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連載の第4回ではいよいよ、ユーラシア・アフ リカだけでなく文字通り地球規模での世界史(グ ローバル・ヒストリー)が開幕を告げ、それをし だいに支配してゆくところの「近代世界システム」 が出現した、大航海時代をあつかう。『タペスト リー』28 〜 35 ページの大きな地図を広げながら お読みいただきたい。大航海時代の具体的な経過 はよく知られているので、今回は経過のおさらい よりも、この時代を理解する視角や注意点などに 重点をおいて解説したい。
大航海時代と近代世界システムの成立 最初の問題は、ヨーロッパの内部発展と世界進 出の関係をどう理解するかである。
近代科学は一般に、物質界なら原子、人間社会 なら個人など「それ以上分けられない最小の単位」 がまず存在し、それが結びついて物質や社会がで きあがる、という順番でものを考えてきた。とこ ろが原子をどんどん分解して素粒子の世界に入っ ていったら、最後に「強い力」「弱い力」「電磁 気力」「重力」の「4つの力」という物質ではな いものが残り、「最小の物質がまず存在する」と いう観念は崩れてしまった。社会科学でも同様に、 最初に「個」があって次に集団が成立するのでな く、「個」は他者との「関係」や「力」の中でし か成立しないことが認識されてきた。
世界(国際社会)を考える際に、原子や個人に 当たる最小単位として考えられてきたのが、国家 と民族である。世界システム論や、そのヒントと なったブローデルの「地中海世界」論は、そこを 変えようとした。つまり、ある「世界」の構造や 状況こそ独立変数であると考え、その中での個々 の国家や集団の動きをむしろ従属変数ととらえる のである。西欧の近代化とりわけ資本主義化は、
どれかの国の内部発展が周辺に波及しておこった のではない。それは世界進出の結果として出現し たところの、西欧を中心(中核)としラテン = ア メリカや東欧を周辺(辺境)とする大規模な分業 システムつまり「ヨーロッパ世界経済」(=近代 世界システム)がもたらした出来事だった。では その世界進出はなぜ起こったか。それは、14 世 紀以来の危機を領土拡大によって乗り切ろうとす る(別に近代的でない)ヨーロッパ世界全体の動 きが、いろいろな偶然が重なって成功したものと 理解される。
ただし、現代ラテン = アメリカやアフリカの出 口のない悲惨さを説明するために考案された「従 属理論」を下敷きにしているため、ウオーラー ステインの理論では、いったん「周辺」にされた 地域は一方的に低開発化するしかない。その点が、 結局第三世界の発展可能性を否定しヨーロッパの 優位を強調する新手のヨーロッパ中心史観だとい う批判にさらされる。「中心」と「周辺」の関係 がもつ可変性にも注意すべきだろう。
ヨーロッパ人の限界とアジア史
第二の問題は、16 〜 17 世紀ヨーロッパの世界進 出を 19 世紀以降の世界支配と直結して、「進んだ ヨーロッパ諸国が着々と植民地を広げた」などと 理解してはいけないことである。
ヨーロッパ人はもともと生活水準が低いために (!)ハングリー精神があり、しかも相互の戦争 のために銃砲など軍事力を発展させ、その力で征 服したラテン = アメリカで悪逆非道な搾取をした。 貧しく野蛮で戦争だけ強く掠奪を繰り返す、遊牧 民などよりはるかに恐ろしい集団が、ヨーロッパ 人だった。ところがアジアでは、ごく一部を除け ば進出先に強力な国家が存在したため、そんなや
連載ゼミナール グローバル・ヒストリー 第4回
大航海時代とその帰結
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り方は通用しない。
そもそも「大航海時代」の名前にふさわしい海 上貿易の活況は、アジア海域ではヨーロッパ人出 現以前から存在した(モンゴル時代の評価は議論 があるが、15 世紀は間違いない)。ヨーロッパ人 はその豊かさに引き寄せられて参入したものであ る。ヨーロッパ人の参入で貿易はますます活性化 したが、主役はあくまで中国人・日本人商人やム スリム商人などアジアの人々だった。ヨーロッパ 人が来なければ「自給自足経済」のアジアに大航 海時代は来なかったなどと考えるのは、話になら ない誤解だ。
