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帝国書院 | 高校の先生のページ 高等学校 世界史のしおり 2008年 4月号

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Academic year: 2018

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はじめに

 まず、私たち両名について自己紹介と、今回の 提案をする動機について記しておく。

 両名は研究者による遼金西夏史研究会、おもに 高等学校教員・研究者・大学院生の三者からなる 大阪大学歴史教育研究会に所属している。大阪大 学歴史教育研究会の活動については、本誌2008年 1月号で向正樹氏が詳細な紹介をしているので、 そちらを参照していただきたい。

 私たちはこの研究会のねらいである「像を結ぶ」 「背景がわかる」 高等学校の歴史授業を模索する中 で、互いに近い時代・地域に興味を持つことから、 遼・金・西夏史に関する高等学校世界史の授業の 再構築を考えるようになった。

 日本や中国における遼(契丹)・金・西夏史研究 は、1980年代に入り考古学的な新発見や文献史料 上の新知見が加わり、著しい進歩を見せている(参 考文献①②参照)。その結果、これら王朝の具体 像と歴史的重要性が解明されつつある。一方、現 行の高等学校世界史の学習指導要領では歴史的重 要性が表現されていないこと(西夏にいたっては 名称すら登場しない)、教科書・副教材でも王朝 の具体像が描かれていないものが大半であるとい うことに気がついた。高校の世界史担当の教員が 歴史学専攻者であるとは限らず、この分野を専攻 した人はごく少数であろう。そういった状況下で 遼・金・西夏史、ひいては両宋を含む同時代の東 アジア史について「正確な歴史像がわかる」授業 が果たして行われているのだろうか、という危惧 を抱いた。そこで遼・金・西夏史の授業について、

全国高校の世界史担当の教員にアンケートを実施 して実態の調査・分析を行い、「具体像が見える、 正確な歴史像がわかる授業」への提案を高校教員 と研究者が共同で試みたいと考える。

1.アンケートの実施

 対象は研究会などでの呼びかけや依頼に応じて いただいた教員の方々、全国8道府県、34校、53 名である。私たちの勤務地の関係で近畿(兵庫18 名・大阪15名・京都3名・滋賀1名)の先生方が 多く、地域的に偏りがあることは否めない。だが、 研究会でのつながりの大きい北海道や神奈川・静 岡・岡山の先生方にも多数ご協力いただけたこと は大変有益であった。

 内容については、高校の校種・世界史授業の年 次配当、使用教科書・副教材・授業形態(プリン ト使用の有無など)、授業での扱い方(該当分野に かける時間・視点=各王朝を主体的に扱っている か否か)、使用用語(リスト用意)、東洋史学や中 央ユーラシア史学の新成果を意識した授業をして いるか、歴史の視点を変える読書をしているか、 など多岐にわたる質問をした。また、生徒が理解 しにくい点や先生方が教えにくい点、研究者に対 する要望などを具体的に文章で書いていただく形 式の欄も設けた。

 ご協力いただいた先生方には校務多忙な中、回 答いただいたことに御礼申し上げたい。

2.アンケート分析と考察

 私たちに許された紙幅は限られているので、要 点について矢部が以下に述べることにする。 タペストリー授業実践例

遼(契丹)

