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われらなにをなすべきか : 現代と対決するものとして問題學的に考える

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われらなにをなすべきか

現代と対決するものとして問題準的に考える

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1

こん在題をか L げ る と 、 と も す る と 、 い か に も 、 。るあん

E

ん と か 、 どろなはといはれょうかもしれ在い。た しかに自 ら も恥しさを感ぜぎるを得ない 。 し か し 、 。るあんどんも盲目よりはましだらうし、 ど ろ な は と 云 は れ て も、法然自失よりはまだ好からうから、 あえてこの題を掲する。 さてそれに対する答も恐らく、誰しも答へ得ょう、 一式く﹁立正安国﹂と. た し か に 一 マ 一 口 曜としては正しい ・ 然しそういふととばをきく売けでも 、 今日といふ今日では、 いはゆる去暦・昨食と ひどかうかと想はれる. で は 在 ぜ 、 そ う 川 目 立 く だ ら う か と 、 いふことをこ L にあらためて検討したい 0 ・ : ; ・ が 、 そんなととを検討ナるとい ふ と と ら 、 そこに え もやわれら自身の 恥 辱 を 名 乗 り 、 さらに自ら租土に於いて、 あばき扶られる想びのするととも否 ( 29 )

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み得・疋い。さり乍ら避けそ K さ同鷺い諦念を以て、 あえて為さうとも九恐 h rr く議事 K は 笑 は れ 、 世人には余りにのん きなと叱られもしよう口あるひはとれらの事情なればこそ今日、 こ LK 盲点をなして、 さして一般の問題とも在。て モとにこそ重大な致命的な問 題があるのではなからうか司つまり、当然過ぎるととを問題とナることも問題充が、その問題とせねばならないとい ふ 事 態 は 在 ほ 一 層 ふ か い 問 題 で あ る 。 さ ら に そ の 当 然 必 然 の 問 題 が 問 題 と な っ て ゐ な い と い ふ こ と と そ ゐないのだらう。いや、始めからそん在ことは問題にはならなか づ たといはれる在ら、 い な / \ 、 何よりも 重大友問題なのである。 今 と L にこの題を出 し た からとて、私自らそれに 答へ得 るとか、或はそういふ題を出ナ 資格 があると自信ずる ワケでもない。たと仏、多少の私見無きにしもあらや J としても、今更作文じみたものでこの貴 重の紙をけ がずに及ば ( 30 ) ねとと、普につけ悪につけ、混沌の世の反古に埋れゆく戯れとしても、誠実に問題ととりくまうとナる意図と事 実 と そは、た Y 悌祖におまかせしようとナる。士、た問 題のつ か み 方 、 出し方、扱び方などの究明過程とそは天来の名論卓 説よりも、凡自のわれらにはもっと大切なことである c 純粋宗学は生きた問題身、そしてその重要性に必歩か L はら ねばならぬ 心 その問題化、即ち問題構成の手績を己、並にモの提出の仕方等は、悉く解決への方法につながるからであ る

四 さきに出された聞と答とは、宗徒の常識として全く具、論の友い言葉であるが実は今日の切実な生きた問題とし て提出したらどうか? 今とそ出さねば永久に出ナ時はない口 と思はれるのに、われらの耳目にあまりふれないとい ム事態はそも、何であらうか。われらが正念を失うてゐるか、 少くとも宗祖の主休性を亡失してゐるととは疑仏友い