なお、ウオーラーステインのいう「世界」は元 来、前近代の「世界帝国」なども含む「地域世界」 のことであり、のちに全世界を支配する「近代世 界システム」も 、 当初は西欧・東欧とラテン = アメ リカ以外の諸地域を―活発な貿易関係はあって も―含まなかったと、正しく理解している。 もっとも、ウオーラーステインが、近代世界シ ステム以外(以前)には、ひとつの世界帝国の範 囲を超えた分業構造(世界経済)が安定的に存続 することはなかったと主張した点は、近現代を扱 う研究者にありがちな、前近代を近代と無縁の低 レベルな時代と決めつける態度だといわざるをえ ない。実際、近代世界システムほど緊密ではない にせよ、超国家的な相互依存・分業システムは歴
史上でしばしば出現したのであり、とくにモンゴ ル時代以降には、前回紹介したアブー = ルゴドの 「13 世紀世界システム」とか、近世の東・東南ア
ジア貿易圏のように高度に発達するものも現れた。 さて、これだけだと、よくある「ヨーロッパ中 心史観に反発するあまり、その裏返しの無理なア ジア優越史観を絶叫する」パターンに終わる。大 航海時代以降のヨーロッパ人が急速な進歩を遂げ たことは認めねばならない。まず重商主義だ。重 商主義はアジアでは、軍事的に困難だしコストも 大きい無理な征服戦争などせず、可能な拠点は占 拠するが基本は商売におく、商売のためなら日光 東照宮参拝や朝貢国扱いなどの屈辱もいとわず徐 徐に勢力を拡大する、という合理的な路線をとっ た。その代表が「近代世界システム最初の覇権国 家」ともいわれるオランダであり、その東インド 会社であった(明治以来のイギリス中心史観を捨 て、17 世紀にはオランダがイギリスよりはるか に強大で進んでいた事実を正視すべきである)。 もう1点、アジア社会を大きく変えるメキシコ 銀と「新大陸」原産の作物、それに梅毒などの病 気を、ヨーロッパ人が持ち込んだ点も忘れてはな らない。近代世界システムからはまだ自立してい たとはいえ、大航海時代のアジアはヨーロッパ人 の活動を通じて、グローバルな世界史には組み込 まれていたのである。
ア メ リ カ か ら の 貴 金 属
ア ジ ア か ら の 香 料
バ ル ト 海 か ら の 穀 物
309.4 136.8 87.5
西ヨーロッパの輸入 (1600年)(年平均トン)
〈『朝日百科世界の歴 史67商品と物価』〉
丁子
ナツメグ 香木 こしょう
1510∼
ポルトガルの拠点 ポルトガル人砲 兵により強大化。
種子島でポルトガル 人より鉄砲伝来。
1557∼ ポルトガルの拠点
1571∼ スペインの拠点 アルタン=ハン時代の
タタルの最大勢力範囲
1518∼1656 ポルトガル領 1513 バルボア
太平洋に到達 1519∼21 アステカ滅亡
1545年 スペイン 人が発見。多量の 銀がヨーロッパに もたらされる。
1532∼33 インカ滅亡
1511∼1641 ポルトガル領
ト ル デ シ リ ャ ス 条 約 境 界 線
サ ラ ゴ サ 条 約 に よ る 境 界 線 0° 60° 30° 30° 90° 90° 120° 150° 150° 60° 90° 90° 30° 30° 120° 150° 150° 60° 30° 30° 0° 0° 30° 30° 60° 60° 60° 120° 120° 0° 川
太
平
洋
大
西
洋
ピ シシミ ッ
カ リ ブ 海
黒 海
チャド湖
イ ン ド 洋
川
ガンジス川
川 ン コ メ
川
川 ナ イ ル
ル ニ
ー ェ ジ
ゴンコ
太
平
洋
マゼラン海峡
フランス イギリス
サカテカス銀山 (1546発見)
フロリダ半島
サンサルバドル島 キューバ
ポトシ銀山 (1545発見)
喜望峰
マダガスカル島
チベット カシュガル
女真 シ ベ リ ア
モルッカ諸島 フィリピン諸島
モルッカ諸島
アゾレス諸島
ベニン王国
コンゴ 王国 ソンガイ 王国 ヴェルデ
岬諸島
オスマン帝国 ロシア帝国
ムガル帝国 サファヴィー朝
明 タタル (韃靼)
朝鮮 日本
