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目次1pdf 最近の更新履歴 日本語教育と映画研究

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(1)

vii 目次

全体序---i

第一部 タルコフスキー論

第一部 序論---3 (1)作品

(2)協力関係

(3)他の映画作家の作品への協力 (4)他の監督によるドキュメンタリー (5)作品の構想

(6)出版

アンドレイ・タルコフスキー年譜---31

第1章 信仰・死・共同体―『ストーカー』の分析---37

第一節 ストーカーについて---40 第1項 「呪われた=聖なる」人間

第2項 人生の理想としての柔弱さ

第二節 ゾーンについて:部屋の敷居の場面を中心に---46 第 1 項 ヤマアラシの物語についての作家の解釈

第2項 信仰と苦:部屋の要求

第三節 帰還後の展開について---52 第1項 帰還後の変化

第2項 妻の変化の本質:苦の受容 第3項 死の共同性

第4項 舞台の〈外〉

第5項 ストーカーの最後の言葉の解釈

(2)

第2章 外部との境界存在者としてのユロージヴィ

―『ノスタルジア』のドメニコの検討---65

第一節 ユロージヴィについて---67 第 1 項 ユロージヴィの伝統

第 2 項 タルコフスキーのユロージヴィへの関心

第 3 項 見世物、あるいは社会的プロテストとしてのユロージヴィ

第二節 ユロージヴィとしてのドメニコ---71 第1項 ドメニコの登場する場面と設定

第2項 ドメニコの言動とゴルチャコフの反応 第 3 項 聖カタリナの聞いた言葉と世界の終わり

第三節 ドメニコの犠牲的行動---78 第1項 ドメニコの演説の状況

第2項 ドメニコの演説の検討

第3項 演説後の行動~音楽の故障と再起動という演出の意味

第3章 他界への郷愁と犠牲による気づき

―『ノスタルジア』のゴルチャコフについての検討―---91

第一節 主人公が取り付かれている「ノスタルジア」の位置づけ---93 第1項 無意志的記憶の「回想」

第2項 タイトル・バックの情景―他界への郷愁 第3項 回想された他界の同時進行性と呼応性

第二節 今ここの〈他界〉---102 第1項 主人公の〈病〉―宇宙的孤独

第2項 気づき 第3項 自然的事象 第4項 内面への旅

第5項 真理の現われとしての美

(3)

ix 第6項 箱庭的光景

第三節 ゴルチャコフの行動---115 第1項 犠牲と信仰

第2項 ゴルチャコフの行動

第3項 ラスト・ショット~他界への帰還

第4章 〈今ここ〉を貫く他界―『サクリファイス』論(一)---123

第一節 他界観の提示---124 第1項 永遠回帰をめぐる対話

第2項 地図についての会話 第3項 収集家

第二節 他界の出現、あるいは露呈としての戦争---136 第1項 戦争勃発の描写・演出

第 2 項 戦争の描写補論:ヴェルテップについて

第5章 自己無化と他界との接触としての犠牲

―『サクリファイス』論(二)---147

第一節 犠牲という主題---147 第1項 タイトルについての検討

第2項 タイトル・バックについての検討 第3項 映画を解く鍵としての《マギの礼拝》

第二節 燃える家の場面の演出---159 第1項 解釈の分岐と登場人物の認識の差異による区分

第2項 アレクサンデルの犠牲の意味

第三節 イコンとしての映画---165 第1項 タルコフスキーのイコンへの関心

(4)

第2項 俳優についての対話

第6章 共苦の共同体―『サクリファイス』論(三)---171

第一節 共苦---171 第1項 ツァラトゥストラ=アレクサンデルの気絶

第2項 アレクサンデルの祈り 第3項 他者への共苦に発する祈り

第二節 魔女---180 第1項 魔女について

第2項 魔女との一夜

第三節 共苦の共同体---190 第 1 項 彼方へ去るマリア

第2項 子供との絆―枯れ木に咲く〈花〉の受容

第二部 その他の監督作品論

第 7 章 権力の視線と天使のまなざし

―『エンド・オブ・バイオレンス』にみる映画の脱権力性---201

第一節 権力の監視する視線---203

第二節 権力の本質と暴力の連鎖---205 第 1 項 暴力装置としての視覚

第 2 項 暴力を生み出すもの

第 3 項 抵抗の拠点――権力を無化する倫理

第三節 守護するまなざし――天〔使〕のまなざし---210

結び---212

(5)

xi

第8章 死のメディアとしての映画――『回路』(黒沢清)を中心に---213

はじめに 第一節 死のイニシエーションとしての恐怖---214

第二節 死の伝播---217

第三節 孤独から生と死の連続性へ---219

第四節 死者が支える生---222

第五節 世界の終りの光景---224

第9章 侯孝賢の映画を観ることの意味 ―『好男好女』(1995)のショット分析を手がかりとして---227

はじめに 第一節 『好男好女』の構造~再現の多層性と動性---229

第二節 交わるはずのないものの交わり~梁静と蒋碧玉の同化---233

第1項 梁静と蒋碧玉の交わり 第2項 女性同士の友情の主題 第3項 真実と虚偽/歴史的過去と個人的過去の融合 第三節 伝達の直接性と異空間の開示---238

第1項 伝達の直接性 第2項 死の空間の開示 第3項 移動する開かれた共同性~ラストショットの検討 結び~生死を超える絆---243

(6)

参考文献---245 人名一覧---266

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