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1.は じ め に
教科書にそってスタンダードに授業を進めてい
くと17世紀ころの世界をどのように扱っているだ ろうか? まずヨーロッパでイギリスがいち早く
議会政治を確立(タペストリー*p.153のヒストリ
ーシアター参照)し、フランスはルイ14世の絶対 王政が全盛(p.154のヒストリーシアター参照)
を迎え、ロシアでロマノフ朝(p.158のヒストリ ーシアター参照)が成立する。アジアでは、オス マン帝国が第2次ウィーン包囲に失敗し、ムガル
帝国でアウラングゼーブの宗教政策がヒンドゥー 教徒の反発を招くなど衰退期に入り、中国では明 から清への王朝交代が起こった…など自分で振り
返ると、つい各国史的な捉え方をしていることに 気づく。
そんなとき、タペストリーの世界全図を眺める ことが視野を広げるのに役立つ。さっそくp.32∼ 33「17世紀ころの世界」を見てみよう。オランダ
東インド会社の貿易網を示すオレンジ色の航路が 目立つ。ラテンアメリカとヨーロッパを結ぶスペ
イン銀船隊やマニラ・ガレオン船も記されている ものの、p.32∼33にある2つのグラフがヨーロッ パと日本を含めたアジアを結ぶ主役が誰かを物語
る。オランダを軸に17世紀の世界を概観したい。
2.ヨーロッパ「17 世紀の危機」とオランダ
『高等世界史B 新訂版』p.198では17世紀の危
機のおもな原因を16世紀の人口増加に求めている。 気候の寒冷化や疫病の流行とあいまって、食料や 燃料の不足や高騰と「新大陸」からの銀の流入量
が減少したこと【発問例:銀はどこからもたらさ れたか? ヨーロッパ経済はどうなったか?】な
どで1620年ごろから経済活動が停滞すると社会不 安から暴動が起きたりした。危機は政治にも反映 し、17世紀に各国での内乱や国際戦争【発問例:
ドイツを中心に起こった最後で最大の宗教戦争 は?】がなかった年は4年しかなかったという(タ ペストリー p.155参照)。ピューリタン革命と名誉
革命【発問例:当時のフランス王は誰か?】やフ ランスでの王権強化の動きは、危機を背景にした
国家機構の再編とも捉えられる。
この中で、1581年に独立を宣言した【発問例: その背景は?】オランダだけが繁栄を続けられた
秘密はタペストリー p.159にまとめられている。 製造業の発展を背景に(とくに優れた造船技術
を生かして)海上進出し、バルト海交易で圧倒的
17 世紀ころの世界
神奈川県世界史教材研究会
タペストリーを使った授業案*帝国書院「最新世界史図説タペストリー 三訂版」
オランダ 30%
フランス 25 スペイン・その他
5
ジェノヴァ 22 イギリス・ ドイツ 18
1581∼90 0 10 20 30 40 50 60 70 船舶数
1591∼1600 1601∼10 1611∼20 1621∼30年 オランダ
フランス イギリス ポルトガル
▲ p.32 外国船に握られる スペイン領の貿易 (1690 年代のアメリカからカディ
ス港への商品持込割合)
▼p.33 オランダ東インド会社の台頭 (アジアからヨーロッパへの貿易に従事した
船舶数)
p.159 ヨーロッパの中心国(覇権)の推移 0 1470年ころ 1570年ころ 1670年ころ 10
20 30 40 50 60 (万t)
オランダ
ドイツ フランス
スコットランド イングランド
〈『近代国際経済要覧』東大出版会〉 ・バルト海貿易において
圧倒的優位を得る ・自国の商工業(毛織物
業・造船業・陶器業)・
漁業(ニシン・捕鯨)・ 干拓による農業の発展 ・東南アジアのモルッカ (香料)諸島,マラッカ を支配 イギリスを追放 ・首都アムステルダムに 資金の多くが集中,金 融市場の中心になった ・ヨーロッパで唯一,鎖 国中の日本と取り引き した
強さの秘密
− 6 − − 7 − 優位を築き、モルッカ諸島を支配して香辛料貿易
【発問例:ヨーロッパ人は何故ほしがったのか確 かめよう】で利益をあげたことが大きい。