大越 ト ゥ ン グ ー 朝 ロンドン
神聖ローマ 帝国
(1494年) (1493年)
(1529年) 教
皇 子 午 線
ペルー副王領
ブラジル ヌエバエスパーニャ
副王領
スペイン ポルトガル
フランス イギリス
ス ウ ェ ー デ ン
アユタヤ朝
フィリピン諸島
ブハラ= ハン国 ヒヴァ=ハン国
ソコトラ
サントメ フェルナンドポー アルギン島
カナリア諸島 西インド諸島
マデイラ諸島
ブラジルへ
タスマニア島
アスンシオン クスコ
ラパス
ブエノスアイレス サンティアゴ
ペルナンプーゴ サンルイ
バイア リマ
キト ボゴタ パナマ カルタヘナカラカス
サントドミンゴ トルヒーヨ アカプルコ メキシコ
グアテマラ ベラクルス
メリダ ハバナ
ソファラ ザンジバル
モンバサマリンディ モガディシュ トンブクトゥ
アルジェ チュニス トリポリ マドリード セビーリャ リスボン
パリ
ジェノヴァ ヴェネツィア
アントウェルペン ウィーン
ワルシャワ アムステルダム
モスクワ
イスタンブル キエフ
カイロ ホルムズ
アデン マッサワ ジッダ メッカ
バスラ イスファハーン アレッポ
デリー ラサ
カーブル ビシュバリク
ディウ
ゴア
カリカット
コロンボ アチェ マラッカ パタニ
ブルネイ マニラ マカオ 西安
州 寧波
福州 安土
広州 平戸 南京 北京
開原 フフホト アストラハン
カザン トボリスク チュメニ
モザンビーク マスカット
コーチン サントメ
モルディブ
バンテン ドゥマク ディリ
テルナテ ティドーレ スールー サンミゲル
ジョホール
ルアンダ サンジョルジェ カシュウ
セウタ
A B B C C D D E E F F G G H H I I J J K K L L 1 1 2 2 3 3 4 4 5 5
ポルトガル領 拠点都市 島 スペイン領 拠点都市 島 イスラーム拠点都市 島 モルッカ諸島へ向かうポルトガルの航路 ポルトガルの奴隷貿易 モルッカ諸島へ向かうムスリム商人のおもな航路 スペインの護送船団の航路 ヨーロッパ沿岸のおもな航路 海禁解除後の中国商人の海上貿易 ポルトガルの砂糖栽培地 オスマン帝国とヨーロッパ勢力の海戦 ドレークのスペイン船襲撃地 オスマン帝国に服する海賊のおもな出没地
アルタン=ハン,チベット仏教 指導者にダライ=ラマの称号を 贈る。モンゴル一帯にチベット 仏教広がる。
トルデシリャス条約1494 ポルトガルとスペインが,ローマ教皇の 仲介でとりきめた,世界の支配権を二分 する条約。
教皇子午線1493 コロンブスのアメリカ大陸発見後, 教皇が提示したスペインとポルト ガルの支配領域の境界線。 しかしポルトガルは不服。
サラゴサ条約1529 スペインとポルトガル の条約。 スペインがモルッカ諸 島をポルトガルに売却。
ポタラ宮殿
16世紀ころの世界
16世紀ころの世界
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17世紀の危機とそれぞれの18世紀 ヨーロッパが近代に入るのに対し、アジア諸国 は大航海時代以降も中世のままにとどまり、近代 化に乗り遅れた、という考えが以前はよく聞かれ た。しかし最近では、①国・地域ごとにバラバラ な発展でなく、大航海時代以降はグローバルな動 きそのものを時代区分の基準と見る、②ヨーロッ パだけが発展していたのでなく、他の地域も独自 の成熟・発展を遂げていたことに着目する、とい う2つの理由から、15、16 世紀以降の世界(論 者によってはモンゴル時代以降)をまとめて「近 世」(英語では Early Modern =初期近代)と呼 ぶことが一般化してきた。工業化や国民国家など で特徴づけられる「狭義の近代」には至っていな いが、その準備が進んだ時代というわけである。 この、世界史の一段階としての「近世」は、通 常2つの時期に区分される。前半は要するに大航 海時代で、海上貿易と銀流通が牽引車となって世 界的な好況が続いた時代である。しかし 1620 年 代以後、景気はしだいに後退する。銀資源の枯渇 と採掘コストの上昇、世界的な銀価格の平準化な どで、日本やメキシコの銀をよそに運べば必ずも うかる、という時代は終わり、むしろ銀の過剰流 動性がもたらす通貨価値の混乱が各地で顕在化す る。地球が寒冷化したため、長年の好況と人口増 で乱開発が進み森林が破壊されていたツケがあ ちこちで出てきた。景気後退と環境危機のなかで、 ヨーロッパでも明清後退期の中国でも、戦乱が数 十年間続いた。ヨーロッパ史でいう「17 世紀の 危機」である。危機的状況とまではいかなかった 西アジア、南アジアでも、オスマン、ムガルなど