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であらう c さらに、本気で立正安国を絶叫してみたとせば、現代感覚には、 ひるあんどんとひ Y くであらう U ではな ぜか。それは世界はもう、 とっくに夜は明け、 日は高く昇ってゐるのに、 ほのかな独善的自灯明的に解釈してゐる提 来だからであらう。世界的ぞヤングや、巨大な妖怪が横行してゐるのに対して、 これからなは友びにか L らうとナる のである。戦前はともかく、敗、戦後、立正安固といふ言葉は反動が封権的か、 ともナると危険思想にさへひどかうと 思はれる。さう思はれるといふ感覚こそ、 ﹁われらなにをなナべきか? 現代感覚のせいである。私はこの現代感覚の立場から、 一 式 く 、 立 正 安 国 u ﹂といふ命題をごく卒直につきつめてみる口 五 芳一にこの四字は目標と方法とをふくめて決して誤ってゐないと信守る 。示こに こ れ らにつ い て の論証や解明 などは今しばらく敬 遠 してをき、芳三に 時代の問題 として、即ち現代性から究めたい U さ き に 、 ﹁ ひ る あ ん ど ん 、 ど ( 31 ) ろなは、去 暦 、昨 会などのひ げ ふ き を 感 歩 る 現 代 性 ﹂ と 云 っ た が 、 それがたい込私一例の思ひすごしであれば幸である c 或は叉事によると、岡山ひナごしではないといへる・ならば、 より以上の不幸かもしれぬ。それが現代感覚のにぷさだと ナると、現代に対決ナるについての大きな失格となるから。現代人としての与件が充分でないと、 いかにそれが正当 であっても、現代的要件に 誠実にとりくみ得ないからむ生き た時代社 会を 知 ら ぬ と き 、 ナべての言葉さへ実のない影 のやうなものになる口その 影 よ り淡い風のやうなものが、 人心を 貫き天下の動乱を惹き起さう。恐る べ きは風潮であ り フンイキである.卑俗友迷信的存在の幽 霊 ナらも、存否はともかくとして、 いかに大きな人生的宿命を決ナる ζ とか? 妄想もをろそかにできぬ。 .~』.

妄想的現代感覚ば ’ どうあらうとかまはねといへばいへょう。それでは却てドンキホIJーにも笑はれようっ 吋, て

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とで今そむ理由を考 へ る . い ろ ︵ 、 あちぅ。最も重要志のは敗戦自失む混乱は且く別として、現代性そのもむ

K

根 ざした感覚であらう。 そんなら現代とはいかなる時代か。租は今、 その特性について数項をあげる.

A

科学

B

技術

C

機棋

D

人 間 E 社会 ︵ 国 家 ︶ F 世 界 .

ABC

は相互に閃果柑資の関係をもって、高度の現代文化を産み出した。それは世界史上 を よ び 、 ルネッサンスの

D

︿ 人 間 ︶ の発見と L もに、モれに本づく自由在努力の結果である。ひいては産業革命フランス革命 さらに経済的巨大友休制の 侵略搾取 、または政治的帝国主義の横行、民 主主義 の繁栄をもたらした。とれら の聞に階級的相互マサツの中に匪胎して急激に人間平等の福祉権を組織的団結と斗争とを以て奪回しようとナる社会 主義共産主義は、文化的荒野に新党友資源と領土とに恵まれて特異な第展をみたのが即ち

AS

両体制的本陣である。 さ き の

ABC

項の急速な進展は資本主義貿易主義と L も に 、 あらゆる人聞を社会的キカイに組織して強固な近代 ( 32 ) ハ

D

E

F

﹀ 国家を完成せしめた︵

E

︶。それと L も に 、 キカイ文化の高度化は全地球を、昔の町村的社会にまで縮めてしまった 戸

F

︶。はては音もきこえぬ閃光と L もに人類を破滅せしめるといふ恐怖を以て厳かに君臨せしめてゐる。而もやう ゃくに目ざめ来った個人意識は、硬い穀を被ったサどヱが火の上にのってゐる自分を見出して驚くやうに、社会に国 家に階級に堅固に繋がれ、世界的規模の

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大な機械の歯車

K

きしられて坤吟しつ L 、 一触減尽の火に投げ込まれよう とナる運命を覚るに至った。われ/\誰でもが階級組合的鉄則、社会制度、国家的法律等に縛られ、複雑怪奇な世界 休制の国家群の厳しい法律指令スパイに操られ、刻々と廿五時へと突進してゐるやうである口

