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帝国書院 | 高校の先生のページ 高等学校 世界史のしおり 2008年 1月号

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Academic year: 2018

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◆南船北馬◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 古来、南船北馬という。中国大陸の交通手段に ついて、水の豊かな江南では船を用い、華北は馬 で陸路をゆくという対照である。これは、簡にし て要を得た表現だと私も思う。何といってもイメ ージを端的に示していて、絵になる対比だろう。  それでも、実態はだいぶ複雑である。華北の平 原地帯には、それほど大きくないにしても航行可 能な河川があり、また大運河がある。「南船」と いっても、実のところ、長江以南には山がちな地 域も広がっているから、馬が交通手段として大き な役割を果たした場合も少なくない。

◆水路の世界◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 それにしても、長江下流域の三角洲を中核とす る江南地域においては、水路が縦横に走り、確か に船が主要な交通手段となってきた。

 魯迅の短編小説「村芝居」は、子ども時代の回 想にもとづく印象的な作品だが、その村芝居すら 水上から見物するようになっているのである。魯 迅のいくつかの小説には、船が村から町へと行き 来して、物資と情報をもたらしていた様子が、よ く示されている。

 このような水路は、江南地域の開発の過程で形 づくられてきた。湿地を切り開くときは、まず水 路を掘り、その土で堤防を設け、堤防で囲われた 部分を農地にしてゆく。ただし、その囲われた部 分のなかのところは、しばしば水がたまって排出 しにくいので、そこにまた新たな水路を掘ること で、開発を進めていく。

 当然ながら、住居として最も適当なのは、堤防

にそった部分である。ここは、土地が高いから水 の被害を受けにくいだけでなく、水路を生活のた めに利用することができる。こうして、集落は水 路にそって細長い形でつくられる。華北平原の集 落が塊のようなかたちなのと対照的である。  水路は、すべて計画的に掘られたとは思えない が、意外にも、わりあい規則的な格子状になって いるところも多い。そのような水路にも、幹線と 支線のような区別があり、比較的大きな水路が交 わるところは、商店などが集まり、特別な機能を 果たすようになる。これが鎮である。

◆江南の鎮◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 漢代以来、県が諸王朝の行政の末端となってい た。だいたいのところ、県は城壁で囲まれ、中央 政府から官僚が派遣されてくる。鎮は、それと異 なり、城壁がない商業的な都市空間になっている。  むろん、そのあり方は地理的条件によって多様 である。江南の一例として、上海市内から 30 分 ほどタクシーを走らせて、七宝鎮に行ってみよう。  ここには、水路に沿って白壁で瓦屋根の家々が ならび、ときに水路には丸く上に持ち上がった橋 が架かっている。その橋の下には、船が通れるよ うになっているのである。

 鎮は、観光客でいっぱいである。江南の鎮の大 部分は、今日では強く観光を意識した形でつくり かえられているといっても過言ではない。  高層ビルのならぶ上海でせわしい日々を送る都 市の中間層にとっては、歴史と自然がほどよく調 和した古い鎮の雰囲気は、癒しの場として貴重で ある。その鎮の現状が歴史的な過去に忠実である かどうかよりも、ある種の典型的な「古い鎮」の イメージに合うことが大切だともいえるだろう。

◆南なん潯じん鎮にて◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 蘇州から太湖を右にしながら車で南にむかい、 浙江省に入ってすぐのところに南潯鎮がある。  水路に沿って立派できれいな家々が並び、それ ぞれの家からは、水路に降りる階段がある。船に 乗ったり、洗濯をしたりするのである。

中国史の奥の細道

東京大学文学部准教授 吉澤 誠一郎

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− 23 −  ここは明清時代からよく名を知られた鎮である。 有力な官僚も輩出している。また、膨大な書籍を 収める劉氏の嘉業堂蔵書楼もあり、資力とともに 文化的な力も蓄積されていたことがわかる。  南潯鎮は、19 世紀後半には、生糸の集散で栄 えた。中国の生糸生産は、たいへん古い歴史をも つが、19 世紀後半の生糸需要には、おおきな特 徴があった。それは、フランス・アメリカなどへ の輸出の増加である。

 それまで各農家が繭から糸を作っていた。生糸 をとるのは、要するに繭を煮て糸をほぐして巻き 取る作業である。糸は鎮の問屋に集められた。  しかし、器械製糸の登場などで競争が激化する と、糸の品質を高めたり維持したりする必要が出 てくる。そこで、南潯鎮の糸問屋は、いったん生 糸を買いつけたあと、再繰という作業を付近の農 民に委託して、商品としての価値を高めた。輸出 された糸は、たとえばアメリカの御婦人がたのイ ブニング・ドレスなどになっていたのだろう。  このような糸の商売を通じて鎮の繁栄がもたら されたのだから、今日の鎮の姿は、単に古い歴史 がそこに残っているというだけではなく、まさに 近代の対外貿易のたまものといえるかも知れない。

◆宜ぎ興こう鎮にて◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 無錫から太湖西岸にそって南下すると、宜興鎮 がある。ここは、陶磁器の町として全国にその名 を知られている。

 中国には著名な陶磁器の産地がいくつもある。

江西省の景徳鎮が最も有名だが、もちろん河北の 磁州のようにもう少し日用品生産の性格の強い窯 業地もある。これら産地の性格の背後には、技術 伝統、土の種類、流通の便利さなどの要因がある。  宜興は、非常に特殊なものを生産している。そ れは急須である。急須といっても、鉄観音などの 烏龍茶をいれるためのものに特化しているといっ てよい。

 このような烏龍茶の文化は、福建省を中心とす る。烏龍茶は、未発酵の緑茶でも、発酵した紅茶 でもない、その中間の性格をもつ。これをおいし く飲むための作法が発達するとともに、それに適 した茶器として宜興のものが珍重されるようにな ったのである。

 その作法とは、茶を適量だけ、その急須にいれ てお湯をそそぎ、まず一回目のお湯で茶葉の汚れ を取り除き、そのあと二回目から適当な時間を待 ってお茶を飲むことができるといったものである。 それに必要な道具一式というものがあり、その一 式の中核をなすものが宜興の急須なのである。  宜興は、その生産と販売を担う町として、中国 ではよく知られている。多少ほこりっぽい、文字 通り土にまみれた町であって、美しい風光明媚な 鎮という感じではない。

 しかし、急須は近年までやはり水路を通じて出 荷されていたはずで、やはり江南の鎮のひとつの あり方を示すといってもよいだろう。

南潯鎮の様子 典型的な江南の鎮の光景がひろがっている。

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