の帝国は、17 世紀後半から地方社会の支持を失 ってゆく。海上貿易は世界的に衰退し、大航海時 代は終わる。各地域世界同士の結びつきが弱まっ た状況で、17 世紀末から近世後期が始まった。 17 世紀の危機そのものは、比較的短期間で収 拾され、18 世紀に入ると多くの地域で経済成長 が再開する。だが、その後の世界の構図は危機の 前とは大きく違ってくる。
西欧諸国と近代世界システムは、またもや拡大 によって危機を乗り切った。貴金属の獲得や商業 利潤に重点を置くこれまでのやり方に加えて、陸 上の植民地を開発し、そこで綿織物やコーヒー、茶、 砂糖などの輸出商品を強制的に生産させる方法が 発達した。その最大の場とされたアメリカ大陸・ カリブ海地域、「大西洋三角貿易」でそこに結び つけられたアフリカは、どちらも「近代の闇」を 象徴する地域と化してゆく。その犠牲の上に得ら れた富の蓄積を背景として、やがてヨーロッパで は産業革命や市民革命が実現する。
東アジアでは、共通して貿易や出入国の統制が 強まった。その中で中国は、帝国の仕組みを変え ないまま安定を取り戻し、人口増加と華僑ネット ワークの拡大が進む。日本は鎖国のもとで独自の 市場経済や技術発展を実現し、幕末の開港後の急 速な近代化の土台ができてゆく。一方、貿易衰退 などで一時的にせよ活力を失ったインド洋、東南 アジア島嶼部のような地域は、18 世紀にズルズ ルと植民地化が進み、近代世界システムの 「 周辺」 とされてゆく。東南アジア島嶼部の場合は、華僑 ネットワークと両方に従属する。経済面でこれら と同様の「周辺化」が進んだ中東イスラーム世界 では、イスラームの信仰を純粋化してこれに対抗 しようというワッハーブ派などの運動が始まる。 つまり、それぞれの地域・国における 17 世紀 の危機の影響とその後の展開は、現代史の構図を はっきり予告しているのだ。紙数の都合でふれな
かったが、近代人が各地の「伝統文化」「伝統社会」
と見なしたものの多くが、この時代に出現したり 確立したものだという点とあわせ、近世後期の重 要さを強調しておきたい。
綿花 綿織物
コーヒー コーヒー
中国
アラビア インド
イギリス イギリス北米
13植民地
ブラジル
中国
アラビア インド
あこがれのアジア物産 奴隷制プランテーション の生産物 本国工場での生産が 進んだもの イギリス
イギリス北米 13植民地
ブラジル
茶 陶磁器 陶磁器
コーヒー
コーヒー コーヒー コーヒー 藍
綿花
綿織物 綿織物
①コーヒーの輸入元 1722∼24年 1772∼74年
②茶の輸入元(茶は国産化できなかったので、赤字が続いた。 ) 1722∼24年
1772∼74年
③綿織物の西アフリカ・アメリカ向け輸出内わけ 1722∼24年
1772∼74年
④綿花の輸入元 1699∼1701年 1772∼74年
436 アメリカ
848 東インド 123 東インド
東インド
インド産キャラコ 116 東インド
191 国産綿織物 国産綿織物 60 インド産キャラコ
126 注)東インド =東アジア・東南アジアとインド洋に接する全地域 アメリカ =北アメリカ、英領および外国領西インド諸島、スペイン領 アメリカ、西アフリカ
オスマン帝国 アメリカ
43 オスマン帝国
アメリカ
〈『近代国際経済総覧』〉
p.212 18世紀の大西洋経済∼アジア物産の国産化∼ 18世紀イギリスの貿易(単位1000ポンド) ヨーロッパ人は,憧れのアジア物産を自らのものとするため,農産物は新大陸で,加
工品は本国での生産を試みた。インド綿織物に憧れるイギリスは,綿花を北米でつく り,初期の粗悪な製品はアフリカに売り,ついに工場制綿織物産業を育て上げていく。
あこが
そ あく
p.164