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七 近代国家は キ カ イ 的法制の網をはり、佃人を民主自由の目前の餌にばかしづ L 、 之を句容し純織して 、 強大権 力と芳 三 の火を誇り 横 行してゐる。自由 主義 の旗をか L げた 資本的侵略の吸 血戦 線の先進国群 に対し後 進国は をくれ ばぜ乍ら競争城、戦の手袋を投げたのが前の二六戦である。 之 を通して末開 民族 地域への 脅喝包摂 と が S 陣の発群、衛 星国群 、 中 北 ハの成立、独鮮印の 分 裂を来した。之にあはて L 、 A が旗を ふ り、現状 維持 に や っ きと在ってゐ る 心 ア ジ ヤ の 来開 地 域 は 、 その聞にはさまれて右せんか左せんか 、 和戦興 亡 の岐路忙停迷 し て ゐ る 口 往 年の後進 三国 は 統 一 、 自主を目ざしてもがいてゐる。 八 い ふ ま で も 在 く 、 日本はアクヤの防時間理的群島として同族、照史、 文 ル 刊的に結びつけられてきたのに 、 はるか L なたの国の占 領下に数年、憲法 、 政治、社会、教育、科学等ナベて強度の

M

S

A

的制肘と 影響 と をうけてゐる現 実 ( 33) は、そ の 是 非はともかく、たしかに認めねばならぬ。 認めね ば な ら ぬ が 、 先決 問 題 は国 家的 主 体性の快復に あ ること は 勿論 、 それに はいかな る 体 制に属ナ ペ き か 、

ASK

限 ら や J、中間芳 三勢力 か或は 叉 別 の 行き方 があるか、何れにし てもその方向づけ態度同 意 は自主的でなくてはならぬ口 今生 々しい問 題となっ てゐる教 育上の偏 向 、 憲法改正 、 再軍 備 、 家族 制度の 諸問題はた Y 政治家に委せをくべきでなく、 わ が 民族と国家との将来の生 存 の運命にぴ Y き、民族国 家二千年の交化、遠くは五千年の東洋文化 、ぞれは 高貴の価 値ある 将 来 性 守 、 人類世 界史のむ し ろ将来に伝 承 光被す ぺき使命にか L はってくる問題だと思ふ。市もモれが、 われ/\ 刻下進退の一ー歩を決断ナペく迫られてゐる c 九 在ほとの世界的構造は︵一︶階 級 ︵ 二 ︶ 国 家 三 一 ︶ 民 族 ︵ 四 ﹀ 体 制の四本柱に克 立 てられよう c ︵ 一 ﹀ は横に︵ 二 ︺ − b 切 断 し て ︵ 四 ︶ に つ な が り 、 ︵ 一 二 ﹀ に対決せんとナる 。

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︹ 二︶は︵ 一 ︶ 会 一 ︶をふくみ形成じて ハ 四︶につながり、危機を 字 んだ関節である , ︵ = 一 ︶ は︵二︶の重要な要誌をなして、 ︵ 一 ︶ ︵四︶を世界的に完成せんとナる先進、後進、未開の角 逐 の 場 匂 ︵ 四 ︶ は ハ 一 ︶ ︵ 二 ︶ の上に完成して、互に他の︵三︾をねらふ斗争主体。 十 さらに現代に生きるわれらの心情状況を卒直にいへば、朝夕民主々義を唱へ、聞かされてゐるが、果して現実 の社会や政治にはいかに行はれてゐるのか.新憲法には恐しく荘重に規定されてゐる人権の尊厳はいかに理解され確 信されてゐるか。自由 平等博愛 はたしかに人類 史 上燦たる錦旗にみえる じ その旗の下に巨大友体制の進展し完成した ととも事実だし、背けもできる、が然しその現状はむしろ繋縛と 差 別 と 憎 悪 と 、 そして不安恐怖は刻々しのびよる口 錦の旗は必や Jしも個人として無限の至福者へ向ふ旗では在かったことを、今 や 骨髄にとた へ て知らされてゐる。たし か忙民族、社会‘国家に生れ、階級に位置 づ けられ広大な 文 化に浴してはゐるものの、かうした 絶対彼減 の宿命上に

c

34 ) 立たされて、如何ともできないのだらうか口市も身近か在言葉や生活や思想を通して自に見えない陰謀や統制に操ら れ、美辞麗伺のモットーにくらまされ、 はげしいスローガ ン にをどかされ、明日のことも考 へ な い剃那的享楽に、 l士 ては犯罪に走らざるを待たい心情には −誰しも無理からぬと同情されようでは在いか、 十 との佃的状況において何を求むべきか r いかに求むべきか c だ が + 八 ‘ 衆が求め得たものは猛毒の阿片的信仰か、 吸血的教団の鎖か、狂煉的政党か。 立正安国はあらためて、 との世界的心情状 況 の究極的限界からも自党的に見直されねばならぬ。自党的に見直され ・ 疋 い で は 、 ひるあんどんと忠はれでも、当人は平然とともってゐると信じ、照らしてゐるつもりでぬる。自党附にみ v a − − b f − ﹀

