話全体を傭腋する超越的な視 点をあえて想定しないことによって書き手の対話への内在を強調する点が有効性として挙げられる (伊藤・失守,2009)。書き手本人でさえ予想していなかった展開をたどるという、対話全体を傭撤 する超越的視点の欠落がかえって、読み手を知らず知らずのうちに対話の共同生成プロセスに誘う(伊 藤・矢守,2009)。そしてそこから対話の渦が生成され、書き手でさえ予想していなかった新たな対 話が生まれていくのである。その実、本研究は往復書簡による先行研究(伊藤・矢守,2009;やまだ・ 南,2001)の対話に誘われた、新たな対話なのである。. 本研究で提示された往復書簡のやりとりを見ると、対話プロセスを通じてそれぞれの書き手の位置 取りや意味づけが微妙に変化していったことが読み取れる。これは研究者という存在が安定的で一貫 した存在ではなく、むしろ対話の中で積極的に変化し、また即興的に意味を構築する主体として位置 づけられることを示している。通常、実証主義的な研究では、明確に問題と仮説が設定してあり、そ. れにしたがって適切な方法が取られた結果として論文が作成される。しかし現場から問いを立ち上げ ていく質的研究や実践研究においては、実際にそのような過程をたどることは稀である。むしろ最終. 55.
(15) 川島 大輔・竹本 克己. 的に学術論文等において展開される論の構成は、筋の通るストーリーとして再構成されたものなので ある。往復書簡という論文形式は、従来の学術論文の形式に対するある種の「表現の目陰」(やまだ・ 南,2001)であるといえる。. まとめると、本研究で対話プロセスをそのまま記述する方法を呈示することの意義は以下の2つで あろう。すなわち第1には、質的研究の方法論とMOBと関係性、そして教職大学院での学びと質的 研究について即興的に構成・再構成される意味づけを、対話を通じて可視化したという点である。そ して第2には多様な読み、対話に開かれているMOBの、一つの記述の実践例を、本研究を通じて呈 示した点である。. 3.今後の課題. 本研究を通じてMOBの位置づけと指導上の課題が確認されたが、これはある質的研究者とある実 務家教員との対話を通じて得られたものである。換言すれば、質的研究の様々な領域の立場や、学校. 教育現場の声を代表するものではない。とくに既述のとおり質的研究にも様々な立場や認識論がある ため、本研究で提示された質的研究の位置づけもまた一つのものの見方に他ならない。しかしこのこ とは本研究の限界であると同時に、質的研究の特徴そのものである。. また本研究を通じて提示された指導上の課題については、引き続き議論を継続していくことが必要 であろう。本研究が、教職大学院におけるよりよい学びに向けた次の対話につながることを期待する。 引用文献 パフテン,M.M.(1988).ことば対話テキスト(ミハエル・パフテン著作集8)(新谷敬三郎・伊東一郎・佐々木寛, 訳)新時代社. Denzin,N.K.,&Lincoln,L.Ⅴ.(2000).Introduction:Thedisciplineandpracticeofqualitativeresearch.InN.K.De nzin,&L.Ⅴ.Lincoln(Eds.),Lhndbookqfqualitativeresearch.Vol.2.Strategiesqfqualitativeinquiry.2nded. ThousandOaks:Sage.pp.1−28.(デンジン,N.K.リンカン,Y.S.(2006).質的研究の学問と実践 N.K.デンジン, Y.S.リンカン(編)平山満義(監訳)藤原 顕(編訳)質的研究ハンドブック2巻 質的研究の設計と戦略 北大 路書房 pp.1−28.) 遠藤利彦(2007).イントロダクションー「質的研究という思考法」に親しもう 秋出喜代美・能智正博(監修) 遠藤利彦・坂上裕子(編)はじめての質的研究法一事例から学ぶ(生涯発達編)東京図書出版 pp.1−43. フリック,tJ.(2002).質的研究入門−〈人間の科学〉のための方法論(小田博志・山本則子・春日 常・宮地尚子, 訳)春秋社. 福井雅英(2011).教師の生涯成長と教職大学院一北海道教育大学教職大学院の現状と課題を踏まえて一北海 道教育大学大学院高度教職実践専攻研究紀要,1,1−12.. HoIstein,J.A.,&Gubrium,J.F.(1995).Theactiveinterview.ThousandOaks:Sage.(ホルスタイン,J.A.,&グブ ウム,J.F.山田富秋・兼子 一・倉石一郎・矢原隆行(訳)(2004).アクティヴ・インタビューー しての社会調査 せりか書房). 本間謙二・福井雅英・森 省造・榊 良康・赤田裕喜彦(2011).北海道教育大学教職大学院のこれからの展望と 可能性 北海道教育大学大学院高度教職実践専攻研究紀要,1,13−32.. 石井宏典(2007).参与観察とインタビュー やまだようこ(編)質的心理学の方法一語りをきく 新曜社 pp.72−85.. 伊藤曹司・央守克也(2009).「インターローカリテイ」をめぐる往復書簡 質的心理学研究,8,43−63. 央守克也(2009).「書簡体論文」の可能性と課題 質的心理学研究,8,64−74. やまだようこ(1987).ことばの前のことば−ことばが生まれるすじみち1 新曜社. 56. 相互行為と.
(16) 質的研究の方法論と学びの質を高めるMOB. やまだようこ・南 博文(2001).あとがきに代えて−「21世紀と表現− フィールド. 往復書簡の試みから. やまだ. ようこ・サトウタツヤ・南 博文(編)カタログ現場心理学一表現の冒険 金子書房pp.195−202.. 57.
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