誤解だらけの天文学史 ~「古代インドの宇宙観」を例に タグ「VSネッ広_常識」を検索 はてなブックマーク

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誤解だらけの天文学史 ∼「古代インドの宇宙観」を例に

廣瀬 匠(京都大学文学研究科文献文化学専攻インド古典学専修)

Ancient Indian Cosmology as an example of misunderstanding in the history of Astronomy

Sho Hirose (Graduate School of Letters, Kyoto University)

Abstract

According to the wide-spread illustration, ancient Indians believed that the earth was a disk lying on the back of elephants, which in turn stood on a turtle standing on a snake. Actually, this explanation itself is a misbelief ; such

cosmology is a crude mixture of several hindu legends. It contains much prejudice, hiding the wide diversity of cosmological belief and the progress of mathematical astronomy in India. In reality, Indian astronomers knew the Earth was round by the 5th century.

1. はじめに

 「古代インドの宇宙観」と聞けば、多くの方 が大地を象が支え、それを亀が支え、さらに蛇 が支えるさま(図1)を連想するだろう。この 描写は様々な解説書に掲載され、科学館でも展 示され、科学技術振興機構(JST)が提供する 小中学生向けオンライン教材「理科ねっとわー く」にも登場する。しかし、この宇宙観に言及 する古代インドの文献は ̶ 実在しない。

 では「正しい」古代インドの宇宙観とはどのよ うなものであろうか。また、このような誤解は どうして広まったのであろうか。

2.インドにおける文化の多様性と宇宙観

 広大で地域差も大きく、長い歴史を持つインドの宇宙観を、一枚の図にまとめて しまおうとすること自体が間違いである。宗教だけを見ても、現代インドにはヒン ドゥー教徒だけでなく数億人のイスラム教徒がいるし、かつては紀元前6世紀ごろに バラモン教(ヒンドゥー教の前身)から独立した仏教やジャイナ教が一定の勢力を 築いていた。ここでは3つの宗教について代表的な世界観や伝説を紹介しよう。 2.1 仏教の宇宙観

 本来、仏教の教義において宇宙観は重視されていなかったが、4世紀にインドで著 された「阿毘達磨倶舎論(あびだつまくしゃろん)」には世界の形に関する言及が ある。漢訳を通じて我が国にも入り、明治以前は広く知られていた。

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 それによれば世界の中心には須弥山(しゅみせん)という巨大な山があり、その 四方を山脈と海峡が七重に囲む。さらに外側には四方それぞれに島があり、そのう ちの南閻浮提というのが我々の世界である。これら全てが金輪という直径数億kmの 巨大な円柱の上にあり、その下に水輪、風輪というさらに巨大な円柱があり全体が 虚空に浮いている。動物は一切登場しない。なお我が国では象・亀・蛇の宇宙観を 「仏教の宇宙観」と紹介している例もあるが、無論、著しい誤りである。

2.2 ジャイナ教の宇宙観

 ジャイナ教は徹底した不殺生の実践などで知られ、 現在でも数百万人の信徒がいる。彼らが思い描いた世 界観は多様であるが、その中でも特に興味深いのはロ ーカプルシャ(世界人間:図2)と呼ばれる概念だ。簡 単に言えば宇宙の擬人化である。上半身が天国、腹部 がこの世、下半身が地獄。ちなみに、この人間の身長 を現代の尺度に換算すると数光年にもなるという。 2.3 ヒンドゥー教の宇宙観

 ヒンドゥー教は多神教であり、どの神を主神として 祀るかによって宗派が分かれているし、様々な神話や 世界観が混在している。その中から象・亀・蛇が登場 するものを取り上げてみよう。

 象:インド人は空間をある意味で座標のようにとら

えてきた。「方位」という言葉が「空間」と同じ意味で使

われることが多いのである。方位に必ず含まれるのが東西南北の4個で、これに南東 などの中間を加えた8個、または上下を含めた10個が「方位」と呼ばれた。上下を除 く四方ないし八方に象がいて大地を支えている、と説明する文献は確かに存在す る。だが象の数を3頭や7頭などと紹介するのは間違いだ。

 亀:「乳海攪拌」という神話がある。ひょんなことから不老不死の能力を失った

神々は悪魔たちに襲撃され窮地に陥るが、事態を打開するために悪魔へ取引を持ち かけた。すなわち両者が協力して不老不死の薬を作り、山分けしようというのだ。  大海に巨大な山を攪拌棒として突っ込み、蛇を巻き付けて両側から引っ張ると、 海はかき混ぜられて乳のように白く濁り、中から様々なものが生まれた。このとき 山が海に沈みかけたが、ある神が亀に変身して下から支えることで事なきを得たと いう(図3)。余談だが、神々は計略をもって薬を独り占めしたものの、一人の悪魔 が神に化けて薬を口に含んだ。これを太陽と月の神が目撃したため即座に悪魔は斬 首されたが、首だけが不老不死となり、時々恨みを晴らすべく太陽や月を飲み込む ため日食や月食が起きるそうだ(残念!これでは金環日食は説明できない!)。

