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はじめに
倉敷を代表する美観地区周辺は, 吉備の穴海(児島湖と児島湾の原型) と呼ばれた内海に浮かぶ鶴形山と向 山によって形成された鶴形島(円亀 島,阿智島)を起源と考えられてい ます.平安時代初め頃には既に陸続 きになり,周辺は阿智潟と呼ばれる 干潟であったと言われています.倉 敷の名前が登場するのは近世になっ てからです.江戸時代になって天領 となり,倉敷川周辺が物資の集散地 として栄えました.1988年に大原孫 三郎が倉敷紡績を設立,その後戦後 の新産業都市指定で水島工業地帯の 指定を受け,西日本では大阪に次ぐ 鉱工業生産高を誇って栄えてきた町 です. しかし,最近ではチボリ公園の閉 鎖や,相次ぐ大型ショッピングモー ルの出店で,特に旧倉敷の中心市街 地は他の地方都市と同様にいわゆる “シャッター通り”と化そうとして います.そこで,旧倉敷を医療と福 祉を中心に据えた“コンパクトシテ ィー構想”というプロジェクトを立 ち上げ,何とか町の復興を図ってい ます.病院の沿革
当院は1955年12月2日,初代院長 松田和雄が現在の位置で,外科松田 病院を21床,職員23名とともに開業 しました.当時は戦後の高度経済成 長の始まりの時期で,交通事故,労 災事故が多発していました.救急医 療の病院として1961年に整形外科, 1963年に脳神経外科を併設し,増床 を繰り返し,1973年に165床となりま した.その後既存建物設備が老朽化 したため1986年現在地に新築移転 し,さらに2010年に全面リニューア ルを行いました.この間,泌尿器科, 麻酔科,内科の新設を行いました. また保険制度の改定などに伴い2004 年から全面電子カルテ化を行ってお ります.病院の概要
2009 年 よ り DPC で の 運 用 を 行 い,医療の効率化に伴い2010年より 急性期97床,療養38床の135床を全職 員236名で運営しています. 診療科目は外科,整形外科,泌尿 器,麻酔科,呼吸器内科,脳神経外 科,放射線科となっており,常勤医 は外科6名,整形外科2名,泌尿器 科2名,麻酔科1名の11名,その他 14名の非常勤医で診療にあたってお り,いずれも経験豊富なメンバーで 診療しており,小病院ではあります が日本外科学会,日本消化器外科学 会,日本泌尿器科学会の専門医修練 施設,日本麻酔科学会麻酔科認定病 院,肝胆膵外科学会高度技能医修練 施設Aを取得しています.また看護 師は105名,介護職25名で7:1の看 護基準を取得しておりこのスタッフ で年間1,000件前後の手術を行って います.病院の基本的理念
医療には“手当”という言葉があ るように,患者さんに手を当て共に 病の原因を追究し,治療しようとい う信念のもとに,家庭的な環境のも とに高度で良質な医療を提供するこ とを理念として診療にあたっていま す.患者さんと医療スタッフが,あ る意味,町のかかりつけ医のように, お互いに顔が見える関係でありたい と考えています.病院の今までとこれから
岡山県南西部は,全国的にみても 稀な医療過密地帯だといえます.例 えば,倉敷市程度の人口48万人の地 方都市に,1,000床以上の倉敷中央病 院と川崎医科大学附属病院があり, 200床前後の中規模病院も多数あり ます.この中で中小病院が生き延び ていくのは並大抵のことではありま せん.現実に市内でも小規模病院が 閉院したり,診療所に規模縮小を余天和会
松田病院
………松田 忠和
岡山医学会雑誌 第123巻 August 2011, pp. 159ン160病
院
紹
介
160 儀なくされています. このような環境の中で,当院が曲 がりなりにも経営を維持できたの は,岡山大学医学部の関連教室の並 々ならぬご支援が頂けたことはもち ろんのこと,当院が手術,特に肝胆 膵領域の疾患の手術(2009年度実績 で中国地方6位の症例数)にある程 度特化して運営してきたことが,地 域のニーズと合致し一定の評価をい ただいたからだと考えています. しかし,これからさらに地域医療 の集約化,効率化が求められ地域の ニーズも大きく変化するであろうこ とを考えるとき,当院のような病院 の立ち位置をどこに求めるべきか難 しい選択を迫られていますが,医療 と福祉の充実した住みやすい町倉敷 の一翼を担えるよう努力したいと考 えています.