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るとき、われ/\は、時代、社会 国 家 個人︵機時国﹀の 三 位一体者として悠久 の ・ 史 的 進 展 の系譜をもっ て 、 そ の 上昇段階の頂点に立つ。自由平等博愛の 三 項は心情思想 主義 制度と しても 、 を

E

ろくべき 普及実 現をみて きた やうな ものの、然しとの現実である。高度の進 歩 はまた深度の矛盾と危機をはらんでゐる。なま/\しい平和といふ 言 葉ナ ら、破滅戦の宣戦布告まではなくとも、謀略的塊乱性を発散してゐる 。 かうした 大衆の深層感情は 、 現 代 の底 しれぬ 不安とし て衷 心 か ら

SOS

を発し、救を求めてゐるロ 即ち機時国の総与件 か ら焦点的 に 求め る も の は 、 救と し て の 問 題 解 決 で あ る . そういふ教である。だから、切実な求 道 的乙の要件に対して、 決 して/\ 一 時 的 安 心 立命や逃 避 的方 法 や 、 麻揮 性の薬であってはならぬ、 病患の根治を求める。問題の解決によ っ てもた ら さ れる 平 和 と そ立正安国 と い ふ.換言せば、現代性の要件は、たピの 平和 と か 安固とか安 心とか 幸福とかではない 。 そんな 一 菅葉 や 説 教 や現証 利 益 にばかされや Jに 願 び た い 口 ﹄ 又そんなものを与へやに、世界的 宇宙的 正 義による 問題の根本 解決 、 自づと結果さ れ る 平 ( 35 ) 和とそ立正安固といふ。之はわれらがなナ. へ きま づ最初の認識 問題ではあ る ま い か 。 十 いはゆる安国は、更めていふまでもなく単 一 日 本 、 島国 日 本 、 それも神話的 民族 的 封建的基礎に立 っ た神 国日本であった。安とは国家至上権に奉仕するといふシンボル 護国的御用 宗 教を以て 光栄とし満足したのである 。 従て事実として立正は失はれてゐた G 教 へ るととなく 、 導 く と と な く 、 正 を 立 つ る こ と の ・ な い と き 、 そ れ は 全 く独 普 的内尊外卑の尊王壌夷とならざるを得友い 口 だから安は 安 でも国を安んや Jるといふ のでは なくして 、 自ら が そ の国の 上に安んや ’るといふ、安住 安逸の意味で、 ほんとに安 易な法 悦にひたってゐ党。 ところが 今 や 、 全 地 球四次元 的 一 休観に立つ問題解決をば、正を立てるといふ乙とによってのみ、日本及び世界の絶対 平利を 実 現 せ ん と す る 、 モムい ふ安国が現代性に要求され世界人類の名によって求められてゐるのであるまいか、

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十 ほんの一例に軍備をとる・島国日本に一億の 生 民をか L へ て ゐ る 。 之を現にいかに守 っ て い く か 。