・金・西夏史に関する授業分析と

新視点授業の提案

兵庫県立東灘高等学校教諭  矢  部  正  明

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 まず、アンケートに応じていただいた先生方の 高校と授業形態について。校種は国立・公立・私 立全てを含み、普通科(全日制・単位制等)が大半 (47校)で総合学科・実業高校・普通科と実業科の 混合校、定時制と多種にわたった。授業形態や教 材研究では、大半の方がプリントを使用し、歴史 の視点を変える読書もされていて、工夫を凝らし た授業を展開されている世界史授業に熱心な先生 方の姿が浮かび上がった。世界史Aでの授業の場 合、遼・金・西夏に関わる授業の時間数・使用用 語も少なく、これは予想通りであった。一方、世 界史Bの授業の場合では、意外にもこの分野にか ける授業時間(40分以上との回答が20名)・使用用 語が多く、その傾向はいわゆる「進学校」になる ほど顕著であった。これは多分に「大学受験」を 意識されてのことであると思われる。だが、短い 時間しかかけていない教員であっても、多くの用 語を用いて授業をされている例も多い。授業内容 的には、遼・金・西夏は「簡単にしかふれない」(19 名)、「両宋の対外関係として扱う」(20名)とする 教員が多かった。しかし、上記のように答えた教 員が意外にも授業で多くの用語を使用している。 一方で遼・金・西夏の研究動向に「興味はあるが 目を向ける余裕がない」「他の地域や時代の方を 重視しているので手が回らない」とする教員が多 かった。また、多民族混在の中で遼・金が実施し た「二重統治体制」も生徒たちには理解しにくい、 教える側もうまく伝えにくい、という感想を複数 いただいた。加えて、民族・生活・文化の特質や 人物を伝えるビジュアルな教材があまり見当たら ないこと、副教材の写真資料といえば文字ぐらい なので、生徒に具体的なイメージを伝えにくいと ころである、という指摘も複数いただいた。   以上のことから、世界史が膨大な地域と時代を 扱う中で、これら王朝の研究動向にもなかなか目 を向けられず、ビジュアルな教材が乏しく、そこ に生きた人々の姿の具体像を生徒に提示できない 状況下、生徒が理解しにくい用語を多用し、苦労

しながら駆け足に「遼・金・西夏史」の授業を行っ ている、という先生方の姿が我々の目に映った。

3.提案1 — 中国における文化史の連続性から 

  とらえる遼・金・西夏史の提案

 では、用語をあまり増やすことなく、どのよう に遼・金・西夏史を 「具体像が見える、正確な歴 史像がわかる授業」 にすることができるか。私た ちは、北朝から清朝へと連なる北方民族政権(王 朝)の動向を連続して見ていくことによって、中 国史がよりわかりやすくなるのではないかと考 え、この遼・金・西夏史についてもその観点から とらえた授業を提案したい。まず、現存する文物 の写真資料から各王朝で中国文化が継承されてい るという「文化の連続性」を語る授業を提案する。  写真①は遼寧省瀋陽市にある遼代の仏塔の写真 である。遼・金・西夏では北朝以来中国で盛んと

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なっていた仏教が引き続き信仰されていた。西夏

時代の遺跡からは、西夏語に訳された大量の仏典 が発見されているほか(写真②)、華北や中国東北 地方にかけて遼・金代の仏塔が多数現存する。ま た、いずれの王朝も中国本土在来の儒教道徳や道 教の信仰を否定しなかった(とくに金朝では全真 教が成立)ことも見逃せない。なお、西夏では、 チベット仏教も盛んに信仰されていた。

 チベット仏教は今でこそモンゴルでも信仰され ているが、チベット以外の地で栄えた例は、西夏 が史上初めてである。仏典を西夏語に翻訳する事 業はモンゴル帝国時代にも継続されており、西夏 の仏教がその後のチベット仏教史に与えた影響は 少なくなかったようである。

 次の写真③は盧溝橋である。この橋はマルコ ポーロ=ブリッジの異名や、盧溝橋事件という近 代史の舞台としては有名だが、金・中都の遺構で あることはあまり知られない。モンゴル帝国に先 駆け、金が中国各地との交通網の整備の一環でこ の石造橋を造営したのであった。

 遼・金代の陶磁器にも文化の連続性を見出せる。 遼三彩は有名な唐三彩の技法を受け継いだもの (多少粗雑という謗りはあるが)であり(写真④)、

金代では定窯・磁州窯など中国陶磁の技法が継承

されていることが知られる。

 これら文化的連続性に注視すれば、中国文化史 の文脈では契丹や女真・タングートという北方系 民族の王朝にも「本流」が流れている様子がよく わかる。またそれは、やはり北方民族の政権であ るモンゴル帝国、そしてその完成型である清朝へ と受け継がれたのである。