 蛇:ある創世神話によれば、最初この世には海だけが広がっており、そこに一匹

のナーガ(大蛇)が浮かんでいた。ナーガの上で瞑想していたヴィシュヌ神のへそか ら蓮の花が咲き、そこから誕生した創造神ブラフマーがこの世を作ったという。  なお、ナーガは多頭の蛇で(図4)、単頭とする例は少ない。

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3. 誤解が広まった経緯

 図1で示した図像は、1822年にドイツで出版された Glauben, Wissen und Kunst der alten Hindus (古代インド人の信仰、知識と芸術)の挿絵であり、筆者 が知る限りでは、このような宇宙観が描かれた例としては最古である。同書は研究 書の体裁は取っているものの、伝聞や憶測で書かれたように見受けられる箇所が少 なくない。問題の宇宙観の図も、複数の伝説を混同している感があるし、大地が平 面ではなく半球である点や、蛇が自分の尾を噛んでいる点(西洋の様々な神話に登 場する大蛇ウロボロスと同じ姿)もおかしい。

 19世紀にはインドの真面目な文献的調査も本格化していたが、それよりもエキゾ チックな物事を面白おかしく描いた通俗本の方が一般に受けたのかもしれない。  なお、インド人の宇宙観を西洋で初めて紹介したのは、16世紀後半からインドで 布教活動を始めたイエズス会の宣教師である。1599年に書かれた書簡では「ある者 達は大地が7頭の象に支えられ、その象は亀の上に立ち、その亀が何に支えられてる かは知らない」と揶揄している。「時代遅れの異教徒」への偏見が混じっている。  宣教師たちの報告は知識人たちの間で知られていたようだ。イギリスの哲学者ジ ョン・ロックは1689年の著書『人間知性論』で「哀れなインド哲学者が(…)苦労 して大地を支える象や、その象を支える亀を見いだ」したというエピソードを紹介 しており、この話題が後世の哲学者によってもたびたび取り上げられるようになっ た。そしていつしか、「誤った世界観」の代名詞的存在となってしまったようだ。  ただし、この辺りの経緯についてはさらなる調査を要する。また、日本でこれ程 までに定着するに至った理由についても調べることが筆者の課題である。

4. 「地球は丸い」 1500年前のインド数理天文学

 インドには2世紀から4世紀までの間にギリシャから占星術と数理天文学が伝わっ ており、伝統的な宇宙観とは相容れない要素も含めて定着してしまった。天文学者 アールヤバタは499年に書かれたとされる天文学書で「地球はどこから見てもまん

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丸」と述べているが、彼以降のインド人天文学者にとってもこれは常識だ。このよ うに宗教界と矛盾する説明をしながらも、天文学者はつまはじきにされるどころ か、宮廷では占星術師として重宝されたし、彼らが開発した計算に基づく暦は現代 に至るまで社会で広く使用されている。

 天文学において「古代の宇宙観」が語られる場合、「昔の天文学は宇宙をこのよ うに認識するのが限界だった」というメッセージが込められていることが多いよう に思われる。しかし、ある時代・ある場所における「宇宙観」と「天文学」は全く 別の物としてとらえるべきだ。「現代における宇宙観とは何か」と問われれば、私 たちはビッグバン宇宙論や宇宙の大規模構造などを挙げるであろうが、果たしてどれ だけの現代人がそれらを正確に説明できるだろうか?

 天文学史はいわば天文学そのものの温故知新である。単純な進歩史観に立つので はなく、先人への正しい理解とリスペクトを持ってこそ見える物がある、と筆者は 考える。願わくば、本稿がただ「古代インドの宇宙観」という一つの誤りを訂正す るに留まらず、天文教育における歴史の位置づけを見直すきっかけとなってほしい。

参考文献

A Treatise on Hindu Cosmography from the Seventeenth Century

Bulletin of the School of Oriental and African Studies Vol.3 317-342, 1924

Die Kosmographie der Inder

An Essay Concerning Humane Understanding Glauben, Wissen und Kunst der alten Hindus

ジョン・ロック著/大槻春彦 訳, 『人間知性論』, 1974, 岩波書店 杉浦康平 著,『アジアのコスモス+マンダラ』, 1982, 講談社

矢野道雄 編,『インド天文学・数学集』(科学の名著 1), 1980, 朝日出版社 理科ねっとわーく(一般公開版), 2012/8/18 に閲覧, http://rikanet2.jst.go.jp/

質疑応答

Q. 現代インド人は、古代にどういう宇宙観があったと考えているか(坂元 誠さん) A. おおむね伝統文化は大事にされており、宇宙観や創世神話を含むヒンドゥー教の

伝説はほぼ誰でも知っているように思われる。象・亀・蛇が合わさった、「作ら れた」宇宙観の方は知らないかもしれない。

Q. 象の数が3頭というのは嘘だというが、裏に4頭目がいるのでは(沢 武文さん) A. 「理科ねっとわーく」の図には「3頭の象」という説明文がついている。

Q. カースト制度を正当化する宇宙観があると聞いたが(浜根寿彦さん)

A. プルシャという巨人が金の卵から生まれ、彼と共に世界が成長したという伝説が ある。彼が死ぬとその肉体は世界の様々な構成要素に姿を変え、口はバラモン、 腕はクシャトリヤ、腿はヴァイシャ、足がシュードラになったとされた。

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