S

A

か の 属領に 列 してわづかの 生 息は得られるとしても、何かのは づ みで起る 今度の 大戦にはど と の 国 が単 独 に 戦 ひ、自国を 守 h y 如 何 ょ う 。 今はた y 、勢力均衡のか ら くりのうちにい と なめる 平 和 心 密林の嘆かげをもれくる光に 息 づ き 、 あ党 L め ら れ る 恩 恵 、 分 秒とナぎゆく目ざしをたのむが 如 き も の 郎 前 済 も 政治 も外 交 も同 様 で あ る 。 ま し てや思想 、文化 に をいてをや 。 まして世 界 の 革 命を目 ざ し 、 斗争と 破壊 と 混 乱を 企図 す る深刻 友 謀略 、 怪奇在激 戦は 允の速 度 で 空 を倣 うてゐる 。 死 の 茨 よ り も 恐 し く 、 人心を直 接 につき さ し酔はせてゐ る 臼 心 一 念 狂 へ ば 百万の ヂ エ ツ ト 機も原爆 も何ら 国防には 意 味友いものとなる ο 日本のみではない、世界ど と の国でも同 様 。真 の 国 防 は い か に 、 其 の 安国は 如何 口 思 恕国 防 真 の国防とそ正念を健全に立てるととではないか 。真 実 の 安 心 は 絶対正 法 の 休 得 に あ る の で は な い か 。 十 四 平 和問題は世界の現代性的構造の四牲を各伺に 解決す る可能性は あ る 口 民族解放 自主の ための 協定。階級 聞 の 体制聞の猪疑不安の解消の為めの外 交臼国 家間の共 存共栄 的 連 合 会議等。そ れから新しい世界 連 邦 ( 36 ) 搾 取 問 題 の 清 算 。 への歩を進める。世界の個人国家民族をうちおほふ自由 平等 博愛を 基礎づ ける正 義 、公 正 、 真 理、中道などに本づく 正義人道は、新ヒューマニズムとして、治国平天下の世界政策に具体化 さ れねばならね 。 ﹁ 世界は一つ﹂として、唯 一の正理正義に絶大の権威と力とがさ L げられねば友らぬこと。之が世界史的潮流に 冥 々 と 流れてゐる 。 拾に於いて か、立正の深い意味は新たに現代性の要件にこたへるであらう 。 ﹁ 時 を 侠 つべきのみ ﹂ と 何 せ ら れ た 、 そ の 時 の客休 的与件はいよ/\熟し来 A Jた。機時国の三綱の与 。 要件のたひ合はされた序の総合要件に対応ナる立正安闘の絶対与 モ の 末 流に つ らなるわれ ら は、今日厳粛に、現代性 実 証 せ ら れ た 、 その日本、その宗門、 件として、立教し色読し、

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的五綱を問題学的に究明せねばならぬ 。 十五 われらは現にこ

LK

投げ出されてゐる、敗残の国土忙屈辱の視線を 一 ばいあびて 。之を 感じなが ら 、 宗祖 の 御 前にびれ伏して何を思ふのか? しとどにぬれる袖には 玉 ちるそれならで、慨塊機悔の血 一 棋 で あ る 。 そ も/\ 友 ぜ敗 れたのか、友ぜ 挑 戦したか口事の成敗は問ふ所ではないとして、 果 し て そ れ は 義戦 で あ っ た か 、 仮に さ う だ と し て も その聖戦とか正義とはどういふ意味であるか。 また若し流 行 にまかせて 戦犯者 と し て 天皇 制 、 官財軍の諸問 . 資 本 主 議 等 、 そういふ名称的存在売けに責任を嫁してよいのか。そも/\さうした制度だけと仮 定 し て も 、 そ れ を作っ た の は人、運営するも入、国を挙げて、 王匝万民の 全 責任は免れまい。然らばその 全 国の指 導 的本 務 としての 立正安 国唱 噂の当人に責任の中植はかかってくる. これは避けるにさけることはできたい白 乙 の 現事態 の 実 証 を そ の ま L に認 め ( 37 ) 休ナるとととそ、宗祖の門弟に連なり待 ベ き生命たのでは友いか口 十 六 第 二央 大戦開戦の 決 意は雲上の沙汰として、 一 般 麻 民 や方外の円頂の 輩 のあづかり 得 なかった と しても、そう まで国 情 を破局に 必然 化し て いった

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近 くは明治以 降 の 宗徒 の 責 任 は と はれねば友 ら ぬ 。少 く と も教へぎるの罪 、 真 の護国安国 興 国の第 一 義 的 教 導 の 効 果 は 、 ゼロかマイナ ス で あった ことは事実 売 。モこに国権 に 迎合 し 、 時流 に 附 和ナるととはなかったか、乃至あづかり知らぎるの愚さ、傍 観 的 怠 漫 か 、 卑 怯 か c と も あ れ 、 さき十二 に 述 べ たや うに閉鎖した島国的封権的国家観念を啓蒙し、 反省せしめ 是 正ナることを、をろそかにし て 市も神 話 的 国 休 法門 の 湛 厳まナ/\国民を独善化し、我慢性に泊をそ L いで神がかり的八紘一 宇 の世界政 策 を 妾想せ しめた 。 満州 支那 の 両 耳 変 聯 盟 脱 退 よ り 、 ・ 国際間の 信 用を失仏、敵 意 を 賞 。 、