3.近代世界システムとオランダ
この国際的な経済分業体制の成立について、タ ペストリー p.164∼165で特集されているほか『高
等世界史B 新訂版』p.172∼173では南北問題の 歴史的背景として取り上げられている。
近代世界システム論は現代のアフリカ社会を研 究していたウォーラーステイン教授が主張したも のである。彼はアフリカがなかなか近代化できな
いのは経済的に不利な立場(「周辺」という)に 置かれてきたためで、「大航海時代」以降、西欧
諸国が「中核」(その頂点に立つ国や地域を「覇権」 という)となってアジア・アフリカ・ラテンアメ リカの富を収奪する不平等な構造が生まれ、歴史
が展開したと世界規模で考えたのである。 さて、オランダの覇権は17世紀で、1602年に6 つの貿易会社を統合して作られたオランダ東イン
ド会社は最初の株式会社といわれ、他国と比較し て抜群の規模を誇った。
1623年アンボイナ事件でモルッカ諸島からイギ
リスを追い出し、アフリカ南端にケープ植民地を
開いて【発問例:オランダ系移民の子孫?】イン ド航路の主導権を握る一方、ブラジルにも進出し て砂糖プランテーション【発問例:おもな労働力
は?】を経営するなど世界中に商業ネットワーク を張り巡らせた。またバルト海交易では船舶の資 材となる木材やピッチ(防水剤)・タール(塗料)
などを確保し、グーツヘルシャフト【発問例:そ の経営にあたった土地貴族を何というか?】で生
産される穀物を西欧にもたらした。さらに北海で は軍艦に護衛されてのニシン漁も盛んで、イング ランドの毛織物輸出総額に匹敵した。オランダに
とっては他国との自由競争が有利であったため、 国際法の父と呼ばれるグロティウスに象徴される
海洋自由論が主張された。アムステルダムは製造 業ばかりでなく、資本が集中する金融市場として も繁栄を遂げた。
しかし、イギリス・フランスとの激しい争いも 見られた。クロムウェル本人は同じプロテスタン ト同士【発問例:クロムウェルの宗派は? オラ
ンダで多い宗派は?】で対立を生むことは望んで いなかったとする見解もあるが、1651年に共和制
政府が制定した航海法は、本国と植民地間の海運 をイギリス船に限定してオランダの中継貿易を排 除することが目的であったため、イギリス=オラ
ンダ戦争が起こった。また、ルイ14世【発問例: 財務総監に誰を起用したか?】は1672年にオラン
ダ侵略戦争を開始した。これはフランスとイギリ スが共同歩調をとったオランダ潰しであったが、 オランダは湿地帯を利用した防衛線で危機を切り
抜けた。
では、1688年名誉革命はどうであろうか。ジェ ームズ2世のカトリック復活政策を嫌う議会はト
ーリー、ホイッグ両党一致【発問例:後に保守党 に発展するのはどちら?】で、王の長女でプロテ
スタントのメアリの夫であるオラニエ公ウィレム に介入を依頼した。ウィレムはホラント州議会の 承認を得て、イギリスをフランスから引き離すた
め2万人の兵を連れてイギリスに上陸し、国王の 座に収まった。立憲君主制を無血で実現したので
日本
清
ムガル帝国
オスマン帝国 オスマン帝国
フランス イギリス イギリス オランダ
アンボイナ(アンボン)
香料諸島
(マルク諸島)
アムステルダム
ニューアムステルダム (のちのニューヨーク)
オランダ ロシア帝国
アンボイナ(アンボン)
長崎 ゼーランディア ゼーランディア
香料諸島
(マルク諸島)
キュラソー キュラソー
ブラジル ゴレ島
バタヴィア
マスリパタム マラッカ
クイロン
アムステルダム
ニューアムステルダム (のちのニューヨーク)
エルミナ
ケープタウン ケープ植民地
スリナム 大
西 洋 太 平 洋
イ ン ド 洋
0 2000km
オランダの貿易ルート
オランダのおもな拠点 オランダ領
香辛料貿易を掌握
スペイン領との 密貿易の基地
英・仏の砂 糖植民地
奴隷輸出の拠点
砂糖プランテーションを展開
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名誉革命【発問例:ウィリアム3世夫妻が承認し
