力学系への招待
坂元孝志
明治大学理工学部数学科
November 25, 2015
この原稿は,力学系のごく初歩的な事柄の解説として準備しました.目的は, 明治大学数学科の学生にさんに力学系の雰囲気をすこしでも感じてもらうためで す.そのため,本校において概ね1年次∼3年次春学期に配置された講義の内容 を予備知識として仮定しています.従って,多くの数学,数理科学系の学科にお いて数学を学ぶ方にも力学系の雰囲気を感じ取ってもらえるかもしれません.
まずは力学系の定義から始めます. 定義 1 (力学系)
T を群またはモノイド(単位元を持つ半群)とする.群 T の 空間 X への作用 Φ : T × X → X, (τ, x) 7→ Φτ(x) := Φ(τ, x) ;
• 任意の x ∈ X に対して
Φ0(x) = x,
すなわち,T の単位元 0 に対して Φ0 は恒等写像となる;
• 任意の x ∈ X と任意の τ, h ∈ T に対して Φτ+h(x) = Φτ(Φh(x)) ;
が与えられたとする.このとき,三つ組 (T, X, Φ) を,T を時間,X を相空間, Φを時間発展のルールとする力学系という.
抽象的な定義を理解するには具体例を考えるのが手っ取り早い;
例1 λ ̸= 0 を実数の定数とする.微分方程式
˙x = λx, x(t) ∈ R (1) を考える.ただし,記号 ˙ は t による微分:
˙x := dx
を表す.(1) の解は x(t) = x(0)eλtである. さて,R × R から R への写像 φ を
φ : R × R → R, (t, x0) 7→ φt(x0) := x0eλt
とする.これは,(t, x0) ∈ R × R, x(0) = x0 に対して (1) の解を対応させる写像 であり,
φ0(x0) = x0, φs+t(x0) = x0eλ(s+t)= x0eλseλt= φs(φt(x0))
を満たす.このことから,(1) は T = R(加法群)を時間, X = R を相空間,φ を時間発展のルールとする力学系を定める.
このように,(時間発展を含む)微分方程式はある力学系を与えます.従って, 微分方程式の解の性質を調べるのに力学系における様々な定理や理論を応用する ことができます.
例2 写像 f を
f (x) =
{ 2x, 0 ≤ x ≤ 1/2 2x − 1, 1/2 < x ≤ 1 とする.漸化式
xn+1= f (xn)
は Z (加法群) を時間,X = [0, 1] を相空間,f を時間発展のルールとする力学 系を定める.実際,fk を f の k 回作用:
fk= f ◦ f ◦ · · · ◦ f
| {z }
k
とすると任意の x ∈ [0, 1] と任意の n, k ∈ Z に対して f0(x) = x, fn+k= fn(fk(x)) が成り立つ.
例1のように,時間が連続的に変化する力学系を連続力学系といい,例2の ように時間が離散的に(とびとびに)変化するものを離散力学系といいます.
問題 微分方程式
˙x = (1 − x)x (2) の定める力学系について,その時間発展のルール φ を具体的に求めよ.
解 x(0) = x0とする.変数分離により,
∫ x
x0
1 (1 − x)x
dx dt dt =
∫ t
0
dt よって,
t =
∫ x
x0
1 (1 − x)x
dx dt dt =
∫ x
x0
( 1 1 − x +
1 x
) dx
= [
log
x 1 − x
]x
x0
= log
x(1 − x0) x0(1 − x) x(0) = x0 より
et=x(1 − x0) x0(1 − x). これを x について解くと,
x(t) = x0 (1 − x0)e−t+ x0
. 写像 φ を
φ : (t, x0) 7→ x0 (1 − x0)e−t+ x0
とする.微分方程式 (2) は,T = R を時間,R を相空間,φ を時間発展のルール とする力学系を定める.
力学系の主な興味は,時間無限大での挙動とそれがどのように決定されるか です.すなわち,力学系 (T, X, Φ) の相空間内の1点 x0∈ X が与えられたとき, それに対して定まる軌道
O(x0) := {Φτ(x0) | τ ∈ T }
の漸近挙動を問題にします.例えば,Rn を相空間,R を時間とする連続力学系 (R, Rn, Φ) を考えましょう.するとその軌道 O(x0)は Rn 内の1点 x0 を出発 し,t ∈ R をパラメータとする Rn 内の曲線になります.そしてその漸近挙動と は,t → ∞ としたときの軌道 O(x0)の振る舞いのことです.