ABCD

封鎖 一 にあうて、否応在しに 突 入してい った夫戦で あ る

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を思へば自国以外忙外国あり、 それらが如何忙して現在忙至つも仏かといふ謙忠誠 実 な理解のたい無智、遠く将来の動 向を見透ナの智見を欠いての安国論や国家主義は、 全く盲者の暴走に山としい危険である G いくら国の柱と自任して も正智の限目を聞か余しては、他を破り自ら亡ぶの運命はまねがれぬ道理。 はじめの徴かな歪みが漸くに犬きな傾きを来し、ために妄想を起し、従て士た暴挙を企て、小動は犬顛と在り、 てコ いに百八十度の顛倒をみるのはカ学的に似た 真理である。日蓮主義者と してわれらの深省させられる所。 十 七 さて之といふのも、先

YK

と L 数十年来突然に起つ先事情でも友いやう充 E それでは宗祖滅後七百年いかに由 漸し来ったか 口 宗門は何をたしてきたか、安闘をめざし先立正はどういふ意味でどういふ方法であっ党か c とあらた めて考へねば在らぬ。 ハ一﹀祖減ご百年まで門流分張しその発展はナばらしいものがあったやうだ 。 だが果して主体的正義の展開であった ( 38 ) か 、

E

うか?我田引水、群雄割拠的では友かったか、深刻な疑問がある。 ︵二﹀されば乙そ天文法乱は、 それについての厳しい批判的メスの加へらるべき断層を露はにした 。 会一﹀それからをも友く起った安土宗論は、 事 は 小 さ い が 、 との宗にとって内面的に深い屈辱と、 反省の機会とを与 へ た 。 だが内省自覚とはならや Jにむしろ転向転進にみえる。 ハ四︶それは次の秀吉の犬仏供養に端を発した不受不施事件で一宗の大勢は決した。即ち伽 監 仏教即御用仏教化へ、 完全雇傭に安住したのである。爾後二百年、慶長、寛 、 水寛文、天保等の数弐の弾圧叉弾圧の陰惨なる迫害のかげには いふに忍び在い内部抗争は.そも何を物語る吃らうか。そはともあれ、 九十何パーセントの大勢は伽監と葬祭と格式

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と依凡のうちに酔生 夢 死 した口政治権力と斗争し、 正 法信受か否かの 二者 揮一的た L か ひ は 、 全く根絶するに至った 手をかへ口聞をかへた天廃の去勢手術は完全忙効を奏して明治維新を迎へる。 ︵ 五 ︶ 信 教 自 由 ・ 四 民平等の聖陛と謡歌して も 、 否謡歌すればとそ、国権迎合の 習 性に拍 車 かけたので ある。明治初 年、不受不施独立運動もモの真精神は萎えて 、 遺蹟保存 、 形式的遺風の相績 に 終ったやうだ 。 ︵六︶まして清露の役を経て国威の宣揚に便乗する国体 論 、 奉 献 本 尊 、 大師号 宣下 等 、 殊に 昭和に入 つての本尊不 敬 の裁判、遺文削除問題、 天 皇 本尊諭等の 一 連の宗門的事 業 や事件は悉く 国権追 従 、阿附 迎合 以外の何も の で あ ら う 。 もとより日本国と法花経と宗祖の事縁深義に至つては凡慮の浅 識 が ︸ 許 さ れぬ所 。 それだけに 、 時国相応 と は 、迎合 ではなく破邪 顕正 的に、時国の休 認 と法門顕発の手綾 とを神厳 に致さねばならぬ じ そうでな いと﹁ 雄讃法花 道 死 法 花 l 39 ) 心﹂となり、悪敬国亡となる 。 天 皇 一 本 尊と 宣伝して、デクノポ 1 化し 。 御国体を論証し て 之 を破滅せしめ売 。国 民は 迷信罪悪中毒の棋倒縦顛の現証は亡国ではないか、 その根因は誘法ではなからうか. ︵七︶結論的にいへば、本仏内証の御事 業 たる神厳雄大なる本門戒壇の 意匠 は、漸 衣 、形 式 的儀礼に解釈されて伽 筆 仏 教 化 へ 、 御用仏教化へ、迷信併教化へと堕落してきたことを省みる U そ の深い悶山は内部的世 省と自覚を欠 い た こ と、外部的団結を欠いたこと ο ﹁ 内 有 智慧 弟子覚悌法深 義、外有清浄檀越俳法久住﹂に確かに反逆 し たとと d 十 八 今日、われらのなナ べ きことは、宗祖の真精神の把握と 主 体化。世界危機的限界状況に照し合 せ て 、 とれまで 七百年間の大機悔。 いはゆる五綱は宗祖をして宗祖先らしめたやうに七百 年 の週期を廻転して、世 界的 、世 界史 的 。 新たな世界政策を樹てること c