た権利の宣言を法文化したものは?】と呼ばれる が、オランダ人がイギリスを占領したように見え ないこともない。また、この出来事はヨーロッパ
の国際関係を書き換える動きでもあった。100年 前、フェリペ2世のスペインに対して採られたよ うにルイ14世の覇権を阻止するためにヨーロッパ
諸国が包囲網を引く。オランダとイギリスと2つ の海洋国家は商業上の対立を乗り越えて同盟国と
なったのである。オランダはアメリカから手を引 き【発問例:ニューヨークの古い呼び名は?】ア ジア貿易に専念し、世界市場でもイギリスと共存
する道を選んだ。
なお、オランダが覇権の座から転落した理由は
タペストリー p.159にあげられている。
18世紀のオランダは世界商業上の優位を失って
いたが、依然として潤沢な資金はより信用性の高 いイギリス金融市場に流れ込むようになった。
4.オランダ東インド会社の活動
アジアに有力な輸出品を持たないオランダは、 日本の銀や銅を独占的に利用してアジア内貿易を
展開することで莫大な利益を得ていた。ヨーロッ パで唯一鎖国下の日本【発問例:朱印船と鎖国令
について調べよう】と取引ができる国という立場 をうまく利用したのである。中国の茶や陶磁器、 東南アジアの香辛料、インドやペルシアの綿布な
どがおもな取扱品目である。
明清交代期の混乱で景徳鎮の染付や赤絵の輸出
が停止されると、それまでに日本に伝えられてい
た磁器の生産技術によって代替品の生産が行われ るようになった。柿右衛門が赤絵の生産に成功し ていたが、1650年代には長崎でのコバルト(青色
顔料)の輸入が増加し、伊万里の染付がオランダ 東インド会社に買い上げられるようになった。注 文の皿にはVOCの社章が入れられブランド意識
が示された。1680年代に中国情勢が落ち着くと伊 万里の輸出は減少した。
また、中国産磁器に押されて17世紀に多くのマ ヨリカ窯が食器生産を縮小してタイル陶板にシフ トするなか、中国産磁器の外観模倣に務めていた
デルフト窯が人気を集めた。
なお、オランダに集まったものは商品や資本だ
けでなく、情報もである。江戸幕府にオランダ商 館長が提出する『オランダ風説書』は世界を網羅 し、おおむね正確であったことが知られ、18世紀
になってもイギリスの新聞は海外ニュースをオラ ンダの新聞記事を英語に翻訳して掲載していた。
5.おわりに
17世紀の西欧美術では市民の日常生活を題材に
した風俗画が目につく。タペストリー p.163にフ ェルメールの「画家のアトリエ」とレンブラント の「夜警」が掲載されている。後者は火縄銃組合
の集団肖像画であるが、明暗の効果を重視する作 風ゆえに依頼者から前の二人が目立ちすぎるなど
と物議を醸したものである。
登場人物の服装や背景などから17世紀のオラン
ダの人々を考察させたりして、生徒に歴史をより 身近なものと感じさせたい。
p.159 ヨーロッパの中心国(覇権)の推移
p.163 レンブラント「夜警」 p.163 フェルメール
「画家のアトリエ」 オランダからイギリスへ中心が移ったのはなぜか
・オランダ資金がイギリ スの産業に投資される ようになった ・オランダの主力商品で
あったアジアの香辛料
の人気が落ちた ・イギリスの主力商品で
あったインドの綿布(キ ャラコ)が大流行しは じめた
・英蘭戦争でイギリスに 敗北し衰退した オランダが転落した理由
オランダ 86% スイス 4 その他 10
総額 380万ポンド
オランダ 89% ドイツ 4 イタリア 2その他 5
総額 76万ポンド
オランダからイギリスへ中心が移ったのはなぜか ・オランダ資金がイギリ
スの産業に投資される ようになった ・オランダの主力商品で
あったアジアの香辛料
の人気が落ちた ・イギリスの主力商品で
あったインドの綿布(キ ャラコ)が大流行しは じめた
・英蘭戦争でイギリスに 敗北し衰退した オランダが転落した理由
オランダ 86% スイス 4 その他 10
総額 380万ポンド
オランダ 89% ドイツ 4 イタリア 2その他 5