4.提案2 — 中国史における 「二重統治体制」 

  の意義

 「提案1」のような連続性は政治史、とくに統 治体制の面でも見られる。遼・金が支配階層の本 拠地であった東北地方の半農半牧・半農半猟地帯 と同時に、中国本土のおもに漢民族が住む農耕地 写真② カラホト(黒水城)遺跡 中国内モンゴル自治区西部

の西夏・モンゴル帝国時代の城郭遺跡。1908年に西夏語で書か れた仏典などが大量に発見された。

写真③ 盧溝橋 北京市豊台区にある。1192年完成。金・中都 の数少ない遺構である。後代の補修で金時代の部分はわずかに 残るのみである。

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帯を支配し、遊牧・狩猟民に対しては部族制で、 農耕民に対しては州県制という別々のルールで統 治する「二重統治体制」が行われた。半農半牧・ 半農半猟地帯から勃興した遼・金にとって、それ は順当な統治手段だったといえる。「二重統治体 制」は西夏では確認されていないが、遼・金・西 夏とも征服地にいた漢民族を積極的に官僚に登用 し、科挙も実施していた。出身民族の別を問わな い人材登用は、北朝・隋・唐のいわゆる北方民族 系「拓跋国家」群にも見られ、唐が北方・西方民 族に自治を認めた羈縻支配は「二重統治体制」に も通じる。

 遼・金・西夏の各王朝は、それぞれ契丹文字・ 女真文字・西夏文字を創製し、支配者層の言語を 表現した。だが、征服地域では従来使われていた 漢語(漢字)も公に用いられていたことを見逃し てはならない。一つの政権が複数の言語の公用を 認めたことは中国史上画期的であった。

 被征服民をも登用し、彼らが従来持っていた制 度・言語の公用を一定の範囲で認めるという多重・ 多元的支配体制は次のモンゴル帝国、そして清朝 が継承し、発展させた。さらに、旧清朝領の大部分 を引き継いでいる今日の中華人民共和国は、漢民 族以外の「少数民族」に対し区域自治を認め、自

治区域内では彼ら固有の言語の使用が認められて いる(写真⑤参照)。

 現代中国の民族政策は、質の違いはあれ、遼・ 金・西夏の統治体制と通ずるところがあるのでは ないか。

おわりに

 唐代以降の中国史は宋→モンゴル帝国→明→清 …の流れで教えるのが一般的である。漢民族政権 と北方民族政権が交代を繰り返す構図で、両者で 政治・思想は異なる特徴を示す。しかし、これを 遼・金・西夏→モンゴル帝国→清と北方民族政権 を並べてみると、多民族・多言語・多文化共生国 家という共通点や、現代中国社会とのつながりも 見えてくる。中国史の政治・文化史をより理解し やすくする一助となるのではないか。

 なお、残った課題としては、現行教科書におけ る遼・金・西夏史の扱いについての分析・考察が ある。手に入ったいくつかの世界史Bの教科書の 該当箇所を比べて見ると、記載にかなりの違いが 見出された。近い将来、現行の教科書についての 考察を含んで、アンケートの詳細な分析・考察、 新たな提言を加えて、大阪大学歴史教育研究会の 例会の場で発表をしていく予定であることも最後 に記しておく。

《参考文献》

①『中国歴史研究入門』(礪波護・岸本美緒・杉山正 明編 2006年 名古屋大学出版会刊)

②『史學雑誌』各巻第5号 ― 回顧と展望の 「五代・宋・ 元」および「内陸アジア」の項

『図説 中国文明史(8)草原の文明 遼西夏金元』(杭 侃著 表野和江訳 2006年 創元社刊) ※遼・金・ 西夏関係の生活・習俗・文化関連の図版が多数掲載 され、視覚的理解には有用なので掲げた。

参照

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