(12)

モの方途はまづ現代の世界及び日本の客休的与件をしぼって、 立正︿と 向はしめる やうに誘導し要件化する と と わ 但し巧み在操作では友く、むしろ正攻法で、誠実に健 全 に啓蒙奇成 十 ること。かくて万事を描っ て 、 日 蓮に板 伏渇仰 し聴かざるを得ないやうな 真剣在世界状況に導いて、問題解決的条件と基探を調へる o 即ち客休的要件化 CH74 二 は と の客休的要件に応じ得る主体的与件化である。世界人類への絶対的 福音と しての立正を行やること c 前者は世 界史的生熟を立正へと教導ナる ﹁ 王法冥悌法﹂に 当る。俗世の 要 求が伸 法の正 義 を 冥 々 の う ちに感歩るや うなる教化、教育に出ること、布教教化の精神基礎組織は広大深 遠で在くて は な ら ぬ ι いく時間の悦惚的フンヰキに 終止する布教をば、 日々の牛 一 活 に は た ら き 、 一 生の行阪の脊骨となり、子々孫々の家憲家風となし、近隣社会国家世 界にと横にも広く遍やる新生命運動として展開されていく。現証利益も道徳も社会事業も蘇り 、 一国乃至世界政治へ は在らぬ 。実現された正証は勿論のこと、 反証の事 実は正 当に弁明されねばならぬ。 ( 40 ) の指導的叡知を放っていく。かうした世界経倫は 責 任をもっ。その限り、少くも将来百 年 千年の歴史で 実証 し友くて 後者は世界的現実要件に応じて与へるもの、 ﹁ 働 法 合王法﹂に当る。産業も政治も文化も混然たる絶対正 義 叡知に 照らされ、常寂光土化ナる、 その正を立つるとと 。委 細は時代々々の 宗徒︵ 信者行 者学者 v 等の自ら体 得 し、休系 づ けられていく。そとに純真の信行学の徹底精進を矧ナ。 と の 容体 的要件、主体的与件の感と応、需給の 関係とそ立正安国の本質構造に生きて来なければならない 。 十 九 人心是 危 道 心 日 徴 。 心しても心ナ べ きは道心である。求道の情熱である Q 最勝の 智眼 ︵ 悌 智 ︶友くしては、柱 もデグの棒化し、船もグヌキの泥舟の 運命を 士ぬがれぬ 。 かくては三 犬誓願も誇大妄想狂的舞叱と在る .常 寵光の三 , て ・ ら t e e − p t a z t a

(13)

字 は 、 一挙に人類を地餓畜の三道忙逐ひやるところの入寂死誠の光ハ原水爆︶を象徴ナることとなる。

o

以上究明し来れば本門戒 壇 は、たんなる国家的儀礼や制度では友い。世界人類真の霊性的至福の根元として世 界的要望に応へんとナるもの。 ﹁世界史的在而も世界的在問題を解決する場、﹂といふ規模である o 神活的伝統的神 がかり的 靖怨で沙汰さるべきでな く 、 またセクト的教団の匂ふやうな施設で、断じであってはならないのである。 ム ﹂ ﹂与に問題学的と h ふのは、たピ一つの問題でも、 可能なあらゆる方面から観察し、 分訴し検討し打診し相互に衝撃せしめつ −h 、 水質問題を展開して解決に導く ものとす る 。 論述を従って初中後相互に対照相関するものと思ふ、 そ う 考 へ 乍 ら 、 一種の試案 だけに不充分の点は多々あらう。大方の教一訴を乞ふ。 ( 41 )

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