書評
安田 裕子 ・ サトウ タツヤ 編 20120830
『TEMでわかる人生の径路――質的研究の新展開』,誠信書房,250p.
中川善典(高知工科大学マネジメント学部准教授)
ライフ・ヒストリー/ストーリーに関心を持つ研究者が多い割には、その分析枠組みと 呼べるものは、意外に少なかったと思われる。文化人類学の分野で Mandelbaum (1973) が発表した "The study of life history: Gandhi"に示された枠組みは、その重要な例外であ ろう。そのような中で、日本にこのような研究の流れがあったことを本書を通じて初めて 知り、大変感銘を受けた。
人生は無限の自由度を持つ捉えどころのないものだが、それを分岐点と等至点という切 り口で捉えることで、複数の人生を比較可能なものとし、各人の人生をより深く捉えるこ とを可能にするのが、TEMという手法であると理解した。私自身もこれを活用させて頂 きたいと思う。また、仮に「TEMを使った」と宣言せずとも、TEMの考え方を頭の片 隅に置いて研究対象者の人生を把握しようとすることにも、大きな意味があると感じた。 これは、私が以前コービンとストラウスの『質的研究の基礎―グラウンデッド・セオリー 開発の技法と手順』を読んだ直後に感じたことと似ている。
それから、本書は手法を様々な研究者が事例に適用した結果を紹介するだけでなく、そ の研究者がどのようなところで苦労したかを述べた「Making ofパート」があったのも、大 きな特色である。これによって、TEMも手法の理解が大いに深まった。
その中でも特に、第 2 章1-2の引きこもり親のネットワークの世話人であるK氏を研 究対象とした事例(廣瀬眞理子)は、深い話を含んでおり、読み応えがあった。その分析 を読み進めながら、私ならどんな分析をしていただろうかなどと想像した。例えば、困難 を抱える子供の親のネットワークであるTネットを立ち上げたK氏は、当初「3年経った ら誰かにバトンタッチしようと」考えていたが、その後、孤立する親に出会って自身の使 命を感じ取る。その後、世話人を続けることの重責が徐々にのしかかってくる中で、「本当 に必要なことならばあなたが降りてもまた誰かがやるはず」という言葉に出会う。私はこ のプロセスを、「交換可能な私」⇒「交換不可能な私」⇒「(別な意味で)交換可能な私」 という自己変革として理解した。もしかしたら、この変遷こそが、K氏の事例の最も本質 的な部分だったのではないか。K氏は、女性の大学進学率が5%に満たない時代に大学を 出て、それが自身のアイデンティティにもなったとのことであるが、こうしたK氏の過去 と、上記の自己変革のプロセスとの間には、どのような関係があるのか、それとも無関係 なのか。そのようなことも論じられていたとすれば、分析はさらに奥行きのあるものにな
ったのかもしれない。
なお、このように自己変革のプロセスを捉えることが出来たとすると、なぜこのような 変遷が起こったのか、どのような条件が整うとこのような変遷が起こるか、といった因果 関係を考察したくなるが、それがなかなかできないところに、人生を対象とした研究の難 しさがあると思う。幼少期からその自己変革の時点までの多様な要因が働いていると思わ れるし、またそれは無意識に働いていることも多いと思われ、インタビュー調査でそこま でのことを明らかにするのは容易でない。本書で紹介されているTEMのコンポーネント の一つである「発生の三層モデル」は、この難問に100%の答えを出してくれるものではな いかもしれないが、それでも聞き取り調査においてどのようなことに気をつけて話を聞い てゆくとよいかに関して、一定の指針を与えてくれるものだと感じた。
文献
Mandelbaum, David G. 1973 The Study of Life History: Gandhi. Current Anthropology, 14(3), 177-206.
Anselm L. Strauss, Juliet M. Corbin(著) 操華子·森岡崇(訳)2004 質的研究の基 礎: グラウンデッド・セオリー開発の技法と手順 医学書院,全396ページ。
(2014/06/16)