次に,力学系において重要な “不動点” や “平衡点”を定義します.その前に, 一般的な写像の不動点を定義します.
定義 2 (写像の不動点)
Aを集合とする.F : A → A を写像とする.このとき,F (a) = a を満たす a ∈ A を F の不動点という.
定義 3 (力学系の不動点)
(T, X, Φ) を力学系とする.任意の τ ∈ T に対して
τ
を満たす x ∈ X を力学系 (T, X, Φ) の不動点という. すなわち,力学系 (T, X, Φ) から定まる写像
Φτ: x 7→ Φτ(x), τ ∈ T
の τ に依らない不動点をその力学系の不動点という.また,(T, X, Φ) が微分方 程式から定まる連続力学系であるとき,不動点は,平衡点,平衡解,定常解,特 異点ともよばれる.
例1の微分方程式の平衡解(不動点)は x = 0 ∈ R であり,例2の離散力学系 の不動点は x = 1 と x = 0 である.また,微分方程式 (2) の平衡点は x = 0 と x = 1である.
さて,一般に微分方程式の解を厳密に求める(厳密解を求める)ことができる とは限りません.そこで,微分方程式を解かずに,その解の振る舞いを決定する ための方法を見つけたいと考えることは自然です.ここでは,そのための “力学 系的な方法の一つ” を紹介します.例として,微分方程式 (2) :
˙x = (1 − x)x を考えましょう.
例3
˙x = (1 − x)x
を t ≥ 0 の範囲で考える.これは,解 x(t) の,(t, x) 平面でのグラフの増減が右辺 (1 − x)x
の正負で与えられることを示している.従って,
• xが,(1 − x)x > 0 の範囲にあるときは,x(t) のグラフは単調に増加する.
• xが,(1 − x)x < 0 の範囲にあるときは,x(t) のグラフは単調に減少する. ことがわかる.また,x(t) ≡ 1, x(t) ≡ 0 は共に解であるから,初期値に関する 解の一意性より,x(0) ̸= 0, 1 のときの x(t) のグラフは2つのグラフ x(t) ≡ 1, x(t) ≡ 0のいずれとも共有点を持たない.従って,
• x(0) > 1のとき,x(t) のグラフは単調に減少し,直線 x = 1 に t → ∞ で 漸近する.
• 0 < x(0) < 1のとき,x(t) のグラフは単調に増加し,直線 x = 1 に t → ∞ で漸近する.
• x(0) < 0のとき,x(t) のグラフは単調に減少する.
ことがわかる.
問題 微分方程式 (2) の解 x(t) の t ≥ 0 におけるグラフの概形を, x(0) < 0, x(0) = 0, 0 < x(0) < 1, x(0) = 1, 1 < x(0) のそれぞれの場合について描け.
問題 微分方程式 (2) の解 x(t) について,t < 0 のときのグラフの増減がどのよう になるか考えよ.また,そのグラフの概形を描け.
本稿で紹介する数学的な内容はこれで終わりです.力学系関連の書籍は膨大 な数が出版されていますので,より進んで学びたい方には自ら図書館などに足を 運んで自分にあった書籍を探して欲しいと思います.参考として,比較的入門的 な内容のものをあげておきます(これらは坂元研究室のゼミのテキストの候補で もあります).
References
[1] 桑村雅隆,「パターン形成と分岐理論」,共立出版,2015
[2] M. W. Hirsch他, 著,桐木紳 他, 訳,「力学系入門 原著第2版 - 微分方程式か らカオスまで- 」共立出版,2007(原著:「Differential Equations, Dynamical systems, and an Introduction to Chaos (3rd Edition) 」 M. W. Hirsch, S.Smale, R. Devaney, Academic Press, 2012)
[3] R. Devaney(著),後藤憲一(訳),新訂版訳:國府寛司,石井豊,新居俊作, 木坂正史,「カオス力学系入門 第2版」,共立出版,2003
[4] 森田喜久,「生物モデルのカオス」,朝倉出版,1996
[1]は最近出版されたテキストで読みやすく,微分方程式の力学系的方法によ る解析がわかりやすく解説されています.[2] は世界で広く使用されているテキ ストであり,力学系について豊富な内容が解説されています.[3] も離散力学系へ の入門として有名なテキストです.[4] は私の趣味ですが,多くの生物モデルを例 に力学系とその方法が解説されています.
最後に,力学系に興味を持った学生に是非手に取ってもらいたい書籍として, ちくま文庫より出版されている山口昌哉先生の著作
「数学がわかるということ -食うものと食われるものの数学-」 をあげて本稿を終わりにします.